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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観13東條英機の真実東條英機最後の日記と花山信勝著「平和の発見」

〇ウイリアム・ローガン弁護人の最終弁論

 ローガンは、パリ不戦条約の起草者ケロッグ国務長官の言葉を引用し。ケロッグが経済封鎖は戦争行為とみなしていたことも指摘し、最後に、こう付け加えた。

 「かれらは日本国を愛しました。そして彼らの決定は、祖国にとって生きるか死ぬかの決定でありました。かれらは祖国を愛しました。そして決定をしなければならぬ地位にありました。われわれは、この裁判をされる方に、ちょっと彼らの立場になって考えてくださいとお願いします。その立場になったら、愛国者としてあなたたちは他の決議をすることが出来るでしょうか」。

 

〇「東京裁判」日本弁護団・ウイリアム・ローガン弁護人東京を去るにのぞんで全被告に対してつぎの趣旨の挨拶をのべた。

 私は最初日本についた時には、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、後悔しないでもなかった。しかるにその後種々調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆であって、日本には二十年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかったことに確信を持つにいたった。したがって起訴事実は、全部無罪である。しかしこれは弁護人である私が二年半を費やし、あらゆる検討を加えてようやくここに到達し得た結論である。したがって裁判官や検事はまだなかなかこの段階に到達していないだろうと想像される。これが判決を聞かずして帰国する私の心残りである。菅原裕著「東京裁判の正体」

 

〇「東京裁判」日本弁護団・スミス弁護人・カニンガム弁護人

 ウェッブ裁判長は2人の米国人弁護士を東京裁判から除籍した。広田弘毅担当のスミス弁護人と大島浩担当のカニンガム弁護人だ。スミス弁護人は、是が非でも日本を断罪するという姿勢から打ち出されるウェッブ裁判長の偏った訴訟指揮に対して、「不当なる干渉だ」と述べた。その指摘に怒ったウェッブはスミス弁護人を法廷から追放したのだ。また、カニンガム弁護人は東京裁判が進行中の時期に、シアトルでの全米弁護士大会に出席して「東京裁判は、(連合国による)報復と宣伝に過ぎぬ」と発言したことを以て、これまたウェッブ裁判長から除籍された。講談社学術文庫の「東京裁判 日本の弁明」(小堀桂一郎 編)

 

〇「東京裁判」日本弁護団・米国弁護人

 彼らは皆真実に基づき、アメリカの正義を貫いた。

 

『戦中派闇市日記』山田風太郎(22年12月)二十七日(土) 曇

 ・・・東京裁判愈々東條部門に入る。態度、口供書内容、天晴といわんか堂々といわんか。最大の日本人の讃辞にそむかない。これで東條は永遠に日本人の胸中深く神となった。それにつけても滑稽なのは新聞で、東條がいちいち独断でやらず種々の会議にはかってことを決したのを「彼が大政治家でなく一官僚にすぎなかったことをばくろしている」など言ったり、(もし独断で決行していたら大政治家といわず独裁者とガナリたてるだろう)東條が、今のアジヤの情況と比較して、日本の戦いはアジヤ解放戦であったといっているのに対して、軍国主義国家の「侵略」と民主主義国家の「解放」とは全ぜん意味がちがうなどいっている(毎日)、何たるあゆ何たる卑窟、それで東條の弁を三百代言的などいっているのだからアキれかえって文句もいえない。こう書かねばならん事情はわかるが、もう少し何とか書けそうなものだ。・・・

 

『巣鴨日記』重光葵

昭和23年1月6日 火曜日 晴

 「法廷、東条部門進行。・・・東条は少しも責任を避けず、部下、同僚を擁護し、天皇陛下の御仁徳を頌し、法廷に対しては謙譲の態度を示し、検事に対しては堂々と主張を明かにす。キーナン敗北とは米人弁護人等の批評なり」

