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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観中曽根靖国不参拝が中朝韓罪日物乞い化の全元凶無知櫻井よしこは騙り屋

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1中曽根靖国不参拝が中朝韓罪日物乞い化全元凶無知櫻井よしこは騙り 

検証脳皆無の無知か?人寄せ女パンダか?いつも核心に迫らぬうわべ保守騙りの櫻井よしこ!

2013.08.05 櫻井よしこ氏 靖国参拝を軍国主義に結びつける非難は間違い

 毎年8月15日の終戦記念日には約20万人が靖国神社を訪れ、240万柱を超える英霊に鎮魂の祈りを捧げる。自国を守るために戦死した先人の霊を悼む行為は国家指導者にとって万国共通の責務であるはずだが、我が国では残念ながらそうではない。なぜ首相の靖国参拝 かくも“政治問題”となってしまったのか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が解説する。

 * * *
 参院選での圧勝で、安倍政権はようやく「日本を取り戻す」、日本再興の出発点に立ったといえます。

 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への本格参加、福島の復興、原子力を含むエネルギー政策、日米同盟強化と普天間移設、憲法改正と、課題は山積しています。とりわけ歴史問題は、中韓両国がアメリカを巻き込む形を作り始め、日本は難しい立場に立たされようとしています。

 そうしたなかで安倍首相が果たして靖国神社を参拝するのかどうかが注目されている現状は周知のとおりです。8月15日かどうかはひとまず措いて、首相の参拝は日本の再興を果たしていくうえで、極めて重要な一歩になるはずです。

 靖国神社を参拝し、国家、国民のために殉じた幾百万の尊い英霊に感謝を捧げることが、首相としての当然の責務であることはもはや指摘する必要もないでしょう。それは日本人が日本の伝統・文化に根ざした価値観を守り、日本人としての心を大切に伝え続けることにつながります。軍国主義の復活や歴史修正主義に結びつけ、参拝を非難することは間違っています。

※週刊ポスト2013年8月16・23日号

「かくも“政治問題”となってしまった」原因は、中曽根靖国不参拝(凶産中国内政干渉の難癖に屈した)で、難癖の打ち出の小槌や靖国キャッシュカードを与え、以後も与え続けたからだ。

 この肝心要の基本問題にも迫りえぬ、櫻井よしこが所長の国家基本問題研究所とは、エセ保守騙り寄付金集め団体にすぎない!筆者(真実史観)が手弁当で、全くのゼロ(素人)から検証を開始したのは2006年である。以前からマスコミに専門家と称されもてはやされる櫻井よしこが、未だにこの有様は、検証回路皆無との明白な白状である!

愛国叫び商売櫻井よしこの歴史音痴
2004/02/14 在日コリアン社会を揺るがす国籍法改正案
 「日本の文化が朝鮮から来たのは歴然としている。奈良の大仏しかり。他の遺跡をみても日本の歴史文化は朝鮮半島から来たものから基礎が出来ている……日本もそのことをちゃんと認めないのが不思議でならない」

当時の韓半島南部は日本海洋文化圏の一地方である。日本の文化(稲作の伝播等々)は、航海に巧みな日本海洋民族が、中国から、半島南部や九州北部に持ち込み伝播したもので、朝鮮からではない

米議会ではなく調査局なのに、米専門家ではなく研究員なのに、「米議会や専門家」錯覚させ国民を洗脳するNHK

2013年8月3日 NHKニュース 米議会 終戦日の靖国参拝懸念

 アメリカ議会調査局は、先の参議院選挙の結果を受けて、安倍政権の経済政策などに期待を示す一方、今月15日の終戦の日に安倍総理大臣や閣僚が靖国神社に参拝した場合には周辺国との緊張を高めるとして、懸念を示す報告書をまとめました。

 アメリカ議会調査局は、2日、日米関係に関する報告書を新たにまとめました。それによりますと、先の参議院選挙の結果、「日本の政権が安定し継続していくことは過去数年間にわたるまひ状態からの歓迎すべき変化だ」と評価しています。

 そのうえで、「安倍総理大臣は、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉参加や、防衛力の強化といった、アメリカが促進する構想をこれまで以上に自由に追求できる」として、期待を示しています。

 一方で、報告書では、「日本と中国の関係は、沖縄県の尖閣諸島を巡ってこう着状態が続いている」と指摘しているほか、「アメリカの当局者は、日本と韓国の間で歴史認識を巡って意見の相違があることを懸念している」としています。

 そして、「今月15日の終戦の日に安倍総理大臣や閣僚が靖国神社に参拝した場合には、再び地域の緊張を高めるだろう」と指摘しています。

 今回の報告書は、アメリカ国内で安倍政権の経済政策などに期待が高まる一方、日本と周辺国の関係について懸念が根強いことをうかがわせるものとなっています。

米専門家“同盟関係妨げる不必要な挑発”

 ワシントンに本部があるシンクタンクのヘリテージ財団で、東アジアの政治を研究しているブルース・クリングナー上級研究員は、「歴史認識を巡る安倍総理大臣や閣僚の発言は、周辺国の日本に対する疑いをあおってきた」として懸念を示しました。

 そのうえでクリングナー氏は、「日本での歴史認識を巡る発言は非建設的で、日米韓の3か国の強固な関係を妨げる不必要な挑発となる。中国などにとって、みずからの行動から外国の目をそらせるきっかけを与えてしまう」と述べ、同盟国の足並みを乱しかねないという懸念を示しました。

※「議会~靖国参拝懸念」ではなく、「アメリカ議会調査局(議会の一部署)~靖国参拝懸念」=「NHK~靖国参拝懸念」。「米専門家」ではなく一研究員

 NHKが第三者を装い(NHKと合致する意見をつまみ食い引用)、さもアメリカ議会が懸念しているように錯覚させ、国民を印象操作し洗脳した、典型記事である。

 日本が騒いだらアメリカ大統領は、アーリントン墓地へ行かぬのか?子孫が自国の先人を祀った社に、参拝するのに、何の許可が要る!許可が必要な事自体が、異常!中朝韓罪日のスパイが、NHKを操った内政干渉である。異常なのは、内政干渉する中朝韓罪日と、手下のNHK

韓国が「参拝には対抗措置」と内政干渉恫喝

2013/08/06 新華経済 韓国政府が靖国問題で警告、「日本の閣僚が参拝すれば、必ず対抗措置をとる」―中国紙

 “8月15日”は東アジア人にとってかなり敏感な日にあたる。この日に日本の一部閣僚が靖国神社を参拝する意向を示したことで、韓国を激怒させている。6日付で環球時報が伝えた。

 韓国政府は5日、日本の閣僚に対し、「靖国神社を参拝しないよう」厳しく警告した。だが同日、菅義偉内閣官房長官は「閣僚が私人の立場で参拝するかどうかについて首相官邸は干渉しない」との立場を表明、まるで参拝を奨励するかのような発言だった。首相官邸は同日、安倍晋三首相が8月15日の靖国参拝を見送ることを決定したと発表している。

 これに先立ち、自民党の高市早苗政調会長が超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に“終戦記念日”に靖国神社を参拝する意向を届け出た。稲田朋美行革相も参拝する意向を表明。稲田氏はすでに首相官邸の許可も受けている。

 下村博文文部科学相は、昨年末の就任以降、すでに靖国参拝を済ませていることを明らかにしている。 これを受け、韓国政府は5日、日本の閣僚らによる靖国神社への参拝を「受け入れることはできない」と厳しく警告した。韓国外務省の趙泰永報道官は5日の記者会見で「日本の高官は靖国神社を参拝すべきではない。それでも参拝するのであれば、韓国政府は参拝した閣僚の具体的な状況に基づいて相応の措置を講じる」と述べた。

 韓国漢陽大学日本学国際比較研究所の李康民所長は、環球時報の取材に応じ、「日本政界の右傾化が勢いを増している。大勢の閣僚らが靖国神社を参拝しても意外ではない。昨今の韓日関係は氷点に達しており、韓国政府はこの事前警告のとおり、何らかの対抗措置をとるだろう」との見方を示した。(編集翻訳 小豆沢紀子)

東アジア人」=凶産支那人と朝鮮人。韓国政府=凶産支那人の思想戦。

米国の一部所意見を米国議会と洗脳した[2013年8月3日 NHKニュース 米議会 終戦日の靖国参拝懸念]呼応し、NHKは凶産支那人傀儡を自白している凶産中国!

2013/08/07 米国靖国参拝警告も…“わが国は抗議だけ”=中国版ツイッター

  中国版ツイッターを運営する新浪の軍事情報を伝える専用アカウント・新浪軍事は、米議会が日本の閣僚による靖国神社に対して強い懸念を示していることを伝えたところ、中国人ネットユーザーからさまざまな意見が寄せられた。

 米国の議会調査局は、15日の終戦の日に安倍晋三首相や閣僚が靖国神社に参拝した場合、周辺国との緊張を高めるとして懸念を示す報告書をまとめた。東アジアでの緊張は、米国の利益を損なうためだという。

 新浪軍事が同ニュースについて伝えたところ、「日本人は毎年参拝してるだろ。そして毎年強烈な抗議を受けている」、「中国は抗議することしかできないけどね」など、中国政府の対応が抗議でだけで終わることに対する不満の声が寄せられた。

 また、「米国は利益が損なわれるが、中国はメンツが潰される!」、「悔い改めることを知らない日本だから、靖国神社参拝は、日本の邪悪な欲望がなくなっておらず、過去の罪悪を黙認することを意味する!」など、強い嫌悪感を示すユーザーもいた。

 今回は米国からの忠告であるため、「小日本はご主人様の言うことをよく聞くよな」、「自分の家の犬をよく管理するのは当然のこと」など、日米関係は主従関係であるため、米国の忠告には耳を傾けるのではないかとの見解が示された。

 ほかには、「小日本は戦犯を拝むのは忘れないのに、原子爆弾の恨みは忘れちゃったのか?」、「靖国神社にはパールハーバーを攻撃した人が祭られているのを忘れたのか?」などコメントや、「だったら米国は靖国神社を解体してくれよ」という意見もあり、全体的には靖国神社参拝に反対の声が多かった(編集担当:畠山栄)

※「懸念」を「警告」に「偽造」。中国人ネットユーザー」となっているが、国民を装った凶産支那人の思想戦、騙りである。

言論の自由ではなく職責不履行で捏造の自由し放題の「言葉と文字界教授宦官と全く同じ」現実界なら給料泥棒詐欺

2013/08/13 ソース東亜日報(韓国語) 「日国民植民化政策支持…すべてが戦争黙認したこと」

▲荒井 晴彦(あらい はるひこ)教授(左側)と寺脇 研(てらわき けん)教授。二人は「今後も日本と日本人のアイデンティティに関する映画を作りたい」と明らかにした。

 15日封切られる日本エロス映画「戦争と一人の女」(井上淳一監督)。この映画は‘露出’だけでなく戦争に対する批判とその責任問題をメッセージとして投げて話題になった。坂口安吾の同名小説が原作のこの映画は第二次世界大戦終戦前後を背景に日本の戦争責任論を扱う。

前門の虎(凶産ソ中)後門の狼(欧米列強)白人と、有色人連合(日本・台湾・朝鮮・南洋・満州・南京汪兆銘)との戦いなので、「日本の戦争責任」など皆無!未だにWGIP丸鵜呑みは、思索脳皆無、職責不履行、給料泥棒自白

 主人公は「東条英機(日本総理で絞首刑される)はA級戦犯であり、天皇はなぜ戦犯でないのか」と批判する。製作費1200万円(約1億4000万ウォン)の独立映画だが日本では4月に封切り後、現在まで長期上映している。

 この映画の製作者は日本文部科学省傘下文化庁文化部長出身の寺脇 研、京都造形芸術大教授(62)。彼は35年の親交がある荒井 晴彦k日本映画大教授(67)と意気投合してこの作品を作った。荒井教授は韓国でも良く知られた映画「ヴァイブレータ」「KT」を書いた有名シナリオ作家であり、日本映画批評紙‘映画芸術’の編集者でもある。

 二人は12日、東亜日報とのインタビューで「日本の一部政治家と若者たちは過去の過ちをなかったことにしたがる。映画を通じて右傾化した日本のアイデンティティの話をしたかった」と語った。

右傾化」ではなく「覚醒」。「過去の過ち」は、WGIP丸鵜呑み!

 ―映画製作の契機が気になる。

▽寺脇=戦争について多様な角度で話したかった。この頃の戦争を扱った映画は大作や英雄物語一色だ。過去、日本の反戦映画は日本の原爆被害だけを取り上げた。だが、日本は戦争の被害者ながら加害者でもある。

 ―映画の中で主人公は日王(天皇)の命令で殺人と強盗、強姦をしたと話す。日王の責任に直接的言及した理由は….

先に喰うわなければ喰われる戦国時代に、善悪云々は無意味!

▽荒井=タブーを破るという意味もあるが、より大きな問題提起のためでもあった。日本が起こした戦争は少数の戦犯だけの責任ではない。‘命令を受けていわれるとおりにした’、‘私は何も知らない’と言うのは正しくない。

東進欧州、南下露西亜後のソ連、西進する米国、資源無き小国日本(籠城)すれば必滅。打って出るのは当然であろう!

 ―日本人すべてに戦争に対する責任があるという意味なのか。

▽荒井=植民化政策を行った時、日本人はさらに多くの豊かさを望んでその政策を支持した。国民全部が戦争を黙認したのだ。この頃の日本の若者たち中には‘いつまで謝罪をすべきか’というものもいる。日本のこういう姿はドイツと対比される。

ドイツはWW1復讐戦争で、日本は自存自衛戦争。日本は、座して必滅の轍を踏まなかった。

 ―自民党再執権後、右傾化の動きが明確だ。原因は何か.

▽寺脇=無関心だ。選挙投票率が50%程度だ。自民党が執権したことは全国民の25%程度の支持を得たからだ。多数の日本人は‘私は悪くない’という。しかし、このまま行けば日本は危険だ。周辺各国が日本を相手にせず孤独な人になるだろう。.

50%が「覚醒」で、残り50%は「WGIP」で、「覚醒初期」!

 ―映画を製作する時や上映する時、困難はなかったか。

▽寺脇=初期投資を受けるのが大変だったが、シナリオが良いと見られてからは順調だった。上映館を探すのも難しかったが、今は青少年観覧不可なのに両親が娘を連れて観覧したりもする。もちろん非難も受ける。製作スタッフと俳優が在日韓国人と言われることもある。しかし、安倍総理が日本を愛するように私もやはりわが国を愛する。過去を反省するのは私が愛国するやり方だ。ク・カイン記者

※罪日資本で作成の犯日プロパガンダであろう!「過去を反省」は、検証の職責不履行「過去を反省」と称しての「捏造の自由」し放題は、現実界なら給料泥棒詐欺罪。

 「現実や事実を完全無視で物語思考」する日本の「言葉と文字界」は、中国歴代王朝滅亡起因宦官」と、全く同じ!
 真実詳細は、「終戦のエンペラー」参照小国日本適者生存の術は共栄圏神道敬天愛人と孫文が一致大アジア主義 


丸暗記脳のみで思索脳皆無半端者スパイ自白する朝日新聞

2013年8月13日 asahi.com 社説:靖国参拝―政教分離を忘れるな

 政治は宗教と切り離されなければならない。それは現代民主主義の鉄則の一つである。

 日本の場合、その教訓は、先の大戦と破滅に至る道のりにあった。軍国主義と神道が密着した苦い経験をふまえ、平和国家の原則としてきた。

 その歴史に思いをはせるべき終戦記念日に、稲田行革相ら閣僚や自民党幹部が、靖国神社に参拝する意向を示している。

 安倍首相は閣僚の参拝を制限しない方針という。今春に麻生副総理ら4閣僚が参拝したときも「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」と述べた。

 政治家による15日の参拝が中国や韓国から批判を呼ぶかどうかという問題以前に、私たち自身の戦後の原則を忘れてはならない。

 首相や閣僚らの靖国参拝は、憲法の政教分離原則に照らして許されない疑いが強い。

 小泉元首相の靖国参拝を違憲と訴えた訴訟で最高裁は06年、原告の請求を退けた。これは訴えの利益を認めず、憲法判断を避けたにすぎない。地裁、高裁では違憲の指摘があった。

 憲法は、信教の自由を保障する一方、宗教団体が国から特権を受けることや、国やその機関による宗教的活動、宗教組織への公金支出を禁じている。

 それが明記されたのは、戦前・戦中、神道が軍国主義の精神的支柱となり、国のための死を正当化してきたからだ。

 とりわけ靖国神社は国家神道の中心的施設だった。戦後は一宗教法人になったが、国のために命を落とした人を神としてまつる宗教施設であることに変わりはない。

 国家の要職にある人々が参拝すれば、靖国神社を特別扱いしている印象は免れない。まして大々的に集団で赴くような行為は、政治パフォーマンスといわれても仕方あるまい。

 自民党は憲法改正草案で、政教分離に例外をつくろうとしている。「社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」とし、原則を緩めたい意向だ。

 宗教を儀礼や習俗といったあいまいな定義にすり替えて、どんな道をめざすというのか。

 もちろん、戦争で亡くなった多くの犠牲者を追悼したいという感情そのものは、遺族や大方の人々の自然な気持ちだろう。

 だからこそ、特定の宗教色がなく、誰でもわだかまりなく穏やかに追悼できる場を新設することが論議されてきた。

 長く積み残されてきたこの課題に取り組むことこそ、いまの政治家の責務ではないか。
戦後の原則(条約破りでかつ内政干渉の難癖)」は朝日新聞と中曽根首相と凶産中国癌国がつくったもので、それ以前は、何ら問題なし。この「戦後の原則」で、昭和天皇は靖国参拝を断念せざるを得なかった。

 「神道=宗教」は、思索脳皆無自白

 神道母は、地震津波風水火山等の創造主災害で、全生命体造物主が神。宗教は、全生命体の一部生命体人間で、人間が神。神道(造物主崇拝)は有史以前(7万年前)からで、宗教はたかだか2013年、次元も、歴史も、全く異なる!詳細は(1神道は人間人造の宗教に非ず神社母は地震津波風水火山創造主災害

 「やすらけき世を祈りしもいまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」は、万感の思いをしぼりだした昭和天皇、最後の御製である。「くやしく」は、表音丸暗記(思索脳皆無)の半端者には、永遠の謎であろう!

戦後68年間も歴史家不在の日本国民が総じて歴史家に成らねば国滅ぶ!

 戦後の復興に血と汗と涙で懸命な国民が託した歴史家は、68年間も不在だった!居たのは、職責不履行の税金泥棒、拝金主義の騙り屋、日和見の我欲幇間!輩は半端脳(丸暗記脳のみで思索脳皆無。現実生活の尺度が皆無)のみなので、一人前への覚醒自浄は、不可能!「半端脳の本場」、凶産中国や南北朝鮮や罪日が現物見本で、戦後68年間もの無検証が何よりの証拠である!

 このままでは国が滅ぶ!覚醒した我々国民一人一人が歴史家と成り、歴史家という職責を托せる子孫を育成しなければならない!

 政治家は、「歴史に任せる(腰抜け無知政治家の常套句)」と大そうな者に祀り上げるが、歴史家とは、そんな大それた者ではない。

 虚実混交の資料から、現実界の一般常識(歴史は現実界の出来事)を羅針盤に、真実のみを拾い出し、事実の年表を積み重ね、現実界の一般常識(現実生活の尺度)で、どう読み解くかが歴史家なのだ。歴史家に成れるかどうかは、現実界の一般常識が有るか否かで、知識(丸暗記)の有無ではない。これまではネットがなかったので知識は、丸暗記脳集団(東大や京大等の大学)の独占学問となっていた。がしかし現在は、最新の知識を、汗と涙と手弁当で日本ネチズンが開示し、刻々と更新している。現在はワンクリックで最新の知識を入手できるので、「更新皆無の丸暗記知識(東大や京大等の大学卒学歴)」など不要!

 つまり、半端脳の仮想現実界(「言葉と文字」が生活の糧)住人は不可能だが、現実生活に生きている(現実生活の尺度が有る)人であれば、「なぜ?どうして?」と考えることで、たちどころに全てが、歴史家に成れるのだ!

 一億総歴史家(考える人)と成り、真の歴史家を育成し、子孫に遺そう!

「言葉と文字界」の丸暗記脳半端者(思索脳皆無が束になって昭和天皇と日本を貶めた年表

昭和39(1964~72)年佐藤栄作首相終戦時44歳。

1965(昭和40)年韓国朴正熙日韓基本条約締結。凶産中ソの緩衝国が韓国なので、弱体化は凶産南下となる。結果、「おもてなし条約」となった。竹島は紛争処理事項として棚上げされた。

昭和40(1965)年日本韓国へODA1998年度まで有償資金協力6,455.27億円、無償資金協力47.24億円、技術協力実績239.94億円もの経済援助開始。愚民化捏造政策なので、非公開、韓国国民は一切知らない。 

1965(昭和40)年中国チベット占領文化大革命で同胞大虐殺開始。大虐殺開始以後中国国民の目をそらせるために、朝日新聞を占領し、歴史を捏造し本格的に日本叩きを開始した。

昭和40(1965)年10月19日昭和天皇参拝

昭和41(1966)年『南京作戦の真相』(東京情報社)五島広作(毎日新聞記者)と下野一霍の共著。南京事件の存在自体を疑う否定論としては最も早く出版された。

昭和42(1967)年4月朝日新聞広岡知男社長文革礼賛記事掲載。ソ連の手先尾崎秀実の流れを汲む狂惨分子一派が画策し日本のマスコミでは朝日新聞の特派員だけが、いち早く中国内での取材公認。以後朝日新聞は思想戦工作員の巣となる。仮想界真空時代の始まり

昭和42(1967)年『近代戦史の謎』(人物往来社)洞富雄著「南京大虐殺」肯定論。金儲け目的の捏造本。

昭和42年(1967~79)私利私欲赤化教授大内兵衛の弟子美濃部亮吉が、大内の説得で東京都知事。良いとこ取り摘み食い半端者政治で、財政がガタガタになった。戦後教授半端者の出来損ないを、実証

昭和43(1968)坂の上の雲(1968~72サンケイ夕刊)で明治を描き、二人しか居ない息子も戦死の、象と蟻戦争に勝利した乃木を、愚将と罵倒した司馬遼太郎実戦皆無終戦時22歳

昭和43(1968)年6月小笠原諸島返還。

昭和44(1969)年10月20日昭和天皇参拝

昭和45(1970)年10月21日朝日新聞広岡知男社長中国政府の意向に沿った記事を書くことを公言。(犯日作戦開始)
昭和46(1971)年6月17日沖縄返還協定調印
昭和46(1971)年日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)8月末より朝日新聞紙上に掲載された本多勝一記者の『中国の旅』。中国側の、言うがまま、無検証報道。朝日新聞南京虐殺犯日キャンペーン展開。(日中国交樹立の主導権を握るため、朝日新聞と凶産党犯日作戦プロパガンダ開始)2につづく⇒

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真実史観一億総白痴化(丸鵜呑み愚民化洗脳)から一億総歴史家(考える人)へ

一億総白痴化(丸鵜呑み愚民化洗脳)から一億総歴史家(考える人)

昭和47(1972)年5月15日沖縄返還。 密使、若泉 敬の尽力は忘れてはならない。

 全面禍福思考はここまで!以後は中国凶産朝日毎日新聞、NHKTV朝日TBS教授識者罪日工作員の思想戦に洗脳され、摘み食い半端者続出の日本となった。

 以後は中国北朝鮮の凶産や韓国工作員の思想戦の犬と化したマスコミや識者や迎合金儲け証言者続出の真空時代

 

いじめっ子(中朝韓罪日)と何でも言うことを聞くいじめられっ子(無知の偽善者)の始まり

昭和47(1972~74)年7月7日田中角栄首相終戦時27歳。民欺党小沢一郎まで続く私利私欲派閥議員時代の開幕で、拝金児遊官主党、民欺党の始まりである。官僚もこの辺から私利私欲に走るように成ったのではないか?天下り先の巣作り開始が始まりである。以後理念無きマスコミに洗脳され、政治理念無き政治家続出となり、理念が金に変化、2010年、戦後65年に至る。仮想界政治屋の真空時代の始まり。 

昭和47(1972)年9月 日中共同声明調印 中国共産党の卑劣な外交下での国交回復である。田中角栄首相(終戦時27歳)、周恩来首相(1898年生まれ終戦時47歳歴戦のつわものである)と調印。かっての誇り高き中国ではなく相手はギャングと同じ凶産、凶産と実体把握無き調印は、無知の調印で、あらゆることに難癖を付ける、始まりとなった。私利私欲検証能力皆無、無知の始まりである。

昭和481973)年大連生まれの元毎日新聞記者千田夏光(1924~2000)が「ジューグンイアンフ」という言葉を創作、『従軍慰安婦』出版「『挺身隊』として動員された朝鮮人女性20万人のうち、5~7万人が『イアンフ』にさせられた」と捏造。1993(平成5)2月『現代コリア』2~3月号(現代コリア研究所 刊)で、現代史研究家、加藤雅夫氏が、千田夏光著講談社文庫『従軍慰安婦』(講談社刊)の中の嘘を暴露。千田を問い詰めたところ、「従軍慰安婦」という言葉は千田が勝手に作ったもので、内容も島田俊彦著中公新書『関東軍在満陸軍の独走』(中央公論社刊)を参考にしたもので、直接取材はしていない事が判明した。

※戦後28年間、慰安婦を強制連行したなどと、日本人はおろか韓国人さえ言わなかった。なぜか?そんな事実はなかったからである。

昭和47(1974~76)年三木武夫首相終戦時38歳。

昭和49(1974)年

 「日本待望論」オリヴィエ・ジェルマントマ(1943~フランス国営放送プロデューサー作家。初代ドゴール研究所理事長総裁はアンドレーマルロー)1998.11産経新聞社

第五章アンドレ・マルロー「反回想録」1974年東京で昭和天皇に拝謁

 「なぜ、いにしえの日本に興味をお持ちなのですか?」

 「武士道なるものを興した民族が、騎士道を興した民族にとって、どうして無意味のはずがございましょうか?」

 しばし、間。天皇は、またも絨毯に視線を落としておられたが、

 「ああ、そう・・・。あなたがこの国に来られてまだ間もないということもあるでしょうけれど。しかし、あなたは、日本に来られてから、武士道のことを考えさせるようなものを一つでも見たことがありますかたった一つでも?

