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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1閔妃成敗角田房子NHKTV朝日銭生韓国スパイの籠絡で土下座志士子孫


1閔妃成敗角田房子NHKTV朝日銭生韓国スパイの籠絡で土下座志士子孫

 「日本九九年戦争・資源無き島国日本、適者生存戦国時代唯一の術は、先手あるのみ。後手の本土戦は、兵糧攻めで必滅。露西亜、清国(属国朝鮮)南下阻止が第一義、後手は必滅、先手で打って出た。 

 結果が台湾朝鮮(自立不能で)統治(極東共栄圏樹立着手)、満州建国尽力(凶産の砦)、日中戦争(中国凶産化での中ソ凶産連合阻止)、南京政府樹立尽力(中国凶産化阻止)で極東共栄圏構築。

 日中(反共)戦争で疲労困憊の日本は、戦国の定法弱肉強食、恰好の餌食となった。米英中蘭(ABCD)が兵糧攻め、ハル・ノートで降伏を迫った。出稼ぎ戦争対、日本は死活戦争。極東から大東亜に共栄圏樹立を拡大し、あらん限りに戦ったが、大東亜同胞の、完全覚醒追随まで戦いきれず、矢尽き刀折れ、敗れた。

 がしかし、戦いざまに共振した同胞が、一気に蜂起、独立。1960年の植民地独立付与宣言(互恵)が根幹となり、自由貿易64年開放経済)、平等65年人種差別撤廃を成し、凶産は残ったが、戦争目的は完遂した。弱肉強食の世に、戦後67年間のごとき無能無策の後手日本なら、何もかもが消滅していた。それでも戦後消滅しなかったのは、『身体を筆にし、流れる血と汗と涙でえがいた先人の、人類への遺書』以外、あろうか!

 “戦かわざれば”の平和論があるが、防共の砦日本が去るやいなやすぐさま凶産化、朝鮮戦争惹起したもう一方の真の敵、中ソ凶産連合軍隠蔽スパイの、工作論である。ABCDと“戦かわざれば”の降伏は、防共の砦無き丸裸日本で、中ソ凶産の、恰好の餌食となった。この戦いは、目的も無きただの防御戦。多勢に無勢で、瞬時に最後の独立国日本は潰え、日本族の名を残すのみの、まさに、犬死に無駄死にの戦争となっていた。同胞の、支配者からの独立も無い!新秩序など、当然無い!支配者と、被支配者の地球に成っていた!」

 

閔妃成敗」予備知識
 マッカーサーは、朝鮮(韓半島争奪)戦争で日本の立場を理解し、翻意して、「戦争動機は護国」と証言した。戦国時代の朝鮮半島敵国化は、喉元に匕首で、日本国絶体絶命。清露にとっては出稼ぎ戦争だが、日本にとっては死活戦争であった。「閔妃成敗」には、日清露の韓半島争奪戦が根底にあった。先に攻めなければ攻められて亡国の日本、侵略悪被侵略善、平和時の善悪道徳などは、弱肉強食の戦国時代には通用しないのだ。日本が先手をうっていなければ、全く逆の立場となり、日本国は消滅してた。「善悪無用弱者必滅が戦国時代」、ここを踏まえていないと理解不能。

 

登場人物(閔妃事件当時の年令)

王の実父 大院君(王の実父の称号)=李昰応=舅(当時75歳)

王 高宗=李熈=息子(王当時43歳)

 閔妃(びんぴ、みんぴ)=閔茲暎=正妃(当時44歳)「閔妃」とは「閔氏の王妃」の意。死後、大韓帝国が成立すると皇后に追封され、明成皇后(ミョンソンこうごう)。

子 純宗=李坧(当時21歳)(閔妃の一人息子。子供はおらず、閔妃家系は純宗で途絶えた)高宗の次男

 

閔妃成敗顛末

李朝末期は、国家などポイ捨てしての我欲派閥抗争坩堝の李氏朝鮮!

 高宗先王哲宗の時代は、金氏が外戚として政権を掌握し、外戚金氏が59年間も政治を行い、政治は荒れ果てた。金氏打倒勢力が王族から生まれた。その筆頭が、傍系の李昰応(後の大院君)と先々代王憲宗の母、孝明世子嬪の神貞王后趙氏である。

1863年25代先王の死去。当時李王家一族の最年長で、世子(跡継ぎ)が決められていない場合の王位継承の決定権を持っていた神貞王后趙氏は、李応(後の大院君)の次男を、自分と孝明世子の養子にし、12月13日に即位させた。これが高宗である。形式上、高宗は先代の哲宗の叔父になる。

 このとき高宗は年少11歳なので、2年間神貞王后が補佐(垂簾聴政)した後、高宗の父大院君(王の実父の称号)が実権を掌握した。

1866年閔致禄の娘玆暎(後の閔妃)は、大院君の夫人閔氏の推挙で14歳高宗の王妃、閔妃(15歳)となった。金氏打倒の人選だった。

 ところが高宗は、政治と妻に全く関心なく、宮女や妓生達を相手の漁色と酒の放蕩三昧に明け暮れた。

傾国の政治家・閔妃の登場「韓国 堕落の2000年史」 崔基鎬 平成13年 詳伝社

 ――閔妃(明成皇后)は国家の衰亡と国民の困窮を顧みることもなく、自らの一族の繁栄だけを追い求めた傾国の権力者で、清の西太后のような存在だった。

  大院君は自分に従順な娘を、高宗の王后としようと捜していた。大院君は妻の閔氏の実家の紹介で、兄弟も姉妹もいない15歳の閨秀(後の閔妃)のことを知った。閔妃は困窮した家庭の育ちで、8歳で父母と死別していた。しかし、賢かったために、親戚のあいだで評判がよかった。そこで大院君はこの親も兄弟もない閔妃を高宗の姫に決め、王妃として冊封した。閔妃は王妃になって宮中に入ったものの、王妃とは名ばかりの存在だった。高宗は当時、宮女である李氏を愛して同居しており、正妻である閔妃にはまったく関心を示さなかった。だが、閔妃はいっさい、愚痴をこぼすこともなく、よく礼儀作法を守ったから、宮中で称賛された。その間、李氏は高宗の寵愛を独占、男子を出産し、完和君と命名した。祖父である大院君は、大いに喜んだ。閔妃は大院君が満足する姿を見て、不満と嫉妬を爆発させた。そして隠していた爪を、秘かに用いはじめた。天性の政治的手腕を発揮して、大院君に対する謀略をめぐらした。

 大院君は閔妃に対して警戒心をまったくいだいていなかったために、油断していた。閔妃は、そこに乗じた。――

1868年高宗が宮女李尚宮に長男完和君をもうけると、祖父の大院君は喜び、完和君を世継ぎ(王世子)にしようとした。※閔妃との子ではなく側室の子。

1871年閔妃(19歳) 男子出産、男子は数日後死亡。

1873年閔妃(21歳)11月 高宗が成人し親政。大院君失脚(摂政の座を降りる)。大院君は京畿道楊州に隠居させられた。権力闘争は敵対者の暗殺で、熾烈さを極めた。閔氏が政権を握り。大院君派は追放・流刑・処刑等で一掃され、閔氏一族の官吏30数名が高官になる。12月閔妃の宮殿に仕掛けられた爆弾が爆発

 国家など眼中に無い閔妃は、「閔妃一族の栄達」を最優先、大院君排除を国策とした。大院君が生命をかけて撤廃した処世の改革(書院や両班の特権撤廃)を破壊し、復活させた(金熙明『興宣大院君と閔妃』)。無能な高宗は閔妃閔氏のなすがまま、以後閔氏一族による権力政治が始まった。

1874年閔妃(22歳)3月 男子(純宗)出産。長男完和君(大院君派)と世継ぎ争い。11月 閔氏一族の最高実力者で領議政の閔升鎬(閔妃の義兄)宅が爆発。彼とその母子が爆死

1875年8月閔妃(23歳) 李裕元を世子冊封使として清へ。純宗が王世子(世継ぎ)として清に認められる。11月 大院君の兄 李最応の家への放火事件

1876年江華島条約(日朝修好条規)。日本政府はこの条約で朝鮮が清朝の冊封体制から脱却し独立国となることを望んだ(朝鮮の独立を世界で一番早く望んだ)。

1880年側室の李尚宮が急死。その子(高宗の長男)完和君も変死。(閔妃による暗殺説が濃厚

1881年当時の朝鮮は、大院君派と、閔妃派との激しい対立に加え。江華島事件以後、「守旧派(事大党)」と「開化派(独立党)」とに分かれていた。5月閔妃一族が開化派の筆頭となり日本と同じ近代的な軍隊を目指した。日本から、軍事顧問を招き、新式の編成「別技軍」を組織、努力を続けた。

1882年1月 純宗の戴冠式。閔氏一族の娘(後の純明孝皇后閔氏)が妃と決まる。

1882年7月23日壬午(じんご)事変勃発。「守旧派」と大院君の勢力が結託し、閔妃暗殺、閔氏一族・「開化派」勢力の追放をもくろんだ事件。壬午事変によって一時的に大院君は復権するが、閔妃は侍女を囮にして昌徳宮から脱出し、清の袁世凱に介入を要請。清軍が出撃しこれらの勢力を排除し、8月26日大院君は清へ強制連行され天津に幽閉。清国は朝鮮の治安維持目的で、三千の兵を朝鮮国内に駐屯させた。一方、この事変により日本公使館も襲撃され、多くの日本人が殺害された。日本も軍艦を朝鮮半島へ呼び、賠償金の支払いと邦人保護のための軍隊駐留を認めさた(8月30日済物浦条約)。

1884年12月4日甲申事変(クーデター)。壬午事変以後清に事大した閔妃一族は、「開化派」政策から「守旧派」へと方向転換していた。「開化派(独立党)」の狙いは、日本と同じ君主が頂点の近代立憲君主制国家であった。政府首脳(閔氏一族)が事大政策を進む中、「開化派」は国王高宗「一本釣り」を計画。閔氏一族や清に実権を握られ、何一つ思い通りにいかない高宗も快諾した。

 クーデターは実行された。日本側の協力のもと、閔泳翊ら閔氏一族を殺害、開化派が新政府樹立を宣言した。そして、新内閣は国王の稟議を経て、「国王は今後殿下ではなく、皇帝陛下として独立国の君主として振る舞う事」等、14項目の革新政策を発表し、旧弊一新の改革を実現させようとした。

 しかしながら、袁世凱率いる清軍が王宮を守る日本軍に攻め寄りクーデター派は敗退。結局日本軍も撤退し、守旧派が臨時政権を樹立。開化派による新政権はわずか3日で崩壊した。

 首謀者の金玉均らは日本へ亡命し、残った「開化派」、及び亡命者も含めた彼らの家族らもおおむね三親等までの近親者が残忍な方法で処刑された。金玉均の父は死刑、母は自殺、弟は獄死、妻の兪氏と娘は奴婢として売られる(金玉均の妻子は、10年程生死不明で行方知らずとなった後、1894年(明治27年)12月忠清道沃川近傍で当時東学党の乱(甲午農民戦争)を鎮圧中の日本軍が偶然発見し、ようやくその妻と女子は保護されるも、その時の2人は実に憐れむべき姿だったという)。金玉均は日本各地を転々とした後に上海に渡ったが、閔妃の刺客に暗殺される(1894年)。その遺体は朝鮮半島に移送され凌遅刑に処せられ、五体は引き裂かれ朝鮮各地に分割して晒された。

1885(明治18)年4月天津条約が結ばれ、双方とも軍事顧問の派遣中止、軍隊駐留の禁止、止むを得ず朝鮮に派兵する場合の事前通告義務などが取り決められた。

 失望した福澤諭吉は、自身が主宰する天津条約締結前月の3月16日『時事新報』の紙面に、「脱亜論」を発表。

1885(明治18)年露朝密約事件(第一次と1886年の第二次の二つがある)。閔妃派政府が清や日本、イギリスを牽制するため、秘密裏にロシア帝国と交渉を行い、軍事的援助と保護を求めた。日本が清に大院君の帰還を要請する。閔妃側、大院君帰国の通達に難色を示す。10月 3日 大院君が清から帰国。

1892年閔妃による大院君爆殺計画が失敗

1894年5月31日 甲午農民戦争。全琫準率いる東学農民軍が全州を占領。これに驚いた閔氏政権は、清国に援軍を要請。天津条約にもとづき、日本も朝鮮に出兵し、漢城近郊に布陣して清国軍と対峙。

 この状況に慌てた閔氏政権は、農民の提案を基に「全州和約」を作成し締結したといわれるが、和約を結んだとする一次資料はない。この和約で従来の地方政府が復活したが、同時に農民側のお目付け役「執綱所」が設けられ、全羅道に農民権力による自治が確立した。

 反乱が収束し、朝鮮は日清両軍の撤兵を申し入れるが、両国は受け入れずに対峙を続けた。日本は清へ朝鮮の内政改革を共同でおこなうことを提案し、イギリスも調停案を清へ出すが「日本の撤兵が条件」として拒否。

 日本は朝鮮に対して、「自主独立を侵害」する清軍の撤退と清・朝間の条約廃棄(宗主・藩属関係の解消)について3日以内に回答するよう申入れた(朝鮮が清軍を退けられないのであれば、日本が代わって駆逐)との意。これにたいして朝鮮政府は、「改革は自主的に行う・乱が治まったので日清両軍の撤兵を要請」と回答。

7月23日日本は、朝鮮に内政改革を要求したが、受け入れられなかったため、大院君を担いでクーデターを起こして景福宮を占領、閔氏一族の閔泳翊、閔台鎬、閔泳穆、趙寧夏を殺し閔氏政権を追放。開化派を中心とした金弘集政権を誕生させた。

7月27日に改革の中心機関として軍国機務処を設置、下記の改革が進められた。

甲午改革(近代化改革1894年~1895年)。1895年~1896年の乙未改革も甲午改革の一部とし、全体を甲午改革とする場合もある。

1、中国の年号の使用を止め、開国紀年に変更。

2、宮内府と議政府の分離。

3、六曹(吏曹、戸曹、礼曹、兵曹、刑曹、工曹)を八衙門(内務、外務、度支(財務)、軍務、法務、学務、工務、農商務)に再編。

4科挙の廃止。

5、封建的身分制の廃止

6、奴婢の廃止

7、人身売買禁止

8、拷問廃止

9、罪人連座法廃止

10、早婚禁止。

11、寡婦の再婚を許諾

12、財政改革。

13、租税の金納化。

14、通貨の銀本位制。

15、度量衡の統一

1894年(明治27年)7月25日豊島沖海戦。宣戦布告直前に遭遇して起きた、日本艦隊と清国艦隊が朝鮮半島西岸沖の豊島で戦った海戦。日本圧勝。

 金弘集政権は甲午改革(内政改革)進め、日本はこの新政権から牙山の清軍掃討を依頼させることに成功。

1894年7月29日成歓の戦。日本側死傷者88名。清国兵は500名以上の死傷者を出し、武器等を放棄し平壌に逃亡。成歓の敵陣地を制圧。

閔妃成敗は国家存亡戦時下攻防戦、露西亜や清国との朝鮮合体では、日本滅亡!

 戦国時代である。韓半島が敵になれば喉元に匕首。韓半島や罪日の被害者史観や、加藤陽子等の善悪史観で好いとこ盗りの戦わざればなら、本土が戦場の決戦となり、日本国は消滅していた!

1894年8月1日清に宣戦布告、日清戦争。

12月には軍国機務処が廃止され、甲申政変に失敗し日本に亡命中だった朴泳孝が内務大臣となり、引き続き次のような改革が進められた。

1、議政府を内閣とし、近代的な内閣制度を導入。

2、洪範14条の発布。

3、八道を二十三府制に変える地方制度改革。

4、税制制度改革。

5、近代的な警察・軍事制度の確立。

6、司法制度の近代化。

1895年3月30日 日清休戦条約

4月17日 下関条約。清から朝鮮独立

5月 4日 三国干渉受諾した日本を見下した閔妃、親露政策へ転換。政権内部の対立で、金弘集内閣が崩壊。朴泳孝は次の朴定陽内閣でも内務大臣となるが、三国干渉の結果、朝鮮での日本の影響力が弱まり、閔妃を中心に親露派の力が強まった。

7月6日 閔妃、ロシア公使ウェバーとロシア軍の力を借りて政権を奪回。日清戦争直後にロシア軍の力を背景に行った閔妃勢力のクーデターは、大院君開化派勢力日本との対立を決定的にした。

7月10日 閔妃に関する謀議の風説の報告。

8月朴泳孝に閔妃殺害計画謀議の嫌疑。朴泳孝は京城を脱出、また日本に亡命。その後は親露派の内閣が生まれ、改革は停滞することとなった。

9月1日 三浦梧楼、朝鮮国駐箚公使として着任

10月7日 閔妃派政権 訓練隊解散と武装解除通告

10月8日 乙未(いつび)事変閔妃成敗。死体は午前8時30分頃確認され、焼却。甲午改革改革は10月8日に閔妃殺害後、乙未改革に引き継がれる。三浦梧楼赴任38日後のことである。

 兪吉浚(政治家、啓蒙思想家)のアメリカ人牧師モールスに送った手紙に、「大院君が日本公使館に頻繁に出入りして、閔妃殺害を日本に要請したのは大きな間違いだ」との記録が残っている。日本側の記録では、大院君が軍事顧問の岡本柳之助に再三再四密使を送っている最中(p492 日本外交文書デジタルアーカイブ 第28巻第1冊(明治28年/1895年)に、訓練隊は解散で隊長を厳罰詮議と10月6日に漏洩。激昂した訓練隊が大院君を奉じ決起

1895年10月8日午前三時、日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使が景福宮に突入、騒ぎの中で閔妃は斬り殺され、遺体は焼却された。大院君の護衛に日本人が参加することなどについて三浦梧楼は黙認。

 

 王宮に乱入した日本軍守備隊と訓練隊は、侍衛隊(景福宮の警護にあたっていた近衛部隊)と戦闘を繰り広げた。侍衛隊の教官と侍衛隊の教官アメリカ人将軍のウィリアム・ダイとロシア人御用技師サバチンは、事件を直接目撃した。サバチンによる事件についての報告書がロシア科学大学の教授に発見され、米国コロンビア大学において1995年10月6日付でその翻訳が公開されている。イザベラ・バードの「朝鮮紀行」における王妃暗殺事件の描写ソース。

サバチン証言(露西亜人証言なので、日本人主体の証言となっている)。

 「王妃の居住する王宮の一角には、おおよそ20人から25人程度の日本人が詰め掛けていた。彼らは奇妙なガウンを羽織っており、サーベルで武装していた。そのうち何人かはサーベルを鞘から抜いていた。

 …複数の日本人兵士が宮殿のあちこちを捜索し、他の者は女王の居住区域になだれ込み、その場で見つけた女たちに襲い掛かっていた。

 …私は…日本人が王妃の居住区域で物をひっくり返したりしているのを観察し続けた。二人の日本人が女官たちの一人をつかんで建物から引きずり出し、そして彼女を引っ張って階段を駆け下りた…

 また、日本人のうち一人は、私に向かって、英語で『王妃はどこだ? 答えろ!』と繰り返し聞いてきた。…私が謁見の間を通り過ぎたとき、私はその場所が日本人兵士と将校、そして韓国人の高級官僚の協力によって包囲されていることが分かった。

 しかし、その中で何が行われていたのかは、私には知る由も無かった」。2につづく⇒

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真実史観2閔妃成敗は国家存亡戦時下攻防戦朝鮮の露西亜や清国合体では日本滅亡

2閔妃成敗は国家存亡戦時下攻防戦朝鮮の露西亜や清国合体では日本滅亡

 高宗(王)と純宗(閔妃実子)は殺害現場にいたことが記録されている(『機密第36号』、『機密第51号』及び『附属地図』)。 殺害現場にいた純宗は、「乙未事件ニ際シ、現ニ朕ガ目撃セシ国母ノ仇(往電31号)」と禹範善が「国母ノ仇」であることを目撃したと報告。禹範善自身も「禹ハ旧年王妃ヲ弑セシハ自己ナリトノ意ヲ漏セリ(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)」と自らが閔妃を殺害したと自白している。

 『朝鮮旅行記』ロシア人ゲ・デ・チャガイ編集の『1895年-1896年の南朝鮮旅行』章、ロシア参謀本部のカルネイェフ中佐が「1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく大院君がかなりの役割を演じていた」と記述。韓国の独立運動家にして大韓民国臨時政府第2代大統領だった朴恩植も閔妃暗殺犯を興宣大院君だと指摘した

 事件当時、在朝鮮日本公使館一等書記官であった杉村濬は、回顧録『明治廿七八年在韓苦心録』(1904年)で自らが「計画者の中心」であると述べ、閔妃を中心とする親露派を排除するため大院君や訓練隊を利用したクーデターであったと告白している。

 八木信雄(終戦時には全羅南道の知事)は、閔氏政権が訓練隊を解散させようとし、事件前日の10月7日に解散通告をしてきたため、訓練隊の幹部が閔妃勢力との決闘を決意し、閔妃の政敵である大院君の力を借りて事を進めようとしたが、これを知った三浦が岡本を大院君のところへ送り、共にクーデターを決行しようとという密約を結んだと述べている。

 また、事件直後の内田定槌による報告では「今回の事変は全く大院君及三浦公使の計画に基きたるもの」と両者の計画であったしており、これらの報告に沿って、日本国内における裁判では三浦と大院君との密約が事実として述べられている。

 三浦梧楼は事件直後に「何か特約でもあったことか」と明治天皇の言葉を伝えた侍従・米田虎雄に対して、「(大院君は)唯自分の言ひなり次第(作戦は三浦梧楼で殺害動機は大院君)になった訳で、約束も何もない」と答えたと晩年に回想している。

 事件直後の朝鮮裁判では、興宣大院君を事件の首謀者とする朝鮮王朝内の権力闘争としての判決が出ている(韓国官報)が、戦国時代である。韓半島が敵になるのを看過すれば、日本の喉元に匕首。日清戦争後の日本とロシア帝国の覇権争いの中、朝鮮王室内部のクーデター興宣大院君や朝鮮の訓練隊に助成し、ロシアと朝鮮合体を断ったと見るのが常識。日本政府が直接関与ではなく、千載一遇のチャンス覇権争いに便乗、「戦国の常識」に基づいて成敗が、正論。

 事件発生時、京城領事館一等領事であった内田定槌は外務次官の原敬宛に事件関連の私信8通を送っており、閔妃を殺害したのが朝鮮人守備隊の陸軍少尉であること(10月8日付)、「若し之を隠蔽せざるときは、我国の為め由々敷大事件と相成」と報告(10月11日付)。

 

石塚英蔵書簡石塚英蔵現場目撃ではなく、朝鮮人伝聞による現場説明(原文カタカナ交じり)。

(「国会図書館 憲政資料室蔵 伊藤伯爵家文書   末松法制局長官宛 石塚英蔵書簡」)

敬啓 其後は益御清福■為入奉恐賀候。

 扨、当地昨朝之出来事は既に大要御承知済之御事と奉察上候。

 王妃排除之儀は、若し時機の許すあらば、之を決行したしとは、不言不語之間に、誰人も抱蔵したる考に可有之候得共、若し一歩を過らば、忽ち外国之関係を惹き起し、永遠に国に占むる日本之地歩を亡失するは必然之儀なれば、深く軽率を戒しむべきは、今更申し越す迄も無之儀に御座候。

 今回之事、小生共最初より少しも計画に与からず、却而、薄々其計画を朝鮮人より伝聞致候程に有之。段々聞知する所に依るに、局外者にして其謀議に参与し、甚しきは弥次馬連が兵隊之先鋒たりし事実に有之候。

朝鮮人より伝聞で、石塚英蔵の目撃報告ではない。

 而して其方法は軽率千万、殆んど児戯に類するなきやと思わるゝも無之にあらず。幸に、其最も忌わしき事項は、外国人は勿論、朝鮮人にも不相知候様子に候。

 現公使に対しては聊不徳義之嫌有之候得共、一応事実之大要御報告仕るは、職務上之責任と相考候間、左に簡単に申陳候。

 一 発端

 王妃排除の必要は、三浦公使も夙に深く感ぜられたるものゝ如し。而て其今日に之を決行したる所以は、「危急の場合に露の援兵を請うべきの約束」半に「訓練隊解散の計画」を、宮内府に於て為したるに由るものゝ如し

  [即ち訓練隊を利用したるなり

 二 名義

 訓練隊解散、兵器没収の内議を聞くや、已むを得ず大院君を要し、大内に哀訴せんとして、侍衛隊に衝突を来したり。王城前に在る守備兵は之を鎮静せんが為、四門の警備に従事したりと云うに在り。

 三 謀議者

 推察するに、岡本は主唱者たるの如し。大院君の入闕を斡旋したるは、正しく同人なり。外に柴、楠瀬、杉村は密議に参与したりと云う。其他は少しも関知せず。守備隊長馬屋原の如きは、命令的に実行の任に充られたるが如し。

 四 実行者

 此荒仕事之実行者は、訓練隊の外、守備兵の後援あり[後援は或は当らざるが如し]。

 尚お守備兵の外に、日本人二十名弱あり。熊本人多数を占む[漢城新報社連]。中に新聞記者数名、又医師、商人もあり。隨て洋装和装相混ぜり。

 岡本は大院君と同時入城し実行の任に当れり。

 守備隊の将校兵卒は四門警衛に止まらず門内に侵入せり。

 殊に野次馬連は深く内部に入込み、王妃を引き出し、二三ヶ処刃傷に及び、且つ裸体とし、局部検査[可笑又可怒]を為し、最後に油を注ぎ焼失せる等、誠に之を筆にするに忍びざるなり。其他宮内大臣は頗る惨酷なる方法を以て殺害したりと云う

