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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観9東條英機真実からは乖離の展開に『一切語るなかれ』と真贋遺書二通

上記証言検証
 東條逮捕は当時の常識。逮捕されずの弁明など不可能なことは東條英機、百も承知なことだ。有名な抑留直前の窓辺の写真は、弁明のチャンス到来(大義)に微笑んでいるではないか。「しかし逮捕されずに、話す機会」などは皆無。「もし米軍に逮捕されるようならば自決する」は、塩原時三郎弁護人が日本記者団に語った東条の述懐から、狂言自殺説払拭のため、東條輝雄(次男)は、引用したに過ぎない。他は事実だろう。特に開戦の時の総理は俺だからうっかり死ぬことは出来ないんだよ。責任者なんだからは、息子(次男)に東條英機の本心をなにげなく語っており、身内の息子なればこその証言である。

 後述するが、狂言自殺払拭目的の遺言は、自決以前の日付で内容は素っ気無い。「・・・後になって知人を介し、父が私に宛てた遺言が送られてきました。・・・」は、どうだろうか、公開がまたれる。

 

東條英機妻勝子証言『戦後の道は遠かった』

・・・遺書もそんな折に書かれたようです。日付は九月九日となっています。この遺書を私は苦しかったあの月日、肌身はなさずにもちつづけました。他に巣鴨に入ってから書かれた二通の遺書とともに、何物にも代えがたい大切なもの。どなたにもお目にかけたことがございません。

「葬儀は東京にては行なわず、安真木(註=九州の私の実家)へ帰りて子供たちのみにてなすべし。

また遺骸は政府にて、あるいは敵に渡すことあるべし、快くこれに応ずべし、葬儀は頭髪や爪にて結構なり、霊はその日のうちに安真木に先着しあり。

自分に従って自決する如きは自分の名誉を汚すものなり、堅く禁ず、よく子供たちの行く末を見届けたる後来たるべし」

またこうも書かれてあります。

「魂は公的には国家とともに、私的には御身と子供の上にあって守るべし、安心せよ」

主人はとうに死の覚悟をしていた。それは八月十五日以来ずっとそばにいた私には、ひしひしと感ぜられることでした。私も覚悟をしていました。それだからこそ、最後の最後までは、と思い、ずっと離れずにいたのですが・・・そしてあの日が来ました。

 

妻東條勝子証言検証

九月九日の日付だけ異なり、後は事実だろう。狂言自殺説払拭のためだ。

 

東條由布子(東条英機孫)著「祖父東条英機『一切語るなかれ』

 (進駐軍が身柄拘束に来た事を知ると)応接間にこもった祖父は、すでに書いておいた遺言状をテーブルの上に置き、二挺の拳銃と短刀を並べた。

 ・・・正式な逮捕状ではないことを確認した祖父は、以前から用意していた古賀の叔父が自決した時のピストルの銃口を、かねてから隣の鈴木医師に印をつけてもらっていた心臓の部分に当てて引き金を引いた。

 祖父が普段、護身用として身につけていたブローニング社製の小型のピストルとは違い、古賀の叔父のピストルはアメリカ製のコルト三二口径の大きなものだった。左ききの祖父が射ったピストルの弾はわずかに急所を外れ、自決は未遂に終わり、生涯、無念の思いを残す結果になった。

 

東條由布子著「祖父東条英機『一切語るなかれ』」検証

 

「東条将軍逮捕に関する報告米合衆国陸軍中佐P・クラウス

当日二個分隊を率いて東條邸に踏み込んだクラウス中佐の報告。

 東条将軍邸に到着したとき、将軍は窓越しに新聞記者と話していた。本官は、玄関前に部下を配置して、将軍に窓を開けるよう要求した。

 将軍は、逮捕状を持っているか、と質問した。逮捕状ではないが、正式の拘引命令書を持参したと答えると、将軍はその確認を希望した。本官は、邸内で見せるゆえ、ドアを開けるよう重ねて命令した。

 東条将軍は白いシャツ姿であったが、本官の発言が終わると、うなずいて窓をしめた。窓にかぎをかける音が聞えたが、そのあと邸内は静まり、玄関にまわった本官の耳には、近づく足音は聞えなかった」

