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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1遡り日本史はNHKと東大教授加藤陽子スパイの連想誘導女子供洗脳劇


 応戦せずの降伏は、有色人は劣等との自認で、子孫や有色同胞への禍根打刻。有色人最後の砦の唯心日本命に換えても屈服は出来なかった。

 NHKと東大は戦国時代(無法の非常時)に、必死に対処(護国)した先人の、粗探屋スパイ
 開闢以来の弱肉強食を破壊、現代の新秩序、「互恵の平和」を築いたのは1960年の植民地独立付与宣言。魁は、九九戦争日本国。この人類の大転換点を、51年間もひた隠しする、NHKや東大等の言葉と文字界。そして、「さかのぼり日本史・昭和」でも、この原点を隠蔽した。輩は、学問皆無の、正真正銘のスパイである。

新秩序詳細は→大東亜戦争真実史観あらすじ

日本九九戦争詳細は→Ⅰ九九戦争を侵略と捏造

 軍人と国民を分断し、極悪軍人にだまされて死んだかわいそうな国民犠牲者。NHKや東大教授らは、かわいそうな国民犠牲者の味方ですと、偽善者振り、善悪史観で洗脳するが、しかし、戦争は先に殺さなければ殺される殺し合いで、戦時下では当然のことなのだ。しかし平和時では、敵味方すべてが極悪となる。つまり、つまみ食いのしかたで、いかようにでも善悪が入れ替わるのだ。

予備知識
 よしんば「戦争を止めたとしても」アメリカのみが敵ではない、水と油の「黄禍論白人連合」なのだ。世界征服が野望のソ連南下は必然。弱体日本と見るやいなや、終戦なのに征服したではないか、癌国すらも竹島を征服したではないか、あれが現実である。水と油の「黄禍論白人連合」ではあるが、米英が、日本に助力したかどうかは、はなはだ疑問である。見捨てた同胞アジアの支援は、当然無い。外堀埋めて(生命線の満州韓半島そして汪兆銘南京政府無くして)大国凶産ソ連と、どう戦うのだ。日本国内が戦場となり、唯物対唯心日本の戦いである、まさに、一億総玉砕の戦いとなっていたであろう。日本人は死に絶えていたかも知れないのだ。永野修身の御前会議の言葉、「大阪冬の陣の如き平和を得て、翌年の夏には手も足も出ぬ様な、不利なる情勢の下に、再び戦わなければならぬ事態に、立至らしめることは、皇国百年の大計の為、執るべきに非ずと存ぜられる次第で御座います」は、この事を語っているのだ!

 反共の砦日本が撤退するや否やソ連は、中国と韓半島を瞬時に支配した。アメリカと国連軍が総がかりでなんとか韓半島半分まで押し戻したが、66年後の現在も、停戦のままで終戦には至らず。これが史実。この史実が物語るのは、日本累積砦がいかに強大な反共の砦で、共和党フーバー大統領の見識がいかに正当で、NHKや東大らの御題目「不戦は平和」がいかに空論で、応戦は先憂後楽との、証明である。つまり、不戦=撤退すれば、見捨てた同胞支援は当然皆無の孤立無援、対「兵糧攻めカード所持者黄禍論白人連合」に、丸裸の日本などは潰えて、分断され、消滅していた!

 その時代の先人が、禍福を糾い、熟慮と苦渋の果てに下した先憂後楽の決断を、「たら、れば」の空論で非難は、子孫にあるまじき行為である!

 以下は、敵は善、極悪日本軍と敵味方転倒し、日本洗脳を続ける給料泥棒、スパイの巣窟、NHKと東大が繰り広げる、スパイ史観日本人洗脳の手口である。字幕は、NHK得意の強調し連想させての誘導洗脳部分である。

第一回・さかのぼり日本史・昭和・とめられなかった戦争・敗戦への道・2011年5月3日教育TV 
 題名からの洗脳である。現代でも資源封鎖(兵糧攻め)されれば、資源なき日本は窒息死で、当時も同じである。凍結された兵糧奪還のため、背後の敵となる真珠湾アメリカを叩いたのだ。侵略者は、兵糧攻めし宣戦布告した連合軍で、日本は防衛軍。日中戦争で疲弊し尽くしていた日本に、戦争拡大の理由などは、皆無。連合軍の傀儡、蒋介石と毛沢東との消耗(蒋毛)戦争で弱らせた日本を、連合軍がよってたかって潰そうとした、が、真相。「とめられなかった戦争」理由は、受動戦争の日本には無い。侵略者の、連合軍に聞くことだ。のっけから、日本が戦争を始めたと決め付け洗脳している。お門違いである!

スパイキャスター石澤典夫「今回はここサイパンからお伝えします。太平等戦争中サイパンでは、アメリカ軍との戦いで、日本人の兵士や民間人などおよそ5万人が犠牲となりました。また、終戦間際に、日本本土を空襲した爆撃機B29の出撃拠点となったのも、ここサイパンを始めテニアン、グアムといったマリアナ諸島の島々でした。今月のさかのぼり日本史では、戦前の昭和、日本はなぜ戦争を続けたのかをテーマに、4回シリーズで遡りながらたどっていこうと思います」

  さかのぼり日本史と冠しているのに、アメリカ命名の「太平洋戦争」呼称するNHK、米国史なのか?日本史なら、日本人なら日本国命名の「大東亜戦争」が、正しい呼称である!

字幕「旧米軍アズリー飛行場(サイパン国際空港)」今月のテーマ「日本はなぜ戦争を続けたのか」

 暗に日本が仕掛けた戦争と洗脳するためのNHK、単語の言い換えである。「5万人が犠牲」ではなく、侵略され「5万人が虐殺された」。「日本はなぜ戦争を続けた」のではなく、「アメリカが侵略虐殺戦争を続けた」。日本は兵糧攻めされ、兵糧確保(適者生存)に専念したにすぎない。

石澤「1945年の敗戦。1941年の日米開戦。1937年からの日中戦争。そして、1931年の満州事変です。ゲストご紹介しましよう。近現代日本の軍事と外交がご専門の、加藤陽子さんです。どうぞよろしくお願いいたします」

権威誇示字幕1「さかのぼり日本史・東京大学大学院教授加藤陽子・それでも日本人は『戦争』をえらんだ・『戦争の日本近現代史』など著書多数」黄門様の印籠、肩書き著書を掲げ、NHKの権威付け、「ひかえおろー、ここにおわすは東京大学大学院教授(正体はただの表音記憶のパブロフ犬スパイ)にあらせられるぞー」の場面である。加藤陽子は嘘を教え(給料泥棒)、嘘を書き(プロパガンダで洗脳)金儲けする、唯物スパイである。

石澤「さあ今回は、1945年の敗戦にまー、至るまでの道程をですねー、1941年のまー、日米開戦からたどっていくわけなんですけど、加藤さんはこの時代のどこに、このー、ターニングポイントがあったと思いますか」

加藤「そうですねー、敗色が濃くなっていく中で、えー、内閣そして軍部のみならずあるいは天皇までもがえー、どー、いかに戦争を続けるか終わらせるか、あるいはどのような負け方をするかということで、えー、逡巡していたわけです。その中で、1944年の6月のマリアナ沖海戦での敗北、そして7月のサイパン陥落、このような二つのえー、事象が大きなターニングポイントになったと思っております」

 「いかに戦争を続けるか終わらせるか」と能動を、善良な女子供に連想させて誘導し、能動戦争と洗脳。

石澤「それでは、1941年の日米開戦からそのターニングポイントに至るまでをごらんいただきましょう」

映像「真珠湾攻撃」字幕「太平洋戦争始まる」

語り「1941年12月太平洋戦争が始まりました。当時の総理大臣東条英機は、短期決戦による勝利を目指し、アメリカなど連合国との戦いにい臨みました」

 「戦いに臨みました」ではなく、「兵糧攻めされた兵糧を奪還し、日本国が生存するために、転戦した」。下記演説が国民の総意。「大東亜戦争」が日本人の呼称!

映像「東條英機演説『今こそ一億の国民が一丸となって立ち上がるべきじきであります』」

映像と字幕「ミッドウェー海戦」

語り「日本はアメリカと太平洋の戦略拠点で、激しい戦闘を繰り広げます。開戦直後、日本は快進撃を続けていましたが、半年後には形勢が逆転しました」

映像「玉砕報道新聞記事」

語り「1943年になると、日本が本土防衛の頼みとしていた太平洋の島々で、守備隊が全滅、玉砕が相次ぎました。そして1944年、戦いの舞台はサイパンを含むマリアナ諸島へ移っていきます」

 米軍にではなく、「玉砕」で日本軍に殺されたと連想誘導洗脳。

映像「サイパン島や、統治時代の灯ろう」

語り「サイパンは、第一次世界大戦以降日本の委任統治領となっていました。日本人はサイパンを護る軍人に加え、およそ2万の民間人が暮らしていました。日本の南およそ2400キロにあるサイパンは、本土を防衛するための重要な拠点でした。アメリカ軍に占領されると、長距離爆撃機B29による空襲にあうことは確実だったからです。アメリカは大艦隊を率いて、マリアナ諸島を目指していました。サイパンの日本軍はアメリカ軍の侵攻に備えて、兵力を増強します。中国戦線や本土から部隊を移し、陸海軍共同で守りを固めました。マリアナ沖では、海軍が大機動部隊で迎え撃つ作戦を準備していました。敗退を続けていた日本は、ここで一気に挽回をはかる勝負に出ます。昭和天皇はこの作戦に期待を寄せ、次のように語っています」

語り「日本海海戦の如き、立派なる戦果を挙ぐる様、作戦部隊の奮励を望む」

石澤「さーこのー、アメリカと戦う日本にとって、サイパンからどのような位置にあったのかを加藤さんに、こちらの図をもとにご説明いただこうと思うんですが、おねがいします」

権威誇示字幕2「東京大学院教授加藤陽子」と、権威付け(ヒカエオロー)で洗脳するNHK。

加藤「えー、日本の戦況が悪化する中で、1943年の9月30日という時に御前会議が開かれました。そしてカムチャッカの南、千島から小笠原、そしてサイパン、トラック諸島、ニューギニアを半分に切る線、マレー、タイ、ビルマというあたりまで、あの、実は、非常に広い範囲の絶対国防圏というものが設定され、その内側の防備を固めるという発想が生まれました。その防備の要衝となるところがサイパンであったということです。ですからまさに、サイパンがえー、太平洋戦争末期の大きなターニングポイントになったということになります」

語り「サイパンの南西部チャランカノア海岸、またの名を上陸海岸といいます。1944年6月15日早朝、アメリカ軍は上陸作戦を開始しました。日本軍は水際作戦で対抗しようとしましたが、アメリカ軍の圧倒的な火力の前に惨敗しました。アメリカ軍の大部隊は一気にサイパンへ上陸、日本軍は島の内陸部へと後退してゆきました。これに続いてサイパンの西で、マリアナ沖の制海権をめぐる戦闘が始まりました。日本は0戦などの戦闘機でアメリカの艦隊に攻撃を仕掛けますが、高性能レ-ダーなど、最新技術を導入したアメリカ軍に撃墜されてゆきました。このマリアナ沖海戦で、日本は空母や戦闘機の大半を喪失、海軍の機動部隊はこの時、事実上壊滅しました。サイパンに上陸したアメリカ軍の部隊は、日本軍が築いた防衛拠点を次々と攻略、生き残った兵士たちは島の北へ北へと敗走を続けました。武器や弾薬や食料は底を尽いていました」

会話「ヤドカリじゃないですか。あーずいぶん大きいですねー。6・7センチはあるのかなー。あっ動いてますー早いですねー」

語り「ジャングルに逃げ込んだ兵士たちが、飢えをしのぐために食料にしていたのがヤドカリでした」

石澤「貴重な食料になっていたんですねー」

語り「日本軍の兵士たちが最後にたどり着いたのは、この地獄谷と呼ばれる場所でした。司令官はここで兵士たちに、玉砕攻撃の命令を出し、自決します」

加藤「特にあのー、特徴的なのは、やはり指揮官がその、最後のバンザイ突撃ですか、玉砕攻撃を前に陸海軍側の司令官が自決するという、先に、もう、司令官が亡くなるという、これはやはり異常な事態ですね。諸君があのー、玉砕を見られないけれども、自分、先に死ぬという訓示をここで、戦陣訓と共にまー、俘虜になるなということをまー、言ってから先に、自決されるという」

語り「司令官が自決した翌日、およそ4千人の兵士たちが命令に従いアメリカ軍に突撃しました。手にする武器もほとんどなく、バンザイと叫びながらの玉砕でした。島に取り残された民間人の中には、自ら死を選ぶ人もいました、1944年7月サイパン陥落」

映像「婦人飛び込み自裁映像」

災害でその都度原点にリセットされた
 日本は、台風、水害、地震、津波と、世界屈指の天災多発高頻度列島である。幾たびも、物や宗教や権力等の人造が流され、着の身着のままひとしく生命体の原点に戻され、その都度、眼前に残った自然と、裸の原点で対峙した。そして神道が産まれた。神道の母は天災である。自裁は、後付の付け焼刃、「軍命」などではない!日本人DNAの襞襞に刻み込まれた、悲惨が産んだ神道である!

 植民地独立付与宣言(1960年)以前の弱肉強食戦国時代(資源なき小国日本の後手は必滅、先手以外勝利の術無し。先に攻めなければ攻められた)と、以後の戦後(侵略禁止)では死生観が異なった。

「神国日本」(1904年初版)ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著柏倉俊三訳注東洋文庫平凡社より

14忠義の宗教

 大石内蔵助の主君浅野候への報告文(泉岳寺蔵)は、「われわれのこの企図(あだ討ち)は殿のお気に召さないのではないかと懸念しましたが、殿の縁を食んでいたわれわれは、『汝の父または主君の敵とは、同じ天の下に住まず、また同じ土を踏まず』という言葉を、恥じることなしに繰り返すことはできませんでした。それにまた殿のご遺恨を晴らすのでなければ、あの世(黄泉の国)に参って、そこから、のこのこと、極楽においでの殿の御前に罷り出るわけにはまいりません」と思想を記し、

 「穏忍の毎日毎日が、われわれには三秋の思いでありました。実際われわれは一日を、いや二日間もつづけて雪を踏んで凌ぎ、ただ一食で過ごしてきたこともありました。老いて衰えたもの、病んで弱ったものが、喜んで命を捧げにでて参りました。世の中では、われわれの事を見て、いわゆる蟷螂の斧とあざ笑い、あのざまではご主君の恥の上塗りになるだろうと笑ったことでしょう。しかし、何と言われてもわれわれは復仇の初一念を捨てることはできませんでした。昨夜われわれは談合の末、上野介を護衛して、ただいまここ、殿のご霊前に参りました。この小刀(切腹時使用の品で、吉良上野介の首を刎ねる時使用した品)、これは過ぎた年、殿がご秘蔵なさっていた品、そしてわれわれにその保管をお任せなさった品、それをただいまここに持って参りました。もしも、殿の御霊が畏れ多くも今この墓前においでなのならば、一同のお願いでございますが、そのおしるしとしてどうぞこの小刀をおとり上げになり、敵の首をもう一度お討ちになって、お恨みを永久におはらし下さい。以上を、四十七人のものは謹んで言上申し上げます」と、主君が、まるで生きて眼前に居るかのように話しかけている。

 餓死者が多いとか、降伏が遅れたとか、玉砕や自裁や集団自決は軍命などと、同胞日本人を愚弄三昧だ。善悪史観(偽中国や癌半島や罪日は、自国は絶対善、日本は絶対悪である)なら、日本軍を責める前に、兵糧攻めして侵略し、追い詰め攻めた、敵の米軍をまず責めるのが万国の常識。しかも、その愚弄する日本軍とは、国民餓死回避のため、兵糧確保に、「太平洋の防波堤となりて」と、命を懸けた軍なのだ。全くの敵味方転倒論で、頭脳が狂っているか、思考回路欠損のパブロフ犬か、スパイである。「なぜどうして」と調べれば、すぐ解ることである。

 加藤陽子愚弄解釈「先に、もう、司令官が亡くなる」は、突撃に足手まといの老体なので、先に死んで護った。「神道」無知、学問放棄空教授との、白状である。下記は「訓示」の抜粋。戦陣訓「生きて虜囚の辱を受けず」は、訓示の補足強調文として用いたのだが、「悠久の大義」の「公」と、「虜囚の辱(本意は軍法違反だが、ここでは捕虜となる辱めの意味で使用)」の「私(我欲)」との、公私混同となり、逆に「大義(公)」がボケた。「死は、或るいは泰山より重く、或いは、鴻毛より軽し」が、訓示にそった、最適な文であろう。粗探しや愚弄等が仕事ではなく、「なぜどうして」と「実事求是」するのが、教授本来の仕事である。教授の仮面をかぶった詐欺師など、百害あって一利無し!

 将兵はこれらを得て、子孫に崇拝される祖先神となるために、獅子奮迅の戦いをした。司令官は先に逝く事で神となり護った。

1944年7月3日サイパン島守備隊南雲忠一、斉藤義次中将連名「サイパン守備隊与える訓示」

 「断固進んで米鬼(べいき)に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱を受けず()』。勇躍全力を尽くして従容として悠久の大義()に生きるを悦びとすべし」

 「戦いには敗れたが、今度は死んで太平洋の防波堤となり、日本を護る」。死して後、神(祖先紳)となり、国(子孫)を護る思想(鎮守)は、日本古来の伝統で、真田雪村(1567~1615)等も 、勝ち目無き戦いに参戦し、戦死した。玉砕もサイパン自裁も沖縄集団自決も、「古代から連綿と続いた神道」が起源の、生死を超えた唯心で、軍命ではない!唯物東大加藤やNHKは、「日本伝統の神道」、無知の馬鹿か、隠蔽のスパイ。

 サイパンの白骨兵手帳の文字「4日間包囲を受くるも吾びくともせず、中隊の戦友皆戦死し吾一人なり、塩は少しもなし。三島市島田、古沢美恵子殿 貞吉

 名も無き一兵士の末期の文字にも、恨みつらみなど一切皆無で、家族や国思う心のみで溢れている。子孫なら、この末期の声なき声を、己が心の琴線で、感じとることが出来得るはずだ!