 右は士官も手伝えたれ共、主として兵士外日本人の所為に係るものゝ如し。

 大凡三時間余を費して、右の荒仕事を了したる後、右日本人は短銃又は劔を手にし、徐々として光化門[王城正門]を出で、群集の中を通り抜けたり。

 時已に八時過にて、王城前の広小路は人を以て充塞せり。

 五 外国使臣

 米露両公使は、宮闕内に於ても大院君及三浦公使に向て、頻りに質問し、尚お同日午後は、各国使臣相続て日本公使館に来り、一々証を挙て難問し、夜に入て各々帰館したり。三浦公使弁解頗る力む。結局双方水懸論なれ共、当方は余程の痛みを感ずる廉なきにあらず。折悪しく或米人現場を目撃し居りたりと云へば、普通一般之朝鮮人之証言之如く、一概に抹殺し去るを得ざるべく、乍去、三浦公使の弁解も亦頗る上出来なるが如し。[公使之談話に依れば]又、大院君始め各大臣は、堅く約して日本に不利ならざるの返答を為し居れり。然れ共、遂に国際問題たるを兔れざるべし。

 六 影響

 仮りに、当地に於ける外国使臣間之談話にて要領を得て国際問題とならざるも、夫の遼東問題には必ず影響を与うるに至るべし。

 尤も公使は、困難なる場合には兔官せられ不苦と被申候得共、公使之辞任、豈能く国際紛議を解かん。

 要するに王妃が従来改革之妨害たる事は、小生共之夙夜憤慨に堪えず打過候事なれば、此断然なる処分を喜ぶと同時に、其方法の宜しきを得ざりしを深く惜まざるを不得と存候。

 公使は右の野次馬連中に対しては、表面上夫々処分を施さるゝ事ならん。乍去、諸外国之困難を排除し得べきや、否疑なき能はず。

 勿論此る荒仕事之事なれば、多少「ボロ」を現わすは兔れざる所なりと雖、今回之事、余り「ボロ」多からざるか。

 右は前記に申陳候如く、三浦公使に対しては甚不信実之至には候得共、職務上之義務に馳られ、不得已御報道申上る次第に御座候。右何卒篤く。

      十月九日 英蔵

 末松

 

10月10日 「大院君の提言」で、閔妃身分を剥奪され平民となる(高宗実録)。

10月11日 王太子の上訴で廃庶人閔氏に嬪「妃(ひ)・夫人(ぶにん)の下位・ひん」を与える。

10月17日 三浦公使、解任・召還。(18日)→朝鮮国駐箚小村寿太郎弁理公使

10月19日 朝鮮の閔妃殺害裁判では、「王妃殺害を今回計画したのは、私です(朝鮮での裁判。裁判に関しては官報に記載あり)」と証言した李周会(前軍部協辨=次官)、尹錫禹(親衛隊副尉)、朴鉄(日本公使館通訳)及び彼らの一族を処刑。李周会の妻子は田舎に身を隠す。

11月26日 小村壽太郎の助言で閔妃を平民とした詔勅が取り消される。再び王后閔氏に。同日、興宣大院君と高宗の亀裂は決定的となり、興宣大院君失脚。趙羲淵、李周會、権濚鎮は免官。

11月28日 春生門事件(しゅんせいもんじけん)。前述のウィリアム・ダイとアメリカ兵、ロシア代理公使ヴェーベルも関与し、朝鮮親露派の李範晋・元農商工部大臣が金弘集首相暗殺を企てたカウンタークーデター。守備隊の説得等で高宗を奪い、詔命を得る目的は達成できなかった。この事件は翌年の露館播遷へとつながっていく。

12月3日 この日はじめて閔妃の崩御が公表される。(閔妃を平民とする詔勅や王后に復活させる詔勅時、閔妃の死亡は公表されていなかった)

12月12日 三浦梧楼以下48名、広島地方裁判所にて予審開始。(一部軍法会議)

1896年

1月20日 三浦梧楼以下48名、証拠不十分で免訴される。(広島地方裁判所)

 日本国内における裁判にあたっては、事件は朝鮮政府内部のもので大院君を首謀としたい朝鮮政府(金宏集政権)の意向(大院君が不忠の輩を成敗)が日本へ伝えられていた。

2月 ロシア軍が王宮へ突入。高宗と世子、ロシア公使館へうつる。(露館播遷)

 高宗は露館播遷後に事件の再調査を実施し、事件が日本人士官の指揮で、日本人壮士らが閔妃が殺害したこと、「朝鮮人の逆賊」が日本人を補助していたことなどとし、ソウルで発行されていた英文雑誌に掲載した。高宗は1906年、韓国統監代理・長谷川好道を謁見した際に「我臣僚中不逞の徒(私の部下の中に犯人が居た)」と述べている(1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))。特赦された趙羲淵(当時軍部大臣)、李斗鎬(訓錬隊第一大隊長)、禹範善(訓錬隊第二大隊長)、李範来(訓錬隊副隊長)、李軫鎬(親衛第二大隊長)、権濚鎭(当時警務使)の6名を「王妃を殺害した張本人である」として、勅命で処刑を命じている。

 閔妃殺害直接起因が「訓練隊は解散で隊長を厳罰詮議と10月6日に漏洩、激昂した訓練隊が大院君を奉じ決起」であることは、勅命処刑者直前の「勤務先」を見れば、一目瞭然であろう。

5月11日 朝鮮国ニ渡航禁止ノ件

1897年 大韓帝国成立

閔妃 明成皇后の諡号を受ける。

1898年

2月22日興宣大院君死去。略式の葬儀で、高宗は父親の葬儀に参列しなかった。

8月11日皇太子毒コーヒー(毒茶)事件。夜10時頃、高宗、皇太子(後の純宗)と3人の大臣ら十数人の高官らが同席した時、出されたコーヒーを高宗は、味の異変のため一口だけ含んだが飲まなかった。皇太子が飲み、一時人事不省に陥った。高官らは飲まず、同じコーヒーを飲んだ内侍7名、女官3名、別入侍1名にも中毒症状が見られた。

 閣監庁(大膳部)の庖厨14名を拘束し取調べに及んだ。取調べの結果、免職になっていた金鍾和という者が浮かび上がり、金鍾和は前典膳司主事孔昌徳より1,000元の報酬を受ける約束で毒物を混入したと自白。孔昌徳は金鴻陸から協弁職を受ける約束で毒茶により高宗を殺害するよう依頼されたと自白した。孔昌徳と金鍾和とその妻の3名が逮捕され、その他の庖厨は全て監獄署に移された。1898年10月10日朝、外2名と共に紋​罪に​処​せ​られ​その死​体​は鍾路に曝された。

1903(明治36年)年

11月24日 禹範善が、「王妃を殺害した極悪無道の者」への復讐で、高永根と魯允明により広島県呉市で暗殺された。享年52。

1904年2月8日日露戦争

1905年9月 日露戦争終結

1907年2月4日、広島控訴院で高永根は無期、魯允明は12年の刑が言い渡された。同年に統監府は趙羲淵以下六名を特赦することを決定したが、その際、純宗は「閔妃殺害の犯人である禹を殺した高永根を特赦すれば、乙未事件はここで始めて解決し、両国間数年の疑団も氷解する」として高永根も特赦するよう要求している。高永根は減刑され、1909年、5年間の刑期を終えて帰国した。その後は高宗から御手元金などを下賜されていた。

1907年7月20日、高宗がハーグ密使事件により李完用らに迫られて譲位したため、ただちに即位した。純宗には子がないため、皇太子には異母弟英親王(李垠)が冊立された。

1910年8月22日、日韓併合条約を調印。李完用総理は、一進会などの親日派勢力の後押しを受けて日本政府との間で韓国併合の話を進めた。

※現代における李完用の名は、親日派(チンイルパ)売国奴の代名詞となっている。韓国において2005年、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法が公布され、李完用を含む親日派9人の子孫から土地を没収し、韓国政府に帰属させる決定を下した。

 単独独立(アジアでは日本のみ)など、当時では夢のまた夢。当時の世界の現実を踏まえた愛国者李完用が、現実の常識に基づいた選択であったといえる。1926年肺炎により死去。その葬儀は国葬でも無いのに、葬列が数キロに達したという。当時の大多数の国民は、愛国者李完用の心中を察していたということである。朝鮮愚民子孫よ、好いとこ盗りは、現実界には通用しないのだ!

8月29日に両国皇帝の裁可をもって条約は発効し、大韓帝国は滅亡、日本の朝鮮総督府の統治下に入った。

1919年

1月21日 高宗崩御。三・一運動

閔妃、京畿道南楊州市 金谷洞の洪陵に高宗と合葬される。

1926年4月25日大韓帝国(朝鮮王朝)消滅後の純宗は、王族として李王に封じられていたが、52歳で逝去した。閔妃家系は途絶えた。

 

閔妃の浪費

『韓国 堕落の2000年史』崔基鎬(Che keiho)著加耶大学客員教授より抜粋

 閔妃は王子拓を世子として冊封するために莫大な資金を費やした。そのうえ、閔妃は世子の健康と王室の安寧を祈るために、「巫堂ノリ」を毎日行なわせた。「巫堂ノリ」は巫女(シャーマン)たちが狂ったように踊り、祈る呪術である。そのかたわら、金剛山の1万2000の峰ごとに、一峰あたり1000両の現金と、1石の米と1疋の織物を寄進した。つまり、合計して1200万両の現金と、1万2000石の白米、織物1万2000疋を布施した。当時の国家の財政状態は、150万両、米20万石、織布2000疋を備蓄していたにすぎなかったから、閔妃が金剛山に供養した額は、国庫の6倍以上に当たるもので、とうてい耐えうるものでなかった。これは法外な浪費だった。宮廷の要路(重職)の顕官たちは、民衆から搾取して、競って閔妃に賄賂を贈り、王妃に媚びて「巫堂ノリ」に積極的に参加し、巫女たちとともに踊った。閔妃は、狂気の宮廷に君臨する女王だった。また、閔妃は音楽を好んだので、毎夜、俳優や歌手を宮中に招いて演奏させ、歌わせた。そして自分も歌った。俳優や歌手たちに惜しみなく金銭を撒いて、遊興した。――

 日本のおろかな女性作家が、閔妃に同情的な本(角田房子著「閔妃暗殺」)を書いたことがあるが、閔妃は義父に背恩したうえに、民衆を塗炭の苦しみにあわせ、国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。このような韓国史に対する無知が、かえって日韓関係を歪めてきたことを知るべきである。

閔妃の実像

 ジョージ・トランブル・ラッド博士米国の朝鮮専門家。「頭は良かったが朝鮮の玉座にとって恥となるほど最も残酷な人物であり、何年も国王の父である大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきた」。

 崔基鎬は自著『韓国 堕落の2000年史』において、閔妃は自身の権力欲のみで庶民の生活を思いやることは無く、恩人であった大院君を追放し、清国の袁世凱をそそのかして逮捕されたり、ある時は日本に擦り寄り、ある時は清国に接近し、清国を捨てると今度はロシアと結んだりと、智謀家ではあったが、倫理が無く、『背恩忘徳(恩に背く裏切りをする行為)の生涯』だったとしている。

 朴垠鳳は『わかりやすい朝鮮社会の歴史』で、門戸開放した朝鮮は西洋の先進文物を取り入れ、富国強兵と産業振興を目指すと同時に、古くなった封建制度を捨て去って新たな秩序を打ち立てなければならなかったが、閔妃とその一族は、この内どれも満足にできず、その結果として、どの勢力からも支持を得られなかった。開化反対を叫び壬午軍乱に参加した群衆は、閔妃を攻撃の的とし、また甲申政変を起こした開化派も東学農民軍もすべて閔妃とその一族の打倒を叫んだ。誰からも支持を得られなかった閔妃は、外国勢力に頼り、自身の権力欲のために清を引き入れ、朝鮮を日清戦争の地としたのは閔妃である。

『朝鮮紀行』英国人女性旅行家のイザベラ・バード(結婚後ビショップ)抜粋

 閔妃が暗殺されたその同じ1895年に、彼女は4度も国王夫妻に招かれ会っている。文中の「皇太子」は当時21歳の純宗。

 ――王妃は毎日が闘いの日々を送っていた。魅力と鋭い洞察力と知恵の全てを動員して、権力を得るべく、夫と息子の尊厳と安全を守るべく、大院君を失墜させるべく闘っていた。――王妃はまた、側室の息子が王位継承者に選ばれるのではないかと日々不安にさらされていた。頻繁に呪術師を呼んだり、仏教寺院への寄付を増やし続けたりといった王妃の節操を欠く行為は、その不安に起因するものだったろう。 謁見中の大部分を母と息子は手を取り合って座っていた。

日清日露戦時下における戦争の一部分が閔妃成敗

 事件きっかけは訓練隊の解散。朝鮮大院君とその忠臣、李周会(前軍部協辨=次官)、尹錫禹(親衛隊副尉)、朴鉄(日本公使館通訳)、趙羲淵(当時軍部大臣)、李斗鎬(訓錬隊第一大隊長)、禹範善(訓錬隊第二大隊長)、李範来(訓錬隊副隊長)、李軫鎬(親衛第二大隊長)、権濚鎭(当時警務使)は、不忠の輩を成敗した。

 三浦梧楼以下48名の日本憂国の壮士は、この「不忠の臣成敗」に、露西亜朝鮮合体阻止目的で便乗した。利害が一致した韓日合同作戦であったと言える。

 日清日露戦争いずれもが、大院君と閔妃の争いがきっかけとなっている。正体は日清日露戦時下の小競り合い戦争で、司法介入の余地など全くないのだが、日本が強権発動せず譲歩し、日朝共に建前とし司法の手続を踏み、終結した。禹範善殺害犯高永根減刑、趙羲淵以下六名特赦等が証拠である。

 これだけの証拠があっても、臆面もなく朝鮮御得意の、反省皆無の一方的つまみ食い非難だが、難癖以外のなにものでもない!3につづく⇒

真実史観3敵は日本にあり甲斐利雄銭生捏造屋鄭秀雄チョンスウンとスパイ工作

3敵は日本にあり甲斐利雄銭生捏造屋鄭秀雄チョンスウンとスパイ工作

私欲国賊閔妃(明成皇后)亡国奴を捏造する韓国と捏造加担の日本丸暗記銭生

「日本側実行犯」壮士の子孫、スパイと亡国奴に仕組まれ土下座

捏造経緯

ドラマや小説での捏造

1982年推理小説「ポンパドール伯爵夫人殺人事件・閔妃殺人事件」檜山良昭 中央公論社の日本軍将校(日本で三浦とともに裁判にかけられて無罪となる)の一太刀が直接の死因。

※この見てきたような嘘から始まった

1988年「閔妃暗殺-朝鮮王朝末期の国母-」 新潮社 (1988/01)角田房子(1914~ 2010)第一回新潮学芸賞(出版社の賞は内容の良し悪しではなく販促目的

 時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類いまれなる才智を以て君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。この閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。本書は、国際関係史上例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの「根源的事件」の真相を掘り起こした問題作である。

あとがき

 「両国関係の歴史を学ぶ間に私は何度か、『日本はこんなひどいことをしていたのか』という驚きにうたれた」。

※弱肉強食戦時下の認識皆無なので、「両国関係の歴史を学ぶ」!日本亡国(露朝合体)の敵因子(閔妃)を成敗したのに、『日本はこんなひどいことをしていたのか』とは、この作家は朝鮮人か?露朝合体では日本消滅!閔妃事件は日本の死活を懸けた戦争だったのだ!

 角田房子が、「檜山推理」を基に国賊・閔妃を逆転させ、「悲劇の王妃」に仕立てた空想小説なのに、閔妃写真も内容も、ノンフィクションのように捏造したので、角田房子捏造「問題作」となった。ちなみに韓国人の捏造教育やドラマや中央日報等は、角田房子のこの夢物語がソース。

韓国の捏造

1996年6月「外交文書で語る 日韓併合」金膺龍(合同出版)

第3章 閔王妃殺害事件 3 遺体の陵辱と処置 

 石塚英蔵は内務省法制局参事官のまま、朝鮮の内部顧問(日本の内務省相当)に送り込まれた人物である。石塚は次の法制局長宛の報告書の中で、王妃殺害を日本の誰もが考えていたと、報告書の冒頭に書いている。王妃殺害の必要は三浦も早くから感じていたといい、日本の守備隊が主力であったこと、王妃の殺害と遺体の陵辱の状況を仔細に書いている」としているが、石塚英蔵動機と首謀者記載の下記は削除し引用、首謀者は三浦公使である)と加筆し明白に隠蔽捏造を白状している。

 「訓練隊解散、兵器没収の内議を聞くや、已むを得ず大院君を要し、大内に哀訴せんとして、侍衛隊に衝突を来したり。王城前に在る守備兵は之を鎮静せんが為、四門の警備に従事したりと云うに在り」。

2001年~2002年「明成皇后(閔妃)」韓国放送公社(KBS)連続ドラマ。このドラマで国賊・閔妃が『悲劇の王妃』と捏造された。 

2001年「皇太子拉致事件韓国人金辰明著。「日本の浪人が明成皇后の死体を屍姦し、死体を焼いて証拠隠滅した」等詳細が記載された資料「秘密外交文書電報435号」や、小説家角田房子(参考文献)から示された石塚英蔵報告書を根拠とする、実話であると捏造。「電報第 435 号(極秘扱)」は「中山書記官より広田外務大臣宛電報(昭和8年10月14日、『日本外交文書』昭和期II、第1部第2巻、69 頁)」であり、小説に出てくる記述はない(韓国人の日本偽史(野平俊水)小学館)。

検証石塚英蔵報告書(原文カタカナ交じり文)

 原文は、「今回之事、小生共最初より少しも計画に与からず、却而、薄々其計画を朝鮮人より伝聞致候程に有之。段々聞知する所に依るに」なので、この記録は、目撃者ではなく、朝鮮人よりの聞き書き。全文は前掲参照。

 「王妃を引き出し二三ヶ処刃傷に及ひ(及び)且つ裸体とし局部検査(可笑又可怒)を為し最後に油を注き焼失せる等誠に之を筆にするに忍ひさるなり其他宮内大臣は頗る残酷なる方法を以て殺害したりと云ふ右は士官も手伝へたり共主として兵士外日本人の所為に係るものの如し」(国会図書館 憲政資料室蔵 伊藤伯爵家文書 末松法制局長官宛 石塚英蔵書簡)全文は前掲参照。

局部検査(可笑又可怒)を為し」とあるのみで、「強姦・死姦」の記述「皆無」。

局部=全体のうちのある部分。陰部。二つの意

可笑又可怒(漢文)=ばかばかしいと怒り(日本語訳)。日本統治前の朝鮮は、漢文が公用語でハングル無し。本文は聞き書きなので、聞いた漢文をそのまま書いた。すなわち、「可笑又可怒」は朝鮮人で、「局部検査」は朝鮮人を指示する。

○○()の括弧内は、○○の補足説明。

「局部検査(可笑又可怒)を為し」訳文は、「朝鮮人は、ばかばかしいと怒り(可笑又可怒)ながら二三ヶ処刃傷(局部)を検査(致命傷か否か)し」となる。

 露西亜は出稼ぎ戦争だが、日本にとっては死活戦争。資源無き小国日本にとって、韓半島敵国化(露朝合体)は亡国。先に殺さなければ殺される戦時下なので、善悪など皆無の、緊迫した時代であったことを認識しないと、理解は出来得ない。

志士四十八名は韓半島の露西亜属国化で、日本ノド元に匕首を救った英雄

 事件関係者四十八名を広島裁判所につなぎ審問。その結果、事件発生から89日目の翌年1月20日、「証拠不十分につき全員放免(無罪)」にしました。一同は東京新橋駅で、佐々友房や貴衆両院議員他、数百名の歓迎をうけました。(東京日日新聞)

閔妃写真の捏造の顛末

 2003年、閔妃肖像写真は朝鮮王宮の女官で、間違いであることが佛教大学三谷憲正の検証で証明された。

佛教大学三谷憲正の検証

 日韓併合以前の資料の写真説明は「正装の韓国夫人」「宮中の侍女」「女官」であり、「閔妃」。は一つもない。

 戦後になっても『別冊1億人の昭和史 日本植民地史①朝鮮』(毎日新聞社 1978年7月)の110頁では「王朝時代の官女の正装」、『目でみる李朝時代』(国書刊行会 1986年3月)の183頁では「宮中の女官の正装」と日韓併合以前の資料と同じ説明が正確に記されている。

 この写真を閔妃と間違えた最古例は、日本の日本近代史研究会『写真・図説 総合日本史』第11巻―近代Ⅱ(1955年11月 国文社)。

韓国の捏造と角田房子の嘘の上塗り

 1976年韓国では1976年に刊行された姜相圭『韓国写真史』が、この写真を初めて閔妃として掲げ、次のように記載した。

 「明成皇后 閔妃(図14)は早くから外戚としての精神を起こして、大院君に反旗を翻し、高宗に親政を宣布させ、大院君系列の人々を粛正しながら、日本と外交関係を結んだ。1892年甲午更張が始まるとロシアに接近し、日本の勢力の追放を計った。1895年10月8日(陰暦8月20日)は閔妃の政変の日であり、安達謙、岡本柳之助が引率した幽徒隊が、閔妃の人物写真を皇室専属写真師から入手して、実際の顔と対照し、確認した後、殺害したのであり、このときの皇室嘱託写真師は日本人の村上天真である」。

 1987年には辛基秀が『映像が語る「日韓併合」史』において、この写真を「閔妃(1851-1895年)国王高宗の皇后」載せ、次のように記載した。

「ソウルの日本軍守備隊や公使館員らは、1895年10月の夜、王宮に侵入、婦人3名を殺害、閔妃をはづかしめ、松林で焼きはらった。この前代未聞の暴虐の行為で、日本のカメラマンの果たした役割を看過できない。

日本政府は、すでに皇室の嘱託写真師として村上天真をおくりこみ閔妃や王宮関係者の写真を撮り、日本軍守備隊に手渡し、写真をもとに閔妃の容姿を記憶したのであった。王宮の多くの官女の中、閔妃とおぼしき女性を的確に捕らえたのは、まさに写真によってである(「韓国写真史」姜相圭 螢雪出版社参照)」。

※韓国が便乗し、見てきたように捏造した。

角田房子の嘘の上塗り捏造

 1988年、角田房子は自著『閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母』において、その表紙カバーと口絵に写真を載せ、「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」と捏造、閔妃とし断定した。

 「私が読んだ日本側の閔妃暗殺現場の資料はすべて、『誰も閔妃の顔を知らなかった』という前提で書かれている。だが辛基秀(大阪在住)が著した『映像が語る日韓併合史』(1987年、労働経済社)には『日本政府は、すでに王室の嘱託写真師として村上天真をおくりこみ、閔妃や王宮関係者の写真を撮り、日本軍守備隊に手渡し、写真をもとに閔妃の容姿を記憶させたのであった。王宮の多くの官女のうち、閔妃とおぼしき女性を的確に捕えたのは、まさに写真によってである』。(『韓国写真史』姜相圭、蛍雪出版社参照)」

 そして、「閔妃の写真は数枚あったはずだが、日本側がほとんど破棄したために、この一枚しか残っていないと考えられる」と、角田房子は嘘の上塗りをした。

 三谷憲正の検証後、韓国でも写真に疑義。2001年7月7日付け東亜日報、この写真真偽問題に関連して「当時“写真を撮らせると、魂が抜ける”と認識 カメラ忌避」と、当時の人間が写真を避けることが説明された。

※1882年壬午事変で閔妃は、侍女を囮にして助かった。絶えず命を狙われているので、写真を避けたのは確かであろう

 2004年8月12日付け朝鮮日報「1909年(閔妃殺害から14年後)馬山郵便局消印ハガキ発見」として、角田房子と韓国が力説の、閔妃写真と同じ写真が提示された。下部に「韓国宮中の老女」という日本語と共に、英語で「’An Old Waman in the Corean Court」と併記されている。「宮中服飾の朝鮮女性」のこの写真は、これまで書籍印刷では残っているが、はがき印刷では、これが初めてである。

※絶えず命を狙われている閔妃が、ハガキに印刷写真と同一であることは有り得ない。閔妃写真に非ずは、明白である

2006年閔妃写真(弑害された王妃と記載)発見公開

 2006年7月25日閔妃と推定される写真を、イギリス人テリーベネット(56)が公開した。ベネットが3年前、ロンドンの古本屋で入手したドイツ人写真家写真帖の中の4枚(高宗と純宗1枚、'Die Ermodete Konigin・弑害された王妃と記された推定閔妃1枚、大院君2枚の写真)。「韓国宮中の老女」と推定閔妃の写真4枚
 

戦国時代に対処不能の「窮鳥」身分をわきまえず、謝罪要求する韓国馬鹿子孫

 韓国人捏造屋チョン・スウン(鄭秀雄)にハニーマネートラップを仕組まれ日本を売った亡国奴共

捏造屋の捏造工作活動を「チョン・スウンの‘作品’=捏造」と自白した新聞

東亜日報2005-05-11記事の修正2009-10-01 21:36:50
 明成皇后殺人犯の後孫達の謝罪訪韓は、フリーランサーのドキュメンタリーPDチョン・スウン(鄭秀雄・62・写真)ドキュソウル代表の執念が作り出した‘作品’である。

 チョン氏は今年8月頃にSBSと日本NHKで放映される2部作ドキュメンタリー‘明成皇后弑害事件,その後孫達 110年ぶりの謝罪’の製作の為に、去る1年間、日本の熊本にだけでも13回も行き来した。

 その過程で彼は甲斐利雄(76)氏等の良心的退職教師達を知るようになり,‘明成皇后を考える会’を組織して弑害犯の外孫子の河野龍巳氏の訪韓を成功させた。

 “河野氏は始めは韓国の人間だと言ったら、とても警戒したのです。それで河野氏の病院の患者まで動員して接触を継続した結果、彼を説得することができたのです。”

 彼は“ドキュメンタリー‘東アジア 激動20世紀’の製作を構想しながら明成皇后弑害事件に関心を持つようになった”とし、“日本の知識人達が主軸となった、いわゆる浪人達が隣家国の皇后を殺害した前代未聞の事件を糾明しなくては、到底その時代をまともに眺める事はできない”と言った。

 チョン氏は “弑害事件の主犯である三浦梧樓(1846〜1926) 当時の日本公使の後孫も捜し出して謝罪訪韓を成功させる”と言った。

2004年、ドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』チョン・スウンが、制作開始

 「明成皇后を考える会」は、2004年に熊本出身の元教師20人によって結成された組織で、日本側実行犯の後裔を捜し出して関連記録を調査、殺害事件の真相究明をしている会であるという(2005年5月9日 朝鮮日報)。

真の日韓友好はここから(上)甲斐利雄(明成皇后を考える会)
 「明成皇后を考える会」発足に大きな刺激を与えた韓国人ドキュメンタリスト・鄭秀雄(チョンスーウン)さんが、東京の国会図書館に埋もれていた政治家の書簡コピーを百数十枚持ち込んできました。熊大の小松教授が解訳、鄭さんが感じ取っていたのとほぼ同様でした。

 三浦首謀説へ誘導せんとする言説を流布した元老権力者達が、裏では三浦に「閔妃殺害」を教唆していたのではあるまいか。鄭さんの真実を追究する活躍は続けられています。

※日清日露戦争の戦時下なのに、平時の出来事のように洗脳している。

「なぜ?どうして?」常識回路無き一知半解馬鹿銭生鵜呑みで鄭秀雄の手下となる

 歴史研究会とは名ばかりで、実態は、「研究」など皆無、韓国鄭秀雄(チョンスーウン)、NHK、TV朝日等迎合鵜呑みの、「大人コドモ会」である。

 2004年夏頃から熊本県の元中学校英語教師甲斐利雄が「閔妃暗殺」について資料を集めだし、教師仲間と閔妃事件を考える歴史研究会を作った。丸鵜呑みのくせに嬉々として語る甲斐利雄等馬鹿銭生には、腹が立つ!閔妃暗殺事件:114年目の氷解(2)
※鄭秀雄(チョンスーウン)、NHK、TV朝日の捏造話に、元公務員年金生活銭生閑人甲斐利雄が、飛び付いて便乗した。閑人銭生仲間を集めての歴史研究会名目の「鵜呑みコドモ会」が推察出来る。捏造韓国に、謝罪屋日本人銭生上げ膳据え膳で大歓迎されたであろうことは言うまでも無い。検証能力皆無丸暗記能力しかないので、研究会とは名ばかりの、韓国捏造歴史鵜呑み会となり、韓国スパイの手下となった。

 韓国捏造助長の馬鹿銭生どもである。捏造歴史で洗脳され、屈辱謝罪の壮士子孫は、整合回路無き一知半解馬鹿銭生が起因だ!