 

 祖父(東條)は逮捕状を確認していない。

 「すでに書いておいた遺言状」とは、前述の東条英機遺言とされたコピー文書である。「古賀の叔父のピストルはアメリカ製のコルト三二口径の大きなものだった」と記載しているが東条英機は「拳銃は玩具の拳銃と謂いあるも誤にして陸軍の制式拳銃(南部14年式自動拳銃)なり」と証言している。(元参謀本部総務課課長 榊原主計大佐 昭和20(1945)年11月、大森拘禁所に入所にて東條英機と面会・対談しこれを記録『感慨』東條英機 / 東條英機刊行会 上法快男編 所収)

 前述の塩原時三郎弁護人が日本記者団に語った東条の述懐(狂言自殺払拭のため、身内近親者に呼応した証言。以後身内近親者証言のソースとなった)」を基に書かれているようだ。『一切語るなかれ』と制限された中では、これが限界だろう。

 

東條英機自決狂言説で矢面に立たされた家族を思い長男英隆への月日偽造直筆の遺書

 これは1945年9月3日(9月11日が自決とされた日)、日本側代表団がミズーリ号で降伏文書に調印した翌日に書かれていると言われている。公開されている東條の直筆の遺書はこれのみであるという。長男英隆の長女東條由布子の著書「祖父東條英機『一切語るなかれ』」で、その現物の写真が公開されている。

 本題長男英隆への遺書に入る前に、下記の三男敏夫への遺言「修養録」を掲載し、比較検証とした。

 「修養(精神を練磨し、優れた人格を形成するように努めること)録」とは、三男敏夫が東京から長崎に赴任することになったことを聞き、東條が、贈った遺言。修養録(御令息宛東條英機陸軍大将遺言)←出典原文写真掲載

 

東条英機三男敏夫への遺言「修養録」1946年10月16日(原文カタカナ交じり文)

父英機書

修養録

終世坐右に備へ修養上のこととも記する便にでもせば良からん

 

遺 言 (花押)

忘れじな我が皇國「スメラギ(天皇)と振り仮名」は昔より 永久(とわ)に續かん神の國なり

兄弟と心合せて挙(こぞって)よかし 家の譽(ほまれ)を永世(とこしえ)へ迄も

父なくも皆手を取りて生きよかし 常に守らむ魂(こん)となりても

母を助け力合せて行けよかし 地下にて父も共に合さむ

於巣鴨(巣鴨において)

昭和二十一年十月十六日 敏夫不日「ふじつ(まもなく)」長崎に赴(おもむ)くに当り

英機(注・皇國は、すめらみくに、の意。スメラギと振り仮名は、皇國=天皇=神の國=日本の意を語っている。)

(花押)(かおう)←署名の下に書く判

一、此の日本に生れたる光栄と皇恩の深きを忘るるな、敗戦の現情は永き歴史の一頁に過ぎず、再ひ光輝ある歴史を飾るは御身等に待つ

一、仕事は始めは小なりと雖(いえども)小流集て大河をなす如く、小は大に進むの道程なるを知れ。又其の仕事を通じ日本の再建に成果を挙ぐることを心掛けよ。 日本の再建は青年の双肩に在ることを夢忘る可らず又小成「しょうせい(少しの成功)」に安ずる「やすんずる(満足)」なきことを忘るるな。

一、萬事終世を以て一貫すへし 誠は最後の勝利者なり

一、仕事に当ては不断の研究努力とを忘るるな。父は常に「努力即権威」を以て終世の仕事上の基本とせることは御身の知る如し。参考として心掛けよ

(花押)

一、世の中は意の儘(まま)にならぬものなり。之れ世は独りの世にあらず衆生「しゅうじょう(多くの人々)」の社会なるを以(もって)なり。 何事にも腹を立てず、心中には堅く正義を深く包み、笑て円満に暮すことを修養せよ

