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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観8東條英機真実誤認の起因狂言自殺報道で家族近親者覚悟の自殺と反論

 「東条大将はピストルを以て……」ここまできいたとき、全日本人は、「とうとうやったか!」と叫んだであろう。来るべきものが来た、という感動と悲哀とともに、安堵の吐息を吐いたであろう。

 しかし、そのあとがいけない。

 なぜ東条大将は、阿南陸相のごとくいさぎよくあの夜に死ななかったのか。なぜ東条大将は、阿南陸相のごとく日本刀を用いなかったのか。

 逮捕状の出ることは明々白々なのに、今までみれんげに生きていて、外国人のようにピストルを使って、そして死に損っている。日本人は苦い笑いを浮かべずにはいられない。

 逮捕状は続々と発せられるであろう。それにあたるべき人人はみな自決してもらいたい。今、百の理屈よりも一の死は、後世に於て千の言葉を以て国民に語りかけるにちがいないのだ。

 ただ、出来るならこれらの人々は余命の炎をかりたてて、愚かな自己弁護のない本戦争の真相を書き残し、信頼し得る側近の日本人に秘密裡に託しておいて欲しい

 

(20年9月)十三日(木) 曇

 杉山元本土防衛総司令官自決。夫人殉死。杉山夫人、戦争中東条夫人のごとく人の目に立つことなし。しかし東条夫人は恬然として生き、ひそやかなる杉山夫人ひそやかに死す。されどその婦道燦たり。

 されど死にし幾十万の兵の母、妻を思わば、軍の責任者の妻として是非もなし。

 

(20年9月)十七日(月) 雨

 米国新聞が、日本の指導者にだまされるなとさけんで、こんなことをいっている。

 

 「米国人は東条こそ戦争の元凶であり、侵略政策の張本人であると思っているが、日本人はそうは考えてはいない。東条は日本の歯車の一つに過ぎない。真の指導者は依然として日本の指導権を握っている。」

 

 アメリカ人は、東条大将をヒトラーに匹敵する怪物に考えているらしいが、これは滑稽である。日本人は東条大将を、戦争中も現在も、唯一最大の指導者であったとは考えていない。一陸軍大将だと思っているに過ぎない。

 ただわれわれが東条大将にいさぎよく死んで欲しかったのは、彼に対する恨みでも責任転嫁でもなく、アメリカがそう見ているから、そういう代表的日本人に敵の裁きを受けるような恥辱を見せたくないし、またこちらも見たくないからそう念願したのである。が、とにかく東条大将はこれからも敵から怪物的悪漢と誹謗され、また日本の新聞も否が応でもそれに合わせて書きたてるであろう。

 東条大将は敗戦日本の犠牲者である。日本人はそれを知りつつ、日本人同士のよしみとして、彼が犠牲者の地に立つことを、敵と口を合わせて罵りつつ、心中方斛の涙をのんで彼に強いるのである。

 しかし彼の人間と存在意義は、遠い後に歴史が決定するであろう。

 

(20年9月)十九日(水) 快晴

 ・・・東條でもそうである。「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ」と彼はいっているそうである。それならばそれでよい。卑怯といわれようが奸臣といわれようが国を誤ったといわれようが、文字通り自分を乱臣賊子として国家と国民を救う意志であったならそれでよい。ならしかしなぜ自殺しようとしたのか。死に損なったのち、なぜ敵将に自分の刀など贈ったのか。

 「生きて虜囚の辱めを受ける事なかれ」と戦陣訓を出したのは誰であったか。今、彼らはただ黙して死ねばいいのだ。今の百の理屈より、一つの死の方が永遠の言葉になることを知らないのか。

 東條大将や鈴木大将の価値は後世の史家に待つとしても、この死に対する踏み切りの悪さだけはどうにもいただきかねる。

 