昭和23年4月12日 月曜日 晴 浴

 「法廷、東条弁論本日終了す。終始強気の男らしき陳述にして、死を前にして戦う勇者の風あり。自衛権に付て米国は自己の自衛権は自ら之を決し、他国の自衛権も亦米国に於て決せんとするの矛盾を難じ、大東亜政策は世界平和の政策であって大東亜宣言は大西洋宣言と相並ぶもので何処に非難すべき點ありやと反問し、日本は独逸流のナチ制度を採用せず、憲法政治の行われた国であって軍閥等は存在せざりしと主張し、自衛権に依って行動せしものに罪あるべき筈なし。政府当局者は天皇の御思召によって仁愛の心を以て総てを処理し、俘虜の虐待の考へは毛頭なかりしことを力説した」

 

「(東條英機は)沈黙」「(撃たれたと)弁解せず」「(身内は)一切語るなかれ

 全責任を負い「清濁」併せ呑み、「公」に殉じた東條。全責任を負い、「清濁」併せ呑んでマッカサーと対峙し「公」に殉じた天皇。天皇と東條の「公」はまさしく呼応している。

 日本精神の根源には、必ず主従を一体とするこの呼応がある。「公」があって「私」が無い、この呼応が日本人の本質なのだ。

 東京裁判の判事の一人レーリンク判事は著書『Tokyo Trial and Beyond』の中で東條について「私が会った日本人被告は皆立派な人格者ばかりであった。特に東條氏の証言は冷静沈着・頭脳明晰な氏らしく見事なものであった」と述懐し、又「被告らの有罪判決は正確な証言を元に国際法に照らして導き出されたものでは決してなかった」と証言している。

 傍聴券を入手できなかった判決公判を除いて二年間の裁判をほとんど傍聴した富士信夫さん(元海軍少佐)は、その著書「私に見た東京裁判」(講談社学術文庫)で、東条大将とキーナン検事のやり取りを「カミソリ東条今だ衰えず」と評している。

 自分を有利にするための弁護側証人は一人も申請しなかった。

 日本を弁護し、天皇を弁護し、日本の立場を世界に発信し東條英機は護国指導者としての責任を全てはたした。戦争犯罪については拒否し、敗戦責任は進んで受ける、という態度を一貫してつらぬき。そして最後に、敗戦の責任を取るため刑についたのは、まぎれも無い史実だ。ヒトラーは自殺。ムッソリ-ニはパルチザンに銃殺された。捏造された自殺未遂がなかったら、たった一発の銃弾がなかったら、まちがいなく東條英機は世界の軍神として祀られていただろう。

キーナンは最後に聞いた

 「天皇や日本国民に対して、あなた自身は責任があると思うのですか」

 「当然です」東條は平然と答えた。

 翌七日、東條尋問はすべて終わった。被告席へ戻る東條の足取りはゆったりとしていて変わりはなかった。席に着くと、満面を崩して莞爾として微笑んだ。同時通訳のイヤホーンをゆっくりと両耳に当てる姿は、大業を成し遂げた男の満足の色がにじんでいた。

 次の日、マッカーサー元帥は、連合国総司令部(GHQ)に、ウェッブ裁判長、キーナン検事を呼んで報告を聞いた後、天皇の戦争責任なし、訴追せずを最終的に決定して発表した。升本喜年「軍人の最期」 光人社 

 強大な侵略者と忌避不可能な戦いを戦い敗れ、死して敗戦の責任をとった者に、すべて責任を転嫁し温温と暮らす、なんと愚かな事か。検証もせずさらに死者に鞭打つ責任転嫁は、悪いのはすべて日本と、責任転嫁し戦時下教育をいまだに続ける隣国の輩となんら変わりはない。

 