敵は日本にあり!馬鹿銭生(丸呑みHDD)のスパイ工作

2004年12月TV朝日取材

2005年2月元銭生等閔妃墓墓参に子孫同行を誘う

2005年5月元銭生等と軽薄子孫河野龍巳(外孫)と家入恵子(孫嫁)は墓参参加。善良なのは解るが、余りにも身勝手軽率な行動(日本国や天皇や同胞先人への冒涜)で、子孫の非難は当然まぬがれ得ない! 

2005年5月10日まんまと罠に嵌め得意満面でほくそえむ記事だが、なんと謝罪相手は閔妃子孫に非ず!閔妃殺害首班大院君子孫!!!!

閔妃の実子(一人っ子)「純宗」には子が無く、異母弟「李垠」が継いだので、閔妃の血縁は途絶えた。記事の李忠吉(イ・チュンギル・67)は、高宗と側室の張氏との間に生まれた義親王(15男9女)の9男で、閔妃殺害首班大院君のひ孫

かん国に媚びる日本人:明成皇后を考える会 甲斐利雄閔妃殺害事件の関係者の子孫を探し出してかん国で土下座させる
朝鮮日報[韓国]2005/05/09(月)

明成皇后殺害犯の後裔らが謝罪訪問

 明成皇后殺人犯の後裔らが事件から110年目にして謝罪の意を伝えるため9日、訪韓した。

 1896年の深夜、景福宮(キョンボックン)で明成皇后を殺害した日本の浪人、国友重章の孫、河野龍巳さんと家入嘉吉の孫の妻、家入恵子さんが「明成皇后を考える会」の会員と共にこの日、韓国へ来た。

 熊本出身の国友は事件当時、同行した先輩にあたる安逹謙蔵・漢城新報社長の下で主筆を務め、日本の浪人らを率いて景福宮に乱入、家入はこの時参加した熊本出身の浪人だ。

 二人は10日午前、明成皇后と高宗が合葬された南揚州(ナムヤンジュ)市・?谷(クムゴク)洞の洪陵を訪れ、午後には京畿(キョンギ)道・驪州(ヨジュ)の明成皇后の生家を訪問する。翌日には110年前に事件現場となった景福宮の玉壷楼(復元工事中)を訪れた後、12日に帰国する予定だ。

 後裔を捜し出して関連記録を調査、殺害事件の真相究明を率先して行っている。明成皇后殺害事件に対する反省から出発してこそ韓日が真の友好を築く新たな時代を切り拓くことが出来るという主旨からだ。

※「真相究明」ではなく、捏造工作で、朝鮮人の「友好」は「真の友好(互恵)」ではなく、「恫喝し金よこせと一方的なもの」。朝鮮人の「友好」=「あやまれ銭くれ」

 河野さんは韓国に向かう直前の9日午前、祖父の墓を訪ね、今回の韓国訪問を報告した。内科医の河野さんは熊本出身の細川元首相の後援者として知られている。

 国友は三浦公使ら明成皇后殺人犯55人と共に裁判に回付されたが、1896年の広島法廷で証拠不十分によって全員釈放された。国友はその後、大阪朝日新聞の主筆に推薦されたが、明成皇后殺害事件への関与が問題となり取り消され、1909年に病死した。

 今回の訪韓を取り持ったのはフリージャーナリスのチョン・スウン。昨年から明成皇后殺人犯の後裔を追跡してきたチョン・スウン氏は「明成皇后殺人犯の後裔による謝罪を通じて110年間のしこりが残った韓日関係のわだかまりを解く糸口を見付けるようになった」と語った。チョン・スウン氏によるドキュメンタリー番組は8月にSBSテレビを通じて放送される予定だ。キム・ギチョル記者4につづく

真実史観4露朝合体阻止日本救国の刀に難癖の癌国狼少年朝鮮人の愚行米でも拡大

4露朝合体阻止日本救国の刀に難癖の狼少年朝鮮人の愚行米でも拡大

朝鮮日報 2005/05/10 20:00

明成皇后の孫と殺害犯の子孫「110年ぶりの謝罪と許し」

日本浪人によって命を奪われた明成(ミョンソン)皇后の孫と、皇后殺害に関与した「浪人」の孫が手を握り合った。

 10日昼、京畿(キョンギ)道・南揚州(ナムヤンジュ)市・金谷(クムゴク)洞・洪陵(ホンヌン)。

 高宗(コジョン)の息子・義親王の9番目の息子、李忠吉(イ・チュンギル・67)さんの前に、明成皇后の殺害に関与した国友重章の外孫・河野龍巳さん(84)が頭を下げた。

※閔妃の実子(一人っ子)「純宗」には子が無く、異母弟「李垠」が継いだので、閔妃の血縁は途絶えた外孫・河野龍巳(84)が頭を下げた相手李忠吉(イ・チュンギル・67)は、高宗と側室の張氏との間に生まれた義親王(15男9女)の9男で、閔妃子孫に非ず大院君のひ孫。閔妃殺害主犯大院君ひ孫に、成敗犯同志国友重章の外孫が、「旧交を温めお互いの健闘を讃え」ではなく、「謝罪」とは?どんな「謝罪」?草葉の陰で主犯大院君、さぞかし面食らい、腰を抜かして立ち上がれないだろう。

 

 李さんが河野さんの手を強く握った。

 李さんは「祖母を殺害した浪人の子孫が謝罪してくれるのはうれしいが、皇后を殺害した、痛切な歴史を忘れてはならぬ」と述べた。

 この日は英親王の忌日。米ニューヨークに住む李さんはこの日、洪陵の近くにある英園(英親王墓)で、叔父に当たる英親王の祭享(王室の祭事)に出席した後、洪陵を訪れた。

※ドキュメンタリーのためにチョン・スウン(鄭秀雄62)に仕組まれた対面は、誰の目にも見え見えである。

 

 この日「明成皇后を考える集い」の会員10人とともに英親王の祭享に参加した河野さんは、全州(チョンジュ)李氏の一部の宗親らから冷遇を受けた。

 「皇后を殺した殺人犯の子孫がわざわざここに足を踏み入れるのか。とっとと出ていけ」。と声を荒げる宗親もいた。

※草葉の陰で主犯大院君「これは俺の同志だ!馬鹿宗親ども!」と、さぞかし怒りまくっているであろう

 しかし、祭享を終えた李学周(イ・ハクジュ)英園奉享会会長は、彼らに弁当を渡した。「せっかく来た客だから、食事の接待くらいはすべきだと考えた」と述べた。

※草葉の陰で主犯大院君、「同志に慰労した宗親!」と、さぞかし喜んでいるであろう

 思いがけぬ“歓待”を受けた河野さんは「許してくれなかったら(今回の訪問が)何の意味もなさなかったので、気をもんでいた」と話し、笑顔を浮かべた。

※草葉の陰で閔妃殺害主犯大院君、「馬鹿者!」と、お怒りであろう!

 河野さん一行は、洪陵を参拝した後、京畿道・驪州(ヨジュ)にある明成皇后の生家を訪問した。キム・ギチョル記者

 

中央日報2005.5.10.

明成皇后殺人犯の子孫が謝罪

もっと早い時期に来るべきでした。殺害事件について心からお詫びしたい」。明成皇后(ミョンソンファンフ)殺人犯の子孫らが、高宗(コジョン)皇帝と明成皇后(ミョンソンファンフ)が埋められた京畿道南楊州(キョンギド・ナムヤンジュ)の洪陵(ホンルン)を訪れて謝罪した。殺害事件から110年ぶりとなる。

 10日午前に洪陵を訪れたのは、1895年に明成皇后を殺害(乙未事変)した国友重章の孫・河野龍巳氏(84)、家入嘉吉の孫の妻・家入恵子氏(77)と、「明成皇后を考える会」会員の日本人10人。2人の子孫は墓に向かって3度、礼をした。

 2人は、明成皇后殺害事件のドキュメンタリーを制作しているチョン・スウン・プロデューサーの招請で、9日に入国した。 河野氏は「家族にしか知らせてこなかったが、日本に帰れば多くの人に、ここで見て感じたことを話すつもり」と語った。

 河野氏らは、ちょうど英親王の忌日を迎えて洪陵近隣の墓地を訪れた明成皇后のひ孫イ・チュンキル氏(67、米国居住(※閔妃一人息子に子供無く断絶なので、閔妃暗殺首班大院君のひ孫)偶然、出くわした。河野氏と家入氏から謝罪の言葉を受けたイ氏は「謝罪を受ける、受けないは、自分がすることではない」とし、「政府レベルの謝罪がなければならない」と語った。河野氏は「日本の皇室が謝罪しなければならない」と答えた。

※閔妃殺害主犯大院君に謝罪する一知半解が、皇室などと、恥さらしである。「偶然出くわした」は、捏造で、チョン・スウン(鄭秀雄62)が仕組んだものであることは、明々白々!

 昨年7月に熊本県の教師30人余を中心に「明成皇后を考える会」を設立した甲斐利雄氏(76)は、「10年前の100周忌に参拝したかったが、自分と同じ考えの人はいなかった」とし、「今回を逃せば、次の機会はないと思った」と話した。

※手下の甲斐利雄氏(76)は、銭生振りをいかんなく発揮。さぞかしの、上げ膳据え膳だったのであろう

 彼らを招請したチョン・スウン・プロデューサーは「殺人犯らは、これまで伝えられてきたのとは違い、エリートだった」とし、「殺人犯47人には、日本人が韓国に設立した漢城新報社の職員20人が含まれていたという事実を確認した」と主張した。河野氏らは11日午前に景福宮(キョンボックン)を訪問した後、12日に出国する。南楊州=裵泳大(ぺ・ヨンデ)記者 

 

子孫を見つけて土下座」(身分制度)させるという発想(李朝差別)は、日本人の感覚と完全に異なる。ここまで来るとチョン銭生とチョン韓国で、もう滑稽!朝鮮における『謝罪』ケチ朝鮮人の上げ膳据え膳は、毒キムチ。決して食うべからず!

 

2005年9月2日、韓国人ジャーナリストの金完燮がその著作の中で歴史上の人物である閔妃のことを、「朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物」などと評論したことに対して、ソウル中央地裁から名誉毀損であるとして閔妃遺族らへそれぞれ1000万ウォンを支払うよう命じられる。

2005年10月8日と9日「110年ぶりの追跡、明成皇后殺害事件」韓国KBS1テレビで放映。このドキュメンタリー番組では「犯人は日本人」としており、「暗殺事件の犯人は朝鮮人によるものであった」という国王・高宗や王子・純宗などの証言を日本の工作とした

2005年12月21日と22日午後10時NHK衛星放送で放映。「110年ぶりの追跡、明成皇后殺害事件」(ジョン・スンウ監督、ドキュソウル代表)第1部「彼らは浪人ではなかった」と第2部「謝罪、そして真実」

2008年、10月8日(閔妃命日)、突如北朝鮮が「113回忌」を名目に日本に謝罪&賠償要求

2009年2月『朝鮮王妃殺害と日本人』』金文子著(高文研,2009年2月)は、隠蔽好いとこ盗り罪日捏造本!

 壬午事変で閔妃を暗殺成功と思った大院君は、閔妃の葬式まで出している等、大院君と閔妃相互の殺し合い暗殺未遂は隠蔽。閔妃暗殺事件の3ヵ月後の、朝鮮人、ロシア人、アメリカ人の一団が首相暗殺事件を企てて未遂に終わった春生門事件。閔妃暗殺事件3年後の国王毒コーヒー(毒茶)事件で高宗は難を逃れたが、皇太子は巻き添えで毒コーヒー(毒茶)を飲んでしまい、一時人事不省に陥った。料理人が犯人として捕まった等の、朝鮮人同士の抗争も隠蔽。閔妃暗殺に関与大院君や禹範善、李周会将軍のように処刑されるのを覚悟して自首した朝鮮人なども、ほとんど書いていない。罪日プロパガンダの手口見本である!

2009年4月王族の子孫一行(洪陵奉賛会)熊本に来る。「明成皇后を考える会」、馬鹿銭生甲斐利雄等が加担。チョン・スウン(鄭秀雄・62)が仕組んだものであることは明白!

田中信幸「明成皇后を考える会」代表(自営業電気工事業1951年~)は、いろんな(善いとこ盗り)会(扇動のプロ)の代表。ほかにも「平和憲法を活かす県民の会・熊本朝鮮会館問題を考える市民の会・『日の丸』『君が代』の押しつけはごめんダ熊本ネットワーク・自衛隊の海外派兵に反対する熊本市民フォーラム・自衛隊イラク派兵違憲訴訟の会・熊本」等、会の百貨店で、プロ市民

2009年8月24日、テレビ朝日『報道ステーション』にて閔妃の暗殺事件についての特集が組まれた。この特集は、チョン・スウン(鄭秀雄・62)が、2005年に制作したドキュメンタリー『110年ぶりの追跡 明成皇后殺害事件』を基に作られ、約10分間放送された。この特集では、「犯人は日本人」としており、「暗殺事件の犯人は朝鮮人による者であった」という目撃証言を、日本の工作とした。

 「実行犯」の一人とされる国友重章の外孫で、韓国へ謝罪訪問を2005年以降続けている開業医の河野龍巳についても、「報ステ」では、「熊本にある歴史研究会(「明成皇后を考える会」?)の呼び掛け」により訪れた、つまり自らの意思で謝罪訪問を始めたように伝えていたが、“河野氏は始めは韓国の人間だと言ったら、とても警戒したので、河野氏の病院の患者まで動員して接触を継続した結果、彼を説得することができたのです”とあるように、甲斐利雄銭生等の、強引な説得の結果である。(前掲)東亜日報2005-05-11記事の修正2009-10-01 21:36:50テレビ朝日やNHKに日本人はおらず、スパイのみが居る。

2009年9月1日放送TV朝日テレメンタリー「114年目の氷解~反日感情の“原点”、閔妃暗殺を見つめた5年」ディレクター鄭秀雄プロデュサー石高健次

 「閔妃殺害」特集なのに、主犯興宣大院君、実行犯禹範善の名前が一度もでない日本人尽くしの内容は、犯日TVスパイ朝日の面目躍如である。動画閔妃暗殺事件:114年目の氷解(1) 閔妃暗殺事件:114年目の氷解(2) 閔妃暗殺事件:114年目の氷解(3)
 

露朝合体を阻止し、日本を救った「救国の刀」に難癖の

2010年3月26日明成皇后殺害凶器「肥前刀」の還収委員会発足
【ソウル26日聯合ニュース】明成皇后暗殺事件(乙未事変)に使われたとされる刀「肥前刀」の韓国政府への返還を目指す「肥前刀還収委員会」が26日、ソウル・曹溪宗中央信徒会教育館で発足式を行った。

 委員会は曹溪宗中央信徒会と文化財返還事業を行う市民団体により発足した。委員会は同日発表した声明で、「乙未事変は韓日間の不幸な歴史の始まりだった。韓日間の恨みを触発した事件に直接使用された犯行道具がいまだ日本の神社に保管されているのは懸念すべきことだ」と明らかにした。また、日本は犯罪道具であり、韓国国民の民族感情を刺激する凶器を正しく処分すべきだと促した。

 委員長の崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士は、明成皇后が暗殺され、その凶器が日本の神社に保管されている事実を日本社会に広く伝え、日本の戦争犯罪を糾明し、誤った歴史認識を正すべきだと強調した。

 韓国の市民団体が櫛田神社に対して、玄洋社の藤勝顕が1895年に『之れ韓王妃を斬つて爾後埋木となつたものなり』と奉納した肥前刀を、韓国に差し出すか、処分するかを要求している。また、この市民団体は「明成皇后が暗殺され、その凶器が日本の神社に保管されている事実を日本社会に広く伝え、日本の戦争犯罪を糾明し、誤った歴史認識を正すべきだ」とも主張している。

 

迎合鵜呑みのみで思索回路欠落かスパイの馬鹿銭生上げ膳据え膳忘れられず未だに訪韓中

馬鹿銭生甲斐利雄等と軽薄子孫河野龍巳は毎年のように墓参

2011年10月6日1895年10月8日、外交政策などを巡り、日本人の集団に暗殺された朝鮮王妃、閔妃(ミンビ)=明成皇后)の慰霊祭に参列するため、県内の退職教師らでつくる「明成太皇后史跡訪問団」(岡崎和三団長、19人)が6日、訪韓する。慰霊祭への参列は6回目。閔妃と夫の王、高宗が合葬されている南楊州市の陵で営まれる慰霊祭のほか、閔妃の生家のある驪州(よじゅ)も訪れる予定だ。韓国には、故人をしのび墓で凧をあげる風習がある。訪問団は現地の初等学校も訪ね、阿蘇市の元教師、甲斐利雄さん(82)が作った凧(たこ)70個と、上天草市の同、元島利隆さん(80)が作った竹とんぼ100個などを贈り、慰霊と友好の気持ちを伝えるという。ソース:読売新聞(九州発>地域版>熊本)http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/kumamoto/20111006-OYS1T00269.htm現在削除。「日本人の集団に暗殺された朝鮮王妃」の嘘記事が原因であろう。

 

日教組の正体(無検証丸鵜呑み)か?朝鮮人の成済ましか?職責不履行現職銭生!嘘の上塗りで優雅な税金泥棒生活!

2013/10/10 日本教師たち、明成(ミョンソン)皇后生家訪問殺害事件反省ソース:聯合ニュース(韓国語)

 (驪州=聯合ニュース)日本の熊本県現職教師で構成された'明成皇后を考える会'会員たちは最近、京畿道(キョンギド)驪州(ヨジュ)市を訪問、明成(ミョンソン)皇后殺害事件を謝罪した。

 10日、驪州市によれば'明成皇后を考える会'会員16人が今月7日、明成皇后の生家と記念館を訪問、影像にお辞儀して参拝した。古澤千代勝団長は「私たちの先祖が政治的目的と誤った考えで明成皇后殺害事件を犯した。先祖の代わりに謝罪の気持ちを伝えにきた」と語った。

 '明成皇后を考える会'は2004年、熊本県の元・現職教師たちが正しい歴史教育で韓日友好推進に寄与しようと作った。2005年から毎年、明成皇后の追悼日である10月8日に合わせて韓国を訪問、明成皇后の生家を訪ね参拝している。

 明成皇后(1851~1895)は驪州で生まれ、16才で王妃になった後1895年、日本の刺客によって暗殺された。驪州明成皇后遺跡(5万9千601㎡)には1995年に復元した生家をはじめ、記念館、文芸館、民俗村、感顧堂などがある。

日本の刺客によって暗殺」は、朝鮮人得意の好いとこ盗り針小棒大捏造!正しくは、「義父大院君朝鮮日本の志士によって、売国害虫が駆除された!」

 

 閔妃の撹乱で、これ以上露西亜化すれば日本と朝鮮危うし。私欲国賊閔妃(明成皇后)亡国奴成敗は、日本と朝鮮連携の護国行動で、事件関係者は護国の士なのだ。だから、日朝両国は、穏便に済ませた。

 両国が穏便に付した事件を、韓国性悪子孫の願望史観姦計に、のこのこと乗り、子孫が安易に謝罪することは、両国へのこの上ない冒涜である。

 戦後の文系教授先生正体は、給料泥棒年金泥棒のみならず、スパイで金儲けの凶授銭生で、研究回路など皆無のただの鵜呑みHDD戦後の「言葉と文字界」は、68年間も職責不履行の詐欺師である!証拠は、68年間の無検証。こんなものを信じたから、こんな日本に成ったのだ。

 

狼少年朝鮮人の愚行拡大

ニューヨーク韓国人会「従軍慰安婦追悼碑を続々と建設予定」=韓国
2012/05/11(金)
  米ニューヨーク韓国人会は10日、米ニュージャージー州パラセイズ・パーク市内の公立図書館に設置された旧日本軍従軍慰安婦の追悼碑の前で行われた糾弾声明を通じ、追悼碑をニューヨーク市内をはじめ、米国各地に続々と建設していくことを明らかにした。韓国の複数のメディアが報じた。
■「従軍慰安婦」に関する他の記事 - サーチナ・ハイライト

 韓国メディアは、「ニューヨーク韓国人会『慰安婦追悼碑』建設の拡大推進」「米『慰安婦追悼碑撤去不可能』」などと題し、最近になって日本政府と政治家が追悼碑の撤去を要請したことに関連し、糾弾集会が行われたと伝えた。

  ニューヨーク韓国人会は集会で「アメリカの他の地域の韓国人たちと一緒に、日本帝国主義の歴史的蛮行や虐殺、そして自らの過ちを反省していない厚顔無恥の姿を世界に知らせていく。そのため、第2、第3の追悼碑建設を推進して行く」と明らかにした。また同会は「ニュージャージーに続いて、ニューヨーク、コネチカット、ロングアイランドなどにも記念碑を設立し、日本の反人権的行為を告発。米国と世界の平和の重要性を知らせて行く」と説明した。

  同会は「日本軍強制慰安婦問題は、米国をはじめとする国際社会が認めた事案なのに、日本の政治家らが過去の罪を否定し、追悼碑の撤去を主張することは反人権的な行動」だとし、日本政府の公式的な謝罪を要求した。

  一方、韓国人有権者センターでは、慰安婦決議案通過5周年を迎える7月31日までニューヨーク市のフラッシングなど米国の3つの地域での追悼碑建立を推進している。フラッシングの韓国人街は、米国で初めて慰安婦を追慕する名前の付いた道路ができることでも注目を集めている。

  韓国人有権者センターに続き、ニューヨークの代表的な韓国人団体も追悼碑の支援に加わったことは、日本政府の追悼碑撤去外交への民間レベルでの対抗に、いっそう弾みがつくものとの見方を示している。(編集担当:李信恵・山口幸治)

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"米で中国・韓国人が反日" 今度は「慰安婦通り」計画…ナチス被害者と慰安婦対面イベントや日本人学校への捏造教育要請も 
今度は日本文化院前に 韓国で反日慰安婦パネル、日本への“嫌がらせ”狙う[02/20] 「無実の韓国人女性をレ○プした日本人の子孫だ」在米邦人の子供たちが、捏造歴史認識で「イジメ」にあっている!★2 
米国内20か所に日本軍従軍慰安婦の碑を建立する計画を韓国人が進行中 
韓国人歌手キム・ジャンフンが東京のあちこちに従軍慰安婦のポスター1500枚を掲示  「本当に悪い日本」知らせます〜‘慰安婦の真実’セミナー、米大学を巡回[01/26] 
 何ともおぞましい朝鮮人の性癖である。「息するごとく嘘をつき、嘘で我が身を飾る」民族だ。戦後日本の獅子身中の虫「言葉と文字界」は、この輩と全く同じ頭脳である。こういう連中とは、まともに付き合うほうが愚か!