『夢声戦争日記』徳川夢声1894~1971年。漫談家。司会者)(20年)9月12日

 国定少佐の立派な死に対して、今朝の新聞に出ている東条大将の自決ぶりは何たることであるか。

一、死ぬならもつと早く死ぬべきであつた。生きていたからには、堂々と戦争犯罪人審判の法廷に立つて、所信を披瀝し、極力責を負い、陛下に御迷惑の及ばぬよう陳弁して、それから自決するなり、刑の執行を受くるなりすべきであつた。

一、A兵が捕縛に来てから、さて自決などはなつていない。一日延ばしにドタン場まで生き永らえていたのか?一、ピストルで腹を射つなんて、凡そこれは前代未聞であろう。腹を打つて即死出来ぬくらい百も承知の筈だ。それでいて、駆けつけた新聞記者に、切腹よりもピストルの方が遣り損じない、一思いに死ねるから、そうしたと述べている。

一、一思いに死ぬことを望んだくせに、新聞記者に向つて長々と、愚にもつかない遺言を述べているのは、甚だ矛盾を極めている。例の自己宣伝癖が死ぬまで発揮されたのであるか。

一、自分の事は歴史の審判に待つだの、俺の死骸は見せ物じやないとマッカーサーに言つてくれだの、大見得を切つているが、歴史の審判も凄まじい、見世物じやないも幼稚なタンカである。

 以上一寸考えただけでも、この大将の自決は大醜態である。なんだか吉良上野之介の最期を想わせられる。

 

『敗戦日記』高見順(1907~1965年。小説家)

 志賀さんは情報局へ行かれるとのことで、渋谷からみんなはまた同じ地下鉄のホームへ行った。

 人が東京新聞の夕刊を読んでいた。のぞくと、東条大将重態とある。私はここではじめて東条大将の自殺を知らされたのである。その話を私はした。そしてそういう話になって「やっぱりどうも同情は持てないね」と志賀さんは言った。穏やかな、いい言葉であった。もし私が東条大将の自殺を朝刊で前もって知っていたら、きっと激した、飛び出た、浅間しいことを言ったに違いないと思った。

 

 虎ノ門で志賀さんと別れた。

 新橋で川端さんが切符を買うため、長い行列のうしろに立つと、私は夕刊を買おうと思って、駅の外に出てみたが、いつも売っているところに売り手がいなかった。どこにも売り手が見えなかった。

 歩廊で他人の新聞をのぞくと、東条首相の時の閣僚が戦争犯罪人として逮捕されたという記事が見えた。ビルマ大使その他の名も見えた。

 家へ帰って大急ぎで新聞を見た。東条大将の記事が出ている。

(読売新聞)

東条大将自決 

 聯合軍側からの抑留命令直後

 昨午後自邸で拳銃で危篤

 

 期するところあって今まで自決しなかったのならば、なぜ忍び難きを忍んで連行されなかったのだろう。なぜ今になってあわてて取り乱して自殺したりするのだろう。そのくらいなら、御詔勅のあった日に自決すべきだ。生きていたくらいなら裁判に立って所信を述べるべきだ。 醜態この上なし。しかも取り乱して死にそこなっている。恥の上塗り。

 

東條叩きがエスカレートし、自殺狂言説がはびこるようになったため、狂言自殺説を翻すための証言が東條英機や身内近親者によってなされた。

 

片倉衷の証言(202師団長) 

1945(昭和20)年8月22日・・・東條邸を訪ね・・・東條は私に次のように語った。「俺は裁判にでも何でも行って堂々と所信を述べるつもりである。天皇陛下には絶対ご迷惑をかけたくない。戦争に対する全責任は自分がとるためにも敢えてこの道(大義を果たすまでは自殺せずに生きる『公』)を選んだ。しかし、連合軍がなすべき道を履まず、不当な処置(例えば捕虜の取扱いをするが如き)をとる時は俺は自ら処する(『私』)覚悟である」と。沈痛な表情の中にも毅然たるものがあった」と証言。「東京裁判と東條英機」

 

