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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1それでも日本人は戦争を選んだ東大凶授加藤陽子は女スパイ誘導洗脳師


1無辜の子供を洗脳した丸暗記オタク加藤陽子証人喚問せよ!歴史は善悪物語に非ず

 「日本九九年戦争・資源無き島国日本、適者生存戦国時代唯一の術は、先手あるのみ。後手の本土戦は、兵糧攻めで必滅。露西亜、清国(属国朝鮮)南下阻止が第一義、後手は必滅、先手で打って出た。 

 結果が台湾朝鮮(自立不能で)統治(極東共栄圏樹立着手)、満州建国尽力(凶産の砦)、日中戦争(中国凶産化での中ソ凶産連合阻止)、南京政府樹立尽力(中国凶産化阻止)で極東共栄圏構築。

 日中(ソ中凶産合作阻止)戦争で疲労困憊の日本は、戦国の定法弱肉強食、恰好の餌食と成り、さらに米英中蘭(ABCD)が兵糧攻め、ハル・ノートで降伏を迫まった。前門の虎後門の狼、戦わざるは亡国となったため、極東から大東亜に共栄圏樹立を拡大し、あらん限りに戦ったが、大東亜同胞の、完全覚醒追随まで戦いきれず、矢尽き刀折れ、敗れた。

 がしかし、戦いざまに共振した同胞が、一気に蜂起、独立。1960年の植民地独立付与宣言(互恵)が根幹となり、自由貿易64年開放経済)、平等65年人種差別撤廃を成し、凶産は残ったが、戦争目的は完遂した。弱肉強食の世に、戦後67年間のごとき無能無策の後手日本なら、何もかもが消滅していた。それでも戦後消滅しなかったのは、『身体を筆にし、流れる血と汗と涙でえがいた先人の、人類への遺書』以外、あろうか!

 “戦かわざれば”の平和論があるが、防共の砦日本が去るやいなやすぐさま凶産化、朝鮮戦争惹起したもう一方の真の敵、中ソ凶産連合軍隠蔽スパイの、工作論である。ABCDと“戦かわざれば”の降伏は、極東共栄圏への裏切りで、孤立無援は必然!防共の砦無き丸裸日本で、中ソ凶産の、恰好の餌食となった。裏切り者の汚名を負ってのこの戦いは、目的も無きただの防御戦。多勢に無勢で、瞬時に最後の独立国日本は潰え、日本族の名を残すのみの、まさに、犬死に無駄死にの戦争となっていた。同胞の、支配者からの独立も無い!新秩序など、当然無い!支配者と、被支配者の地球に成っていた!」

 

決断には、必ず「禍福」が伴う!善悪(禍福)を超えた事実の積み重ねの史学史観のみが歴史学!善悪物語は史学ではない!洗脳である!

 歴史を、自作の善悪物語に仕立てて先人を非難し嘲り笑い!歴史と偽り騙り、無辜の子供を洗脳する加藤陽子の正体は、異常者か女スパイ

 “それでも、日本人は「戦争」を選んだ”加藤陽子著1700円朝日出版社2009.7。加藤陽子(1960~)埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。神奈川県の私立・栄光学園男子学園生(中学1年~高校2年生への、講義(2007の年末から翌年正月、五日間)を、本にしたものである。無辜で白紙の男子学園生が第一被洗脳者。第二被洗脳者が読者。

 ネット以前の時代なら、資料を独占し思いのままに国民を操れたであろうが、資料開示された現代、そうは問屋が卸さない。この本は、実技での成敗無き文系という戦後人間が、「いかに信念無き、検証努力無き、回路無き、ただの丸暗記屋であるか」との証拠の本として、未来永劫に残り、子孫への警告となるであろう。

 未覚醒者には洗脳本ではあるが、逆に、覚醒者には、文系凶授銭生が識者と称し、67年間もの税金泥棒しながらの洗脳、その手口が良く分かる本でもある。検証努力もせずの、見事な隠蔽、そして見事な好いとこ盗りコピペである。正体は「検証努力無きただのコピペ」で、退職後は高額年金生活で、元教授の肩書きで国民を見下しての老後が職業!こんな気楽な職業は止められない、67年間も続く訳だ!「いかに信念無き輩か」との自白である。

 

歴史はジグソーパズル。感情を科学し、隠された断片を、当時の常識で探し出し、嵌めれば完成!歴史は感情の科学といえる。真実史観」

予備知識(“それでも、日本人は「戦争」を選んだ”という女スパイ洗脳本読者へ)

日本九九年戦争

 無法弱肉強食時代の、「兵糧攻めカード」所持者が、無法ブロック経済(閉鎖経済)の欧米露食民治主義と後のソ連凶産主義。当時の世界はこの二つの無法者(独占貿易)が世界を征服し尽し、内政干渉無きアジア唯一の独立国(もう一つの独立国タイは英仏の内政干渉下の緩衝国)が日本であった。

 1861年南下する露西亜が対馬を占領、英国利権侵害と判断した英国が排除。日本は攘夷から開国へ方針転換し、開国。

 新文明対処のため、自給自足の徳川時代から資源無き日本適者生存唯一の術、輸入し加工し輸出する国家建設に一丸と成り、欧米列強の力を借り富国強兵、奇跡の大転換を成し遂げた。そして、当然の結果として、資源無き小国日本の最大の弱点は、「資源封鎖(兵糧攻め)」となった。開国以後の歴史は、同時に、「兵糧攻め」との戦いの歴史である。

 資源封鎖行使で、いつ何時でも「資源無き小国日本」へ、「日本窒息死カード」が切れる欧米露列強と後のソ連の経済ブロックは、目の上のタンコブ。このコブを切除し、自由貿易を確立しなければ、「資源無き小国日本」の、真の自立自存は、永遠に無い!

 南下する露西亜、迫る清国、属国の韓半島が敵になれば喉元に短刀。小国日本の必勝の術は、先手。日清戦争で防衛の要、韓半島を独立させ味方としたが、戦国時代に脳天気な唯物私欲国主なので、日本が代わって統治。弱体化した清国も、満州の露西亜の蚕食、なすがまま。これも先手を打ち日露戦争で勝利。中国は「中立国」と称し、満州の権利放棄し傍観したが、日本は合法的に中国の承認を得て、満州の露西亜利権を引き継ぎ、日本は適者生存した。

 戦国の世に死活を懸けた大和(日本)民族最後の一縷の望みが、いつも、互恵に基づく大東亜共栄圏であった。日本存続適者生存の道はこれしかなかった!倒幕、富国強兵、近代化、軍国化、反共、大東亜共栄圏、玉砕、自裁、特攻等すべての行動は、戦国の世に、被征服拒否の自立自存。日本はただひたすら一直線、ブレなど微塵も無い!そして先人は決断し、起った!これが開闢以来の戦国時代を破壊し、新秩序「植民地独立付与宣言」を導き出した原動力。考えれば子供でも解る事である。

 大東亜共栄圏は戦国の世の資源無き小国日本、自立自存唯一最後の手段で、開国以来一貫しており、「後付け二転三転」などではない!女スパイは、凶産、孫文汪兆銘蒋介石と日本の深い交流をも隠蔽しているので、更に詳細は1頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏参照。

日中戦争の常備軍兵力。中国軍の常備兵は約225万、ソビエト軍が135万(60万がウラジオストック等に配置)と想定され、対する日本軍は米軍などの推定で25万。仮想敵国の14分の1が日本の常備軍。「これは国際連盟の如き反日団体の資料にさえ見られる数字である(後述タウンゼント著『アメリカはアジアに介入するな!』50p)」。中国赤化となれば合体し、4百万の兵員と、圧倒的に優位な資源で日本侵略の恐れがあった。そして日本軍の予言は見事的中、戦後合体し、朝鮮戦争となった。

 大東亜戦争開戦直前までのあらすじが、昭和16年少年倶楽部にも掲載クリック必読!4月号高瀬海軍中佐に 太平洋戦のお話を聞く昭和16年12月号少年時局問答「日本の覚悟」木村 毅著 

 

東大女スパイ加藤陽子の本“それでも、日本人は「戦争」を選んだ”

戦争から見る近代、その面白さ

9・11テロの意味

19p

 ――9・11の場合におけるアメリカの感覚は、戦争の相手を打ち負かすという感覚よりは、国内社会の法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まる、というスタンスだったように思います。そうなると、戦いの相手を、戦争の相手、当事者として認めないような感覚に陥っていくのではないでしょうか。

 実は、このアメリカの話と似たようなことが、かっての日本でも起きていたのです。――

 ――1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋で起こった日中の軍事衝突はまたたくまに全面戦争へと拡大しますが、戦争の開始から半年ほどたった1938年1月16日、近衛内閣が発した声明が「爾後、国民政府を対手(あいて)とせず」という声明でした。

※国民政府(蒋介石)を対手とせずは、国民政府(蒋介石)が戦いの対手ではなく、凶産が対手の意。だから、戦いの対手ではない国民政府には、再三再四しつこいほどに和平提案を申し入れている。これは明白な史実である。

 戦争の相手国を眼中に入れずにどうする、と普通なら思いますが、当時の軍人たちや近衛首相を補佐し助言するはずのブレインたちは、そうは考えなかった。そう考えなかっただけでなく、戦争に対する、もっと不思議な見方をします。

 たとえば、39年の1月には、中国と戦争をしていた出先の日本軍、名前は中支那派遣軍といったのですが、その軍の心臓部分にあたる司令部がこんなことをいっています。「今次事変は戦争に非ずして報償なり。報償の為の軍事行動は国際慣例の認むる所」。つまり、今、日本が行っていることは戦争ではなくて、「報償」なのだ、だからこの軍事行動は国際慣例でも認められているものなのだ、と発言しているわけです。

 ――報償という考え方をわかりやすく説明しますと、相手国が条約に違反したなど、悪いことをした場合、その不法行為をやめさせるため、今度は自らの側が実力行使をしていいですよ、との考え方です。中国が日本との条約を守らなかったから、守らせるために戦闘行為を行っている、というのが当時の日本軍の言い分でした。

 けれども、当時の国際慣例で認められていた「報償」の例は、もっともっと軽い意味のものでした。たとえば相手国が条約を守らないといった場合に容認される対抗的な実力行使とは、相手国の貨物や船舶を抑留する、留めてしまって困らせるといったことでした。ですから、1937年8月から本格化した日中戦争が、報償の概念で認められる範囲の実力行使であったはずはありません。

※加藤陽子は非難しているが、通州事件等の残虐行為で戦争を仕掛ける者に、船舶抑留で対処では先に殺されてしまう。日本のように我慢などはせず、米英は皆、即座に軍事行動をとった。

 ――近衛のブレインであった人々の書いた資料の中にも、日中戦争をとても不思議な表現で呼んでいる例が出てきます。彼らはこの部分を「一種の討匪戦」と見ていました。――匪賊、つまり、国内で不法行為を働く悪い人々、ギャングの一団のようなイメージですね。こうしたグループを討つ、という意味です。

 いずれにしても、日中戦争の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていたことに気づいていただければよいのです。ある意味、2001年時点のアメリカと、1937年時点の日本とが、同じ感覚で目の前の戦争を見ている。相手が悪いことをしたのだから武力行使をするのは当然で、しかもその武力行使を、あたかも警察が悪い人を取り締まるかのような感覚でとらえていたことがわかるでしょう。

凶産党党是は「捏造と世界征服」。ソ連は次から次と侵略し赤化、当時の中国も「赤化」に瀕していた。全中国が「赤化」されれば、日本壊滅となる(日本敗戦後の、中ソ連合して南下侵略朝鮮戦争が証拠)。日中戦争は、中国に潜む凶産分子(匪賊)の一掃が目的の防共自衛戦(一種の討匪戦)で、加藤陽子が婉曲に主張する「侵略戦争」などではない。

 軍当事者(戦争に非ずして報償)も、政府(国民政府を対手とせず・一種の討匪戦)も、このことを物語っているので「不思議な見方」などではない!凶産を隠蔽するから「不思議な見方」と成るのだ。

 単純明快な9・11とは、全く異なる!

56pいかにも先制攻撃好きの日本人だったら考えそうな。――

※資源無き小国日本、八方が敵の戦国の世に、適者生存可能唯一の術が、「先制攻撃」であった。それをこの女スパイはなんと!茶化しているのだ!

74p 「ちなみに、1945(昭和20)年7月26日に出された対日ポツダム宣言についてですが、現在の研究で判明しているところは、鈴木貫太郎首相が記者団に『ポツダム宣言黙殺、戦争邁進』と談話を発表していようがいまいが、アメリカ側は原爆投下のゴーサインを、ポツダム宣言発出の段階で出していたということです(この時の大統領は、4月に急死したローズヴェルト大統領の後を引き継いだトルーマン副大統領でしたが)。ポツダム宣言受諾の意思を日本側がもっと明確に連合国側に示していれば、広島と長崎に原爆は投下されなかったとの仮定は崩れることが史料から明らかになっています」。

※渋々検証か?遅い!

この後東大女スパイは、「歴史の教訓(アーネスト・メイ著1973年)」を引用し、「無条件降伏要求」拘泥の理由は、「WW1の教訓」と洗脳しているが、無条件降伏要求は、ルーズベルト数多捏造(ABCDとハルノートで宣戦布告・真珠湾真相・原爆投下等)の、隠蔽封殺目的で、WW1の教訓などでは断じて無い!

1章 日清戦争 「侵略・被侵略」では見えてこないもの

82p

日本と清国が競い合う物語

歴史を物語で語ろうとしている。表音記憶の見本。歴史は作り物の物語ではなく事実現実が歴史。

84p

 日本が中国を侵略する、中国が日本に侵略されるという物語ではなく、日本と中国が競い合う物語として過去を見る。日本の戦争責任を否定するのでは全くなく、侵略・被侵略といった文脈ではかえって見にくくなっていた、十九世紀から二十世紀前半における中国の文化的、社会的、経済的戦略を、日本側のそれと比較しながら見ることで、日中関係を語りたいわけです。

この東大女スパイは歴史を物語りとしている!これが手口。歴史は物語り(創作も有り)ではなく、事実学だ。戦国時代の「日本の戦争責任」は両者に有りで、「日本の戦争責任」と断定呼称も手口。「日本の戦争責任」有りと錯覚する。自国防衛軍に、「戦争責任」などは無い!皆そもそも戦国時代を隠蔽しているのが大きな手口。

 「日本と中国が競い合う物語」と、さも中立であるかのように白紙の生徒に語っているが、侵略者日本と洗脳する捏造本なのに、よくもまー白々と嘘が言えるものだなーと感心する!

128p

東学党の乱平定のため、日本に事前連絡(天津条約)し朝鮮に出兵した清国。

 そして日本も六月七日、中国に出兵する旨を連絡します。

 しかし、六月十一日、外国の干渉を嫌う朝鮮政府が、農民側の要求をほぼ受け入れたことで、反乱は急速に鎮まり、清国軍は何もしないで撤収しようかという雰囲気に包まれました。ところが、この前日、朝鮮政府も、出兵した清国側も驚くことが起きていました。六月十日、日本側がソウルに、数は少ないとはいえ、海軍陸船隊四百三十名を入城させるという、信じられないような早業を見せたのです。つづく六月十六日には、日本側は陸兵を四千名、仁川に上陸させています。陸奥は次のようにシブイ決め台詞を述べています。

 我が政府の廟算(朝廷のはかりごと)は外交にありては被動(受身)者の地位を取り、軍事にありては常に機先を制せんとした。

 しかし、朝鮮政府に呼ばれているわけではない、と中国側に反論されて、日本は「ぐっと」つまる。・・・朝鮮政府の内政改革を進めるか進めないかについての日本側の主張はかなり強引なものでしたが、最終的には、朝鮮が「自主の邦」かそうでないかなどを清国が決める立場にある状態そのものを武力で崩してしまおう、と日本側は決意します。

126p

 そして開戦直前の陸奥はこうも述べていました「曲を我に負わざる限りは如何なる手段にても執り、開戦の口実を作るべし」。・・・開戦の口実をどのような手段を使ってもつくるんだと陸奥はいう。―すごいな。(文下段に陸奥宗光の写真と吹き流し「日本が特別な国であることを実証し、見せるのだ」と記し強調)

※1882年の福沢諭吉の『兵論』によれば、清国の兵力108万に対して、日本はたったの7万8千だった。日本軍艦52隻に対して清国軍艦107隻。世界各国が清国勝利を信じていた。陸奥宗光の言は、存亡の危機に際しての、鼓舞の言葉。日本存亡を懸けた必死の戦いを、茶化している!この人日本人?やはり女スパイだ!

 「すごいな」東大女スパイはおちょくっているが、戦国時代なのだ、攻めなければ攻められた。小国日本後手は必滅。なぜそこまでして、小国日本が大国清国と戦争しなければならなかったか!

 資源無き小国日本の本土戦はたちどころに危機に瀕する。日本軍のすぐさま派兵は、外地戦とすべくの派兵であり、手順を踏んでおり、陸奥発言「機先を制せん」は小国が大国を相手とする時の常套手段。外交云々は、見掛けに過ぎず、本音は、清国軍隊の駐留対清国駐留排除である。清国軍の朝鮮駐留はかっての元と同じで、日本侵略ルートでかつ喉元に匕首となる。日本の「武力で崩してしまおう」は、清国軍隊に居座られれば、「元寇」の再来となるので、引くことは亡国であった。大国相手の小国戦法は、過敏過ぎる反応と非難されようが、絶えずの先手以外に無し!後手は確実な敗北!相手は朝鮮人ではなく、韓半島で、韓半島伝いに日本侵略を狙う、清国・露西亜なのだ!これは当時の世界の常識(戦国の世に独立の力無き朝鮮では無理と判断、日本統治已む無しと、侵略者清・露以外の、世界が認めた)で、韓半島は日本の生命線とマッカーサーでさえ看破しているのだ。そして日本統治は、朝鮮人の多数決選択である。

 

東大女スパイ加藤陽子が隠蔽した年表が語る真実

東大女スパイ隠蔽印象操作洗脳手口(好いとこ盗り)は、下記年表で一目瞭然であろう!

日清戦争まで

1840年アヘン戦争英国のアヘン密貿易を阻止し、銀の流失を防ごうとした清国と、英国の侵略戦争。清国からの茶、絹、陶器などの輸入超過のため、通貨の銀が不足した英国は、食民治インドにアヘンを栽培させ、清国とアヘンの密貿易をし、不足の銀を回収した。以後中国にアヘンは蔓延し、紙幣の代替としても流通した。※英国の清国侵略

1861年2月3日~7月25日まで6ヶ月間日本の対馬を占領したロシア艦隊。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。※ロシアの侵略

1863年 幕末の薩英戦争(英対薩摩)※英国の侵略

1864年 馬関戦争(英米仏蘭対長州藩)※英米仏蘭の侵略

1867年 大政奉還。明治維新。適者生存の時代対応のため、軍民一丸適者生存軍と化した。

1868年9月8日 明治時代

1873年 朝鮮閔妃大院君追放、閔妃(びんぴ、高宗の妃)を中心にした閔氏政権の成立。※朝鮮内乱

1875年 江華島事件。日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件。

1876年 明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。

1882年 米朝修好通商条約。壬午軍乱(壬午事変)起こる。中朝商民水陸貿易章程を結ぶ。

1884年 甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは清軍軍事介入により失敗に終わり、事大派の勝利となる。朝鮮版明治維新は実現に至らなかった。朝鮮人自身の手で近代化をしようとした金玉均(キム・オクキュン)らがクーデターをおこした。金玉均は、失敗して上海に逃亡し暗殺された。※朝鮮内乱

1884年 清国は日本を征伐しようとしていた。日清戦争前、清国はすでに日本を征伐するための軍略的偵察を行ない、清国駐日大使館随員姚文棟の兵略書『日本地理兵要』(1884年)を作成している。

1885年~87年 巨文島事件。英国はロシア艦隊の日本海回航を阻止するため、朝鮮南部のこの島を占領し、砲台を築いた。

1891年明治24年7月 「清国水師提督丁汝昌が北洋艦隊の精鋭、定遠、鎮遠等10数隻をひきい、堂々と舳艣相銜んで横浜に入港した。・・・その訪問の真意は、精鋭なる艦隊の威力を示して我が国を慴伏(しょうふく・恐れひれ伏す)させ、朝鮮に対して日本をして一指もつけさせまいとする傲慢極まれる用意に出たのは明らかである」(黒竜会編「東亜先覚志士記伝」)※清国の威嚇

1893年明治27年3月1日「明治天皇が東洋の大勢を御軫念(しんねん・天子が心を痛める)あらせられ、かしこくも軍艦製造費として、御内帑(ないど・皇室の金庫)より金30万円を下賜せられ、軍艦増製に関する詔勅を賜るに及び、議会においても始めて海軍充実案が通過するに至ったのである。この詔勅をかしこみて文武官はいずれも俸給の10分の1を製艦費として差し出すことにより、貴族富豪からも製艦費の献納を願出る者が続出し、財力において軍備においてはるかに優越した大国支那を敵として戦う準備はかくしてようやく整えられたのである」(前掲資料)※清国との応戦準備

1895年明治28年 日清戦争(朝鮮半島や満州は、島国日本の生命線である。その朝鮮支配をめぐる、日清間の戦争)日本勝利。1882年の福沢諭吉の『兵論』によれば、清国の兵力108万に対して、日本はたったの7万8千だった。日本軍艦52隻に対して清国軍艦107隻。世界各国が清国勝利を信じていた。※この圧倒的な力の差は、先手を打った(小国が大国と互角に戦える唯一の戦法は奇襲戦。桶狭間の戦いが名高い)と考えるのが常識である。

 

2章 日露戦争 朝鮮か満州か、それが問題

151p

閔妃事件に関する東大女スパイの偏見

 これに驚いた日本側が行った行為はひどいものでした。公使として赴任していた三浦梧楼は、もともと陸軍中将でした。三浦は大院君を再び擁立しようとして、公使館守備兵などに景福宮に侵入させ、なんと閔妃暗殺事件を起こしたのですね。これは、何といっても弁明のしようのない蛮行であり、クーデターです。

東大女スパイ滔々と犯日であるが、当時は戦国時代、南下露西亜と内通する閔妃は、日本を存亡の危機に追い込む敵であり、朝鮮をも滅ぼす獅子身中の虫であった。

 

東大女スパイ加藤陽子が隠蔽した年表が語る閔妃事件の真実

1873年 大院君追放、閔妃(びんぴ、高宗の妃)を中心にした閔氏政権の成立。

1882年7月23日(陰暦6月9日)壬午軍乱(壬午事変)起こる。大院君に率いられた暴徒に閔妃(明成皇后)が襲撃され、水運び屋李容翊(1854~1907)に背負われ脱出、九死に一生を得た。日本公使館も襲われ、日本人も殺された。8月日本は花房義質が武装護衛を従えソウルに乗り込み、賠償を要求した。宗主国中国も4千名の軍隊を派遣した。閔妃は保護を求める要望書を北京に送り、大院君が首謀者と指摘。大院君は民衆に責任転嫁し責任逃れしたため、中国軍はソウルを占領し、百名以上の民衆を虐殺し、さらし者にし、大院君は中国に数年間抑留された。日本は賠償を朝鮮政府に約束させた。閔妃は王宮に戻り、さらに勢力を増した。数年間中朝商民水陸貿易章程を結ぶ。米朝修好通商条約。

1894年6月 東学党の乱(甲午農民戦争)をきっかけに日本派兵し、日清戦争。大院君派と閔妃派の対立が深まる。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。 

1894年~95年 日清戦争に日本勝利。下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。

1895年10月8日 親露反日政策をとった売国奴閔妃(明成皇后)が日本軍守備隊や警察、訓練隊、大院君派等により殺害される(乙未事変)。三浦梧楼の指揮によって殺害されたとあるが、諸説あり。

  「三浦公使の直話堀口領事館補萩原警部並に今回の事件に関係せる当館巡査及其他確かなる節より探聞したる所によれば抑も今回の事変は全く大院君及三浦公使の計画に基づき足るもの」「明治28年10月8日王城事変顛末報告の件」市川正明編「日韓外交資料5」1981年P170

 三浦梧楼の回顧録「我輩の腹の中では大院君を中に置いて、大体の改革を仕えようと思って居るのである。ツマリ大院君を利用して改革を実行しようと考えてて居るのである。併し大院君は幽居同様の有様で、孔徳里に居られたのである。アレを宮中に送るには、ドウしても兵力を要する。素手では行われぬ。跡は皆好いように仕て呉れと、杉村書記官に命じた」。政教社編「観樹将軍回顧録」1925年

2につづく⇒

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真実史観2東大丸暗記凶教祖加藤陽子が隠蔽した年表が語る閔妃事件の真実

2東大丸暗記教祖加藤陽子が隠蔽した年表が語る閔妃事件の真実

 「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言。韓皇謁見始末報告1906年統監代理長谷川好道

 「国母を殺したのは、禹範善だ」と現場に居た息子純宗が証言。國分書記官通訳并筆記。(後に純宗は刺客を放ち、禹範善暗殺。住伝31号)

 「王妃を直接殺したのは、私です」実行部隊隊長の禹範善の証言。在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯弁明等に於いて殺害一件。

 「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した李周會。(朝鮮での裁判)

 「計画の首謀者は大院君だ」ゲ・デ・チャガイが編集した「朝鮮旅行記」のロシア参謀カルネィフの証言。

 「計画の首謀者は日本の三浦梧楼だF・A・マッケンジー著「朝鮮の悲劇」平凡社。

 「朝鮮の悲劇(日本統治二年前の1908年出版)」は、1904(1月~4月)年と06(7月~12月)年、ロンドン・デイリィ・メィル紙特派員として訪韓した著者、F・A・マッケンジーが書いた、先にやらなければやられる戦国時代を無視した、つまみ食い本である。偽善者偏向いちじるしく、他の資料とは唯一真逆なので、癌国犯日元ネタ本である。マッケンジーは1906年帰国してすぐに「中央アジア学会」で、「日本の対韓植民地政策」と題し、日本を非難し、日英同盟に反対した。がしかし、「若干の過誤があろうとも、韓国の旧政客よりは韓国を開明の道へと導いていくものである」と、司会者コルレン中将以下、皆が、ひたすら日本側を弁護したため、退けられた(平凡社P265)。

※先に殺さなければ殺される戦時下に、平和時の正義を語るマッケンジーの非常識愚論は、却下されて当然なのである。韓半島大多数の人民が戦時下を認識し、俯瞰していたので、寄らば大樹の陰となり、戦争とはならずに統治された。この大多数の賢者の選択は隠蔽し、極少数をつまみ食いした針小棒大本「朝鮮の悲劇」等を掲げ、“泣き売”するのが癌半島や罪日の常套手口である。

※東大女スパイは、諸説数多の中、この説を、白紙の生徒に断定して教えた!