一、人格の修養を怠るな。人間最後の光りは人格の修養に俟つ「まつ(期待する)」。 人格の修養は 其の根底を宗教に求むるを良しとす。

一、世の中は誘悪多し。殊に酒色に於(おい)て然り。身を誤る基なり。親より受けたる清浄なる身心を損(そこな)はず慎(つつしむ)むへし。良友を選ひ、悪友を遠ざけよ

(花押)

一、遠隔の地に在ること故長き間には淋さを感することも多かるへし 其の際には母の健在にして二六時中御身を案じあることを偲び、兄弟姉妹亦御身の健在を祈りあることを思び、父も地下に在りとは謂へ其の魂は常に御身の身辺に在りて 護りあることを想起せよ

一、同じ地方に住む満喜枝とは互に特に助け合ふべし

一、輝雄の助力者として母の在世間孝養を頼む 又養母たる処置採れる父の配慮を察し光枝の老境に入るにつれ其の扶養を願ふ

一、遺産として與ふべき何物もなきも、親より譲り受けたる健全なる身心が唯一の遺産なり。物に頼らず、己に頼れ

昭和二十一年十月十六日

不日任地に赴かんとす敏夫に対し、予め遺言す

昭和二十一年十月十六日

於巣鴨

父 英機 (花押)

 

海山を遠く隔てて暮らすとも我れは夢にも忘れやはせじ

月見なば思い出せよ父母の 身を案じてし其の姿をば

昭和二十一年十月十六日 

英機

 

(付箋紙1)

父の記念として輝雄より左記勲章を貰ひ行くへし

勲一等瑞宝章(副章共)

功二級金鵄勲章

(付箋紙2)

一、父の事に就ては決して心配せぬ様にせよ。輝雄一家、光枝、次枝か東京に在り殊に近く母も上京すべく、萬事安神なり。

二、何れ死の判決あるは明瞭なり。父は判決の如きは念頭になし。唯帝國の主張をとの程度に認めしめ得るや丈か問題なり、之れかために全力を尽すへし 故に死の判決ありと雖決して驚くへからず、父は最后の御奉公を盡し喜で逝けりと思ひ居ることなり

三、長崎に到着后も時折り光枝を経て手紙に依り近況を知らされたし

 

東条英機長男英隆への遺書(東條コード)

 

昭和二十年九月三日予め「あらかじめ(まえもって)」認む

一、父は茲(ここ)に大義のため自決す

二、既に申聞け「もうしきけ(言い聞かせる)」あるを以て特に申し残すことなきも

 1、祖先に祭祀を絶やせざること、墓地の管理を怠る可らず

 2、母に遠隔しつるを以て間接ながら孝養を尽せ

 3、何なりとも働を立派に御奉公を全うすべし

 4、子供等を立派に育て御国の為になる様なものにせよ

三、万事伊東に在る三浦氏に相談し援助を求むべし

 

 昭和二十年九月三日づけ遺書が、いかに紋切り型で素っ気無く、東条英機の遺書の型を成していないか、お分かりいただけただろうか。正に同人異文だ。

 

上記遺書検証

 自決狂言説で矢面にたたされた家族を思い、後日、少なくとも退院後書かれたものである。昭和二十年九月三日予め認むは変だ。昭和二十年九月三日だけで事足りる。予め認むと特に強調する理由は無い、余計だ。文頭に年月日、次に自決記載は強調のためだ。語るに落ちている。父は茲に大義のため自決すだけが浮いており、他は駄文で、遺書とは呼べない。二、既に申聞けあるを以て特に申し残すことなきも(この文より以下の事は、既に長男英隆へ言い聞かせてあり、特に申し残すこともないのだが)なのになぜ又書いたか。昭和二十年九月三日予め認む一、父は茲に大義のため自決すは、二度目の遺書と書くことで狂言ではなく覚悟の自決を強調し、言外ににおわせた。「狂言自殺払拭目的で」又書いたと白状していることにもなる。月日捏造を言外に含んだ文意ともなっている。

 