片倉衷の証言(202師団長))証言検証

後半の赤字の証言は狂言自殺説を翻すために後から付け加えた偽証だ。狂言自殺説を翻すための、過剰で詳細な近親者の見てきたような証言が多いのだ。

 前半で東條の大義公」を話し、生き恥を曝した理由を話し、その目的も完遂せずに最後に捕虜の取扱いを受けたら死ぬ。「私心で死ぬ」は無いだろう。明らかに不自然な文だ。大義完遂のため生き恥を曝し、死を覚悟した東條の大義「公」のまえに、捕虜の取扱い「私」など一介の塵に過ぎないはずだ。

 死を覚悟した東條の大義「公」と、捕虜の取扱い「私」を同次元で話すはずが無い、辻褄が合わない。明らかに「公」「私」混同捏造証言。赤太字証言は東條の名誉を思い、狂言自殺説を翻すための偽証。他は真実。

 

下村陸相証言

・・・私は、その以前にかなり確かな筋から東條氏が自殺を決意していることを聞いたので、これを諌止するため1945(昭和20)年9月10日(片倉衷氏との面談から19日後東條自決決行前日)、同氏を陸軍省に招き他人を交えずに一時間半ほど懇談した。

 同氏は最初の間、「自分は皇室および国民に対し深く責任を感じているので、自決するのは当然である。しかし外国人から裁判を受ける必要はない」と主張した。これに対して私から、「国際裁判の第一の目的は、戦争責任の所在を追及するにあると察している。これに対して日本の立場や政府の責任などを最も明白公正に答えうるものは、あなた以外に、これを求めることは不可能と思う。もし、あなたが裁判以前に自殺されたら、審理上日本側が不利不公平な破目に陥ることがあり得るし、ことに万一累を陛下に及ぼし奉るような事態でも起きたら、それこそ申訳ないではないか」と力説したところ東條氏は「生きて法廷に立たずとも、すでに詳細な供述書を用意しているから迷惑はかけない」といって中々応じなかったが、ただ累が皇室に及ぶかも知れないという点では、同氏の性格上大いに苦悩したらしく、しばらく黙考の末、「君のいうことはよく解る。しかし自分の決意には今一つの理由がある。自分は、かつて公布した戦陣訓の中に、俘虜の辱めを受けるよりも潔ぎよく死をえらべと訓えた。連合国側がもし容疑者に対して侮辱的な取扱をする場合、自分はこれを甘受することはできない」といって譲らない。

 ・・・私の知る限り、同氏の自殺未遂は同情すべき点こそあれ、一部で噂されたような芝居でも何でもない。また当日まで決行しなかったのは裁判に提出するための供述書の浄書を腹心の者に頼み、その出来上りを待っていた故であったとのことであった。 下村定 『終戦処理の回顧』

 

下村陸相証言検証

 「外国人から裁判を受ける必要はない」は、片倉衷証言と真反対証言。

 「詳細な供述書を用意している」は、未だに発見されておらず、腹心の者証言皆無。

 明治天皇「大元帥(だいげんすい=全軍を統率する総大将で、旧陸海軍を統帥した天皇の称」が全軍人に下した勅諭、軍人勅諭(降伏禁止の記載など、一切無し。軍法にも記載無し)を無視し、当時の陸軍大臣である臣(家来)東条英機が示達した陸軍だけの戦陣訓に「義」(公)の為ではなく、私心(捕虜になるのは辱だから、捕虜になるなら自決せよ)で死ねと、おしえたというのだ。軍人勅諭を無視し、軍法を無視し、天皇を冒涜するこんな不敬は無い。「戦陣訓」起案責任者・今村均将軍も、今報道されている「戦陣訓」の内容は、本意「ほんい(真の意味)」で無い、「誤解された」と発言している。東條自決決行前日の下村陸相との会談も、狂言自殺説を翻すための「公」「私」混同捏造証言と、なっている。虜囚の辱=敵の捕虜では無く、日本軍兵士が軍紀を犯し、日本軍に捕まるが本意。生きて虜囚の辱を降伏禁止と解釈は、戦後の捏造。戦後の捏造戦陣訓(降伏禁止)を理由にしている(赤太字証言)。