 実行部隊隊長の禹範善は日本に亡命し日本人女性酒井ナカと結婚、「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」として有名な禹長春(須永長春)が生まれた。禹範善は朝鮮の中でも裏切り者とされ1903年、閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。禹長春は渡辺小春と結婚、父の恩人で朝鮮人亡命者を支援していた須永家に養子に入った。禹長春には6人の子供がおり。四女朝子は、京セラ創業者稲盛和夫に嫁いでいる。

 私欲国賊閔妃(明成皇后)亡国奴は、3年前の壬午事変で史実。戦国の御世に、私利私欲で撹乱する亡国元凶を、大院君とその忠臣と日本が謀って成敗した、が正論。韓国の謝罪要求での、三浦梧楼等子孫の謝罪は、無恥韓国の証拠として、歴史に刻まれ、捏造する醜悪根性は、永久に語り継がれる。詳細は1閔妃成敗角田房子NHKTV朝日銭生かん国スパイの籠絡で土下座志士子孫


166p

 ロシア側の資料や日本側の資料、これが公開されて明らかになったところでは、どうも、やはり朝鮮半島、韓半島のことですが、その戦略的な安全保障の観点から、日本はロシアと戦ったという説明ができそうです。・・・戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです。

さすがに日露戦争に関しては、東大女スパイも、凶産ソ連崩壊後の露西亜数多の資料により、渋々認めざるを得ず、好いとこ盗りは出来得なかったようだ。このことはすなわち、凶産中国崩壊すれば、東大女スパイの悪行も、資料付きで曝されると言うことでもある

 

日露戦争までの年表

1858年5月 愛琿(あいぐん)条約 ロシアと清朝の条約。清がイギリス・フランスとの紛争や大平天国の乱に苦しんでいるのにつけこみ、ネルチンスク条約(1689年アルグン川・外興安嶺を両国国境とした)を無視、黒竜江左岸をロシア領、ウスリー川以東の沿海州を共同管理地とし、黒竜江、松花江、ウスリー江の航行権を認めさせ領土を拡張した。後に清国否認。ロシア征服南下。

1858年 日米修好通商条約。領事裁判権を与え、関税自主権がなく、居留地を設ける、最恵国条款を認めることなどを内容とした、不平等条約。同年英仏蘭露とも同様の条約を結ぶ。安政五カ国条約。

1860年 アロー戦争(第二次アヘン戦争) 英仏連合軍北京入城、北京条約締結。イギリスへの九竜割譲、天津開港等の条約。食民治主義の、中国食民治化加速

1860年 北京条約 アロー戦争の結果、英仏露との条約。ロシアは英仏仲介の代償として、ウスリー川以東の共同管理地沿海州を領土とした。王朝末期に弱体化した清朝はロシアの進出を抑えきれず、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約2つの不平等条約によって、満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満州地域(現在のウラジオストクを含む)は、ロシアに征服されることとなった。ロシアはウラジオストク(ロシア語の意味“東方を征服せよ”)を建設、極東侵略の拠点とした。ロシア征服更に南下。

1861年2月3日~7月25日まで6ヶ月間日本の対馬を占領したロシア艦隊。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。※ロシアの侵略

1896年露清密約 対日戦争の場合には、露清共同して戦う。露国軍隊を極東へ輸送するためシベリア鉄道とウラジオストックを結ぶ満州横断鉄道の建設を定めた。

1898 ロシア社会民主労働党結党

1898年 北京条約 旅順大連租借、東清鉄道建設に関する露と清の条約。不凍港旅順を租借した。

1898年 「紫禁城の黄昏」ジョンストン著(入江曜子・春名徹訳)岩波文庫が原文から削除した部分「1898年当時英国の商人たち・・・英国の宣教師の指導者も、・・・満州とは名前だけで、ことごとくロシアのものと思われる。・・・シナの人々は、満州の領土から、ロシア勢力を駆逐するために、いかなる種類の行動をも、まったくとろうとしなかった。もし日本が・・・これを打ち破らなかったならば、・・・満州全土も、今日のロシアの一部となっていたことは、まったく疑う余地の無い事実である。さらにジョンストンは、英独仏の中国侵略の事実も記している」捏造が党是の凶産とまったく同じ手口の岩波書店は、工作員出版社。工作員社長安江良介は「世界」1991年9月号「金日成会見記録・歴史の転換を求めて」で、次のように礼賛している「主席閣下は、第二次大戦後今日まで、一貫してトップリーダーとして、民族を導き、・・・世界に例を見ない政治家であります」

1899年 義和団。山東省で起こった反キリスト教(仇教)暴動がきっかけで、華北に広まった、武力排外運動。大平天国のような指導部は持たない集合体で、あった。教会を襲撃し、宣教師や外国人を迫害した。清朝西大后が支持したため、暴動は拡大。

1899~1900 義和団事件(白蓮教系の宗教団体)。「扶清滅洋」を旗印に、北京の11カ国公使館員4000人を包囲。日(1万人)英豪米仏露伊独(1万人)が、これを解放。西大后光緒帝は西安に逃亡。1901年辛丑和約(北京議定書)に調印。列強の華北駐兵権、賠償金4億5千万両(テール)の支払いなどを承認した。清国半植民地化。

 義和団事変(北清事変)の際、清とロシアは満州を巡って衝突。6月に義和団が黒河対岸のブラゴヴェシチェンスクを占領したことの報復としてロシア軍は7月、江東六十四屯を襲い占領し、居住していた清国民少なくとも3000人以上(資料によっては2万人以上)をアムール川に追い込んで虐殺するという事件が発生した。この動乱で壊滅状態となった清政府に、ロシアが事件波及防止の口実で付け入り、満州を占領し、独占支配と朝鮮日本進出の具体化に着手。ロシア不凍港を占領、日本侵略の手はずも整った。

190230 日英同盟。ロシアの南下が自国の権益と衝突すると考えたイギリスは危機感を募らせ、日本と同盟を結んだ。

1904(明治37)年3月に発行された内債第1回1億円は申し込み数134万、応募額4億5千万と、募集額の4倍以上に達した。第二回1億円は同年6月に、第3回8千万円は11月に募集されたが、いずれも応募額は募集額の3倍以上に達した。国民がいかに戦争目的を理解し、協力したかが分かろう。これらの公債に応募したのは富豪階級ばかりでなく、中産階級以下の者も、その日の生活を節して応募する風であった。また金の不足を補うというので、婦人たちは競うて指輪かんざし等の装身具を提供し、応分の奉公に努めたのである。渡辺幾次朗「日清・日露戦争史話」

 外債は、米銀行家ユダヤ人ジエイコブ・シッフが外債500万ポンドを引き受けてくれた。

露西亜蔵相ウヰッテの回想録

 「この危険な仕事(朝鮮支配のこと)は無論日本人に知れ渡り、日本人は露西亜は表面では朝鮮から手を引いたと見せ、裏では朝鮮占領の野心あるのだと解釈した。日本人が極度に我々に反抗するようになったのは極めて自然の成り行きと言わねばならぬ。遼東半島占領と、次いで義和団鎮圧の口実で満州に軍隊を送り、その後になって撤兵しないという二つの事実によってシナは全然露西亜を信用しなくなった。日本も同じであった。もし我々が日本との協約を正直に尊守して朝鮮で陰謀などやらなかったら、日本はもっと安心したに違いなく、我々に対して断然たる決心も取らなかっただろう。だが我々は、一方では遼東半島から日本を退去させながら自らこれを占拠し、他方ではその代償として日本と(朝鮮に関する)協約を結びながら陰険な手段でこれを破るようなことをしたのだ。日本が露西亜を信用しなくなったのも、また当然すぎるほど当然と言わねばならない」

190520日 日露戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮半島と満州の制覇を争った、ロシアとの戦争)日本勝利。清国は中立国と称し他国のように傍観していた。国家の歳入ロシア約20億円、日本約2億5千万円。常備兵力ロシア約300万人、日本約20万人。軍艦の総排水量約ロシア51万トン、日本約26万トン。世界各国がロシア勝利を信じていた。※この圧倒的な力の差は象と蟻、先手を打った(小国が大国と互角に戦える唯一の戦法は奇襲戦。桶狭間の戦いが名高い)と考えるのが常識である。

 

3章第一次世界大戦日本が抱いた主観的な挫折

197p

 ・・・1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災の際、中国人や朝鮮人に対する虐殺事件がおきました。その背景には「ふだん虐げられている朝鮮人が日本人を襲ってくるかもしれない」との根拠のない流言がありました。数千人の朝鮮人と約200人の中国人が犠牲になったといいます

※「約200人の中国人が犠牲」と、虐殺であるかのようにいっているが、資料は開示無し。数千人の朝鮮人と約200人の中国人が犠牲」は、東大女スパイの捏造で、「日本人は差別虐殺の極悪人」と白紙の生徒を洗脳。「犠牲になったといいます」と、近現代史歴史学者が職責放棄し言い逃れている。言い逃れなどせず検証するのが、真の近現代史歴史学者であろう!職責放棄は学者に非ずとの自白である!

東大女スパイ加藤陽子が隠蔽した年表が語る真実

1923(大正12)年9月1日 関東大震災。

 朝鮮併合から13年、「三・一独立運動」から4年、関東大震災にも暴動を起こし(下克上は出自の白状)、日本自警団と争い、233人死亡(政府発表)。関西大震災が証し、震災で理由も無く暴動を起こす日本市民などいない。ましてや自警団、無辜の朝鮮人を殺している暇など無い!キジも鳴かずば撃たれまい。当時在日朝鮮人全国に8万415人、関東に1万2千人、震災地域の人数は推定9千800人、9月17日時点での身元確認生存者6797人(9800-6797+233=2770人が震災犠牲者。233人が暴動で成敗された朝鮮人。『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』工藤美代子著)。当時、震災犠牲者数を独自調査したといっている、独立派朝鮮人捏造資料は6415人(ワシントンのナショナル・アーカイブス蔵、海外プロパガンダ冊子には、2万359人)虐殺が元ネタ。関東大震災犠牲者同胞慰霊碑に「同胞を虐殺するようにした。在留同胞で、この凶変蛮行による被害者は6300余名を算え、負傷者数万に達した。この犠牲同胞の怨念は実に千秋不滅であろう」とさらに捏造、虐殺犠牲者とし、堂々と碑に記した。震災犠牲を虐殺犠牲にすり替えたのだ。正体暴かれたこの碑は、以後、震災犠牲者皆無の証し、捏造の動かぬ証拠、朝鮮捏造自白碑となって、実に千秋不滅であろう!この碑は、数多の在日等皆が助け合いの震災時に、唯一朝鮮人のみが暴動を起こしたという証拠で、非常時暴動特殊朝鮮人証拠碑である。朝鮮戦争四三同胞殺し等や、罪日賎民出自隠蔽目的の捏造である。戦後、日教組や凶産教授等の亡国奴が無検証鵜呑み、虐殺犠牲者数とばら撒き、現代に至る。関東大震災、出自自白の下克上が起因、朝鮮人死亡(虐殺と捏造)事件の顛末である。諸悪の根源李朝族譜破壊無き北朝韓罪日、嘘まみれの唯物をまともに信ずるは、愚か!

 常識のみの検証でも捏造は明白。突然の震災に、顔が良く似た朝鮮人のみの選別は不可能。暴動を起こしたのが朝鮮人だけなので、朝鮮人のみが制圧されたが真相で、朝鮮人の暴動がすべての起因である。助け合いの震災時に、暴徒が出たので成敗したら、すべて朝鮮人であった。朝鮮人のみが暴動を起こしたので成敗されたが、真実。

 

233p

三・一独立運動

 ・・・1919年、高宋という、大韓帝国時代の皇帝だった人物が崩御します。三月三日に予定された葬式を外形的なカモフラージュに使いながら、同年の三月一日を期し、数千から一万以上の人々がソウルで独立運動を起こしたのです。

234p

 宇都宮太郎は・・・日記においては・・・独立運動の要因を、日本が「無理に強行したる併合」に求め、併合後の朝鮮人への有形無形の差別に起因すると素直に書いていました。

235p

 十九年四月十五日、朝鮮の水原郡堤岩里という村で、同地方の警備に赴いた軍の警察は、「同村の夜蘇教徒、天道教徒三十余名、夜蘇教会内に集め、二・三門答の末三十二名を殺し、同協会並びに民家二重余戸を焼棄」てるとの行為にでました。簡単に要約すれば、独立運動にかかわったと思われる天道教やキリスト教徒の村人三0余人を協会の中に閉じ込めて尋問したのですが、みな口を割りません。そもそも事件と関係がなかったのかもしれません。しかし軍隊は全員を銃剣で刺し殺し、教会ごと焼いてしまったのです。村人は抵抗しなかったし、武器も持っていなかったのですが、出先の軍警察が彼らを殺して死体も焼いてしまった。朝鮮軍と朝鮮総督府は、この事件は絶対に内外で問題となるから、虐殺や放火はなかったこととして、ただ鎮圧の仕方に問題があったということにしようとの調整がなされたことが日記からうかがわれます。

タイと日本のみが独立国の当時、朝鮮単独独立など不可能は明白。併合初期にはいかなる国でも生じるトラブルである。併合時のトラブルは台湾でもあった。朝鮮は戦争で併合したのではない。戦国時代に、単独独立無理と判断した朝鮮との、平和裏合意での併合である。この東大女スパイは、NHKと同様に、歴史に悲惨だ話を混ぜ込み、日本を貶めている。当時は戦国時代を隠蔽し、白紙の高校生にこんな講義とは意図ありである。戦国時代は弱肉強食、悲惨でない戦国時代など無い、敵味方悲惨だ話だらけが、戦国時代なのだ。

 悲惨だ話は歴史と分離し、背景の戦国時代を語り、敵味方双方の話を講義すべきで、一方的に片方のみを講義すべきではない。

4章満州事変と日中戦争 日本切腹、中国介錯論

259p

 日本に対する憎しみ、抗日意識は中国の兵士の中にもだんだんとたまってきていた。マッチが擦られれば、一気に燃え上がるだけの土台はできていたということです。

260p

 当時は東京帝国大学と呼ばれていた、その学生たちに行った意識調査の記録がある。満州事変の二ヶ月前です。この調査では、学生たちに、まずは「満蒙(南満州と東部内蒙古)に武力行使は正当なりや」と質問しています。・・・問いに対して、「はい」か「いいえ」で答えるのですが、・・・なんと88%の東大生が「然り」つまり「はい」と答えている。私にとってこの数字は意外でしたね。・・・262pいろいろな知識を持っていたと思われる東大生の88%が武力行使を「是」としていたということに、私は驚きました

262p

 この憲兵という存在が、昭和期の言論をより狭くしていくのです。戦時下の狂信的な面が語られるとき、憲兵の存在とともに語られることが多いです。

※戦時下は殺し合いの世界なので、平時での解釈は狂信的となるが、戦時下ではこれで普通。戦時下は戦時下の常識、平時は平時の常識で異なる。これをわきまえない者は死があるのみである。この間違いに気付けないほど思考回路が欠落している。

263p

 陸軍軍人が、なぜ日本は満州事変を起こしたかという説明をした後、学生たちにアンケートをとりました。質問事項は二つ。「一つ、君たちは満蒙を日本の生命線と見なすか」と、「二つ、満蒙問題は軍事行動をもって解決されるべきだと思うか」です。まあ、なんだか、答えてほしい答えが予想できるような質問項目ではありますが。すると、854名の学生中、九割が二つの質問に「はい」と答えているのです。

※「昭和天皇と戦争の世紀・加藤陽子著(2011.8)」219p「関東軍高級参謀板垣征四郎が、31年3月、歩兵学校教官向けにおこなった講演で、『満蒙は対露作戦に於いては主要なる戦場となり、対米作戦に於いては補給の源泉を成すものであります。従って満蒙は実に米、露、支三国に対する作戦と最重大なる関係があります』と、あけすけに述べていたように、彼ら参謀たちにとって東三省は、持久戦必至の総力戦となる、対米対ソ対中作戦を支える拠点に他ならなかった」

 満蒙は、南下する露西亜中国の砦(資源無き小国日本の防御地)、対米戦「補給の源泉」と考えていた。東大女スパイは、小国日本の戦国時代における弱点(資源無き小国)を。知らないから驚いた。命をかけて護った先人を「答えてほしい答えが予想できる」と茶化した。当時の国民は、日本亡国の弱点をことごとく知っていたということである。知らぬは東大女スパイのみといえる。こんな常識皆無の単なる記憶屋が、しかも東大の大学院教授なのだ。これほどの資料があり、しかも、自ら答えを語っている(戦国時代なので、その対米対ソ対中作戦を支える拠点)のに全く気付かず、逆に「高級参謀あけすけに述べていた」とけなしている!まさに戦国時代不感症、検証回路欠損異常者か、スパイである!

264p

 日中戦争については、・・・日本人がこの戦いを「戦争」と思っていなかったのではないか、という点が興味深いです。・・・「報償(損害を償うこと・報復)」という見方や、「討匪(匪賊を討伐する)戦」という見方があった。・・・戦争と思っていない、というところが衝撃的でした。・・・当時、大蔵省貯金部というところで課長をしていたエリート官僚の毛利英於菟という人が、日中戦争とは何であるのかについて、1938年11月に発表した論考があります。「『東亜一体』としての政治力」と題して、「日支事変」(当時の呼称)は、資本主義と共産主義の支配下にある世界に対して、日本などの「東亜」の国々が起こした「革命」なのだ、という解釈を展開していました。台湾、朝鮮を含む日本、そして1932年に関東軍が背景にあって建国された「満州国」、これに、おそらく日本の占領下にある中国などを加えた総称として、毛里は「東亜」といっている。この東亜が、英米などに代表される資本主義国家や、ソ連などに代表される共産主義国家などに対して、革命を試みている状態、これが日中戦争だ、と。戦争ではなく、革命だといっている。とても奇妙ですね。・・・この奇妙な感じ、変なとらえ方はどうして生まれるのか、その考えを考えてゆきましょう。

表意知識であれば、たやすく理解できるが、表音知識なので「とても奇妙」と理解不能なのだ。この「毛里英於菟論考」は今回初めて接するが、真実史観も検証の結果、「毛里論考」と全く同じ結論に達していた。検証の正しさが証明された。さらに駄目押しの証拠が下記である。

 ヘレンミアーズ「アメリカ人の鑑・日本」第三章にはこう書かれている「蒋介石のオーストラリア人顧問W・H・ドナルドが、ルソンの日本の抑留所から解放された後の記者会見によれば、日本軍は1938年から1940年に至までの時期に、『十二回講和提案』を行ったとのことである。ドナルド氏の略述したところによれば、日本側の条件は、中国に有利だった。日本軍はただ、満州国の独立承認、北支におけるある種の経済的及び開発権益、及び「外蒙からのソ連勢力の拡張防止のため、内蒙の政治的調整」を要求したに過ぎなかった。ドナルド氏の言によれば日本は『これらの提案の中で、何ら領土的要求はしなかった』」。

266p

 松岡洋右・・・衆議院議員になっていました。・・・1930(昭和5)年12月・・・代議士として初めての演説・・・「満蒙は我が国の生命線」・・・満州事変の9ヶ月も前。・・・松岡の主張は、第一に、経済上、国防上、満蒙は我が国の生命線(Lifu line)であること、第二に、我が国民の要求するところは、「生物としての最小限の生存権」であること、にありました。満蒙という土地が、生命線、生物としての最小限度の生存権といった表現で形容されているところがミソです。

269p

 まあ、野蛮な時代ですね。清朝、つまり中国が主権を有する土地を、露西亜と日本とで勝手に分けてしまう

野蛮な時代」ではなく「戦国時代(弱肉強食)」。この東大女スパイは、歴史を「道徳」と考え、各所で悲惨だ話と歴史をゴッチャにしている。松岡洋右は、戦国時代(先に喰わなければ喰われる)における生命体、資源無き弱小国日本の、生存権を語って余りある。戦国時代(国盗り合戦)の満州は、南下する中国露西亜に対しての、日本の砦であった。

297p

 簡単に言えば、日本は満州が中国の主権下にあることを認めなさいということですね。

と、この講義を切って終えているが、戦国時代は国盗り時代である。その説明もなく白紙の生徒へのこの講義は、犯日誘導洗脳教育と言われても仕方あるまい。

297p

 吉野作造・・・日本の行う日露戦争を正当化する論考も書いていました。つまり、日露戦争は世の中のためになる「良い戦争」だというわけです

歴史を、戦争を、良い悪いの善悪道徳でとらえている。166p「戦争を避けようとしていたのはむしろ日本で、戦争を、より積極的に訴えたのはロシアだという結論になりそうです」と日露戦争を自衛戦と自認しているのに、この発言である。「日露戦争は自衛戦」を、ソ連崩壊で真実資料が開示されたため、渋々認めたとの白状である。

3につづく⇒

真実史観3無辜の子供を洗脳した加藤陽子を証人喚問せよ!歴史は善悪物語に非ず

3東大女スパイ加藤陽子の洗脳手

300p

 1925年に成立していた、いわゆる男子普通選挙法による初めての衆議院議員選挙が28年2月にあり、その際共産党が公然と行動を開始したことに対し危機感を強めた田中内閣が検挙を断行する。つまり、戦争に反対する勢力が治安維持法違反ということで、すべて監獄に入れられてしまっていたことですね。浜口内閣のもとでも、30年2月、民政党が政友会に100議席ほどの大差で勝ったときですが、この2月26日にも、共産党の大検挙が行われている(検挙者1500人のうち461人起訴)もう、根こそぎ検挙というかんじであります。

共産党はカルト教で、戦争争乱起因分子。祖国存亡戦国時代の検挙は、当然。その者たちを「戦争に反対する勢力」とするは、加藤陽子凶産教との自白である。東大温室は民主主義という現実界が土台であることをこの教授は知らないのである国家も凶産教となるのとでは、訳が違う温室の井蛙が文系教授の正体である。

301p

 吉野作造のお話でいいたかったことは、・・・日露戦争に際して日本が世界に向かって正々堂々と主張できたような、戦争を説明するための正当性がどうも欠けている、そのような状態にあったということです。

302p

 たとえば、32年6月14日に、衆議院本会議で、当時の有力な二大政党である政友会と民政党が共同提案で、満州国承認決議を全会一致で可決させたことがありました。この頃は、リットン卿たちが汗水たらして報告書を書いていたときです。その横目で、満州国承認を議会が決議するのは、ずいぶん大それたふるまいですね。

 日本政府が9月15日に満州国を国家として承認した。これはもちろん、関東軍がつくった傀儡国家だったわけですが、・・・

ソ連共産党を凶産と看破したのは、日本とローマ法王とフーバー大統領(ルーズベルトの前の大統領)のみ。当時の世界は戦後まで気付いていない。加藤陽子はクドクドと豊富な資料ぶちまけて散らかしっぱなしの整理無しであるが、共産語らずは画竜点睛を欠いた駄文で不要。以後新興凶産恐怖の侵攻を語らずの歴史は、歴史などではない。もちろんリットン調査団などは、知る由も無い。戦国時代の満州は、防共の砦として絶対に必要であった。フーバー大統領は、「日本は防共の砦」と公言して、はばからなかった!共和党フーバー大統領であったなら、太平洋戦争とはならなかった。凶産無知が大東亜戦争の原因である

307p

 ソ連もまた、31年12月に、日本に対して不可侵条約締結を提議してきたほどでした。農業の集団化に際して、餓死者も出るほどの国内改革を迫られていたのが当時のソ連でしたので、いまだ日本と戦争をする準備などはなかったわけです。

上記「いまだ日本と戦争をする準備などはなかった」は嘘、着々と赤化していた。下記参照。

1922年 ウクライナ・白ロシア・ザカフカス・ロシアの4ヶ国狂惨化

1924 大正13(1924)年にはモンゴルを侵略し征服赤化。「蒙古人民共和国」と凶産化。

1924年 ウズベク・トルクメンの2ヶ国狂惨化

1929年 タジクの1ヶ国狂惨化

1936年 アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア・カザフ・キルギスの5ヶ国狂惨化

1940年 カレロ=フイン・エストニア・モルダビア・ラトピア・リトアニアの5ヶ国狂惨化

※わずか18年間で合計18ヶ国が侵略され凶産化されていた。東大女スパイ加藤陽子は、ソ連は他国征服で多忙だったと、白紙の生徒に講義すべきだろう。

308p

 もちろん、考えてみれば変な話で、なぜ日本が満州国に軍隊を置いていて、しかも軍隊を動かせるのかということですが、これは日本が満州国を承認したとき、32年9月15日に満州国と締結した条約、日満議定書にそう書いてあるからです。日本と満州国双方は、一方の領土や治安に対する脅威を、もう一方の国に対する安寧や存立の脅威とみなして共同で防衛にあたるのだから、「所要の日本国軍は満州国内に駐屯するものとする」と書いてある。まあ、このような、今から思えばめちゃくちゃな条文を相手国に強要しうるからこそ、満州国は日本の傀儡国家だったわけですが。

時は平時ではない戦国、独立したての国を護るのは、承認国として当然の義務で、古今東西の常識で、護ら無いほうが異常。「めちゃくちゃな条文」とは、いかなる所存か、「お気」は確かか?戦国時代、米英蘭仏ソ日以外は皆「傀儡国家」。満州国のみをことさらに声高「傀儡国家」呼称はいかなる魂胆か?

309p

 陸軍が満州事変を起こした後、32年1月、今度は海軍が中心となって上海でも上海事件を起こし、中国軍と新たな戦闘が開始されていました。

凶産(ソ)テロ対わずか1万5千人の満州関東軍、関東軍の暴走などではない

1917年大正6年、ロシア革命が起こり、ロシアはソ連となった。

1921(大正10)年 ソ連軍はロシア革命で敗れた白系ロシア人追撃を名目に外蒙古に侵入し、同地域において略奪はおろか老若男女の別なく虐殺を行い「蒙古人民革命政府」を樹立。

1924(大正13)年11月26日 「蒙古人民共和国」という名の衛星国(傀儡国家)を建設した。モンゴル征服。

1926年 昭和1年

1927年 昭和2年、当時、北京政府を支配していた張作霖は、中国の共産化を警戒し、ソ連大使館をいっせい捜索して秘密文書を押収した。それには中国の共産化のため、孫文によって新たに樹立された広東国民党政府を援助する旨(むね)が記されていた。

1928(昭和3)年、張作霖の子で満州を支配していた張学良はソ連が従来より支配していた東支鉄道全線に軍隊を配置し、東支鉄道の接収をはかろうとしていたが、ソ連は陸空軍をもって一挙に東支鉄道の軍事占領を敢行した。これによって、東支鉄道のみならず、北西満州は完全にソ連軍の影響下に入ることとなった。

1929年 ソ連・コミンテルンは大正10(1921)年に結成された中国共産党の満州支部に武装暴動を起こす事を指令して、昭和4(1929)年4月には、「全満暴動委員会」を組織させ、共産パルチザン(極左暴力革命集団)活動を推進し、その拠点を東満州一帯に広げた。

 昭和5年から10年にかけて、間島省、安東省、吉林省、奉天省など東満州に作られた共産軍遊撃区が彼らの活動拠点である。

 反日活動を展開するパルチザン部隊は数10名を単位として、たえず移動して放火、略奪、暴行事件をあいついで引き起こしていた。これにより、大正中期より東満州は共産パルチザンによる暴動の巷(ちまた)となり、昭和6(1931)年まで108件にも及ぶ事件が起こった。

 その中でも特に大きな事件は、昭和5(1930)年に間島省で日本人44名が殺害された暴動事件である。

 その結果、満州の日本人社会においては、次は中国共産党の正規軍による反日暴動が起こるのではないかという危機感が高まることとなった。

 一方満州の支配者であった張作霖(ちょうさくりん)は、アメリカの力を背景にしながらこの地域における排日運動を推進した。

 満鉄への経営妨害、炭鉱など鉱山の採掘権の否認、鉱物の輸送制限、付属地の買収禁止、その他農林水産業への妨害、二重課税などの不当課税による商業活動の妨害、日本人や朝鮮人への立ち退き命令などが行われ、これらによって日本人居留民の生活は危殆(きたい)に瀕(ひん)した。

 これらの多くの排日事件の中で、日中間の外交交渉の俎上に上がった「日支懸案」件数は昭和2年に31件、3年に37件、4年に77件、5年に95件の合計240件に及んだ。

 昭和3(1928)年に、張作霖を爆殺する事件が起きた。日本軍人の爆殺説。米国よりの張作霖を嫌い、中国と日本を交戦させようと、ソ連爆殺説との諸説あり。在満朝鮮人(当時日本国籍)への迫害や殺害事件などを加えると、事変発生当時満州をめぐる日本と中国との間の懸案は、実に300件を上回った。

 満州事変直前には、満州では居留民が生活出来ない状態になっていた。満州は事実上の戦争状態に陥ったのである。当時の我が国の政府は「幣原外交」と呼ばれる、英米と協調し、中国には同情をもって対応するという方針をとり、ただ、手をこまねいて見ているだけという「腰抜け外交政策」をとっていた。そのような政府に対して、関東軍の参謀は「住民は助けを求めている」「国民を守らなければならない」と決起したのが満州事変の真相である。義を見てせざるは、勇無きなり。関東軍の暴走ではない。人の道に従っただけでなのだ。

 「関東軍の暴走」といわれるこの軍事行動は、度重なる「排日・反日」への反共戦争の始まりだったのである。凶産ソ連の反日テロによって追い詰められた結果だといえる。これらの関東軍の行動に対して、日本人は支持した。また、朝鮮人たちも関東軍へ感謝激励したのである。確かに、若槻内閣の「不拡大方針」に反する関東軍の行動は、明白な命令違反である。しかし、満州事変の結果、軍閥勢力は一掃され、関東軍の指導によって新しい「満州国」への道が開けた。