昭和50(1975)年8月15日三木首相参拝。他虐偽善者三木首相が、八月十五日の参拝を「首相としてではなく渋谷区南平台の一住民三木武夫として参拝します」と公式参拝ではなく私人としての参拝を力説。これ以後、公人私人などという特異な議論が、他虐偽善者マスコミの世界を支配するようになった。天皇は日本の象徴公人である、公人たる天皇は参拝しにくくなった。

昭和50(1975)年11月20日富田朝彦宮内庁長官が参議院で、明日の天皇靖国参拝は公人か私的行為かと厳しく糾弾された。吉国一郎内閣法制局長官は、憲法違反とまで言えないが、「第20条第3項の重大な問題になる(国の宗教活動の禁止)」と発言。神仏混交の錯誤、神道は宗教に非ず!真実史観日本は神の国(多神の国)宗教の国(多宗教の国)

昭和50(1975)年11月21日終戦30周年昭和天皇の参拝。これ以降参拝無し。

昭和51(1976~78)年福田赳夫首相終戦時40歳。

1976年(昭和51)中国周恩来、毛沢東死去、4人組逮捕で、文化大革命終焉。4月5日天安門事件①(民主化運動の原点)。二大巨頭の逝去で求心力を一気に失った凶産は、国民懐柔のため、言い成りの日本を仮想敵国とし、さらに犯日強化。

1977年(昭和52)中国小平復帰。

昭和53(1978~80)年大平正芳首相終戦時35歳。

昭和53(1978)年10月17日「昭和殉難者」としてA級戦犯14人が靖国神社に合祀

昭和53(1978)年10月23日小平副首相、中国から初めての来賓として来日。「入江相政日記」「・・・竹の間で『不幸な時代もありましたが』とご発言。鄧氏は『今のお言葉に感動しました』と。これは一種のハプニング・・・」両者共に、戦国時代を踏まえての発言である。

 10月25日鄧小平(副首相)の「尖閣列島棚上げ論(日本記者クラブ記者会見)」

 「尖閣列島は、我々は釣魚諸島と言います。だから名前も呼び方も違っております。だから、確かにこの点については、双方に食い違った見方があります。中日国交正常化の際も、双方はこの問題に触れないということを約束しました。今回、中日平和友好条約を交渉した際もやはり同じく、この問題に触れないということで一致しました。中国人の知恵からして、こういう方法しか考え出せません。

 というのは、その問題に触れますと、それははっきり言えなくなってしまいます。そこで、確かに一部のものはこういう問題を借りて、中日両国の関係に水を差したがっております。ですから、両国政府が交渉する際、この問題を避けるということが良いと思います。こういう問題は、一時棚上げにしてもかまわないと思います。10年棚上げにしてもかまいません。

 我々の、この世代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりません。次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。そのときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう」。

 鄧小平の「双方はこの問題に触れない・一致」は、凶産中国の一方的な言いがかりである「釣魚諸島領土問題」を取り下げたので、「双方はこの問題に触れない(中国は取り下げて触れず、日本は中国が取り下げたので触れず)」で、「一致」したので、「尖閣列島棚上げ論」で「一致」したのではない。

 「尖閣列島棚上げ論」は、「尖閣列島日本領有に問題有り」として俎上に日本を引き出すための、鄧小平の狡猾な小道具、切っ掛け(難癖)」である。

昭和54(1979)年から日本中国へODA有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円、無償資金協力約3兆円以上、合計総額六兆円以上の巨額な経済援助をし続けている。愚民化捏造政策なので、非公開、中国国民は一切知らない。日本凶産化工作資金を与えたのと同じ。表では笑顔で友好、裏では破壊工作が凶産の正体である。

1979年(昭和54)年 韓国朴正熙大統領射殺される。

1980年(昭和55)年 韓国クーデターで全斗煥軍事政権

昭和55(1980)年悪魔の飽食(あくまのほうしょく)は、満州国で731部隊が行っていたという人体実験の実態を詳しく書いたとして、話題を呼んだ。森村誠一(作家)が下里正樹(しんぶん赤旗の記者で当時共産党員)の取材で書いた本、彼らはノンフィクションと言っている。日本共産党のしんぶん赤旗日曜版で1980年代に連載され、後に光文社より単行本として出版(1982年)され、これが大きな社会的問題となった。注射針で体液を吸い出してミイラにする(現代でも不可能)。真空室にほうり込み、内臓が口、肛門、耳、目などからはみ出し破れる様子を記録映画に撮る(現実はこうならない)。など非現実な内容もさることながら、35枚中20枚の写真が偽写真だった事が判明し、結局これらの問題で、光文社は絶版とした(1983年に角川書店から、問題点を削除し加筆され再出版)元隊員と称する匿名証言の情報提供者から、下里正樹(しんぶん赤旗の記者)が取材し、それを基に書いたので、森村誠一(作家)は、情報提供者との直接取材ではないと主張している。なんとこの作家も大江や石原と同類の無検証貼り付け屋なのだ。下里正樹(しんぶん赤旗の記者)と、この無検証貼り付け屋が捏造してから、中国狂産党が日本国内の犯日が騒ぎ出した。(凶産党犯日作戦プロパガンダ)

 

昭和55(1980)年5月21日カトリックの総本山ヴァチカンに、ABC項目すべての戦犯が祀られた。「世界に開かれた昭和の戦争記念館〈第3巻〉大東亜戦争の秘話 (歴史パノラマ写真集) 」名越二荒之助著展転社 (1999/11)より抜粋。

 ――ローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の殉難者1068柱の霊が祀られている。連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級すべての日本人「法務死」者の霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのである。

 その多くはキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はない。皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えよう。

 時のローマ法王・パウロ六世に、日本人殉難者のためにミサを、と訴えたのは仏教徒の仲田順和師であった。

 昭和五十(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出たのである。

 順和師の父であり先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持している。

 先代座主の遺志をついだ真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)の仲田順和師の願いを、パウロ六世は快く承諾した。しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報であった。その後を襲ったパウロ一世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われた。

 その順和師のもとに、ヨハネ・パウロ二世から親書が届けられたのは五年後の昭和五十五年四月、内容は「五年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものであった。

 ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのである。

 パウロ六世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者千六十八柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年五月のことである。醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂氏が、三年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたもの。

 五月二十一日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ二世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われた。――

昭和55(1980~82)年鈴木善幸首相終戦時34歳。

昭和56年(1981)2月23日~26日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世はローマ法王として初めて来日した。この時、法王は慣例を破って皇居に天皇陛下を訪ねられた(2月24日11時皇居で天皇と会見。14時法王庁大使館で鈴木善行首相と会見)。法王が外国を訪問してその国の元首や首相に会う時は、その国の方々が法王を訪ねて会いに来るのが慣例となっており、法王の皇居訪問は前例のないことなので、問題となった。その時法王は、一身を捨ててマッカーサー元帥の前に立たれた天皇をたたえての訪問であることを、キリストの精神をたたえての訪問であることを、皆に説いた。皆は、その一言で納得した。

 戦前、共産の正体を狂惨と喝破したローマ法王のピオ11世は、反共戦争(日中戦争・支那事変・日華事変。1937年7月7日)が始まった年の10月に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよ」と。当時、共産ではなく狂惨(凶産)と喝破していたのは、全世界のカトリック信徒と日本だけだ。

 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世はポーランド人であった。参照→シベリア難民の孤児救出一世紀にわたり語り継がれる真実

昭和57(1982)年中・韓両国に対する鈴木内閣の屈辱的な土下座外交。『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』・文芸春秋

昭和57(1982)年教科書検定で政府が「『侵略』を『進出』と書き変えた」と朝日新聞の誤報事件。中国が抗議。

昭和57(1982~87)年中曽根康弘首相終戦時27歳。

昭和58(1983)『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(吉田清治著三一書房)金儲け目的の捏造本。

1983(昭和58)中国鄧小平主席

昭和59(1984)年昭和59年8月4日付け夕刊(朝日新聞大阪本社版)「南京大虐殺」でっちあげ報道。

昭和59(1984)年昭和59年10月31日付け毒ガス戦朝日新聞でっちあげ報道。

昭和60(1985)年2月田中角栄から離脱し竹下登創政会旗揚げ。

昭和60(1985)年7月朝日新聞「反靖国」キャンぺ―ン展開。8月14日初の靖国参拝反対声明発表。朝日新聞と人民日報が連携しながら犯日反対運動展開。

昭和60(1985)年8月15日中曽根首相参拝「内閣総理大臣たる中曽根康弘が参拝した」と言明し、公式参拝の声明。ところが「A級戦犯も祭る靖国神社への首相参拝はわが国人民の感情を傷つけた」として中が激しく抗議してきた。これに屈して、中曽根首相は春秋の例大祭も八月十五日も取り止めてしまった。中曽根首相が中国首脳の名をあげて「盟友支援のために参拝を中止した」という意味の演説。これが起因で以後犯日拡大。脅しの外交カードと成り、中韓に脅され莫大な援助となる。ここで「盟友支援・・・」などと阿諛追従せず、植民地独立付与宣言」を掲げ、楔を打てば、以後の中韓のゆすりたかり、陛下の参拝中止、犯日団の増長などなかった。亡国奴中曽根は、板垣征四郎の遺族正参院議員に分祀署名書を持たせ、回らせた。東條英機次男輝雄は「(靖国神社からではなく)他国の干渉に屈する形で分祀を認めることは出来無い」と正論で反対、他の6人は同意したが、靖国神社の強硬な反対もあり成立はしなかった(以後は全遺族反対)。輝雄は05年7月29日号週刊朝日にも「合祀されるという情報を、私はどこからも受けないうちに合祀されたわけです。聞いた瞬間、非常にありがたいことだと思いました。もし分祀すると靖国神社が決められたとしたら、私としては非常に残念だけれども、遺族は『それはいけない』という立場にはないと考えています」と、正論を述べている。増すごみは東條家だけ反対と非難したが、議論の余地など皆無の、至論

 己の思想皆無、私利私欲で欲に迎合、現在も懲りずに犯日扇動の風見鶏中曽根は、国賊である。毒饅頭(機密費)を配り世論操作可能だった中曽根の官房長官は後藤田正晴(82~83)、藤波考生(参拝83~85)、後藤田正晴分祀85~87)で、未だに大勲位などと擁護のマスコやナベツネ等は、毒饅頭仲間か?マスコミと毒饅頭の根の深さは、田母神諫言対処が白状、自民党自壊の元凶。

昭和60(1985)年朝日新聞と人民日報が連携しながら犯日反対運動展開の結果、中国は反靖国で中曽根の、以後の靖国参拝を中止させた。

昭和60(1985)年(抗日戦争終結40周年中国「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」開館。「抗日戦争記念館」の中身はといえば、日本軍の残虐ぶりをひたすら強調しようと探したが見つからず困り果て、しかたなく中国兵の伝統的猟奇的残虐手法を色々展示している。1986年6月4日天安門事件以降の江沢民政権で、南京事件は大々的に宣伝活動に利用され、対日批判プロパガンダのネタとして、日本政府から、外交上の譲歩を引き出すカードとして利用され続けている。30万人から中国の主張する南京犠牲者数は40万人以上と10万人も増加しており、年を追うごとに増加する事は異常である。語るに落ちている。基本条約を締結後、2003年まで、総額三兆円のODA (経済援助)、三兆円の有償援助の、合計六兆円もの巨額の経済援助を中国に与えている最中なのにだ!矜持皆無の国家だ愚民化政策なので、非公開、中国国民は一切知らない。

凶産中国犯日教育開始の切っ掛け(南京大虐殺紀念館)が田邊誠民主党群馬県総支部連合会常任顧問元日本社会党委員長

 南京大虐殺紀念館は、中華人民共和国の博物館。中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺紀念館と呼称。抗日(犯日)記念館の代表として中国共産党により愛国(犯日)主義教育基地に指定されている。

 田邊 誠(田辺 誠1992~ )民主党群馬県総支部連合会常任顧問は、衆議院議員(11期「)、日本社会党委員長(第11代)を歴任。

 田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう勧めた。中国共産党が資金不足を理由に建設は消極的だったので、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付。その資金で南京大虐殺紀念館が建設された。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた」元教科書是正訴訟事務局 事務局長 半本 茂

 1982年、田辺の再三の建設要求と破格の資金提供に対し、中国政府の鄧小平ならびに中国共産党中央委員会が、全国に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立して、愛国(犯日)主義教育を推進するよう指示。1983年、中国共産党江蘇省委員会と江蘇省政府は南京大虐殺紀念館を設立することを決定し、中国共産党南京市委員会と南京市政府に準備委員会を発足させた。鄧小平は1985年2月に南京を視察、建設予定の紀念館の館名を「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」と揮毫。

昭和61(1986)年「戦争体験出前噺」で、蜂起日本軍と戦友の戦争噺をネタに、本田立太郎(1914~2010)噺家旅行開始。少数拝金迎合者の下善上悪発言者は、朝日やピースボート(筑紫や辻本清美)等の後押しがあるので、金を貰って旅行も出来、中国凶産は上げ膳据え膳で歓迎した。

昭和61(1986)年藤尾正行文相「韓国併合、合理化発言」に韓国抗議。戦国時代力無き朝鮮、寄らば大樹の陰で選択したのが日本、武力併合ではないので世界が承認した。正論発言で→罷免

昭和61(1986)年8月1日「戦場にかける橋」の嘘と真実。岩波書店・永瀬隆志。風土病死を虐待犠牲者、ロウムシャ犠牲15万人(ほとんどが帰省し、事実は多数のみ)、能動戦争と捏造、極悪軍隊と貶め、謝罪することで偽善者ぶる永瀬隆志。迎合金儲け証言者のはしりで、皆騙された

昭和61(1986)年8月15日この年のこの日にも また靖国のみやしろのことに うれひはふかし」前年参拝の中曽根首相、一転して不参拝発表当日の歌。「この年のこの日にも」が御意、余命を悟られた御詠である。3年後の8月15日を迎えることなく、1月7日に崩御された。「この年のこの日にも(合祀は8年前、この年ではない。終戦後41年も経たこの大事な日におよんでも)また靖国のみやしろのことに(なぜ靖国不参拝に)うれひ国思わぬ輩に参拝の道を閉ざされた嘆き)はふかし」。分祀に非ずは、明白!

1987(昭和62)年韓国犯日パクリし便乗、8月15日(日本の終戦記念日)韓国ソウル市郊外に日本軍の残虐ぶりをひたすら強調しようと探したが見つからず困り果て、しかたなく朝鮮兵の伝統的猟奇的残虐手法を色々展示した独立記念館開館。日本は1998年まで、有償資金協力6,455.27億円、無償資金協力47.24億円、技術協力実績239.94億円もの経済援助をしている最中なのにだ!矜持皆無の国家だ愚民化政策なので、非公開、韓国国民は一切知らない。国賊風見鶏中曽根の愚行の結果である。表で友好、裏で破壊工作の証拠である。「中国ODA六兆円の闇」青木直人著祥伝社黄金文庫

昭和62(1987)年7月竹下登派(経世会)議員113名の最大派閥となる。私利私欲派閥議員の巣となり、日本国などポイ捨てされ、拝金児遊官主党となった。

昭和62(1987~89年竹下登首相終戦時21歳。

1988(昭和63)年韓国盧泰愚13代大統領韓国民主化政権。もう軍事政権の皮で包めないので、仮想敵国日本とし、マスコミ、罪日フル扇動して国家総動員の犯日の皮で、国内の、差別で砂の人心を、掌握し続けている。凶産並みのスポーツ選手強化も、同じ目的。NHK、TBS、TV朝日、毎日、朝日、国会議員等の、思想戦犯日工作員が証し。中国凶産の人心も砂で同じ。スパイ天国、これが日本の実体で、犯日はすべてが、思想戦工作員。歴史捏造韓国ドラマを垂れ流し、日本国民洗脳に必死なNHK(中国凶産と朝鮮と罪日の工作員)とTBS(毎日新聞。罪日と朝鮮の工作員)は、国賊TV朝日(朝日新聞。中国凶産と罪日)と同類の、報道の自由を隠れ蓑に捏造する、思想戦亡国報道社。

注・こんな厚顔無恥な輩が隣国支配なのだ、護憲派や九条の会は工作員、会員は洗脳された愚民

昭和63(1988)年4月22日奥野誠亮国土庁長官「(日中戦争について)日本に侵略の意図は無かった。盧溝橋事件は偶発的と発言」に中国韓国抗議。正論発言で→辞任

 4月28日分祀騒動の発端、富田メモ・卜部日記の日付。

 8月15日全国戦没者追悼式最後の御製やすらけき世を祈りしもいまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど

平成1昭和64(1989)年1月7日昭和天皇崩御

 この後、待ってましたとばかりに東大教授(丸暗記脳)御厨貴や、立花隆ナベツネ中曽根東大卒(丸暗記脳)や、日経らが工作し、「昭和天皇不参拝原因は戦犯合祀」と、捏造した。詳細は「てん皇靖国不参拝合祀に非ず犯日団英霊愚弄思想戦に慰霊の言葉喪失」 

 中曽根靖国不参拝が中朝韓罪日難癖の全元凶!未だに解明不能は、「言葉と文字界」は丸暗記脳のみで、検証脳皆無の無知かスパイとの自白である!

戦争勃発は職責者の無知やスパイ化が原因!

 田中角栄が米国や戦勝国等と歩調を合わせておけば、とうの昔か遅くともソ連崩壊時に、中国凶産解体しての軟着陸は可能で、無知愚民韓国の追随も無かった!ところが、あろうことか、この職責者どもは、犯日(悪行日本と捏造教育でヒトモドキに国民を洗脳改造した中韓に油を注ぎ(ODA等を与え続け)、ヒトモドキ化を促進したのだ!

 悪行日本と捏造教育されている被洗脳国民は、日本側の思い遣り、友好、援助、謝罪等は、コトゴトクが、「過去に日本が犯した悪行の償い懺悔」としか、当然考えない!結果、ヒトモドキと化した国民の日本への憎悪は、益々燃盛るのみ。そして中韓は、抗日テロ大国となり、強大な日本の敵国と相成った

 調教もせずの餌遣りで野良犬が大繁殖し、我が身が食われた!何たる愚行だ

 捏造犯日教育国家へ、思い遣り、友好、援助、謝罪等煽るは、戦争扇動者

 抗日テロ唯一の治療法で、かつ、自己防御が、人モドキ因子(平昌五輪等の支援)の根絶

 げに恐ろしきは、無知(思索脳皆無の丸暗記脳)なり!3につづく⇒

真実史観子孫よ安倍首相の靖国不参拝を嘆くな!安倍首相には思索脳が有る!

3子孫よ8月15日安倍首相の靖国不参拝を嘆くな安倍には思索脳が有る!

 立派な先人の子孫よ「考えろ」!条約締結後は、謝罪要求も、謝罪も、「条約破り」!もちろん、原爆投下謝罪要求等も。

 大事なのは、「首相の式辞からアジア諸国への加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉が、すっぽりと抜け落ちた2013年8月16日 朝日新聞社説)」ことである。

 「加害責任への反省を示す」ということは、先人とその先人に追随し、開闢以来の悪弊弱肉強食を破壊し、新秩序植民地独立付与宣言(互恵・平等・自由貿易)を成し遂げた世界の先人同胞に対して、犬死無駄死にであったとの限りない冒涜である!

 「第1次安倍内閣の07年には首相自身も『アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表す』と述べていた」。

 

 これ(冒頭の赤字部分)は、人類の英知である条約(復讐の連鎖の切断)に対しての、限り無い冒涜である!何の目的で条約を締結したのだ!「復讐の連鎖を切断」し、新たな時代構築のためではなかったのか!

 条約破り(中韓二国の謝罪や賠償要求)の宣戦布告に対し、締結国日本が率先して、条約破り(謝罪や賠償)三昧では、「復讐の連鎖」に逆戻りで、「条約の破棄」である。

 これは、新時代構築のために締結した条約を尊崇し厳守する、他の、真っ当な法治国家に対しての、限り無い冒涜で、宣戦布告である!

 

 「93年の細川護熙首相(当時)から歴代首相が踏襲してきた」この「条約破り」の愚行を、第2次安倍内閣は、2013年8月15日破壊した。断ち切った!このことが大事なのである!

 それは、米国等の残滓黄禍論者に「根回し」し、連携(角栄の轍は踏まず)した上での、包囲網(法治国家包囲網)外交の結果思索し確信と成り、構築されたものと見ていいだろう!彼もやっぱり、立派な先人の子孫なのだ、同胞よ!

「黄禍(有色人リベンジ)」が白人の恐怖

 日露戦争日本勝利以後の白人(食民治主義・凶産主義)の恐怖は、「有色人連合の黄禍」で、の両者は西安事件以後、この「黄禍論」一点のみで連合した。
 結果、蒋介石汪兆銘中国と共同の日本の反共戦は、西安事件以後、蒋介石軍が裏切って分裂(蒋介石と毛沢東の国共合作)したため、汪兆銘南京政府日本連合軍との、反共戦に変化した。そして、隠れていたもう一方の白人、食民治主義国が正体を現し、白色連合の有色人潰し、「黄禍殲滅戦争」が、開始されたのである。
 「」は、戦後すぐの朝鮮戦争、米国の狩り、そして冷戦が、証拠!もし日本戦わざれば、ソ中凶産か米英、いずれかの属国と成り下がり、国名も失せ、日本族呼称となっていた。
 日中戦争ではなく!日中連合反共戦争が、正当な呼称である!

 日中合作は即座に、有色人対白人の「黄禍」と成り得る。戦後の台湾韓国、そして、日中条約以後の中国の大躍進(世界第二の大国)は、日本抜きでは語れないのが証拠。

 有色人対白人のキーは日本の手中に有るのであって、中国や韓半島ではないことを、このことは実証した。

 時の権力者(食民治主義と凶産主義の白人連合)追い詰められての大東亜戦争は、八紘一宇の「互恵平等ブロック経済の破壊」で対峙目的なので、「白人対有色人戦争」は、もとより、先人の意志ではない!目的完遂(凶産国や捏造国のみが残滓)の現在は、もちろん、先人の遺志でもない!

 これ等を踏まえ、「白人の黄禍の恐怖」を払拭すれば、「白人と有色人連合」による、中国と韓半島のドーナツ包囲網が構築可能となり、人間(人モドキの支那人や朝鮮人)を、人間へ導くことが出来る。

 田中角栄が米国や戦勝国等と歩調を合わせておけば、とうの昔か遅くともソ連崩壊時に、中国凶産解体しての軟着陸は、可能であった。角栄等、国民が負託した職責者(教授やNHK等の報道各社)の無知無能売国が、消えかかった火(中国凶産)に油を注ぎ、大火となったのである!

 

人類(真実が基幹の真人間)の敵!捏造三昧ヒトモドキ(中朝韓罪日)駆除作戦開始!