米軍皆殺し作戦

陥落後512日戦い

1アッツNHKスパイ手口詳細

戦陣訓誤用引用詳細は下記参照

生きて虜囚カウラ戦陣訓に非ず

「神国日本」前掲書より引用
「14忠義の宗教

 平田篤胤は、「死者はことごとく神になる」と書いている。すなわち善人は善神になり、悪人は悪神になった。

 日本の祖先の祭祀は、いまだそこには祖先崇拝全般に共通する特長を多分に持っている。そこには三つの信仰が見られるが、これらは、あらゆる気候風土に存続している祖先崇拝のすべての形式の土台となっているものなのである。

一、死者は、この世に残っている。その墓どころや、またそのもとの住居のあたりに屯(たむろ)して、目には見えないけれども、現在生きているその子孫といっしょになっている。

二、死者は、超自然の力を持つという意味では、ことごとく神となる。しかしその存命中にきわだっていた性質は、やはりそのままそれを持っている

三、死者の幸福は、いきているものの捧げる敬神的奉仕の如何にかかっている」。

 「われ、身をもって太平洋の防波堤たらん」太平洋部隊はこれを合言葉にし、唱和していた。「私は玉砕しなかった」投降兵横田正平(朝日新聞記者)著。これは皆が蟷螂の斧であることを知っていた証で、現世では武運つたなく敗れるだろうが、来世では祖先神となって護る、決意といえる。

 弟橘媛(おとたちばなひめ)、赤穂浪士、大国日清日露との戦争、大東亜戦争、団結、八田與一妻外代樹の自裁、サイパン自裁、玉砕、サイパン兵士の末期の文、沖縄集団自決、特攻等、上記思想を当て嵌める事で、すべてが画竜点睛となる。九九年戦争日本隆盛の術は、神道で、過去においても、「日本に神道なかりせば、日本国無く、日本族の単語さえも残っていなかっただろう!」と、いえる。

 石原都知事は、戦艦大和に最後の出撃命令を下した大本営は阿呆で、大和は可哀想発言は、浪花節他虐偽善者発言で、次元が異なる。“戦わざれば亡国、戦うもまた亡国”が全く解っていない。強大な敵相手に勝ち目の薄い戦いは、日清日露大東亜戦争国民も兵士も皆承知済み。玉砕特攻自裁がその証で、大和も同じなのだ。神道を理解した唯心子孫で、心に琴線があれば皆解る。海軍惨敗が直接の敗戦起因、彼らは最後の手段、来世の祖先神となり、護ろうとしたのだ。愚弄することなど出来得ようか。

 大江も裁判官も加藤陽子も、集団自決は軍命と死者を侮辱している。軍命で死ぬなどは物語の世界のことで、現実界に、軍命で死ぬ馬鹿などいない。唯心神道無知、現実界無知の馬鹿三人は、いずれも文系パブロフ犬、超温室界(作家、司法官、教授)住人である。

 資源封鎖やブロック経済で兵糧攻めされなければ、適者生存可能なので、日本は、兵糧確保の戦争などしなかった。東大犬やNHK犬、スパイとの、自白である。スパイでないのなら、NHKや加藤は、東大記憶馬鹿パブロフ犬の典型で、馬鹿は死ななきゃ直らない。まさに大江や加藤等の、東大馬鹿に付ける薬は皆無なのである。

 侵略者米軍対自国防衛日本軍ではなく、日本軍の粗探しをすることで、侵略者米軍糾弾を隠蔽し、加害者軍人対被害者国民にすり替えた。

 戦陣訓詳細は下記参照。

生きて虜囚の辱辞書捏造断定

 玉砕詳細は下記参照

1NHKスパイ白状アッツ島玉砕

 「死んでも防波堤となり国を護る」は、自己犠牲防衛である。ワルシャワも、ワルシャワゲットーも、強大な敵と戦い、老若男女自己犠牲防衛で死んだ。護国(家族死守)は無条件で、条件(勝敗や国力差等)など無い。誇り高き唯心民族なら、共通の思いである。日本軍粗探しではなく、「なぜどうして」と考え、検証し、極めて教えるのが、学者教授の仕事で、スパイ工作ではない!

極悪NHK上日本洗脳犯日凶会捏造子孫

語り日本が、戦争を続けるための絶対国防圏が崩壊しました。その直後、東條内閣は総辞職。だれがいつどのように、戦争を終わらせるのか太平洋戦争は大きな転機を迎えます」

 「絶対国防圏」を日本が、戦争を続けるための」とすり替え、連想誘導洗脳。「戦争を終わらせるのか」は、戦争仕掛け人能動連合国で、戦争受動の防衛軍日本ではない!これも連想誘導洗脳。「大東亜戦争」が日本人の呼称!

映像字幕「タナパグ海岸・サイパン守備隊の日本兵玉砕の地」

 玉砕を強調し日本軍に殺されたと連想させ、洗脳

石澤「このマリアナ沖海戦の敗北、そしてサイパンの陥落というのは、どんなターニングポイントになったんだという風に、先生お考えですか」

権威誇示字幕3「東京大学大学院教授加藤陽子」権威付け(ヒカエオロー)で丸暗記強制洗脳するNHK.

加藤「そうですね、アメリカ軍がそのー、B29が飛び立つ飛行場の整備に入るということで、もう、2400キロという距離が、日本の本土に如実に迫ってくるという、そういう大きなターニングポイントだったと思います」

石澤「この時期そのー、こうした戦況ですねー、一般の国民にはどんな風に伝わって、どんな風にこう受け止められていたんでしょうか」

加藤「これ、以外なんですけど、たとえば新聞に関する陸海軍のこう、検閲規則というのはどんどん厳しくなっていくんですね。そうすると、国民としてはそのー、サイパン陥落という実態についてはあまり解らなくても、これはどうもよくない事が起きてる。で、それはやはり、内閣としてもその戦争を嫌う、疎う、厭戦感というものに非常に敏感でした。ですから当時の資料でもえー、内務省の警護局の特高警察というものが、報告書を残していますが、その中に、やはり微妙な国民の、戦争への受け止め方の変化が、解る資料もあります」

石澤「でー、そのー、実はそのー、特高警察がまとめた特攻月報というのがありまして、昭和18年の3月号に記載されていたある若い労働者の発言なんですが、ちょっとご紹介しようとおもいます」

若い労働者「此の戦争は勝っても負けても、働いてその日の生活をして居る自分たちの様なな労働者や、その日稼ぎの小商人達には、何の影響もないのだから、早く日本が負けて、戦争が済めば良い。どうせ困るのは、金持ちや上の人丈(だけ)で、自分達は、どちらになっても、大した変わりはない」

 凶産的発言で、隠れ凶産か、兵隊検査で弾かれた(若く健康な者は皆兵役)者の、極少数発言。兵糧攻め(ABCD包囲)され、降伏要求(ハル・ノート)され、国民の兵糧確保のために起きた戦争なので、異常発言である。このようにつまみ食いすると、大多数のように感ずるので、洗脳される2につづく⇒

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真実史観2遡り選り食い日本史能動戦争と捏造ディレクター制作統括名隠蔽NHK

石澤「まーこうやってうかがっていると、なぜこの時に、日本は戦争をやめることはできなかったんでしょうか」

加藤「そーですねー、当時アメリカが無条件降伏ということを日本に言っていました。そうしますとその条件ですと、軍隊の解除、あとは戦争指導者の処罰などが予想された。それを避けるような、少しでも良い条件をうるための、作戦の一撃、大勝利を挙げたいって、そこが一つあったと思います。それから、これは今意外かもしれないんですけれども、戦争の戦う面は広かったですね。南はこうだ、だけど北の中国東北部の満州においては鉄鉱石や石炭の生産量のピークが、1944年の6~7月にきているような事実もありました。ですから最も熱心に戦争を継続したいという人にとっては、ひじょうに都合の良いデーターが提供されてしまう」

字幕無条件降伏を避けるための作戦の一撃大勝利を期待」

字幕「満州の鉄鉱石や石炭の生産量1944年6~7月」

 と、強調することで軍部の私欲で殺されたと誘導洗脳

石澤「はー、資源はあるんだぞと!このすうじをみろ!と、うーん」

加藤「そーですねー、それが大きかったと思います」

 この二人は、命がけの先人を、おちょくっている!戦争仕掛け人は連合国(米英仏蘭ソ)で、日本ではないので、「日本は戦争を止めることはできなかった」のは当然のことである。不足は石油で、「鉄鉱石や石炭」ではない。日本が戦争を仕掛けたと国民を洗脳している。

語り「1941年11月、マリアナ諸島に建設されたアメリカ軍の基地から飛び立ったB29によって、日本本土への空襲が始まります。当初は、主に軍需工場を目標とした爆撃で、航空機の生産拠点などが破壊されました。これに対し、国内ではいぜんとして徹底抗戦が叫び続けられます」

映像「空襲映像」

映像・学校の先生「皆さんわれわれは奢れる米英を撃滅して本当に復讐しなければなりません」生徒「はい先生、僕たちはきっと米英を滅します」○「しっかりやれよ」生徒「はい」

語り「日本をいかに早く追い詰めるか、アメリカ人は日本人の戦意をくじくため、住宅密集地を狙った作戦に軸足を移してゆきます。1945年3月の東京大空襲から、全国各地で大規模な無差別爆撃が行われるようになりました。多くの人が、家を焼かれ多くの命が失われました。しかし、それでも戦争は続けられました。そして8月、サイパンのとなりの島テニアンから、原子爆弾を積んだB29が飛び立ちました」

映像「大空襲」「原爆投下」

字幕「8月6日広島に原爆投下」「8月9日長崎に原爆投下」「8我月15日玉音放送」

 いぜんとして」とは、いまだに降伏しない受動戦争の日本が悪い?「日本人の戦意をくじくため」などと、まるで米軍の言い訳を代弁している。NHKは米軍放送局か?そうではなく、「侵略され、無辜の日本人非戦闘員老若男女我、米軍に嬲り殺されました」だろう。「多くの命が失われました」ではなく、「米軍に虐殺されました」だろう。米軍にではなく、降伏しない日本軍に殺された(多くの命が失われました。しかし、それでも戦争は続けられました)と、主格転倒強調することで、侵略者米軍隠蔽、悪いのは降伏しない日本軍とすり替え、極悪軍と捏造強調

ヘレンミアーズ(米国人)「アメリカ人の鏡・日本」より抜粋
 「三月の東京爆撃を初めとして、わが陸軍(米軍)は、主としてその攻撃を、日本軍にではなく、その民衆に対して敢行した

 七月中に、右基地のB29のみで、五万トンの爆弾を、39の工業地域及び13の工場に投下した。

 我が(米国)報道員諸氏は、戦闘の記述にスポーツ用語を記述する英語流の習慣に容易に染まり、『良い狩猟』とか『喪中の獲物』とか、『マリアナの七面鳥撃ち』などといっている。この熟語を、こだわって使用したからには、7月の無辜の民衆への爆撃をはじめとして、我々(アメリカ)は、『巣籠り中の鴨』を撃っていたのだ、といっても過言ではない」

語り「日本はポツダム宣言を受諾し降伏します。天皇による玉音放送で、戦争の終結が国民に伝えられたのは、1945年8月15日のことでした」

石澤「まー、こうして戦争の終結が遅れたことで、数え切れないほどのねー、事につながっていってしまうわけですねー

 1945年4月7日鈴木貫太郎内閣、ソ連に終戦工作仲介依頼。ソ連拒絶。交渉依頼拒絶したソ連が、米英と密通して握りつぶした。戦争仕掛け人が連合国であることはこれでも明白である戦争の終結が遅れた=犠牲者が出る=日本極悪軍が遅らしたからと、国民を連想洗脳。NHKも石澤も、東京大学大学院教授も、当然真実を知っている。知ってて隠蔽している!悪質である。まさにスパイそのものである。

権威誇示字幕4「東京大学大学院教授加藤陽子」しつこく又権威付けヒカエオロー)するNHK。

加藤「そうですねー、あのー、東京大空襲を考えてみても10万ですか、広島の原爆がえー、14万、長崎が7万、そしてその他の都市への空襲。今までの全体を合わせますと、民間人の犠牲者が50万人と言われてます。そしてサイパンの失陥「しっかん(落城)」。陥るという。サイパンが陥ちてからの犠牲者だということに、注意しなければいけないですね」

字幕民間人の犠牲者は50万人

 アメリカの「巣籠り中の鴨撃ち」で、亡くなった犠牲者

石澤「絶対防衛権が崩れて以降、ていうことになるわけですねー」

加藤「そうですねー、絶対防衛権が崩れて以降ですねー。そして兵士ということに関しましても、あのー、兵士の戦死者は230万人と言われてますが、その6割が戦闘ではなくて、餓死なんですねー。絶対国防圏の外部に置いていかれた部隊もしくはその中であっても、補給が追いつかない餓死者が6割。これはもう、異常な事態だと思います」

 餓死は、兵糧攻めし、ハルノートで降伏要求したアメリカ(能動)が、祖国防衛兵糧確保に奮戦日本軍の、補給網を断ったためで、日本軍(受動)の責任ではない。能動戦争アメリカ等の連合軍に、すべての責任有り。日本が故意に補給しなかったから(補給が追いつかない餓死者が6割)と連想させて、「これはもう、異常な事態」と強調する誘導洗脳で、首魁アメリカ等の連合軍を、隠蔽、巨魁極悪日本軍と、洗脳した。

字幕「兵士の戦死者6割が餓死」

 餓死強調し連想喚起。餓死主犯は降伏遅れた日本軍と主格転倒誘導洗脳

石澤「そしてとても興味深いというと語弊がありますが、注目をしなければいけない数字があるんですねー。こちらは岩手県出身の兵士のまー、戦死者の数ですねー」

加藤「このグラフ、44年から45年の数を足してみますと、最後の一年半で9割が亡くなっている。これはやはり戦後遺族の方、ひじょうに複雑な気持ちをもたらしたと思います。やはりこう、国民の中で、どういう戦争でどういう苦しみを受けたか、その気持ちが最後の一年半で、ある種、戦争体験の上書きと言うんでしょうかそういうものがなされたんじゃないかと、私はおもってますね。ですから、政府の側は戦争はすべての国民が等しく受忍するものだ、受忍とは受ける忍と書くんですが、それだけでは済まされない。たとえば、もちろん戦死者の遺族には、大変な思いはあった。しかし遺族には、遺族年金というようなもの、これは累計で50兆円位が政府から支払われてきた。しかし、その空襲被害、特にこの民間の空襲被害者、これは何も賠償もされていないわけですね。で、近年これに関しての、あの、様々な不公平感が明らかになっています。恐らく私は、このあたりが、日本が、こう、アジアに対して戦後責任を素直に認められないという気持ち、自分たちはこんなにひどい目にあったというその気持ちの強さが、あの、強く残った戦争への終わり方の道だったと。だから、大変これは大きな影響を与えていると思いますねー」

映像「合計30.724人」

 「最後の1年半で9割が亡くなっている」と強調することにより、「戦争終結できなかった日本に責任有り」を連想させる誘導洗脳で、首魁アメリカ等の連合国を隠蔽し、極悪日本軍と洗脳。日本は自国領での防衛戦、攻めてるアメリカに終結責任有りは、明白。主客転倒である。「民間の空襲被害者」の加害者は米軍

字幕「最後の1年半で戦争体験が上書きされた」

 なんともまー婉曲な、戦争誘導洗脳熟語

石澤「さて、太平洋戦争マリアナ沖海戦で敗北し、ま、サイパンが陥落しても、日本は戦争を終結させることができませんでした。ま、その後の日本本土への空襲、そして原爆などま、未曾有の戦争被害を考えますと、まー、極めて重大なターニングポイントとなったということを見てきたわけです。では、そもそも日本はなぜ圧倒的な国力の差のあるアメリカと戦ったんでしょうか。次回は日米開戦に遡ります」

字幕「昭和止められなかった戦争第二回日米開戦決断と記憶」

語り「次回は日米開戦の道を選んだ日本人の意識に迫ります」

 ??どうしたのだろう??ディレクター?制作統括?の記載が無い!NHK教育は記載無しか?それとも、国民の非難ごうごうなので、知らぬが仏の脳天気男(石澤典夫)女(加藤陽子)を矢面にし、隠れたのか?なんとも小ずるいNHKスパイの正体だ!