護国指導者は先人が選択し、託した人だ。 我々はその先人の子孫なのだ。 

 23年11月12日(金)宣告前の朝、東条英機の一首。「はてしなくすめるみ空にわれを呼ぶこえ尊(たか)く仰ぎてぞきく」。被告二十五名全員有罪、東条英機(首相、陸軍大将、64歳)、土肥原賢二(陸軍大将、奉天特務機関長、65歳)、板垣征四郎(陸軍大将、支那派遣軍総参謀長、63歳)、武藤章(陸軍中将、陸軍省軍務局長、56歳)、木村兵太郎(陸軍大将、ビルマ派遣軍司令官、60歳)、松井岩根(陸軍大将、上海派遣軍司令官、70歳)、廣田弘毅(首相、外相、70歳)絞首刑。東郷重徳(外相兼拓相)禁錮二十年、重光葵(外務大臣)禁錮七年を除いてあと全部終身刑。東條はこの宣告を聞くや、ウエッブ裁判長を凝っと見つめてふかく三度うなずき、微笑んで静かに法廷を去った。断罪の宣告をうけた人々はいちいち礼をして退出した。・・・ラジオ実況放送三度うなずきとは、「(東條英機は)沈黙」「(撃たれたと)弁解せず」「(身内は)一切語るなかれ」だったのだろう。天皇を救い、「臣」の務めを果たし、日本の所信を世界に発信し敗戦の将の勤めを果たした。残るは、日本国の「臣」としての務め、死による敗戦の償いだけとなった。

 東條英機は独裁者で無いことは、裁判官全員が認めていた。だから被告二十五名全部有罪となった。

 

『戦中派闇市日記』山田風太郎(23年11月十二日(金) 朝

 被告二十五名全部有罪。東條、土肥原、板垣、武藤、木村、松井、廣田絞首刑、東郷二十年、重光七年を除いてあと全部終身刑。

 午後の夕燈の東京の町々、プラットフォーム、家々に国民凝然としてこのラジオ実況放送を聞く。悲壮の景。

 東條はこの宣告を聞くや、ウエッブ裁判長を凝っと見つめてふかく三度うなずき、微笑んで静かに法廷を去ったという。―――東條はかくて日本人永劫の英雄となった。明日から新聞は一せいにこの裁判を公正とホメチギリ、おベンチャラに全力をあげるだろう。しかし、東條のこの態度に心中恥じざる日本人があろうか。心情は異り、風習は違っても、全世界の人々で何人が打たれないものがあろうか。

 アメリカはこの刹那、東條に敗北した。

 唯一人の勝利者。

 この戦いに指導者にその人を得なかったとは、もう言えない。東條は、少なくとも現存する日本人中、最大の人物には違いなかった。

 きょうラジオの法廷放送を聴きながら考えたことだが、聴いているだけで、身体がふるえて来た。(このふるえの三分は連合国に対する怒りと憎しみだが) あの息づまるような重苦しい凄壮感、あの中で絞首刑に処す、と言われた本人が、平然と微笑みを浮かべている、ということは実に大変な芸当だ。何クソと思っても植物神経の無慈悲な働きは、知らず知らず顔色を一瞬に変えさせるものだからである。ひとごとでなく、自分の場合は、真に心境が到っていなければ出来ることではない。死に臨んで泰然たりとは一種の発狂状態、夢幻状態にあることの反面的な形容だろうと思っていたが、東條らの態度は、これは確かに正気で、立派なものである、彼は戦死者のことを考えていたのだろう、こういう偉大な人間が日本人の中にもいた、ということは終戦以来人類のクズみたいに外国から毒づかれ、自らもそう思いこみ、また政治家もヘンにウス汚い小人ばかりが蛙鳴しているのに愛想をつかしていた日本人も、やっと清い偉大な誇りをその胸に呼び戻すだろう。

 新聞―――民衆の代言者、民衆の友たるべき新聞というものはあり得ないのであろうか。戦争中、戦後、権力者のみにアユベンネイする新聞。あらゆる文明の利器は功罪半ばせざるものは一つもないが、新聞もまたその誹は免れない。

 