2013年9月28日 グレンデール慰安婦追悼平和の少女像建設を記念して製作した連邦郵政局(US PS)の特別消印、早期に回収。今月4日、グレンデール中央郵便局を平和の少女像郵便局に指定した方針も、撤回

2013年10月05日 日経 日米豪外相、中国けん制 共同声明を発表

 岸田文雄外相、米国のケリー国務長官、オーストラリアのビショップ外相は4日午後(日本時間同)、インドネシア・バリ島で戦略対話を開き、共同声明を発表した。沖縄県・尖閣諸島をめぐる中国の動きを念頭に「東シナ海で現状を変更し得る威圧的、一方的な、いかなる行動にも反対する」とけん制した。

 中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部加盟国が領有権を争う南シナ海の問題に関しても「航行の自由」確保や国際規範の順守の重要性を明記した。――

2013/10/20 (共同) 無人機が警告無視なら撃墜も、対処方針今月11日に首相が了承。

2013.10.18  (共同) 母は日本人米太平洋艦隊司令官に横須賀生まれのハリス大将

 【ワシントン=小雲規生】米ハワイの真珠湾で17日までに米太平洋艦隊の司令官交代式が行われ、日本生まれのハリー・ハリス海軍大将が新司令官に就任した。交代式でハリス大将は「アジア太平洋地域の同盟国、友好国と緊密に連携する」と表明。中国の西太平洋進出の動きを踏まえたリバランス(軍事力の再均衡)戦略を遂行する考えを示した。

 ハリス大将は神奈川県横須賀市で、米国人の父親と日本人の母親の間に生まれ、米南部テネシー州などで育った。1978年に米海軍士官学校を卒業し、2011年からは統合参謀本部議長の補佐官として、国務長官らへの助言などを行ってきた。

 日本人の血統を持つ同艦隊司令官は初めて

2013年10月19日 豪外相韓国にて「日本は軍国主義に向かわない」と支持 

 

 今回の不参拝は、不参拝でも難癖の証拠固め(靖国難癖は手口の一つにすぎず、犯日教育や日本叩きは、自国民大虐殺の矛先逸らしが最大目的なので、現政権が続く限り、永遠に止まない)で、次回参拝を確実化したにすぎないと、推察する。

朝鮮人や台湾人を矢面に立たせなかった日本軍
 大東亜戦争の朝鮮人戦死者は皆志願兵で、日本人のような強制兵役ではない!南北で2万2182人。台湾も皆志願兵で、3万304人で、強制兵役徴兵ではない(矢面にしなかった)。日本は強制兵役、徴兵で、234万2341人が戦死。さらに米軍に80万人の市民が原爆空爆で、大虐殺されたが、朝鮮人のような軍対民の同胞殺し合い(朝鮮同胞虐殺)、無駄死に、犬死ではない。有色人解放のとなり、開闢以来の新秩序、「植民地独立付与宣言1960年」を産んだ!
 日本がこの大虐殺を不問に付しているのを誤解している人がいるが、人類の英知である条約(復習の連鎖の切断)を締結したからであって、日本が悪かったからでは、断じてない!条約締結後も無法国家中韓や戦勝国の一部は、「条約破りのし放題」だが、日本「不問」は、条約尊崇法治国家日本だからなのである。
 働き手を強制兵役でとられた日本は、老人女子供までもが銃後の守りにつき、台湾人や朝鮮人や同盟国汪兆銘の南京政府の中国人を、有給で募集し、おぎなった。
 日本国存亡の危機に際し、当時日本人であったが、強制兵役除外の朝鮮人が、有給で働くぐらいは、当然であろう。それを「強制連行」と捏造し難癖をつけ「泣き売」し、「金よこせ」と恐喝している。「群馬の森の捏造碑」も、同じ手口!年表を繰る思考力(学習能力)があれば、子供でもわかることだ。
 朝鮮人や罪日の原爆や慰安婦や強制連行や関東大震災等々の碑や碑文は、すべてが捏造で、「泣き売」のソースが、目的。宿主日本に寄生する害虫(蚤や虱)の(五月蝿い難癖付け蝿の餌)なので、虱潰しに調べ、「糞除去」か、「五月蝿い難癖付け蝿の餌蚤や虱の糞注意」の立て看板を併設し、職責不履行やスパイに洗脳された宿主無辜無知の日本人に、早急に知らしめなけれならない!伝染病を媒介する害虫駆除の、それが、第一歩である!

 

条約締結後は加害者被害者敗戦国戦勝国は消滅し両国平等原則で謝罪も条約破り

 謝罪や賠償要求や訴訟ラッシュや日本叩きが、ここまで拡大した原因は、職責者「言葉と文字」の無知と職責不履行である。

 「復讐の連鎖の切断」が条約の基本原則で、締結両者平等(加害者・被害者、戦勝国・敗戦国は、消滅)となり、締結以前±は全て消滅し、ゼロとなる(±⇒条約締結⇒0)。条約締結の「謝罪」は、過去の±逆戻りの蒸し返しとなり、「条約破り」となる。「断じて振り向くな!前進せよ!」が、人類の英知、条約締結の基本原則!輩はこのことを知らず、最も安易な謝罪三昧に走り、敵(中韓)の、思う壺にはまった!有識者皆無日本の、始まりである! 

 立法府の謝罪(条約破り)三昧、海部、宮沢、河野洋平、細川、羽田、村山富市、土井たか子、橋本、小渕、野中広務、森嘉郎、小泉、鳩山、菅、地方議会(慰安婦意見書決議)等々が、「条約破り」を拡大した。司法も、西松建設判決で条約破りの禁を犯し、アジア女性基金(条約破り)の轍を踏んだ。

 謝罪や賠償要求や訴訟ラッシュ返答は、「日本は法治国家!条約で解決済み!世界を見習え!中韓のみが条約破りだ!」一行で、済んだ事だ!

 ちなみにこの時代は小沢一郎が暗躍した時代で、担ぐ御輿は軽い方が好いの、軽い御輿(竹下宇野、海部宮沢細川羽田村山橋本、鳩山菅)の時代である。自民党角栄派閥を色と金で傀儡化した中国凶産は、小沢一郎を使い、謀り、民主党誕生で成功した。民主党議員143名を引き連れ小沢一郎得意満面訪中時の、「こちらのお国(中国)に例えれば、解放の戦いはまだ済んでいない。来年7月に最終の決戦がある。人民解放軍でいえば、野戦の軍司令官として頑張っていると伝えた」発言は、傀儡との自白である!

 現在の訴訟ラッシュは、立法府の謝罪(条約破り)三昧と、司法府の3馬鹿裁判官(西松建設判決)が、「条約破りの禁」を犯した報いである。詳細条約締結後は謝罪も条約破り!加害被害敗戦戦勝も消滅し両国平等! 

 この凶産支那人と朝鮮人の愚行は、阿吽の呼吸は国内だけに止め、国際的には、「人道や人権」をいかに冠しようとも、「条約破り」や「遡及法」や「内政干渉」は、断じて崩してはならぬ「砦」という、教訓である。

 

 まさに、「情に棹させば流される」、歴史に学ばず、日本の立ち位置(座標軸・時系列位置)を完全に見失った結果である。

 

 河野村山談話やアジア女性基金等々は明白な条約破り(追加要求が無ければ「思い遣り」で終わったのだが、追加要求が際限なく拡大し、「条約破り」となった!だが、見直しや破棄などと狭小部分に固執せず、下記のように、「内政干渉(靖国参拝や教科書等)」をも一刀両断が、賢者の策

 

靖国宣言(条約破りや国政侵略である内政干渉の切断)

 「戦後条約締結の、これまでの全ての謝罪(戦争・慰安婦・アジア女性基金等々)は、人類の英知である条約(復讐の連鎖の切断)への、限り無い冒涜であり、かつ、条約破りは明々白々でした。日本国民一同三省し、条約締結各国の皆々様に、深くお詫び致します。現代の性暴力被害者支援事業に対しては、積極的に取り組む所存ですが、今後、いかなる事由が有ろうとも、一切を切断し、人類の英知である条約締結を尊崇し、厳守することを、ここに誓います。内閣総理大臣 安倍晋三」

 

 内政干渉条約破りの無法は、国家に非ずの烏合の衆。国交外交の、資格無し!首相が先陣を切り、三木・中曽根以前のように「参拝は当然」を復活させ、かつ、参拝を恒常化して、参拝の国内障害切断すれば、人モドキの中朝韓が何とわめこうが、A項目戦犯合祀が不参拝の理由に非ずのわれらが「天皇」は、必ずや参拝する。不参拝は、職責者(教授NHKマスコミ立法司法行政等)の、給料泥棒(職責不履行)売国が原因!

 

日本正常化への前進 

2013.10.18  超党派157議員が靖国参拝

 超党派「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久元参院副議長)の157人が参拝。自民党の高市早苗政調会長ら衆院114人と、参院43人。平成にでは今年4月の例大祭の166人に次いで多く、秋では最多。議員の所属は自民、民主、日本維新、みんな、生活、新党大地の5党。

 ※このような参拝の恒常化(平成最多)が、われらが「天皇」参拝への、大きな道標となる。昭和天皇が果せなかった思いを、現天皇には、なんとしても果していただきたい。それが国民の総意である!日本正常化へのゴールは、近い!日本の洗濯を、急ごう!

 

安倍首相三度の配慮(春夏秋不参拝)でも難癖三昧中韓

2013.10.18  (共同)中国外務省

 中国外務省の劉振民外務次官は18日、日本の閣僚や国会議員による靖国神社参拝を受けて木寺昌人駐中国大使を呼び強烈な不満と厳重な非難」を申し入れた。

 中国外務省の華春瑩報道官は同日の定例記者会見で「軍国主義や侵略の歴史を美化しており、断固として反対する」と、あらためて中国側の主張を強調した。――

 中国外務省は、8月15日に閣僚が参拝した際も同様の対応を取った。

2013.10.18  (共同)韓国外務省

 韓国外務省当局者は18日、新藤義孝総務相らが靖国神社を秋季例大祭に合わせて参拝したことについて「日本の政治家が歴史に対する謙虚な反省を基に周辺国と信頼を築く言動をするよう求める」と批判した。当局者は「日本の政治家は侵略の歴史を正当化する靖国神社を参拝してはならないというのが、韓国政府の一貫した立場だ」とあらためて強調した。――

 

靖国宣言(条約破りや国政侵略である内政干渉の切断)決断は!この

 ヒトモドキ(内政干渉や条約破り等々)要求に配慮し、人モドキ三昧(おかわりの催促)たらしめた一端の責任は、日本にも有る。中朝韓ヒトモドキ極致こそ、引導を渡して(参拝)「おかわりの催促」を切断し、「人への道(天道)」を人モドキ知らしめ、諌め、諭し、「人モドキ」との新な時代を構築する、一刀両断靖国宣言」、ゼッコウのチャンスである!

 中韓の会談承諾受信では、「靖国を三度も参拝しなかったから会談を承諾したので、今後も、参拝したら二度と会談しない」となり、今度は逆に、中韓のカードとなる。

 春夏秋と三度の不参拝で、黄禍論者残滓説得の言質は、充分に取れた、中韓の会談承諾受信の今こそ、即座に参拝、「靖国宣言」が賢者の策である!中朝韓と断絶谷底の期間、まさに今こそが、中朝韓のヒトモドキ靖国カードを無効化し、人モドキ人間にいざなう、ゼッコウのチャンスなのだ!

 いじめっ子(中朝韓と白人黄禍論者)のお遊び(日本先人嘲弄)に、あと何年付き合うつもりだ!先人の、憤怒の涙すらも見えぬのか!理無き難癖三昧など、一過性。心有るなら、今が決断の時、ただちにクサビ打て

 「参拝会談以外皆無」は、重々自覚したようだ(2013.10.20新報道2001)!

 

日本軍「公娼」に非ず!「洋公主私娼16人」の偽証が根拠の「河野談話」!

2013.10.16 msn産経 元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り 慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧 河野談話の根拠崩れる

 産経新聞は15日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。

 5年7月26日から30日までの5日間、ソウルで実施した聞き取り調査に関しては9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」と証言している。ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった

 産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が描写されている。

 しかし、資料としての信頼性は薄い。当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。

 肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの「カン」などと漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる箇所も存在する。

 大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言もある。元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして報告書に記述している部分もあった。

 また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。

 日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安(アン)秉(ビョン)直(ジク)ソウル大教授(当時)が中心となって4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に5~6回面会した結果、「証言者が意図的に事実を歪(わい)曲(きょく)していると思われるケース」(安氏)があったため、採用したのは19人だった。

 政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない

 談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し「私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信(しん)憑(ぴょう)性(せい)を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる」と語った。

 

河野談話――

 慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集移送管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。 

要求されれば無思考で、何でも受け入れ謝る思索脳皆無「ハト派(加藤紘一宮沢河野等)」のていたらくである!

 三木中曽根から麻生まで続いた自民党の悪業を、一刀両断し、根絶出来るか!第二次安倍晋三首相よ!「靖国宣言(条約破りや国政侵略である内政干渉の切断)」不可なら、自民党に、明日は無い!  

 

おさらい

日本を敵国化しての難癖(日本叩き)は自国民大虐殺矛先を反らしての人心懐柔が目的

 日中戦争大東亜戦争の中国犠牲者数は132万人(連合国報告書)。朝鮮は志願兵で2万2182人(靖国合祀)のみ。

 大東亜戦争後の無駄死に同胞殺し中国は、5000万人以上+文化大革命の犠牲者。朝鮮は、朝鮮戦争449万人+北朝鮮不明+8万人以上+60~120万人(四・三や保導連盟等)。

 ちなみに日本は、234万2341人(靖国合祀)が戦死し、さらに米軍に80万人以上の市民が原爆空爆で、虐殺された。がしかし、戦争目的(互恵・平等・ブロック経済破壊)を完遂しての犠牲者である。中国や朝鮮のごとき、共食い無駄死にではない!

 中朝韓はなんとも圧倒的な無駄死にの同胞殺しである。支那人や朝鮮人は人類中特異な唯物(拝金)民族で、「ヒトの心」が無いヒトモドキである。このままではヒトモドキの復讐の連鎖で内乱は拡大するばかりで収まらない。結果、日本を敵国化(捏造犯日教育で国民を洗脳)し、矛先を日本に反らし、砂の人心を懐柔した。中朝は凶産独裁、韓国は米国後見で可能となった。ところが韓国は、1988(昭和63)年民主化大統領13代盧泰愚政権となったため、これまでのように独裁軍事政権で封じ込めは、不可能となった。その結果、教授やマスコミ等を総動員(真実よりも金の特異民族なので金で釣れば入れ食いである)しての捏造犯日報道やドラマ等で、より過酷な「日本叩き」が始まり拡大し続け、現代の惨状となった!凶産中朝も、指導者(毛沢東、周恩来、金日成)死去後過酷に拡大した。

 つまり、靖国参拝不参拝などは全く無関係の単なる矛先反らし道具の一つに過ぎず、しかも、支那人や朝鮮人が真実に覚醒するまでは、反省が無い等々の捏造難癖日本叩きは、続くという事である。配慮する方が愚者

 

未だに黄禍論者残滓混在するアメリカ!

2013.10.19 (共同) 歴史問題「対話解決を」 閣僚靖国参拝で米国務省

 米国務省のサキ報道官は18日の記者会見で、新藤義孝総務相らによる靖国神社参拝に関し「日本に対話を通じて歴史問題の解決に取り組むよう促している」と述べ、参拝を批判する中国、韓国との関係改善へ日本が一層努力するよう求めた

 報道官は「この地域の平和は米国の利益にも直結する」と述べ、東アジア地域の安定を重視する立場を重ねて表明した。靖国参拝判断の是非については「コメントしない」として踏み込んだ言及を避けた。

 ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が今月3日、訪問先の都内で靖国神社ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ献花した理由については「従軍経験がある両長官が望んだことだ」と説明するにとどめた。

 

異常(国政侵略)から正常

 浅慮ヒトモドキで深慮が無い凶産支那人や朝鮮人を、人扱いするのがそもそもの間違い!人モドキ中朝韓罪日の日本への難癖(条約破りや国政侵略である内政干渉)は、自国民懐柔目的捏造犯日教育が原因。配慮(軍門に下れば)すれば、屈服したと狂喜乱舞し益々捏造犯日教育(日本憎悪)を拡大してきた。条約締結以後、これの繰り返しである。その結果が尖閣や南京や竹島や慰安婦等々である。人モドキの難癖を、初期の段階で断固切断しておればこうは成らなかった。相互の不幸は、外交の失敗である!

 互恵皆無で、上下のみの思考回路しかない人モドキへの配慮は、屈服としか取らない。人モドキへの配慮は屈服百害あって一利なし!配慮(軍門に下れば)は、対日戦争を扇動するだけである!

 ドアは開放し、かつ、配慮(春・夏・秋三度の首相不参拝)したにもかかわらず、相も変らぬ難癖三昧一辺倒は、靖国参拝が外交の障害ではないという「中・韓」の言質は、十二分にに取れた。これで、黄禍論者残滓も納得するであろう。

 これでも解らず未だに連合軍は正義を騙る捏造難癖の米英加豪等の黄禍論者残滓には、「中韓台の大躍進を、日本抜きで考えるのか?日台中韓合作になれば、黄禍論者が最も恐れた有色人対白人のWW3となる。それでもいいのか!。「かねてより八紘一宇で、人種平等の魁と成ったのが日本!世界の黄禍は、ご覧のように犯日の中朝韓のみである!黄禍日本と白人を扇動洗脳して、人類最大の愚行を犯したのがルーズベルトである!愚行の轍を踏むな!」と一喝し、一掃せよ!

 靖国参拝や教科書等々の内政干渉(国政侵略)国難に、正論(天道)すらも掲げ得ぬ職責者「言葉と文字界」は、天道皆無(日本人に非ず)の拝金(中朝韓罪日のスパイ)異常集団と正体を露わにした。

 ペーパードライバー(現実界常識欠落者)のくせに、F1ライバー(専門家)騙り日本の元凶、「言葉と文字界(税金泥棒や詐欺師)」の大掃除と、人モドキ中朝韓罪日の唯我独尊愚考を、「世界に発信」が、総仕上げである。奮戦の志士よ!汗と涙のゴール正常清浄日本は、間近だ!

 

2013/09/08 動画 「日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」日本統治下台湾の楊素秋さん(81歳)証言

 

戦後68年間も歴史家不在の日本!国民が総じて歴史家に成らねば国滅ぶ!

 戦後の復興に汗と涙で懸命な国民が託した歴史家は、WGIPを記憶したHDDのみで、68年間も日本の役立たずのみならず、逆に、NHK、朝日新聞、毎日新聞等と共に中朝韓の捏造反日宣伝を扇動し、戦争起因を拡大中である!丸暗記のみの更新皆無のHDDなので、自浄回路など当然無い!

 このままでは先人九九年間の護国が潰え、国が滅ぶ!覚醒した我々国民一人一人が歴史家と成り、歴史家という職責を托せる子孫を新規に、育成しなければならない!

 

 (造物主)賽を振らない!

 歴史もまた、賽を振らない!

 

 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観自前管理の人間扱い!国連捏造共謀“洋公主”現地調達使い捨ての物扱い

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自前管理の人間扱い!国連捏造共謀“洋公主”現地調達使い捨ての物扱い

2014.11.27 05:10 産経ニュース抜粋は真実史観の感想
米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに
 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
 「米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた(文末リンク)。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。※米国聖戦論者が公開妨害か?
 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。極端に少ない日本の戦争犯罪!
 報告の序文でIWG委員長代行スティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。※米国聖戦論者の本音!
 報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。 慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた。※当時の常識!

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。

【ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。
 マイケル・ヨン氏の記事を和訳
 
日韓問題:第二次世界大戦中、韓国男性が臆病者だったとでも言うつもりか?
ケント・ギルバート氏

 マイケル・ヨン氏「今までほとんど誰も存在すら知らなかったIWGの報告書を読んで欲しい。もし全部を読む時間が無いようなら、報告書の中で慰安婦(Comfort Women)を検索して、その部分だけでも注意深く読んで欲しい」
かっての敵国アメリカが8年30億円かけて日本先人の潔白を証明した「最終!」検証報告書
Nazi War Crimes & Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group
Final Report to the United States Congress April 2007
http://www.archives.gov/iwg/reports/final-report-2007.pdf


国の捏造や捏造慰安婦は、コリアン売春婦ここにますの看板

「Don’t Korean

韓国パククネ自滅大統領!何でもかんでもKoreanコリアン=捏造)Koreanするな!
 田原総一郎等々の思索回路無き欠陥者やスパイが、パククネは親日と、のたまうが、まことの親日なら、犯日真っ盛りの最中に、大統領になどならなかった。まことの親日なら、捏造犯日の巨大なブーメランで、完膚なきまでに祖国韓国が自滅した時に、救世主として登場したはずである。何でもKorean(捏造)の自滅に、さらに拍車をかけているのが、パク・クネ自滅大統領である!

女性を物扱い(性奴隷)は、李朝差別500年のコリアン悪癖!
2014年10月16日自殺した韓国女優チャン・ジョヤンさん、「両親の命日も性接待させられた」―中国メディア
 台湾メディアによると、2009年に首つり自殺した韓国の女優、チャン・ジャヨンさんが残した遺書に、事務所幹部から「性接待」を100回以上も強要されていたとつづっていたことが分かった。「両親の命日にも4人同時に相手をさせられた」という。15日付で網易娯楽が伝えた。
 ジャヨンさんの遺書には性接待の相手として、大企業新聞社の幹部、芸能界の権力者などが名指しされており、「新しい服を着る日は、新しい男と寝なければならない日。両親の命日にも4人同時に相手をさせられた」と屈辱の日々がつづられている。
 事務所の「接待要員」にされ、2005年から取引先との枕営業を100回以上も命じられてきた。抵抗すれば、ひどく殴られる。心身ともに疲れ切ったジャヨンさんは、50通、230ページにわたる遺書に性接待させられた場所や相手を克明に記し、「死んだ後でも必ず復讐してやる」と誓っていた。
 韓流ドラマ「花より男子」でブレイクしたが、性接待は4年間休みなく続いた。自殺から5年、高等裁判所は事務所社長に慰謝料2400万ウォンの支払いを命じた。(編集翻訳 小豆沢紀子)

泣き売」偽証慰安婦(私娼・朝鮮内乱犠牲者・便乗老婆)加害者韓国軍国連軍
 売春婦は人類最古の職業、当然、当時も居た。日本軍公娼(エリート売春婦)はほんの一握りで、私娼窟売春婦は数多なのに、中朝韓はほんの一握りの日本軍公娼慰安婦を針小棒大に拡大、はるかに多かった私娼窟の売春婦は隠蔽し、皆無のごとく宣伝した。結果、「すべての売春婦=従軍慰安婦」と。無辜無知の各国国民はだまされた。

 常識で考えてみよう!日本軍公娼慰安婦はエリート高給取り、年季明けで、帰国した。私娼窟私娼売春婦は、まさに性奴隷であった。現在の慰安婦証言者は、私娼窟の売春婦か、日本撤退後の朝鮮内乱や朝鮮戦争の犠牲者か、身より無き老婆とに大別される。参照(当時の日本の警察が捕らえた人身売買性奴隷誘拐犯朝鮮人の新聞記事⇒2014/08/11

 日本非難の慰安婦被害者証言の加害者は日本ではなく、朝鮮戦争の国連軍(従軍慰安婦で日本非難議決国=米韓加豪蘭比EU)や韓国軍私娼斡旋業者私娼窟父母親族。相手が自国の韓国軍や戦勝国や私娼斡旋業者私娼窟父母親族では、ただの売春婦扱いされ金も取れないので、敗戦日本の軍隊にすり替え、被害者証言「泣き売」を展開し、主語すり替えの偽証で生きる糧を得た。
 また、身より無き老婆も、便乗偽証で生きるための糧を得た。
参照⇒ローマ法王看破!ミサ7人の老女は朝鮮戦争犠牲者か洋公主!


洋公主(歴史的
事実皆無の日本大使館前水曜デモは偽証自白
 偽証(検証皆無の証言)が歴史的事実として跳梁跋扈するなら、捏造混乱暗黒の、戦国時代に逆戻り
 日本敗戦撤退後の国連軍や韓国軍相手の売春婦洋公主に、日本軍の公娼を騙らせ、自国の済州島(島民4人に1人の8万人以上の大虐殺)や、保導連盟(120万人以上の大虐殺)や、国民防衛軍事件(10万人以上の大虐殺)等々朝鮮ナチ大虐殺の、ホロコースト隠蔽を謀る、卑劣な捏造国家、韓国!

歴史は
で、ではない!捏造団は子供騙し点攻撃なので、線で殲滅が賢者!

洋公主日本騙りが生きる!(真実史観)

 結論!朝鮮は、兵士でさえも強制兵役ではなく志願なのに、ましてや女子供を、強制連行し虐待する理由など皆無!自称慰安婦は、韓国国連軍相手の“洋公主”や私娼で、日本軍「公娼」にすり替えて、偽証し恫喝し恐喝している詐欺師。以下は、その検証である!