 NHKと東大大学院教授は、「圧倒的な国力の差のあるアメリカと戦った(能動)」と、捏造。受動戦争を、能動戦争と捏造するため、予告でも連想誘導し、洗脳した。「道を選んだ」のではなく、兵糧攻めで宣戦布告、ハルノートで降伏命令(能動戦争)されたので断固拒否し、「応戦(受動戦争)」、祖国防衛に一丸となった。

 「日本人はなぜ戦争へ向かったのか・上」NHK出版2011.2.でも、NHK製作統括角英夫は、「『戦争を再び繰り返さない』・・・同時に戦争に至ったプロセスへの検証を怠らず広く共有することが『再び繰り返さない』という命題に直結するはずです」などと、世迷いごとを述べ、スパイを自白している。

 検証したようにNHKや東大等の言葉と文字界は、能動戦争極悪日本軍と決め付け、だまされたかわいそうな日本国民とし、日本分断。そのかわいそうな国民の味方が、NHKや東大等の言葉と文字界というような仮想物語を作り上げ、一様に偽善者を演じ、スパイ工作をしている。そしてさらに、捏造が新たな捏造を生み「戦争を繰り返さないために」などという珍標語を生み出しているのだ。言葉と文字界、馬鹿の極みでスパイの自白である。日本は受動防衛死活戦争、連合国のような、能動出稼ぎ戦争ではないのだ。「戦争を繰り返さないために」は、能動出稼ぎ戦争連合国への標語で、受動戦争日本への標語であろうはずが無いことは、ABCD兵糧攻め宣戦布告、降伏命令書ハルノートで、明々白々である。なんともまー、知らぬが仏お粗末スパイである。敗残の将皆語らずに付け込み、無辜の国民を洗脳し、本を売り、ふんぞり返ってのスパイ・税金泥棒二重生活で優雅なのが、東大文系(癌惨巡、加藤陽子等)、NHK(角英夫)等の、言葉と文字界、犯日の輩である。

 戦後復職の赤化成金教授に66年間も赤化洗脳された日本人。徳川の歴史も下善上悪(赤化)と洗脳された。日本開闢から終戦までの日本唯心思想は、戦後復職赤化教授によって、唯物凶産洗脳(下善上悪)され、狂ったのだ。66年間何一つ無検証の給料泥棒や詐欺師の文系スパイ教授や、学者や、作家や評論家やNHKやTBSやTV朝日等の狂った輩を、直ちに一掃し、日本真実の歴史再構築が日本隆盛の第一歩。

 我々子孫の使命は、こんな偽善者スパイの捏造(国民は軍隊の犠牲者)では無く、能動戦争連合国と、かくまでして一丸となり、国(家族故郷国旗国家象徴天皇)を護り戦った、血と汗と泪を語り継ぐと同時に、先人愚弄のNHKや東大文系等の犯日スパイを、大至急一掃することである。

 地震津波風水害、天災の坩堝日本から逃げずに、その都度助け合って復興してきたのが日本の歴史だ。資源無き日本は、降伏すれば、中国等の食民治以下になることは明白であった。判っている災難(征服された悲惨な子孫)を眼前にし、しかも、アジアの同胞(中国南京、満州、台湾、朝鮮、南洋諸島)を見捨てて、戦いもせずの降伏選択は出来得たであろうか?否である。強大な敵に対して、唯心の自己犠牲(台湾朝鮮は志願兵で、日本国民は皆兵)で立ち向かった。日清日露大東亜戦争、勝ち目の薄い戦いは皆同じで、国民も兵士も承知済み。いかに戦ったかの自己犠牲が、先人の思いとなった。それを、可哀想無駄死に犬死と愚弄し、意志無き受動ロボット呼ばわり。戦ったのは、汪兆銘南京、満州、台湾、朝鮮、日本の家族を、中国等の食民治同様にしたくなかった、ただそれだけの事である。日本九九戦争、すべてがそうであった。子孫の私にはそれ以外の思いは無い。

 敗残の将皆語らず。選択肢無く、先憂後楽ゆえの蜂起、そして敗戦。語りたくても語れなかった無念を語り、晴らすのが子孫たるゆえん。それが、真の子孫教授やNHKの仕事だろう。子孫にあるまじき行為、スパイは子孫に非ず!

第2回・さかのぼり日本史・昭和・とめられなかった戦争・日米海戦・決断と記憶・5月10日

 文系東大は無菌培養室。教授すべてが知らぬが仏。加藤陽子は東大大学院教授でも歴史学者でもない。下手な善悪浪花節語り。戦前戦中の戦国時代の先人の覚悟は異なる。戦後の解釈、軍の関与ではない。より食いつまみ食いせず、あまねく、事実真実を語るのが歴史だ。
 題名から捏造連想誘導洗脳している、「とめられなかった戦争」=能動と。日本は兵糧攻め脱出の防衛(受動)戦争

スパイキャスター石澤典夫「・・・今回も、ここサイパンからお伝えします。ここは、町の中心部にありますアメリカンメモリアルパークです。サイパン戦で亡くなった、アメリカ軍兵士のモニュメントや、戦争の資料などが展示されている、アメリカの国立公園です」

字幕「今月のテーマ・日本はなぜ戦争を続けたのか」

 捏造連想誘導洗脳である。「日本はなぜ戦争を続けたのか」は、能動出稼ぎ戦争のアメリカに聞け!

石澤「日本はなぜ戦争を続けたのかをテーマに、戦前の昭和を遡る今月のシリーズ。前回は敗戦に至る道のりを、太平洋戦争末期のマリアナ沖海戦の敗北をターニングポイントとしてみてまいりました。そして今回は、そもそも日本は、なぜアメリカと戦争することになったのか、この日米開戦に至るまでの道のりをたどっていこうと思います。ゲストをご紹介いたしましょう。東京大学教授の加藤陽子さんです。加藤さんは、この日米開戦に至るまでのですねー、どういう側面に注目されますか」

権威誇示字幕1「東京大学大学院教授加藤陽子」おなじみの権威付け(東大教授にあらせられる、ひかえおろー)するNHK

スパイ加藤陽子「まずは、日本は圧倒的な国力差のあるアメリカと戦争を始めるに至ったのか、そして次に中国をめぐる経済的利害の深化で、日本とアメリカが対立を深めるその側面。とりわけ」

石澤「日本だけではなくその間に中国があったということですねー」

加藤「そうです、中国をめぐっての経済的利害ですねー。とりわけ指導者、戦争指導者のですね。内面、これに注目して、えー、いきたいと思います」

 捏造連想誘導洗脳である。「戦争を始める」ではなく、「圧倒的な国力差のあるアメリカに攻められた」。「戦争指導者」ではなく「護国指導者」。

映像「日中戦争」

語り「1937年に始まった日中戦争。戦いは中国全土に拡大し、長期化していました。日本に徹底抗戦する中国を支援していたのは、鉱物資源の取引などで、経済的な関係の深かった欧米諸国でした」

字幕徹底抗戦する中国を支援したのは経済的な関係の深い欧米諸国

 「経済的な関係」ではなく「食民治支配中国利権」。「日本に徹底抗戦」は凶産毛沢東のみで、孫文、蒋介石(西安事件まで)、汪兆銘、馬賊等、ほとんどが「協調」。「日本に徹底抗戦」は捏造連想誘導洗脳である。

字幕「南部仏印進駐」

 ドイツに降伏したフランスのビーシー政府に交渉し。日本軍北部占領。英国とも交渉し、ビルマルート閉鎖成功。だが、米国が介入して白紙となり、ABCD兵糧攻め。

字幕「早期開戦の軍部指導者は御前会議で『短期決戦なら勝算はある』

語り「日本軍は、欧米から中国への補給ルートを遮断するため、1941年7月フランス領インドシナ、現在のベトナム(サイゴン)へ侵攻します。そこには、南方の豊富な資源の確保というねらいもありました。これに対しアメリカのルーズベルト大統領は、強硬な姿勢を打ち出します。アメリカ国内にある日本の資産を凍結。さらには石油の輸出も全面禁止。アメリカの対応に日本は大きな衝撃を受けました。追い詰められる前に戦争を始めるべきだ。アメリカとの早期開戦を唱える軍部の指導者は、9月の御前会議で、短期決戦なら勝機は有ると、うったえます。この席で昭和天皇は、37年前の日露戦争の時に明治天皇がつくった歌をよみ、自らの心境を伝えました」。

四方の海

みなはらからと思う世に

など波風のたちさわぐらむ

語り「アメリカとの戦争を避けることはできないのか。天皇は外交交渉による問題解決に託していました」

 弱肉強食時代を隠蔽しての洗脳である。日中戦争は、英米仏蘭が傀儡蒋介石、ソ連が、傀儡毛沢東を支援したため、泥沼化(長期戦)したのであって、支援がなければ、南京陥落で終焉であった。
 1937(昭和12)年7月に勃発したシナ事変の推移は、1938年12月までには、首都南京をはじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、蒋介石・毛沢東の資金源、アヘンも押さえ、中国独自の継戦は、不可能な状態となっていた。従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうはならなかった、米・ソ等が「対日戦継続を条件」に、武器・資金援助を行ったからである。

対中国への食民治主義と凶産党の支援
 米国1927~1941・4億2000万ドルの援助。1941年開戦後に17億3000万ドル援助。英国1939年~1940.2000万ポンドの借款。ソ連1億5000万ドルの援助。その他数回援助。フランス1938年1億5000万フランの借款。1939年9万6000フランの援助(蒋介石支援ルートへの援助)。西安事件(1936年12月12日)、国共合作②(1937年9月)となり、日本南京占領(1937年12月)以後、資金源アヘンを断たれた蒋介石・毛沢東の裏に隠れ、本格的に援助したため、終わりの無い戦争となった。反共戦争なので日本は引き下がれず、長期戦となった。戦後WGIPが洗脳した正義開放の連合軍は、真っ赤な嘘。食民治主義と凶産党は中国に隠れ、寄ってたかっての日本・中国(有色人種)潰し、食民治化が真相なのだ。1941年7月フランス領インドシナ進行の背景である。これを隠蔽し「南方の豊富な資源の確保というねらいもありました」とNHK様が語れば、無辜で善良で無知の女子供は、「侵略者日本」と瞬時に洗脳される。

ABCD資源封鎖で兵糧攻めが大東亜戦争の起因・ヘレンミアーズ著「アメリカ人の鑑・日本」より
第三章の1
 パールハーバー以前は、経済封鎖に対する日本の脆さを知っている人なら、日本が大国にとって軍事的脅威になるなどということを、誰も本気で考えたことは無い。日本は近代戦のための重要物資をすべて輸入しなければならないのだから、物資の補給が遮断(兵糧攻め)されれば、戦争機関は自動的に停止してしまう。しかも、日本は食糧も輸入しなければならないのだから、海上輸送路が遮断(兵糧攻め)されれば、通常の国内経済は麻痺する。

第二章の2
 パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んでし仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に裁くことはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争(兵糧攻め)への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。パールハーバーは青天の霹靂ではなく、然るべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ち出した「凍結令」である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係を全て断絶した。日本は輸入必需品80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は、日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息死を(餓死)意味するものだった。

 凍結(兵糧攻め)は、アメリカ国内だけではなく、三宗主国領内全資産。つまり、独伊タイを除くすべての国が、兵糧攻めをしたことになる。以上のような背景があったため、座すれば確実に日本は餓死なので、糧食や資源奪還確保に、三宗主国領内に進出しただけであり、生命体なら当然の行動である。

苦渋の至言!隠蔽された「軍部の指導者」の、陛下御下問に対しての、奉答
 「陛下は、懐中から明治天皇作にかかる和歌を記した紙片を取り出して読み上げられ、さらに『余は常にこの御製を暗誦して故大帝の平和愛好の御精神を紹述しようと努めてめているものである』と付言された」「太平洋戦争への道」角田順著

奉答・永野修身(1880~1947・日露戦争時は24~25歳)軍令部総長
 「・・・尚一言附け加へたいと思ひますが。平和的に現在の難局を打開し、以って帝国の発展安固得る途は、飽く迄努力して之を求めなければなりませぬ。決して、避け得る戦を是非戦はなければならぬと云う次第ではございませぬ。同時に又、大阪冬の陣の如き平和を得て、翌年の夏には手も足も出ぬ様な不利なる情勢の下に、再び戦はなければならぬ事態に、立至らしめることは、皇国百年の大計の為、執るべきに非ずと存ぜられ次第でございます。

 本日申し述べましたる中、作戦に間しますることは、戦争避くべからざる場合に対する所見に付き、之を開陳したる次第であります」「太平洋戦争への道」別巻資料編512P(原文カタカナで句読点無し)

 加藤陽子は頓珍漢解釈を自著でご披露だが、「大阪冬の陣の如き平和外堀を埋めた無防備丸裸の城=外堀(台湾南京満州朝鮮)無き、資源無き、丸裸日本の意味である。護国(家族死守)は、条件皆無の無条件!時は戦国謀略時代、護国第一義の臣として、当然の発言なのである。

 ちなみに頓珍漢Ⅱ。加藤陽子の印籠、「日本切腹中国介錯」=「資源無き小国日本の兵糧攻め」は、日本の弱点を知らない女子供は驚くだろうが、当時も現在も常識加藤陽子は、胡適の「日本切腹中国介錯」論発表は1935年としているが、当時は日本と協調し、反共で、毛沢東を「最後の5分間」まで追い詰めていた時期で、全く整合しない。日中戦争は西安事件(1936年12月12日)、そして二回目の国共合作(1937年9月)180度転向以後のこと。転向以後の弁明論としてなら整合するが、加藤陽子1935年説は、東大とNHKの、洗脳目的の、陰謀。詳細は後半で。

 NHKと東大大学院教授加藤陽子は、これらをすべて隠蔽し、無辜で善良で無知の女子供を、「『日露戦争の記憶』を持つ指導者が、戦争を引き起こした」と、洗脳した3につづく⇒

真実史観3遡り日本史NHKスパイ石澤典夫と東大日露勝利の記憶が起因と捏造洗脳

石澤「そもそも日本は、アメリカとの戦争をいつ頃から意識していたんでしょうか」

権威誇示字幕2「東京大学大学院教授加藤陽子」権威付け(ヒカエオロー)するNHK。


加藤
「これは意外なことに、日米開戦の1941年の20年前ほどに当たる」

石澤「20年も前!」

加藤「ええ、1920年代から意識していたと思います。国防という点と、えー、経済という点。まーなぜそう意識していたかと言える事ご説明しますと。国防という点では、1923年に帝国国防方針というものを改定します。そこで国防方針の第三条で、えー中国をめぐる経済的な利害の対立が日米で高まる。こういう言葉が日本側の方針の中に入ってきます」

石澤「すでに20年も前から。つまり、日米いきなり二つの関係じゃなくて、中国、これを挟んでの経済的な側面をすでに注目をしていた」

加藤「そうです。特に、まさにその経済ということでいえば、1930年代になりますと、中国における、あの、イギリスの力というものがだんだんヨーロッパの緊張で落ちてくる。そうしますとそのー、イギリスの力を埋める部分として、じゃあ地理的に有利な日本、そして今度は資本力の力を生かしたアメリカ。その日米の中国においての角逐(競争)、利害の対立が激しくなるということが言えると思います」

字幕「中国におけるイギリスの力が落ちる」

字幕「地理的に有利な日本・資本力を生かしたアメリカ」

字幕「日本の中国における角逐利害の対立が激しくなる」

 凶産ソ連、食民治中国が隠されている。「経済」は婉曲表現で、欧米宗主国とソ連は「権益」で、日本は、対凶産ソ連「防衛」が正しい。欧米宗主国はソ連を、「凶産」と見抜けず、「共産」と見誤り、戦後やっと「凶産」と気付き、「冷戦」となった。欧米宗主国は、日本の「対凶産ソ連防衛」を、欧米宗主国の「権益侵害」と見誤ったため、日中戦争。大東亜戦争となった。食民治主義と凶産主義経済圏連合との大戦争となったので、日本は、「防衛」を東アジアに拡大し、両者とは異なる、第三の経済圏、大東亜共栄圏樹立を目指した。これが大東亜戦争の真相である!

石澤「その二つのまー、利害の対立がやがて戦争へと、そのことはすでに20年も前から日本考えていたと」

加藤「えー、日本だけではなく、やはりアメリカの側も、1924年にやはり戦争計画というものを対日で建てます。ですからこれ、くしくも同じ時期に、これは最悪の可能性ですけれども、経済をめぐる問題で、日米が対立するだろうと両国が意識し始めてたということだと思います」

字幕「1924年アメリカも対日作戦計画『オレンジ・プラン』を採択」

幕「同じ時期に経済問題での対立を日米が意識」

 1920年代からの戦争意識」と、しつこい強調は、それ以前は平和な時代と女子供に錯覚させ、日本を「侵略者」にするための強調で、連想誘導洗脳である。開闢からの弱肉恐縮戦国時代で、日本開国時には、タイと日本以外は、すでに占領されていた

石澤えー開戦時、それでは一体どれほどのねー、日本とアメリカ、この差があったのか、こちらをちょっと見ていただきたいと思うんですが」

映像「日本とアメリカの国力差(開戦時)

国民総生産・12倍

鋼材・17倍

自動車保有台数・160倍

石油・721倍」

石澤「さーこの数字、ちょっと驚くべき数字だと僕は思いますけども」

加藤「そうですねー、国民総生産12倍。そしてあのすべての重化学工業、そして軍需工業の基礎となるこれが、鋼材17倍、自動車が160倍、石油が721倍、これは大きいですねー」

石澤「実に721倍。こういう違いがある国なんだっていうことを日本は、あーそのー、指導部も、あるいは国民も、一般国民もこれは知っていたんですか」

加藤「これ実は、たとえば小学校などに内閣などが配っている、あのー冊子で、日米こんなに差があるっていうような、ひじょうに判り易いグラフで、差があることは強調されてました。で、むしろこういう差を乗り越えてやるのだという精神論になっていたと思います」

字幕「国力差を乗り越えるのだという精神論

石澤ものすごい精神論ですけどねー、えー、えー」

 唯物スパイNHKが「精神(唯心)論」とあざけっている。この唯心があったからこそ、日清日露大東亜と征服されずに残り、今の日本があるのだ。

加藤「もう一つ、そうですねー、ただ精神論ってことでいえばむしろ日本は、あのー、日露戦争の記憶というものが思い出されます。で、たとえば、あのー、日露戦争というのはもうすごく昔かとおもうんですけど、太平洋戦争から考えれば、約35年前、この時に、日露の対応ってのは1対10の国力差があった」

字幕日露戦争の記憶

字幕「日露戦争は太平洋戦争の約35年前日露は1対10の国力差

 大東亜戦争」が日本人の呼称

石澤「日本と露西亜では1対10の差があった。えー、えー」

加藤「そこで勝てたではないかと、そこがやはりうまくレトリック(巧言)というんでしょうか援用(引用)されまして、アメリカでも勝てるんだというようなこと」

護国(家族死守)は無条件!勝敗や国力差の条件は無い!

 「負けると解っていた戦争をして国民を犠牲にした」と、犯日は先人を非難するが、敵が国力差大なら、国(家族)を護らず戦わず降伏し、犯されても殺されても抵抗もせず、小国なら護りたたかうというのか?国を護るのに、国力差や勝敗等の条件(理屈)など無い!無条件死守が生命体の本能、原点である!すべて無条件で護ってきた生命体だけが現在生き残っている、生命体のこの、適者生存の原点、本能を、同胞や敵国に知らしめたのが、大東亜戦争での比類なき戦い様(特攻、玉砕、自裁)である。この原点回帰(神道)が、新秩序植民地独立付与宣言」を生んだのだ!

