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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1NHK日本人はなぜ戦争へ向かったのかはスパイの日本洗脳ドラマ


 応戦せずの降伏は、有色人は劣等との自認で、子孫や有色同胞への禍根打刻。有色人最後の砦の唯心日本命に換えても屈服は出来なかった。

 南下凶産カルトソ連(露西亜)、東進英仏蘭、西進の白人が、世界を食民治化し尽くし、最後の到達点が唯一の独立国、有色人日本。大和「やまと(大いなる和)」で団結の日本、屈伏を拒否、捏造主義の世界を相手に、たった一カ国で適者生存を懸け、戦った。無謀ではない、生命体自己保存の本能。結果世界は皆追随し、独占貿易破壊(貿易の自由化)、食民治主義破壊(食民治独立付与宣言)、共産は凶産カルトと暴露(ソ連等の自滅)され、捏造主義の残党、捏造政権、偽中国癌半島罪日のみが残ったに過ぎない。天佑を得て日本の戦争目的は果たされたのだ。先人冒涜のNHKは、残党(人類の汚物)、捏造主義のスパイである!

 現実界(歴史は現実界)に原因無き結果など無い。NHKは原因隠蔽し暗部の結果のみ放送してご先祖を侮蔑する。「なぜどうして」と考え、原因をたどれば、NHK隠蔽の真実の歴史が現出する。捏造犯東大文系教授やNHK等が、戦後ひた隠しにして隠した真実の断片を探し出し、元の位置に当てはめ、復元するのが、真実史観の作業である。これは勉強(丸暗記記憶)ではなく、思索(考える・整合検証)だ。 

 

 2011.1.9・NHKスペシャル太平洋戦争70年「日本人はなぜ戦争へ向かったのか4回シリーズ」第1回“外交敗戦”孤立への道。

 これは歴史ではなくNHK国民洗脳ドラマ。CGと証言音声(アッツ大本営音声つなぎ合わせの前科あるNHKなので、信用はできない)による、宗主国、凶産中国、凶産ソ連を完全隠蔽し、すべて日本悪としたNHKの国民洗脳ドラマである。歴史の詳細は頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏へ。

 画面右上に終始の字幕「なぜ戦争へ向かったのか」と戦後66年の今年も「戦争したから悪い」と能動戦争強調しまくりであるが、開国以前から戦争は始まっており、日本タイ以外は占領地の戦国時代で、戦わずは、降伏は、奴隷国。龍馬らの決起はそれに対応したものである。奴隷国も嫌、戦争も嫌は、無い物ねだりのの愚論で現実界には通用しない。無人島で屠殺は嫌、だけど生きたいは無い、死ぬしかないのである。NHK・戦争へと向かった」「NHK・無謀な戦争を選択」「東大加藤陽子・日本人は『戦争』を選んだ」「善悪史観・負けると解った戦争をした」「読売新聞・戦争責任の、能動ではない既に戦争であった日本人受動の蜂起である!冒頭から捏造洗脳のNHKである。NHKのお題目「太平洋戦争」は、米国が新しい歴史を捏造し発明して押し付けた発明品で、正当は「大東亜戦争」。「傀儡国家満州」も同様のNHKお題目である。NHKはつまみ食いで洗脳しようとしたが、「受動戦争」と踏まえて視聴すれば、弱小国日本がいかに戦争回避に腐心したかの苦闘史である。

 国辱NHK松平定知は、日本軍先人馬鹿と、罵倒語の羅列であるが、どこの国にこんな公共放送があろうか!偽中国癌半島放送局と呼ばれて、解体は当然である。

真珠湾上空のヘリから、松平定知がナレーション「私の目の下は、アメリカ軍基地真珠湾パールハーバーです。70年前日本軍はここを奇襲攻撃して、あの、いわゆる太平洋戦争は始まりました。当時の国力差は、アメリカは、日本の数十倍でした。で、三年半後日本は悲惨な敗北を喫するわけですが、あの戦争はようやく今になって、さまざまな真実が浮かび上がりつつあります。70年前我々日本人はなぜあのような無残な戦争へと向かったのでありましょうか」

松平定知(偽中国、癌半島のハニーマネー太りか?)がしたり顔で奇襲攻撃(能動戦争強調)強調画面である。国力差数十倍と戦う(能動)は、戦ったのではなく攻められた(受動)の証拠である。資源封鎖され、凍結された資産資源奪取の進撃に対し、背後の敵アメリカの追随を断つための攻撃が、真珠湾である。資源無き小国必勝の策は奇襲しかない。真珠湾奇襲は、迫る飢餓から日本国民を救うための攻撃にすぎない。東京裁判でもこの日本の主張を認め、戦勝国も主要訴因から外した。それを、起因(資源封鎖)は隠蔽し、真珠湾奇襲のみを強調、66年経てもしたり顔で取り上げるNHKは、いったいどこの国の公共放送局なのだ!先に殺さなければ殺される非常時の戦時下、愚弄ネタは山ほどあるが、戦時下の常識で考えれば当然なのである。それを平和時の常識で取り上げ、非難愚弄するのがNHK洗脳の手口である。NHKの真実とは、新たな先人愚弄ネタである。

「あなたは日本がアメリカと戦争をした理由を知っていますか」と字幕「理由ですか、いやーわかんないですね(女)。軍部の独裁で決めたことなんでないの(男)。国を豊かにするため(男)。勝ってさーあ、領土取りたかっただけなんじゃないの(女)。やられる前にやる。ですかね(男)」と音声。字幕

良く知っている7%

ある程度知っている37%

あまり知らない38%

まったく知らない16%

無回答2%

字幕「今こそ 知るべき過去がある」

松平「なぜ日本人は戦争へと向かったのか。その疑問を解き明かす貴重な手がかりが残されていました」

NHKの貴重な手がかりとは先人愚弄ネタ。戦時下の常識で考えれば当然な話なのに、NHKが平和時の常識にすり替えて話すので、善良な国民は皆洗脳される。

字幕「国立国会図書館 憲政資料室」

松平「戦争への重大な決定に関わった当事者に、戦後研究者等が、聞き取りを行った資料です。政府の閣僚から軍の幹部まで総勢およそ100人、未発表の肉声が大量に見つかりました」

NHKや3H(半藤、秦、保阪)等は、証言を金科玉条の印籠(水戸黄門)扱いするが、戦後の聞き取りなので、結果論。迎合日和見主義者の発言や拝金の偽証言(731、百人斬り、従軍慰安婦、泰緬鉄道、南京虐殺等々)が当然混在する。検証無き鵜呑みは愚論!

外務大臣有田八郎「日本というのはね、自分の国は強いと、あるいは進んでおると、それで付け上がっているんですよとにかく」日和見主義者証言

企画院総裁鈴木貞一「戦争をしなくちゃいかんということを考えておった人は、陸海軍といえどもないんだな。本当に計算してやれば、戦争なんか出来ないんですよ」

内大臣木戸幸一「誰だって戦争をやろうと思ってる奴はいないよね。不思議なんだよどうしてああいうことになったのかね」

陸軍軍務局長「私はよく東條さんにも言うたんですが、船はまるでこのーナイアガラの瀑布の上まで来てしもうたんだから、右にも左にも舵が切れないんですよ、滝つぼまで飛び込むよりほかに、しょうがなかったんだと」

字幕と真珠湾攻撃の映像「真珠湾攻撃12月8日」

奇襲攻撃なのに、なぜか待ち構えていたかのような米国民洗脳用記録映像が存在するのか?誠に不思議な映像である。

松平「70年前なぜか戦争への道を選んだ日本。その理由を発見された新たな資料を基に明らかにしてゆきます」

字幕「日本人はなぜ戦争へと向かったのか4回シリーズ」

戦争への道を選んだのではない。戦国の世に兵糧攻めし、日本国民を餓死させようとした敵を倒すため、日本が蜂起したにすぎない。

字幕「第一回“外交敗戦”孤立への道」

松平「満州事変から日中戦争そしてあのいわゆる太平洋戦争へと続く戦前の歴史、その道は単純な、この一本道ではありませんでした。いくつもの分かれ道を持つものでありました。なぜ日本はあの時あの道を選んでしまったのか、実は今回私たちは非常に貴重な肉声のテープとそれから、世界10っカ国以上から資料と、それから、最新の研究成果を集めることが出来ました。そこから見えてきたものはですね、これまで言われてきたような単なる軍部の暴走、軍部の横暴によるものではなくてですね、それでは片付けられない、えー繰り返された過去の過ちの数々でございました。日本人はなぜ戦争へと向かったのか、今日から4回にわたって検証してまいりますが、テーマは軍の組織の問題、それからメディアの体質、それにはリーダーの決断とありますが、一回目の今日は外交を取り上げます。世界からなぜ孤立してしまったんだ日本はというのがテーマです。重要な幾つかのターニングポイントがありましたけれども、中でも決定的な第一歩はですね、あの国際連盟からの脱退でありましょう。あたかも名誉の孤立であるかのようにいわれていたこの脱退劇ですが実は皆さん実際はそうではなかったんですね。日本はなんとかこの連盟から脱退しないように、脱退しないようにということで心を砕いておりました。しかし結果としてああなってしまった。ここにですね、日本が繰り返してきた過ちの原形を見るのでございます」

何を根拠に、こんな馬鹿げた言葉を羅列することが出来るのだ。弱肉強食戦国の御世に、資源無き小国日本と国民を、必死に護り対処してきた先人。年表を繰ればこのことは子供でも判ること。これを、戦後66年後の今年も、「過去の過ちの数々・繰り返してきた過ち」とは!スパイNHKの面目躍如である。

日の丸に×印、打倒日本を掲げる10.9.18.中国瀋陽市のデモ映像。

デモ隊音声字幕「中国の主権を返せ。侵犯するな。魚釣島を返せ」「国辱を忘れるな」「九一八事変(満州事変)追悼式典」

松平「尖閣諸島をめぐって日中関係が激しく揺れていた去年の9月18日瀋陽市で開かれたある式典に中国全土の視線が注がれました。79年前この場所で起きた九一八事変いわゆる満州事変を思い起こそうという集会です」

中国音声と字幕「79年前の今日、日本帝国主義は東北部に大規模攻撃を開始しました」

中国児童の音声と字幕「歴史を心に刻み 過去を忘れるな」

松平「今なを日本に突きつけられる憎悪と不信。満州事変は世界と日本との関係を徹底的に変えた大事件でした」

憎悪と不信」と、偽中国凶産の、プロパガンダをそのまま垂れ流すNHKは、スパイ(偽中国・癌半島)の巣との、自白映像である。尖閣諸島のようなテロ事件を凶産中国やソ連が頻繁に引き起こし、これを解決すべく起こった事変、それが満州事変(対凶産)で、対中国国民ではない。

字幕と戦争映像「満州事変1931年9月18日」

松平「1931年9月18日瀋陽郊外の柳条湖で、日本の経営する南満州鉄道の線路が爆破されました。これを中国軍の仕業として関東軍は武力による攻撃を開始、5ヶ月でほぼ満州全域を制圧し、翌年には傀儡国家の満州国を独立させました」

多いときでもたった一万四千人しかいなかった関東軍が、全満州を制圧できたのも、満州住民の支持があったからだ。線路爆破は諸説あり。

字幕「スイスジュネーブ」「この後ろに見えてくるのが旧国際連盟の本部です」

松平「日本の行為は国際法違反だとの非難の起こる中1932年12月、ジュネーブで国際連盟の総会が開かれました。松岡洋介を全権とする日本代表団審議の末、名誉の孤立とされる連盟脱退を演じます。しかしそれは既定の方針ではなく、当初の使命は手を尽くして連盟の残ることでした。それを裏付ける証言が見つかりかました。当時松岡に密着し一部始終を聞いた記者の肉声テープです」

新聞記者楠山義太郎「これは御上(天皇)からとも言っていいくらいね、満州問題の上に支障なき限り、連盟内に留まってくれと言われて来たんだ少々連盟で悪口を言われても、これは(話を)まとめて帰らなきゃいけないんだと」

日本の本意、戦争回避、当然の証言である。

松平「証言に基づき当時を再現します」

字幕「国際連盟総会1932年12月6日」。以下再現CG映像。

語り「12月6日国際連盟総会満州問題の審議が始まった。各国から次々と日本への非難が起こった」

アイルランドシーン・レスター「満州国は日本の明白な国際条約違反である」

スイスジョゼッペ・モッタ「外国だからといって力を好きに行使してはならない」

スペインサルバドール・マダリアガ「この侵略を黙認すれば連盟の威信は地に落ちる」

語り「加盟国の多くは連盟の理念を守るべきだと強調した。一方イギリスなどの列強は露骨な日本非難を控えていた。演説に立った松岡は日本には非が無いと主張した裏には列強の期待があった」

アメリカ人の鑑ヘレンミアーズ「雌の鵞鳥に面白いことは、牡の鵞鳥にも面白いのである。(一方に当てはまることは他方にも当てはまるの意。欧米列強の行動と、日本の行動は同じで、非難する資格など、欧米列強には無い)」

新聞記者楠山義太郎「(松岡も)イギリス人とフランズ人は大体話は分かってくれると思うという。松岡の得意の言葉で"頬かっぶり主義”でいくよりしょうがない」

松平「しかし、この時点までは日本が完全に孤立したわけではなかったことが明らかになってきました。実は列強各国も揺れていました」

字幕「イギリス国立公文書館」

松平「当時のイギリス政府の意外な考え方を示す資料が見つかりました」

意外な考え方ではなく当時の常識。

字幕「これが当時の極東外交文書」

松平「国際政治の大物だったイギリス外相ジョン・サイモン。満州事変後の閣議で、日本には宥和(大目に見る)姿勢で臨む、制裁はしない、との方針を示していました」。当時世界は国際協調に基づく脱帝国主義的な外交の有り方を模索し始めたところでした。しかしそれは現実には徹底されず、欧米の列強は植民地や権益を手放していませんでした。

字幕「英国 インド、エジプト、マレーシア

仏国 アルジェリア、ベトナム

米国 フィリッピン、パナマ、キューバ」

松平「特に1929年の大恐慌以降、列強は自国の権益に固執する姿勢を見せていました。関東軍の行動はそうした情勢を見て起こしたものでした。日本政府もまた世界をそう認識、満州を実質的に支配下に置きます。今回の証言テープから伝わってくるのは自分たちの行動は特別ではないという日本側当事者の楽観です」

楽観と愚弄しているが、戦国時代(国盗り合戦で占領したところが国境)の戦時下なので、上記のように列強が占領していた。楽観ではなく、当時の常識。

関東軍参謀片倉衷「当時の姿勢はですよの、列国も大体そんなものなんですよどこの国も、あんまりたいしたことないんですよ、みんなやっているんですから」

陸軍省幹部鈴木貞一「兵隊を動かすことを満州だけに限定するなれば、国際的にはそう心配することは無い。国際連盟というものは言論でワーワー騒ぐのであって、力を持ってやってくるということは無い」

松平「しかしこうした希望的な解釈は後の戦争へとつながる国家の判断におおきく影響していきます。決定的な分岐点はすぐ訪れました。審議4日目、イギリスサイモン外相が日本代表団に秘密裏に妥協案を提示してきたのです」

希望的な解釈では無く、戦時下当時の常識に沿ったのである。

語り「そろそろ事態の収受をはかってはいかがか。サイモンの提案は中国に直接利害を持つ国で委員会を作り建前論を超えて話し合おうというものだった」

松平「この時、妥協点としてサイモンの念頭にあったのは、リットン調査団の報告でした。これは満州国を認めないなど、日本に極めて厳しい内容だったと思われていますが、満州を国際管理にしてそこに日本人顧問を起用するなど実は日本に配慮した提言でもありました」

語り「一方、予想以上に厳しい連盟の空気に接した松岡らは、強気で押し通すことに限界を感じていた」

語り「協議○目松岡は本国に具申した」

語り「日本側も考え直しむしろ提案を快諾すべきと確信する」

字幕「外相あて松岡電文より1932年12月14日」

松平「しかし外務大臣内田康哉はこのイギリスの提案を拒絶します。というのも、当時日本の政党は国民の支持を失い、政府は民意を取り戻すことにキュウキュウとしていました。日本の世論は、満州国の誕生に熱狂。政府はこの国内世論を優先するあまり、イギリスの提案すらかえりみる事は無かったのです。そこにさらに厄介な問題が持ち上がりました。関東軍が新たな軍事作戦の許可を求めてきたのです。今度は(万里の)長城をはさんで北京に隣接する熱河地方でした。この時の現地軍の情報を当時の参謀が証言しています

自給自足(徳川時代の農業国)から工業国(輸入輸出国)に転換した資源無き小国島国日本の資源封鎖は、窒息死で、満州朝鮮半島は、資源食料確保の日本の生命線。戦国の御世に手放せば、日本壊滅は必然で、手放す馬鹿など当然いない。当時は戦時下で平和時ではない!

関東軍参謀中野良次「戦をやっておる者が途中で止めると命に関わる問題。軍の運命に関わる問題ですから、途中で止めるってわけにはいかないんです。それを東京が許さんからといって見殺しにするわけにもいかないわけです」

字幕「政府閣議1933年1月13日」

「年明け1月政府は対応を迫られた」

CG画面荒木貞夫陸相「関東軍が許可を求めている熱河作戦ですが、行動は満州国の内部すなわち長城の東側に限定するよう厳命しております」。内田外相、斉藤実首相。

語り「政府は関東軍の要求をはねつけることが出来なかった。長城を越えないならばという条件で作戦を許可した」

CG画面有田八郎外務次官「関東軍が今動けば連盟の交渉には差し支えますよ」

CG内田外相「そうはいっても熱河は満州国の中だ、説明すれば連盟も分かってくれるだろう」

語り「それはまたしても希望的判断だった。満州国内の治安活動なら、国際問題にならないだろう。軍との摩擦を避け、内側の事情を優先した選択だった。その一方、世界の出方についてはさらに甘く見ていた」

NHK隠蔽洗脳の部分

1933年5月30日タンクー(塘沽)停戦協定(日本軍と蒋介石軍との停戦協定)日本軍は内蒙古熱河省に進行、万里の長城以内に進出した。対共産党討伐に重点を置く蒋介石は対日和平政策を採り、万里の長城以南に非武装地帯を設け、両軍は撤退した。治安維持は中国警察が担当した。以後蒋介石中国は、満州国を認め、満州事変終結。

字幕「ジュネーブ宛内田外相電報」

語り「全権団に送った支持は連盟に事態を静観させ、このまま満州問題から手を引かせよ。連盟の一方的譲歩を求めるものだった」

ロンドン大学アントニー・ベスト教授「日本はイギリスなど列強の政治の潮流を読み誤ったと思います。帝国主義から民主主義的な政策へ重心は移りつつありました。日本政府はまだ列強が古い通念に留まっていると考えたのでしょう」

これはNHKの洗脳。日本敗戦後列強は、再支配のため、みな舞い戻った。

語り「松岡の怒りの電報が届いた」

字幕「外相宛の松岡電文より1933年1月30日」

CG内田外相「国家の前途を思い素直に申し上げる。物は八部目でこらえるのがよい。一切の行き掛かりも残さず連盟に手を引かせるなど、出来ないことは最初から政府もご承知のはずである」

松平「国際連盟脱退の真相は最近になって明らかになってきました。2月始め、連盟が対日勧告の作成に入ったところから事態は急展開します。外務省は重大な誤算が生じたことに気づきました連盟の勧告が出るタイミングで日本側が挑発的な行動をとった場合規定により、日本は経済制裁を課される恐れが出てきます。ところが関東軍は閣議の了承と天皇の裁可を得てすでに動き出していました。にもかかわらず誰も関東軍に作戦を撤回させようと。むしろその代わりに、外務省が場当たり的に持ち出したのが、連盟脱退論でした」

学習院大(政治外交史)井上寿一教授「日本が脱退しますといえば脱退していく国に対してわざわざ経済制裁をするということは無いので、逆説的ですけど経済制裁を避ける、政府の中で統一した意思決定が出来ていればそういう奇策に頼る必要は無かったわけですよね

字幕「脱退方針の訓令2月20日」

松平窮余の策に飛びついた政府は、松岡らに連盟脱退の方針を伝えました。延命残留を目標にしてきた松岡は、政府の場当たり主義に激しい失望を覚えました」

NHKは一方的に場当たり的に持ち出した窮余の策と愚弄しているが、実体は白色(食民治主義・凶産主義)対有色(世界で唯一の有色人非干渉独立国家日本)なので、選択肢が無かった

字幕「国際連盟総会1933年2月24日」

松平「2月24日、リットン案よりさらに厳しい勧告案が総会に提出されました」

連盟総会映像イーマン議長「勧告案は採決されました」

映像語り「日本の松岡代表が発言を求めています」

松岡「日本は断じてこの勧告の要請を拒否する」

松平「日本が真の孤立、そして、その先の戦争への道に向け大きく踏み出した瞬間でした」

松岡の後日音声「できることならば連盟に残っておりたい、同意をしたい、この点につきましては私の微力、誠に国民諸君に申し訳ないと考えておるのであります」

松平「この時日本は何を誤ったのか。それはこの時の行動原理が内側を向いていたということでしょうか。つまり、内部の対立を避けてですね、外に向かってはまああれぐらいのことは大丈夫だろうという希望的判断に終始したということです。でそれが、甘い幻想だと解るとですね、この急場しのぎに奔走するということになる。国家としてのですね、基本的な戦略がないためにですね、何かことが起こると小手先の微方策に走ってしまうということになります」

字幕「希望的判断・急場しのぎ・戦略の欠如

1933年2月24日国際連盟がリットン調査団報告書採択。42対1、反対は日本だけ、タイ(シャム)は棄権で採択すると、すでに満州国を承認していた日本は勧告を受けつけず、3月27日連盟を脱退した。NHK松平は、先人愚弄無茶苦茶しまくりであるが、国際連盟採択の真実は、42(宗主国・植民地・白人)対1(内政非干渉独立国有色人日本)なのだ。つまり欧米列強とは宗主国・白人で、当時の世界で、有色人、自立自存独立国家は唯一日本だけであったことを物語っている。日本の首脳は、宗主国白人(全世界征服者)対有色人(有色人内政非干渉独立国家唯一の日本)と、人種差別をハッキリと認識した瞬間である。

松平「そしてもう一つの複雑な問題が顕在化いたしましたそれはこれをご覧ください。大恐慌のあった1929年から6年の間に、7人の首相が日本変わっているわけですね。短い間にころっころころっころ日本の首相が変わっていく、つまり、政党が民意の支持を得られずですね、内閣が求心力を失っていく。軍部をはじめ各組織がですね、てんでばらばらに自分の政策や外交を展開していくことになる。そうした中で、思わぬ形で始まったのが1936年ナチスドイツへの接近でありました」

NHKは愚弄するが、護国への日本の苦悩である。

字幕「防衛省防衛研究所」

松平「孤立を始めた日本の行くへに、影を落とすものがありました。軍による外交への介入です。防衛省で世界の暗号や情報戦の研究をしている小谷賢調査官。日本軍の知られざる暗号解読力を明らかにし、軍が外交介入へと至った背景を浮かび上がらせました」

当時は戦時下、軍主導は当然である。NHKは何としても極悪軍にしたいようだ。

小谷賢調査官「戦前の日本軍の暗号解読力は世界トップレベル。米英ソなど年間数万通の外交文を読み通しています。中国に関しては、軍事暗号までほとんど解読、高度の情報収集によって現地軍は、独自の対中感を持ち始めていました。1933年蒋介石の国民政府は、日本との停戦に応じ妥協姿勢に転換していました。しかし軍はこれをまったく信用していませんでした。たとえば、現地軍が掴んだ国民政府NO2の極秘発言です」

字幕「わが政府は、東北部を放棄するつもりはなく、偽国家(満州)の存在も、黙認しない。強盗が室内に侵入し、この家の住人が力及ばず屋外に追われたからといって、家が強盗のものにならないのと同じことである」 2につづく⇒ 

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真実史観2国辱NHKのスパイ角英夫・内藤誠吾・関正和・松平定知・外交敗戦

清は、満州人が万里の長城以内の漢人の地を占領建国。孫文蒋介石は、漢民族(万里の長城以内)自決が旗印。事実ならこれは、潜入したスパイの撹乱発言。

松平「こうした情報を軍は外務省側に伝えませんでした。そして国民政府の姿勢を偽装と決めつけ一方的な敵視を強めて行ったのです」
松平 「そして1935年5月現地の陸軍は思わぬ行動に出ました。対ソ防衛を理由として国民政府を相手に、中国北部からの退去を要求するという、外交上の越権行為に出たのです。現地軍の行動は政府にとって寝耳に水でした。外務省は軍とは逆に国民政府への支持を軸に、日中関係を改善し、国際的孤立を回避しようと考えていたからです」

前述の5月30日タンクー停戦協定のことを外交上の越権行為捏造罵倒表現し、洗脳
 
当時の中国は、満州から北京に張作霖、揚子江上流呉佩孚(ごはいふ)、下流が孫伝芳、西安の奥が馮(ふう)玉祥、山西省には閻錫(えんしゃく)山、そして、毛沢東凶産軍、蒋介石国民軍が群雄割拠していたので、中国政府=蒋介石国民軍ではない。政府皆無の戦国時代そのもので、平和な中国ではないのだ。国がないので当然紙幣など無く、アヘンが貨幣。以前にこれを隠蔽し
上巻極悪NHK日本軍と阿片で捏造洗脳軍命で犬死無駄死した愚民と英霊愚弄と洗脳放送した

字幕映像「広田弘毅外相」

外相秘書官安東義良「政府としても外務省としても、国民的孤立を脱しょうとしたわけですよ、中日関係を良くしようとそれが主眼であった。もう他の(中国領土)の方へ手出しをするなんていうことはね、これはもう厳禁だという気持ちが非常に強かった」

松平「軍と外務省、一つの国家に、まったく相容れない外交方針が並存する二重外交が生じていました」

群雄割拠で国家が無いのに、二重外交呼ばわりは、洗脳。

防衛省小谷賢調査官「陸軍はそういった中国の反抗、反抗姿勢を強調して捉え過ぎた。逆に外務省は、弱い中国というか、日本と協力したがっている中国のイメージで情報を読んでしまってそういったイメージを作ってしまった。どんどん陸海軍・外務省の縦割りが進んでしまって、情報共有というのはまったく出来なくなってしまった」

映像「元老会議(戦略一元化)に上申する海軍外務省陸軍」

松平「なぜこの時期に外交の分裂が生じたのか。かって、日露戦争の頃は対外情報を総合的に判断する組織や、外交方針をまとめて各組織に従わせるリーダーが存在していました。30年代にはその役割を政党内閣が担うはずでしたが、政党の不人気や相次ぐテロなどで内閣は弱体化、独自の行動を強める軍を、統一した方針の下に従わせることが出来なくなっていたのです。特に中国大陸では、軍の独断行動が顕著でした」