東京裁判判決から43年後の平成3(1991)年秋NHKスペシャル番組での日本人通訳の証言

 「日本人として同じ日本人である戦犯に、被告を死刑に処するなんていう酷な通訳が出来ますか!判決文の通訳だけは、日系のアメリカ人に代わってくれと言ったんです」

 「デス・バイ・ハンキング」の通訳を断ったという日本人通訳43年後の証言。当時も現代と同様の戦犯バッシングの最中で、なんと、犯日工作員の巣窟NHKでだ。当時の日本人の心根と、気概を語って余りある。朝日新聞長谷川記者と、なんと対比が際立つことか。子孫はこの気概を銘記し、忘れること無かれ。

東條英機最後の日記「文藝春秋にみる昭和史」第二巻

東條(署名あり)

11月12日(金)(原文カタカナ)

 昼食後、妻子との最後の決別をなす、一に「ケ」中佐の好意に依る、午後三時過ぎ刑の宣告あり、元より絞首刑既に予期する処、刑に不思議なし、唯広田、土肥原、板垣、松井、殊に木村、武藤等共に絞首刑とは驚く、気の毒千万也、言渡しの際、輝夫、敏夫傍聴席に之れを認め、最後に立会ひたる難有し、宣告後、手錠をかけざりしは「ケ」中佐の好意ならん

 夜暗になるを待て、七名丈別の途に依り巣鴨に護送、巣鴨に於いては格別の如き身体検査あり、後第一号三回第十番室に入る、室は畳を取り除き板敷きの上に布団を置き、毛布五枚、外套の外、殆んと一物も与えず、入れ歯眼鏡迄も取り、警戒至らざるなし、元より予期せし所、敢えて驚くことなく唯馬鹿馬鹿しさを感ずるのみ

 将校以下多数の兵にて徹宵監視す、後苦労の至りである。□□□□□洋食□□多少閉口するも、贅沢も謂うべき限りにあらず、夜早く寝に就く

11月13日(土、晴れ)

 昨夜重荷を下ろしたるせいか、朝迄熟睡す、朝食の際入れ歯を渡さず食事せしめんとせしも、承服せざりしため、遂に間もなく入れ歯眼鏡を交附す

 午後、武藤、夜、木村室に来り、色々話し合ふ、序に室は独房に従来の例に依れり、二人づめなるも余等は独房に一人つゝなるは幸いなり、朝夕の読経真に心爽なるも嬉し

11月14日(日晴天)

 昨夜紙、鉛筆の支給を要求し、鉛筆一本、紙十枚を受け茲に日記を書き始む

 本朝は朝寝し起きる、大約六時半位なりしか、相変わらず昨夜も熟睡す、本日も天気晴朗なるもの如く、気持ち良し、昨日は遂に室外散歩を許さず、本日亦然り、つれづれの余り、記憶にある詩歌等を思ひだし書留め、時を消す

 室内散歩の間を歩み、散歩に代え「正気の歌」を味ひつ、独唱、文天祥の人格を偲ふ、本日遂に室外散歩なし

11月15日(月晴れ)

 昨夜も例に依り熟睡、気分爽快である、唯係官等の神経的なる監視警戒真に、うるさき限り、斯の如き状態が幾日続くことやら、閉口である、独逸津に於ける死刑執行前、自決例もある哉、無理からずと思ふも、日本人の心理を解せさこと甚だしく、吾人は立派に刑の執行を受けて行きたく、其れ迄は寧ろ健康を損せざることをこそ願ふものである

 現在の取り扱いに関し、所長に対し、その願いを差し出す、果たして希望を容れるや否や

 既に絞首刑の宣告を受けたる者として、最後の希望を述ぶることを許されたし、其れは、唯一つである、即ち不日行はるべき絞首刑の執行を冷静に立派に受け、日本人として最後の責務を全ふし、世を去りたきことである、従て、それ迄は健康を保全し最後の修養に努め、心身共に之れに応じ得る境遇に置きたきの念願である、独逸側にありしか如き、その執行以前に自決を計るが如きは、思慮ある日本人の採らざる処である、請ふ、意を安ぜられたし、これがため余す処、恐らくは数日に過ぎざるも、左の諸件のご高配を得たし