国家(中朝韓)ぐるみ国連(黄禍論者)ぐるみの捏造 
 日本国内でも地方の42もの議会市民が、政府を糾弾し慰安婦を支援している(朝鮮人の手先罪日の工作とは第三者は知らない)。日本政府の、時の河野官房長官も認め、「償い金」も出し、橋本小泉二人の総理も謝罪し、各国議会決議や、碑や像の設置も、日本政府は「遺憾」と述べるだけで静観している(事実なので反論はできないのだと、第三者は考える)。韓国のみならず中国オランダの年老いた慰安婦もまた、口を極めて証言している。

 「証拠皆無の慰安婦証言」のみなので疑問も残るが、恥を忍んでの老女の証言(売春防止法に反対し売春させろとデモする民族で、売春輸出大国韓国とは、第三者も知らない)は、そう簡単に出来るものではないし、これでもかこれでもかとあそこまでしつこくは、滅多に出来るものではない!これらの事を考え合わせるとおそらく真実であろうと、詳細無知の人は特に、簡単に信じてしまう。

 満員電車内の痴漢冤罪事件にたとえると解りやすい。「痴漢被害捏造証言女性」=「証拠皆無の慰安婦捏造証言」で、「痴漢冤罪男性」=日本。恥を忍んで証言したのだから、絶対に嘘ではないと、誰もが簡単に「痴漢被害捏造証言女性」を信じる。

 仮にも国家なら、こんな稚拙な捏造(慰安婦証言のみが証拠)など絶対に有り得ない。何も知らない第三者も当然、一応先進国であるはずの韓国が、国をあげて嘘をついてるなどとは考えもしない。捏造が単純な偽証であるがゆえに、無辜の人々の共感を、いとも簡単に得た。

 無茶苦茶な難癖だからと「大人の対応で反論せず」は、暗黙の了解(事実なのでバツが悪くて黙ってる)となる!日本政府の曖昧な対応が、火に油と成り、燃え広がった。

 終戦から46年、当時の担当者(反論証言証拠)も既に亡くなり、チャンス到来とばかりに朝鮮族は、親や女衒やキーセンや私娼窟や、韓国米国国連を日本軍にすり替え、証言慰安婦は虐待された犠牲者を演じ、“無き売を仕掛けたのである。

 「公娼」の強制就労虐待発覚は、管理する日本軍が即刻閉鎖した(スマラン事件)ので、真の日本軍「公娼」は皆無ではないか。慰安婦証言のほとんどが、当時の「私娼」か、後の朝鮮戦争等の「私娼や洋公主」であろう!名乗り出た慰安婦の若年(11歳~)就労証言は、キーセンや私娼窟に親に売られたとの自白で、「私娼や洋公主」証拠が、虐待や虐待痕跡

 始めに断っておくが、朝鮮人だけが世界に向けて捏造をばら撒き騒いでいるが、朝鮮人や台湾人のみが慰安婦となったのではない。日本人の方がはるかに多かったであろうことは、戦死者数より推察できる。

 日本は強制兵役で、234万2341人が戦死した。つまり、徴兵で働き手(男手)を突然失い、老人と子供と女だけが残った。路頭に迷ったあげく、老人と子供を助けるための術は、女が身を売る以外皆無となった。結果、女は皆借金し、慰安婦(自己犠牲)となり、老人と子供を救った。女も銃後の護りで、戦っていたのだ!覚悟の自発だから、覚悟の戦いだったから、朝鮮人のように犠牲者面して、名乗り出ないのだ!

 一方、朝鮮や台湾は強制兵役、徴兵では無い!皆志願兵(南北朝鮮人戦死者2万2182人・台湾人戦死者3万304人)なので、日本人のような、突然の悲惨をこうむることはなかった。親の生活苦で売られたのがほとんどで、自発は皆無であろう。怒りの矛先を親に向ければ、自己は破滅する。怒りの矛先を他人に転嫁し、そう自分に言い聞かせることで、我が身を慰め、救っているのだ。後に知恵をつけられ変説したが、最初の証言者「金学順」は、朝鮮人慰安婦への道を、正直に語って詳しい(冤罪日本年表職業婦人を従軍慰安婦と捏造)。

 売春婦(蔑視で一生日陰者)か犠牲者(同情も金も得る)か、全ては、証言(“無き売”演技)如何に懸かっていた。同情をかち盗るための必須の単語、「誘拐、強制連行、騙された、性奴隷、ひどい仕打ち」等々を駆使し、涙を流して証言、同情をかち盗った

 ちなみに、最近の慰安婦証言者は、朝鮮戦争米軍国連軍相手洋公主であろう。当初の証言者(私娼)とは明らかに違う。「私の証言が証拠だ!」とノタマイ、証言のたびに異なり、挑発的妄言の止めど無い拡大や、虐待証言や痕跡が、証拠である。「金学順」戦後46年後の初めての証言には、ためらいがあった。

条約締結の国連勧告は条約破りなので絶対に不可能!
 戦国時代はどこもかしこも悲惨で、かつ、売春も合法の時代なので、売春婦は強制連行しなくとも数多集まった。日本以外は皆、この自然に集まった売春婦を利用(現地調達)した。弱者(私娼)にさらに鞭打つ無責任な現地調達などはせず、利用者責任で保護管理(公娼)した人類史上唯一の国家が、日本なのだ(※オランダは「公娼」が伝統の国、統治下インドネシアにも当然いた。全て自前の「私娼」におちぶれるのを拒否、当然の如く保障保護健康管理の「公娼」に殺到した。受難時女性の豹変迎合は、種保存の本能。非難は、次元が異なる)。

 クワラスマミ・マクドゥーガル両者は、韓国や北朝鮮捏造の犯日資料証拠無き証言のみを選り盗りし、強制連行した自前の売春婦(従軍慰安婦)を危険な戦場を連れまわし、日本だけが戦場の性を謳歌した悪の権化のように、国連に勧告報告したが、国連決議は「留意歓迎」で、勧告条約破り)ではない。

 ところが、「日本叩き族(国策が日本差別の白人黄禍論者や凶産支那族や朝鮮族)」は、議員やマスコミを「色と金の罠」で牛耳り、なんと国連が「勧告した」かのように捏造犯日宣伝(2013年07月08日)しているため、ほとんどの人々が「国連決議」と洗脳されてしまった。

 そして更に、当時の世界の軍隊で、売春婦利用者は日本軍のみで、かつ、その売春婦20万人以上は、強制連行され日本軍の性奴隷にされた犠牲者で、生き延びたのはわずか25%(朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいるは、証拠皆無の朝鮮人発言)にすぎないなどと勧善懲悪物語に改ざんしたため、奇想天外な作り話のみが一人歩きし、証拠無き自称慰安婦の証言のみがもてはやされ、議会決議、碑や像の設置という、国連でっち上げが起因の、冤罪事件となった。終戦から長きを経て、当時の現実を知る者が亡くなり、当時の常識が失われ、思考が、現実常識(事実)から観念(善悪物語)世界へ移行したため、捏造物語拡散に拍車がかかったのだ。

 慰安婦(公娼)がなければ現地調達(私娼)や強姦になってしまうことは明らか。ベトナム戦争の韓国兵がベトナム女性に強姦(ごうかん)などを繰り返した結果が、残された子供(ライダイハン)で最大3万人(釜山日報2004年9月18日)。終戦時には、米軍も日本で現地調達し、朝鮮戦争時は、韓国が米軍に慰安婦を提供していた(元売春婦が語る)。

 明日無き命の戦場においては、子孫を残そうとする本能が特に強くなる。

 「戦場の性」は万国共通で、現地調達扱いの使い捨て(人権無視の強姦)にするか、自前で保護管理の人間扱い(人権尊重の公娼)するかの違いがあるだけである。

 真に簡便な前者を、ほとんどの国が選択したのは当然であろう。

 ところが、なんと日本は、傍目にもいかにも面倒な後者を、選択した。

 大東亜共栄圏構築で凶産(前門の虎)や宗主国(後門の狼)と対峙が、日本の大義。日本兵士の強姦事件となれば、一気に真逆の侵略軍となり、頼みの綱の同胞も敵となる。日本の大義(八紘一宇)を最優先した結果が、素人目にも、何とも手間が掛かる国内募集「公娼」の、外地派遣(八紘一宇の実践)に、相成ったのである。

 日本の大義に反する「性奴隷・虐待・虐殺」など、言語道断で、絶対に有り得ないスマラン事件即時閉鎖処罰が、その証拠

 現地調達(人権無視の強姦使い捨て)は御咎め無しで、利用者責任で保護管理(公娼)したものが国連がらみで、「強制連行性奴隷」と捏造されて、日本人非難轟々!これを人権侵害と言わずに、何と言う!これは明白な日本人蔑視で、ディカウントジャパン(日本人差別)戦争で、日本への、宣戦布告である!

人類のシロアリ(凶産支那族と朝鮮族)が仕掛けるデスカウントジャパン戦争(DCJW)予備知識詳細は下記参照
朝鮮族“洋公主”騙り日本叩きも日本経済凋落も職責者の職責不履行人災
NY州慰安婦決議は審議拒否決議要決議訳文報道皆無のマスコミは異常

アジアのホロコーストは毛沢東と李承晩と金日成とポルポトで慰安婦に非ず


現地調達物扱い
の使い捨て(人権無視の強姦)はせず自前で保護管理の人間扱い(人権尊重の公娼)証拠資料

『朝鮮総督府統計年報』

朝鮮の公娼数 と女衒

日本人公娼       朝鮮人公娼   日本人女衒  朝鮮人女衒

1931年4千361人 5千073人  269人   2千320

1937年4千561人 7千930人  203人   3千097

1942年3千810人 7千942人  211人   3千744

日本資料

政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料

 日本政府は、いわゆる従軍慰安婦問題についての本格的調査を行い、1992年7月6日、93年8月4日にそれぞれ調査結果を発表しました。調査対象 は国外に広げられました。その後の発見を含め、各省庁や米国国立公文書館などから260件をこえる資料が発見され、公表されました。基金では、この問題を歴史の教訓として長く記憶にとどめるため、公表されたこれらの資料の復刻版を編集し、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(全5巻、龍溪書舎出版)として刊行しました。龍溪書舎の御好意で、これらの文書庫に公表することができました。(1~5までの複写資料にも日本側の証拠資料数多である)

天道軍の大義「公娼」の手厚い保護管理証言ビルマ「従軍慰安婦」捕虜尋問米軍資料

アメリカ戦時情報局心理作戦班日本人捕虜尋問報告第49号

 米軍報告書に関しては、政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成5の中に英文コピー原文複写と邦訳文があるが、日本語訳は欠落が多く簡易なので、吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店(P439-452)を資料とした。

アメリカ戦時情報局心理作戦班

日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日

アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域軍所属

アメリカ戦時情報局心理作戦班

APO689

日本人捕虜尋問報告 第49号

尋問場所 レド捕虜収容所

尋問期間 1944年8月20日~9月10日

報告年月日 1944年10月1日

報告者 T/3 アレックス・ヨリチ

捕虜 朝鮮;人慰安婦20名

捕獲年月日 1944年8月10日

収容所到着年月日 1944年8月15日

はじめに
 この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮;人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対する尋問から得た情報に基づくものである。

 この報告は、これら朝鮮;人「慰安婦」を徴集するために日本軍が用いた方法、慰安婦の生活および労働の条件、日本軍兵士に対する慰安婦の関係と反応、軍事情勢についての慰安婦の理解程度を示している。

 「慰安婦」とは、将兵のために日本軍に所属している売春婦、つまり「従軍売春婦」にほかならない。「慰安婦」という用語は、日本軍特有のものである。この報告以外にも、日本軍にとって戦闘の必要のある場所ではどこにでも「慰安婦」が存在してきたことを示す報告がある。しかし、この報告は、日本軍によって徴集され、かつ、ビルマ駐留日本軍に所属している朝鮮;人「慰安婦」だけについて述べるものである。日本は、1942年にこれらの女性およそ703名を海上輸送したと伝えられている。

徴  集
 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮;人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。

 これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した

売春婦を志願と答える馬鹿など皆無。キーセンが伝統の朝鮮、玄人でも素人、「騙された」と返答がキーセンの常套句。「大部分は売春について無知」は、当然割り引く必要有り。

 これらの女性およそ800人が、このようにして徴集され、1942年8月20日ごろ、「慰安所の楼主」に連れられてラングーンに上陸した。彼女たちは、8人ないし22人の集団でやって来た。彼女たちは、ここからビルマの諸地方に、通常は日本軍駐屯地の近くにあるかなりの規模の都会に配属された。結局、これらの集団のうちの四つがミッチナ付近に到達した。それらの集団は、キョウエイ、キンスイ、バクシンロウ、モモヤであった。キョウエイ慰安所は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、ミッチナ駐屯部隊長の丸山大佐が、彼の名前に似た名称であることに異議を唱えたため、慰安婦たちが到着したさいに改称された。

性  向
 尋問により判明したところでは、平均的な朝鮮;人慰安婦は25歳くらいで、無教育、幼稚、気まぐれ、そして、わがままである。慰安婦は、日本的基準からいっても白人的基準からいっても、美人ではない。とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる。見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、「女の手練手管を心得ている」。自分の「職業」が嫌いだといっており、仕事のことについても家族のことについても話したがらない。捕虜としてミッチナやレドのアメリカ兵から親切な扱いを受けたために、アメリカ兵のほうが日本兵よりも人情深いと感じている。慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている

自称慰安婦証言者の証言のごとく「強制連行や性奴隷や虐待」なら、解放者が米軍なので、真っ先に訴えるのが常識なのに皆無。つまり、証言は、捏造となる。

生活および労働の状況
 ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。この点はビルマ生活2年目についてとくにいえることであった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた

 彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された

料金制度

 慰安婦の営業条件は軍によって規制され、慰安所の利用度の高い地域では、規則は厳格に実施された。利用度の高い地域では、軍は料金、利用優先順位、および特定地域で作戦を実施している各部隊のための利用時間割り当て制を設ける必要があると考えた。尋問によれば普通の料金は次のとおりであった。

1 兵 午前10時~午後5時1円50銭 20分~30分

2 下士官 午後5時~午後9時 3円 30分~40分

3 将校 午後9時~午前0時 5円 30分~40分

 以上は中部ビルマにおける平均的料金であった。将校は20円で泊まることも認められていた。ミッチナでは、丸山大佐は料金を値切って相場の半分近くまで引き下げた

利用日割り当て表
 兵士たちは、慰安所が混んでいるとしばしば不満を訴えた。規定時間外利用については、軍がきわめて厳しい態度をとっていたので、多くの場合、彼らは用を足さずに引き揚げなければならなかった。この問題を解決するため、軍は各部隊のために特定日を設けた。その日の要員として、通常当該部隊員二名が、隊員の確認のために慰安所に配置された。秩序を保つため、監視任務の憲兵も見まわった。第18師団がメイミョーに駐留したさい、各部隊のために「キョウエイ」慰安所が使用した利用日割表は、次のとおりである。

日曜日――第18師団司令部。

月曜日――騎兵隊

火曜日――工兵隊

水曜日――休業日、定例健康診断

木曜日――衛生隊

金曜日――山砲兵隊

土曜日――輜重隊

 将校は週に夜7回利用することが認められていた。慰安婦たちは、日割表どおりでも利用度がきわめて高いので、すべての客を相手にすることはできず、その結果、多くの兵士の間に険悪な感情を生みだすことになるとの不満をもらしていた。

 兵士たちは慰安所にやって来て、料金を支払い、厚紙でこしらえた約2インチ四方の利用券を買ったが、それには左側に料金額、右側に慰安所の名称が書かれていた。次に、それぞれの兵士の所属と階級が確認され、そののちに兵士は「列をつくって順番を待った」。慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。2につづく⇒

真実史観慰安婦=性職業婦人と証明したビルマ慰安所朝鮮人男性従業員の日記

2日本軍公娼奴隷性職業婦人と証明したビルマ慰安所朝鮮人従業員日記

報酬および生活状態

 「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った

 1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める胸の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された

 さらにまた、尋問が明らかにしているところによれば、これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気配りすように十分な訓練を受けていた。日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、罹患していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、隔離されたのち、最終的には病院に送られた。軍そのものの中でも、まったく同じ処置が施されたが、興味深いこととしては、兵士は入院してもその期間の給与をもらえなくなることはなかったという点が注目される。

陸軍大将月給550円、一般日本兵月給15~25円。

日本の軍人に対する反応
 慰安婦と日本軍将兵との関係において、およそ重要な人物としては、二人の名前が尋問から浮かび上がっただけである。それは、ミッチナ駐屯部隊指揮官の丸山大佐と、増援部隊を率いて来た水上少将であった。両者の性格は正反対であった。前者は、冷酷かつ利己的な嫌悪すべき人物で、部下に対してまったく思いやりがなかったが、後者は、人格のすぐれた心のやさしい人物であり、またりっぱな軍人で、彼のもとで仕事をする人たちに対してこの上ない思いやりをもっていた。大佐は慰安所の常連であったのに対し、後者が慰安所にやって来たという話は聞かなかった。ミッチナの陥落と同時に丸山大佐は脱出してしまったものと思われるが、水上将軍のほうは、部下を撤退させることができなかったという理由から自決した。

兵士たちの反応
 慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいるところを見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」そうである。しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が成立した例もいくつかあった

 すべての慰安婦の一致した意見では、彼女たちのところへやって来る将校と兵士のなかで最も始末が悪いのは、酒に酔っていて、しかも、翌日戦前に向かうことになっている連中であった。しかし、同様に彼女たちが口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決してなかった慰安婦たちが何か軍事上の事柄についての話を始めても、将校も下士官や兵士もしゃべろうとしないどころか、「そのような、女にふさわしくないことを話題にするな、といつも叱ったし、そのような事柄については丸山大佐でさえ、酒に酔っているときでも決して話さなかった」。

 しばしば兵士たちは、故郷からの雑誌、手紙、新聞を受け取るのがどれほど楽しみであるかを語った。彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などがいっぱい入った「慰問袋」を受け取ったという話もした。口紅や下駄は、どう考えても女性向きのものであり、慰安婦たちには、故郷の人びとがなぜそのような品物を送ってくるのか理解できなかった。彼女たちは、送り主にしてみれば、自分自身つまり「本来の女性」を心に描くことしかできなかったのであろうと推測した。

軍事情勢に対する反応
 慰安婦たちは、彼女たちが退却し捕虜になる時点まで、さらにはその時点においても、ミッチナ周辺の軍事情勢については、ほとんど何も知らなかったようである。しかし、注目に値する若干の情報がある。

 「ミッチナおよび同地の滑走路に対する最初の攻撃で、約200名の日本兵が戦死し、同市の防衛要員は200名程度になった。弾薬量はきわめて少なかった。」

 「丸山大佐は部下を散開させた。その後数日間、敵は、いたる所で当てずっぽうに射撃していた。これという特定の対象を標的にしているようには思われなかったから、むだ撃ちであった。これに反して、日本兵は、一度に一発、それも間違いなく命中すると判断したときにのみ撃つように命令されていた。」 
 ミッチナ周辺に配備されていた兵士たちは、敵が西滑走路に攻撃をかける前に別の場所に急派され、北部および西部における連合国軍の攻撃を食い止めようとした。主として第114連隊所属の約400名が取り残された。明らかに、丸山大佐は、ミッチナが攻撃されるとは思っていなかったのである。

その後、第56歩兵団の水上少将がニ箇連隊〔小隊〕以上の増援部隊を率いて来たものの、それをもってしても、ミッチナを防衛することはできなかった。

慰安婦たちの一致した言によれば、連合国軍による爆撃は度肝を抜くほど熾烈であり、そのため、彼女たちは最後の時期の大部分を蛸壺〔避難壕〕のなかで過ごしたそうである。そのような状況のなかで仕事を続けた慰安婦も1、2名いた。慰安所が爆撃され、慰安婦数名が負傷して死亡した。

退却および捕獲
 「慰安婦たち」が退却してから、最後に捕虜になるまでの経緯は、彼女たちの記憶ではいささか曖昧であり、混乱していた。いろいろな報告によると、次のようなことが起こったようである。すなわち、7月31日の夜、3つの慰安所(バクシンロウはキンスイに合併されていた)の「慰安婦」のほか、家族や従業員を含む63名の一行が小型船でイラワジ川を渡り始めた。彼らは、最後にはワインマウ近くのある場所に上陸した。

 彼らは8月4日までそこにいたが、しかし、一度もワインマウには入らなかった。彼らはそこから、一団の兵士たちのあとについて行ったが、8月7日に至って、敵との小規模な戦闘が起こり、一行はばらばらになってしまった。慰安婦たちは3時間経ったら兵士のあとを追って来るように命じられた。彼女たちは命令どおりにあとを追ったが、結局は、とある川の岸に着いたものの、そこには兵士の影も渡河の手段もなかった。彼女たちは、付近の民家にずっといたが、8月10日、イギリス軍将校率いるカチン族の兵士たちによって捕えられた。彼女たちはミッチナに、その後はレドの捕虜収容所に連行され、そこでこの報告の基礎となる尋問が行なわれた。

宣  伝
 慰安婦たちは、使用されていた反日宣伝リーフレット(ビラ)のことは、ほとんど何も知らなかった。慰安婦たちは兵士が手にしていたリーフレットを2、3見たことはあったが、それは日本語で書かれていたし、兵士は彼女たちを相手にそれについて決して話そうとはしなかったので、内容を理解できた慰安婦はほとんどいなかった。一人の慰安婦が丸山大佐についてのリーフレット(それはどうやらミッチナ駐屯部隊へのアピールだったようであるが)のことうを覚えていたが、しかし、彼女はそれを信じなかった。兵士がリーフレットのことを話しあっているのを聞いた慰安婦も何人かいたが、彼女たちたまたま耳にしたからといって、具体的な話を聞くことはなかった。しかし、興味深い点としては、ある将校が「日本はこの戦争に勝てない」との見解を述べたことが注目される。

要  望
 慰安婦のなかで、ミッチナで使用された拡声器による放送を聞いた者は誰もいなかったようだが、彼女たちは、兵士が「ラジオ放送」のことを話しているのを確かに聞いた。

 彼女たちは、「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の慰安婦の生命が危険になるからである。しかし、慰安婦たちは、自分たちが捕虜になったという事実を報じるリーフレットを朝鮮で計画されていると盂家に活用するのは名案であろうと、確かに考えたのである。

付録A

 以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた20人の朝鮮;人「慰安婦」と日本人民間人2人の名前である。朝鮮;人名は音読みで表記している。

   名 年齢   住 所

 1 「S」 21歳 慶尚南道晋州

 2 「K」 28歳 慶尚南道三千浦〔以下略〕

 3 「P」 26歳 慶尚南道晋州

 4 「C」 21歳 慶尚北道大邱

 5 「C」 27歳 慶尚南道晋州

 6 「K」 25歳 慶尚北道大邱

 7 「K」 19歳 慶尚北道大邱

 8 「K」 25歳 慶尚南道釜山

 9 「K」 21歳 慶尚南道クンボク

            (ママ)

 10 「K」 22歳 慶尚南道大邱

 11 「K」 26歳 慶尚南道晋州

 12 「P」 27歳 慶尚南道晋州

             (ママ)

 13 「C」 21歳 慶尚南道慶山郡〔以下略〕

 14 「K」 21歳 慶尚南道咸陽〔以下略〕

 15 「Y」 31歳 平安南道平壌

 16 「O」 20歳 平安南道平壌

 17 「K」 20歳 京畿道京城

 18 「H」 21歳 京畿道京城

 19 「O」 20歳 慶尚北道大邱

 20 「K」 21歳 全羅南道光州

 

 1  キタムラトミコ 38歳 京畿道京城

 2  キタムラエイブン 41歳 京畿道京城

19~31歳」だが、2年前の応募時は「17~29歳」で 年齢制限(17~30歳)に合致。若年証言は偽証自白

 政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成5の中(pdf P136-130/294)の英文コピーは不鮮明なので、鮮明原文英語は、こちらへ

朝鮮人資料
木村幹神戸大教授

2013年08月07日 毎日新聞東京朝刊 慰安所従業員:日記発見 識者に聞く

◇第三者が記録、客観性高く−−木村幹(きむら・かん)神戸大教授(筆者注・京大法卒・1966年~。日本の政治学者)

 −−この日記がなぜ貴重なのですか?

 ◆「第三者」の記録だから客観性が高い。著者は1979年に死去しており、80年代後半以降の慰安婦問題への関心の高まりを受けて改ざんされた可能性も極めて低く当時の実態をよく描写していると考えられる。

 −−日記に出る慰安婦の姿の評価は?

 ◆戦時下で「極端に統制された疑似公娼(こうしょう)制度の従事者」という印象だ。多くの女性は経済的理由から慰安婦になったものの、移動や廃業の自由は厳しく制限された。他の民間人も自由を制限されたが、日記の著者と比べれば慰安婦に対する制限が大きいことは明白で、同一視はできない。

 −−貯金や送金に関する評価は?

 ◆慰安婦が額面上は多くの収入を得て、故郷へ送金することもあったことは明確に裏付けられた。ただし、東南アジアで流通したのはインフレで価値が急落する軍票だ。東南アジアからの送金には引き出し制限があったという研究もある。軍事郵便貯金は韓国人の場合、最終的には無価値になった。慰安婦が現場で経済的対価を得ていたことと、対価を享受したかは切り離して考えるべきだ。

 −−慰安婦問題で注意点は?

 ◆当時の統治、経済システムといった大きな状況の中で慰安婦の置かれた人権状況を考えることが重要だ。強制連行の有無のような部分的な分析だけでは不足している。【聞き手・澤田克己】

極端に統制された疑似公娼(こうしょう)制度」とあるが、 内地公娼は警察管轄で管理し、戦争中なので、外地公娼(慰安婦)は軍隊管轄で管理したのは極めて当たり前のことである。外地は戦争最前線、「極端に統制」も極めて当たり前のことである。

 日記の著者と比べれば慰安婦に対する制限が大きいことは明白で、同一視はできない」とあるが、「日記の著者」は「貸主」側で、「慰安婦」は「借主」側で「借金返済中」、「同一視はできない」のは現代でも同じで、当たり前のことである。

 「疑似公娼」と表現は、余りにも一般常識を知らなさ過ぎる「井蛙」との自白である!職責者なら、なぜ他国のような簡便な現地調達ではなく、より手間のかかる自前慰安婦で、あえて戦地に挑んだのか考えろ!

 大東亜共栄圏構築で凶産や宗主国と対峙が日本の大義。日本兵士の強姦事件となれば、一気に真逆の侵略軍となり、頼みの綱の同胞も敵となる。日本の大義を最優先した結果が、国内募集「公娼」の、外地派遣に相成ったと、見るべきであろう。「慰安婦」も戦っていたのだ!