フランスの文人アンドレ・マルロー

 「・・・フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」

 「国力差」のしつこい強調は、NHKや東大権威誇示空教授の、荒唐無稽なつまみ食い論で、「勝ち目のない敵と戦ってきた日本の、馬鹿な先人や軍人」と、善良で無知な女子供を洗脳するのが目的である

映像「映画・硫黄島からの手紙」

語り「映画・硫黄島からの手紙。太平洋戦争最大の激戦を、実話に基づいて描いた作品です。主人公は、硫黄島を護る部隊の最高司令官栗林忠道中将です。物量に勝るアメリカ軍に対し、日本軍は地下壕を張り巡らす戦術で善戦。栗林は優れた指揮官として、アメリカでもその名を知られる存在となりました」

 洞窟作戦は、昭和19年11月24日戦い抜いて果てた、ペリリュー島守備隊が先駆者。ペリリュー島守備隊は、アッツ島守備隊が、米軍の皆殺し作戦で全滅したのを教訓に、洞窟作戦を展開、多大な損害を米軍に与えた。敵将C.W.ニミッツは、感動碑文を残している。遊就館特別展戦跡パラオ展2007パラオ蜂起

 以下、栗林忠道中将が少年時代に書いた絵や手紙に「日露戦争の記憶」があるので、それが洞窟戦争を考える基となったとか、「日露戦争の記憶」勝利が、当時幼かった軍の参謀達の心に深く刻み込まれ、この「日露戦争の記憶」が国力差強大なアメリカと戦っても勝てると錯覚し、アメリカとの戦争をためらう天皇へ、様々な情報を提供して決断を促したとか、荒唐無稽なこじつけ論で、連想誘導洗脳を展開

石澤「この日露戦争の体験って言うのは、当時の日本人、えー、特にやっぱり青少年、どういう影響があったんでしょうねー」

加藤「そうですねー、たとえば1901年生まれの、これは昭和天皇ですね。えー、日露戦争の時に3歳から4歳でした。あの、昭和天皇をお育てした養育係の日記というものが残っておりまして、昭和天皇は1歳違いの弟の宮、秩父宮と後呼ばれますが、その方と、戦争ゴッコをして遊ばれていたという記録もあります。それともうひとつは、昭和天皇に、あのー、太平洋戦争開戦前に、この戦争は武力戦でも勝てると確信させるに至った参謀達ですね。彼らがちょうど昭和天皇と同じ生まれの年代だったということです。それともう一つ、彼らはえー、日露戦争の時に出回っていた錦絵ですね。あのとてもきれいな少年雑誌。ああゆうものを見てある種、言葉は悪いんですが、エンターテインメント(娯楽・芸能)として戦争をしていた初めての世代だったと、言えるんじゃないでしょうか」

 動物でも生まれた子供に生き残る術(狩り)を教える。「エンターテインメント(娯楽・芸能)」と嘲り笑うとは、なんともまー、尻が丸見え間抜けスパイだ!スパイでないのなら、唯心無き唯物、表音記憶のみ優秀者との自白で、病人である。不可能だろうが、ヒカエオロー様の治療は、無人島での、自給自足生活をご進言する。心無き国無き唯物記憶装置(筆頭が東大文系の思考力皆無の記憶屋)が、戦後、進歩的文化人と偽称、言葉と文字界にのさばった。いつまでものさばるこの歩く辞書(中古の電子辞書より容量ははるかに劣る)を、破壊しなければ、日本新生などない。「大東亜戦争」が日本人の呼称。

権威誇示字幕2「東京大学大学院教授加藤洋子」権威付け(ヒカエオロー)するNHK。

映像「日露戦争写真画集」

石澤「その頃で言えば、日本は、日清日露とまー、言ってみれば、勝ち戦しか経験がないわけですよねー。えーそういった、そういったそのー、勝ち戦のー、戦争体験というものが、やはりこう、後押しするということがあったんでしょうかねー」

加藤「えー、驕りというものはもちろんあったと思いますが、ただ、たまたま相手にした国が、当時の大国清国であり、大国露西亜だった。この二つの積み重ねというのは大きかったんじゃないでしょうか、歴史の記憶として」

 弱肉強食時代に、大国が隣国を攻めるのは常識で、「たまたま」ではなく、必然。資源無き小国日本の後手は、必滅で、戦国の御世の先手は、小国適者生存の唯一の術である。幕府を打倒し団結し先人が奮闘し獲得した自立自尊の独立を、自分らの時代で終わらせてはならない。使命感のみで立ち向かったので、驕りなどは微塵も無い!

語り「サイパンにあるアメリカの国立公園メモリアルパークの展示室です。ここには太平洋戦争の歴史がサイパンでの戦いを中心に紹介されています」

石澤「これはまたー、あー、この写真はすごいですねー」

加藤「あっこれはちょうど海岸線にアメリカが上陸して品物を陸揚げする。やっぱりこのー、物の詰め方。運ぶ物のあのー、形と量ですねー。これは工夫されてますねー」

石澤「ほんとこの写真見ますと、物量って感じしますねー」

 アメリカの物量を誇示し、戦った愚かな軍人や先人や日本と、連想誘導洗脳。NHKやこの二人は、本当に日本人か?

語り「軍事力と経済力日本とアメリカの国力にはあらゆる点で大きな格差がありました。1941年9月、総理大臣近衛文麿は、戦争ではなく外交による解決の道を模索していました。アメリカに対して首脳会談の開催を訴えます。しかし、アメリカの態度はかたくなでした。日本のアジア進出に懸念を表明し、主権の尊重や内政への不干渉などきびしい要求を突きつけていました。結局近衛内閣は外交交渉に行き詰まり、総辞職しました。新たに総理大臣となったのは、対米強硬派の東條英機陸軍大臣でした。11月に開かれた御前会議、そこで開戦の決意が固まりました

 対米強硬派」ではなく「護国強行派」、「開戦の決意が固まりました」ではなく「これ以上座すれば死」が正しい。連想誘導洗脳。

字幕「近衛内閣総辞職」

字幕「東條英機陸相が首相に」
字幕「御前会議で開戦の決意が固まる」

 兵糧攻め(ABCD包囲網)で宣戦布告 、ハル・ノートで降伏要求の受動戦争を隠蔽し、「開戦の決意」と、能動戦争へと、誘導洗脳

語り「帝国は現下の危機を打開して、自存自衛を全うし、大東亜の新秩序を建設するため、この際英米蘭戦争を決意」

語り「1941年12月、日本はアメリカとの戦争に突入します」

字幕「日米開戦太平洋戦争始まる」

 大東亜戦争」が日本人の呼称

石澤「短期決戦ならば、アメリカとの戦争に勝てる、勝機はあるんだというその根拠は、あったんですか」

加藤「あのー二つほど考えられます。一つは、日本はやはりあのー、国力の貧しい貧者の国で、これは自覚がありました。ですから、財政的には準備を長くしている。ですから、たとえば、1937年からの日中戦争始まりますが、その軍事予算を特別会計というもので組みまして、たとえばその組んだ予算を、太平洋戦争が始まるまでに、256億円というもので、使う自由を陸海軍は得ている。これは、今の価値に直しますと、大体20兆円ですね。で、その予算のまー、落ちを、当面する戦争ということで、3割は日中戦争に使います。しかし、7割は、陸軍は対ソ戦準備、海軍は対米戦準備ということで残しています。だから、このあたりがやはり、財政的には準備していたという自信が、あったんではないでしょうか。そして、もうひとつは、あのー、奇襲作戦というような考え方が急速にでてきます。つまり、連合艦隊司令長官になった山本五十六、彼が、色々こー、戦史を振り返って歴史的な背景を持った、奇襲作戦相手国の国民に、どんな影響を与えるか、そういうことを含めて、じゃー、アメリカの真珠湾に基地のある戦艦を、大部分まず死なせておこう。それで、1年半は大丈夫だって、そういう考えを抱いたっていうことなんじゃないでしょうか」

権威誇示字幕4「東京大学大学院教授加藤陽子」ヒカエオローするNHK

字幕「財政的な準備」

字幕「軍事予算の7割を陸軍は対ソ戦海軍は対米戦の準備に残した

 世界を支配したABCD包囲網が売らないのだから、「7割全額14兆円」積んでも、石油一滴、米一粒すらも買えないのだ。「20兆円の7割の14兆円を財政的には準備していた自信」で戦争したなどとまー、本当に間抜けスパイの東京大学大学院加藤陽子である。降伏要求ハル・ノートでの生き残りを懸けた受動死活戦争で、連合軍の能動出稼ぎ戦争ではない。明白なすり替え洗脳である。

石澤「日本の国民、一般庶民はですねー、日米開戦の知らせ、一報を、どんな風にこううけたんでしょうねー」

加藤「そうですねー、それはやはり、今まで続けていた長く暗い戦争、戦争目的はなんだったのかっていう、やや不明ですね。その戦争に比べてやはり、最新鋭の兵器を投入した、強いアメリカへの戦いだということで、やはり国民は、違う、新しい明るい戦争が始まったっていう、受け止め方が、たとえば文学者の伊東整ですね、彼は、やはりこの戦争は、明るいと、国民の顔に喜色が有喜びの色が有ると、そういうことを日記に書きとめていました。ですから、こう、愁眉を開くという気持ちが、緒戦の勝利であったんじゃないでしょうか。提灯行列とか、そういうことも含めて、あの、ほんとに、あー、少し前の、35年前の日露戦争の勝利ですね、これがやっぱり浮かんでくるっていうのは、大きかったんではないでしょうか」

字幕「伊東整・1941年12月9日の日記『今日は人々みな喜色ありて明るい』」

 

 余りにも現実離れした、まさに表音記憶検証だ!長い苦渋の果てに決断し、一気に解かれた、一時の解放感(過去より今日は)で、「新しい明るい戦争(未来)」などでは決してない!なんと短絡な頭脳なのだ!「日露戦争の記憶」、「日露戦争勝利の驕り」が、勝ち目の無い、超大国との戦争になったと、無菌温室検証し、先人や軍人日本を愚弄洗脳。加藤陽子教授の発言は、一読では、何が言いたいのかよく解らない。文章も同じである。大江と酷似する。無人島自給自足治療では、何も採れず、餓死は必至で、治るまい。重傷度は、大江、鳩山兄弟、柳田稔法相、管、仙谷、西村、中山、御厨、立花、五百旗頭等と同じ、整合認識回路欠損それにしても「新しい明るい戦争」とは・・・。これが東大大学院の正体なのだ

 長い間苦しめてきた日中戦争の裏の主魁が米英ソであることを、国民も認識済み、その敵との表での戦いである。資源封鎖行使で、いつ何時でも「資源無き小国日本」へ、「日本窒息死カード」が切れる欧米列強とソ連の経済ブロックは、目の上のタンコブ。このコブを切除し、「自由貿易」を確立しなければ、資源無き小国日本の「自立自存」は永遠に無い!先人はそう決断し、起った。下記は、絶えず圧迫され続けた、当時の日本国民の気持ちを、赤裸々に吐露している。

「十二月八日の記」高村光太郎(開戦時58歳1883~1956)

 「聴きいくうちにおのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡がくもってきた。私はそのままでいた。奉読が終わると、みな目がさめたようにして急に歩き始めた。私も緊張して控え室にもどり、もとの椅子に座して、ゆっくり、しかし強く、この宣戦布告のみことのりを頭の中で繰り返した。頭の中がすきとおるような気がした。

 世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた昨日は遠い昔のようである。現在そのものは高められたる確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった。

 この刻々の時間こそ、後の世から見れば歴史の急曲線を描いている時間だなと思った。・・・またアナウンスの声が聞こえる。急いで議場に行ってみると、ハワイ真珠湾襲撃の戦果が奉じられていた。戦艦二隻轟沈という思いもかけぬ捷報(しょうほう・勝利の知らせ)が、少し息をはずませたアナウンサーの声によって響きわたると、思わずなみ居る人達から 拍手が起こる。私は不覚にも落涙した」

「十二月八日の記」を引用して語る林房雄(開戦時38歳1903~1975)

 「明治と大正を生きてきた日本人の感慨であり、涙である。高村氏は西洋の文明と文化の価値を知っている詩人である。にもかかわらず、政治的軍事的には、西洋が日本の圧迫者であることを、すべての明治人・大正人とともに知っていた――果たしてこれは大正に生まれて昭和に育った世代には、わからない心情なのであろうか?

 

石澤「しかし、そうした熱狂が長くは続かないんだっていうことが、日本国民に思い知らされる訳ですね」

加藤「そうですねー、確かにあのー、国力差、総力戦における国力差っていうものを日本人は、日露を思い出しながら忘れてきたんですが、アメリカにおける兵器生産能力増産能力、これがいかに」すごいものかというものが、時間が経つにつれて明らかになる。それで、日本は、敗戦に至ったということになったと思います」

石澤「さて今回は日米開戦に至る大きな要因として『日露戦争の記憶』が戦争指導者のみならず国民の中にもあったことを見てまいりました。しかし、アメリカとの戦争は、1923年の帝国国防方針で、すでに中国を巡る日米の利害対立が引き金になると、想定されていました。事実日本は、その後中国大陸で戦争を始め、アメリカとの戦争に突入しました。ではなぜ日本は、中国に進出をし、中国との戦いを拡大化。そして、長期化さしてしまったのか。次回は、日中戦争に遡ってまいります」

字幕「さかのぼり日本史1941年の日米開戦から1937年の日中戦争へ」5月17日22時より

 ??ディレクター?制作統括?の記載がまたもや無い。隠蔽?

 時間が経つにつれて明らかになる」や、「日露戦争の記憶」が起因は捏造。「中国大陸で戦争をはじめた」「拡大化」「長期化」は、米英仏蘭ソが、傀儡の蒋介石毛沢東を操ったのが原因で、日本は受動戦争。決め付けは連想誘導洗脳!詳細真実は下記参照。 

頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏大アジア主義に殉じた人々犯日隠蔽の歴史

1NHK日本人はなぜ戦争へ向かったのかはスパイの日本洗脳ドラマ
評論家奥野健男(1926~1997)

 「大東亜戦争直前における西洋列強の日本に対する経済封鎖は苛烈をきわめた。米国は石油輸出を禁止し、蘭印に石油を求めようとした日蘭会商も、米英の圧力によって失敗した。ABCD経済封鎖は、日本を身動きならぬように縛り上げた。日本人は最後の打開策として、日米交渉に期待をかけたが、これがだめなら、生きるためには必要な資源を、武力で獲得する以外にないように思えた。・・・」

「大東亜戦争論」アメリカ人オーエン・ラティモア

 「日本が立派にやり遂げたことは、アジアにおける植民地帝国の19世紀構造を破壊することであった。戦時中日本人によって占領されていた土地のうち、ただの一つも(旧主人のヨーロッパ人によって)満足に取りもどされたものはなかった。日本が敗れる前に、全極東にわたる古い均衡と、ヨーロッパ帝国主義支配の構造を破壊したという事実こそ、日本が最後に敗退したという事実に劣らず重要なものである」

 「超大国」とは、当然国民も認識済み。だから、ぎりぎりまで辛抱し、外交に努めた。そして最後に、身体を筆にし流れる血で、人類への遺書(玉砕、自裁、特攻)を遺した。その遺書が、敵味方の琴線を揺さぶり起こし、開闢以来の弱肉強食は破壊され、新秩序「植民地独立付与宣言」が、人類の総意賛成89、反対0、棄権9)で1960年産まれた。露西亜艦隊の対馬占領が1861年、九九年後に日本の九九戦争は終焉し、先人の目的は99年後に成就したのだ。残党は、偽中国と癌半島と罪日と、国内の「獅子身中の虫」 、NHKや東大等の犯日スパイ史観のみである!

