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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観石原慎太郎と分祀派遺族会古賀誠靖国再考で仮想現実界捏造工作員自白


侵略が合法の時代、日本を侵略者と罵倒するのであれば、その前にまず、侵略先駆者連合軍面罵が先である。

石原慎太郎と分祀遺族会代表古賀誠「靖国再考」で仮想現実界のWGIP工作員鵜呑み無検証職責放棄自白

2008年09月08日 産経新聞 

【日本よ】石原慎太郎 靖国再考 
 先日家内が同席した婦人たちの集まりで、自民党の古賀誠氏の靖国神社に関するテレビでの発言が大層話題になったそうな。集まりの中に家内を含めて何人かの戦争遺児がいたという。古賀氏の発言に強く共感した彼女たちからの要望で、古賀氏にそれを伝えて欲しいということで私もその発言のヴィデオを取り寄せて見たが、私も、靖国についての日頃の思いからして共感させられ、早速彼女たちのメッセイジを氏にとりついだ。
予備知識無き人は100%確実に洗脳される。日本洗脳犯日協会工作員の手法とまったく同じ。序破急の序は、予備知識に疎い女性の気を引くため家内の話から入っている。古賀氏の発言に強く共感したのは、WGIPやNHKや日教組などに洗脳された戦争遺児で、先人の遺志ではない。

 それは彼女たちの、そして戦争での戦死者を身近に持つ者たちの、あの戦争の意味とか価値を超えた死者に対する情念(センチメント)の問題だ。そうした個々人の情念は決してたかがセンチメントとしてはくくれぬ、人間にとっては絶対的なもので、誰もそれを、何をかざしても否定出来るものではない。古賀氏は言葉少なではあるがそれをいい切っていた。そしてそれを全うする戦争犯罪人分祀という術についても。
戦争犯罪人は敵国の言葉。レジスタンス指導者が子孫の言葉。分祀は全てをレジスタンス指導者に押し付け、真犯人の侵略者敵国アメリカとの戦死者ではなく、日本指導者のため犬死に無駄死にした犠牲者に摩り替える、WGIP「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」のプロパガンダである。工作員古賀誠に洗脳された分祀派遺族は、指導者を貶め蹴落とし、犠牲者の遺族に成り済まし、善者を装う、醜くく、浅ましい遺族である。犠牲者の遺族とは自意識無き愚人、犬死に無駄死にした馬鹿者の遺族を意味することも知らずに。

古賀誠に撒き餌で洗脳された分祀派遺族は、石原や古賀と同世代の江藤淳著、下記を熟読し、犠牲者(犬死に無駄死にした愚人)の遺族ではなく、誠の戦死者の遺族となれ。

江藤淳著『閉された言語空間』文藝春秋文庫
 ・・・それは、とりもなおさず、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の浸透であった。『太平洋戦争史』は、まさにその「プログラム」の嚆矢「こうし(はじまり)」として作成された文書にほかならないからである。歴史記述をよそおってはいるが、これが宣伝文書以外のなにものでもないことは、前掲の前書を一読しただけでも明らかだといわなければならない。そこにはまず、「日本の軍国主義者」「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。

 これは、いうまでもなく、戦争の内在化、あるいは革命にほかならない。「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。

 そして、もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&E(民間情報教育局)の「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから。・・・
 正に、石原も古賀もノーベル贋賞大江も、WGIPの申し子(無検証鵜人、自己思考喪失者、単なる録音機の愚人)もしくは工作員なのである。江藤淳予言的中である。肩書き愚人蔓延る同世代に、江藤淳という崛起した日本人がいたということを、我々子孫はけして忘れてはならない。

 家内の父親は彼女がまだ母親のお腹の中にいた間に中支の激戦地ウースンクリーク近辺の激戦場で小隊長を勤め、心臓への貫通被弾で壮烈な戦死をとげた。その前夜に翌日の戦闘での自らの死を覚悟して書き綴った遺書がある。

 新婚早々だった彼が、妻や幼い息子やまだ見ぬ娘に書き送った沢山の手紙は、若くして未亡人となった義母の遺言で彼女の兄の手で焼き捨てられるはずだったが、何を思ってかそれを焼かずに残した家内の伯父から家内にとりつがれ私も目にすることが出来た。

 現地での戦争が予想以上に長引き過酷なものとなっていく過程で、愛しい妻や生まれて間もない息子、まだ見ぬ娘への思慕を綴った何十通もの手紙は、後に縁あって義理の息子となった私の心をも深く強く打つ。

 戦争中、海軍基地横須賀に近い逗子に住んでいた私は、近所の士官用の宿舎に新婚らしい若く初々しい妻と仮住まいして出陣し、間もなく木箱の中に名前を記されただけの位牌となって戻ってきた夫と、今は喪服でそれを迎える若い未亡人の姿を何度となく目にしてきた。その中のある人は、庭先にまぎれこんで遊んでいた私たちをわざわざ座敷に呼び上げて当時は珍しくなっていたお菓子をふるまい、なぜか自分の子供をいつくしむように頬ずりしてくれたものだった。されながら幼い私にも彼の心情が痛いようにわかっていた。ああ、この人はこの私を守るために死ににいくのだなと。