 以上のようなおびただしいテロ排日事件を、食民治主義米国や凶産ソ連が引き起こし、これを解決すべく起こった事変、それが満州事変で、対中国戦争ではない多い時でもたった一万四百人しかいなかった関東軍が、全満州を占領できたのも、満州住民の支持があったからだ。1907年(明治40)~1931年まで、在満兵力は満州師団1と独立守備大隊6の、約1万400人を上限にし、推移。「関東軍」中山隆志講談社2000。70万は以後の兵力

193118日満州事変。柳条湖の鉄道爆破事件をきっかけに、満州の元凶軍閥張学良や凶産を一掃した。

「暗黒大陸中国の真実・ラルフ・タウンゼント著」

 「次は満州軍閥、張学良の話である。『満州の王』気取りで、中国に『満州には手を出すな』と警告まで出すようになった。こうまでされては中国政府(蒋介石)も黙っていないと思うのだが、何もできない。ただ『反逆者、無法者』としただけである。だから張は我が物顔に満州で暴れまわっていた。ところが日本軍はわずか一万四百の兵で、しかもたった数日で二十万の張軍を撃退した。負けた張学良はどうなったか。広大な満州から絞り取ったから金に不自由はない。選りすぐりの美女二、三十人を秘書として従わせ、イタリア旅行へと洒落込んだのである」。

193228日上海事変①。中国十九路軍と交戦。5月英米仏調停で撤兵。

 「十九路軍は南京政府(蒋介石)の統制に服するものではない。今回の上海事変は反政府(反蒋介石)の広東派(反蒋介石)及び共産党等が第十九路軍を使嗾して惹起せしめたるものと云ふべきである。斯の如く支那特有の内争に基き現政府に服して居らぬ無節制な特種の軍隊が軍紀厳粛なる帝国陸戦隊に対し、国際都市たる上海に於て挑戦し租界の安寧を脅かして居ることは、実に世界の公敵と云ふべきであって、我は決して支那国を敵として戦って居るものではなく、此第十九路軍のやうな公敵に対して自衛手段を採って居るに過ぎない」日本海軍省「上海事変と帝国海軍の行動」昭和7年2月22日

312p

 除名や経済制裁を受けるよりは、先に自ら連盟を脱退してしま、このような考えの連鎖で、日本の態度は決定されたのです。

リットン調査団と連盟脱退の真実

193324日リットン調査団報告書採択。国際連盟が42対1、反対は日本だけ、タイ(シャム)は棄権で採択すると、既に満州国を承認していた日本は勧告を受け付けず、日本は27日連盟を脱退した。かつては互いに植民地争奪を競い合った欧米列強が、自国の行ってきたことを棚上げし、日本の行動を支持しないというのは実におかしい。検証の結果1933年当時のアジアとアフリカの独立国は、日本(国際連盟加盟)、タイ(国際連盟加盟)、トルコ(WW1で敗戦、オスマン帝国解体、1923年独立。国際連盟加盟)、ネパール(1923年独立)、リベリア(1847年独立)、エジプト(1922年独立)、エチオピア(1936年イタリア占領)サウジ-アラビア(1927年独立)だけの僅か8カ国しか存在しなかった。日本、タイ、リベリア以外は、WW1後(1914年7月~1918年11月)の独立。つまり国際連盟の採択の真実は、42(宗主国・植民地・白人)対1(内政非干渉独立国有色人日本)なのだ。欧米列強とは宗主国・白人で、当時の世界で、有色人、自立自存独立国家は唯一日本だけであったことを物語っている。

リットン報告書採決賛成国42カ国(宗主国・食民治・白人)

アイルランド・アルバニア・イギリス・イタリア・インド・ウルグアイ・エストニア・オーストラリア・オーストリア・オランダ・カナダ・ギリシャ・グアテマラ・コロンビア・スイス・スエーデン・スペイン・チエコスロバキア・中国・デンマーク・ドイツ・トルコ・ニュジーランド・ノルウェー・ハイチ・パナマ・ハンガリー・フィンランド・フランス・ブルガリア・ベネズエラ・ベルギー・ペルシャ(イラン)・ポーランド(1919年、ドイツとソ連から分離独立。20年後の1939年、ドイツ、ソ連に再び分割占領された)・ポルトガル・南アフリカ・メキシコ・ユーゴスラビア・ラトビア・リトアニア・ルクセンブルク・ルーマニア。反対日本。棄権タイ(シャム)。外交国際問題(319:8版)福岡県立図書館(2110014)。

 後に、枢軸国(18カ国)スペイン(反米)、バチカン(ローマ教皇庁)(反共)、ポーランド(反ソ)、デンマーク(反ソ)、エルサルバドルなど、計23カ国が承認した。

 日本の首脳は、宗主国白人全世界征服者)対有色人(有色人内政非干渉独立国唯一の日本)と小国白人国家を、そして有色人と小国白人国家との協和を、パリ不戦条約の正体を、ハッキリと認識した

 「Mirror for Americans: JAPAN」1948年出版、著者ヘレン・ミアーズ(Helen Mears)女史(1900~1989)。「占領が終わらなければ、日本人は、この本を日本語で読むことは出来ない」ダグラス・マッカーサー(ラベル・トンプソン宛1948年8月6日付書簡)で封印され、昭和27年4月28日(1952年)日本独立後、1953年「アメリカの反省」文芸春秋新社原 百代訳、1995年「アメリカの鏡・日本」伊藤延司訳メディアファクトリーと、翻訳出版された。著者は日本擁護者として批判され、この本と同様に、世に出ることはなかった。しかし、善悪史観ではない、真実史観の書として、歴史に間違いなく打刻される。アメリカ国民は、誇りとすべきだ。

 「アメリカの鏡・日本」著者ヘレン・ミアーズは、連盟脱退後の日本(1935)年に滞在し当時の模様を記している。「国際連盟を脱退した日本は、これから欧米列強との間でさまざまな困難に直面することになるであろう。天皇はそういって国民に覚悟を促した(天皇の詔勅)。・・・日本は非友好諸国に『包囲されて』いる。欧米列強の狙いは、わが神聖な島々を封鎖あるいは爆撃し、アジアの同胞と「有色植民地住民」を、欧米の搾取から解放しようとする日本の努力を妨害することである。・・・日本の指導部は国際連盟についてこう言うのだった。国際連盟は白人が力で奪い取った世界を支配し、アジア太平洋の島々を搾取し続けるための、クラブである。ムッソリーニの軍隊がエチオピアを爆撃しても、連盟はなにもしなかったではないか。にもかかわらず、満州の秩序と平和を維持するために、合法的に最善を尽くしているわが国には干渉し、我々を非難している・・・」と。

 まさに当時の日本を記して余りある。NHK巧凶放送や日教組や大学は67年間も、国際連盟や42カ国が正義で、脱退した1カ国が極悪と放送し、いたいけな子供や学生に教えている。チョット調べれば分かることもしなかった。検証回路全く皆無、税金泥棒の輩である。

322p

日本切腹中国介錯論

 胡適は「アメリカとソビエトをこの問題に巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、二、三年間、負け続けることだ」といいます。このような考え方を蒋介石や汪兆銘の前で断言できる人はスゴイと思いませんか。日本でしたら、このようなことは、閣議や御前会議では死んでもいえないはずです。これだけ腹の据わった人は面白い。・・・1935年の時点での予測ですよ、なのに45年までの実際の歴史の流れを正確に言い当てている文章だと思います。・・・すごい・・・。

「日本切腹中国介錯論」を掲げ胡適様様論をぶち上げ日本をコケにしているが検証して見よう。

 「蒋介石や汪兆銘の前で断言」は捏造。下記原文の如く「胡適より王世傑宛書簡」である。

 

「膨張する帝国拡散する帝国・第二次大戦に向かう日英とアジア」石田憲編東京大学出版会2007年

第六章世界化する戦争と中国の「国際的解決」戦略―日中戦争、ヨーロッパ戦争と第二次世界大戦―

 鹿錫俊(ろくしゃくしゅん・中国人1955~)中国復旦大学卒島根県立大助手、大東文化大学教授(凶産が出てこない、バイアス凶産教授)。

 1935年半ば日本軍は蒋介石らの「偽装親日勢力の失脚を目指して華北分離工作を開始し、いわゆる華北危機を引き起こした。それに対応するため、国民政府内では対日政策の再検討が盛んに行われたが、6月に国民政府教育部長の王世傑に宛てた胡適の書簡は特筆すべきである。この書簡は「近い将来のあの世界戦争」を如何に実現させるかについて、次のように論じている。

 「我々は、第三国が先に世界大戦を起こしてくれることを夢みることが出来ない。開戦をする条件を最も整えているのがソ連であろう。しかしソ連は組織的で準備のある国である国であるだけに、最も辛抱強いものである。ソ連の次は英米であるが、彼らはソ連以上に開戦を嫌がっている。そのため、残っているのは二つしかない。一つは日本が先に戦争を起こすこと、もう一つは中国が先に戦争を起こす事である。日本はずっと前から挑発してきたが、我国が抵抗しなかったため、日本が再三挑発しても国際的な大波乱には至らなかった。日本の挑発を国際的な大災難に変えさせたいならば、中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。この絶大な犠牲を考えるにあたり、次の三つを覚悟しなければならない。第一に、中国沿海の港湾や長江(揚子江)の下流流域が全て占領される。そのためには、敵国は海軍を大動員しなければならない。第二に、河北、山東、チャハル、綏遠、山西、河南といった諸省は陥落し、占領される。そのためには、敵国は陸軍を大動員しなければならない。第三に、長江が封鎖され、財政が崩壊し、天津、上海も占領される。そのためには、日本は欧米と直接に衝突衝突をしなければならない。われわれはこのような困難な状況下におかれても一切顧みないで苦戦を堅持していければ、二、三以内に次の結果は期待できるだろう。

 1、日本では軍の大徴集により多数の国民が戦禍を実感するようになる。

 2、軍事費の圧迫により日本国民が財政的危機を実感するようになる。

 3、満州に駐在した日本軍が西方や南方に移動しなければならなくなり、ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。

 4、世界中の人が中国に同情する。

 5、英米及び香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、極東における居留民と利益を守ろうと、英米は軍艦を派遣せざるを得なくなる。太平洋の海戦がそれによって迫ってくる。

 以上のような状況に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は「日本切腹、中国介錯」という八文字にまとめられよう」胡適より王世傑宛書簡(1935年6月27日)。胡頌平編著「胡適之先生年譜長編初稿」(台北、聯経出版事業公司、1990年校訂版)第四冊、1387―1389頁。抄訳。

東大大学院女スパイ教授加藤陽子が隠蔽した年表抜粋

1934年10月長征開始。ソブィエト共和国(中国内共産党国家)への、蒋介石軍5回に及ぶ包囲攻撃の結果、中国共産党軍30万人が瑞金を捨て、華南華中から敗走移動。移動中毛沢東の指導権が確立した。2年後の長征終了時には2.5万人に激減、崩壊寸前となった。

1935年広田弘毅外相の施政演説。日中双方の「不脅威・不侵略」を強調し、日本はアジアの諸国と共に東洋平和および、秩序維持の重責を分担する、と主張した。

 この誠意に満ちた演説は、中国側に好感をもって迎えられ、一週間後、蒋介石は次のような声明を発表した。「中国の過去における反日感情と日本の対支優越態度は、共にこれを是正すれば、隣邦親睦の途を進むことができよう。わが同胞も正々堂々の態度を以て理知と道義に従い、一時の衝動と反日行動を抑え、信義を示したならば、日本もまたかならずや信義をもって相応じてくることと信ずる」

1935(昭和10)年8月1日日中戦争の始まり。盧溝橋事件に先んじる2年前、中国凶産党日本に宣戦布告。

 1935年、ソ連「抗日民族統一戦線」を崩壊寸前の中国共産党に指示。敗走移動中の8月Ⅰ日に、溺れる者藁をもつかむの心境で中国共産党が日本に宣戦布告。「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」を発した。内戦停止・一致抗日(蒋介石と休戦し日本と戦う)と、「救国」運動にすり替えて訴えた。30万人から10分の1以下の2.5万人に激減、壊滅寸前の中国凶産党は、矛先を蒋介石から日本に変え、テロ工作に専心、日本人に成りすましてのテロ活動や、日本軍挑発工作に必死になった。捏造工作で仮想敵国をつくり、国内人心懐柔は、捏造が党是の凶産党常套手口。なんと現在の偽中国、癌半島、罪日が日本を敵として捏造、未だに続けているのだ

1935年10月国民党政府蒋介石が共産党討伐に全力を尽くしていた時は、排日事件も余り起こらなかった(排日事件は凶産主犯の証し)のであるが、共産党が延安に拠点を移して華北一帯に共産遊撃区の構築に乗り出し、昭和10(1935)年8月1日、日本に宣戦布告した時期から、排日事件(凶産主犯)が再び頻発するようになったため、日本政府は、広田3原則を発して、排日事件の解決をはかった。その概要は、

1、中国側で排日言動を取り締まるとともに、日華両国は相互独立の尊重と和親協力関係の増進に努める。

2、中国側で満州国を承認し、日満華の新関係の樹立をめざし経済的文化的提携を結ぶ。

3、北支一帯における共産主義の脅威を排除するという見地にたって国民党政府と日本との合作を行う。

というものであり、共産主義の脅威を除去して、中国と友好関係を結ぶことを目的としたものであった。それは共産党討伐を推進していた蒋介石も、利害が一致したからである。これにより、日本は、排日テロ事件防止のために国民党と合意し、「冀察(きさつ)(河北省とチャハル省)政務委員会」を成立させることになった。この時期には、対共産主義政策において、日本政府と国民党政府の間には。このような協力関係が成立していた。
 従来より中国国民党は、親日派と親米派の派閥対立があったが、この時期を境に、親日派であった行政院長の汪兆銘が狙撃される事件や、同じく親日派の唐有壬(とうゆうじん)交通部次長が暗殺される事件が起こり、国民党内の親日派は衰退し、国民党の主導権は親米派に握られるようになった。

4につづく⇒

真実史観4東大女スパイ凶産ソ連毛沢東孫文汪兆銘を隠蔽無辜白紙の高校生洗脳

4東大女スパイ凶産ソ連毛沢東孫文汪兆銘を隠蔽無辜白紙の高校生洗脳

193511日 汪兆銘と蒋介石の指導のもと、日中和平路線が着々と進められたが、これを喜ばない勢力があった。国民党六中全国大会で、汪兆銘はカメラマンに扮した刺客から3発の銃弾を受けた。危うく一命はとりとめたが、療養のため、ヨーロッパへ渡った。

1935年12月9日「一二・九運動」。北京の学生が日本の「華北侵略」に抗議、国・共内戦停止、一致抗日を扇動(水と油が工作?)。胡適は学生の説得にあたった。「華北侵略」とは下記の事

 「1935年後半までに、日本は軍事力よりむしろ外交的、経済的手段で中国での目的をかなりのところまで達成していた。日本は華北を蒋介石政権の「悪政」からほとんど「解放」していた。日本は華北三省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成したのだ。将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言していた」戦後3年の前掲書ヘレンミアーズ

防共の砦(満州と華北融合)を、「黄禍連合」と錯覚した白人支配者水(宗主国)と油(ソ連凶産)は、以後、「白人連合」に一直線。

1936月 松井岩根、南京にて蒋介石と協調路線続行の会談をしたが、核心ははぐらかし、すでに変節しており、赤化分子も増殖中であった。

1936年春桜美林創立者清水安三が、中国旅行で高まる抗日に不安を覚え、知人の蒋介石側近胡適と面会、戦争防止を訴えたが、「我々は日本と戦う。自分は以前、国民から嘲笑を浴びながらも、決して戦ってはならないと主張した。しかし今や、どうしても一度は日本とは戦わねばならない・・・と感じている」と答えたという。清水安三の妻もこの後、蒋介石妻宋美麗と面会、戦争防止を訴えたが、耳を貸さなかったという。桜美林HPより

 凶産の矛先転換工作、「八・一宣言(日本への宣戦布告)」が、国民に浸透し、親日では国民党も乗り切れなくなったのだ。

193610月延安に全軍到着し長征は終わった。中国共産党敗走軍の兵力は30万人から2万5千人に激減し壊滅寸前となった。

 汪兆銘の証言「中国共産党は、コミンテルンの命令を受け、階級闘争のスローガンに代わるものとして抗日を打ち出していたのです。コミンテルンが中国の民族意識を利用して、中日戦争を扇動していると私は読みとりました。謀略にひっかかってはなりません」

水(宗主国)と油(凶産ソ連)の融合剤黄禍論

黄禍論(こうかろん)

黄色人種が白色人種を凌駕する恐れがありとする主張。アジアに対する欧米諸国の侵略、黄色人種の圧迫を正当化するために用いられた。ドイツ皇帝ウィルヘルム二世が日清戦争に最初に用い、Yellow Perilという英語になって日露戦争以後広まり、中国系や日系移民の排斥にもつながった。

黄禍論畏怖の白人連合有色人分断工作が西安事件に便乗し瀕死の凶産軍を蘇生させた

1936年12月12日西安事件。共産軍討伐のため西安に駐屯中の張学良の旧東北軍が、抗日救国を要求し、南京から督戦に来た蒋介石を監禁した事件。

 蒋介石釈放をめぐっての調停工作に当たっては、日中(有色人)連合畏怖の米英ソ等の白人は、水と油だが、黄禍論で一致し、中国凶産と同一歩調がとられ、抗日統一戦線を形成。以後蒋介石は国共合作・抗日へと方針を急転換し、「最後の5分間」の反共掃討戦を中止し、中国凶産党は復活した。事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免され、国民党(英米等)やから、共産党に毎月50万元が支給され、国民党は反日に染まり、「黄禍論白人連合」が形成された。

 胡適は直ちに打電し、張学良を国家民族の罪人であると激しく非難した

 西安事件の直後、ヨーロッパでの療養から帰国した汪兆銘は、国民党副主席の地位についていたが、戦いの陰で日中和平工作を進めた。

 盧溝橋事件の数ヶ月前、米国ルイジアナ州出身の陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェノールトを、中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして蒋介石が雇った。

1937年7月7日盧溝橋事件

 周恩来首相、中国凶産党が廬溝橋事件の犯人である事を暴露。周恩来首相中華人民共和国宣言時の証言

 「あのとき(支那事変勃発時)我々の軍隊が、日本軍と中国国民党軍(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽り、停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)に今日の栄光をもたらした起因である」

日中戦争工作目的の凶産テロ

1937年7月29日 通州事件(中国人保安隊の日本人虐殺事件)。通州において、婦女子を含む日本人居留民約2百名が目をくりぬかれるなど、残酷な強姦・虐殺事件があった。

1937年8月9日前哨戦たる国民党軍に潜入していた凶産スパイによる、日本将兵虐殺事件が発生。

1937年8月13日第二次上海事変の勃発。日本の陸戦隊を挑発し先制攻撃を開始した。日本の租界に中国軍の大兵力が集中し、塹壕堀りしたため、撤退要求したが撤退せず交戦となった。ラルフ・タウンゼント著「暗国大陸中国の真実」。国民党に潜む凶産の挑発が起因。

937年秋蒋介石著「中国のなかのソ連」より毛沢東の演説。

1、中日戦争は中共発展の絶好のチャンスである。我々の基本政策は全力の七分を中共の発展に二分を国民政府との対抗に、残りの一分を抗日に使用する。

2、この政策は次の三段階に分けて実施する。第一段階では国民党と妥協して中共の生存と発展を図る。第二段階では国民党と勢力の均衡を保ち、彼らと対抗する。第三段階では華中各地区に進出して根拠地を築き国民党に反攻する。

1937年9月二回目の国共合作

1937年10月14日ローマ法王のピオ11世は支那事変(1937年7月7日)が始まった年の10月14日に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。凶産党と戦っている。凶産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよ」

日本封殺常識カード「兵糧攻め(日本切腹中国介錯論)」は、反共から容共へ180度転向した蒋介石の釈明論

 予備知識の如く、資源無き小国日本の封殺カードは「兵糧攻め」。これは、当時も現代も同じで常識。戦後3年のヘレンミアーズ前掲書にも繰り返し記している。資源無き小国日本を長期戦に持ち込めば、資源枯渇で勝利は、子供でも解ることで、当時も現代も常識。

 それぞれが単独で、世界の常識日本封殺カード「兵糧攻め」をちらつかせ、「親日反共」の蒋介石を、「抗日へ翻意」と、説得したであろうことは、子供でも容易に窺い知れる。

 生き残りに必死な凶産の「八・一宣言宣戦布告」や、日本を犯人に仕立てあげる工作テロで、「抗日」が扇動され、高まり、蒋介石も側近も、鎮静目的の「交戦已む無し」の思いはあったであろう。そこでもっての西安事件である。そして、「黄禍論」で一致した白人が、今度は団結しての日本封殺カードで説得。これには蒋介石も抗しきれず、180度転向した。180度転向の説明は、支持者国民へは、絶対必要不可欠。転向説明(釈明・言い訳)として、常識(兵糧攻め)を元に、「日本切腹中国介錯論」が作られたのは当然なのである。それをNHKと東大加藤陽子は胡適の予言などと祭り上げ、肩書き傘にヒカエオローして、白紙の純真な高校生を洗脳した。

上記年表が語る真実は、「原文は有るが、35年は捏造」。

 ソース資料提供の鹿錫俊(ろくしゃくしゅん・中国人1955~)大東文化大学教授はNHKで度々の犯日証言者(凶産が出てこない、バイアス凶産教授)なので、信用に値しない。

 東大教授女スパイは「本書2009年では1935年の時点での予測・2011年NHKでは1935年ぐらい」とぼかしトーンダウンしているが、資料には、「胡適より王世傑宛書簡(1935年6月27日)」と明記されているので、事実なら、ぼかす必要など全く無い。毛沢東共産党を「最後の5分間」と追い詰めた蒋介石も胡適も、「八・一宣言1935年8月1日)」以後の変節なので、年月日が最も肝腎なのである。特に年月日には敏感なのが歴史学者。その歴史学者があろうことか、「1935年6月27日」と明記もせず、2009年の本には「1935年の時点での予測」、2011年NHK遡り日本史では更に一歩後退し、「1935年ぐらい」とぼかしている。歴史学者として最もあるまじき、不信な行動である。

 1935年6月27日「日本切腹中国介錯論・胡適より王世傑宛書簡「八・一宣言」以前で、しかも毛沢東共産党を「最後の5分間」と追い詰めた張本人が、蒋介石である。「書簡」内容と、現実は、完全に不一致!

 1935(昭和10)年8月1日対日宣戦布告(八・一宣言

 1935年12月9日「一二・九運動」反日運動の際、胡適は、北京の学生の説得にあたった。

 1936年春桜美林創立者清水安三が、胡適と面会、戦争防止を訴えたが、「我々は日本と戦う。自分は以前、国民から嘲笑を浴びながらも、決して戦ってはならないと主張(1935年12月9日)した。しかし今や(八・一宣言以後)、どうしても一度は日本とは戦わねばならない・・・と感じている」と答えた。※まだ書簡」のような徹底抗戦ではない。

 1936年12月12日西安事件。胡適は直ちに打電し、張学良を国家民族の罪人であると激しく非難した。※言行不一致

 1937年7月7日盧溝橋事件

 1937年9月二回目の国共合作と年表を整理すると、西安事件以後の、37年が妥当となる。

 

西安事件以前は反共で以後は容共の蒋介石

 西安事件(1936年12月12日)以前までは、日本と強調し、胡適も反共で、「最後の5分間」と、壊滅寸前まで毛沢東を追いつめ、「我が世の春」間近であった。「最後の5分間」と追いつめていたのに、「ソビエトの陸軍力を巻き込んで」の「日本切腹中国介錯論」は有り得ず、全く整合しない。

 溺れる者藁で掲げた1935年中国凶産の、対日宣戦布告(八・一宣言)で火がついた抗日の火を消すためにも、対日戦も已む無しかと、凶産掃討後の次の展開として、蒋介石も胡適も「八・一宣言」以後は思案の最中ではあった(1936年春)。がしかしそれは、「八・一宣言」以後のことで、以前は、「最後の5分間」と追いつめていた張本人が蒋介石なのだ。

 日中戦争本格化は、西安事件(1936年12月12日)、そして、二回目の国共合作(1937年9月)180度転向以後の事。転向正当化、言い訳用以外では全く整合しない。原文は180度転向のための釈明用で、日付は、1937年6月27日なのだが、中国一致団結しての抗日を強調するため、2年間遡り、1935年と捏造したと推察される。

 捏造犯は、凶産崩壊寸前「最後の5分間」を隠蔽したい者である。この捏造犯は、胡適の親日反共からの変節が、「八・一宣言・西安事件以後」であることを知らなかった(中国共産党教科書にはなかった!教えられなかった!)。これが捏造暴露の糸口。

 西安事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免され、後釜が胡適(1938年から駐米大使)。胡適、1942年帰国、1946年北京大学長、1948年凶産に追われ、アメリカへ亡命、後に台湾に移った。

 「本書2009年では1935年の時点での予測・2011年NHKでは1935年ぐらい」とすることで、東大とNHKと加藤陽子は、日中戦争二年も前に予言し団結と、捏造して祭り上げ、子供でも分かる常識論ではなく、予言者の論に仕立て上げた。そして胡適のような深い考えも無く、おっとり刀でノコノコ戦った日本軍は長期戦に引きずり込まれ、大東亜戦争を引き起こした愚か者と、先人をこき下ろしたのだ。よしんば捏造でなかったとしても、予言などではなく、子供でも分かるただの常識論に過ぎないしろものだ。

 NHKや東大教授加藤陽子に洗脳された「マンセー」がブログに得意げに踊っている。日本史(兵糧攻め)に無知で、自分の頭で考えない、鵜呑みし易いコピペ屋さん達だ。資源無き小国の仕組み(資源輸入加工輸出)を考えれば、子供でも分かる、世界の常識で、能動戦争など、有り得ないのだ。資源無き小国日本の能動戦争は、自殺と同じ。

日本切腹中国介錯論」は当時の常識駄目押しにもう一つ。前掲「暗黒大陸中国の真実(胡適書簡2年前の1933年出版)」より。293p

 「急増する人口に見合う国内資源が無い日本は、極度の精神的不安に落ちた。これを理解しない限り、日本という国を理解することはできない。日本には長期戦を戦う体力はない。短期決戦しかない。資源の乏しい中、総力を挙げて最高の武器を開発してきた理由はここにあったのである。日本の兵力を試した強国はいないが、一つだけ確かなことがある。誇り高き国民であるということである。愛国心が強く、熱狂的な宗教にも匹敵する。誇りをわずかでも傷つけられたら、いかなる強国にも命をかけて戦う国民である」

※前記王世傑宛書簡日本はずっと前から挑発してきたが、我国が抵抗しなかったため、日本が再三挑発しても国際的な大波乱には至らなかった」とあるが、年表を隠蔽し、捏造している。捏造犯の加筆か?「八・一宣言」までは、軍閥や馬賊や凶産パルチザンとの戦闘はあるが、反共蒋介石国民党と日本は協調路線で、戦闘は無い!上海事変①起因の中国十九路軍は、蒋介石(南京政府)の統制外。

328p

 汪兆銘は、35年の時点で胡適と論争しています。「胡適のいうことはよくわかる。けれども、そのように三、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう」と反論します。

※資料提示が無い。胡適書簡を討論とするための辻褄合わせの偽造か?「35年の時点で胡適と論争」汪兆銘は、前記理由により有り得ない!胡適の「日本切腹中国介錯」常識論よりも、汪兆銘の「そんなことしていたら赤化する」が正論。事実そうなり、胡適や蒋介石は敗れ、追放されたではないか!