 実に未曾有な時代を祖父母や父母は生き、「決断」し、「歴史の急曲線を描き」、新秩序「互恵の平和」と「自由貿易」を築き、同時に、我々子孫を産み、そして育んだ!感謝以外の言葉があろうか4につづく

真実史観4遡り日本史胡適好いとこ盗り物語洗脳東大NHKが隠蔽凶産黄禍論年表

第三回・日中戦争・長期化の誤算・5月17日

日中戦争は凶産抗日宣戦布告(1935.8.1.宣言)への応戦
 中国が赤化すれば日本も赤化。赤化防御が第一義日本の対中国政策は、反共最優先の融和政策で一貫している。日本能動侵略は、愛国団結で、逆に中国赤化促進。対中国政策は、いつも受動となった。

 「長期化誤算」と日本愚弄。ソ連、中国赤化で毛沢東を支援し、盧溝橋の2年前に抗日宣戦布告。日本の対ソ反共対策を、米英仏蘭等が、自国の権益侵害と錯覚して蒋介石を支援。凶産無知の水(自由)と油(束縛)が、「黄禍論」で白人団結、傀儡(蒋介石と毛沢東)国共合作で、「長期化」した!反共親日孫文主義(大アジア主義)筆頭の汪兆銘を立て、中国人民の啓蒙を図ったが、凶産と凶産無知な列強に撹乱され、抗日を愛国と錯覚、凶産唯物の民と化し、凶産に大虐殺される悲劇となった。日本は、ブロック経済列強と凶産の切り札、「兵糧攻め」から国民を護るため、支配ではなく、互恵が基幹の第三経済圏互恵国を、中国から大東亜に拡大し、大東亜共栄圏樹立(アジアからの宗主国追放)を目指した。NHKと東大はこの要を隠蔽し、胡適なる唯物常識者を、予言者と捏造、犯日物語を作った。

 「長期化」は、市民に紛れ込み住民を盾にする凶産(米国ベトナム戦争での泥沼の長期化が証)と、お坊ちゃん近衛が、尾崎秀実、朝日新聞、ゾルゲ等のスパイ工作に、翻弄されたことも原因。

 「誤算」は、第三の経済圏互恵国として、中国を第一義国とした、反共最優先の融和政策と、唯心民(孫文・汪兆銘・陳群等)少なく、唯物民(毛沢東・蒋介石・胡適等)が多かったこと。

予備知識詳細は下記参照
1NHK日本人はなぜ戦争へ

字幕と映像「中華義荘・横浜市中区」

 中華義荘は華僑の共同墓地。大正14(1923)年の関東大震災までは、本国中国に遺体送還までの仮安置所で、以後ここに埋葬。

石澤「・・・ここは、およそ150年前の横浜開港で華僑がこの地に暮らすようになって以来、日本で亡くなった人達が眠る場所です。終戦間際の1945年5月の横浜大空襲で中華街の一帯は焼け野原となりました。その犠牲者もここに眠っています」

 予備知識「華僑は中国台湾香港マカオ以外に居住する中国人で、厳密には、中国籍保持者が華僑、現地国籍者は華人、華僑は総称。清朝末に欧米列強が中国に入り、蚕食。そのつてで、クーリー(苦力)等となり、宗主国やその植民地に散らばった(8割が東南アジア)。地縁血縁などによる幇(パン)で団結。華僑は多い順に広東、福建、海南島、満州、客家(ハッカ)系の五つ。1990年代前半の人口は約3000万人と推定される。客家系は華僑全体の1割にも満たないが、経済活動の規模では全体の3割になる。客家語は、三国時代の言葉が残っているので、日本語と発音も酷似

日中戦争は凶産抗日宣戦布告(1935.8.1.宣言)への応戦

石澤「今回は、なぜ日本は中国と戦争を始め、拡大、長期化させてしまったかを辿っていこうと思います。ゲストは今回も加藤陽子さんです」

 戦国時代なので護国(家族死守)のために、中国を啓蒙し赤化防止。中国台湾朝鮮日本の赤化防止反共戦争なので、長期化した。答えは明白

権威誇示字幕1ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

石澤「加藤さんはこの日中戦争の、どこに注目をされますか」

加藤「あのー日中戦争は1937年に始まりまして、1945年に終わるという、8年も続く長く長く続いた戦争でした。どうしてこのような事態になってしまったのか。私としては、日本が中国と向き合っていなかった。そこに最大の理由があると考えています」

 日中戦争は凶産抗日宣戦布告(1935.8.1.宣言)への応戦1937年に始まり」は凶産隠ぺい工作

石澤向き合っていなかったというのは、相手としていなかったということですよねー」

 晩年の孫文(1866~1925)、凶産に惑わされ、第一次国共合作(1924年1月~27年7月)の3年間も、米英ソ等が介入強制転向西安事件(1936年12月12日)後の第二次国共合作(1937年9月~46年7月)の8年間も、中国を見捨てずに「向き合っていた」(長期化の原因)。凶産とは終始敵対。ここの年表を隠蔽し洗脳する凶産御用達のNHKと東大

加藤「そうですねー、日本が中国をどう認識しているかという点でも、慎重な検討が十分なされていなかったといえますし、で、一方では、日中戦争の準備も、日本側はやはり十分ではなかった。それに対して、えー中国は、アメリカやソ連、そういうその、世界の列強を巻き込んで抗戦を行う、そのような覚悟を持っていたと、思います」

 戦国時代に適者生存のための新秩序、互恵自由貿易圏確立が日本の目的なので、領土拡大征服の意図などは、もとより無い。その互恵国として中国を第一義としたので、「日中戦争の準備、十分でなかった」は、当たり前

 中国は戦国の御世に乗じ、唯物我欲のばらばらで、毛沢東蒋介石などは氷山の一角。アヘンが貨幣で、馬賊盗賊群雄割拠が実態。ここを隠蔽し「世界の列強を巻き込んで抗戦」と語り、中国一丸と捏造し、洗脳。この言葉は胡適の、後付釈明常識(日本の弱点兵糧攻め)論のつまみ食い。

石澤「さーそれでは、日中戦争がどのように始まったのか、この点から見ていくことにいたしましょう」

語り「中国郊外にある盧溝橋です。日中戦争の発端となった盧溝橋事件は、この場所で起こりました。1937年7月、ここに駐屯していた日本軍と現地の中国軍が衝突します。これに対し日本政府は不拡大の方針を打ち出し、事件の早期解決を日本は目指しました。しかしこの1ヶ月後、上海で新たな武力衝突が起こります。日中共に激しい空爆を行い戦闘が本格化しました。日本は方針を転換し、積極的な武力行使へと舵を切ります。暴支懲膺(ぼうしようちょう)。暴虐な中国を討伐する。中国と全面戦争する目的を日本政府はそう唱えました。この頃を境に、日本の各地から、中国大陸へ、兵士たちが大量動員されましす。この時召集された福手豊丸さん(95歳)です。当時22歳。岐阜県(郡上市)で学校の教員をしていました」

 中国と全面戦争」は捏造、宥和政策日本に「懲らしめる」以外の意思なし

 以下NHK定番、戦後学習帰還者迎合証言「兵隊に限らず普通の人まで支那人を侮蔑していた。頭から馬鹿にしていた」等々。殺し合いの戦時下は、互いに侮蔑するのが常識。日本侮蔑目的の洗脳。NHKのやらせのように思うほど、「支那は強かった」としきりに強調する証言者。連想誘導洗脳用の伏線か?

語り「一方の中国では徴兵が進められると共に、日本との戦いに志願する若者も数多くいました。さらにドイツから軍事顧問を招き兵力の近代化も進めました中国軍は日本の予想を上回る強い軍隊へ、変貌を遂げていました」

 ドイツから軍事顧問を招き」などは、ほんの氷山の一角!これのみを放送し、元凶(西安事件以後本格化した米英ソ等の、日中合作阻止と利権拡大目的の)を隠蔽した。

石澤「中国軍は予想以上に強かった、という話がありましたけれども、さー、ちょっとこちらをご覧いただきたいんですが。今回取材さしていただきました福手豊丸さんが所属していた部隊の、これはアルバムなんですけれども、・・・支那事変と書かれているんですねーえー」

加藤「当時の日本は、中国のことをまー、支那と呼びまして、しかも戦争ではなく事変とまー呼称していました。これはあのー日本が、正式の宣戦布告などをするまで、あのーこれは、1937年から戦争始まってるんですが、宣戦布告するのは1941年の対米開戦の時なんですねー。ですからそれまで4年間えー、宣戦布告せずに奇妙な戦争をしていた。それが支那という名前の戦争だったと」

権威誇示字幕2ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

石澤「なぜ宣戦布告しなかったんでしょうか」

 「支那」は日本独自の呼称や、差別語ではない!「秦(漢音・シン)」の転訛。外国人の中国人に対する呼称、China(英語発音はチャイナだが、ローマ字読みはチナ)の語源「秦(呉音・ジン)の転訛か」。初出はインドの仏典で、日本では、江戸中期以後、大東亜戦争まで用いられた。戦後は「シナ」表記となった。当時の中国は、群雄割拠で正式国名がない。万国共通の通称は「支那」なので、そう呼んだに過ぎない。人間記憶機(東京大学大学院教授)より、中古千円の電子辞書の方がはるかに優れ者である

 中国は二年前既に「1935年の八・一宣言」で、日本に宣戦布告済。日本は応戦。「宣戦布告」は愚論!また、その当時の国際法では、宣戦布告は義務化されておらず、戦闘開始が即ち宣戦布告。日本軍人侮蔑連想誘導洗脳

加藤「えー、これは第一に一番大きいのはアメリカがあります。つまりアメリカという国の経済力、これと切れてしまう。まー宣戦布告するとアメリカは中立法というものを発動する。そうしますと、その発動によって日本も中国もアメリカとの経済関係が切れてしまう。日本にとってもですから、ニューヨークでの金融の決済続けて欲しい。止まっちゃ困る。中国にとっても基本的には軍需物資アメリカからのさまざまな援助、これが止まってしまっては困る。ですから日本が宣戦布告しなかっただけではなく、中国の側もしなかったということになりますねー」

石澤「宣戦布告をしない、戦争とは呼ばないということなんですねー」

 中国赤化防御のため、融和政策で受動の日本は、「懲らしめ」で、ましてや応戦なので、戦争と呼ばないのは当たり前

加藤「はい、今から思えば卑怯であるとか、もしくはどちらが侵略戦争だと、まー、日本側が侵略者だと言うようなことを避けるためと思われますが、それだけではない、むしろ中立法避けるというような、非常に大きなアクターだったと思いますねー」

 「中立法避ける」は愚論。「西安事件(1936年12月12日)」以後本格介入は年表の事実

石澤「しかし中国軍は、日本の想像をはるかに上回る強さがあったということなんですが、その秘密はどこにあったんでしょう」

加藤「あのー様々な対立をしていた勢力が一致して、そのー、抗日意識が非常にまとまったっていうことがあるとおもいますねー」

石澤「ちょっとその辺のお話をですねー、こちらの写真を元にうかがいたいんですが」

写真「中国共産党、毛沢東・国民政府、蒋介石、汪兆銘」

加藤「これはたとえばあのー、1936年の末。つまり、日中戦争始まる半年くらい前なんですが、中国共産党、そして国民党政府、この二つの今まで対立を繰り返してきた、武力的なこと対立もしてた、二つの政党が、抗日を、共に戦おうということで、一致します。そして、たとえば国民党が中心となる国民政府の中には、汪兆銘という政治家、こちらはあのー、どちらかというと、親日的なスタンスを将来的にとる政治家ですが、この毛沢東蒋介石汪兆銘などがえー、柱となって、反日という事であのー、一致していく、これが一つだと思いますねー」

  一致します」は国共合作のみで、他は群雄割拠。満州から北京張作霖、揚子江上流呉佩孚(ごはいふ)、下流が孫伝芳、西安の奥が馮玉祥、山西省に閻錫山、そして、毛沢東共産軍、蒋介石国民軍が群雄割拠していた。これら諸勢力の背後には米英ソ日等「援助」があった。平和な中国などではない、国がないので貨幣などない、アヘンが代用、戦国時代そのものである。

  一致します」は、「黄禍論」が触媒となり、毛沢東蒋介石の資金源宗主国白人が一致したもので、水と油の傀儡、毛沢東蒋介石の一致ではない!詳細は後述年表1936年12月12日西安事件参照

予備知識黄禍論(こうかろん・Yellow Peril)
 「有色人種が白色人種を凌駕する恐れがあるとする主張。アジアに対する欧米諸国の侵略、黄色人種の圧迫を正当化するために用いられた。ドイツ皇帝ウイルヘルム2世が日清戦争、義和団事件などに際して用いたのが最初とされる。日露戦争以後急速に広まり、中国系移民や、日系移民の排斥につながった」。

 1920年排日土地法制定で、日本人移民の二世まで、土地所有禁止。1922年日英同盟廃棄で、凶産党と同類の、米国独断専横覇道主義にさらに拍車がかかる。黄禍論起因の、白人(宗主国米英等と露西亜後のソ連)対有色人、米英ソ等関与の過程年表、完全隠蔽で連想誘導洗脳。

戦後3年の著作ヘレンミアーズ「アメリカ人の鑑・日本」
第九章の3
 日本は何を考えていたのか。中国の情勢は混沌とし、錯綜していた。しかし、日本から見れば、問題はきわめて簡単だった。つまり、(1)満州に、「合法的自衛」の手段としての戦略拠点を確保し、(2)日本帝国圏(韓国と台湾)と満州、華北からなる経済ブロックを作って経済の安全保障を確立しようというのが日本の計画だった。そうすれば、これまでのように原材料物資と市場をアメリカ、イギリス、フランス、オランダに依存しなくても済む。日本は、一方では再び極東に進出してくる可能性のあるソ連に対する「防衛」手段として、もう一方では、イギリスの強力なポンド経済圏(貿易地域)とアメリカのドル経済圏に対抗する手段として、自分たちの計画を考えていたのである。しかし、イギリスとアメリカは日本の計画に反対した。

 1935年後半までに、日本は軍事力よりむしろ外交的、経済的手段で中国での目的をかなりのところまで達成していた。

 1935年、日本は華北を蒋介石政権の「悪政」からほとんど「解放」していた。日本は華北三省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成したのだ。将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言していた。汪精衛(兆銘)も日本についていた。彼は1935年当時、蒋介石が率いる「南京政権」の行政院院長だった。この政権は列強が、「中華民国」の「中央政府」として承認したものである。つまり、日本は中国の統治グループの中に緊密な協調関係を作っていたのである。

語り「1937年11月、シャンハイの戦いで勝った日本軍は、蒋介石率いる国民政府の首都南京を目指して進撃します。福手豊丸さんが所属していた部隊も、上海から南京まで、およそ300キロの道のりを戦いながら歩く続けました」

福手豊丸「南京を落とせば蒋介石は降参してしまう。軍の最上層部も初めから見通していた」

語り「12月、日本軍は中華民国の首都、南京を陥落させました。それは大々的に報じられ、日本国内は戦勝ムードに沸きかえります。しかしその中国は屈服しませんでした。蒋介石は拠点を南京からさらに内陸に移し、日本軍への徹底抗戦を続けました。・・・日本軍の戦線は、南京攻略後も300キロ先の徐州、さらには揚子江中流の都市武漢へと拡大。戦いは長期化していきました。日本はなぜ中国と戦争を続けているのか、豊丸さんは次第に疑問を感じるようになりました。上官に聞くとこう答えが返ってきたといいます」

福手豊丸「支那(中国)は、国が広すぎていつも内輪騒動内輪戦争している、お互い同士が戦争で、惨めになっている。 支那人(中国人)は、自分で自分の国を治めていこうという力がない。日本は世界で一番いい国。天皇の徳でいい生活をしている。これを支那(中国)の人たちにも教えてやる。それで日本は仕方なく軍隊を持ってきている」

 正しい回答である。日本は終始一貫支配(宗主国と凶産)排除互恵の大アジア主義

語り「武漢陥落の直後、総理大臣近衛文麿は、戦争の目的をあらためてこう説明しました。東亜新秩序の建設。中国との戦いが長期化する中で前線の兵士のみならず政府や軍も戦うことの意味を模索していました」

石澤「当時の日本人は、この、戦争でなくて事変なんだといわれて進んでいくわけですけれども、中国と戦う意味とでもいいましょうかねー、どんな風に日本人は意識していたんでしょう」

権威誇示字幕3ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

加藤「 あのー日本人はやはり、戦争と思っていなかったっていうのがあると思いますねー。はい、たとえば、当時一番中国に、あのー、軍隊出してた軍としては、中支那派遣軍という軍隊がありました。その司令官が残した文書の中に、ちょっと読みますと、『今次事変は戦争にあらずして、報償(ほうしょう・仕返し)なり』と、これはどういうことかといいますと、戦争に至る前、中国側はかなり日本製品をボイコットすると、中国国民党の政権などが指導してボイコットさせていたんですで、そうしますと、当時の常識では、といいますと国際法でも、ある国がある国の物をボイコットするというのは、こりゃーまー違反なんだと、で、その違反を中国が最初に犯したならば、それを、で、こうむった不利益を日本側がですねー、やっぱり武力でもって取り返してもいいんじゃないかという、そのー、報償という言葉は、そのような背景を持って使われていたということになりますねー。これは、あたかも、やはり、2001年のアメリカが、9.11.の後にアフガニスタンやイラクにおこなったこととおなじで、それを、ある種1937年の日本の軍部が、やっていたっていうことは、ある意味、奇妙な一致だと思いますねー」

 凶産から翻意を促すための「懲らしめ」なので、戦争意識は皆無。日米「奇妙な一致」などと、好いとこ盗りしてのこじつけ論。連想誘導洗脳である

石澤「そうして一方で、時の近衛首相が、東亜新秩序の建設という声明を出しているんですよねー」

加藤「はい、これはあのー、やはり、日本側は後付の論理です。そう、そのー、英米などの資本主義でもなく、ソビエトなどの共産主義でもないその二つと違ったやりかだで日本の支配下にあった朝鮮や台湾を含めちゅうごくですねー、そして、傀儡国家満州国、そういうところを含めて、東アジアの中で経済的に豊かにしていこうと、そういう意図があるものが、東亜新秩序声明だと思います」

石澤「その旗印の下にまー日本が、前へぐんと大陸へ押し出していったのがこういう事態であったということ」

加藤「ですから、もう戦争の大義っていうものが政府の側も二転三転する、後付の論理になる、こういうことではあのー軍も政府もなかなか戦争をうまく終息させることが出来ないっていうそこにあのー長期化の理由はあるとおもいますねー」

 無法弱肉強食時代の、「兵糧攻めカード」所持者が、無法ブロック経済(閉鎖経済)の欧米露食民治主義と後の凶産主義。当時の世界はこの二つの無法者(独占貿易)が世界を征服し尽くし、内政干渉無きアジア唯一の独立国(もうひとつの独立国タイは英仏の内政干渉下の緩衝国)が日本であった。

 1861年南下する露西亜が対馬を占領、英国権益侵害と判断した英国が排除。日本は攘夷から開国へ方針転換し、開国。新文明対処のため、自給自足の徳川時代から資源無き日本適者生存唯一の術、輸入し加工し輸出する国家建設に一丸となり、欧米列強の力を借り富国強兵、奇跡の大転換を成し遂げた。そして、当然の結果として、資源無き小国日本の最大の弱点は、「資源封鎖(兵糧攻め)」となった。開国以後の歴史は、同時に「兵糧攻め」との戦いの歴史である。

 資源封鎖行使でいつ何ときでも「資源無き小国日本」へ、「日本窒息死カード」が切れる欧米露列強と後のソ連の経済ブロックは、目の上のタンコブ、このコブを切除し、自由貿易を確立しなければ、「資源無き小国日本」の、真の自立自存は、永遠に無い!

