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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観11東條英機の真実軍民団結大和日本破壊東條生贄作戦で極悪軍と捏造

国敗れて山河有 国春にして草青みたり 
 占領軍が最も恐れたのは、東京裁判法廷での「朕が一切の責を負う。臣下はすべて無罪」発言であった。命令一下ですべて矛を納めた国民が再決起し、さらに、全世界の有色人が決起しての、白人対有色人の大戦に発展しかねなかったからである。

資源なき小国日本は、強大な侵略者に対して、特攻や玉砕とあらゆる人事を尽くしたが、圧倒的な戦力の前に敗れ去った。がしかし、天皇の命令一下で武装解除し、古今東西の世界の常識敗戦逃亡もせず、天命に従おうとする主従一丸の護国の姿を、占領軍はいかように思っただろうか。逃げず敗戦の責を一身に背負った比類なき天皇と主従一丸の国民。天皇が処刑されれば、新たな争乱が当然予想された。古今東西の世界の常識に反する、降伏したのに逃げない天皇と部下、この現実に対した時点で、占領軍にも、天皇処刑の選択は消えていたはずだ。神格化された天皇の抜群の統率力を日本占領統治に利用しない者など居るはずが無い。利用するのは当然だ。こうして日本占領統治の台本「日本極悪軍にだまされて侵略戦争した天皇と、か弱き国民」が生まれた。天皇と国民の一丸化破壊作戦は開始され、侵略者極悪日本軍捏造が成された。

 しかしながら、戦争責任者皆無、天皇の処刑なし、これでは戦勝国や洗脳された日本国民は収まるはずはなかった。戦勝国や日本は、不満のはけ口ガス抜きの対象を求めていた。ガス抜きのための生け贄を必要としていた占領軍は、リメンバーパールハーバーの張本人に白羽の矢を放ち、極悪人東條英機、侵略者極悪日本軍捏造作戦は開始された。

 

敗軍の将臣東條英機の思い東條コード家訓(遺言)「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」

臣の務め天皇救命、開戦時の大将による日本の所信表明、護国祈願、敗戦責任者としての殉死は、臣である東條英機は、当然想定していた。臣の務めを一つも果たさず臣の自殺など有り得ない。しかも天皇の臣が、開戦時の大将が、「虜囚の辱(捕虜になるのは恥ずかしい)」などという『私心』での死だという。まさに捏造を暴露しているようなものだ。

 東條英機は敵に撃たれ、敵に助けられ自殺未遂と捏造された。愚かでない東條は謀られたことに気付き「(東條英機は)沈黙」黙考。そして、東條英機を自殺未遂者に貶め極悪人に捏造する、アメリカのヒトラー=東條英機作戦に気付いた(ヒトラーは逃亡し、自殺)。日米国民の戦争の不満を東條英機が背負えば背負うほど天皇が救われ、東條英機が極悪人に成れば成るほど、処刑による日米国民のガス抜き効果が増大し、平和回復に拍車がかかる事に気付いた。捏造に反論する愚かさに気付き、「(撃たれたと)弁解せず」となった。しかし世論は狂言自殺説をとなえだしたため、翻すため、身内や側近までが覚悟の自殺と自殺を詳細に捏造し、証言しだした。東條英機も家族を思い家族に米軍の自殺捏造を話し、白も黒になる時代に応じて覚悟の自殺を肯定する発言をし、真実を「(家族親族は)一切語るなかれ」となった。(10月7日に入所。退院間もない時の東條英機のコードが全て含まれた最初の証言後述参照)これが真相だろう。これで全ての疑問が氷解し、辻褄がすべて合う。まさしく「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」はキーワード東條コードなのだ。米国の謀略を喝破した東條が、決心するまでの心の軌跡を表現した言葉東條コードだ。