 獅子身中の虫や朝鮮人の愚行と笑っていてはいけない!こういう捏造(WW2は凶産の捏造)を先人が看過した結果、英・仏国民は洗脳されWW2が、米国民が洗脳され大東亜戦争が始まった。先人唯一の反省点である(1軍国に非ず護国主義日本駄目押し証拠あめりかはアジアに介入するな! 参照)。 完

 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観1朝鮮族捏造日本人差別碑関東大震災碑群馬県強制連行犠牲者追悼碑等々

1朝鮮族捏造日本人差別碑関東大震災碑群馬県強制連行犠牲者追悼碑等々

 日本九九年戦争・資源無き島国日本、適者生存戦国時代唯一の術は、先手あるのみ。後手の本土戦は、兵糧攻めで必滅。露西亜、清国(属国朝鮮)南下阻止が第一義、後手は必滅、先手で打って出た。 

 結果が台湾朝鮮(自立不能で)統治(極東共栄圏樹立着手)、満州建国尽力(凶産の砦)、日中戦争(中国凶産化での中ソ凶産連合阻止)、南京政府樹立尽力(中国凶産化阻止)で極東共栄圏構築。

 日中(反共)戦争で疲労困憊の日本は、戦国の定法弱肉強食、恰好の餌食となった。米英中蘭(ABCD)が兵糧攻め、ハル・ノートで降伏を迫った。出稼ぎ戦争対、日本は死活戦争。極東から大東亜に共栄圏樹立を拡大し、あらん限りに戦ったが、大東亜同胞の、完全覚醒追随まで戦いきれず、矢尽き刀折れ、敗れた。

 がしかし、戦いざまに共振した同胞が、一気に蜂起、独立。1960年の植民地独立付与宣言(互恵)が根幹となり、自由貿易64年開放経済)、平等65年人種差別撤廃を成し、凶産は残ったが、戦争目的は完遂した。弱肉強食の世に、戦後67年間のごとき無能無策の後手日本なら、何もかもが消滅していた。それでも戦後消滅しなかったのは、『身体を筆にし、流れる血と汗と涙でえがいた先人の、人類への遺書』以外、あろうか!

 “戦かわざれば”の平和論があるが、防共の砦日本が去るやいなやすぐさま凶産化、朝鮮戦争惹起したもう一方の真の敵、中ソ凶産連合軍隠蔽スパイの、工作論である。ABCDと“戦かわざれば”の降伏は、防共の砦無き丸裸日本で、中ソ凶産の、恰好の餌食となった。この戦いは、目的も無きただの防御戦。多勢に無勢で、瞬時に最後の独立国日本は潰え、日本族の名を残すのみの、まさに、犬死に無駄死にの戦争となっていた。同胞の、支配者からの独立も無い!新秩序など、当然無い!支配者と、被支配者の地球に成っていた!」

 

群馬県強制連行犠牲者追悼碑は日本人差別碑で、歴史捏造朝鮮人と日本職責不履行亡国奴証拠碑!

 密入国し、勝手に日本に住み着き感謝もせず、なんとゲリラ活動する「民潭・総連」工作員の証拠がこれである。

 群馬県強制連行犠牲者追悼碑「記憶反省そして友好」は、「嘘を記憶させ 謝罪させ そしてお金頂戴」が正体!朝鮮人の「友好」は、「餌の催促(金くれ)」

 

ネットの格言「『あの人ら』は違う。一回譲ったらツケ込んで来て、こっちはずっと譲らなあかん羽目になる

朝鮮歴史館06-02-01
カドたてんとことおもて譲り合うのは、日本人同士だけにしとき


     ,,.---v―--、_       日本人はな、お互い様やねん。
   ,.イ" | / / / /~`'''ー-、相手に譲ってもろたら今度は自分が譲るねん。
  //~`ヾ、;;;;ソ'''''''ヾ、   ,.ヽそうやって上手い事回っとったがな・・・
 /:,:'       ...  ゞ 彡 彡、ノ)  
 !/  ~`ー'",..- ...   〉     !( 『あの人ら』は違う。
i   ̄~`        !  彡  |ノ 一回譲ったらツケ込んで来て、
,i ,.- 、 ゝ " '" ~ ~`  ヾ ,,--、 | こっちはずっと譲らなあかん羽目になる。
/         _    ヾ"r∂|;! それでも『あの人ら』は平気なんや。
ヾ` '⌒` ;::   "~ ~` 彡  r ノ/ カドたてんとことおもて譲り合うのは、
i    ノ           _,,.:'   日本人同士だけにしとき。
ヽ ノ"( 、_,..:ー'"ヽ、 : : :   ,i /  そうせんと『あの人ら』につけこまれて、
 ヽ、 ,. :: ::  ヽ      ノ:|ラ:)`ヽ『ひさしを貸して母屋を盗られて』、
   ヽ、`''''"""''''" '  ,,..-'" //   \ 日本がのうなってしまうからな。
                                         
お船やテレビのようにな!

 

「○○碑建立」作戦を国策で展開アメリカ(韓国系米国人)日本(民潭・総連)ゲリラ活動

[朝鮮新報 2004年5月8日]
全国初の県有地建立-群馬県朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑〉 正しい歴史認識と心からの反省

 既報のように、日本の植民地時代に群馬県内に強制連行され、過酷な労働を強いられて犠牲になった朝鮮人のための「記憶 反省 そして友好」の追悼碑が、群馬県立公園「群馬の森」に建立され、その除幕式が4月24日、同公園内で行われた。朝鮮人、韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会(「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会)のメンバーをはじめ、県、高崎市、沼田市など関係自治体、総連、民団の各代表、同胞、学生、日本人ら約250人が参加した。

日本人の手で建碑

 「県有地内での追悼碑建立は全国でも例がなく、意義のあること」(境野貞夫「建てる会」共同代表)

 日本の植民地支配から解放され60年近くが経とうとする今でも、日本政府は強制連行の事実を認めず罪を隠蔽し、あろうことか、在日蔑視朝鮮バッシングに余念がなく、果ては軍国化の道を盲進している。

 そんな状況下で今回、群馬県で朝鮮人犠牲者のための追悼碑が県立公園内に建立された。

 これまで、市(有地)や寺に建てられた例はあっても、県(有地)に追悼碑建立を承認させた例はなかった。それも保守系の大物国会議員を数多く輩出してきた県で。また、日本人の手によって建立されたという点も注目された。

侵略責任ある我々が」

 猪上輝雄「建てる会」事務局長は「真の友好のためには正しい歴史認識、心からの反省が必要だ」と語る。

 猪上さんらは1995年、戦後50年を問う群馬の市民行動委員会を結成した。以降、県内各所で日本の侵略戦争の実相を訴える写真展や、強制連行強制労働の実態を暴く資料を展示した平和展を開催。その過程で、朝鮮人犠牲者のための追悼碑建立の必要性を痛感し、98年、群馬県朝鮮人、韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会を結成。「侵略に責任を持つべき日本人が運動の主体となる」ことを運動理念とした。会員や県民らに追悼碑建立を呼びかけ、募金活動を行い、01年、県に用地提供を請願。碑文などに関して県側と激論を重ね、除幕式を迎えた。

 円形の台座に塔(高さ約4メートル)とともに建てられた追悼碑は、高さ約2メートル、幅約4メートル。碑の前面に朝鮮語、日本語、英語で「記憶 反省 そして友好」と、裏面には、追悼碑建立の意味と友好への願いが込められた碑文が、朝鮮語と日本語で刻まれている。

必ず謝罪の言葉を

 「率直に言って従軍慰安婦は自ら求めてなったのであり、強制連行はなかったという意見もある」-01年2月に行われた総連中北支部、中北商工会主催の朝・日友好親善新春の集いの席上、招待客の代表としてあいさつした群馬県議会議長(当時)の発言である。参加した日本人は「恥らいを覚えた」という。だが、これは戦後一貫した日本政府の立場でもある。

 「建てる会」の請願を受けた県側は、「強制連行」「反省」などの言葉をはずすよう求め、「建てる会」が提出した碑文の原案から、なぜ朝鮮人が強制連行され、犠牲になったのかという歴史経過をカットした文案を提示するなど、容認できない提案を繰り返したという。

 群馬県内に強制連行された朝鮮人は6000人以上にのぼる。国鉄吾妻線の工事、岩本発電所導水トンネル工事、中島飛行機(富士重工の前身)後閑地下工場を含め、県内の炭鉱、軍事施設などで強制労働を強いられた。このような事実にもかかわらず、当時の県議会の反対勢力は、最後まで碑文に「強制連行」「強制労働」の言葉を刻むことに反対した

 全国で初めてとなる県有地への建立の意義を重要視した「建てる会」は、「強制労働」ということばを「労務動員」(当時、日本政府が使用した用語)に変更するなどして、合意にこぎつけた。

 当時、朝鮮人が強いられた過酷な労働と生活についての原案の記述はほぼ削除され、碑文には一言、「事故や過労などで」と書かれている。中山敏雄運営委員は「碑文に謝罪の言葉がない。今後も活動を続けていこう」と呼びかけた。参加者たちは、碑文についての「心残り」を今後の運動で克服していくことを決意していた。(李泰鎬記者)

朝日新聞
強制連行 思い刻む  

 第2次世界大戦中に朝鮮半島から連行され、強制労働に従事させられた朝鮮人を追悼する碑が、高崎市綿貫町の県立公園「群馬の森」に完成し、24日、除幕式があった。強制連行の実態調査を続けている県内の市民団体が9年がかりで準備を進めてきた。「強制連行を県民に知ってもらうきっかけにしたい」としている。

 碑は幅4メートル、高さ2メートルのコンクリート製。正面のプレートには「記憶 反省 そして友好」という内容が、日本語、ハングル、英語で表記されている。費用は賛同者約400人らのカンパでまかなった。

 碑を建てた「追悼碑を守る会」によると、県内には6千人ほどの朝鮮人が連行され、地下工場や鉱山などで働かされた。重労働と劣悪な生活環境で亡くなった人も多かったが、実態は解明されていないという。

 同会の猪上輝雄事務局長(74)は、95年に有志らと強制連行の現場調査を始め、碑の建立にこぎ着けた。「歴史認識をきちんとしないと、朝鮮半島との信頼関係はうち立てられない。今後も調査活動を続けたい」

 除幕式には、遺族の代表や賛同者ら約300人が参列。自身が栃木県の足尾銅山で強制労働をさせられたという千葉市の鄭雲模さん(82)は「当時は木刀で殴られたり、靴でけられたり、ひどい仕打ちを受けた。こんな碑を建ててもらい、ありがたい」と話した。(4/25)

 

「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会事務局

群馬県前橋市下小出町1-13-2 電話 027-232-7511

群馬県平和運動センター
 群馬県平和運動センターは、平和と民主主義、自由と人権を守り確立する運動を進めています。20世紀は「戦争と人間破壊の世紀」でしたが、21世紀はなんとしても「平和・人権・共生の世紀」としなければなりません。侵略戦争ファシズム反省から生まれた日本国憲法(平和憲法)の理念、なかでも前文や第9条にうたわれた平和主義や、民主主義、自由・人権の理念を、この国の政治や暮らし、外交に生かすと共に、世界中に拡げることが大きな課題です。平和運動センターは、そのために市民の皆さんと共に活動します。会員は、個人会員と団体会員があり、規約に賛同いただける方(団体・個人とも)は、どなたでも参加いただけます。

経過と問題点について
①  憲法を守り、生かす取組みは、18名の代表団(福島義昭団長) の第38回護憲大会(三重)参加に始まりました。12月8日には、3月の 「よびかけ」以来、準備会を中心に結成準備がすすめられてきた「守ろう!平和憲法群馬ネットワーク」 (憲法ネットぐんま)が、大田前沖縄県知事(参議院議員)を招いた結成集会(於県婦人会館・150人) で、正式に発足、活動を開始しました。

 ――朝鮮人韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる運動は、碑の建設場所が「群馬の森」に決まり、碑名や碑文などをめぐる県との最終的打ち合わせの段階を迎えており、建設資金カンパの完遂と建立にむけて、・継続した取組みが必要となつています。――

 

出稼ぎ朝鮮人の事故死を労務動員犠牲者と捏造した捏造碑

碑文前面「記憶 反省そして友好」の日本文、ハングル、英文。

説明文

「追悼碑建立にあたって

 20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地にして支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。

 21世紀を迎えた今、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。    2004年4月21日

 『記憶 反省そして友好』の追悼碑を建てる会

 碑文中『朝鮮』及び『朝鮮人』という呼称は、動員された当時の呼称をそのまま使用したもので、現在の大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、及び両国の人達に対する呼称である。」

 

「『記憶 反省そして友好』の追悼碑を建てる会」は、日本の代表者ではないのに、「わが国」呼称し、捏造。

 戦国の世に朝鮮は寄る辺無き窮鳥となり、国民の総意で、極東共栄圏参加を選択したので、植民地では無い。

 当時は朝鮮人も台湾人も日本国民だが矢面にも立てず、志願兵のみ(朝鮮人2万2182人、台湾人3万304人戦死)。日本人は強制兵役の皆兵(234万2341人が戦死)。日本人は、老人女子供まで銃後の守りについた。働き手全部が徴兵されたので、不足した労働者を募集し、出稼ぎ朝鮮人労務者が職につきおぎなった。その労働者が事故死した話を、労務動員犠牲者と捏造。戦時下に、自国朝鮮を守るためにも、大の大人の朝鮮人が、銃後の守りの働き手(無給ではない有給)となるぐらいは、当然だろう。

 戦国の世の戦時下、誰でもが「多大の損害と苦痛」の渦中に居た。朝鮮人のみではない。

 死活戦争自衛戦なので、「反省」などあるわけがない!

 食民治主義凶産主義の出稼ぎ侵略戦争に対して、日本は死活戦争自衛戦なので、「過ち」ではない。朝鮮人の「難癖」捏造である!出稼ぎ征服者との防衛戦争がなんで「過ち」なのだ。朝鮮戦争が証明したように、たとえアメリカと戦わず降伏したとしても、次には中ソ赤化連合との戦いとなった。降伏で一時の平和を得ても、砦を失った大阪夏の陣のごとき丸裸の日本では、沖縄戦同様の戦いが全国で起こり、ことごとく虐殺されていたであろう。そして同胞も蜂起せず、独立も無い。当然、植民地独立付与宣言も無い!ただの無駄死に戦争となっていた。

 なぜに『朝鮮人』のみの追悼碑なのだ?『朝鮮人』のみが「労務動員による朝鮮人犠牲者」?馬鹿な!寝言を言うな!

 

強制連行犠牲者」と呼称し毎年繰り返される捏造集会!

【朝鮮新報】2012.05.15
群馬県で強制連行犠牲者を追悼、「記憶 反省 そして友好」追悼碑

追悼碑建てた市民の思い広め

 日本の植民地時代に強制連行され過酷な労働強いられて群馬県内で犠牲になった朝鮮人を追悼する集会が4月21日、群馬県立公園「群馬の森」にある「記憶 反省 そして友好」の追悼碑の前で行われた。「追悼碑を守る会」が主催。同胞、日本市民ら約160人が参列した。

 「記憶 反省 そして友好」の追悼碑は、強制連行真相調査や日朝友好運動に携わっていた日本市民らが「真の友好のためには正しい歴史認識、心からの反省が必要だ」との認識で2004年に建立した。日本で初めて県有地に建てられた強制連行犠牲者の追悼碑だ。

 集会では、総聯群馬県本部の崔光林委員長と民団群馬県地方本部の柳曙永議長、東京朝鮮人強制連行真相調査団の李一満事務局長、角倉邦良県議石川眞男玉村町議らが追悼の辞を述べた。また、星野已喜雄・沼田市長、新井利明・藤岡市長のメッセージが紹介された。

 崔委員長は、日本政府は戦後67年が経とうとする今日においても、強制連行の真相究明に誠実に取り組んでおらず、民族差別だけが引き継がれ、朝鮮学校だけを「高校無償化」制度から除外するなど、国際的にも例のない不当で非常な差別を続け民族教育を抹殺しようとしていると指摘。参列した日本市民らと手を携えて、追悼碑に込められた思いを広く伝えるとともに、日本政府の謝罪と賠償朝・日国交正常化の一日も早い実現と東北アジアの平和のために草の根で活動していきたいと決意を述べた。

 犠牲者を追悼し、群馬朝鮮初中級学校生徒たちが朝鮮の童謡「故郷の春」を歌い、参列者全員が献花した。

 運営委員会事務局から多くの同胞、日本市民らが参列したことに謝意が送られ、今年度の活動に関する呼びかけがあった。【群馬支局】

 

角倉邦良県議は朝鮮傀儡

こんにちは。群馬県議会議員の角倉邦良ですが、朝鮮人強制連行は事実ですし、朝鮮半島分断の責任は日本にあります。より以下転載
朝鮮総連ポセヨ 37、38号
 

朝鮮総連各団体・合同定期大会の開催おめでとうございます。

 今、在日朝鮮人のみなさんがおかれている厳しい状況を前にして、日本人として大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 言うまでもなく、朝鮮民主主義人民共和国の現在の政治体制、核実験、拉致の問題と在日朝鮮人の皆さんに対する差別の問題は別の問題です。在日朝鮮人の差別を許してはならないのです。

 日本と日本人が朝鮮半島を侵略し、尚且つ朝鮮人のみなさんを強制的に日本に連行したことは、歴史的事実であり、朝鮮半島に分断国家を作ってしまった大きな原因のひとつに日本の侵略があったことは、言うまでもありません。

 私たち日本人は、戦後においても在日朝鮮人差別をいまだに続けています。

 こうした状況を変えるべく、私はひとりの日本人として戦後責任を果たして行かなければならないと常々考えてきました。

 在日朝鮮人のみなさん、ひとりひとりと対話し、交流をする中で、みなさんとともにこの日本社会を変えるために、私は行動して行きます。

 本日の大会が参加者の活発な討論で成功することを祈念し、メッセージとさせていただきます。

 

2007年7月19日

群馬県議会議員 角倉邦良

 

 この議員は、民主党の金田誠一議員の秘書をやっていたみたい。

金田誠一は旧社会党出身で、北朝鮮への経済制裁に反対し、パチンコ業界と関連が深く(以下wiki参照のこと)転載終了 2につづく⇒

真実史観近江八幡市立八幡西中学校罪日スパイ銭生生徒洗脳職責不履行給料泥棒

2近江八幡市立八幡西中学校罪日スパイ銭生生徒洗脳職責履行給料泥棒

真実新報】2010.5.15

群馬県で戦時下における朝鮮金持ち出稼ぎ事故死者追悼、「嘘を記憶させ 謝罪させ そしてお金頂戴」を、「記憶 反省 そして友好」碑と捏造。

捏造碑建てたニセ市民の思い広め

 日本懐中の窮鳥戦時下時代に、出稼ぎに来て、朝鮮で働くより多額のお金を稼いだが、事故死。「捏造碑を守る会」が、事故死追悼集会を主催。罪日金よこせ仲間と、ニセ日本市民160人が参列した。

 「嘘を記憶させ 謝罪させ そしてお金頂戴」捏造碑は、ニセ日本人らが、「金をぶんどるためには、捏造の歴史を心から信じ込ませ記憶させないと駄目だ」との認識で、2004年に建立した。捏造の歴史でだまくらかして、日本で初めて県有地に建てた捏造碑だ(群馬はチョロい!日本で最初に、ハニーマネーで朝鮮玩具にされた県)。

 集会では、総聯(北朝鮮)群馬県本部の崔光林スパイ委員長と民団(韓国)群馬県地方本部の柳曙永工作員議長、東京朝鮮人強制連行真相調査団の李一満工作員事務局長、ニセ日本市民工作員、角倉邦良県議石川眞男玉村町議らが追悼の辞を述べ、ニセ日本市民工作員、星野已喜雄・沼田市長、新井利明・藤岡市長のメッセージが紹介された。

 崔工作委員長は、日本政府は戦後67年が経とうとする今日においても、強制連行でまだまだだませるので、民族差別で大騒ぎ、朝鮮学校の「高校無償化」を勝ち取り、民族工作教育をただで続けさせ、スパイ育成しようと指摘。参列したニセ日本市民らと手を携えて、捏造碑に込められた嘘の思いを広く伝えるとともに、一日も早い日本政府からの謝罪と賠償金獲得実現と、朝鮮人の平和のために、草の根で、「金よこせ」活動していきたいと決意を述べた。【真実支局】

 

調べもせずに嘘丸呑み、職責不履行(給料泥棒)ニセ日本人(現実社会では塀の中)工作員が群馬県には棲んでいる。当時の知事小寺弘之1940~2010)は、後に民主党から立候補落選。群馬県知事4期の実績等を評価され、日本政府は、亡国奴に追叙(正四位・旭日重光章)。

 

ハニーマネーで朝鮮オモチャ傀儡亡国奴)になった、日本最先端愚県

ぐん馬県庁HP
027-223-1111(代表)

メールアドレス:webmaster@pref.gunma.jp

ぐん馬県公園緑地協会
メールアドレス:koe@gunma-park.or.jp

沼田市長へのご意見先l
FAX:0278-24-5179

藤岡市長へのご意見先

メールアドレス:hisyo@city.fujioka.gunma.jp

FAX:0274-24-3252

「○○碑建立」作戦を国策で展開米国慰安婦の碑は朝鮮捏造碑てんこ盛り作戦

産経新聞2012.5.15  [米国]

「全米22カ所に慰安婦の碑」 米市議会議長が自民議員に宣言

米ニュージャージー州パリセイズパーク市の公立図書館に慰安婦の碑が建設された問題で、同市議会の議長が訪米した自民党議員に対し、全米22カ所で同様の碑を建立する意向を示したことが15日、分かった。

 同日の自民党「領土に関する特命委員会」で報告された。それによると、古屋圭司衆院議員らが今月6日、同市のジェームズ・ロトゥンド市長と会談した際、韓国系米国人のジョンチュル・リー議長が同席。リー氏は同市のように韓国系米国人が多い都市が22カ所あると指摘した上で、「22カ所で碑を作る運動をする」と宣言したという。

 同市が建設した慰安婦の碑には「日本帝国政府の軍によって拉致された20万人以上の女性と少女」などと記載されている。野田佳彦首相は「数値や経緯を含め根拠がないのではないか」と疑問視しており、広木重之ニューヨーク総領事が1日にロトゥンド市長に撤去を申し入れていた。

 米国内でもこの碑の撤去を求める動きが出ているが、特命委では、オバマ大統領から正式な回答を得るために必要な署名数(2万5000人)に対し、15日午前現在で1150人が集まっていることも報告された。

 また、韓国政府の補助を受けて5日に開館したソウル市の「戦争と女性の人権博物館」の展示の中に、日本政府が全面的な責任を認めず法的な責任を果たそうとしていないとする記述があることも報告された。駐韓日本大使館は7日、「不適切な表記は問題だ」と韓国外交通商省に抗議した。

 

歴史捏造卑劣朝鮮人と日本職責不履行亡国奴証拠碑2010.5.15

群馬県立公園「群馬の森」「強制連行犠牲者追悼碑」は、朝鮮人と似非日本人の正体うつす鏡である!

 戦国時代に対処不能の「窮鳥」朝鮮人は、目立つった反対も無く、民意の総意で日本の統治下に入った。戦争無き連合である。世界もこぞって賛同した。

 「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」の日本は、当時の植民地の常道「差別しての搾取」ではなく、「差別せず搾取せず」の統治で、李朝差別を破壊し民意に応えた」。朝鮮人は、李朝差別を破壊した日本に感謝し、ともに戦国時代に対処のため、一丸で富国強兵に励んだ。

 「強制連行犠牲者」と、針小棒大に捏造して朝鮮人が騒ぐ「徴用(戦時下の国家業務従事。本土国民も当然従事で、国民の義務)」は、たったの245人で、戦後全員帰国し、「犠牲者」など皆無。出稼ぎを「強制連行」と、事故死を「犠牲者」と捏造したのである!

 日本敗戦で、李朝差別を破壊した日本が去ると、李朝差別が復活し、すぐさま始まったのが、「赤狩り」と称した李朝差別同族虐殺である。女、子供、老人を含む全ての朝鮮人、少なくとも600万人以上が、同族による殺し合いで犠牲となった。そして避難逃亡が始まったのである。こうして在日は、被差別民、兵役逃亡民、避難民に大別された。

 「日本居住の顛末と出自」の、不都合な事実を隠蔽し捏造、かつ、未来永劫被害者面で恫喝するための、「金よこせ」目的捏造碑は、明々白々。恩を仇で返すのが朝鮮人の性癖である。

 紆余曲折はあったが、敗戦のどん底にもかかわらず、助け合いの手を差し伸べ窮鳥を助けた国は、日本以外には、皆無だったのである!戦後67年間帰国もせず、住み着いているのがなによりの証拠である。

 歴史に照らせば、感謝されこそすれ、非難恫喝を受ける筋合いなど、全く無い!

 日本人子孫、ニセ日本人や朝鮮人の捏造に、未来永劫騙されることの無き様、この碑文を遺す。【真実史観】

 

東日本大震災台湾義捐金200億を越えた。日本統治大東亜戦争は間違いではなかった!1中朝韓は植民地独立付与宣言友好恩知らずの他力独立犬の躾外交が適切

朝鮮人日本敵視国策で、同族虐殺を隠蔽し懐柔、洗脳目的!

朝鮮や罪日犯日根源の理由は、癌国の恥部、李朝差別民族浄化集団虐殺隠蔽目的!