 「当日まで決行しなかったのは裁判に提出するための供述書の浄書を腹心の者に頼み、その出来上りを待っていた故であったは、片倉衷証言と明白に異なる。「外国人から裁判を受ける必要はない」と発言し、裁判に提出するための供述書作成では、整合しない。また、浄書を頼まれた腹心の者証言も、皆無。

 下村陸相証言狂言自殺説を翻すための偽証。

 

たったの26日間で治癒、10月7日に退院し大森拘禁所に入所「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」東條英機のコード全て含まれた覚悟の決まった証言

元参謀本部総務課長榊原主計大佐が大森拘禁所にて東條大将との会談メモ 

 「責任は全部自分で負ひ悪者となつて畢(おえ)る考へなりき。死を以て責任を明(あきらかに)にする所存なりき。勝者は敗者に対し全能の神なり。敗者の声は狼の前の小羊の声に過ぎず、大東亜戦争の正邪は後世史家の批判に俟つべきものにして勝者の批判により決せられるべきものにあらず。

 『予は臣節を全うする為死を以てお詫びせんとせる』も、此に関して下村大将と意見を異にし、同大将は最後迄生を有し堂々裁判に臨み正義の主張を述ぶべしと奨められたり。

 自決の方法に就いても諸種考へたるも(刀、其他)心臓を射つを確実と考へ、それとなく医者にも訊ね研究の上実施せるものなり。只アメリカの医術の進歩につき考へ違ひをなしあり。アメリカの医術は日本より十年は進みあり、心臓の穴を血の粉にて塞ぎ(注・心臓に穴などは開いていない。心臓に穴が開いて血の粉にて塞ぎ助かるとは、いかにも漫画的である。これも東條コード)日本の医術にては到底絶望と思惟せざらるゝを救出せり。拳銃は玩具の拳銃と謂ひあるも誤にして陸軍の正式拳銃なり」『東條英機大将大森拘禁所に於ける感慨』(東條英機 / 東條英機刊行会 上法快男編 所収) 

 

東條英機証言検証

前記の片倉衷202師団長東條英機自決の理由証言

 「連合軍がなすべき道を履まず、不当な処置(例えば捕虜の取扱いをするが如き)をとる時は俺は自ら処する覚悟である」 (私利私欲)

前述の下村(陸相)大将東條英機自決の理由証言

 「戦陣訓が東條英機自決の理由」(公)

 しかし東條英機が語る自決の理由は、「予は臣節を全うする為死を以てお詫びせんとせる」(日本国天皇の処遇未定の時点での臣(家来)の自決は、日本国天皇を見棄てたことになり、臣節を全うせず、私利私欲)で三者三様で異なる。

 「同大将は最後迄生を有し堂々裁判に臨み正義の主張を述ぶべしと奨められたり」は、榊原主計大佐から下村陸相証言を聞き、話を合わせた。と東條英機自身自決の理由をどれにするか、まだこの時点では定まっていない。

