QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2012 051234567891011121314151617181920212223242526272829302012 07

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観慰安婦決議撤廃と凶産中国から台湾自立署名条約破り捏造難癖中朝韓罪日

1慰安婦決議撤廃と凶産中国から台湾自立署名条約破り捏造難癖中朝韓罪日

2014.11.27 05:10 産経ニュース抜粋は真実史観の感想
米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに
 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
 「米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた(文末リンク)。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。※米国聖戦論者が公開妨害か?
 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。極端に少ない日本の戦争犯罪!
 報告の序文でIWG委員長代行スティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。※米国聖戦論者の本音!
 報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。 慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた。※当時の常識!

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。

【ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。

 ケント・ギルバート氏マイケル・ヨン氏の記事を和訳
 
日韓問題:第二次世界大戦中、韓国男性が臆病者だったとでも言うつもりか?

 マイケル・ヨン氏「今までほとんど誰も存在すら知らなかったIWGの報告書を読んで欲しい。もし全部を読む時間が無いようなら、報告書の中で慰安婦(Comfort Women)を検索して、その部分だけでも注意深く読んで欲しい」
かっての敵国アメリカが8年30億円かけて日本先人の潔白を証明した「最終!」検証報告書

Nazi War Crimes & Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group
Final Report to the United States Congress April 2007
http://www.archives.gov/iwg/reports/final-report-2007.pdf


 ものの道理が無い民族が朝鮮凶産中国!一旦唯心の情けをかけて譲歩すると、永遠につきまとう、寄生虫唯物である。寄生虫駆除には、非情が特効薬!朝鮮人のみが悲惨は、朝鮮人の「泣き売撒き餌
参照⇒
ローマ法王看破!ミサ7人の老女は朝鮮戦争犠牲者か洋公主!

請願(日本海呼称問題)にアメリカが回答2012年7月1日

日本海命名問題に関する 人民陳情に対する回答
カート・キャンベル執筆
 「我ら人民」のプラットフォームを使って、「日本海」という言葉の使用に関する見解を表明していただいて、ありがとうございます。

 各々の海洋を単一の名称で言及することは、米国の長年にわたる方針です。この方針は全ての海洋に適用されており、その中にはこうした水域についてそれぞれ独自の名称をつけている複数の国々の国境が接している海域も含まれます。日本列島と朝鮮半島の間にある水域については、「日本海」と呼ぶのが長年にわたる米国の方針です。我々は、韓国が同水域を「東海」と呼んでいることに気付いており、米国は韓国にその命名法を変更するよう求めてはいません。米国が「日本海」という名称を使用することは主権に関連した何らかの問題についての意見を示唆するものではありません。

 我々は、この命名問題が韓国と日本両国にとって重要で慎重に扱うべき問題であることを理解しています。米国が韓国と日本との深くかけがえのない同盟関係、共有する価値観と相互信頼に基づく関係に対するコミットメントを維持し続けていくことを、私は保証します。我々は、地域的・世界的な挑戦課題に共に対処するため、韓国および日本と協力し続けます。

 カート・M・キャンベルは、東アジア太平洋問題担当の国務次官補である。

朝鮮人難癖の元凶「下院121号決議の撤廃」署名
 アメリカに朝鮮人が設置の、捏造慰安婦碑撤去の請願は、皆さんの尽力で受理されましたが、朝鮮人難癖(国際的いやがらせInternational Harassment)元凶であった「下院121号決議の撤廃」が6月21日に請願されました。日本時間7月24日(メンテで2日延長)午後1時までに25,000(7月23日現在27,236だが妨害署名膨大なので3万越え目標)人の署名が集まれば、捏造慰安婦碑撤去の請願同様に受理。

下院121号決議米国下院の捏造と、強烈に証明したアジア同胞!日本軍占領地は、「比」以外、どこも追随無し!決議追随国は、かっての白人同盟国(米豪加蘭EU)と「フィリピン」と、世界に誇る癌国のみが証。

署名サイト→http://wh.gov/lBwa
※異常民族の妨害無効(wh 1など)署名が相当数有るので、油断大敵!これだけ膨大な「無効署名」は、個人の単なる嫌がらせではない。「国家関与の工作員」を自白している!

「台湾は中国の一部ではない」台湾完全独立支援請願署名
 日本では捏造されているが、台湾独立と言うのは凶産中華人民共和国からの独立ではなく(既に独立している)、中華民国(蒋介石国民党)体制からの独立である。「蒋介石国民党中華民国体制」から脱却し、台湾人の国台湾国を作ると言うものである。がしかし、凶産中華人民共和国は、中華民国はすでに存在しないとの建前に徹し、「凶産中華人民共和国からの独立」だとして反対している。

 そしてそうした状況が、台湾独立(蒋介石国民党中華民国からの脱却)の最大の障害になっている。もし台湾人が台湾国を建国しようとするなら、米国も日本も「中国を刺激し、緊張を高める」として反対の圧力をかける。台湾が主権国家として国連加盟の申請を行い、あるいは加盟の可否をめぐる国民投票を実施しようとしただけで、米国は猛反発した。台湾人の自決権がここまで侵害されているのだが、これを問題視する国内国外世論すら存在しない。

 オランダ統治時代、鄭氏政権時代、清朝統治時代、日本統治時代を経て、1945年10月15日に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が発した一般命令第1号に基いて、蒋介石中華民国軍が進駐し、同年10月25日以後は中華民国政府が実効支配したままなので、これに対しての「軍事占領の終了宣言と独立支援の」請願。「蒋介石国民党中華民国中国人」ではなく、「台湾国」の、「台湾人」として生きるための、請願。

 請願日は上記と同じ、7月21日なので、日本時間7月22日午後1時までに25,000(7月13日現在3,295)人の署名が集まれば受理。

 日本政府は、1972年の日中国交正常化で台湾と断交し、在日台湾人を中国籍扱いしてきた。見捨てた日本政府への抗議でもある。日本国民にも責任有り。唯物凶産は人類の敵。締め切りまで頑張ろう!

署名サイト→http://wh.gov/lOEX(署名数25,000に達せず7月25日失効) 
下院121号決議の撤廃」請願文※経緯と詳細は後述
http://wh.gov/lBwa
日本語訳(原文英語):

私達はオバマ政権に請願します:

 韓国のプロパガンダと嘘による、国際的いやがらせの助長を止めるために、下院121号決議を撤廃してください!

 「ディスカウント・ジャパン(日本を貶める)」というキャンペーンに、ホロコーストのイメージを、都合の良いとこ盗り使用。韓国は、後に吉田清治が捏造と白状した「慰安婦」という創作を利用しています。

 口頭の証言は、強制や誘拐の証拠にはなり得ません!

 2007年の米国下院121議決は、作り事に基づきます。下院121議決は、第2次大戦時下日本への、韓国難癖の許可証と成ります。その結果、彼らの殺人、誘拐、そして、メタンハイドレートが多く埋蔵されている竹島諸島への侵入を、正当化することになります。

 日米同盟が真にアメリカのアジア太平洋地域の安全保障の礎石で、地域の安定と繁栄の基本ならば、韓国人がそれを悪化させるのを許さないでください。我々は、アメリカ政府に、真実と正義のみで行動するよう、強く求めます!

作成: 2012年6月21日

「台湾は中国の一部ではない!軍事占領の終了宣言」請願文
http://wh.gov/lOEX
我々はオバマ政権に請願します。

 第2次大戦後の台湾の重要な占領国、アメリカ軍事政府(USMG)なのだが、そのアメリカによって台湾の人々は、煉獄のような苦しみの政治の中に、67年間閉じ込められました。

 世界人権宣言に、誰でもが国籍を持つ権利を有するとうたっています。しかし、台湾人の国籍は何ですか?

 馬英九は、中華民国亡命政権の大統領です。彼の前任者陳水扁は、だまされて、向精神作用性薬Ativan(精神安定剤・商標名アチバン)を飲まされています。それは、拷問被害者保護法の下で、拷問として定義される、不法薬学洗脳です。※この証拠開示無き単なる非難文数行が、請願としての品位を著しく格下げしている。ここが無ければと惜しまれる。がしかし、内容は正論である。思いがほとばしり過ぎて、押さえ切れなかったのであろう。

 台湾は、西太平洋のもう一つのグアンタナモアベイ監獄です。中国体制の下で、彼らを政治地獄から救い出すために、台湾の人々は、あなたの助けが必要です。

 第2次大戦は終わって長いが、台湾に終戦はありませ。台湾の軍事政権は、これまで終わりませんでした。アメリカ軍事政府(USMG)は台湾で、軍事占領の終了を宣言する必要があります。そして、台湾の人々が、台湾の市民政府を築くのを、どうか手助けしてください

作成: 2012年6月21日

尖閣領海で中国の国旗掲げた台湾活動家…なぜ?2012年7月6日 読売新聞
 【台北=源一秀】尖閣諸島沖の日本領海に4日、同諸島の領有権を主張する台湾人活動家が遊漁船で侵入した問題で、活動家が中国の国旗を船上で掲げてから海に投げ込むパフォーマンスを行っていたことが分かり、波紋を広げている。

 遊漁船には台湾の海岸巡防署(海上保安庁に相当)の巡視船も保護を理由に同行しており、「(巡防署が)中国の主権誇示を手伝うとは」(野党・民進党幹部)と、馬英九(マーインジウ)政権にも批判の矛先が向けられている。

 活動家は、国際組織「世界華人保釣連盟」(黄錫麟主席)のメンバー3人。一連のパフォーマンスを5日にネット上で公開したところ、市民らから、「なんで台湾の旗でないのか」「中国の統一工作に乗せられた」などの批判が相次いだ。

 同連盟は「台湾の旗を持参し忘れた」などと釈明。巡防署も、「活動家が中国旗を持っていたことは知らなかった」としている。

2012(平成24)年7月9日から実施(外国人登録証→在留カード)「台湾」記載OK
(外国人登録証→在留カード)「台湾」記載OK  2009.3.19 産経
 政府が今国会に提出した在留外国人行政を一元化する出入国管理法改正案が、在留台湾人から熱い視線をあびている。台湾人国籍欄に「中国」との表記を強いてきた現行の外国人登録証に代わり、平成24年に導入される「在留カード」では「台湾」表記が認められるためだ。ただ、中国政府の反発も予想され、与野党の対応が問われそうだ。

 現行入管法は、外国人登録を市町村に委託してきたが、改正案では法務省入国管理局に一元化する。外国人登録証は廃止され、代わりに入国管理局が在留3カ月を超える外国人に対し、氏名、生年月日、性別、国籍、住所、在留資格、在留期限を記載した「在留カード」を発行する。

 政府は住民基本台帳法改正案も国会に提出しており、在留外国人が市町村で住民登録ができ、在留カードと連携させることで、外国人の子弟の就学や健康保険加入など行政サービスの充実につなげたい考えだ。

 在留カードは国籍欄を改め、「国籍または日本政府が認める旅券を発行している地域」を記載する欄に変え、台湾人は「台湾」と表記できるようになる。

 日本政府は昭和47年の日中国交正常化以後、台湾を国として承認せず、「政令で定める地域の権限のある機関の発行した文書」として、台湾政府とパレスチナ自治区発行の旅券を認めてきた。パレスチナは平成19年に外国人登録証の「パレスチナ」表記を認めたが、台湾だけは「中国」表記のままだった。

 法務省や台北駐日経済文化代表処などによると、「中国」籍で外国人登録をしている人は19年末で約60万人だが、うち約4万2000人は台湾人だといわれる。在留台湾人の団体はかねて「台湾」籍表記を要望。台湾政府も陳水扁政権下の13年7月、日本側に改善を要望したとされる。李登輝元総統も15年の訪日時に、改正を求めるコメントを発表している。

癌国を世界に発信産経2012.7.10
「慰安婦」ではなく「強制された性奴隷」 米国務省、韓国紙報道を確認せず
 長官発言をめぐっては朝鮮日報(9日付)がソウルの外交筋の話として、クリントン長官が「慰安婦」の言葉は誤りで、「強制された性奴隷」と呼ばれるべきだと非公式会合の席で国務省高官に語ったなどと報じていた。

凶産中国に便乗追随し捏造をばら撒く朝鮮人は天に唾棄行動
2012/09/21サーチナ在米韓国人団体「旧日本軍による戦争被害者を募集します」=韓国
 在米韓国人による団体、市民参与センター(元韓国人有権者センター)は20日、ニューヨークのクイーンズコミュニティーカレッジ内にあるホロコーストセンターと共に、旧日本軍から戦争犯罪を受けたことを証言できる被害者を募集すると明らかにした。複数の韓国メディアが報じた。

■「慰安婦」に関する他の記事サーチナ・ハイライト
 募集対象者は、日本軍が占領していた地域に暮らし、日本軍から従軍慰安婦や強制徴収、徴用、強制労働のような戦争犯罪を直接経験したり目撃した人という。

 ホロコーストセンターは2011年に、従軍慰安婦とホロコーストの生存者らが当時の惨状について証言するイベントを開催している。今秋からは、大学生を対象に、アジアの歴史や太平洋戦争当時に日本軍が犯した戦争犯罪などについて教育するプログラム「東北アジア歴史インターンシップ」を開始する。

 市民参与センターのキム・ドンソク常任理事は、「韓国人のほかにも日本の侵略戦争によって苦痛を受けた人は少なくないと言われている」「日本の戦争犯罪を正しく知らせるため、草の根レベルでの努力を続けていくつもりだ」と話した。

 プログラムに参加する学生らは、戦争被害者に直接インタビューを実施し、資料をまとめて証言録を発刊する作業を行う。(編集担当:新川悠)

関連記事・情報(2012)
「旭日旗はアジアのハーケンクロイツ」在米かん国人が使用反対集会(09/16)
「日本は謝罪を」米高速道路にい安婦の大型広告が登場=韓国(08/07)
べい国に第2の「い安婦の碑」建設 自民党議員の撤去要求に反発(06/14)
米でい安婦追悼切手、かん国系団体が来月10万枚以上発効か=韓国(05/14)
「かん国海」単独表記を、在米かん国人団体 「東海」併記から方向転換(04/12)

慰安婦事件は、BC項目(リンチ)裁判ではあったが、サマラン(白馬)事件として、60数年前死刑決着済み。捏造が高じて歯止めが利かなくなった朝鮮人、子孫は、「捏造騙り朝鮮人子孫」として、永久に、爪弾きされるであろう。哀れを覚える。

捏造東京裁判の繰り返し米加豪蘭EU比韓慰安婦決議と朝鮮人騙り米国碑
121号決議 アメリカ下院  2007年7月30日
 2007年6月26日アメリカ合衆国下院外交委員会において、賛成39票対反対2票で可決(反対したのはロン・ポール下院議員(共和党、テキサス州選出)とトム・タンクレード下院議員(共和党、コロラド州選出))。
 最終的には、議案をすばやく可決するのに用いられる手法サスペンション・オブ・ザ・ルール(10人程度の議員が出席して、投票ではなく声による反対意見無しの確認採択)で、日本時間2007年7月31日未明、下院本会議で採択された。

アメリカ合衆国下院121号決議(2007年7月31日可決)
http://www.govtrack.us/congress/billtext.xpd?bill=hr110-121
RESOLUTION
決議案

Expressing the sense of the House of Representatives that the Government of Japan should formally acknowledge, apologize, and accept historical responsibility in a clear and unequivocal manner for its Imperial Armed Force’s coercion of young women into sexual slavery, known to the world as ‘comfort women’, during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II. 
 下院は、以下の意見を表明する。1930年代から第二次世界大戦継続期間中の太平洋信託統治諸島やアジアの戦時占領下の植民地時代の間に、 日本帝国軍専有(’s名詞の所有格)強制の若い女性の性奴隷(『従軍慰安婦』として世界に知られている)を、あいまいでない方法で、明確に、歴史的責任として認め、日本政府は正式に認定し、謝罪すべきである※条約破りと捏造

Whereas the Government of Japan, during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II, officially commissioned the acquisition of young women for the sole purpose of sexual servitude to its Imperial Armed Forces, who became known to the world as ianfu or ‘comfort women’;
 日本政府は、1930年代から第二次世界大戦継続期間中の太平洋信託統治諸島やアジアの戦時占領下の植民地時代の間に、日本帝国軍の性奴隷を唯一の目的とする収集を公式に委託。なった人は、「ianfu」や 「従軍慰安婦」として世界に知られている。であるがゆえに。※条約破りと捏造

Whereas the ‘comfort women’ system of forced military prostitution by the Government of Japan, considered unprecedented in its cruelty and magnitude, included gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide in one of the largest cases of human trafficking in the 20th century;
 日本政府による軍隊強制売春「従軍慰安婦」システムには、集団レイプ、強制的な中絶、 恥辱、性的暴力の傷、死亡、または最終的な自殺が含まれ、その残酷さと大きさで前例がないと考えられ、20世紀人身売買の、最大級の例。であるがゆえに。

Whereas  some new textbooks used in Japanese schools seek to downplay the ‘comfort women’ tragedy and other Japanese war crimes during World War II;
 日本の学校で使用されるいくつかの新しい教科書の「従軍慰安婦」の悲劇、他の日本の戦争、第二次世界大戦中の犯罪追求は、てぬるい。であるがゆえに。※条約破りと捏造と内政干渉

Whereas  Japanese public and private officials have recently expressed a desire to dilute or rescind the 1993 statement by Chief Cabinet Secretary Yohei Kono on the ‘comfort women’, which expressed the Government’s sincere apologies and remorse for their ordeal;
 日本の公共および民間の関係者は最近、彼女たちの苦難に対して、政府の誠実な謝罪と反省を表明した'従軍慰安婦'への官房長官河野洋平1993文を、希釈または取り消す意欲を表明している。であるがゆえに。

Whereas  the Government of Japan did sign the 1921 International Convention for the Suppression of the Traffic in Women and Children and supported the 2000 United Nations Security Council Resolution 1325 on Women, Peace, and Security which recognized the unique impact of armed conflict on women;
 日本政府は、1921年の女性や子どもたちの売買禁止のための国際条約に署名し、武力紛争が女性にあたえる特殊な影響を認識する、セキュリティ2000国連安全保障理事会決議1325号を支持した。であるがゆえに。

Whereas  the House of Representatives commends Japan’s efforts to promote human security, human rights, democratic values, and rule of law, as well as for being a supporter of Security Council Resolution 1325;
 下院は、安全保障理事会決議1325同様に支持されるために、人間の安全保障、人権、民主主義的価値観と法の支配を促進する日本の努力を、称賛。であるがゆえに。

Whereas  the House of Representatives commends those Japanese officials and private citizens whose hard work and compassion resulted in the establishment in 1995 of Japan’s private Asian Women’s Fund;
 下院は、その努力と思いやりの結果、1995年、日本の民間アジア女性基金設立となった日本政府と民間人を称賛。であるがゆえに。

Whereas the Asian Women’s Fund has raised $5,700,000 to extend ‘atonement’ from the Japanese people to the comfort women; and
 日本の人々から従軍慰安婦へのアジア女性基金は、「償い」を拡大し570万ドルを工面している。であるがゆえに。そして、

Whereas the mandate of the Asian Women’s Fund, a government initiated and largely government-funded private foundation whose purpose was the carrying out of programs and projects with the aim of atonement for the maltreatment and suffering of the ‘comfort women’, comes to an end on March 31, 2007, and the Fund is to be disbanded as of that date: Now, therefore, be it
 政府開始アジア女性基金の任務、その目的の​​大部分は、政府出資の民間財団のプログラムの実施と 、「慰安婦」の虐待と苦しみの償いを目的としたプロジェクトである。

 そして、 2007年3月31日を最後に、「慰安婦」の苦しみが来る。そして基金は、その日付の時点で解散する。今、従って、それであるがゆえに。

Resolved, That it is the sense of the House of Representatives that the Government of Japan–
決議。それは下院の意見です。日本政府は※以下は捏造と内政干渉

2につづく⇒

スポンサーサイト

真実史観アジア同胞は米韓捏造条約破り思想戦に追随せず冤罪日本と強烈証明

2アジア同胞は冤罪日本と強烈証明  

(1) should formally acknowledge, apologize, and accept historical responsibility in a clear and unequivocal manner for its Imperial Armed Force’s coercion of young women into sexual slavery, known to the world as ‘comfort women’, during its colonial and wartime occupation of Asia and the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II;

 (1)1930年代から第二次世界大戦継続期間中の太平洋信託統治諸島やアジアの戦時占領下の植民地時代の間に、日本帝国軍専有(’s名詞の所有格を示す)強制の若い女性の性奴隷(『従軍慰安婦』として世界に知られている)を、あいまいでない方法で、明確に、歴史的責任として認め、日本政府は正式に認定し、謝罪すべきである

 

(2) should have this official apology given as a public statement presented by the Prime Minister of Japan in his official capacity;

 (2)日本首相によって提示される公式声明として与えられる、この公式謝罪を、すべきである

 

(3) should clearly and publicly refute any claims that the sexual enslavement and trafficking of the ‘comfort women’ for the Japanese Imperial Armed Forces never occurred; and

 (3)明確に、そして、公的に、性奴隷化と日本帝国軍用 「慰安婦」の売買は、決して発生しなかったといういかなる主張をも、論破すべきである。そして、

 

(4) should educate current and future generations about this horrible crime while following the recommendations of the international community with respect to the ‘comfort women’

 (4)現在及び未来の世代に、この恐ろしい犯罪について、国際社会『従軍慰安婦』に関しての、忠告と同時に、教育すべきである

 

「情けは人のためならず」は、唯心国家のみに通用する諺!

 アジア女性基金は決して「日本国関与の強制性奴隷の償い」ではなく、「いかに戦時下とは言え迷惑をかけた(監督不行き届き)慰労金」名目の唯心なのだが、「強制性奴隷の罪を認めた償い」と米国決議は、かさにかかって捏造し、さらなる要求をし、先人を貶めている。条約にのっとり、「条約で解決済み」と拒否しておれば済んでいたことだ。「情けは人のためならず」は、唯心国家のみに通用する諺だ。唯物は、「罪を認めたのだから金よこせ!賠償しろ!」の恫喝のみとなる!

 

時系列詳細は後述するがとりあえず常識での検証

 日本の公娼制度は鎌倉時代に始まり、1957年売春防止法の実施により廃止で、当時は合法。当時の敵は、植民地同胞ではなく、宗主国。追軍職業婦は、解放植民地同胞婦女保護のために、採用したにすぎない。戦地なので、設営輸送護衛保護は当然、軍が担当した。これらの行動を、逃亡防止強制連行管理主導と解釈されれば、なす術は無いが、そうでなかったことは、韓国人以外に、団体証言者無しが証拠である。

 いかに戦時中といえど、誘拐や強姦禁止は当然で、甘いと、統制が執れなくなり、軍の指揮権崩壊となるので、重罪。

 『売春防止法』は1956(昭和31)公布、翌(1957)年実施、戦後12年後である。売春禁止の現在の道徳観念のみでの批判は、遡及(事後)法と同じ禁止法の愚論。悲惨のみなら、1333年(鎌倉時代)から1957まで、600年以上も続くわけなど無い!現代多発の「慰安婦展」は、日本に暗躍するスパイどもが、悲惨のみを選り盗りし、拡大し、報道する、先人愚弄作戦の一端である。

 戦後12年、55年前までは商売。商いなので、一見客相手の夜鷹(民間人相手の路傍売春婦)商売より、固定客(軍隊という団体)相手の商売は、常識。ましてや、定期的に軍医の身体検査(性病等)も受けられ、保護も施設等も願ったり適ったり、こんな好条件に飛び着かないほうが異常。顧客として条件の良い軍隊を追いかける追軍職業婦は、当然なのである!

 

1872(明治5)年太政官布告第295号
人身売買ヲ禁シ諸奉公人年限ヲ定メ芸娼妓ヲ解放シ之ニ付テノ貸借訴訟ハ取上ケス

◆刑法◆  (明治四十年四月二十四日法律第四十五号)

224条 未成年者ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス

225条 営利、猥褻又ハ結婚ノ目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス

陸海軍刑法
第九章 掠奪及強姦ノ罪

第八十六条 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ住民ノ財物ヲ掠奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

2 前項ノ罪ヲ犯スニ当リ婦女ヲ強姦シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処ス

第八十七条 戦場ニ於テ戦死者又ハ戦傷病者ノ衣服其ノ他ノ財物ヲ褫奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第八十八条 前二条ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス

第八十八条ノ二 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス
2 前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処ス

第八十九条 本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

 

 平和な現代ですら殺人や暴行事件は頻繁だ、ましてや、間違って同士討ちも頻発する非常時戦時下のこと、手違い間違いは平和な現代以上に多発した。一部の命令違反をつまみ食いし、すべてがそうであったかのように針小棒大宣伝121号決議」やスパイ凶授の日本軍非難は、沖縄でアメリカ人の殺人事件があった、だからアメリカ人全部が殺人者だと言う事と全く同じで、整合性が全く無いでっちあげ捏造の好いとこ盗り愚論。

 当時の、この常識を米下院は無視し捏造、上記決議をした。民営慰安所や追軍職業婦はいたが、従軍慰安婦や、性奴隷は、捏造!追軍職業婦は、年季明けには、帰るも残るも自由であった。

 条約を交わした当事者がみまかってから、この問題は蒸し返している。それまでは、何等問題は起きていなかった。納得し締結なので、当然なのである。

何のための条約か!

 表音丸暗記(受動)しようとすると皆目解らなくなるが、法律(敵討ち分断)も、戦後条約(紛争解決)も、作る側(能動)の、表意で考えるとすぐ解る。原点は、争いの切断である。

 戦時(武力の国盗り合戦)下は無法下。非常時下(無法下)を、常時下(法下)に戻す作業が、条約の第一義である。相互に膿を出し合った条約の締結後は、戦時下のことは、当事国政府が、各々一切の責を負い、他国に責任転嫁せず、相互が連鎖を断ち切り引きずらぬことが、条約の第一義で、戦後条約の原点である。国境の決定は武力ではなく、当然ながら、「竹島、尖閣、北方領土等」も、「法」の下でとなる。中国や韓国の特例例外その他云々は、難癖以外の何ものでもない。ましてや韓国は、敗戦国でも戦勝国でも無い第三国で、火事場泥棒竹島、李承晩ライン、漁船拿捕、密入国等々、散々狼藉した挙句の便乗条約。捏造中国の真似して難癖とは、畜生以下の無恥で、ニセ両班9割(四・三等、同胞虐殺者子孫)の白状!

 日本国と国民は条約を順法し、沖縄も広島長崎等も日本国が補償し、一切中国等の連合国には請求をしていない。凶産平和団体や凶産原水禁の謝罪要求は、条約破りの違法!第一義が、戦時下を断ち切るための条約なのだから、当然なのである(決して日本が悪かったからではない!)。当然、全世界の各国も、中(凶産中国人)朝韓罪日(朝鮮人)以外は、皆条約を順守している。事有る事に内政干渉までして、条約破りの難癖付け違法行為は、この三国罪日のみ!