1、下級者に依る、時に思慮なき侮辱的言動あるは、願わくば之を戒められたし

 敗戦者然も最高の責任者たりし余として極刑を受くるは、当然であり、寧ろ世界の前に、其の責任を明にすべき理の前に喜んで居るものである、然れども罪に問はれたる行為は、見る立場は異にするも、余としては、一点の私心なく専ら愛国の私情に発せるものと自負しあるは、勝者の諸官等に敢て劣るものにあらず、冷静に其の立場を変へて考へらるれば、明白に察せらるることであらうと信ず、

 今や刑を受け死を境として恩讐を超ゆ、瞑目せんとする際、時に思慮なき下僚の侮辱的言動は、願くば之れを戒められ、最後の一瞬迄、刑は刑として受け、人情的武士的取り扱いにより、米軍に最後の好感を抱きて、此の世を去りたきものである東條   (署名あり)

2、宗教上の自由と之れが寛大なる取り扱ひを許されたし、謂う迄もなく、宗教上の自由は、各条約に依り約定せられ、又何れの国と雖、刑余のものとは謂へ、許されあるは一般である、殊に死刑囚に対しては、寧ろ死するものの権利として、之に関し、あらゆる便宜を与へられ然るべきものと考へらる

 例へば仏教信仰者として、仏前の礼拝、布教師との面接、経典類の携帯等である、既に願慮せられあるべしとは信ずるも、予め御願す

3、ここ数日間の命なりと雖、刑の執行迄健康の保全に努めたし

 日光を受けきは、生物総ての要求なり、捕虜条約に於いても、特に一項を設け、これを規定せし所ろならん、警戒監視上全く一室に閉じ込め置く現在の処置は、一理ありとは考ふるも、一日一回位は日光に接する機会を与へられたきものである、蓋し刑の執行を立派に受けたき苦衷よりの願なり

4、残余の数日を冷静に修養し得る境遇を与へられたし

 警戒監視上、止むを得ざるものとは考ふるも、その警戒監視、謂うことを許さるれば余りにも神経質的にして、死に就かんとするものに、沈静修養を妨げ、夜間睡眠を妨害する如きは、一考せらるれば幸なり

5、最後の遺書は、家庭其他に交附の便宜を与へられたし、語に曰う「死するものの言や善し」と、断頭台上に立つ瞬前の吾にして、其の謂う所、何等虚偽なく、又他意なし、既に筆紙を与へられあるを以て、其の好意ある取り計ひを得べきことと信ずるも、念のため御願いす

(欄外に書き込みあり)

 死刑囚相互に談話、最後に決別をなす機会を与□ある取り扱は、感謝である、茲に最後に御礼を申し述べ、以上希望を述べ、其の許容御願する次第である

11月16日(火、曇)

 手紙の差出を許されたるを以て、判決後の第一信を出す、又面会に許可希望を求めらる、依りて勝子及、君、幸、満、光の四女児を届告す、男子は人員の関係上遠慮す、明日より両三日花山師の説教ある由示さる、聴聞も申出ず

11月17日(水、晴)

 花山師と面晤の機あるに依り左件を

 (欄外に)東條

一、裁判も終り、一応の責任を果たし、ほっと一安神し、心安さを覚ゆる、刑は余に関する限り当然のこと、唯責を一身に負ひ得ず、僚友に多数重罪者を出したることを心苦しく思う、本裁判上 陛下に累を及ぼすなかりしは、せめてもなり

二、裁判の判決そのものについては、この際いうを避く、何れ冷静なる世界識者の批判に依り、日本の真意を了解せらるる時代もあらん、唯捕虜虐待等、人道上の犯罪に就いては、如何にしても残念、古来より有る之日本国民、陛下の仁慈及仁徳の徹底せしめ得ざりし、一に自分の責任と痛感す