 終戦で無価値は韓国人のみではない!敗戦までは皆、金として通用し使えたのは、事実である。

 「慰安婦の置かれた人権状況」とあるが、原爆や大空襲で無辜の老若男女80万人以上が一瞬にして大虐殺されたように、戦争中に敵味方全てに「人権」無きは明白である。がしかし日本は、人類の英知(復讐の連鎖の切断)「条約や法」を尊崇厳守する法治国家、SF条約を厳守して、「条約締結済みの過去」として問題にはしていない。

 万が一にも、「人権侵害」があったとしても、「原爆や大空襲で無辜の老若男女80万人が一瞬にして大虐殺」よりは狭小で、しかも「条約締結済み」である。なのにである、なぜに「慰安婦の人権のみを特筆するのか?

 人権騙りの思想戦であることは明々白々であろう!なぜに職責者が気付け得ぬのか?丸暗記脳(表音記憶で表意記憶ではない)のみで、思索脳皆無だからである。

2013年8月9日 木村幹神戸大教授日本記者クラブで講演
 ――慰安婦問題についての日本の議論は、韓国の運動団体の最終的な目的が「女性の人権状況の改善」であることを失念している。国際社会の主たる関心も「女性の人権問題」であり「慰安婦の強制連行」など現在の価値観から見て否定的にみなされる「過去」にこだわるのは得策ではない。――

法治国家では、事後(遡及)法は禁止法。
 “韓国の運動団体の最終的な目的が「女性の人権状況の改善」”とは、なんとも見事なお花畑解釈で、「思索脳皆無表音丸暗記脳のみ」を、明々白々に自白している!韓国は2004年だが、日本は57年前の1956年売春防止法立法で、「改善済み」。

 “現在の価値観から見て否定的にみなされる「過去」にこだわるのは得策ではない”は捏造。「過去」にこだわり条約破りの事後(遡及)法難癖や捏造難癖は、中朝韓罪日黄禍論白人で、日本ではない!

安秉直ソウル大名誉教授
◇募集、「広義の強制」示す−−安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授(筆者注・1936年~。韓国の経済史学者。真実史観である

 −−日記から分かることは何ですか?

 ◆慰安婦703人の「第4次慰安団」が組織されていたことだ。慰安婦募集が、日本政府の政策に基づく戦時動員の一環だったことを示している。「広義の強制」だといえる。

 −−強制連行?

 ◆「狭義の強制」と言われる、拉致のようなものはなかっただろう。業者をサポートする行政組織がしっかりしている朝鮮では強制連行の必要はないし、強制連行は(社会的な騒ぎを起こして)コストが高くなる。ただ、業者による乱暴な行為はあったはずだし、軍服のような服を着た業者が「軍人」と誤解された可能性はある。

 −−どんな女性たちだったのでしょう?

 ◆米軍調書によると、大部分は教育のない貧しい女性で、売春経験者は一部だけだ。親に売られた人身売買も多かっただろう。

 −−戦場での位置づけは?

 ◆ビルマのような最前線では、前借り金を返済しても簡単に廃業できなかった。所属部隊の管理を受けており、旧日本軍の編成の末端に位置づけられていた。「性的奴隷状態」にあったと言える。

 −−慰安婦問題に取り組んだ契機は

 ◆1990年代初め、慰安婦支援団体が実施する調査活動などを手伝った。だが、「強制連行」と最初から決めつけて証言集めをするような形だったので、運動からは手を引いた。【聞き手・澤田克己、大貫智子】

赤紙一枚(1銭五厘で)で男子は戦地に赴き(戦場に買われ)、国を護るために命を懸けた。戦国時代は全人類が強制拘束され(自由や人権皆無)、各国民すべてが戦争強制奴隷だった。銃後の守りの老若男女もすべてが戦争強制奴隷だった!「慰安婦」のみが強制奴隷だったわけではない!

 「前借り金を返済しても簡単に廃業できなかった」は捏造。下記日記に廃業帰国記載有り。

 「旧日本軍の~性的奴隷状態」とあるが、「性的奴隷状態」に至らしめたのは借金で、売ったで、日本軍では無い!捏造である。軍の拘束は安全確保が目的の拘束で、「逃亡防止」目的の拘束ではない。「旧日本軍の庇護下で働き借金返済状態」が正しい。

 万が一にも有ったとしても、人類の英知(復讐の連鎖の切断)である条約は、締結済み。性職業婦人のみを選り盗りし、平和時の常識で、「広義の強制」、「狭義の強制拉致」、「性的奴隷状態」とこじ付けで判断は、遡及(事後)法と同類で、法治国家では争乱の元凶となる禁止法である。3につづく

真実史観組合費を払い慰安所組合会議に参加の組合員慰安婦を奴隷呼ばわりは差別

3組合費を払い慰安所組合会議に参加の組合員慰安婦を性奴隷とは妄言差別

「奴隷」は差別語

 戦時下の戦争最前線での生活、敵がいつ襲ってくるかも解らない死活の場所での兵士や慰安婦への規則は、内地より数段厳しいのは当たり前であろう。

 会社(分業の集合体)では、部分の分業を正確に成すために皆規則で拘束される。彼女等も分業を正確に成すために皆規則で拘束されだけで、奴隷ではない。借金に拘束された者は、今も昔も皆同じ。前掲や下記日記記載のような者が性奴隷なら、現代人全てが奴隷となる。「奴隷」と言う言葉を余りにも安易に使いすぎる。奴隷とは人間が人間に、人間としてではなく物品扱い(自由や人権皆無で売買や譲渡)された人間を指す言葉で、差別語である。

 慰安婦(性職業婦人)を拘束したのは借金で、日本軍が拘束したのではない。どうしても蔑視言葉「奴隷」を使いたいのなら「慰安婦とは、親の借金で性的奴隷となった借金受難者」が正しい。

 「安秉直」心中の「学者魂」と、「韓国人」との狭間での「せめぎ合い」が、如実である。

 

天道軍の大義「公娼」の手厚い保護管理証言

慰安所:朝鮮人男性従業員日記発見 ビルマなどでつづる

 シンガポール観光をして、博物館で押したのであろう、日記には、「昭南博物館」(現在のシンガポール歴史博物館)のスタンプが押してあり、スタンプを避けて文章を書いている。

2013年08月07日07時00分 毎日新聞 (最終更新 08月07日 15時56分)

 【ソウル澤田克己、大貫智子】第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。

 朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。

 日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。

 男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった

 男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。

 ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。

 安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。

 

昭南博物館のスタンプが押された日記

 また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。

 一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。

 ◇従軍慰安婦問題

 第二次大戦中に日本が支配した植民地や占領地などから女性が慰安所に集められ、日本の将兵から性的被害を受けたとされる問題。1990年に韓国の女性団体が日韓両国に真相解明や謝罪、補償を求めたのをきっかけに社会問題化した。日本政府は93年8月、慰安所設置や慰安婦移送に旧日本軍が直接、間接に関与したことを認め、「軍の関与の下に女性の名誉と尊厳を傷つけた」と謝罪する「河野談話」を発表した。ただ、女性の連行段階での軍の関わりについては、第1次安倍内閣当時の07年、「政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」という答弁書が閣議決定された。

 

慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落

2013年08月07日 毎日新聞東京朝刊

 【ソウル澤田克己】ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、日記を残した朝鮮人男性は、1942年夏から44年末までの東南アジア滞在中に慰安所3カ所の帳場で働いた。日記には、慰安婦の管理や、軍や役所との折衝といった日常生活が淡々とつづられている。

 慰安所が旧日本軍の管理下にあったことは、軍の文書でも確認されている。日記にも「慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた」(43年1月1日)や、連隊本部などから定期的に避妊具を受け取ったりしたという記述が、頻繁に見られる。

 軍から移転命令があり「慰安婦一同は絶対反対」(同3月10日)したが、結局は「司令部命令に勝てず移すことになった」(同14日)などの記述から、軍との密接な関係をうかがわせる。

 日記の著者は、ビルマ西部の要衝アキャブ(現シットウェ)からラングーン(現ヤンゴン)へ移った。その際、軍から宿舎の提供を受け「火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って」(同年1月21日)もいる。

 日記を発見した安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は「軍属に準じる扱いを受けていたようだ」と話す。

 日記からは、前線であるビルマと後方地域のシンガポールとの違いもうかがえる。シンガポールでの日記には、慰安婦の「廃業」や「帰国」に関する記述が多く出てくるが、ビルマではそうした記述は見られない。

 著者はシンガポール在住時の44年10月25日、元慰安婦が結婚したので「知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われた」という。

 ビルマでは既に日本軍が敗走を重ねていた時期で、連合軍の尋問調書などによると、多くの慰安婦が巻き添えで犠牲になっていた。

 一方、日本軍は、定期的に慰安婦を検診し、性病にかかった場合は入院させた。日記にも「検査不合格者が6人も入院した」(44年5月12日)などという記述が多く見られる。「妊娠7カ月なので、休業届を提出した」(同7月4日)というケースや、慰安婦の出産(同9月5日)もあった。

 日記には、朝鮮における慰安婦募集に関する記述はない。日韓両国では朝鮮半島で慰安婦を集めるときに強制連行があったかどうかに強い関心が持たれているだけに、安名誉教授は「この時期の日記が欠落しているのは残念だ」と話す。

 

 ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、米国で慰安婦問題への批判が強い理由について「女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある」と指摘。強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が問題視されているとの認識を示した。

 

終戦時には、米軍も日本で現地調達し、朝鮮戦争時は、韓国が米軍に慰安婦を提供していた。各国は、「戦場の性」を現地調達していた。エリザベスサンダースホームの混血児や、ベトナム戦争の韓国兵がベトナム女性に強姦(ごうかん)などを繰り返した結果が、残された子供(ライダイハン)で最大3万人(釜山日報2004年9月18日)が証拠である。人間扱いではなく物扱いの使い捨てにした(女性への性暴力」で人権無視)証拠である。

 「慰安婦という制度そのものへの向き合い方が問題視」とあるが、日本では当時、「慰安婦という制度(売春)」は合法であった。「現地女性への性暴力」の防止のため、内地日本で当時合法の売春制度を外地にも流用し、「戦場の性」に対処した。国内なら「慰安婦という制度(売春)」は警官が管轄したが、外地なので軍隊が管轄した。国内より戦地(外地)の方の拘束が、厳しかったのは当然である。この軍隊の管理を「強制連行・性奴隷」と称する常識皆無の輩がいる。輸送慰安所設置身辺保護等は敵地最前線なので、出来るものなど居ない。軍が担当するのは当たり前なのである。

 日本軍は米軍や韓国軍のように安全確保も健康管理皆無の現地調達(物扱いの使い捨て人権無視・韓国兵の強姦等)はせず、可能な限り自前で保護管理し、人間扱い(人権尊重)した。軍専用の「公娼」にして身分保証、利用者責任で性職業婦人の安全健康管理した。これのどこが問題なのか?

 制度そのものへの向き合い方が問題視」とあるが、「慰安婦という制度」は当の昔(57年も前の1956年)に、日本は禁止している。事後法での断罪は、法治国家では禁止法である。これのどこが問題なのか?

 応募の日本軍「公娼」が「強制連行性奴隷」なら、現地調達物扱い使い捨ての、韓国軍強姦連行私娼洋公主は、一体全体なんと呼ぶのだ?

 当時は合法でありかつ57年も前にすでに禁止した日本への難癖は、日本人差別の人権侵害日本叩きのこじつけである。

 各国軍のキャンプ地には、性職業婦人は連行せずとも自然に集まった。これは万国共通のありふれた公然の事実である。日本軍の慰安所のみで他は無いと錯誤の無知か?米韓強姦隠蔽目的か?いずれかの意見である。

 

 ◆慰安所従業員の日記 抜粋(全文は⇒2013年8月1日

 ◇1943年

 1月 1日 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。家内の弟と○桓君は、<慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた。>

 1月 2日 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。

 1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、その他16人はみんな合格だった。

 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。

 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。

 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への出張証明書をもらった。

 1月18日 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん・後方支援部隊)へ行って朝飯を食べ、某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。某少尉も同行してラングーンまで行くという。

 1月21日 ビルマ国タンガップの<火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、午前11時にタンガップを出発した。>

 1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2000円を貯金した。

 1月29日 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従ってプロメーに移り、営業しているという。

 3月10日 <55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が(ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。慰安婦一同は絶対反対ということだった。>

 3月14日 <金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。>

 3月16日 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を当分の間、中止すると言われた。

 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。

 6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。

 6月20日 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。

 6月25日 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。

 7月10日 <昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。もう1年になった。>

 7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、今日、鈴木病院に入院したが流産だった。

 7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、今日、車で帰ってきた。

 7月19日 <インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、兵站管理に委譲された。>

 7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は兵站司令部に行ってきた。

 7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も兵站の軍医がすることになった。

 7月29日 <村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという。>

 7月30日 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、もち屋と慰安所を私に引き受けろという。承諾した。

 8月 8日 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。

 8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。

 8月11日 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。

 8月12日 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。

 8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>

 8月19日 兵站司令部で、サックを600個受け取った。

 8月24日 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。

 8月26日 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。

 9月9日 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。

(この後、筆者はシンガポールへ移動する)

 

12月 3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。

 ◇1944年

 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。

 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、内地帰還旅行証明願を提出させた。

 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。

 4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>

 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての内地帰還旅行証明書を受け取った。

 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。

 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。

 4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。

 4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため特別市警務部保安課に行ってきた。

 4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、2590円余りの最高記録だった。

 5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。

 5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>

 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。

 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。

 6月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。

 6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。

 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。

6月 9日 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。店にいた女たちは全員合格した。今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として特別に毎日10本の配給がある。

 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと2回も電報が来た。

 6月17日 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。稼業婦特配米を受け取った。

 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。

 7月 4日 <慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。>

 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。

 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したというはがきが届いた。

 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>

 9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。

 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。

10月14日 病弱のため帰郷を決心した。

10月25日 スマトラのパレンバンからシンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が今般結婚した。今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。>

10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。

10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った。>

11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。

11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。

11月16日 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。

11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。

11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。

12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1000円を送金してあげた。

12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9000円を送金し、検疫所に行って検疫証明書をもらった。13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。

 (注)日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。「横浜正金銀行」は、1880年開業の外国為替取扱銀行。日記では単に「正金銀行」とも書かれている。東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。<>は記事と関連する部分。

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 ■ことば

◇軍票と戦時中の郵便貯金

 軍票は「軍用手票」の略語で、軍の物資調達などのために一時的に使われる通貨。日本も第二次大戦中に約45億円分を発行したが、終戦後に無価値となった。戦時中はビルマ(現ミャンマー)などの戦地に野戦郵便局、朝鮮半島などの植民地や占領地に外地郵便局が設けられ、軍人や現地住民らが貯金に利用した。

朝鮮日報報道
2013/08/07 09:40 朝鮮日報日本語版 慰安婦:慰安所管理人の日記発見、性的奴隷の実態明らかに。

 旧ビルマ・シンガポールにあった日本軍慰安所の管理人、日記に書き記す「1942年7月10日、朝鮮人女性数百人の『第4次慰安団』、軍用船に乗って釜山出港、8月20日ビルマ着、20人前後に分かれて日本軍駐屯地に配置」

 旧日本軍の従軍慰安婦が、戦時動員体制の一環として、日本軍の主導の下に数度にわたって組織的に動員されていたことを示す資料が新たに発見された。また前線の日本軍部隊が、下部組織として編成された慰安所・慰安婦らを率いて移動していた事実も同資料で明らかになった。これは「従軍慰安婦の動員に日本政府や日本軍が関与しなかった」という一部の主張を全面的に否定する資料だ。安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授(韓国経済史)は、1942年7月に従軍慰安婦を連れて旧ビルマ(現在のミャンマー)に向かい、44年12月に帰国するまでビルマ・シンガポールの日本軍慰安所で管理人として働いていた朝鮮人が残した日記を6日に公開した。

 安名誉教授が翻訳および解題を担当して間もなく刊行されるこの日記によると、42年7月10日、朝鮮人女性数百人からなる「第4次慰安団」が釜山を出発した。

 女性を募集したのは、日本軍の代理人が選んだ民間業者。募集された女性は軍属に準ずる身分で、日本軍が発行する旅行証明書を持ち、軍用船など軍用の交通手段を利用した。

 8月20日にビルマに到着した慰安婦らは、約20人ずつに分けられ、日本軍の駐屯地や主要都市に配置された。日本軍の慰安所は、形式的には民間業者が経営していたが、日本軍が直接管理・統制していた。慰安所は日本軍の部隊の専属として報告書を定期的に提出し、また軍の命令によって随時移動した。

 ビルマの朝鮮人慰安婦の存在は、この地域の慰安婦だった故ムン・オクチュさんの証言などによって知られていた。しかしムンさんが「第4次慰安団」の一員で、女性たちが終始一貫して日本軍の命令に従っていたという事実が明らかになったのは、今回が初めて。3の1へつづく⇒

真実史観日本軍公娼に非ず!洋公主や私娼16人の偽証が根拠の河野談話!

3の1日本軍公娼に非ず!洋公主私娼16人の偽証が根拠の河野談話!

 安名誉教授は「41年12月に太平洋戦争が始まった後、日本軍が数度にわたって慰安婦を連れていったといううわさが出回ったが、今回公開された日記でその実態が判明した。日本軍慰安所の運営実態を示すこの日記によって、慰安所が軍の組織編制の末端部に編入されており、従軍慰安婦が『性的奴隷』状態にあったことを再確認できる」と語った。李先敏(イ・ソンミン)先任記者
「従軍慰安婦の動員に日本政府や日本軍が関与しなかった」は捏造で、真実は「慰安婦の強制連行に日本政府や日本軍が関与しなかった」。

 内地公娼は警察管轄で管理し、戦争中なので、外地公娼(慰安婦)は軍隊管轄で管理しただけのことなのだが、捏造難癖付けが得意の朝鮮人は、戦時下では当たり前の「軍隊管轄で管理」のコトゴトクを、「強制連行・性的奴隷」と言い換えて捏造報道している。戦争中の戦地前線なので、「日本軍が全て関与」は当然であろう。組合費を払い慰安所組合会議に参加する組合員慰安婦を、「奴隷」呼ばわりするとは、捏造差別である。

日本軍「公娼」が万が一にも証言者なら天罰が下るのが世の常証言慰安婦正体は“洋公主

 慰安婦=性職業従業員=「商行為」婦人=サラリーマンが、実像!

 休む自由もあり、年季明けには辞める自由もあり、客を選ぶ自由もあり。怪しい業者に管理される現在の売春婦より、オープンで、遥かに高待遇である。物質乏しき戦時下の、これほどの待遇をも不満とし、「強制連行・性奴隷・虐待等々」と鬼畜の如くに罵るなら、天罰が下るのが世の常である。

 勝ち負けや、優劣のみが尺度の人間モドキ朝鮮人。日本撤退後に、「同胞朝鮮人強制連行された性奴隷(洋公主)」や、混在したであろう私娼窟の、全てが自前の私娼の目には、いかように映ったであろうか!


朝鮮の首都京城府在住者1945年12歳)の証言

2013年5月8日 なでしこアクション

第一話「朝鮮ピーと ピー屋 のお話」

 12歳1945年まで朝鮮の首都京城府にお住まいだった女性から送っていただいた当時のお話です。

 当時、朝鮮人娼婦は朝鮮にはごく普通に居たのです。

 何故か「朝鮮ピー」と呼ばれていました。業者を「ピー屋」と呼び、長崎でも上海でも古老の話で「ピー」「ピー屋」の表現が今も聞かれます。「P」は英語「Prostitute」(娼婦)の頭文字説と、時代は分かりませんがもうひとつ、性器そのものを指す中国語の蔑称説があります。朝鮮語はカルボ。どちらにしても「従軍慰安婦」という言葉はどこを探してもないのです。当然です。何十年も過ぎてからの造語、捏造語でしかないからです。

 京城では日本人は組合組織の公娼中心の娯楽街「遊廓」内では、16歳以下の女子を使うと「打ち壊し」の刑で実際に壊されたケースもあったと聞いています。遊廓には病院や組合事務所もあり、定期的巡視もありました。しかし男たちの華やかな楽しい遊楽街、遊興街でもあったのです。

 日本人遊廓の傍には、朝鮮人の組合組織ができて居て、それ以外に、男性を誘い込む私娼窟が、あちこちに無数にあってピーさん、ピー屋(業者)は、ごく普通に居た。

 中村粲先生(「大東亜戦争はなぜ起こったのか」等のご著書を残して居られる独協大学教授)は「カラスのこっち、入りなさいよお」と、呼び込みをしていた様子を書いて居られます。12歳まで京城にいた私が今改めて当時の中学大学生に聞くと、朝鮮人は「ガ」の発音ができないために「ガラス戸の外から見てないで勇気だして入って来なさい」と言ったのだとのことです。

 当時の思い出話を書きとめた林茂太さんのイラスト入り憶え書きには「カクセイさんおはいりよお」と。学生の帽子をひったくって「カクセイさん、勇気だして。帽子いりますか」そんな甘い駆け引き話が書かれています。遊んで病気に罹って、親にも言えず内緒で「治療代のカネ貸して貰えないか」と泣きついてきた硝子屋さんの息子の話も聞けました。朝鮮人ピーさんは安かったので学生は親や教師の目を盗んで行ったのです。

 戦争が激しくなって軍隊が大陸や南シナ海に移動していくと、ピー屋がピーさん達を纏めて「渡航証」を持って移動し、半島最北の大河の鴨緑江を渡リ大陸づたいに相当奥地に迄移動しています。この河を渡ると、先は満州、つまり異国ですからパスポート「渡航証」が要る。そこで朝鮮人と解ると満州族に苛められる。そこで日本人名に改名して「娼婦部隊」と名乗りかなり奥地に移動して行ったという話も聞きました。

「おとうさんが病気で、オモニが私を売ったよ」といった悲惨な身売りですが人数では日本人の方が遥かに多数。上海事変に参戦した者が親戚に居ますが、その手記に「日本髪の女給さん」が居たので懐かしく声を掛けたら、「朝鮮人だった」とあり(発音で解る)「どうして日本髪を?」と聞いたら「そのほうが、オカネニナルヨ」と言ったと書いています。

 ユーチューブで見た銭湯の写真には日本髪の裸の女性が7人、浴槽から出て洗う感じの場面で、みな朝鮮座りの独特の立て膝です。今、立て膝座りのコリアンは居ませんが、朝鮮戦争が終わって10年、20年後も、まだまだ立て膝座りは居ました。

 「性奴隷」ではない絶対に。2年間稼いで帰国する時は.「従軍看護婦で働いていた」という顔をして帰ったのだと証言しているコリアン男性は、何人も居ました。朝鮮戦争に従軍記者として米軍のIDカードで渡鮮した東京新聞外報部記者だった笠井真男さんからも、のち私が同社勤務だった関係で、渡鮮のその時の話を聞いています。韓国人から「わぉ日本人がきた」と大歓迎され民家に招待されマッコリで盛り上がった話を聞いています。こんな問題が起きる以前、草の根の私達も日韓友好で同窓会を日韓でやったり、日本に招いたり、ピアノやパソコンを贈ったり、友好に努めたものです。それだのに今になって強制連行とは悲しい限りです。

 もともと李氏朝鮮時代の社会の位層は、王族、両班、中人、常人、白丁、最下層は「奴婢」ピラミッド型に裾野が広かったようです。(奴婢は名前さえなかったケースも)。

 姜在彦さんのご著書「ソウル」に奴婢の記述があります。そういう土壌土質の改良が成されていないから売春防止法が出来ても反発が起き「こんな法律があったら私達は暮らして行けない、即刻廃止せよ」とガソリンをかぶって火を点けるぞと抗議する恐しいデモを娼婦達自身が起こしています。悲惨な現象です。

 6年前、横浜でウランバートルでNPO活動をしている韓国人男性の講演があり、その時、日本は売春防止法が出来た時、こういう騒ぎはなかったのでしょうか、と問われたことがあります。

 赤線、青線ぐらいは知っていましたが。毎年、大騒ぎになる韓国売春婦のこのようなデモ騒ぎは聴いたことがなく、誰ひとり答える人は居ませんでした。

 不幸な話ですが「性奴隷」とか、20万人の強制連行は、でっち上げも甚だしい愚挙です。日韓基本条約でも以後、個人賠償は相互に一切しないことを約束したはずです。

 あちらの醜い押しの一手や、醜いロビー活動には適いませんが、日本人は日本人として正統派で正々堂々、根気強くチャレンジ致しましょう。

周旋屋の口利きで金儲けのために来た(自発)」満州で慰安婦の身の上話を聞いた女性の証言
2013/06/29 動画

朝鮮総督府元内務課長の西川清さん(98歳)「慰安婦の強制連行はなかった!」 2013/09/15 動画

日本軍「公娼」に非ず!「洋公主私娼16人」の偽証が根拠の「河野談話」!