 当初、捏造が党是の凶産宣伝はあったが、条約破りはなかった。ところが、昭和58(1983中国鄧小平主席となり、平成1昭和64(1989鄧小平の抜擢で江沢民が党総書記となり、平成5(1993)3月~02年中国鄧小平引退の後を継ぎ、江沢民が国家主席を兼務してからは、捏造犯日館犯日運動のみにとどまらず条約破り難癖訴訟、従軍慰安婦、強制連行、強制労働訴訟等が始まった。昭和47(1972)年日中共同声明調印21年後のことである。モノマネ朝鮮の、朝鮮人や罪日もすぐさま便乗したことは、いうまでもない。

 法案成立後、この捏造法案の成立を主導した在米韓国人の団体「韓人有権者センター」は、捏造行為とその捏造被害を米社会に知らせるために、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、バージニア州など韓国人が多く居住する地域を中心に追慕碑を建設することを決定し、署名と募金運動を展開している。がしかし、この団体は、繰り返される反論には全く答えられず、捏造を自白している。

 この121号決議」は、法的に非拘束のもので、上院に送られるものではない。がしかし、旧同盟国にすぐさま伝染した。

 

「溺れる犬は棒でたたき殺せ!」とばかりに米韓捏造条約破りに追随

各国の対日「慰安婦」決議
2007年

7月31日アメリカ合衆国下院121号決議

8月13日フィリピン下院外交委員会発議

9月20日オーストラリア上院慰安婦問題和解提言決議

11月13日韓国国会決議案・発議

20日オランダ下院決議

28日カナダ下院決議

1213日欧州(EU)議会決議

 

クマラスワミもマクドゥーガルも勧告したが国連は「勧告決議(条約破り)」に非ず

 クマラスワミ・マクドゥーガル両報告書(各国決議碑文の底本は、「勧告はした」が、国連は留意歓迎」で、「勧告決議(条約破り)」ではない。

 いかに「人道や人権」を冠しようとも、「SF条約や日韓条約等で締結済み」の事項をくつがえす禁を犯せば、「条約破り」となり、「条約は消え」、国連も消え去り、無法のWW3となる。結果、国連と言えども、「条約で締結済み」をくつがえす勧告決議」は、絶対に出来ないのである!このことを熟知の国連は、だから下記のように、「附属」扱いで本意をボカシ、追求をそらしているのである。「本文」を非難することで「附属文」の日本も叩ける。実に巧妙である!

 ところが、国連が「勧告した」かのように錦の御旗に捏造して輩は宣伝し、米比豪蘭加EUと台湾は、まんまとこの罠にハマリ、日米地方議会も罠にハマリ続けている。「言葉と文字界」は、いかに無検証で拡散するかの証拠である。偽造文書田中上奏文拡散手口と同じである。

黄禍論者が仕掛けたクマラスワミとマクドゥーガル報告書のソースは韓国捏造犯日資料や証拠無き証言!

 マクドゥーガル(有色人)報告書(2000年8月最終報告)はクマラスワミ(有色人)報告書(20万人以上の女性を強制連行は証拠皆無の推論)をベースにし、「レイプセンター(強姦所)」と呼称、慰安婦は11~20歳、生き延びたのは25%(「朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいるは、証拠皆無の朝鮮人発言)等々捏造や妄想をさらに拡大している。報告書はクマラスワミ同様勧告だが、国連決議は「歓迎」で「勧告」ではない。

 主文は当時進行中(2000年)の旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダ虐殺で、主文の附属文書として55年以上昔の(1945年以前)の日本の慰安婦について取り上げているので、国連決議「歓迎」=「日本への勧告」とは成らない。がしかし、錯覚することは間違いない。現に、「日本叩き族」は、国連勧告決議条約破り断定宣伝している!

 両報告書とも主文「現代」に対しての過去(55年以上前)の「附属文書」で、両者ともに「有色人起用」は、主文に紛れ込ました錯覚目的の洗脳が明白に感じられ、同時に、黄禍論者「日本叩きの作為」を、明明白白に物語っている!

 黄禍論者が仕掛けたこの、「日本叩きが目的」の捏造両報告書が、慰安婦決議や、碑や像の設置や、米国歴史教科書等のソースである。

 中朝韓の犯日捏造洗脳教育(日本統治以前の無残な歴史の韓半島と、日本撤退以後の中朝韓同族大虐殺隠蔽目的)がネットの普及で一気に暴かれ、内乱の恐怖におののき便乗したのが朝鮮族と凶産支那族。

 「慰安婦等の日本叩き」は、白人黄禍論者(太平洋戦争は白人の正義戦争と捏造し、日本叩きで有色人連合阻止)と、朝鮮族と、凶産支那族の、捏造隠蔽が、目的である!

 

人権を冠し捏造や遡及(事後)法での日本叩きは日本人の人権侵害

 これらの決議に先立ち、アムネスティー・インターナショナの招待で、韓国、フィリピン、オランダの元「慰安婦」代表の3名が、アムステルダム、ブリュッセル、ベルリン、ロンドンを訪れ、各地の議会の聴聞会や市民集会で証言をし、日本政府に対する謝罪と補償の要求を訴えた。さらに、カナダのオタワでは、市民団体の招待で中国からも元「慰安婦」が新たに参加した

 

無検証で追随する日本の馬鹿議員は職責不履行知恵無しオウムとの自白

 国家ブランド委員会(2009.1.22)は、李明博大統領(2008.2.25就任)直属で、韓国のブランド(地位、イメージ、国の品格)価値向上目的組織。民間団体「VANK」を後援。価値向上と美化しているが、正体は「李朝差別同胞大虐殺を隠蔽し」嘘を全世界への、何でも有り犯日スパイ組織すぐさま知恵無しオウムに、色と金を仕掛けた。

色と金釣られ先人愚弄の馬鹿子孫
採択年月日 可決した自治体名 意見書詳細は「意見書・決議情報」へ

2008年議会で採択

3.28兵庫県宝塚市議会

6.25東京都清瀬市議会

11.7北海道札幌市議会

2009年12議会で採択

韓国スパイ組織「VANK」2009.1.22創立

3.25福岡県福岡市議会

6.22大阪府箕面市議会

6.23東京都三鷹市議会

6.24東京都小金井市議会

6.29京都府京田辺市議会

9.11奈良県生駒市議会

2009(平成21)年9月16日民主党鳩山由紀夫内閣

9.25大阪府泉南市議会

10.1東京都国分寺市議会

12.14京都府長岡京市議会

12.15千葉県船橋市議会

12.18東京都国立市議会

12.22福岡県田川市議会

2010年21議会で採択

3.16埼玉県ふじみ野市議会

3.19岡山県岡山市議会]

3.23千葉県我孫子市議会

3.24京都府向日市議会

3.25沖縄県今帰仁村議会

3.26大阪府吹田市議会

3.29大阪府堺市議会

6.21沖縄県南城市議会

6.21東京都西東京市議会

6.21北海道小樽市議会

6.22沖縄県豊見城市議会

6.22沖縄県読谷村議会

6.24沖縄県多良間村議会

6.25岩手県一関市議会

6.28大阪府高槻市議会

9.16北海道士別市議会

9.24鳥取県東伯郡北栄町町議会

9.29京都府八幡市議会

9.30北海道函館市議会

10.1京都府木津川市議会

10.13大阪市議会

2011年議会で採択

9.28埼玉県南埼玉郡宮代町議会

2012年議会で採択

2012.6.27京都府宇治市議会

2012.9.26奈良県広陵町議会

2013年自民党議会で採択

3.26京都府議会

6.26島根県議会意見書可決

6.27京都府城陽市議会意見書可決

6.27京都府宮津市議会意見書可決

2013年7月12日の時点で41市町村議会と府県議会で採択(意見書・決議情報)。民主党政権下30、自民党政権下で13。民主党は捏造朝鮮人の傀儡である。

※昨今急増の米国市町村議会の慰安婦決議も、日本と同じ手口(買収)であろうことは、子供でも解る。

条約破りに加担し冤罪で先人を貶め丸暗記オウム白状国会議員

参院野党・無所属議員日本軍「慰安婦」補償法案を提出2008.6.10

 民主・共産・社民・日本新党と無所属議員らは6月10日、「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を共同提出。

  2002年から8度目の提出で、昨年(2007年)のアメリカ・オランダ・カナダ議会下院、欧州議会の「慰安婦」決議採択後は初めての法案提出。

 提案者は、6党12議員。賛同者は、民主24国民新党1共産6社民4議員の合計35議員

 会期は6日間延長されたが、6月21日に廃案

大東亜共栄圏同胞先人の冤罪を証明

 「下院121号決議米国下院の捏造と、強烈に証明したアジア同胞!日本軍占領地は、「比」以外、どこも追随無し!決議追随国は、かっての白人同盟国(米豪加蘭EU)と「フィリピン」と、世界に誇る癌国のみが証。

 慰安婦と自称する老婆の証言のみで、立証資料が皆無。捏造碑には200.000人以上の婦人と少女が誘拐され性奴隷とされたある。常人なら、捏造か否かは常識で判断できることである。いかに戦時下と言えども、婦人や少女が誘拐され、性奴隷とされるのを、家族が村民が町民が市民が国民が黙っていないであろう。韓国が声高に叫ぶような事実がもし本当に有り、看過したのなら、韓国人は、犬畜生以下の動物と言える。

 反省回路無き朝鮮人(100年以上も前にイザベラバードが看破)には、無理?米国や韓国や朝鮮人や罪日は、犯日より、反省が先(韓国売春婦とU.Sのセックス貿易)!

 

「慰安婦」捏造団がつまみ食い針小棒大宣伝する白馬事件は軍隊一部の暴走事件

 戦争中なので、この事件のみならず一般市民の巻添えは相互にあった。最大の巻添え、国際人道法違反は、ホロコーストと広島長崎の原爆を挙げることに、誰も依存はないだろう。日本国は条約を順守、条約破りの愚行は無い!

 民主主義国家の「慰安婦決議追随」は、常識無き愚民(実技皆無の言葉と文字界)議員とそれを選んだ国民が居るという事で、日本のみならす世界の民主主義国家も、凶産国家同様に愚民化の証拠である。 凶産主義中国・国家捏造主義韓国は全体主義。民主主義は個人の集合体。全体主義が嵩にかかって個人を攻めれば、特に、信念など無い日和見集団「言葉と文字界」などは、ひとたまりも無い。民主主義の弱点である。WW2は凶産全体主義が嵩にかかって民主主義の個人を篭絡して始まった。「実技皆無の言葉と文字界」鵜呑みは、亡国の始まり!

白馬(しろうま)事件(スマラン事件)

 「白馬」とは、当時敵国の白人を「白馬」にたとえての表現。戦後は、「スマラン事件」表記が正当。インドネシア日本軍占領中の日本軍人の一部が暴走、1944年2月、南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からスマランにあった慰安所に連行し起こした、監禁・強姦・強制売春事件。2ヶ月未満で事件発覚、日本は即時閉鎖し処罰した。日本軍の不祥事スマラン事件」を日本が即刻閉鎖処罰は、現在難癖中の「日本国是強制連行性奴隷」は冤罪との、確固たる証拠である!

 

「従軍慰安婦」吉見義明(木しか見えず、森が全く見えない井蛙史観で、犯日半端者凶授)著岩波新書1995より

 当時スマランには既に慰安所はあったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第16軍司令部のガイドラインを無視した(ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第25軍の類似の通達からそのように考えられている)。

 複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所の17歳から28歳の合計35人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘か双葉荘)に連行した。

 3月1日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に1度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われず、医師が強姦することさえあった。(注・ここの女性像は、オランダ人証言丸鵜呑みの、丸記述で、検証無し

 しかし自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え(下記のオランダ公文書館調査報告ではこうだが、日本人側証言は異なる。下記参照)、同大佐の勧告により16軍司令部は、1944年4月末に4箇所の慰安所を閉鎖し、女性達はクラマト抑留所に移された。

※事件発覚して即時の閉鎖(開店は2ヶ月間)は軍の無関与証拠。「あるヨーロッパ人の証言によると、このスマラン「慰安所」事件の結果、何人もの憲兵隊員が地位を失っている」。―オランダ公文書館調査報告

 上記とは異なる、日本側軍政監部本部鈴木博史大尉証言「慰安所でひどい悲鳴が聞こえるとの話を聞きこみ、山本軍政監(第16軍参謀長の兼任)へ伝えると、山本は“まずい、すぐやめさせろ”と怒り、翌日に閉鎖命令が出た――のちに、彼女たちを集め申し訳のないことだったと謝罪した」。221p

 後述「ジャンの物語」倉沢愛子解説212p「1944年4月から抑留所の管理が、いっせいに州庁から軍直轄に代わったのだが、その移管にともなって日本から抑留所の視察にやってきたある大佐が、強制的に若い女性が抑留所から連れ出された事実を知って、ジャカルタの第16間司令部に報告したものである。――ただちに慰安所の閉鎖を命じた」とある。つまり、日本軍の管轄になってはじめて「監督不行き届き事件」が発覚(強制連行強制売春事件)し、日本軍が廃止したのである。

 終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされた。裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制無理矢理のリンチ裁判なので、実数はもっと少ない)だったと認定され、罪名は、強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等である。

 

能崎清次 陸軍中将懲役12年(幹部候補生隊長、事件当時少将)

池田省三 陸軍大佐懲役(幹部候補生隊付)15年

岡田慶冶 陸軍少佐(〃)死刑責任者

河村千代松陸軍少佐(幹部候補生隊付副官)懲役10年

村上類蔵 軍医少佐(幹部候補生隊付)懲役7年 

中島四郎 軍医大尉(〃)懲役16年 

石田英一 陸軍大尉(〃)懲役2年

三橋弘 スマラン支庁陸軍司政官無罪

大久保朝雄陸軍大佐(事件の中心的人物とされるが、訴追を知り自殺)

 

慰安所経営者

葛木健次郎  (将校倶楽部)スマラン軍将校専用はここだけ。懲役7年

古谷巌  (スマラン倶楽部)懲役20年3につづく⇒

真実史観処刑済白馬事件に遡及条約破り法破り展開蘭韓難癖自称証言者真贋

3処刑済白馬事件に遡及条約破り法破り展開蘭韓難癖自称証言者真贋

森本雪雄  (日の丸倶楽部)懲役15年

下田真治  (青雲荘「ジャンの物語」倉沢愛子解説では双葉荘)懲役10年

「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦著・新潮選書)

 死刑になった岡田慶治少佐は「青壮日記」と題した獄中手記を残している。日中戦争期の戦場体験から書き起こした半自伝だが、事件について次のように書いている。

 将校クラブの婦人たちをよく可愛がってやったつもり……その彼女たちが告訴している。それも嘘八百を並べて……時勢が変わったので我々に協力していたことになっては彼女達の立場がないのかと想像……起訴状を見ると首謀者にされている……「そうか飼犬に手を咬まれたのだ。もう何も言うことはない」と覚悟した……敵の銃口の前に立って、日本軍人の死に態を見せてやることではなかろうか。

 開き直ったとも思えそうな論旨だが、それなりの情状は存在したようである。

 岡田手記によると、発端は、州庁で希望者を募って慰安所を作ろうとする構想を聞いた能崎少将が、内務官僚出身の宮野スマラン州長官に話をつけ、上官の池田大佐、大久保大佐から命じられて実施面を担当させられたのだという。

 個々の選定にはタッチせず、将校クラブ開館する前々夜に集まった女性と初顔合わせして色々な注文を聞き入れてやったので「(彼女たちは)とても朗らかで若い将校と心中でもしてくれなければいいがと、心配しているくらいです」と視察に来た参謀へ報告したという。(P.220)※この岡田慶治少佐が関わった慰安所は、ジャン・ラフ・オハーン(後の自称証言者)が入れられた慰安所(軍将校専用)に該当する。「ここでは女性たちに「道子」などの日本名をつけていたというから(220p)」なので、ジャン証言も合致。

 判決文は「自由意志で売春を行う女性は皆無か、いたとしてもごく少人数であり、売春をさせるために実力行使が行われるであろうことを承知しながら、あるいは当然、その疑いを持つべき立場にありながら、女性たちに売春婦として働くことを命じた(季刊戦争責任研究第三号1994年)」と、かなり無理な判決となっている。このようなリンチ裁判なので、かなり割り引いて認識しなければならない。

 1994年のオランダ政府の報告書では、インドネシア各地の慰安所で働いていた200~300人のオランダ人女性のうち少なくとも65人は絶対確実に(most certainly)強制売春の犠牲者だったと判定。小林英夫季刊『戦争責任研究』4号1994年6月※つまり、高額の報酬で慰安婦になることに同意した者もいた。オランダにも伝統的に売春制度があった

 女は生きて子孫を残すことが第一義(生命体の最適者生存本能が一番強かったので人間は生き残っている)。女は生きるためには豹変する。男の顔は履歴書だが、女の顔はまさに生きるための請求書。 

 白馬(しろうま)事件(スマラン事件)は、死刑も執行され、こうして決着した

 終戦後、オランダは、捕虜虐待などの容疑で、多くの日本軍人をBC級戦犯として処罰した(連合国中で最も多い226の日本人を処刑)。

 

以後は国民の目と耳委託した職責者「言葉と文字界」の職責履行捏造でドミノ倒しとなった

条約破り・裁判で決着し、条約で締結したものは、一体なんだったのだ!

 1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で、日本側は「オランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表明するため」、1000万ドルを「見舞金」として「自発的」に提供。こうして、日蘭間の戦後処理は、平和条約と、さらに日蘭議定書において、オランダ政府はいかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことが確認された。

 ところが、戦後長らく反日感情は残り、1971年(昭和46年)昭和天皇オランダ訪問時には、街中「裕仁は犯罪者」という落書きが見られ、卵や魔法瓶が投げつけられ手植え苗を引き抜かれるという嫌がらせがあり、1986年(昭和61年)にはベアトリクス女王の訪日計画がオランダ国内世論の反発を受けて中止された。1989年(平成元年)の大喪の礼の際も、多くの君主国が王族を派遣したものの、オランダからは王族が葬儀に参列することはなかった。

1990年(平成2年)そして、条約締結担当者すでに亡き34年後のオランダは、対日道義的債務基金(JES)を結成し、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動(条約破り)を始めた。JESは慰安婦問題も取りあげ、償いに直接に責任をとるべきは日本政府である、という立場をとった。

1991年(平成3年)に来日したオランダベアトリクス女王は、1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で。国家間における賠償問題が解決されているにもかかわらず、宮中晩餐会において、「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と発言し、暗に賠償を要求した。日蘭議定書から34年後のことである。当然当事者は皆、みまかっている

 これに対し日本政府は応答し、アジア女性基金(条約破りに加担)により、総額2億5500万円の医療福祉支援を、79名の個人に対して実施した。

このオランダ条約破りにも捏造朝日新聞が加担し起因となっている

1992年。この事件は、裁判後、長い間、一般には知られていなかったが、朝日新聞がオランダ国立公文書館より、白馬事件に関する判決文及び法廷尋問書を入手し、一部を公開(7月21日、7月22日、8月30日)したことにより、日本でも広く知られるようになった。1991(平成3)年『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(吉田清治著三一書房 1983)の「済州(チェジュ)島にて軍の協力により、慰安婦狩りを行い、一週間で205人の女性を強制連行した(5年後の1996年あれは創作だったと著者の吉田清治が認めた)」の金儲け目的の捏造本を利用し、「従軍慰安婦」犯日キャンペーン展開中の朝日新聞が拡散した。まさに朝日は捏造新聞である。

36年後に突如証言者が現われた!対日道義的債務基金(JES)を結成(34年後の1990)から年後のことである!

1992年Cry of the Raped :A Story to be Told1992(レイプされた女の叫び1993年5月邦訳)」出版。とあるが、国会図書館サーチで該当無し。後述詳細の、1992年12月9日東京で日本の戦後保障に関する国際公聴会(日弁連後援)」証言がソースか?取材写真記録 破られた沈黙 -アジアの「従軍慰安婦」たち1993年風媒社伊藤孝司も、東京で証言がソース。著者ジャン・ラフ・オハーン(ヤン・ルフ・オヘルネ、Jan Ruff O'Herne)は、白馬(しろうま)事件(スマラン事件)当事者なのだが隠蔽、オランダ人強制慰安婦被害者と自称し、証言を開始している。現在はオーストラリア国籍。真贋検証は後述

 公娼制や軍売春に対しては、強制やレイプ(Rapedという言葉を冠することで、社会道徳の共感を得やすかった。それは伝統的に売春制度があるオランダのような国でも、大きな効果を果たした。

 

当時の世界と日本政府

1992(平成4)年もし日本戦わざれば、有色人、未だに植民地のままと、マレーシアマハティール首相演説。

1992(平成4)年天皇を政治利用の偽中国凶産の策動に宮沢喜一首相操られ、天皇皇后両陛下訪中。

1993~94(平成5)年細川護熙首相8会派連合

1993(平成5)3月~02年中国鄧小平引退の後を継ぎ江沢民国家主席を兼務。市場解放政策に伴う弊害、民主化要求の根を絶つ目的で、残虐日本と捏造し、子供から大人まで洗脳した。凶産常套手段、敵国と捏造の愛国教育である。

1993(平成5)年8月4日「河野談話」慰安婦関係調査結果発表に関する河野洋平内閣官房長官談話

1994(平成6)年大江健三郎、ノーベル有色人差別(犯日)賞受賞。マハティール首相の真実を語る演説に、伝播を恐れた白人戦勝国は、文学三流犯日一流、比類なき犯日の大江に急きょ白羽の矢、ノーベル犯日(有色人差別)賞を与えた。世界に語る文学など元々無い三流大江は、三流文学ではなく一流の犯日を世界で語り、ノーベル賞の正体白状、もくろみに応えた。効果覿面の思想戦で、岩波書店朝日毎日NHKなどが迎合扇動、国民はノーベル犯日賞に洗脳された。

 

アジア女性基金発足

1995年7月自社さ連立政権の村山内閣成立後の1995年7月に発足し、同年12月に総理府と外務省の共管法人として設立許可。財団法人女性のためのアジア平和国民基金(略称:アジア女性基金は、元「慰安婦」に対する「支援」、および女性の名誉と尊厳に関わる今日的な問題の解決を目的として設立された財団法人。日本政府からの出資金と国内外からの募金によって運営された。すべての償い事業が終了したため、2007年3月31日をもって解散。

 

 2000年に今上天皇が訪問した際にはオランダのテレビ番組で献花の様子が公開され、昭和天皇と正反対に熱烈な歓迎を受けた。

 がしかし、この条約破り加担の唯心(アジア女性基金)が起点となり、アメリカ合衆国下院121号決議(2007年7月31日可決)、フィリピン下院外交委員会決議(2007年8月13日発議)、韓国国会決議案・発議(2007年11月13日)。そして2007年(平成19年)11月20日、オランダ下院は日本政府に対し元慰安婦への謝罪補償などを求める決議案を全会一致で可決した(オランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議)。そして、2008年(平成20年)に訪日したマキシム・フェルハーヘン外相は、「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は、日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べた。

 なんとオランダは再度、謝罪補償などを要求したのだ。まさに条約破りオランダ起点のドミノ倒し、条約破りの際限無き要求である。

 この、米韓加豪比EUの、「人道を冠しての条約破り」は、ブーメランなので、必ず返る。韓国軍人のベトナム残虐も、戦争だったからとの言い訳は、もう通用しない。もちろん、かっての宗主国(米加豪EU)も、旧植民地に対しての言い訳は不可。

 「たえず被害者」の立場をとり、賠償責任の枠を超えて、日本に個人賠償を請求したオランダに対して、インドネシア政府は、「インドネシアに対しての植民地支配には何の反省もしていない」と強く批判している。また、インドネシア大統領のオランダ訪問時にも、植民地支配に関しての謝罪を求めているが、オランダからはインドネシアへの謝罪が出たことは無いという。「米国下院121号決議」に追随し条約破りの「韓加豪比EU」は、最低限でも、日本と同等に応じる義務が生じている!

 裁判で決着し、条約で締結したものは、一体なんだったのだ!条約破りドミノ倒しの起因は、自国で対応せず日本に責任転嫁した、条約破り判決破りの対日道義的債務基金(JES)オランダと、応じて、条約破り判決破りを犯した日本政府である!