 南下する露西亜、迫る清国、属国の韓半島が敵になれば喉元に短刀。小国日本の必勝の術は、先手。日清戦争で防衛の要、韓半島を独立させ味方としたが、戦国時代に脳天気な唯物私欲国王なので、日本が代わって統治。弱体化した清国も、満州の露西亜の蚕食、なすがまま。これも先手を打ち日露戦争で勝利。中国は「中立国」と称し、権利放棄し傍観したが、日本は合法的に中国の承認を得て、満州の露西亜権益を引き継ぎ、日本は適者生存した。

 戦国の世に死活を懸けた大和(日本)民族最後の一縷の望みが、いつも、互恵に基づく大東亜共栄圏であった。日本存続適者生存の道はこれしかなかった!倒幕、富国強兵、近代化、軍国化、反共、大東亜共栄圏、玉砕、自裁、特攻等すべての行動は、戦国の世に、被征服拒否の自立自存。日本はただひたすら一直線、ブレなど微塵もない!そして先人は決断し、起った!これが開闢以来の戦国時代を破壊し、新秩序、「植民地独立付与宣言」を導き出した原動力。考えれば子供でも解ることである。

 大東亜共栄圏は戦国の世の資源無き小国日本、自立自存唯一最後の手段で、開国以来一貫しており、「後付・二転三転」などではない

 「東亜新秩序」1938年第一次近衛文麿内閣が日中戦争に関して出した声明。「戦争の目標は、日本を中心として、日本・満州・支那を一体とした新しい社会を作ること」。これは征服ではなく、宗主国凶産国(白人)が支配するブロック経済から、脱出した、「その二つとも違ったやり方(支配ではなく互恵)」が基盤の、第三の経済圏樹立という意味である。征服目的なら、朝鮮も満州も南京も、新政権などと面倒なことをせずに、手っ取り早く属国化していた。大アジア主義は開国以来一貫して、揺るぎが無いのだ。それを「後付の論理」などと、死活を懸けた先人をおちょくっている。一方、これまで虐げ続けた白人側にすれば、この「黄禍連合」は、最大の恐怖となった。「黄禍論」が仲介となり、水(資本主義)と油(凶産主義)が結合したのだ。「黄禍論」根源は白人支配。窮鼠にしなければ生まれなかった。

 傀儡国家満州」「傀儡政府南京」と、馬鹿の何とかの鵜呑みをNHKは繰り返すが、外モンゴルもソ連の傀儡、中国の蒋介石も毛沢東も「英米仏蘭ソ」の傀儡なので、満州や南京のみの呼称は、偏向捏造洗脳放送である。

 「長期化の理由」は、反共最優先、融和が仇となった

語り「戦争が長期化する中で、1940年、日本は新たな政策を打ち出します。親日派の汪兆銘を国民政府から離反させ、占領下の南京に汪兆銘を首班とする政権を樹立しました。日本とは徹底抗戦すべきではない、そう考える汪兆銘を通じた和平工作で、戦争の終結を考えたのです。jかっては南京町と呼ばれていた横浜の中華街です。中国の南京で、汪兆銘政権が発足したときに撮影(1940年)された、(横浜中華街の)写真が残されていました。日の丸と並んで掲げられた中華民国の旗。その上に三角の小旗が着けられています。反共建国という文字が書かれていました。実はこの旗は、王陽明政権が蒋介石の国民政府とは異なる中華民国の代表者であることを内外に示すために作られたものでした。当時日本にいた華僑の中には、日中の和平を望む人がいました。しかし中国では、汪兆銘政権は日本の傀儡とみなされ、民衆の支持が得られませんでした。結局日本の工作は失敗に終わります。盧溝橋事件から三年、中国軍の徹底抗戦は続いていました。そして日中間の戦争は世界大戦へ発展してゆくことになります」5につづく⇒

真実史観5遡り摘み食い日本史NHKと東大加藤陽子隠蔽年表指示は首魁凶産

石澤「あのー、中国にとってはあのー、日中戦争が長期化するこれは、どんな意味があったんでしょうか」

字幕4ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

加藤「あのー、もちろん中国にとってはこれはまー、考えていた計画通りといいますか、たとえば」

石澤計画通りと」

加藤「はい、太平洋戦争の時の開戦時に駐米大使でいた中国の大使、これはあのー胡適という名前の、これは北京大学の学修さんだった方ですが、この方がその、1935年ぐらいに論じてた内容がやはりかなり覚悟を決めたものでした。つまり日本の軍事力を中国は自らは倒せない。結局日本の軍事力に勝てるのは、アメリカの海軍力、それとソビエトの陸軍力、この二つをどうにか巻き込んで二つの国を巻き込まないと中国は勝てないというんですねー」

石澤二つの国を巻き込んで、つまり日中の戦いじゃなくて世界を巻き込んだ戦争にしようと」

加藤「巻き込む、そのためには世界が自らの戦いという気持ちになるには、中国が負け続けなけやいけない。つまり、中国という巨大な大陸が日本によって制圧される。海岸線はすべて封鎖され、そして内陸まで中国が侵略される。これを2、3年続けることで初めて世界は動かされるだろうと。これを胡適が言うんですねー。で事実やはり、1937年からの戦争が、41年から世界化しますから、二つの陣営というのに世界が分かれていく、これの元となるのが、やはり日中戦争だったと思いますねー」

 資源無き小国日本の封殺カードは「兵糧攻め」。これは、当時も現代も同じで常識。戦後3年のヘレンミアーズ前掲書にも繰り返し記している。資源無き小国日本を長期戦に持ち込めば、資源枯渇で勝利は、子供でも解ることで、当時も現代も常識。

※加藤陽子胡適『日本切腹中国介錯』ソースは、石田憲編『膨張する帝国拡散する帝国』東京大学出版会所収、世界化する戦争と『中国の国際的解決戦略』鹿錫俊(1955年~)(大東文化大中国人教授で、元凶凶産隠蔽)著1それでも日本人は戦争を選んだ東大教授加藤陽子は女スパイ誘導…参照

NHKと東大大学院教授加藤陽子が隠蔽した年表が暴く「日本切腹中国介錯」論の真実

 真実史観と遡り日本史との違いは、「なぜどうして」の有無である。NHKや東大等の犯日スパイ史観には、欠落。

1934年10月長征開始。ソブィエト共和国(中国内共産党国家)への、蒋介石軍5回に及ぶ包囲攻撃の結果、中国共産党軍30万人が瑞金を捨て、華南華中から敗走移動。移動中毛沢東の指導権が確立した。2年後の長征終了時には2.5万人に激減、崩壊寸前となった。

1935年広田弘毅外相の施政演説。日中双方の「不脅威・不侵略」を強調し、日本はアジアの諸国と共に東洋平和および、秩序維持の重責を分担する、と主張した。

 この誠意に満ちた演説は、中国側に好感をもって迎えられ、一週間後、蒋介石は次のような声明を発表した。「中国の過去における反日感情と日本の対支優越態度は、共にこれを是正すれば、隣邦親睦の途を進むことができよう。わが同胞も正々堂々の態度を以て理知と道義に従い、一時の衝動と反日行動を抑え、信義を示したならば、日本もまたかならずや信義をもって相応じてくることと信ずる」

1935(昭和10)年8月1日日中戦争の始まり。盧溝橋事件に先んじる2年前、中国凶産党日本に宣戦布告。

 1935年、ソ連「抗日民族統一戦線」を崩壊寸前の中国共産党に指示。敗走移動中の8月Ⅰ日に、溺れる者藁をもつかむの心境で中国共産党が日本に宣戦布告。「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」を発した。内戦停止・一致抗日(蒋介石と休戦し日本と戦う)と、「救国」運動にすり替えて訴えた。30万人から10分の1以下の2.5万人に激減、壊滅寸前の中国凶産党は、矛先を蒋介石から日本に変え、テロ工作に専心、日本人に成りすましてのテロ活動や、日本軍挑発工作に必死になった。捏造工作で仮想敵国をつくり、国内人心懐柔は、捏造が党是の凶産党常套手口。なんと現在の偽中国、癌半島、罪日が日本を敵として捏造、未だに続けているのだ

1935年10月国民党政府が共産党討伐に全力を尽くしていた時は、排日事件も余り起こらなかった(排日事件は凶産主犯の証し)のであるが、共産党が延安に拠点を移して華北一帯に共産遊撃区の構築に乗り出し、昭和10(1935)年8月1日、日本に宣戦布告した時期から、排日事件(凶産主犯)が再び頻発するようになったため、日本政府は、広田3原則を発して、排日事件の解決をはかった。その概要は、

1、中国側で排日言動を取り締まるとともに、日華両国は相互独立の尊重と和親協力関係の増進に努める。

2、中国側で満州国を承認し、日満華の新関係の樹立をめざし経済的文化的提携を結ぶ。

3、北支一帯における共産主義の脅威を排除するという見地にたって国民党政府と日本との合作を行う。

というものであり、共産主義の脅威を除去して、中国と友好関係を結ぶことを目的としたものであった。それは共産党討伐を推進していた蒋介石も、利害が一致したからである。これにより、日本は、排日テロ事件防止のために国民党と合意し、「冀察(きさつ)(河北省とチャハル省)政務委員会」を成立させることになった。この時期には、対共産主義政策において、日本政府と国民党政府の間には。このような協力関係が成立していた。

 従来より中国国民党は、親日派と親米派の派閥対立があったが、この時期を境に、親日派であった行政院長の汪兆銘が狙撃される事件や、同じく親日派の唐有壬(とうゆうじん)交通部次長が暗殺される事件が起こり、国民党内の親日派は衰退し、国民党の主導権は親米派に握られるようになった。

193511日 汪兆銘と蒋介石の指導のもと、日中和平路線が着々と進められたが、これを喜ばない勢力があった。国民党六中全国大会で、汪兆銘はカメラマンに扮した刺客から3発の銃弾を受けた。危うく一命はとりとめたが、療養のため、ヨーロッパへ渡った。

1935年12月9日「一二・九運動」。北京の学生が日本の「華北侵略」に抗議、国・共内戦停止、一致抗日を扇動(水と油が工作?)。胡適は学生の説得にあたった。「華北侵略」とは下記の事

 「1935年後半までに、日本は軍事力よりむしろ外交的、経済的手段で中国での目的をかなりのところまで達成していた。日本は華北を蒋介石政権の「悪政」からほとんど「解放」していた。日本は華北三省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成したのだ。将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言していた」戦後3年の前掲書ヘレンミアーズ

 防共の砦(満州と華北融合)を、「黄禍連合」と認識した白人支配者水(宗主国)と油(ソ連凶産)は、以後、「白人連合」に一直線。

1936月 松井岩根、南京にて蒋介石と協調路線続行の会談をしたが、核心ははぐらかし、すでに変節しており、赤化分子も増殖中であった。

1936年春桜美林創立者清水安三が、中国旅行で高まる抗日に不安を覚え、知人の蒋介石側近胡適と面会、戦争防止を訴えたが、「我々は日本と戦う。自分は以前、国民から嘲笑を浴びながらも、決して戦ってはならないと主張した。しかし今や、どうしても一度は日本とは戦わねばならない・・・と感じている」と答えたという。清水安三の妻もこの後、蒋介石妻宋美麗と面会、戦争防止を訴えたが、耳を貸さなかったという。桜美林HPより

 凶産の矛先転換工作、「八・一宣言(日本への宣戦布告)」が、国民に浸透し、親日では国民党も乗り切れなくなったのだ。

193610月延安に全軍到着し長征は終わった。中国共産党敗走軍の兵力は30万人から2万5千人に激減し壊滅寸前となった。

 汪兆銘の証言「中国共産党は、コミンテルンの命令を受け、階級闘争のスローガンに代わるものとして抗日を打ち出していたのです。コミンテルンが中国の民族意識を利用して、中日戦争を扇動していると私は読みとりました。謀略にひっかかってはなりません」

水(宗主国)と油(凶産ソ連)の融合剤黄禍論

黄禍論畏怖の白人連合有色人分断工作が西安事件で瀕死の凶産軍を蘇生させた

1936年12月12日西安事件。共産軍討伐のため西安に駐屯中の張学良の旧東北軍が、抗日救国を要求し、南京から督戦に来た蒋介石を監禁した事件。

 蒋介石釈放をめぐっての調停工作に当たっては、日中(有色人)連合畏怖の米英ソ等の白人は、水と油だが、黄禍論で一致し、中国凶産と同一歩調がとられ、抗日統一戦線を形成。以後蒋介石は国共合作・抗日へと方針を急転換し、「最後の5分間」の反共掃討戦を中止し、中国凶産党は復活した。事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免され、国民党(英米等)やから、共産党に毎月50万元が支給され、国民党は反日に染まり、「黄禍論白人連合」が形成された。

 胡適は直ちに打電し、張学良を国家民族の罪人であると激しく非難した。

 西安事件の直後、ヨーロッパでの療養から帰国した汪兆銘は、国民党副主席の地位についていたが、戦いの陰で日中和平工作を進めた。

 盧溝橋事件の数ヶ月前、米国ルイジアナ州出身の陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェノールトを、中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして蒋介石が雇った。

1937年7月7日盧溝橋事件

 周恩来首相、中国凶産党が廬溝橋事件の犯人である事を暴露。周恩来首相中華人民共和国宣言時の証言

 「あのとき(支那事変勃発時)我々の軍隊が、日本軍と中国国民党軍(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽り、停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)に今日の栄光をもたらした起因である」

日中戦争工作目的の凶産テロ

1937年7月29日 通州事件(中国人保安隊の日本人虐殺事件)。通州において、婦女子を含む日本人居留民約2百名が目をくりぬかれるなど、残酷な強姦・虐殺事件があった。

1937年8月9日前哨戦たる国民党軍に潜入していた凶産スパイによる、日本将兵虐殺事件が発生。

1937年8月13日第二次上海事変の勃発。日本の陸戦隊を挑発し先制攻撃を開始した。

937年秋蒋介石著「中国のなかのソ連」より毛沢東の演説。

1、中日戦争は中共発展の絶好のチャンスである。我々の基本政策は全力の七分を中共の発展に二分を国民政府との対抗に、残りの一分を抗日に使用する。

2、この政策は次の三段階に分けて実施する。第一段階では国民党と妥協して中共の生存と発展を図る。第二段階では国民党と勢力の均衡を保ち、彼らと対抗する。第三段階では華中各地区に進出して根拠地を築き国民党に反攻する。

1937年9月二回目の国共合作

1937年10月14日ローマ法王のピオ11世は支那事変(1937年7月7日)が始まった年の10月14日に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。凶産党と戦っている。凶産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよ」

1937年12月13日 日本南京占領。

1937年(昭和12)年「今、父が計画していることが成功すれば、中国の国民に 幸せが訪れる。しかし失敗すれば、家族全体が末代までも人々から批判されるかもしれない。お前はそれでもいいか」。汪兆銘は17歳の娘、汪文琳にこう問いかけた。汪兆銘は国父孫文の大アジア主義を継承して、日中の共存共栄こそ中国国民の幸せに至る道である、と確信し、中国共産党や蒋介石とは異なる孫文の誤謬「容共」を訂正し、遺志の実現「反共大アジア主義」を目指した。 

193810毛沢東が部下に与えた指令。「・・・中日戦争は、わが中国共産党にとって、党勢拡大のための絶好の機会を提供している。わが党の一貫した政策は、その勢力の70パーセントを党勢拡張に、20パーセントを国民党との取り引きに、残る10パーセントを日本軍に対する抵抗にふり向けることである」林彪編集『毛沢東思想万歳』

1938年10月27日 日本軍、武漢占領

1938年11月3日第二次近衛声明。 対日協力と和平を呼びかけた「東亜新秩序声明」

1938年12月第三次近衛声明。近衛三原則(善隣友好・日中防共協定締結・経済提携)

1938年12月20日  汪兆銘、重慶を脱出しハノイへ。夫人や、陳公博、周仏海ら「汪兆銘」派同志たちを、日本と交戦中である蒋介石の重慶から飛行機に乗せ、仏印のハノイへ脱出させた影佐禎昭大佐工作成功。

 汪兆銘、字は精衛。1938年国民党副総裁。副総裁の座を捨て近衛三原則に呼応し、反共大アジア主義を唱え重慶を脱出し南京入りした。法政大学卒で孫文の筆頭側近汪兆銘は、共産ではなく実体は、孫文が忌み嫌う西洋覇道の鷹犬、覇道凶産党に、孫文主義から逸脱した覇道蒋介石に気付いたのだ。孫文が早死にしなければ歴史は確実に変わっていた。重慶脱出の際、汪兆銘は蒋介石に、「君は安易な道を行け、吾は苦難の道を行く」と書き残したという。中国の国民の幸せのために、売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平大アジア主義に賭けた。精衛の字は、その証し。しかし、中国の国民には、さらなる戦乱と、共産党独裁政権のもとでの圧制大虐殺という、過酷な運命が待っていた。そして彼が幸せを願った中国国民は未だに尚、「革命尚未成功 同志仍須努力」。

1938年12月支那事変の推移は、1938年12月までには、首都南京はじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、蒋介石・毛沢東の資金源アヘンも押さえ、中国独自では継戦は不可能な状態となっていた。従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうならなかった、米・ソ等が「対日戦継続を条件」に武器・資金援助を行ったからである。

対中国への食民治主義と凶産党の支援

 米国1927~1941.4億2000万ドルの援助。借款(第一次桐油38年12月第二次滇錫40年3月)。1941年開戦後に17億3000万ドル援助。英国1939~1940.2000万ポンドの借款。ソ連1億5000万ドルの援助。その他数回援助。フランス1938年1億5000万フランの借款。1939年9万6000フランの援助(蒋介石支援ルートへの援助)。 西安事件(1936年12月12日)国共合作②(1937年9月)となり、日本南京占領(1937年12月)以後、資金源アヘンを絶たれた蒋介石・毛沢東の裏に隠れ、本格的に援助したため、終わりの無い戦争となった。反共戦争なので日本は引き下がれなかった。戦後WGIPが洗脳した正義解放の連合軍は、真っ赤な嘘。食民治主義と凶産党は中国に隠れ、寄ってたかっての日本・中国(有色人種)潰し、食民治化が真相なのだ。

1939年7月26日 フィンランド、ポーランド、およびバルト諸国を侵略していたソ連とは同盟を結んでいるのに、日本の「中国侵略」を口実に、ルーズベルト大統領は制裁を科し、日米通商航海条約の廃棄を通告。

1939年9月1日 ナチス・ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦。

1939年12月 米国航空用ガソリン製造設備、 製造権の対日輸出禁止。

1940年3月30日  南京政府(汪兆銘)成立。「和平反共救国」を唱える汪兆銘を首班とした「中華民国国民政府」。日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府(反共で孫文の正統な後継者汪兆銘)、米英等が支援する重慶政府(宗主国の傀儡蒋介石)、ソ連が支援する延安政府(凶産党傀儡毛沢東)の、三つ巴の内戦となった。その中でも日本は、重慶(蒋介石)に対して、内戦の早期終結と、「日中共同防共」の希望を捨てなかった、前述の『十二回講和提案』。

1940年夏から集められた義勇兵、中国名「飛虎」。「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった。

1940年6月22日 フランスがドイツに降伏。

1940年8月 アメリカ、航空機用燃料の西半球以外への 全面禁輸。

1940年9月 蒋介石軍への米英の援助ルート封鎖するため仏領印度シナ進駐。英国と交渉し、ビルマルートを閉鎖させることに成功した。これに対して、日中間の和平をのぞまない米国のルーズベルトは、英国の対日妥協を10月に撤回させて援蒋ルートを再開させ、そして、日本に対して、鉄・くず鉄に関する実質的輸出禁止措置をとった

1940年9月27日 日独伊三国同盟(相互援助協定)。敵の敵は味方の同盟。戦国時代の常套戦術である。

日中戦争大東亜戦争の起因は凶産!米中ソの詳細は下記参照

日中戦争大東亜戦争の首魁は凶産

1欧米とソ連の植民地争奪(大航海時代)

大東亜戦争の元凶アメリカ

護国日本とアメリカの西進

日中戦争の元凶ソ連

頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏

6につづく⇒

真実史観6東大女スパイ加藤陽子捏造「日本切腹中国介錯論」の真実を年表が暴く

6東大女スパイ加藤陽子捏造「日本切腹中国介錯論」の真実を年表が暴く

 先人や軍人は、WGIPや、復職赤化教授や、偽中国癌半島罪日や、東大NHK等が愚弄する愚者や狂人ではない。「なぜどうして」と年表を繰れば、すぐに解ること。NHKと東大加藤陽子等はこれらをことごとく隠蔽するスパイ史観で国民を洗脳しているのだ。

 自給自足から脱皮開国以後、「資源無き小国日本」の、最大の弱点が「兵糧攻め」。戦国の御世なので、「兵糧攻め」防御に、小国生存唯一の術、絶えずの先手で適者生存してきたのだ。胡適の件も、予言でもなんでもないただの常識。しかも、転向理由釈明論。日中戦争も、凶産宣戦布告で応戦日本なのに、スパイ史観で愚弄。こんな明解なスパイ工作に、核心を突く反論も出来得ず、野放しにする言葉と文字界、洗脳され、賞まで授与してのスパイ幇助の出版社。日本文系はみな、整合検証回路欠損の病人だ!