最前線で直接軍が接した相手と、日本本土で考えている相手が異なっただけのことで、軍の独断行動ではない。群雄割拠で国家が無いことを隠蔽し、独断極悪軍と洗脳している。


字幕「外務省会議1935年6月27日」

CG映像と字幕「外務省次官官邸」

語り「対中国外交の矛盾をどうするか外務省の緊急会議で思いもよらぬ案が飛び出した」

南下し続ける露西亜ソ連に対しての防共は、当時の世界の常識で、思いもよらぬ案NHKの捏造洗脳。

CG重光葵外務次官「陸軍が中国に出した要求は日本と中国が共同でソビエトに備えるためと説明してはどうか」

語り「重光次官がひねり出したのは、国家を超えて共産主義に対抗する、防共協定というアイデアだった」

松平「当時、共産主義の拡大は各国首脳にとって大きな懸念となっていました」

ここで、当時の世界の常識(大きな懸念)と答えているではないか。なんで常識が思いもよらぬ案、アイデアなのだ!NHKの洗脳。

字幕「国共内戦1927年」

松平「特に中国では国民政府と共産党の内戦が激化する様相を見せていました。共産主義に対抗するという名目で蒋介石に連帯を呼びかけようとしたのです。新たな国家戦略として急浮上した防共外交。その中心人物となった遺族に会いました」

日本と蒋介石国民党軍、当初は棲み分けし、共に反共戦争を続け、蒋介石は共産党を最後の5分間まで追い詰めていた。初めての本戦は、1936年12月12日西安事件以後である。

映像字幕「有田八郎遺族山室宗光」

松平「今回有田家からは膨大な資料が見つかりました。日本の要は日中関係にあると考えた有田は、国民政府に防共協定の働きかけを強めました」

字幕「外務大臣有田八郎」と音声「中国との間の防共の問題は、北支方面における地域としてね、防共協定はやってもよろしいと、向こうの張群(中国外支部長)の考え方だ。それはだんだんと西北方面から共産党の勢力が伸びてきたために、そして、あそこに、ソ連のほうは兵力をもってだんだんと圧迫してくるということもあるわけだ」

松平「有田の防共外交は、中国を手始めに、さらに世界へと広がっていきました。最近になって情報公開が始まったポーランド。日本の防共外交の痕跡が残されていました」

ポーランドワルシャワと国立近代文書館の映像

館員の語りと字幕「これは日本から持ちかけられた政治協定の外交資料です」

松平「有田がポーランドに防共協定を参加を呼びかけた資料が今回、初めて確認されました。他にもオランダベルギーなど、日本が懸命に孤立脱出を模索した実態が分かってきました」

外務大臣有田八郎音声と字幕「一国でも多くこれにね(防共に)、参加しておるほうがよろしいというその気持ちもあって、あの当時の政府におる者はね、陸軍にしても海軍にしてもまた外務省にしても、孤立化を何とかして何しないと、だんだん悪い方に移行しないかと」

松平「有田の構想はすでに働きかけている中国に加え、さまざまな国に対ソ防共の連帯を呼びかけ、孤立脱出の足がかりにしようという大掛かりなものでした」

松平「この時期、外務省とは別の外交工作がドイツの片隅で、一人の男によって進められていました。日本の戦争への決定的なターニングポイントになったとされる、ナチスドイツへの接近です。ベルリン駐在陸軍武官大島浩。ヒトラーや大作曲家リヒャルト・シュトラウスらと交流し、日独接近の立役者となりました」

字幕と映像「駐独陸軍武官大島浩」

大島浩遺族槙恒治「自分は国をミスリードしたということはね、それはとにかく、公式に言ったわけですから、そういうところの責任はあるということは考えていたと思いますよ」

国をミスリードは戦後の結果論で、当時は戦国の世、一カ国でも味方がほしかった。切実な小国日本の姿である。


映像「ドイツベルリン」

松平「世界はまだ大恐慌の後遺症に苦しむ中、もっとも見事な経済回復を遂げていたく国がドイツでした。ヒトラーの下で猛烈な軍拡を進めるドイツは、激しい緊張を周囲にもたらしていました。大島は陸軍中央の了解を得て、ドイツとの軍事同盟を模索し始めました」

映像「ヒトラーと大島」

大島浩証言「ドイツの方でもロシアを対象として、どこか相手がほしい、仲間になる相手がほしい、という考えがあることは非常に明瞭になったものですから、こういう風を利用したらどうかということを、私はちょっと考えたんです。私はこれやる時分に、陸軍からも『具体化するまでは黙ってくれ』とそういうような関係で、別に(政府に)報告も何もしませんでしたからね」

松平またしても生じた外交分裂、1936年の初め、陸軍の動きを知った外務省は危機感を覚えます。ドイツへの安易な接近は、欧米諸国の反発を招き、日本をさらに孤立させる恐れがあったからです」

外相秘書官安東義良「これは、日本の外交体制としては、もう最重要点になる。うっかり陸軍のいいような風にばかり考えてったら、とんでもないことになってしまう」

松平「しかし有田らは陸軍を止めるのではなく、ある国と手を結ぶことで対処しようとします」

有田八郎音声と字幕「ドイツだけじゃいかんと、ことにイギリスというのは同じようでなければ外務省は承諾しないと。陸軍は反対したけどそれを押し切ってですね、同時にとにかくスタートさせようと」

NHK洗脳の外交分裂ではなく、選択肢を広げたに過ぎない。


松平
「反ドイツの急先鋒だったイギリス外務省、有田はここを味方に引き入れる行動に出ました。有田の意を受け、イギリスの説得に当たったのは駐英大使の吉田茂でした」

字幕「駐英大使吉田茂会談」

CG画像

語り「1936年7月30日、吉田は、対イギリス工作を開始した。イーデン外相に対し、防共外交への協力要請をこう切り出した」

CG吉田「日本と力を合わせるよう中国には、あなた方の口ぞえをいただきたいのです」

CGイーデン外相「失礼ですが、中国側もこのことは了解しているのですか」

語り「吉田の提案は10項目に及んだ。イギリスは中国に防共への参加を説得してほしい。ゆくゆくはイギリスも加わってほしい。しかしイーデンは簡単に吉田の誘いには乗らなかった」

映像イーデン外相「ひとつ間違えばこの協定は、世界を割ってしまう恐れはないでしょうか」

松平「防共外交は迷走を始めました」

迷走はNHKの洗脳。護国への先人の必死な姿である。

松平「ベルリンの大島は、早い段階からイギリスが防共協定に消極的なことをつかんでいました。ヒトラーの腹心のリッペントロップがすでに、イギリスとの連携を模索、失敗していたからです」

証言大島浩「リッペントロップも私にはね、イギリスが到底友にはならんということをしっかり報告しようと言っていました。どうも総督はイギリス贔屓だから」

松平またしてもこの陸軍側の情報は吉田ら外務省側には伝えられていませんでした。一方の吉田も、イギリスとの交渉を独自の考えで進めだしました。東京の意向を確認せず、イギリスに中国の共同経済開発を打診したのです」

「またしても・確認せず」はNHKの洗脳。

証言有田八郎「吉田君が支那問題に大して『一緒にやろう』とプロポーズした。ところが、日本政府はそうは思ってはいなかった。そこで(イギリス側は)違いがわかってきた」

松平「イギリス側は戸惑いました。ベルリンの大島等の動きも監視していたイギリスは、すべてがちぐはぐな日本側の真意を疑い、次第に不信感をつのらせてゆきます」

英文映像と語り「今日も吉田がやってきたが日本側の本当の意図がわからない」。「まともに彼らを相手にする必要はない、このまましばらく遊んでやればよい」

松平「世界を股に掛け、何とか孤立を回避しようとした防共外交の試み。しかし、自らを統制できない日本外交の現実は、かえって日本への信頼を失わせていました。最初に防共協定をもちかけた中国でも、日本のまとまりのなさが影を落としていました。1936年10月、蒋介石と川越茂大使との間で、防共協定をめぐる交渉が大詰めを迎えます」

偏らず、英独等々あまねく呼びかけた結果、賛成(共産を凶産と看破)反対(凶産を共産と錯誤)が出ただけのことである。それを、「自らを統制できない日本外交」とは、NHKの洗脳である。

字幕「日中国交交渉1936年10月8日」

CG川越茂大使

語り「中国を何とかつなぎとめようと、日本側はあせっていた」

CG川越茂大使「ただ親善を口にしていても意味はないでしょう。共産主義に対抗する共通の目標を掲げましょう」

CG蒋介石「わが国にはソビエトに反対する事を好まぬ空気があります。まずはそれをどうするかなのです」

語り「だがこの時点で国民政府が日本の呼びかけに応じる可能性はなかった」

字幕「ソ連大使の報告文1935年10月19日」「中ソ関係を改善、資料で始めて確かめられました。さらに最近公開された資料を詳細に読み解いた鹿錫俊教授はこの時期の蒋介石の心理を新たに明らかにしました」「大東文化大学(日中外交史)」

晩年親ソの孫文病死(1925年3月12日朝)以後、蒋介石は共産党を排除したため、蒋介石唯一の息子(先妻)蒋経国(1906~88)は、西安事件以降の1937年3月25日までの12年間、事実上、ソ連の人質だった。ソ連を敵とする防共協定は、どだい無理な話であった。NHKはこれを隠蔽し洗脳。

字幕「大東文化大学(日中外交史)鹿錫俊教授」「10月18日日ソの軽重を考える」

鹿錫俊教授「10月18日の中で対ソ関係と対日関係の利害および軽重関係について注意しなければならない」

松平「日本の出方を注意深く見守っていた蒋介石、日本が外交方針を統一できないと見るやついに決心を固めました

NHK捏造洗脳。蒋介石が「遂に決心を固めた」のは、1936年12月12日西安事件以後。

鹿錫俊教授「12月15日の注意の中で蒋介石はいろいろ悩んでいましたけれどもソ連との提携に傾いたと、ソ連とはもう提携ですね。やはり日本はまとまりがない。いったい外交は外務省がやっているのか、陸軍がやっているのか、何回も(日本に)やられると、やはり外務省が軍の意見を隠すための姿勢だけのものではないかというような意見が、中国の対日認識に中心になりつつあった」

蒋介石がソビエトとの関係強化に踏み出していたは、捏造洗脳。真相は真逆で、ソビエトが中国との関係強化に踏み出していた。蒋介石親ソは西安事件が理由。鹿錫俊は偽中国か?癌半島か?

NHK復職赤化教授東大教授)は、WW2元凶凶産完全隠蔽洗脳する。

日中戦争に先んじる2年前ソ連指令凶産中国日本に宣戦布告(八・一宣言)

1935(昭和10)年ソ連はモスクワでコミンテルン第7回大会を開催、反日団体の結集を図る、「抗日民族統一戦線」の形成を決議した。これらは直ちに中国共産党によって、日本への宣戦布告(8・1宣言)となった。蒋介石国民党との内乱で、中国共産党軍の兵力は、30万人から3万人に激減したため、「内戦停止・一致抗日」を訴え、敵を蒋介石から日本に変えた。赤化戦争内乱を、抗日救国の対日戦争にすり替えたのだ。日本と蒋介石国民党軍を交戦させ衰えさせる、狡猾な漁夫の利作戦である。以後の交戦はすべて、テロとゲリラの凶産が関与し、1936年12月12日西安事件で蒋介石を拘束し桎梏、1937年7月7日「盧溝橋事件」、1937年9月「第二次国共合作」、そして「日中戦争」へと拡大してゆく。

CG外務大臣有田八郎「そうかやはりそっちもだめか」

語り「イギリスやポーランドとの交渉も進展はなく、日本国思惑は空回りしていた。その中で避けたかったドイツだけとの交渉が着々と進んでいた」

外務大臣有田八郎映像と音声「申し入れたところから返事を来るのを待つも待たんもない、どんどん今度はこっち(ドイツ)の方が進行して。それについての論争が今度はまた始まってくるという風な。だが振り返ってみると、言うと、いろんなことがやっぱり日本のやり方が間違っておったんだろうと思う」

字幕「ロンドン大学(日英外交史)アントニー・ベスト教授」

アントニー・ベスト教授「日本のやり方には何か無理があったのだと思います。外から見れば日本内部の混乱こそが信頼感を失わせていたのです」

松平「1936年11月25日、日独防共(反ソ反共)協定成立。協定は、ソビエトはもちろん、欧米各国の猛反発を引き起こしました。この世界の反応については、大島ら陸軍側も読み違いを犯していました」

各国の猛反発の証拠開示なし。NHKはここでも洗脳。共産党を凶産党と見破れなかったのが、ソ連から遠く離れた英米仏蘭で、WW2の起因である。

証言大島浩「イギリスが、ああドイツに反対するとは思っていなかった。赤化(共産主義化)ということをどこの国も警戒しているだろうと。イギリスあたりも協定に対して非常な反感は持つまいと」 

1936年10月で延安に到着し長征終わり。中国凶産党軍の兵力は30万人から2万5千人に激減していた。蒋介石は最後の5分間に共産党を追い詰めていた。

 日本孤立は、中国蚕食国(英米仏蘭ソ)の中国利権が直接の原因で、日独防共協定ではない。1936年12月12日西安事件。中国共産党軍に拉致された蒋介石は、釈放の条件として、共産党討伐の停止、逮捕されていた抗日運動家の釈放、対日交戦の早急な準備などの8項目を要求され、「抗日民族統一戦線」の形成に合意させられた。蒋介石釈放をめぐっての調停工作に当たっては、中国利権のイギリス、アメリカ、ソ連と、中国共産党との間で同一歩調がとられ、利害が一致する中で抗日統一戦線が形成されていった。

松平「孤立した日本は翌年中国との全面戦争に突入します」

NHKここでも「全面戦争」と洗脳。以後凶産テロが繰り返され、やむなく戦争となったが正しい。

字幕「日中戦争1937年7月7日」

1937年7月8日「事件の拡大を防止するため更に進んで兵力を行使すること避くべし」日本軍の不拡大方針を指示した7月8日付けの電文。靖国神社の遊就館に展示。

1937年7月11日盧溝橋事件そのものは国民党政府軍の宋哲元が、正式謝罪し、責任者を処罰し、部隊を撤収させることで解決(現地協定)をみていた。日本政府は不拡大方針を示し、11日現地で停戦協定が結ばれた。ところが事件を機に日中間の前面衝突赤化戦争発展させようとするソ連・コミンテルンの策動が行われ、次のような指令を発したのである。

「あくまでも局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かなければならぬ。日本への譲歩によって、支那の解放運動を裏切ろうとする(中国人)要人を抹殺してもよい。下層民衆階級に工作し、・・・国民政府をして戦争開始のやむなきにたち至らしめなければならぬ。党(中国共産党)は対日ボイコットを全支那的に拡大しなければならぬ。紅軍は国民政府と協力する一方、パルチザン的行動に出なければならぬ」(興亜院政務部興亜資料政治篇「盧溝橋事件に対するコミンテルン指令」)と。

1937年7月29日通州事件(中国人保安隊の日本人虐殺事件)。通州において、婦女子を含む日本人居留民役2百名が目をくりぬかれ、強姦され、虐殺された事件があった。中国側の謝罪、慰籍金支払いで落着はしたが、この事件をきっかけに、日本国民と日本軍の激しい怒りが中国側に向けられることになり、日中間での対立が激化した。

 これは凶産コミンテルンが発した「あくまでも局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かなければならぬ」という指令がまさに現実化していったことに他ならない。仕掛けたのは国民党軍に潜入していた中国共産党。

松平「世界との関係を回復しようとした日本は、気がつけば、ドイツ以外の世界中を敵に回していました」

世界中を敵に」はNHKの洗脳。敵は中国利権の宗主国(英米仏蘭ソの白人と属国)のみで、食民治(有色人)や虐げられた白色人国家は味方。証拠は下記

1937年10月14日ローマ法王ピオ11世、全世界3億5千万カトリック信徒へのメッセージ「日本の支那事変(日中戦争)は、侵略戦争ではない。凶産党と戦っている。凶産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会信徒は、日本軍に遠慮なく協力せよ」

1960年の食民治独立付与宣言賛成89反対0棄権9カ国(主要宗主国白人英米仏ベルギー、ポルトガル、スペインと、南アフリカ、オーストラリア、ドミニカ)。

字幕「ルーズベルト米大統領」

ルーズベルト米大統領音声と字幕「世界には不幸にも無法という名の疫病が広がっている。人々はこの“患者”の隔離に賛同し参加しなければならない」

日時隠蔽だが、西安事件1936年12月12日以後は、本格的に蒋介石支援なので、米国民洗脳演説。

松平「孤立を避けようとした外交が逆に、日本を、後の世界大戦への道へと引き込むことになります」

蒋介石と日本を戦わせ、衰亡させる、共産の漁夫の利作戦である。「公」の汪兆銘と日本は、漁夫の利作戦の破壊を試みたが、私欲に走った蒋介石が踊ってしまい、不発となった。引き込んだのは凶産と自滅の道を歩んだ蒋介石で、世界ではない。NHKは凶産を隠蔽し洗脳。

字幕「外務大臣有田八郎」

松平「最後まで日独単独協定を避けたいと願った有田八郎、皮肉にも、調印時の外務大臣としてその名を歴史に刻みました」

字幕「有田八郎遺族山室宗光」

松平「遺族の元に残されていたのは、協定成立への貢献に対しヒトラーから送られた感謝の勲章でした」

映像「卍勲章アップ」

遺族山室宗光「もっとあのー、やりようがあったんじゃないかなーて言う疑問は、ただ、実際はできなかったんだと思います。あのー、実際は出来なかったんだけれども、もう一歩踏み込んでも良かったんじゃないという部分は持っています」

NHK「卍勲章アップ」で遺族と先人侮蔑し洗脳。

松平「なぜ日本NHK)孤立化への道を歩んだのか、それは、その時代の選択の一つ一つがですね、きちんとした長期的な計画の下に行われていたのではなかったということであります。むしろ見えてきたのは、ハッキリした国家NHK)戦略を持たずにですね、甘い想定の下に次から次へと、起こる事態の対応にキュウキュウとする姿でございました。いったい誰が情報を取りまとめ、いったい誰が方針を決めるのか、そして一旦決まったことがなぜ覆るのか、そういったことが何も見えない日本NHK)が、やがて、世界(国民)の信用を失っていくことになるのです。方針も情報も一本化出来ずに、内向きの都合の良い現実だけを見続けた果てに、日本NHK)は、あのいわゆる太平洋(自爆)戦争を迎えます。外交敗戦(自滅)とも言うべき国家NHK)誤算は、大戦(破滅)にいたるその日まで繰り返されたのです」

NHK侮蔑語彙羅列し、先人愚弄し洗脳。日本をNHKに置換(赤字部分)すると、NHK の実体現出。

第一回”外交敗戦”孤立への道

松平「欧米との対立が激化した1940年、かっての国際連盟全権松岡洋右が外務大臣に就任しました。この時、松岡が事態打開の切り札として期待した日独伊三国同盟は、いよいよ日本を太平洋戦争追い込んでゆきます

外務次官大橋忠一音声「松岡氏が、これは戦争の条約じゃないんだ、戦争を防ぐための条約なんだから。アメリカとの戦争を常に恐れとった。アルマゲドンとか何遍聞いたか知らん。大変なことになってしまう、もう藁でも掴むんで仕方がない」

企画院総裁鈴木貞一音声「日本にはね、そんな計画的なものは一つもない。それは今でもそうなんだがね、その時に起こってくる現象に沿うて色々な事をやっているわけだ。だから日独同盟結んでね、そして日独同盟の力でな、そしてアメリカに対抗しなきゃ、それがさー、結局裏目に出たんだな」

字幕「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」

戦勝国(食民治主義や凶産主義)は出稼ぎ戦争で、日本の戦争は死活戦争。資源封鎖の宣戦布告に、迫る飢餓から日本国民を救うための反撃に過ぎない。下記はスパイ。

語り、松平定知・演出、関正和・ディレクター、内藤誠吾・製作統括、角英夫

 食民治と凶産完全隠蔽。こんなNHKは、66年間もだまされ続けた我々日本人自らが、ベルリンの壁を破壊した如く、一振り一振り思いを込めて鉄槌を振り下ろし(受信料不払い)、解体することこそが、最もふさわしい先人への償いで、供養となる。

 先人は、犯日「食民治主義、凶産主義、凶産偽中国、癌半島、罪日と、戦後復職赤化教授、東大、京大、日教組、NHK、朝日(TV朝日)、毎日(TBS)、読売(日テレ)、岩波書店、文藝春秋、共産党、社会党、社民党、九条の会、大江、石原、司馬、半藤、秦、保阪、御厨、佐高、本多、田原、筑紫、立花、鳥越、ナカソネ、ナベツネ、汚沢、鳩山、菅、仙谷等の言葉と文字界に迫害され、受難者となったが、必ずや復活する! 3につづく⇒

真実史観3大アジア主義隠蔽NHKスパイ洗脳ドラマ大組織陸軍暴走のメカニズム

 NHKの第二回は“陸軍”暴走のメカニズムと題し、日本陸軍の暴走とまず洗脳。NHK捏造の手口は、資源無き小国護国唯一の術、大アジア主義の一環、防共回廊作戦は隠蔽し、“陸軍暴走”と勝手に決め付ける先人愚弄が始まり。次に、つまみ食い(悪いとこ盗り)した証拠を、針小棒大にドラマ化、そして教授が権威付け(黄門様の印籠)し、先人愚弄を正当化が、NHK洗脳のパターン。洗脳の手口は今回も同様である。

予備知識
 現代文明の伝播は外洋航海が始まりで、イギリスワットの蒸気機関(化石燃料時代開幕)起因の産業革命が、文明伝播の強力な推進力となった。いずれも発明者が白人なので、世界が白人優位文明となった。

なぜ日本は軍隊を組織したか
 南下する露西亜(後の、凶産革命で世界征服野望のソ連)、征服と文明伝播で東進西進する欧米列強の、最後の到達点が、世界で唯一残った独立国、自給自足で鎖国の徳川日本。龍馬らの志士は、文明は吸収、征服は拒否し、決然と立ち開国、1868年9月8日明治時代となった。日本は資源なき小国島国、幕末まで米が貨幣の自給自足で、捕り尽くさずの共存共栄鎖国の時代であった。開国で貨幣経済になり、欧米支配貨幣経済の一員となり、自給自足の国から原料輸入し加工、そして輸出の国へと変貌した。この変革(自給自足から、他国と互恵)は同時に、資源無き小国ゆえに、資源封鎖(兵糧攻め)が急所となった。
 後進国日本は、欧米列強の手かせ足かせ(不平等条約)の中、戦国時代の最適者生存を果たすため、国民は天皇の基に団結し、富国強兵に励み、防衛軍を組織した。これが日本軍である。

大アジア主義(汎アジア主義)とは
 こうして全世界は現代文明の発明者、白人(欧米列強)によって支配された。しかし、手かせ足かせ(不平等条約)は、当然、自立自尊自由を希求する。アジア人によるアジア人のためのアジア人の国、大アジア主義(汎アジア主義)頭山満(1855~1944)や、八紘一宇(はっこういちう。八紘は、八つの方角で全世界の意。宇は家のこと。全世界を一軒の家のように睦まじくする事)田中智学(1861~1939)が産まれた。欧米列強の桎梏(ポンドとドルの経済圏)完全脱出の手段は、新たな経済圏(大東亜共栄圏)新設以外、皆無なので、支持され、以後、日本の指針となった。孫文(晩年の孫文は凶産化したが、汪兆銘が誤謬訂正)らが継承した。
 復職赤化教授や東大教授やNHK等や、偽中国癌半島“泣き売”犯日が、悪いとこのみをつまみ食いし(戦争は殺し合いの相互非道、犠牲者は相互にいる)、侵略征服と洗脳するが、台湾朝鮮等の統治や、シベリアの孤児救出やユダヤ人への対応や、後述の「防共回廊」や、インパール作戦等々が証拠。

なぜ日本は先手を打ち朝鮮に進出か
 殺し合いの御世に、資源無き小国の後手必滅は、古今東西世界の常識。MHKや東大教授や犯日は、この、世界常識を隠蔽し、先手のみを拡大して、侵略と糾弾するが、資源無き小国日本の後手は滅亡以外皆無。

 日本は資源無き小国(国盗り合戦)に対処した。自給自足農業国から原料輸入し物造りの輸出国に変わった資源無き小国日本。先手必勝は、戦国時代生き残りの鉄則である。資源無き小国の後手は必滅。先人は、死活の薄氷を踏みながら、戦国を通過したのだ。この事を肝に銘ずるのが子孫たる証だ。

 戦国時代は陣取り合戦、占領したところが国境となる。清国の属国朝鮮は、戦国時代においては敵、南下の露西亜が征服すればさらに強大な敵となる。韓半島が敵になれば資源無き小国の生命線は失せ、万事休すなので、分離独立を迫った。清国に権益を持つ米英も、南下は差し迫った脅威として受け止め、支持した。

 その結果が、日本の死活を懸けた日清(宗主国)戦争である。朝鮮は傍観したが、日本勝利。清国朝鮮独立を確認し、軍費2億テール賠償、遼東半島、台湾、膨湖諸島を割譲。沙市、重慶、蘇州、杭州を交易市場とした。その後、独仏路の三国干渉のため遼東半島を、返還させられたが、数年後、フランスとドイツに後押しされた露西亜は、中国との条約によってこの地域を領有した。日本は死活戦争であったが、列強は漁夫の利で、満州と沿海州に露西亜、山東省にドイツ、華北揚子江流域、香港にイギリス、雲南省にフランスというように、中国をいくつかの「勢力圏」に画然と分割した。日本も福建省を確保したが、具体的開発にはまったく手をつけていない。

 韓半島は、小国島国日本の生命線、以後の戦争すべてが、日本死活戦争。死活戦争なので台湾朝鮮は、同じ同胞として処遇し、両国民も世界史を認識し富国強兵に励んだ。統治当初に、戦国認識不足一部国民の、反対はあったが、両国識者も世界の戦国時代を認識し、穏便に対処した。大アジア主義の実践である。

 「1910年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が『請願』したからだった」ヘレンミアーズ著「アメリカ人の鑑・日本」

なぜ日本は満州に進出したか
 露西亜は南下占領し続けて清国腐敗に付け込み、東進鉄道に関する露と清の北京条約(1898)で。大連不凍港旅順を租借した。「紫禁城の黄昏」ジョンストン著「1898年当時の英国の商人たち・・・英国の宣教師の指導者も、・・・満州とは名前だけで、ことごとく露西亜のものと思われる。・・・シナ人の人々は、満州の領土から、露西亜政府を駆逐するために、いかなる種類の行動をもとろうとしなかった。もし日本が・・・これを打ち破らなかったならば、・・・満州全土も、今日の露西亜の一部となっていたことは、まったく疑う余地のない事実である」。岩波文庫版(入江曜子・春名徹訳)は原文からこの部分を削除した。捏造が党是の凶産とまったく同じ手口の岩波書店は、スパイ出版社。社長安江良助は、「世界」1991年9月号「金日成会見記・歴史の転換を求めて」で、次のように礼賛している。「主席閣下は、第二次大戦後今日まで、一貫してトップリーダーとして、民族を導き、・・・世界に類を見ない政治家であります」