329p

 日本軍によって中国は1938年10月ぐらいまでに武漢を陥落させられ、重慶を爆撃され、海岸線を封鎖されていました。――常識的には降伏する状態なのです。しかし、中国は戦争を止めようとはいいません。胡適などの深い決意、そして汪兆銘のもう一つの深い決意、こうした思想が国を支えたのだと思います

思想では生きていけない。凶産と食民治宗主国裏で援助した。日中戦争の常備軍兵力。中国軍の常備兵は約225万、ソビエト軍が135万(60万がウラジオストック等に配置)と想定され、対する日本軍は米軍などの推定で25万。仮想敵国の14分の1が日本の常備軍。「これは国際連盟の如き反日団体の資料にさえ見られる数字である(後述タウンゼント著『アメリカはアジアに介入するな!』50p)」。中国赤化となれば合体し、4百万の兵員と、圧倒的に優位な資源で日本侵略の恐れがあった。そして日本軍の予言は見事的中、戦後合体し、朝鮮戦争となった。東大女スパイは、これらもことごとく隠蔽。

 支那事変の推移は、1938年12月までには、首都南京はじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、蒋介石・毛沢東の資金源アヘンも押さえ、中国独自では継戦は不可能な状態となっていた。従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうならなかった、米・ソ等が「対日戦継続を条件」に武器・資金援助を行ったからである。

対中国への食民治主義と凶産党の支援

 米国1927~1941.4億2000万ドルの援助。借款(第一次桐油38年12月第二次滇錫40年3月)。1941年開戦後に17億3000万ドル援助。英国1939~1940.2000万ポンドの借款。ソ連1億5000万ドルの援助。その他数回援助。フランス1938年1億5000万フランの借款。1939年9万6000フランの援助(蒋介石支援ルートへの援助)。 西安事件(1936年12月12日)国共合作②(1937年9月)となり、日本南京占領(1937年12月)以後、資金源アヘンを絶たれた蒋介石・毛沢東の裏に隠れ本格的に援助したが、中ソ合体では日本必滅。合体阻止防共の砦死守戦争ゆえに、日本は引き下がれなかった戦後WGIPが洗脳した正義解放の連合軍は真っ赤な嘘。食民治主義と凶産党は中国に隠れ、寄ってたかっての日本・中国(有色人種)潰し、食民治化が真相なのだ。

予備知識年表が語る真実

1937年12月13日 日本南京占領。

1937年(昭和12)年「今、父が計画していることが成功すれば、中国の国民に幸せが訪れる。しかし失敗すれば、家族全体が末代までも人々から批判されるかもしれない。お前はそれでもいいか」。汪兆銘は17歳の娘、汪文琳にこう問いかけた。汪兆銘は国父孫文の大アジア主義を継承して、日中の共存共栄こそ中国国民の幸せに至る道である、と確信し、中国共産党や蒋介石とは異なる孫文の誤謬「容共」を訂正し、遺志の実現「反共大アジア主義」を目指した。 

193810毛沢東が部下に与えた指令。「――中日戦争は、わが中国共産党にとって、党勢拡大のための絶好の機会を提供している。わが党の一貫した政策は、その勢力の70パーセントを党勢拡張に、20パーセントを国民党との取り引きに、残る10パーセントを日本軍に対する抵抗にふり向けることである」林彪編集『毛沢東思想万歳』

1938年10月27日 日本軍、武漢占領

 11月3日第二次近衛声明。 対日協力と和平を呼びかけた「東亜新秩序声明」

 12月第三次近衛声明。近衛三原則(善隣友好・日中防共協定締結・経済提携)

 12月20日  汪兆銘、重慶を脱出しハノイへ。夫人や、陳公博、周仏海ら「汪兆銘」派同志たちを、日本と交戦中である蒋介石の重慶から飛行機に乗せ、仏印のハノイへ脱出させた影佐禎昭大佐工作成功。

 汪兆銘、字は精衛。1938年国民党副総裁。副総裁の座を捨て近衛三原則に呼応し、反共大アジア主義を唱え重慶を脱出し南京入りした。法政大学卒で孫文の筆頭側近汪兆銘は、共産ではなく実体は、孫文が忌み嫌う西洋覇道の鷹犬、覇道凶産党に、孫文主義から逸脱した覇道蒋介石に気付いたのだ。孫文が早死にしなければ歴史は確実に変わっていた。重慶脱出の際、汪兆銘は蒋介石に、「君は安易な道を行け、吾は苦難の道を行く」と書き残したという。中国の国民の幸せのために、売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平大アジア主義に賭けた。精衛の字は、その証し。しかし、中国の国民には、さらなる戦乱と、共産党独裁政権のもとでの圧制大虐殺という、過酷な運命が待っていた。そして彼が幸せを願った中国国民は未だに尚、「革命尚未成功 同志仍須努力」。

1939年7月26日 フィンランド、ポーランド、およびバルト諸国侵略者ソ連とは同盟を結ぶのに、日本の「中国侵略」を口実に、ルーズベルト大統領制裁を科し、日米通商航海条約の廃棄を通告。

 9月1日 ナチス・ドイツポーランドに侵入、WW2。

 12月 米国航空用ガソリン製造設備、 製造権の対日輸出禁止。

1940年3月30日  南京政府(汪兆銘)成立。「和平反共救国」を唱える汪兆銘首班の「中華民国国民政府」。日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府(反共で孫文の正統な後継者汪兆銘)、米英等が支援する重慶政府(宗主国の傀儡蒋介石)、ソ連が支援する延安政府(凶産党傀儡毛沢東)の、三つ巴の内戦となった。その中でも日本は、重慶(蒋介石)に対して、内戦の早期終結と、「日中共同防共」の希望を捨てなかった、前述の『十二回講和提案』。5につづく⇒

真実史観5信念無きただの丸暗記鵜呑み給料泥棒スパイが文系東大大学院凶授の正体

5給料泥棒スパイが東大大学院

1940年夏から集められた義勇兵、中国名「飛虎」。「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった。

1940年6月22日 フランスがドイツに降伏。

1940年8月 アメリカ、航空機用燃料の西半球以外への 全面禁輸。

1940年9月 蒋介石軍への米英の援助ルート封鎖するため仏領印度シナ進駐。英国と交渉し、ビルマルートを閉鎖させることに成功した。これに対して、日中間の和平をのぞまない米国のルーズベルトは、英国の対日妥協を10月に撤回させて援蒋ルートを再開させ、そして、日本に対して、鉄・くず鉄に関する実質的輸出禁止措置をとった。

1940年9月27日 日独伊三国同盟(相互援助協定)。敵の敵は味方の同盟。戦国時代の常套戦術である。

 

日中戦争の真実は、まさしく毛利論考(264p)「資本主義と共産主義の支配下にある世界に対して、日本などの『東亜』の国々が起こした『革命』」であった。そして日本軍はこの革命のため、1938年から1940年に至までの時期に、『何ら領土的要求もせず』中国に有利な条件で、『十二回講和提案』を行った。これは、日中戦争などではなく、まさしく「防共戦争」であった。

 

5章太平洋戦争 戦死者の死に場所を教えられなかった国

※「太平洋戦争(太平洋の陣取り目的)」は米軍呼称。日本人なら「大東亜戦争(大東亜自由貿易圏樹立目的)」。攻めら、自衛のために戦った戦争なので、「戦死者の死に場所を教えられなかった」などという余裕などあるはずが無い!

334p

 アメリカと日本の国力の差は当時においても自覚されていました。たとえば、開戦時の国民総生産でいえば、アメリカは日本の12倍、すべての重化学工業・軍需産業の基礎とjなる鋼材は日本の17倍、自動車保有台数にいたっては日本の160倍、石油は日本の721倍もあった。

 ・・・こうした絶対的な差を、日本の当局は特に国民に隠そうとはしなかった。むしろ、国力の差を克服するのが大和魂なのだということで、精神力を強調するために国力の差異を強調すらしていました。国民をまとめるには、危機を扇動するほうが近道だったのでしょう。・・・少なくとも、南原のような知識人にとって開戦が正気の沙汰ではなかったと認識されていたのは確かです。

※南原繁等知識人が、本当の知識人であったなら、こんな日本には成らなかった。輩は対案無きいいとこ盗りし、盗み食いしただけだ。だから吉田茂に、「曲学阿世の徒」と正体を暴露された。南原繁に、狭義ではなく広義の眼があったなら、日本は変わっていた。

 国力差を教えるのなら、隠蔽せずに輸入依存度も教えるのが学問。

1940年日本の主要物資の輸入先(開戦1年前昭和15年<1940>) 

・鉄類  ①アメリカ69,9% ②中国15,6%(注・米、中、合計で85,5% ③インド7,5% ④その他7,0%

・石油  ①アメリカ76,7% ②オランダ領インドネシア14,5%(注・米蘭合計で91,2%) ③その他8,8%

・機械類 ①アメリカ66,2% ②ドイツ24,9% ③その他8,9% 「アジア・太平洋戦争」

主要な輸入国を相手に戦争をするのは自殺と同じだ。

 反凶戦争(日支事変を継続中で、多数の人的損失と戦費をすでに費やしていた。その状況下で更に英米蘭などの大国を相手に、新たな戦争を始めなければならない動機など、日本には皆無。衰えた者を啄ばむ、正に弱肉強食適者生存の戦国時代である。日本が戦争を仕掛けたのではなく、仕掛けられたのは明白な事実だ。明らかに(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略凶産化)(侵略凶産化)に戦争の意図や動機があった。

 戦後のお馬鹿作家やマスコミは、「馬鹿の一つ覚え」のオウム返しで、両極つまみ食い極端論「開戦派・和平派」と色分けする(映画山本五十六も同じ)が、当時の兵力や輸入依存度をみれば、皆「和平派」。「和平」に八方尽力の果て、逆に、米国の揺ぎ無い本心は、「最後に残った唯一の有色人の星、日本を潰しての、白人完全支配の食民治化」であることを思い知った。結果、「座しても死、戦っても死」なら、「戦っての死」と、皆「開戦」に同意したのだ。米国の本心看破以前は、皆「和平派」で、本心喝破後は、皆「開戦派」で団結が、真実である!

 先人は戦争したくて戦ったのではない。時代が戦国時代だったので、資源無き小国日本の勝機は先手攻め有るのみ。先憂後楽で時代の衣を纏わざるを得なかっただけに過ぎない。平和な時代だったら平和の衣を纏った人だ!

336p開戦に際しての、国民の感想。

 竹内好「爽やかな気持ちであった」

337p

 伊藤整「今日は皆人々気色有りて明るい。昨日とはまるで違う」小作農阿部太一「いよいよ始まる。キリリと身のしまるを覚える」駅員小長谷三郎「駅長からこの報告を受けた瞬間、既に我等の気持ちはもはや昨日までの安閑たる気持ちからぬけだした。落ちつくところに落ちついたような気持ちだ」

※苦渋の末の決断を下した明るさで、決意である。

降伏条件など勝者は無視が戦国時代の常識

 弱小国は皆征服され、搾取のみで植民地や弱小国は悲惨を極めた。WW1勝者英・仏、敗者ドイツへの仕打ちは、降伏条件「即座の食糧供給」を無視し、餓死者80万もの犠牲者(ほとんどが老人女子供の非戦闘員)を出し凄惨を極めた。日本敗戦後の、同胞の決起が無かったら、WW1敗者ドイツの二の舞いで、分断されて日本国など消失し、日本族と呼ばれていただろう!

 一度弱みを見せればつけ込むのが戦国の常識(竹島北方領土が実例)。ハルノートを受諾し降伏しても(不戦)、再度の資源封鎖で万事休すは明白で、戦わずの降伏は、同胞に対しての開国以来の信義がすべて水泡と化すため、同胞蜂起に一縷の望みを懸け、決起した。

 戦争などできる状態にない」のに「なぜどうして戦争した」の検証回路が皆無なのだ。よしんば「止めたとしても」アメリカのみが敵ではない、水と油の「黄禍論白人連合」なのだ。世界征服が野望のソ連南下は必然。弱体日本と見るやいなや、終戦なのに征服したではないか、癌国すらも竹島を征服したではないか、あれが現実である。水と油の「黄禍論白人連合」ではあるが、米英が、日本に助力したかどうかは、はなはだ疑問である。見捨てた同胞アジアの支援は、当然無い。外堀埋めて(生命線の満州韓半島そして汪兆銘名南京無くして)大国凶産ソ連と、どう戦うのだ。日本国内が戦場となり、唯物対唯心日本の戦いである、まさに一億玉砕の壮絶な戦いとなっていたであろう。日本人は、死に絶えていたかも知れないのだ。永野修身の御前会議の言葉、「大阪冬の陣の如き平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬ様な不利なる情勢の下に、再び戦はなければならぬ事態に、立至らしめることは、皇国百年の大計の為、執るべきに非ずと存ぜられる次第で御座います」は、この事を語っているのだ!

 反共の砦日本が撤退するや否やソ連は、中国と韓半島を瞬時に支配した。アメリカと国連軍が総がかりでなんとか韓半島半分まで押し戻したが、戦後67年後の現在も、停戦のままで終戦には至らず。これが史実。この史実が物語るのは、日本累積砦がいかに強大な反共の砦で、共和党フーバー大統領の見識がいかに正当で、NHKや東大らの御題目「不戦は平和」がいかに空論で、応戦は先憂後楽との、証明である。つまり、不戦=撤退すれば、見捨てた同胞支援は当然皆無の孤立無援、対「兵糧攻めカード所持者黄禍論白人連合」に、丸裸の日本などは潰えて、分断され、消滅していた!

ABCD包囲網は宣戦布告!日本の人口

 時代対処のため戦国の世に開国し、自給自足(江戸初期1600年1227万人で、121年後の1721年3128万人に倍増したが、以後は、125年間江戸末まで横ばいで、1846年3230万人。横ばいは、間引きがあったと思われる。つまり、これが、当時の日本の、自給自足限界人口。棚田は、日本民族自給自足苦闘の証し!)から輸入加工輸出国に転換、85年で人口倍増(昭和6年1931年6500万人なので、自給自足に後戻りは、二人の内一人が餓死者)。迫る清国とその属国朝鮮、南下する露西亜、そして凶産ソ連と食民治主義連合、そして更に巨大化した黄禍論白人連合との対峙と、まさに未曾有の時代であった。先人はこの死活(負ければ二人の内一人が餓死者)の時代を、一丸で命を懸け、子孫に禍根を残さずと、日清日露大東亜(三倍の人口なので三人の内二人が餓死者)、すべて先憂後楽で対処した。資源無き小国、援軍のあて無き籠城や後手は確実な餓死。全て先手、外地戦は、古今東西小国戦法の、定法である!

 マッカーサー証言「1951年5月3日・彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国(by security)のためだったのです」は、このことを看破した、証言なのだ。ベンブルース等、弁護人の弁護も同類である。

 その時代の先人が、禍福を糾い、熟慮と苦渋の果てに下した先憂後楽決断を、「たら、れば」の空論で非難は、子孫にあるまじき愚行である!

339p

 陸軍がこの(1941年9月5日)御前会議のために準備した文書には、こう書かれている。来るべき戦争は英米蘭(イギリス、アメリカ、オランダのこと)に対するものであって、その戦争の目的は、東亜、つまり東亜細亜における米英蘭の勢力を駆逐、追い払って、帝国の自存自衛を確立し、あわせて大東亜の新秩序を建設することにある、と。

これは正論。真の独立は自由貿易、「英米蘭」ブロック経済のままでは、日本は滅亡。自由貿易経済圏を東亜に建設しなければ、永遠に桎梏独立のままで、実質は植民地と同じである。自給自足徳川時代から脱却し、人口も2倍を越え3倍に迫ろうとする時代、桎梏されてしまって自給自足に戻れば、2/3の6千万人は餓死。まさに戦うも死、戦わざるも死であった。適者生存唯一の術が、南下ソ連の砦も兼ねた自由貿易圏、大東亜共栄圏の建設であった。東大女スパイはこれ等をことごとく隠蔽し、挙句の果ては茶化している。

340p

 さてこの後、軍部は歴史を突然持ちだすのですが、どの時代の歴史かわかりますか。もう、ものすごいですいきなり、豊臣秀吉、徳川家康の時代ですよ。大坂冬の陣を引きだしてくるのです。・・・さて、冬の陣のたとえはですね、永野軍令部総長が、9月6日の御前会議の場で、天皇も含む出席者に向かってこういったのです。

 「避けうる戦をも是非戦わなければならぬという次第では御座いませぬ。同様にまた、大阪冬の陣の如き、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬ様な、不利なる情勢の下に再び戦はなければならぬ事態に立至らしめることは皇国百年の大計の為執るべきに非ずと存ぜられる次第で御座います」

 ・・・いたずらに豊臣氏のように徳川氏に滅ぼされて崩壊するのか、あるいは、七割から八割は勝利の可能性のある、緒戦の大勝に賭けるかの二者択一であれば、これは開戦に賭けるほうがよい、との判断です。このような歴史的な話をされると、天皇もついぐらりとする。アメリカとしている外交交渉で日本は騙されているのではないかと不安になって、軍の判断にだんだん近づいてゆく。

「太平洋戦争への道7」角田順著323P「戦争は十中の八、九まで長期戦となるだろう、而して長期戦の場合、戦争第一年および第二年は長期戦体制の基礎を確立し、その間は勝算がある、第三年以降は予断を許さない、責任をもってお答えしうることは上述のとおりである」(永野軍令部総長・11月1日連絡会議)はあるが、「七割から八割は勝利の可能性のある、緒戦の大勝に賭ける」はない。これは、東大女スパイが捏造し仕組んだ、白紙生徒誘導洗脳。「天皇もついぐらりとする」などと、ここでも昭和天皇を茶化している。

 この東大女スパイは、「戦わなければバラ色」の世界があった如く延々と騙り、ばら撒くが、戦わざれば、亡国で、日本民族6000万人の餓死者。

345p

 1939年の時点では、アメリカは飛行機を年間で2141機しかつくれませんでした。それに対し日本は二倍以上、年間で4467機を製造する力があった。しかし、この日本側の優位は、アメリカが本気になったとき、あっという間に崩れるのです。41年の時点でのアメリカの製造能力は19433機、日本は5088機で、アメリカは日本の4倍もの生産能力を獲得している。そして、この比率は45年まで変わりません。アメリカという民主主義国が売られたケンカを買ったときに、いかに強くなるかがわかりますね。日本側の予測をはるかに超える事態でした。

売られたケンカを買った」ではなく、アメリカは戦争準備し、「4倍もの生産能力を獲得」したので、日本に「ケンカを売った」であろう。まったくこの東大女スパイは、整合性が皆無である。上記事実は、「当時日本は日中戦争中で疲弊の極み。疲弊国は叩いて盗れは、戦国時代の常道である。アメリカは戦争準備し、戦争体制が整ったので、疲弊日本をブロック経済で更に追い詰めた」を語って余りある。日本に「ケンカを売った」事実を、「売られたケンカを買った」と真逆に言い換えるとは、まさに東大女スパイの面目躍如である。

345p

戦争拡大の理由

激しかった上海戦

 胡適の35年時点での議論をみましたね。胡適は、三年か四年、中国が日本に内陸部深くまで侵略され、すべての海岸線を封鎖されて初めて、アメリカやソ連を巻き込んだ世界戦争に転化できるとの見通しと覚悟を、中国政府に求めていました。それでは、その後の中国の戦いを見てゆきましょう。確かに、中国側の抗戦意欲は高かったのです。

346p

 また外務省のアジア局長であった石射猪太郎は、8月17日の日記に「・・・陸戦隊本部は陥落しはしないか」と、まことに心細いことを書いている。

347p

 中国側が強かった理由は、もちろん、31年の満州事変以来、日本側のやり方に我慢がならなかったという抗日意識の高まりがまずはあります。

348p

 ドイツは・・・38年5月12日に満州国を承認して明確に日本側と手を組むまでは、中国側に最も大量の武器を売り込んでいた国でした。兵器・軍需品を売り込むだけでなく、軍事顧問団も蒋介石のもとに送っていた。ドイツ人軍事顧問団に率いられた中国軍は、ダイムラー・ベンツ、ベンツですよ、ベンツのトラックで運ばれて戦場に赴いていたのですから、日本軍の持っていた国産の軍用トラックなどよりずっと性能がよかったはずですね。

※「兵器・軍需品を売り込む。軍事顧問団」は対日戦ではなく、対ソ防共で毛沢東と戦っている蒋介石のためである。国共合作したので打ち切り。東大女スパイは、対日戦であるかのようにすり替えている。

 ・・・中国とソ連の場合は、軍事的な関係がつくられ、37年8月21日に、中ソ不可侵条約を結んでいた。この条約の内容は武器援助です。ソ連は中国に対して、飛行機924機、自動車1516台、大砲1140台、機関銃9720丁、志願兵という形でソ連人パイロットをそれぞれ送ります。ソ連は、日本側との軍事的な対立は早晩避けられないと考えてはいましたが、自らの国家が対日戦争の準備ができるまで、その時間かせぎを中国にやってもらえるならば、このくらいの軍事援助はお安い御用という感じだったと思います。

※全世界赤化が目的の凶産ソ連、東大女スパイは毛沢東の八・一宣言は隠蔽し、「このくらいの軍事援助はお安い御用」とWW2元凶赤化ソ連凶産を、隠している。

 この、ソ連の軍事援助と同じ、あるいはもう少し同義的な意味の濃い援助を始めたのがアメリカとイギリスでした。英米は中国の各都市に巨額の経済的権益を持っている列強でしたから、日本側に中国との貿易を独占されることは我慢ならないことでした。38年12月、アメリカは中国に対して2500万ドルの借款を行います。借款というのは、この額まで、中国はアメリカから好きな物資を購入してもよいですよ、という形式での援助でした。日本に海岸線を封鎖されていても、香港などを通じて中国へは物資を入れることができた。

 一方、39年1月、アメリカは日本に対し、航空機とその部品の対日輸出を禁止し、同年7月26日には、日米通商航海条約の廃棄を通告しました。これは「日本は東亜新秩序などと唱えて東アジアを日本だけで経済的に独占支配するような政策を本当に取り続けるつもりですか。こうした政策を続けるならば、アメリカは日本との対立を辞しませんよ」と、アメリカが日本に対して警告を与えていたわけです。

※列強がブロック経済で牛耳っているため、資源無き小国日本(資源を輸入、加工して輸出)は、その桎梏の中にあった(完全な独立国ではなかった)。世界支配の列強が一致し、資源輸出も、加工品輸入も止めれば、「瞬時に日本は餓死」が当時の世界の常識であった。台湾朝鮮満州の極東共栄圏に、中国を加え、更に拡大し、東亜の民と共に自由貿易共栄圏樹立が、この桎梏から脱出し、適者生存する唯一の術であった。

349p

 日本軍は、上海、南京、武漢を陥落させ、日本の実質的な占領地は、中国の産業文化の中心である長江下流域、中流域まで拡大します。イギリスは武漢が陥落した38年10月頃から、中国は日本との戦争に負けるのではないか、国土をこれだけ侵略されれば、日本の言いなりになってしまうのではないかと怖れます。そして、39年3月、イギリスも中国の貨幣価値が下がって中国が困窮しないように、通貨を安定させるための借款を行いました。イギリスからの物資も広州、香港、フランス領インドシナ(現在のベトナムに相当する地域、フランスの植民地)などから、つまり、のちに援蒋ルート(蒋介石を援助する物資を運ぶ道という意味)と呼ばれるようになる道を経由して入ってくる。

※孫文、南下ソ連、西安事件、黄化連合をこれまで隠蔽した東大女スパイ、やっとここで胡適「日本切腹中国介錯」捏造解釈論を掲げ、黄化連合援助を語った。孫文南下ソ連西安事件黄化連合の主文は隠蔽し、各国の中国支援のみを知らされた白紙生徒は、正義は日本以外の世界総てで、極悪国は日本のみと確実に洗脳される。援助を、「通貨を安定させるための借款を」などと、持って回った言い方で洗脳しているのがその証拠である。

 赤化東大女スパイの言いたい放題である。先人の歯軋りが聞こえる。

350p

 確かに日本人には少しひがみっぽいところがある。いじけやすい笑い)。ソ連、アメリカ、イギリスが中国に援助しているのを見ると頭に血が上る。どうしてみんな中国だけ援助するのか、と、むろん、日本が戦争をしかけて中国の対日政策を武力によって変えようとしたことからすべては始まっているわけですが、それは、日本側には自覚されません。

※当時タイと日本のみが独立国で、他は皆食民治で搾り取られていた。「変えようとした」のは「中国の対日政策」ではなく、資源無き小国桎梏の仕組み、ブロック経済破壊しての、自由貿易で、「中国の対日政策」ではない。祖国存亡に際し、懸命の先人を、「いじけやすい(笑い)・頭に血が上る」などと茶化しているが、歯軋りする思いだ。こんな者が東大大学院教授なのだ、本当に日本人で子孫か疑わしい!ただの丸暗記屋(HDD)ではないか。丸暗記なら、HDDの方が確実だ。高い給料も払わなくて済む。

 日中戦争を早く終わらせるためとして、日本軍はフランス領インドシナ、当時の言葉では仏印と呼ばれていましたが、この仏印への進駐を計画する。仏印進駐は、40年9月、北部に対してなされる北部仏印進駐と、翌年の41年7月に南部に対してなされる南部仏印進駐の二回あります。中国の後は仏印、などと日本はよくもまあ次から次へと他国の領土を侵略しようと考えますね。

先に攻めなければ攻められた戦国時代である。先手以外に資源無き小国日本の、適者生存の道は無い。故に必死なのだ。それをわきまえずに、ここでも茶化している。裸の王様東大文系の、この見下した驕りには、腹が立つ!

353p

 ドイツ軍に制圧されヨーロッパのほとんどの国が敗退したのなら、そうした国々を本国とする植民地、東南アジアの植民地は、ドイツが取らない限り主人のいない地域となる。ならば、この地に進出して自給自足圏をつくろう、との発想でしょう

先に喰わなければ喰われる戦国時代である。当然の発想である。「発想でしょう」とけなす方が、お馬鹿!

6へつづく⇒

真実史観6東大加藤陽子日本切腹中国介錯論等の捏造暴かれ手口丸裸で女スパイ失格

6東大加藤陽子日本切腹中国介錯論等の捏造暴かれ手口丸裸で女スパイ失格

356p

 事実、中国は、40年11月、ワシントンに中国空軍作戦の代表者を送り込んで、41年までに飛行機を500機をパイロット付きでくださいとアメリカに申し入れていました。

1936年12月12日西安事件後、盧溝橋事件(1937年7月7日)の数ヶ月前、米国ルイジアナ州出身の陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェノールトを、中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして蒋介石が雇った。このクレア・L・シェノールトが中国空軍作戦の代表者で、アメリカ本国に戻り交渉した。義勇兵は1940年夏から集められていた。よく知られた常識なのに、隠蔽している。

357p

 ここまでのお話の表面だけを理解すると、なんだか、英米ソなどの国々が中国を援助したから日中戦争は太平洋戦争に拡大してしまったといったような、非常に他律的な見方、つまり、他国が日本を経済的にも政治的にも圧迫したから日本は戦争に追い込まれた、日本は戦争に巻き込まれたのだ、といった考え方に聞こえるかも知れません。しかしそれは違います。日本における国内政治の決定過程を見れば、あくまで日本側の選択の結果だとわかるはずです。

※仏印進駐云々は戦国時代の常道、詭弁を弄しても無駄です!東大女スパイさん!ブロック経済列強が伝家の宝刀を振るい、資源無き小国日本を兵糧攻め(他律)したので、餓死する前に、日本軍は兵糧確保を選択、兵糧奪取のために行動(自律)した。どんなに詭弁を弄しても、それ以外のなにものでもない!