凶産元凶日中・大東亜戦争前夜と酷似する凶産中国と癌国の日本叩き

戦争前夜は、ラルフタ・ウンゼントの啓示1軍国に非ず護国主義日本駄目押し証拠あめりかはアジアに介入するな!を参照

米国の捏造組織と犯日年表と犯日傀儡米国議員マイク・ホンダ(慰安婦決議仕掛け人

犯日マイク・ホンダ議員の原動力は中国系からの政治献金

 1994年に、「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」は、海外華僑中国系住民によって創設。本部はカリフォルニア州クパナティノで、50以上の下部組織を持つとされるが、中国国営の新華社通信とウェブサイトを共有し、中国側の公的組織と連係、犯日行事を中国国内で頻繁に開いている。

 任務は、日本側のこれまでの謝罪や賠償をまったく認めず、戦時下日本の残虐行為を選り盗りし、恒常的に糾弾、謝罪や賠償を求め続けることである。19997年、アイリス・チャン著の捏造「レイプ・オブ・南京」を組織をあげて宣伝、2005年春には、日本の国連安保理常任理事国入りの動きに反対する署名を世界規模で集めた。

 同連合会の幹部等は、イグナシアス・ディンのように中国で生まれ、20代で米国に渡り、そのまま米国の国籍や永住権を取得した人物たちがほとんどで、同氏は1990年代後半、カリフォルニア州下院議員だったホンダ氏に接近した。99年にはディン氏は「ホンダ氏と共同で州議会に出す決議案の草案を書き、日本の南京大虐殺、731細菌部隊、米人捕虜虐待、慰安婦強制徴用など戦争犯罪を追及した」と地元の新聞に述べたように、ホンダ氏の決議案提出と州議会での採択を成功させている。

 ホンダはその翌年の2000年に州議会から連邦議会への転出を図り、その間、ディンらはいっせいに選挙用の献金をして、ホンダ下院議員の誕生に貢献した。中国傀儡となったホンダは、ディンらの意向に従い、01年、03年、06年、07年と連続して連邦議会に、慰安婦問題の謝罪を、日本政府に求める決議案を提出してきた。日本を貶め、日米離反工作である。中国系からの政治献金

「世界抗日戦争史実維護連合会」幹部からマイク・ホンダ議員への献金リスト(2006年分を除く)

創設役員イグナシアス・ディン(丁)=計3000ドル(2000年2月、8月、02年2月に各1000ドル)

上記の妻ジョセフィン・ディン=計1000ドル(00年8月)

創設役員キャシー・ツァン(曽)=計5000ドル(00年2月、6月、01年11月に各1000ドル、03年6月に2000ドル)

元会長ベティ・ユアン(袁)=計1200ドル(00年2月に200ドル、02年2月に1000ドル)

創設役員ギルバート・チャン(常)=計1250ドル(00年2月に250ドル、同年3月と7月に各500ドル)

幹部チャールズ・シャオ=計200ドル(00年3月)

※「世界抗日戦争史実維護連合会」の英語名称の直訳は「第二次大戦アジア史保存グローバル連盟」(GA)2007/03/15

中国狂惨党華僑華人のロボット売国奴の巣窟民主党

 カリフォルニア州在住の香港出身の中国系米人華人実業家ノーマン・シー(徐諾曼=音読)は2004年から、民主党の大統領候補だったケリー上院議員に2000ドルを迂回(うかい)献金(名義を借りて献金)したのを手始めに、この3年間で民主党の陣営の各種候補に22万5000ドルを献金した。とくにヒラリー陣営の資金集めでは、100万ドルを集める集金手腕で、同陣営の上位20位に数えられる集金役に躍り出ていた。献金を受けた議員は、このほかヒラリー氏のライバル、オバマ上院議員ら、大統領候補を中心に多数にのぼる。献金の相手は民主党候補ばかりに限られているのが特異な点だ。

 シュー氏はニューヨークに本社をもつ「コンポーネント社」の経営者という以外、素性が不明だったが、ロサンゼルス・タイムズ紙の報道で、同氏が15年前、カリフォルニア州で土地を不正取得したとして訴追され、服役3年の判決後に逃走中であることが分かった。ノーマン・シュー氏は9月6日、逃走途中のコロラド州内で連邦捜査局の捜査員に逮捕された。

 ヒラリー・クリントン上院議員は2007年9月10日夜、2004年以来、同議員の上院選や大統領選の資金用に集めた献金合計85万ドルという巨額を数日中に計260人ほどの献金者に返還することを発表した。

 慰安婦決議の推進役マイク・ホンダ下院議員(民主党)はシュー被告とその代理人から献金計5000ドル受け取った。シュー氏は6月、ホンダ氏のレセプションで幹事役を務めていた。受け取りの日付はいずれも今年6月25日だった。6月25日というのは、下院外交委員会で慰安婦決議案への投票が実施された日の前日である。シュー被告の献金が、慰安婦決議案の早い時期の共同提案議員たちにも届けられていた事実は、全体の構図をもう少し鮮明にする。シュー資金は下院のトム・アレン、パトリック・ケネディ、デービッド・ローブサック、フランク・パロン民主党各議員に軒並み贈られていたのだ。各議員ともホンダ議員が今年1月末に提出した慰安婦決議案のごく早い時点での共同提案者ばかりなのである。マイク・ホンダ下院議員は9月下旬、シュー被告とその代理人から受け取った献金計5000ドルを放棄することを発表したのだ。放棄した資金は日系米人の高齢者介護施設などに寄付するという。ホンダ議員への政治献金疑惑

民主党は唯物の塊!唯心は共和党

唯物みんしゅ党と唯心きょうわ党あめりか二大政党の対日相違点

 

マネする韓国人

1997(平成9)年11月アメリカで発売された捏造本「ザ・レイプ・オブ南京」(悪魔の飽食と捏造方法がそっくり)の宣伝や販売に、総力を投入したのが在米の中国系犯日団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)や、「ワシントン慰安婦問題連合Inc」。「ワシントン慰安婦問題連合Inc」は、Incという語が示すように資金面では会社のような性格の組織。在米の韓国人や中国人から成り、凶産中国とも連携する犯日政治団体。2000年12月に東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」にも深く関与した。この「法廷」は模擬裁判で慰安婦問題を主に扱い、日本の天皇を被告にして、その模擬裁判を行った。報道したNHKの姿勢が問題となった。

アメリカも負い目払拭のため追随した捏造本『ザ・レイプ・オブ・南京』

1997(平成9)年11月アメリカで発売された「ザレイプオブ南京」という本が人気を呼んだ。南京事件を扱ったもので著者のアイリス・チャンは当時30歳の共産主義の中国系の米国人ジャーナリストだ。内容は中国の伝統的猟奇的残虐手法が満ち溢れており、偽書なのだと自白している。戦勝国には負い目が今でもあるから日本叩きは歓迎されるのだが、今では捏造が次々と暴かれ、偽書が定説となっている。日本を叩いて有名になったが、次々と捏造を暴かれた。『アメリカにおける中国人(The Chinese in America)(2003年)』でアメリカを叩いたが、これもまた次々と捏造を暴かれ、非難されていた。平成16(2004)年11月9日著者アイリス・チャン、頭部への銃弾1発で自殺、行年36歳。しかし、二歳の息子を持つ若い主婦が拳銃自殺するものだろうか、いくら米国でも不自然である。目に余る捏造が悲劇の引き金を引いたのだろうか。捏造は悲劇を生み、国を滅ぼす。

1998(平成10)年日本韓国 へODA有償資金協力6,455.27億円、無償資金協力47.24億円、技術協力実績239.94億円もの経済援助終了

2000年中国兵の残虐ぶりを日本軍と捏造した、中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園(日本から六兆円もの経済援助を受けているのに、江沢民の指示で、5年と50億かけて完成)。

中国も韓国も慰安婦訴訟は国策との自白!個人や単なる団体の仕業に非ずは明白!

米国での慰安婦訴訟

2000年9月、第2次大戦中に日本軍の「従軍慰安婦」にさせられたと主張する中国や韓国の女性15人が、日本政府を相手どって、損害賠償請求などの集団訴訟を首都ワシントンの連邦地方裁判所に起こした。支援したのは「ワシントン慰安婦問題連合Inc」。

  米国には、国際法違反に対する訴訟は地域や時代にかかわらず受けつけるシステムがある一方、外国の主権国家については、「外国主権者免責法」により、その行動を米国司法機関が裁くことはできないとしている。 ところが同法には、外国の国家の行動でも商業活動は例外だとする規定がある。 元慰安婦を支援する団体は、慰安婦を使った活動には商業的要素もあったとして、この小さな例外規定の穴をついて、日本政府への訴えを起こしたのだ。

 日本政府は当然、この種の賠償問題はサンフランシスコ対日講和条約での国家間の合意で解決ずみだとして、裁判所には訴えの却下を求めた。 

2001年10月ワシントン連邦地裁は、日本側の主張を認めた形で原告の訴えを却下した。原告側はすぐに上訴。

2003年6月ワシントン高裁でも却下され、原告側は最高裁に上告した。

2004年7月最高裁は高裁へと差し戻した。 ちょうどこの時期に最高裁が第二次大戦中、ナチスに財産を奪われたと主張するオーストリア女性の訴えを認め、オーストリア政府に不利な判決を下したため、日本政府を訴えた慰安婦ケースも類似点ありとして再審扱いとしたのだが、ワシントン高裁の再審理でも日本政府に有利な判断がまた出た。

2005年11月原告はまた最高裁に再審を求めた。 

2006年2月21日米連邦最高裁判所は「慰安婦の訴え」却下の判決を下した。

2006(平成18年)年4月10日アメリカ下院の対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会の調査局の報告書に、「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として、「吉田清治の証言」が明記されている事が判明。

2007年1月31日マイク・ホンダら民主党議員5人とクリストファー・スミス氏ら共和党議員2人が、日本軍の慰安婦動員を非難して、日本首相の公式謝罪を促す決議案(H.Res121)を提出。

2007年2月15日米下院「慰安婦聴聞会」韓国人2名、オランダ人1名女性が証言

予備知識

朝鮮とオランダの売春の歴史

韓国の妓生(売春制度)廃止は2004年

 朝鮮戦争後、駐留米軍に対する風俗店は、朝鮮語でヤクザと呼ばれる非合法の犯罪組織が関与し、莫大な金額が地下に流出していた。これを一斉に摘発し、新たな国営の娼館制度を代わりに据え、外貨獲得を行った。

 これが通称国営妓生と呼ばれる制度であり、更なる外貨獲得のため、一時はベトナム戦争時など海外にも派遣された。日本が復興し、海外旅行が再開されると、日本からの観光客に対しても、国営妓生が使われた。1990年代まで、キーセン旅行と呼ばれるほど韓国旅行が風俗旅行と同等の意味を持っていた。

 漢江の奇跡を経て、1980年代に韓国経済が軌道に乗り始めると、国営妓生の志望者は減少し、不足を埋める形で成長した民間の妓生では、フィリピンやインドネシアなどの東南アジアから女性を誘致するようになり、ソ連崩壊後は、ロシア人女性も誘致の対象となった。

 だが、やがて外国人娼婦に対する違法行為が頻発し、一部で社会問題化した。そして2004年に、韓国の議会は、全ての売春施設を閉鎖、売春行為を違法とする法改正を行った。これによって、妓生は大韓民国では事実上廃止された。以後輸出超大国となり、各国で摘発(売春経営者も売春婦も韓国人)されている。

 ソウルのキーセン・ハウスでは「清雲閣」「大苑閣」「三清閣」の「3閣」が有名だった。伝統的なキーセン・ハウスで唯一残っていた「梧珍庵」(오진암)も、2010年に閉店した。

 韓国は現在も売春大国NO1韓国で稼げなくなった女性をスカウトし、東京・鶯谷周辺で商売をさせ、荒稼ぎしていた韓国籍の経営者(32)ら3人を、警視庁が先週逮捕。――東スポWeb2012年10月04日
 韓国売春の歴史は米国の朝鮮人捏造い安婦碑文は宣戦布告文も参照。

オランダの飾り窓(個人売春制度)は今でも合法
 飾り窓とはオランダ 、ドイツ 、ベルギー 等のゲルマン諸国、またそこから伝播して、地中海等でも見られた売春の一形態や施設。オランダ語では「nl:Raamprostitutie(窓売春)」である。道路に面したドアはほぼ全面ガラス張りで、室内はピンク、紫、ブラックライト等で照明、軒に赤いランプを灯しているのが特徴で、英語圏等ではこれらが集まるエリアを「en:Red-light district(赤灯街)」と呼ぶ。4につづく⇒

真実史観日本叩き中国韓国の狙いはネットに溢れた真実同胞大虐殺の矛先そらし

4日本叩き中国韓国の狙いはネットに溢れた真実同胞大虐殺の矛先そらし

 オランダでは、売春婦は、18歳以上でなくてはならず、個人売春のみ合法で、所得税も払い、自営業と同じ扱いになっている。
『サンデー毎日2000/10/22』

 ”自由と寛容の国”オランダで、10月から売春業者が合法化された。売春婦(夫)そのものは1912年施行の売春管理法でれっきとした「自由業」として認められているのだが、セックスクラプや「飾り窓」の経営者はこれまで正式な仕事として認められていなかった。

 どうして今さらの合法化かというと、近年、オランダでは売春婦の強制労働や不法滞在、18歳未満の若年就業が急増しており、政府がこの取り締まりに本腰を入れることにしたためだ。これまで「正業ではない」ことで、万事がいい加滅に済まされてきたこの業界を「正業化」することによって、従業員(売春婦)の管理や納税義務を他の職業と同じように課そうという狙いがあるのだ。

 300軒以上の「飾り窓」が建ち並ぶアムステルダムの赤線地区は今や、観光名所の一つだが、そこで働く1万人以上の売春婦たちの素性は、この数十年、大きく様変わりした。70年代までは大半がオランダ人だったが、80年代に入ると東南アジアや中南米、アフリカからの出稼ぎ移民が増えた。そしてベルリンの壁の崩壊とともにロシアや東欧の女性が急増し、今ではオランダ人は全体の3割程度だ。

 新参者の増加によって30分200ギルダー(約9000円)という売春相場も頭打ちとなり、経営を維持するために手段を選ぱず東欧諸国の女性を集め、強制的に働かせる業者も目立ち始めた。今後は役所の営業認可が必要となり、不法移民などの雇用も禁止される。売春婦の働く環境も改善されるはずだ。

 オランダのセックス産業は年間20億ギルダー(約900億円)を生み出す巨大産業だ。政府とて業界をつぶすつもりはなく、合法的に行ってくれればよい」(内務省)。

 もっとも、晴れて「かたぎ」になった業界は、「余計な設備投資はかかるし、はっきり言って迷惑な話だ」とぼやいているが・・・。

オランダ植民地インドネシアの売春事情
「慰安婦と戦場の性」秦郁彦著(新潮選書1999年)より

第四章 太平洋戦線では113p
 現地人女性を”妾”として囲う例はフィリピンでも見られたが、とくに、「ジャワは極楽」とうらやまれたジャワで、軍政監部の文官や企業派遣の民間人を中心に流行した。
 「チンタ」とか「白馬」と呼ばれたこの現地妻たちは、オランダ人の男とインドネシア人の女の間に生まれた混血児(ユーラシアン)が多く、旧主人が抑留所へ入れられたので、生活のため新しい主人に鞍替えしたのである。ジャワ派遣軍宣伝部に入った大宅壮一は、「白馬会」の主宰者と自称していた。
 オランダ政府の公式報告書も「日本軍の高級将校、会社重役、高級官吏なども売春宿を訪れるよりも妾を囲うことを好んだ」と述べ、さらに、「ヨーロッパ人売春婦の多くが一人の日本人男性の妾となる関係を好んだ」と記す。(季刊戦争責任研究No.4、50p)
 ジャワでは軍人は少なく(戦争中期は1万人前後)、占領行政に当たる文官や民間企業人、戦前からの在留邦人(サクラ組)が多かった。
 そのせいか、占領初期には軍専用の慰安所はほとんど見られず、民間の売春宿が主力だったが、1943年後半頃から軍専用も設置されるようになり、悪名高いスマラン慰安所事件をひきおこす。
 前記のオランダ政府報告書は、その理由について性病増加のためだろうと推察しているが、おそらくこの推察は正しい。

 『ジャワ新聞』(朝日新聞の経営)は、1943年2月の「熱地衛生」(軍医部執筆)と題したシリーズで、「共同便所は誰一人汚す心算で使用するものはなくとも汚れ勝ちなものです。・・・・慰安所を開くとき、どんなに厳選しても日が経てば殆ど全部が花柳病になってしまいますから健全な慰安婦を求めることは無理です」「慰安婦の半数以上は黴毒・・・・ジャカルタの軍指定慰安所の女を血清反応で検査したところ、驚くなかれ半数以上が・・・・」と警告している。
 また、「安い、サービスが良い、スリルがある等の理由から、禁を犯して私娼に走る不心得者が絶えないようで・・・・慄然」(ジャワ新聞1943年2月1-2日付け)とも書いているが、事態は一向に改善されなかったらしく、一年半後の記事では罹患率が「邦人の七割位」(ジャワ新聞1944年9月11日付け)とあるから、割引きしてもジャワは「性病天国」と呼んだ方が良いのかもしれない。

「第六章 慰安婦たちの身の上話 6 インドネシア(上)-マルディエムなど-」川田文子(戦後補償実現市民会議基金代表)チームの面接結果(1995年秋から3回、合計10数人と面接)209p
<南ボルネオ組の証言(マルディエム;ジョグジャカルタ)>

・幼なじみの女性歌手レンチに「ボルネオに行って一緒に芝居をしよう」と誘われ、48人の仲間と船に乗って南ボルネオの首都バンジャルマシンへ行った。
・引率者は現地に数十年在住する日本人の歯科医で、バンジャルマシン市長の正源寺寛吾だった。
・全額を貯金して帰るときに戻すと説明されたが、払ってもらっていない(親が身売りした)。
・同行した48人のうち、8人は食堂で、16人は芝居小屋で働き、24人慰安所へ行った。
・仲間の中で帰郷した者もいたが、追加の女性も来た。
・南ボルネオは海軍の軍政地域だった。陸軍の軍政下のジャワから、慰安婦を募集する仕事には、(戦前からジャワに住んでいた民間人が介在した可能性はあるが、)募集に当たったのはインドネシア人で、マルディエムは本人の知らぬ間に親が身売りしたケースではないか。

ボゴール憲兵分隊長谷口武次大尉の書簡から211p
・兵舎には日イ双方の衛兵が立っているので、ひそかに女を連れ込んだり、長期にわたり監禁するのは不可能である。
・住民は性観念がきわめてルーズで、インドネシア人、華僑、混血(ユーラシアン)の売春婦が至るところにいた。ジャカルタの川べりには、立ちんぼの女たちが並んで客引きをしていた。事を荒立てなくても、いつ、どこででも用は足せたはず。
・このように(川田文子報告にあるように)悪質な事件が続発していたら、オランダから戦犯にされたろうし、その前に現地人の兵補が黙ってはいまい
 谷口の言う「性観念」の程度は、それこそ各人各説で地域、人種、階層、宗教がからみ一般論は困難だが、インドネシア人は概してルーズだったのは確かなようだ。
 スマトラ各地に勤務した大平文夫憲兵曹長は「全島で慰安婦は200人くらいと推定するが、他の島からの出稼ぎが多かった。農家の主婦も容易に売春婦に変身した。しかし、アチェ人は売春はやらなかった」と回想している。
 開戦前の1941年7月、ジャワに偵察飛行した深田陸軍軍医少佐は帰朝後、陸軍省の会議で「原住民は生活難のため売淫する者多し」(金原節三日誌摘録、1941年7月26日の項)と報告しているが、性観念と生活難は不即不離の要素だったのかもしれない。

「第六章 慰安婦たちの身の上話 7 インドネシア(下)-兵補協会のアンケート-」高木健一弁護士の指示で行われたもの(1995年11月)212p
・質問項目が誘導尋問的になっている。

(1)問5「従軍慰安婦になった理由は何か」という設問に対し、a看護婦になれる、学校に行かしてやる、職を紹介するなどと言われてだまされた(45%)、b逆らうと家族を殺すと日本兵に脅迫され、強制された(45%)、cおだてられ誘われて自分でその気になって(1%)、d帰宅途中、あるいは路上で拉致・誘拐されて(9%)、の四通りの答えしか用意されていない。最もありそうな「親に売られたから」「高収入だったから」の選択肢がない
(2)問11「性的奉仕を求めてきたのは誰か」という設問に対し、a日本人の兵隊(95%)、b朝鮮人の兵隊(1%)、台湾人の兵隊(1%)、インドネシア人(1%)の四通りしかない。当時のジャワには軍人を上回るぐらいのサクラ組と呼ばれた一般邦人(売春業者を含む)がいたのに、日本人なら全員が兵隊にされてしまう設問になっている。
・上記川田文子チーム面接には、このアンケートで誘導されたとおりに身の上話を語った可能性が高い。


「第六章 慰安婦たちの身の上話 8 オランダ-蘭人抑留女性の受難」216p2
15万人を超えるオランダ人が日本軍捕虜収容所及び民間人収容所に収容され、うち2万人が女性であった。(1994年オランダ政府報告書)
・占領の前半期(1943年中期頃)まで、女性たちの多くは抑留所外の居住を許されていたが、働き手を失った貧困な女性の中には、民間の売春宿や風俗産業で働く者も少なくなかった。白人女性が経営する売春宿もあり、マダムたちの中には日本軍幹部や民間人の妾になる者もいた。(1994年オランダ政府報告書)
・しかし、戦局の悪化により、日本の陸軍省は「軍抑留者取扱規定」(1943年11月7日陸亜密第7391号)を出先各軍に通達し、オランダ人を含む敵国人の全員を、捕虜収容所に併設された軍抑留所に移すよう指示した(蘭イ混血のユーラシアンは原則として対象外)。
・その結果、指定居住区域に住んでいたオランダ人女性は、売春婦も含めて軍抑留所へ入ることになるが、給養条件は悪く不満が高まっていた。
・こうした状況に目を付けたのが、軍の担当者と慰安所の業者で、好条件を約束すれば相当数の慰安婦が集まるだろうと見当を付けたようだ。この種の勧誘や説得に強制性がどこまで働いていたかは微妙なところである。
・抑留所を管理していた第16軍軍政監部は、強制しないこと、自由意思で応募したことを証するサイン入り同意書を取るように指示していたが、なかには違反する出先部隊もあった。のちに「白馬事件」と呼ばれたスマラン慰安所の強制売春事件は、女性たちの告発により戦後のB,C級法廷で裁かれ、死刑を含む10数人の有罪者を出す。
・死刑になった岡田慶治少佐は獄中日記を残している。「将校クラブの婦人たちをよく可愛がってやったつもり・・・・その彼女たちが告訴している。それも嘘八百並べて・・・・時勢が変わったので我々に協力していたことになって彼女たちの立場がないのかと想像・・・・起訴状を見ると首謀者にされている・・・・『そうか飼い犬に手を咬まれたのだ。もう何も言うことはない』と覚悟した・・・・敵の銃口の前に立って、日本人の死に態を見せてやることではなかろうか」
・いずれにせよ、スマランの慰安所は長くても二ヶ月しか営業していない。ジャカルタの第16軍司令部から閉鎖命令が届いたからである。
・軍政監部本部に勤務していた鈴木博史大尉は「慰安所でひどい悲鳴が聞こえるとの話を聞き込み、山本軍政監へ伝えると、山本は”まずい、すぐやめさせろ”と怒り、翌日に閉鎖命令が出た・・・・後に彼女たちを集め、申し訳ないことだったと謝罪した」と記憶している。
・被害者がオランダ人女性以外で戦犯として裁かれたのが、1,000人以上の現地住民(華人ゲリラ)を抗日分子として大量処刑したポンティアナック事件(1944年初期)の副産物として明るみに出た強制売春事件で、主として日本人の現地妻となっていたインドネシア人女性を強制的に慰安婦にしたかどで、13人の海軍特警隊員らが有罪(うち3人は死刑)となった。

409p
 南方戦線で人気が高かったのは、ユーラシアンと呼ばれた白人と現地人の混血児であった。マニラの慰安所を経験した日本兵捕虜に対する連合軍の尋問記録によると、「女性は、通常、スペイン人とフィリピン人の混血で利用料金は10円ないし20円・・・・日本人及び朝鮮人女性については2円ないし3円であった」(吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店1992年487p)
 価格は一般に需要と供給によって決まるものだが、中国大陸では、内地人(2円)、朝鮮人(1.5円)、中国人(1円)の順に安くなる例があった。南方では現地人の価格がもっとも安かったが、混血や白人は例外で、内地人より高価だったようである。
 パダン(西スマトラ)では、インド人業者の下で20人の白人女性が働く慰安所があり、プカロンガン(中部ジャワ)では華人業者の下で23人の欧州人女性が働いていた。

392p
 文玉珠の場合、3年足らずで2万5千円貯金し、うち5千円を家族に送金している(文玉珠『ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』(梨の木舎1996年)138p)。今なら1億円前後の大金である。
 ベテランの日本人慰安婦も負けていない。吉原で10年暮らした高安やえは、「戦地へ行けば10倍稼げるし・・・・稼いだら内地に帰って商売を始めようと考えてラバウルへ・・・・一人5分と限り、一晩に200円や300円稼ぐのはわけがなかった」と回想している(高安やえ「女のラバウル小唄」(『続戦中派の遺言女性版』(櫂書房1979年))。

394p
 兵士たちの生活条件と比較してみる必要もあろう。「大東亜戦争陸軍給与令」(昭和18年7月28日勅令625号)によると、二等兵の月給は7円50銭、軍曹が23-30円、戦地手当を入れても約倍額にすぎず、慰安婦たちの1/10ないし1/100である。中将の年俸でも5,800円だから、文玉珠クラスになると在ビルマ日本軍最高指揮官より多く稼いでいたことになる。

226p
(中国徐州の料理屋「松竹」で仲居をしていた柴岡トシオさんの証言)

秦「なぜ日本人慰安婦は名乗りでないのでしょうね」

柴岡「200万円じゃだめでしょう。2,000万円ならいるかもしれんが」
※「慰安婦」は商売なので、日本人証言者の「賠償金請求」は皆無!まさに日本人は天道を宗とする唯心で、一線を画している!

自称元慰安婦捏造証言者の、必須アイテムが「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)・日本国の犠牲者(殉難者・英雄)・日本国が謝罪(賠償金奪取正当化の大義名分)」!
 「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)・日本国の犠牲者(殉難者・英雄)・日本国が謝罪(賠償金奪取の正当化の大義名分)」は、「自称、元慰安婦証言者」の、身内親族からの非難回避用で、かつ、犠牲者(殉難者)として賠償金を勝ち取る為の必須の小道具である!この捏造小道具を無条件で信用する非常識の輩が、拡大した!

 慰安婦問題唯一の根拠は、「自称、元慰安婦証言」のみ!「慰安婦」は身内親族にとっては不名誉千万なのである。したがって、自ら進んで「慰安婦」になったと証言する馬鹿者(慰安婦は商売なので被害者ではない、証言は不名誉の拡散のみで、百害あって一利なし)などは、皆無。もちろん、「賠償金」は、「合法下の商売」なので、取れないことは常識である!