2013.10.16 msn産経 元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り 慰安所ない場所で「働いた」など証言曖昧 河野談話の根拠崩れる

 産経新聞は15日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。

 5年7月26日から30日までの5日間、ソウルで実施した聞き取り調査に関しては9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」と証言している。ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった

 産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が描写されている。

 しかし、資料としての信頼性は薄い。当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。

 肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの「カン」などと漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる箇所も存在する。

 大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言(注・日本軍公娼とは全く無関係の、私娼との白状)もある。元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして報告書に記述している部分もあった。

 また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。

 日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安(アン)秉(ビョン)直(ジク)ソウル大教授(当時)が中心となって4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に5~6回面会した結果、「証言者が意図的に事実を歪(わい)曲(きょく)していると思われるケース」(安氏)があったため、採用したのは19人だった。

 政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない

 談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し「私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信(しん)憑(ぴょう)性(せい)を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる」と語った。

 ■河野談話 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集移送管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。 

要求されれば無思考で、何でも受け入れ謝る思索脳皆無「ハト派(加藤紘一宮沢河野等)」のていたらくである!

 三木中曽根から麻生まで続いた自民党の悪業を、一刀両断し、根絶出来るか!第二次安倍晋三首相よ!「靖国宣言」不可なら、自民党に、明日は無い!靖国宣言条約破りや国政侵略である内政干渉切断)」参照中曽根靖国不参拝が中朝韓罪日物乞い化の全元凶無知櫻井ヨシコは騙り屋 

事務方トップキャリア官僚石原のノーチエックは職責不履行
2013.10.16 「韓国を信頼し『公正・冷静に語れる人を』と言い韓国は約束した」 石原元官房副長官

 河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官は15日までに、産経新聞のインタビューに次のように語った。(阿比留瑠比、佐々木美恵)

 --聞き取り調査結果を見ると生年月日や氏名、出身地の明記がない者が多い

 「証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。(身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ」

 --16人の中には、安秉直ソウル大教授(当時)らの調査で信頼性が低いとされ、韓国側の証言集から省かれた人が含まれているようだ

 「信用できない人について日本政府が聞き取りしたと?」

 --日本の複数の新聞や韓国側の調査に対し、それぞれ異なる証言をした人も含まれている

 「うーん。そういう話になると、基本がおかしくなる。もともとの証言の信(しん)憑(ぴょう)性(せい)が揺らいでくる」

 --そういうことになる

 「証言者の人選は韓国側が行った。私たちは韓国側を信頼し『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ」

 --対日裁判を起こした当事者も5人含まれる

 「反日運動に関わっている人は外してくれと言い、韓国側はそうします、と言っていた」

 --石原さんら日本側の理解はそうでも、現実は違っていた可能性が高い

 「残念ながら、当時の状況では身元調べというか、裏打ちするまで能力がなかった。だから信頼関係でやったわけだ、あくまで。その信頼が崩れるとなると何をか言わんやだ」

 --裁判を起こした5人についても、訴状と安氏、日本政府の聞き取りに対する証言が食い違う

 「ああ、そういうことになると、何が真実かということになってくると、証言自身の信憑性というか、価値が下がってくる」

 --調査報告書では台湾の地名を「娼家」と間違えている箇所もあった

 「証言内容をチェックする時間はなかった。私は担当官の報告を聞いて判断した。紙は見ていない。報告を聞いての心証で河野談話をまとめた」

 --河野談話が強制性を認めた根拠は、16人の証言が決め手だったはずだが

 「そうだ。担当官の報告を聞いて、大部分は家が貧しく泣く泣くなったのだろうが、中には筋の良くない人たちが相当悪(あく)辣(らつ)な手段で集めたということが否定できない。そういう心証であの文書(談話)になった」

 --業者の悪辣な行動は日本軍の責任ではない

 「だから『加藤談話』(平成4年の加藤紘一官房長官談話)は、わが方が直接連行したことを裏付けるものがないので(軍の関与は)ないとした」

 --聞き取り調査は証拠資料たり得ないのでは

 「(証言者は)真実を語れる人、というのが調査の前提だった。その日本側の善意が裏切られたということになる。それに基づいて世界中に強制的に慰安婦にされたということが事実として広まっていくとなると、全く心外な話だ」

 --強制性を認めるための調査ではなかったか

 「そんな意図は私にはなかった。国の名誉が関わる問題だから。ただ、役人としては時の政権の方針に従ってやるしかない。一切の弁解はしない

チェック(事務方の職責)もせずに信頼!まさに官僚は、お花畑そのもの、職責不履行給料泥棒以外の、何ものでもい!河野と石原、江戸時代なら、不忠を詫びての切腹である!一切の弁解せずなら、職責不履行給料泥棒は明白なので、即刻給料を返還して後輩官僚に範を示し!国民に謝罪せよ!

公娼に非ず」の私娼洋公主が「日本軍」と言い換えただけなので「迫真証言」は当然!
2013.10.16 msn産経 河野氏、矛盾点を無視し確認せず

 河野談話の主役である河野洋平元官房長官と、談話作成時に河野氏を補佐した谷野作太郎元内閣外政審議室長は今回、産経新聞の取材に応じなかった。ただ、過去の発言から河野氏の考え方と発想はうかがえる。

 河野氏は平成9年、自民党の勉強会で、元慰安婦16人の聞き取り調査についてこう述べている。

 「私はその証言を全部拝見した。『その証言には間違いがある』と指摘した人もいたが、少なくとも被害者でなければ到底説明できないような証言がある」

 ここから分かることは談話作成時の政府内協議でも証言内容に疑問を示す意見があり、それにもかかわらず河野氏が当事者にしか分からない迫真性があると判断したということだ。

 実際には聞き取り調査報告書を通読しても、軍や官憲による強制連行の証拠とただちに認められる証言はない。「軍人に連れていかれた」と語った女性は複数いるが、当時、兵隊のような服を着ていた人は大勢おり、本当に軍人だったかは疑わしい。

 逆に疑問点は枚挙にいとまがない。例えば証言者の一人の黄氏は、日本政府の調査には「義姉に『令状』が来たので身代わりに行った」と語ったが、安(アン)秉(ビョン)直(ジク)ソウル大教授(当時)らの調査には「工場に仕事に行けばカネがもうかるとだまされた」と述べている。黄氏の場合、日本の調査では生年月日を1927年12月1日、安氏には22年8月15日と述べているが、調査報告書はこうした矛盾点は無視しており、聞き取り時に確認した形跡もない。

2013.10.16 産経新聞 韓国に配慮、まず強制ありき 「事実より外交」のツケ重く

 河野談話の根拠となった元慰安婦への政府聞き取り調査のずさんさが産経新聞が入手した資料で浮き彫りになった。談話はその後も独り歩きし、国際社会での日本の立場を大きく傷つけ続けている。(阿比留瑠比)

 「当時、日韓関係を考えて、ポイントは(慰安婦募集の)強制性認めるかの一点だけだった。それを、元慰安婦の聞き取り調査内容を担当官から聞いた心証として認めたわけだ」

 石原信雄元官房副長官は今回、河野談話作成時の宮沢喜一内閣の事情を振り返った。石原氏は平成19年の民主党の会合では、「事実判断ではなく、政治判断だった」と証言しており、当時の政府首脳らのあやふやな「心証」が今も日本の足を引っ張っている。

 この頃、韓国側は元慰安婦の名誉回復に非常にこだわっていた。そのため、日本政府に「強制」を認めるよう強く求めていた

 「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」

 石原氏は産経新聞の17年のインタビューで、当時の政府の見通しをこう明かしている。ところが、政府が国内外、関係省庁に公文書館と「八方手を尽くして調べた」(石原氏)にもかかわらず、証拠文書も日本側の証言も見つからない。

 物的証拠を発見る。 

 このようにして、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話の下準備を進め、その上で臨んだのが、韓国側の要請と人選による元慰安婦の聞き取り調査だった。

 ただ、実際には調査は元慰安婦一人当たり3時間程度で、通訳や質問者が話す時間を考えると、証言時間は短い駆け足調査だった。そして、この「形式的な調査」(現在の政府関係者)のわずか5日後、河野談話は発表された。

 苦心惨(さん)憺(たん)して韓国のために強制性を認めた結果、日韓関係は逆に悪化した。 

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2013.10.24 【阿比留瑠比の極言御免】

 調査が実施された場所は太平洋戦争犠牲者遺族会という民間団体の事務所

 福島瑞穂弁護士(社民党前党首)同席していた。

 日本政府の調査団が聞き取り調査の冒頭、元慰安婦に「日本は、やってはいけないことをした」と必ず謝罪した。

 政府は聞き取り調査内容を非公開としているが、当時の新聞には調査に応じた複数の元慰安婦の名前が堂々と掲載されている。今さらプライバシー保護でもあるまい。

官房長官の想定内回答!
2013年10月16日 毎日新聞 慰安婦:調査ずさん報道に官房長官「河野談話に影響せず

 菅義偉官房長官は16日の記者会見で、産経新聞が同日付朝刊で「韓国での元従軍慰安婦への聞き取り調査報告書がずさんな内容だった」と報じたことに対し、慰安所の設置や管理などに旧日本軍の関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話の正当性には影響しないとの認識を示した。

 菅氏は河野談話について「政府文書の包括的調査や韓国での聞き取り調査などを総合的に判断した」と述べ、報告書だけを根拠に判断したのではないと説明。「安倍晋三首相は筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々を思い、心を痛めている。この問題を政治、外交問題にすべきではないと考えている」と述べた。

 同紙は、政府が93年7月にソウルで行った元慰安婦16人への聞き取り調査の報告書を入手したとし、証言の事実関係や氏名などに不正確な点があったと報じた。【鈴木美穂】

その場しのぎでのずさんな判断なのは、子供でも解る。がしかし、「安倍晋三首相は~政治、外交問題にすべきではない」との切断があるので、現時点での、模範回答。

 現実世界は結果論!屁理屈をいかにこねても、捏造の根拠として定着した「河野談話」が元凶である事は、誰もが、否定出来得ない現実である!

 犯人探しよりも、「捏造蔓延切断」が先!手遅れ末期癌は、投薬では生存不可!流血覚悟の切断殲滅(前掲靖国宣言)以外、生存の術は無い!

韓国紙の反応
2013/10/18 J-Castニュース 産経慰安婦「大スクープ」の反響 橋下市長は評価、韓国マスコミは反発
韓国紙「当時の教育水準の低さ考慮すべき」
   産経記事では新聞各紙のこれまでの慰安婦報道も「検証」、産経のみが一貫して「正しい」報道をしてきたと主張し、特に朝日新聞などに対しては「誤報」で誤解を広めたとして批判している。しかし産経の報道を、
各紙はほぼ黙殺している。わずかに毎日新聞が、前述の菅官房長官会見に触れたのみだ。

   逆に韓国紙は「河野談話を無力化しようと攻勢」(朝鮮日報)、「日本右翼言論が大々的に報道」(京郷新聞)などとこぞって大きく取り上げている。このうち左派系紙「ハンギョレ」は、報道の内容を「詭弁」とした上で、報告書の「曖昧さ」については、

 「当時の朝鮮人女性は9割が文盲であり、こうした高齢女性に何十年も前の経験を聞くということの『限界』と見るべきだろう」

 と擁護した。産経新聞は、こうした反応も盛んに取り上げるなど、連日「慰安婦キャンペーン」を続けている。

※日本統治(1910年)以前の父母は確実に「文盲」だが、以後(義務教育下)の生まれなので、「当時の朝鮮人女性は9割が文盲」は、捏造。朴槿恵現大統領の父、朴正熙大統領(1917年生まれ~1979年没)が証拠。日本統治下の義務教育を経て、日本陸軍士官学校まで進学し、戦後、大統領となった。

韓国管理洋公主証拠文書公開
2013.11.06 ハンギョレ新聞 ‘基地村女性管理’朴正熙 親筆署名文書公開
 
4につづく⇒

真実史観公娼に非ず!証言者は洋公主か私娼でニセモノ16歳以下虐待傷痕が証拠

4公娼に非ず!証言者は洋公主か私娼でニセモノ16歳以下虐待が証拠

予備知識

条約と法は復讐の連鎖の切断で人類隆盛の英知!「条約締結後の謝罪」は条約破り(宣戦布告)!

 開闢以来人類は、弱肉強食の戦国無法時代を頻繁に繰り返してきた。がしかし、その都度条約と法で法治国家を成し遂げ、隆盛を遂げてきた。もし人類に、「条約と法(復讐の連鎖の切断)」という英知が無かったなら、復讐の連鎖の殺し合いが続くのみで、人類は当の昔に、滅亡していたであろう!人類隆盛の源は、「条約と法」であると言っても、断じて過言ではない!

 条約締結(復讐の連鎖の切断)に、「人道や人権」や他のどんな理由をこじつけても、条約は条約、法は法!遡っての糾弾は、人類隆盛の英知の破壊で、「条約破りの宣戦布告」以外の何ものでもない!

 過去日本は、「人道や人権」という単語に「情をほだされ」た振りをして、思索脳皆無の半端者(鳩派等の見せ掛けの偽善者)が、「償いと謝罪」という過ち(「条約締結」で過去の怨讐を断ち切って謝罪は済んだのに、繰り返しの謝罪や42地方議会慰安婦決議等々)を犯し続けた

 どうしても謝罪(条約破り)をしたかったのなら、「既に条約締結済みなので謝罪や慰安婦への支援は、条約(人類の英知)破りの行為である。がしかし「思いやり」の思い止まず、例外中の例外として認めてほしい」と、国連で高らかに宣言した後に、成すべきであった。

 「思いやり謝罪」は矜持ある民族には通用するが、矜持皆無の民族(凶産支那族や朝鮮族や黄禍論白人等)には通用せず、逆に、「条約破り」の助長となり、今日の日本非難各国議会決議(米比豪蘭加EUと台湾)、米国地方議会決議や、捏造碑や像の設置に、拡大した。中朝韓罪日にとって「思いやり」は餌、「償い」は、大好物の餌にすぎず、催促して永遠に吠えるのみ!

 過去の日本は、謝れば済むといういかにも安易な偽善者、「事なかれ主義」蔓延の、極致であった。

 無辜の非戦闘員老若男女無差別大虐殺80万人(広島長崎の原爆や大空襲)は、「人道や人権」に反すると、歴史に打刻されたホロコーストである。なのになぜ日本は、凶産支那族や朝鮮族や黄禍論白人のように難癖付けしないか!敗戦国だからではない!日本は、過去の怨讐を条約で断ち切った法治国家だからである。日本は人類の英知、条約(SF条約)を尊崇し厳守する、法治国家だからである。条約の尊崇厳守は、法治国家たるゆえんである。

 日本国政府や国民は条約破りの愚行をこれ以上犯すな!「謝罪」は、条約破りである!

 2013年8月15日第2次安倍内閣は、「93年の細川護熙首相から歴代首相が踏襲してきた」この愚行を、破壊した。断ち切った!集票のみに奔走し、政治不在となった角栄以後の堕落政治から、やっと脱却したのか?したのなら休まず次へ進み難癖をコトゴトク断ち切れ。戦後68年が証拠!凶産支那族や朝鮮族や黄禍論白人等は引きドアではない、押しドア!

クマラスワミもマクドゥーガルも勧告したが国連は「勧告決議(条約破り)」に非ず

 マラスワミ・マクドゥーガル両報告書(各国決議碑文の底本は、「勧告はした」が、国連は留意歓迎で、「勧告決議(条約破り)」ではない。

 いかに「人道や人権」を冠しようとも、「SF条約や日韓条約等で締結済み」の事項をくつがえす禁を犯せば、「条約破り」となり、「条約は消え」、国連も消え去り、無法のWW3となる。結果、国連と言えども、「条約で締結済み」をくつがえす勧告決議」は、絶対に出来ないのである!このことを熟知の国連は、だから下記のように、「附属」扱いで本意をボカシ、追求をそらしているのである。「本文」を非難することで「附属文」の日本も叩ける。実に巧妙である!

 ところが、国連が「勧告した」かのように錦の御旗に捏造して輩は宣伝し、米比豪蘭加EUと台湾は、まんまとこの罠にハマリ、日米地方議会も罠にハマリ続けている。「言葉と文字界」は、いかに無検証で拡散するかの証拠である。偽造文書田中上奏文拡散手口と同じである。

黄禍論者が仕掛けたクマラスワミとマクドゥーガル報告書のソースは韓国捏造犯日資料証拠無き証言!

 マクドゥーガル(有色人)報告書(2000年8月最終報告)はクマラスワミ(有色人)報告書(20万人以上の女性を強制連行は証拠皆無の推論)をベースにし、「レイプセンター(強姦所)」と呼称、慰安婦は11~20歳、生き延びたのは25%(「朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいるは、証拠皆無の朝鮮人発言)等々捏造や妄想をさらに拡大している。報告書はクマラスワミ同様勧告だが、国連決議は「歓迎」で「勧告」ではない。

 主文は当時進行中(2000年)の旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダ虐殺で、主文の附属文書として55年以上昔の(1945年以前)の日本の慰安婦について取り上げているので、国連決議「歓迎」=「日本への勧告」とは成らない。がしかし、錯覚することは間違いない。現に、「日本叩き族」は、国連勧告決議(条約破り)断定宣伝している!

 両報告書とも主文「現代」に対しての過去(55年以上前)の「附属文書」で、両者ともに「有色人起用」は、主文に紛れ込ました錯覚目的の洗脳が明白に感じられ、同時に、黄禍論者「日本叩きの作為」を、明明白白に物語っている!

 黄禍論者が仕掛けたこの、「日本叩きが目的」の捏造両報告書が、慰安婦決議や、碑や像の設置や、米国歴史教科書等のソースである。

 中朝韓の犯日捏造洗脳教育(日本統治以前の無残な歴史の韓半島と、日本撤退以後の中朝韓同族大虐殺隠蔽目的)がネットの普及で一気に暴かれ、内乱の恐怖におののき便乗したのが朝鮮族と凶産支那族。

 「慰安婦等の日本叩き」は、白人黄禍論者(太平洋戦争は白人の正義戦争と捏造し、日本叩きで有色人連合阻止)と、朝鮮族と、凶産支那族の、捏造隠蔽が、目的である!

 

凶産支那族や朝鮮族や黄禍論白人等の難癖(条約破り)には根幹の条約締結済から始めろ!

 1992年のマハティール首相の真実を語る演説に、真実の伝播を恐れた白人黄禍論者は、2年後の1994年、犯日のみが取り得の大江健三郎にノーベル文学賞を与え、真実の隠蔽を図った。世界に語る文学など元々無い三流大江は、三流文学ではなく、一流の犯日を世界で語り、もくろみに応えた。効果覿面の思想戦で、岩波書店朝日毎日NHKなどがこぞって迎合扇動、国民はノーベル犯日賞に洗脳された。

 さらに白人黄禍論者は、折りからの、凶産支那族や朝鮮族の捏造犯日教育暴露防止と、国内懐柔目的の日本敵国化政策の一環慰安婦難癖に便乗し、工作した。

 1996年クマラスワミ(女性に対する暴力)、1998~2000年マクドゥーガル(武力紛争下の組織的強姦・性奴隷制および奴隷制類似慣行に関する最終報告書)と、畳み掛けた。

 既決事件(BC項目裁判等の条約以前の事件)を遡及した主文なら、条約締結済(不遡及)の一声で弾かれるので、クマラスワミとマクドゥーガル報告書は共に付属文書という脇役の形を取り、この難関を突破し、徹底的に日本を貶め、勧告と叩いた。黄禍論者の実に狡猾な工作である。狡猾な国連も「勧告」と言う条約破りは犯さず、「留意歓迎」で決議した。

 がしかし、生々しい同時代の主文(旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダ虐殺)と絡めたため、同時代と同一視され、錯覚混同、終いには主文を凌駕し、原則論(条約締結済)は隠蔽され、無法者日本軍と強調された日本叩き(条約破り)が一人歩きし始めた。黄禍論者や凶産支那族や朝鮮族の国連を抱き込んでの日本叩き(条約破り)が始まった。

 沖縄で米兵の少女強制連行強姦事件があったからといって、米軍関与の事件ではなく、米兵関与事件。米軍に有るのは監督不行き届き責任で、米軍関与責任ではない

 スマランで日本軍が少女を「強制連行し性奴隷」にした。だから各地でも日本軍がすべて関与し少女を「強制連行し性奴隷」にしたと、各地でもあったかのように証言者をかき集めて証拠作りをしてでっち上げたのが、凶産支那族や朝鮮族や黄禍論白人等の難癖(慰安婦証言)である。

 一事件を針小棒大に拡大し、更に日本軍が全面関与したかのようにするための偽装工作が、かき集められた証拠無き証言慰安婦である。

 それまで、46年間も証言者も無く無音だったのは、再断罪のスマラン事件以外皆無だったからに他ならない。

 スマラン事件発覚後即刻閉鎖(開店2ヶ月未満)し犯人は処罰した(国の関与で無い証拠)。更に犯人は、戦後のBC項目裁判で再び裁かれ死刑となり、60数年前に断罪で既決した事件である。そして日本は60数年前に条約締結済みである。既決の再公訴は禁止(一事不再理)で、条約締結後の遡及公訴や難癖は条約破りである。スマラン監督不行き届き事件は反省し、被害者には同情を禁じ得ないが、日本国は法治国家である、率先しての。法や条約破りは出来ない!

 万が一にも証言のようなことが仮に有ったとしても、条約締結(怨讐の切断)後のことなので、証言者各国が対処すべき問題である。日本関与は条約破りとなるので、関与(条約破り)出来る問題ではない。スマラン事件の証言者ジャンにおいてもしかりで、オランダに対処責任有り。特にオランダは二度も締結した国で有る。二度有る事は三度有るで、三度目のタカリが、慰安婦タカリである。オランダの矜持有る対処を願う。

 “1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で、日本側は「オランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表明するため」、1000万ドルを「見舞金」として「自発的」に提供。こうして、日蘭間の戦後処理は、平和条約と、さらに日蘭議定書において、オランダ政府はいかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことが確認された

 「二度有る事は三度有る」、このことは、難癖国家や民族(中朝韓蘭や朝鮮族)の難癖に応じれば、永遠にタカラレル、典型的な見本である。

 日本国は隠蔽された原則論(条約締結済)を全面に押し出してこれを前提に話し、立ち位置を明確にしたうえで、冤罪実証に入らなければ成らなかったのだが、「人道や人権」に惑わされ、「謝罪や償い」の「条約破り」が先行してしまった。その結果、「根幹の条約締結済」などそっちのけにされ、「強制連行・性奴隷を認めた極悪日本」が国際世論化し、正義感に燃えた世界の人類が総攻撃、日本大炎上と相成った!

 宮沢河野村山の、「決断せずの事なかれ先送り主義」が、全ての元凶である!

 

先人の冤罪を晴らし、汚名を雪げるのは、子孫以外には無い!

 以下の冤罪実証は「根幹の条約締結済」を前提にした上での実証である。万が一にも証言者の言うようなことが仮に有ったとしても、それは日本兵の一事件であって、日本軍関与責任ではない。日本軍監督不行き届きの責任は戦後糾弾され、死刑で既決。そして、すでに条約も締結済みで、対処は日本からは離れ、各国に移行している。各国政府も法治国家なら、歴史に末代まで残る「条約破り」の「タカリ」などせず、責任を果せ!

 広島長崎大空襲ホロコースト80万人の被害国だが、法治国家(条約や法を尊崇厳守)日本は、一度もタカラズ!タカルは恥は、天道。人類の英知(条約や法)尊崇厳守も、日本古来からの天道である。

 

公娼に非ず!慰安婦証言者は私娼の偽証16歳以下や虐待話や傷痕が証拠

日本軍慰安婦「公娼」就業年齢は17歳以上30まで

 「戦場の性」は万国共通で、現地調達扱いの使い捨て(人権無視の強姦)にするか、自前で保護管理の人間扱い(人権尊重の公娼)するかの違いがあるだけである。

 大東亜共栄圏構築で凶産(前門の虎)や宗主国(後門の狼)と対峙が、日本の大義。日本兵士の強姦事件となれば、一気に真逆の侵略軍となり、頼みの綱の同胞も敵となる。日本の大義を最優先し、真に簡便な「私娼の現地調達使い捨て」はせず、素人目にも、何とも手間が掛かる国内募集「公娼」の、外地派遣を選択した。

 オランダは「公娼」が伝統の国、統治下インドネシアにも当然いた全て自前の「私娼」におちぶれるのを拒否、当然の如く保障保護健康管理の「公娼」に殺到した。これが、オランダ女性の多い理由である。スマラン事件で唯一死刑になった岡田慶治少佐の「青壮日記」には、「受難時女性の豹変迎合」振りが、詳細に語られている。善悪を超越し、素直に読むべきである。受難時女性豹変迎合は、種保存本能。この種保存の本能があったから現在がある。善悪での単純非難は、次元が異なる

 当然各地にも私娼が居た。日本軍が来て一気に失業では暴動となる。強制しないこと、自由意志で応募したことを証する、本人のサイン付き同意書を条件にし、現地採用もあった。アヘン中毒者蔓延の台湾満州中国での日本統治は、アヘンを厳禁としない漸禁「ぜんきん(緩やかに禁止)」政策をとったのと同じ方策である。

 米軍1944年聞き取り時の年齢19歳~31歳。2年前1942年募集時年齢は、17歳~29歳。慰安婦募集広告年齢は17歳~23歳・18歳~30歳で募集されており、合致する。日本軍「公娼」の目的に反するので、年齢制限厳守は当然である。年齢詐称応募は自発の証拠。

 又、前掲証言に、「京城では日本人は組合組織の公娼中心の娯楽街『遊廓』内では、16歳以下の女子を使うと『打ち壊し』の刑で実際に壊されたケースもあったと聞いています」とあるように、「公娼募集時年齢は17歳~30歳」と断定できる。

 結果、就業動機は日本軍の「誘拐や強制連行」ではなく、朝鮮人の「誘拐や強制連行」や、「親の子売り」で、就業16歳以下証言の「公娼(日本兵相手)」は偽証である。偽証証拠は、日本軍の何とも手間が掛かる国内募集「公娼」選択目に、真逆に反する日本兵の虐待や虐待痕跡証言、米軍証言時の直訴皆無、日記の内容、事件発覚時の対処は直ちに閉鎖(スマラン事件)等々が証拠。 

 

偽証原因は李承晩の悪行隠蔽目的の犯日教育

 休む自由もあり、年季明けには辞める自由もあり、客を選ぶ自由もあり。怪しい業者に管理される現在の売春婦より、オープンで、遥かに高待遇である。当然「私娼」は忌避され「公娼」応募には殺到したであろう。なぜこのような高待遇なのに、裏切りの「偽証」証言者が続出したのであろうか?