 義和団事変(北清事変1900年)の際、清と露西亜は満州を巡って衝突。6月に義和団が揚子江対岸のグラゴヴェシチェンスクを占領したことの報復として露西亜軍は7月、江東六十四屯を襲い占領し、居住していた清国民少なくとも3.000人以上(資料によっては2万人以上)をアムール川に追い込んで虐殺するという事件が発生した。この動乱で壊滅状態となった清政府に、露西亜が事件波及防止の口実で付け入り、不凍港旅順を有する満州を占領し、独占支配と朝鮮日本進出の具体化に着手。

 1902年1月30日、日英同盟。露西亜の南下が自国の権益(中国内権益)と衝突すると考えたイギリスは、危機感を募らせ、日本と同盟を結んだ。この同盟によって、他の勢力が露西亜に加担するのを未然に防ぐことが出来た。清国が見捨てた満州が露西亜に征服されれば、小国に本は風の前のともし火。先手必勝奇襲が小国唯一の術、日本は打って出た。

 1905年8月20日日露戦争に日本勝利。清国は中立国と称し、他国のように傍観していた。朝鮮も傍観。

 日本の朝鮮における権益権確認韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道を清国の同意を得て、露西亜、日本へ譲渡、南満州を勢力範囲とした。遼東半島を租借地とし、樺太南半分を割譲。日露戦争に勝利した日本はポーツマス条約で鉄道経営権を露西亜から譲り受け、中国政府とも合意上の、合法的に満州の鉄道利権を取得した。満鉄の権利は日本の正当な権利であり、その権利の元に鉄道沿線に進出して開拓したのである、鉄道は国の重要基幹産業であり、朝鮮人(日本人)をはじめ、多くの日本人たちの生命・財産を守るため、日本(関東)軍が駐屯して警備に当たった。多いときでもたった一万四百人しかいなかった関東軍が、全満州を統治できたのも、満州住民の支持があったからだ。1907年(明治40年)~1931年まで、在満兵力は満州師団1と独立守備隊6の、約1万4百人を上限にし、推移。「関東軍」中山隆志著講談社2000。70万は以後の兵力(1924年、外モンゴルが赤化し、反共対策兵力増派は明白)。満州は清国から奪ったものではなく、南下占領をつづける露西亜と戦い奪ったもので、満州進出は、戦国の世の露西亜との死活攻防の結果である。資源無き小国日本、生命線満州を、拡大確保したいきさつである。

 日露戦争では、米政府は日本を強力に支持していた。セオドア・ルーズベルト大統領は露西亜を説き、ポーツマスで日本と交渉する労をとった。ルーズベルト大統領は、日本が勝っている段階で、しかも日本の不十分な戦備が底を着く前に、戦争を終わらせようとしたのだ。これは米政府の利益にかなうからで、道徳からではない。

なぜ満州独立に関与したか
 満州とは地名ではなく民族名で、旧名は女真(ジュシェン)、清国太宗ホンタイジが満州(マンジュ)と改称した。

 北方の満州族が「明」を滅ぼして、中国大陸を征服、600万足らずの満州族が政府高官と軍を独占して、4億の漢民族を支配し、「清」を建国。その満州人の故郷が満州である。清時代は満州人の聖地とされ、漢人の入国は禁止された。

 古来より、中国人は万里の長城から北は「化外の地」すなわち、漢文化の及ばぬ未開の地と考えていた。万里の長城は、中国(漢人)と、「化外の地」の国境である。万里の長城は、北方の異民族の侵入を防ぐ城壁で異民族との境である。内モンゴル、新疆ウィグル、チベット、満州は、「化外の地」で、中国人(漢人)の地ではない。

 清朝崩壊(1912年)後の満州は、外モンゴル内モンゴルの独立運動や、軍閥や馬賊群雄割拠の騒乱の地と化し、露西亜崩壊後の凶産ソ連南下で外モンゴル赤化(1924年)し、新たに捏造とテロが党是の凶産が参入した。歴史を、宗教を破壊する共産党は、共産ではなく凶産で、カルト教と、人類で最初に喝破した日本は、反共の砦工作に励んだ。

 1932年3月1日清朝後裔薄儀が、先祖の地に帰り五民族(漢人満州人モンゴル人日本人韓人)共和の満州国建国。日本は赤化を防御し、確固たる日本の、戦国の御世の生命線とするため、助勢した。

日本陸軍のソ連南下遮断作戦“防共回廊(板垣征四郎構想・ユーラシア戦略)”は資源無き小国護国唯一の術“大東亜共栄圏”の一環
 万里の長城外のチベット(チベット仏教)ウィグル(回教イスラム)内モンゴル(チベット仏教)の独立を支援して、反共親日国家群北方大東亜共栄圏(汎アジア主義)を樹立し、ソ連(カルト凶産教)の南下防止、中国共産党との連携遮断が北アジア赤化防壁作戦「望郷回廊」である。作戦の源流が大アジア主義の遠山満や、「八紘一宇」の田中智学で、林銑十朗(1876~1913)は一環の北方遮断構想。細則立案は松室孝良、計画遂行が板垣征四郎。

 その手始めが満州国。付け焼刃などではない五族共和、大アジア主義、八紘一宇実践の始まりである。真正子孫がネットの追試を始めたので、詳細は、「日本陸軍と内蒙工作」森久雄著講談社2009.6・「帝国陸軍見果てぬ防共回廊」関岡英之著祥伝社2010.3・等参照。観点は井蛙だが資料としては読める。

 世界を征服し牛耳る、ドル・ポンド経済圏が資源封鎖すれば、自給自足から転換したばかりの資源無き小国日本は、瞬時に瓦解窒息死する、砂上の楼閣が当時の日本。戦国の御世、日本を磐石にするため、自由貿易互恵の、第三の経済圏、大東亜共栄経済圏樹立を目指した。一石二鳥、赤化ソ連凶産カルト教遮断と、東アジア経済圏樹立の第一歩が満州である。

満州独立支援の民間人
 満蒙(満州と内モンゴル)独立構想は、大陸浪人川島浪速が、清朝の王族粛親王と出会い意気投合、義兄弟の契りを交わした。王の妹が内モンゴルのカラチン王の后という縁で、内モンゴルと川島が結びついたのだ。意見書「対支管見」を、1914年まとめ、外務省と陸軍参謀本部の承認を取り付けたが、英国の圧力で、第一次満蒙独立運動挫折。

 日露戦争時満州義軍として活躍した内モンゴル人馬賊の頭目で指導者パプチャップが、川島に支援要請、川島は再び支援に奔走し挙兵したが、パプチャップが戦死し、第二次満蒙独立運動挫折。満州国独立直前粛親王は旅順で川島に看取られ亡くなった。粛親王の遺児金璧輝は川島に引き取られ、後に川島芳子(男装の麗人)となった。川島は1949年85歳で死去。

満州事変を非難したアメリカと国際連盟の理由
 1931年の満州事変で初めて日本は、イギリスの同意を得ないで打って出た。これをアメリカと国際連盟が大々的に取り上げ非難した。満州は検証のごとく日本の防共の砦である。満州事変は中国領土(中国に権益を持つ欧米列強)への侵略ではなく、反共戦争である。しかし、ソ連凶産に疎い中国に権益を持つ欧米列強(アメリカと国際連盟)が、権益を侵されると勘違いしての疑心暗鬼が非難の理由である。ソ連凶産に疎い出稼ぎ戦争と、死活(テロ現場)戦争の差といえる。そして、この凶産認識の差が、大東亜戦争最大の起因となった。防共の砦日本が消え、中国内乱・朝鮮戦争・東西冷戦となってやっと欧米列強は、共産は凶産と気付いたが、時すでに遅しである。

 反共主義者であるフーバー(共和党)第31代(1929~1933)大統領は、ソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防共の砦」と常々口にしていた。次の大統領が日本を戦争に追い込んだフランクリン・D・ルーズベルト(1933~1945)で、発足即座の1933年1月に、共和党の反対を押し切って、凶産ソ連を国家承認した。

なぜ癌半島と偽中国のみが犯日か
 偽中国や癌半島(罪日)は、ソ連凶産や米国に占領されてからの独立で、国民自らの力で成し得た独立ではない!ゆえに、禍(被征服)福(文明の伝播)併せ呑めずの日本への恫喝や“泣き売り”の、唯物のまま。いまだに非独立国で世界のギャング団である。友好(互恵)など、偽政権や癌半島を太らす、餌でしかない!時代の流れに抵抗もせず、呑まれ流され同胞殺しに明け暮れた矜持無き国家が偽中国と癌半島(罪日)政権で、いずれも、“泣き売り”犯日政権である。

 世界がみな悲惨だった戦国時代、癌半島と偽中国のみが悲惨だったわけではない、戦勝国に迎合の朝鮮凶産中国以外の同胞はみな自力で悲惨を乗り越え、戦勝国と戦って独立し、新秩序、1960年植民地独立付与宣言を導き出し、現代の平和を築いた。そして宗主国には“泣き売”せず、抵抗の歴史のみとした。かっての食民治の、誇り高き英断である。国民自らが勝ち取った故の強い誇り(唯心)の独立だからであり、禍(被征服)福(文明の伝播)を併せ呑んでいるからである。偽中国癌半島(罪日)とは真逆である。

 その間唯一戦勝国に迎合の癌半島と偽中国は、同胞殺しに明け暮れ侵略(新疆ウィグル、チベット、内モンゴル、満州、竹島)し、占領し、時代に逆行、挙句の果てはぶざまな歴史と同胞殺し隠蔽のため、歴史の悪いとこ盗りし拡大、“泣き売”犯日で同情を集め、世界唯一の捏造集団と化した。いずれもが日本や世界にスパイを送り込み、捏造しての特需政権である。

 日本は世界の戦国時代に即座に団結、対応したが、国内ばらばらの韓半島(李朝差別)と中国(群雄割拠)は、戦国時代に対処不能だった。団結したかしないかの差である。今の日本、復職赤化教授や東大やNHKなどの、一つまみの言葉と文字界分子(仮想界)が、土台の分母(現実界)をばらばらにし、亡国寸前である。

先人非難証言者は迎合者
 田中隆吉元少将(42年10月から予備役)は敗戦後直ちに(46年1月、47年10月、48年10月)「敗因を衝く―軍閥専横の実相・日本軍閥暗闘史・裁かれる歴史―敗戦秘話」と出版、陸軍首脳を断罪、米軍に迎合した。さらに戦争責任免責と引き換えに、敵国アメリカ側証人として先輩同僚断罪証言、そして日本を売った。さらに恥を重ね、「田中隆吉著作集・1979年私家本」出版、売国奴の名を日本史に刻んだ。WGIPと復職赤化教授扇動の、当時の迎合思想が読み取れる。先人非難の証言者は皆このたぐいの迎合者で、さらに悪いとこのみつまみ食いし、針小棒大放送するのがNHKである。

予備知識まとめ
 朝鮮も満州も内モンゴルも、大東亜共栄圏の一環で、征服の一環ではない。これは自給自足の鎖国から、輸入輸出国の互恵へ転換した時点から始まった、資源無き小国の宿命である。「NHK・戦争へと向かった」「東大加藤陽子・日本人は『戦争』を選んだ」「善悪史観・負けると解った戦争をした」「読売新聞・戦争責任」と、犯日スパイは征服侵略と捏造するが、資源豊富な大国ならいざ知らず、資源無き小国日本の侵略は、資源封鎖でジ・エンド。

 「パールハーバー以前は、資源封鎖に対する日本の脆さを知っている人なら、日本が大国にとって軍事的脅威になるなどということを、誰も本気で考えたことはない。日本は近代戦のための重要物資をすべて輸入しなければならないのだから、物資の補給が遮断(兵糧攻め)されれば、通常の国内経済は麻痺する」と、終戦3年後(1948年出版)に、ヘレンミアーズも記し、日本の脆さは、当時の世界の常識である。どの戦いも資源無き小国日本にとっては、蜂起戦争・死活戦争なのだ。考えれば子供でも解かることである。

 日露以後の関東軍の行動基準は大アジア主義の一環”防共回廊(板垣征四郎構想)”、これがすべての根幹となっている。戦後復職の赤化教授は、凶産を正当化し、己を正当化する自己保身目的のためだけで、ここを完全隠蔽し、単なる侵略者日本と洗脳した。戦後復興に没頭中のため、国民の思考回路が奪われている最中に、敗戦の貧しい中の負託金(税金)でその職責を負託されたものが、職責を逆手に自己保身の目的のためのみで、国民を洗脳した。結果、小国日本の力の根源団結は分断され、ばらばらとなり、現在の惨状となった。戦後復職の赤化教授や、それを戦後66年間も継続した東大文系教授等は、日本史上最悪の姦物である。正体は人の皮を被った単なる記憶機械(ハードディスク)で、人(教授)ではない!

 癌半島と偽中国は歴史を捏造してまで祖国を崇め世界に発信している。日本は歴史を捏造してまでして祖国を貶め、世界に発信している。その一翼が、国民をだまし、国民から金を集める公共放送NHKなのだ!

 上記を踏まえれば第二回は、「私」皆無「公」の、日本陸軍最適者生存を懸けた苦闘史である。踏まえなければ洗脳され、一億総白痴化NHKカルト洗脳の犠牲者、無思考鵜呑みのNHK信者(献金ロボット)となる。第一回NHKカルト宗教放映後、すぐに反応のカルト信者のブログは、(「私は善人、先人悪人、下善上悪」と、一様に皆善人気取りである。

 松平が先人を馬鹿呼ばわりの無検証愚弄語を羅列し、証言テープ(証拠)や創作ドラマや教授(校門様の印籠)で、松平の愚弄語を正当化するNHKの手法は、第二回も同じである。


第二回巨大組織“陸軍”暴走のメカニズム

字幕「あなたは日本が戦争を始めた理由を知っていますか」と音声「日清日露から始まって日本持ちこたえたから、その気でいるんだよね(おばあさん)」
戦争を始めたと、能動戦争と勝手に決めつけた質問。

字幕「今こそ知るべき過去がある」「大日本帝国陸軍」

松平「大日本帝国陸軍。国家を戦争へ導いたといわれる巨大組織です」
「国家を戦争へ導いた」と洗脳張本人がNHK.。

松平「明治以来の陸軍の組織が変質をきたしたのは太平洋戦争の20年前。南ドイツのホテルの一室に、三人の若き日本人将校が密かに集いました。議題は新しい時代の戦争でした。圧倒的な破壊と殺戮、はるかに遅れをとる日本の現実に、彼らは危機感をつのらせました。そして同士を募ります。会の名前は『一夕会』。古い体質の陸軍を刷新するという改革の理念に共鳴した、40人のエリートでした。しかしその改革派思いもよらぬ結果を産みます」

松平「中国の要人暗殺」1928年張作霖爆殺事件河本大作「日本が国際社会から孤立するきっかけとなった謀略」1931年満州事変板垣征四郎石原莞爾「日中全面戦争の先端を開くこととなる事件」1937年盧溝橋事件牟田口廉也「そして太平洋戦争の開戦」1937年東條英機。「合理的な改革を目指した彼らは、なぜ無謀な戦争へと向かっていったのか
偽中国凶産プロパガンダとWGIPの羅列である

字幕「なぜ『改革』は『戦争』に変わったか」「埋もれていた証言記録」

松平「戦争に至った理由を戦後当事者たちが語っていました。その肉声のテープの存在が今つぎつぎと明らかになっています。残された証言記録はおよそ100人。そこから浮かび上がるのは派閥抗争や肥大化など、巨大組織特有の負の側面でした」

元陸軍少将の証言「大東亜戦争やろうなんて、一つも思ったことありませんよ。それを超えちゃったわけですな」

元陸軍大佐の証言「もう支那事変だけでうんざりしておるのに、本当にアメリカと戦しなければいかんのじゃないかという、こう黒い嫌な空気が、肩にかかってきたというような気がしましたな」

松平「最大550万人巨大組織陸軍。発掘された肉声証言を手がかりに、戦争に至った暴走のメカニズムに迫ります」

松平「あのいわゆる太平洋戦争がおきて70年、日本人はなぜ戦争へ向かったのか、ということを検証するシリーズ、今回は陸軍、とりわけ組織の問題を取り上げたいというふに思います。日本陸軍は戦前のまいわば最大の官僚組織ともいうべきものでありまして、日本という国を戦争に引きずり込んだその元凶首班、というふうにいわれてまいりました。しかし、新しい資料で浮かび上がってきたものはですね、その戦争への道を陸軍が一丸となって一糸乱れずまっしぐらに突き進んだということではなくて、いくつかの誤算が重なり合ったうえで戦争へ突き進んでしまったんだという事実でございます。まずお伝えするのが1920年代に起きた改革運動でございます。その改革運動は一体なぜ起こったのか、そしてそれは陸軍全体の組織にどういう影響を与えたのでございましょうか」
受動蜂起戦争を能動戦争と捏造洗脳しているのは、いまや、NHKや東大教授らの言葉と文字界の裸の王様のみである。

松平「千葉県山武郡。ここに、陸軍の組織を知る上で鍵となる人物が、晩年を過ごした場所がありました。戦後A級戦犯となった鈴木貞一元陸軍中将。対米開戦の責任者の一人として終身刑を言い渡され10年間服役しました」

遺族孫「先日業者の方に特別開けていただいて」 4につづく⇒

真実史観4八紘一宇の一環防共回廊隠蔽洗脳NHKスパイ相沢考義・松村亮一・角英夫

松平「亡くなってから22年間開けられることのなかった金庫が残されていました。鈴木は昭和の初めから常に陸軍の中枢を渡り歩いてきました」

遺族孫鈴木光範「御前会議で報告する原稿がありましたねー。例の開戦前夜の開戦を決定する」

松平「資料からも、陸軍の転機となる場面の多くに立ち会っていたことがうかがえます」

遺族孫鈴木光範「戦争を遂行するに際して資源の調達とか陛下に上奏した」

松平「金庫に保管されていた日記には、鈴木が若手将校として活躍を始めた1920年代すでに、組織の改造を議論したことが記されていました。鈴木は肉声テープも大量に残していました。ここでも改革の始まりについて語っています」

鈴木貞一証言「それは根本はね、非常に深いのですけれど、ご承知のように日本の陸軍というものはほとんど山県さんがやっていたわけだ。山形さんというものがおってペン先のように動いていたわけだね。目を開いてモノをやるということがないわけだ。だから下のほうの永田とか言うような優秀人から見ると『ああ馬鹿らしい』」ということになるのですよ」

松平「元老が支配する古い組織に疑問を抱いていたという永田とは、永田鉄山。その明晰な頭脳から永田の前に永田なし、永田の後に永田なしといわれた陸軍きっての逸材でした。永田は軍事研究のため6年間ヨーロッパに駐在、改革の思いをつのらせました。今回、彼が同期の仲間と密会したといわれるホテルの建物が今も残されていることが分かりました。集まったのは旧露西亜駐在陸軍武官小畑敏四郎少佐、そして、欧州出張中の岡村寧次少佐、この時彼らは何を語ったのか、資料を基に再現しました」

字幕「ドイツバーデンバーデン」

字幕「1921年10月27日」

語り「午後10時過ぎすぐに議論が始まった」

スイス駐在武官永田鉄山「陸軍の装備は日露戦争当時から進歩がない」

小畑敏四郎少佐「しかし山県元帥言いの息がかかった古い上層部に改革は出来ない」

岡村寧次少佐「国民と軍が乖離している現状では、新しい戦争に備えられない」

語り「話題は祖国の立ち遅れに集中した。部屋中に危機感がみなぎった。そして三人の考えが一致した。古い陸軍を刷新する」

字幕「古い陸軍の刷新」「第一次世界大戦1914~1918年」

松平「彼らがヨーロッパで目にしていたのは、国家同士がすべての資源を投じぶつかり合ういわゆる総力戦でした。視察を終え帰国した永田は、日本も総力戦に向けた戦争準備を急ぐべきだと報告します。それは国内産業を軽工業中心から重工業へ転換させるなど、国家全体の改造を含む急進的なものでした」

鈴木貞一証言「広い目で世の中を見て、多少改革もやらなくちゃいかん、そういう考えを持っていた人は、永田さんだけでしたからね。第一次大戦後のドイツを見て、まあ日本を振り返ってみてね、これではいかんという考えをもたれたんですね」

松平「そして彼らはあるグループを発足させます。会の名は一夕会。永田鉄山ら陸軍士官学校16期生党等と政友会の二大政党は選挙目当ての政争に明け暮れ贈収賄事件が相次いでいました」

国際日本文化研究センター教授戸部良一「彼ら(一夕会)が議会政治を見てですね、何に本質があるかと、あのー思ったかというと、やはりその、二つの政党の間のですねー、つばぜり合いとか、なすり合いとか、党利党略ですね、議会政治政党政治というのはようするに、その、私の利益を掲げで、自分たちの権力欲のためにだけやっているのではないか、という見方が強く出てしまった。だから彼らは(一夕会)あれ(政治)にきたいしちゃだめだと」

松平「一夕会は陸軍改革を実行に移していきます。そのために着目したのが人事でした。予算を握り政治と軍をつなぐ陸軍省。戦争の際、作戦を担当する参謀本部。防衛省にはこの二つの組織の、明治から太平洋戦争終戦に至るまでの人事記録が残されています。そこから見えるのは幾十にも張り巡らされていたある人事の上のルールです。たとえば、大臣や次官に出世した人のほとんどが、軍事局軍事課長キャリアを積んでいたという事実、一夕会はこうした人事のルールを一つ一つ調べ上げていきました」

鈴木貞一証言「大体大差以下の人事というのをほとんど課長のところで決める、それだから我々に本当につながって仕事をしていく人間を我々の思うところに行ってもらうためには、まず課長をそこへ持っていく工作をやらなければならない。ということになって、岡村寧次という人をそこへやった」

松平「岡村とは、かって永田らと南ドイツで改革を誓い合ったあの同士の一人です。計画通り、岡村は人事局の課長に就任。早速その影響が現れます。翌年8月には、リーダーの永田鉄山が軍務局の軍事課長に、そして参謀本部動員課長に東條英機が就任します。この横のつながりをさらに別の人事に利用しながら、一夕会は実質的な権限を上の世代から奪っていきます」

元陸軍大佐西浦進「人事も」皆の協議で、もみながら自然に決まっていくというのが本当だと。ですから憤慨して首を切ろうと思っても、八方にくもの巣のように張っておりまして、それが掣肘(せいちゅう・束縛)するから首一つ切れない。ある意味では非常にせん越(出すぎた)なことも出来た」

CG画像東京某所、石原莞爾中佐、永田鉄山大佐、東條英機大佐。

鈴木貞一「鈴木少佐入ります」

語り「結成以来何度も勉強会を開いてきた一夕会、しかし重要なポストを押さえて後は意見の相違が目立ち始めた。上の世代を取り払うという改革の目標だけは一致していたが、具体的な中身は一人一人ばらばら、一本化には程遠かった」

松平「人事の改革では一致した彼らも一人一人の思惑はばらばら、この一夕会のいびつな構造が、戦争へと続く歴史のコマを早めることになります。満州での日本の権益を守るために旅順に置かれていた関東軍司令部。一夕会はここの参謀にグループきっての中国通の板垣征四郎大佐、そして、石原莞爾中佐を配置します。石原は一夕会の中でもひと際過激な戦争感を持つ人物として知られていました」

元関東軍参謀片倉喪「石原中佐は満州というものを確実に領有するということが、国防的に大事なことである、この線を確保することによってソ連の侵略を止める、それがひいては支那の安泰にもなる。ところが当時支那では排日運動が激化してきた時期でありまして、交渉によっていろんな問題をやっていくていうことは、なかなかもう至難である。これは武力を背景にした解決をせざるを得ないと。こういうふー生ー、考えに到達したわけなんですね」

字幕「武力による満州の領有」

松平「この石原が考えた過激な構想がにわかに現実味を帯び始めます。なぜなら、関東軍は組織の層が薄いため、一夕会の板垣と石原は、すぐに作戦の責任者の地位に着けたからです。これは、石原自らが撮影した映像です。東京から主張してきた一夕会のリーダー永田軍事課長の姿がおさめられています。一夕会のつながりが石原の関東軍での地位を確固たるものにしていました。しかしここでも、石原や板垣と永田との間で、考え方を一本化することはできていませんでした」  

片倉「会ってますねあってます、永田さんには、大砲を頼んだのは事実です」

聞き手「満州でやった場合に、中央でそれを支持するという問題ですね。その確認はどの程度なんですか」

片倉「それはないですね。軍事課長の永田さんにしたってやるなというんですから」

松平「立場上現実路線を歩く永田。一方で信念を曲げない石原に、現場の支持が集まってゆきます」

戸部良一教授「過激な人たちとそれから問題意識を共有しながらですねー、どうやってその常識の範囲内で、あるいわ合理性の範囲内で、これができるかということをあの、悩んで苦悩しながら、あのー考えていた人たちと、両方混在していたんだとおもいますねー。でもどっちが魅力的に見えるかというと、あのー、フアイナルアンサー(最終回答)を出した人たちだよねー。きっと」

字幕「柳条湖」

松平「そして石原は、一夕会メンバー相手に語ってきた構想を本当に実行に移します」

字幕「満州事変1931年(昭和6)」

松平「石原率いる関東軍は南満州鉄道の線路を爆破、これを中国人の仕業として武力によって満州を制圧します。中央の命令なき独断攻撃でした。この時三宅参謀長本庄司令官はこれを追認、一夕会のメンバーを前になす術がありませんでした」 

鈴木貞一(当時は少佐)「万一満州で事が起こったときにはそういうものをその、右顧左眄(決断をためらう人)しない人を(関東軍)におってもらったほうがいいのじゃないかということで、そしてまー、板垣とか石原に行ってもらった。それとあそこに三宅(参謀長)というこりゃまー、毒にも薬にもならないような当時の人がおったわけだ。笑い。それで満州事変をやった。笑い。そういうことなんだな。笑い。ふっふっふっ」

鈴木貞一は当時少佐、上司や満州事変を鼻であしらってのこの証言は、戦後の日和見迎合証言を自白している

松平「エリート達の机上の議論が実際に国家を戦争へと引きずり始めました」

松平「上の重しが失われ一夕会世代が実権を握った軍隊、しかし、メンバーの間では方針の一本化ができずまたもや意見対立が始まりました。あの南ドイツで改革を誓い合ったはずの永田鉄山と小畑敏四郎です。満州国成立後の路線をめぐる対立でした。国境を挟んで向き合うことになったソビエト、駐在経験からその脅威を知り抜いている小畑は、ソビエトへの先制攻撃を主張します」