 赤狩り(共産成敗)と捏造し虐殺老人女子供まですべて共産と称し虐殺。民族浄化を、共産討伐赤狩りと美称捏造して、洗脳している。

1946年韓半島南の暴動勃発「10月人民抗争」 虐殺数は不明

1948年済州島「四・三事件」 済州人虐殺8万人以上

1950年6月25日朝鮮戦争 南北の死者400万人(北250万人)。実体は南(ニセ者9割の差別民と被差別民)対北(被差別民)。呼応した南の被差別民の助力で、たった2ヶ月で一気に釜山まで南下した。以後ニセ者9割の差別民韓半島南の韓国は、被差別民を凶産と捏造、済州人同様虫けらの如く虐殺した。

1950年保導連盟事件    韓国30数万人虐殺(60~120万人。ハンギョレ21。2001.6.20)

1951年居昌事件       韓国8千人以上虐殺

1951年国民防衛軍事件   韓国10万人以上虐殺

1980年光州事件       韓国2千人以上虐殺

無駄死にの同胞殺し合い合計が、449万人+北朝鮮不明+(60~120万人)

 朝鮮戦争は北(被差別民)対南(差別民・両班1割とニセ両班9割)の李朝差別戦争なので、根源の李朝差別を摘出しない限り、統一など絵に描いた餅である。

 ちなみに大東亜戦争の朝鮮人戦死者は皆志願兵で、南北で2万2182人。台湾も皆志願兵で、3万304人、日本は強制兵役、徴兵で、234万2341人が戦死。さらに米軍に80万人の市民が原爆空爆で、虐殺された。軍対民の同胞殺し合い(朝鮮同胞虐殺)ではない。

 結果、日本に棲む朝鮮人は、朝鮮半島の爪弾き者(白丁出自)、兵役逃れの密航者、四・三虐殺避難者となった。済州島四・三は、韓国人に凶産(赤狩り)と捏造され差別虐殺されたので、済州島人は北朝鮮寄りである(済州島人は唯物凶産とは真逆の、助け合い唯心共産の極致なのだが、韓国や罪日や北朝鮮に「赤(凶産)」と洗脳され、気付いておらず、済州の悲劇となっている)。

 北朝鮮は帰還事業を展開したが、帰国拒否棄民韓国の理由は、全員両班(本物1割偽物9割)自称なので、最下層白丁や、白丁より最下層の済州人や、兵役逃れの卑怯者差別忌避が原因。

 悲惨なのは朝鮮人のみではなかった、当時は世界中が悲惨であった。出稼ぎ者の事故死ごときで碑の建立を許可したら、世界中が○○碑で埋め尽くされて、身動き不能であろう。捏造碑にうつつを抜かすより、李朝差別虐殺(朝鮮人同族老若男女虐殺)碑を建立し、朝鮮人同志の、「記憶 反省 そして友好」が大事だろう。碑文もふさわしい!

 もう、日本への内政干渉などは通じないので、工作員は失職。「記憶 反省 そして友好」等の捏造碑文はすべて差し上げるから、即刻撤去し携えて帰国、南北にその碑を建立しなさい!それが朝鮮人としての天道である!

 また、朝鮮人がお題目のように唱える「植民地支配」は、1960年までは「合法」。反対ゼロで破壊したのが世界の人類(凶産中国南北朝鮮は不参加)。破壊起因は、大東亜戦争で応戦した日本連合(台湾・朝鮮・南洋諸島・満州・汪兆銘南京政府)。朝鮮先人も参加したのだ!愚民化子孫朝鮮人が、「支配支配」と、とやかく言うのは、朝鮮先人愚弄の蛮行かつ難癖で、「事後法(遡及法)」の愚論。世界で、朝鮮人以外に騒ぐ者などいない。朝鮮先人も尽力し成し遂げた新秩序(植民地独立付与宣言)も知らず、朝鮮人被害者面での蛮行は、まさに、絶滅危惧種の大馬鹿者である。

 

特異民族中朝韓罪日は、有色人の面汚し警察庁「犯罪統計資料(平成24年1~4月分)」2012年5月11日
 人類の新秩序1960年植民地独立付与宣言不参加国が中国凶産(1971年から国連加盟)北朝鮮・韓国(1991年から国連加盟)。この三国は、同胞虐殺(蒋介石と毛沢東の戦争・朝鮮戦争)や隣国侵略征服(チベット・新疆ウィグル・内モンゴル・満州・竹島)に明け暮れ、いまだに戦国時代の野獣のままで、人類の新秩序「互恵」を知らない。そして、この三国と罪日のみが、人類唯一の犯日である!もちろん、蒋介石国民党中国(台湾)は、1971年まで国連加盟なので、植民地独立付与宣言賛成国である。

 凶産中国人や朝鮮人や罪日のような人間が、皆有色人だと白人から白眼視されれば、人類新秩序(人種平等)の立て役者、有色人にとって、これほど迷惑なことはない。かん国人銃乱射NHKだけがアジア系報道人類の新秩序「互恵」も知らない時代逆行無知民族中朝韓罪日は、有色人の面汚しどもといえる。唯物韓半島と罪日は、唯心台湾との対比があまりにも際立つ。誇り高き台湾3/5【たい湾取材レポート】龍山寺前広場でのインタビュー・前半 H21/4/22
 板子一枚下は地獄の民唯心海洋民(沖縄・台湾・日本)は、唯物民(中朝韓罪日)とは価値観が真逆で、水と油。「唯物(物欲)」中朝韓罪日とは真逆、きらめく台湾の唯心「親日国 たいわんと日本」 

朝鮮人のみが殺されたのではなく、「朝鮮人のみが不逞の輩」だった 
 日本列島は天災列島なので、助け合い無き者は淘汰され、生存出来得なかった。日本民族は助け合いを宗として、歴史を刻み、生きてきた。日本人は、究極の共産(助け合い)民族であるが故に、災害列島日本で、最適者生存出来得た 
 互いに助け合わなければならない大震災時に、なんと、前代未聞の、火付け盗賊強盗強姦の不逞集団がいた。災害救助最優先の最中、自警団を組織せざるを得なかった日本民族は、不逞の輩をことごとく成敗した。当然である! 
 不逞の輩を調べたら、なんと驚くことに、ことごとくが、朝鮮人であった。救助が最優先の不測の震災時に、顔のよく似た朝鮮人のみを選り分けての殺害は、不可能
 これは常識!
 朝鮮人のみが殺されたのではなく、「朝鮮人のみが不逞の輩」だった!


関東大震災時下の朝鮮人の行動は火事場泥棒

関東大震災の朝鮮人暴動の顛末新聞
9月1日 地震発生

9月2日 不逞鮮人が暴徒化

福岡日日新聞大正12年9月2日号外第四 「帝都無秩序 鮮人横暴」

徒党を組み暴徒、放火、殺人、暴行、略奪、強姦、爆弾・石油を携帯し放ち、水道に毒薬を放ち、発電所を襲い、列車爆破を企画し、さらには隊を組み日本の一個小隊を全滅させその後一個中隊との戦闘へ突入。

下越新報 大正12年9月3日附録 「上下水道青色毒散布、脱獄強姦掠奪殺人爆弾押収」

小樽新聞 大正12年9月3日号外第一 「隊をなして石油・爆弾使い放火」

小樽新聞 大正12年9月3日号外第三 「鮮人各所暴動検束数千名」

大阪朝日新聞大正12年9月3日号外「横浜~王子放火」

荘内新報 大正12年9月3日号外第十八報 「爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」

新愛知 大正12年9月4日号外「横浜で戦闘開始 日本陸軍一個小隊全滅 発電所襲撃 放火逮捕困難」

新愛知 大正12年9月4日号外「屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪」

名古屋新聞大正12年9月4日号外第二「浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」

福岡日日新聞大正12年9月4日号外 「殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」

9月4日 軍隊、自警団などがあらゆる暴虐をはたらく不逞鮮人を射殺・撲殺・検挙

      鮮人の暴徒が各地で知れ渡る。沈静後も流言飛語が飛び交う

小樽新聞 大正12年9月4日号外第一 「爆弾・掠奪・鮮人・銃殺」

九州日報 大正12年9月4日号外第三 「鮮人捕縛 爆弾其の他押収」

軍隊が治安維持に出動したため、不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ

警視庁、不逞鮮人暴動パニック沈静化及び「不逞鮮人では無い鮮人」保護のため「取締りは完全に遂行した」と急告通達。しかし「不逞鮮人では無い鮮人」も爆弾、毒薬を疑われる。何回も通報があり、警察出動するも調査により誤通報多数

大阪毎日新聞大正12年9月4日号外第二「鮮人暴挙は完全取締を遂行」

東京日日新聞大正12年9月8日第一版「流言飛語に対しての通報に呆れる」

9月5日 日本政府が「不逞鮮人では無い鮮人」の保護を閣議決定

「不逞鮮人では無い鮮人」たちを習志野に収容。

大阪毎日新聞大正12年9月5日号外第二「政府の震災対策 鮮人保護」

東京朝日新聞大正12年9月6日特報第三「鮮人習志野に収容 軍隊不逞鮮人取締で人心安定に向かいつつあり」

「不逞鮮人については、三々五々群を為して放火を遂行、また未遂の事実はなきにあらざるも、既に軍隊の警備が完成に近づきつつあれば、最早決して恐るる所はない」

当時の新聞記事写真かん東大震災の朝鮮人
 

本庄事件朴慶植著 「強制連行の記録」未来社)

 ――地震の数日後、東京の様子は避難民たちの口々から伝えられたが、この時東京でのデマがまだ生きており、埼玉県の本庄町(今の本庄市)では、朝鮮人が震災に乗じて東京を焼き払い、日本人を大量に殺害し、この中仙道をやってくるというデマが流れた。

※キジも鳴かずば撃たれまい!デマではなく事実かん東大震災の朝鮮人
 まったく事実無根のデマであったが、町では郡役所の幹部などが県庁からの通達といって消防団等になどに事実として伝え、対策に乗り出すよう指示したとされている。

※事実なので当然である。

 それから数日が経過した9月4日、警察が保護した朝鮮人たちを乗せたトラックが本庄町を通過し、群馬県に入ろうとした。

 そのトラックが上里町(当時の神保原村)を抜けて群馬県の手前で足止めを受けた。

 その後トラックは群馬県に入らず本庄に引き返し、夕方本庄署にたどり着いた。この時本庄署では地元住民達のデマを収拾するために警察官が動員されており、警察署はほぼ無人の状態であった。

 本庄署に着いたトラックを取り囲むように地元の住民達が集まり、その後一斉にトラックの上の朝鮮人達に襲い掛かり、リンチに発展した。

 警察も人員不足から十分に阻止することができず、この事件で五十から百人程度の朝鮮人が殺されたとされている

 また、このリンチに加わったものの多くは執行猶予付の騒擾罪を受けたとされている。――

※「五十から百人」とは著者朴慶植の針小棒大捏造である。朝鮮人の数字は、コトゴトク誇大妄想が特長、下記が真実。

 

浦和地方裁判所判決1923年11月26日

当時極度に昂奮せる群衆は同署(注:旧本庄警察署、現在の本庄市立歴史民俗資料館)構内に殺到し来りて約三千人に達し、同夜中(注:9月4日)より翌五日午前中に亘り右鮮人に対して暴行を加え騒擾中

一、被告Aは同日四日同署構内に於て殺意の下に仕込杖を使用し、他の群衆と相協力して犯意継続の上朝鮮人三名を殺害

一、被告Bは同日殺意の下に同署構内にて鮮人を殺して了えと絶叫し長槍を使用し、他の群衆と協力して犯意を継続の上鮮人四、五名を殺害

一、被告Cは同月五目同所に於て殺意の下に金熊手を使用し、他の群衆と相協力して鮮人一名を殺害

一、被告Dは同月四日同演武場に於て殺意の下に木刀を使用し、他の群衆と相協力して犯意を継続の上鮮人三名を殺害し、尚同署事務所に居りたる鮮人一名を引出し群衆中に放出して殺害せしめ(以下略)

自業自得の天罰

一般常識があればすぐ解る、人類のゴミ、朝鮮塵本末転倒の嘘!

 顔が似ており、ましてや突然の大震災時、朝鮮塵のみを選別不可能は常識

 大震災時に、日本人の「助け合い」とは真逆な、悪逆非道の限りを尽くすヒトモドキ集団を発見!急遽自警団を組織し、成敗した。

 「成敗されたヒトモドキを調べたら、なんと!コトゴトクが朝鮮人であった」ということである。

 朝鮮塵のみが、震災(助け合い)の非常時に反乱を起こして、日本人を虐殺しまくった。結果、「朝鮮塵のみが成敗された」。朝鮮塵、自業自得の顛末である。

 

 成敗は当然である。がしかし、日本政府は保護のため、「不逞鮮人では無い鮮人」を退避させたのだが、巻き込まれ成敗されたのもいた。同族の卑劣な愚行を、常日頃阻止することをしなかった(現在も同様に同族からの非難は皆無)のが原因で、同類扱いされたのである。自業自得の天罰で、已むを得まい。

 朝鮮人とはこの著者朴慶植のように、他人の粗探しと本末転倒の嘘にはうつつをぬかすが、自己反省は全く皆無の、ヒトモドキ民族だ。自浄回路や人間回路が全く無い

職責履行給料泥棒罪日スパイ銭生生徒洗脳(滋賀県・近江八幡市立八幡西中学校)

東京新聞2012年6月9日関東大震災の歴史在日コリアンに学ぶ 滋賀の中学生、都慰霊堂で

 都内へ修学旅行中の滋賀県・近江八幡市立八幡西中学校の3年3組の生徒たちが8日、都慰霊堂(墨田区横網)を訪れ、関東大震災時の朝鮮人虐殺など、大震災の歴史を学んだ。

 生徒に説明したのは、在日コリアン3世で朝鮮大学校(小平市)理工学部2年、金華暎(キムファヨン)さん(19)。人権教育に力を入れる八幡西中は、地元の朝鮮学校を通じて東京での案内役の紹介を依頼。歴史ツアーのガイド経験を持つ金さんが、大学校から推薦された。

 都慰霊堂には、関東大震災と東京大空襲、計16万3000の遺骨を安置。敷地の横網町公園内に、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑もある。生徒ら約40人は慰霊堂で担当者の説明を受け、朝鮮人犠牲者追悼碑に黙とう。再び慰霊堂に戻り、金さんの解説を聞いた。

 金さんは「関東大震災で『朝鮮人が暴動を起こした』というデマが流れ『朝鮮人狩り』も行われた。『十五円五十銭』をきちんと発音できないと朝鮮人とみなされ、日本人も殺された」と解説。現在もさまざまな在日コリアン差別があると話し、「みなさんと会えて幸せ。私ももっと学びたいので、みなさんもしっかり勉強してください」と呼び掛けた。

 女子生徒は「殺された朝鮮人がどれだけ苦しかったか、今も差別があるのはおかしいと思う」と話した。(榎本哲也)

 

犯日スパイ養成学校朝鮮学校の正体。いたいけな子供に犯日教育は、洗脳である!

職責履行給料泥棒罪日スパイ銭生の学校

近江八幡市立八幡西中学校 

523-0056 滋賀県近江八幡市古川町50 

TEL 0748-34-8383  FAX 0748-34-8007 

 

ネットの格言「犯罪者を嫌うのは差別ではない!常識だ!

可愛い奥様04/08/09 
嫌われることばかりをしてる人を嫌うのは差別ではない!

 年配の人ほど、マスゴミに流されませんよね。私の祖母はもう故人ですが、中国人と朝鮮人について経験から出た認識を持っていました。「差別!」と祖母を糾弾した私に、

 「嫌われることばかりをしてる人を嫌うのは差別ではない差別、差別と印籠のように突き出してくる人間こそ卑怯者の差別者だ」と言ってました。

 

 差別ではなく人間にあるまじき鬼畜の行ないをするから成敗されるのだ!我慢にも限界がある。罪日の悪逆振りを見ても、見ぬ振りの善人面、何もせずの同族朝鮮人も同罪である!

 唯物の「友好」は「金くれ(一方的)」で、真の「友好(互恵)」では無い!唯物(金くれ)に唯心(互恵)は、「どうぞ食べてください」との餌で、単なる餌食にすぎない!

 日本国民が戦後負託した職責者「言葉と文字界」は、職責不履行の巣と化し、正体は、スパイと思索回路無き欠陥者の巣窟である。

 戦後日本の「言葉と文字界」は、中朝韓罪日と同じで「自浄(思索)回路皆無」。外部からの改革以外に、方法は無い

 戦後復興に多忙で、考える暇が無く、職責者をただ信じ、鵜呑みした結果こんな日本に成ったのだ。鵜呑みせず、立派な先人から授かった子孫の頭脳で考えるのが子孫。資料はネットに溢れている。「なぜ?どうして?」と考えれば、おのずと道は開き、皆、一点に辿り着く!

 

 真実や 明治は今朝に なりにけり 真実史観

 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観昭和天皇沖縄苦渋の英断一石(統治委任長期貸与)二鳥(防衛主権確保)

1昭和天皇沖縄苦渋の英断一石(統治委任長期貸与)二鳥(防衛主権確保)

 「日本九九年戦争・資源無き島国日本、適者生存戦国時代唯一の術は、先手あるのみ。後手の本土戦は、兵糧攻めで必滅。露西亜、清国(属国朝鮮)南下阻止が第一義、後手は必滅、先手で打って出た。 

 結果が台湾朝鮮(自立不能で)統治(極東共栄圏樹立着手)、満州建国尽力(凶産の砦)、日中戦争(中国凶産化での中ソ凶産連合阻止)、南京政府樹立尽力(中国凶産化阻止)で極東共栄圏構築。

 日中(反共)戦争で疲労困憊の日本は、戦国の定法弱肉強食、恰好の餌食となった。米英中蘭(ABCD)が兵糧攻め、ハル・ノートで降伏を迫った。出稼ぎ戦争対、日本は死活戦争。極東から大東亜に共栄圏樹立を拡大し、あらん限りに戦ったが、大東亜同胞の、完全覚醒追随まで戦いきれず、矢尽き刀折れ、敗れた。

 がしかし、戦いざまに共振した同胞が、一気に蜂起、独立。1960年の植民地独立付与宣言(互恵)が根幹となり、自由貿易64年開放経済)、平等65年人種差別撤廃を成し、凶産は残ったが、戦争目的は完遂した。弱肉強食の世に、戦後67年間のごとき無能無策の後手日本なら、何もかもが消滅していた。それでも戦後消滅しなかったのは、『身体を筆にし、流れる血と汗と涙でえがいた先人の、人類への遺書』以外、あろうか!

 “戦かわざれば”の平和論があるが、防共の砦日本が去るやいなやすぐさま凶産化、朝鮮戦争惹起したもう一方の真の敵、中ソ凶産連合軍隠蔽スパイの、工作論である。ABCDと“戦かわざれば”の降伏は、防共の砦無き丸裸日本で、中ソ凶産の、恰好の餌食となった。この戦いは、目的も無きただの防御戦。多勢に無勢で、瞬時に最後の独立国日本は潰え、日本族の名を残すのみの、まさに、犬死に無駄死にの戦争となっていた。同胞の、支配者からの独立も無い!新秩序など、当然無い!支配者と、被支配者の地球に成っていた!」

 

 蝦夷も熊襲も時代に逆行せず同化。そして琉球も同化し、有色人同胞の隆盛、人類新秩序の魁を成した。その民が沖縄県民である事は紛れも無い事実である。時代に逆行沖縄独立論なるものがある。検証して見よう。

沖縄の歴史

 「琉球」は中国文献上の他称であったが、後に自称とした。「沖縄」は、宮古・八重山等周辺の島々に対しての本島名で、沖縄固有の言葉が語源の名称。『琉球と沖縄の名称の変遷』小玉正任著2007年琉球新報社 

 稲作・畑作を中心とした農耕社会に移行は12世紀ごろから(グスク時代)で、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるため、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘(朝日新聞 2010年4月16日)、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住した者が主体と推測されている。
「沖縄県民と九州以北の本土住民とは同じ祖先」論駄目押し
琉球大学も沖縄タイムス文系は丸暗記回路のみで思索回路皆無欠陥者かスパイだが理系は正常のようだ!
2914年9月17日 沖縄タイムス
沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定
 琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを中心とする共同研究グループは琉球列島の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来すると発表した。これまでも沖縄本島地方についての研究データはあったが、八重山・宮古地方も含め、大規模に精査した点が特徴。英国に拠点がある分子進化学の国際専門雑誌「モレキュラーバイオロジーアンドエボリューション」の電子版(1日付)に掲載された。
 木村准教授は「沖縄の人々については、東南アジアや台湾などに由来するといういわゆる『南方系』との説もあったが、今回の研究はこれを否定している。沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で貴重なデータになる」と話している。
 研究では、沖縄本島、八重山、宮古の各地方から計約350人のDNAを採取。1人当たり50万カ所以上の塩基配列の違いを分析した。
また、宮古・八重山諸島の人々の祖先がいつごろ沖縄諸島から移住したのか検証したところ、数百年から数千年と推定され、最大でも1万年以上さかのぼることはないとの結果が出た。宮古・八重山ではピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人(2万年前)の人骨が発見されており、現在の人々の祖先なのか関心を呼んできたが、主要な祖先ではないことを示している。
 一方、港川人(1万8千年前)については、沖縄本島地方の人々の主要な祖先ではない可能性が高いとみられるものの、さらなる精査が必要という。
 共同研究に携わったのはそのほか、北里大学医学部や統計数理研究所など。
 琉球列島内で見ると、沖縄諸島と宮古諸島の集団は遺伝的な距離が比較的離れており、八重山諸島の集団が中間に位置していることも判明した。
 さらに詳細2914年9月16日 琉球大プレスリリース「ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動における取材について」
古語に近い、青森・鹿児島・沖縄方言の違いはあるが、沖縄も本土も同じ言語(日本語文法も)なので、常識で考えれば、子供でも解ること!

 1609年、薩摩藩は琉球王国の領土だった奄美大島を経て沖縄本島・首里城に進軍。琉球王国は4000名の兵士で対抗したが敗れ、尚寧王が首里城開城(本土も戦国時代であった)。以降琉球王国は、「日清重属」

【資料3】宮古・八重山分島改約案(1880 年)より転載、部加筆。
1. もともと琉球王国は、薩摩藩を介して徳川幕府に朝貢する一方で清から冊封を受けるという「両属状態」にあった。

2. 19 世紀のヨーロッパ国際法から逸脱するこの琉球王国の体制に対し、明治日本政府は、1872年に琉球王国域に琉球藩を設置、さらに1879年に同藩域に沖縄県を設置する(すでに廃藩置県が行なわれたあとに、琉球=沖縄にだけ「藩」が置かれたことに留意)。

※開国しての戦国時代対処の為、幕藩分国体制ではなく中央集権化し、一丸となった。琉球王族は日本の華族となった。

3. こうした日本国の一連の独走的な動きによって日清間の亀裂は深まり、1871年締結された「日清修好条規」の更新は難しくなった。

琉球王国消滅に不満を抱いた一部の旧支配者層(清に朝貢派)は、「脱清人」として琉球王国と親密な関係にあった清国に亡命、清政府に「琉球王国の再興」運動。琉球王国の再興派「頑固党」と、反対派「開化党」が対立した。

※本土でも同様にあり、沖縄のみではない

4. これに対して調停に乗り出した元アメリカ合衆国大統領グラントに対して、1880年、日本国側は「琉球分島案」を提示する。これは宮古・八重山列島と沖縄諸島とに旧琉球国を分割し、宮古・八重山列島に清の主権を、残りに日本の主権を確立するというものであった。

5. この「譲歩」に対して、清はすべての旧琉球王国域の清への併合を主張し、両者は平行線をたどる。

6. 琉球をめぐる日清間の国境紛争は、これと同時期に、中国内陸部における清露間の国境紛争(イリ問題)に清が忙殺されたこともあって、うやむやとなる。

7. 結局、この琉球分島案は日清間で調印されず、日本国による旧琉球国域への主権行使は既成事実化する。

※清国の現実(「暗黒大陸中国の真実」タウンゼント著)を知悉していた琉球島民は、清国支配は避け、賢明な自立を維持していた。

8. このあと1894/95 年の日清戦争での日本の勝利に伴う台湾割譲によって、問題自体が消滅する=「台湾までが日本なのだから、沖縄は当然日本である」。

 

清の敗北によって琉球王国再興の道は断たれ頑固党も沈静。その後、「日本の主権を認める代わりに、尚家による統治を求める」という「公同会運動」が起こったが、日本政府は却下。公同会運動も消滅。米軍統治下での独立運動は、「奄美人民共和国」の建国を掲げた非合法組織の奄美共産党(奄美大島社会民主党)、次いで沖縄共産党(合法組織として沖縄人民党)が結成された。

  住民の多くは日本への復帰を望んでいたため、琉球民族の解放を掲げ沖縄独立扇動していた中ソ凶産の手下日本共産党や日本社会党も、「独立」から「復帰」へと運動方針を変更。本土復帰後、沖縄独立運動は沈静化。「琉球文化復興運動」へと変化し、落ち着いた。 

 2005年から2007年琉球大学准教授の林泉忠(在日香港人英国籍)は、沖縄・台湾・香港・マカオ4地域の人々の本土(日本や中国大陸)への帰属意識と、「独立か否か」の調査を行い、4地域の意識の違いを発表。サンプル数は、毎年毎回どの地域も1000以上としている。林泉忠「沖縄住民のアイデンティティ調査(2005~07)」『政策科学・国際関係論集』第9号、2009年3月

沖縄住民意識調査

独立が、2005年24.9%、06年23.9%、07年20.6%と下降。

独立不可が、2005年58.7%、06年65.4%、07年64.7%と上昇。

 2006年の沖縄県知事選挙では、「琉球独立」を掲げる琉球独立党(現・かりゆしクラブ)党首の屋良朝助が党公認で出馬したが、得票数6220票、得票率0.93%で落選している。

 現実と逆比例し、「沖縄独立」を扇動する沖縄マスコミは、凶産中国スパイとの、自白!川満信一が発表した「軍備・司法機関(警察・検察・裁判所」の廃止、「私有財産の否定」、「情報の統制」、「商行為の禁止」を謳った「琉球共和社会憲法C私(試)案(『新沖縄文学』沖縄タイムス社、1981年6号)」に至っては、何をかいわんや。

 川満信一(1932~沖縄・宮古島生まれ。1952年琉球大学国文学科入学。『琉大文学」に参加。1956年沖縄タイムス社に入社(記者)、鹿児島支局長、「新沖縄文学」編集長、文化事業局局長など歴任。詩人・思想家とある。現実界実技体験無き文系は、表音丸暗記記憶、現実と非現実の見境が無い、「言葉と文字」がいかにも軽い。現実を深く踏まえての生きる禍福が宮沢賢治や高村光太郎の詩で、現実皆無の夢想家などではない。  

 現実と非現実の見境がつかず大きく現実離れした沖縄マスコミ(言葉と文字界)は、まさに「」信号である。

 台湾以東中国の海軍は、台湾・沖縄に阻まれ自由に太平洋に出ることが出来ない。そして中国凶産軍の手かせ足かせ、邪魔者が沖縄駐留米軍である。自由主義社会は、凶産束になっての個人札束攻撃には極端に脆い(WW2日米開戦起因)。実技無き信念無き「言葉と文字界」は、特に札束に脆い人種の集まり。沖縄の公務職(教授、先生、役人、政治屋)と報道(TV、ラジオ、新聞、出版社)の、自国日本防衛は置き去りにした異様な発言、報道行動は、中国凶産の手先と見てまず間違いはない。現在の沖縄マスコミ(言葉と文字界)は、人類の敵凶産の、巣窟となっている。