 初代大統領李承晩の、悪行(同族や済州島等の大虐殺)隠蔽を最大目的とする日本敵化政策、犯日教育が原因である。

 終戦20年後の1965年日韓条約締結時には、犯日教育も20歳なのでまだ浸透せず、当時の当事者も健在かつ、そんな事実は無かったので、当然のごとくなんら問題にならなかった。

 ところが終戦46年後ともなれば、当時を知る当事者は死亡し証言者の捏造を疑う者がいなくなり、犯日教育も46歳、国民に浸透し、犯日国家が完成した。「私娼売春婦」証言では蔑視されるだけだが、「私は公娼(日本兵相手)慰安婦犠牲者で、 義憤に駆られて名乗り出た」と言えば、よくぞ名乗り出てくれたともてはやされ、韓国捏造犯日政策の愛国者広告塔となった。金や住まいや海外旅行等、見返りには、身寄り無き独居老人には法外な物を得た。

 偽証慰安婦の正体は、親に私娼やキーセン売られた子供や、日本軍の「公娼」に成れなかった「私娼」や、朝鮮戦争連合軍の「私娼」や、偽証言しても身内親族に迷惑のかからない身寄り無き独居老婆。

 

 偽証自白の「就業16歳以下で虐待や虐待痕跡」証言は後述するが、その前に「朝鮮慰安婦事情」の背景に迫って見よう。

子供でも解る朝鮮女性20万人は捏造

 クマラスワミ報告書61項 (b)「約20万人の朝鮮女性の軍事的性奴隷としての徴集」と明記されてある。がしかし、ソースは皆無。ソースは何としても「犠牲者」に成りたい朝鮮人であろうことは、明白であろう。

 当時の朝鮮(韓国と北朝鮮)の人口は2300万人(1940年帝国書院)なので、女性は1200万。当時の寿命60年として、該当年齢女性(15~20歳)は12分の1の100万人位か(ソウル大学教授李栄薫は、1940年の16~21歳の朝鮮女性は125万人と算定)。つまり、朝鮮族は、なんと妙齢女性5人の内の一人20万人)が、誘拐(日本軍が強制連行)されたと主張しているのだ!

 当時の朝鮮は日本統治の下で、女性も平等(日本統治以前の差別階級の女性には、名前すらも無かった。シャルル・ダレ著『朝鮮事情』)となり義務教育を受け、進学もしていたので、学校でも、村や町や市でも当然、大事件となったはずである。ところが、何一つ無し

学生の日」切っ掛けが光州(学生)事件

 1929(昭和4)年の光州(学生)事件。日本人中学生が列車内で、朝鮮人女生徒をからかったというのが発端で、大規模な学生抗議運動となり、朝鮮全土に広がった。日本撤退8年後の1953年、韓国はこの日(11月3日)を記念、「学生の日」とした。このような民族が、20万(5人の内の一人)もの強制連行性奴隷を、看過するはずなど無い!

厳重に取り締まった朝鮮少女誘拐事件

1932年(昭和7)~1939年(昭和14)朝鮮南部連続少女誘拐事件。朝鮮の南部地域(慶尚道・全羅道地域)で続発した。(資料・『京城日報』1939年3月5日夕刊・秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社1999年)

 犯人は京畿道京城府本町(現大韓民国ソウル特別市中区忠武路)在住の朝鮮人夫婦で、夫は大田刑務所の元看守であった。1932年(昭和7年)に、夫は大田刑務所を退職したが、転職の当てがなかったため、とたんに生活が苦しくなった。そして「金儲けは娘誘拐に限る」と称し、妻と共謀して連続少女誘拐と人身売買を手がけるようになった。

 慶尚北道大邱府南山町(現大邱広域市中区南山洞)の民家に犯人夫妻が訪れ、「俺は京城でも相当な資産家だ。子守娘を雇うのだが、君の娘はどうだろうか。京城の娘はどうも生意気で・・・」と言葉巧みに親を説得し、前金として10円を支払い、その家の娘(当時18歳)を引き取った。その後、娘を京城ではなく中華民国の天津に連れて行き、1000円で売り飛ばしたという。

 後の7年間、同様の手口で朝鮮半島南部の少女約150人を誘拐し、パスポートなしで渡航できた満州国や中華民国の人身売買市場に連れて行き、60000円を荒稼ぎしたという。

 1939年3月4日、全羅南道光州府(現光州広域市)から連れて来られた少女(当時18歳)は、身の危険を感じて犯人宅から逃亡した。犯人は「自分の姪がいなくなった」と東大門警察署に捜索願を届け出たが、不審に思った署員から問い詰められ、7年間の誘拐・人身売買を自白し、逮捕された。

 加害者及び被害者が全員朝鮮人だったことから、朝鮮語メディアである東亜日報や朝鮮日報が特集を組み、大きく取り上げられた。

※「150人を誘拐」とあるが、親が承知(売り飛ばした「誘拐」)なので、捜索願も出されない、売られた子供も承知なので訴えない。結果朝鮮人夫婦は、7年間も荒稼ぎが出来た。人身売買は、李氏朝鮮519年間からの、朝鮮人伝統文化で、日本統治直前まで、奴婢は物扱いで売買された!日本統治後禁止されたが、下部官憲はほとんどが朝鮮人なので、朝鮮伝統文化の人身売買「親の子売り」は、親も子も承知済みなので、事件にはならなかったのだ。

 

戦時中の朝日新聞 慰安婦強制連行したのは朝鮮人業者と報道 2013年9月1日  NEWS ポストセブン

1939年11月21日付(『大阪朝日・南鮮版』

婦女誘拐の一味 遂に送局さる 元釜山府臨時雇らの首魁

 官印偽造、公文書を偽造行使し多数の婦女子を誘拐した元釜山府庁臨時雇釜山府大倉町四丁目五十九番地金東潤(二十七年)ほか七十七名に係る公印偽造、公文書偽造行使詐欺誘拐事件は釜山署で取調中のところ今回取調終了、二十日一件記録とともに身柄を送局したが拘束者は金東潤ほか九名、起訴意見十一名、起訴猶予五名、起訴中止六名、不起訴五十五名である。

 被害婦人は二十八名に上り、このほか南洋方面に誘拐されたものも多数ある〉

1940年6月28日付『大阪朝日・西鮮版』

〈田舎娘など十四名も誘拐 一味送局さる

 京城府蓬莱町四丁目無職裴長彦(五十七年)ほか十一名は共謀して田舎の生活苦に喘ぐ家庭の娘、あるひは出戻り女など十四名を誘拐して酌婦あるひは娼妓などに売飛ばして約一万余円をせしめてゐた事件は西大門署で取調べてゐたが、二十五日一件書類とともに送局した〉

 

朝鮮族李朝差別あらすじ

 この事件の22年前までの李氏朝鮮519年間は、過酷な差別時代で、人間は家畜以下の虐待をされ、公然と売買された。さらに男尊女卑も過酷で、奴婢の女性には名前すらもなく、物扱いの売買や譲渡で、男性の慰み物であった。

 儒教(差別)思想暴走のあげくの果てが、朝鮮女性を動物のメス扱いした「試し腹」。

 「女は子を産む道具」でしかなかった朝鮮では、「道具が不良品(不妊症等)」では役立たず。種馬ならぬ「種男」という男(父や兄や叔父)が娘に「種付」をして、妊婦のみを嫁入りさせ、生まれた子供は売却可能な財産奴隷にしたという。当然石女は、更に差別された。

 「試し腹」とは実に的確な表現である。現代の常識では信じられないだろうが、朝鮮の女性差別は、当時の文献や制度や、現代の南北の、何でも有りの不条理状態を考慮すると、実に真実味を帯びた話である。有名な「乳出しチョゴリ」は、長男出産(最優秀道具の証明)の女性のみが着用を許された誇りの衣装だというのは、この「試し腹」を前提にすると、合点がいく。

 日本統治で、これ等の李朝差別が原因の悪弊は廃止されたが、日本撤退後は一気にこれ等悪弊は復活し、ナチのホロコーストに匹敵する大虐殺を引き起こした。済州島四三や保導連盟等の大虐殺は、動物を狩るが如くに、女子供妊婦老人までをもすべて「赤狩り」と称し、嬲り殺した。

 この朝鮮族悪弊復活の不条理と戦ったのが、四三大虐殺の済州島耽羅人である。12年間戦って島民四人の内の一人(8万人以上)が殺され、条理(耽羅人)が不条理(朝鮮族)に敗れ、征服された。以後耽羅人志士は死に絶え、韓半島南北は不条理のまま、現代に至っている。

 これらを隠蔽し矛先を反らさなければ、即座に国内は千々に乱れる。歴史捏造犯日教育、内政干渉(靖国参拝や歴史教科書)、東海呼称、旭日旗難癖、捏造碑、捏造慰安婦像等々の嘘の上塗りで洗脳しての日本敵国化政策は、国内人心懐柔が最大目的

 日本国民が真実を発信し韓国民の洗脳を解かない限り、この難癖は永遠に続く

 凶産中国難癖も、人類の敵凶産を破壊して洗脳を解かない限り、永遠に続く

 

(詳細は前掲と下記)

中朝韓は植民地独立付与宣言友好恩知らずの他力独立犬の躾外交が適切

凶産蜂起は捏造済州島四三は血が汚れるの朝鮮浄化殲滅軍対耽羅死守隊

5につづく⇒

真実史観公娼慰安婦騙りは“洋公主”と正体暴かれ火病発症の捏造常習犯朝鮮族

5公娼慰安婦騙りは“洋公主”と正体暴かれ火病発症の捏造常習犯朝鮮

2013年9月2日 XINHUA.JP 従軍慰安婦は“洋公主”、日本のネットユーザー発言に在米韓国人が激怒―韓国メディア

 韓国ニューシスは2日、日本のネットユーザーが「従軍慰安婦は『洋公主(ヤンコンジュ)』だ」と指摘したことに、在米の韓国系住民が激怒していると伝えている。環球網が2日伝えた。

 米ニュージャージー州の現地紙が8月30日、「第1回慰安婦記念マラソン大会」について報道したところ、日本のあるネットユーザーが「大部分の米国人は従軍慰安婦が洋公主だということを知らない。洋公主は朝鮮戦争の時期に連合軍のために用意された売春婦だ」などとコメントした。また、「洋公主は韓国の諜報員が『共産主義者』『北朝鮮の協力者』として適当に逮捕し、強姦された末に米軍基地の付近に送り込まれた人々だ」とも指摘している。

 報道によればこうしたコメントに在米の韓国系住民が激怒した。マラソン大会を主催した韓国人団体の代表者は、「慰安婦は第2次世界大戦中に日本軍にとらえられ、性の奴隷として犠牲になった人々を指す。洋公主と一緒に論じてはならない」と批判の声を上げた。(編集翻訳 恩田有紀)

2013/09/04 Jcastニュース 韓国系団体が「慰安婦マラソン」米国で開催 「日本が謝罪し、旭日旗が消えるまで走る」

 

証言慰安婦正体は“洋公主”の証拠!朝鮮人のみが圧倒的多数234生存者は58人で他国証言者は数人!

日本軍「公娼」とは雲泥の差!「強制連行・性奴隷」“洋公主”!

洋公主(ヤンコンジュ)資料wikipedia(韓国軍慰安婦)

 洋公主(ヤンコンジュ)は、日本軍撤退後の売春婦(強制連行・性奴隷)の呼称で、「洋パン(ヤン・セクシ)」や、毛布一枚で米軍基地について回るという意味で「毛布部隊」の別称がある。

まごう方無き「強制連行・性奴隷」悲劇の洋公主(ヤンコンジュ)事情

 敗戦で日本軍が撤退した朝鮮半島は、1945年9月2日から連合軍軍政下になり、日本軍の「公娼」も連合軍に引き継がれたとあるが、日本軍「公娼」が自発で居残ったかどうかは、定かではない。以後の「売春婦狩り」の凄まじさを考慮すると、ほとんどが離散と推察される、

 治安維持した日本軍撤退するや否や、砂の人心朝鮮人の内乱勃発。人種差別族朝鮮人賎民がすぐに暴れ出した。関東大震災時に暴れ出したのと、全く同じである。国難時に一丸の日本とは、真逆である。

 

大虐殺「朝鮮人同士の殺し合い」と民族浄化

1946年韓半島南の暴動勃発「10月人民抗争」 虐殺数は不明

「朝鮮人の耽羅(済州島)人民族浄化

1948年済州島「四・三事件」は朝鮮人の民族浄化。済州島(耽羅)人4人に1人の8万人以上が虐殺された

1948年8月15日米国の支援を受けて韓国(大韓民国)が建国された。

1948年9月9日北朝鮮(民主主義人民共和国)が建国。

「朝鮮人同士の殺し合い

1950年6月25日朝鮮戦争 南北の死者400万人(北250万人)。実体は南(ニセ者9割の差別民と被差別民)対北(被差別民)。呼応した南の被差別民の助力で、たった2ヶ月で一気に釜山まで南下した。以後差別民(両班と自称両班ニセ者9割)韓半島南の韓国は、被差別民を凶産と捏造、済州島人同様虫けらの如く虐殺した。

1950年保導連盟事件    韓国30数万人虐殺(60~120万人。ハンギョレ21。2001.6.20)

1951年居昌事件       韓国8千人以上虐殺

1951年国民防衛軍事件   韓国10万人以上虐殺

1953年7月27日朝鮮戦争休戦

 

人ではなく物扱いの“洋公主”日本軍「公娼」とは段違い!

 韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成し、直接慰安所を経営した。部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した。

慰安婦は「第五種補給品」とよばれた。

 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めてトラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した。補給された女性達は夜になると開店し、アメリカ兵も利用した。韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を、「特殊慰安隊」と呼んだ。

 

韓国軍韓国内強制連行

 韓国軍慰安婦の調達類型には、軍人の拉致強制結婚、性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった。また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった。慰安婦に対して、韓国政府や軍は、「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」したという。日本軍「公娼」とは、雲泥の差である。

 

韓国軍北朝鮮人女性の強制連行

 韓国軍の北派工作員は北朝鮮で、拉致と強姦で強制連行し、強制的に性奴隷(慰安婦)にした。

 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうち、まだ疎開しなかった女性などが、共産主義者を助けたとの名目で強制連行性奴隷にされた。

 

国連軍や韓国軍による性暴力と強制連行

 韓国軍慰安婦のケースでは、韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている。韓国における慰安婦は、アメリカ兵に残忍に殺害されることや、アメリカ兵によるとされる放火で、命を落とすこともあった。

 崔吉城は論文「朝鮮戦争における国連軍の性暴行と売春」において、韓国において国連軍がソウル市北部の村で日中、シェパードを連れて女性を捜索し、発見後に強姦に及んだり、またジープにのって民家を訪れ女性を強制連行して性暴力をはたらいたことや、韓国人兵士が韓国人女性に性暴力や性拷問をはたらいたことを紹介している。

 

朝鮮戦争時の慰安婦の数物扱いの女性

 総数は不明。金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は、30万人余りに達したと推測されている。

 韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』によると、韓国軍慰安婦は、1952年における4小隊に限ったケースだけでも、89人の慰安婦204,560回行為を行わされた

 

モンキーハウス

 アメリカ軍相手の慰安婦が性病をわずらうと、韓国警察により、モンキーハウスと呼ばれる窓に柵のある留置所に、強制隔離された。また、病気ではないと証明された場合には、犬のようにタグ(番号札)を付けることを強制された。まさに物扱いである。

 

日本軍「公娼」とは真逆の「扱い」!“洋公主”の悲劇告白!

2009/01/07 N.Y.T.“Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases

日本語訳

「元売春婦洋公主が語る、ベース傍での、韓国とU.Sの有セックス貿易」

 連行され、大日本帝国のために売春宿で奴隷として働かされていた韓国女性たち。戦時中における、その醜い行いについて長年どれだけの責任を負うのかと、韓国は日本の言い訳に対して非難を行ってきた

 今、韓国の元売春婦のグループは異なる権利を悪用したとして、当時の政府指導者らを告発した。

 北朝鮮から韓国を守った米兵と性交渉するよう奨励し、1960年代から1980年代までの間、直接性風俗業界の手綱を取っていたとして過去の韓国政府と米軍を起訴したのである。両国は売春婦がアメリカ軍を相手にするとき、確実に性病もちでないようにするため、テストや処理システムも共同で構築していたという。

 彼女らは、体面のためにアメリカ当局がそういったシステムの構築を強要していたという主張には全く耳を傾けず、自らの歴史については厳しい態度をとらずに、日本には賠償金を求め続けている韓国政府を起訴したのである。

 「わたし達の政府は、米軍の大きなポン引きの一人だったんです」訴えた女性の一人、Kim Ae-ran(58)さんは最近のインタビューでこう話している。

 売春を奨励していた問題の人々の動機のひとつに、韓国政府はアメリカ軍が撤退することを恐れており、それを防ぐためならなんでもすると考えていたことにもあるという。しかし、彼女らは、朝鮮戦争後数十年間の戦後経済を支えるために政府は、売春婦たちを商品としてみなしていたと示唆している。

 政府は官僚らを、基礎英語とエチケットを売春婦たちに身に付けさせるといった後援(もちろん、より高く”売る”ために)だけではなく、外貨不足で韓国が破綻していたときにも、ドルを獲得するために激励へ行かせていたという。

 「彼らはわたし達を“ドルを得る愛国者だ”と褒め、出来るだけG.I(アメリカ兵)に体を売るように促したんです」

 奨励者(官僚)らはアメリカ軍が性感染症について懸念していたため、基地を囲んでいた売春街での、”取引”を規制する試みにも関わるようになっていったという。

 幾人かの女性が主張している最も扇動的なものの1つに、1960年代から1980年代までの間にアメリカの憲兵隊と韓国の当局が、性病を広げていると思われる女性を探して、クラブを定期的に立ち入り検査をしていたというものだ。彼らは軍人たちが、簡単に性交渉の相手を決めれるように、売春宿によって無理やり付けられていた番号札を利用して女性を選別。

 それから、韓国の警察が病気であると思われる売春婦を連行していったと言う。そして、いわゆるモンキーハウス(麻薬中毒者の隔離施設で窓には鉄格子がついている)に拘束し、回復するまで、無理やり売春婦達は薬物療法を取らされたという。

 彼女らは、第二次世界大戦中に日本人によって売春を強要されたことについて、広く公共の共感を勝ち得たいわゆる従軍慰安婦と、自分達を比較し、補償と謝罪を求めている。自ら選んだ、必要だったから、強制であったかに関わらず、売春婦は全て政府の政策の犠牲者であったと言うのだ。

「活発だった関係官庁の連帯や売春街への助力は、どこがしていたのか、という質問には、韓国政府米軍の両方だと答えます」と、1997年に“Sex Among Allies.”を執筆した学者のKatharine H. S. Moonは言う。

 韓国の女性部(盧武鉉政権下で発足した、男女平等実現のための専門部署で女性問題を扱う)は、この件についてのコメントを差し控えている。ソウルにあるアメリカ軍司令部も同じくだが“、人身売買売春などの非合法活動は容赦しないか、または支持しない”との一般論では、返答してきている。

 ニューヨークタイムズでは米軍基地近くの売春宿で働いていた8人の女性にインタビューを行った。その結果、韓国とアメリカの記録文章を再検討することになった。 時の流れの中では、ほとんど断片的であると言えるが記録文章は、女性らの主張の多くを何らかの形で補っていた。女性らは、この習慣は何10年にも渡り続いていたと主張している。

 ある意味、女性の主張は驚くべきものではない。何十年もの間米軍基地の近くで、不法である売春を韓国が許可していたのは明らかであるからだ。世界中の軍事基地の周囲と同じように、韓国でも飲み屋や売春宿は、長い間米軍基地を囲むようにして立ち並んでいる。

 また、議会の傍聴録の写しには、少なくとも何人かの政府指導者が、ある種の必要性があるとして売春を見て見ぬ振りしていたと示唆する、記録が残っている。1960年には、2人の議員が、同盟国軍人の「自然に必要なもの」が売春婦の供給によって満たされており、韓国ではなく、日本へ、彼らがドルを費やさないよう仕込むべきだと、政府に促している。

 当時のLee Sung-wooは答弁で、政府が、「売春婦の供給」とアメリカへの「レクリエーションシステム」における、幾つかの改良を進めていると答えている。

 KimさんとMoonさんの二人は、性病のコントロールが両国政府のために行われていたとする女性らの主張を支持している。彼女らは、リチャード M. ニクソン大統領が1969年に米軍撤退のプランを発表したことで、米兵の数がさらに減少すると韓国は恐れ、政府によるコーディネートが特に著しくなったと、言っている。

 「お客が去っていくのを思いとどまるためには、売春街でどれだけ良く扱われたかと感じさせることだと考え、まず環境を整えることになりました」とKimさんは、テレビのインタビューで答えている。

 Monnさん(ウェルズリー大学教授)によると、1970年代に米軍高官と韓国政府官僚会談議事録に、両国で性病の流行を予防するための期間を示すものがあったという。未登録、または健康診断を受けなかった売春婦を拘束し、売春婦として登録するためには処置を受けたことを保障する人や診断書が必要であるなどの政府努力や、1976年における共同巡回に関するレポートには、”隔離”を勧める内容も含まれていた。

 最近、売春街は存在しているものの、韓国経済が急進したことで、フィリピンからの女性らが彼女らに取って代わり始めている。多くの元売春婦は主流社会から隔離された売春町に住んでおり、大部分は貧しく社会からは忌避されいる。養子縁組のため、海外へと送り出した混血児の思い出にとり憑かれた者もいる。

 Jeonさん(71歳。姓を明かすだけを条件に取材に同意してくれた)は1956年の18歳の時に、戦災孤児になり、飢えに追い込まれ、北朝鮮国境に近いDongduchonの売春街で働きはじめたという。1960年に男子を産んだが、アメリカのほうがより良い未来があるだろうと信じるようになり、息子が13歳のときに、将来のため彼を手放した。

 10年ほど前に、米兵となった彼は、彼女を訪ねてきてくれたが、もう自分のことは忘れるように言ったという。

 「わたしは母親として過ちを犯してしまいました」と、Jeonさんは言う。現在、廃品回収業でわずかな収入を得て、福祉援助を受け暮らしている彼女は、「わたしが今、彼に頼れるような権利は全くないんです」。「そして、自分の人生について考えれば考えるほど、私や私のような女性たちは、韓国とアメリカの同盟による、最大の被害者だと思うようになりました。」と話す。「振りかえると、私の体は自分のものではなく政府と米軍のものだったんだなと思います」。 (翻訳 2ch 壱軸冠蝶φ氏

※最後の行の懺悔は胸に迫る。時代に翻弄されたこういう人こそが救われるべきで、捏造仕立てで日本軍に濡れ衣の、ほら吹き“洋公主”などではない!

 

若年就労や虐待証言傷跡は日本軍管轄の公娼に非ず洋公主キーセン独居老婆を自白

 「公娼」の強制就労虐待発覚は、管理する日本軍が即刻閉鎖した(スマラン事件)ので、真の日本軍「公娼」は皆無ではないか。慰安婦証言のほとんどが、当時の「私娼」か、後の朝鮮戦争等の「私娼」であろう!名乗り出た慰安婦の若年(11歳~)就労証言は、キーセンや私娼窟に親に売られたとの自白で、「私娼」証拠が、虐待や虐待痕跡

 高給な日本軍「公娼」は、それまで送金した貯えも有る。終戦46年後に証言者となって、自分や親や、身内親族を世間に曝す必要など、サラサラ無い。さらにニコン慰安婦写真展のモデルになって、身内親族共々の醜態を曝す必要なども、無い!慰安婦モデルや慰安婦証言者は、日本軍「公娼」に成れなかった「私娼」や洋公主以外の、何者でもない。

 日本軍「公娼」が証言者なら、「文玉珠」のように「天罰が下る」。

 

「文玉珠」以外の日本軍「公娼」証言者を、“私娼洋公主”証言者とすれば、全てが合致する!