字幕「陸軍省・参謀本部首脳会議1933年4月中旬」

CG映像語り「小畑と永田は事あるごとに対立しました」

永田鉄山「今は戦争よりむしろ満州を安定させ、総力戦に向けた改革を急ぐべきだ」

小畑敏四郎「いや、ソビエトが軍備増強する前に叩くべきだ」

語り「彼らを信奉する若手官僚を巻き込み、論争は陸軍を二分していった」

松平「この対立をさらに激化させていたのが、一夕会が担ぎ上げた荒木、荒木貞夫陸軍大臣による人事でした。荒木は本来軍事課長から軍務局長にあがると見られていた永田を、出世コースから外すなど、強引な人事で陸軍の要職を自分の息がかかった人材に次々と変えてゆきます。特に同じ露西亜駐在経験のある小畑を重用しました。このとき取り立てられたのが皇道派、冷遇されたのが統制派としてその後、組織内で激しい権力闘争を行うようになっていきます」

元陸軍大佐西浦進「いつも私は笑っておったんですが、小畑第三部長の車はいつでも朝出勤してくると必ず、陸軍省の門を通って自分の部屋に行くのが本当なのに、あそこの所へ来るとすぐ右に曲がって陸軍大臣官邸へ必ず朝寄ってから行くんです。だから小畑さんは荒木さんの・・・本当の意味での幕僚長をもって任じていましたですね」

CG映像「東京外務省」

語り「永田たちは外のパイプを使って巻き返しに出た。国際関係の修復に乗り出していた外務省」

永田鉄山「ソビエトと平和外交を進めようとする外務省の考えに賛成です。出来れば陸軍も協力したい」

語り「他にも宮中や元老、政党と支持を広げた永田達は、皇道派を追い詰めていった」

松平「そして皇道派の荒木大臣は政府でも次第に孤立しついに退陣、永田に近い林が大臣に就任します。今度は永田が軍務局長に取り立てられる一方、皇道派は次々と中央から遠ざけられていきます。ここから陸軍中央は派閥抗争一色に染まります」

字幕「陸軍省参謀本部跡」

松平「組織の内部には怪文書が飛び交いました。主導権を握った永田らを皇道派は執拗に攻撃しました」

松平「そして1935年8月12日(昭和10)白昼の陸軍省で事件が起きます。永田が、突然皇道派の将校に日本刀で惨殺されたのです」

永田惨殺映像

元陸軍参謀片倉衷「大変だーという声が聞こえてきたんです『局長がやられた』と。というんですぐに、局長室に飛び込みますと、刀が永田さんの胸を貫いて突き刺さったんですね、それで私は馬乗りになりましてね、人工呼吸をやったんですよ、40分ぐらいやりましたね、それでもついに生きない」

松平「間も無く小畑も失脚。派閥抗争の結果全体を取りまとめるリーダーがいなくなり、軍は百家争鳴となります。この統制の不在が陸軍を迷走させ、国家を戦争へと近づけていくことになります。鈴木貞一は永田の死についてこう語っています」

NHK能動戦争で洗脳の下心、見え見え。

鈴木貞一「ああー大きいね、これはもう非常に大きいですよ。あれ、殺されていなければ、日本の姿っていうものがよほど変わっていたでしょうね。あるいは大東亜戦争も避けられたかもしれない」

松平「エリート集団の陸軍の中でもとりわけ将来を嘱望された若手の軍官僚が、世界の潮流に乗り遅れまいということで改革運動を始めました。しかしこの運動は、満州事変などの過激な軍事行動を可能にし、それは結果としてですね、陸軍のそれまでの組織の秩序を破壊することになってしまったのであります。永田鉄山暗殺の翌年には、2・26事件が起こります。そしてその1年後に日中戦争が始まる、この組織の秩序の崩壊というのは戦争への歩みを速めてしまう結果ともなりました」

松平「さーそれでは、その日中戦争の時代をこれから取り上げてみることにいたしましょう。この泥沼とも言われた戦争に突入し、そこから抜け出せなくなった過程からもですね、巨大組織が抱える問題点が浮かび上がってまいります」

松平「192年(神戸港映像)民衆の圧倒的な歓声に迎えられ帰国した軍人たちがいました。満州事変を起こした関東軍の責任者達です。組織の統制を乱し処罰の対象であるはずの彼等を、陸軍中央はむしろ表彰。世論も熱狂し、いまさら事変が謀略とは表ざたに出来なくなっていたのです。この頃から現地では、独自の中国政策を立案しその成果を競い合うようになります。たとえば中国人とのトラブルが多発した天津、その天津軍参謀酒井隆は、自らの計画で手柄を上げる計画をうかがっていました」

重光葵回想録「酒井参謀長はかねてから断固として北支工作を自分の手でやることを決意していた。同僚の中でただ一人これまで勲章にありついていなかった」

字幕「北京市内1935年5月29・30」とCG

語り「酒井ら天津軍は、装甲車と機関銃部隊を展開、中国政府を威嚇し北京周辺からの撤退を要求した。陸軍中央には無断の、独断行動だった」

CG天津軍参謀長「今日は相談ではなく、わが軍の決意を通告しに来た」

語り「酒井はこの事件後帰国し、少将に昇進した」

松平「隣の関東軍も刺激されます。やはり中央に無断で、満州を超え華北地域へ進出を繰り返しました。この時関東軍の指導者は満州事変の首謀者板垣征四郎。満州国境の安定という独自構想から、北京近くに傀儡政府を樹立します。中央はこれも追認、満州事変を不問に付したことでその後の暴走も認めざるを得なくなっていました」

字幕「冀東防共自治政府成立1935年12月」

上記は1938年2月1日汪兆銘南京政府に合流。

京都大学助教授森靖夫「陸軍ていうのはもう、今の官僚組織とまったく同じことだと思うんですけど、ひとつのうー、慣例とか慣行とかが成立してしまうとそれが前例となり、同じ行動をとっても罰せられないし、えーそれが許されるということになってしまうんですけれども。それが満州事変えー、ですねー」

研究センター教授戸部良一「結果よければいいんだと、結果オーライの話が非常に多くなっていきますねー。結果的に陸軍のためになる、結果的に自分の立身出世にもなるというー発想が非常に強くなっている」

松平中央が現地軍に以下にものが言えなくなっていたか、それを裏付ける機密資料が見つかりました。そこには、陸軍中央が関東軍を抑えるために、隣の天津軍を増強するという手まで使ったことが記されていました」

映像「昭和11年密大日記大四冊陸軍省」

元陸軍中佐稲葉正夫「『軍事工作をやめろ』それでも関東軍は聞かないわけですよ。北支進出とか領域を侵すわけですよ。それを何とか抑えようとしたのがこの手なんですよ。北支(天津軍)を大きくすれば関東軍は次第に出なくなる。要するに関東軍の北支進出を抑えるためなんですよ」

松平「天津軍は3倍に増強、関東軍の南下は止まりました。しかし、が、これが誤算の連鎖を生みます」

字幕「抗日運動1936年」

松平「中国に説明なく進む急激な天津軍の増強に現地では反日運動が激化、瞬く間に全土に広がりました。誤算は続きます。一夕会の強硬派として知られる牟田口(廉也)大佐が天津軍連隊長に就任。派閥人事で転出後再起を狙っていました。天津軍は連日国民党の精鋭部隊がいる盧溝橋の近くで演習を繰り返します。そして、発砲事件が発生。牟田口はこれを国民党軍からの発砲だとし独断で攻撃を許可します。これが日中戦争の始まりでした」

字幕「1937年7月7日(昭和12年)」「日中戦争1937~1945」

松平「成果を競い暴走する出先軍あいまいな対応しか出来ない中央、その関係が多大な犠牲者をだす戦争へと陸軍を引き込んでいきました」

字幕熊本菊陽町「陸軍中将武藤章」

松平「ではなぜその日中戦争がアメリカとの戦争へと発展して行ったのか、その鍵を握る人物の遺族を今回取材することが出来ました。一夕会メンバーで、太平洋戦争開戦時陸軍省軍務局長についていた武藤章です。そのポストにあったことからA級戦犯として処刑されました。これまで武藤は一貫して戦争に積極的な強硬派と言われてきました。しかし、戦後巣鴨刑務所から家族に宛てられた手紙には意外な事実がつづられていました」

遺族武藤ヒサオ朗読「軍務局長着任以来支那事変を急速に解決することを主眼として、他列国とは絶対に事を構えてはならぬと考えてやってきた

松平「支那事変の急速な解決。軍務局長となった武藤が組織の肥大化に悩まされていた事実が浮かび上がってきました」

字幕「組織の肥大化

松平「日中戦争が始まって2年、大陸に派遣された兵士の数は60万から100万人に増加していました。組織の肥大に伴い現地には11の新たな軍を組織、20を越す司令官や参謀長クラスのポストが新設され、これが大臣を経験した大物軍人などの格好の移動先となります。しかし組織の膨張に戦費は逼迫、さらには侵略戦争だと非難するアメリカからの撤退要求。軍務局は危機感からついに派遣軍の縮小を検討し始めます。その交渉の矢面に立たされたのが西浦進中佐、陸軍省入省後予算畑を歩いてきたエリートでした。西浦たちは現地軍とりまとめを、参謀本部に提案します」

元陸軍大佐西浦進「支那派遣軍の兵力を減らしてもらわないと困る。それを第一年に10万か15万減らす。第二年にはどれだけ減らすかといって、覚書を作ってこの覚書きがあったらこれだけの軍備充実しましょうと、私は下心は何も言わずにどんどん人で詰めだしたわけなんです」

松平「それは参謀本部が切望する軍備の近代化と引き換えに段階的な現地軍の縮小を呑ませる作戦でした。しかしいっせいに反発の声が上がります、現地中国大陸の司令官たちがでした。最前線の第11軍の司令官に就任していた一夕会創設メンバー岡村寧次が意見書を送り付けました」

字幕「岡村寧次意見書1939年11月」

CGと語り「現地からの強力な抵抗を受け、参謀本部からの西村への圧力は日増しに高まっていった。参謀次長は日曜日にも電話し西浦の呼び出しを謀った。第一第二第三部長も同様に西浦に激しく詰め寄った」

「戦況を考えて兵力縮小計画を緩和しろ」

語り「しかし西浦はガンとして譲らなかった」

松平「ついに現地軍の大物も動きます。陸軍大臣を経験した支那派遣軍総参謀長の板垣征四郎が帰国、縮小どころか増派を訴えました」

慶應義塾大学教授菊澤研宗「陸軍全体にとっては、明らかにこちらの方が合理的な資源配分になるというのはもう判っていたとしても、実際にそのセクションの長になったら組織全体のことではなく、そのセクションの最大化を担うのは自分だと考えるようになる。そうすると全体の利益と合わなくなる。この事も今の企業で起こっているんですね、同じことが」

松平「縮小反対の大合唱。一方アメリカは中国からの撤兵が進まないことを理由に、通商条約破棄を通告してきます武藤は追い込まれました」

アメリカの破棄通告は、利権がらみでの蒋介石支援が理由、NHKの洗脳

字幕「参謀長会議1940年2月上旬」

CGと語り「会議の席上中国から帰国した一人の参謀が突然武藤に言い放った」

支那派遣軍参謀副長鈴木宗作「伺えば現地の兵力を減らし軍備充実を実行しようとする計画があるようだがこれは困難であり、むしろ不可能である」

語り「そして提案を突きつけた」

鈴木宗作「この秋まで極力予算を増やし、秋以降に圧縮するというのはどうか」

語り「現地軍が春先に計画している軍事作戦を念頭に置いた先送り案だった。武藤が口を開いた」

武藤「参謀本部と相談してご意見のとおりにいたしたい」

語り「現地軍との妥協だった。矢面に立たされた最後は、はしごを外された西浦。武藤の決定に黙って従った」

松平「武藤が妥協した訳。それを知る鍵が人事の記録です。この頃陸軍省の権威は完全に崩壊、戦場と東京とがめまぐるしく入れ替わる人事が行われていました。。この時の大臣畑俊六、さらに軍務局長の武藤も就任直前まで戦場で積極作戦を展開していました。そうした軍歴が逆に彼らの足かせになっていました」

京大助教授森靖夫「人事のシステムがおかしくなっているというのが一つの問題点。過去に現地軍で戦果を上げた人、陸軍中央に帰ってきてー、現地軍を統制してほしいといわれると、逆に今度は出来なくなる。陸軍省で穏健だった人が現地軍に行くと、今度は強行になったりと。もうグチャグチャな状態」

後手は必滅の戦時下を隠蔽し、NHK洗脳

字幕「宜昌作戦1940年5月1日」と宜昌映像。

松平「支那派遣軍は予算縮小がうやむやになった一月後、総攻撃を実行します。縮小反対の根拠となった作戦、一撃を加え和平に持ち込むという算段でした。しかし、それが日本を更なる泥沼のゲリラ戦へ引き込みます。現地では政治に関心のなかった地元の若者たちが次々と抗日へと駆り立てられていきました

郭誠さん(91歳)「23.4歳の若者はほとんどは遊撃隊に参加しました」

敖昌華さん(92歳)「日本軍はここを焼き払ったんです。だから、蒋介石の軍隊に加わり日本と戦おうと、思いました」

西安事件以後なので、米英仏蘭ソと傀儡の蒋介石毛沢東対、汪兆銘南京政府と日本である。先にやらなければやられた。互いに悲惨なのが戦争、偽中国の“泣き売”強調洗脳映像

松平「攻撃を強めるほどに高まる中国のナショナリズムに和平交渉は頓挫、国際的な非難も一気に噴き上がります。この事態を西村は、ただ呆然と見守るだけでした」

西村「なんだかこう、黒い嫌な空気がその肩に掛かってきたような気がしましたな。本当にアメリカと戦をしなきゃいかんのじゃないかと。非常にこー、なんていうか嫌っていうか。その、押し詰められたような気になりました。私個人のことなんですが、翌年の16年の8月には私、大佐になってよそへ出る順番になっておったものですから・・・いよいよ戦になるのは、自分がおらなくて誰か次の人の代になった時にやってほしいとか。はなはだ無責任な話ですが」

字幕「まわりの人や所属する組織が間違った方向に向かっていると感じた場合自分が反論できると思いますか?12月10~12日の1716人への電話調査」

 「長い物には巻かれろ的なものは有るかと思いますけどね。いったらねー怖いもんねー。目付けられたら困るから。絶対逆らえない。出来ませんねーそれは無理ですねー。言わないと何も変わらない訳ですねー。今僕の会社はまさにそうなんですねー。言いたいことは言いたい派だからなんでも言う」

「反論できる40.4%。反論できない49.2%。わからない・無回答10.4%」 5につづく

真実史観5NHK隠蔽終戦時には満州事変~大東亜戦争起因喝破のヘレンミアーズ

松平「自分たち(NHK)が過去にしたことに縛られてですねー、出先に対してあいまいな処罰しか与えられない中央(NHK)というものは。また出先は出先でですねー、組織全体(NHK)の利益よりも今日自分たちがいるそのセクションの利益だけを考えるということに対する。この巨大な組織陸軍(NHK)の中で中央と出先のこーゆー行動が繰り返されるうちにですねー、どんどん事態は悪化して戦争NHKの自滅)は泥沼化していくわけでございます。その結果日中双方(NHK)に多数の犠牲者を出し、それがその後のいわゆる太平洋戦争NHKの自滅)への道を選ばざるを得なくなったことを、私たち(NHK局員)は忘れてはなりません」
赤字部に換言するとNHKの実体となる

映像「昭和天皇と軍人の集合写真」

松平「この陸軍(NHK)の中枢にいる軍人(NHK局員)たち、彼らは当時の日本の知性を集めた極めて優秀な、いわば国のために存在するエリートでありました。その、国のために存在するエリートが、最終的には国の利益よりも、自分たちが存在する組織(NHK)の倫理を優先したという事実。これこそまさに組織(NHK)というものが持つ病理なのでありましょうか」
赤字部に換言するとNHKの実体となる

松平「アメリカから繰り返し突きつけられる中国からの撤兵、1941年9月、御前会議では天皇も日米開戦への危惧をほのめかしていました。しかし、 その矢先のことでした」

字幕「近衛内閣閣議1941年10月14日(昭和16年)」

CG画像語り「陸軍大臣東條英機が突然懐からメモを取り出し演説を始めた」

CG東條「日米交渉はどん詰まりである。撤兵問題は心臓だ。アメリカの主張にそのまま伏したら、支那事変の成果を壊滅するものだ。満州国をも危うくする。駐兵により事変の成果を決定付けることは当然であって、世界に対しなんら遠慮する必要はない

護国の臣東條英機当然の至言。

CG語り「組織の面目にこだわる陸軍の態度に、内閣は総辞職した」字幕「東條内閣1941年10月18日」

松平「その直後東條は新たな首相に就任。かっての一夕会のメンバーが皮肉なタイミングで、権力の頂点に上り詰めました。その内閣に企画院総裁として入閣したのがやはり一夕会の同士鈴木貞一でした。陸軍が中国から引かなくなった理由について語っています」

鈴木貞一「私もね満州から帰ってきた時に靖国神社へ行ったんですよ。そうするとあそこにずっと遺族が並んでんだねー、それを見て『ああーこんなに人が死んでいるのか』と思うとねー、やっぱり『これは何とかしなくちゃいけない』という気持ちになりますわねー、申し訳ないという気持ちにねー、従来の軍の性格から言ってだねー、自分等は自分のやった成果に対してはねー、言い訳の立つことだけはしなければいかんとそれはねー、そういう気持ちになります」

松平「自分達のやってきた成果へのこだわり、それを守るためには更なる拡大を必要としました。その先に一夕会のメンバーを待ち構えていたのは、彼らの想像をはるかに超える犠牲者を出す太平洋戦争の開戦でした」

『これは何とかしなくちゃいけない』は、護らなければで、「成果へのこだわり」ではない。NHKの洗脳

字幕「第二回巨大組織“陸軍”暴走のメカニズム」「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」

しつこく字幕と松平が能動戦争を繰り替えし強調、洗脳。

NHKのスパイ。語り、松平定知・演出、松村亮一・ディレクター、相沢考義・政策統括、角英夫。NHK洗脳劇 

隠蔽したNHK等の仮想界・ヘレン・ミアーズは終戦時すでに満州事変~大東亜戦争起因を喝破していた

終戦からわずか三年1948年出版ヘレン・ミアーズ「アメリカ人の鑑・日本」より

“大東亜共栄圏”の一環日本陸軍の凶産ソ連南下遮断作戦“防共回廊(板垣征四郎構想・ユーラシア戦略)”は達成寸前だった

第三章の1

 パールハーバー以前は、経済封鎖に対する日本の脆さを知っている人なら、日本が大国にとって軍事的脅威になるなどということを、誰も本気で考えたことは無い。日本は近代戦のための重要物資をすべて輸入しなければならないのだから、物資の補給が遮断(兵糧攻め)されれば、戦争機関は自動的に停止してしまう。しかも、日本は食糧も輸入しなければならないのだから、海上輸送路が遮断(兵糧攻め)されれば、通常の国内経済は麻痺する。

第九章の3

 日本は何を考えていたのか。中国の情勢は混沌とし、錯綜していた。しかし、日本から見れば、問題はきわめて簡単だった。つまり、(1)満州に、「合法的自衛」手段としての戦略拠点を確保し、(2)日本帝国圏(韓国と台湾)と満州、華北からなる経済ブロックをつくって経済の安全保障を確立しようというのが日本の計画だった。そうすれば、これまでのように原材料物資と市場をアメリカ、イギリス、フランス、オランダに依存しなくてすむ。日本は、一方では再び極東に進出してくる可能性のあるソ連に対する「防衛」手段として、もう一方ではイギリスの強力なポンド経済圏(貿易地域)とアメリカのドル経済圏に対抗する手段として、自分たちの計画を考えていたのである。しかし、イギリスとアメリカは日本の政策に反対した。

 日本から見れば、イギリスは中国の「中央政府」を経済的、政治的に支配し続けたいから、反対しているのだ。そして、アメリカは日本がアジアで指導的地位につくことを望んでいないのだ。つまり、人種差別的、通商的、戦略的反対であると、日本は解釈した。この政策的対立が日華事変(日中戦争)の交戦国は中国と日本ではなかった。それは依然として、日本と欧米列強、とりわけイギリス、アメリカとの対立だった。中国人の将軍(蒋介石)と政治家(日本と汪兆銘)がついていた。中国人民は、相も変わらず、双方の犠牲者であり、飢えるか殺されるかの役回りしか与えられていなかった。

 1935年、華北を蒋介石政権の「悪政」からほとんど「解放」していた。日本は華北三省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成したのだ。将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言していた。汪精衛(兆銘)(後に南京「傀儡」政府を率いる)も日本についていた。彼は1935年当時、蒋介石が率いる「南京政権」の行政院院長だった。この政権は列強が「中華民国の」の「中央政府」として承認したものである。つまり、日本は中国の統治グループの中に緊密な協調関係をつくっていたのである。

 中国「国民政府」の中にさえ、政策の不一致があった。蒋介石はどちらかといえば親英路線、汪兆銘はどちらかといえば親日路線だった。1935年、汪は日本の協力して、蒋介石を国民党の指導的位置から外そうとしていた。

 この時点までイギリスは蒋介石と日本の双方をけん制しつつ支援していたが、華北が独立を宣言し、日本と満州国が共同して関税同盟と経済ブロックを結成する可能性が強まってくると、危機感を抱くようになった。イギリスは華北に大きな「権益」を持っていたから、フレデリック・L・ロス卿を送り込み、銀の国有化計画を成功させて、蒋介石を外交的にも強化した。同じ頃、国民党大会初日の記念写真におさまろうとしていた汪精衛は、カメラに隠されていた銃で撃たれ負傷した(1935年11月1日)。

"防共回廊”を"経済回廊”と見間違えた凶産に疎い米英

 複雑極まりない情勢の中でおきた一連の事件は、日本の計画にとって大きな障害となった。日本の盟友汪精衛は入院し、蒋介石はイギリスの財政援助で威信を高めた。このために日本は華北の「解放」計画を断念せざるを得なくなったのである。イギリスに代わって華北を分離させようとした経済ブロック計画(防共回廊)は阻まれ(防共回廊は、日本が武力によらず「合法的」に達成寸前だった)、日本は一歩一歩、日華事変の泥沼にはまり込んでいった。その過程で日本は、不正義ではあったが(解放という正義が第一義ではなく、日本の自衛が第一義で、解放は自衛目的達成のための手段)、「アジア解放」(宗主国欧米に頼らない自己保存目的の大東亜共栄圏の樹立)の旗手として台頭してきた。

“防共回廊”破壊され経済遮断で残る一縷の術は“極東共栄圏”から“大東亜共栄圏”への拡大

 日本は、中国一部の地域の開放(華北解放の挫折)から発展して、汎アジアを目指し始めた。これはアジア諸国が「西洋列強の支配から解放され」て、(日本人の説明によれば)南北両アメリカ大陸の諸国が、汎アメリカ大陸同盟を形成して、共存共栄を図っていると同様に、「共栄圏」を形成して、協力するという構想であった。

 ひとたび日華事変が火を噴くと、日本は苛烈な獰猛さで進撃した。そして、東部の海岸地域を奪取し、蒋介石政権を重慶に追いやることに成功した。1940年4月、日本は汪精衛を南京に担ぎ出し、同11月汪政権を中国の正当な合法的「中央政府」として承認した。米英両国政府はただちに蒋介石政権を正統政府として承認すると発表した。アメリカは汪精衛を日本の傀儡とみなし、日本は蒋介石を米英の傀儡とみなした。

 中国人の立場から見れば、両政権とも法的擬制(誤魔化し)である。蒋介石も汪精衛も外国の後押しがなければ支配的地位を握ることはできなかった。どちらも中国人の力で政権に就いたのではなかった。両政権の軍隊は外国列強(片や米英、片や日本)によって資金手当てされ、訓練されていた。両政権ともいわゆる中国「共産党」からは敵視されていた。日華事変では中国共産党は重慶(蒋介石)に協力して日本と戦ったが蒋介石軍は日本軍、共産軍双方と戦っていた。

資源封鎖でポンド・ドル圏から追放

 米国政府は蒋介石に多額の借款を与えるだけでなく、日本の厳しい経済制裁(日本最大の弱点兵糧攻め)をちらつかせることで、日華事変(事実上、1939年の世界大戦に合流する)に参画していた。[著者注7 1940年11月、汪精衛の南京政権の樹立に対抗して、アメリカは重慶(蒋介石)に一億ドルの借款を与えた。これは1935年のアメリカの対中国投資総額の半分に相当する]。1939年6月、私たちは日本との通商条約(1911年締結)を破棄した。これによって、私たちはいつでも貿易を停止(兵糧攻め)できるようになった。

 1941年7月、アメリカ、イギリス、オランダは共同で各統治領内の日本資産を凍結し、貿易関係を全面的に中断(兵糧攻め)した。

 ここにいたって日本は、満州事変以来脅えつづけてきた最後のとき(兵糧攻め)がついにきたことをさとった。これら諸国の物資がなければ、日本はアメリカ、イギリス、オランダのいう条件で中国と満州から撤退するしかない。

戦わざれば亡国、戦うもまた亡国”

 近衛公が去り、東條大将が登場すると、凍結措置は戦争行為(兵糧攻め)なりと、たった一言で喝破した。次にくるのは必然的にパールハーバーとシンガポールの攻撃である。日本側の立場にたってみれば、これらの攻撃は、「我が帝国の存亡」を懸けた、当然の、自己防衛だった。[ヘレンミアーズ注11 第2章の2「攻撃と反抗」の日本国天皇の開戦の詔書を読み返していただきたい。ここには日本の視点が明確にされている]。

[第2章の2「攻撃と反抗」米英帝国に対する宣戦の詔書、1941年12月8日

 東洋支配のあくなき野望に狂奔する米英は、重慶政権を支援しつつ、東アジアの動乱をいよいよ悪化させてきた。米英両国は他の国々に追随をそそのかし、われわれに挑戦すべく、わが帝国周辺において軍事力を増強した。彼らはあらゆる手段を用いて、わが平和通商を 妨害し、ついには経済関係断絶の挙に出るにいたった。これはわが帝国の存立を根底から脅かすものである。かくのごとき情勢にいたれば、わが帝国は実にその存立と自衛のために、武力に訴え、そのいく手にたちはだかる障害を打破するほかにとるべき道はないのである]。開戦の詔書全文赤裸な国民の総意開戦の詔書と終戦の詔勅と戦後公職追放令でのし上がった売国奴

(真実史観注・玉砕特攻集団自決の原点 ハルノートに応じたら最後、大坂城の内堀を埋めたのと同じ、立ち上がる術など皆無。応じても、保障なき戦国時代、再度資源封鎖されて完全亡国の奴隷国は明白で、滅亡あるのみ。ABCD経済封鎖は宣戦布告、座すれば確実に国民は餓死、アジア同胞覚醒追随に一縷の望みを懸け、打って出た。故国に残した国民の生存を懸けた戦いに、兵士も国民も上下の区別なく団結、滅私で戦った)

 日本が戦争の道徳的弁明のための、あえて設定した合法的虚構は「大東亜の解放」であった。

(真実史観注・資源豊富な大国アメリカの観点では、「合法的虚構」かも知れぬが、兵糧攻めで白人支配のドル・ポンド圏からはじき出された資源無き小国日本には、被差別有色人アジアに、第三の経済圏大東亜共栄圏樹立以外、適者生存、生き残る術は無かったのだ)