自殺と捏造し殉難者とならぬように東條英機を徹底的に貶め、処刑した理由は正にここにあるのだ。東條英機はアメリカの意図を読み、阿吽の呼吸で呼応相互疎通の可能性は、有り。後述、「一誠排萬艱」は、呼応しているし天皇の身代わりとなり、「(撃たれたと)弁解せず」に徹し、部下と敗者の責任を果たした。家族に残した遺言「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」身内は語るなは、評価は他人がすることで身内が評価することではない、身内以外の誰かがかならず己が生涯を正しく評価するはずだと戒め、かつ第三者への、東條コードだ。赤心の東條や臣は、こうして「公」に殉じ、有色人種解放の殉難者となった。

内大臣木戸幸一は終戦の年(昭和20年、1945年)の12月、皇室の今後を案じて昭和天皇に下記のように語ったと、後の日記に記している。

「このたびの敗戦については、責任をおとり遊ばされ、御退位遊ばされるが、至当なりと思う。若(も)しかくの如くせざれば、皇室丈(だけ)が遂に責任をおとりにならぬことになり、永久の禍根となるに、あらざるやを虞(おそ)れる」木戸幸一日記

 

誤解されているが天皇も東條も独裁者ではない

 天皇は、政府の会議決定事項の上奏に対して、裁可を下す存在で、天皇自ら命令する存在ではない。その裁可については、責任は政府が負うと定められ、天皇は無答責、つまり責任を負わない立場。つまり天皇が政治軍事などさまざまな権限行使することは天皇自ら命令する存在ではないので不可能なのに、「権限行使する」と、あたかも独裁者のようにこれまで情報操作されてきたので、信じている人も多いが事実ではない。

 

敗戦を引責しての退位論(艱難辛苦からの逃避)である。上記のようにや、民主党・菅直人「天皇陛下、敗戦時に退位しケジメつけるべきだった」天皇退位論や、石原都知事などの天皇非難論があるが、天皇の責任はすべて定法に従い、政府(東條英機や臣)が受け殉国者となった。天皇は無答責覆し退位などして逃避し、天皇も責任を負えば、東條英機や臣の殉死は即刻無駄死犬死となる。天皇の身代わりとなった東條英機や臣が願ったように、天皇は以後も苦難から逃げず、「公」に殉じ、臣の願いに呼応し、日本の柱となり国民と共に苦難の道を歩み、公人(神州の使者)の務めを全うし、復興を成し遂げた。これはまぎれもない戦後の事実だ。

 

東條コード「(東條英機は)沈黙。(撃たれた事を)弁解せず。(家族は)一切語るなかれ。」悲劇の家訓誕生東條家の経緯
 東條家の家訓(遺言)は、いつ何の話がきっかけで東條英機が家族に話したのだろうか。キーワードはズバリ戦陣訓だ。東條は、米軍抑留以前に家族や近親者に、虜囚の辱の本意(日本国の囚人)は当然話していた。ところが前述のように、戦後の捏造、敵の捕虜になる辱めで自決を図ったと皆に一様に答えているのだ。当然家族は、このキーワードに反応した。撃たれたのでしょと、家族に問われ、東條英機がうなずき私は)沈黙撃たれた事を)弁解せず家族はこの事を)一切語るなかれと、答えたのだろう。10月7日に大森拘禁所に入所。元参謀本部総務課長榊原主計大佐との会談では、「臣節を全うする為」が自決理由で、戦陣訓が自決理由ではないその後の比較的早い時期の話と思われる。こうして悲劇の家訓東條コードは誕生した。

 

 逆風の中での身内からの反論は、火に油を注ぐようなものだ。家族も狂言自殺を強行に否定し、覚悟の自殺を捏造した手前もあり、東條の家訓に従った。そして、悲劇の家訓誕生のこの日より、妻と子供は東條英機の真実を知り、更に団結した。家訓誕生日が、東條英機真実告白の日だ。東條コード誕生の日だ。

 

 以後家族も、東條の自決理由を「自分は、生きて虜囚の辱めを受けずという戦陣訓を作った本人だ。米軍が礼を守って自分を迎えるなら、開戦責任者として堂々法廷に立ち、日本の立場を主張する。しかし、罪人扱いするなら自決するつもりだ」の公私混同東條コードに言い換えた。

 

家族には東條英機自決狂言説払拭だけしか、東條英機弁護の手段がないのだ。これを悲劇と言わずして何を悲劇といえるのだろうか。

 