366p

 軍部が、37年7月から始まっていた日中戦争の長い戦いの期間を利用して、こっそりと太平洋戦争、つまり、英米を相手とする戦争のためにしっかりと資金を貯め、会計で「臨時軍事費」を計上します。特別会計というのは、戦争が始まりました、と政府が認定してから(これを開戦日といいます)戦争が終わるまで(これは普通、講和条約の締結日で区切ります)を一会計年度とする会計制度です。

 37年に始まった日中戦争からの特別会計が帝国議会で報告されるのは、なんとなんと45年11月でした。太平洋戦争が終結した後、ようやく日中戦争から太平洋戦争までの特別会計の決算が報告されるという異常な事態です。軍部とすれば、日清戦争や日露戦争の頃と違って、政党の反対などを考えなくて済みますから、こんないい制度はないですね。日中戦争を始めて、蒋介石を相手に全力で戦うこともしていたけれども、裏で、太平洋戦争向けの軍需への対応を準備できるようにしておく

 一橋大学吉田裕先生の研究によれば、1940年の一年分を例にとって・・・何と三割しか日中戦争に使われていない。残りの七割は、海軍は英米との戦争のために、陸軍はソ連との戦争を準備するために使っている。太平洋戦争が実際に41年末に始まるまで、すでに使われていた臨時軍事費の総額は256億円でした。現在の貨幣価値に換算するには、800倍すればよいといわれていますから、換算してみると、20兆4800億円ですか。

 当時軍の内部にいた人間も、これはおかしいなと気づいていたようです。海軍省の調査課というところで、海軍の帝国議会対策にあたっていた高木惣吉という軍人の日記には、37年8月3日の記事として「我々部門の者も何のためにそれほどの経費を要するや、主義として諒解し得ざる点あり」と書かれています。つまり日本側は、表向きは日中戦争ですよ、といいながら、太平洋戦争に向けて、必死に軍需品を貯めていたことになる。よって、戦いの最初の場面で、いまだ準備の整っていないアメリカを不意打ちにして勝利を収めれば、そのまま勝てるかも知れないとの考えが浮かぶ。

※二の手三の手の準備は、戦国時代ならずとも、為政者として当然の常識である。これまで茶化している!ましてや弱肉強食の時戦国代!傀儡蒋介石毛沢東の操り人(米英蘭ソ)、バレバレの首魁対策は当たり前!

370p

 日本は宣戦布告より前に奇襲作戦で英米に打って出たことになります。

※ブロック経済で資源封鎖(ABCD)、降伏要求書(ハルノート)は、宣戦布告以外の何ものでもない。

371p

 大坂冬の陣にしろ、桶狭間の戦いにしろ、昭和天皇がこのような史実を用いた講談調の説得に実のところ弱いと見た海軍側の知恵であったのかしれません。

※ここでも昭和天皇を、「講談調に弱い」とこき下ろしている。

373p

 なぜアメリカは戦艦を無防備な状態でずっと置いていたのでしょう。・・・375pアメリカ側も、日本の技術に対して侮っていた部分がある。

※真珠湾艦隊は「生け贄艦隊」右記参照。ルーズベルトは宣戦布告を隠蔽し真珠湾を生け贄に復讐戦争を捏造

379p

日本は戦争をやる資格の無い国

 持久戦ができない国であるからこそ、速戦即決の作戦を立てたり、想定敵国を地政学的に挟み撃ちにすることを考えたりしなければならないわけですね。ご苦労なことです(笑い)

※資源無き小国日本の悲哀を、ここでも茶化し笑っている。丸暗記お馬鹿には、付ける薬が無い!

381p

 水野廣徳の論「かくの如く戦争が機械化し、工業化し、経済力化したる現代においては、軍需原料の大部分を外国に仰ぐが如き他力本願の国防は、あたかも外国の傭兵によって国を守ると同様、戦争国家としては致命的弱点を有せるものである。極端に評すればかくの如き国は独力戦争をなすの資格を欠けるもので、平時にいかに盛んに海陸の軍備を張るとも、ひっきょうこれ砂上の楼閣に過ぎないのである」

 この水野の論は、徹底しているという点で中国の胡適の論に相当するかもしれません。

※水野廣徳の言うとおり独力戦争をなすの資格を欠ける」は、まさしく正論で、天皇・軍・国民の常識。ましてや日中戦争最中に、更に加えて輸入依存国のアメリカや、同胞アジア諸国との能動戦争などは、蛸が自分の手足を喰う如きの自殺論。八方手を尽くし和平に努めたが、兵糧攻めされれば、どこの国でも兵糧をとりに行く。大東亜戦争はまさにそうだった。東大女スパイ、先人愚弄目的の引用なのだが、逆に無整合無検証をさらけだした。資源無き小国日本、自給自足から脱却した開国以後(資源輸入加工輸出)の弱点は、「兵糧攻め」で、この水野廣徳の論は、当時も現代も、国民の常識!

 「中国の胡適の論に相当する」と又ここでも、予言者の論であるかのようにヨイショしているが、当時も現代も常識論で、特別な論ではない!資源無き小国の仕組み(資源輸入加工輸出)を考えれば、子供でも分かる世界の常識で、能動戦争など、有り得ないのだ。能動戦争は自殺と同じ。常識論ではなく、予言者の論にしなければ、捏造(日本の侵略能動戦争)がばれるからヨイショに懸命なのだ。

389p

戦死者の死に場所を教えられない国

※受動戦争で、皆殺し作戦で皆殺しにされての敗戦に、死に場所語る術は無い。徹底抗戦の英霊に鞭打つ愚論である。

 真珠湾攻撃などの奇襲によって、日曜日の朝、まだ寝床にいたアメリカの若者を三千人規模で殺したことになるのですから、これ一つとっても大変な加害であることは明白です。

※ルーズベルトが、WW2に参戦するための「生け贄」が、真珠湾犠牲者であることは、明白である!東京裁判で、戦勝国がパール ハーバーを中心訴因から外した。戦勝国が封鎖(兵糧攻め)で宣戦布告、日本は応戦で真珠湾。つまり、正当防衛蜂起日本と、東京裁判で戦勝国が認めたのである。

398p

 ドイツ軍の捕虜となったアメリカ兵の死亡率は1.2%に過ぎません。ところが、日本軍のの捕虜となったアメリカ兵の死亡率は37.3%にのぼりました。これはやはり大きい。日本軍の捕虜の扱いのひどさはやはり突出していたのではないか。

 このようなことはなにから来るかというと、自国の軍人さえ大切にしない日本軍の性格が、どうしても、そのまま捕虜への虐待につながってくる。

※ドイツは北方で風土病無し。日本軍戦地は南方で、風土病(コレラ、悪性マラリヤ)地域。耐性弱い白人は、ほとんどが風土病犠牲者となった。泰緬鉄道建設従事者、日本軍死者1割(1千人/1万人)、連合軍捕虜(風土病に対して抵抗力無い)死者2割弱(1万3千人/7万人)。東大女スパイ無知無検証鵜呑み自白。

 ニューギニア北部のジャングル・・・食糧補給した前線など一つもなかった。この戦線では戦死者ではなく餓死者がほとんどだったといわれるゆえんです。

※日本は受動戦争。食糧補給路を断ち餓死者にしたのは米軍で、日本軍ではない!日本軍であるかのようにすり替えている。 

 国を憂わず、われとわが身を甘やかし、嘘垂れ流しの「女スパイ東大教授加藤陽子」、現実界なら、とうの昔に塀の中。頓珍漢書評で同病(検証回路欠損症)自白の下記二人も、同罪!

内田樹(東大文系卒)の書評「歴史的知性とは、未来がまだわからない時点においてなお蓋然性の高い推理ができる知性の働きのことであるという著者の信念に、私は深く共感するのである」

佐藤優(元外務省官僚同志社大文系卒)の書評「歴史が『生き物』であることを実感させてくれる名著だ」

※こんな捏造亡国本が小林秀雄賞。「言葉と文字界張り子で賞」との、白状である!

これだけの嘘を3年間も野放しにした舌先三寸ニセ保守と便乗する保守ブログは中身空との自白

 “それでも、日本人は「戦争」を選んだ”加藤陽子捏造本に、これだけ先人が貶められ、世界に冠たる昭和天皇「苦渋の決断」を、「講談調の説得に実のところ弱い」などとコケにされ、これだけの嘘を3年間も野放しにした。保守、右翼、尊皇・産経、日本文化チャンネル桜・正論、WiLL、歴史通・立ち枯れ党・渡部昇一、西尾幹二、桜井よしこ、田母神俊夫、稲田朋美、石原慎太郎、西村眞悟、小林よしのり、「つくる会」、藤岡信勝、中山成彬等、誰一人検証しなかった。日の丸だ、天皇陛下だと、飾る(虎の威を借る)ことにのみ懸命な輩、顔は愛国仮面だが、まさに舌先三寸口先だけの、魂無き空だ!空の正体、検証力皆無との露呈で、「なぜどうして」の常識回路(表意知識)無き加藤陽子と、同類との白状である!「蛸壺史観」というよりは、「井蛙史観」がお似合いだ!捏造屋(凶産)よりはマシだが、野放しとはいかなる所存か!掲げた看板のあざ笑い、聞こえぬか?!

 上記の言論は、真実史観の一刀両断検証の俎板にのることはあるが、核心に迫ること無き上辺論で、役立たずの空論。

 加藤陽子や半藤一利等スパイは、年表や資料の不都合部分は隠蔽し、都合の良いところのみを摘み盗りして歴史を捏造する手口(年表隠蔽)なので、隠蔽部を探して当てはめ、完全年表を作成すれれば、子供でも一目瞭然で「真実史観」となる。この現実界の単純作業も出来得ないという事は、本能的な感情論のみで、「検証(整合した論理)回路が無い」という、中身空、張子の虎との自白である。前記内田樹・佐藤優如きにいたっては、空自白しても飽き足らないのか、更に賞賛しての上塗り!お粗末この上ない!見下して、国民をこ馬鹿にした所業か、己の馬鹿さかげんに気付かぬ、裸の王様、いずれかである!

「一途に一心に」の加藤庸子かとうようこ 藤田保健衛生大学医学部脳神経外科教授)とは、真逆脳神経外科に女医会あり)!

 

保守の旗を掲げ似非識者丸コピペ丸鵜呑み丸賛成のブログや国民は原点に回帰!

 空は、67年間も核心に迫る検証もせず、天皇陛下だ保守だ日の丸だ君が代だ憂国だと、ただ空騒ぎして己を飾り、愛国を金儲けのための道具にしていただけに過ぎない。この空を、ブログランキング参加者が崇め奉り、ブログのコピペソースとしているため、ブログランキング参加者も同様に右習い、無検証だらけと相成った。戦後、復興に多忙な国民は考える暇もない、戦後識者の中身、空とは知らず、戦前の識者と同様に崇め信じ丸鵜呑みした。その結果が、こんな日本となったのだ。これでは戦後利得者とそれに便乗した輩と全く同じで、信念無き傀儡、丸暗記鵜呑み宣伝屋で、その繰り返しだ。戦後と全く同じ轍を踏んでいる。

 「言葉と文字界」は67年間も無検証だったのだから、信ずるに値しないは明々白々。

 検証の如く東大や京大等文系に、「表意知識」はない。戦後のテレビ普及で一億総白痴化が進み、洗脳されやすくはなったが、ほとんどが東大や京大等文系ではないので、「表意知識」は淘汰されずに残っているはずだ。丸鵜呑みのブログランキング参加者も読者も、今はまだ、覚醒初期段階に過ぎない。「言葉と文字界」、「トラの威を借る」コピペ宣伝拡散の愚行は止めにし、数多の資料と直接向き合い、「立派な先人から授かった子孫の頭脳」で筋道立てて、「なぜどうして」と考え、保守(便乗偽右翼)対左翼(捏造屋凶産)ではなく、真実(唯心日本)捏造(唯物・保守、右翼、左翼、革新、自虐)の両極に、整理することが肝腎。真実史観の「大和九九年戦争適者生存史」も、こうして導き出された。 完

日中戦争・大東亜戦争首魁は凶産カルト!東大女スパイ隠蔽したが暴かれスパイ失格!

 地動説の世に天動説をとなえるお馬鹿学者かスパイが輩の正体。凶産・孫文・毛沢東を隠蔽する魂胆はスパイ以外にない。だが、スパイとしては余りにお粗末な東大女スパイである。頭隠して尻隠さず(筋道整合回路整理回路皆無をさらけだし、丸暗記鵜呑み)なので、たちどころに暴かれた。

 現実界の常識回路が無いので、数多の資料を判別検証でき得ず、丸暗記をぶちまけただけの本。資料独占でこれまで思いのままにしてきたが、検証回路無き頭脳では、豊富な資料も豚に真珠と証明した、自白の書である。

 豊富な資料と記憶をひけらかし、ただばら撒いているだけで、全く整理されていない!時代を行きつ戻りつの精神分裂症の如き羅列。広げればいいと言うものではない。この女スパイ、どの書籍もそうだが、整合性に著しく欠ける。文章は何が言いたいのかいつも不明。本を読んで解ったという人は、解った振りをしているだけである。

 結果(点・戦争)には必ず過程(線・適者生存)があり、原因(弱肉強食戦国時代)がある。筋道立てて究明するのが歴史学だ。それが皆無なのだ。

「言葉と文字が生業の文系界」正体は思索回路無き丸暗記集団で現実界落伍者自給自足の無人島への流罪が、思索回路欠損病、唯一の治療方法

 丸暗記力のみで筋道を立てる整合回路が無い。枝葉末節(丸暗記表音知識)をばら撒いているだけで、思索の幹が無い。新説が説かれても、検証回路が無いので検証不能、結果、正誤入れ替えでき得ず進歩しない。

 文系大学は学究(検証記憶)の場ではなく、丸暗記力の競走場と化し、東大京大等は、ただの丸暗記詰め込みどころだ。卒業生の整合性無き言質は、現実界では通用しない、落伍者!仙谷や西村眞悟などは現実界からお払い箱で代議士になったのだろう。同様の現実界落伍者自白政治家等、「鳩山兄弟、菅、仙谷、小沢、河野洋平、加藤紘一、中山成彬」・民主凶産公明社民自民党・司法界キャリア官僚・文系教授日教組・五百旗頭真・NHK新聞ラジオTV・作家評論家等々ゴロゴロ居る。

東大文系は日本()破壊獅子身中の癌!

 原水禁と社民党福島瑞穂(東大法卒)「脱原発をめざす女たち(言葉と文字界)の会」加藤登紀子(東大卒歌手)福島県教職員(言葉と文字界)組合主催の3.11.バスツアー目的は、震災に便乗して(人の不幸を利用して)の売名(唯物自白)で、被災地の絆と心逆なでの、愚行!凶産党宮本顕治、不破哲三・幸福実現党大川隆法・朝日新聞星 浩若宮 啓文・文藝春秋、半藤一利等々、日本に仇なす者は皆、東大文系卒!

捕食者(喰う者)と被食者(喰われる者)

 現実界(自然界)の捕食映像がTVで流されるが、視点が捕食者側に立つか、被食者側に立つかで内容が真逆となり、真実からは遠ざかる。

 真実の大東亜戦争(被食者)は淘汰し隠蔽、戦勝国押し付けの太平洋戦争(捕食者と捏造)呼称、捕食者(喰う者)日本と真逆にすり替え、被食者(喰われた中国や朝鮮と捏造)側からのみの一方的視点で女スパイ加藤陽子東大等は洗脳し続けている。

 NHKTBSフジ日テレTV朝日、朝日毎日読売新聞と岩波書店等の雑誌社、作家凶産カルト党政治屋政党平和団体原水禁等「言葉と文字界」も、偽善者面で「反省」と称し、67年間も洗脳し続けている。

 東大女スパイ加藤陽子の肩書き「東大大学院教授」を、何度も何度もNHK(遡り日本史)はこれ見よがしに字幕で流した。唯物文系「言葉と文字界」論者のTV映像背景には、いつも、これ見よがしにトラの威を借る飾り本棚有り。ヒカエオローは見え見え。どんなに飾って(トラの威を借る本棚と肩書き)ヒカエオローしても、嘘は嘘で真実にはならない。

 現実界は、職責を全うし唯心の汗と涙で奇跡の復興を成し遂げた。その汗と涙の唯心孤軍奮闘を横目で見ながら、職責の学究も果たさず、職責を放棄し我欲に励み逆行したのが唯物「言葉と文字界」。「ヒカエオロー」と無検証のオウム返しで、このように67年間も洗脳し、団結の足を引っ張り続け、破壊している。こんな日本にした元凶は、学究ではなく自己粉飾で中身空の輩。好いとこ盗りしつまみ食いワンフレーズ扇動で善人ぶる輩。実技無き成敗無き「言葉と文字界(仮想界)」である。

 真実史観7年の作業は、「言葉と文字界」空偽善者とスパイが、67年間も隠し続けた真実の断片を探し出し、真実のジグソーパズル完成のために、嵌めているにすぎない。

大和日本の九九年戦争は1960年の植民地独立付与宣言で目的達成

 大東亜戦争は、凶産主義ソ連と食民治主義の白人征服者連合軍と、その傀儡有色人毛沢東軍と蒋介石軍対、有色人被征服者(日本、台湾、南洋諸島、満州、汪兆銘南京政府、大東亜諸国、朝鮮)連合軍との戦いで、1960年の植民地独立付与宣言で初めて、侵略者凶産主義ソ連と食民治主義の桎梏を断ち切り、開闢以来の弱肉強食を断ち切り、日本連合軍の、戦争第一目的(自由貿易・人種平等・互恵平和)を、完全に勝ち取った。対馬の露西亜占領から九九年!肉を切らせ(勝敗では敗れたが)て、骨を断った(目的は達成)のである!植民地独立付与宣言での戦争第一目的「自由貿易(桎梏のブロック経済破壊)・人種平等・互恵平和」達成が、戦後の復興隆盛起因なのは、言うまでもない!

 がしかし、東大女スパイ加藤陽子等、戦後の「言葉と文字界」によって、アジアの侵略者と真逆に書き換えられ、今年で、職責者不在、戦後67年になる。人類史上の大転換(開闢以来の悪行、弱肉強食を破壊)を果たした立派な先人の汚名を雪ぎ、子孫に遺す使命が、我々現生に生きる子孫にはある。

 我々子孫は、大和日本を大和日本に返せというのみ!

人類の敵WW2元凶、凶産カルト教赤狩り(レッドパージ)で、大和日本再生!

 アメリカルーズベルトは捏造して国民を洗脳、さらに、同胞ハワイ艦隊を生贄にするという信じられない暴挙までして、米国民を戦争に引きずり込んだ。今又、凶産中国癌半島偽ロシアも、自国民を洗脳し、罪日や工作員を総動員しての対日思想戦。日本の丸暗記鵜呑みの「言葉と文字界」も、意思薄弱な表音記憶受動民。ハニーマネーに溺れてしまい、今はもう工作員の巣窟(NHK・民放・新聞・雑誌)、為すがままの操り人形と化した。先の対米戦は、米国民の洗脳解凍に尽力すれば、回避出来た。歴史に「たら・れば」はないが、学ぶことは出来る。同じ轍を踏んではならない!

 4国と罪日は戦後、捏造から出発した。日本の言葉と文字界も捏造からの出発で、「負い目」は全く同じである。「負い目隠し」の愚考で、67年間も嘘の上塗りを繰り返し、愚民振りを世界に、只今発信中である。まずは、日本の恥一掃が第一義なので、不払い(NHK受信料)、不買(新聞雑誌犯日スポンサー商品)、解体(東大京大等の文系職責者日教組凶産組合)で獅子身中の虫「言葉と文字界(東大すらもスパイの巣窟)退治しての再構築で、洗脳解凍思想戦参加が急務!同時進行で4国民と罪日への、洗脳解凍ネット思想戦強力展開は、当然の事である。

 尖閣や沖縄問題で紛争(高じて戦争)となれば、責任は100%「言葉と文字界」に有る!紛争や戦争となったら、いの一番に輩を最前線の矢面に押し出し、どのように行動するかを確認する必要がある。先人同様に、人類の敵凶産(WW2元凶)打倒が、平和への唯一の道である。

NHK「さかのぼり日本史2」とめられなかった戦争-昭和-加藤陽子著2011.7も、検証済み。1遡り日本史はNHKと東大教授加藤陽子スパイの連想誘導女子供洗脳劇

Ⅰにつづく

真実史観Ⅰ中国の真実タウンゼントが暴く東大女凶授NHKスパイ等が隠蔽中朝韓


Ⅰ中国の真実タウンゼントが暴く東大女授NHKスパイ等が隠蔽中朝韓

暗黒大陸中国の真実』は当時の常識。職責者「言葉と文字界」の堕落で、スパイだらけのこんな日本に成ったのだ。

ラルフタ・ウンゼントの啓示は、人類への遺産職責者必読の書!

 1933年3月ルーズベルト政権発足し、11月にソビエト承認。『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著。初版はこの激動の年、1933年で、その復刻が1997年にアメリカで出版された。田中秀雄・先田賢紀智共訳芙蓉書房出版2004.7。続編『アメリカはアジアに介入するな!』芙蓉書房出版2005.7.15。ラルフタ・ウンゼントの著作は「言葉と文字界」糾弾の書なので、出版界にとっては隠蔽したい著作である。特にこの本はそうである。収集してまでこの本を世に出した関係者の唯心は、希望である。戦前出版のこの二冊と、戦後3年1948年出版ヘレン・ミアーズ著「アメリカの反省(原 百代訳)・(アメリカの鏡・日本、伊藤延司訳もあるが、同時代の原 百代の現代語訳復刻が望ましい)」は、政治家、役人、教授、先生、NHK、新聞社、雑誌社等「言葉と文字界」職責者必読の、座右の書籍である。スパイ加藤陽子や半藤一利等東大は、善悪史観の捏造洗脳勧善懲悪物語で歴史ではない。司馬も同類。歴史は善悪ではない。真実の積み重ねが歴史である。がしかし、ちなみに練馬区内図書館所蔵数を検索すると、「それでも日本人は戦争を選んだ」22冊、『暗黒大陸中国の真実』冊、『アメリカはアジアに介入するな!』冊である。戦後、赤化教授に洗脳され、丸暗記教育された国民には、水戸黄門式に仕立てた勧善懲悪捏造プロパガンダの方が、分かり易いからだろう。

 タウンゼントとミアーズの書籍は、スパイどもと、野放しにする似非保守一掃の特効薬ではあるが、予備知識が必要である。南下露西亜ソ連l(凶産主義)、英・仏等(食民治主義)の実態(弱肉強食戦国時代)を踏まえていないと、読みこなせず、逆評価となる少なくとも、頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏まで読破後からが望ましい。予備知識があれば、「反省したアメリカ」の「赤狩り」も抵抗なく、スンナリ理解できる。

 ゼロから検証すれば、ラルフ・タウンゼントにもヘレンミアーズにも出会えたはずである。知ったかぶりで、金科玉条と信ずる大学温室知識頼りに中途から検証したから、分からないのだ。迷ったらリセットで、原点回帰、ゼロスタートが、登山でも物作りでも現実界の常識である。

 清国も属国朝鮮も世界の侵略者南下露西亜も、戦国時代には皆敵で、資源なき小国日本の弱点は「兵糧攻め」。内地戦は敗戦必至なので、打って出た。このことは考えれば誰しも分かること、当時の日本人も、朝鮮人中国人も、英米仏蘭ソ(露)等世界中の常識であった。だから朝鮮も平和裏に統治されたのである。これが真実史観ゼロから検証の結果である。この世界の常識を、敵味方善悪に捉われず俯瞰して世に知らしめたのがタウンゼントとミアーズで、三者いずれもが、真実史観なので、当然の如く同じ結果となった。隠蔽したのが、職責者、戦後日本の「言葉と文字界」である!

 これは日本人のために書いた本ではない(当時の日本では常識論)。主眼は、マスコミや教授(凶産ソ連や英・仏スパイ)に洗脳されるアメリカ人の救出で、自国民アメリカ人同胞への戦前の諫言である。戦後の諫言がヘレン・ミアーズである。懐深きアメリカと言える。

 東大女スパイは、当時の常識を隠蔽し、中国は一つであるかの如くに講義しているが、唯物私利私欲の馬賊盗賊軍閥凶産が麻の如く入り乱れ、唯心日本の護国一丸とは全く異なる。ラルフ・タウンゼント(1900~1975・1931年米国上海副領事。その後福建省の副領事となり、1933年始めに帰国し辞職、同年に出版)「暗黒大陸中国の真実・著芙蓉書房2004」は、当時の中国の真実を語って余りある。また著者は、1936年出版「Asia Answers」の中で、「このアメリカだけでなく、全世界を席巻しつつあるコミンテルン攻勢の中で、日本は極東における共産主義に対する砦であり、もし今日本が勇敢に共産主義に反対していなければ、ロシアは満州とシナ本部の接壌地を支配していた」。

 「昭和史裁判(半藤一利著 加藤陽子著)文芸春秋2011.7」で「軍部が悪い」だけでは済まされない。70年前のリーダーたちは、なにをどう判断し、どこで間違ったのか? いま「失敗の本質」を白日のもとに晒すべく徹底的に検証する。などと、いまだに世迷い言をほざいているが、世界が相手の最適者生存応戦戦争なので、当事者の責任も、失敗も、問えるシロモノなどではない。「最善を尽くした」以外は無い!戦前唯一の反省をあえて挙げれば、凶産恐怖のプロパガンダを、全世界に発信努力が足りなかったことのみに尽きる。それ以外の反省などは皆無。日本以外の英・仏・蘭・米・中等、全世界が騙された。凶産無知がWW2元凶。

 この本は、中国とその属国朝鮮・罪日の手口と正体唯物を、余すところなく暴露している。なんとその手口はそっくりそのまま脈々と受けつがれ、80年後の現在も同じである。この二冊は、獅子身中の虫退治と、中国・朝鮮・罪日の難癖付け対処のバイブルと言える。

 日本先人と真逆な中国人の実態であり、属国韓半島や罪日の実態でもある。福沢諭吉の「脱亜論」が抵抗なく納得できる。先人は共栄圏から中国を除外し行動すべきであったと考えさせられる書でもある。

 皆が皆では当然ない。しかし、戦後勢力政権の輩であることは間違いのない事実である。やり方が全く同じである。結果矜持皆無唯物対処の仕方も、本編記載の如く、田村式(毅然とした対処)が正解なのである。

 世界で唯一、良心無き輩が中国韓半島罪日である。「助け合いの絆を有する唯心同志が一国を成せば良い」中国や韓半島の唯物は細分化がふさわしく、唯物は日本に住むべきではない!人類の敵は唯物と凶産、唯心人類の太平洋の砦が、沖縄・台湾なのだ!

『暗黒大陸中国の真実』著者ラルフ・タウンゼント(1900~1975)(資料は、307p「解説」よみがえるラルフ・タウンゼント田中秀雄)

 祖先はイギリスのアングロサクソン系アメリカ人。ノースカロライナ州生まれ。コロンビア大学卒後3年間の新聞記者を経て、母校の英文学教授として3年勤務した。1930年アメリカ国務省に転じ、最初1年はモントリオール、1931年には上海副領事として中国に渡る。満洲事変に伴う第一次上海事変を体験。その後福建省の副領事として赴任。1933年初めに帰国。大学講師のかたわら著述と講演活動に専念。外交官を辞めてから書いたのがこの本である。

 1933年3月ルーズベルト政権発足し、11月にソビエト承認。この年に出版。

 1936年「Asia Answers」出版(翌年「米国極東政策の真相」として邦訳出版)の中で、「このアメリカだけでなく、全世界を席巻しつつあるコミンテルン攻勢の中で、日本は極東における共産主義に対する砦であり、もし今日本が勇敢に共産主義に反対していなければ、ロシアは満州とシナ本部の接壌地を支配していた」、と述べている。

 1937年(昭和12年)夏ラルフ・タウンゼント来日。南京陥落後の12月16日の東京朝日新聞に投稿し、日本のこの戦争はアジアに共産勢力が根を下ろさないためのものだとして、断固支持する旨の記事を載せている。

 1938年「America has no enomies in Asia!」48頁と、1939年「The high cost of hate」61頁において、「アメリカはアジアに敵はいない、日本に対する憎しみの代償は結果として高く付くものになる」とのべている。

 1940年「Seeking foreign trouble(ルーズベルト政権は故意に)国際紛争を求めるもの」出版。この時期アメリカは、WW2参戦(英仏加勢)か否かで国内は二分していた。「満州国が日本の傀儡政権であってなぜ悪い。フィリピンはアメリカの傀儡国ではないか。満州国は門戸閉鎖などしていない。国ができてから、建国以前と比べ米満間の貿易は倍増している。日本の門戸閉鎖という欺瞞を唱える人たちは、1938年にメキシコが国内アメリカ資産四億ドルを没収したことに何の非難もしない。アジアにおける日本の敗北は、中国のソビエト化を招来する。それは、中国にとって日本に支配されるより悲惨なことであり、アメリカにとっても全世界にとってもよくないことである。『アメリカは極東に手を出すな、日本にまかせよ』」1941(昭和16)年3月そして5月と立て続けに邦訳が二社から出された。

 しかし、資源封鎖で追い詰め、ハルノートで日本に宣戦布告したルーズベルトは、宣戦布告は国民に隠蔽、真珠湾を生け贄にし、復讐戦争に仕立て上げた。真珠湾で戦争勃発。WW2参戦(英仏蘭加勢)か否かで二分の国内は、復讐戦争で一丸(リメンバーパールハーバー)となった。ラルフ・タウンゼントは、治安妨害容疑、反米活動というルーズベルト政権の見せしめ裁判となり、参戦反対者の弁護もあったが、復讐戦争の火が、一丸で燃盛ってからでは油に過ぎず、1年間投獄された。

 こうして封殺され、彼の公的生活は終わったに等しいものとなった。戦後の生活は不明の部分が多いが、共和党関係の仕事をしたと推察される。子供はなく、ジャネット夫人との二人暮しで、1975年に生涯を終えた。

 もちろん、中国の凶産化危惧は彼だけの主張ではない。外交官先輩ジョン・マクマリー(元北京駐在公使)が1935年に極東部長ホーンベックに提出したメモランダムは、その後の極東情勢を予言したとして注目され、戦後のジョージ・ケナンに大きな影響を与えた(『平和はいかに失われたか』原書房1997年)。マクマリーも国務省と対立、外交官を辞めているが、ラルフ・タウンゼントのように連邦刑務所入れられた外交官は一人もいない!