第二章の2

 パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んでし仕掛けられた「一方的攻撃」であるというが、この論理では日本を公正に裁くことはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争(兵糧攻め)への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。パールハーバーは青天の霹靂ではなく、然るべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ち出した「凍結令」である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係を全て断絶した。日本は輸入必需品80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は、日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息死を(餓死)意味するものだった。

 日本はアメリカに特使を送り、こうした厳しい措置の緩和を要請した。しかし、アメリカは両国間の対立を解決する意志を持っておらず、戦争は不可避と考えているように、日本にはみえた。会談の公式記録を読んでみると、アメリカは自国の「防衛」計画を整備するまでの時間稼ぎをしている、と日本が思ったのは、当然である。アメリカの政策(イギリス蒋介石政権を支援し、日本を経済制裁)は正しかったというのもいいだろう。しかし、私たちの政策ではなかったと、真面目な顔でいうのはおかしい。なぜなら、政府は各種の公式声明であれ「凍結(兵糧攻め)」令はアメリカの政策だったと言明しているからだ。

 日本の立場で言えば、こうである。イギリスとオランダが禁輸したインドネシアとマレーの物資(兵糧)を力で奪いに行く決意を固めた。そこでアメリカが両国の陣営に加わらないよう、奇襲によって出鼻をくじく必要があった。パールハーバーは伸るか反るかの賭けだった。

 東京裁判で日本側は「封じ込め」を逆非難し、「正当防衛」を主張した。これには強力な裏付けあったために、私たちはパールハーバーを中心訴因から外し、「少なくとも、いわゆる満州事変の発生時の1931年から」日本が企てていた「世界征服」の「陰謀」まで訴因を拡大せざるをえなくなった(国際検察局主席検事joseph keenan書簡参照)

第三章の1

 私たちの戦争目的は、日本のアメリカ征服を阻止することではなく、日本を征服することだった。戦前戦中を通じて、日本が帝国の一部として、あるいは常任統治領として支配する地域に攻め入り、アメリカ本土からはるか遠くに広がるアジアの島と領土を占領することがアメリカの目的だった。

第七章の7

 雌鵞鳥(グース)のソースは雄鵞鳥(ガンダー)のソースにもなる(欧米列強の行動と、日本の行動は同じで、非難する資格など欧米列強にはない)。ヘレン・ミアーズ「アメリカ人の鑑・日本」引用終了

 

 応じたら最後亡国あるのみ。大坂城の内堀を埋めたのと同じで、立ち上がる術など皆無。応じても保障無き戦国時代、再度資源封鎖されて完全亡国奴隷国明白。応じたから、屈したから全世界が食民治にされた。最後に唯一残った独立国日本は、学習していたので、応じなかったのは当然なのである。永野修身の“戦わざれば亡国、戦うもまた亡国”は、これを踏まえての出席者の総意、子孫を思ってのほとばしる苦渋発言なのだ。これらを踏まえられない思考回路無き者は、大江司馬石原等の短絡善悪史観鵜呑みの、ロボットとなる。世界を征服し尽し、最後の日本を兵糧攻め。悲惨な降伏は拒否し、一縷の術に懸け打って出た。先人の一縷の望みは、植民地独立付与宣言となって成就した。考える能力さえあれば、子供でも解かることだ。

永野修身の言葉「昭和16(1941)年9月6日御前会議にて?」意訳真実史観

戦わざれば亡国、
 戦国時代である。中国、南京、満州、朝鮮は、英米仏蘭ソの争奪戦場となり分割。日本も、再度の資源封鎖で壊滅し、分割資源なき小国日本は、再び包囲されて餓死か、降伏して奴隷ドイツは英仏のWW1停戦約束不履行で、80万人以上の餓死者(ほとんどが老人女子供)となった(WW2起因)。弱肉強食時代の戦わずは、無条件降伏で、奪われても犯されても殺されても従うこと。(終戦時の韓国、ソ連の侵略を想起せよ・・・あれが現実の世界だ)。ハルノートによる戦わずの降伏は、台湾朝鮮満州南京汪兆銘への裏切り、未来永劫子孫の汚名となり、選択は不可。ソ中凶産合体阻止防共戦争日本が、敗戦で撤退するや否や即座にソ中凶産合体し、南京満州朝鮮と攻め入ったのが、厳然たる証拠である!戦わざれば、ソ中凶産や英米仏蘭餌食で、日本国は消滅していた!

戦うもまた亡国
 世界の超大国米英仏蘭中ソが相手では、必滅。

であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。
 不屈の抵抗の歴史を子孫に残し、国名が消滅してもポーランドは復活した。抵抗もせず降伏すれば、屈辱、屈伏の歴史は隠蔽され、抵抗の歴史は無きものと成る。さらに、征服者に洗脳され愚民化された抵抗の歴史無き子孫は、二度と立ち上がることなどなく、日本は消え、食民治と化し、正に、日本民族永遠の亡国となる。(南北アメリカの先住民族、・・・あれが現実の世界だ)

戦って死中に活を見いだし
 戦うもまた亡国かもしれないが、戦って一縷の望みに挑戦し、資源封鎖で絶えず迫る、独占貿易の宗主国を、アジアから永遠に排除しなければ、資源無き小国日本の、未来は無い。独占貿易の食民治主義共産主義と戦い、アジアから追放すれば、一縷の望み(自由貿易を旗印に団結、大東亜共栄圏を成し、対峙)が生まれる。たとえ敗れても、大東亜共栄圏が覚醒し独立すれば、独占貿易は破壊され、自由貿易の世となり、資源無き小国日本に、一縷の望み生まれる。敗れても、同胞が覚醒し追随するような、

護国の精神に徹するならば、
 勝者に隠蔽されないような、子孫を守るための必死な姿、生きざま、戦いざま、死にざまさえ残せば

たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを守る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。
 たとえ占領され食民治にされ征服者に愚民化されても、残した挑戦の心や生きざま、戦いざま、死にざまを想起し、必ずや子孫は覚醒し、再び独立し、日本は復活する。我々はただの戦いではなく、子孫が必ずや想起し、覚醒復活するような、勝者に隠蔽されない、史上比類なき戦いを、残す。子孫のために。

 永野修身個人の発言だけではなく、出席者全員のほとばしる総意が集まり成したのだろう、大同小異の資料が物語っている。子孫へのほとばしるおもい「最適者生存」は深く重い。当事の指導者、苦渋の決断が滲んだ言葉だ。・・・ここには侵略者の影など微塵もない。あるのは、子孫への思い、適者生存、唯一つ

 この比類なき戦いなかりせば、未だ扉開かず、有色の日本人も同胞も皆、白人支配の奴隷のまま、国名は失せ、日本族、支那族、朝鮮族等々の族名呼称で、族として残るのみ、当然我々は産まれ得ず。

 日本開国当時、独立国は日本タイ(英仏の緩衝独立国)のみ!これで一般常識人完全氷解し、職責者文系授の「善悪史観」など、論外となる。

太平洋(白色対有色)戦争
 前門の敵(ソ中凶産主義傀儡毛沢東と欧米列強食民治主義傀儡蒋介石)と交戦(反共戦争)中に、後門の敵(食民治主義の欧米列強)が宣戦布告(ABCD通牒)し、日本(最後の有色人独立国)壊滅を謀った、白人による有色人国家殲滅戦争!

大東亜(有色人自存自衛蜂起)戦争
 日本の自存自衛戦争!


NHK打倒が先人への何よりの謝罪で供養

 なんとも早い戦後3年、敵国の歴史家、アメリカのヘレンミアーズさえも指摘した大東亜戦争の起因、「防共回廊・アジア主義・板垣征四郎構想」が一言も無い。証言者は将棋のコマか日和見。権威付け役の丸暗記教授は、暗記馬鹿かスパイ。NHKはスパイの巣窟と自白。国民洗脳亡国放送局の揺ぎ無い証拠である。

 66年間も洗脳し続けるスパイに抗議などは無駄。兵糧攻めを突破し、国民の糧食確保に向かった日本軍を、こともあろうに、66年間も侵略者と愚弄するNHKには、兵糧攻め(受信料不払い)がふさわしい。受信料を支払い、66年間もスパイNHKを培養するのは、亡国奴。受信料不払いでNHKを解体し、スパイを破壊し、先人が命と引き換えに護った祖国日本を救うのが、先人への何よりの謝罪で、供養。真実史観を残すのが真の子孫。

第3回“熱狂”はこうして作られた(2.27.日)だそうだ

 戦中の銃後の要としての戦意高揚報道や世論操作は内外思想戦、古今東西の常識で当然のことである。問題は、独立後も職責の検証もせず、WGIP迎合を続け国民を洗脳したことである、しかも、現実界がひたすら復興にはげんでいる最中にだ!ちょっと調べれば子供でも解ることもせず、東大教授加藤陽子の言を借りれば「世界最高の頭脳たち」が、そしてNHKが、なんと66年間も、どうして解らなかったか、解ろうとしなかったか。

 言葉と文字の仮想界は、唯心天道検証力常識思考回路欠損の表音記憶の半端者か、スパイの、巣窟との証拠である。

 先人は「こうして作られた“熱狂”に動かされて」命を懸けたのか?資源なき日本は、団結そして先手以外に道はない!先人愚弄もはなはだしい限りだ!戦後の、ソ連偽中国癌半島の同胞殺しとは、次元が異なる!

第4回開戦・リーダーたちの迷走(3.6.日)だそうだ

 戦争行為(兵糧攻めは宣戦布告)には、「迷走」は当たり前。迷走ではなく、窮鼠故の苦悩だ!現代でも同じこと、大坂城内堀を埋め、座して死ぬ馬鹿などいない!一縷の望みがあれば、誰でもがそれに懸ける。そして先人は成し遂げ、現代平和の魁をなした。「国策決定を担うリーダーたちは、対米戦争に勝ち目がないと知っていた。にもかかわらず、開戦に舵を切ったのは、組織の自壊を避けるためだったいうことが浮き彫りになる」だそうだ。資源封鎖は宣戦布告、ハルノートは降伏命令書。日本は降伏拒否し、糧食確保に死活を懸け、奮闘したに過ぎない!生命体自己保存の本能に、従ったまでだ!NHKは、リーダーたちにすべてを押し付けたいのだ!日本は、国盗り戦争の独伊とは異なる、適者生存戦争だ!

 日本はたとえ政敵であろうと殺していない!隠蔽してのNHKつまみ食い針小棒大洗脳放送は、政敵同胞虐殺ベスト3、中ソ朝捏造政権洗脳そのものだ!

 文字と言葉の仮想界など無くても生きていける無用の長物NHKや東大文系等の66年間もの愚行は、亡国集団との自白。亡国元凶破壊は、国民なら当然の自衛義務で、適者生存本能

 資源無き小国日本の、古き国名大和は、大いなる和(団結)で、日進日露大東亜と、国難克服のみなもとを成してきた。戦後の言葉と文字界、識者とマスコミ(表音記憶のパブロフ犬とスパイ)は、銃後の護りもせず、糧食確保に奮闘の同胞(現実界は土台)を、あろうことか、目先の私欲で背後から撃ち殺す、餓死自殺願望狂人である。狂人と狂死は、まっぴらごめんだ! 6につづく⇒

真実史観6NHK戦後スパイ化真実隠蔽の選り食い報道好いとこ盗り空論人間蔓延

第三回“熱狂”はこうして作られた2月27日

 熱狂」ではなく「団結」が正しい。日本存亡の危機に瀕しマスコミも一致団結した。NHKや東大スパイの国民洗脳手口は、歴史の本道(戦国時代における、凶産主義・食民治主義の黄禍論白人連合対有色人連合日本)は隠蔽し、枝葉末節のみをつまみ食いし、すり替え洗脳する。下記が歴史の本道である。

 開国以来掲げ続けた、有色人互恵連合大アジア主義(日本の完全独立)の旗は、白人黄禍論連合に屈せば(応戦せず)、潰える!応戦せずは、NHKや東大らが捏造する、侵略者日本が消えて平和来訪ではない!アジア同胞を見捨てれば、当然の信義喪失。戦時下に、同胞支援皆無の孤立無援丸裸を意味し、もう一方の敵、世界征服が野望のソ連との対戦は必然。そして、宗主国連合「兵糧攻め」は、戦国の世なので、何度も使用可能なカードなのだ!「戦わざるは亡国」は、子供でも解る常識であった。存亡の危機に日本の一致団結で、狂った“熱狂”ではない。

 反共の砦日本が撤退するや否やソ連は、中国と満州と韓半島を瞬時に支配した。アメリカと国連軍が総がかりで何とか韓半島半分まで押し戻したが、66年後の現在も、停戦のままで終戦に至っていない。これが現実。この史実から導き出されるものは、日本が積み上げた砦がいかに強大な反共の砦であったか、共和党フーバー大統領の見識がいかに正当であったか、NHKや東大の御題目「侵略しなければバラ色の世界」など全くの捏造との証明である。つまり、応戦しなければ=撤退しなければ、見捨てた同胞支援は当然皆無の孤立無援、対「兵糧攻めカード所持者黄禍論白人連合」に、丸裸の日本などは潰えて、分断され、消滅していた。

 応戦せずは、降伏は、日本が原因の戦国が終焉で平和来訪だったと捏造するため、まことの主犯凶産隠蔽のため、NHKはこの、日本存亡の危機を隠蔽し、一致団結を、“熱狂”と捏造愚弄したのだ。

戦時下のメディアの扇動は古今東西の常識
 米国戦意高揚映画1942年「戦争への序曲」白馬の天皇と現人神と崇める日本人の行動映像。天皇の顔がヒトラー、ムッソリーニの顔と並び、「この三人の顔を忘れるな!」と扇動ナレーション。

 第3回の意図は、戦国の御世も、防共満州も、南下ソ連も、共産毛沢東の八・一宣言も完全隠蔽し、メディア(新聞やNHKラジオ)が煽ったから、日本国民が狂って“熱狂”、戦争が拡大し、日本開戦となった。と、応戦を、日本能動戦争と捏造し、国民を洗脳することが目的。NHKの松平が責任転嫁扇動で愚弄し、葵の印籠を掲げ強調するのは、毎度おなじみの、NHK御用達文系パブロフ犬教授。

画面「朝日毎日読売の発行部数が、満州事変、日中戦争勃発、日米開戦と右肩45度上がりのグラフ」

松平「―つまりメディアもまたですね、日本人を戦争に駆り立てた、大きな要因の一つだったという風に言われる所以でございます。メディアがその姿勢を転換したのは、満州事変だったという風に言われています。さあーその時に、一体何が起こったのでございましょうか」
 言っているのは、好いとこ盗り放送のNHKのみの捏造。凶産主義・食民治主義黄禍論白人連合が迫ったから決起した。

画面「秋田県横手市」

松平「今年(2011)1月一人の元新聞記者を訪ねました」

画面「元朝日新聞記者武野武治さん(96歳)」

松平「武野武治さん、戦前の新聞界を知る数少ない人物です、満州事変をきっかけに新聞記者を目指し、終戦の日に報道の戦争責任を感じて、辞表を出しました」

武野「これは、どこの新聞も戦争になると発行部数が増えますよ。息子がみんな、夫が戦争に行くから戦争はどうなっているか、新しい読者が増える。だから戦争になれば、新聞にとっては、経営面ではマイナスじゃないんです」

NHK「新聞が戦争を煽ったという側面はありますか?」

武野「それはあるでしょうねそりや、勝った勝ったと言って、実際そういう紙面を作ったんだから。そしてそれに乗って民衆は、勝った勝ったと思ったんじゃないですか。そして、何か将来、いいことになるだろうと思った」

画面「旧遼寧省奉天柳条湖」

松平「ここから満州事変が始まりました」
捏造、「モンゴル赤化」以後からである!

画面「朝日新聞奉天局1931年9月18日」

CG画像語り「南満州鉄道の爆破をきっかけに日中両軍が衝突、現場の特派員たちは一気にざわめき立った」

CG画像「奉天逓信局長武内文彬」

武内文彬の手記「奉天の町は大砲と機関銃の音と軍隊の活動で沸き返った。奉天通信局はもちろん徹夜だ、妻も老いも総動員の活動」

松平「関東軍は部隊を次々投入、本格的な戦闘状態に入ります。事変勃発の翌朝、現地からの一報を受けた各紙に、速報が踊ります。報道合戦が始まりました」

画面「新聞の扇動報道映像と松平熱狂扇動ナレーションと、当時の様子を証言する元記者」

学習院大学教授井上寿一「スクープ合戦、速報合戦をして、・・・それが満州事変の拡大を煽ると」

松平「政府は、満州事変不拡大を決定。しかし関東軍は独断で、全満州へ兵を進めます。この軍の行動を支持すべきかどうか、新聞社にとって重大問題が浮上しました。しかし、すでにほとんどの新聞が事変を、関東軍支持へと舵を切っていました。論説記事までが、満州事変は日本の生命線と強硬論を唱えます。当時最大部数を誇っていた全国紙記者の証言です」

画面「東京日日新聞『守れ満州=帝国の生命線』の大見出し」

東京日日新聞高田元三郎「ことしかし、満州事変に関しては非常な強硬論でしたね。ですからそういう意味から言うと私は、新聞の責任論から言うと、毎日新聞(旧東京日日新聞)には、責任があったと思う気がします。ずーっと一貫してねあの、満州事変から強硬論で終始してきてますから」
 満州は戦国時代の日本の砦。戦国時代は攻めなければ攻められる国盗り合戦、攻めるのは当たり前。これを隠蔽して、平和の御世の侵略者とすり替え放送で洗脳

松平「大正デモクラシーの時代には、軍の拡大を批判していた新聞各社がなぜ軍の支持に回ったのか、鍵を握る一つの事件が満州事変の直前に起きていました」

画面「陸軍大尉中村震太郎」

松平「敵情偵察中の陸軍将校が、中国兵に殺害された事件です」

東京日日新聞石橋恒喜「中村震太郎事件というのがありましたな。あれが虐殺されてから、満州の生命線を守れというように、変わっていくんですよ」
 昔も今も同じ、俯瞰出来得ず、目先の事象でしか判断不能との自白だ。開国時より満州は生命線。だから露西亜と戦争までして、満州の地を押さえたのだ。洗脳証言

松平「残虐性が強調されたセンセーショナルな記事、中国憎しの論調が読者の心をつかむ中で、満州事変が発生しました」
 死者は、皆善人の唯心、米食文化の日本とは異なり、中国人や朝鮮人は肉食文化圏で唯物、食人、死体損壊等は「蜀碧」等にも記されており、中国の伝統性癖で、「強調」ではない

松平「各社が満州事変拡大を支持する中、大手新聞社の中で朝日新聞は、慎重論を唱えました。早く外交交渉に移して、これを地方問題として処理すべしと、訴える社説。しかし、各地で朝日新聞の不買運動が発生、社内でも軍部支持已む無しの声が出始め、社論を展開してゆきます。こうした状況で、当時朝日新聞編集局長だった緒方竹寅が、自ら軍に接触を図っていたという軍幹部の証言テープが見つかりました。緒方はリベラルな姿勢で知られる言論界の重鎮でした」

今村均参謀本部作戦課長「緒方さんに呼びつけられましてね、ある料理屋でしたけれど。素直に陸軍の考えを言うてくれと言われて述べたことがあるんです。それまで朝日新聞なんて公然と反対でしたから」

CG映像画面「東京料亭1931年満州事変勃発後」

語り「今村は緒方のもとを訪ねた」

CG緒方「素直に陸軍の考えを言うてくれ」

語り「今村は軍内部の実情を打ち明ける」

CG今村「実際、今度の場合は、我々が無力で、中央の統制を関東軍に押し付けることが出来なかった。しかし、現地に行って、在留邦人が圧迫されて非常に悲惨な状況を見てくると、石原や板垣がああゆうことをやったのも、人間として止むを得ない。何とか遅ればせながら、世論が満州事変を支持していただきたい」

テープ音声今村「長いことかかりました、4時間ぐらいかかりました。これは本気になって訴えましたね。その時に緒方さんが、『ああそうですか、初めてよくわかった』と言いましてね、それからころっと変わりました、朝日の何が・・・」
 1924年モンゴルを赤化したソ連は南下し、騒乱工作を開始した。「日支懸案」件数は、1927年31件、28年37件、29年77件、30年95件と頻発し、日本人居留民の生活は危殆に瀕し、満州事変直前には、事実上の戦争状態に陥った。政府は「幣原外交」と呼ばれる、英米と強調し、中国には同情を持って対応するという方針を採り、ただ、手をこまねいて見ているだけという「腰抜け外交政策」をとっていた。そのような政府に対して、関東軍の参謀が、「住民は助けを求めている。国民を護らなければならない」と決起したのが、満州事変の真相である。義を見てせざるは勇無きなり。関東軍の暴走ではない。人の道に従っただけなのだ。今村均は真実そのままを訴えたのだ

松平「軍幹部が証言する新聞社の方針転換、生前の今村と緒方を知っている元朝日新聞貴社武野武治さんに、録音テープを聞いてもらいました」

武野「これ使う?」

NHK「そうですね」

武野「うーん、ころっと変わった・・・」

NHK「こういうことが本当にあったと思いますか?」

武野「いやー、あったと思うね。もっと言うならば『国益』ですよ、それはやっぱり。それはもう国益ですよ。それがやっぱり真実をちゃんと明らかにして、間違ったものなら間違いを正すという方向へ、行かせなかったのだと思います。だから国益が大空に輝いているわけで、これが戦争遂行なんです」
 迫る黄禍論白人連合戦国時代の兵糧攻め防御には、満州味方の地が、必須であった

松平「新聞各社が満州事変で軍を支持したのは、販売部数を伸ばすためか、それとも、満州権益という国益を考えてのことか、いずれにせよ新聞社は、情報源である軍に急接近していきます」

東京日日新聞石橋恒喜「当時はまだ参謀本部あたりも、まだ、新聞記者がやって来た、歓迎してくれてね、策戦課あたりへ入って行っても何も言わずに、いろんなことを話してくれました」

松平「記者たちは決定的な事実を知らされます。満鉄線の爆破は関東軍が仕掛けた謀略だと言うのです」

東京日日新聞石橋恒喜「我々は記者クラブで、谷萩大尉というのがおりまして話してくれた。『いや実はあれは関東軍がやったんだよ』と」
 NHK松平が「謀略だ」と侮辱したが、平和の御世ではない、敵攻略の戦略。侮蔑語は連想洗脳である

画面「陸軍省新聞班谷萩那華雄をアップ」

松平「しかしどのメディアもこの事実を、太平洋戦争が終わるまで報道しませんでした。このことが国民に満州事変は日本の正当防衛だと信じ込ませ、日中戦争太平洋戦争への道を進む発端となりました」
 負ければ死の戦時下、攻防戦を展開しているだけなのに、「日本の正当防衛だと信じ込ませ・・・発端」と捏造、極悪日本軍と誘導洗脳

京都大学大学院准教授佐藤卓己「現代の報道論理からすれば、それは批判されるべきことだったかもしれません。ただ一方で当時のジャーナリズムのレベルにおいてある種の国益論というのは、今以上に恐らく非常に強い論理的な正当性を持っていて、国益としては是とすることをやったんだという風に、その当時の当事者としてはきっと思っていたと思うんですね」

松平「メディアの報道によって(NHKこじつけ捏造。満州防共の砦は常識)満州権益は日本人にとって最も重要な国益となっていきます。民衆は満州国建国に喝采を送りました。そしてメディアと民衆の熱狂がやがて一人歩きを始めます」
 熱狂ではなく、兵糧攻めの防御と防共の足がかりが出来た喜びなのに、「熱狂がやがて一人歩き」と日本極悪へ連想洗脳

字幕「満州国承認祝賀1932年9月15日」

松平「国際連盟からリットン調査団が派遣され、報告書を作成、満州国は日本の傀儡だとして独立国家とは認めませんでした。軍は激しく反発、政府は連日国際連盟との協議に追われました。しかし一貫して強硬論を唱える新聞各紙の社説には、公表翌日から報告書への非難罵倒が並び、国際連盟への怒りをあらわにします。さらにリットン報告書は断じて受け入れられないと、全国132の新聞社が世界に向けて共同宣言を出します。新聞は満州国堅持を掲げ日本の外交方針を自らリードする(NHK捏造洗脳という姿勢を打ち出したのです」

東京経済大学教授有山輝夫「今風に言うと社会的使命。当時だと国家的な使命ということを多くの人たちが考えようとしたし、それによって自分たちが国家に貢献している、ということによって自分自身を正当化する。あるいは自分自身の活動を意味付ける考え方になっていったんだと思いますね」

松平「新聞はついに国際連盟を脱退すべきだという主張まで連日載せるようになります」

画面「断固脱退すべし・連盟を脱退せよ」の新聞大見出し。

画面「首相官邸1933年2月1日」

CG映像大蔵大臣高橋是清「陸軍が引きずるような形で新聞も二言目にはすぐ国際連盟脱退だのなんのと騒ぎ立てる、いったいなぜあんなことをするのか」

陸軍大臣荒木貞夫「あれは新聞が出すので陸軍が宣伝するんじゃない。向こうでで勝手に書くのだから止むを得ない」

高橋是清「新聞社が勝手に書くのならば、なぜそれを取り締まらないのか。今日の陸軍の力をもってすれば、それぐらいのことはなんでもないではないか」

NHK語り「高橋是清は怒りをあらわにするも、メディアの暴走を止める術はなかった」

松平「1933年2月リットン報告書に基づく対日勧告が採択されます」

映像「松岡洋介の連盟勧告受諾拒否宣言」

松平「連盟脱退だけは避けるよう訓令を受けていた松岡洋介は敗戦将軍の心持で議場を後にし国際連盟を脱退します。しかしメディアは堂々と退場した松岡に喝采を送り、世界に物申した稀代の英雄と祭り上げます。帰国した松岡を待っていたのは国民の熱狂的な歓迎でした。松岡はこう語りました『口で非常時といいながら、私をこんなに歓迎するとは、皆の頭がどうかしていやしないか』」

松平「政府の打ち出した方針に対して、メディアがそんな弱腰でどうすんだと、そんなことで国益守れるのかということを声高に批判する。あるいは国際問題が起きますと、なんてたって正義は日本にあるんだということを絶叫し続ける。こういう強硬論に国民の多くは喝采を送ります。ひとつのメディアがこういう流れを作りますとですね、ほかのメディアもそれを見て一斉におんなじことを言い募るわけですね。そして国民はそれを見て、一斉にそれに同調していくようになるのです。こうして軍とメディアと国民民衆、このトライアングルによって生み出された世論というものはしばしば熱狂を伴います。そしてその熱狂の中で、言論の自由は次第に失われていくので御座います」
 リットン採決実態は、賛成42カ国(宗主国・食民治・白人)で、反対は有色人独立国1カ国(日本)、タイ(シャム)は棄権。満州は防共兵糧攻め防御の砦、当然の行動である。ここを隠蔽し熱狂と洗脳