 下記は遺言(沈黙。弁解せず。一切語るなかれ)後のことだろう。歌には奥深いきずながある。この奥深いきずなは、前述のような過程無くして、けして生まれるものではない。肉親の情に尊敬の情と悔悟の情(狂言自殺を強行に否定)が加わっている。父の悲劇(自殺捏造された無念)を知っている歌だ。

 

三女幸恵の歌三首昭和23年3月1日

 

大いなる父をしもたば大いなる喜びありき 又悲しみも

父のよわひ久しかれとは祈りえぬ悲しき子なり 白富士のみゆ

父のよわひ祈りえぬ心白富士にむかひて一人 なぐさめしみん

 

東條英機の返事と返歌

涙で読んだ。

 

やるせなきくるしき心胸に秘め 富士に言問う娘いとほし

富士の峰の尊き姿我と見よ 心慰む栞(しおり)とやならむ

 子孫が背負わされ続ける屈辱の運命を思う時、東條の、父親としての心の慟哭は、いかばかりなものであったろうか。・・・

 アメリカの東條英機自殺捏造。ここに帰結するとは想像だにしなかった。しかし全ての疑問がここに帰結することで今、氷解した。アメリカの負い目がそれほど深かったのだろう。 2006.11.28.

 

後顧の憂えを絶った臣東條英機は以後日本の所信表明に邁進した。

『東條秘書官機密日誌』赤松貞雄著(東條英機の秘書)

この点については、大森拘禁所で東条さんみずから私の親友榊原主計大佐にも語っているのである。一度生き返られた以上は「あくまで健康を保って、最高戦争責任者として十分弁明し、お上には累を及ぼさぬようにしたい」と決心し、昔はバターやチーズなど一切口にしなかったものも我慢して摂取して、東京裁判にのぞんだのであった。

 

東條英機が残した家族への東條コード真実の扉の鍵陸軍の正式拳銃戦陣訓

20年10月7日大森拘禁所に入所退院間もない時の東條英機の東條コードが全て含まれた最初の証言

元参謀本部総務課長榊原主計大佐が大森拘禁所にて東條大将との会談メモ

『東條英機大将大森拘禁所に於ける感慨』

(東條英機 / 東條英機刊行会 上法快男編 所収)

 責任は全部自分で負ひ悪者となつて畢(おえ)る考へなりき。死を以て責任を明(あきらか)にする所存なりき。勝者は敗者に対し全能の神なり。敗者の声は狼の前の小羊の声に過ぎず、大東亜戦争の正邪は後世史家の批判に俟つべきものにして勝者の批判により決せられるべきものにあらず。

 予は臣節を全うする為死を以てお詫びせんとせるも、此に関して下村大将と意見を異にし、同大将は最後迄生を有し堂々裁判に臨み正義の主張を述ぶべしと奨められたり。

 自決の方法に就いても諸種考へたるも(刀、其他)心臓を射つを確実と考へ、それとなく医者にも訊ね研究の上実施せるものなり。只アメリカの医術の進歩につき考へ違ひをなしあり。アメリカの医術は日本より十年は進みあり、心臓の穴を血の粉にて塞ぎ(注・心臓に穴などは開いていない。心臓に穴が開いて血の粉にて塞ぎ助かるとは、いかにも漫画的である。これも東條コード)日本の医術にては到底絶望と思惟「しい(思う)」せざらるゝを救出せり。拳銃は玩具の拳銃と謂ひあるも誤にして陸軍の正式拳銃なり。