 現在沖縄独立運動を行っている政治団体はかりゆしクラブ旧・琉球独立党で、国政選挙、地方選挙では屋良朝助代表が政党候補者。現代に、「奥州平泉独立運動」を叫んでいるようなもので、時代逆行である。「かりゆしクラブ」は凶産スパイと言える。

1894年日清戦争開始前夜の論文

【資料4】田代安定「八重山群島住民ノ言語及ヒ宗教」1894

①我か八重山群島の如きは世人の注意甞て冷然たりしに拘はらず、其民族、宗教及ひ史跡等の点に亙て論するときは純然たる日本元素を以て組成せるものにして・略

②甞て迂儒俗士輩往々沖縄諸島の土俗を目して皇和の民俗の範囲外に居る者と為し、

③甚しきは一国の骨相たる言語まても西土の余響を帯ふる者の如く厚顔色に唱説し・略

④是等間接的の売国奴は予輩名して聾盲観風者と呼び為せしことあり。・略

⑤八重山群島土民の如き其歴然として掩ふへからさる日本固有元素中ニ滋息せる生霊に対して斯の如き妄評を下す者は、啻に朝廷祖宗の罪人のみならす亦八重山群島土民の罪人たるを免れさるものなり。

⑥言語○ 八重山島民の語は純然たる日本語の系統に属する者にして

⑦現今は沖縄諸島と共に訛転十の七八に居れり。

⑧故に無用意にして之を聴くときは喃々焉として猶ほ外国語のことし。

⑨外来の諸客殆んと解し能はさるなり。

⑩而して其一語一語に意を留ね能く解析するときは、皆日本語の脈絡を連接するものにして、

⑪只斯く用辞の変転せしものとか驚くのみなり。

⑫亦往々高尚なる日本古言を現存するものも尠からす。・略

⑬亦往々伊豆諸島語にも類似するものあるを覚ゆ。

⑭左するは八重山島語は同く日本語なりと判定するも敢て摯拘にあらさるへし。・略

⑮然り而して時としてはマレイ語の転訛にはあらさるかと思はるるもの亦尠きにあらす。

但支那語に至ては僅かに屈指するに足るへき物名等の止るのみにして別に言語として挙くへきものなし。

○要するに「八重山島民は純然たる日本人であり、その証拠に「一国ノ骨相タル言語」は、よくよく聴けば明らかに日本語であり、しばしば「高尚ナル日本古言」を留めている。伊豆諸島語にも似ており、伊豆諸島語が日本語であるのだから八重山島語もやはり日本語というべきであろう。マレー語の影響はあるが支那語の影響は少ない」、ということになる。この最後の点は、この論文の発表が1894年の日清戦争開始前夜であることを思えば意義深い。

南北日本は海洋民が祖先。八重山群島も沖縄諸島も共に、薩摩弁、東北弁、山形弁、津軽弁、北海道弁等の方言

 

反日で親中教育SAPIO2012年6月6日号

 「尖閣諸島中国漁船衝突事件」の反日デモでは「収回琉球、解放沖縄」横断幕。中国共産党系の雑誌『環球時報』2010年9月19日号「琉球は明治政府が中国から強奪したものだ。今でも日本政府は琉球独立を弾圧している。琉球人は中国の福建と浙江、台湾の人間だ」と掲載。

 八重山地区(石垣市・竹富町・与那国町)の竹富町では教育委員会が決定に従わず、「(中国皇帝への)朝貢体制の中で繁栄した『琉球王国』」、「政府は1879年、軍隊の力を背景に、琉球の人々の反対をおさえつけて、沖縄県を設置」と記述の東京書籍版採用とし、訴訟。

 

沖縄独立論原典「寺崎メモⅠ

 当時筑波大助教授の進藤栄一が、ワシントンの国立公文書館分館で発見し、発表した論文“寺崎メモⅠ1979(昭和54)年4月”に至るまでの経緯と背景。

1945(昭和20年8月9日長崎に原爆投下。ソ連参戦。

 9月17日天皇マッカーサーを訪問

1946年1月1日天皇人間宣言

 1月4日GHQ軍国主義者の公職追放指令

 4月10日第22回(戦後第一回)総選挙

 6月18日キーナン検事、天皇は訴追しないと言明

 11月3日日本国憲法公布

1946年(昭和21中国内戦国共赤化(同族殺し)戦争に突入

1947年5月3日日本国憲法施工

 日昭和天皇はマッカーサーに三度目の訪問をし、対日講和成立後「アメリカが撤退した場合誰が日本を守ることになるのか」と直接元帥に問い、講和後の日本防衛問題を憂慮していた。

 23日片山哲、内閣総理大臣。初の社会党政権

 月末、ソ連は、米国提案朝鮮統一選挙を拒否。以後本性(凶産党是世界征服)を現したソ連は、中国や北朝鮮を使い、侵略を開始した。

194728赤化戦争敗走の蒋介石軍、台湾に逃げ込み、行政公所の要職は新来の外省人が独占、更には公所と政府軍の腐敗により、それまで台湾にいた本省人(台湾人)が公所と政府軍に反発し、1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起きた。

 「2・28台湾人虐殺事件」台北市内の闇たばこ取り締まりをめぐる市民殺傷事件を発端に起こった。国民党による台湾人虐殺事件。国民政府は台湾人の抵抗意識を奪う為に、知識階層・共産主義者を中心に数万人を処刑したと推定されている(2・28白色テロ)。

 

最悪の中で最良の苦渋の決断を下した昭和天皇

1947(昭和22)年20シーボルトが書いた寺崎メモⅠ」

 922シーボルトメモ

1948(昭和22)年初旬寺崎メモⅡ」

 国務省は、再度寺崎-シ-ボルトのラインを通じ、アメリカが「ソ連の侵略と、さらに浸透とから守るため」東アジアの防衛前線(デフェンス・ペリメター)を確認し、新に「南朝鮮、日本、琉球、フィリッピン、それに可能なら台湾を、アメリカの(防衛)前線として」確定するよう要請したメッセージを受ける

戦後復興における日本の安全保障の危機、共産勢力の工作の危機を看破した昭和天皇「最強米軍沖縄駐留」再度の念押しである。「可能なら台湾を」の本意は、「可能なら台湾住民を」で、「蒋介石国民党を」ではない。台湾はアメリカの傀儡蒋介石が占領している。

1949(昭和24)年ソ連が原爆保有を表明

 10月に中華人民共和国が成立(中国凶産化

 アジアの凶産化は朝鮮半島、台湾海峡、ベトナム等でいつ起きてもおかしくない状況下となっていた。、日本国内で強硬に主張されていた「全面講和」は絵空事に過ぎなかった。

1950年1月12日アメリカトルーマン政権のディーン・アチソン国務長官が、「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言(「アチソンライン」)し、韓国は除外された。これは、アメリカの国防政策において「太平洋の制海権だけは絶対に渡さない」という意味であった。しかし、中ソ凶産連合軍と金日成等はこれを、「西側陣営アメリカ等は南半部(韓国)放棄」と受け取り、一気に南下し、朝鮮戦争勃発(1950.6.25.~53年7.27)

 この発言は、寺崎メモⅡ・1948に、呼応していることを見逃してはならない。昭和天皇苦渋の決断にアメリカは見事に応えたのだ。

 朝鮮戦争でアメリカは、日本の立場(日中戦争は防共戦争・満州朝鮮半島は日本の砦)を心底理解し、共産は凶産と、全員がやっと看破した。そしてレッドパージが始まった。

1950~1954マッカーシズム(赤狩り・レッドパージ)

 こうした経緯で共産は戦争元凶の凶産とやっと気づいたアメリカは、冷戦体制化の1950年2月マッカーシー(1908~57)上院議員が国務省内に多数の共産分子がいると攻撃し、その追放を求めたことから始まり、リベラル(自由主義)派の官吏・外交官・文化人・軍人をすべて(ほとんどが言葉と文字業)共産主義者と決め付ける、ヒステリックな赤狩りが行われた。1954年にようやく良識と冷静を取り戻し、12月マッカーシーはその非民主的な調査と攻撃法から上院の非難決議を受けて失脚、この運動は鎮まった。追及の手は芸能界にまで及んだ。ルーズベルト、トルーマンも攻撃の対象にされた。

 

ソ中凶産に対抗可能米軍のみ!米駐屯軍絶対不可欠と護国念押しの昭和天皇!

1955年米国で安保条約改定。

 「8月20日 渡米の使命について細かく内奏し、陛下より駐屯軍の撤回は不可であること、また知人への心のこもった伝言を命ぜられた」続重光葵日記

 

「韓国が負けるのは傍観視できるが、日本だけは死守しなければならない」

「米軍が朝鮮戦争に参戦したのは決して韓国のためではなく、共産主義から日本を守るためだった」

 1970年9月16日シカゴを訪れたニクソン元大統領の、メディア関係者への、オフレコを前提にした発言。

 「思い出してみたまえ、あの当時、日本がどれほど弱い存在だったかを。あの時、韓国がもし崩れていたら、当時の日本は、共産主義に傾倒した非常に強力な社会党を持っていたために、共産主義の軌道に引きこまれざるを得ない状況だったのだ」

 「もし北朝鮮軍が韓国軍に勝つことにでもなれば、共産主義はドミノ倒しのように日本に襲いかかるだろう。韓国が負けるのを米国は傍観できるが、日本を失うことは絶対にあってはならない

 「これこそが朝鮮戦争への参戦を決めた理由だったのだ」米軍事機密文書米国務省公開2012年5月28日

凶産は人類の敵!

 日本を凶産主義から守るために、米兵5万5千人が朝鮮戦争で命を落とした。休戦協定後もなお、3万人もの米兵が韓国に駐留している。ルーズベルトも、米軍も、米国民も、凶産スパイの手練手管で錯誤し、太平洋戦争となった。朝鮮戦争で真実に目覚めたのだ。真の敵は凶産と!石原都知事の子供じみた米国非難は、思索回路無き短絡非難と言える! 

 

WW2元凶(マスコミや国連へのハニーマネートラップで情報操作)凶産看破は戦後である

 当時共産を凶産と看破し、満州国建国・日中戦争を反共戦争と喝破していたのは、日本(台湾・汪兆銘政権中国人・満州・南洋諸島・朝鮮)と、「日本を助けよ!」のローマ法王ピオ11世と、「日本は防共の砦」発言のフーバー元大統領と、「アメリカはアジアに介入するな!」ラルフ・タウンゼントのみである。ジョージ・F・ケナンすらもまだ、上の空であった(「長文電報」は戦後の1946年)。

 満州国建国助力は防共の砦化で、日中戦争は防共戦争(中国も赤化しての、対中ソ戦争となれば、日本亡国は必然である)。証拠は、防共の砦日本が消失した途端に中国赤化完成し、中ソ赤軍が連合して侵略(凶産党是は世界征服)の朝鮮戦争(1950年6月25日)。アメリカは、朝鮮戦争でやっと真実に覚醒(我々は戦う相手を間違えていた)した!

1947(昭和22)年20寺崎メモⅠ

 

「分割された領土・世界・1979年4月初出」進藤栄一著2002.岩波書店より抜粋

32p

 ――琉球は、あらゆる点から日本の一部とみなされるべきであって、中国がその帰属を強く主張した場合、ないし住民が(日本からの)「主権の変更」を希望した場合には。国際委員会を作り、その決定に委ねるが、この場合も、国連軍の基地をおくことは妨げない。

 ――いずれにせよ、敗戦国日本に帰属さるべき領土は、日本が侵略によって得た領土でなく、日本「固有の領土」に限定さるべきであるという、領土不拡大の原則が貫かれた。明らかにそれは、軍が主張していた対ソ戦略上の拠点として「諸小島」を位置づける立場と、対峙するものであった。

35p

琉球をどうするか

 琉球に関しても、軍部の次のような見解――すなわち、沖縄を含む北緯30度以南の南琉球をアメリカの主権下におくべきで、たとえそれができなくとも最小限、琉球列島の一部、特に沖縄にアメリカの恒久軍事基地をおくべきだという軍部の見解は退けられ、琉球は、一体として「日本に返還されるべき諸小島とみなされなければならない」ことが勧告された。その勧告の論理を、彼らは次のように明示する。

 「アメリカが沖縄や沖縄以外の琉球列島に恒久基地を作るなら、国際的に恐るべきリパカッションを惹き起すことになるだろう。――その基地の存在は、太平洋上で現にアメリカが保持している他の基地と共に、かつそれが中国沿岸にきわめて近接したものであるために、中国の不興を買うものとなるだろうし、多分ソ連は、その基地建設をアメリカの正当な防衛行動としてではなく、挑発的脅威とみなすはずである。――」

65p

 すでにその年(1947)5月6日、天皇はマッカーサーに三度目の訪問をし、対日講和成立後「アメリカが撤退した場合誰が日本を守ることになるのか」と直接元帥に問い、自ら講和後の日本防衛問題への関心を見せていた。それに関連して9月19日、寺崎は。「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるためとしてシーボルトを訪ね、次のようなメッセージを与えた。

 「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を初め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民が、ロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが“事件”を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちうることができるだろう。

 天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存(リテインド)させた形で、長期(ロング・ターム)の――25年から50年ないしそれ以上の――貸与(リース)をするという擬制(フイクション)の上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、特にソヴェト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差し止めることになるだろう」。

 

※日中戦争は日本の防共自衛戦争なのに、凶産無知米英仏蘭等が凶産に洗脳され横車介入。軍隊のみ無条件降伏の日本軍は、強制解散。横車米英蘭等との戦争は終わったが、真の敵凶産は勢力倍増(中国赤化し中ソ凶産連合)しさらに増殖中

 そして今、真の敵、勢力倍増凶産追撃で蒋介石は台湾に逃げ込み、台湾も今や凶産の嵐吹き荒れんとし、敗戦悲惨なお続く沖縄にも、死者に鞭打つ赤化の嵐が吹き荒れんとしていた。

 腹心ことごとく粛清され、真実は隠蔽され捏造されて、八方が敵の今、真実の敵凶産を知る唯一の実力者は、昭和天皇のみとなった。護る力、日本軍はすでに無い。昭和天皇の心痛いかばかりか、はかり知れない!

 禍(死者に鞭打つ)福(凶産南下防共の砦)糾っての決断が「最強米軍沖縄駐留」。「戦った敵に防共を委ねる」は苦渋の決断であり、最良の決断と言える!首相芦田は日本本土を想定で不明確だが、天皇は対象を沖縄にズバリ限定した。ここに昭和天皇決断の凄味があるのだ。結果凶産と看破したアメリカは天皇本意防共を察知し、天皇の意向に従ったこの苦渋の深慮(最強米軍駐留)は見事に開花、昭和天皇悲願(防共の砦沖縄)は成就し、凶産中国南下は阻止され、台湾も沖縄もインドネシアもフィリピンも護られた。物事には全て禍福あり、現実界は好いとこ盗り不可!反論者は対案を言え2につづく

真実史観2天災坩堝沖縄は共産極致互助絆島凶産と共産は真逆錯覚は済州島惨劇

2天災坩堝沖縄は共産極致互助絆島凶産と共産は真逆錯覚は済州島惨劇

 講和後の日本の安全保障を確保するためアメリカが沖縄を長期占領基地化し、日本は主権を残存させた形で沖縄をアメリカに長期貸与すること――不完全ながらも日米間の対ソ軍事協力という日米安保体制の原像が、沖縄を結節点としてここでは逆に日本側から提示され、その承認が要請されていたと言えようか。日米間の軍事協力と対日講和との連関を、寺崎は、天皇の意見と区別された私見として次のように付加する。

 「そのための手続きに関し寺崎は、(琉球列島内の沖縄を始めとする島々の)“軍事基地権”の獲得が、連合国の対日講和条約の一部としてではなく、アメリカと日本との間の二国間条約によってなされるべきだと考えている。寺崎によれば前者の方法は、強制された講和の色彩を著しく濃くし、(アメリカに対する)日本国民の同情的理解を危うくする恐れがあるからである」

※なぜ「二国間条約」か?共産を凶産と看破の兆しがみえる(前年1946年ケナンの「長文電報」)アメリカとのみの防共作戦とすることで、より早く対処できる。他国は未だに錯誤中そして「貸与(リース)をするという擬制(フイクション)の上になされるべき」は、米国以外の、他国(特に凶産中ソ)の干渉を封ずるものであったと言える。

東京からワシントンへ

 9月20日、シーボルトはこのメッセージをまずメモランダムによってマッカーサーに伝え、さらに二日後、メモランダムの写しを同封した上その要旨をマーシャル長官に送付した。

 「天皇からのメッセージ」が、天皇主導下に出されたものか、寺崎を含む天皇側近たちの主導下に発せられたものなのか、今日断定することは困難である。そのためにはなお日本側資料の公開を待たなければならないだろう。しかし、戦時下より天皇側近たちが戦後日本の「赤化」を極度に恐れ、占領下にあって彼らが外務省要人らとアモルフな政治集団を形成し、その輪を占領軍と政権担当者にまで拡延し、ソ連と共産主義の“脅威”を総司令部当局に説き続けていたこと、しかも当時極東国際軍事裁判所でオーストラリアと共にソ連が、天皇を戦犯として裁くことを要求し続け、天皇戦犯問題になお決着が突いていなかったことは、十分記憶に止めておくべきことかもしれない。

 ――ソ連抜きの片面講和推し進めるべきだと政策企画部の立場を、正当化するものであったし、――しかも、戦略的信託統治方式によらず、潜在主権を残した形で沖縄を租借する方法は、当時沖縄統治にかかる出費に悩む陸軍と国務省首脳にとって、まさに恰好の代案と受け止められた。

 国務長官マーシャルは、――ただちにケナンに回送し、ケナンは、当時作成中の対日講和構想の付属文書(PPS10-1)として、沖縄に関する特別勧告書をしたためる。そしてその中でメッセージの重要性を次のように強調した。

 「政策企画部は、南琉球をアメリカが統治する原則を承認する。政策企画部が注目しているのは、日本国天皇が、アメリカは、沖縄を始め(アメリカ側の)要請する他の島嶼を、日本に主権を残存させた形で、長期――25年から50年ないしそれ以上にわたって軍事占領し続けるべきだという示唆を伝達してきていることである。政策企画部は、この方式を戦略的信託統治の代案として十分検討すべきものと考える」。

 翌48年3月初旬、ケナン訪日と差し違いに国務省は、再度寺崎-シ-ボルトのラインを通じ、アメリカが「ソ連の侵略と、さらに浸透とから守るため」東アジアの防衛前線(デフェンス・ペリメター)を確認し、新に「南朝鮮、日本、琉球、フィリッピン、それに可能なら台湾を、アメリカの(防衛)前線として」確定するよう要請したメッセージを受ける

寺崎メモⅡ」。昭和天皇「最強米軍沖縄駐留」再度の念押しである。前述のように、アメリカは気付いてアチソンラインで応え、狩りまで発展した。「可能なら台湾を」の本意は、「可能なら台湾住民を」で、「蒋介石国民党を」ではない。台湾はアメリカの傀儡蒋介石が占領している。

 ――ケナンは――ソ連共産主義の政治的脅威の持つ軍事的意味についての、具体的イメージを日本に関し手にした。――講和はすぐに結ばれるべきものではなく、少なくとも共産主義への抗体が日本国内に定着するまで延期され、占領軍は駐留を続けるべしとの考えに向かったのである。

 ――対日政策に関する政策企画部の勧告は、48年夏から秋にかけて、軍と大統領、国務省首脳などの同意を得た

 ――後年、この、自らが掉さした片面講和への政策転換と、朝鮮戦争との内的連関を、皮肉にもケナンは次のように回想する。

 「――当時のワシントン政府筋は、――ワシントンの行動と政策がソヴェトの振る舞いに与えるかもしれない影響について鈍感で、理解できない様子であった。条約締結後も日本にアメリカ軍の無期限駐留を行うことを含めて、われわれが日本との間に単独(片面)講和条約を一方的に進めようと決意したことを、他方では、ソヴェトが朝鮮で内乱を起こそうと決意したこととの間に関連があったことを、ワシントンでは私を除いてだれひとり気づいたものはいなかったようであった」。――

 ともあれ、51年9月、サンフランシスコ講和会議で沖縄は、「天皇からのメッセージ」が示唆したように、潜在主権を日本に残した形でアメリカが領有し、軍事基地をおき続けることが認められソ連共産主義の脅威に対処するために、日米安保条約が結ばれた。また千島は、政策企画部の勧告とは違って、日本領土から剥奪されることが規定されたけれども、講和条約26条の形を借り、もし日本が千島に関しソ連に利益を与えた場合、アメリカにもまた同様の利益を与えなければならないという、事実上の対ソ取引禁止条項が加えられた

 それから27年余。沖縄は返還されたが、基地は残った。そして北方領土は、いまだ解決を見ず。日米中アンタンテの中で今日もなお日本外交の最大懸案の一つとなっている。(「世界」1979年4月)

※戦後復職の赤化凶授に洗脳された丸暗記学生が騒いだのが、「安保騒動」である。「空論反対ごっこ」であった。

 当時の日本、ここまで現実的に日本を護るための手段を打てる政治家は、粛清され皆無であった。昭和天皇以外、他に誰もいなかったのである。

 日中戦争と大東亜戦争の血で購(あがな)って得た日本の悲しい教訓で、昭和天皇は苦渋の決断を下した。連合国による、沖縄の主権放棄要求を封ずる唯一の手段でもあったが、昭和天皇孤軍奮闘苦渋の戦いであったといえる。

ネット上の「寺崎メモⅠ」と「シーボルトメモ

1947(昭和22)年20寺崎からのシーボルト聞き書き寺崎メモⅠ」日本語訳全文

マッカサー司令官宛シーボルドの寺崎氏との会談メモ(1947年9月20日)

PDF版2ページ目 http://p.tl/eHNI
「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問から1947年9月22日付通信第1293号への同封文書

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 連合国最高司令官総司令部外交部

 1947年9月20日

 マッカーサー元帥のための覚え書

天皇顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため、時日を約束して来庁しました。

 寺崎氏は、天皇は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう望んでいると、言明した。天皇の見解は、そのような占領は、米国の利益となるとともに、日本に防衛力を提供する事にもなる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼や左翼団体が台頭し、日本に内政干渉するための根拠としてロシアがつけこむような「事件」を引きこすことすら懸念している日本国民にとって、広く賛同を得るだろうと思っている。

 さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)にたいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借――25年ないし50年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心を持たないことを日本国民に納得させ、また、これによる他の諸国、とくにソ連と中国が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。

 手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講和という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解を危うくする可能性があるという。

                       W.J.シーボルト 

1947(昭和22)年22シーボルト自身の感想を書いたシーボルトメモ

国務長官宛てシーボルト二日後の送付文。

(PDF版1ページ目)PDF版 http://p.tl/eHNI
総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡

 主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解

 国務長官殿 在ワシントン

拝啓

 天皇のアドバイザー、寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付けのマッカーサー元帥あての自明の覚え書きのコピーを同封する光栄を有します。 

 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利(国益)に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。

 

                             敬具

               合衆国対日政治顧問 代表部顧問

                  W.J.シーボルト                東京 1947年9月22日

 

 この外交文書の機密解除が1979年(沖縄「復帰」後7年目)で、公開が同年4月岩波書店「世界」誌上である。終戦時、既に米軍占領下にあった沖縄が米国統治になったのはやむ得ないとしても、「天皇自らが(命乞いのように)沖縄を売り渡す手紙を書いた(実際は「天皇の密書」が存在するわけではない」のは許せないと息巻く人も出て、自称保守も、天皇自ら「沖縄をアメリカに売り渡す」と信じた者もいた。捏造屋格好の、犯日旗印となった。

 日本本土の国体護持のために沖縄を犠牲にしたとする切り捨て論や、最も分割の危険性が高かった沖縄を、長期貸与の形で回避し、潜在的主権を確保したとする主権確保論(正論)が未だに渦巻いている。

 ネット上には、上述のようにシーボルトの寺崎からの聞き書き文とシーボルト自身の感想文と二つある。進藤栄一著「世界」誌上には、シーボルト自身の感想文など当然不要なので記載は無いが、未だに正論決着しない原因はこの文であろう。

 シーボルト自身の感想文は「 a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest、(疑いをはさむ余地なく主としてself-interest から出た要望)」と自身の感想を率直に述べている。「self-interest 」は直訳すれば「我欲・私利・私欲・利己心」で軽蔑を感じるが、広義に意訳すれば、「日本の国益」となり軽蔑は無い。

 いずれにせよ前述のケナンの回想にあるごとく、当時のこの昭和天皇の深慮(凶産熟知しての防共砦化、かつ主権を残存潜在確保しての沖縄死守)は、米国でもケナン以外、まだ誰も気付いていなかったのであるから(日本でも皆無)、シーボルト感想直訳「我欲・私利私欲・利己心」でも、当然と言えるのである。

 

翌年刑死直前“1948(昭和23)年12月22日夜”東條英機最後の遺言

五、現在日本統治の事実的当事者である米国に対し、今後人心を離れしめざることと、赤化せしめざることとを頼む。私は誠意を失して、今度東亜諸民族の協力を得ることが出来なかった(※大東亜共栄圏未完成)。それが敗戦の原因であったと考えている。今後、日本は米国の保護のもとに生存を続けてゆくであろうが、極東の大勢は正に赤化の中にある。終戦3年にして既に然り。今後の変転を憂う。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上なしである。(花山註・この当時、共産軍は揚子江を占領し、上海、南京に戒厳令が布告され、中国共産党勢力は東南アジアに拡大し、全東亜の赤色攻勢のイニシアチブを執ると報ぜられた)――

 今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。第一は、日本の主とした赤化の防壁を破壊し去ったこと。第二は、満州を赤化の根拠地たらしめたこと。第三は、朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめたことである。米英の指導者は、これを救済する責任を負わなければならぬ。したがって、トルーマン大統領の再選は、この点に関して有り難い。――

 日中戦争起因は中国赤化による中ソ連合阻止で、1947年の昭和天皇は、赤化中ソ連合侵略阻止と沖縄死守に、正に孤軍奮闘した。

 

いずれもが一知半解の数々

【朝日新聞】
 鳩山由紀夫元首相は15日、沖縄県宜野湾市で講演し、米軍普天間飛行場の移設問題で「最低でも県外」と発言したことについて「ご迷惑をおかけしたことは申し訳なく、心からおわびしたい。同僚議員や官僚を説得できなかった不明を恥じる」と陳謝した。

 鳩山氏は「沖縄の皆さんが基地問題に悩まされ続けていることについて(解決策を)少しでも進めたかったが、自分の思いが先に立ちすぎて綿密なスケジュールを立てられなかった」と釈明した。

 ただ、鳩山氏は「他国の軍隊が一国の領土に居続けるのは異常。独立国の姿を取り戻さないといけない」とも述べた。鳩山氏が沖縄県内を訪問するのは、首相辞任後初めて。2012年5月15日

※精神病患者は、自分の病気を、精神病と認識出来得ないから、患者なのだ!好いとこ盗りのつまみ食い、単なる思い付き空論は、現実世界では不可で、落伍者。猫に鈴付け論ではなく、実行するのが政治家。好いとこ盗り拡声器では、政治家失格の亡国奴である!