松平「満州事変で始まったメディアの軍への接近。一方で軍に批判的な態度を残す新聞には、言論弾圧が忍び寄りました。その一つ信濃毎日新聞。きっかけは“関東防空大演習を嗤う”と題する記事でした。これまでも軍部に批判的な記事を書いてきた主筆桐生悠々は木造家屋が密集する日本は空襲されたら終わりであり、防空演習は役に立たないと論じました。この記事が軍部の目に止まり信濃毎日新聞は言論機関としての岐路に立たされます」

画面「長野市信濃毎日新聞本社1933年9月」

CG映像NHK語り「9月の暑い日、信濃毎日新聞常務小坂武雄のもとに、信州郷軍同士会と名乗る団体が突然訪れた」

信州郷軍同士会「我々は会員8万を代表して主筆桐生と編集局長三沢の退社並びに貴殿による謝罪文掲載を要求する」

松平「信州郷軍同士会とは長野県在住の軍務経験者の会が組織した団体です。自分たちの主張にそぐわない新聞には不買運動をもって圧力をかけました。全国紙の進出によって経営が落ち込んでいた地方紙にとって、不買運動は最大の脅威でした」

画面「松本市信州郷軍同士会本部1933年9月」

CG映像信濃毎日新聞常務小坂武雄「めいめいが信じるところを論じ合い、自ずから落ち着くところに落ち着いてこそ真の世論は生まれるべきものだ」

NHK語り「しかし信州軍郷同士会は譲歩の色を見せなかった」

小坂武雄の手記より「何回会見しても全く要領を得ない。先方の方針はすでに決着しているので議論は既に無用なのであった。信濃毎日も部数は2万に過ぎず、不買運動をもっておびやかされるに抗し得ず、屈辱的な終結を告げるに至った」

松平「数日後信濃毎日新聞に小さな謹告が出されます。それは新聞社が前面謝罪を行い、主筆桐生悠々が退職する旨を告げるものでした。しかしこうした事態にも社内の空気は冷ややかでした」

信濃毎日新聞田中武夫「“関東防空大演習を嗤う”というああゆうものを書くことによって天下は多少騒いだけれども、社内では『あの人に行かれはて困る』とか、『あんな立派な説を成す人を』というものは、そうなかったんですよ、その事による動揺とか反発とかね。首を切られるとか言うようなことに対する批判というものは、あまりなかった」
 嗤う”は、部数拡大の受けを狙ったのだろうが、死活が懸かった戦時下には不適で、団結破壊なので、当然である。「言論弾圧」と誇張し、洗脳した

松平言論弾圧に無力な経営者と社内の冷めた空気状況は東京の大手新聞社も同じでした」

CG映像「東京星が丘茶寮。1934年春新聞記者座談会文芸春秋社主催」

NHK語り「この夜、永田町の料亭に集まったのは、在京大手6社の新聞記者11人だった」

「信濃毎日の桐生悠々も、防空演習を論じて問題にされ、結局辞めることになりましたね」

「経営的圧迫といいますか、あまり自分の新聞が売れなくなるようなことは書かないほうがいいと思います」

「資本主や自分の同僚に、迷惑を及ぼしちゃあいすまんという気持ちが、記者にあるんじゃないですか」

「最近は政府の禁止事項が非常に多いんですよ。非常に細かいものまで何十万ときております」

「いっそ禁止してくれたほうが良い。そうなれば苦心して書く必要はなくなります」

松平「軍への批判を続けると、自分が所属している新聞社の存続が危うくなるということで彼らは軍への批判を控えてですね、国益を論じるようになる。つまり、論じる幅がどんどんどんどん狭められていったわけですね。つまり自分で自分の首を絞めるようなこういう自己規制は、全国各地でいろんな所で行われます。そしてその空気がやがて、言論統制を呼び込むことにも成るので御座います。さて皆さん、このときにですねーえー、非常に強力な新興メディアが台頭いたしました。それは、ラジオで御座います。ラジオの契約台数は新聞、大手新聞の発行部数をはるかに凌駕しております。つまり、ラジオが新聞とあいまってですね日本人を戦争へと向かわせた熱狂を作っていったので御座います」
 銃後の要として当然戦意高揚を煽ったが、「ラジオが新聞とあいまってですね、日本人を戦争へと向かわせた熱狂を作っていった」はNHKの主客転倒捏造!

画面「近衛文麿首相就任1937年6月4日」

松平「第34代内閣総理大臣近衛文麿。彼にはもう一つの顔がありました。戦前のラジオ放送を独占していた日本放送協会(NHK)の総裁です。太平洋戦争が終わるまでその職にありました。近衛の総理大臣就任1月後日中戦争が勃発します。その直後近衛は世論を味方につけるために、首相官邸にメディアの代表40人を集めました」

画面「首相官邸食堂1937年7月11日」
日本放送協会=NHKを隠蔽している。
7につづく⇒

真実史観7植民地独立付与宣言が世界平和の源九条の会スパイ等が憲法九条と捏造

CG近衛「今事件は全く中国側の計画的な武力抗日なること、もはや疑いの余地なし。挙国一致政府の方針に協力されたい」

NHK語り「近衛は新聞通信放送の代表者に政府への全面協力を要請する。会合が行われたのは夜9時。同盟通信の社長が代表して協力を約束した。政府とメディアによる挙国一致報道の始まりだった」

松平「あらゆるメディアの中でも近衛はラジオを巧みに活用し国民を熱狂へと駆り立てようとしました」
NHK近衛に責任押し付け!

画像「近衛内閣総理大臣演説」

松平「これは日中戦争勃発二ヵ月後に行われた国民の戦意高揚を狙った演説会です。近衛の勇ましい言葉に観客の喝采が起こり、その興奮がラジオ中継によって全国に届けられました」

近衛「いかなる国難が起こってきても必ずこれに打ち勝ち、有終の美を成し遂げずんば断じて止まぬという不退転の決意であります」

画像「ヒトラーの演説」

松平「演説会場から拍手と歓声を電波に乗せ、聞き手に国家の一体感を感じさせたのはナチスの手法です。スローガンは“ラジオは国家の意思を運ぶ”。当時、政府の監督統制下にあった日本放送協会(NHKの責任逃れ)は、このナチスの手法を長年にわたって研究していました。組織体制や番組編成までモデルにしています」

元昭和女子大学教授竹山昭子「ナチスドイツの宣伝のあり方と言うものはね、日本放送協会(NHK)はお手本にしています。会場に詰め掛けている人々の歓声とか拍手っていうものがね、耳から心に響くわけですね。ですから非常に強いインパクトをもたらした。戦意高揚という意味では、非常に大きな役割を担ったメディアだと言っていいと思いますね」
 ヒトラー=近衛と連想洗脳。国難に結束を促したのであり、「熱狂へ駆り立てようと」したのではない!ちなみに、戦中のNHK報道に、罪無しは当然の常識。

ラジオ放送「昭和12年12月13日敵の首都南京を攻略せり」

松平「首都南京の陥落が伝わると国民は熱狂しました。デパートでは南京陥落セールが行われ、東京では戦勝祝賀の提灯行列に40万人が参加しました」

映像「セールや提灯行列」
 戦勝はどこの国でも祝うもの。これを「熱狂」と表現し、先人が皆、狂ったかのように連想洗脳

松平「一方海外では日本軍による南京での非戦闘員の殺害などが伝えられ非難が起こります。日本国民にはこうした状況が知らされず、日本の世論と世界の認識は離れていきます」
 戦争には同士討ちさえあるのだ、巻き込まれての犠牲者は当然存在する。特に支那兵は兵隊服を脱ぎ、市民に紛れ込んで戦った(凶産ゲリラや便衣隊)ので、服装で判断は出来ない。また凶産は、抗日扇動目的で同胞住民を殺し、日本軍の仕業に見せかけたので、いちがいに「日本軍による」などとは断定できない。誘導洗脳

映像「南京占領。1938年1月上映アメリカ・ニュース映画。行進する日本軍と路上の死体(つまみ食いし極悪日本軍をを強調)」
 世界を征服し尽くした米ソが、中国(蒋介石と毛沢東)を操っていたのが日中戦争なので、米国民犯日洗脳用映像である

松平「しかし首都が陥落しても日中戦争は終わらず、長期戦に突入、国民の戦意を保つためにラジオの戦争放送は熱気を作り続けます。世界初とうたわれた前線からの戦争中継です」
 あくまでもNHKは真相(宗主国と凶産連合の侵略者対有色人自立戦争)を隠蔽し「熱狂」戦争と作るつもりだ

松平「中国江蘇省徐州、日本軍が一大勢力を投入した殲滅作戦の現場です。軍の全面協力の下、中継班が派遣され現地軍の監修による原稿が読み上げられました」

徐州戦線より(レコード)の音声「大陸の響きを加えてこの世の地獄・・・」

松平「敵の主力隊はすばやく撤退し、殲滅作戦としては空振りに終わります。しかしラジオは勝利は近いと国民を鼓舞します」
 銃後の戦意高揚は、戦時下の万国常套手段。それをNHKはあざけっている

映像「ラジオを聞いている(内容は不明)日本国民」

インタビュー元日本放送協会大原知巳「現地の同時の放送なんていうのはかなり人気はありました。戦意高揚にならなきゃだめですからね。えーとにかく勝った勝ったの放送しか、負けたなんてことはうっかり言えたもんじゃないですからね」

松平「この前線中継の直後、靖国神社には人々がつめかけ、社前にぬかずく人の姿が深夜まで続きました。戦争の実態を知らず日本の力を過信する世論をラジオが作り出していきました」

映像「現代の靖国神社参拝」

参拝者妻「勝った勝った思った。やったやったと思うねそりゃ」

参拝者夫(当時13歳)「その当時は負けるというような考えはなかったよねぜんぜん」

参拝者夫(当時12歳)「ラジオは神様みたいなものと思っていました。当時はね」

NHK「神様」

参拝者夫(当時12歳)「みたいに思っていたくらいですよ」

NHK「ラジオの言うことは正しいと」

参拝者夫(当時12歳)「そうそうそう」

妻「もう信用しきっていましたよ」

夫「日本は強いんだと日本という国はたいしたもんだと」
 NHK得意のつまみ食い洗脳証言

松平「しかし国民の間には不満が生まれてきます。報道では日本は連戦連勝なのになぜ中国は屈しないのか、戦争は長引き経済は悪化の一途だ。その不満は中国を支援するイギリスとアメリカへ向かって行きます。イギリス大使館には6万人の民衆が詰めかけ抗議の声を上げました」

映像「反英集会1939年7月11日」
 国民は日中戦争の真の敵、宗主国と凶産を知っていた証拠である

松平「日本とイギリスが対立する中、アメリカは日米通商航海条約の破棄を通告。対日経済制裁の強化に踏み切りました。これに日本の世論は一段と反発します。対米外交は強行に出るべきかとの世論調査の問いに、強硬に出るが三分の二を占めるようになりました」

画像「ドイツ快進撃のニュース映像」

松平「そこに飛び込んできたのが第二次世界大戦でのドイツ快進撃のニュースでした。日本の民衆の間にドイツの時代が来たとの空気が広がります。新聞各紙は陸軍と連携して連日日独伊三国同盟を主張、世論に訴えました。英米に対し不満を募らせていた国民はドイツとの同盟を熱狂的に支持します。政府内で当初三国同盟に反対していた外務省や海軍は、劣勢に立たされていきます」
 敵の敵は味方は、戦国の常識

証言外交官安藤義良「あの時の世論と新聞とその他は、陸軍にすっかり引っ張りまわされていますからね。ああゆうような世論をですね、真正面から反対論唱えたところで決してそれは出来っこないんです。外務大臣がやり切れるわけないんだ」

証言陸軍中将大島浩「海軍がどうして非常に強く反対したのを撤回したのかと思うんですがね。私はやはりこれは世論に押されたんじゃないかと思いますね。大部分の者がドイツの勝利ということを考えるようになったんですね。そこで条約熱というものが非常に上がってきた」

画面「来栖大使とヒトラーの調印映像。日独伊三国同盟1940年9月27日」
 世界にあまねく防共を訴えたが、賛同したのが独のみで、1936年日独(翌年日独伊)防共協定。これが原点で付け焼刃などではない、敵の敵は味方の同盟。戦国時代の常套戦術である

松平「新しく外務大臣となった松岡洋介の下、三国同盟は成立。調印に臨んだ来栖大使は、メディアへの不信を記者団に洩らしていました」

証言同盟通信加藤萬寿男「来栖さんは素直にものを言う人でしたからね、我々の記者団5~6人の中で『君たちの新聞が三国同盟を支持するからああいう風になったんだ』と」

松平「近衛に親しかった記者はこのとき首相自身も三国同盟に積極的ではなくなっていたという本音を聞きだしていました」

証言同盟通信松本重治「実際スターマー(ドイツ特使)が来たのは9月7日で、その二日前私は近衛さんとゴルフをしたと思うんです軽井沢で。その時に近衛さんが『スターマーがきやがるし』と言って近衛さんは日独伊協定・・・あんまり反対はないけど賛成でもなかった」

松平「しかし同盟締結の翌日、近衛は、首相官邸から三国同盟を支持する国民に向けてラジオで語りかけました」

近衛「今回政府は世界歴史の一大転換期に際し、ドイツおよびイタリーと三国条約を締結世界恒久の・・・」

松平「この三国同盟によってイギリスアメリカとの関係悪化は決定的となります。作られた国民の熱狂とともに日本は太平洋戦争への道に大きく踏み出すことになりました。この熱狂は二ヵ月後の紀元2600年式典でピークに達しました」
 1941年6月22日独ソ戦。日本参戦せずは、三国同盟死文の証である。米国も認識済みで、引き伸ばしの道具に使っただけ。日中・大東亜戦争は、「黄禍論」連合の白人宗主国対有色人連合(日本台湾南洋朝鮮満州南京政府)大アジア主義で、「作られた国民の熱狂」ではない

映像「紀元2600年式典1940年11月10日を祝う天皇と万歳三唱する国民」

ラジオ放送「・・・万歳を三唱致します。皆様もこの時電波に伝わる首相の音声に和して、声高く万歳をお叫びください。天皇陛下万歳」
 これは紀元2600年の万歳で、「熱狂」ではない。NHKの連想洗脳

東京経済大学教授有山輝雄「メディアは自分たちが世論を作っていて、しかも自分たちの作った世論に自分たち自身も巻き込まれてしまって、そこで一種の雪だるま的な状況になっていって、自分たちでも、もう止められない。誰が引っ張っているという意識はどこにも無くなってしまって、お互いに無責任なことになっていくという、結果になっていったんだと思いますね」
 戦国の状況を隠蔽するからこんな馬鹿な、脳天気意見となる。資源封鎖は日本存亡の危機、軍も国民も死活に必死であった

松平「一方1941年年頭に向けて発表された世論調査では、6割の人々が日米開戦は避けられると答えています。世論とは一体何なのか、誰もそれをつかめてはいませんでした。10月日米交渉に行き詰った近衛内閣は総辞職し、陸軍の東條英機が首相に就任、国内外に開戦近しの空気が強まります」

映像「東條英機首相就任1941年10月18日」

松平「新聞紙面にも反米報道が溢れ、日米開戦へと世論がうごめき始めました。こうした空気の中、1941年12月1日御前会議において開戦が決定されます。首相秘書官のメモにこの日の東條との車中でのやり取りが残されています」

画面「東京永田町1941年12月1日」

映像CG秘書官広橋真光「このごろは総理に対して何をぐずぐずしているのかというような投書が多くなりました」

東條「東條は腰抜けだと言っているのだろう」

松平「戦争へと向かう熱狂、それが多数存在していたと思われる戦争を望まない人々の声を掻き消していきました」
 実態は、「黄禍論」連合の白人宗主国対有色人連合(日本台湾南洋朝鮮満州南京政府)大アジア主義で、白人征服連合総仕上げの戦いで、応戦せずは、征服完成であった。「戦争を望まない人々」は奴隷となるしかない

証言福留繁海軍少将もうドイツと組んで戦いをやれって空気が覆いつくしていましたね。陸軍などはもうドイツの勝利は間違いないと。一般の気持ちはもう戦争論で日本は沸いていましたよ、えー」

証言豊田隅雄海軍中佐「この頃の世論っていうのは相当やっぱり突き上げていたんじゃないですか」

証言柴勝男海軍中佐「私もそうおもっとった」

証言角田順東亜研究所調査員「しかし世論というものはないですよ。あの時は本当の意味での世論は無い。自分の意見の跳ね返りなんですよ。シナ事変の時だってそうだし、自分で統制して一定の方へ流しておいてですよ、流された勢いに今度は跳ね返って自分がまた流される」

 角田順(1910年生まれ東大法学部政治学科卒国会図書館主任司書)東亜研究所調査員でパブロフ犬は3H(半藤、保阪、秦)らと同じ、WGIP善悪史観。図書館主任司書なので、現実界経験皆無。糞味噌鵜呑みする能力だけのただのコピペ屋。太平洋戦争原因研究部委員長で朝日新聞社刊行の「太平洋戦争への道7日米開戦(1963・昭和38年)」著者。

松平「日本の舵取りを任された指導者たちは自分たちの行動に自信が無いために世論を利用しようと思った(NHKの捏造。存亡の危機なので団結促進)。世論の動向に一喜一憂した(NHKが捏造し愚弄)わけですけれども、しかしその世論はメディアによって熱狂と化しておりました(NHKの捏造。日本存亡の危機なので必死になった)。そしてその熱狂(危機感)は最後の段階(外交万策尽き)で日本人を戦争(応戦)へと向かわせる一つの原因となりました。本来ジャーナリズムの役割といいますのは世の中に起きているいろんな事象を的確に把握してチエックして国民が冷静な判断を下せるような材料提供すること(戦国時代、日本存亡の危機、凶産、八・一宣言、群雄割拠中国、黄禍論白人連合の蒋介石毛沢東援助、大東亜共栄圏、これらをことごとく隠蔽し洗脳しているのがNHKだ。いけしゃあしゃあとよくこんな言葉が吐けるものだ。国民をおちょくっている。馬鹿かスパイとの白状で、腹が立つ)のはずでありました。しかしこうして戦争を迎える時代のメディアのありようを見てきて思うことは、メディア(NHK)がおかしくなれば国家はすぐにおかしくなる。(戦後NHKがスパイ化し、真実を隠蔽し、選り食い報道、結果、現実には役立たずの善いとこ盗り空論人間をはびこらし、亡国寸前にした)ということです。ほんとにわずかな時間、期間の中でですね、国家の運命が狂わされてしまう、そういう力をメディアは持っている。そのことをあらためて突き付けられた思いでございます(偽善者ぶって語る、ハニ・マネー太りの松平は戦後のNHKそのものだ!)」

 赤字部が真実

 明日無き命の戦時下を、指導者も国民も皆知っていた。だから開国し追いつけ追い越せで一丸と化し、躍進した。それをNHKは、「世論を利用・一喜一憂・メディアによって熱狂」と捏造、茶化し、先人を愚弄、国民を洗脳した

映像「学徒出陣壮行会」

 サブミナル効果を狙った先人愚弄映像

 NHKが戦後狂って、多数存在していたと思われる戦争の真実を語る人々の声を隠蔽し捏造、国家の運命が狂わされてしまった。NHK松平様よ、国民はそのことをあらためて突き付けられた思いで御座います

当時のラジオ放送「臨時ニュースを申し上げます大本営陸海軍部12月8日午前8時発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり・・・」

松平「この日をメディア各社はどう捉えたのか、ある新聞記者の日記です。遺族がはじめて公開してくれました」

東京日日新聞森正蔵記者の日記「正午過ぎ編集局内で臨時社員会議あり。会長が宣戦の詔勅を奉読し、聖上万歳を三唱。今出たばかりの本社の号外を手にした人々が、海軍の大成功をたたえ合い、物に酔うたように話していた。それを聞きつつ私たちは、この戦争の重大さを噛み締めるように感じなおしていた。えもいわれぬ厳粛な気持ちになり、熱涙が目に溢れ出た

松平「新聞記者だった武野武治(前掲96歳記者)さんは、終戦の日報道の戦争責任を感じて辞表を出しました。そしてふるさとに戻り今日まで個人でジャーナリストを続けています」

武野武治「戦争は始めさせてはだめだということ。始めさせてはだめだと。始めてしまってから『あぁ、こりゃひどい。こんなことになるなら』といって止めさせようたって、止まないんですよ、戦争は。やらせないためには何が必要なのか、一番簡単なことは現実に世界に何が起こっているのか、アメリカが中国があるいはロシアが、そのほかの国々が何を思って何をやっているかっていう現実ですね、これを正直にお互いに知らせあうことですよ」

 戦後66年を経ても未だに戦争始めた始めたと繰り返している。この方は全く検証回路が無い記憶機でパブロフ犬文系の見本。「現実に世界に何が起こっていたのか、アメリカが中国があるいはロシアが、そのほかの国々が何を思って何をやっていたかっていう現実」等々、当時の世界戦国史を見て考えれば、英米ソ白人黄禍論連合の蒋介石・毛沢東支援、宣戦布告の兵糧攻め、ハル・ノートの降伏要求、糧食確保に動くのは当然で、攻められたので応戦は、子供でも明々白々なのだ。66年経てもスパイの巣窟NHKは、国民洗脳の決め手として、この方の台詞を決めセリフとして用いているが、文系パブロフ犬の見本でNHKと同類

字幕「あなたは、日本が再び戦争する日が、来ると思いますか?」(12月10日~12日電話取材1716人中1104人の回答)

来る17.7%

来ない65.8%

わからない・無回答16.6%

九条の会」や護憲派スパイが戦後の平和は「憲法九条」と捏造

 「来ない65.8%」は、自由貿易、互恵、民族平等、植民地独立付与宣言等の、新秩序の扉を開くため、先人と同胞(虐げられた有色人や白人)が応戦、血を流し、旧弊を破壊し、全世界共栄圏(植民地独立付与宣言)を築いた結果である!覚醒し命を懸けて成し遂げた、世界の同胞への限りない冒涜。それが江らの捏造、憲法九条が平和論である!

第三回“熱狂”はこうして作られた(捏造はこうして成された

亡国奴スパイ語り松平定知、ディレクター伊川義知、制作統括角英夫

言葉と文字界は仮想と現実混交界だが、歴史は事実か否かの現実界で、虚実混交仮想界ではない!

 戦中の、銃後の要としての戦意高揚報道や世論操作や内外の思想戦は、古今東西の常識で当然のことである。非難は愚者との自白。戦後の占領期の迎合報道は止むを得ずで、これも当然のことである。問題は、独立後も職責の検証もせず、WGIP迎合を続け国民を洗脳したことである。しかも現実界がひたすら復興に励んでいる最中にだ!ちょっと調べれば子供でもわかることもせず、東大パブロフ犬教授加藤陽子の言を借りれば「世界最高の頭脳たち」が、そしてNHKが、なんと66年間も、どうして、解からなかったか。解かろうとしなかったか!

 日本九九年戦争終焉の1960年新秩序植民地独立付与宣言までは、弱肉強食適者生存の時代である。先に殺さなければ殺される戦国時代は、勝敗が尺度で、善悪の尺度無し。善悪・悲惨だ話は裏面史で、虚実検証が歴史学の本道!無い尺度善悪で検証する言葉と文字の仮想界は、唯心・天道・検証力・常識・思考回路欠損の表音記憶の半端者か、スパイとの、証である。

 先人は「こうして作られた熱狂」に動かされて、命を懸けたのか?そんなにも先人は馬鹿か?戦国と凶産を完全隠蔽しての先人愚弄もはなはだしい限りだ!おちょくっている!資源無き小国日本は、団結そして先手以外に道は無い。軍と国民は死活を懸けているので、団結を煽って煽って銃後の要に寄与はしたが、占領されれば真っ先に豹変し迎合、WGIP(先人軍隊は悪で、無辜の国民はだまされたので善)で国民の味方を演じ、敗戦の怒りと悲しみで充満の国民を洗脳した。そして独立後に、頬かむりし口を拭い、修正しなかったという事実は、信念(自分の考え)皆無の唯物が、言葉と文字界の正体、との白状である。学究無き信念無きただの日和見詐欺師、田原総一郎http://www.youtube.com/watch?v=ham6tEWRGhQ詫びもせず転向?予想通りか?田原の場合は転向ではない、金儲けの旗をただ差し変えるだけだ!

 言葉と文字のマスコミは唯物で、言葉と文字が軽く、信念が無い。「百人斬り報道」は戦中プロパガンダなのに、戦後に弁護もせず、護国の兵を殺した。知行合一天道の士(唯心)は右翼(真実)、知行乖離信念無き日和見(唯物)は、左翼(捏造)と呼ばれた。言葉と文字界は唯物で、軍と国民は唯心だった。

 言葉と文字界、思考し、「なぜどうして」と弁明検証したのはたったの五人。林房雄(03~75)曽野綾子(31~)江藤淳(33~99)小掘圭一郎(33~)中村粲(34~2010)。職責者、大学史学NHK等は皆無で、66年後の今日も、人類の分岐点全世界互恵連合(植民地独立付与宣言)を隠蔽、ご先祖や世界の同胞をWGIPで愚弄、スパイ活動続行中!8につづく⇒

真実史観8護られたNHKや東大らの日本軍愚弄は食肉し白丁を忌み侮蔑朝鮮と同じ

第4回開戦・リーダーたちの迷走3月6日

 迷走」ではなく、宣戦布告」に対しての「苦悩」だ

 勝ち目皆無の無駄死に戦争と、NHKや東大や言葉と文字界は罵倒するが、よしんば「戦争を止めたとしても」アメリカのみが敵ではない、水と油の「黄禍論白人連合」なのだ。世界征服が野望のソ連南下は必然。弱体日本と見るやいなや、終戦なのに征服したではないか、癌国すらも竹島を征服したではないか、あれが現実である。水と油の「黄禍論白人連合」ではあるが、米英が、日本に助力したかどうかは、はなはだ疑問である。見捨てた同胞アジアの支援は、当然無い。外堀埋めて(生命線の満州韓半島そして汪兆銘南京政府無くして)大国凶産ソ連と、どう戦うのだ。日本国内が戦場となり、唯物対唯心日本の戦いである、まさに、一億総玉砕の戦いとなっていたであろう。日本人は死に絶えていたかも知れないのだ。永野修身の御前会議の言葉、「大阪冬の陣の如き平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬ様な、不利なる情勢の下に、再び戦わなければならぬ事態に、立至らしめることは、皇国百年の大計の為、執るべきに非ずと存ぜられる次第で御座います」は、この事を語っているのだ!

 反共の砦日本が撤退するや否やソ連は、中国と韓半島を瞬時に支配した。アメリカと国連軍が総がかりでなんとか韓半島半分まで押し戻したが、66年後の現在も、停戦のままで終戦には至らず。これが史実。この史実が物語るのは、日本累積砦がいかに強大な反共の砦で、共和党フーバー大統領の見識がいかに正当で、NHKや東大らの御題目「不戦は平和」がいかに空論で、応戦は先憂後楽との、証明である。つまり、不戦=撤退すれば、見捨てた同胞支援は当然皆無の孤立無援、対「兵糧攻めカード所持者黄禍論白人連合」に、丸裸の日本などは潰えて、分断され、消滅していた!

