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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

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真実史観17日本国の臣東條英機マッカーサー証言と東條に成代わりの弁明書

〇朝鮮戦争により日本の立場を理解し翻意し米国の正義を貫いた第一級の資料マッカーサー証言

 1950年(昭和25年)共産党員弾劾のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ルーズベルトもルーズベルトの側近も弾劾された。

ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)1950年10月15日の発言

 当時裁判の最高責任者マッカーサー元帥が、朝鮮戦争(1950~53)勃発直後の、昭和二十五(1950)年10月15日ハワイと東京の中間にあるウエーキ島におけるトルーマンとの会談で、「東京裁判は誤りであった」と発言。戦犯処刑は昭和23(1948)年12月24日。処刑後わずか2年後である。

 

ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会において、聖書に誓い、証言)

 戦犯処刑は昭和23(1948)年12月24日。処刑後わずか3年後である。わずか3年で東京裁判での、東條英機の宣誓供述に呼応し、認めているのだ。

 トルーマン米大統領によって一切の職務を解任(1951年4月11日、更迭)後1951年5月3日米国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答。

 質問者 ヒッケンルーパー上院議員

 

 五番目の質問です。赤化支那(中共:共産中国)に対し海と空とから封鎖してしまへといふ貴官(マッカーサーの事)の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

 

 答弁 マッカーサー将軍

 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口(四千万)で、あとの半分(四千万)が工業生産に従事してゐました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。

 これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。

 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。(注・その原料の無い日本が、真珠湾より先に宗主国のABCD包囲網で供給を断ち切られた。日本を亡国と化すために先に仕掛けたのは連合国だ)

 

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、日本では一千万から一千二百万の失業者が発生(注・マッカサーは婉曲表現で失業者が発生と発言しているにすぎない。四人家族だとすると総数は四千万人から四千八百万人となる。工業生産従事者とその家族全員の四から五千万人が路頭に迷うことになる。国民の半分が路頭に迷うことになれば、失業などではない、まさしく亡国だ。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、失業などではなく、確実に日本は亡国なのだ。子孫と称する日本語も英語も分からぬ、れいの、鳥瞰視点欠落した輩は、失業者対策のために起こした戦争と翻訳した。語るに落ちている。現代日本でも原料の供給を断ち切られたら、亡国は常識)し、亡国と化すであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。したがって彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国のため(亡国防衛のため、安全確保のため)(by security)だったのです。

 

 ・・・米海軍がフィリピンと沖縄を奪う頃には(1945年6月23日沖縄戦終戦)、海上封鎖も可能となった。そのために、日本陸軍を維持する供給は、次第に届かなくなった。封鎖したとたん、日本の敗北は決定的となった・・・

 (注・包囲し封鎖した米国軍人は、日本の敗北は決定的となったので、敗者なぶり殺しの原爆投下に、猛反対した。アメリカの主張「原爆投下で連合軍兵士数十万人と日本人数百万人を救命(アメリカの子供への教育はこうなされている)」は負い目払拭用の詭弁だ。本土決戦などせずとも、米国は攻めず、封鎖し、兵糧攻めで勝てたのだ。換言すれば沖縄戦以後のアメリカは、日本を封鎖し、昼寝しているだけで勝てたのだ)

 

 ・・・過去100年においてアメリカが犯した最大の外交的過ちは、シナ大陸において共産主義者の勢力がのさばるに任せてしまったことである。・・・

 (注・共産主義に対してのルーズベルトの無知を、非難している。日本の対中戦争は侵略戦争ではなく、反共戦争とマッカーサーは認識した)

 

 この証言はニューヨーク・タイムズに全文掲載された。反日、侮日には下記を掲げればよい。

They feared that if those supplies were cut off, there would be  10 to 12million people unoccupied in Japan

これらの供給が断ち切られたら、一千万人から一千二百万人の失業者が発生し、亡国と化すであらうことを、彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。

Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

したがって、彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国のためだったのです。

 

 1928年から45年までの18年間の日本の戦争は「侵略戦争」だったとして「東京裁判」を開廷し、日本を断罪した正に張本人であるマッカーサー元帥が、その後、わずか2年後、そして3年後、自身の考えを180度転換、日本の戦争は「護国戦争」だったと言っているのです。つまり、資源が無い日本では籠城したら、資源が無いから負け。勝つために、自衛護国のためには、東亜の独占貿易宗主国を追放し、東亜が独立し団結し互恵、自由貿易圏を成し、資源を確保しながら戦う戦法しかない。侵略しなければ侵略される時代に、誰もが同じ戦法を取るだろうと、マッカーサー元帥が聖書に誓い、発言したのだ。