 したがって、自称証言者の証言内容には、「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)・日本国の犠牲者(殉難者・英雄)・日本国が謝罪(賠償金奪取の正当化の大義名分)」の事項を盛り込むことが絶対の条件となる(韓国初期の証言は、この完全捏造がまだ徹底されておらず、本音(真実)がちらついている)。

 「自称、元慰安婦証言」は、「強制連行、誘拐された、騙され監禁された、私は被害者(殉難者)」と証言することで、「身内親族からの非難を回避」し、「ならどうして逃げなかった」の追求は、「閉じ込められ(性奴隷とされ)逃げられなかった証言」で「回避」し、このような犠牲者(被害者)だから「賠償金をくれ」論法となる。日本国への謝罪要求は、ただの売春婦が、自国民の同情を集めて英雄となるための必須のアイテム。自称証言者がただの売春婦(売女)か、英雄(殉難者)かの分岐点「お墨付き」が、「日本の謝罪」なのである。

 河野談話では「心からおわびと反省の気持ち」と言ったが、日本政府は被害者が要求する公的な謝罪と補償は行わず、民間の募金を基にした「女性のためのアジア平和国民基金」が一人二百万円を支払い、首相のおわびの手紙を添えるという方式で対処した。がしかし、韓国の自称慰安婦の圧倒多数が拒絶した。

 「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)」は、身内親族不名誉非難やさらし者「回避」の免罪符日本政府が「強制連行・性奴隷」を認めての謝罪と補償なら、「日本被害者と認定なので身内親族からの非難やさらし者は回避出来る」ので、受け取れるが、「日本が被害者と認定無き」は、「元、自発売春婦の、ただのごね得」となり、身内親族不名誉非難さらし者となることは、明白である。「受け取り拒否」は、当然なのである。日本国は、強制連行・性奴隷(自称慰安婦の捏造)」などしていないので、自称慰安婦のご要望(捏造)に応えることなどは不可能で、戦国時代の自存自衛のためとはいえ、巻き込まれた同胞への「思いやり謝罪」が、限界!これまた当然なのである。

 現代でも買収されたでは非難されるのみだが、「脅迫された」と「告白」すれば被害者となり、同情が集まる。つまり、「強制連行(誘拐)・性奴隷(監禁)」と売春業を、セットにして証言しなければ、証言者は天に唾棄、奈落の底(売女)へ転落となる。

 つまり、自称慰安婦証言者の死活は、いかに捏造して口を極めて日本をののしるか、そして、いかに捏造して世界の同情を集めるかに、懸かっている。こんな「いわく尽くしの証言」を、丸鵜呑みする方が異常なのである。

 一部で暴走事件(白馬)はあったが、全体(日本軍)ではない!沖縄で米兵の強姦事件があった、だから米軍は強姦軍とはいわない。当然の常識である。一般常識無皆無の、モヤシ吉見凶授や高木、福島瑞穂、日弁連、人権派弁護士自称戸塚悦郎、韓国オランダ証言、米加豪比UE議会等犯日の論法は、「沖縄で米兵の強姦事件があった、だから米軍は強姦軍」なのである。婦人や少女が誘拐されるのを、黙って看過する身内親族村町が、世界にあるだろうか?あるはずなど無い!職責者の常識回路がまともなら、こんな大騒動にはならなかった。

騙れば老人天国!証言者利得は、金がもらえて、いろんなとこに金をもらって行けて、「話すだけで」歓迎され、旨い物が食える。まさに、騙れば極楽

「米国下院121号決議」の前に下院公聴会にて自称慰安婦として証言[韓国の新聞中央日報日本語版]  2007年02月16日
米議会で初の‘慰安婦聴聞会’…韓国・オランダ人女性3人が証言

 ――下院外務委員会アジア太平洋・環境小委が米議会史上初めて開いた‘慰安婦聴聞会’では、李容洙(イ・ヨンス、79)さん、金君子(キム・クンジャ、81)さん、ジャン・ラフ・オハーンさん(85、オランダ)の3人が、日本軍の慰安婦として連行されて受けた侮辱を生々しく証言した。 200席余をぎっしり埋めた傍聴客は3時間以上続いた証言を粛然とした雰囲気の中で傾聴した。

◇「犬や豚以下の生活=最初に証言した李容洙さんは「1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた」とし「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」と証言した。 日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。李さんは「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった」と述べた。李さんは「日本政府は謝罪したと主張するが、一度も謝罪を受けたことはない。 世界の性的暴行を根絶するためにも日本は必ず謝罪しなければならない」と強調した。

 続いて、16歳だった42年に中国連行された金君子さんが証言した。 金さんは「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」とし、「日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」と語った。続いて「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった」と述べた。金さんは「45年8月の終戦で日本人が‘出て行け’と言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った」と悲惨な帰郷過程を伝えた。金さんは「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」と涙声で話した。

◇「日本将校が刃物で脅して強姦」=西洋人慰安婦として証言し関心を集めたオハーンさんは「日本軍は私の青春を無惨に踏みにじり、すべてのものを奪っていった」と怒りを表した。オランダ植民支配下のインドネシアで生まれたオハーンさんは19歳だった42年、日本軍がインドネシアを占領した後、収容所に入れられた。オハーンさんは「その日の夜、日本式の花の名前が入った名前を付けられ、髪が薄い日本軍将校が待つ部屋に連れて行かれた。彼は刀を抜いて‘殺す’と脅した後、服を破り、最も残忍に私を強姦した。その夜は何度強姦されたか分からない」と身震いしながら話した。 オハーンさんは「一緒に連行されたオランダ人少女らと3年半注・3年半は中央日報の捏造。オランダ人少女は2ヶ月未満)、毎日こうした蛮行にあい、飢えて苦しみ、獣のような生活をした」と語った。また「日本は95年にアジア慰安婦財団を作って私的な補償をしたというが、これは慰安婦に対する侮辱」と主張した。続いて「日本は政府レベルで残虐行為を認め、行動で謝罪を立証しなければならず、後世に正しい歴史を教えなければならない」と求めた。(注・以下の言葉は証言にはない。中央日報の捏造)オハーンさんは「日本人は私たちが死ぬのを待っているが、私は死なない」とし、日本が正式に謝罪するまで闘争を続けると誓った。

◇米国議員間で意見の差=慰安婦決議案を主導したマイケル・ホンダ下院議員(民主、カリフォルニア)は聴聞会で証人を自ら要望、「今われわれが行動に出なければ、日本政府の謝罪を引き出す歴史的な機会を失ってしまう」とし決議案の採択を促した。 しかしローラバシャー下院議員(共和)は「日本はすでに何度も謝罪している。そういう文書を受けている」とし「前の世代の過ちで日本の現世代が処罰を受けてはならない」と主張した。聴聞会を進行したファレオマバエガ・アジア太平洋小委委員長(民主、サモア)も「生涯英語を使い続けてきたが、今日の証言を聴くと、その悲痛さをいかなる単語で表現すればいいのか分からない」とし、慰安婦の痛みを理解するという立場を見せた。

◇聴聞会の意味・展望=この日の聴聞会は、ホンダ氏ら民主党議員5人とクリストファー・スミス氏ら共和党議員2人が先月31日、日本軍の慰安婦動員を非難して日本首相の公式謝罪を促す決議案(H.Res121)を提出したことを受けて開かれた。議会消息筋は「この日の聴聞会で日本軍の蛮行実態が暴露され、日本政府の謝罪、釈明が偽りであることが明らかになったため、今後、決議案採択に前向きに作用するだろう」と述べた。ホンダ議員は3月末までの決議案採択を目標にしている。

 加藤良三駐米日本大使はこの日、アシア太平洋小委に書簡を送り、「日本はすでに慰安婦問題の責任を認め、韓国やフィリピン、台湾、インドネシアなど慰安婦被害者に補償もした」とし、決議案採択を阻止する意向を明確にした。
5へつづく⇒

真実史観慰安婦唯一のオランダ人証言者ジャン・ラフ・オハーンの証言と背景

「慰安婦」唯一のオランダ人証言者ジャン・ラフ・オハーンの証言と背景

強制連行され慰安婦と自称の韓国人2人の証言検証

 韓国人二人は証言のみで証拠無し。日本人中学生が朝鮮人女学生をからかったことが原因で、大規模な学生抗議運動となり、朝鮮全土に広がったのが1929(昭和4)年の光州事件。どこの国に、「強制連行し慰安婦にする自国軍」を看過する国民が、いようか!常識さえあれば、子供でも解ること、すべて偽証である。その他の経緯と詳細は後述。

日本軍公娼(BC級や1994年裁判)告訴人では無い自称日本軍公娼慰安婦騙り屋ジャン・ラフ・オハーン!私娼か?

唯一のオランダ人ジャン・ラフ・オハーン証言原文は英文
「慰安婦」人権の保護についてのヒアリング2007年2月15日木曜日

挨拶部分略

 ――戦争での女としての私の経験は、全く劣化のひとつ、屈辱と、 第二次世界大戦中の、耐えられない苦しみです。

 私はいわゆる、日本軍用性奴隷の婉曲表現、「従軍慰安婦」を強制されました。

忘れられたもの

※「忘れられたもの」ではなく前述のように「断罪済みのもの」が真実。

  私はオランダ植民地時代の第四世代の家族として、1923年に、旧オランダ領東インド(現インドネシアとして知られている)の、ジャワで生まれました。私は砂糖プランテーションで育ち、最も素晴らしい幼年期でした。私はカトリック系の学校で教育を受け、ジャワのフランシスコ会修道士教師の大学を卒業しました。

 1942年、私が19歳の時、日本軍はジャワを侵略しました。

 何千もの女性や子供たちと一緒に、私は3年半日本の捕虜収容所に抑留されました。

 日本の捕虜収容所のオランダ人女性の多くの話は、恐怖、残虐、飢餓、苦しみについて話されています。

 しかし、一つの、最も恥ずべき逃れられない最悪の人権侵害の話は、しませんでした。第二次世界大戦中の日本人「慰安婦」、jugun ianfu、どのようにしてこれらの女性は、日本軍への性的サービスを提供するために、その意思に反して強制的に捕まえられたかの話です。

※人権を冠して仕立て直し、新たな難癖材料にした。

1944年に高官の、日本の役員がキャンプに到着したとき、私は2年間キャンプにいました。

※3年半-2年間=1年半と聴衆は錯覚する。真実は「2ヶ月未満」(書籍や他所では3ヶ月と証言)。以下の証言は証拠提示無きただの証言。しかも証言者はこの女性のみの一人。関係者者既に死亡の現在、「死人に口無し」の一方的な証言(死体叩き)は、相当割り引く必要がある。

命令されました:

 17歳以上のすべての独身の女の子は、収容所で一列に並ばなければなりませんでした。

 役員は我々の方へ歩き、そして、選択プロセスが始まりました。

 彼らは列を行ったり来たりし、私たちのあちこち見ました。

 私たちのあごを持ち上げて、私たちの足や、我々の体つきを見ました。

 彼らは、10人のかわいい女の子を選びました。私は、10のうちの1つでした。

 連れ去られることになった私たちは前に出て、小さなバッグに荷造りするように言われました。

 キャンプの全員が抗議し、私たちの母は引きもどそうとしました。再び会えるかどうかもわからない母親を、私は抱きしめました。

 私たちは、軍のトラックに投げ込まれました。我々はおびえて、バッグに、そして、お互いにしがみついていました。 

 トラックは、スマランのオランダ植民地時代の大規模な家の前で止まり、私たちは降りるように言われました。私たちは家に入るとすぐに、どのような家なのか気づきました。日本人の性的快楽のために、私たちはここにいるのだと、日本軍は言いました。家は売春宿でした。

 私たちは大声で抗議しました。

 私たちは、私たちの意志に反して、ここに来ることを余儀なくされたと述べ、彼らには、私たちをこのようにするは権利はない、それはジュネーブ条約( the Geneva Conventionに反していると。

  しかしそのとき、彼らは私達を見て笑い、そして彼らは、彼らが好きなように、行うことができると言いました。

 我々は、日本人の名前を与えられ、これらは私たちの寝室のドアにかけらました。

ジュネーブ条約1864年締結。戦時国際法としての傷病者及び捕虜の待遇改善のための国際条約。ジュネーブ協定1954年に締結。第一次インドシナ戦争を終結させるための終戦協定)

 

 私たちは非常に無邪気な世代でした。私は、セックスについて何も知りませんでした。

 売春宿の「オープニングナイト」の恐ろしい思い出は、すべての私の人生の私の心を、拷問しています。 私たちは、ダイニングルームに行くように言われました。

 そして私たちは、軍でいっぱいの家のように見え、恐怖で一緒に身を寄せ合ったのです。

 私はこれが私たちを助けるだろうということを望み、祈りの本で祈り、少女達を導きました。

 その後彼らは、一人ずつ私たちを引き離し、無理やり引きずり始めました。

 私に、寝室からの叫びが聞こえてきました。私はテーブルの下に隠れましたが、すぐに発見されました。
 私は彼と戦った。私はすべての力で彼を蹴った。私は彼に自分自身を与えることはなかったので、日本の将校は非常に怒った。彼は、その鞘から刀を取り出し、私にそれを示し、私を彼に与えない場合、彼は私を殺すと、それで私を脅かし。私は狩りの動物のようにすみっこにうずくまり、逃げることができませんでした。

 彼は、私が死ぬことを恐れなかったことを理解しました。私は、いくつかの祈りを言うことを彼に嘆願しました。私が祈っていた間に彼は服を脱ぎ、自分に開始しました。

 彼は私を殺すつもりはなかった。彼の死体と化した私は、全く不満足だったでしょう、

 彼はベッドの上に私を投げ、私のすべての服を剥ぎ取り、私の裸の体の全体を彼の剣が走った。彼は私の裸体の至る所で、彼の剣を実行しました。そして、猫がねずみにするごとく、私で遊んだのです。

 私はまだ彼と戦いを試みたましたが、彼は重い体で私をピン止めし、私の上に自分自身を押しつけました。

 最も残忍な方法での彼のレイプに、涙が私の顔を流れ落ちていました。

 私は、彼が決して止めないだろうと思いました。

 彼は最終的に部屋を出たとき、私の全身が震えていました。私は衣類の残されたものを拾い集め、バスルームに逃げ込んた私は、他の女の子の一部をそこに発見しました。私達は、皆泣いて、バスルームでショックが更に増しました。

 私はすべての汚れを洗い流すことを試み、私の体から恥を洗い流しました。

 しかし、夜はまだ終わっておらず 、そこには待っている多くの日本人がいました、そしてこれは、一晩中続きました。

 それは、毎週毎月の、始まりに過ぎなかったのです。

 家は完全に守られ、逃げる方法がありませんでした。時々、私は隠れましたが、いつも見つかって、部屋に引きずり戻されました。

  私はすべてをためしました。私は私のすべての髪さえカットしたのです、それで、私は全くのはげになりました。私は、私が私自身を醜く見えさせれば、誰もが私を欲しがらないだろうと思いました。

 しかし、それは私を、好奇心の対象に変えました。彼ら全員は、彼女の髪をカットした女の子が欲しかったのです。それは、逆効果でした。

 決して、一人の日本人も、戦いなしで私を強姦しませんでした。私は、彼ら各々と戦いました。したがって、私は、繰り返し叩かれました。

 いわゆる「公衆便所」で私は、組織的に叩かれて、日夜強姦されました。

 彼が我々に性病の病気がないか調べるために売春宿を訪問するたびに、日本の医者さえ私を強姦しました。

 そして、より私たちに恥をかかせるために、ドアとウインドウは開いているままにされたので、日本人は私たちが検査されているのを見ることができました。

 「公衆便所」の時間の間に、日本人は私を虐待して、私に恥をかかせました。私は、体のいたるところに断片的な引き裂かれた傷を残されました。日本兵は、私の若い人生を台無しにしていました。

 彼らは、私からすべてを奪いました。

 彼らは、私の青春期、私の自尊心、私の尊厳、私の自由、私の財産と私の家族を奪い取りました。

 しかし、彼らは私から奪うことができなかった一つのことがありました。それは、私の宗教的な信頼と神に対する愛情でした。これは私のものでした、そして、誰もそれを私から取ることができませんでした。

 日本人が私にしたすべてのことに対し、生き残りの助けとなったのは、私の深い信仰my deep Faithでした。

※「私の深い信仰」と自画自賛であるが、「死体を掘り起こし鞭打つ所業(59年前に断罪済み)」は、「浅い信仰」以外の何ものでもない!

 私は、日本人の彼らが、私にしたことを許しました。

 しかし、私は決して忘れることができません。50年の間「従軍慰安婦」は、沈黙を維持しました。彼女らは汚されて、汚いと感じる恐ろしい恥に耐えました。

 これらの女性の破壊された生活が、人権問題になるのに、50年かかりました

許しました」は、言行不一致偽善発言!「沈黙を維持」は捏造、犯罪者は、59年前の全世界公開裁判で、断罪されている。日本は1956(昭和31)年5月24日法律第18号『売春防止法』で禁止。前述のような一般の犯罪を、「人権」を冠し、「国家が関与した犯罪」であるかのようにすり替え、仕立て直している。

 

 「従軍慰安婦」にとっては、戦争は、決して終わりませんでした。

 私達は、まだ悪夢を見ます。戦争の後、私は、体を元に戻すために、大手術を必要としました。

 1992年に、韓国の「従軍慰安婦」は、彼女たちの沈黙を破りました。 キム·ハクサンさんは、意見を述べる最初の人物でした。

 日本政府からの謝罪と補償のために、彼女たちが正義を嘆願したようすを、私はテレビで見ました。

 私は、彼女たちをバックアップすることに決めました。私は、1992年12月、東京での日本の戦争犯罪に関する国際公聴会で、私の沈黙を破りました。

 そして、第二次世界大戦の最悪の人権侵害の一つ、忘れられたホロコーストを明らかにしました。

※解決済み命令違反事件を大捏造。「レイプ事件」を「従軍慰安婦事件」とし、国家関与のナチス600万人?(120万人)大虐殺(ホロコースト)と同列にして証言、「日本国関与」と印象操作。プロパガンダの手口である。

 ホロコースト糾弾は戦後すぐ(1946年)になされ、続いているが、「白馬事件」は前掲のようにBC項目(リンチ)裁判で裁かれ、死刑で決着済みである。少なくとも1990年平成2年『ハンギョレ新聞』に、韓国の梨花女子大学の尹貞玉教授が、挺身隊とイアンフを混同させた「“挺身隊”怨念の足跡取材記」を春から連載)までの45年間(当時の責任者存命中)は、どこの国も取り上げていない(日本軍関与の強制連行も性奴隷も無かった)のである。ホロコーストと同列は、捏造白状そのものである。

 

 過去15年間私は、オーストラリアや海外での「従軍慰安婦」の窮状のために、戦争における女性の保護のために、精力的に取り組んできました。

 もうすぐ時間切れです。

 60年後に「従軍慰安婦」は、正義に値します。

 彼女たちは、日本政府安倍晋三首相自身からの、正式な謝罪に値します。

 日本政府は、彼らの戦争犯罪の、全責任をとらなければなりません

監督不行き届き(道義的な責任)での謝罪(唯心)は、1998(平成10)橋本内閣総理大臣がオランダ国コック首相に送った手紙と2001(平成13)年元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙で済み。「アジア女性基金」設立のいきさつ(二百から三百の売春婦の内で、被害者と認定された79人の、個人に対してのみ実施)を見れば、これは「従軍慰安婦(強制連行性奴隷)」国家関与の謝罪ではなく、「監督不行き届き」の謝罪なのは明白である。

 がしかし、二通の手紙共通(私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題)の、「当時の軍の関与の下に」のみをつまみ盗り、そして拡大宣伝。唯物の輩は、「アジア女性基金」は「従軍慰安婦国家関与謝罪」と、かってに解釈し、「戦争犯罪の、全責任をとらなければなりません」などと、嵩にかかって「捏造」に励んでいる。唯心日本の条約破り(アジア女性基金)が、調子に乗せた。唯心日本の唯心が仇となった。

 しかし、知恵(思索回路)があれば、「軍の一部・軍規違反・監督不行き届き」等の単語を明確に、冠したはずだ(秘書が秘書がは得意の銭生だから)。思索回路無き丸暗記凶授五百旗頭真を、防衛大学校長にするような小泉純一郎等では、土台無理な話ではあるが、東大京大凶授識者官僚等、揃いも揃って知恵無し丸暗記屋との自白である。

 

 1995年に、彼らは犠牲者に補償するアジアの女性基金を確立しました。

 この基金は、「従軍慰安婦」に対する侮辱でした。そして、私自身を含む彼女たちは、それを受け入れることを拒否しました。

 この基金は個人的な基金でした。お金は政府からではなく、民間企業から来ました。

 日本は、歴史との折り合いをつけ、そして、それら戦時の、残虐行為を認めなければなりません

 彼らは、過去に犯した過ちの、正しい歴史を教えなければなりません

※「私自身を含む彼女たちは、拒否」は、捏造。「拒否」ではなく、ニセ者と看破されるので、申請しなかったのでは!オランダでは、政府予算からの医療・福祉支援事業と内閣総理大臣のお詫びの手紙からなる償い事業を79(後述の1993年オランダ政府調査65名より14名多いの方々に実施。これらの事業はいずれも2002年(平成14年)9月までに終了(外務省)。詳細オランダ

 「個人的な基金」は捏造。日本政府からの出資金と国内外からの募金が真実。

 教育云々は内政干渉。「日本の正しい歴史」は、戦中における一部軍人の不始末に対しての、道義的な責任(監督不行き届き)での謝罪(唯心)で、「従軍慰安婦(強制連行性奴隷)」国家関与の謝罪ではない。遮二無二「強制連行性奴隷従軍慰安婦は国策」と、捏造したいようだ。

 

 生き残っている「従軍慰安婦」が、彼女たちの話を語ることは、重要です。

 議長と小委員会のメンバー、私は、あなたと私の話を共有するこの機会に対して、感謝します。

 私は、意見を述べることによって、私が、世界平和と和解への貢献をすることができ、そして、女性に対するその人権侵害は、二度と決して起こらないことを望みます。

人権侵害を掲げての捏造と条約破りは、「世界平和と和解への貢献」ではなく、人類の英知(復讐の連鎖の切断)である戦後の「平和条約」を破壊し、無法の戦国時代へと、逆行する!

 

 ありがとう。

救出した日本軍は完全隠蔽!加害者(軍法違反の一部軍人)強調偏向証言!虚実混交台本騙りは戦争起因、No Thank you!

 日本軍が一部軍人の犯罪に気付き、即刻この慰安所を閉鎖したのだが、その事実を言えば逆に、日本軍完全関与の決定的な証拠となるので、「日本軍が慰安所を閉鎖」したことを故意に、隠蔽している。当事者ならこのことは、知らないと言い逃れできないほど、明白な事実である。スマラン(白馬)事件は断罪済みなので、異なるような証言をしているが、証言該当事件は、この事件以外に無い!オランダ軍法会議で裁かれたのはこの事件のみが、証拠!

強制連行され慰安婦と自称オランダ人の証言検証

 終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされ、裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制と認定(一方的リンチ裁判なので真実はもっと少ない)。罪名は、強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦とされた。「事件」は前述のように断罪され、解決処罰済みの59年前の事件である。つまり、軍事(リンチ)法廷さえもが、スマラン(白馬)事件は軍命違反で、日本軍の強制売春禁止(一般犯罪)と認めたのである。

 明らかにオランダ人女性証言者は、自称「スマラン(白馬)事件」被害者としての証言なのだが、この証言では、「スマラン(白馬)事件」を隠蔽し、被害期間を「1年半(真実は2ヶ月未満)」と印象操作している。

 なぜか。上記のように解決処罰済みだからである。当時合法の公娼制や売春に対して、強制やレイプ(Raped)や人権侵害(人道)やホロコースト(ナチスの国家関与600万人大虐殺)という言葉を冠して仕立て直し、現代(後世)の道徳で遡り糾弾、新に、現代(後世)社会道徳の共感を得ようと謀っているからである。それは伝統的に売春制度があるオランダのような国でも、大きな効果を果たし、歴史無知の人々の洗脳に、絶大な効果を発揮したからである。しかしこれは、遡及(事後)法と同類、無法無条約の、弱肉強食時代への逆行で、人類の英知(法秩序で、復讐の連鎖切断)の、破壊である!

人道を冠し遡及(事後)法のごとく延々としつこく続くオランダの難癖

前述したが再度辿ってみよう

 1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で、日本は、「オランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表明するため」、1000万ドルを「見舞金」として「自発的」に提供。こうして、日蘭間の戦後処理は、平和条約と、さらに日蘭議定書において、オランダ政府はいかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことが確認された。

 ところが1990年(平成2年)、条約締結担当者すでに亡き34年後のオランダは、対日道義的債務基金(JES)を結成し、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動(条約破り)を始めた。JESは慰安婦問題も取りあげ、償いに直接に責任をとるべきは日本政府である、という立場をとった。

 さらに催促1991年(平成3年)に来日したオランダベアトリクス女王は、1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で。国家間における賠償問題が解決されているにもかかわらず、宮中晩餐会において、「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と発言し、暗に賠償を要求した。

 さらに、1992年Cry of the Raped :A Story to be Told1992(レイプされた女の叫び1993年5月邦訳)」出版(上記証言者ジャン・ラフ・オハーンが著者)。ジャン・ラフ・オハーンは、白馬(しろうま)事件(スマラン事件)当事者なのだが隠蔽、オランダ人強制慰安婦被害者自称し、出版、証言開始

 さらに、1992年12月、上記証言者ジャン・ラフ・オハーンが来日し、東京での日本の戦争犯罪に関する国際公聴会で、証言している

 さらに、1993年オランダ政府の、「日本占領下オランダ領東インドにおけるオランダ人女性に対する、強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」※アジア女性基金(監督不行き届きのお詫びと支援)は、二年後の1995年から

 

朝鮮人は自称慰安婦全員が強制連行性奴隷証言したが、オランダ人の正直は、正に本物

 一部兵士の、強制連行事件(リンチ裁判では25名が強制と断定)はあったが、日本軍の強制連行はなかった証拠が、下記調査。

http://www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf
The study shows that in recruiting European women for their military brothels in the Dutch East Indies, the Japanese occupiers used force in some cases. Of the two hundred to three hundred European women working in these brothels, 65 were most certainly forced into prostitution.
 研究では、日本の占領は、オランダ領東インドでの慰安のためにヨーロッパの女性を募集して、いくつかのケースでは、力を使用したことを示しています。これらの売春宿で働く二百から三百のヨーロッパの女性のうち、65が最も確かに売春を強要されました」

 200~300人全員が、強制連行強制売春と答えるのかと思ったら、正直なのには驚いた!全て責任転嫁「自称従軍慰安婦」嘘つき朝鮮人とは真逆で、なんと矜持のある方々だと、感動する!衛生管理や待遇が、よほど良かったのであろう!「確かに売春を強要65」とあるが、真実は、「白馬事件」のみが強制連行強制売春と、推察できる。

※戦勝国のリンチ裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと断定したが、白馬事件の裁判全記録は、2025年まで非公開

 1994年オーストラリアで、ジャン・ラフ・オハーンの手記「50Years of Silence(50年の沈黙)」出版(邦訳1999年木犀社・オランダ人『慰安婦』ジャンの物語)。断罪済み事件を再度蒸し返し扇動。

 1995年に、日本は応えてアジア女性基金(条約破りに加担)により、総額2億5500万円の医療福祉支援を、79名の個人に対して実施し、すべての償い事業(監督不行き届きのお詫び)が終了したため、2007年3月31日をもって解散。

 ところが2007年2月15日被害者自称のオランダ人女性米国下院証言は「白馬事件」を隠蔽し、1年半(真実は2ヶ月未満も被害者であったかのような印象操作、上記のように隠蔽捏造。なんともまあー、あつかましい証言をしている(書籍や他所の証言では3ヶ月。またまた「日本叩き」の今度は、59年前に解決済みの事件に、「人権侵害と正義」を冠し、「忘れられたホロコースト(大虐殺)」と証言し「蒸し返し」、「戦争を扇動」した!人類の英知(条約や法での復讐の切断)を破壊しての遡及難癖。何が「世界平和と和解への貢献」だ!矛盾に満ちた証言は、常軌を逸している。

 さらに、2007年11月20日「溺れる犬は棒でたたき殺せ!」とばかりに、「米国下院121号決議(米韓捏造条約破り)」に追随オランダ下院決議採択。

 さらに、さらにである2008年(平成20年)に来日したマキシム・フェルハーヘンオランダ外相は、「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は、日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べた(毎日新聞 2008年10月25日 東京朝刊)

 何ともあつかましく惨めな、オランダのエンドレス要求である!子孫は、こんな没落民族には決してなるな!人としての尊厳も価値も無い!まさに唯物(パンを食うのみの物欲)である。

 傀儡マイケル・ホンダを使い、捏造してまでも「日本叩きの」凶産中国韓国の狙いは、ネット普及であばかれ溢れた「同胞大虐殺(真実)」の、矛先そらし!決議国家(米加蘭豪EU比韓)は、ネットであばかれた真実、「自衛戦争日本」、払拭目的で便乗したのである!