 それぞれが単独で、世界の常識日本封殺カード「兵糧攻め」をちらつかせ、「親日反共」の蒋介石を、「抗日へ翻意」と、説得したであろうことは、子供でも容易に窺い知れる。

 生き残りに必死な凶産の「八・一宣言宣戦布告」や、日本を犯人に仕立てあげる工作テロで、「抗日」が扇動され、高まり、蒋介石も側近も、鎮静目的の「交戦已む無し」の思いはあったであろう。そこでもっての西安事件である。そして、「黄禍論」で一致した白人が、今度は団結しての日本封殺カードで説得。これには蒋介石も抗しきれず、180度転向した。180度転向の説明は、支持者国民へは、絶対必要不可欠。転向説明(釈明・言い訳)として、常識(兵糧攻め)を元に、「日本切腹中国介錯論」が作られたのは当然なのである。それをNHKと東大加藤陽子は胡適の予言などと祭り上げ、肩書き傘にヒカエオローして、白紙の純真な高校生を洗脳した。

上記年表が語る真実は、「原文は有るが、35年は捏造」。

 ソース資料提供の鹿錫俊(ろくしゃくしゅん・中国人1955~)大東文化大学教授はNHKで度々の犯日証言者(凶産が出てこない、バイアス凶産教授)なので、信用に値しない。

 東大教授女スパイは「2009年“それでも日本人は『戦争』を選んだ”では1935年の時点での予測・2011年このNHKでは1935年ぐらい」とぼかしトーンダウンしているが、資料には、「胡適より王世傑宛書簡(1935年6月27日)」と明記されているので、事実なら、ぼかす必要など全く無い。毛沢東共産党を「最後の5分間」と追い詰めた蒋介石も胡適も、「八・一宣言」以後の変節なので、年月日が、最も肝腎なのである。特に年月日には敏感なのが歴史学者。その歴史学者があろうことか、「1935年6月27日」と明記もせず、2009年の本には「1935年の時点での予測」、2011年NHK遡り日本史では更に一歩後退し、「1935年ぐらい」とぼかしている。歴史学者として最もあるまじき、不信な行動である。

 1935年6月27日「日本切腹中国介錯論・胡適より王世傑宛書簡「八・一宣言」以前で、しかも毛沢東共産党を「最後の5分間」と追い詰めた張本人が、蒋介石である。「書簡」内容と、現実は、完全に不一致!

 1935(昭和10)年8月1日対日宣戦布告(八・一宣言

 1935年12月9日「一二・九運動」反日運動の際、胡適は、北京の学生の説得にあたった。

 1936年春桜美林創立者清水安三が、胡適と面会、戦争防止を訴えたが、「我々は日本と戦う。自分は以前、国民から嘲笑を浴びながらも、決して戦ってはならないと主張(1935年12月9日)した。しかし今や(八・一宣言以後)、どうしても一度は日本とは戦わねばならない・・・と感じている」と答えた。※まだ書簡」のような徹底抗戦ではない。

 1936年12月12日西安事件。胡適は直ちに打電し、張学良を国家民族の罪人であると激しく非難した。※言行不一致

 1937年7月7日盧溝橋事件

 1937年9月二回目の国共合作と年表を整理すると、西安事件以後の、37年が妥当となる。

西安事件以前は反共で以後は容共の蒋介石

 西安事件(1936年12月12日)以前までは、日本と強調し、胡適も反共で、「最後の5分間」と、壊滅寸前まで毛沢東を追いつめ、「我が世の春」間近であった。「最後の5分間」と追いつめていたのに、「ソビエトの陸軍力を巻き込んで」の「日本切腹中国介錯論」は有り得ず、全く整合しない。

 溺れる者藁で掲げた1935年中国凶産の、対日宣戦布告(八・一宣言)で火がついた抗日の火を消すためにも、対日戦も已む無しかと、凶産掃討後の次の展開として、蒋介石も胡適も「八・一宣言」以後は思案の最中ではあった(1936年春)。がしかしそれは、「八・一宣言」以後のことで、以前は、「最後の5分間」と追いつめていた張本人が蒋介石なのだ。

 日中戦争本格化は、西安事件(1936年12月12日)、そして、二回目の国共合作(1937年9月)180度転向以後の事。転向正当化、言い訳用以外では全く整合しない。原文は180度転向のための釈明用で、日付は、1937年6月27日なのだが、中国一致団結しての抗日を強調するため、2年間遡り、1935年と捏造したと推察される。捏造犯は、凶産崩壊寸前「最後の5分間」を隠蔽したい者である。この捏造犯は、胡適の親日反共からの変節が、「八・一宣言・西安事件以後」であることを知らなかった(中国共産党教科書にはなかった!教えられなかった!)。これが捏造暴露の糸口となった。

 西安事件(1936年12月12日)後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免されている。その後釜が胡適(1938年から駐米大使)。胡適は以後、1942年帰国、1946年北京大学長、1948年凶産に追われ、アメリカへ亡命、後に台湾に移った。

 「本書2009年では1935年の時点での予測・2011年NHKでは1935年ぐらい」とすることで、東大とNHKと加藤陽子は、日中戦争二年も前に予言し団結と、捏造して祭り上げ、子供でも分かる常識論ではなく、予言者の論に仕立て上げた。そして胡適のような深い考えも無く、おっとり刀でノコノコ戦った日本軍は長期戦に引きずり込まれ、大東亜戦争を引き起こした愚か者と、先人をこき下ろしたのだ。よしんば捏造でなかったとしても、予言などではなく、子供でも分かるただの常識論に過ぎないしろものだ。

 NHKや東大教授加藤陽子に洗脳された「マンセー」がブログに得意げに踊っている。日本史(兵糧攻め)に無知で、自分の頭で考えない、鵜呑みし易いコピペ屋さん達だ。資源無き小国の仕組み(資源輸入加工輸出)を考えれば、子供でも分かる、世界の常識で、能動戦争など、有り得ないのだ。資源無き小国日本の能動戦争は、自殺と同じ。

 「日本切腹中国介錯論」は当時の常識駄目押しにもう一つ。「暗黒大陸中国の真実(胡適書簡2年前の1933年出版)1933年・ラルフ・タウンゼント(1900~1975・1931年上海副領事。その後福建省の副領事となり、1933年初めに帰国し、同年に出版)著芙蓉書房2004」の一文を掲げる。293p

 「急増する人口に見合う国内資源が無い日本は、極度の精神的不安に落ちた。これを理解しない限り、日本という国を理解することはできない。日本には長期戦を戦う体力はない。短期決戦しかない。資源の乏しい中、総力を挙げて最高の武器を開発してきた理由はここにあったのである。日本の兵力を試した強国はいないが、一つだけ確かなことがある。誇り高き国民であるということである。愛国心が強く、熱狂的な宗教にも匹敵する。誇りをわずかでも傷つけられたら、いかなる強国にも命をかけて戦う国民である」


石澤「さてー、中国は早い段階から日中の戦いを持久戦に持ち込み、まー、いずれは世界大戦に発展させようというふうに考えていた。一方で、日本はこの日中戦争を早期決着できると想定していました。中国の抗戦意識や軍事力に対する日本の甘い見通しと国際情勢の読み違いから、日中戦争は拡大し、そして、長期化していったわけです。では、日本はなぜ、中国と戦争するまでに関係を悪化させたんでしょうか。そこには、日本が目指してきた大陸進出の野望がありました。その象徴が、満州だったわけです。次回は、その満州を巡る争いから、日中が対立を深めていく過程をたどります」

「さかのぼり日本史・1937年の日中戦争から1931年の日中戦争へ」

映像「善隣門・表に『中華街』、内に『親仁善鄰』の看板文字」

 親仁善鄰』善鄰(鄰は隣の異体字。隣家隣国と仲良くすること)。『親仁善鄰』するためには真実が基本。捏造が党是の凶産中国、嘘つき捏造のNHKや東大では、「産まれるのは戦争のみ」!真実こそが、真の友好の、磐石な礎石である。今回も責任者の開示無し!

 前掲書第三章の1ヘレンミアーズ「蒋介石のオーストラリア人顧問W・H・ドナルドが、ルソンの日本の抑留所から解放された後の記者会見によれば、日本軍は1938年から1940年に至までの時期に、『十二回講和提案』を行ったとのことである。ドナルド氏の略述したところによれば、日本側の条件は、中国に有利だった。日本軍はただ、満州国の独立承認、北支におけるある種の経済的及び開発権益、及び「外蒙からのソ連勢力の拡張防止のため、内蒙の政治的調整」を要求したに過ぎなかった。ドナルド氏の言によれば日本は『これらの提案の中で、何ら領土的要求はしなかった』」。

 日本は、互恵連合大アジア主義へ一直線。以って瞑すべし!


昭和とめられなかった戦争第4回満州事変暴走の原点

語り「・・・戦前、このような貧しい村から、多くの人々が移り住んだ場所がありました。中国東北部旧満州です。広い大地に豊かな実り、天然資源に恵まれた満州へ、500万人を移民させる計画が国の政策で進められました。そのキッカケとなったのが、1931年から始まった満州事変でした。満州に駐屯していた日本の軍隊関東軍は、独断で武力行動を起こし、中国東北部を制圧。関東軍は、その後も侵攻を続け、日本が国際社会から非難を浴びる事態に発展しました。これに危機感を持った天皇や政府は、作戦の中止命令を出そうと奔走します。しかし、軍部の暴走を止めることは出来ませんでした」

 国際社会」の正体は、食民治支配者。「軍部の暴走」は、凶産テロリスト掃討戦。NHKの言い換え洗脳。

字幕1ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

スパイ加藤「大元帥である天皇が、軍を止められないという一つのパターンが出来た。この一つのパターンが、それに続く長い戦争を止められない事態を招いた」

 ソ連と中国凶産をくい止めるには、満州国の砦(経済互恵圏でもある)以外の道無しと判断した結果で、「天皇が軍を止められない」は、東大のつまみ食い捏造洗脳。天皇の命令一下で矛を収めたのは、世界史の事実。

語り「激動の昭和、日本は、なぜ戦争を続けたのか。その原点となった満州事変を見つめます」

字幕「昭和とめられなかった戦争第4回満州事変暴走の原点」

 戦国の世に、抵抗(日本はなぜ戦争を続けた)しなければ、日本は滅亡した。資源無き小国日本の後手は必滅、先手を打ったに過ぎない!年表を繰れば、今では子供でも分かる初歩常識。平和な時代と捏造し、洗脳。

スパイ史観石澤「遡り日本史。この番組は過去へ過去へと時間を遡ることでま、どうしてこういう事態になったのか、時代と時代の因果関係を解き明かしていこうというものです。ここは、東京多摩市にあります、桜ヶ丘公園です。この公園の一角にずらりと並んでいるのは、戦前中国東北部旧満州へ渡った全国の開拓団の碑です。その数は173にのぼります。戦後満州開拓の犠牲者8万人を追悼するために、この場所に碑が建てられました」

 「なぜどうして」と遡らず、野望戦争と捏造し、好いとこ盗りした点と点をつなぎ合わせてこじつけ、加藤陽子が「東京大学大学院教授」の印籠で、女子供にヒカエオローしているだけではないか!なにが「因果関係を解き明かし」だ!

 日清日露も以前も、悲惨だ話は悲話として分離し、歴史を語ってきた。なのに、NHKと東大等は主客転倒、悲惨だ話を歴史本道と捏造、大東亜戦争を悲惨だ話で埋め尽くし、元凶先人極悪軍人と決めつけ、敵は完全隠蔽した。「満州開拓の犠牲者8万人」、この無辜の民虐殺主犯は敵で、護国日本兵ではない!

石澤「・・・そもそもなぜ日本は、中国と戦争するまでに関係を悪化させてしまったのか、満州事変をきっかけに、日本と中国が決定的な対立を深めていく過程を、辿って行きます」

石澤「加藤さんはこのー、満州事変とその後の日本の歩みについては、どんな風にご覧になりますか」

字幕2ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

加藤「えー、満州事変が起きました後、えー国際連盟の総会で、1933年昭和8年からえー、この事変に対するまー処理を交渉してました。まーその時に、関東軍が新たな軍事行動を起こしてしまった。その軍事行動に対してえー、内閣や天皇がそれを、抑えられなかった。そのことが大きなターニングポイントになったと、思ってます。また、それによって、抑えられるかどうかで、歴史は新たな違う道を歩んだかも知れないと思っています」

 国際連盟」の正体は、白人宗主国とその食民治(満州国承認反対42カ国)で、満州国を承認した日本とタイ(棄権)のみが有色人独立国。

 「抑えられなかった」ではなく、迷った天皇が反共で最後に一致。対共産党討伐に重点を置く蒋介石は、対日和平策をとり、反共で一致。1933年5月31日タンクー(塘沽)停戦協定を結んだ。この結果中国は、満州と熱河の放棄を事実上承認し、万里の長城以南に非武装地帯を設けた。

 違う道」は日本の降伏で食民治化、自給自足の江戸時代へ逆戻りで、見捨てた同胞(台湾朝鮮南洋満州南京)からは末代まで、蔑視愚弄の嵐であろー違う道」選択は唯物民ならあるだろうが、唯心日本人には信義上不可能。象と蟻戦争日清日露が証し。唯心民の護国(家族死守)には、条件無く、無条件護国。

石澤「えー、ではまず、満州事変はなぜ起こされたのか、この経緯からご覧いただきましょう」

 満州は、南下するソ連対有色人(日満蒙漢)と、虐げられし難民白人(露ユダヤ等)互恵の砦。満州事変は、モンゴルを征服し南下したソ連とその傀儡、ソ中凶産ゲリラとの反共戦

語り「1929年10月、ニューヨークで、株価が大暴落世界恐慌が始まりました。それは日本経済にも深刻な打撃をもたらします。その頃、あるキャッチフレーズが脚光を集めるようになりました。『満蒙は我国の生命線である』。満蒙とは、旧満州中国東北部の南半分と、内蒙古の東部を合わせた地域のことです。日本はこの時期、中国の国内に数々の権益を持っていました。遼東半島の先端、関東州にある旅順や大連の租借権、そして南満州鉄道。これらは、日露戦争の勝利によって獲得したもので、中国清とも条約を結んで、承認されました。南満州鉄道の沿線は、石炭や鉄鉱石など鉱物資源が豊富に採れる土地でした。これらの権益を護るため、後に関東軍と呼ばれる日本の軍隊が、派遣されていました。しかしその後、清が崩壊し、中華民国が新たに誕生すると、日本が清との間で結んだ条約の、細部の解釈をめぐって対立が生まれるようになりました。1928年、蒋介石が主席をつとめる中華民国国民政府に、満州を支配していた軍閥の張学良が加わりました。張学良は、日本の権益に対抗する計画を進めます。その一つが南満州鉄道と競合する鉄道の敷設でした。日本は、これを条約に違反する行為と見なし、日本の権益を侵害していると考えました。満蒙権益の重要性、これは陸軍によって繰り返しとなえられ、広く日本の国民の間に浸透していきました。そして、1931年9月18日、事件が起ります。奉天郊外の柳条湖附近で、関東軍は南満州鉄道の線路の一部を爆破しました。関東軍は、これを張学良の仕業だとして満州の各地を占拠します。この関東軍の謀略をきっかけに始まった一連の軍事行動は、満州事変と呼ばれました。翌1932年3月、満州国の建国が宣言されます。関東軍は支配した地域を中国から独立させるため、日本の傀儡国家を建設しました」

 柳条湖事件も戦国の世の陣取り死活合戦。謀略知略は戦時下の常道。これを暴走、傀儡国家と護国兵の難詰はどういう尺度なのだ。護国兵への冒涜である。中国権益は英米仏蘭等皆あった。