 

 朝鮮戦争(東條英機宣誓供述書記載の、赤化防御を朝鮮戦争で痛切に体験)でマッカーサー元帥が、膠着状態打破のため「満州爆撃作戦」を立案することにより、島国日本にとって、朝鮮半島とその延長線上にある満州はまさに「国家の生命線」であり、ここが日本と敵対する国家・勢力によって支配されると言う事は、島国日本への資源供給を絶たれ、取りも直さず国家存亡の危機に直面する緊急事態であるという事を、共産主義、ソ連の南下の防波堤として、日本が満州を保持し続けなければならない事を、学んだのだ。事実中国(元)はこのルートで二度日本を攻めてきた。「満州爆撃作戦」は「侵略戦争」と決め付けた日本軍の作戦と同一であることに気づき、日本軍の護国のために誇りを持って玉砕する心根を、瞬時に理解出来たのです。「侵略戦争」だったらあのような壮絶な戦いは不可能だ。至誠一途な心根も、まさしく反共戦争であり「自衛護国戦争」だったからだと。 

 東京裁判(1946.5~1948.11.)は誤りだったと。勝者が正義の時代に、戦犯処刑わずか2~3年後に前言を翻したことは非常に重要だ。マッカーサー元帥と米国は、世界征服をたくらむコミンテルンの悪の野望と、コミンテルンに操られたルーズベルトの陰謀に、日米国民が乗せられたことに気付き、アメリカの歴史に汚点を残すのを避け、大東亜戦争 開戦の詔勅、を認め、東條英機の宣誓供述に呼応し、まさしく豹変し、これも認め、真実を貫いたのだ。

 

 自虐教育の原点である東京裁判はマッカーサーも認めたように誤りだったのだ。自虐教育・自虐報道はもうやめよう。

 

マッカーサーがみた日本人は、「精神年齢12歳の少年」であった。(1951年5月5日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会においての発言)。マッカーサーは、証言の最後で日本占領の自己評価をおこなった。

 「アングロ・サクソン族が科学・芸術・神学・文学の点で四五歳だとすれば、ドイツ人はそれと全く同じくらいに成熟しています。しかしながら日本人は、時計で計った場合には古いが、まだまだ教えを受けなければならない状態にあります。現代文明の基準で計った場合には、彼らは、われわれが四五歳であるのに対して、一二歳の少年のようなものでしょう。

 教えを受けている時代の常として、彼らは新しいモデル、新しい考えに従い易いのです。そこには基本的な考え方を植えつけることができます。彼らは依然として柔軟で、また新しい考え方を受け容れられる起点に十分近いところにありました。」講談社版「昭和二万日の全記録 第9巻」

 (注・良識ある者をことごとく追放したので、独裁者マッカーサーの周囲にはたいこもち、男芸者、イエスマンしか存在しない。換言すればマッカーサーは12歳の少年のような未熟者を集めて戦後の指導者としたのだ。ギブミーチョコレートと言って群がる少年と、マッカーサーが集めた日本の醜い迎合者をダブらせて12歳と発言したに過ぎない。この発言に怒る者がおるが、この発言はまさしく真実を語っており、疑問の余地は全く無い。「12歳の少年」は日本の全体ではない。いつの世にもたむろする醜い輩で、ほんの一部分に過ぎない。マッカーサー自身が集めた迎合者の評価だ、日本人は立腹する必要などさらさら無い。彼らは「柔軟」などではなく、ただの12歳の少年イエスマンなのだ。戦後綿々と続く半面しか見えない半人前の12歳の少年、先人冒涜者や大江や石原を評した言葉でもある

 

 1951年4月11日、更迭。1951年4月16日離日。4月19日引退。退任に際しての演説を行った。最後に、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die, they just fade away.)」の言葉を残す。

 1964年4月5日に老衰による肝臓・腎臓の機能不全でワシントンD.C.のウォルターリード陸軍病院で死去。84歳だった。偉人として国葬が執り行われ、日本代表として吉田茂が出席。参考文献 『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎、講談社学術文庫