更に詳細は
1朝鮮族“洋公主”騙り日本叩きも日本経済凋落も職責者の職責不履行人災

米国の朝鮮人捏造慰安婦碑文は宣戦布告文米こく慰安婦決議121号が元凶


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観小沢一郎へ妻が離縁状事実なら夫人の命が危険捏造なら週刊文春の自殺


1小沢一郎へ妻が離縁状事実なら夫人の命が危険捏造なら週刊文春の自殺

 三行半が事実なら、夫人和子が小沢一郎の正体を把握したということで、命が危ない!週刊文春偽造なら、文藝春秋の自殺である。

「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の衝撃全文公開
小沢一郎 妻からの「離縁状」
松田賢弥+本誌(週刊文春)取材班
松田賢弥(1954~)岩手県北上市(小沢一郎の選挙区)出身。業界紙「新文化」記者を経てジャーナリストとなり、「週刊現代」を中心に執筆活動を行う。政界について多くの記事を執筆している。

松田賢弥著講談社
闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体(2003年)
無情の宰相 小泉純一郎(2004年)
逆臣 青木幹雄(2008年)
小沢一郎 虚飾の支配者(2009年)
角栄になれなかった男 小沢一郎全研究(2011年)

小澤和子(小沢一郎の妻)
 大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか、 害になることがはっきりわかりました。小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。 
週刊文春 掲載記事2012年6月14日発売
小沢一郎夫人が支援者に「離婚しました」

2012.06.13 18:03ワープロ文書ではなく、直筆文写真掲載

「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の衝撃
民主党の小沢一郎元代表(70)の和子夫人(67)が、昨年11月に地元・岩手県の複数の支援者に、「離婚しました」という内容を綴った手紙を送っていたことがわかった。

 便箋11枚にも及ぶ長い手紙の中で、和子夫人は、昨年3月の東日本大震災後の小沢元代表の言動について触れ、「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」と書いている。

 手紙では、小沢元代表の愛人や隠し子の存在についても触れている。8年前に隠し子の存在がわかったとき、小沢元代表は和子夫人に謝るどころか、「いつでも離婚してやる」と言い放ち、和子夫人は一時は自殺まで考えたとも記している。

 そして、このように綴っている。

「それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水を差すようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。

 ところが3月11日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました

「国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです」

 こうした大震災後の小沢元代表の言動がきっかけとなり、和子夫人は昨年7月に家を出て別居を始めたという。その後も現在まで別居は続いているが、小沢事務所は「離婚の事実はない」としている。

 和子夫人はこうも綴っている。

「かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています

 現在、消費税増税法案の採決をめぐって、小沢元代表は造反をちらつかせて野田政権を揺さぶっているが、和子夫人の手紙はそうした政治情勢にも大きな影響を与えそうだ。
文「週刊文春」編集部

在日・帰化・背乗り(はいのり)と三種類の朝鮮人混在の日本
 背乗り(はいのり)とは、工作員が、他国人の身分や戸籍を乗っ取り成済ます行為を指す公安用語。背乗りは、多い!

人相が出自を語るか?小沢一郎!
奥野修司著『小沢一郎 覇者の履歴書』
小沢 一郎(おざわ いちろう1942年~ )
 岩手県人の弁護士・政治家小沢佐重喜の長男として東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)御徒町に生まれた。父佐重喜は当時東京府会議員をしていた。母・みちは元千葉県会議員荒木儀助の四女である。一郎は、みちにとってははじめて生んだ子供である。父は44歳、母は42歳という高齢で生まれたため、まるで“孫みたいな”子供だったという。本籍地は岩手県奥州市水沢区(旧水沢市)袋町。

 一郎が3歳になる頃、東京大空襲を逃れるため、小沢家は佐重喜の生まれ故郷の水沢に疎開した。

背乗りならどの時点で本人と入れ替わったか?
 小沢一郎の父小沢 佐重喜(おざわ さえき、1898~1968)は政治家・弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。

奥野修司著『小沢一郎 覇者の履歴書』
 小沢の父佐重喜には、六人の兄弟姉妹がいた。父・徳太郎、母・トメ、兄弟姉妹は6人。

 佐重喜の父徳太郎は、岩手県胆沢郡水沢町(水沢市を経て、現・奥州市)に、田畑をそれぞれ三反歩ずつ所有する、いわゆる中農であった。

 徳太郎はかなりの大酒飲みで、のちに没落して田畑を手放した。徳太郎は、田小路の鈴木家で下男として働き、トメと結婚した頃には馬車引きをして生計をたてていた。1898年(明治31年)11月25日に佐重喜が生まれた。

 佐重喜には六人の兄弟姉妹がいたが、家が貧しく、すでに妹も長兄も奉公に出されていた。

 佐重喜自身も幼いときから徳太郎の手伝いをさせられたが、それでも隙を見ては学校に通っていた。妹たちが家の手伝いのために半分も学校に行かなかったのに、佐重喜の場合は一日だけ休んでほとんど授業に出席するという熱心さであった。

 父徳太郎は、佐重喜が尋常小学校4年(満10歳)を終了する年に、仙台の鍛冶屋に住み込みの丁稚奉公として出してしまう。鍛冶屋の主人が亡くなると水沢に戻った。

 15歳のとき、母からもらった僅かな金を手に東京に向かった。

※尋常小学校は満6歳入学、修業年限は4年。1907年に6年ここまでは、地元の証言(他人複数)から得られるであるが、以後は自称であろう。尋常小学校4年中退徒手空拳15歳の小沢佐重喜、恩人も皆無が、どうやって中学に通い、私立大学の受験資格を得たのか?入れ替わり成り済まし以外、余人は納得しないであろう

 下野中学校(現・作新学院)に入学し3年生に進級するときに、開成中学校の編入試験を受けて合格する。

 東京では新聞配達や人力車夫をしながら中学校に通った。中学校を卒業すると、鉄道省に勤めながら日本大学法学部法律学科に進学した。昼間は働き夜は勉強した。1923年(大正12年)に大学を卒業すると、その年の12月に25歳の若さで弁護士試験に合格し、翌年弁護士事務所を開業する。

「小沢一族の深き闇」君島文隆著「私は一人っ子で妹がいたことなんてない。小沢家とは何の関係もない。ただ祖父の泰造が、佐重喜と日大時代のポン友だったことは知っている」とあるので、以後の佐重喜は同一人と確認できる。日本大学法学部法律学科に進学した時点では、入れ替わっていたと推測出来得る。

年表
1894年明治28年8月1日清に宣戦布告。日清戦争(朝鮮半島や満州は、島国日本の生命線である。その朝鮮支配をめぐる、日清間の戦争)1895年日本勝利

1895年10月7日 閔妃派政権 訓練隊解散と武装解除通告

10月8日 乙未(いつび)事変閔妃成敗

 兪吉浚(政治家、啓蒙思想家)のアメリカ人牧師モールスに送った手紙に、「大院君が日本公使館に頻繁に出入りして、閔妃殺害を日本に要請したのは大きな間違いだ」との記録が残っている。日本側の記録では、大院君が軍事顧問の岡本柳之助に再三再四密使を送っている最中(p492 日本外交文書デジタルアーカイブ 第28巻第1冊(明治28年/1895年)に、訓練隊は解散で隊長を厳罰詮議と10月6日に漏洩。激昂した訓練隊が大院君を奉じ決起

1895年10月8日午前三時、日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使が景福宮に突入、騒ぎの中で閔妃は斬り殺され、遺体は焼却された。大院君の護衛に日本人が参加することなどについて三浦梧楼は黙認。

 日本統治前ではあるが、朝鮮は、閔妃と大院君の争いで動乱の真っ最中、朝鮮人は動乱のたびに亡命し、日本に滞在、助けた日本人もいた。

 閔妃成敗首班、実行部隊隊長の禹範善は日本に亡命し日本人女性酒井ナカと結婚、「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」として有名な禹長春(須永長春)が生まれた。禹範善は朝鮮の中でも裏切り者とされ1903年、閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。禹長春は渡辺小春と結婚、父の恩人で朝鮮人亡命者を支援していた須永家に養子に入った。禹長春には6人の子供がおり。四女朝子は、京セラ創業者稲盛和夫に嫁いでいる。

1898(明治31)年父・佐重喜生まれる 

1901(明治34)年母・みち生まれる

1904年日 日露戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮半島と満州の制覇を争った、ロシアとの戦争)1905日本勝利

1910年(明治43)年朝鮮併合、日本統治。

1913(大正2)佐重喜上京。15歳。※空白の時代開始で、入れ替わったとすれば、上京から大学入学までの、この、短期間に限定される。

1923(大正12)年日本大学法学部卒業。12月に25歳の若さで弁護士試験に合格。

1924(大正13)年3月東京市下谷区御徒町に弁護士事務所を開業。父・佐重喜26歳、母・みち(千葉県東葛飾郡出身で、東京九段精華学校卒)23歳結婚。

1929(昭和4)年3月東京市会議員に当選

1932(昭和7)年長姉・スミ子、愛人との間に誕生

1936(昭和11)年5月東京府会議員に当選

1940(昭和15)年次姉・則子、愛人との間に誕生

1942(昭和17)年5月25日小沢一郎東京市下谷区御徒町にて誕生。この時、父・佐重喜44歳母・みち41歳結婚して18年目に授かった「初めての」子供であった。本籍地は岩手県奥州市水沢区(旧水沢市)袋町。

1942(昭和17)年長姉小沢家の養女

1943(昭和18)年次姉小沢家の養女

1945(昭和20)年3月小沢家は佐重喜の生まれ故郷の水沢に疎開。一郎が2歳、佐重喜47歳。妻みちは、三人の子供とリヤカーを引いてやってきたという。佐重喜は秋頃に来た。※30数年の歳月と弁護士の肩書きで、田舎での成り済ましも完成していたようだ

1946(昭和21)佐重喜48歳。東京市会議員、東京府会議員を経て、戦後初の総選挙である第22回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から立候補し衆議院議員に当選。以後、当選通算10回。

 母みちは野菜を担いで東京に行っては、すぐ水沢に戻る生活だった。水沢にいても、夕食時に帰宅するのが珍しいぐらい、夜道を歩き、佐重喜の講演会の家を一軒一軒巡っていた。家は木造二階建てで、一回は玄関と二間、台所程度しかなかった。その家は四方板張りで朽ちて塵をかぶっているが、現在も残っている(2003年)。長姉のスミ子は、次姉則子が4年生のころに、水沢から東京の女学校に移っている。

 次姉則子「鎌倉に家族旅行をしたこともありました。父も弟も泳げなかったんですが、そのとき、弟の乗ったボートが流されそうになって、父は海の中をただ走っていって弟のボートをじっとつかんでいたんですよ」『闇将軍野中広務と小沢一郎の正体』※この佐重喜はカナヅチだった?

1957(昭和32)年4月、一郎は中学2年生で、上京、佐重喜の住む文京区湯島の中学校へ転校した。翌年の東京修学旅行の際には、上野で、次姉・則子と一郎が出迎えたという。以後、小石川高校に入り、弁護士めざし東大を受験したが、二度失敗。

1967(昭和42)年慶応大学から日本大学大学院へ

1968(昭和43)年5月、父佐重喜が69歳で急死。

1969(昭和44)年12月、小沢一郎27歳は、地盤を継いで立候補、当選した。水沢市を出てから12年後のことである。

1973(昭和48)年10月小沢一郎31歳は、和子29歳結婚。小沢は結婚後すぐに母親の居る水沢市に住まわせ、和子夫人は3人の子供を育てた。長男が小学校を卒業し一家が上京(1986年ごろ)するまでの約12~3年間、別居生活はつづいた。※選挙区は、母みちと妻和子が守ったので、一郎の影は薄い

1976(昭和51)年小沢は当選三回(七六年)頃から、ほとんど地元に帰らなくなった

1983年の総選挙で小沢が最下位当選をした直後、母みちは和子に“財布の紐”を預けた。

1993年11月鹿島建設から小沢への五百万円献金が発覚した。これ以降和子夫人は、余り水沢に戻らなくなった。

1995年母みち他界(94歳)

2003年9月26日自由党は民主党と正式に合併。小沢が民主党と合流。民由合併後、小沢が最初に提携したのが旧社会党系の横路孝弘で、小沢と横路は安全保障面での政策を擦り合わせ、その後、横路と旧社民勢力は小沢と行動を共にした。また、小沢は野党結集のために社民党へも民主党への合流を呼びかけたが失敗に終わった。

 民主主義者(選択有り)が社会主義者(独裁で選択無し)に変節では、腐ったマグロを刺身用と偽って、店で売ったと同じ真逆の詐欺で、死人も出るだろうし、これは、当然捕まる。

 引っ掻き回して遊んでいる、混乱を喜んでいる、小沢には、信念など皆無の我欲有るのみ。

2006年4月7日の民主党代表選で小沢は119票を獲得し菅直人を破り、第6代の民主党代表に選出された。両院議員総会の演説で小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という19世紀のイタリア貴族の没落を描いた映画『山猫』の一節を引用し、その上で「まず、私自身が変わらなければなりません」と述べ、「ニュー・小沢」を印象づけた。

2009(平成21)年5月11日西松建設疑惑関連で公設秘書が逮捕された件で、民主党代表を辞任。自身の後継を決める代表選挙では、鳩山由紀夫を支持した。

2009(平成21)年9月3日鳩山が小沢に幹事長就任を要請し、小沢が幹事長に就任。

2011年2月22日、小沢一郎が刑事被告人になったことを受けて「強制起訴による裁判の判決確定まで党員資格停止」とする処分を決定した。

2011年3月11日東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。

2011年3月28日震災後、初めて岩手県を訪問。

2012年(平成24年)1月3日、震災の被害が大きかった岩手県の沿岸部を訪れた。

松田賢弥著『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』
“外で”つくった子
 佐重喜とみちの実子は小沢だけで、姉二人は養女というかたちとなっている。佐重喜時代からの小沢後援会員らは、いまでも、「姉二人は、みちさんの子ではなく前妻の子・・・」と、言葉少なに語り、あとは口をつぐんでしまう。

しかし、佐重喜の経歴のどこにも離婚の記録はない。

 小沢家をよく知る水沢在住の古老が、昔を振り返りながらこう語っている。「長女のスミ子、次女則子はさあ、佐重喜先生が外でつくった子。みちさんはしっかりしていて、すぐにスミ子、則子を引き取って育てたんですよ。だからといって、みちさんが一郎を含めた三人の子を分けへだてするようなことは微塵もなかった」194p

 ――あるとき、みちはその古老に、自嘲気味にこう語っていたという。

 「うちの人は一日も外泊しないで、二人もつくってきた」

 そして、みちはその事実を子供たちに隠しつづけた。

 私は小沢一郎という人間を知るためにも、典子にその事実を尋ねるしかないと思った。彼女は一瞬、とまどった。が、ためらいながらも重い口を開いて語った。

 「ずっと、(みちが)実の母だと思っていました・・・。結婚するときになって、わかったんです――」

小沢一郎の国(選挙区)替え発言
小沢代表の国替えある 鳩山幹事長が再び言及 民主党 産経新聞
2008年9月20日民主党の鳩山由紀夫幹事長は20日午前、民放番組に出演し、次期衆院選での小沢一郎代表の選挙区変更問題について「わたしと何度か2人で話す中で『自分自身の決意を示したい。背水の陣で今まで築いた城を捨て、新しい城を築く。例えば東京あたりに出ることを真剣に考えたい』と言っていた。今でもその考えは変わらないだろう」と述べ、国替えの可能性はあるとの見方を示した。

時事ドットコム:特集 第45回衆議院議員選挙【23】小沢氏、「国替え」せず
2009年7月21日 民主党の小沢一郎代表代行は7月24日午後、都内で記者会見し、衆院選で検討していた東京12区への「国替え」を見送り、同区に同党参院議員の青木愛氏(43)を擁立すると発表した。自身の選挙区についてはなお明言を避けたが、地元の岩手4区から引き続き出馬する見通しだ。

 自民党自滅し、良し悪し二の次の批判票で、民主党が政権を取っただけなのだが、自戒とせず。日本人の羽目を外しての亡国奴迎合発言は、子供そのもの。

政権奪取した小沢一郎絶頂時の亡国奴迎合発言

2009年12月10日
小沢氏、胡中国主席と会談「私は人民解放軍の野戦軍司令官」 
【北京=原川貴郎】民主党の小沢一郎幹事長は10日午後、北京に到着し、人民大会堂で胡錦濤(こ・きんとう)中国国家主席と会談した。両氏は、日中関係の強化や民主党と中国共産党の政党間交流の促進を図ることで一致した。

 小沢氏は会談後、記者団に対し、来夏の参院選について胡氏に、「こちらのお国(中国)に例えれば、解放の戦いはまだ済んでいない。来年7月に最終の決戦がある。人民解放軍でいえば、野戦の軍司令官として頑張っていると伝えた」と語った。

 他の先進国の主要政治家が、天安門事件で民主化運動を武力で鎮圧した人民解放軍の幹部に自らをなぞらえることはあり得ない。

 小沢氏はまた、「参院選で民主党が過半数を取ることで、思い切った議論をできる環境が整い、関係を深めることができる」と語ったことも紹介した。

 胡氏は「民主党政権になってからも交流を深め、日中の互恵関係が新たな段階に入った」と語り、鳩山政権のアジア重視の姿勢を評価した。

凶産相手に、「わたしは人民解放軍の野戦軍司令官」発言は、「日本は中国の軍事支配下に入ったことを容認した」発言と、凶産中国は受け止める。我欲お坊ちゃまなどは凶産の大好物だから、尖閣、やりたい放題となった。友愛の海鳩山も、野戦軍司令官小沢一郎も、世間(凶産)知らずのお坊ちゃんの政治ごっこ。凶産相手に、言っていいことと悪いことの区別がついていない。そして、メモを片手に首脳会談する馬鹿丸出しの馬鹿菅である。こんな者に託せば、戦争を引き寄せてしまう。

2009年12月12日
小沢一郎、韓国で売国公演 2/5韓国の大学での講演動画小沢猫なで声迎合凱旋講演

 ――日本で東京大学の教授でありまして、歴史の専門家でございますけれども、江上(江上波夫)先生という先生がおられまして、この先生は日本国家の成り立ちを騎馬民族征服説というのを強く唱えておった方で有ります。

 ――朝鮮半島南部いわば韓国――この地域の権力者が、多分海を渡って九州にたどり着き、九州に拠点を構え、それから海岸沿いにずーっと紀伊半島、――三重県まで九州からずーっと海伝いに行きまして、そして三重県に上陸し、今の奈良県に入って、奈良盆地で政権を樹立した。それが日本の神話で語られております神武天皇の東征という。初代の天皇がそうでありますけれども。江上先生はそういう説をずーっと唱えておられまして――これ(応神天皇仁徳天皇のお墓)を発掘させて欲しいと一生懸命言っておりましたけれども、そうすればすべてが歴史の謎が解明されるとまあこんな話をいたしておりましたけれども。いずれにいたしましても、そういう著名な日本の歴史文化学者であります江上先生という方が、それを唱えておるくらいでございまして、まあこれは余り私が言いますと国に帰れなくなりますので強くは言いませんけれども、多分歴史的な事実であろうかと思っております。

 ――ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)――ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服いたします。そしてイギリスに住み着いてしまいました結果フランスの領土で民族運動が激しくなりまして、いわゆる英仏百年戦争というのが起こりました。まあそん中でごぞんじの救国の英雄ジャンヌダルクが登場するわけですけれども、結局ノルマン王朝はフランスの領土をすべて失ってしまっちゃうわけですけれども、いずれにしてもこのノルマン・コンクエストと同じだというのが江上先生の結論で有ります。

 まあそういうようなこともありますと同時に、古代史を振り返りますとお国と当時新羅百済という国がありました。その両国とも非常に緊密な関係に有りましたけれども、古代の物の本にも両国、日本の大和朝廷と百済や新羅の皆さんとの交流の中で、いわゆる通訳を使ったという記録は全く有りません。といいますのは結局、言葉そのものも発音そのものも、おんなじだったということであろうと思います。現実に大和朝廷のいわゆる軍人やら役人やらが百済や新羅の朝廷に仕えて大臣になったり、あるいは百済や新羅の皆さんが来て、大和朝廷の大臣になったりということは頻繁に行われておったようでございます。

 まあそんなこともありますし、近くにはこれは日本の天皇陛下も挨拶で言ったことでありますけれども、――今の京都――これを作った桓武天皇――その桓武天皇の生母は百済の王女さまだったということを天皇陛下自身も認めておられます。

いまだに捏造話を騙り出自白状しまくりの汚沢一郎
2014年02月11日 産経新聞 小沢氏、皇室と韓国の関係で事実誤認

 生活の党の小沢一郎代表は11日、都内で講演し、皇室と韓国の関係を引き合いに日韓関係について、日中関係とともに「非常に異例な状況になっている」と述べた。だが、事実誤認が相次ぎ、説得力を欠いた。

 小沢氏は「紀元節(建国記念の日)は神武天皇のご即位なさった日だ」と述べた。その流れで「桓武天皇のお后は朝鮮半島の百済の王女様とのことだ」との認識を示した。

 「今の天皇陛下がお話しになったことがある」と根拠に挙げ、「半島との縁は誰も否定できないほど」などと述べた。

 天皇陛下は平成13年12月、翌年の2002年サッカー・ワールドカップ日韓共催に関連し「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されている」と述べられた。

 

 小沢氏は「生母」を「后」、「王の子孫」を「王女」と2カ所言い間違えている。百済は桓武天皇誕生の70年以上も前に滅亡しており、天皇陛下は平安時代に編纂(へんさん)された「続日本紀」を引用されたにすぎない。

 

天皇陛下御誕生日前日の合同記者会見での「韓国ゆかり」発言毎日新聞記事

2001.12.23】 

 「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招聘された人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。

 日本のその後の発展に、大きく寄 与したことと思っています。 私自身としては,桓武天皇(在位781-806年)の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。

 武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代 々招聘されるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。

  しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して、両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております」 

筆者・百済は660年滅亡。続日本紀は697年(文武天皇)~791年(桓武天皇)までの史書で、797年編纂。

 

武寧王(在位501~523)と王妃のは、紀伊半島の高野山でしか採れない高野槙(こうやまき)

武寧王陵(宋山里古墳群)

 墓室は磚(せん)を積み上げて作ってあり、アーチ型の天井である。ここに、槙の木でできた王と王妃の柩が安置されていた。日本語の説明板には無かったが、英語版の方に「この柩は日本の近畿地方南部の Koya-Mountain でとれた槙の木で作られていた。」となっている。コウヤマキは日本にしか生育せず、この柩の材料は日本製ということになる。武寧王と日本の深い関 係が窺える。2につづく⇒

真実史観小沢一郎の亡国スパイ発言竹島放棄・野戦の軍司令官として頑張っている

2小沢一郎の亡国奴スパイ自白発言竹島放棄野戦の軍司令官として頑張っている

江上波夫の騎馬民族征服説はファンタジー小説で歴史ではない

 揃って(中国・朝鮮・日本の史書)何ら記載がない。それどころか中国の史書では、日本の国家を、紀元前1世紀から7世紀に至るまで一貫して「倭」を用いており、何の変化もない。

 馬は神経質な動物であり、当時の船による大量輸送は不可能であって、現に13世紀の元寇の際にも、モンゴル・高麗連合軍は軍馬をまったく輸送していない。

 古墳時代の文化に断絶なく強い連続性があり、王陵の形態も連続し、切断がまったくない。皇室の伝統祭儀や伝承に馬畜に由来するものが無い。

 騎馬民族は短弓だが、日本では戦国時代に至るまで長弓であり、近世に至るまで日本では家畜の去勢などの騎馬民族的な習慣がほとんど無かった。

 確かに轡や馬具が出土しているが、戦闘用ではなく乗馬用のもので、持ち主の社会的地位や権威を誇示する威信財。

 当初から多くの考古学者はこの仮説には否定的であった。

 あま(海)の支配者は、日本海海洋民で、半島人ではない。

 この仮説は、戦前の喜田貞吉の、日本朝鮮両民族同源論を基礎にして、戦前・昭和初期の歴史教育を受けた江上波夫の、空想小説が定説。

 小田甫著「小沢一郎・全人像」「今でも歴史が好きだけど、政治に興味を持ったのは高校時代だ。学校の勉強をしないでマルクスの歴史の本を読んでね・・・」

 「今でも歴史が好き」な者が、騎馬民族征服説は、「江上波夫が創作した完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない」を、知らないはずはない!なぜあえて引用したのか?出自朝鮮人と自覚しての発言?

あま(海)の民日本海洋民が支配していた海

三国史記巻第二新羅本紀第二

 12(西暦295)年春に、王が臣下に向かって「倭人が、しばしば我が領土を侵して来るので、・・・一時海を渡って行って、その国(倭国)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」

 これに対して、弘権が「我々は海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。――」

 王はこれを聞いて「それもそうだ」といいました。

 日本海呼称は、海洋文化圏を築いたあま(海)の民日本の、由緒ある名称である。由緒なき東海朝鮮海などではない。

 文明の伝播は地中海文明や、大航海が示すように、海路がはるかに速い。北方民族が陸路最南端の地に辿り着き、文明を開いたので無いことは、南下途中の継続文明皆無や、同時期発祥の共通文明で証明済み。古代の朝鮮半島南部人は、中国と日本の海洋民族が祖先であることは明白である。

 完成した北部九州の団体作業水稲耕作技術は、海洋人を経て朝鮮半島南、耽羅(たんら)(済州島)に同時に伝播し、百済、新羅、伽耶諸国、耽羅(済州島は火山島なので畑作中心だが、海洋人の寄港地として栄えた)国が生まれた。朝鮮北方には皆無の半島南に限定された日本と同様の文化は、日本と百済、新羅、任那が同一文化圏を物語り、日本の支配下にあったことを証明している。百済人、新羅人、任那人は、現代の東北人、名古屋人、大阪人のような地域呼称で、三韓と耽羅の基礎民族は朝鮮人ではなく海洋民の倭人。したがって桓武天皇(737~806)の母(母は土師真妹)の父(百済系氏族の和之継)は、百済地方出身の日本人で、北方民族と日本人が混血した、現代の朝鮮人ではない。

 黒曜石を、米を伝播した日本海海洋民が移り住んで三韓を作った。三韓基礎民族が日本海洋民なので、北方民族と混血した現代の韓国人とは明確に異なる。

 ノルマン人はイングランド人(アングロ・サクソン人やデーン人)と同様にゲルマン人の一種なので、小沢はノルマン人(同民族)がイングランド人を征服の意でノルマン・コンクエスト(征服)用いているが、白村江の戦い(663年)までは確かに同じだが、以後、1400年も北方民族と混血しているので全く異なる。済州島は、差別されていたので、混血少なく(元支配の100年のみ)、古代日本海海洋民(日本人)といえる。

 渡来人とか帰化人とかの後世呼称に惑わされるからおかしくなる。当時は、現在のような国境線などなく、住民は行き来した。魏志倭人伝にもそう書いてある。

 百済は日本人居住地で、桓武天皇の生母の、10世前の遠祖には、日本海海洋民百済地方出身の人が一人いたというだけの話である。

 

私が総理になれば独島領有権を放棄する”と小沢一郎韓国で発言 

産経新聞2012/08/30小沢氏が「領有権放棄」と韓国のテレビが報道 真偽不明

 韓国紙、東亜日報系のテレビ局「チャンネルA」は29日、島根県・竹島(韓国名・独島)の領有権問題に絡み、2009年12月にソウルを訪問した当時の民主党幹事長、小沢一郎氏(現「国民の生活が第一」代表)が李明博大統領に「自分が総理になれば(竹島の)領有権を放棄する」と述べていたと報じた。真偽は不明。

 小沢、李両氏の会談に関与した外交消息筋の話としている。小沢氏は一方で、島根県の漁業者が竹島周辺で操業できるように求めたという。(共同)

時事通信2012/08/30

小沢氏、竹島放棄を表明?=09年訪問時に-韓国紙

 【ソウル時事】30日付の韓国紙・東亜日報は、新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が民主党幹事長だった2009年12月に訪韓し、李明博大統領と会談した際、首相になれば竹島(韓国名・独島)の領有権を放棄するとの発言をしていたと報じた。

 会談に関わった外交筋の話として伝えた。同紙によると、小沢氏は「日本が領有権の主張を中断し、韓国の領有権を認めなければならない。首相になればそのようにする」と述べたという。その上で、「日本の領有権主張は漁業と関連している」とし、島根県の漁民が竹島周辺で操業できる保障を求めたとしている。

 

「チャンネルA」動画と内容googl・livedoor・so-net翻訳

[ニュースA]単独/ 3年前MB会った日、小沢 "私が総理れれば独島を放棄する"
[アンカーコメント]

하지만 모든 일본 정계 지도자들이 독도 야욕을 불태우고 있는 아닙니다.
 しかし、すべての日本の政界の指導者たちが独島に野心を燃やしているのではありません。

 

오자와 일본 민주당 대표가 3 이명박 대통령을 만난 자리에서 자신이 총리가 되면 독도 영유권 주장을 포기하겠다고 말한 것으로 확인됐습니다.