 戦後の言葉と文字界、NHKや東大ら(表音記憶のパブロフ犬とスパイ)は、ここをことごとく隠蔽し洗脳し団結を破壊してきた。資源なき小国日本の、古き国名大和は、大いなる和(団結)で、日清日露大東亜と、国難克服の土台を成してきた。輩の「大和」破壊は自滅行動で、土台破壊行動は、自滅願望の狂人である。狂人と狂死は、まっぴらごめんだ!

検証あらすじ
 「ソ連南下対策満州作戦を、宗主国(白人)は権益侵害と錯覚、「黄禍論」が融合剤となり、凶産に疎い水(自由)と油(束縛ソ連)が西安事件(1936年12月12日)で連合、裏で蒋介石毛沢東を操り日中戦争となった。中国は連合傀儡唯物(私欲我欲の蒋介石毛沢東)と、唯心(公の孫文主義筆頭汪兆銘)に分裂した。白人優越主義のルーズベルトが、最後に残った中国日本を潰しての太平洋制覇を狙った。日本は互恵日中連合から、東アジア連合に拡大、適者生存日本唯一の術、大東亜共栄圏樹立を目指し掲げ、応戦、大東亜(解放)戦争と名付けた
 松平がNHK捏造羅列で先人罵倒、証言(悪いとこ盗りのつまみ食い編集)で証拠固め、そして、WGIP丸呑みパブロフ犬教授の、権威付けの洗脳パターンと、真実への鍵凶産完全隠蔽は、前回同様である。

松平定知「日本人はなぜ戦争へ向かったのかを考える4回シリーズのNHKスペシャルの最終回、今日はですねーえー今から70年前1941年あの日米開戦の年ですけども、この年のリーダーの決断を取り上げてみたいというふうに思うんです。えーこの年にまだ中国と戦争をしていた日本に対して、えー、アメリカ、それからイギリスオランダがですねー、経済制裁を強めてまいります。いわゆるABCD包囲網というので御座います。特に石油に関して言えばですねー、このアメリカ・イギリス・オランダに94%依存している日本にとって、これはゆゆしき大事で御座います」

画面 石油合計94%=Aアメリカ(66%)Bイギリス(7%)C中国(戦闘中)Dオランダ(21%)

画面 石炭10倍鉄鋼12倍石油530倍総合力80倍(国民経済研究会調べ)

松平「一方日米間の国力差もですねー、当時大変はなはだしいもので御座いました。総合的な国力差はアメリカは日本の80倍だという風に言われておりました。これでは歯が立たないだろうということを当時のリーダーみな認識していたということで御座います。そして今回取材してみてわかったことはですねー、この段階で日本はアメリカと戦争しなくてはいけないんだと、という風に本気で思っていたリーダーたちはいなかったということで御座います。では皆さんなぜ日本は戦争へ向かっていってしまったので御座いましょうか」
 小国が大国に立ち向かうのは、護国、応戦以外に理由は無い。護国(家族死守)には条件(敵の強弱)無し。その時代の先人が、禍福を糾い、熟慮と苦渋の果てに下した決断を、「たら、れば」の空論で非難は、子孫にあるまじき行為である!以下は、決断までのその苦悩と苦渋だ。NHKと丸暗記のみの馬鹿学者は、愚弄の限りを尽くしている。子孫なら、難詰より、「なぜどうして」が先だろう!

映像 ドイツヒトラー演説、アメリカルーズベルト、ソ連スターリン、イギリスチャーチル。
 当時の唯物侵略者たちである。すべてが白人

松平「世界で戦争が拡大していた1941年、各国の指導者は危機の時代を乗り切ろうと懸命でした。リーダー自らに権限を集中し、迅速な決定で激動に対応しようとしていました。一方の日本、突出した権力者はいませんでした。当時は第二次近衛内閣、国家の運営は内閣の国務大臣と統帥権を担う軍のトップが責任を負っていました。経済制裁や中国問題をめぐってアメリカとの交渉が始まる中、彼らのリーダーシップが大きく問われることになります」
 乗り切ろうと懸命」ではなく、白人の食民治(有色人地)争奪戦争拡大中。「権限を集中」とは独裁。対する日本、頼みとした中国は唯物だらけで群雄割拠、南下ソ連・唯物中国を操る宗主国対策(兵糧攻め防御)に各部門リーダー奮闘

画面 開戦まで200日1941年5月22日代25回連絡会議

CG語り「午前11時半、首相官邸で内閣及び軍のトップが国家方針を検討する、いわゆる大本営、政府連絡会議が始まった」

松岡洋介外相「アメリカのハル国務長官にはすでに野村大使から我が方の条件を手渡しました。回答には少し時間がかかるでしょう」

CG語り「日米交渉ではアメリカに経済制裁の解除と中国との調停役を期待していた。だが、そう甘くも無いことも分かっていた」
 中国との調停役」はNHKの捏造。アメリカは蒋介石に援軍(フライングタイガース)を送り、多額の援助中で、裏で参戦していた新聞も報道済み

杉山元参謀総長(陸軍)「もしアメリカが大陸からの撤兵、三国同盟の破棄を条件に蒸し返すならこちらに応じる余地は無い。そのあたりぬかりは無いでしょうな」

松岡洋介外相「無論こちらの条件は念押ししてある。だが物に成るかは3分、正直難しいと思う」

CG語り「交渉に見込みはあるのか、交渉以外に道はあるのか、首相官邸は揺れ続けていた」

松平「首相や外相、陸海軍の代表など各組織のトップが集うこの連絡会議は実質的な日本の最高意思決定機関でした。重要な国家方針は御前会議にかけられますが、そこでは天皇の承認を受けるのみ、その方新案は連絡会議が責任を持って全会一致で示すことが原則でした。しかし会議では各代表の権限が対等で、首相にも決定権がなく、反対者が一人出ると何も決められません。そこで話をまとめるには各組織の要望を均等に反映した曖昧で実体の無い決定に、合意するのが慣例となっていました」

静岡県立大学森川優準教授「ほとんど決められないですね『具体的なことは別に定』というようなことを決められるというわけでありまして、実際のまー、チャンスが来たときに、えー改めて議論しようじゃないかということに成ります。となると反対派は、必ずその場で反対すると、ですね、また、なかなか意思決定ができないと」
 戦国時代の四面楚歌、小国日本の作戦失敗は即滅亡、苦悩は当然なのだ。世間知らずの大学温室WGIPパブロフ犬教授の愚論を、待ってましたとばかりにNHKスパイが権威付け(黄門様の印籠)に利用した。考えない視聴者は当然皆洗脳される。「慣例」の証拠を提示せよ!

松平「6月下旬、この日本の意思決定の問題点があらわとなります。三国同盟を結んだドイツとソビエトとの間で全面戦争が勃発、日本の首脳陣はどう対処すべきか判断を迫られました。当初ドイツ軍は目覚しい進撃を見せました。この時陸軍の中からは北のソビエトを叩けという北進論が、海軍の中からは南の資源を確保せよという南進論が、同時に浮上しました」

参謀本部作戦課長土居明夫「今まで陸軍は対ソ作戦で来ているんだからソ連を叩きに行こうと、明治以来の北方処理を解決したいと」

海軍省柴勝男中佐「海軍は南ってずーっと言ってきておったでしょ、どうしてもこれはやらなきゃいかんと、これがいわゆる自存自衛ですわな」

松平「陸海軍が自分たちの組織の都合を訴える中で、連絡会議の近衛首相ら首脳陣の方針は定まりませんでした」
 これは「対策会議」。「組織の都合」と捏造

画面 開戦まで159日1941年7月2日

松平「7月2日リーダーたちは当面の対応方針を打ち出します。それは方針とは名ばかりで、選択肢を外交交渉南進北進どれかに絞ることなくすべて進めるという、総花的な(あらゆる目的にかなう)プランでした。しかも具体的なことは状況を見て別に定める。つまり何も決めず準備だけするという、実質、様子見、先送りでした」

画面 「決定先送り

富岡定俊軍令部作戦課長談話記録より「何でもって先送りしたかというと、文字で妥協したわけです、作文で。名人がだいぶ出てきましてね、それで国策を陸軍が自分の領海にしたがってどんどんやる。海軍は海軍の領海でやっているというそういう現象なんです」
 考えれば解ること、対中国線で疲弊した資源なき小国日本の戦争拡大は、必滅。ゆえに能動ではなく受動(自存自衛が主体)の、「状況を見て別に定める・何も決めず準備だけ・様子見・先送り・陸軍海軍自分の領海にしたがってどんどんやる」当然なので、非侵略自存自衛を、雄弁に物語っている。松平は愚弄して国民洗脳

画面 開戦まで148日1941年7月13日

CG語り「連絡会議の方針に基づき陸軍は北進準備の動員を開始した。総勢16個師団85万人の大兵力。準備がどこまでを指すかは軍の判断に任されていた。任務は極秘、兵士の見送りも許されなかった」(関東軍特殊演習)

松平方針の曖昧さをいい事に、陸軍は軍備の内容を最大限に解釈、この大動員が波紋を広げることになります」

CG画面海軍省

CG語り「陸軍の軍備は行き過ぎではないか、国家に緊張が走った」

CG「聞いてますか関東軍が行動の自由を要求し、シベリアの占領統治計画も作っているとか」

海軍省軍○二課長石川信吾「どういうことだ陸はまた戦を勝手に始める気なのか」

CG語り「危機感を持った海軍省幹部は陸軍省に乗り込んだ」

CG画面陸軍省

海軍省軍○二課長石川信吾「佐藤、貴様らは本気でソ連に出るつもりなのか」

陸軍省軍○二課長佐藤賢了「誰がそんなこと言っておるんだ」

海軍石川信吾「北進は陸軍の単独作戦となる。国をつぶすぞ、食い止めるんだ」

CG語り「様子見のために曖昧にした首脳部の方針が、逆に現場の拡大解釈を許す結果となった。近衛らは陸軍を止める代わりに、その関心を南に向けようと今度は南方準備に同意した」

CG画面海南島三亜海軍集積基地

企画○○鈴木貞一「近衛さんはだ、仏印をやらないとだその南をやらなきゃだね、北の方に(陸軍が)やらせんかという心配があったから、南ならすぐは戦にならないとそういうその考えだった」

画面 南部仏印進駐1941年7月28日

松平「この南部仏印(ベトナム・サイゴン)進駐も連絡会議での南方準備に基づく行動でした。首脳部としては事前交渉でフランス側の合意を得た少数部隊派遣に過ぎず、石油のあるオランダ領や英米が神経を尖らせるイギリス領には手を出さない。北方と同様様子見のつもりでした。しかし陸海軍のバランスをとったこの内向きの対応が最悪の結果を生むことになるのです」

海軍省軍務局柴勝男中佐「アメリカも東洋方面でですね、自ら(日本と)事を構えるということはしないだろうと。とにかく、(関心は)ヨーロッパの戦争の方に非常に向いているんですよね。ですからまさかそこまでは来んだろうというまー考え方は非常にあったわけですよ」

参謀本部作戦課長土居明夫「私はねー南部仏印の進駐って事が、大東亜戦争の決起になるというほど僕は不明にして考えなかった。経済やアメリカの圧迫、アメリカの決意をやらすほどの情勢判断ようしなくって(進駐を)やったですね」

静岡県立大学森川優準教授「ここまでなら自分たちとしては抑制的に動いているつもりであると。ここ(蘭印)まで行きたいんだけど本当は手前で止めているんだから。ある意味烏合の衆が寄り集まってえー、綱引きをしながらいつの間にか変なとこに行っちゃってると
 満州増派は、対独ソ戦自衛。米英戦略物資ゴム錫輸入8割の地が、南部仏印。資源無き小国日本後手は必滅、食料の米と、世界総生産9割のゴムと、6割の錫の地を、先手で押えた。年表を繰れば子供でもわかることだ。NHK松平が愚弄して洗脳、元関係者つまみ食い証言が洗脳補強、パブロフ犬馬鹿教授が、白人連合(凶産ソ連と宗主国)包囲網に熟慮苦渋の日本を、「烏合の衆」と決め付けて国民洗脳

松平仏印への進駐はアメリカの態度を徹底的に硬化させました。それまでの部分的な輸出制限から一気に一滴の石油も日本に売らないとする、前面禁輸へと踏み込んだのです。当時アメリカの反日世論は急激に高まっていました。アメリカ政府内では対日強硬派が力を拡大し、日米交渉で時間稼ぎを考えていたハル国務長官らを徐々に圧迫、そうした中で強硬措置をスタートさせたのです。ルーズベルトもこれを追認、制裁解除には中国と仏印からの撤兵が条件に掲げられます、日本の首脳部が方針を曖昧にして選択肢を残そうとしたことが最悪の結果を引き起こしました。前面禁輸など覚悟していなかった軍の中枢でも、たちまち混乱が広がりました」
 前述のように、水と油の黄禍論宗主国連合の日本潰しは、日中戦争以前の西安事件から始まっている。制裁解除などは空論で、時間稼ぎに過ぎない。NHKはこれをことごとく隠蔽。「方針を曖昧にして・・・最悪の結果を引き起こし」と原因が日本にあるかのように捏造。これで国民は一ころ洗脳

海軍省軍務局柴勝男中佐「そんなこととは夢にもおもわんもんだから、あれをどこか料理屋に行って飲んで、そのまま(石油が)止まっちゃったわけですよね。それを夜中に非常召集受けたと」

企画院○○鈴木貞一「もうあの瞬間に実際は戦になってんですよ。あの瞬間に。若い人たちはね『戦いをやる方法はないね』と」

海軍省兵○課長湊○譲「中堅どころの我々ぐらいのところでは、物資がどんどんじり貧になっていくんじゃないかと、もうとにかく(戦争は)絶対にだめだっつたってですね。そうもばかり言ってはおれない時代がきたんですね」

松平「日本の緊急時非常時に当たってですねリーダーたちは何一つ具体的な方策を決められないでいました。ああ結う意見があるこうゆ意見があるそうゆう意見もある、一杯ある意見をひとつに一本化できずに様子を見ているうちに、前面禁輸は現実のものになっていったのでございます」
 戦争か滅亡かの熟慮苦悩を「具体的な方策を決められない・・・一本化出来ずに」と言い換えNHKは愚弄しているのだ

松平「日本に残された石油の備蓄は2年あるかないか、国家の機能が停止するのは時間の問題であります。時間は刻々と減ってゆきます。ことここに至ってですね、リーダーたちは選択肢は二つしかありませんでした。一つは中国からの撤兵を呑む対米譲歩、もう一つは南方の資源を独自調達する。この二つしかなかった。しかし前者は国内、後者は英米の反発が必死である。まさに進退窮まれりというところで御座います。もうこれまでのように結論をぼやかしたり、先送りしたりすることは許されません。今度こそ国家の対極に立って決断を思い切らなければならない。しかし皆さんリーダーにとって、決断はこの後、さらに困難さを増していくので御座います」
 大東亜共栄圏隠蔽。開国時から兵糧攻めの防御は、常識。対米譲歩は屈服で、絶えず前面禁輸で脅されての奴隷となり、分割されても国名失せても従わなければならない。また南京満州台湾朝鮮への裏切りで、子孫は末代までの恥を背負うことになる。国内の反発ではなく、日本民族としての滅亡である。この苦悩をNHKは、「結論をぼやかしたり、先送りしたり」と捏造し洗脳

NHK語り「石油停止の現実に、リーダーたちはうろたえていた」
 「兵糧攻め」は、自給自足農業国徳川から工業国明治となった時点からの、資源なき小国日本の宿命、「うろたえていた」はNHKの愚弄

CG画像と音声「ルーズベルトは戦争を決意したと思われますか大臣」

豊田貞次郎外相「君たちは本気で日本が米国と戦えると思っているのか」

画面 開戦まで96日1941年9月3日

CGNHK語り「リーダーたちは究極の選択に向き合うことになった。アメリカへの譲歩かそれとも戦争か、統帥部はあせりをあらわにした」
 譲歩ではない。実態は「降伏、属国化」。NHKの言い換え

CG永野修身軍令部総長(海軍)「帝国は各方面において物が減りつつあり、このまま時を経ればいよいよ痩せて足腰は立たぬようになります」

CG杉山元参謀総長(陸軍)「10月上旬には外交のめどをつけてもらわねばなりません。それ以上ずるずる引き延ばすことは統帥部としては認められません」

CGNHK語り「一日1万トンの備蓄燃料が消えていく中、リーダーに決断の時間は残されていなかった」

松平突如現実的な問題としてのしかかって来たアメリカとの戦争。連絡会議リーダーたちの煩悶が始まりました。これまで対米強硬派の中心人物として語られてきた陸軍幹部の遺族が始めて取材に応じました」
 国民洗脳目的で、ことごとく都合の悪いところを隠蔽しているからこんな言葉が使えれのだ。どこが「突如、アメリカとの戦争」なのだ。無知で善良な国民はこれで一発洗脳だ!

松平「東條英機の腹心陸軍省軍務課長佐藤賢了国策を起案する中核スタッフでした。以外にも素顔の佐藤は対米戦争に戸惑っていたといいます」

佐藤賢了遺族厳「制服の軍人っていうのはそれはあの表向きは好戦的なことを言うんですよ。そりゃ軍人として当然だけど、あの開戦の前日になってもやっぱりやるんでしょって聞くと、あのー、馬鹿ー負けるとわかってる戦争やる馬鹿があるか、としかいわなかった」
 「馬鹿ー負けるとわかってる戦争やる馬鹿があるか」なんとも苦渋が滲んだ言葉だ!「戦うも亡国戦わざるも亡国」の原点で、かつ、これが、リーダーたちの苦渋の総意であった

松平「本当にアメリカと戦うのか、まず深刻な動揺が広がったのは海軍のほうであった」

海軍省兵糧局長保科善四郎「海軍の最高首脳部はもう絶対にやっちゃいかんという考えで。そういう力はありませんよ。そんなことを目標にして日本の陸海軍の戦備というのは出来ているわけじゃない」

海軍省調査課長高木惣吉「幾度(対米戦の)演習をやってみてもあるいは図上で演習をやって見ても勝ち目がないんですね。実際のところ審判(判定)でごまかしてるんですけれども、本当に素直に言えば勝ち目がないと」

松平「間もなく陸軍のほうでも、対米戦に慎重を望む声が上がり始めます。日中戦争も終わらない中でアメリカに挑むことの無謀を、現場の指揮官たちは訴えました」
 挑むことの無謀」ではない、日本が「降伏か、抵抗か」と、宣戦布告されたのだ。NHK捏造して洗脳

支那派遣軍総司令官畑俊六「日米交渉はなんとしてでも成功させて欲しい」

支那派遣軍総参謀長後宮淳「この際撤兵の条件を呑むこともたいした問題ではないと考える」

松平「しかしいざ戦争回避を決断するとなると、リーダーの覚悟は揺れました。アメリカと戦えないことを認め中国から撤兵するならこれまで失われた20万の兵の命、毎年国家予算の7割にも達した陸海軍費は何のためだったのか、国民は失望し国家も軍もメンツを失うと恐れました」

海軍省兵糧課長湊○譲「日本はもう世界的に全部威信を失墜すると。将来日本人は中国人に唾を吐きかけられる、朝鮮人に石を投げられてですね、どこに行ったってそりゃもう立つ瀬はないぞと。これじゃだめじゃないかと
 戦争回避=降伏。「陸海軍費」などではなく、信義の失墜で、子孫は永劫に非難される。唯心日本にとって、何物にも代えがたい最大の屈辱である。そして南下するソ連の恐怖。まさに「戦うも亡国、戦わざるも亡国」なのだ

松平「この頃、軍の体制は中堅層を中心にリーダーを強硬に突き上げだしました。このままでは油が底を尽くだけでなく、アメリカが戦力を増強し益々日本は引き離される。この際一日も早く開戦すべきだと言うのです」

海軍省兵備局長保科善四郎「海軍何ぐずぐずしてるんだと、なぜ戦争に反対なんだと、そういうね後は、脅迫までされましたよ」

松平「結局リーダーたちには軍の部下や国民を説き伏せるだけの言葉がありませんでしたした」
 「戦うも亡国、戦わざるも亡国」の苦悩なのだ。「リーダー」無能を強調し、リーダーに全責任転嫁のWGIP洗脳。

証言企画院総裁鈴木貞一「東條君が言うたのは、あれだけの人間を殺してだ、そして金も使いだね、ただ何も手ぶらで帰って来いということはだな、出来ないと」

歴史家(日本現代史)ジョン・ダワー博士「人が死ねば死ぬほど兵は退けなくなります。リーダーは決して死者を見捨てることが許されないからです。この『死者への負債』はあらゆる時代に起きていることです。犠牲者に背を向け『我々は間違えた』とは言えないのです」
 死者への負債』は、危機隠蔽の方便。降伏すればバラ色の世界のようにNHKは、ことごとく洗脳しているが、戦国時代の「黄禍論白人連合」と有色人の戦い、世界はすべて屈して、最後に残ったのが日本。屈した国々の惨状を学習している唯心日本が、その惨状に同胞(南京汪兆銘、満州、朝鮮、台湾、南洋、日本)を、戦いもせずに、はたして見捨てることが出来得ただろうか。ましてや、降伏しても戦国時代の終焉ではない。そしてもう一方の敵、ソ連には、裸になってしまった日本で、どう対応するのだ。先人愚弄者は、愚弄の前に、戦時下を隠蔽せずに、よーく考えてみることだ

画面 開戦まで93日1941年9月6日

松平「石油が来なくなって一ヶ月。連絡会議はまたしても当面の方針でしのごうとします。交渉の推移を見つつ一ヵ月後の10月上旬までに開戦か否かの決意を固める。決断はやはり先送りでした。ただしそこには期限をもうけていました帝国国策遂行要綱
 NHKはここでも愚弄、この間外交交渉に腐心していることを隠蔽

画面 決定先送り

証言企画院鈴木貞一「日を切ることはね、やらんほうがいいと僕は言ったんだ。言うたけれども近衛さんはやるけれどもだね、いずれは聖断を(天皇の判断)を仰いでやらなくちゃならんから、一応こうやっておきましょうとこういう考えなんですよ」
 すでに「兵糧攻め」で期限は切られている、「日を切ることは」当然である。鈴木貞一は戦後の日和見迎合者

陸軍省軍務課長佐藤賢了「これ(この決定)は開戦決意をしたんじゃない、『開戦を決意するという決意』なんですから。開戦決意をする時期を10月上旬と明示したのです。ほとんど望みはないけれど何しろまだ交渉をやるんだから、万に一つもいわゆる我が目的が貫徹することがあるかもしれんと、こういうところにみんなの安易な逃げ場所があったのだと私は思うのであります」 9につづく⇒

真実史観9小国が超大国相手に敗戦必至の応戦理由は無条件の護国以外に無い!

松平「確実に戦争の足音が近づいていました。近衛首相はひそかに自分の胸の内を穏健派の海軍次官に明かしました」

近衛首相心境海軍次官沢本○○日記より「どちらの軍からも対米戦に見込みがあるという話は聞かない。この際私は、人気取りで開戦決意しようと思えば安易なことだが、それは陛下の御心に反することになる。対米譲歩は国内を乱すというが、国内問題がどうあろうと国を滅ぼすことは無い。だが対外問題を誤れば、一国の安危に関わるのだ

松平「本音では戦争を避けたいリーダーたち。しかし、多くの恨みを買うその決断を誰が言い出すのか。水面下でなすり合いが始まります」
 苦悩を「なすり合い」と言い換えて先人を愚弄し、洗脳

画面 内閣書記官長室1941年10月初旬

CG陸軍省軍務局長武藤章「海軍に自信が無いなら、会議ではっきりそういうよう海軍側に話してもらえないだろうか」

CG内閣書記官長富田健治「そんなことを簡単に海軍が承知するはずがない」

武藤章「日本開戦だけはなんとしても避けねばならんのだ」

CG語り「それは決して公になることの無い組織の駆け引きだった」

証言海軍省軍務局柴勝男中佐「あー、私は横で聞いておったんですが、おまえんところで戦争出来んて言ってくれ、俺はー、そうしたら俺はー、そうしたら陸軍は何とか始めるからと、武藤さん、言われたんですけどね。いやーそれは悪いとこう、僕はもう感じたんですがねー、僕も書記官長のところへ行ってずるいじゃないかと。これは総理大臣たる近衛さんの責任だと。近衛さんが決めるべきだと」

松平「損な役割を押し付けられそうになった海軍、こんどはそれを別の組織に転嫁しようとしました。国家経済を統制し国力の総合判断を行っていた企画院です」

 苦悩を今度は「別の組織に転嫁」と言い換え、先人を愚弄し洗脳。

証言企画院総長鈴木貞一「2人ねー僕の家にやってきたですよ、夜。海軍大臣は及川。それと外務大臣をやっておった豊田。何しに来たかと思うと結局その、企画院総裁が御前会議の時にだね、戦争は絶対出来ませんということを、御前会議の前にだ、その、陛下に内奏してもらいたいと、海軍が戦は出来ない、やりたくないと。それから僕は言ったんですよ、そんな事言う事はちょっと出来ませんって。それよりもですね、海軍大臣がはっきりしたことをおっしゃらなければ」

松平「戦争か譲歩か10月上旬の決定期限が迫る中、追い詰められた近衛首相は窮余の策を考えていました。なんとルーズベルト大統領を担ぎ出して太平洋上で日米トップ会談を開こうというのです」

証言内大臣木戸幸一「非常にルーズベルトとしては意欲があるんだ。それでまー近衛と会おうと」

証言海軍省保科善四郎「それでもー行く人まできまってねー。私が船の準備をしたんですから」

松平「近衛の真の狙いは一部にしか明かされていませんでした。全会一致の連絡会議を通さず直接ルーズベルトに撤兵案を申し入れる。引き換えに石油供給の合意を取り付けそれを天皇に報告、天皇を後ろ盾に撤兵に抵抗する軍を押さえて戦争回避へと持っていく計画でした」

企画院鈴木貞一「まー支那から兵隊を全部引き上げると、そして向こうでピシャットそのー頭下げちまうと、それで石油は返してくれる。それで妥結できると」

証言内大臣木戸幸一「これはまー近衛君のやむを得ない時の常套手段みたいなもんだが、要するに『陛下のお力を借りたい』ということなんですよ。でーいよいよこれでルーズベルトが同意したら君のところへ電報打つから、陛下に奏上してだねー、それを陸海軍大臣に示してだね。『陛下の思し召し』ということで押し切ろうではないか、という話だったんですよね」

松平「結局この計画は軍との対立を恐れる首相が、自分で軍に撤兵を説得する代わりに天皇や大統領の権威に頼ろうとしたものでした。しかし、アメリカのハル国務長官が、近衛のリーダーシップに疑問を抱いていました。交渉に際しては軍も含め日本の中で完全な同意を得た意見を示すようにと、言い出します」
 ことごとく年表を隠蔽しているから「疑問を抱いていました」などと、捏造できるのだ。白人連合と米国は「日本潰し」決定済み