 

大東亜戦争での日本の立場と今後を簡略明解に語りかける東條英機自決時の遺書と言われる弁明書

清瀬 一郎(きよせいちろう、1884年7月5日 ~ 1967年6月27日、行年83歳).姫路市出身の弁護士、政治家、衆議院議長。学位は法学博士。筆者は弁護士として、東京裁判で、弁護団副団長、東条英機大将の主任弁護人をつとめ、後に、国会議員として、文相、衆議院議長もつとめた人である。清廉さを身上とするが故に、当時は議長・副議長の党籍離脱は慣例化していないのに、衆議院議長に就任した時も「公平さを期するため」と党籍を離脱した。『秘録 東京裁判 』清瀬一郎著 読売新聞社 。本書は戦後21年、著者晩年の年に読売新聞に51回連載した回想を、編集、1967年(昭和42年).3月公刊したものだ。

 東條英機の弁護人を務めた清瀬一郎の著書『秘録 東京裁判』で遺書と紹介された文書である。清瀬弁護人は福岡市在在の某氏から写しを借り検証。その結果、「確実な信用すべき人」からこの遺書は、間違いなく自決時のものであることを確かめることが出来たという。「文意の発案は東條本人で、文飾は、当時日本言論文筆及び史学界の最長老某氏の添削を経たものであり、その某氏自身が東條宅へこの案文を持って訪れていると証言している」と記している。佐藤早苗は著書『東條英機 封印された真実』でこの遺書の福岡の人は勝子夫人の妹が嫁いだ宇都宮氏であり、文壇の最長老とは吉川英治(1892~没年1962)氏ではないかと書いている。

 間違いなく自決時や某氏の添削と記載のようにそれだけ準備しての自殺なので、狂言ではないと出自元が強調している。しかしながら「・・・最近の歴史的推移を観察せば、思半(おもいなかば)に過ぐるものあらん(考えるだけでも思い当たるふしが多いのではないか)。・・・故に若し世界の公論が、戦争責任者を追及せんと欲せば、其の責任者は我に在らずして彼に在り。乃(すなわ)ち彼国人中にも「ひこくじんちゅうにも(彼の国の人間の中にも)」亦(ま)た往々「おうおう(あちこち)」斯く明言(戦争責任は戦勝国にあり)するものあり。・・・」と時間の経過が語られている。

 

ウィキペディア東條英機の項目

・・・以下は1945年9月11日にGHQに逮捕される前に書かれたとされるものである。この遺書は1952年の中央公論5月号にUP通信のA・ホープライト記者が東條の側近だった陸軍大佐からもらったものであるとの触れ込みで発表されたものである。この遺書は、東京裁判で弁護人を勤めた戒能通孝から「東條的無責任論」として批判を受けた。また、この遺書は偽書であるとの疑惑も出ている。保阪正康は東條の口述を受けて筆記したとされる陸軍大佐について本人にも直接取材し、この遺書は偽書であると結論付けている・・・と記載され、本文と同内容のかな交じり意訳文掲載されている。それにも同様に下記のように時間の経過が語られている。・・・最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか(考えるだけでも思い当たるふしが多いのではないか)。・・・ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。・・・

 

時間の経過

1945年9月15日 玉音放送・終戦・終戦の詔勅

8月28日 連合軍先遣隊、厚木到着 (GHQ設置)

8月30日 マッカーサー厚木到着

9月2日 ミズーリ艦上にて降伏文書調印

9月10日 CCD(民間検閲支隊)放送事前検閲開始 

9月11日 東條英機撃たれる東條を急襲し日本軍人極悪化作戦開始 

9月27日朝10時15分 天皇とマッカーサーの第一次会談。会談は米国大使館で行われた。天皇が切望した会談であった。 

1946年1月19日 東京裁判開始 

1948年11月12日 東條英機死刑判決

1948年12月23日 東條英機処刑される

1951年5月3日 ダグラス・マッカーサー日本自衛戦争と証言

1951年9月8日 サンフランシスコ講和条約調印

1952年4月 中央公論5月号にUP通信のA・ホープライト記者が発表。日本独立後を見据えての、しかもアメリカの通信社の記者による発表だ。用意周到だ。心あるもの、満を持しての狂言自殺払拭行動開始、愚民化されたいたいけな子孫救出作戦開始と考えて間違いはないだろう。醜い迎合者やマスコミの目に余る先人冒涜の最中、満を持してのこの遺書には、愛国の思いが溢れている。