 小沢前民主党代表が3年前の李明博大統領に会った席で、自分が首相になれば独島領有権主張を放棄すると言ったことが確認されました。

 

오자와 대표는 총리 물망에 여러번 올랐던 일본 정계의 실력잡니다.
 小沢前代表は首相候補に何度も上がった日本政界の実力者です。

 

윤경민 국제 부장의 단독 보돕니다.
 ユン・ギョンミン、国際部長の単独報道です。

 

[리포트

 [レポート]

"
내가 총리가 되면 독도 영유권을 포기하겠다

 “私が総理になれば独島領有権を放棄する

 

지난 2009 12 당시 일본 집권 민주당의 간사장이었던 오자와 씨가 청와대에서 이명박 대통령을 만났을 발언입니다.

 去る2009年12月当時の日本民主党の幹事長だった小沢氏が大統領府で李明博大統領と会った時の発言です。

 

오자와 씨는 한일관계 개선을 위해서는 일본에 대한 한국인의 한을 달래주지 않으면 되는데, 
그러려면 독도 문제 해결이 최우선이라고 말했다고 당시 면담에 관여했던 외교소식통이 전했습니다.

 小沢氏は日韓関係の改善のためには、日本に対する韓国人の恨みを慰めなくてはいけないのだが、そのためには、独島問題の解決が最優先だと話したと当時議論に関与していた外交消息筋が伝えた

 

오자와 씨는 그러면서 독도 문제 해결은 일본이 영유권 주장을 중단하고 한국의 영유권을 인정하는 길이 최우선이라며 자신이 총리가 되면 그렇게 하겠다고 강조했습니다

 小沢氏はそれと共に独島(ドクト)問題解決は日本が領有権主張を中断して韓国の領有権を認めることを最優先とし自身が総理になればそのようにすると強調しました。

 

하지만 조건을 내걸었습니다.

 しかし、条件を掲げました。

 

독도영유권 주장은 어업에 관한 것이기 때문에 시마네현 어민들이 독도 주변에서 어획 활동을 있도록 해달라는 겁니다.
 独島領有権主張は漁業に関することだから、島根県漁民たちが、独島周辺で漁獲活動ができるようにしてくれと言うはずです。

 

오자와 씨의 발언은小 독도가 의심할 여지 없이 일본 고유의 영토라는 노다 총리의 주장에 정면 배치되는 발언이어서 주목됩니다.

 小沢氏のこの発言は、独島が間違いなく日本固有の領土であるという野田首相主張の正面に配置される発言で、注目されます。

 

오자와 씨는  이명박 대통령을 만난 자리에서 자신이 총리가 되면 일본 왕이 백제계임을 궁내청이 발표하도록 하겠다는 말도 했습니다.

 小沢氏はまた、李明博大統領に会った席で、自分が首相になれば天皇陛下が百済系であることを宮内庁が発表するという話もしました。

 

간무 왕의 어머니가 백제계라는 점을 일왕이 직접 밝힌 있다면서 궁내청의 공식 발표를 추진하겠다는 겁니다.

 桓武天皇のお母さんが百済界という点を、天皇が直接明らかにしたことがあると言いながら、宮内庁の公式発表を推進すると言いました。

 

실제로 아키히토 일왕은 지난 2001 자신의 생일 기자회견에서 8세기 재위했던 50 간무왕의 어머니가  백제 무릉왕의 후손이라는 기록이 있다며 한국과는 특별한 감정이 있다고 말한 적이 있습니다.

 実際に明仁天皇は、2001年に自身の誕生日の記者会見で、8世紀末に支配していた第50代の間の武王の母が百済武陵王の子孫という記録があると、韓国とは特別な感情があると言ったことがあります。

 

오자와 씨는 그러면서 한일 강제병합 100년인 2010 일왕의 방한을 추진하겠다고 밝혔습니다.
 小沢氏はそれとともに韓日強制併合100年の2010年、天皇の訪韓を推進すると明らかにした

 

대신 한국 측에서 반발시위가 없어야 한다고 조건을 달았습니다.
 代わりに、韓国側からの反発デモがあってはならないと条件をつけました。

 

이명박 대통령의 일왕 방한 관련 발언이 끈금없이 나온 아니라는 점을 있는 대목입니다.
 李明博大統領の天皇訪韓関連発言が、根拠が無く出てきたのではないということが分かるような事がらです。

 

50 일본 자민당의 아성을 무너트리고  정권 교체를 이뤄낸 민주당의 사실상 최고 지도자였던 오자와 .

 50年日本自民党の牙城を崩して政権交代を成し遂げた民主党の事実上の最高指導者だった小沢氏。

 

오자와 씨는 총리 자리에 오르지 못하고 지난 7 민주당을 뛰쳐나와 야당 당수가 됐습니다.
 小沢氏は、首相の席に上がらず去る7月に民主党を飛び出して、野党党首になりました。

 

[녹취: 오자와 이치로]  "지금의 민주당은 정권교체 당시의 민주당과는 딴판으로 변했습니다"

 [録音:小沢一郎]“今の民主党は政権交替当時の民主党とは違う状況に変わりました”

 

일본 정계를 쥐락펴락했던 오자와 씨의 독도 영유권 포기 발언과 일왕 방한 추진 발언은 일본 내부에도 적잖은 파장을 일으킬 전망입니다.

 日本の政界を牛耳っていた小沢氏の独島領有権放棄発言と天皇訪韓推進発言は日本内部にも少なからず波紋を起こす見込みです。

 

일본 지도자들의 망언이 잇달아 쏟아지는  누가 일본을 이끌어가느냐가 한일관계의 미래를 결정할 수도 있다는 점에서 그의 발언이 주목받고 있습니다.

 日本の指導者たちの妄言が相次いで降り注ぐこのとき、誰が日本を導いていくかが日韓関係の未来を決定することができるという点で、彼の発言が注目されています。

 

채널에이 뉴스 윤경민입니다.

チャンネルニュースユン·ギョンミンです。

 

時事通信2012/08/30
竹島放棄発言を否定=小沢氏

 新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は30日、衆院議員会館で開いた自身が主宰する勉強会で、2009年12月に韓国の李明博大統領と会談した際、自らが首相になった場合は竹島の領有権主張を放棄すると語ったとする同日付の一部韓国紙報道を否定した。
 小沢氏は「記者会見など、いろいろな席で聞いておられる方はお分かりの通り、尖閣列島と竹島はわが国固有の領土だと何度も申し上げている」と強調した。


朝日新聞2012年8月15日
【「天皇が心から謝るなら来なさい」訪韓巡り李大統領発言】

韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は14日、「(天皇は)韓国を訪問したがっているが、独立運動で亡くなった方々を訪ね、心から謝るなら来なさいと(日本側に)言った」と述べた。大統領府によると、現職の大統領が公の場で天皇の訪韓条件として謝罪を求めるのは初めて。

 李大統領は10日に韓国大統領として初めて、日韓がともに領有権を主張する竹島(韓国名・独島=トクト)を訪問し、その後も対日批判発言を続けている。だが、天皇の謝罪にまで言及したことで、日本側の反発は一層強まるのは必至だ。

※天皇訪韓の話など出ていないのに、いかにも唐突で、脈絡無き奇妙な李明博大統領の発言(天皇訪韓)や行動(竹島訪問)と、一連の小沢の発言や行動とは、これまた奇妙にリンクしている。小沢がどんなに発言を否定しようとも、行動が自白していると思うのは、はたして、筆者のみだろうか?

 

小沢一郎に関するネット上の捏造

下記(ソウル発外電2009/12/13)は、ソースが無い捏造文。毒をもって毒を制すのヤラセか?

867 :可愛い奥様 : 2009/12/14(月) 21:45:29 ID:Q/NmnoIQ0 [2/2回発言]
小沢一郎幹事長、ソウルの国民大学で講演「日本人は寄生虫、害虫」

 民主党の小沢一郎幹事長は12日、ソウルの国民大学で講演後、約250人の学生と日本人について語り合った。

 学生から、多くの日本人が学校にも通わず、仕事にも就かないニートについて聞かれ、小沢氏は「日本のニートの現状はみんな親が悪い。日本人の親は学校にも行かなで、仕事もしないぶらぶら遊んでいる子供を食べさせている」と持論を披露した。

 小沢氏は「学校にも行かない無職の子どもを責める前に、日本人の親達は子供を甘やかしている。親に民族教育を確りしないといけない」と主張した。

 「日本人の若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」とした。「もともとむ日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」とした。

 「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」とした。

 日本の古代歴史についても「韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立したもの」と述べた。・・・・( ソウル発外電 2009/12/13)

小沢正体を現すの早すぎ

 

下記のネット上の「小沢一郎韓国講演」非難文も、つまみ食いキセル偽造

 「日本人は動物にも劣る民族」「日本人は寄生虫、害虫」「日本人の若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」

 「もともとむ日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」「これ以上言うと日本に帰れなくなりますから今日はこの辺で」

西村慎吾捏造発言の動画。ここが、「小沢一郎韓国講演」非難文捏造起点!

2010年2月2日「頑張れ日本!全国行動委員会」結成大会

 超満員の日比谷公会堂で行われ、立ち見も出た。

 トップバッターで挨拶した西村慎吾は、メモを見ながら衝撃的な発言内容を明らかにした。「現在の日本の内閣と与党は外国人によって率いられていると云うことです」といって、小沢一郎が韓国で行った講演の一部を読み上げた。

 「日本人はもともと民度が劣るから、君たち韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、 他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」。

 会場からは、ふざけるな小沢の怒号が上がった

※両者共に、好いとこ盗り針小棒大非難合戦である。「言葉と文字界馬鹿自白(ただの煽りやのこんな輩が、「頑張れ日本!全国行動委員会」の正体!なんとも情け無い!

 

松田賢弥『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』(講談社)を出典捏造

松田賢弥『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』(講談社) を出典とする「在日朝鮮人・小沢一郎の生い立ち」下記の文は、原本に、一切無し捏造

ここが捏造のスタートか?

65 :ハダカイワシ(アラバマ州):2010/06/13(日) 16:41:05.02 ID:1LDXMLvq

民主党を応援する会

朝鮮総連

韓国民団

部落解放同盟

日教組

自治労

社会保険庁労働組合

毎日変態新聞

朝日死神新聞

NHK(日本反日協会)

在日朝鮮人・小沢一郎の生い立ち

 小沢一郎=父親(朝鮮人)+母親(朝鮮人)。小沢一郎は、岩手水沢に出生としているが、その田舎の住民の証言によると、小沢一郎が岩手水沢に居たのは中学一年の一年間だけ。

 小沢一郎は、戦後のドサクサ時代に、浅草の泥棒市で、日本人の戸籍を買った。

 小沢一郎の父・小沢佐重喜(日本名)は、浅草の麻薬売人で、その三男として東京下谷に小沢一郎が生まれた。

 小沢一郎の父・小沢佐重喜は、戦中、東京市下谷区御徒町で北朝鮮の工作員として北朝鮮独立のために日本国内で活動。戦後、岩手方面に進駐した「朝鮮進駐軍・小沢部隊」指導者となり拠点を作る。

 「朝鮮進駐軍・小沢部隊」は、朝鮮総連の武装集団で、戦後に多くの日本人を殺害していた。

 小沢一郎の母・荒木ミチ(日本名)は、韓国済州島の朝鮮労働党員で、コーリアン売春宿の女将だった。内縁で、父親の籍は入っていない。

 小沢一郎には、二人の実姉のスミ子、則子がいるが、養女というかたちになっている。小沢一郎の母・ミチの墓は、韓国済州島にある。

出典:松田賢弥『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』(講談社)

 

出典と捏造された松田賢弥『闇将軍 野中広務と小沢一郎の正体』(講談社)には、こんな日本にした我欲元凶(角栄以後現在まで)どもが蠢いている。お坊ちゃまモヤシ(世襲)議員を手玉に取った野中広務。輩には国など無い。あるのは私利私欲のみ。国も国民も全く不在の自民党。形骸化した議員の、我欲闘争が書かれている。こんな政治屋を選べばこうなる。こうなったら国が危ないのサンプル。他山の石、反面教師の本である。政治屋の愚行と斬って捨てずに、選んだ国民の反省の本、反面教師として、一読すべき本である。

 3H(半藤・保坂・秦)や加藤陽子等が戦前の軍部を罵倒するが、食民治主義凶産主義の出稼ぎ戦争に対して、日本は死活戦争、「公」、護国での葛藤で、戦後のこんな輩の「我欲」ではない。

 

「新潮45別冊小沢一郎研究(2010年 4月号)」

(新潮社 平成二十二年刊)「小沢一族の深き闇君島文隆

小沢一郎後援会・陸山会の捏造

 小沢一郎の父、佐重喜の伝記的な本『人間小沢佐重喜』(小沢一郎後援会・陸山会発行)の中で、荒木みち(小沢一郎の母親)はこのように紹介されている。

 「東京に出て九段精華高等女学校を卒業。ここで後の鹿島建設株式会社社長鹿島卯女と同窓だった。父儀助は、千葉県議会議長もやった地方の名望家だった」

 しかし、則道さん(後藤則道=荒木みちの姪の長男。みちの実家の現戸主)は、「県議会議長なんて話は聞いたことがないな」と、当惑げに否定した。

 「県会議員という話も知らない。儀助は政治的なことには無縁な人だったからね」

 後日、千葉県議会事務局総務課に問い合わせると、「そういう名前の人は、県議会議長にも県会議員にもいません」という返事だった。

小沢一郎の二人の姉

 一郎には十歳違いの長姉と、二歳違いの次姉がいる。この姉たちは佐重喜が“外でつくった子”であることが定説となっている。しかも二人の姉の母親はそれぞれ違う。荒木みちはそれも承知で二人を引き取って養女として育てた。

 則道さんは、自分たちの結婚式の写真を見せてくれた。和服姿の荒木みちの姿がある。だがその集合写真の中に、二人の姉の姿は見当たらない。

 「うん、やっぱり、本人たちもこういうところには来にくいんじゃないかな」と、曖昧に答えた。“妾の子”という言葉を、則道さんは否定しなかった。母親は誰なのか、父親は本当に佐重喜なのか、それはよくわからないとも言った。

 長姉は昭和七年生まれ、次姉は昭和十五年生まれで、それぞれ一郎が誕生した直後の、昭和十七年と十八年に養女として小沢家に入った。

 小沢一郎の二人の姉は二人とも違う女性との間に出来た子供であるといわれているが、その二人の姉たちの“本当”の親を探すうちに、一人の男性に行き着いた。仮に吉田泰造としよう。

 東京の北区に泰造の親戚がいることがわかった。

 来意を告げると、その未亡人はこう答えてくれた。「小沢佐重喜さんという代議士は知りませんが、代議士といえば水田三喜男さんという名前が浮かびます。泰造さんが大変世話になった方ということで」

 水田三喜男とは、池田内閣などで大蔵大臣を務めた政治家である。水田と佐重喜は同世代の政治家として交流があり、囲碁仲間として親しくしていた。荒木みちと水田三喜男がいとこ同士だったという未確認情報もある。

 別の親戚は、こんな話をしてくれた。「泰造さんの息子二人の子どもがいて、妹さんの方が“素晴らしい家”に養女に行ったと聞いています」

 吉田泰造(仮名)の息子の子、つまり戸籍上の小沢一郎氏の次姉の兄に当たる人物から君島は直接話を聞いている。

 「私は一人っ子で妹がいたことなんてない。小沢家とは何の関係もない。ただ祖父の泰造が、佐重喜と日大時代のポン友だったことは知っている」

 長姉は取材を拒否、次姉は「気がついたときには小沢家の子どもでした。それ以上のことは知りません」という返事だった。

 吉田泰造(仮名)の最初の妻との間にできた娘の一人が長姉で、吉田泰造(仮名)と愛人との間に出来た息子の子供、一男一女の娘の方が次姉。戸籍上は、吉田泰造(仮名)という男の「娘」と「孫娘」が小沢一郎の長姉、次姉となる。

 「乳母、姉が語った『人間・小沢一郎』内海武一」「平成十二年初夏、長姉にしたインタビュー・父さんはどんな方だったですか?」。長姉「強情。この強情は家系です。私もそうです。妥協が無い」と答えている。戸籍上は養女であるが、佐重喜の血を引いているということを語っている。

 この長姉スミ子は小野健知(道都大学名誉教授)に嫁ぎ、長男・健太郎氏(大学講師)は北海道五区で平成八年に新進党、平成十二年に自由党より衆議院選に出馬し、いずれも町村信孝議員に大差で破れている。

 次姉則子は吉村龍助(元農林官僚)に嫁いでいる。3につづく⇒

真実史観小沢一郎一派は「中朝韓国民の未来の党」が正体で日本の害虫!

小沢一郎一派中朝韓国民の未来の党」正体で日本の害虫!

 逃げだした小沢を見て岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚

小沢一郎の母方の親族が千葉朝鮮信用組合から巨額融資

実家についた朝銀の抵当権

 今回の取材の過程で、小沢一族に関連する、もうひとつの不可解な事実に行き当たった。荒木家(小沢一郎の母の実家)のある親族が、昭和61年5月、自宅を担保に朝銀千葉信用組合(登記簿には千葉朝鮮信用組合と記載)から三億五千万円を極度額とする巨額の融資を受けていたことがわかったのだ。

 朝銀は周知のとおり不適切な融資を繰り返して経営破綻が相次ぎ、一兆四千億円もの公的資金が投入された金融機関である。もともと、戦後に在日朝鮮人のために設立された信用組合で、朝鮮総連を通じた北朝鮮との関係も懸念されている団体だ。

 土地建物の登記簿を見ると、債務者は姜某(なにがし)という朝鮮・韓国人名の第三者になっている。この人物が荒木家の自宅土地を担保に融資を受けたという体裁になっているが、実際は荒木家親族の借金だという。その抵当権自体は、同年十一月に抹消されているが、同日付けで今度はその親族を債務者として、三菱銀行が三億円の根抵当権を設定している。

 取材をすると、当時その親族の弟がクリーニング事業に失敗し、多額の債務を負ったことがわかった。その弟に事情を訊くと、「お金の面倒はすべて兄に見てもらった。なぜ朝銀の世話になったのかはわからない。第三者が債務者になった理由は知らないし、債務者の名も聞いたことがない」と答えた。

 そこで、その親族の兄を直撃すると、「借金の原因は私じゃないから、その件に関しては記憶に残っていない。債務者のことも覚えていない。小沢一郎とは関係がないと思うよ」と、まるで他人事のような、要領を得ない回答が返って来るばかりだった。

 借金の内実はともかく、外国人参政権を強力に推し進める小沢一郎の極めて近しい親族が、主に在日朝鮮人を顧客とする朝銀の助けを、このような形で受けていたという事実があるのだ。

 そして不可解なことに、その親族の家には、小沢一郎の逮捕された元私設秘書池田光智が親しく出入りをしていたという。

 一郎の母親、荒木みちの生涯を調べるつもりが、取材は思わぬ方向に転がっていった。それだけ小沢家のルーツには、予期せぬ引っ掛かりが数多くある。――

※一郎の母親の親族は、一郎の出生の秘密(荒木みちの実子に非ず)を、当然知っていたのであろう。池田光智や、一郎全秘書の出自と経歴を調べれば、より明らかになる。

夫人の手紙が事実なら、小沢佐重喜のカラクリ、小沢一郎出自の確証を得たのではないか!

 普通の日本人は、自分の先祖や家族の経歴について、このように策を弄する必要など皆無。ありのままで事足りる。工作は、日本人に非ずとの自白で、策士、策に溺れたサンプルである。

 小沢佐重喜と息子小沢一郎の経歴には、兄弟姉妹、叔父、従兄弟等の話がまったく出てこず、白紙である。小沢佐重喜が出世して、国会議員にまで登りつめれば、それを頼って名乗り出てくるのが世の常。小沢佐重喜の兄弟姉妹子孫は、そろって聖人君子とでも言うのであろうか?

 田中竹下金丸の茶坊主、小沢一郎ごときに、日本をこれほどまでにコケにされ挑発されると、「日本人?」と、誰でもが疑いたくなるのが人情である。

 小沢擁護の反論が、犯日朝鮮人反論とそっくりの、筋道無き逆上オウム返し反論で、皆同一なのだ。小沢一郎一連の言動は、日本人(唯心)ではなく、唯物(中朝韓罪日)である事を物語っている!出自の自白である!

 「日本語話す某国某人が、日本人小沢佐重喜と入れ替わり成り済ました。日本人戸籍を確実にするため、日本人荒木みちと結婚したが、石女のため、子供は授からなかった。某国人愛人との間に子供は出来たが、荒木みちとの離婚、愛人との結婚は、せっかく大業を犯して手に入れた日本人戸籍が、水泡に帰すので、できなかった。愛人との間に、男の子、小沢一郎ができたのがきっかけとなり、荒木みちが実子として育てることを決意し、ただちに、二人の姉も養女として引き取った」が、真相であろう。賢夫人である。

 やる事なすこと小沢一郎は、日本人としては余りにも不可解な言動だらけである。まるで、出自を疑ってくれと言わんばかりの目に余る言動で、挑発である。日本人なら、たとえ夫人であろうとも、疑うのは当然である。疑問が確信に変わったのは、母みち(1995年94歳で永眠)看護の間の、何気ない問わず語りであろう。

 小沢佐重喜の兄弟姉妹子孫と小沢一郎が、母みちと小沢一郎が、血筋か否かは、調べれば簡単に解るのが現代である。罪日と全く同じ轍を踏んでいる!キジも鳴かずば撃たれまい、天に唾棄と言える。夫人の手紙が捏造であったとしても、父と子の疑惑は、決して消えるものでは無い!

 便箋11枚の手紙は、単なるワープロメールではなく、真贋鑑定可能な直筆文(これほどの懇意なら、他の手紙も当然有る)である。執筆者松田賢弥は、小沢の選挙区出身なので、当然数多のリーク有り。地元でしか知りえない佐重喜疑惑の噂が、松田賢弥の幼少時より、絶えなかったのではないか。中朝韓罪日の傀儡NHK等のマスコミ報道無しは、逆に、真実を語って余りある。路傍の石と看過出来得まい!

 小沢一郎の愛人や隠し子は、子供一郎も、そっくりそのまま、親佐重喜の、轍を踏んでいるのではないのか。日本人なら、夫人も、ここまでかたくなにならなかったのではないのか?

 事実なら、夫人が、身の危険に逼迫しての開示、とも考えられ、夫人の危険度が高い。杞憂であればよいのだが?

 は、現地で暮らした夫人和子や母みちのほうが、夫一郎よりはるかに深い。手紙は、心の叫びと言える。

小沢佐重喜と酷似する息子小沢一郎の愛人遍歴と隠し子の処遇

小沢一郎「妻からの「離縁状」全文公開 週刊文春6月21日号

「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の衝撃 緊急特集政局動乱

ジャーナリスト 松田賢弥+本誌取材班

政局がにわかに緊迫してきた―。野田首相が政治生命を賭ける消費増税法案の採決が迫り、小澤グループの動向が最大の焦点となっている。そんな中、小誌は小沢氏の政治姿勢に決定的な疑問符を突きつける文書を入手した。和子夫人が支援者に充てた悲痛な手紙を公開する!