内務大臣木戸幸一「そりやーもう駄目なんだ、それじゃ。どうしたって撤兵で(陸軍の反対と)ゴツンゴツンぶつかれば、そのこっちの気持ちを(米側に)伝えようがない。彼らにはわからん腹芸とか何とかいうことになるんでしょうかねー、そういうことがわからんから、とうとうまーあれ(日米会議)はお流れになったわけだ」

松平「そして10月上旬一ヶ月前の連絡会議で定めた決断の期限を迎えました。近衛首相は陸海軍双方から譲歩を引き出そうと大臣たちを極秘で私邸に呼び出しました」

画面 荻外荘(旧近衛邸)

開戦まで57日1941年10月12日

CG語り「対談直前海相の及川に戦争回避の意向を確認していた近衛は、海軍はそれを明言することを期待していた。だが」

及川吉四郎海相「戦争か交渉か海軍はいずれにも従います。しかし決定は首相の御裁決に一任します」

CG語り「及川は本音を言わず下駄を近衛に預けた」

近衛首相「戦争と交渉とどちらかと言えば私は交渉に懸けてみたいと思う」

東條英機陸相「お待ちください、陸軍としてはあやふやな理由で統帥部を説得することは出来ません」

CG語り「海軍が真意を明らかにしない以上、陸軍は態度を変えるわけには行かなかった。事態は振り出しだった」

豊田貞次郎外相「今考えると我々の9月の決定は軽率だった」

東條英機陸相「いまさらそんなことを言われても困る我々には重大な責任があるのですぞ」

CG語り「先に戦争回避を言い出せないリーダーたち、議論は4時間に渡ったが、誰も勇気ある決断を下せなかった」
 戦争回避は降伏。「言い出せない、決断を下せなかった」とNHK愚弄

松平「会談4日後の10月16日ニュースが全国を揺るがしました」

当時のニュース「近衛内閣総辞職」

近衛首相辞表より「遂に所信を貫徹して輔弼の重責全うすることあたわざるに至るこれひとえに我が才能なきが致すところにしてまことに恐懼に堪えず」

松平「途中で内閣を投げ出した近衛、後を継いだのは対米強硬論者と見られていた東條英機でした。強硬な陸軍勢力を取りまとめてきた東條の首相就任はいよいよ開戦内閣誕生かと国民や諸外国に受け止められました。しかし実態は違っていました」

画面 開戦まで51日1941年10月18日

木戸幸一「(東條の推薦は)僕の発案だよ、他にもー、人が居なかった。政治家って言うのはどこに行ったかわからなくなってるんだ。だから陛下の命令をよく出来る男といえば、まー器はそんなに大きな人でもなし政治家じゃ無論ないんだけれども東條以外には持って行きようがないと

松平「内大臣の木戸から東條に天皇の意思が伝えられました。9月の国策にこだわらず『白紙に戻して検討してほしい』。それは開戦を規定路線とせず、あらゆる可能性を探ることを望む異例の意思表示でした。東條は連絡会議を招集します。それは自分たちで戦争回避を決断する最後のチャンスでした。
 戦争回避」は降伏。「兵糧攻め」で宣戦布告している敵に対しては、降伏か、応戦かの二つしかない。「自分たちで降伏を決断する最後のチャンス」が正しい表現

画面 開戦まで46日1941年10月23日第59回連絡会議国策再検討

松平「軍や企画院担当者ら提出した数値を元に、10日間に渡る国策の再検討が始まりました。しかし、いまさら再検討といっても、すでに議論してきたことでした。戦争は勝つ見込みがない、戦争を避けて譲歩すれば組織も国家も打撃を○む、状況は変わらないどころか、悪化していました」 
 「戦争は・譲歩」ではなく、「応戦は勝つ見込みがない、応戦を避けて降伏すれば」が正しい表現

1941年10月25日駐日米大使グルーの日記
 「今日、信頼すべき日本人情報提供者が私に面会を求めてきた。彼によれば、近衛内閣総辞職以前に御前会議があり、その席で天皇は軍の指導者たちに対し、対米不戦の政策の確認を求めた。陸海軍の指導者はそれに答えなかった。すると天皇は、祖父の明治天皇が追及した進歩的政策に言及して、自分の意向に従うことを陸海軍に命ずる異例の発言を行った(9月6日の御前会議)―近衛はこの度総辞職し、東條自身が組閣した。しかし、天皇は東條に対して、これまでのいきさつにとらわれず、対米協調を旨として憲法の条草をよく守り、行っていくように、という注意を与え、それを条件として東條の組閣を認めた。東條が現役大将のまま首相となったのは、陸軍を効果的に統制しつつ日米交渉を成功裡にまとめるためである。だから、軍の代表者が首相になったからといって、アメリカとの対決姿勢を意味するとは思わないでほしい。どうかアメリカ政府としては日本との交渉に見切りをつけず、東條内閣とも誠実に交渉をお続けいただきたい」

 日本はここまでして、応戦回避を図っていたのだ。ところがアメリカはこれを逆手に、これ幸いと、1941年11月26日、妥協案をすべて拒絶の降伏要求、最後通牒「ハル・ノート」を日本に手渡した(まさにこれが弱肉強食なのだ)。一方日中戦争も「1938から1941年まで12回も、領土要求無しの和平提案をしていた」蒋介石顧問のW・H・ドナルド(豪州)証言。

松平「軍では開戦となった場合の準備をスタートさせていました。400万トン近い民間船舶を徴用、海軍の年間予算を超える額をかけて軍艦の装備を戦時用に改装する工事が進んでいました。膨大な人と金が動くほどに後戻りは難しくなってゆきます」
 能動戦争連想誘導表現。後手は必滅日本、当然の準備である

CG画面 国策検討会議

NHKCG語り「再検討には出口が見えなかった。交渉中盤企画院総裁の鈴木貞一が物資面からの総合判断を報告した」

鈴木貞一「南方の石油施設を確保し、それが利用可能となった場合、物資面では当初2年は厳しいものの、3年目からは良くなると思われます」

松平「数字の上では戦争避けても石油はじきに枯渇する。一方南方を占領すればやがて燃50万トンの石油が入りだし日本は自給も回復できるというのです。さらに南方作戦を引く受ける海軍の軍令部は緒戦の2年は確算ありとの見解を打ち出しました。いずれも従来からあった議論ですが、決断の重圧にあえいでいた会議のメンバーはひきつけられていきました」

画面 永野修身軍令部総長写真とCG会議

CG語り「南方の石油を手に入れたとして海上輸送力を維持できるかが開戦のネックだった」

細谷信三郎「最初の3ヵ年に被害予測は燃10万から80万トンへ低下、一方造船のほうは40万から80万トンへ倍増するものと見込んでおります」

鴨田繁太郎海相「若い者は楽観的過ぎないか、実際はその半分だろう」

CG語り「輸送船船舶量の見込みにメンバーの関心が集中した」

CG画面 海軍省軍令部

海軍省軍務局柴勝男中佐「さっきの検討会で造船の数値が本当に大丈夫かと」

軍令部作○班長神重徳「軍令部の然るべき者が出した数字だ信用してもらっていい」

松平「この時、開戦後の輸送船舶量を算定したのは軍令部の土井美二中佐でした。その想定では南方の鉄資源と造船所の総動員による計画生産が軌道に乗れば造船は順調に増えてゆく。損害を一定に押さえれば輸送船は十分に維持できるというものです。しかしこれは十分な時間も材料も与えられない中で出した数字で、軍令部の中堅層はそのことをきちんと連絡会議に伝えませんでした」

遺族土井三郎「数日研究しその効果を神君に示した。この数字は多くの仮定の下に出されたものであるから、過程の一つでも崩れるとこの数字は狂ってくると説明し強く念を押した。これらの数字が誰れに渡されどのように取り扱われたのかはぜんぜん知らない」土井美二手記

松平「結局連絡会議の検討では、この数字を深く問い直すことなく、開戦後の自給は可能とする楽観論の根拠に加えてしまいます」

企画院鈴木貞一「(海軍)来るやつをだねひっぱたいてだ、向こうの継戦意思をそのくじいてだ講和に入るとその作戦が可能な限りはだね、出来るとこういう計算になるわけだ」

松平「なし崩しに開戦已む無しの気分が会議を支配し始めました。しかし海軍首脳は本当の不安を話していませんでした」

証言軍令部作戦部長福留繁「永野さんは『2年から頑張ってそれ以上のことはわからん』ということは、要するに『その時は勝つ見込みは少ないですよ』という言葉の代わりに私はそういう言葉を言ったんだと。『負ける』というようなことは言えませんからね」

松平「最初の2年はともかくその先はどうするのか、国家の命運が懸かるこの重大な疑問からリーダーたちは目をそむけてしまいます

 「兵糧攻め」の中での、藁をもすがる思いの話を、NHKが「過程が楽観論の根拠」と嘲笑っている。八方塞の難局打開唯一の策、大東亜共栄圏を隠蔽するから「目をそむけてしまいます」などという言葉が出てくるのだ。白人連合がブロック経済から日本をボイコットした時点で、資源無き日本の宿命「兵糧攻め」完全防御は、白人連合のブロック経済をアジアから追放し、アジア人の互恵自由貿易圏樹立以外、適者生存の道はすべて絶たれたのだ。同胞をすべて見捨て、自給自足の徳川時代に逆行の道もあったが、人口が倍増、それも不可能であった。まさに、「戦うも亡国戦わざるも亡国」なのだ。

海軍省調査課長高木惣吉「開戦止むを得ないというところに来ておってですよ、そして暗いほうばかりに結論付けるということは、これは軍務当局者としては許されないことですよね。腹の中ではですよ、さあね、これはと思ってもですよ。こういう場合には勝てるじゃないか、こういう場合には勝てるじゃないかということをやっぱり探す」

軍令部作戦部長福留繁「長期戦ですから国際情勢も変わってくるだろうと、昨日敵だったものが味方に来るかも知らんし、そういった国際情勢上ありうることであると」

画面 開戦まで33日1941年11月5日

松平「検討の結果戦争回避の選択は取り上げられませんでした。一方で開戦の最終決断も下せませんでした。決断の期限はなおも12月1日午前零時に先送りされます」帝国国策遂行要綱
 戦争回避は降伏が、開戦は応戦が正しい

松平「この間にも日米交渉の状況は悪化していきます。アメリカ政府内は対日強硬派がいよいよ指導権を握りハル国務長官は日本との交渉に熱意を失っていました。11月下旬アメリカがあらためて提示条件をまとめます。いわゆる「ハル・ノート」それは即時完全撤兵という日本がまさに呑めない原則論にたちかえった容赦のないものでした」
 悪化していきます・熱意を失っていました」は、能動戦争アメリカ隠蔽目的の、NHK捏造。米国は「日本潰し」以外に熱意無し。容赦のないもの、降伏要求が正しい

画面 開戦まで12日1941年11月26日連合艦隊出撃

松平「11月26日早朝ハワイ真珠湾に向け日本の機動部隊が移動を開始、しかし交渉しだいで引き返すとの留保をここでもなお残していました。その直後東京にハル・ノートが到着、連絡会議は遂に交渉打ち切りで一致します。判断を先送りする間に状況は悪化し選択肢をすべて失った末の決意無き開戦でした」
 能動戦争アメリカを隠蔽し、「判断を先送り・・・決意無き開戦」と受動戦争日本愚弄である。NHKはどこの国の放送局なのだ!、「日米交渉に徹底尽力・・・大東亜共栄圏樹立に向けての応戦」が正しい

画面 水交社本館開戦決定後リーダーたちの集合写真

CG語り「遂に決断の重圧を解かれたリーダーたち。その表情には不安と同時に安堵の色が浮かんでいた」
 徹底尽力決断ゆえの一瞬の安堵で、継続の安堵ではない。開戦は応戦が正しい

証言台4艦隊司令長官井上成美「山本(五十六)さん大変なことになりましたね『うん』とそういってました。実は一体嶋田(海軍大臣)さんはこういうことになったあの、国家の大事だということをわかってんでしょうかね、非常に私は不安で、不安で、ところが山本さんにこう言ったんですよ、『あれはお目出度い男だからな』。だから山本さんも『ああ、ここまで来たけども、ああ』ということを考えたんじゃないですか」

証言海軍省兵○局長保科善四郎「総理大臣が2~3人殺されるつもりでやりやー、僕は(戦争回避は)出来ると思うんですが、それだけの人がいなかったんだよ」

証言陸軍省軍○課長佐藤賢了「独裁的な日本の政治ではなかった、だから(戦争回避は)出来なかったんだ。戦争に入れた、ああー入るようになったのであると思うんです。こうした日本人の弱さ。ことに国家を支配する首脳、東條さんはじめ我々の自主独往の気力が足らなかったことがこの戦争に入った最大の私は理由だと思う」
 応戦せずは、NHK東大らが捏造する、戦国が終焉で平和来訪ではない!アジア同胞の信義喪失、戦国の世での丸裸を意味し、もう一方の敵、世界征服が野望ソ連との対戦は、必然!しかも!まだ戦時下なので、宗主国連合「兵糧攻め」は、何度も使用可能なカードなのだ!こんな証言する脳天気も、中には居る見本だ。

松平見通しのない戦争に国家と人々の命運をゆだね、リーダーたちは結局何を守ろうとしたのか。真の勇気は、最後まで示されることはありませんでした」
 大東亜共栄圏を隠蔽するから「見通しのない戦争」などといけしゃあしゃあといえるのだ。「真の勇気」で唯一の選択をしたではないか!まさに「死中に活」の応戦であった!最悪の中で、最良の決断をしたと、私は断言できる!

松平「このようにして日本は戦争に突入(応戦)していきました。この番組では4回にわたってその戦争への道をたどり検証(摘み食い)してまいりました。そこから浮かび上がってきたものはたとえば戦略を持たなかった外交(回避にぎりぎりまで尽力した)、あるいは目的を失っていた陸軍の組織(兵糧攻め回避に開国時から尽力)、さらには大衆に迎合したりあるいは軍部の宣伝をしたりするようになったメディア(銃後の要として兵糧攻め回避に尽力)、あるいは目の前にたくさん処理しなきゃあいけない重要な案件があるのにそれを先送りしたリーダー(外交にぎりぎりまで尽力した)たち。日本は取り巻く世界の出方が大きく変わる(白人黄禍論連合の日本潰し)中で、そしてこれまで考えていたことが一つ一つ通用しなくなって行くという現実(白人対有色人)の中で多くの日本人はもがきました。大事なことは多くの皆さん方が、もうほとんどすべてといっていいほどの多くの皆さん方が戦争って愚かなもんだということに気付いていながらしかし戦争(応戦)の道をたどってしまった(危機脱出策は、応戦しての互恵経済圏樹立以外皆無)という事実の重さであります。いやーあれはあの、一時期の狂気(侮辱だ)のせいだと言うことだけで片付けてしまうわけにはいけません(それが戦国の世の、適者生存唯一の術だった)。日本の内外におびただしい数の犠牲者が出ました(責任は、勝者敗者両者が負うべきものです)。この多くの犠牲者になった方々のことを思うときにですね、私たちは少なくとも、なぜあの時私たちはあの戦争への道を選んだ(有色人最後の砦の私たちは、有色人同胞の悲惨の数々を見聞しました。結果、唯心日本、屈服ではなく応戦で、桎梏からの同胞解放、有色人団結を選択しました)のかということを考えることを止めてはいかんのだという風に思います(矢尽き刀折れ、最後は身体を武器にしたが力足らず、思い半ばで私たちは敗れました。がしかし、同胞全有色人すべてが決起し、諸悪の根源、ブロック経済、有色人差別を破壊、白人連合も翻意し、“植民地独立付与宣言”が、反対0で可決されました。日本は救われました。感謝いたします)」

 赤字部が正しい歴史である

 NHKは犠牲者犠牲者と、ことあるごとにまくし立て、応戦軍人が殺した如く洗脳するが、兵糧攻めや殲滅戦や空襲や爆撃で、同胞320万は敵が殺したもので、応戦した軍人たちが殺したのではない。また、「戦争への道を選んだ」能動戦争と洗脳しているが、犠牲者の主犯は有色人潰しの兵糧攻め「黄禍論白人連合」で、応戦日本ではない。凶産隠蔽してのNHKの摘み食い洗脳放送は、同胞虐殺ベスト3、中ソ朝捏造政権そのものだ!

亡国奴スパイ、語り松平定知、ディレクター内藤誠吾、政策統括角英夫

 現実界での捏造は即刻滅亡で、絶えず真実で更新されるが、言葉と文字界の捏造はこのように更新されない。言葉と文字の仮想界など無くても生きていける無用の長物。NHKや東大文系等の66年間もの愚行は、亡国集団との自白。亡国元凶破壊は、国民なら当然の自衛義務、適者生存の本能。

隠蔽し、好いとこ盗りし、捏造して国民を洗脳する、NHKと文系思考回路欠損教授スパイ創作の、先人愚弄物語

 ワットの蒸気機関で適者生存に一歩先んじた白人が、世界を凶産と食民治で支配し、ブロック経済で席巻。それに抗し破壊、自由貿易、互恵、民族平等に基づく新秩序植民地独立付与宣言で、全世界共栄圏を樹立し、適者生存した有色人連合偽中国、癌半島、罪日は裏切り者の脱落者)と、新秩序に矛を収め、歴史にした、英断宗主国連合。残滓が、凶産中国、癌半島と罪日、ロシア。これが俯瞰した、日本九九年戦争、真実史観である。

蕭錦文(1926~)証言(1942年の新聞広告義勇志願兵募集に応募、17歳で台湾志願兵となった。第1回2回とも千名の定員に対し、42万5961名、60万1147名が応募している)

 「ただただ、日本国民の一員として、国のために、大東亜共栄圏のためのという考えで戦ってきた。だから戦後日本で誰が悪いとか、7人の戦犯がなにしたとか、これは不幸だなと感じましたよ。なにもこの人たちは自分のためにやったんじゃないですよ。―前線では、上は将官から下は一平卒まで、みんな何のために戦っているかというと、大東亜共栄圏のために、命を投げ出してやっているんですよ。あとで軍人たちが悪いとか何とか批判されたけれど、僕はそうは思わない」「台湾人生」HOME 酒井充子著文春2010

 先人たちは与えられた運命の中で、人(唯心)として死に、人類を唯物から唯心に覚醒させた。その時代の先人が、禍福を糾い、熟慮と苦渋の果てに下した先憂後楽の決断を、「たら、れば」の空論で非難は、子孫にあるまじき愚行である。

「死は鴻毛より軽し」は命を軽んじた言葉ではない

 「死は、あるいは泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し」「死というものはある場合には、中国の高く大きな名山、泰山より重いものであるが、また、ある場合には鴻(おおとり)の羽毛より軽いものである。人には、場合によって潔く死ぬべきときと、また逆に、命を大切に守らねばならない時がある」司馬遷(前145年頃~前85年。「史記」の著者)

 犬死無駄死にと損得の唯物で考えるから判らないのだ。八百万の神の自己犠牲唯心で考えればすぐ判る。高揚した高みの、戦死者への冒涜である。強大な敵との小国の戦い、信長の桶狭間日清日露大東亜、いずれも同じ死中に活の戦いであった。

 勝ち目皆無の無駄死に戦争と、NHKや東大らの言葉と文字界は罵倒する。ただ矜持のみで死んだ先人は、唯物には無駄死にの、確かに誇りのみの戦いだったかもしれない。しかし、人間と単なる生命体との違いは、誇りの有無だ。先人は心ある者、考える人、人間として死んだこと、これだけは間違いない。ブロック経済・人種差別の桎梏を子孫に残さず断ち切ろうとした先人の、この、大いなる決断、先憂後楽の応戦。そして同胞がこの精神を継承し、一斉蜂起、断ち切った。私には、ひれ伏しての感謝の思い以外、無い! 10につづく⇒

真実史観10NHKや東大等は下善上悪凶産カルト教と凶産中国贋半島罪日工作員の巣

 8月15日の「戦中編・果てしなき戦争拡大の悲劇」も、極悪日本軍と洗脳が目的の、つまみ食い尽くしである。戦後のWGIP学習迎合者の証言選り食いで、軍の粗を探し、陸海軍と戦争利権と、針小棒大放送し、日本軍全てがそうであったかのように洗脳した。兵糧攻め包囲網破壊の生存戦を、米軍隠蔽目的で、侵略戦争(日本はなぜ無謀な戦争をしたのか)と捏造、犠牲者310万人は日本軍が殺したかのごとくに放送し、無辜の国民を洗脳した。止むに止まれずの死中に活、開戦の意思無き、ただひたすらの、兵糧攻め包囲陣突破戦なので、NHKの難詰の種は、掃いて捨てるほどある。だが逆に、難詰の種数多は、不意討ち食らった日本を語って余りあり、適者生存戦の、明確な証拠である。兵糧攻めで宣戦布告、準備万端で出稼ぎ戦争を仕掛けた米国と、日中戦争最中に、背後からの不意討ちに対処した日本の、死活戦争といえる。日中戦争で疲弊どん底の日本、適者生存、背水の陣での死活戦以外の理由は無い!侵略戦争と捏造するNHKや東大等犯日は、整合回路が無い欠陥者かスパイである!

 先人は、NHKのような脈絡の無いつまみ食いで、日清日露大東亜を戦ってはいない。どの戦争も、侵攻の有無を先読みし、小国の宿命(後手は必滅)、奇襲で、先手をとっている。

 敗戦日本を食民治化や分断から救った大東亜会議の検証もなく、植民地独立付与宣言もなく、ただひたすら犠牲者のみを強調し、NHKは犠牲者国民の味方ですと、引っ切り無しに誘導洗脳していた。「勝ち目の無い戦争を日本軍がしたために、犠牲者310万人となった」と、NHKが主客転倒し、どんなに捏造しようとも、犠牲者310万人の加害者兵糧攻め米軍で、日本軍ではない。これは史実である!NHKや東大等の日本軍難詰(日本はなぜ無謀な戦争をしたのか)、敵味方転倒は、ナチスドイツヒトラーに虐殺されたユダヤ人を、逃げ方が悪かったから虐殺されたと、責めるようなものである

 「勝ち目の無い戦争をなぜ日本はしたか」と、何度もNHKはなじっていたが、戦争目的完遂か否かが基準なら、植民地独立付与宣言で「自由貿易・互恵・平等・平和」を勝ち取り、九九年戦争の目的を完遂し、「肉を切らせて骨を断った日本は勝者で、撤退した宗主国連合、自己崩壊した凶産ソ連は敗者である。残党としては、凶産中国贋半島罪日が残るのみ。

 日本降伏で終戦にはなったが、一斉蜂起中の大東亜に連動して、さらに全世界の有色人が決起しての、白人対有色人の大戦に発展しかねなかった。この圧力が、征服者の転換となった。多民族国家米国は即内乱なので、真実(有色人対白人の差別戦争)徹底隠蔽、日本の国体は鎮静化目的で護持、軍隊のみを極悪侵略軍と捏造するすり替えで、内乱の危機を回避した。これを鵜呑みし、鸚鵡返ししているのがNHKや東大等の犯日(欠陥者かスパイ)。国民の団結、大東亜共栄圏同胞の一斉蜂起昭和天皇無私の覚悟。この一丸が日本分断食民治化を阻止し、護った

 NHKや東大や大江等スパイに洗脳された無辜の国民は、鵜呑みの鸚鵡返しではなく、一旦リセットし、立派な親から授かった己の頭脳で、ゼロから、まず考えることが大事である。

 有色人最後の独立国小国日本を、日中戦争で疲弊し尽くした日本を、なぜに白人連合は兵糧攻めし、終戦後も、ソ連韓国は火事場泥棒(北方領土と竹島)を続けたか。NHKや犯日等が極悪侵略者呼ばわりする日本が、有条件降伏したのに戦争は止まず、なぜ独立戦争が世界中で頻発し、続々と皆独立したか。日本降伏で終戦なのに、なぜ中国や朝鮮半島のみ(他は宗主国との独立戦争)が建国などはそっちのけで、醜い同族殺し合いに終始したか。(注・多民族虐殺は除外した、日本降伏後の同族殺し数、朝鮮半島は500万人以上、中国は5000万人以上である。日本人310万人は、連合軍に虐殺された戦国の世の、護国犠牲者で、NHKや東大等が主張する無謀な戦争、同胞殺しの犠牲者ではない)華僑や台湾等在日数多の中で、なぜ罪日のみが関東大震災や終戦時に反乱を起こし、かつ、帰国もせずに犯日なのか。

 NHKや東大等犯日が主張する、日本が極悪侵略者なら、日本の有条件降伏(軍隊のみが無条件降伏)ですべての戦争は終わったはずである。罪日のみが主張するような日本なら、華僑や台湾等数多の在日など皆無のはずだ。

 「繰り返しません戦争は」は、白人連合(宗主国・凶産ソ連)や、同族殺し(中国・韓国・北朝鮮)の言葉で、有色人独立最後の砦として、たった一カ国で踏ん張った、適者生存戦争日本の、言葉ではない!贋国大統領の「歴史の勉強」は、捏造国家凶産中国や贋国や凶産北朝鮮や罪日の言葉で、解放者魁日本の、言葉ではない。

 中国(国に取って代わった凶産王朝)尖閣諸島侵犯、火事場泥棒の韓国(李朝と同じ捏造国)竹島占領強化、自立出来得ず、ロシアや中国にフラフラと事大する北朝鮮金王朝(日本統治直前の李氏朝鮮と同じ)の日本人拉致、火事場泥棒ロシア(凶産に取って代わったプーチン王朝)の北方領土占領強化、罪日(関東大震災や終戦被災時における、唯一の暴徒民族)スパイの捏造やりたい放題。歴史は繰り返す!言葉と文字界が、国無き亡国奴やスパイの巣窟と化し、弱体化した現代日本は、開国時と酷似、旧態依然残滓国家と暴徒民族に対峙している。

 考えれば、整合回路を有する現実界人間なら、瞬時に氷解し覚醒する。立派な先人の子孫なのだ、鵜呑みせずに、思索だ

軍命は捏造米軍急迫で集団自決トラウマ尼港済南通州等で潔く自裁…
1小国日本適者生存の術は共栄圏神道敬天愛人と孫文が一致大アジ…
1遡り日本史はNHKと東大教授加藤陽子スパイの連想誘導女子供洗…

亡国奴スパイ  語り松平定知 ディレクター内藤誠吾 制作統括角英夫ディレクター 完

 

 2012年8月15日NHK国民洗脳スペシャル「終戦なぜ早く決められなかったのか」。出演者・NHK犯日騙り三人集・東大女スパイ加藤陽子、朝鮮二枚舌スパイ姜尚中、官僚スパイ岡本行夫

生き残り当事者の証言(戦後学習後の証言なので、当然変質証言)を、選り盗り、言いとこ盗りして、指導者が駄目だったから「終戦」が遅れて多くの可哀そうな国民が犠牲になったと、「上悪下善」WGIP軍対民対立「犯日」ドラマに仕立てた。「犯日洗脳手口」は、上記と同じ!

 

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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