ケナン・メモランダムは総論で、米国内凶産認識が甘い。タウンゼントの方がより核心論で俯瞰しており、見識が高い。

 ルーズベルト政権や米国民への諫言著作は、中国凶産化、朝鮮戦争、冷戦等々で現実となった。報われない生涯であったかもしれないが、唯心天道に基づいた揺ぎ無い米国民への諫言著作は、ものの見事に的中。この予言書は、歴史の石碑に刻まれ、消えることなどない。

 かたや公職の身でありながら給料泥棒の加藤陽子は、東大教授肩書き傘にスパイ活動、さらに捏造本で大儲けと三足の草鞋で金儲けに大忙しの唯物権化。方や公職を捨て貧乏を選択、立ち上がったラルフ・タウンゼント。余りにも対比が際立つ。こんな亡国奴跋扈が、日本の「言葉と文字界」、戦後67年間の現状である。

 下記二人の訳者と関係者の、真摯な収集によって、「続編」は日の目を見た。現代の「パンドラの箱(言葉と文字界)」の「希望」と言える。この二冊と「アメリカの反省」は、加藤陽子全著作等の「悪貨」を必ずや駆逐し、子孫の座右の書(良貨)となるだろう。

訳者

田中秀雄:――1952年福岡県生まれ。慶応大学文学部卒。日本近現代史研究家。著書に『映画に見る東アジアの近代』『国士・内田良平』など。

先田賢紀智:――1955年鹿児島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。県立高校英語科教諭。近現代史を研究。著書に『インドネシア紀行』など。

『暗黒大陸中国の真実』抜粋

1997年版の序文ウィリス・A・カート(出版社主宰者)

 ――内容が当時に比べて、いや当時以上に重要である・・・真に傑出した内容であり、偏見なくそのまま読まれれば、まさに眼から鱗が落ちる本である。

 本書は、いわゆる共産主義時代の到来前に書かれている。この五十年間、中国の共産主義者は自国民を約一億人も殺害している。銃殺、縛り首、踏み殺し、引きずり殺し、殴り殺し、のこぎり挽き、切り刻み殺し、飢え死に等と、ありとあらゆる方法で殺してきたのである。なぜこのようなとてつもない数の人間を殺したのか。それはマルクス・レーニン主義の罪ではあるが、同時に中国文化そのものの罪でもある。なんとなれば、国民がその支配者に虫けら同然に殺され、虐待されてきたのが中国五千年の歴史であるからである。著者のタウンゼントはこう述べている。「四億の民(今では世界人口の五分の一にあたる十億を超えるが)の苦悩と実態」と。

 しかし、好むと好まざるとにかかわらず、今日中国は世界の大国となり、将来も無視できぬ存在である。しかし中国はいつまで経っても中国であり、変わることは絶対ありえない。いくら我々が我々の国民の血税をつぎ込んで援助しても、中国が変わることはないのである。

※唯物中国との看破である。

※戦前のアメリカの「真実を捏造した情報」と戦後日本の「真逆に捏造した情報」が酷似する。「捏造情報」でアメリカ国民はWW2に引き込まれた。戦後日本も「捏造情報」のままである。歴史は繰り返す。今のままではWW2参戦のアメリカ国民と同じ道を辿らないとは、誰も断言出来得ない。ラルフ・タウンゼントの真実の情報が本書である。戦後日本新生の指針と成るのは間違いない。

著者の序文(1933年)ラルフ・タウンゼント

 ――内容がいかに過激であろうが、そのことについて謝罪するつもりは全くない。――現実とはかけ離れた情報を流し読者を混乱に陥れる中国関連本が余りにも多すぎる。

※この冒頭文はタウンゼントの覚悟(迎合せずの真実史観)を語った文で、以後終始一貫、全く揺るぎが無い!

 最近の中国関連本には、ありのままの真実を伝える本が極めて少ない反面、感傷的、いわばお涙頂戴式の本があふれている。本書はありのままの真実を伝える本である。中国人のありのままの姿を伝えるのが本書の狙いであるから、読み進むうちに胃がムカムカきたら、それで所期の目的は果たせたと思う。中国で現在何が起こっているかを正確に調査したら、ほとんどが見るも恐ろしい、胸が悪くなるような結果しか出てこない。中国人の行動自体が恐ろしい、胸が悪くなるようなものだから当然である。

 ――中国五千年の歴史は確固たる国家の目標があるわけではなく、ただ氷河の如く悠然と流れるだけで、――増え続ける人口の重みに押しつぶされ続けているのである。驚くべきことに、時の流れとともにますます国民は不幸になり、ますますその生活は耐え難いものとなっているのが中国の運命なのである。――遠く離れたところから、ただ面白い「悲劇」、「対岸の火事」として鑑賞しているだけなら何の問題も無い。ところがこの対岸の火事が燃え盛ってその火の粉が降ってきている、この火の粉がこちら側に飛んでこないようにするためには、火事の原因なり何なりその正体を見極めることが必要である。

 このためには、従来の中国感を廃し、中国の現実に目を向けなければならない。――臭いものに蓋をしては何事も成し遂げることはできないのである。

 ――最近の中国関連本の中には、――なぜか大きな意味を持つことが書かれてないのである。

  中国の真実がなかなか伝わらない理由は単純明快である。――宣教師たちは真実を話したがらない。なぜか。もし事実が知られると、今まで続いてきた援助が打ち切られる危険があるからである。――「民間事業家」たちも真実を話したがらない。なぜか。心証を害された中国人から不買運動が起こる恐れがあるからである。また、会社に罰則が課される恐れがあるからである。――「政府役人」は在任中は外交辞令的なことしか言えない。厳重に口止めされているからである。

 したがって、現場にいて状況を最も的確に把握しているはずの人間が、事実上「さるぐつわ」をはめられ真実を述べられないのである

 ――もし現役の役人がアメリカに帰国し、――もし自分が関わった問題の全容を話そうものならクビがまっている。――聞く方にすれば、現場を知っている話し手を信用しているから、まさか嘘とは思わない。

 ――作家、新聞社、出版社である。こういう連中は寄ってたかって「与太記事」をでっち上げいい加減な本を出し、さも「建設的」であるかのような顔をしている。

※戦後から現代に至る日本と酷似する。

 ――別に本書は中国の窮状を救うための本ではないのである。

 ――ありのままの中国を紹介するのが本書の主眼である。

 ――協定、議定書、委員会報告、約款、その効力等などが論じられるが、中国に関する限り、こういうものは何の価値もないものである。国民にこれらの約束事を守らせることができる政府が中国には存在しないからである。また、ナショナリズムやらコミュニズムやらという「何とかイズム」を唱えても、無知な中国人にはなんのことやらさっぱりわからない。それどころか仲間同士を食い物にする「共食い」状態なのである。それは、抽象的な「何とかイズム」「何とか主義」のためではない。ただ食欲と本能を満たすためなのである。

 ――普通の中国人が、一生に一度でいいから希望なり夢なり抱いたことがあろうか。そんな人は聞いたことも見たこともない。ただ食べて生きていればいいのである。ただ食べて生きる、これが血塗られた彼らの歴史なのである。

 ――本書には、中国の歴史に詳しい人には特段目新しいことはない。中国暮らしが長い人にとっても同様である。しかし、一般の読者が本書を手に取れば、四億の民(全世界の五分の一にあたる)の苦悩の実態がそれこそ手に取るようにわかるのではないか。中国人の苦悩の歴史やその原因を知りたい人にとっては満足な答えが得られないかもしれない。また中国人の苦しみを和らげたいと願う人にとっても同様である、しかし「暗黒の道」に光を当ててみることは出来ると思われる。少なくとも中国人の「無駄な努力」のほんの一部はご理解願えるものと思う。

※「衣食足りて礼節を知る」。中国は、この前段階であると著者は看破している

読書の前の予備知識

 この本は戦前には翻訳されていない。日本の関係者なら誰でもが知っているありふれた常識論であったということである。

 ブログにも散見するが、天災頻発大国日本に、助け合いで適者生存してきた歴史の持ち主日本人の感覚では、「眉唾物・嘘だろう」がほとんどである。驚く無かれこれが真実なのだ。証拠は、今日の中・朝・韓・罪日が行動で示し、自白している。

 中国5千年の歴史とは言うが、漢民族は少数民族(元・清)の被支配の歴史でもある。少数民族の異民族支配者は頭数で圧倒的に勝る漢民族団結を恐れ、漢民族の仲間割れ、裏切り、いがみ合いの密告政策を支配の根幹とし、「助け合い」は徹底排除し、上下のみで支配した(少数凶産が数多の国民を支配する現在の凶産中国も同じ垂れ込み政策)。中国属国519年の李氏朝鮮も右習いし、李朝差別の「上下(儒教つまみ食い)」で支配した。輩の頭には上下のみで、「助け合い」など豚に真珠、理解不能で、「友好・友愛」などは「鴨・ネギ」の、おいしい餌に過ぎないことは自白証明(竹島征服・捏造難癖乱発・侵略・内政干渉)済み。

 両国の歴史は「盗る者と盗られる者」同胞相克(共食い・同胞殺し)の歴史で、天災頻発大国日本人常識(キリスト教の教えでもある)の、「助け合い・友好・憐憫・平等・互恵」などは、頭脳に無い。もちろん「反省(学習)」なども、当然無い!たとえ発言(助け合い・友好)したとしても、輩にとっては「挨拶」なので、真に受けてはいけない!日本先人は熟知で対処(福沢諭吉脱亜論等)したが、愚かな子孫田中・中曽根・東大・NHK・朝日・毎日等が戦後、「真に受けた」ため、今日の悲惨な状況となった。日本今日の悲惨元凶は、こうした日本の、無知偽善者である。

 中国の文豪・魯迅(1881~1036年)も、「中国人は、相手が弱いとみるや、その弱みにつけこむ(火事場泥棒)民族」と自白している。武力専制国家の中国、国民抑圧搾取が政策の歴史なので、国民は強者に追従、弱者は虐げる、「情け無用の弱肉強食」が常識となった。「強者は弱者を助ける・友好・対等・平等」の観念が無い中朝韓罪日には上下関係有るのみで、弱みにつけこまなければ天罰が下るとさえ考える、民族なのである。

 弱者を助ける日本人や、難癖挑発されても我慢する日本人(友好・憐憫・平等・互恵)は理解不能で、「弱い者」としか判断しない。結果、下手に出れば弱いとしか判断せず、すぐ付け上がり難癖の付け放題となり、あげくが戦争となる。下手対応は戦争誘引なのだ!竹島征服火事場泥棒や、木村政彦対力道山のブック(筋書き)破り試合も、この一例である。

 両国人への戦前の侮蔑語は、人間以下の動物(人間としての助け合い、友好・憐憫・平等・互恵が皆無で、上下のみは動物なみ)と判断した先人の見識で、同胞殺しの虐待者に対して、実に的を得た的確な表現だったのである。

 台湾虐殺や済州島虐殺で、老若男女が嬲り殺された。正体(人間としての助け合い、友好・憐憫・平等・互恵が皆無の人間以下)を体験した台湾人や済州人の、中国嫌いや朝鮮嫌いは当たり前なのである。

 この本は現代の平和な日本人的感覚(唯心・著者ラルフ・タウンゼントも唯心)で読むと信じられない、だが、たえず異民族に支配された政変頻発地域の漢民族の適者生存の術として読むと納得できるはずだ!政変頻発の地で頼れるものは、1食料(何でも食べる)2金(貴金属・アヘン)3家族4身内5同族。上海も福建省(客家・華人・華僑の出身地)も政変地域で、時代の波に晒された、最前線地域である。今も凶産に支配され続けている。(政変頻発地域から外れた周辺の共同作業農耕主体の民は、異なる。唯心の絆がないと、共同作業は不可。関東大震災時に、暴動を起こし成敗されたのは、朝鮮人のみであることを忘れてはならない。朝鮮人は傍若無人だが、中国人は環境に順応するのだ

現代もつづく支那人の性癖
2011年07月20日複数の中国人が路上で一人の白人の子供を暴行している映像
2011年10月19日衝撃映像ひき逃げに遭った2歳児 通行人は無視

2012年04月10日毎日新聞中国・事故で車横転 スイカ持ち去るも救助要請は無視

※以下は、日本統治前の、中国属国韓半島の歴史と見間違うほど酷似する光景である。戦後の中朝韓政府対日狡猾政策や、罪日の手口原形、大公開である

第一章光景

19p上海の乞食サンパンの群れ

 ――中国人の乗る乞食サンパン(小船)が近づいてくる外国船に押し寄せる光景を目の当たりにすると、――考えられないほどの汚らしいサンパンがどっと押し寄せる。ある船では「金をくれ!」と手を振り、またある船は手っ取り早い手段を選ぶ。魚をすくう網のようなものを長い竹竿に括りつけたものを手にしている。これを客船の排水口に押し付ける。流れ出てきた残飯を網で受け、サンパンに取り込む。子供がこれに飛びつきガツガツ食べる。

 ――上海に入港する客船の船員はよくホースで放水してこの乞食サンパンを追い払う。サンパンが「悪さ」をするからである。長い竹竿で子供を客室の窓から中へいれる。子供は手当たり次第に手にして竿を伝って逃げるのだ。

※「衣食足りて礼節を知る」の、実例。

20p中国を象徴する苦力

 さて今度は上陸後の光景である。シェルブールやル・アブールでも人夫が旅行客の荷物の奪い合いをするが、上海も同じだ。ただ、ずっと野蛮で数が多い。客にかける声も仲間同士で話す声もまるで怒鳴り声で、恐ろしい限りである。そして言葉にできないほど汚い体で客を取ろうと突進してくる。「餌時の猿」同様に、爪を長く伸ばした汚い手で客の荷物を奪う。

 苦力はいくらでもいて、賃金はべらぼうに安い。――苦力は働くときは立ったり椅子に腰掛けたりはしない。靴磨きでも何でも、しゃがんでする。

 苦力はヨーロッパの労働者より愛想がいい。――ある種の責任感を持ち、それを果たそうと努力するのだ。――ホテルでチップを渡すときは苦力に直接やらないで、まとめて苦力頭に渡した方がよい。そうすればその頭が掟に従って分配してくれる。

Ⅱにつづく⇒

真実史観Ⅱ東大女スパイ捏造駄目押し証拠米国ラルフ・タウンゼントの真実史観

Ⅱ東大女スパイ捏造駄目押し証拠米国ラルフ・タウンゼントの真実史観

22p出まかせの嘘とポロリの本音

 ――頭は手下を多く抱えている。縁戚同士でまとまることが多いから、一種の部族社会である。頭は文字通り頭であり王様で、手下の稼ぎのほとんどを独り占めし、「やり手」の頭は、下層階級にしては羽振りが良くなる。

 ――苦力は自分の稼ぎを自分で使うことはできない。誰かに巻き上げられる。そのまたそれを誰かが巻き上げる。これを中国人は「お絞り」と言っている。この制度は乞食にもある。また一つの組織が他の組織に「お絞り」を出すようになっているから複雑である。当然ながら出す「お絞り」は少なく、もらう「お絞り」は多くしようと血みどろの争いをする。

 そこから西洋人には全く考えられないような「騙しの技」が生まれたのである。生きるためには敵を出し抜くしかない。金持ちになれるかどうかは一に「騙しの技」にかかっているから、金持ちは貧乏人より「騙し技」は上手だ。悲しいことに私の経験上、特に役人はそう言える場合が多い。

※日本のヤクザ社会と似てはいるが、縁戚同士が異なる

 ――例えば、クリーニングを金曜日の午後まで仕上げるように頼むとしよう。「合点承知しやした」とくるから安心する。が、まず無理である。まあこういうことは世界中どこでも共通である。特にアメリカ移民の一部はそうだ。が、中国人は全部がこうである。――「カモ」と見たら「猫なで声」。逆に「一文無し」をたたき出す技も巧みである。

 ――「中国人の言葉は契約書の如く重いものである」――「そのとおり、ただし契約書自体何の価値もないからね」

 そこで有名なジョークを思い出した「日本人は日本人を信じないから、お金の勘定は中国人にたのむ」――中国に来て初めて可笑しさがわかった。

 ――「おしゃべり番付」でも作ったら横綱は黒人だが、中国人は大関である。「怒鳴り番付」の横綱は文句なしに中国人である。――ある意味では口は堅いが、「あと一息」というときになって「思わぬ事」を口走るから敵に悟られる。

※中国では嘘も商売の内なのだろうが、日本では商売出来ない。

24p夜の上海

 ――阿片は禁酒法時代に酒を手に入れるよりたやすく手に入るし、怪しい輸入ドラッグもちょっと探せばどこにでもある。安く上げたかったら、人力車の車夫に聞けばお望みの穴場へ連れて行ってくれる。また上海風のなりに、洋風の厚化粧をして、薄暗い路地から中国語で声をかけるガリガリ痩せたお姉さんに付いていくと良い。料金は格安で、米ドルで5セントから10セントですむ。営業姿勢は「薄利多売」。仕事熱心だから客のえり好みはしない。

 ――イギリス人はきっちりエチケットを守る。ところがアメリカ人は知ってはいるが守らない者がいる。

※当時の日本でも、有り得ない事。

26p荒地から出現した上海は中国人の天国

 ――この300万上海も75年前はただの原っぱで、「貿易中心」には不向きだった。そこを外国人が開発した。――外国人一人につき百人の割合で中国人が殺到した。――元々、中国人の土地は危険が大きすぎて中国人でさえ大きな商売はできないから、「安全」とわかると、以前の不人気が嘘のように中国人が押し寄せた。ひとえに財産の保護のためである。――多額の金を出さねばとても財産の安全は保てない「租界の外」に比べたら、外国運営の領土は天国である。――これtらの領土は外国人のみならず中国人にも、「特殊権益保護区」となっているのである。――1932年ここで第一次上海事変が起きたのである。事変が勃発すると租界保護のために各国は軍艦、兵隊を派遣した。なぜか。中国兵は敗走する時に暴徒と化し、略奪集団となる。これを恐れたためである。

※五族協和満州にも、同じ理由で殺到した。

28p協調より反目を好み共同作業のできない中国人

 ――ここ六、七十年だけでも多くの中国人が海外に留学しているから、それなりの人物は掃いて捨てるほどいるはずである。――もう一つ、億万長者が多いから資金も潤沢である。ところが、――中国人だけだと、なぜかうまくいかない。

 必要なものはすべて揃っている。しっかり監督すればちゃんと働く。仕事熱心で頭も良い。しかし致命的に欠けているものが二つある。それは正直と協調性である。しかもこの二つは直そうとしても直せないような感じがする。大人数の仕事となると中国人だけではうなくいかない。――最大の欠点は誠実そうに見えていざという時に裏切ることである。表向き協調を強調し、団体にもよく入りたがる。ところがこの団体が曲者で、協調よりは反目を好む。

 ――中国の大企業のほとんどが――家父長的ワンマン企業である。――「会社のために働く方が得か、足を引っ張った方が得か」と、天秤にかけ、それこそ日和見主義となる。

※欧米や日本のように、背骨となる信仰がないのが理由。同族大虐殺も同じ理由。

31p中国的貧困模様

 ――広東人は犬を良く食べるし、ネズミもたべる。蛇はご馳走である。

 ――南部の農民は自分で米を作っても食べられない。――高いから裕福な連中しか腹いっぱい食べられない。――米が二割も入っていたら大変なご馳走とされている。

 ――総じて農民の体力は優れている。やせ細ってガリガリの体ながら、辛抱強く働く姿は世界の七不思議に数えるべきである。ただし野菜しか食べられないから、体は鉛筆のように細く、チョクチョク食べないと西洋人のように長くは働けない。ところが、ご飯一杯か生のサツマイモにお茶を一杯啜ると、英米人を全く寄せ付けないほどの働きをみせる。

※食料不足で都会に人が集まった。

33pチップを多く渡してはいけない

 さて上海で人力車に料金をやるとき、注意しなければならないことがある。それは何かというと「基準学をきっちり出して、多めにやらない」ということである。

 ――車夫は見るからに哀れな姿をしている(もちろん演技が上手だからである)。そこでつい、チップを弾むことになる。すると逆に、「騙された」と大声を上げられる。また「この客は上海語がわからないな」と思うと、回りで見ている苦力仲間のウケを狙って怒鳴り散らす。「余分に払うとは金勘定もできない間抜けだ」と思って怒鳴ったり泣きついたりして、さらにふんだくる。情け無用の世界である。こちらがチップを弾んで「雪の中、裸足でご苦労。少ないがこれで一杯やってくれ」と言っても信じられないのだ。試しに、ちょっと乗っただけで1ドルやってみた。1ドルといえば彼らにとって二日分の稼ぎである。「騙された」と言って激怒しなかった車夫は一人しかいなかった。

 宣教師たちは「田舎には本当の気高い中国人がいる。チップを弾めば皆大喜びする」と言っているが、私はそういう爽やかな人には出会ったことがない。

※日本での凶悪事件を納得させる、逸話である

 「自宅近くの工事現場で働いていた中国人に、親切な日本人がお茶やお菓子の差し入れをした。すると、その中国人がその親切な日本人の家に強盗に入って殺してしまった。『差し入れをするぐらいだからきっと大金持ちだろうと思って強盗に入った』が強盗理由である」

6兆円のODAなどどこ吹く風のし放題(南京虐殺捏造館や犯日捏造教育や侵略)。際限無き乞食根性は、韓半島も罪日も同類!唯心ではなく、パンのみに生きる、唯物(物欲)を語って余りある!輩に情けは無用!情けをかけた答えが。輩への情けは、必ずを呼ぶ。轍を踏むは愚か!唯物(物欲)対処には、非情が一番である!

 ある日の夕方、山歩きからの帰り、田んぼで道に迷ってしまった。――仕方なく、近くで遊んでいた農家の子供に道を聞いた。この子はしばらく一緒に歩いて教えてくれた。お礼に1ドル銀貨をやった。子供が一週間働いても貰えない額である。この子はさっとポケットにしまってからこう言ってのけた。「当地の道案内料金は2ドルとなっています」。これにはさすがの私もあきれて、「お兄ちゃん、それは言いすぎだろう」とたしなめたが、聞く耳を持たない。例の手を使って「2ドルくれよぉ」と大声を上げ、身悶えし、泣き付いて、三キロもくっついて離れないのだ。

34p稼ぎのすべては食いものに

 「24時間食べている」。これが上海の町の印象だ。

 ――数百万人が毎日飢えに苦しむ国では、真っ先に考えるものは食べ物である。お金の第一の使い道は食べ物である。裕福層でも考えは同じだ。

34p買い物ではお釣りを誤魔化される

 初めて買い物をする時はお釣りを誤魔化される。「お釣りが足りないよ」と抗議すると「本日交換率が変わりましたので」と切り返される。「そんなことはないでしょ。隣の両替屋へ行って確かめてくるよ」というと「ちょっと待って下さい」と言って、少しよこす。「まだ足りないよ」と問い詰めると、「端数まできっちり計算するとこうなりますか」と言ってちゃんとしたお釣りを渡す。「小銭が全くなくなって困りますね」等と嫌味を言う。「小銭じゃなくていいからちゃんとお釣りを出せ」ときつく迫ると「もともとそのつもりでいました」というような顔をして金庫を開ける。中には小銭がぎっしりある。こうした時でも礼儀正しく笑顔は絶やさない。ただし目だけは合わさない。「またのご来店をお待ちいたします」といって出口まで見送ってくれる。

 ――すでに合わせ目の一部が変色している生地を手にしながら、「この生地は絶対変色しません」と言ったり、1925年創業の会社の商標がついている壺を「正真正銘明(1369~1644)の壺です」と平気で言ってのける。どだい言葉には何の意味もないのである。また金もかからないから言葉を湯水のように使う

 ――中国人は人を怒らせる天才であるが、同時に「なだめ上手」でもある。お世辞で彼らの右に出る民族はいない。

※「敵を知り己を知れば百戦危うからず」。田中角栄日中国交回復も、以後も、この手で騙され続けている。日本の「言葉と文字界」も同じである。「何の意味もない言葉(保守・革新・友好)を、金もかからないから湯水のように使う」。

36p同じモノサシは使えない

 ――中国人は私的な基準でしか友達にならない。

37p信頼できる者がいない

 ――いかに政体を改革しようが、人物不足からくる「病」には勝てなかった。看板は変わっても「人物」が現れなかったのである。

 君主制が現在の中国に一番適している。というのは、信頼の置ける人物が少ないからである。中央集権的政権なら少ない人数でなんとかなる。

 ――「腐敗」の意味合いは、アメリカと中国では同じではない。アメリカでは「税金の無駄遣い」とか「コネのタマニーホール」程度だが、中国の場合そんな生やさしいものではない。中国では役人に「袖の下」を使わない者、使えない者は首を刎ねられるのである

38p改革進歩は幻

 ――「中国人は一見、○○主義のため戦っているようだが、そんなことはない」ということがお分かりいただけたと思う。

※動乱開始の清末期に、出稼ぎとして海外に出た(華僑)。政変が原因の、人為的な食料不足。

第二章のどかな水田に隠された逆説

41p食糧供給に対して人口が多すぎる

 ――中国農業の機械化とは、たとえて言えば温室や花屋にトラクターを押し込むようなものである。

42p『上海特急』

 ――平均時速はなんと32キロ――例えばトイレはない。

47p海賊対策

 ――揚子江沿岸に権益を持つ諸国は、軍艦を出して地域の安全を保っている。――中国人客は揚子江航路でも、沿岸線航路でも、鉄格子の部屋に押し込められている。――客として忍び込み、途中仲間と示し合わせて船を乗っ取り略奪する。これを防ぐには必要やむを得ざる措置なのである。――当の中国人が望んでいるのだ。

※動乱が原因で増幅され、自分以外は敵となった。

52p荒涼たる景勝地

 「青」は苦力と百姓が着る色である。デニムに似たきめの粗い布地であるが、新しいときは青い。もちろん色落ちしてさまざまな色のツギハギを当てる。ツギハギも色落ちしている。

 「赤」は冠婚葬祭の色である。紙、旗、提灯、何でも赤くないと式にならない。

54p交通事情

 今日(1933年)中国で安全に旅ができる道は三つしかない。一つは北の北京へ向かう海沿いに走る汽車か汽船の旅。もう一つは揚子江を西へ遡る汽船の旅。今ひとつは海岸沿いを南へ下る汽船の旅である。西へ延びる線路はなく、南へも4、5キロほどしか線路は延びていない。上海から南の果て広東へはほぼ1600キロだが鉄道は全くない。

第三章本当の中国人

62p人類共通の人情が無い中国人

 西洋人は道徳観は人類に共通するものと考えている。が、間違いである。中国に住んでみるとよくわかる。例えば、西洋人は人様に親切なことをしてもらったら何か御礼をしようと考える。少なくとも、迷惑をかけないようと気にする。これが中国では通用しない。恩義を感じないのである。人にもよるが、感じる人は少数で、圧倒的多数は感じない。親切の「お返し」というものがないのである。同情も、西洋人は共通の感情であると思いがちであるが、間違いである。