 『満蒙は我国の生命線である』は経済のみならず、南下ソ連の砦であり、新秩序互恵連合の要。

石澤「このー、満州事変に、当時の国民は、どんな反応をしたんでしょうかねー」

字幕3ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

加藤「ある調査がありまして、こちらご覧下さい。えーこれは、東京帝国大学の学生に調査したもので、満州事変2ヵ月前といいますと、1931年7月ぐらいでしょうか、満蒙に武力行使は正当なりやという質問に対して、然りとイエスが8割、88%。その内訳ですが、直ちに武力行使がいいというのが52%、外交手段を尽くした後には、36%ぐらいでした。ですからまとめていえば、9割弱がやはりもう、武力行使は、もうしていいんじゃないかと思っていた。

画像「満州事変2ヵ月前の意識調査・満蒙に武力行使は正当なりや?・然り88%(直ちに52%・外交手段を尽くし後に36%)」

石澤「でも、これは、帝大生の、まーあのー、意識調査ですよねー。当時の国民全体意識と、どうなんでしょう、似てるんですか」

加藤「え、やはり、私としては、あのー、代表してると思っていいと思うんですね。つまり、事変の前と後で、雰囲気といいますか、前のめりのこう、武力行使していいんじゃないかと変らない、という気持ちは、やはり当時の時代の雰囲気を反映させていると。そしてもう一つは、日本の生存権っていうんでしょうか、そのー中国が、日本のたとえば、基本的な重要な原理に対して、挑戦している。そのようなこう、怒りの感情が、一般的にあったんではないか。それを示しているっていう風に、考えられるんじゃないでしょうか」

石澤「そのー、満州事変っていうのは、あのー、関東軍の謀略である。という風な言い方もされるわけですけれども。そのー、あえて関東軍が事変を起こした目的というのは、どういったとこにあったんでしょうか」 終章7につづく⇒

真実史観7遡り日本史小国が超大国にも立ち向かう戦争理由は条件無き護国以外に無い

7遡り日本史小国が超大国にも立ち向かう戦争理由は条件無き護国以外に無い

加藤「これはあのー、ほんとに軍事的な、こー、戦略から考えまして、対ソと、ソビエトということで関しては、あのー。将来、日本とソビエトが戦う時の戦場をイメージしたときに、中国とソ連の国境ですね、で自然の、天然の、要害がある地域まで。北と西にソビエトを追いやっておこう。これが一つです。で、もう一つはアメリカとの戦争という、総力戦ですねー、これを考えたときに、やはり資源、これを提供する地域としてあのー、満蒙をとっておこう。この二つがあったと思います」

石澤「すでに対ソ対米ということの意識があったということですねー。こうしたそのー、満州での、まー関東軍、軍のですねー、真の行動っていうのは、国民は知っていたでんでしょうかねー」

加藤「これは国民の前には伏せられていました。国民にはたとえば、中国は条約を守らない、そういう条約違反の国だっていうことで、本来条約にはグレーゾーンがあるわけですね、しかしそれが、黒か白かということで説明されていました。ですから、はっきり言えば軍の意図と国民への説明が、非常にこう、ずれていたということだったと思います」

 時代は戦国、南下ソ連と束縛する欧米列強白人連合、敵は中国ではない、戦国時代の陣取り合戦、当然である。開国以後続く戦時下なので、国民は事件の認識済みで皆覚悟していた。集団自裁がその証拠

語り「1931年9月19日、柳条湖での爆破事件の翌日、総理大臣の若槻礼次郎は事件の不拡大方針を現地軍に伝えるよう指示をしました。しかし、軍の暴走は止まりませんでした。関東軍からの要請を受けて、朝鮮にいた日本の部隊がだ直ちに越境して、満州に入りました。本来、天皇の許可を必要とする軍事行動でしたが、軍の独断で進められました。これに対して若槻内閣は、越境は認めないが、必要な経費は認めると、軍の立場に配慮した決定を下しました」

字幕「原田熊雄の口述記録・経費は政府が支援する

語り「この時期、なぜ政府は軍部に強く対抗できなかったのか。実は満州事変勃発の前後、陸軍のエリート軍人が、民間右翼と計画したクーデター未遂事件が起こっていました」

字幕「三月事件・十月事件」

語り「さらに、翌32年には、政治家や財界人が右翼団体の団員に暗殺されるなど、一連のクーデターやテロが、政府をおびやかしました。これが、軍部に対抗する政府の力を、弱体化させる一因となっていったのです」

映像「新聞記事・井上前蔵相射殺・団琢磨男射殺される・狙撃されて犬養首相絶命す」

石澤「それにしてもこの時期に、どうしてここまで軍部やそのー、右翼のテロが、頻発したのかといういう風な疑問も出てくるんですけれども、これ、どうでしょうか」

字幕4ヒカエオロー「東京大学大学院教授加藤陽子」

加藤「一つはあのー、世の中が非常に暗いと、農村の不況や失業が、あったっていうことですねー。そうすると、何の理由でっていうことがって、人は考えたい。で、一方で、1928年の11月の頃なんですが、昭和天皇の即位の大礼ということで、京都が非常に華々しく、まさにあのー、NHKのラジオが全国中継などをやって、天皇像って言うものがカリスマ化されて、人々の目の前に非常に明るいものとして映った。そうした時に人は、あ、じゃー、その、どうしてこんなに世の中悪いのかといった時に、政党内閣であるとかそのー、悪者を天皇の周りに居る、影の部分に求めようとする、その光と影のコントラストで、それではじゃー、陰の部分を排除したら、どうにか政治が良くなるのではないかと、その短絡があったとおもいますねー」

映像・字幕「昭和天皇即位の礼」

石澤「影を除けば、光がより際立ってくるんだと。そういうことなんですねー」

加藤「そういう考えだと思います」

日本は有色人経済圏樹立(満州)へ向かってまっしぐら!

 時代は日本存亡の危機真っ只中。一連の未遂事件は私欲ではなく「公」のせめぎ合い。戦時下日本救国の術は満州(凶産砦と互恵の経済圏)、産みの苦しみである。「経費は政府が支援する」が、せめぎ合いの確固たる証拠。NHKと東大大学院のこじつけ話は、この戦時下危機を隠蔽し、平和時の大陸侵略者極悪日本と洗脳するのが目的

語り「1932年3月、国際連盟はリットン調査団を満州に派遣します。数ヶ月に渡る調査の後、報告書が提出されました。その内容は、満州における日本の権益に理解を示す一方で、満州国の独立は承認しないというものでした。軍部はこれに、反発を強めます。そうした中、33年2月、満州の関東軍が、新たな軍事行動を計画しました。隣接する熱河省への侵攻です。満州の護りを固めるため、熱河省に居た張作霖の軍隊を一掃することが狙いでした。この作戦は閣議で了承され、天皇も裁可を与えたものでした。しかし、総理大臣の斎藤実は閣議の後、熱河侵攻が国際連盟の規約に抵触することを知り、裁可の取り消しを求めました。このとき天皇の語った言葉が、天皇の側近の日記に残されています。『過日参謀総長に熱河攻略は止むを得ざるものとして了解を与えおきたるも、これを取り消しにしたし』これに対して側近から反対の声が上がりました。陸海軍の統帥者である天皇の権威が、失われることを恐れたのです。しかし、軍事行動を止めたいという天皇の思いは明白でした。『統帥最高命令により、これを中止せしめ得ざるや、と、興奮遊ばされておおせあり』結局、天皇の意思が軍部に伝えられることはなく、2月23日、熱河省侵攻は決行されました」

字幕「侍従武官長奈良武次日記1933年2月8日・2月11日」

 昭和天皇は1901年生まれの32歳。1926年の12月即位から7年、天皇とて人の子、「戦時下に禍福を熟慮しての決意」に対しての動揺(悔悟は禍の比重を重く考えるため)は当然である。動揺悔悟は心ある決断者なら当たり前、動揺しないほうが異常。心ある昭和天皇苦渋の決断の証である。

 側近者云々は、NHKのこじつけ、天皇は決断を悔悟し、再度禍福をせめぎあった結果、決断に優るものなしとの確信に至った。それだけ大変な決断であったとの証拠で、征服(単なる征服者なら悩みなど無い)では無く、満州は、凶産の砦と、有色人や避難白人(民族共和)、互恵の経済圏が建国目的との、確固たる証拠である。

語り「その翌日、国際連盟の臨時総会で、日本軍の満州からの撤退などを求める勧告案が、圧倒的多数で可決されます。日本は国際連盟から脱退する決意を固めました。こうして日本は、満州事変をきっかけに、やがて中国との全面戦争への道を歩むことになるのです」

石澤「あのー熱河作戦に裁可を与えた天皇の後悔、これはとても大きかったようですねー」

字幕5ヒカエオロー『東京大学大学院教授加藤陽子』

加藤「そうですねー、あのー、政府と軍、そして天皇、この間をつなぐ元老と宮中側近という者が、当時は居りましたが、その宮中側近にとっては、天皇が中止命令を出した時、それを現地の軍が聞かなかったら大変な事になるんですね。それで結局、宮中側近たちは、天皇が裁可を取り消したいといったことを止めた訳です。で結果的に、大元帥である天皇が、軍を止められないという一つのパターンができた。この一つのパターンが、それに長く続く戦争を止められない事態を招いた。ということになるんじゃないでしょうか」

石澤「その端緒が、ここにあったということなんでしょうか」

加藤「はい、ターニングポイントだったと思います」

 先人軍隊愚弄の種を、好いとこ盗りである。掃討戦の常道で、やむを得ず長城を越えたが、天皇の命令一下(本庄繁・侍従武官長の日記「至秘鈔」)、4月19日、直ちに帰還した。しかし挑発侵入は止まず、天皇と軍から再掃討の許可を得、追撃、5月25日停戦提議を引き出し、31日塘沽停戦協定。これがつまみ食い無き全貌。

 天皇も国民も天道に基づくのが日本人。終戦も天皇の命令一下、矛を収めたのは事実ではないか。これら全てを隠蔽、「天皇が中止命令を出した時、それを現地の軍が聞かなかったら大変な事になるんですね」などとこじつけ捏造、そしてこれが「長く続く戦争を止められない事態を招いた」とこじつけた。このスパイは中々のしたたか者だ!無知の女子供は東大大学院のヒカエオローとこれで、「世界の平和を破壊した極悪軍隊」と、一ころで洗脳だろう。

 さすがスパイである。スパイでないのなら、こんなこじ付けを考える力があるなら、実事求是に力を注げ!丸暗記以外取り柄の無い、この、亡国奴ども!

 戦争(属国拒否)を止めれば、属国化(開国以後の努力はすべて水泡)で自給自足(徳川)に逆戻りの悲惨だ国。資源無き小国、これまでの原動力は唯心。唯心日本人に、属国化(唯心否定)は不可能。

 抵抗(戦争)を止めれば、即刻属国化で自給自足に逆もどりなのに、これは隠蔽し、「戦争を止められない」と、抵抗(自立自尊戦争)を止めたら、ばら色であるかのように扇動しているが、先人の決断は、戦国の世の禍福判断に基づいた決断。この戦国の世は隠蔽し、平和の御世に日本だけが戦争をし、日本が止めれば、平和が瞬時に訪れるかのような絵に描いた餅を語っているに過ぎない、空論である。凶産党社会党社民党民主党の、現実(禍福)無視の、好いとこ盗り論と同じ、100%よいものなど現実界には存在しない!物事にはすべて禍福がある!

語り「岐阜県の山あいの町、高鷲町(郡上市)。満州事変をきっかけに、この町など全国各地から、満州へ開拓移民を送る、国家プロジェクトが進められました。しかし、1945年の敗戦は、開拓移民の運命を翻弄しました。進行してきたソ連兵士や、土地を奪われた現地の人々に襲われ、入植者の多くがなくなったのです。そして、引き上げの混乱の中で、家族が離れ離れになったり、そのまま取り残された人たちもいました。当時高鷲村で開拓移民を訓練する施設の指導者だった福手豊丸さんです。満州開拓とはなんだったのか、今、改めて、その問いと向き合っています」

福手豊丸「名は、開拓であったけれども、事実上は、むかーしから住んどった農家の人々を強制的に、国の力、軍の力で、まー早くいうと追っ払ってやったと。満州の開拓政策というものは、根本的に大ーきな、まー、誤りがあったということ。今はっきりと関係者は自認しておると」

 満州は露西亜に蚕食され、すでに荒れ放題(1000万人)。それを露西亜から奪取し、まず秩序を築いたのは日本(2000万人)。しかし、満州事変(入植)以前の、軍閥・張学良の、25万人の軍人が支配、私的財産の強奪・恐喝・誘拐は当たり前で、5年先の税金まで徴収していた。民衆の4割は、雑穀しか食べられないほど、困窮した。満州建国(入植)5年1937年の満州年鑑、3700万に増加(漢人81%3000万、満州人12%440万、モンゴル人3%100万、日本人1%42万)。凶産テロ一掃で戦国難民が押し寄せた王道楽士満州。治安軍が関東軍で、暴走は捏造の証拠。

満州国の評価(前掲書ヘレンミアーズ)

 1934年イギリスの産業連盟使節団満州国報告書「満州国住民は、治安対策向上と秩序ある政府を与えられている。軍(軍閥・張学良)による略奪と搾取はなくなった。課税制度は妥当なもので公正に運営されている。満州国と他の国々利益のために、経済繁盛が徐々に達成されていると期待された」

 満州事変まで、多いときでもたった一万四百人しかいなかった関東軍が、全満州を掌握できたのも、満州住民の支持があったからで、満州国建国は、満州住民の願いともいえる。日本孤児を育てた満州人がその証である。敵の子など誰も育てはしない。

 したがって「むかーしから住んどった農家の人々を強制的に・追っ払ってやった・日本の誤り」は、典型的な戦後学習日本極悪鵜呑み証言。女子供はこれで皆、一ころで洗脳。なんとも悪辣なNHKと東大である。詳細は→頭山満孫文汪兆銘

石澤「4月10日の桜ヶ丘公園。この日、満州開拓で亡くなった人々の遺族や関係者が、全国から集まり、慰霊祭が営まれました。家族親戚友人、多くの人々の死を、満州で目の当りにしながら、彼らは生き抜いてきました」

信濃村開拓団青木恒明「いやーみんな死にましたよ。親父お袋兄弟、それから、いとこが11人、それからおじおば3人」

語り「集団自決した開拓団の中で、奇跡的に生き残った人もいました」

瑞穂村開拓団永島マス子「今夜あのー、青酸カリで、あのー今夜が最後、自決しましょうということで。あのーそれで一斉に渡されて、弟と私が吐き出しましたんです。母はもう瀕死の状態ていうか、で、衰弱しきっていた中で寝たきりでしょ。そこを襲われて、さらに焼かれてしまったということで。ですから、母の形見も何も、一つも無くって。あのー、校長先生の奥さんかなー『マス子ちゃん、もーお母さんもここで亡くなったから、これからはねー、あのー、日本へ帰るんだから、一緒に帰ろう』って言ってくだすって」

語り「満州事変から始まり日中戦争太平洋戦争へ、止められなかった戦争は、足掛け15年に及び、国の内外に大きな悲劇をもたらしました」

 制作責任者開示無し!

 15年」の日本侵略戦争で、日本が戦争を「止めれば」、直ちに平和が、のように連想させ、「悲劇すべて」の元凶は、日本軍と洗脳した。実際は、自存自衛の九九年戦争で、抵抗(有色人屈服拒否)を「止めれば」、直ちに占領分割され、宗主国(白人)支配の、全世界植民地化が完成した。

 悲惨だ話は歴史の裏面史。悲惨だ話は歴史の本道ではないので、大東亜戦争以前は、悲話として語り継がれた。しかしNHKと東大等は、主格転倒、悲惨だ話裏面史を、歴史本道と捏造、大東亜戦争を悲惨だ話で埋め尽くし、元凶の侵略者を完全隠蔽、先人極悪軍人と決め付けた。先人極悪への、誘導洗脳目的という、哀悼など微塵も無い不埒な考えで、悲惨だ話を用いているのだ!スパイの「悲惨だ話」は、「止められなかった戦争は、足掛け15年に及び、国の内外に大きな悲劇をもたらしました」と、護国の先人に濡れ衣を着せるための、国民洗脳用小道具

 記憶機標本、五百旗頭真、加藤陽子、御厨貴は、検証回路欠損コピペのみの欠陥人スパイ。したがって、これら起用のNHK遡り日本史は、御里が知れる。まさにNHKと東大文系等は、獅子身中の虫、スパイの巣窟。巣窟破壊が日本隆盛の術。

 悲惨だ話で締めくくり、このように悲惨にしたのは敵国ではなく日本極悪軍と教授が語り、ヒカエオローし、NHKは連想誘導洗脳。戦争を生命体の適者生存攻防戦と俯瞰せず、裏面史、悲惨だ話尽くしで覆い尽くしたスパイ史観捏造物語は、復讐扇動物語となり、植民地独立付与宣言以前の復讐連鎖に逆戻りし、亡国である。

自己保存は生命体の本能で、敵の強弱など皆無の無条件!この真理に翻意、宗主国連合は歴史とした。この真理を掲げ続け、人類に知らしめたのが日本九九年戦争

 ワットの蒸気機関で適者生存に一歩先んじた白人が、世界を凶産と食民治で支配し、ブロック経済で席巻。それに抗し破壊、自由貿易、互恵、民族平等に基づく新秩序、植民地独立付与宣言で全世界共栄圏を樹立し、適者生存した有色人連合(偽中国、癌半島、罪日は裏切り者の脱落者)と、新秩序に矛を収め、歴史にした英断宗主国連合残滓が、凶産中国、癌半島と罪日、ロシア。これが、俯瞰した、日本九九年戦争、真実史観である。

 物事にはすべて禍福がある。子孫なら、難詰より、「なぜどうして」が先。先人難詰スパイ教授を鵜呑みせず、立派な親から授かった自分の頭で考えれば、子供でも真実はすぐに現出する。子孫以外に汚名は晴らせない!即刻今、晴らさざれば、後世世界史家の笑い者!実事求是とその真実から、何を未来への指針として学ぶかが歴史学。先人の真実を子孫へ遺すのが我々の使命で、平和への第一歩。完

 

※このNHK国民洗脳放送の、ソース本も検証済み! 1それでも日本人は戦争を選んだ東大教授加藤陽子は女スパイ誘導…

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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