 臣東條の大義(公)とは敵に堂々と日本の所信を明らかにすることであり、忠義(主君や国家にまごころを尽くして仕えること)を尽くすことである。自決(私)することなどではない。ましてや日本国や天皇の処遇定まらぬ時点での自死は、主君や国家を見捨てての自殺となり、不忠不臣この上ない。忠臣東條として主君や国家への愚弄は、さすがに抵抗があったのだろう、「予め認む」「茲に」「既に申聞け」「特に申し残すことなきも」など、遺書に不似合いな語句が並び、苦渋をおびた自嘲文となっている。1945年9月3日に書かれたという証拠は、皆無。しかしながら、正真正銘の、狂言自殺払拭目的の、東條直筆の遺書であろう。揺れ動く東條の心中が、実ににじみ出た遺書だ。一見自決強調文なので、米軍も認めた。これも東條コードである。

 

東條英機自殺では、後述26の矛盾点を一切払拭出来ない。

 真相は、米軍が自殺未遂を捏造したのではないのか。そうであればアメリカはなんと、たった一発の銃弾で日本軍人の総大将東條英機を、醜く貶める事に成功したのだ。これほど効果の有るプロパガンダは皆無だ。日本人は一発の銃弾で皆信じたではないか。まさにプロパガンダの恐ろしさだ。自殺未遂と言う日本軍人最大の屈辱をのまされた総大将東條英機は、自殺と公表され、しかも敵国アメリカに助けられ一命をとりとめた以上、撃ったのではなく、撃たれたのだと真実を語っても、占領下では、信じてもらえず恥の上塗りになるので、「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」だったのではないのか。東條英機の子孫への遺言、「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」はこのことを指しているのではないのか。真相は、わたし(東條)でさえも「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」だった、ましてや子孫は、「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」だ。子孫がいくら弁解しても恥の上塗りになるだけだ、他人が矛盾に気付き、「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」をキーワードに真実を究明するだろう、ではないのか。

 

 東條を米軍は始終監視しており、通告なしに取り決め違反の訪問をし、人払いの後、殺傷能力の低いピストルで急所を外して東條英機を撃ち(一発)、自殺を捏造した。話せないような工作も、したに違いない。CIC(対敵諜報部)が、あらかじめ捏造し用意していた口頭遺言の走り書きを、呼んでいた記者に渡し、東條が左腹部に拳銃を撃ち込み自殺を試みたと説明した。(朝日新聞長谷川記者は東條を直接見ていない、見ていれば、左胸と書いたはずだ。「左腹部に拳銃を撃ち込み」と、米軍の原稿のままに記載している。CIC(対敵諜報部)の予行演習では、左腹部だったのだ。)現場を自殺現場に捏造し、呼んでいたカメラマンに撮影させ、あたかも自殺をはかったようにみせかけた。3時間20分は現場捏造撮影時間だ。朝日新聞長谷川記者、荏原医師、畠山重人秘書の証言があるが、当時米軍はどんなことでもできた、米軍の報道をまともに信じることなどできないのだ。戦後、戦犯として処罰されることを極度に恐れていたマスコミは、迎合し、米軍操縦の完璧なロボットだった。戦陣訓報道で判明したように、喧伝報道の逆が真実なのだ。証言や報道よりも状況証拠検証が正しい。独立後もなぜ偽証者が名乗り出ないか。歴史に名を残す売国奴となるので、名乗れない。真相究明を恐れるあまり、62年後の今も不可思議な先人冒涜をつづけるNHKと朝日。なんとここでも朝日なのだ、朝日は根が深い。

 

 愚かでない東條は謀られたことに気付き「沈黙」。反論する愚かさに気付き、「弁解せず」。そして世論の狂言自殺説を翻すため、身内や側近までが覚悟の自殺を詳細に捏造し、証言しだし「一切語るなかれ」となり、自殺を肯定した。これが真相だろう。これで全ての疑問が氷解し、辻褄がすべて合う。まさしく「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」はキーワードなのだ。米国の謀略を喝破した東條が、決心するまでの心の軌跡を表現した言葉だ。