然して之れは単一部の不心得より生ぜるものにして、全日本国民及軍全般の思想なりとの誤解なきを世界人士に願ふ

三、第二次世界大戦も終りて、僅か二三年、依然として波瀾多き世界、殊に極東の現況を見て、日本国の将来に就中懸念なき能はざるも、三千年培はれたる日本精神は、一朝にして喪失するものにあらずと確信するがゆえに、極局に於いては国民の努力に依り、立派に立ち直るものと信ず、東亜に生くる吾は、東亜民族の将来に就いても、此の大戦を通し、世界識者の正しい認識と同情の下に、其の将来の栄光あるべきを信ず

四、戦死戦病死皆々戦災者等の遺家族に就いては政府は元より連合国軍側に於いても、同情ある救済処置をを願ひたきものなり、之の赤誠「せきせい(真心)」国に殉ずるものにして、罪ありとせば、吾々指導者の責にして、彼等の罪にあらず、而して吾々は今や処断せられたり、彼等を悲憤に泣せしむるなかれ、然も彼等を現況に放置するは、遂に国を挙て赤化に追ひ込に等し、また現在巣鴨にある戦犯者の家族に就いても、既に本人各罪に服しあるものなるに於て、其の同情ある処置を与えられたきものなり、ソ連に抑留せられしものは、一日も速やかに内地帰還を願て止まず

(欄外に書き込みあり)

 敗戦及戦渦に泣く同胞を思ふとき、刑死す□□□□其の責の償ひ得ざるを

私用御願

1、健康気分も爽快、刑の執行の一日も早きを期待し、朝夕御仏と共に、暮らしあり、平静なり

2、花山師の教導を本日あり、経けを受けらるを、光栄として喜ぶ

3、11月16日訓話后の第一信を出せり、果たして到着するや否や疑わしきも、為念知らず

4、宣告の際輝雄、敏夫両名を認めたり、難有し

5、昨(16日)面会許可希望者の届告を求めらる、依りて勝子と四名の女児(君枝、幸枝、満喜枝、光枝)を届告す、或は許可になるやも知れず、連絡のこと

6、余り問題ではないが、判決に財産没収の宣告なかりし故、用賀の宅地は其の儘に使用し得るにあらずや、些は難有りきことなりと思ふて居る

戦前の良識者花山信勝(しんしょう)

 明治31(1898)年12月3日生まれ。東大卒、東大文学部教授。自ら志願、21年2月14日巣鴨拘置所の戦犯教誨師を委嘱され、たった一人で以後三年間教誨に当たり、7人の戦犯処刑に立ち会った唯一の日本人。平成7(1995)年3月20日永眠96歳。戦前の東大文系には、こんな立派な良識者が居た。今の東大文系は、亡国奴と丸暗記の巣である。

死刑判決後花山信勝師面談時の東條元大将の遺言第一通

増補版。「平和の発見」(巣鴨の生と死の記録)2008.8.花山信勝著方丈堂。真実史観補筆

第一章 文人の感起

・・・都下武蔵野女子学院校長室、恩師故高楠順次郎先生のあの一室で、同僚と共に「終戦の詔勅」をきいた私は、「富国強兵」でつらぬいてきた明治以来の武力は、今一朝にしてくずれ、文人が今こそ、文を持って、起つべきときであることを直覚した。

 戦時中、一国民としてあっただけの自分に、非常に強い悔恨を感じた。国敗れた今日、いまこそ、われわれは感起しなければならぬという興奮は、私をして眠りすらゆるさなかったのである。・・・こうして、その後三年にわたってつづいた、巣鴨の一種の「志願囚」となった。・・・(注・花山信勝終戦時46歳東大助教授。翌年教授、戦犯教誨師。戦後パージで復帰し、私利私欲に励んだ迎合凶産教授の輩と、なんと対比が際立つことか!工作員以外の丸暗記稗田阿礼教授や亡国奴教授よ、煎じて飲め!)14につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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