 

 まだ強い余震がある中、お変わりございませんか。

 この度の大震災ではさぞご苦労があったと思います。ご家族・ご親類はご無事でいらっしゃったでしょうか。何のお手伝いもできず申し訳ありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っています。

 このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。お礼の手紙にこのようなことを申し上げるのは大変申し訳なくショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていましたのでこの手紙を差し上げました。お聞き苦しいと思いますが今迄のことを申し上げます。

 八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました三年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれたそうです。それで私との結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小沢が言うには、この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でも金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手つだってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。

 その言葉で、三十年間皆様に支えられ頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子達に支えられ何とか現在やってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。

 お世話になった方々に申し訳なく、又、説明もできず、もしお会いしてやさしい言葉をかけていたゞいたら、自分が抑えられず涙が止まらなくなるのがわかり岩手に帰れなくなりました。選挙の時には、皆さんがご苦労されているのに、どうしても「小沢をお願いします」とは言えず、申し訳なさに歯をくいしばって耐えていました。

 隠し子がわかって以来、別棟を建てて別居しています。SPさんや秘書の手前、料理や洗濯は変わらずやっていました。用事の時は、小沢は私に直接言わず、秘書が出入りしていました。

 それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水をさすようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。

◆「なんですぐ岩手に帰らないのか」

 ところが三月十一日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました。

 三月十一日、あの大震災の中で、お世話になった方々の無事もわからず、岩手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情けなく仕方がありませんでした。

 そんな中、三月十六日の朝、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書たちを逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました」と胸をはって言うのです。

 あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えてください」と言うのです。

 福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」と聞きました。

 川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われてからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。

 国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。

 私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げ出すとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。

 小沢は「じゃあしょうがない。食糧の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。女性秘書達と川辺の家族は一ヶ月余り戻ってきませんでした。二日遅れで届いた岩手日日には三月十五日国会議員六人が県庁に行き、知事と会談したとありました。

 彼らに一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。

 三月二十一日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と書生が言いに来ました。しかしそのような情報は一切発表されていませんでしたので、私が「他の人と同じ様に水道水を使います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。

 それ以来、書生達が料理をし、洗濯まで買った水でやろうとしていました。東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるようにと指示したのはその二日後です。すぐにそれは解除になりました。

 三月二十五日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません。

 その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った?こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅前にテレビカメラが三、四台置かれ、二十人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先から三月二十八日に岩手県庁に行ったのです。ご存知のように被災地には行ってません。四月に入ってからも家に閉じこもり連日、夜岩手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めました。菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議がだされ政治が停滞したことはご存知と思います。

 この大震災の中にあって何ら復興の手助けもせず、放射能の情報だけが欲しいというのです。

 本当に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会にまで相談していました。

 もう岩手のことは頭になかったのでしょう。

※真実史観注・新潮45別冊「小沢一郎」研究 2010年04月号(新潮社)「小沢一族の深き闇」君島文隆が、引導同様の、大変な打撃を与えたようだ!「国(選挙区)替え」とは、明らかに狼狽している。京都には盟友、京セラ創業者稲盛和夫がいる。稲盛の妻朝子の父は、「キムチの恩人」として有名な禹長春(須永長春)で、禹長春の父は、閔妃成敗実行部隊隊長の禹範善である。

 

◆放射能をおそれて魚や野菜を捨てた

 こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたのかと思うと申し訳なく恥づかしく思っています。

 更に五月には長野の別荘地に土地を買い設計図を書いています。

 多くの方々が大切なご家族を失い何もかも流され仮設住宅すら充分でなく不自由な避難生活を送られている時に、何ら痛痒を感じず、自分の為の避難場所の設計をしています。●●●という建設会社の話ではオフィス0という会社名義で土地を買い、秘書の仲里が担当しているということでした。

 天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称し釣りに出かけました。

 千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。

 かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。

 長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれることを信じています。

 ご一家には、本当に長い間お励ましお支えを頂きましたこと心から感謝しております。ありがとうございました。

 七月には別のところに住所を移しました。

 ご一家のご多幸を心より祈り上げております。

     小澤和子

  (注・受取人が特定される記述は一部省略。伏せ字は原文では実名である)

 

■和子夫人の手紙を支援者はどう読んだか 松田賢弥

 「この手紙が表に出たら、小沢一郎はもう終わりだ」

 この五月、私は「和子の手紙」を求めて、数週間、小沢の地元・水沢(現岩手県奥州市)を歩き続けた。

 年初から永田町では、「小沢一郎がすでに離婚したらしい」とか、「奥さんが離婚したと手紙にしたため、後援会幹部らに送ったらしい」などと囁かれていた。だがいずれも真偽不明の断片的な情報だった。私も一月以降、手紙を求めて取材を始めたが、多くの支援者や後援会関係者は、「そんなものはもらっていない」と頑なに否定するばかりで、真相はわからなかった。

 そもそも、二人の結婚は、小沢の師・田中角栄が仲介したものだ。角栄の後援会「越山会」の大幹部だった新潟の建設会社「福田組」の社長・福田正(故人)の長女・和子を角栄が秘蔵っ子に娶らせた、いわば政略結婚である。しかも二人の間には三十代の三人の息子がいて、積み重ねた四十年近くの歳月がある。七十歳の小沢と六十七歳の和子が今さら離婚するなど、にわかには信じ難い話だった。

 一方で、今年三月に新たな事実も明らかになった。私は本誌三月二十九日号で、「小沢一郎『完全別居』次男と暮らす和子夫人を直撃!」と題した記事を寄稿した。和子は小沢邸から徒歩三分ほどの秘書寮に次男と暮らし、自分宛の宅配便や手紙も、すべて秘書寮に届くように手配していた。その光景は、夫婦間に大きな異変が起きた事を物語っていた。

 そしてこの五月、「この人なら手紙を受け取っているのではないか」と思われる長年の支援者らを、再び私は訪ね始めたのだった。

 ある三十年来の支援者の家を訪ねたときのことだ。

 玄関口で訝しげな顔をする支援者に、私が三月に小沢夫妻の別居を報じたこと、四月末には本誌(五月三日・十日号)で「小沢一郎に隠し子がいた!」と題し、今や二十一歳になる小沢の隠し子について報じたことなどを告げると、こう語りだした。

 「あぁ、あの記事は読んだ。間違ったごどは書いてないよな」

 そう言い、私を居間に招き入れた。率直に「和子さんからの手紙は来てないですか」と尋ねる私に、その人はこちらの目を見据えながら、間を置いてポツリポツリと語るのだった。

■和子に泣きながら電話した

 「来たよ。去年の十一月だ。長い手紙でなぁ。小沢が被災地に行かないごとに和子さんが怒ったとか、小沢が放射能を怖れて『東京から逃げろ』『水飲むな』と言ったことが情けないと思った、ど書いであっだ」

 さらに、こう続けた。
 「私は手紙の内容に仰天して、和子さんに泣きながら電話したんだ。『一郎でない。和子さんがいるがらごそ、(小沢の支援を)やってきたんだ』と伝えだんだ。和子さんは『息子たちは私についているから。息子たちが、別居したら、と言ってくれたの』と話していだ。

 和子さんは昔から演説がヘタでなぁ。いつもまわりから怒鳴られでいだ。それでも一生懸命だった。演説の帰りに、『息子たちが楽しみにしているから』と三人分の線香花火を買っていった姿が忘れられねぇ・・・・・・」

 やはり手紙は実在したのだ。私は驚愕し、何度も「手紙を見せてほしい」と頼んだ。だがその人は、現物を見せる事を頑なに拒んだ。その理由として、冒頭の台詞を語ったのだった。

 別の支援者を夜遅くに訪ねると、その人は門扉の前で言葉少なにこう語った。

 「和子さんからの手紙は確かに来ました。小沢が被災地へ行かないことへの不満の他に、『離婚』と書いてあった。手紙を読んで、和子さんと電話で話をしました。『水沢に来たら』声をかけたけど、『ありがとう』としか言わなかった。一郎が和子さんを、これほど苦しめていたとはな・・・。私はもう、一郎からは離れました」

 私はさらに別の支援者を何度も訪ねた。何度目の訪問だったか、早朝に訪ねると、その支援者は意を決したのか淡々と語りだした。

 「和子さんの手紙は去年の十一月の初め頃に来た。『離婚しました』とあった。原因は、あなたが隠し子の記事で書かれていた通り、小沢の女性問題だ。小沢がそこまで和子さんをないがしろにしたとあっては、もう許せない。小沢は次の選挙に出られない。もし出たとしても落選だろう」

 その後も取材を重ね、和子の手紙は去年の十一月頃十名近くの支援者に送られていたことがわかった。ただ、彼らは取材に応じてくれたとはいえ、手紙の提供は拒み続けた。

 協力者を守るために詳細は伏せるが、私は手を尽くして手紙のコピーをようやく二通入手することができた。そのうちの一通が全文公開したものだ。もう一通も筆跡は同じで、冒頭と末尾に、その支援者や家族を気遣う文言などが書かれている以外は、内容もほぼ同一といっていい。念のため元秘書らに筆跡を確認してもらったが、間違いなく和子のものである。

 いうまでもなく、これは「小澤和子」が支援者に送った私信である。和子には手紙で再三取材を申し入れたが未だ果たせていない。私信を公開することに逡巡がなかったわけではない。

 だがこれは単なる私信ではない。大げさに言えば、後に平成の政治を振り返る上でも、極めて重要な意味を持つ一級の資料である。

 私が本格的に小沢を取材し始めたのは、平成元年。この年の八月に小沢は弱冠四十七歳で自民党幹事長となった。以降の平成政治史において、時に政権与党の影の支配者、時に大野党のリーダーとして、今日に至るまで政局の中心に座り続けてきた。それは消費増税をめぐる目下の政局で野田政権を揺さぶり続けていることでも明らかだろう。

 その小沢一郎が、未曾有の大震災に際していかなる行動を取ったのか。その実像を、最も近くにいた人物が書き記した、極めて公共性の高い文書だと考え、公開に踏み切った。

 また、これだけ多くの人に手紙を出し、隠し子の実名まで記した十一枚の便箋を、何通も書き上げた和子の心情を思った。小沢の真の姿を支援者のみんなに広く知って欲しい。そうした和子の思いが行間から滲み出ているように感じられたことも、公開を後押しした。4につづく⇒

真実史観唯心日本の偉人高野長英が後藤新平が怒っている岩手4区鉄槌を振り下ろせ

4唯心日本の偉人高野長英が後藤新平が怒っている岩手4区鉄槌を振り下ろせ

■隠し子を養子にした愛人

 いくつか、手紙の文面だけではわかりにくい箇所を補足したい。一つ目は「隠し子」についてである。

 〈八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました〉とある。

 これがまさに私が「健太君」という仮名で四月末に報じた男の子のことだ。

 実はもう一通の手紙には、〈九年前〉とあった。これが書かれたのが二〇一一年十一月だとすれば、二〇〇二年から〇三年にかけてのどこかの時点で、和子は隠し子の存在を知ったことになる。

 奇しくも私は、前述した別居報道(三月二十九日号)でこう書いていた。

 「私には、和子が自身の名義で小沢邸敷地内に別棟を建てた〇二年頃を境に、小沢と和子が後戻りのできないほど、冷え切った関係になったように見える。和子が水沢に姿を一切見せなくなるのもこの頃からだ」

 東京地裁は昨年九月、小沢の元秘書三人に政治資金規正法違反で有罪判決を下した。その公判で、安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)の元女性嘱託職員が検察側証人として出廷したことがあった。その証言によれば〇二年三月、和子から電話でこう言われたという。

 「現金を払い戻しするから、(深沢の)自宅に来て。私と息子の名義の預金を解約し、六千万円を払い戻してもらいたい」

 この時、用途について別棟の建設費用だと和子は言っている。手紙を読んだ今思えば、隠し子の存在を知った和子が、小沢のカネに頼るのではなく、自分と息子のカネで自分たちだけの城を作ろうとしたのではなかったか。登記簿によれば、その「城」が完成したのは〇二年十二月のことだ。

 また、小沢の隠し子を養子として預かった愛人についても説明しておきたい。この女性は、有名料亭の若女将だった裕子(仮名)で、これまで私は、幾度も彼女について言及してきた。

 例えば、九十二年九月。金丸信元自民党副総裁の東京佐川急便ヤミ献金事件の処理に関する責任を取って、小沢が経世会会長代行の辞表を出した頃のことだ。東京地検特捜部の捜査の手が、小沢にまで伸びるのではなかと言われていた頃のある出来事を、元側近が私にこう明かした。

 「小沢先生に言われて、資料類を段ボール箱四~五箱に詰めて、裕子さんの住むマンションに運びました」

 二人の関係は続いている。陸山会事件が起こってから、小沢支持者らが開いている勉強会がある。そこではごく少人数で、陸山会事件について様々な角度から話し合われているのだが、熱心にメモを取る裕子の姿が目撃されている。

 和子との結婚前から四十年以上も続く異様な関係は知悉したつもりでいたが、その背後に〈一生毎月金銭を払う約束〉があったとは驚きである。現在二十一歳の健太君を二歳半から裕子は預かっている。この約十九年間で一体どれだけのカネが裕子に渡されたのか。

 

 次に放射能を恐れる小沢の言動にも触れておきたい。

 大震災以降、小沢がことあるごとに原発について言及してきたのは周知の事実だ。例えば昨年三月二十八日、達増拓也岩手県知事との会談後に小沢は、「原子炉の制御不能状態が2週間以上放置されるのは世界で例がない。最悪の事態を招けば日本沈没の話になる」などと語っている(「岩手日報」三月二十九日付)。このような言動に違和感を持った人は少なからずいた。当時、ある岩手県議は私にこう不満を露わにしていた。

 「小沢さんは被災地が逼迫した状態にあるのに、現地に行こうともせず、なんであんなに原発事故のことばかり語るのか」

 昨年五月、私が陸前高田や大船渡などの被災地を訪ねた時の悲惨な光景が蘇ってきた。ある地元民が目に涙を浮かべてこう語ったのだ。

 「いまでも、田園の中がら泥だらけの遺体があがってくる。いちばん政治の力が欲しい時に小沢さんは何もしてくれながった。オラたちはよう、見捨てられたのがぁ・・・」

 結局、小沢がはじめて岩手の被災地に足を運んだのは、今年一月のことだった。

■長野の別荘と小沢側近の会社

 なお、手紙に書かれている出来事の時系列はいずれも正確だ。例えば手紙には、昨年三月二十一日に、「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやってください」と書生が言いに来て、その二日後に、東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるように指示した、と書かれている。

 事実、三月二十三日に東京都は、「金町浄水場の水道水から一キロ当たり二百十ベクレルの放射性ヨウ素を検出」と発表している。日記などを付けていたのか、他の諸々の記述も日時などが正確に記されている。

 

 長野の別荘についても補足しよう。

 取材班は、長野県蓼科の別荘地を訪れた。地元不動産業者に聞くと、 「去年の震災以降、別荘を新築しようという方は割りと多いんです。東京や名古屋などから。放射能の関係もあるでしょうし、地震の際の避難場所としてですね」

 そこで長野県諏訪地方事務所を訪ね、昨年以降提出された建築計画概要書を閲覧すると、建築主がオフィスゼロ(0)という物件がひとつ見つかった。同社を調査すると、実質的には川島智太郎衆院議員の会社であることがわかった。小沢の元秘書で、今も側近の一人として数えられる人物だ。

 川島氏に聞いた。

 「あれは私の別荘にするんです。小沢さんがあの近辺で土地を探していると聞いたので、私も近くに別荘が建てられたらいいなと思って契約しました。仲里(貴行)秘書はその辺のことは詳しいので、色々アドバイスをもらいました。小沢さんはまだあの界隈で土地を探していると思いますよ」

 一方、小沢事務所は、

 「(別荘の件は)小沢とは全く無関係です。離婚の事実も慰謝料を払った事実もありません。(川邊嗣治秘書は)大阪での法事の為に家族を帰らせたことがありますが、周囲に避難を勧めたことはなく、京都からの出馬を検討したこともありません」と回答した。

 長年小沢に仕え「懐刀」と呼ばれながら、〇三年に小沢と袂を分かった元大物秘書高橋嘉信は和子の手紙を読み、こう語った。

 「私がなぜ小沢と決別し、闘うことになったのか。この手紙を読めば岩手の方々にも分かっていただけるのではないでしょうか。小沢には政治家以前に人間として問題があります。政治を志す若い人たちの魂を食い殺すなど、なんとも思っていない人間なんです。ましてや、岩手のことなど小沢の胸中にありません」

 小沢は当選三回(七六年)頃から、ほとんど地元に帰らなくなった。高橋は、和子とともに水沢の地盤固めをし、支え合った時代を振り返り、こう述懐した。

 「小沢は蕗の薹を生のまま刻んで味噌汁に入れたのが大好物なんです。私と奥さんは北上川の土手まで行って、頭を出したばかりの蕗の薹を摘み、袋に詰めて奥さんは東京へ持って行ったものです。そうやって必死であの人の為に働いてきた。でも、小沢には結局何も通じなかった」

 小沢からは高橋のような秘書が離れ、数々の側近と呼ばれた議員が離れ、そして今、地元後援者も、三人の息子と妻さえも離れた。

 和子の手紙を読めば、その理由は痛いほどわかる。小沢一郎は政治家としての終わりを迎えたのではないだろうか。(文中敬称略)「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」(松田賢弥+本誌取材班)週刊文春2012/06/21号  2012-06-14

こんな唯物見本が議員とは、唯心先人高野長英が、後藤新平が泣いている。きずな深き日本夫人、和子が泣くのも当然!

 小沢一郎は、何のために政治家となり何がやりたいのか全く見えない。新党の積み木を積んでみたり、ガラガラポンして破壊してみたりの繰り返しを、嬉々として喜ぶ、積み木遊びのただの子供だ。

 小沢の講演も演説も、感動は無い!何でこの男が、政治家たり得るのか?小沢に群がる者等は皆、我欲集団!潤沢な資金以外には無いだろう。

 積み木と破壊遊びは、「政治の混乱」以外は招かない。傀儡小沢の「資金源」の狙いは、日本の弱体化か!白ではない!どう見ても亜黒以上で、日本人の神経ではない。

 現在、岩手県の、水沢のみが鉄槌を持っている。目を覚まし!鉄槌を掲げて待て!今度こそ、鉄槌を下さなければ、水沢が誇る日本の偉人、高野長英が後藤新平が消え、以後の水沢は、後世の笑いものとなるであろう。

 物事全てに禍福有り。民主党(空論社会党と全く同じ)の正体(好いとことり丸暗記鵜呑みで思索回路皆無の病人)がたちどころに解ったのを大収穫とすべき。民主党(空論社会党と全く同じ)文系の好いとこ盗りつまみ食いは、絵に描いた食えない餅。今後同じ轍を踏まぬことが最も大事である。67年間も先人の汚名も晴らせず、罵倒し続けた愚者の丸暗記は信じるな!思索すれば子供でも簡単に解ったことだ。丸暗記は子供以下といえる。

 報道皆無の公共放送NHKやマスコミは、小沢の資金源にすべて一本釣りされ、牛耳られたのかまったくの音無しである?「週刊文春」の、カケラすらも報道されない。見事な言論統制の、証明で、自白である!

小沢擁護の反論は、犯日朝鮮人火病反論と同じで、筋道無き火病オウム返し、「侮蔑形容詞乱発」反論!「汚沢の寄生虫」有田芳生勝谷誠彦も同類!

 侮蔑形容詞乱発の下記反論は、「点」のみで、「線(検証)」がない。いかにも軽薄。「品格」無き者が、他者の「品格」云々は、笑いである!

 物事全てに過程が有る。過程を極めて他山の石とし、人類は隆盛している。読者が知りたいのは、「なぜ?どうして?」の過程で、「侮蔑形容詞」丸暗記ではない。下記は、脈絡無き火病反論、便所の落書き見本!

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
2012-06-15 文春ジャーナリズムの終焉とブラック・ジャーナリスト松田賢弥の学歴

 最近の「文春」の劣化と地盤沈下は目を覆うほどである。それもそのはずである。よりにもよって、あの、札付きブラックジャーナリスト松田賢弥が頻繁に登場してガセネタ満載の低次元の「スクープ記事」を連発するのだもの。嘲笑しない方がおかしい。松田は、相変わらずの低脳ぶりを発揮して、「これで小沢一郎は終わった」なぞと書いているが、終ったのは「お前ら」、文春ジャーナリスズムとブラックジャーナリスト松田ガセネタ男の方だろう。松田賢弥の『闇将軍ー野中広務と小沢一郎』を読めば、松田賢弥という男が何ものだか分かる。野中広務のパシリである。

2012-06-14 文春「小沢夫人の手紙」捏造事件の犯人は誰か??? 

  昨日、「文藝春秋」本誌に、「平成政治24年、亡国の戦犯」は誰か?という記事が出ているのを、電車の吊り広告で見たが、思わず、「亡国の戦犯はお前だろう!!!」と呟いていた。ところで、またまた、最近、売り上げ激減と噂のある「週刊文春」が、トンデモ記事というか、ガセネタ記事を、掲載しているらしい。例によって例のごとく、あのガセネタ記事満載のブラック・ジャーナリスト松田賢弥がらみのガセネタ記事である。小沢夫人が、小沢一郎を、「放射能が怖くて逃げた・・・」と批判する長文の手紙を、岩手県の選挙区の人達に送っていたというのだが、文春は、この小沢夫人の手紙がホンモノだという前提で、この妖しい記事を掲載しているようだが、こんなバレバレインチキ手紙がホンモノのわけがないだろう。松田賢弥が幼稚稚拙低脳児だということは証明済みだが、文春編集部の面々も負けず劣らずの低脳児集団ということか。その程度の「読解力」も「鑑識眼」もない低脳馬鹿が、堂々と「編集長」をやっているのが文藝春秋という会社の実態なのだ。芥川賞の胴元でもあり、文芸出版社としては老舗だから、文学関係者は、しかもメシの種でもあるし、誰も言わんだろうが、代わりに僕が言ってやる、そろそろ「潰れろ!!!」と。さて、松田ガセ男が、「この手紙が表に出たら、小沢一郎はもう終わりだ」と、手紙を受け取った支援者が言ったとか言わなかったとか、書いているが、ボケるのも好い加減にしてもらいたい。「こんな手紙程度で、小沢一郎が終わりになるわけないだろう。」さらに松田ガセ男は、「平成の政治を振り返る上でも、極めて重要な一級の資料である」と書いている。松田ガセ男よ、寝ごとも休み休み言え。単なる夫婦喧嘩が、一級の資料になるわけないだろう。もしこの手紙がホンモノとすれば、夫婦喧嘩の末とはいえ、あるいはあまりにも激しい「小沢バッシング報道」の結果とはいえ、やはり小沢夫人の、政治家夫人としての「品格」が問われることになるだろう。むろん、コピーとはいえ、こういうプライバシーに関わる手紙(私信)を、ガセネタ週刊誌に売り、公表した支援者の「品格」も。

検証(思索)回路無く丸暗記単語のみで反論の山崎行太郎は「言葉と文字界」火病人サンプル

 山崎行太郎(1947~ )鹿児島県立甲南高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科卒。同大学院文学研究科修了。現在、埼玉大学、日本大学芸術学部兼任講師。

 さもありなん、経歴は、温室育ちの全くのモヤシ。問われたら答えるのみの、ただのHDDは、現実界では役立たずの落伍者(受動のみで能動皆無)!現実界落伍者の吹き溜まりが、文系教授や講師や先生で、凶授乞子銭生が正体。

 日本の文芸評論家とあるが、こんな単語羅列のモヤシ論者が評論家とは、自称だろう。他称なら、「言葉と文字界」堕落の極み。揺ぎ無い証拠だ!

 この乞子、自らの学歴を誇り、「松田賢弥の学歴」と愚弄しているが、学歴(丸暗記)など役立たずは、67年間もの職責不履行無検証が証拠。東大京大等、束に成って反論しても、事実は事実、くつがえることなど無い!職責不履行を、どんなに束ねても、履行にはならない。文系学歴(丸暗記)は絵の無い額縁で、役立たずの証し。文系学歴(丸暗記)立派な、正体、凶授乞子銭生の、本や教えなど鵜呑みせず、立派な先人から授かった子孫の頭脳で、ネットの最先端資料を咀嚼し、「なぜ?どうして?」と思索することが肝心!

 中古千円の電子辞書にも劣る文系学歴(丸暗記量は千円以下)神話は、もう、崩壊したのだ!

 そして、どんなに立派な学歴(丸暗記)でも、思索回路無き丸暗記学歴者は害虫と、歴史が証明した。

 思索(なぜ?どうして?)が、すべてに優る!

 

精神の病に仕立てる小沢一郎さま様の小沢擁護毒饅頭(申告不要の裏金官房機密費)記事

NEWSポストセブン2012/06/25週刊ポスト(小学館)
小沢一郎・元代表と和子夫人 「離婚報道」に至るまでの経緯

 民主党の小沢一郎元代表と和子夫人の離婚騒動がメディアを賑わせている。週刊文春は6月21日号で「小沢一郎 妻からの『離縁状』」というタイトルで和子夫人が後援会関係者に書いたとされる手紙を掲載した。一体、小沢に何が起きているのか、本誌がレポートする。(文中敬称略)

 和子の変調は小沢の地元や支持者の間では早くから知られていた。

 それまでの和子は、永田町での活動に集中する小沢の代わりに、文字通り「金帰火来(きんきからい)」で毎週のように選挙区に帰って、いわゆる「票田の草刈り」に没頭した。後援会を切り盛りし、有権者の声を聴き、それを小沢に伝えた。小沢も和子を政治的にもかけがえのないパートナーと頼り、和子が岩手から戻ってくる日には、いつも利用していた夜10時着の新幹線を東京駅で迎えることが習いとなった。

 一方で、これも多くの家族が抱える問題として、小沢の母・みちと和子の微妙な関係も存在した。みちは夫・佐重喜、そして息子・一郎を支えた鉄壁の後援会を築き上げた原動力だった。その自負と小沢への愛が、あるいは和子を嫁として迎える心のハードルになっていたのかもしれない。

 やがて、みちが病に倒れてからは、後援会を支える重責は和子の双肩にかかり、和子はその役目を見事に果たしたが、病床のみちは和子を完全に受け入れはしなかった。その献身的な看護を拒否することもあったという。時には医療スタッフの世話さえ善しとしない頑迷さを見せたとされる。

 当時、若き自民党幹事長として飛ぶ鳥落とす勢いだった小沢は、妻と母の確執の間で、母の介護という難題も抱えることになった。時には、小沢自ら母の口に食事を運ぶこともあった。

 みちは1995年に他界した。

 それからの和子は、小沢王国の大黒柱として駆け回ったが、その頃から政界、マスコミ界の絨毯爆撃のような小沢への人物破壊が激しさを増し、和子の使命感や誇りにも影響を与え、心身の屈折を生じさせたようだ。

 和子の言動に変化が生じてきたことは、家族だけでなく、後援会でも心配の種になった。日に日に変わっていく姿に周囲の心痛は大きかったに違いない。小沢にも悔恨が沈殿していった。時にはありもしないことを口走り、根も葉もない中傷と知る噂で小沢を激しくなじることもあったという。

 自分の内面、ましてや家庭の“阿鼻叫喚(あびきょうかん)”の様を語ることなどありえない。内なる葛藤を抱えながら小沢は政権奪取にひた走った。それを止めることは誰にもできない。それこそ小沢における政治家の摂理なのだ。夫婦の関係は難しくなるばかりだった。

 やがて和子は世田谷区にある小沢邸の敷地内に別棟を建て、そこで生活するようになった。それが「別居」と報じられたこともある。

 和子は、あんなに心血を注いできた後援会活動にも、実弟が亡くなった10年ほど前から、ぷっつりと姿を見せなくなって家に閉じこもるようになった。これは後援会関係者なら誰もが知る事実だ。「小沢家の問題」を取材するマスコミも、きちんと地元に行けば簡単に確認できるはずである。

 その頃でも小沢は、毎夜9時過ぎには自宅に帰ることを決め事にしていた。和子との会話はほとんどできなくなっていたが、それでも、指呼の間(しこのかん)にいる和子が昔日のように「パパ!」と声を掛けてくるかもしれない。そんな期待も秘めていたのだろう。

 しかし現実の和子は、ますます猜疑心や妄想にとらわれるようになり、最も信頼している次男以外の言葉は受け入れないほどに憔悴を見せるようになった。いきなり秘書に小沢のスケジュールを詳細に報告させ、その立ち寄り先に片端から連絡して、「小沢は本当にそこに行ったのか」と詰め寄る異常な行動が周囲を驚かせる“事件”も起きた。

 次男と小沢の関係にも暗雲が立ち込めた。和子の心を救いたいと、実家である福田家の関係者が話し相手になって支えた時期もあったが、そうした努力は誰の目にも不毛で、和子を訪れる人は少なくなっていった。

 父と母、父と弟の間に立って辛苦を引き受けてきた長男も、ついに家を出る決心をした。

 そして小沢は、求められるまま和子に離婚のフリーハンドを与えた。家族の絆を取り戻すことはますます難しくなった。続きは小沢氏後援会幹部 和子夫人や次男出馬で骨肉紛争勃発を危惧2012/06/26

※週刊ポスト2012年7月6日号

※小沢一郎民主党元代表、小学館(週刊ポスト)へ毒饅頭(申告不要の裏金官房機密)を配ったようだ。効き目抜群である。和子夫人は瞬く間に、精神病患者になり!週刊ポストは売れて、小学館は大儲けだ。そして、申告不要の裏金官房機密!!笑いが止まらない!!!!