1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効。日本独立

1967年(昭和42年)3月.『 秘録 東京裁判 』清瀬一郎著 読売新聞社公刊著者晩年の年に読売新聞に51回連載した回想を、編集、公刊したものだ。

1967年6月27日 清瀬一郎(きよせ いちろう )没、行年83歳。

 

 1946年1月19日 東京裁判開始。パール判事や米国弁護団の日本自衛戦争論活発化。「1951年5月3日ダグラス・マッカーサー、米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会において、聖書に誓い、自衛戦争と証言」。1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効。日本独立。

 東條英機自殺まで終戦後わずか27日であり、米軍は行動開始直後であり、時間の経過は皆無と考えてよい。最近の歴史的推移を観察せば、思半(おもいなかば)に過ぐるものあらん(考えるだけでも思い当たるふしが多いのではないか)や、乃(すなわ)ち彼国人中にも「ひこくじんちゅうにも(彼の国の人間の中にも)」亦(ま)た往々「おうおう(あちこち)」斯く明言(戦争責任は戦勝国にあり)するものあり。など有り得ない。明らかに狂言自殺払拭のため、愚民化された子孫救出のため、1946年1月19日東京裁判開始以降、1952年中央公論5月号にUP通信のA・ホープライト記者が発表までの間に他人が書いた文書だ。両方出自は同じだ。清廉潔白の清瀬一郎検証、文意は東条発想(裁判以降の資料を参考にした)、文飾は、某氏の添削を経て完成が正解のようだ。醸し出す高揚感は、当事者のものではなく、第三者ものである。

 「この遺書は、自殺未遂を図った際に押収されたものである」と記載のブログもあるが、間違いである。対敵諜報部隊(CIC)によって押収された遺書は、前述の共同通信社が発見し報道した自殺未遂前日1945年9月10日日付のコピーされた遺書で、この遺書ではない。最後声明(前日日付の遺書)を発見押収(1045.9.21.付けCIC秘密文書)。ロバート・ビュートーワシントン大名誉教授は著書「東條英機」でこの遺書の英訳文の内容を紹介、日本語の原文は「行方不明」と指摘していた(1998.11.30.4面中国新聞)。

 狂言自殺払拭文作成は、遺族が頼んだのか、東條が頼んだのか、第三者が関与し頼んだのか、某氏の添削家が自発的に書いたのかは、定かではない。がこれだけは確かだ。自決時ではなく東京裁判以後の、子孫を思う心ある者の著述だ。

 遺書、遺書と呼称してきたが、大東亜戦争の弁明書及び日本国民激励書、と呼んでも差し支えない文意だ。

 東條英機の遺書と偽造された文書だが、東條の言動や姿勢と呼応し、四面楚歌の東條に成り切り、四面楚歌の護国軍兵士になりきり、戦争回避不可の日本の立場を弁明し激励し、今後を簡略明解に語っているのは間違いない。「文意の発案は東條本人で、文飾は、当時日本言論文筆及び史学界の最長老某氏の添削を経たものであり、その某氏自身が東條宅へこの案文を持って訪れていると証言している」とし、東條英機の弁護人を務めた清瀬一郎の著書『秘録 東京裁判』で遺書として掲載された。醜い迎合者の嵐の中、当時もそして現在も、回避という選択肢のなかった戦いであった日本の立場を語り、有り余るものがある。正しく死を前にして、清瀬一郎がこの遺書を偽書とせず、無視せず、国民の総意総大将東條英機の遺書として掲載した心根が、痛いほど染入る。「公」に殉じた東條英機、「公」に感動し遺書を成した心ある作者、単なる偽書として無視できなかった余命いくばくも無い清瀬一郎、ここには、殉じた3者の、輝く、琴線の呼応が在る。「人多ければ天に勝つ、天定れば人を破る、是れ天道の常則たり」英霊や先人のほとばしる子孫を思う国民総意の声が、正しくここには生きて在る。愚民化されたいたいけな子孫が目覚めぬ限り、子孫を思うこの先人のほとばしる総意の声は、絶える事など無い。18終章へつづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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