 在学中の丸暗記知識のみを金科玉条のように崇め奉る、更新力皆無の、カルト話法(明らかに白でも生涯黒と言い続ける)一色に染まった戦後の「言葉と文字界」は、常人に非ずとの自白である。

 東大京大等文系(理系でも実業無き者は同類)は、更新力皆無のカルト話法、表音丸暗記屋芸人の巣窟である。大江健三郎、立花隆、半藤一利、ナベツネ、森永卓郎、秦郁彦、鳩山兄弟、御厨貴、加藤陽子、五百旗頭真、仙谷由人、菅直人、田原総一郎、朝日新聞主筆若宮啓文、小宮山洋子等々、思索回路無き丸暗記屋の一例である。

 輩は識者ではなく、単なる丸暗記芸人にすぎない!輩が常人なら、こんな日本になどは、ならなかった。 日本の戦後の反省は、こんな無責任極まりない輩を信じた事、託した事を反省すべきで、護国戦争ではない!

 「言葉と文字界(人類の敵凶産と同じ情報捏造界)」盲目信仰は、日本のみならず、近代社会における、新たな人類の敵である!

 

仮想と現実の見境回路欠落の嘘垂れ流す言葉と文字界芸人

 専門家気取りで朝鮮の願望史観垂れ流す漫画原作者雁屋哲(かりやてつ、1941年~ )本名、戸塚 哲也(とつか てつや)中国北京市生まれ。終戦後に引き揚げ、東京で育つ。東京大学に入学。大学卒業後、電通に入社。1974年の退社後、フリー。1988年にオーストラリアのシドニーに移住。韓半島や罪日への偏向迎合は異様である。

沖縄を米軍の基地にしたのは――昭和天皇である

「雁屋哲の美味しんぼ日記」2010年5月4日
 ――沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。それは、昭和天皇である。昭和天皇が「沖縄にずっとアメリカ軍に存在して貰いたい」といったのが始まりではないのか。昭和天皇の沖縄についての発言は、いちいち、私はここで挙げないが,様々な文書で明らかにされている。

 もし、私の言葉に疑いを抱く人がいたら、ちょうど良い機会だ、昭和天皇の言行録を、当たって欲しい。ちょっとした図書館に行って、昭和天皇についての書籍を調べれば、すぐに分かることだ。(その意図があるから、私はわざと、文書をここに引用しないのだ。読者諸姉諸兄が自分の目で、昭和天皇が何を言ったのか読んで欲しい。それで、驚かなかったら、おかしい)

 昭和天皇が、沖縄をアメリカに渡すと言った言葉に従って、その後の政府は忠実にアメリカに沖縄を自由に使うことを許してきた。――雁屋哲

 

 護国軍皆無の敗戦の中、沖縄の主権は確保(潜在主権)し、かつ凶産からの住民保護(委任統治)の一石(長期貸与)二鳥は、当時(昭和23年)の状況下において、禍福を糾った昭和天皇、最良苦渋の決断である。がしかし、最悪の中で最良の決断を下した昭和天皇も、捏造屋が講釈するとこうなるのだ。東大在学中の丸暗記知識金科玉条信仰は、東大カルト凶で、明白な新事実を目前にしても、東大卒信者の信仰は決して揺るがず、白でも黒と言い張り(東大カルト話法、更新皆無!

 

大和朝廷・天皇一族が朝鮮から来た!

雁屋 哲の今日もまた2009-11-16

 ――日本と、朝鮮半島の歴史は、そもそも、大和朝廷・天皇一族が朝鮮から来たところから始まって、二千年以上続いている。

 その途中、秀吉のような誇大妄想狂が朝鮮に攻め入ったり、明治維新以後西欧化以外に自分たちの生きる道を見いだせなかった日本の指導者たちによる朝鮮の植民地化などが現在のKoreansの日本に対する反感・嫌悪を作りだした物だが、実は日本人は、朝鮮・韓国人が好きなのである。

 それは、「冬のソナタ」に始まる韓流の勢いが一番身近だかが、何のことはない、日本の芸能界、スポーツ界、文学界、ではとっくの昔から韓国・朝鮮系の人間が人気スターの座を多く占めてきたのである。

 朝鮮半島から来た天皇を崇拝し、朝鮮・韓国を出自とする芸能人・スポーツ選手にあこがれる、 ――

※根拠皆無の捏造!韓半島南は白村江の戦い(663年)までは日本人海洋民文化圏の一部で日本人。現在の朝鮮人は以後北方民族と混血したので異なる。

朝鮮や罪日の捏造願望史観を垂れ流し日本国民を洗脳する雁屋 哲

美味しんぼ 55巻 第2話 ~韓国と日本~

山岡 「どうして韓国人が嫌いなんですか?」

尾沢 「あの連中、無礼だよ。いつまでも昔の事を根に持って、日本人の顔さえ見れば“謝れ、謝れ”と言う。いったい何回謝れば気がすむんだ?戦後五十年も経つんだぞ!」

山岡 「日本は謝っていませんよ

尾沢 「バカ言え!ちゃんと歴代の首相も謝ってるじゃないか!!」

山岡 「あの首相たちはいずれも国を代表してではなく、私人の立場で謝罪したのです。私人がいくら謝罪しても国が謝罪したことにはなりません。国会決議、あるいは謝罪使節団の派遣、などの方法で国家が謝罪しなければ謝罪にならないのです」――――――

山岡 「…その先祖代々の名を捨てて日本風の名にすることは、朝鮮・韓国人にとって先祖を裏切る大罪であり、死ぬほどの屈辱だった。」

山岡 「福沢諭吉といえば日本では一万円札の顔になっているくらいで、偉人の一人として尊敬されているけれど朝鮮・韓国人には嫌われている。それは「脱亜論」の中で福沢は、「今の朝鮮は日本にとって何の助けにもならぬ遅れた国」であるとし、朝鮮を悪友にたとえ、「我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」とまで言って、朝鮮を否定したからです。 ――――――

※戦国の世に征服戦争はせず、窮鳥を助けたので、感謝されこそすれ、謝罪などもってのほかである。改名は、朝鮮人からの願いで実現したもので、強制などではない!福沢は事実を述べただけにすぎない。

 

沖縄は、終戦までは共産!戦後は凶産

天災の坩堝沖縄は、古来より共産極致助け合い絆の島、凶産と共産は真逆!錯覚は済州島四・三虐殺の二の舞!

 実技無き善いとこ盗り丸暗記空論者が世にはびこり、整合無きつまみ食い論凶産が戦後日本を席巻した。

沖縄独立論

ネット上にある職責者銭生の、ものの見事な一知半解好いとこ盗り論なので、検証対象にした。

おき縄独立論がつきつけたもの   【「おき縄独立運動」へ 本土から理解と支援を!】⇔この原文より転載が下記

 

投稿者 愚民党日時 2009 年 10 月 26 日 18:26:55: ogcGl0q1DMbp

http://www.ne.jp/asahi/osaka/korishou/jse06.htm
沖縄独立論がつきつけたもの【「沖縄独立運動」へ 本土から理解と支援を!】
http://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/853.html

SEN 853 2009/10/26 18:26:55
投稿者: 愚民党    

http://www.ne.jp/asahi/osaka/korishou/jse06.htm  


沖縄独立論がつきつけたもの

戦後50年、沖縄の基地問題を放置した本土側のえげつなさ

          このことをわれわれはどれくらい認識しているか

 この(1997年)5月15日、沖縄返還25周年を迎えた。しかし、記念行事は何も無い。兵庫県下でも、沖縄県人会は、記念の行事を取りやめた。「祝う気になれない」これが沖­縄県人の率直な気持ちであろう。それどころか、このところ、にわかに「沖縄独立」の主張が勢いを増している。米軍占領下、日本復帰を願う大多数県民の声の中で、­少数意見として存在した「沖縄独立」が、現在、勢いを増しているという。原因ははっきりしている。本土の政府民衆に対するつもり積もった不信感が原因である。

※昭和47(1972)年5月15日沖縄返還

 ヤマトンチュ(本土)への不信がある中でも、米軍統治下では、「日本国憲法が体現する民主主義」への限りない憧れが本土復帰運動をささえた。1952年、平和­条約の発効で本土から切り離された沖縄では、沖縄本島の辺戸岬で、毎年28日、北緯27度線をはさんで28キロ先の対岸の与論島と呼応してかがり火を焚いて、対岸の与論島の火を見て涙を流した経験を持つ。しかし、「憲法のもとに帰る」の願いが実現してから、25年、何も変わらない現実が、沖縄の人たちの深い失望となり­、「沖縄独立」論が勢いを増しつつあるのだ。

 95才になる元コザ市長大山朝常さんの著書「沖縄独立宣言-ヤマトは帰るべき祖国ではなかった」は、今、沖縄で深い関心を持って迎えられているという。

※大山朝常『沖縄独立宣言 ヤマトは帰るべき「祖国」ではなかった』、現代書林、1997年4月。

一読者の至言微妙にして素朴な議論, 2009/8/3より転載

 「正直こうした素朴な反戦平和、琉球王国への手放しの憧憬はどうなんだろうと思う。沖縄戦を体験したが故に、惨禍を知っているが故に、そうなってしまったのかもしれない。それにコザ市長だったなどという点から、非常にコザ市戦後史やライフヒストリーとしては説得力を持つが、政治や社会情勢を考えた時、彼の議論はあまりに理想主義的であり更に明確でない。そして、『誰も書かなかった沖縄』の著者の指摘するような沖縄内部の退廃や、努力せず自堕落な生き方(と言ったら言い過ぎだし、勿論翻弄されたが故の結果なのかもしれないし、弁護しようとすればいくらでも出来るが)などの視点はすっぽり抜け落ちただただ沖縄は無垢な被害者で知りもしないのに「反戦平和で武器も外国支配もなかった琉球王国」というエルドラドを作り上げてそうした琉球王国へ回帰しようと言う。それはあまりに空論過ぎるのではないか」。3につづく⇒

真実史観3終戦迄共産以後凶産の沖縄を被害者仕立で餌の言葉と文字界狼少年団

終戦迄共産以後凶産の沖縄を被害者仕立で餌の言葉と文字界狼少年団

敗戦後の沖縄の将来を決定付けた「寺崎メモ

    「沖縄占領の長期化容認の昭和天皇見解」をアメリカに伝達

 本土が一貫して沖縄を裏切りつづけたという歴史を少したどってみたい。尼崎に居住する上江洲智克氏(1997年末逝去)は、昨年(1996年)、「天皇制下の沖縄」を三一書房から発刊された。上江洲氏は、尼崎で、永年、社会党党員として尼崎市会、兵庫県会で議員として活躍され引退された方で、沖縄県人会兵庫県本部長としても活躍されていた。私もいろいろと指導を受けた方である。その上江洲氏の話で、もっとも衝撃を受けたのは、昭和天皇が、1947年(昭和22)に当時の連合軍司令官マッカーサーに伝えた「見解」のことである。

 私は、このことを、当時勤務していた中学校での沖縄問題の職員研修会で、講師上江洲氏の発言から知った。それはこうである。侍従の寺崎氏が1947年(昭和22)、直接、GHQ(連合軍総司令部)のシーボルト顧問を訪ねて、天皇の見解を伝え、それをシーボルトがメモとして、マッカーサーに伝えたもので「寺崎メモ」とい­われるものである。このメモを筑波大助教授(当時)の進藤氏がワシントンの国立公文書館分館で、アメリカ政府の公文書の中から発見し、それをもとにした論文を1979年(昭和54)3月に発表した。それによると、このメモの内容は次のとおりである。

 「天皇は、米軍が沖縄の軍事占領を続けることを希望している。それは、日本がソ連の影響を被ることを防ぎ、日米両国に有益で、この占領は、日本の主権を残存させた状態で25~50年の長期貸与の形がよいと、天皇は言っている。そうすれば、アメリカが日本に領土的野心をもっていないことを国民も納得するし、周辺の中国ソ連などの要求を断る理由にもなると天皇は考えている。」

 これは、その後の沖縄へのアメリカの処遇と完全に合致している。すなわち、日本の潜在主権のもと、米軍が占領を続けたこと、講和条約発効後、25年で返還したこと、まさに天皇の発言とおりとなっており、昭和天皇の見解をアメリカが取りいれ、昭和天皇の発言どおり、事態は推移した。天皇が沖縄を処分したということになる。更に問題なのは、この発言は政治的に無権利のはずの象徴天皇がおこなったということである。 上江洲氏はこの事実を怒りをもって、私たち教職員に説明した。それ以来、10年の歳月を経て、氏は、みずからの使命として「天皇制下の沖縄」を出版されたものと推察される。

 

「昭和天皇の発言どおり、事態は推移した」は、昭和天皇の予言敵中なのだ!『天皇制下の沖縄』上江洲智克著、三一書房、1996。上江洲智克( かみえすともかつ1916~1997)沖縄県北大東島に生まれ、後に久米島に移転。戦後、日本社会党に入党、兵庫県尼崎市で当初は市会議員、のちに県会議員。元沖縄県人会兵庫県本部名誉会長。14歳年下の妹の息子(甥)が元外務官僚の佐藤優。

 甥佐藤優の上江洲智克像(雑誌『文學界』2006年11月号)

 伯父は青年時代に沖縄独立論と本土復帰論の間で揺れ動き、苦悶した末、復帰論を選択し、沖縄の本土復帰と沖縄出身者に対する差別撤廃をライフワークとした社会主義者だった。より正確に言うならば、伯父は沖縄至上主義者で、沖縄にとってもっともよいシナリオを考え、所与の条件下では自らが社会党の地方議員になることで目的が達成されると考えたから社会党員になったのである。伯父はアメリカ施政権下の沖縄に渡航したとき、岐路、総理府発行の身分証明書(パスポート)を伊丹空港の入国管理官に「なんで国内の故郷を訪れただけなのに、外国に行くみたくパスポートを見せなくちゃいかんのか」といって提示せず、拘束され、新聞沙汰になったこともある。

佐藤優「教科書検定」について講演会那覇

保革超えた政治闘争必要/佐藤優氏、那覇で講演沖縄タイムス 2007年9月1日(土)
 復帰三十五周年記念フォーラム「沖縄の現状と展望」(主催・同実行委)が三十一日、那覇市内のホテルで開かれた。起訴休職中の外務事務官の佐藤優氏が講演し、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書検定問題について「とんでもないこと。軍が存在しなければあの悲劇はない。それ以上の議論は必要ない」と主張した。

沖縄戦の「集団自決」は事実であり誰も否定していない。「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書」など存在しない!佐藤優は「存在した」と捏造し講演、金を騙し取った。現実界なら詐欺師で塀の中である。

 佐藤氏は、同問題への対応について「このままだと内地の無関心の中で消されていく」と指摘。その上で「正義闘争だけでは解決しない。保守、革新に関係のない政治闘争を加えることが沖縄には必要だ」と述べた。

この問題は事実か否かの真贋問題で、「政治闘争の問題」ではない!

 パネルディスカッションでは、「インサイドライン」編集長の歳川隆雄氏をコーディネーターに、県議会議員の國場幸之助氏と佐藤氏が討論。教科書検定問題で、国場氏は「文部科学省がこの問題を重んじていないことが問題」と指摘。佐藤氏は、沖縄戦の実態を記した『鉄の暴風』を例に「沖縄戦とはこういうものだ、とつくりあげたことに、それ以外の人たちがアンチを言うのは世界でも珍しい。歴史認識の問題というより、レベルの低い話だ」と強調した。

「沖縄戦とはこういうものだ、とつくりあげたこと」は歴史の捏造洗脳である。捏造糾弾は「世界でも珍しい」ことではなく、世界の常識である。三菱自動車、赤福、吉兆、肉等の捏造は全て糾弾され、現実界には存在出来得ない。こんな「レベルの低い」詐欺師が、偉そうに存在しているのが日本の言葉と文字界の正体なのだ。現実界ならとうの昔に塀の中である。

 甥自称「外務省のラスプーチン」、本人上江洲智克の「新聞沙汰」など、パホ-マンス(騒動で扇動)のみは、思索できるようだが、他は無思索丸暗記スピーカー。

 社会(共産)主義者捏造の手口は、先に結論有りで、言葉の過程背景は隠蔽しての好いとこ盗の大騒ぎ、針小棒大捏造である。上江洲智克は、好いとこ盗りつまみ食い扇動の、典型的な完全見本である。

 「WW2以前、日本が最も恐れたのが凶産化による中ソ連合であり、日本の真の敵は凶産」。この真実で、上江洲智克言論の正当性はたちどころに吹っ飛び、正体、ただの詐欺師が現出する。甥佐藤優もただの目立ちたがり屋で善いとこ盗り扇動屋。丸暗記で脈絡皆無売文芸者。

 腹心は皆粛清された今、凶産こそ真の敵と知るのは、唯一昭和天皇のみとなった。天皇は決断し、護るために行動した。おそまきながら真の敵凶産に気付いた米国は、昭和天皇の大御心に応えた。

 

明治政府は、宮古・八重山諸島を中国に譲渡しようとした

 

 上江洲氏は、この著書の中で、上記「寺崎メモ」の一件とともに、1689年(明治12)「宮古・八重山両諸島を中国に譲り、その代償として両国間の不平等な修好条約の改定をさせる(分島改約)」交渉ががあったこと、そしてこれが実施寸前に、中国側の調印直前の拒否で中止になったことも。怒りをもって記述しておられる。

 上江洲氏の記述で明らかなように、沖縄は、2回にわたって当時の天皇と政府から売り渡されようとしたのである。さらに3回目、今度は、国会9割の賛成で、軍用地特措法可決で、犠牲にされたのである。

※19世紀のヨーロッパ国際法から逸脱する琉球王国の体制「二重朝貢」が原因の「日清重属」なのだが、隠蔽捏造屋上江洲、これは見事に隠蔽、好いとこ盗りしてなおかつ粉飾(天皇と政府から売り渡されようとした)し、大騒ぎしただけのことである。「清国へも朝貢」の事実の前には、最初の折衷案(分国するか否かや、買取案は二の次)としてまず出さざるを得ないことは、誰の目にも常識であろう。

 

 「沖縄の米軍基地の縮小の国会決議」(1971年)

 

                   25年間放置

 

 在沖縄米軍基地問題については、今から25年前の1971年沖縄返還協定の可決に際し、国会は「沖縄の米軍基地の縮小」の付帯決議をしている。それから25年、なんの改善もなされぬまま、国会は軍用地特措法可決にあわせて、また同じ決議をつけようとした。

 1889年(分島改約)1947年(沖縄占領継続承認)・1997年(軍用地特措法可決)と3回にわたる沖縄県にたいする政府をはじめとする本土側の非情な仕打­ちに対して、勢いを増した「沖縄独立」論、これは怒りの声というより、本土への絶望の声というべきだろう。

 

米軍基地の由来

 

  本土は「旧軍用地と合法取得地」

 

  沖縄は「占領下、銃剣とブルドーザーで問答無用の土地接収

 

 私は、先日の軍用地特措法の9割賛成で衆院可決以来、自分自身、心の痛みを感じながら、沖縄問題を考えてきた。その中で、私も含めて本土側のえげつなさに吐き気を催すくらいである。本土の米軍基地なり演習場は、元々、旧軍の使用地で国有であったり、仮にその後の収用地であっても、曲がりなりに憲法下の法律による合法的使用である。ところが沖縄県の場合は、沖縄戦終了後の、占領敵地での、有無を言わさぬ、いわば超法規的強制接収である。しかもこの強制取り上げは、もう一度あって1950年(昭和25年)、戦後冷戦展開の新事態の中で、沖縄を戦略的拠点として長期永続使用の観点で、再位置づけした結果、新たな基地拡大を行った時期である。両方に共通なのは、武装米軍の配置の中で、強制接収され、住民の見ている前で住居を取り壊され、ブルドーザーで押しつぶされたのである。このように、米軍基地存在の由来が本土と沖縄では決定的に違う

 1972年の祖国復帰の後、沖縄の強制収用地は、一応、国内法の適用下に置かれて合法的装いはできたが、土地取り上げの由来は変化するはずはない。本土での土地収用との、この根元での違いは、変わりようがない。しかも、1971年の沖縄返還協定審議の国会での「沖縄の基地縮小」決議は、25年間放置されたまま、今日に­至り、挙げ句の果てが今回の「国会9割の賛成での特措法可決」である。

 

 本土の中の米軍の存在は、基地の数からして、全く希薄で圧倒的多数の民衆は、「米軍の存在」を気づかずにすんでいる。しかし、日本全土の0.6%の土地に、日本駐留の米軍基地の75%が集中し高密度に存在する沖縄では、県民は、自分の五感に米軍の存在に気づかずにその日を過ごすことは不可能なほど、米軍の存在の密度は濃い。この事実が与える苦痛に、本土のわれわれは、恐ろしいほど鈍感に、現在まですごしてきた。この鈍感さが、国会の特措法での9割賛成による「大政翼賛」可決である。ここまでの仕打ちをされて、沖縄独立運動が起きるのは当然と言える。

※被害者差別意識扇動は中朝韓罪日と全く同じで、沖縄先人の誇り全く皆無である。敗戦なので本土も塗炭の苦しみであったが、時代逆行の「奥州平泉独立運動」など、おくびにも出す者など皆無で、一丸となり復興した。

 

 米軍基地は、全国民の平等負担で

 

 沖縄の面積と人口からは、 米軍基地の1%負担で十分

 

 残りの沖縄基地(74%)は本土の都道府県引き受けが妥当

  

(提案)本土の都道府県は 沖縄に「基地代理負担料」を支払え

※防衛基地は必要な所に配置しなければ無意味、小学生の算数テストではない表音記憶なので真に思索回路が幼稚である。沖縄の言葉と文字界、このような一見おちょくり投稿と思えるような言論が、大手を振っているのだ

 大田沖縄県知事は、今回の軍用地特措法の90%賛成の可決で「なぜ弱い立場の沖縄だけにしわ寄せするのか。安保が大事だというのなら、その責任は全国民できちっと負うべきだ」といったと伝えられる。まさにその通りで、沖縄県の面積は日本全土の0.6%、人口は127万人、荒っぽく要約すれば、沖縄県は、人口からも面積からも、日本の1%を占めるに過ぎない。

※大田沖縄県知事の正体。歴代沖縄県知事の中で最も過激な基地反対運動家太田昌秀は、1998年の知事選で落選。その2年後、県職員、自治労組員、教職員、喜納昌吉(後に民主党沖縄県連代表)、沖縄タイムス、琉球新報ら総勢125人をひき連れて北朝鮮を訪問した。

 「朝鮮-沖縄平和友好団」と称したが、訪朝後の言論は「米軍とその基地を撤収させるための共同闘争を繰り広げることは切迫した時代的要請だ」(北朝鮮幹部、沖縄タイムス)、「敵は北朝鮮にあらず、脅威論を展開し沖縄の基地を固定しようとする輩にある」(県教育文化資料センター長、『日本の進路』)などと、本音(沖縄と北朝鮮が共闘して日米帝国主義を打倒)を吐き、訪朝団は凶産スパイを自白した

 

 だとすれば、安保条約を国民の合意とする立場からでも、沖縄県民は、面積人口双方から、応分負担としては、米軍基地を1%負担すれば、日本国民としての義務を果たしたことになる。現在、米軍基地の75%を背負わされているのだから、このうち1%だけ負担して、後の74%を他の都道府県に負担してももらえばよいのだ。すぐに移転が不可能というなら、他の全都道府県に、後の74%分を人口割、面積割に分担金を計算して、基地代理負担料として全都道府県が沖縄に払い込めばよい。

 こうすれば、その負担金の額にびっくりして、沖縄の代理負担の問題を正しく認識することになるだろう。沖縄県への米軍基地代理負担料を本土各府県や政府は真剣に検討するべきである。これくらいのことをやらなければ基地問題は解決しない。

  沖縄独立問題は、基地問題を解決する決め手になるとおもう。先ず、独立すれば、本土のえげつないほどの辺地差別から逃れられる。

 日米安全保障条約について、独立国家沖縄国の国民投票で、不必要と思えば、脱退すればよい。必要となれば、基地やその維持費用は、日本国と99:1の割合で分担すればよい。なぜなら、前述のように面積で日本国の0.6%、人口で1%に過ぎないのだから、負担金は1%でよい。

 もし、当面、基地を移動できないなら、改善されるまで、74%分は、日本国から沖縄国に代理負担料として、当面支払いをしてもらえばよい。そして沖縄県が立案した「2015年までに基地全廃」計画にしたがって、着々と縮小計画を進めればい。そしてそれまで、日本国から支払われる代理負担料で、港湾設備・工業振興経済特­区制などすすめるとよい。

※米軍基地代理負担料増額要求?