 米国は、前述のコピーの遺書(偽造遺書だ)や自殺捏造証拠を準備し、「自殺ではない、撃たれたのだ、米国に」と言う、東條の逆襲を期待していた。東條が逆襲すればさらに女々しく、醜く貶めることができたからだ。米国は東條の「沈黙」「弁解せず」がまったくの想定外だった。米国の最後の大罠は不発に終わった。前述の未完のコピーの遺書は公開されること無く1998年まで眠り続けた(遺書の不備の多さに、気付いたのだろう。今この遺書は、真実の扉を開き語ろうとしている)かくして東條は米国の誘いに乗らず「一切語るなかれ」となった。

 アメリカは撃って殺さず命を助け、総大将東條を貶めアメリカの正義を演出した。だから殺傷能力の低いピストルで必殺の頭や、心臓を外して一発だけ撃ったのだ。だから口頭の遺言は辻褄を合わせる弁解(一発の理由。切腹でない理由)となった。「一見して東條英機の死體であると判るやう、頭を射たずに心臟を射つた」と、捏造宣伝プロパガンダ『真相箱』ではご丁寧にも補足し、頭を撃たない理由を弁解している。ピストルに顔面を破壊するほどの威力は無い、貫通するだけだから、判別不可能になることは無い。常識だ。正にプロパガンダは逆が真実だ。

 戦争責任転嫁先を探していた検証せず知識鵜呑の鵜人のような、日本の愚かな人々は、いっせいに狂言自殺を唱えだし、非難した。身内や近親者や側近は狂言自殺を払拭するため、狂言ではなく覚悟の自殺だとあらゆる状況証拠を過剰に詳細に開示し、狂言ではない、まさしく覚悟の自殺だと総反論し、自殺するに際しての東條の覚悟を東條を慕う人ほど過剰に詳細に捏造し証言した。民間人でも公表して自殺する人は2割だと言われている。死ぬ死ぬと言う人ほど死なないのが常識だ。軍人東條が、証言のように詳細に、家族や近親者に死ぬ死ぬと、自殺を公言するものだろうか。狂言自殺説を翻すための、家族や近親者の必死の捏造証言がほとんどではないのか。各々が余りにも詳細に自殺の覚悟を語りすぎている。

 当時6歳のお孫さんの著書にも、臨場したかのように覚悟の自殺が書かれている。このように親族、近親者が、こぞって狂言自殺説を翻すために捏造し、過剰に覚悟の自殺を証言をしたため、捏造の覚悟の自殺が信じられてしまった。なんと東條は、米国のみならず、愛する親族、愛する近親者に、あろうことか、自殺者に仕立て上げられてしまったのだ。みんな、東條の名誉を思ってのことなので、・・・東條は、弁解の愚を悟り、このことに関しては「私」なので、「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」東條コードを残し心を閉じた。そして、「公」の大義のために全力を傾注した。「読者の皆さんも、東條の置かれた立場になって、どう行動するか、一度は考えて見てほしい。」

 整理しよう。お孫さんも、当時の証言者も、狂言自殺を翻すため、覚悟の自殺を裏付けるための、見て来たような捏造証言となった。がしかし、東條には自殺の覚悟はあったが、この日、大義(公)を果たしていない東條は、自殺しようなどとは、さらさら思っていなかった。結果26の矛盾が生じた。東條自殺説では26の矛盾が生じ、米国自殺捏造説では、26の矛盾が氷解する。

 東條は天皇擁護と「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」という、大義を果たした後の自殺を想定して、周到に準備し家族や側近にはうろたえぬよう心がけを話し、軍人東條は証言のように詳細には話してはいないだろう)すでに覚悟を決め、大義のため、生き恥を曝しながら生きていたに過ぎない。終戦時に死ななかった理由はここにある、彼は日本国の総大将なのだ。部下のようには死ねないのだ。死を覚悟し志をたてた人が、志を果たさず自殺する事などあり得ないのだ。裁判の忌避などもあり得ないのだ。この最大の屈辱も、東條のめざした大義の前には、一介の塵に過ぎなかったであろう。現に東條はこの事件以後裁判まで、「アメリカの医術は進歩している、日本は10年遅れておる」「助けてくれたアメリカ人に感謝している」など米軍に迎合する卑屈な発言を頻繁にしている。もちろん、大願成就のためだ。大願成就以後処刑三日前まで、歌詠みに没頭している。 