(注・20年10月7日に入所。退院間もない時の証言である。敵国の銃で自決するはずはない、もちろん陸軍の制式拳銃だと答えたのだろう)証言元は東條。

一誠排萬艱 昭和二十年冬 東條英機

WILL2010.1.「私が獄中で見た東條さんの背中の傷痕」水戸市の元C戦犯飛田時雄91歳の証言。岡村青フリーライター

・・・病み上がりの東條は足元がおぼつかない、ひどく憔悴しきっていた。・・・清掃が終わると他のA級はあたりまえの顔をしている中で「ありがとう、ご苦労様」と声をかけてくれた・・・東條さんの肩のところには、ちょうど五百円玉ほどの大きさで、あずき色したカサブタがあり、まだ完全に治ってないらしく、じくじくしていたのがわかったんです・・・大森から巣鴨プリズンに移る二ヶ月間に五回ほど入浴し背中を流した・・・「いやすまん、君すまんありがとう・・・なぜ君はここに引っ張られたのかね・・・頑張ってくれよ」などと謝礼や励ましの言葉をかけてくれた・・・率直に言えば最初は憎しみもあった。こいつがいたから日本は戦争に負けたんだ、こいつがいなければ俺はこんなところに来なくてすんだってね。けど何度か接するうちに恨みから同情、同情から次第に尊敬へと私の気持ちは変わっていきました。・・・他は将棋麻雀する中、一人黙々と書き物をしていましたね・・・。飛田時雄の求めに快諾、方眼紙に「一誠排萬艱」と毛筆で書いた。飛田は拘禁所近くの知人に預け、現在も所持している。写真掲載有り。一誠萬艱「ばんかん(よろずの憂い)」を排す。注・大森拘禁所にて。東條非難は、戦後のWGIP学習迎合証言。

刑死1ヶ月前の東條英機の東條コードが全て含まれた最後の証言(第二回面会23.11.26.午後2時から2時55分)

教誨師(きょうかいし)花山信勝師の質問に対して次のように答えた。

 ・・・それから、一つお尋ねしておきたいと思いますのは、東條さんが「自決」されようとされました時のお氣持ちを、一つはつきり伺つておかないと、いろいろ間違つたデマが、そのままになつてしまうということを恐れますので・・・ 

 「それは結局のところですな、部下たちに俘慮となるな、そういうような時があれば死を選べと『戰陣訓』に敎えておいたので、自らそれを實行したまでなのです。他の人々には前の日に通知があつたが、私にはだしぬけに憲兵が來た。そこで、間髮を入れずやつたのです。なお家のものに傳へておいてもらいたいが、秀正(滿喜枝さんの婿)の自殺した軍用銃(南部14年式自動拳銃?)を使つたのだということを。誰も知つておらぬと思うから。ところが、直ぐ手當をされたのです」

 しかし、あの時死んでおられたら、今のような宗敎の悅びには入られなかつたと思うのですが。

 「そうです、個人からいえば、一つには宗敎に入り得たということ、二つには人生を深く味わつたということ、三つには裁判においてある點を言いえたということ、は感謝しています。なおそれに付加えて、家庭のことについて喜ばしいことは、千萬圓とか、二千萬圓とかを三菱からとつておるといわれたことが、司直によつて徹底的に調べられ、そんなことのないということが當局によつて發表されたことである。私は喜んで死んで行くことができる」花山信勝『平和の発見』

 

東条英機家族への東条コードその1陸軍の正式拳銃(14年式自動拳銃)

 拳銃は玩具の拳銃と謂ひあるも誤にして陸軍の正式拳銃なり。(元参謀本部総務課長榊原主計大佐が大森拘禁所にて東條大将との会談メモ。治療退院後最初の証言)

 「ピストルは古賀少佐(東条の女婿)が、これより先、八月十五日に玉音放送をきいて自殺した時に使った軍用銃(南部14年式自動拳銃)で、当日東条はこれをからだにつけていた」東條の弁護人清瀬一郎著『秘録 東京裁判』証言元は東條。

 「なお家のものに伝えておいてもらいたいが、秀正(二女満喜枝の夫古賀秀正)の自殺した軍用銃(南部14年式自動拳銃?)を使つたのだということを。誰も知つておらぬと思うから」花山信勝『平和の発見』処刑まで約1ヶ月(1948.12.23)、面談で家族への伝言を依頼した。(第二回面会11.26.午後2時から2時55分刑死1ヶ月前の最後の証言)

・・・「東條元首相が自分の胸を撃った32口径コルトと25口径の短銃2丁、白布に包まれた(ハラキリ・ナイフ)と最後声明(前日日付の遺書。コピーされた遺書)を発見押収」1945.9.21.付けCIC秘密文書には、東條英機だけが証言する軍用銃(南部14年式自動拳銃)の記載皆無。 1998.11.30.4面中国新聞