饅頭大好き「言葉文字界」!毒饅頭官房機密費)?中華饅頭?キムチ饅頭スパイ

 それにしても、NHK公共放送TV新聞等、揃っての報道規制報道皆無は、見事な傀儡証明、饅頭効果である。戦後67年間の、言論統制(職責不履行)の証明で、自白!

 戦後(角栄以後)始まった中朝韓罪日傀儡の、マスコミや政治家(小沢)や政党(凶産社会民主公明等)や大学や日教組への、頂門の一針と成り、平成維新開始の烽火と、果たして成り得るか!

 賢者は思索するが、愚者は丸暗記烏合の衆。民主主義は民意で動く、民意主義。「愚者はびこれば国滅ぶ」は、世の習い!

 小沢一郎は、「中朝韓国民の生活が第一」が正体!民度とは、思索国民の多少。多ければ国栄え、少なきは、国滅ぶ。


 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観米国の朝鮮人捏造慰安婦碑文は宣戦布告文米国慰安婦決議121号が元凶

1米国の朝鮮人捏造慰安婦碑文は宣戦布告米国慰安婦決議121号が元凶

2014.11.27 05:10 産経ニュース抜粋は真実史観の感想
米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに
 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
 「米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた(文末リンク)。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。※米国聖戦論者が公開妨害か?
 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。極端に少ない日本の戦争犯罪!
 報告の序文でIWG委員長代行スティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。※米国聖戦論者の本音!
 報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。 慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた。※当時の常識!

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。

【ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。

 ケント・ギルバート氏マイケル・ヨン氏の記事を和訳
 
日韓問題:第二次世界大戦中、韓国男性が臆病者だったとでも言うつもりか?

 マイケル・ヨン氏「今までほとんど誰も存在すら知らなかったIWGの報告書を読んで欲しい。もし全部を読む時間が無いようなら、報告書の中で慰安婦(Comfort Women)を検索して、その部分だけでも注意深く読んで欲しい」
かっての敵国アメリカが8年30億円かけて日本先人の潔白を証明した「最終!」検証報告書
Nazi War Crimes & Japanese Imperial Government Records Interagency Working Grou
Final Report to the United States Congress April 2007
http://www.archives.gov/iwg/reports/final-report-2007.pdf


 「泣き売」偽証慰安婦(私娼・朝鮮内乱犠牲者・便乗老婆)加害者韓国軍国連軍

 売春婦は人類最古の職業、当然、当時も居た。日本軍公娼(エリート売春婦)はほんの一握りで、私娼窟売春婦は数多なのに、中朝韓はほんの一握りの日本軍公娼慰安婦を針小棒大に拡大、はるかに多かった私娼窟の売春婦
は隠蔽し、皆無のごとく宣伝した。結果、「すべての売春婦=従軍慰安婦」と。無辜無知の各国国民はだまされた。

 常識で考えてみよう!日本軍公娼慰安婦はエリート高給取り、年季明けで、帰国した。私娼窟私娼売春婦は、まさに性奴隷であった。現在の慰安婦証言者は、私娼窟の売春婦か、日本撤退後の朝鮮内乱や朝鮮戦争の犠牲者か、身より無き老婆とに大別される。

 日本非難の慰安婦被害者証言の加害者は日本ではなく、朝鮮戦争の国連軍(従軍慰安婦で日本非難議決国=米韓加豪蘭比EU)や韓国軍私娼斡旋業者私娼窟父母親族。相手が自国の韓国軍や戦勝国や私娼斡旋業者私娼窟父母親族では、ただの売春婦扱いされ金も取れないので、敗戦日本の軍隊にすり替え、被害者証言「泣き売」を展開し、主語すり替えの偽証で生きる糧を得た。
 また、身より無き老婆も、便乗偽証で生きるための糧を得た。
 参照⇒ローマ法王看破!ミサ7人の老女は朝鮮戦争犠牲者か洋公主!

妨害発覚米国に朝鮮人設置の捏造慰安婦碑撤去緊急署名のお願い!

アメリカに設置の、捏造慰安婦碑朝鮮人の拡散は、争乱起因の拡散撤去緊急署名のお願い!

 現在32.030名(13日14時02分)で、署名数は達成だが、署名無効が相当出てくる可能性があるので、締切まで、子孫は先人のごとく、最善を尽くそう真実史観2002.6.6.

 規定期間内に規定数に満たなければ、請願サイトから削除で、規定署名数を満たせば、規定期間以降もホワイトハウスからの回答があるまで、署名続行可。

 慰安婦碑撤去緊急署名方法は下記参照!
【拡散】6月9日締め切り。アメリカの慰安婦碑撤去に署名をお願いします!初めて署名する方も簡単!

 

慰安婦問題の元凶米国下院慰安婦決議(121号)撤廃請願署名お願い

下院121号決議米国下院の捏造と、強烈に証明したアジア同胞!日本軍占領地は、「比」以外、どこも追随無し!決議追随国は、かっての白人同盟国(米豪加蘭EU)と「フィリピン」と、世界に誇る癌国のみが証。

 なでしこアクション米国下院慰安婦決議(121号)撤廃ホワイトハウス請願署名、協力お願い!≪目標 7月21日までに25000署名≫請願署名はこちらhttp://wh.gov/lBwa署名方法は上記と同じ。上記署名者は登録済みなので、上記用passwordをそのまま使え、CREATE AN ACCOUNTはクリック不要で、直接SIGNをクリックし、上記と同じE-MAILを書き、保存してあったpasswordを貼り付け、LOG INクリック。

 2007年7月30日(安倍内閣当時)、米国下院を通過した121号決議、いわゆる慰安婦決議。

 その内容は『日本政府による強制的軍隊売春制度「慰安婦」は、「集団強姦」や「強制流産」「恥辱」「身体切断」「死亡」「自殺を招いた性的暴行」など、残虐性と規模において前例のない20世紀最大規模人身売買のひとつであり、日本は公式に認めて謝罪し、歴史的な責任を負い、現世代と未来世代を対象に残酷な犯罪について教育をしなければならない』というしろもの。

 しかもこの決議、下院議員435名中、出席議員はたったの10名。票を取らずにvoice vote”賛成!”の声だけで可決されたもので、この決議以来、海外における反日・侮日の慰安婦キャンペーンが始まった。以下詳細はなでしこアクション

 

捏造慰安婦碑は「国際的いやがらせ(International Harassment)」

 ニューヨーク・マンハッタンから車で約30分走った距離に位置するパリセイズ・パーク市は、韓国系住民が51・5%を占める人口約2万人の市。捏造「慰安婦記念碑」は、2010年10月、韓国系の働きかけによって、パリセイズ・パーク市の公立図書館の敷地に設置された。

捏造慰安婦碑宣戦布告(報道が隠蔽する部分)

おかしい碑文「THAT NO PEOPLE SHOULD LEAVE UNRECOGNIZED.」をどう訳す!鼠根性の浅ましさに溢れた日本人愚弄碑!

 碑には、膝を抱えてうずくまる女性を日本兵が威圧するような絵が刻まれ、下記のような日本人愚弄捏造文が刻まれている。どのマスコミも職責履行で、「THAT NO PEOPLE――部を隠蔽し、報道していない!

 

条約破り韓国捏造白状碑 In USA 第1の慰安婦碑文 

IN MEMORY

OF THE MORE THAN 200,000

WOMEN AND GIRLS WHO WERE

ABDUCTED BY THE ARMED FORCES OF

THE GOVERNMENT OF IMPERIAL JAPAN.

1930′s – 1945

1930年代 ~ 1945年に、日本帝国政府の武装勢力(日本軍)が、200,000以上の女性少女誘拐ABDUCTED)したことを、メモリに」

 

KNOWN AS “COMFORT WOMEN,”

THEY ENDURED HUMAN RIGHTS

VIOLATIONS

「“慰安婦”として知られています。彼女らは、人権侵害を耐えた」

 

THAT NO PEOPLES SHOULD LEAVE UNRECOGNIZED.

なんとその、人で無しどもTHAT NO PEOPLES SHOULDの直訳で、意は、米国在住日本人子孫)が、(人間として)価値を認められない(UNRECOGNIZED)ので、去ってLEAVE)当然のはずだったのに、まだ居るなんて、怒りだTHAT(その) NO(拒否・否定) PEOPLES(特定の国、共同体または民族の人間)。THAT NO PEOPLES(その、拒否民族の人間)。 SHOULD(感情の SHOULD。驚き・意外・怒りの感情を表す。THAT節で、したとは)

 

LET US NEVER FORGET THE HORRORS

OF CRIMES AGAINST HUMANITY.

「米国(私たち)は、決して忘れないようにしよう。人類に対する犯罪の、恐ろしい話を」

 

子供でも解る朝鮮女性20万人は捏造

 クマラスワミ報告書61項 (b)「約20万人の朝鮮女性の軍事的性奴隷としての徴集」と明記されてある。がしかし、ソースは皆無。ソースは何としても「犠牲者」に成りたい朝鮮人であろうことは、明白であろう。

 当時の朝鮮(韓国と北朝鮮)の人口は2300万人(1940年帝国書院)なので、女性は1200万。当時の寿命60年として、該当年齢女性(15~20歳)は12分の1の100万人位か(ソウル大学教授李栄薫は、1940年の16~21歳の朝鮮女性は125万人と算定)。つまり、朝鮮族は、なんと妙齢女性5人の内の一人(20万が、誘拐(日本軍が強制連行)されたと主張しているのだ!

 当時の朝鮮は日本統治の下で、女性も平等(日本統治以前の差別階級の女性には、名前すらも無かった。シャルル・ダレ著『朝鮮事情』)となり義務教育を受け、進学もしていたので、学校でも、村や町や市でも当然、大事件となったはずである。ところが、何一つ無し!

 1929(昭和4)年光州(学生)事件日本人中学生が列車内で、朝鮮人女生徒からかったというのが発端で、大規模な学生抗議運動となり、朝鮮全土に広がった。戦後の1953年、韓国はこの日(11月3日)を記念、「学生の日」とした。このような民族が、20万(5人の内の一人)もの強制連行性奴隷を、看過するはずなど無い!また、当時の「売春(慰安婦)」業は、合法。

※保守右翼自称の中山成彬先生が、今頃ノコノコとネットの追試では、あきれかえるのだが、他の議員先生よりはまだマシと言う事か!2013.6.7維新・中山氏「朝鮮人の親は弱虫か」

日本のマスコミは、まるで示し合わせたかのように見事な言論統制で、報道せず(職責履行)!韓国が報道(職責履行)する?不可思議。
韓フルタイム2012年05月28日
日本で広がる米国の「慰安婦の記念碑」撤去運動、韓国メディアが「日本人は本当に厚かましい」と批判

 米ニュージャージー州パリセイズパーク市に設置された旧日本軍の「従軍慰安婦の記念碑」撤去を求める署名活動が、日本のインターネット上で繰り広げられていることについて、韓国のメディアが「厚かましい」と批判した。

 記念碑は、「日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女を忘れないために」などと書かれており、韓国系団体の働きかけによって2010年10月に設置された。自民党所属の4議員が今年5月に同地を訪問し、歴史的事実に反するとして市に記念碑の撤去を求めたが、受け入れられなかった。 このような動きを受け、慰安婦記念碑を問題視した日本のインターネットユーザーの間では、対応策を求める声が上がった。

 今月10日にはホワイトハウスの署名サイトに、「Remove the monument and not to support any international harassment related to this issue against the people of Japan.」と題した記念碑撤去を求める署名コーナーが設けられた。「記念碑は日本人への国際的な嫌がらせ」であり、慰安婦問題の多くは「完全なねつ造である」と主張。28日18時までに6683人分の署名が集まり、現在も着々とその数は増えている。

 だが、韓国側は日本のインターネット上で拡散する署名活動に警戒感を示しているようだ。

 韓国メディアは、(ニュース天地)「恥知らずな日本人、慰安婦碑撤去のため署名活動まで」、(国民日報)「本当に厚かましい日本人たち…“慰安婦碑撤去”ホワイトハウスウェブサイトで署名活動」、(天地日報)「米の慰安婦碑撤去に乗り出した図々しい日本」などと題した記事で、署名活動を批判。

 あるメディアは、「日本人が組織的に妨害活動を繰り広げているため、在米韓国人社会は対応策を用意する必要がある」との意見を伝え、日本の署名活動に対抗すべきだと報じた。

 

中央日報/中央日報日本語版2012年05月28日

「慰安婦碑撤去」署名運動…今度はホワイトハウスに働きかけ

日本人がホワイトハウスのウェブサイトで、ニュージャージー州パリセーズパーク公立図書館に設置された日本軍慰安婦碑の撤去などを要求する署名運動を行っていることが明らかになった。

  10日に始まったこの署名運動は、慰安婦碑など日本人を対象にした「国際的いやがらせ(International Harassment)」に対し、オバマ政権が支持を中断すべきだというメッセージを骨子としている。

  このオンライン請願は、日本人と推定される「Yasuko R」が開設した。「Yasuko R」は署名運動を始めた趣旨として、「慰安婦に関する虚偽の主張で長期にわたり日本人は不名誉を感じてきた。最近、こうした主張は操作されたものだということが明らかになった」という論理を出した。続いて「慰安婦碑と現在推進中の慰安婦追慕道造成事業などは、米政府がこうした虚偽の主張を後押しするものだ」とし「これは歴史の偽りを広めるだけでなく、人種紛争を起こし、日本の先祖に苦痛を与える行為」と主張した。

  24日午後3時現在、署名者は4759人で、ほとんどが日本人。ホワイトハウスウェブサイトでの署名運動は、30日以内に2万5000人の署名を確保すれば、ホワイトハウスから公式立場の通報を受けることになる。また妥当性が認められれば面談の機会も得られる。

  日本政府と民間人がパリセーズパークタウン政府とニューヨーク市の議員を対象に慰安婦追悼事業妨害工作を行ってきたのに続き、ホワイトハウスを対象にロビー活動を始めたため、韓国政府と韓国人社会のより根本的な対応策の準備が求められる状況だ。

 

中央日報日本語版2012年05月30日

歌手キム・ジャンフン、NYタイムズにまた慰安婦問題全面広告

  歌手キム・ジャンフンとソ・ギョンドク誠信(ソンシン)女子大客員教授が29日(現地時間)、米ニューヨークタイムズに日本軍慰安婦関連の全面広告を掲載した。3月に続いて2度目だ。

  「覚えていますか(DO YOU REMEMBER?)」と書かれた今回の広告は、ニューヨーク州の日本総領事館が5月初め、米ニュージャージー州パリセーズパーク市にある「日本軍慰安婦碑」の撤去を要求したことに対応する意味を込めている。

 広告の背景に使用された写真は、1971年にドイツのブラント首相がポーランド・ワルシャワの戦争犠牲者碑石の前で膝をついて謝罪した場面だ。 ソ・ギョンドク教授は「世界の人々がまだ記憶している大きな事件を改めて想起させ、ドイツの勇気ある行動を日本が見習わなければならないことを強調した」と説明した。

 広告費全額を後援したキム・ジャンフンは「日本軍慰安婦問題は韓日関係を離れて女性人権問題。 約20万人の女性を性奴隷として踏みにじりながらも謝罪しない日本政府の姿を全世界に堂々と知らせて、世界的な世論を喚起させたかった」と伝えた。

 一方、キム・ジャンフンとソ・ギョンドク教授は今後、日本軍慰安婦関連の映像広告を制作し、CNNなど世界的なニュースチャンネルに広告を執行する計画も伝えた。

 

韓国国策「VANK」の思想戦は朝鮮人のブーメラン自殺

 朝鮮捏造史観、国内のみに飽き足らず、世界への強制は、天に唾棄のブーメラン自殺。捏造バブル弾ければ、朝鮮族以外に、道は無い!テコンドー五輪競技に味を占め、調子に乗って朝鮮捏造史観、ウリ起源、東海呼称、米国に捏造慰安婦碑設置等々の強制撒き散らしは、余りにも井蛙!サッカー、バレー、キムヨナ等のスポーツ工作TV局罪日スパイの巣窟。職責者は、国内戦といえども、水や食料等の選手管理を怠るな!対中朝韓戦には必ず、第二第三の敵が居ることを、頭に叩き込め!)では、成功したかも知れないが、世界は、日本のように、甘くは無い!

 NYタイムズは、犯日記者ノリミツ・オオニシ(通名)が所属。朝日新聞社と提携し、東京支局は、朝日新聞東京本社ビル内にある。

 他国非難より、韓国同胞虐殺が先!日本撤退後に起きた権力闘争で、「赤」と偽り、李朝差別民族浄化で同胞を虐殺したことを、「膝をついて」詫びたのか?他国ドイツのことよりも、「赤と偽り」女老人子供まで虫けらのごとく同胞を虐殺した下記虐殺(ヒトラーユダヤ人虐殺と双璧)を、韓国は膝をついて謝罪」しているのか?他人非難に明け暮れ、全く反省無き民族である。イザベラ・バード「朝鮮にいたとき、私は朝鮮人というのは屑のような民族で、その状態は望みなし」は、正論である。調べれば調べるほど、まさに朝鮮人は、NO PEOPLES」!

DO YOU REMEMBER?

済州島四三虐殺(8万人以上)

保導連盟虐殺(60~120万人)

居昌虐殺(8千人以上)

国民防衛軍虐殺(10万人以上)

光州虐殺(2千人以上)等々

 

 ドイツの、ワルシャワポーランド人大虐殺・ワルシャワゲットーユダヤ人虐殺に対して。「膝をついて謝罪」は当然であるが、日本は、虐殺(原爆大空襲)はされたが、ドイツのような虐殺(真逆で、日本はユダヤ人を救助した)や、ヒトラーユダヤ人虐殺と双璧をなす、韓国のような同胞虐殺(赤と偽り老若男女殺し)は、していない。「日本が見習わなければならないこと」は何一つ無い!むしろ韓国が見習うべきものであろう!

 「女性人権問題。 約20万人の女性を性奴隷」は捏造、騒いでいるのは朝鮮人のみが証。

 現代では、売春は違法(一部適法)であるが、当時では、性を売る商いで合法。追軍売春婦が名称で、従軍慰安婦は捏造。誘拐(強制)なら、現在も当時も歴史に残る大事件となり残ったであろうが、一つも残っていない。自由参加で強制ではない。人権侵害捏造。「1929(昭和4)年の光州事件。日本人中学生が朝鮮人女学生をからかったことが原因で、大規模な学生抗議運動となり、朝鮮全土に広がった」これが唯一残っている証拠、11.3学生運動で、1919年の3.1独立運動、1926年の6.10万歳運動と並んで、日本統治下三大事件の一つとなっている。

 当時を知る台湾人の証言。お金を求めて志願して稼いだ慰安婦(売春婦)はいたが。従軍(強制連行)慰安婦はいません。兵隊さんの数倍の収入だったので、本人がよろこんでやっていました。終戦時の帰国には、諜報員なら商売人、慰安婦(売春婦)なら、看護婦として帰国した。証言・従軍慰安婦の真実
 

加害者も被害者も朝鮮人!自作自演の思想戦!

米テキサスで韓国人マッサージ店の撤退運動「売春の巣窟」=韓国2012/06/14

 米テキサス州ヒューストン、ハリス郡裁判所に、韓国人業者が営むマッサージ店の撤退を要求する請願を提出したことが分かった。地元のヒューストン・クロニクル紙が13日に報じ、韓国の複数のメディアもこれを伝えた。

 

 数年後の韓国大統領や朝鮮人や罪日の言いぐさは、「無理矢理アメリカに強制連行されて、慰安婦を強要された。謝罪せよ!賠償せよ!」となる。日本では既に下記のようにすり替えられている。これが、朝鮮人のみが大騒ぎする、慰安婦問題の正体

 

加害者も被害者も朝鮮人は捏造従軍慰安婦と全く同じ

60店に1800人の女性従業員 「デリヘル王」逮捕[ 2011年7月27日 ]

警視庁保安課は27日までに、風営法違反(禁止地域内営業など)の疑いで、東京都港区のコンサルタント会社社長金昌宏容疑者(47)を逮捕した。

 保安課によると、金容疑者は首都圏でデリバリーヘルス約60店を経営するグループの代表。グループ全体で約1800人の女性従業員を雇い、業界内では「デリヘル王」と呼ばれていた。

 逮捕容疑は7月6日、店舗型風俗店の営業禁止地域内にあるJR五反田駅前のビルで、女性従業員に男性客への性的サービスをさせた疑い。

 デリヘルの客を同じビル内のレンタルルームに案内しており、保安課は営業禁止地域で実質的な店舗型風俗店を営業していたと判断した。

派遣型売春クラブを経営、かん国人ら3人逮捕 1億円以上売り上げか2011.11.24

 女性をホテルなどに派遣して売春を斡旋していたとして、警視庁保安課は、売春防止法違反(周旋)の疑いで、韓国籍で派遣型売春クラブ「ピュア」経営、朴燦(パクチャン)容疑者(46)=東京都荒川区東日暮里=ら3人を逮捕した。同課によると、「従業員らに売春しろとは言っていない」と容疑を否認している。

 他に逮捕されたのは、朴容疑者の妻、趙美英(チョウミヨン)(37)=同=と、同店従業員の金殷蘭(キムウンラン)(43)=荒川区西日暮里=の両容疑者。いずれも容疑を否認している。

 同課は、朴容疑者らが派遣型売春クラブの営業を始めた今年4月から、1日平均25人の客を取り、少なくとも1億円の利益を得ていたとみて捜査している。

 逮捕容疑は、今年11月19日、男性会社員(35)ら2人から電話で売春婦派遣の依頼を受け、女性従業員ら2人を派遣し、売春させたとしている。 

 また、同課は、パスポートを携帯していなかったとして、入管難民法違反(旅券不携帯)の現行犯で、韓国籍の同店従業員の女(21)を逮捕。許可を得ずに女性従業員らを有償でホテルに運んでいたとして、道路運送法違反(有償運送)の容疑で、韓国籍の男(26)ら2人を逮捕した。男2人は容疑を認め、すでに釈放されている。

 

加害者朝鮮人を隠蔽して被害者朝鮮人のみ強調捏造報道

韓こく人留学生が日本で売春を強要、日本は人権後進国=韓国メディア2012/06/21

 人身取引(売買)問題に取り組むNPOポラリスプロジェクトジャパンと移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)は20日、日本の人身取引の現状を伝える緊急メディアセミナーを日本外国特派員協会(FCCJ)で開催した。日本国内における売春の実態を告発した。韓国の複数のメディアが報じた。

■「韓こく 性犯罪」に関する他の記事  - サーチナ・ハイライト

  韓国メディアは、「アルバイトを探していた韓国人留学生、結局は売春まで」「日本の人身売買の最多被害は韓国人女性」などと題し、日本で強制的な売春に苦しむ被害者を助ける非営利団体、ポラリスプロジェクトジャパンが東京で記者会見を開き、被害女性たちからのメッセージを公開したと伝えた。

  同団体の発表内容の中には、留学生など、韓国出身の女性らが売春に強制的に動員されている実態も含まれていた。

  韓国人ブローカーにだまされ、上野でデリバリーヘルス(出張売春)を強要された韓国人女性の場合、売春をするほど借金が増え、住んでいたアパートには、逃走防止用の監視カメラまで設置されていた。この女性が救助を要請した際には、骨盤腹膜炎で出血し、何も食べず、ベッドから起きることもできないほど衰弱した状態だったという。

  同団体は、被害女性たちが日本の警察に申告しなかったのは、日本当局が外国人売春女性を保護しないことを知っていたからであり、日本には包括的な人身売買対策法がなく、人身売買による被害者を保護するための避難所や、ホットラインを開設していないためであると指摘

  韓国メディアは、米国務省が同日発表した世界各国の人身取引の実態をまとめた「人身売買実態(TIP)報告書 2012」で、韓国は人身売買の被害者保護に関する最低基準を満たしている「第1段階」に分類されたが、日本は8年連続で、人身売買を防止するための最低限の基準を満たしていないとして、カンボジアやインドなどと同等の「第2段階」に分類されたと紹介。主要8カ国(G8)諸国の中で、第2段階は日本だけだと指摘した。

  女性の人権後進国の日本で、人身売買の被害を最も多く受ける外国人女性は韓国人であり、ポラリスプロジェクトジャパンの藤原代表は「日本政府は1日も早く、人身売買禁止法案を作るべき」と強調した。(編集担当:李信恵・山口幸治)

 

 「同団体は、被害女性たちが日本の警察に申告しなかったのは、日本当局が外国人売春女性を保護しないことを知っていたから」は捏造!日本では、売春は違法なので、「警察に申告すれば逮捕されるので、申告しなかった」だけのことである。

 

朝鮮人被害者のみ強調、加害者朝鮮人は隠蔽し、朝鮮思想戦を展開するポラリスプロジェクトジャパンの藤原志帆子

2009年4月場所:外国人特派員協会
 「移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)」事務所の住所は「富坂キリスト教センター」の2号館203

ポラリスプロジェクト日本事務所代表
【個人プロフィール】

・名前/藤原志帆子

・団体名/ポラリスプロジェクト 日本事務所

・役職/コーディネーター

1981年、北海道生まれ。米国ウィスコンシン大学マディソン校卒業。米国NPOポラリスプロジェクト(ワシントンDC)での勤務を経て、2004年に同団体日本事務所「ポラリスジャパン」を設立。人身取引をなくすために、多言語の相談電話による被害の発見と救済事業を開始した。人身取引被害を受ける子どもや女性への現場での支援の傍ら、児童施設や入国管理局での研修講師としても活動している。08年母校ウィスコンシン大学マディソン校より名誉卒業生賞受賞。

【団体プロフィール】

・設立年/ 2002年

・主な活動拠点/日本・米国

・組織構成/スタッフ 2人、ボランティア・インターン15人

 

海外で増加する韓国人の売春婦、日本では嘲笑の対象=中国

2012/06/17(日)
 韓国政府が5月末に発表した報告によると、海外で売春に従事する韓国人女性は8万人に達することが分かった。中国国営通信の新華社は16日付で「8万人のうち5万人が日本で『活躍』している」とし、売春婦の多さに日本では嘲笑の対象となっていると報じた。

■「韓こく 売春」に関する他の記事  - サーチナ・ハイライト

  韓国は1988年、ソウル五輪の開催にあたって、風俗業の取り締まりを行った。韓国メディアによれば、「風船の一部をつまむと別の部分が膨らむ」ように、韓国政府による国内の売春規制強化が海外の売春婦が増加する一因となった。

記事は、「韓国政府は2004年に「売春特別法」を制定、国内のマッサージ店を一斉摘発した。韓国人にとって日本はノービザで入国できるため、売春婦たちは日本に目を向けた」と報じたほか、慰安婦問題を取り上げたうえで、日本で「韓国人は自らすすんで売春を行っており、慰安婦問題は韓国人のでっち上げ」と嘲笑の対象となっていると報じた。2につづく⇒