 自殺の覚悟はあったが、しかし、大義を果たしていない東條には、この日の自殺は有り得ないのだ。結果後述26の矛盾を生じた。しかし、GHQも扇動し、捏造が定説となってしまった。げんに、63年後の現在でも、狂言ではなく覚悟の自殺だったとお孫さんも力説している。「親族への遺言は(沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。)なのでこのように答えるしかないのである。弁解すれば、恥の上塗りになるだけだ」。真実から一度離れてしまった世論は占領下でもあり、もう戻ることは無かった。さいごに「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」だけが残った。

 戦後、これまで大江健三郎の『沖縄ノート』や森村誠一『悪魔の飽食』のように、文筆業や報道業者はプロパガンダを鵜呑みし、取材も検証も思考もせず、貼り付け『プロパガンダ貼り付けノート』にしてきた。日本は、とうの昔に独立したのだ、独立国の、人民の、人民による、人民として思考すべきだ。戦後63年を経た、もうプロパガンダを鵜呑みすべきではない。プロパガンダ(捏造宣伝)を探究すべきだ。パール判事や、赤穂浪士の心を失っては駄目だ。

 

 まず 「米司令官に陣太刀送る」は前述のように、明白な米軍の捏造。陣太刀は接収されたもので、贈ったものではない。『ウィキペディア(Wikipedia)』もこの捏造記事を鵜呑みし、そのまま掲載している。

 

 東條英機自殺では、下記26の矛盾点を一切払拭出来ない。下記の矛盾点はすべて一点を指し示している。「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」が鍵となり、米国、東條英機を撃ち、自殺捏造の一点を導き出した。この一点で、下記の矛盾点すべて一瞬に氷解し、画竜点睛となる。

 

「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」東條英機は、まさしくこの大義(米国がもっとも恐れた言葉)に殉じている。「自殺未遂」が無ければ、東條英機は、米国がもっとも恐れたまさに解放の戦士としてアジアの、いや世界の有色人種の英雄となっていた。

「虜囚の辱=軍人が日本国の囚人となる事」なのに、戦後の捏造(虜囚の辱=敵国の捕虜となる辱=捕虜となるよりは自殺せよ)を、戦陣訓示達者本人が、なぜ認めたか。( 検証の順番は戦陣訓が後でした。)

○「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」と東條英機は大義を公言していた。戦後生き恥を曝していた理由は、まさにこれなのだ。総大将東條には、総大将として語る責任の「公」と、「臣」として天皇死守の二つの「公」があるのだ。その人が責任を果たさず、「辱」で無い「捕虜」(私)ごときで、なぜ自殺なのか。既に死を決意し、覚悟を決め、「公」の実現のため生き恥を曝し、「公」の大義の実現の為だけに生きている「私」など皆無の東條の脳裡には、「捕虜」(私)の「辱」など、ひとかけらもなかったはずだ。

○なぜ「沈黙、弁解せず。一切語るなかれ」なのか。その時の日本人目撃者は皆無。

○なぜMP、CIC(対敵諜報部)が来てから衝動的に自殺なのか。時間はいくらでも今まであった。

なぜMP、CICのいるところで自殺なのだ。失敗の場合は敵国に助けられるのは明明白白なのだ。敵国に生かされて虜囚の辱めを受けることになるのだ。それこそ総大将東條には最大の屈辱ではないのか。こんな単純明快なことすら、総大将カミソリ東條はわからなかったというのか。東條は大臣時代に出した戰陣訓に俘虜となるよりは自殺せよと書いてあるのを實行したのだと後日、証言している。証言が真実なら、必殺の頭を撃つのが正解ではないか。撃ちにくく、失敗しやすい心臓では無いだろう。どちらが撃ちやすいか自分で試して見れば、すぐ分かる。心臓を撃つには両手でピストルを持ち、利き手の親指で引き金を引かねばならず、撃ちにくいのだ。だからピストル自殺者はほとんどが頭だ。10につづく 

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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