 中国人は二人連れで舟旅をする。というのも、一人旅で病気になると、船で死なれたら不幸に見舞われるという迷信があるから、船頭は迷わず病人を川に投げ捨てるからである。だから病気になったとき「投げ捨てないでくれ」と船頭に頼むため、親戚か信頼する友人、信頼できそうな友人を連れて出かけるのである。

 悪いのは迷信であって船頭が悪いのではないかもしれない。が、違う。投げ捨てられそうな人を見て「可哀そう」という人は一人もいない。逆に、少し助けてやれば病気が治りそうな場合でさえ、誰も全く関心を示さないのである。

 車が倒れて人や馬が下敷きになるような事故がよく起こるが、野次馬ばかりで誰一人、助けようとしない。この冷淡さこそが中国人の典型のようである

 ――古代中国人は「同胞相憐れむ」ことが全くなかった。寛容の精神を声高に説いてきた聖人君子はたくさんいたが、いずれも竜頭蛇尾、全くだめだった。――今日只今も全く変わっていないのである。

※以下の列挙の如く、人類に共通する道徳観は無かった。唯物中国人や朝鮮人は、死体を損壊する。だから戒めの言葉が生まれたと言える

63p中国軍の強制徴用

 荷物運搬用の牛馬の代わりになる苦力を大量に捕獲することが中国軍の「手」である。――捕まったらどうなるか、過酷な仕事をやらされる。食事はもらえるかどうかわからない。兵の装備がまたお粗末なもので――食料はほとんど支給されない。したがって、行く先々で食券代わりに銃剣を振り回して糧秣を略奪する。銃を持たない苦力は食べ物を手に入れるのに実に苦労するが、兵隊は「ご奉公してよかった」と思えるぐらい腹いっぱい食べる。

 強制連行した苦力の扱いは残虐で目を覆うものがある。抵抗も何もしなくても、ただ「殴って楽しむため」、棍棒や銃で殴るのである。知り合いの領事から聞いた話だが、捕まった使用人の救出に赴いたそうである。歩行もままならぬよぼよぼの老人が、通りがかりに兵士に徴用され荷物運びを命じられ、何度棍棒で殴られても、荷物を肩に背負うことができない。兵士は面白半分、心行くまで殴ってから老人に手を貸して老人に荷物を背負わせた。それからまた数発殴られ、よろよろ歩き出したそうである。

 苦力は実に悲惨である。兵隊でさえ嫌がるところへ回される。もし「敵方」(一時的に抗争する、ならず者集団)に捕まったら、強制されての従軍だということは無視され、とにかく戦果を上げるため射殺ざれる。捕虜の圧倒的多数はこういう風に徴発された苦力である。戦闘記録にある「捕獲捕虜」とは「敵方で虐殺された者」と読み替えてよい。勝者の気分次第で敗者は「虐殺」されることがごく普通である。数百万単位の軍隊が抗争を断続的に繰り広げながら、捕虜収容所が全くないということは注目に値する。捕虜の給食施設が全く無いのだ。食料や施設が欠乏しており捕虜などに回す余裕などなく、万が一潤沢にあったとしても無用な敵に何かを提供するなど考えられない。

 謀略、裏切りは当たり前で、いずこの軍の歩哨も捕虜の脱走を手助けするような信用の置けないものばかりである。

64p中国人の特異性と残虐性

 ――アーサースミスの本によれば――「他人を信用する中国人はいない。なぜなら、自分が相手の立場に立ったら自分を信用できないと思っているからである」。スミス氏は19世紀の後半、中国で活躍した有数の宣教師であり、中国の発展のため心血を注いだ外国人の中でも群を抜いており――義和団事件の賠償の未払い分を帳消しにした人物でもある。

 あるアメリカ人領事が目撃した話である。任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかりに新鮮な豚肉を手にして意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

 ――夕食会に招かれた。――最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団をどう殺そうかと議論になった。そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。飲ませてから、効果観察のため整列させた。約二時間後に死亡したそうである。

 ――今年(1933年)――宣教師から聞いた話――内部の内陸地で人里はなれた山岳地方の村から宣教師が数人戻ってきた。60人ほどの村が盗賊に襲われた。――「出し渋った」と見るや、――「野郎どもどいつも、かまわねえからこいつらの足をたたっ切れ。女子供も遠慮すんじゃねえ」命令はそのまま執行された。この盗賊はおなじ手であちこちの村を襲った。危険が高まったので宣教師たちは非難してきたそうである。

 女にも容赦はしない。私の友人がいた村でのこと。――兵隊は自分では荷物運びはしない。――適当な男がいなかったので、女を捕まえ棍棒でたたいて軍に組み入れた。これが民に対する「友軍」の実態である。もちろん「敵軍」の手にかかったら、ごく稀に寛大な処置をされることもあるが、これだけでは済まされない。

 生まれ故郷から数百キロ離れたところまで荷物運びをさせられ、一文も手当てを貰えず捨てられる苦力(女も含めて)の運命は実に過酷である。――文無しはどこでも冷たくされ、田舎では物乞いしようと近づいただけで、石を投げられ、犬に吠えられ追い出される。――浮浪者に施しなど誰もしない、可愛そうな話を誰も聞かない。ましてや、ぴた一文恵んでくれるものなぞいるわけがない。洪水や飢饉を逃れた者が見知らぬ土地へ入ると、追い出され、殺された話を一度ならず聞かされる。自暴自棄になった貧乏人は何をしでかすかわからない、芽のうちに摘んでおこうというわけである。

67pユク神父の記録に残る、残忍極まりない話

 ――19世紀後半、初めて中国に入った神父はユク神父(1813~1860)であった。ローマカトリック施設として、中国が布教活動に向いているか調査するため送られた人である。――13年もの長きにわたって中国皇帝の特別許可状(当時これには誰も逆らうことはできなかった)を携え、山賊の砦、湿地帯、砂漠地帯、はるか彼方の荒野、町などを訪ね、――その地の言葉を身に付けた。

 ――ある日、通りを通る車から聞きなれない声がしたので、何事かと行ってみると車数台に生身の人間が積まれていた。近寄ってよく見ると手の甲を釘で突き刺され、車に打ち付けられているではないか。警備の役人に訳を尋ねたところ、「ある村で盗みがあり、(村の)全員捕まえたらその中に犯人がいるだろうと思って、連行して来た」そうである。それを聞いてユク神父は、「いくらなんでも全員の手を釘付けるのは酷かろう」と抗議をした。警備隊長が答えて曰く「たまたま捕り手が手錠を忘れたのです。こういう時はこれが一番ですよ」。そこで、「無罪の者を引き渡してくれないか」と頼んだ。隊長曰く、「承知いたしました。潔白が証明され次第釈放します」恐ろしいことに、この件で驚いているのは外国人のユク神父だけで、周りで見ていた中国人は誰も驚いていない。静謐な天子の国と言われる国で、(無実の者も全員)手の甲を釘で打ち抜いても、誰もそれを不自然だと思わないのである。

 ――賭け事もまた異常である。万里の長城に程近い、冬の寒さの厳しい、とある町での賭博上でのこと。運悪く、負けが込むと、金目の物を次から次へと賭け、最後には着ているものだけになる。それでもツキが回ってこないと、それこそ身ぐるみ剥がされ、雪の中にたたき出される。勝った者はどうするか、たたき出されたものが雪の中を転げまわり、最後には海老のように丸くなって凍え死ぬ様をじっくり堪能してから、また博打にもどるそうである。賭博場には「斧とまな板と熱い油」が用意されている。何のためか。賭けるものがなくなり「指を賭ける」客人のためである。勝者が掟に従って指を切り取る。この指切りを見ようと大勢押し寄せるから「有料のショー」となる。熱い油は切り口を焼いて麻痺させるためである。

68p残虐な死刑や拷問

 ――つい最近まで、有罪者に対する拷問は合法だった。「細切れの刑」がよく行われた。即死しない部分を細かく切り取る刑である。「くじ引きの刑」というのもある。籠の中に体の部分を書いた札をつけたナイフがたくさん入っている。これを目隠しで引く。札に耳と書いてあれば耳、鼻と書いてあれば鼻を切り取る。死ぬまで延々と続く。もちろん受刑者の身内が「袖の下」を使えば、不思議と致命的部位を書いたナイフが当たる。

 ――私の最後の任地福清の話をしよう。代官が――ある金持ちを「資産隠し」の容疑で逮捕し、両手の親指を縛って吊るし上げた。――ここは地獄の沙汰も金次第である。親戚一同で金を集めて、釈放してもらうしかなかった。――私が中国を出たこの春、この悪代官はアモイから遠くない新任地で優雅な生活を送っていた。これくらいでは、政府高官に睨まれ、失職するということはない。

70p拷問好きが高じて生まれた纏足

 ――宣教師のおかげで今ではかなり減ってはきているが、僻地ではまだまだ健在である。なぜ纏足するのか。それは竹馬のようにぴょこぴょこ歩くおばあさんを見たら納得する。「労働階級と違うわよ」という金持ちフアッションの一つだった。それには「働けません」という格好をするのが一番である。

71p福州のコレラ騒動

 ――流行の第一線に接するや、海外から血清が上海はじめ各地に送られた。三本打てば効果てきめん。慈善団体に行けば、無料か無料に近い。――届いた血清を福州の役所が保管した。これを聞いた外国人が「血清を即時放出せよ。一儲けしようとしているのではないか」と詰め寄ったが、何の効果もない。役人にしてみれば「絶好の稼ぎ時」だということは公然の秘密である。――これを聞いて滞在暦数年の若い宣教師は「特効薬を隠して、同胞が倒れるのを見ているとは悪魔ではないか」と呆れ顔。これを受けて、滞在40年の尊敬すべき古老(名前は伏せる)が、「いつものことだよ。あなた方はお若いから、役人がどんなものかご存じない。儲け話となると情け容赦なし。テコでも動かない」仰るとおり、大勢の中国人が死んだ。

73p本心から信者になった者はいない

 父親も宣教師だった宣教師医師(E・C・ダイモンド)が、理想に燃えて中国に渡ったが、我慢できなくなって二年で中国をでてしまった。

 「なくなる直前、父はこう申しました。(信者になった中国人は)一人もいない。名目上は数千人もいたが、真の信者はたったの一人もいない、と」

 宣教師たちのご尽力にはまことに頭が下がる。人里離れた内陸部で、何度裏切られても辛抱強く勤める姿は「神々しい」ものであるが、もしかすると、単なる間抜けかもしれない。

79p追悼の誠がこもらない葬式

 ――子供が死んだらどうするか。親は平然としたもので、ぼろきれか何かで包んで間に合わせの木箱に入れ、「どっかに埋めといで」で終わりである。――城壁の外やそこいらにほうり捨て、犬の餌になる。 Ⅲにつづく⇒

真実史観Ⅲ平気で嘘をつく南京大嘘の中国人と属国朝鮮人暗黒大陸中国の真実

Ⅲ平気で嘘をつく南京大嘘の中国人と属国朝鮮人暗黒大陸中国の真実

 ――16歳までは子供で、死んでも魂がないから葬式を出さない地方もある

80p衛生観念がなく不潔極まりない

 ――中国とインドの両方に長く暮らした人に話を聞いたことがある。彼の話では「世界一、不潔な国はインド。僅差の二位が中国」だそうである。私はインドには短期間旅しただけなので、なんとも言えないが、「逆ではないか」と思う。

82p屎尿はどう処理するのか?

 ――家の中に大きな石の甕があり、これに用を足す。これを取っておき、農家や仲介業者に売る。

83p風呂にあまり入らない

 ――経験豊富な宣教師によれば、普通の女は生まれてから死ぬまで一度も風呂に入らないそうである。

※記載が無いので、大衆浴場無しであろう。下層の都会生活者には、不可能である

85p複雑怪奇な性格と伝統
 「艱難辛苦、汝を玉にす」という馬鹿げた言葉がある。もしこれが本当だとしたら、現代の中国には聖人君主が山ほどいるはずである。

91p平気で嘘をつく

 中国に長くいる英米人に、「中国人の性格で我々とは最も違うものを挙げてください」と訊いたら、ほぼ全員が躊躇なく「嘘つきです」と答えると思う。

 欧米では、嘘は憎悪や軽蔑と同じ響きをもつものであるが、中国語にはそういう語がない。必要がなかったからである。そこで、それに近い中国語を使って「嘘ではありませんか?」と言ったとしても、非難の意味はない。ましてや侮辱には全くならない。特別な意味のない言葉なのである。

 中国人の言動は誤魔化しとすっとぼけに満ちているが、暮らしているうちに、真意がわかるようになる。

 ――我々にとっては「嘘」は軽蔑に値するものだが、中国人にはそんなことはない。したがって、「人格に欠陥あり」と考えるのは我々の認識であって、彼らはそう思っていない。交渉する時、忘れてはいけない

94p責任感がないから嘘をつく

 ――ただ質より量とばかりに嘘を連発するのである。

99p嘘に振り回されるアメリカ領事

 ――中国では「塀を建てる」とは、「所有権を主張する」ことなのである。

102p中国人は誠実で正直であるというのは大きな間違い

※嘘は罪悪と言う認識が欠落したのが、中国人や朝鮮人と言える。戦後の中朝韓政権と罪日が証拠である。

106p敵の面子を潰すための自殺

 「嫌がらせ」もよくあることで、あの孔子ですら平気である。ある時、招かれざる客が来たので居留守を使った。諦めて客が帰ろうとするのを見て、孔子は窓辺に出て胡弓を弾いた。「ああ、孔子様は私のことをこういう風に扱っていらっしゃるんだなあ」とわからせるためであったという。

108p金がすべての現実主義者

 「金がすべて」であり、それこそ宗教に近いものがある。もうけ話になるとどんな苦労も厭わない。また、友人や家族の誰かが死んでも顔色一つ変えない人が、金を失くしたとなるとなると大騒ぎである。

※唯物拝金教が、中国人や朝鮮人の宗教と言える。

112p驚くべき忍耐強さ

 ――自然科学、医学天文学の専門書は大したものだ。が、観察だけでそこから論理的に何かを導き出すことができない。「知識」はあっても「知恵」がないのである。これは何も国内組みだけではない。留学組みもおなじである。

114p学問不毛の国

  ――発明というより偶然の発見である。

 物事には原因があって結果というものがある、ということに気付かないのだ。ちょっとわかればそれで満足する。一歩進んでそれで何かしようとしない。羅針盤を発見し、硝石と炭と硫黄を混ぜて火薬を作り、紙を作ったのは中国人だ。

 ――西洋人より早く鉄を使ったが、ぜんまい時計を作ったのは西洋人である。滑車の原理を発見したがそれを活かせなかった。

 ――「文明競争のスタートライン」には一番乗りだが「用意、ドン」となってもスタートはせず、スタートラインをうろうろしているだけである。

※戦後日本の「言葉と文字界」も、「知識はあっても知恵がない(表音知識)」で同類。現代は溢れ尽くしている。

第五章進歩のない布教活動

119p口先だけの道徳

 ――ただし正義感に燃えるのは考えもので、かえって憂き目を見ることになりかねない。だから道徳観念など全く無い。だから当の昔に、世界一、計算高い人間になってしまったのである。

 ――とうの昔に、中国人は「花より団子」、「心より物」である。四億の人間がいては「霞を食って」は生きていけないのである。

 ――およそ考えられることは何でも起こる。洪水、凶作、飢饉、戦争、イナゴが襲ってくる。これだけではない。人まで襲ってくる。人といっても悪代官だけではない。隣の人まで襲ってくるから「蓄え」の余裕が無い。これじゃ「頑張ろう」という気も無くなる。

 ――「かくあるべし」とは誰でも知っている。

 ただし、これは建前の話。誰も見向きはしない。

 ――○○大先生とか閣下、殿、尊師など大そうだが、「こんにちは」くらいの意味しかない

 ――宣教師の教えに「アリガタヤ、アリガタヤ」とひたすらひれ伏す。ただし、心底「ありがたい」とは誰も思わない。昔から耳にタコができるほど聞いているからである。

 ――「少年老い易く学成り難し」「一寸の光陰軽んずべからず」等の名言は誰でも知っている。ただし知っているだけであって実践する者は誰一人いない。

 ――我々が説いている「キリスト教」とは何か。それは「万民の幸せ」である。これに「キリスト教」という「新しい名前」をつけただけの話である。

 ――神仏を祭っているのはひたすら、「いきるため」である。信仰のためではない。キリスト教も同じである。「信じるものは救われる。嵐は収まり、病は治り、死者は蘇る。パンを与えよう。求めよ。さらば与えられん」と聞いて信者になっただけのことである。

 ただ信者になっただけで努力はしない。それでは病は治るものではない。いくら信心しても嵐は吹き、死ぬ者は死ぬ。米櫃も空っぽである。そうなると、「キリスト教もだめだ」となる。何でもかんでも神頼みで、努力というものを知らない。損得勘定しかないのだ

124p布教活動の実態

 ――現実が知れたら支援が減らされる。

 ――中国では慈善活動に従事するものはすべて「宣教師」と呼ばれている。一度も教会で説教したことのない医師や社会活動かも「宣教師」である。本書でも広い意味で「宣教師」を使うことにする。

 宗教的意味での宣教師とはどういう人か。それは読んで字の如く、神のお言葉を「宣」言し、民を「教」え導く「師」である。

 ――今は本来の目的に加えて、衛生面、農作物の生産性の向上等、生活の向上に力を入れている。仕方なくやっているのだ、目に見える餌が必要である。神の教えだけでは食いついてこない。例えば、ミッションスクールは無料である。無料なら子供が来る。勉強を教えながら聖書を教えようというのだ。これでは、まるで不動産競売に出る弁当だ。

125p不毛な布教の歴史

 マルコポーロが中国を旅した13世紀、中国全土にネストリウス派のキリスト信者がいた。主な大都市には寺院があり盛んであった。ローマカトリック系ではなかったが、――インドに前からいたキリスト教徒と協力関係にあった。

 ローマカトリックが中国「元」に入ったのは13世紀の中ごろだった。皇帝フビライはローマ教皇に親書を送り、宣教師の派遣を要請した。中国に渡った宣教師は「熱烈歓迎」され、活動を開始した。ただ、前述の如く中国にはネストリウス派の信者が大勢いた。また、ギリシャ正教徒も多かったので対立が起こった。

 ――それから2百年後、――あれほど盛んであったものが、消滅していたのである。

 ――1933年――プロテスタントは40数万、――ちなみに、中国で教派を問わず「信者」と称する者は250万である。

 伝えただけで消滅してしまう国が中国である。ユダヤ教、ネストリウス派、ギリシャ正教、ローマカトリック、いずれも消滅した。仏教、イスラム教があるが、いずれも「名前」だけで、本来の教義は消滅している。儒教でも道教でも中国でなかったら立派な宗教になっていたであろうが、残念ながら儒学、老荘といわれる学問の域を出ていない。

 ――1582年、イエズス会のマテオ・リッチがマカオにて布教。これを契機に3百年ぶりにキリスト教が蘇った。――17世紀中期には皇太后始め、貴族も多く入信した1700年にはその数30万人に達した。

 プロテスタントはどうであったか。1807年、ロンドン宣教師教会から派遣されたプロテスタントの一派「長老教会」のロバート・モリソンが初めて広東に来たのをもって嚆矢「こうし(始まり)」とする。

134pプロテスタントとカトリックの布教競争

 ――確かにカトリックは強い。――宣教師はどこへ派遣されようが「僻地手当て赴任手当て」等を要求しない。たとえ異国の土になろうとも「神に選ばれた名誉」としてどこえでも喜んで飛んでいく。ところがプロテスタントはそうはいかない。中国勤務の損得勘定をするものが多い。――あれやこれやで、カトリックの方がはるかに異教徒救済に貢献している。

 ――中国人は「目に見える物」がないとわからない。どこの家にも仏様の一体や二体は置いてある。ところが、それは宗教的意味合いのものではなく、単なる「厄除け」「福招き」のお守りである。

142p宗教観というものがない

 ――知り合いが何を考えようが、泥棒だろうがスリだろうが、自分にかかって来なければ、一向に構わない。宗教ならなおさらのこと。相手が何宗だろうと全く気にならない。良い方に解釈すれば、戦祖代々の宗教がないというわけだから、キリスト教を教えやすいということになる。悪い方に解釈すれば、元々、宗教観のない者に宗教を教えることはできない相談だということになる。ここがお隣のチベットや日本、インドと違う点だ。

 歴史を思い出そう。無知で仲間を思いやる気持ちがないから残酷な刑ができた

第六章宣教師の心

151p宗教に精神性を求めない中国人

 「宣教師は駄目。貧乏で高級品は買わない」と、使用人や行商まで馬鹿にしている。――彼らにしてみれば、湯水のように金を使うのが外国人。ところが宣教師は違う。「しみったれ」だ。「しみったれ」は恥である。だから「宣教師は駄目」になるのだ。キリスト教を馬鹿にする理由がここにもあったのだ。つまり、すべてが「金」である。彼らは金にかけてはユダヤ人にも劣らない、世界一である

154p入信させても無意味、かえって有害である

 見事に裏切った人物の一人にジョージ・シュセン師がいる。彼は孫文の秘書であったが、伝道師として名を馳せた人物で、宣教師から信頼された人物である。――あろうことか、1926年のクリスマスに漢口で反キリスト教週間を組織したのである。――扇動された群衆が町に繰り出し殴りかかったので、外国人はほとんどが町を捨て揚子江を下り、、上海へ非難せねばならなくなった。

 他にも同じような人がいる。あの有名な馮玉祥である。――配下の全軍を整列行進させ消防車で放水して先例を受けさせた。ところが詐欺、恐喝はする。日本と中国に二股かけると、やりたい放題でクリスチャンとしての勤めは疎かになった。やむなく宣教師たちは彼とは手を切った。

 クリスチャンとして美味い汁を吸った後で、キリスト教を捨てた者の名簿を作ったら電話帳一冊分になる。

158p排外的教科書で糾弾される宣教師

 教科書も国民党情宣部の手になるものである。排外的内容に満ち、アメリカ人教師を罵倒するものである。アメリカ人が作った校舎内でこうしたことが起こっているのである。

 「攻撃されている方が、攻撃している方に金を出し、あろうことか、先生自身までが攻撃の対象とされる」という珍現象が起きているのである。つまり、金を出して反米プロパガンダをしてもらっているのである。珍現象というしかない。

※現代日本と対中、朝、韓と同じである。歴史勉強不足でこうなっている

159p宣教師迫害の具体例

 ――敬虔な女宣教師の話である。慎み深い方だから子供がなかったので奴隷扱いを受けている中国人の男の子を引き取ってかわいがり、学校に入れ、大きくなったら「神の使い」となってくれるのでは、と期待していた。ところが折悪しく吹き荒れた排外運動の嵐に吹かれ、「期待の星」はどこかへ消えてしまった。ますます騒がしくなったので、ささやかな家財道具を持って非難しようとしていたところ、暴漢どもが玄関に現れた。ここまではよくある話である。何と驚くなかれ、真っ先に略奪を働いたのは誰であろう、自分が拾って面倒を見てやったあの子ではないか。命からがら逃げ出し、その日一番の船でアメリカに帰り、二度と戻らなかったそうである。

 ――イギリス人宣教師も同じような苦い経験をしている。拾った女の子に精一杯愛嬌を注ぎ、教育を受けさせても、この子があちこちで「お母さんの財産は全部私のものになるよ」と言うからかなわない。――結局は財産しか目に入らないのである。「どういう価値観を持っているかでその民族の良し悪しが決まる」と、どこかの哲学者が言ったが、そのとおりであr。

 こういうことを宣教師は報告したがらない。手に負えなくなるまで隠している。「身内の恥を曝してはならない」のである。

168p幻影を抱かずに現実に立ち向かった宣教師

 ――ある女医療宣教師がありのままを語った。

 62歳になって帰国するんです。希望が持てなくなってね。――アメリカに帰ったら若者に「宣教師として中国に行くなんて狂気の沙汰よ」と、命ある限り訴えようとおもっています

 ・・・一九二七年から二八年、中国領土にいた八千人に上る外国人宣教師のうち五千人が退去させられている。どこへ退去したのか。日本である。しかし日本に避難したものの、日本人が好きになれない。可哀相な人間がいないからである。アメリカ人とは不思議なもので、可哀相だと思えない相手は好きになれない人種である。宣教師は特にこの傾向が強い。可哀相な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、救ってあげようという殉教精神がわき上がるのである。だから中国人は全く有り難い存在なのだ。ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。これでは宣教師の出る幕がない。だから宣教師に好かれないのである。

171p虐殺されても中国人をかばう宣教師

 福州を流れる川の上流でのこと。高齢のイギリス人宣教師が二人、追剥に捕まり「裁判され」、「帝国主義者」にされ、「残虐なる死刑」に処された。生涯を聖職者として現地住民のために捧げた二人に待っていたのは、体中を切り刻まれ、長時間悶え苦しみ殺されるという無惨な最期であった。当然ながら、中国国民党「政府」は何もしなかった。政策の一環であるから、助けるわけがない。

 「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言うが、何度騙され、何度殺されても直らないのが宣教師なのだ。

 どうしても殺せない相手には敬服し信服するのが中国人である。宣教師はこの辺のところを見逃してきた。何度死んでもわからない。

※唯物拝金教が、中国人や朝鮮人の宗教で、現物しか信じない。「豚に真珠」、前記列挙が、その証拠で、戦後の中朝韓政権と罪日が、現実証拠である。

180p巨額の援助を不満とする中国人

 演技のうまい中国人にコロッと騙されているのである。「期待していたアメリカ人に裏切られ失意のどん底に落とされた」と迫真の演技の中国人。「ああ、期待を裏切ってしまった」と反省するアメリカ人。行商だろうが苦力だろうが主演男優、女優になれる。――ところがアメリカでは舞台裏の解説がないから、大方は演技とも知らずコロッと騙されるのである。

※コロッと騙されたのが角栄、三木武夫、中曽根、橋本龍太郎等の唯物政治屋である

182p民を思う指導者がいない

 中国人に根本的に欠落しているのは「品格」である。それゆえに指導者が生まれず、風見鶏で、死ぬまで足の引っ張り合いをしている。だからアメリカ人に向かって「教育援助が足らない」と責め立てるのである(援助が足らないのではない。中国人の経営ミスで効果が上がらないのである)。何千といる学士様や修士様まで自分のことは棚に上げて、アメリカを非難している。

第七章果てしない混乱

187p混乱が途絶える日は一日もない

 中国では混乱が絶える日が一日もないが、人は良いが無知なアメリカ人報道関係者はきれい事ばかり言っている。中国に住んでいる人には信じられない記事ばかりである。「目指すものが違うから戦う」ということは、中国ではありえない。目指すものは同じである。賄賂、略奪、何でも良い、ただ「金」である

 ――この七年間だけ見ても寝返らないものはまずいない。この3年で福建で付き合いのあった軍人のほとんどが二、三回は寝返っている。――私利私欲意外には考えられない。「世のため人のため」と新聞はもてはやすが、真に受けるのは外国人だけである。

190pビールの泡より早く消える愛国の士

 離合集散を繰り返すのが彼らの常だが、アメリカ人は「国家統一のため、血判状を認め、統一戦線に合意する指導者たち」という記事にコロッとだまされてしまう。それから一週間ほど、後追い記事を読んでいると、半分以上が分裂し同士討ちだ。そもそも統一戦線合意の目的は「自分の縄張りを荒らされない」、ただそれだけである。ところが、中国人の名前はアメリカ人には誰が誰やら区別が付かない。「裏切り」の記事を読んでも誰なのかわからない。別人と勘違いし、「あの立派な愛国統一戦線を邪魔するとは何たることだ」と悲しむのである。

※マスコミに洗脳されたアメリカ人で、戦争起因となった

 意地の悪い見方だとお考えの向きは、お気に入りの将軍の記事を半年分、切り抜いてみるとよい。愛国者ぶっても長続きしない。三日坊主である。いや三日ともたない一日愛国者入るわ、数週間愛国者はいるわ、シラミつぶしに調べたら一年愛国者もいるだろう。ビールの泡より消えるのが早い。

 今年(1933年)のニューヨークタイムズの見出しを並べてみよう。

 6月8日北京発。抗日が統一を促進。日本侵略軍を撃破したことにより5年ぶりに南京政権の結束が固まる。

 6月23日上海発。北部中国の独立を将軍達が宣言。南京政府を否定。河北省で南京政府の独裁を非難。・・・南京と対立する馮玉祥が実権を掌握中。

 6月27日上海発。五隻脱走。新たな「独立地帯」へ向かう模様。

 6月30日上海発。青島軍の満州国流入阻止のため将校射殺・・・南京政府の隠密か。

 7月21日上海発。南京政府。馮玉祥打倒のため六万人派兵。激怒した広東は反乱を示唆し抵抗。

 7月23日上海発。馮将軍ドラノから撤退・・・全軍は解放され中央政府軍に吸収され張家口へ新劇。

 8月23日上海発。反逆者の馮に高官の椅子を提示・・・南京政府は馮に三つの椅子を用意・・・馮も受ける模様。

 8月27日上海発。湯玉鱗が取引目的で都市を占拠。熱河省の元知事で裏切り者の湯玉鱗は・・・。

 この湯玉鱗は去年の冬、窮地に落ちた自軍を見殺しにしたうえ、補給用トラックを徴用し、大量の阿片を持ち逃げした御仁である。ところで湯が持ち逃げした大量の阿片を新聞は「私物少々」と書いている。

 ――現地で耳にするのは、離合集散の繰り返しや暗殺の類ばかりである。ところがアメリカの新聞は――「待ちに待った中国の統一が進んでいる」等とぶち上げる。読者は軽くだまされ、現実かどうか調べない。

※このように麻の如く乱れ、何でも有りが中国の現状である。加藤陽子捏造洗脳講義の、団結中国などではない!