 処刑まで約1ヶ月の証言である。軍用銃の証言元は東條だけである。他の証言はすべて敵国の銃である。秀正の自殺した軍用銃は、東條の手元には無かったことを家族は皆知っていた。げんに上記のCIC秘密文書にも記載無し。無い銃で自決はできない。よって自決ではなく撃たれた。東條英機の家族への東條コードだ。

 処刑まで約1ヶ月、面談で家族への伝言を依頼した、教誨師(きょうかいし)花山信勝師への前述の話、自殺に用いたという軍用銃(南部14年式自動拳銃)も、東條の手元には、在りえないことを家族は皆知っていた。最後に東條は、第三者花山信勝師に家族への伝言として託す事により第三者の証言者を増やし、家族の弁明のためのキーワード東條コードにした。前述のように軍用銃は、東條だけが発言しているだけであり、他は、皆無。

 

参考他の証言

 知識を咀嚼検証しない鵜呑み知識の鵜人、石原慎太郎や佐々淳行らは22口径(22口径説はこの鵜人二人だけ)GHQ民間情報教育局『真相箱』(1946年8月発行)三十二粍(ミリメートル)拳銃。中薗英助『私本・GHQ占領秘史』三十二口径コルト拳銃。森正蔵の『戦後風雲録』使用した拳銃は戦利品のB29搭乗員用のものであったというが、CIC係官がそれを三十二口径の護身用拳銃と報告。「東條英機はイスに座り、「右手に拳銃を握った状態で米軍に発見されている」との報道もある。

 

 ノフォーク市、ヴァジニア州「マックアーサー記念館」「東京裁判コーナー」拳銃はアメリカ製コルト32と体内から摘出された銃弾を展示。「東條英機が使用したコルト32(径8.128mm)は護身用の小型拳銃で、極めて殺傷力が弱い。本当にこれで自殺しようとしたとすれば余程武器に対する知識が浅かったと云わざるを得ない」との説明文がある。

 

東条英機家族への東条コードその2真実の扉の鍵戦陣訓

 一度は自殺を計つた東條も裁判では健鬪して居る。彼は自殺を計つたのは、自分の大臣時代に出した戰陣訓に俘虜となるよりは自殺せよと書いてあるのを實行したのだと云つて居る。彼こそは已に覺悟して居る人である。元氣で最後の戰を鬪つて居る。立派に死んで行くのが彼に殘された義務である。

 網戸越しに娘達と父らしく親しく談して居る光景は涙なしには見られない。重光葵『巣鴨日記』昭和二十三年三月六日土曜日 曇り

 

 上記も判別している。戰陣訓は「虜囚」である。上記重光葵は「虜囚」と書かず「俘虜』と記載、「虜囚」と「俘虜」を明白にを判別している。「虜囚」は明白に判別されており、敵国に捕まった時は「捕虜。俘虜」の表現が常識のようだ。

 

教誨師(きょうかいし)花山信勝師との面談

 ・・・一つお尋ねしておきたいと思いますのは、東條さんが自決されようとされました時のお氣持ちを、一つはつきり伺つておかないと、いろいろ間違つたデマが、そのままになつてしまうということを恐れますので・・・

 「それは結局のところですな、部下たちに俘慮となるな、そういうような時があれば死を選べと戰陣訓に敎えておいたので、自らそれを實行したまでなのです。他の人々には前の日に通知があつたが、私にはだしぬけに憲兵が來た。そこで、間髮を入れずやつたのです。教誨師(きょうかいし)花山信勝師の質問に対してこのように答えた。(第二回面会23.11.26.午後2時から2時55分。刑死1ヶ月前の最後の証言)

 