 これから、大きく発展する中国大陸に近接する沖縄は、世界貿易に大きな経済立地をもっていると思う。ここに、韓国の釜山や台湾の高雄のような大水深の貿易港を新規に建設すれば、これから斜陽になろうとしている神戸横浜に取って代わる大貿易港になり、周辺港へのハブ港としての役割や経済特区での工業生産(例えば、本土や­台湾のコンピューター産業と組んで、電子産業のメッカになることも可能)を振興させることも可能だろう。現在でも、台湾と組んだコンピューター組み立て工業が立ち上がりつつあるし、中国大陸に直行する航路が開始され、物流が起こりつつあるという。

※マスコミは中国の急激な発展と扇動するが、それだけ後進国であったということである。中国発展は、人件費の安さ(後進国)以外の何物でもなく、技術の差ではなく価格差なので、生活レベル上がり先進国並みになれば旧の木阿弥となる

 

 「沖縄独立運動」へ 本土から理解と支援を!

 私は、沖縄の独立運動をこれまでの本土側の仕打ちからすれば、当然の結果だと思う。

 

  沖縄県の「2015年までに基地撤廃」という、私たちから見れば、無理のない妥当な提案も、「幻想的」(自民党幹部)と一刀両断に否定する冷酷さである。戦後52年、米軍基地を沖縄に押しつけてきた本土側(各都道府県も同罪だ)のえげつない差別政治に立ち向かうために、独立運動、基地代理負担料要求など、徹底した運動が進まないと、本土側はまともに考えないと思わざるを得ない。沖縄からの独立運動基地代理負担料要求に呼応して、これを全面支援する運動を本土の中で展開する­ことを真剣に検討すべきである。

※「沖縄独立運動」を掲げての恫喝?手口は、中朝韓罪日恫喝と同じである

http://www.ne.jp/asahi/osaka/korishou/jse06.htm
参考投稿番号:http://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/844.html  
 

「日本国土のわずか0.4%にすぎない沖縄には、米軍専用の施設・区域が36カ所、総面積にして米軍基地の74%実際は、自衛隊との共用施設・区域を含めると22.6%)が集中している」と、マスコミは、お題目のように毎日唱え、基地の県外移設を叫んでいる。まるで、米軍や日本が、「沖縄県民虐待目的」で、沖縄に基地を集中しているかのように聞こえる。これまで検証したように、基地集中は最重要地点だからこそで、それ以外の意図皆無は、常識者なら、誰の目にも明白であろう!「基地の県外移設」など、殺人犯を逮捕に来た警官を追っ払うようなもので、脳天気の愚論!輩の連呼は、思索回路欠落欠陥者か、スパイとの自白である。

 現実に対応不可の空論教師であり。現実界常識論が丸ごと欠けている。無人島に交番設ける国など無いが、国境なら国境警備隊、敵国(凶産は人類の敵)対峙の地なら、無人島であろうがなかろうが、防衛軍常駐は古今東西の常識!

 本来は職責者の仕事なのだが、このように給料泥棒化し、なんとスパイと化している者もいる(沖縄は二重給料の坩堝)。現在の日本には職責者不在。

 「捨てられたと」騒ぐこの輩は沖縄援護法は無かったとでも言うのだろうか。苦渋の決断で米国への委任統治となったが、「戦傷病者遺族等援護法」も「教科書無償法」も日本本土と、同時期に導入されている。もし無かったら、こんな騒ぎですむはずなど無い!特に復帰前の沖縄県の教育に関して政府は、国費・自費沖縄学生制度を設け、復帰前の沖縄県学生の、日本本土への大学進学を、国費で支援した。仲井真沖縄県知事は、この国費留学制度で東京大学を卒業している。

 

池上彰の酷い嘘!「池上彰の学べるニュース(3時間特番)」2010年5月5日放送のTV朝日

 沖縄の普天間飛行場について池上彰の解説。

 「戦争中に逃げていた人達が自分たちの所に戻ってみたら、基地があったので、帰れなくなっちゃったというんで、その周りに家を建てたということなんですね」。

 戦前は人家まばらな畑作丘陵地なので、1945年普天間飛行場建設。1953年に滑走路延長。建設から24年後(1969年)に普天間第二小学校開校。つまり、人家密集は飛行場建設後で、先ではない。

 

非武装中立国家など古今東西存在しない!

中立国スイスは自律自尊独伊や連合国と戦った地球史探訪: スイス、孤高の戦い
 約500機の戦闘機と高射砲5連隊などを整備し、戦争全期間を通じて、7,379回の空襲警報に対して、枢軸国側の撃墜64機、 連合国側190機の戦果を挙げた。スイス側の損害は、推定200機、死傷者344人に及んだ。

非武装中立空論凶産スパイ「」一色の沖縄言葉と文字界

前記のような核論で論争なら分かるが下記のような空論傍論は無意味。TV朝日の意図(日本分断)が見え見えの、番組である。

無責任好いとこ盗り詐欺師狼少年団の言葉や文字をもてあそび空論劇朝生in沖縄  2012-04-28

登場人物

米軍・自衛隊不要の前に警察不要が先。役立たずの善いとこつまみ食い非武装中立空論集団。

凶産スパイ沖縄狼少年空論団

糸数 慶子(無所属・参議院議員、沖縄県選出・思索回路皆無オウム返し)

三上 智恵(琉球朝日放送キャスター・思索回路皆無オウム返し)
大田 昌秀(元沖縄県知事・「差別」「人権無視」「捨石」等々死語空論スピーカー)

謝花 尚(琉球朝日放送報道制作部長)

前泊 博盛(沖縄国際大学教授、元琉球新報論説委員長・思索回路皆無オウム返し)

沖縄県人観客(三上智恵選別は、1人を除いて全員が「非武装中立論」の空論者)

狼少年団

田原 総一朗(「勉強したら分かった」と国民をあざ笑った)
福山 哲郎(民主党・参議院議員、参院外交防衛委員長・思索回路皆無)
小池 百合子(自民党・衆議院議員、元防衛大臣・日和見パンダ)
手嶋 龍一(外交ジャーナリスト、作家・元NHK)

凶産スパイ

葉 千栄(東海大学教授・中国人)

常識派だが検証回路が甘い

ケビン・メア(元米国務省日本部長、元沖縄総領事)

森本敏(拓殖大学海外事情研究所所長)

 

 手嶋龍一が、沖縄には佐藤優の言う亜民族意識が生まれつつある――アメリカがダメ、日本がダメ、米軍もダメ、自衛隊もダメと言うことであれば、スコトランド、ウェールズみたいに将来の独立も真剣に議論すべきではないか?と誘い水したら、森本が、独立国になったら軍隊を持つんですか?田原が、沖縄が独立すると言えば、本土はしょうがないと言うしかない。続けて、ケビン・メアが、独立したら。早く中国語を勉強して、と言い、本土も、アメリカ側も、沖縄の独立には意外と反対の意見は特にないとなったら、前泊博盛が、県民が望めばそうした議論も必要だろうが、まずは、他府県と同じように地域主権の問題で語るべきと、独立論を避けたのは、整合回路欠落(主張は明白な独立論なのに避けた)との自白である。

 輩は共産主義者というよりも拝金主義者。輩(謝花 尚、大田 昌秀、佐藤優や伯父上江洲智克、糸数 慶子、三上 智恵、前泊 博盛)は、「反対」を商売にしている騒ぎ屋かスパイ。マスコミ界を泳ぐ糧のみで反対論を叫んでいるにすぎない。手嶋龍一、田原総一朗、福山哲郎、小池百合子も同じ穴のムジナで言論は輩の糧の道具にすぎない。信念など当然皆無。沖縄人類館関連もこの類。人類館凶産スパイ沖縄ヒトラー超えの李朝差別殺し朝鮮や罪日と同…

 民主主義国家の最大の弱点は凶産や独裁国家によるハニーマネートラップでの個人一本釣り。信念無き集団言葉と文字界は特に脆い。WW2は、ハニーマネートラップで世界の言葉と文字界が凶産に皆釣られ、始まった。

 

凶産中国の邪魔者沖縄米軍追放に連携する毎日新聞と琉球新報情報操作で洗脳

合同世論調査:沖縄本土復帰「良かった」80%毎日新聞 2012年05月08日抜粋。
本社・琉球新報合同世論調査

 沖縄県が5月15日に本土復帰40周年を迎えるのを機に、毎日新聞は5、6日、琉球新報と合同で

沖縄の現状や基地問題に関する世論調査(電話)を実施した。

2002年沖縄復帰30周年調査

本土復帰について

「良かった(どちらかといえばも含む)」の回答「全国66%、沖縄79%」

「悪かった」の回答「全国1%、沖縄3%」

2012年沖縄復帰40周年調査

本土復帰について

「良かった」の回答「全国79%(+13%)、沖縄80%(+1%)」

「悪かった」の回答「全国3%(+2%)、沖縄2%(-1%)」

 

沖縄県に在日米軍基地の7割以上集中している現状は

米軍基地の7割集中「不平等」 全国33%(毎日新聞調査)、沖縄69%(琉球新報調査)

 

沖縄県に在日米軍基地の7割以上が集中している現状について

全国の回答「やむを得ない37%、分からない26%」

沖縄の回答「不平等69%、やむを得ない22%、分からない(9%)」

沖縄で本土復帰を「良かった」と回答した人でも、基地集中を「不平等」とした人は69%に上っている。4につづく

真実史観4日米安保は沖縄徹底支援の証で先人遺志「凶産破壊」への再挑戦

4日米安保は沖縄徹底支援の証で先人遺志「凶産破壊」への再挑戦

 ※沖縄に米軍基地が67年間も必要な理由、真の敵凶産中国を隠蔽し、こういう質問(狭い沖縄7割と広い全国3割)なら真実史観でも「不平等」と答える。基地は必要か否かで、狭い広いではないのだ(論旨のすり替え)。誘導洗脳(沖縄狭いのに悲惨)目的の質問のすり替えである。「7割以上が集中」は、凶産中国による沖縄侵略の可能性が、非常に高いということで、狭い沖縄への一方的押し付けでなどではない。これもすり替えである。マスコミ世論調査(白黒善悪調査)のカラクリである。

 

自分が住んでいる地域に沖縄の米軍基地が移設されることの賛否

全国では「賛成24%反対は67%」

沖縄への米軍基地集中を「不平等」と回答した人のうち、居住地の基地移設に「反対は69%」

※「居住地の基地移設」なら、真実史観も即刻「反対」!マスコミ世論調査質問の仕方カラクリである。

 

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を巡り、日米両政府が進める名護市辺野古地区への移設計画について

「計画に沿って進めるべきだ」は「全国28%沖縄11%」

「国外に移設すべきだ」は「全国37%沖縄39%」

「県外に移設すべきだ」は「沖縄29%」

「凶産の砦沖縄」

※戦後67年間凶産中国南下に立ちはだかった牙城が、「凶産の砦沖縄」で、砦の兵が沖縄米軍。沖縄米軍は、凶産中国にとって最大の邪魔者である。凶産中国傀儡マスコミ、真の敵凶産中国隠蔽すり替え作戦で、邪魔者米軍と洗脳した結果である。

 

主要政党の支持率

全国では「自民17%民主15%」

沖縄では「自民11%民主7%社民5%」

支持政党はない「全国52%沖縄63%」

【福永方人】

※凶産マスコミに扇動され、凶産に騙されたルーズベルト政権が参戦し、人類初の原爆投下までして「凶産の砦日本」を破壊した結果、共産が凶産と正体を現した。ソ連南下に拍車がかかり凶産中国が一気に誕生、朝鮮戦争となり冷戦となり、ベトナム戦争となった。原因は、「凶産の砦日本」破壊にある。

 アメリカに矜持があり唯心なら、凶産(唯物)を共産(唯心)と錯誤、人類初の原爆投下までした太平洋戦争は、史上最大の恥辱で、悔恨といえる。

 凶産中国南下阻止の戦後67年間は、その証である。

 

中国画策、沖縄を「琉球自治区」に 海軍機が尖閣接近2011.3.3
 中国海軍機が2日、沖縄・尖閣諸島に接近し、航空自衛隊がF15戦闘機を緊急発進(スクランブル)させる事態が起きた。領空侵犯はなかったが、同国の領土拡張への野心は無視できない。実際、中国系の新聞や雑誌、インターネットなどには「中華人民共和国琉球自治区」や「中華民族琉球自治区」といった文字が多く見られるようになっているという。(夕刊フジ)

 「中国軍機が尖閣諸島にここまで近づくのは初めてだ」

 今回の事態を受け、防衛省幹部は苦々しげに語った。同省統合幕僚監部(統幕)によると、中国海軍のY8情報収集機とY8哨戒機は2日昼すぎ、東シナ海上空を南下、日中中間線を越え、尖閣諸島付近の領海から約55キロまで接近。その後、西に向けて方向転換した。空自南西航空混成団は、F15戦闘機をスクランブルさせたという。

 GDP(国内総生産)で日本を抜いて世界2位となったことで増長しているのか、最近の中国の言動は傲慢きわまりない。「月刊中国」日本語版の主編、鳴霞氏は次のように言う。

 「香港の知人から届いた月刊誌には『中華民族琉球自治区』援助準備委員会設立の公告が載っていました。ほかの中国系メディアにも出ています。関係者は『世界に向けて、中華琉球をアピールしていく』と話していました」

 中国語のサイトにも「中華人民共和国琉球自治区」や「中華民族琉球自治区」の文字が躍っている。一体、中国は何を狙っているのか?

 中国人犯罪者と対峙してきた元警視庁捜査官で「日本が中国の『自治区』になる」(産経新聞出版)の著書があるノンフィクション作家の坂東忠信氏は最近、「中華人民共和国琉球自治区の設立 琉球群島1000年の国家戦略の開始」という論文を翻訳した。それは驚くべき内容だ。

 《中国は1000年の発展のため、琉球群島(=沖縄諸島など)を回復し、中華人民共和国琉球自治区を成立させなければならない。『カイロ宣言』と『ポツダム宣言』は法律上、中国が琉球の主権を持つことを保障している。(琉球を)国防のための巨大な鋼鉄の長城となし、太平洋に向かう前進基地としなくてはならない》《中国は琉球を建設し、日本軍と米軍を東海(=東シナ海)から遠ざけ、琉球は中国の安全のための防波堤となるのだ》

 歴史も現状も無視した、ひどい内容というしかない。

 坂東氏は「中国政府はすでに『尖閣諸島は中国領だ』と公言している。人民解放軍の中には、日本への侵攻計画を呼びかける高級幹部もいる。『琉球自治区』の動きは民間(の論調)を装っているが、今後、世界中の中華民族と連携して圧力をかけてくる可能性もある。日本の政治家やマスコミはもっと警戒すべきだ」と語っている。

 

「植民地独立付与宣言(1960年)」に、唯一不参加の有色人が中国人と朝鮮人

 中国凶産党の党是「世界征服」のこじつけは、「中国の朝貢国だった○○は」で、チベット、新疆ウィグル等を征服し、今また、尖閣、沖縄を狙ってている。当然属国韓半島も立派な「こじつけ」対象である。なら、かっての支配者「元」のモンゴルにも、かっての支配者「清」の満州にも、当然「中国征服」の権利はあるということである。中国や韓半島が何とも愚かな「友食い戦争」に明け暮れている最中に、有色人と小国白人同胞が、血と汗と涙で築いた人類の新秩序、「植民地独立付与宣言」1960年以前に逆行である。

 こんな逆行を犯すなら、再び中国はかっての「清」のように、世界中から蚕食され。世界の漢族は追放される。

 

華僑華人総会がなんと3団体もある(他は1県に一つ)特異な沖縄

全部凶産中国系?

沖縄か僑(中ごく国籍)華人(帰化人)総会
沖縄新か僑(中ごく国籍)華人(帰化人)総会
琉球か僑総会:おき縄県那覇市新都心 中ごく語教室 チャイニーズスクール

台湾系

琉球か僑(たい湾国籍)総会(現在アクセス禁止2012年5月9日のキャッシュ)

親愛なる会員の皆様へ

 琉球華僑総会は1971年3月21日に設立され、今年で38年目を迎えました。我々の華僑総会は、沖縄における台湾人同士の連帯を促進するためだけでなく、地元の沖縄の方々と、より強い信頼関係を築き上げることを目的に設立されました。

 我々の総会は、設立直後に起こった沖縄の日本復帰と日華断交という2重に混乱した苦難の時代を共に乗り越えてきました。また、台湾では1980年代に民主化が実現し、その立役者となった李登輝元総統には昨年初めてご来沖を賜りました。現在、台湾から沖縄へ移り住む華僑自体はかつてのように多くはありませんが、沖縄で生まれ育った台湾華僑の3世が社会人の中堅として各分野で活躍し、4世や5世といった若い世代があらわれつつあります。こうした若い世代のなかには、台湾・沖縄にとどまらず、活躍の場を世界へ求めて大きく羽ばたいていくものが年々増加しつつあります。

 我々華僑は、台湾と沖縄だけでなく、刻々と変わり続ける世界のなかで常に努力を続けてきた歴史があります。私は、沖縄社会において幾多の困難を乗り越えてきた父母の世代を見て育ちました。また、私自身は学生時代から30年以上、会の活動に継続して関わり続け、会務については誰よりも知り尽くしていると自負しております。近年、グローバル化がすすみ、沖縄社会自体が大きな変化の波にさらされている今日において、激しい時代の変化の中を生き抜いてきた父母の世代の智慧と、我々の世代が長年培ってきた沖縄から台湾、そして、世界へと広がる人のつながりは、これからの沖縄社会の全体の発展にもつながることが認識されるようになってきております。我々華僑が結束を深めることは決して我々自身のためだけでなく、これからの沖縄の発展につながる貴重な財産であり、さらには、「台湾人である」という目に見えない財産を次世代へと継承していくことこそが現在の琉球華僑総会に課せられた最大の課題であると認識しております。

 こうした沖縄社会の変化や新しい状況に応じて、華僑の、華僑による、華僑のための琉球華僑総会のあり方を定め、華僑の団結を深めて体制を整えていくことは現在の会長である私の天命であると深く心に刻み、太陽のような熱い情熱をもって沖縄で暮らす華僑を包み込み、華僑のためにこれまでと変わらずに尽力し続ける所存であります。

 私は琉球華僑総会の会長として、会のさらなる発展のために以下の3つの目標を掲げ、理監事一同、その達成のために粉骨砕身の努力をすることを会員の皆さまにお約束します。

1.会員同士の親睦と結束の強化

2.3世・4世へのアイデンティティの継承を中心とした次世代の育成

3.台湾と沖縄の緊密な関係の強化

会 長 林 国源 敬上

 

敵対人(凶産中国韓半島罪日)の無選別帰化

毎日新聞2012年05月01日
 「日本国籍を取得する外国人は毎年1万人を超える。 大半は中国韓国人だ。 それ以外の国からは昨年1444人。 数こそ少ないが、この10年で2倍以上に増えた」。

犯日なのになぜ日本に居る?帰化する?(強制連行は罪日の捏造バレバレ)、帰ればよいではないか。スパイやギャング団においでおいでしているようなものだ。敵対国人の「思想チェック」は、必要不可欠条件である。無いとこうなる。


沖縄凶産化Xデー

 当時は戦国時代(年表見れば子供でも一目瞭然)なので侵略悪、被侵略善などの平時の善悪倫WGIPは愚論(先に殺さなければ殺される)で、成立しないことは、子供にも解る常識である。ところがこの常識論、沖縄「言葉と文字界」には、特に皆無

1、「言葉と文字界」小心者にハニーマネートラップを仕掛け脅し記録獲得作戦

  スパイ留学生が教授に接近し、札束蜂蜜工作。教授は賄賂工作で奴隷となり、犯日凶授の学生洗脳。賄賂授受の証拠は、スパイなので当然抜かりなく明確に記録する。後は金などやらなくても、この証拠暴露をネタにおどせば、立派な傀儡なので、スパイは瞬く間に増える。脅し記録を得るまでは上げ膳据え膳だが、後は奴隷となるのがスパイの末路。太平洋戦争原因(凶産が米国マスコミを、ハニーマネートラップで傀儡化しての犯日扇動)と、全く同じ手口である。沖縄犯日団は皆、こうしてスパイとなった凶産奴隷

2、甘い日本の帰化制度を大いに利用し中国人帰化作戦

3、弱み暴露で脅し傀儡化した「言葉と文字界」を手下に使い洗脳2012年10月7日疑惑の仲井間県政)

4、徐々に帰化人を沖縄に集め、沖縄の経済を中国が牛耳る

5、上げ膳据え膳の飴玉作戦

 対中国との経済で一気に沖縄を裕福にさせ、関係を抜き差しならぬものにする!

6、世論操作し、独立宣言させる。沖縄凶産化Xデー!!

7、琉球自治区と属国化すれば、用済みの飴玉作戦終了。直ちにすべての琉球人は僻地開拓の名目で、僻地へ強制連行され、強制労働!琉球は、凶産支那人が占領。凶産中国は直ちに太平洋への出口として琉球を要塞化!!!

8、亡命琉球人日本へ殺到!!!!

子孫と沖縄の姿・80年前そのまま(「暗黒大陸中国の真実ラルフ・タウンゼント著」Ⅰ中国の真実タウンゼントが暴く東大女凶授NHKスパイ等が隠蔽中朝韓


中国人の大人寄ってたかって白人のこども虐待動画
「中国人による白人のこども虐待動画」です
ウイグルの悲劇

2011年10月19日衝撃映像ひき逃げに遭った2歳児 通行人は無視

2012年04月10日毎日新聞・事故で車横転 スイカ持ち去るも救助要請は無視

台湾はNO5の飴玉作戦まで進行中2012:10.6「台湾旺旺」メディアを次々買収2012年10月11日台湾も参戦、NYタイムズに領土主張。台湾NO7となれば、台湾人、僻地開拓の名目で強制移住は明白で、台湾は要塞化される。ベトナム、インドネシア、台湾、フィリピン、沖縄、米国、オーストラリア、日本による海の防共ラインは、平和のために、必要不可欠である!

平成5年4月全国植樹祭ご臨席のため、は じめて今上天皇として、沖縄を訪問された。地方紙「琉球新報」が事前に行った電話調査では、天皇の御来県賛成は74%、反対は5.3%であった。「天皇陛下の祈りの旅」「祖国と青年」

 沖縄独立などこのようにほとんど皆無なのだが、無辜でおとなしい県民性なので、狡猾凶産が、付け入り易い。

 

「日本軍は沖縄県民を敵として戦ったのか」 「正論」平成20年3月号p156~157抜粋

惠 隆之介(1954年~)沖縄県コザ市(現在の沖縄市)出身。元海上自衛官、日本の作家、評論家、ジャーナリスト。

琉球時代に移住の中国人組織~沖縄支那党

現知事の本名は「蔡」、前知事は「毛」

 昭和三十七年まで多嘉良朝朋という県人が本島中部に居住していた。彼は終戦直後、「琉球王」とあだ名され、戦後も在沖米軍に絶大な発言力をもっていた男である。

 彼は昭和十九年十月上旬より米軍からコールサインを貰い、天津から密命を受けて帰省し、沖縄本島内を徘徊して日本軍の兵力配備状況や重要施設の存在を米軍に通報していたのである。

 彼に指令を出していたのが県出身で同じく天津在住の沖縄支那党の子孫林興徳である。支那党とは、琉球王府時代、沖縄に君臨した中国の帰化人を主に指す。沖縄は廃藩置県まで約四〇〇年にわたって中国の間接統治下にあった。このとき実権を握っていたのが支那党であった。

 今でも県内で、家門がこの中国帰化人であることはステイタスシンボルである。なんと現知事、その前任の稲嶺恵一元知事は選挙の際、それぞれ中国帰化人の子孫であることを誇り、選挙リーフレットにそれぞれ中国人先祖の姓を誇示しているのである(仲井真氏は蔡、稲嶺氏は毛姓である)。

 この支那党は廃藩置県に反対して中国に支援を要請した。とりわけ日清戦争中、清国勝利の祈願をするため徒党を組んで神社仏閣に参拝し、「黄色い軍艦がやがて沖縄に救援に来る」と喧伝して日本軍に志願した県出身者の家族を脅迫していた。

 当時、沖縄に赴任していた内務省の官吏は、万一に備えて自警団を組織し、家族を疎開させたぐらいであった。

 その他、米軍は沖縄上陸以前に諜報工作のため潜水艦で深夜密かに県出身者を本島北部に上陸させている。

 戦前明らかに南米に移民したはずの県民が、夜間、本島内を徘徊している光景が目撃されているのだ。

 沖縄戦の直前、米軍の偵察機が日本軍に撃墜され本島中部に墜落した事件があった。第三十二軍はこれに搭載されていた沖縄県の地図に仰天した。詳細に調査されており、また地名が沖縄方言によるローマ字表記がなされていたのである。

 さらに沖縄戦の最中、本島北部では警官が米軍に内通していた史実も残っている。

 ところで沖縄をめぐる情報戦は、沖縄戦の終了をもって終了した訳ではない、今度は冷戦下でさらに熾烈となっていった。しかし中国が内戦状態に陥ったため、くだんの支那党の子孫も混乱した。

 昭和五十年九月二十七日、中国逝江省沖南金湾で漁労中、中国共産党にスパイ容疑で逮捕された県人二人が十年ぶりに釈放されて沖縄に戻って来た。

 この二人は、台湾国民党の特務機関員と行動を共にしていたと言う。

 最近でも沖縄の左翼団体(反戦地主会等)が北朝鮮と密接な関係にあることが暴露されて国民を驚かせている(「諸君」平成九年五月号「沖縄『反基地運動家』の呆れた正体」参照)。

 なお検定意見撤回県民大会の参加団体の中には、日中友好協会沖縄県支部や、反戦地主会が実行委員として名を連ねていた事も国民は認識しておくべきであろう。p156~157抜粋 5につづく

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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