193p賄賂漬けで、愛国者がいないのが国家再生の最大の障害

 日本人にとっては、金ですめばそれに越したことはない。戦になれば武器弾薬に金はかかるし人も死ぬ。だから可能な者は買収する。その数はかなりになる。ここ数年、この手で成果を上げている。

 1933年の春、一致団結して抗日戦争を戦っているはずの連中が、それぞれ日本軍と和平交渉をした。はてさて中国軍とは一体何のためにあるのやら。ばらばらに日本軍と和平条約を結んだ後、この愛国者ども、返す刀を己の本丸に向け、同胞から新たな「領地」を獲得したのである!

 「戦が終わった」と聞いたら、カネが動いたと考えて間違いない。

 これだけでも驚きだが、これからが中国人の本領発揮。

 「中国人は一対一の戦いには強い。負けるのは装備が貧弱だからである」と知ったかぶりで言うものがいる。もしそうだとしたら、1931年、満州で20万の中国軍がわずか1万4百の日本軍に数週間で追い出されたのはなぜか。

 勇気と協力がなければ、装備の優秀な敵に攻められたらどうすることもできないが、中国人にはこの二つが欠けている。戦争目的などそっちのけで、妥協、賄賂など目の前の利益しかないからいつまでたっても混乱は収まらない。

 中国人は、我々とは違った意味で現実的と言える。村の一つや二つ持ったら「良し」とする。これだけあれば、阿片も、愛人にも、食べ物にも事欠かないからだ。なまじっか危険を冒して高望みするより、この方が良いというのだ。――中国全土を支配する政府の小役人になるより、例えば雲南の「頭」の方が良しとするのである。――中国人は上から下までこういう人間だらけである。

 「お国のために」という気持ちがなく、自分と身内のことしか考えない。――西洋人が公私共に優れているのはなぜかというと、大きな目標に邁進する気持ちがあるからである。――こういう気持ちが中国人にはない。ないどころか愚の骨頂と考えている。しかし、このなんとも説明の付かない奇妙な性格、戦祖代々受け継いだ燃える血潮があるからこそ、時には運悪く処罰された者もいようが、我が民族は世界に冠たる地位を築けたのである。逆に、中国人にはこういう気質が欠けているから今の混乱があり、将来改善される見込みもない。

※日本も一致団結したから欧米に追いついた。団結(公)のちからである。

196p世界史上類例のない中国の悲惨

 ――村といわず町といわずことごとく絞られ荒らされ、死者、拷問、餓死者が毎年数百万も出るのに、何万という大学出の学士様は手をこまねいているだけで何もしない国。こういう国は世界のどこにもない。学士様の誰一人として、信頼の置ける指導者を探そうと考えもしないというのは他に例がない。

 指導者はすべて己のことしか頭にない。

 世界の革命や動乱を見ると、己の利益ではなく世のため人のためを願い闘う者がいるものである。主義主張のぶつかり合いともいえる。ところが、中国にはこれが全くない。愛国の旗印を掲げる指導者も一人もいない。どこの世界にも「腐敗、堕落」はあるが、中国のような百パーセント腐敗、堕落している国は無い。

※NHKや新聞は一切報道無し!

197p税関だけは正直な米英人を雇う

 政府の主な財源は関税である。税関は外国人である。これは約75年前、清王朝の要望で取り入れられた制度である。外国人は正直でこういう仕事に向いているから、税関の「長」に頂、全国の港に配置すれば不正がなくなるというのである。正しい判断だった。今でも外国人が配置され、うまく機能しており、南京政府への送金も滞ることがない――中央政府も、国土の一部しか掌握できていないから、全土に外国人の税関が配置され、しかも公正に集金してくれるから大助かりである。――税関にはアメリカ人とイギリス人が多い。専門職だからかなりの高級で年金も付く。

※外国人のみが正直で、中国人は一切信用できない疑心暗鬼世界が中国の現状であった。現在も何ら変わっていないから、凶産独裁捏造の強権で押さえつけが、唯一の手段なのであろう。Ⅳにつづく⇒

真実史観Ⅳ中朝韓罪日お定まりの難癖対処法バイブルが暗黒大陸中国の真実

Ⅳ中朝韓罪日お定まりの難癖対処法バイブルが暗黒大陸中国の真実

200pいくつもある中央政府

 中国には「中央政府」と名乗る政権が二、三ある。最近、広東は南京と張り合っている。また、四川地方には劉将軍がいて、海外には知られてはいないが、五千万もの農奴を酷使し悠々と暮らしている。自前の競馬場を持ち、外国人を呼んで競馬を楽しんでいる。もちろん私兵を養い外国人顧問を付け、飛行部隊まである。南京政府も一目置き、手出しができない。また、雲南も独立国家然としたものである。チベットに近いところにあるから、南京政府もどうしようもない。

 中南部の江西と、隣接する福建の一部は共産党の拠点となっている。直接モスクワと通じ、ハンマーと鎌の赤旗(ロシア国旗)を掲揚している。港がないのが弱点で、しばしば州都福州を獲らんと攻め、去年はアモイの約15.6キロまで迫った。去年は広東を攻めたから、頭目たちは警戒した。この共産軍撃滅のため、広東から大部隊が遣わされた。ところがこのうち数千人が高級を提示され、一も二もなく凶産党側に走った。飛行機二十機も前線に送られたが使われず仕舞い。司令官の報告は次の如し。

 「出撃命令を下せども発信せず。部下が小遣い稼ぎに、プロペラからスパークプラグにいたるまで全部品、外せる物は悉く外し、売ったからである。天命である。出撃命令を取り消す」

 喜んだのは共産党軍。これ幸いとばかり、分捕れる分だけ分捕り、山奥へ引き上げた。

 諸外国は国民党を中国政府としているが、たまたま首都南京を制圧していたのが国民党だからである。数年前までは北京が首都であったから、各国公使は北京に住んでいて、首都が南京に移されても、動かなかった。

 中国全土のうち、どれだけ国民党が支配しているかはわからないが、十分の一ではないかと思われる。しかし、国民党には他にない強みがある。前にも述べたが、諸外国は国民党を中国政府と公認し、関税を払っている。これを政権維持費に回せる。敵に寝返りそうな分子が党内にいて、これを引き止める金が数ヶ月も滞っているから、大助かりだ。

202p食うために兵隊になるから命を懸けて戦わない

 ――最後まで戦うことはまずない。戦闘参加人数に対して戦死者は驚くほど少ない。――兵士には敢闘精神がない。日本人や欧米人とは違って、「闘争心」や「何が何でも勝利を」という気迫がない。相手を倒そうという目的が全くない。所詮、食うためにたまたま軍隊に入ったのだから、弾に当たって命を落としたら元も子もない。

 両軍ただ睨み合うだけである。――本隊は相手が自陣に攻め込まない限り、数ヶ月ものらりくらりして、本格的攻撃はしない。こういうときに活躍するのが「友好の鳩」と言われる者である。両軍を行き来し、いわば示談金の額を引き下げる。当然ながら自分の懐に入れる額は上乗せしている。――場合によっては、鳩が三羽も四羽も飛んで、話を伝えるから、これぞ正しく「伝書鳩」である。

 ――圧倒的優位とわかっても「突撃!」とはならない。「負ける可能性もある」と考えるからである。戦って何もかも失うよりはカネで解決しようというのである。たまに突撃命令を出し実際の戦闘に及ぶ者がいる。こうなってはたまらない。「来る」という噂を聞いただけで、一目散に逃げるのが中国流の戦である。

203p犠牲者は圧倒的に住民である

 もちろん三百万もの人間が戦えば――、多くの死者が出る。ところが、兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死である。米粒一つ残らず「友軍」に奪われるからである。一つ例を挙げよう。1931年の5月、江西省と湖南省における対共産党戦に関する楊将軍の報告である。

河西

 死者        18万6千人

 難民の死者    2百10万人

 消失家屋     10万棟

湖南

 死者        7万2千人

 消失家屋     12万棟

次は1932年11月の湖北省での共産党の略奪報告(湖北省知事)である。

 死者        35万人

 家を失った難民 3百50万人

 消失家屋     9万9千棟

 これはほんの一部に過ぎない。この数字を疑う理由はない。数字にはないが、住民を護るべき軍が逆に食料を取り上げ飢え死にさせる。あるいは焼き討ちにする。将軍達はこういうことは報告しないのである。共産党の支配地区には「どちらもひどいが、防衛軍より共産党がましだ」という者も多い。宣教師の家族たちも「その通りだ」と言っていた。私も福建で、共産党に追われた難民が徒歩で、また小船で逃げてくるのを目撃した。大混乱だったそうだ。福建やとなりの広東では大虐殺はないようである。共産党のやり方はこうである。カネのありそうな者を拷問する、羽振りが良く資本主義者と思われる者は即刻殺す。だから金持ちは共産党が来る前にさっさと逃げる。貧乏人だけが残り、餓死者が出るのである。

 数百万単位で人が死ぬことはざらにある。大洪水や大飢饉があると数百万単位で死者が出る。あの太平天国の乱(1851~64年)では二千万人が消えた。――この15年の死者・餓死者は第一次世界大戦の全死者数を凌ぐと言われている。

 昔はいざ知らず、現在の中国の戦では勝者が敗者を食い尽くすことはめったにない。占領地で食い放題、奪い放題はするが、気怠(けだる)げな感じで、最後まで行くことを恐れているように見える。大軍同士の戦いでは、両軍睨み合ったままで、小競り合いはあっても、何ヶ月も動かない。気勢だけ威勢良く上げるのである。最前線では敵も味方もなく、こっちについたりあっちに移ったりする。

207p匪賊の暴虐を目の前にしながら何もしない討伐軍や学者

 南京では「第19軍が匪賊退治を開始」と大々的に発表されていた。――ところが7千人の兵隊は、川を渡って匪賊退治にいくでもなく、ただぶらぶらと何週間もすごすのみ。川の向こうでは、百人ほどの匪賊が広大な土地を荒らし、誘拐、虐殺を欲しいままにしていた。村々の長老たちが助けを求めに来ても、みてみぬふりである。

209p金を見て消える愛国の情

 「買収とは卑怯なり」と日本を非難する中国人がいるが、滑稽極まりない。相応の金を握らされたら誰でも寝返るのが中国官僚ではないか。

210p兵隊にだけはなるな

 中国の学者には、指導者に必要な豪胆さがない。これにはそれなりの理由がある。中国の家では昔から、出来の良い子を一人選んで教育を受けさせた。勉強だけすればよく、家事などは一切免除である。そこで肉体労働を「頭の悪いものがやる仕事」と極端に嫌う学者が育つという仕組みだ。金で解決できないものはない、となる。兵役は最低の仕事である。昔から「良い鉄は釘にしない。良い人間は兵にはならない。何になっても良いが、兵隊にだけはなるなよ」といわれる。中国軍を見ると妙に納得できる。

 学生も兵隊も盗賊も同じで、看板だけは立派だ。

※日本の学者政治家も脆弱な世間知らず!ハニーマ・ネートラップにすぐ食いつき、こんなスパイだらけの日本にあい成った。

212p盗賊のみならず政府軍も略奪する

 政府軍も同じである。領民がやせ衰えれば衰えるほど、取立ては苛酷になる。軍隊か盗賊にたかられる。

213pあまりにもかけ離れた理論と実践

 中国人というのは不思議な人間で、裏切りの世界にいながらいとも簡単に騙される。将軍でも盗賊の頭目でも和議を申し込むとすぐ騙され、「祝宴だ」と敵陣に赴く。宴たけなわというところでドスッと殺されるのである。こういうことは珍しいことではない。こういう事件が二、三週間で一つの市で二件続いたこともある。

214p役に立たない警察

 強盗や暴行発生の連絡があれば、アメリカの警察だったら直ちに駆けつけるが、中国の警察は全く動かない。

216p百姓を食いものにする悪代官

 苛政は虎よりも猛し。悪政の中でも最悪な制度を紹介しよう。それは入札制度の一つで、ある土地の収税顕を最高入札者に与えるというものである。これは政府管轄地行われる。地区単位、または町程度の規模で収税権が売り渡される。落札者は規定の額を上納しさえすればあとは思いのままである。反抗するものがあれば私兵で脅す。在任期間が短いから、住民が貧困で喘いでいようが、盗賊に何度もあらされていようがお構いなしに絞れるだけ絞る。いつ政権交代があってもいいように、退職金が必要だからである。

 ――福建省には陳郭回のような者がごろごろいる。陳の縄張りは幅50キロメートルほどであった。――陳の上にも「元締」というか「胴元」が、福建省の省都の福州にいた。――この親分、陳に何ヶ月もやりたい放題やらせてから、「たまには福州に来て政治談議でもしようじゃないか」とお呼びをかけた。真に受けた陳は福州へ飛んだ。ここが中国人のうかつなところ。着いたとたんに捕まって、秘密牢にぶち込まれ、「巻き上げた金を出せ」と拷問された。悪代官を懲らしめているのではない。どっちもどっちだ。陳を逮捕した連中だって同じような「あくどい」ことをやり、また各地の親分の手助けをしているからである。

 庶民のための税金は全くない。

 陳郭回は数週間拷問されたあげく、処刑されたそうである。巻き上げた金の隠し場所をゲロしたかどうかはわからない。陳のような悪代官がウヨウヨいるのが中国である。

219p中国を移す鏡、福建省

 福建省は中国の全体像を映す鏡といえる。もちろん、もっとひどいところはあるにはあるが、私が一番長く住んだ福建のことを少し紹介しよう。

 亜熱帯にあり、ヴァージニアとほぼ同じ大きさである。ほとんどが山国で、鉄道はおろか幹線道路もなく、主要交通手段は川舟である。約四百キロの川を遡るのに十数日かかる。台湾海峡に福州とアモイの港町が二つある。福州は海から64キロ川を上ったところにある。ここ数年、西部の三分の一は共産党が支配しており、こいつらは、阿片ができて、百姓にカネが入る春夏になると、山から下りてきてぶん取って行く。その度に(毎年のことである)、宣教師は川を下り福州まで避難したり、クリークを下ってアモイへ避難している。中北部は劉という将軍が牛耳っている。この劉は一応、福建省の配下にある。福建省は南京と広東の双方に付いたり離れたりを繰り返している。南京も広東も「こっちが中央政府だ」と主張している。アモイは上海事変で日本軍に抵抗した広東軍が支配している。広東軍は時折福州にやっては来るが川を上って攻め入ることはしない。劉将軍を恐れているからである。東北部は私がアメリカに帰った今年の春もそうだったが、海軍が握っている。最近、刃向かう者が誰もいないから、略奪は思いのままである。去年、福建省政府が面白いことをした。劉将軍と海軍と共謀して大々的に阿片作りを始めたのである。兵隊が農民に種を配り、収穫の喜びは政府・劉・海軍で分かち合った。ところが今年になって、広東軍はケシ栽培を禁じたそうである。去年、阿片の金を手にした福建省の知事が辞職し、新知事に代わったからのようだ。去年、海軍は旨い汁を吸っていた。福州の町から海の方へ少し下った所に、検問所を設けご褒美として阿片のカネをもらっていたのである。阿片を積んで入ってくるジャンクやらサンパンを検問して、積荷に一ポンドいくらで課税し、「領収済」のスタンプを押していたのである。この阿片は福州で捌(さば)かれていた。

 同じ福建省でも言葉は六つ以上もあり、お互いなかなか通じない。40キロ離れると通じない。(中国全体を見てみると、北部より南部の方が通じない方言がたくさんある。北部には、マンダリンという公用語があり、これは中国全土で大体が通じる)

 規模はわからないが、今でも全土に奴隷制度がある。アフリカから連れて来たわけじゃない、同じ中国人である。一人で奴隷を大勢抱えることはない。金に困ると売りに出す。どうやら世襲制のようで、奴隷の子は親と同じ家の奴隷となる。アメリカの南北戦争前と同じ数の奴隷がいるのではないだろうか。ご主人に気に入られて妾になると、奴隷ではなくなる。先祖代々奴隷という者はいない

 福建を理解してもらうために、面白い税制、軍による船への重税徴収制度を紹介しよう。南船北馬と言って南部は川が多く主要交通手段は船である。川を行き来する船に武器を持ったさまざまな集団が待ち構えており、通行料を徴収する。所によっては四、五キロごとに武装集団の根城があり、「盗賊保護費」という重税を取られる。これだけで終わりではない。この根城と根城の間にも料金所があり、四六時中睨みをきかしているから、いくらか「握らせ」ないと通してもらえない!うまくできている。兵隊は町中の駐屯地に、盗賊は町と町の間にある根城にいる。縄張りが決まっているからぶつかることはない。こうして「有り難くも」盗賊から保護してもらって目的地に付く頃には、値段が二倍にも三倍にもなる。これで終わりではない。ようやく着いた所で、現地を牛耳る「お頭」にも何がしかの物を献上しなければならない。

 外国人は、このような危険を冒してまで現地へ商品を持ち込むことはしない。福州で業者に売る。これを業者が独自の輸送システムで捌(さば)く。

 外国人によって安全が保たれている港町は人口が増えている。安全だからに他ならない。金持ちは港町に住みたがる。――活気があるのは都会だけである。田舎は米粒一つまで略奪され、血の海だ。ただ都会の粋なガラス窓や映画館を見ただけでは「中国の発展はすごいな」等と思い込んでしまう。しかし、あのガラス窓一つ拵(こしら)えるために千人の百姓が泣かされている。役人が威張って自動車に乗っているが、そのためにどれだけの家族が悲惨な目にあっているか。一つ山を越えた田舎には四億人のうちの三億九千五百万人が苦しんでいるのである

※中国の役人汚職は80年後の現在も健在で、「中国・暴動」で検索すれば、730万もヒットする伝統芸である!

226p自覚こそ立ち直りの一歩

 「中国は戦争で一度も勝ったことがないが、それは平和愛好家だからである」と言う人がいる。まことに滑稽な話である。

 ――病人や怪我人を誰も助けない国。人が溺れても誰も助け舟を出さない国。腐敗役人が幅を利かす国。法に訴えることができず、意趣返しの自殺が絶えない国。二、三ドルの漆器を売るのに六ドルの護衛を雇う国。貧しい人のための血清を奪い、金儲けをする役人天国。外国人が付いて行かないと、危なくて召使が外出できない国。留学組みの将校の下で、士気の上がらない兵卒が年老いた百姓のばあさんをとっ捕まえ、牛馬のように荷物運びをさせる国。こういう国である。知識層は安全な外国の租界に居を構え、海外に亡命し、天子様のあふれる愛だの慈悲だのと暢気な詩をひねくり出し足り、文章を書き散らかしている。嘘、現実逃避である。鈍感で誠意がなく、悪いところを認めようとしない。認めることこそ立ち直りへの一歩である。

227p大義に殉じる心がないから中国の混乱に終わりはない

 「いつになったら、どうしたら混乱は収まるのですか?」とよく聞かれる。「気配すらない」これが答えである。

 ――何百年もの間、何十億という中国人が病に冒され苦しんで死んできたのに、「病は治るものだ」と暢気に構えているのである。痺れを切らして立ち上がる中国人を見たことがない。中国人は「人生は生存競争だ」としか考えず。「人生を楽しむ」気持ちなどさらさらないのである。

 だから、民衆が立ち上がって悪代官を追放しようということにはならないのである。

228p国際監視機関をつくってはどうか

 ――なぜなら、中国では「力がすべて」だからである。強敵に挑む者はいない。スタコラサッサと逃げる。さもなくば和睦するのが中国人である。ちょうど、満州で20万の中国(張学良)軍が、「日本軍1万人来る」の報に接するやママゴトのような戦いの真似事だけして算を乱して敗走した如く。

230p均衡の取れた混乱

 中国の状態を「均衡の取れた混乱」とでも呼ぼうか。何故なら、力と力が引っ張り合って互いの力を相殺し、ちょうど釣り合いが保たれているからである。

※真の宗教無き成れの果てが、中朝韓政権と罪日である。

第九章日本人と中国人

249p日本人と中国人

 この表題はただ何となく付けたものではない。ちゃんとした根拠があってのことである。アジアにおいて、日本は稀に見る統一国家であるが、中国は全く逆の国である。中国は国内で争い、日本はまとまって外国と戦っている

 中国人と日本人は全く違う人間だが、アメリカ人には違いがわからない。地理的に近いから性格も似通っていると思っている。これほど大きな誤解はない。例えばメキシコ人、カナダ人をひっくるめて「我々はみな北アメリカ人です」というようなものだ。メキシコ人とアメリカ人、エスキモー、フランス系カナダ人、それぞれ違うように、日本人と中国人も全く違うのである。

 確かに、日本人と中国人は体つきがよく似ている。が、似ているのは体型だけで、性格は似ても似つかない。もちろん日本人として通る中国人もいれば、中国人として通る日本人もいる。しかし全体としてみれば、違いは一目瞭然。口で説明するのは難しいが、現地に行けばすぐわかる。

 日本人の祖先は中国人と同じモンゴロイドである。その昔、大陸から日本に渡来し、原住民と混血した。こうして日本列島に住みついた人は皮膚が白く、ロシアやフィンランド、バルト諸国に移民した白人系といくらかつながりがあるのではないかと思われる。男は中国人よりも毛深い。女は、特に畑仕事で日焼けすることのない階級の女は、モンゴロイドとは思われないくらい白い肌をしている。同じ階級の中国人女の肌は、黄色ではなく赤みがかっている。男は日本人は色白だが、中国人にはあまりいない。骨格はそれほど違わないが少し違いがある。日本人は胴長短足で、胴は10センチも背が高いアメリカ人と同じくらいだ。

 ――中国人はイタリア人と同じくおしゃべり好き。サンパンだろうがどこだろうが大声で、うるさくて生きた心地がしない。少しでも英語ができると、船だろうと汽車だろうと道端だろうと、近寄って話しかけてくる。こういうことは日本では起こらない。日本人は実に物静かである。下層階級はじっと見ているだけである。礼儀正しい上流階級はこれさえしない。ましてやあれやこれや話しかけることは失礼になる。

 短い旅行でも違いがわかる。他人に対する態度が大きく違う。儲け話になると腰が低くなるのが中国人。日本は違う。自然に腰が低くなり、礼をもって接すること自体に喜びを見出している。例えば、通りを歩いていて、何かを落としたら誰かがサッと拾ってくれる。中国には、スラム街よりひどく、鵜の目鷹の目の連中が多い。例えば人力車同士がぶつかったとする。両方の車夫が「何やってんだ、この野郎」と怒鳴りあいになる。日本人はどうするか。アメリカ人の手本になるような行動を示してくれるのである。

250Pアメリカ人はなぜ日本人より中国人を好きになるのか

 不思議なことに、ちょっと付き合うと中国人を好きになるアメリカ人が多い。中国人のほうが実に陽気だからである。逆に日本人は、家庭内や親しい友人は別として、口数が少なく、よそよそしい感じを与える。ホテル等で見かける日本人は、くたびれた博士のようである。店員は日本人も中国人も非常に礼儀正しい。無口な日本人は不気味で、どうも煙たがられる。反対に中国人はおしゃべりで、すぐに英語でおべっかを使う。日本人にそんな習慣はないから、英語を知っていてもヘラヘラお世辞を言おうとしない。要件だけで済ますのである。

 上流階級の日本人は「武士に二言はない」というサムライである。サムライとは名誉を重んじ、自らの言動に責任を持つ伝統を重んじる特権階級である。何を聞かれても返事はイエスかノーか、二つしかない。決して嘘をつかないから、嘘つき呼ばわりされたら刀を抜く。今日でも、そうだから、昔のサムライは「武士に二言はない」であったに違いない。

 中国は全く別で、言葉の意味はころころ変わる。昔から嘘つき呼ばわりされても誰も侮辱だと思わない。そういえば、嘘とか嘘つきという言葉がない

 日本人は誰もがきれい好きである。一目でわかる。労働者でも毎日風呂に入る。きれい好きで玄関ではくつを脱ぐし、床でも柱でも拭いてきれいにする。不潔を極端に嫌う日本人に対して、中国人は全く逆で、不潔に親近感を持っている。

 先ほど、ちょっとだけ付き合うと中国人が好きになる人が多いと言ったが、長らく付き合うと、圧倒的に日本人が好きになる。アメリカ人に比べると仕事が遅いが、中国人とは比較にならないくらい、信頼できるし、真面目なお付き合いができる、という人がほとんである。違うと言う人はいない。ただし「なくて七癖」スパイマニアである。

 ちょっと滞在して中国人が好きになるのは、中国がどん底の国だからである。アメリカ人は可哀想な人に愛着を持つのである。もう一つの理由は、日本がアメリカの安全を脅かす存在だからである。

※素直に、先人への日本人論として受け取ってよいのでないか。なぜなら、こういう人たちがたくさんいたから、分国もされずに、急激な戦後復興が成し遂げられたのである。戦後復職赤化教授等が罵倒し続けたような先人なら、分国され、今の日本など無かった!

252p移民がもたらす日本脅威論

 私は卒業後二年間サンフランシスコにいたので、カリフォルニアの人間が中国人と日本人にどういう感情を持っているかがよくわかった。圧倒的に中国寄りである。もっとはっきり言えば、圧倒的に反日であった。中国人が嫌いと言う人も大好きと言う人も少ない。大多数は無関心なのになぜか反日感情だけは盛んであった。親日家はゼロに近かった。第一の理由は、愛嬌がないことだろう。二番目は、太平洋での日本の動きに対する不安であろう。この不安をカリフォルニアの財界が盛んに煽っている。軍港と陸軍基地の増設を目論んでいるのである。そうなれば地域は活気づく。兵隊が金を落とす。地域経済は万々歳だ。しかし新聞には「増兵して金を落とさせろ」とは言えないから、「適切な防衛」と表現したのである。事情を知らない者は不安に駆られ、寝る前に日本人が潜んでいないかベットの下を調べたりする。「日本軍特殊部隊メキシコに上陸」という見出しに、カリフォルニアのオレンジ農家は震え上がり、新聞が売れる。とかく新聞社は発行部数を気にする。

 確かに太平洋側の防衛は緊急課題である。しかし日本脅威論を煽り過ぎるのは百害あって一利なし。

 日本脅威論はどこに端を発したのだろうか。中国人の移民が50年前に停止になったのにもかかわらず、日本からの移民が今でも続いているところにあるかもしれない。25年前、カリフォルニアが日本人に占領されてしまうのではないかと恐れた。そこで移民削減のため、全く根拠のないプロパガンダを始めたのである。今でも反日感情が残っているのはそのせいである。また我々は、本能的に人種差別をしていることを忘れてはならない。――中国人や日本人を見ると「虫唾が走る」という人もいる。誤解やら間違った情報で起こる場合があるが、本能的に嫌いな人には、いくら説明しても無駄なのだ。Ⅴにつづく⇒

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プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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