 明治天皇「大元帥(だいげんすい=全軍を統率する総大将で、旧陸海軍を統帥した天皇の称)」が全軍人に下した勅諭、軍人勅諭(降伏禁止の記載など、一切無し。軍法にも記載無し)を無視し、当時の陸軍大臣である臣(家来)東条英機が示達した陸軍だけの戦陣訓に(降伏禁止)記載ありと捏造を認めたのだ。軍人勅諭「義」(公)の為ではなく、「私心」(捕虜になるのは辱だから、捕虜になるなら自決せよ)で死ねと、訓えたというのだ。軍人勅諭を無視し、軍法を無視し、天皇を冒涜するこんな不敬は無い。「戦陣訓」起案責任者・今村均将軍も、今、報道されている「戦陣訓」の内容は、本意「ほんい(真の意味)」で無い、「誤解された」と発言している。虜囚の辱=敵の捕虜では無く、虜囚の辱は皇軍の兵が法を犯し、日本に捕まり囚人と成ることが本意。生きて虜囚の辱を降伏禁止と、迎合したマスコミに戦後捏造され、石原都知事などが信じている。63年間捏造され続けた戦陣訓、下記が真実の『戦陣訓 第八』の本意。

 

『第八  名を惜しむ(名誉の尊重)

 恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように。』  真実史観意訳

 

 たったの26日間で治癒、20年10月7日大森拘禁所に入所。退院間も無い前述の最初の証言(元参謀本部総務課長榊原主計大佐が大森拘禁所にて東條大将との会談メモ。治療退院後最初の証言)では、戦陣訓が自殺の理由にされていない事に注目。自殺の理由は、予は臣節を全うする為死を以てお詫びせんとせる」と証言し戦陣訓を自決の理由にはしていない。これ以後、戦陣訓を自決の理由にし始めた。前述の重光葵『巣鴨日記』昭和23年3月6日には戦陣訓を自決の理由にと書かれてある。

 

戦前、兵士鼓舞の建前論で一部引用され、誤用されたが、兵士は建前論と認識していたので、捕虜となり自決もせず皆帰還した。捕虜奨励の軍隊など史上皆無。戦後、建前を命令と捏造された。戦後の捏造(虜囚の辱=降伏禁止)を戦中の部下に訓える事など不可能。捏造不可能な自決理由で自決は出来ない。よって自決は捏造。虜囚の辱め降伏禁止は、戦後の捏造。自決の理由が捏造(自決=捏造)。つまり自決は米軍の捏造だと、東條英機は言っているのだ。まさしくこれは、東條コードだ。戦後63年辞書が真実へいざない、東條英機自決の真相を語った、撃たれたと。戦後63年2008年4月18日戦陣訓虜囚=囚人と辞書が断定し、捏造を暴き、マスコミや識者の言論界無検証鵜呑みの実態を暴露。捏造し東條英機を罵倒した者が捏造を辞書に暴かれ、辞書が東條英機の真相へ導いたのだ。運命を感じる。

 

軍人勅諭「義」(公)の為ではなく、「私心」(捕虜になるのは辱だから、捕虜になるなら自決せよ)、戦後の捏造(生きて虜囚の辱を降伏禁止と解釈)が理由の自決発言で己の自殺を否定し、真実の扉東條コードを、東條英機は残した。

「責任は全部自分で負ひ悪者となつて畢(おえ)る考へなりき。死を以て責任を明(あきらか)にする所存なりき」と己の覚悟は決め実行したが、残された家族とその子孫を思い、第三者花山信勝師に、真相究明の東條コードを託したのだ。父親としての東條コードは、残された家族とその子孫への、謝罪コードと言える。

 

東條英機妻勝子の長男(父英隆)の嫁(母幸子)への手紙 祖父東條英機「一切語るなかれ」増補改訂版東條由布子著(文春文庫)

東條英機20年9月11日に抑留。

妻勝子20年9月13日九州到着。

東條英機20年10月7日大森拘禁所に入所。

昭和20年10月25日の手紙

 ・・・父上から初のおたよりが参りました。皆様からのたよりは許され、ご自分は週一回出せる由です。

 ・・・百年後は必ず父上の忠義が分かりましょうが、今は駄目なものもあります。大人は分かる事が子供は分からず、可哀相そうです。

    ・・父上に早晩、御最後の日が来ます。父上は葬式は安宅にて、子供のみにて静かにせよとの御言いつけです。12につづく 

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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