 「心臓の穴を血の粉にて塞ぎ」は、偽証。心臓に穴などは開いていない。心臓に穴が開いて血の粉にて塞ぎ助かるとは、いかにも漫画的である。これも東條コードだ。

 「日本の医術にては到底絶望と思惟せざらるゝを救出せり」と米軍に迎合し、「悪者となつて畢(おえ)る」を実践している。

 「拳銃は玩具の拳銃」は、傷は浅かった。9月11日東條大将自決圖り、10月7日に退院し大森拘禁所に入所、たったの26日間で治癒しているのが証拠。

塩原時三郎弁護人が日本記者団に語った東条の述懐(狂言自殺払拭のため、身内近親者に呼応した証言(この時点での自決理由は私利私欲)以後身内近親者証言のソースとなった

 後日、法廷で塩原時三郎弁護人(元逓信院総裁)が日本記者団に語った東条の述懐は、つぎのようである。

 「世間のヒンシュクを買った当時の行為も事前になんらかの通知があり、時間的に余裕を持てばあんな失敗は演じなかったと思う。終戦後の閑居中自分のとるべき態度につき二つの立場を考えていた。第一は自由に発言する機会を与えられたならば堂々と所信を披瀝して戦争勃発の真相を明らかにし、すべての責任をとるつもりで考えをまとめ、書き物もしていた。反対にもし身柄を外国に連行され、サラシものになるような場合を想像して自殺の準備にも万全を期した。まずピストルを肌身はなさず持ち、医師に心臓の上に墨で丸印をつけてもらっていた。風呂のあとでは書きなおしていた。

 軍刀ももちろん身近に置き、さらに愛用のパイプには青酸カリをつめて万一にそなえた。十一日の当日まで、戦犯の予告を受けなかったので、まだ余裕があると思っていた。ジープの音がさわがしいので、窓をあけてきくと正式逮捕だという。それで初めて米軍に抑留されると知ったわけだ。風呂場に入り、水をかぶって体を清め、新しい軍服を着書斎の錠をかけた。ピストルでかねてのマークを射った。倒れた。ほとんど間髪をいれず応接間のベニヤ板をけって米兵が入って来たように思う

 撃ちそこなった。年をとっているのでマークのところの皮が少し下方に垂れさがっているためか、ピストルを逆に撃ったので手もとが狂ったらしい。こめかみがいいと思ったのだが、悲惨な死に顔の姿を外国にもっていかれては恥だと考えた。(注・朝日新聞記事に迎合)・・・今日では初めの意思にもどって一切のことを腹蔵なく話す覚悟である。『東京裁判 (上)』 朝日新聞法廷記者団

 

上記証言検証

 米国自殺捏造に対して、「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」と、対処方法(覚悟)決定後の証言である。

 第一は自由に発言する機会を与えられたならば堂々と所信を披瀝は、逮捕されての裁判以外皆無。当時の常識。

 「反対にもし身柄を外国に連行され、サラシものになるような場合を想像して自殺」サラシものにされても天皇を護るのが臣の勤めは、当時の常識。現在の常識で考えても、こんな不敬不忠発言は無い。当時の国民が怒るのも当然である。終戦後、自殺も逃亡もせず生き恥を曝しながら臣等が生き長らえた理由は唯一つ、サラシものにされても臣(家来)の勤めを果たすためだ。東條内閣総辞職の際、昭和天皇が東條に下賜した異例とも言える勅語を修養録に転載し、肌身離さず身に着けていた忠臣東條の選択肢には、日本や天皇の行く末定まらぬ時点で、臣(家来)の勤めも果たさず、「私欲」の自殺は無かった。

 東条は男である、乳首を基準にすれば心臓の位置は確認できる。しかも心臓は、人の拳(こぶし)大の大きさで、大きいのである。それを「医師に心臓の上に墨で丸印をつけてもらっていた。風呂のあとでは書きなおしていた。マークのところの皮が少し下方に垂れさがっている」と実に漫画的な証言をしている。しかも汗をかく夏場である。墨で印を付けても下着が汚れて消えることは、誰でも想像出来る。どちらが現実的か、考えれば分かることだ。狂言自殺払拭のためと、被害者(撃たれた)証明用の偽証だ。ただし「風呂場に入り、水をかぶって体を清め、新しい軍服を着。(時間を費やした)」は事実だろう。心臓は、拳(こぶし)大である、皮が垂れ下がろうが、逆に撃とうが、左利きであろうが自らの自決であれば、外すことなどない。非現実な漫画的手法「心臓の上に墨で丸印」を用いたと証言することで、東条コードとしたのだ。