金学順(キム=ハクスン1924 ~1997年)

1991年8月15日(ハンギョレ新聞)

 『ハンギョレ新聞』の報道により、金学順(キム=ハクスン)が「親に売り飛ばされた」と証言していた事が発覚する。「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセンの検番売られていった3年間の検番生活を終えた金学順さんが最初の就職だと思って、検番の養父に連れられて行った所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」。

1991年8月16日(朝鮮日報)

 8月16日「1940年春、中日戦争が最も激しかった中国中部地方の鉄壁陣という所にわけも分からなくて売られて行きました。中国人が戦争のために捨てて行った民家を慰安所として整備していたのです」。金(キム=ハクスン)氏が到着した場所ではミヤコ、サダコと呼ばれる17~21才の韓国女性3人が、日本軍を相手にすでに売春行為をしていた」。

14歳で売られてキーセン3年間の検番生活を終え(17)帰ったが、又「私娼窟」に売られた。日本軍を相手とあるが、「売春婦から日本軍の犠牲者に変身」するための偽証であろう。

 

文玉珠(1924~1996)は「公娼」証拠有りだが他は証拠皆無!

金学順に便乗し郵便貯金数千万円返して元慰安婦文玉珠

1992年5月12日毎日新聞 元慰安婦文玉珠郵便貯金数千万円返して

従軍慰安婦の軍事郵便貯金原簿確認「返して」下関で韓国女性

 第二次大戦中「従軍慰安婦」として強制連行されたミャンマー(旧ビルマ)で預けた軍事郵便貯金の支払いを求めていた韓国・大邱市在住の文玉珠(ムン・オクチュ)さん(68)が11日、山口県下関市の下関郵便局を訪れ、貯金の原簿があったことが分かった。元従軍慰安婦による強制連行先での軍事郵便貯金原簿の存在を日本側が認めたのは全国で初めて。

 局側は「1965年の日韓協定などで権利は消滅した」としているが、文さんは「個人の請求権は消滅していない。【日本人】として貯金した個人のお金だから、返して」と訴えている。

 文さんは3月、市民グループの招きで来日。当時、貯金の管轄郵便局だった下関郵便局に2度にわたって調査と支払いを求めていた。

 原簿によると1943年6月から1945年9月まで12回の貯金の記録があり、残高は2万6145円となっている。

 文さんの話では、1942年、18歳の時に釜山から百~百五十人の若い女性と共にヤンゴン(ラングーン)に連れていかれ、日本軍人の相手をさせられた。歌が上手だったことから宴会にも呼ばれ、もらったチップを野戦郵便局に「文原吉子」名義で貯金していた。――

 

通帳によれば、1943年から1945年の間に12回振り込みがあり、その貯金残高は2万6145円に上がっている。これは今の金額にすると数千万円に相当する。当時日本軍の陸軍大将の年俸は6600円だった。従って文玉珠は陸軍大将の約二倍稼いでいたことになる」二年間一銭も使わずに貯蓄したとしても、日本陸軍大将は1万3千円しか貯蓄できないのである。当時、従軍慰安婦がどれほどの大金を稼いでいたかがわかる証拠となった。

元慰安婦文玉珠ムン・オクチュ又はムン・オクジュ)の食い違う証言

1996年5月法廷での証言

 「文さんは十六歳の時、日本人の憲兵らに呼び止められ、大邱市から旧満州(中国東北部)などに強制連行されて慰安所で働かされた」。上記証言とは異なる。

誕生日

 証言集では「1924年4月3日」だが、手記では「1924年4月23日」。

父母

 証言集では「働いていたが決まった仕事はなかった。8歳の時、父死亡」。手記では「両班の家系で独立運動家。7歳の時父死亡」。

慰安婦になるまでの経歴

 証言集では「私立の夜間学校に3年通う。10歳から15歳、お手伝い。15歳から17又は18歳まで、靴下工場勤務。17又は18歳、ビルマに行き、慰安婦にされる」。

 手記では「12歳頃九州で働く。半年で帰国しキーセン見習い。16歳、満州へ拉致される。17歳、帰国してキーセンになる。仲間とビルマに渡り慰安婦となる」6につづく⇒

真実史観“洋公主”と“私娼”の区別が明確な「ナヌムの家」終の棲家住人証言

6“洋公主”と“私娼”の区別が明確な「ナヌムの家」終の棲家住人証言

慰安婦となったときの感想

 証言集では「びっくりして、昼も夜も泣き通しだった」。

 手記では「薄々察していたので、驚かなかった」。

※慰安婦証言ではただの売春婦なので非難のまとだが、強制連行・性奴隷・私は被害者となれば、同情を得て非難とはならない。この慰安婦証言法則が徹底されていなかったのでこうなった。ある意味で正直な方である。12歳キーセン見習い16歳、満州へ拉致されたのが17歳。帰国してキーセンから「日本軍公娼」に自発で応募し慰安婦となった。

 

李容洙(イ・ヨンス、79)と金君子(キム・クンジャ、81)

 騙れば老人天国!証言者利得は、金がもらえて、いろんなとこに金をもらって行けて、「話すだけで」歓迎され、旨い物が食える。まさに、騙れば極楽が偽証慰安婦!

「米国下院121号決議」の前に下院公聴会にて自称慰安婦として証言

2007年02月16日[韓国の新聞中央日報日本語版] 

米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国2・オランダ人女性1人が証言

 ――下院外務委員会アジア太平洋・環境小委が米議会史上初めて開いた‘慰安婦聴聞会’では、李容洙(イ・ヨンス、79)さん、金君子(キム・クンジャ、81)さん、ジャン・ラフ・オハーンさん(85、オランダ)の3人が、日本軍の慰安婦として連行されて受けた侮辱を生々しく証言した。 200席余をぎっしり埋めた傍聴客は3時間以上続いた証言を粛然とした雰囲気の中で傾聴した。

 

◇「犬や豚以下の生活=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。

 続いて、16歳だった42年に中国連行された金君子さんが証言した。金さんは「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」とし、「日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」と語った。続いて「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった」と述べた。金さんは「45年8月の終戦で日本人が‘出て行け’と言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った」と悲惨な帰郷過程を伝えた。金さんは「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」と涙声で話した。

※16歳連行、虐待証言は真に見事な「偽証自白」である!内容は“洋公主”自白証言!詳細は下記。

李容洙http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%AE%B9%E6%B4%99

金君子http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%90%9B%E5%AD%90

 

吉 元玉(キル・ウォノク 1928年~)

2008/6/9 吉ハルモニのおはなしー吉元玉さんの証言を聞く夕べから

――証言者:吉元玉(キル・ウォノク)さん 1928年 現在の北朝鮮 平安道生まれ

 13歳の時に、工場に就職させてあげるということを聞いて、「それなら技術も身に付けられるし、工場に行っていいな」と思って、本当に物心もつかない幼い軽はずみさで、家族の誰にも言わず、信用してついて行ったのが始まりでした。(連行時、吉さんは13歳)行ったところが、ハルビンのあの恐ろしい、今いう「慰安所」でした。

 慰安所には監視する人と軍人がいました。監視する人は普段何もしてくれず、叱る時だけ来ます。小さな部屋に入れられ、言われることと言えば、「叫ぶと殺すぞ」「死にたいのか?」の繰り返しです。

 13歳ですから、当然泣くし、泣くとこぶしで殴られました。幼かったので、軍人の欲望を満たすことができませんでした。それでさやのついた刀で頭を殴られたこともありました。私が殴られて血まみれになっても軍人は自分の欲望を満たし、監視人は服を着替えさせてもくれませんでした。あとから周りの女の人が着替えさせてくれましたが、血で(くっついて)服を脱がせることができず、びりびり引き裂いて脱がせてくれました。

殴られて痛くてもっと泣くと、足で蹴ったり、更に殴ったり、軍人が監視人に私が従わないと言うと、それを理由にまた殴られました。子どもでも容赦なく乱暴な扱いを受け、食べさせてもらえない時もあり、誰も慰めてくれる人もいません。そんな状況で月日が流れました。生理があるときも、構わず相手をさせられます。敷物が真っ赤になっても、軍人は自分の欲望を満たさないと出て行きません。

身体を洗う、下を拭くこともできず、次々に相手をさせられました。子宮も傷つき、子どもも生めませんでした。――

※13歳(1941年)強制連行、虐待証言はこれまた真に見事な「偽証自白」である!

 

2013年5月18日 毎日新聞<元慰安婦>橋下氏と面会予定の吉さん、「暴言」と批判

 旧日本軍の従軍慰安婦だった韓国人女性、吉元玉(キルウォノク)さん(84)が18日、広島県福山市の集会で講演し、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が従軍慰安婦制度を「当時は必要だった」と述べたことについて、「過去の過ちを認めて謝罪できないまでも、暴言を吐いてはいけない」と批判した。

 市民団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」の招待で来日した。吉さんは日本の植民地だった朝鮮で生まれ、11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられたという。終戦後に解放されたが、南北分断で北朝鮮になった故郷には戻れないまま、韓国で暮らしている。99年に韓国政府に慰安婦だったことを申告。以来、国内外で自身の経験を証言する活動を行っている。――【菅沼舞】

※「11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手」とは上記とは異なる。嘘の上塗りの自白である!

 

金福童(キムボクトン87)

2013年5月20日 沖縄タイムズ 社説[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」

 尊厳が傷つけられた過酷な体験を当事者自らが証言する言葉の意味は重い。

 旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。

 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、年間、「慰安婦」を強いられた

 橋下氏が強制連行の証拠はない、と繰り返していることに「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と批判した。――

 ――慰安婦問題の真実を伝えようと、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は来月初めまで各地で証言集会を開く。金さんはその一環として来沖した。同じく韓国人元「慰安婦」の吉元玉(キルウォンオク)さん(84)も来日しており、2人は24日に橋下氏と面会する。

※14歳強制連行、「8年間、「慰安婦」を強いられた」証言はこれまた真に見事な「偽証自白」である!橋下氏と面会は、金福童(87)吉元玉(84)2人が直前にキャンセルした。弁護士相手では偽証がバレルからである。

 「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という。慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。そのころ日本軍は存在しない。各地の(民間の)売春宿(私娼窟)を渡り歩いていたのではないか。

 

李守山(イシュサン85)

2013年6月17日 琉球新報 焼きごて、子宮摘出… 元「慰安婦」李守山さん、シンポで証言

 日本の歴史認識を考えるシンポジウム「『朝鮮人強制連行』と『従軍慰安婦』をめぐってPart2」(おきなわ「日韓政経・文化」フォーラム主催)が16日、那覇市の沖縄大学で開かれた。約150人が参加した。病身の体を押し、元「慰安婦」の李守山(イシュサン)さん(85)が証言した。李さんが沖縄で証言するのは初めて。旧日本軍による拷問で体中にやけどを負い、妊娠発覚後に子宮を摘出させられた過去を振り返った李さんは、「慰安婦」の強制性を否定する日本国内の動きに「これが私の人生です。皆さん、力を合わせて一緒に、『慰安婦』は強制だったと言ってほしい。そうしてくれれば、何も望まない」と声を振り絞った。
 海辺の村で暮らしていた17歳の時、警察官に「紡績工場に就職できる」とだまされ、少女7人で汽車に乗せられ、満州の牡丹江にあった旧日本軍の慰安所へ連れて来られた。兵隊は毎日、列をなした。脱走した李さんを焼きごてによる拷問が待ち受けていた。妊娠して子宮を奪われた後も、慰安所に戻された。涙する李さんに、会場も泣いた。李さんは「これが強制じゃなくて何なのだろう。日本政府が謝らなければ、心に一生傷が残る」と訴えた。――

17歳と年齢は適合するが、「拷問で体中にやけどを負い~焼きごてによる拷問~妊娠して子宮を奪われた」は、「日本軍公娼」に非ずとの「偽証自白」で「私娼」としての体験であろう!

 

2013/07/13 東亜日報 

 ――イ・オクソンさん(87)――「日本の反省のない行動に憤りを感じる」――

「慰安所に行ってみたが、人の住むところではなく、と(原文は漢字言葉狩りで使用不可)畜場のようだった。幼い少女らに豚草や飼料を与えて食いつながせ、死の危機も何度も経験させられた。日本軍が自分を無理やり連れて行ったが、日本軍は関わっていないなんて…。」

 イさんが1942年、16歳の時に、日本軍慰安婦に連れて行かれ、中国吉林省延吉で、独立する時まで経験した出来事を、生々しく伝える――

※親に売られた私娼で行ったのは中国吉林省延吉の私娼窟で、連れて行ったのは女衒。証言が偽証自白である。

 

結局は「人権騙り」金よこせギャングの「タカリ」

2013年8月13日 時事通信 元慰安婦が調停申し立て=日本政府に慰謝料求める―韓国

 【ソウル時事】旧日本軍の従軍慰安婦だった韓国人女性12人が13日、日本政府を相手に、1人1億ウォン(約870万円)の慰謝料支払いを求める民事調停をソウル中央地裁に申し立てた。ただ、日本政府が調停に応じる可能性は低く、この場合、韓国での損害賠償請求訴訟も検討しているという。

証言のみで証拠なし韓国主張を、丸鵜呑みし「元慰安婦」と決め付けている。日本の無辜無知の国民は、「真の旧日本軍従軍慰安婦」と洗脳される。日本の報道社なら、「いわゆる元従軍慰安婦」を冠するのが常識。

 

イ・オクソン(85)カン・イルチュル(85)

2013/08/16 「たった億千の賠償金では韓国慰安婦の傷ついた心を癒せない」 韓国慰安婦から常識外れのデマ証言が続出 ソース:2013.08.14 朝鮮日報(韓国語) "億万金くれても傷いえないで…日謝罪受けたい"

 ――「おつかいに出かける途中で拉致されて中国の慰安所に引きずられて行って、逃げて途中で日本軍に捕まると歩けないようにするといって斧で切って58年ぶりに故郷に帰ってくるとかなり以前に死亡届が出されていたよ」

 ――「日本が億万の金をくれるといっても傷は癒えません。私たちがみんな死ねばこの問題が解決されるとでも?とんでもない、歴史が記憶しています。」

 ――イ・オクソン(85)カン・イルチュル(85)

 ――イ・オクソンおばあさんが日本軍に引きずられて行ったその日の記憶をかろうじて取り出した。おばあさんは釜山(プサン)中区(チュング)宝水洞(ポスドン)で生まれた。1942年7月29日昼間、当時14才だったおばあさんはお母さんのおつかいに出かける途中、大通りで日本軍に拉致されたといった。両手と足が縛られたまま水一滴ももらえずに中国・延辺の慰安所に引きずられて行った。「とても泣いて目がぷっくりと腫れたが、それでも幼な心に中国の土地が珍しく、好奇心も生じたよ。だが、即座にいやだということが分かったよ。」

 ――おばあさんは慰安所を‘人を捕まえる屠殺場だ’といった。話が理解できなければ鞭打ちを受けた。右前腕の長さ5cmの刃物跡もその時にできた。靴下を脱ぐと足の指の上にも薄赤い傷があらわれた。「逃げて途中で捕まると‘再び歩けないようにする’といって斧で足を切ったよ。足が落ちなかったのが不思議だ。」おばあさんは今でも助けなしでは歩けない。子宮を摘出されたし、聴力と視力、歯はもちろん、心臓と腎臓機能も正常ではない。おばあさんは「私より幼い11才ぐらいの子供たちはもっとひどい目にあった。幼い子供たちが何を分かっていたのか」といった。
 カン・イルチュルおばあさんの涙腺はこの日も乾かなかった。慶北(キョンブク)尚州(サンジュ)の‘干し柿屋の末娘’だったというおばあさんも、14才の時に中国・吉林の慰安所に引きずられて行ったといった。おばあさんは「もうどれだけ生きられるか。真心のこもった謝罪を受けたい」といった。

※イ・オクソン(85)証言14才強制連行や虐待や刃物跡は偽証自白。カン・イルチュル(85)証言14才強制連行も偽証自白。

金福童(キムボクトン)前掲
2013/08/17 東亜日報
 ――キム(金福童=キムボクトン)さんは2000人以上の水曜集会参加者の前で、「日本が降参しなければ東京に少女像を建てる」と述べた。
※豚もおだてれば木に登るの類である。本性の白状である!

捏造をばら撒く韓国の慰安婦活動家
2013年07月08日「慰安婦制度は非人道的な犯罪」、韓国の慰安婦活動家が中国メディアの取材に応える―中国紙

 中国共産党機関紙・人民日報は8日、「慰安婦制度は反人道的な犯罪」と題した韓国の従軍慰安婦活動家尹美香(ユン・ミヒャン)氏のインタビューをまとめた記事を掲載した。以下はその内容。

 ――韓国挺身隊問題対策協議会に登録した元慰安婦は計237人。当時の年齢は11歳~28歳で、特に16歳~17歳に集中していた。慰安婦の“募集”方法は誘拐や脅迫、詐欺、人身売買など。慰安所に連れて来られた女性は昼夜を問わず体調が悪かろうが、強姦され続けた。その期間は42.2%が3年から7年、長い人で14年にもわたった。旧日本軍は彼女たちを薬物中毒や拷問などの方法で服従させた。

 ほとんどの被害者が性病にかかったり、強制堕胎や避妊手術を受けさせられたりした。日本軍の投降後は現地に置き去りにされ、故郷に帰る術もなく、現地で孤独死したり、殺害されたりした。――

※「年齢は11歳~28歳~誘拐や脅迫、詐欺、人身売買~薬物中毒や拷問などの方法で服従」は、偽造自白!

チェ・ソンスン(2913年8月24日永眠享年87歳)
2013/08/26 「父親の薬を買いに行ったら連れて行かれて」、「心が傷ついたのは周囲の冷たい視線」ソース:NAVER/聯合ニュース(韓国語)
(写真) 【韓国】日本慰安婦被害のチェ・ソンスンさん、寂しく『永眠』

 「16歳の時に父親の薬を買いに出かけて日本軍に捕まった。(慰安婦時代)とても苦しくて失性(気が狂うこと)した。日本軍が出て行くと後ろに向かって“パンパン”と叫んだ」

 去る24日に享年87歳で生涯を終えて、日本政府の謝罪を一言も聞けずに永眠した故・チェ・ソンスン・ハルモニ(お婆さん)は、慰安婦で日本軍に徴集された当時の状況を生前に生々しく記憶していた。

 チェ・ハルモニは1927年、全北(チョンブク)高敞(コチャン)で生まれて育った。

 母親と早くに死に別れて2人の姉が嫁に出て行った後、5~6歳頃から弟(妹)の面倒を見て家の暮らしを見守った。

 そうして16歳になった頃、町内では日帝が『慰安婦』を強制徴集するという荒々しい噂が流れた。父親の薬を買いに家を出たハルモニは、16歳の若さで訳の分からないまま日本軍に連れられて日本行きの船に乗った。

 チェハルモニは、「日本軍が工場から輸出するにはクンアギ(年頃の娘=処女)が必要だと家々に令状を送った」とし、「日本へ行かなくてはならず、さもないと親まで怪我をすると脅迫した。私は巻き込まれないように隠れて過ごしていたが、父が病気で薬を買いに行って捕まった」と世を去る前に当時状況に関して録音記録を残した。

 こうして日本行に行きに乗ったチェ・ハルモニは、船で数えきれない暴力を受けた

 チェ・ハルモニは「名前を汚す事は出来ない」という思いから、名前を問う日本軍に『キム・ボンイ』という偽名を名乗った。

 それから3年間ハルモニは日本の軍部隊で慰安婦生活をした。チェ・ハルモニは当時の記憶があまり無いと生前に明らかにした。ただ「失性していたようだ」という供述だけを残した。

 解放されるとチェ・ハルモニは帰国して、全南(チョンナム)光州(クァンジュ)に住居を構えた。当時19歳だった。

 日本で日本軍が与えたアヘンの中毒になったハルモニは帰国して数年後にかろうじてアヘンを絶ち、故人となった夫のワン某さんと出会って結婚した。

 夫も日本に徴集されて暮らしていた戦争被害者だった。ハルモニは幸せな結婚生活を送っていたが、ハルモニが44歳になった年に夫は3人の子どもを残してこの世を去った。

 チェ・ハルモニは、「夫が私がそうだった事(慰安婦だった事)を知っていた様子だった。でも子どもを一度も殴った事もなく、私にも優しく尽くしてくれた」と生前はしばしば幸せだった結婚生活を回想した。

 その後ハルモニが67歳になった1993年、太平洋戦争犠牲者遺族会から人が尋ねて来て、それまで保留にしていた『慰安婦登録』をした。

 周囲の視線は冷たかったが、生活補助金が毎月出て都合は少し良くなった

 彼女は生前、「心が傷ついたのは韓国の人々の私を見る視線が冷たかったことだ」とし、慰安婦登録以降に辛かった心情をしばしばうち明けた。

 その後チェ・ハルモニは故郷である高敞で一人で静かに暮らし、この日ついに恨み多き生涯を終えた。 日本軍に連れて行かれ、酷い苦難を経験して70年が経ったが、日本政府の謝罪は一言も無かった。
※「公娼」偽証目的は「生活補助金」との、「私娼」の自白である。

終の棲家「ナヌム(洋公主)の家」入居条件が日本軍「公娼」犠牲
 日本に居残った朝鮮人(白丁と親日)と日本撤退後の避難民(済州島と韓半島)はことごとく罪日だが、日本撤退後二極(非洗脳者と同族大虐殺も朝鮮戦争も日本軍に責任転嫁の犯日敵国化教育被洗脳者)に分かれた韓国人。現代韓国はことごとく犯日だが、日本語を当時話す脱北男性50代前半と50代後半の女性は、台湾人のような親日であった。これは筆者30年前(戦後38年、1983年)の実体験である。

 終の棲家「ナヌムの家」入居条件が日本軍「公娼」犠牲者なのだが、下記には二極の証言者が存在する。日本軍強制連行・性奴隷・虐待と口汚くノノシル者と温和な者である。これまで検証のように、呪い証言の主語は、「韓国軍・米軍・国連軍」で、「日本軍」ではない。温和な者は、非洗脳者と言える。

洋公主日本騙りが生きる!(真実史観)
 平気で「嘘を並べ」、口汚くノノシリ、「濡れ衣を着せる」洋公主精神は、捏造教育と信仰心無き(唯物)野良犬の恐ろしさである!

洋公主”と“私娼”の区別がハッキリ解る!「ナヌム(洋公主)の家」終の棲家住人証言
2013/09/04 朝鮮日報
元慰安婦たちが語る最後の「願い」
解放直後は推定10万人いた韓国人慰安婦、今では57人に「日本が謝罪するまで死ねない
 日本の右翼が一日も早く死んでほしいと待っている人々がいる。旧日本軍の従軍慰安婦だった女性たちだ。日本が組織的かつ暴力的な慰安婦動員の証拠を出さない中、この女性たちは日本による過去の蛮行を詳細に明らかにした証言者だ。この女性たちが世を去ったら「生きた証拠」は消える。
 先月13日午後、元従軍慰安婦の女性たちが暮らしている「ナヌムの家」(京畿道広州市退村洞)では、元慰安婦イ・ヨンジョさんの告別式が開かれた。長い間共に過ごしてきたパク・オクソンさんが、イさんの遺影をなでた。女性たちは「こうして1人ずついなくなっていき、胸がはり裂けそうだ」と語った。
 1945年に日本の植民地支配から解放されたものの、依然として元慰安婦の女性たちは苦痛の中で生活している。解放から63年という長い歳月が過ぎ、約10万人(推定)いたとされる元慰安婦の数は、今や57人に減った。生存者のほとんどは80代から90代で、先は長くない。63回目の光復節(日本の植民地支配からの解放記念日。8月15日)を2日後に控えた8月13日「ナヌムの家」を訪れ、元慰安婦の「最後の願い」を聞いた。ここでは、約10人の元慰安婦が暮らしている。
〈質問の順番〉
1)年齢(出生年)/故郷、(2)慰安婦として連れていかれたときの状況、(3)解放後の暮らし、(4)韓国に戻った時期とその後の暮らし、(5)願い
洋公主日本軍「公娼」に捏造し責任転嫁、難癖を付ける朝鮮人。

■カン・イルチュルさん「一にも二にも、日本から謝罪と賠償を受けるのが願い」1)85歳(1928年)/慶尚北道尚州
2)16歳のとき、家に巡査がやって来て「報国隊を選ぶ」と言い、連れていかれた。中国・瀋陽を経て長春や牡丹江の「慰安所」で慰安婦にされた。戦争が終わるころ、ひどい腸チフスを患って部隊の外に移送され、火で焼かれるところを朝鮮独立軍に救出された。
3)6・25戦争(朝鮮戦争)後は中国人民解放軍の看護師に、退職後は中国・吉林の病院で看護師として働いた。中国人と結婚し、中国・吉林市で暮らした。
4)2000年に韓国に永久帰国し、それから「ナヌムの家」で暮らしている。
5)日本人(カンさんは「日本のやつ〈イルボンノム〉」という表現を使った)から謝罪と賠償を受けること。「韓国人の一部も、元慰安婦はお金が欲しいから謝罪を要求していると思っているようだが、私たちは子孫のために賠償を受けようとしている。子孫が再び私たちのようにならないためには、賠償を受けなければならない。そうなって初めて、子孫がこの先私たちと同じ目に遭わずに済む。子孫が私のような仕打ちを受けないようにすべきだ。間違ってもいないのに、なぜ私たちが日本人からやられなければならないのか。どんな手を使ってでも、賠償を受けなければならない

※16歳(1944年)、「巡査~連れていかれ」で、「賠償とナヌムの家入居目的」の偽証自白。7につづく⇒

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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