 「米兵が入って来たように思う意識が無くなったと語っている。意識が無い者は語れない。つまり朝日新聞報道は捏造。胸中を吐露している

 以下の証言は、この証言をソースにし、皆辻褄を合わせている。

 

以下は「塩原時三郎弁護人が日本記者団に語った東条の述懐」がソースの、追随証言である。

 

東條秘書畠山重人証言

 「その緊迫した空気は、いま話しても想像もできないほどで、私なんかも当然殺されるものと思ったが、どうせ殺されるなら、一人でも二人でも斬って死のうというつもりだった。東条さんは、万一にそなえて毒薬も持っていたし、また拳銃で自決する時の用意に、心臓のあたりに墨で印をつけていた。はじめは裁判に出て日本の正義を訴えるつもりでいたらしいが、裁判もなしに、ここで殺されるものならば、敵の手にかかって恥をさらすより、自ら生命を絶とうと決心したのです。米軍は、この時の失敗にこりて、その後の戦犯逮捕は、日本の警察に命じてやらせるようにしたのだが・・・」(畠山清行著『東京兵団』)

 

佐藤賢了中将証言

「東条は、進駐軍が逮捕に来ようなどとは考えてもいなかった。敗戦になって、戦争裁判が云々されだすと、東条は日本政府に、自分を戦争の全責任者として逮捕し、敵に渡してくれと申し出た。東条のつもりとしてはBC級の戦争責任までも、全部一身に背負って行こうと考えていたのだ。そして、生きた自分を敵に引渡せば日本政府の責任はすむ。だから、その引渡されたとたんに、自殺しようという肚だった。まあ、これは非常にむずかしいことではあるが、彼は真剣にそう考え、そのために心臓の上あたりへ、墨で弾丸をうち込む目印もつけていたし、特に小型のピストルも用意していた。(畠山清行著『東京兵団』)

 

『父・東條英機に渡した青酸カリ』東條輝雄(次男)手記 文藝春秋2005年2月号

 ・・・私は、当時もいまも父のことを心から尊敬してやみません。これまで私は、父、東條英機について何を言われようが、何を書かれようが気にしてはまいりませんでした。あえて弁解する必要もありませんし、反論する気もないのです。

 父、東條英機は常に信念の人、無私の人だった。私はそう思っています。

 ・・・昭和二十年八月十五日、あの終戦の日の前後のことは、忘れようと思っても忘れられるものではありません。

 私が、父と母が暮らす、当時用賀にあった実家にいったん帰ったのは、八月二十日前後だったと記憶しています。

 この時、私は自分が勤めていた工場にあった青酸カリを密かに持ち帰りました。家族全員の自決用に、青酸カリの結晶が詰められた茶色の瓶を鞄に潜ませていたのです。父や母が自決を覚悟しているのならば、私も一緒に死のう。そういう気持ちだったのです。

 実家に戻り、父にこの青酸カリのことを告げると、父は『役に立つ。いいものを持ってきたな』とだけ呟き、深く頷いておりました。その後、父は私が渡したこの青酸カリを持って、近くに住むかかりつけの鈴木医師のところへ出かけました。

 実は、青酸カリは、純粋の結晶の状態では毒性が強過ぎて扱いにくいのだそうです。そのことを知っていたのでしょうか、父は鈴木医師のところで、私が持ち帰った青酸カリにうどん粉を混ぜてもらい、それを小分けにしたものを手に戻ってまいりました。

 

 父は必要があればいつでも自決する覚悟をしていたのだと思います。しかし一方で、父は「開戦の時の総理は俺だからうっかり死ぬことは出来ないんだよ。責任者なんだから」とも言っていました。米軍には逮捕されない。もし米軍に逮捕されるようならば自決する。しかし逮捕されずに、話す機会が得られるのならば、日本の立場をはっきりと述べたい。そうした思いが強かったようです。

 

・・・後になって知人を介し、父が私に宛てた遺言が送られてきました。・・・9につづく⇒ 

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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