 私が最近までお世話になっていた眼科の老女性医師は、いつも診察室の机の上に新婚後間もなく出陣して亡くなった夫の乗っていた伊号潜水艦の写真を飾っていた。
眼科の老女性医師との逸話を、さり気なくはさみ、戦死者遺族ではなく、石原は戦争犠牲者遺族強調WGIPのつもりだったろう。がしかし私には、「護るため戦った夫の生きた証を、護ってくれたことに感謝しつつ、いつも身近に置いた、犠牲者(被害者への哀れみ)などではなく、戦死者(尊厳)として」、そう語りかけているようにしか思えない。夫を被害者と思っていたなら、伊号潜水艦の写真は、被害者の忌まわしい墓標である、身近に置くはずなどない。侵略者に対しての先人、赤裸々な軍民一丸を語って余りある逸話である。運命の下での夫の生きた証、伊号潜水艦の写真、心の支えとして、いつも語りかけていたであろう、老女性医師の後姿、時代を超えて、琴線に染み入る・・・。

2005年7月4日産経新聞 石原慎太郎エッセイ「日本よ」「国家存亡の分岐点」より抄録

 昨年高齢で物故した家内の伯父の遺品の中から、中支戦線で戦死した家内の父石田中尉から妻宛の手紙が見つかった。結婚間もなく長男が誕生し、つづいて次の子供を懐妊中の妻を残し三十過ぎての出征、甲府の連隊に参加後、中支の激戦地名だたるウースン・クリークでの戦闘で心臓への貫通銃創での壮烈な戦死をとげた。

 それまでの一年余の間、愛妻と生まれたばかりの男の子、そしてまだ見ぬ次の子供への切々とした思いを綴った百数十通の愛の形見を、これも五十前でみまかった家内の母親は死に際を看取っていた兄に自分と一緒に焼いてくれるように託したが、伯父は何を思ってかそうせずに止め置いていてくれた。中の一通には、妊娠中の妻に一目会いたくて、当時彼女のいた広島から甲府までの汽車の乗り継ぎ時間をこまごま自分で調べての案内もあった。

 最後の手紙は、前々日小隊長が戦死し先任士官として自分が指揮を取ることになったが、明日も予想される激戦でおそらく自分も戦死するだろうと記した遺書だった。そして彼は私の家内となった娘の顔を見ることなくこの世を去った。

 石田中尉の墓は横須賀の一族の菩提寺にあるが、あの戦争という国家の出来事を背景に亡き父親を想おうとする時、家内たち兄妹は靖国神社に参っている。戦没者の遺族のほとんどは同じ思いに違いない。

・・・家内が戦争未亡人の母親から受け継いで着ていた喪服のたもとには、彼女が戦後初めて靖国に参った時に乗った電車の切符が縫い込まれていたそうな。「靖国」は彼女の人生を支える芯(しん)の芯なるもの、心意気の象徴としてあったに違いない。それを一体誰が、何が無下に否定出来るというのだろうか。・・・

否定する愚民、愚民化したのは石原や大江や古賀、無検証鵜人仮想現実界の輩だ。

彼女は護国指導者罵倒の為に、彼女は夫を、軍命で犬死に無駄死にした戦争犠牲者、戦争被害者として哀れむ為に、軍命で犬死に無駄死にした愚か者と面罵する為に、靖国に参ったのだろうか・・・。忌避不可、戦国時代の運命の下で、護る為戦って果てた夫との「靖国」での初めての再会、再会した電車の切符老女性医師伊号潜水艦の写真と、喪服のたもとに縫い込まれていた電車の切符、何の違いがあろう。語りかけ縫い込む後姿が目に浮かぶ・・・。

洗脳され、犬死に無駄死にと先祖面罵、先人の遺志無き分祀派遺族会戦争遺児」の意見、WGIPの標語「戦争美化」以外の意見を、是非とも聞きたいものだ。

 そうした、戦争という一種の極限状況の中で肉親や身近な人間の生死をかけた生と死の記憶は、もはや戦争の意味合いとか歴史的価値とは関わりなく、それを超えておのれの人生の中での強い情感に包まれた記憶として何をかざしても消し去ることなど出来はしない。そしてその情念を象徴、表彰するものとして靖国神社は存在していた。それは誰かがこれから造ろうとしている、慰霊施設とは本質的に違う。

 互いに割り切れぬものを抱えながら若くして孤独に死んでいった兵士たちが、戦場で芽生えたかろうじての友情や連帯の最後の確認の場として靖国を想い、家族への絶ちがたい思慕と未練の死後の充足の場として来世などという不確定な場所などではなしに、あくまで現存する靖国神社での言葉なき再会に思いを賭けて死んでいったのだった。それは神道に関わりない信仰をもつ者にしてもなお同じ思いだったに違いない。

戦死者ではなく戦争犠牲者強調WGIP。老女性医師の話の後に、なんと空虚な話だ。

この現代になお、靖国に参る遺族、親族にとっても靖国は戦没者と同じ情念の拠りどころに他ならない。刑死した戦没者ならぬ、戦犯の合祀という愚挙は、結果として遺族、親族の情念を阻害する誤解を国際関係の中にまで投げ込んでしまった。

1960年までは征服侵略は合法であった。征服侵略連合軍(食民治主義凶産主義)は、世界で唯一残った非干渉独立国家日本を襲った。侵略に対して、軍民(老若男女)一丸となり、たった一カ国で戦った。軍命、戦陣訓無くとも、侵略者に対して、蟻一丸、一丸、家族一丸、街一丸、島一丸、国一丸、蟻でも蜂でも生命体は侵略者に対して、適者生存をかけて、一丸と化し戦うのは、古今東西世の習いで、生命体の史実だ。適者生存を戦い生き残ったから、今がある。生命体当然の常識だ。日本蜂起(国民一丸)、沖縄蜂起(県民一丸)、ワルシャワゲットー蜂起(ユダヤ人一丸)ワルシャワ蜂起市民一丸)、万国共通なのだ。

国民は軍命なので、嫌々ながら仕方なく戦い、犬時に無駄死にした犠牲者で軍は極悪軍、とするのは世界中で日本の反日団、日本洗脳犯日協会、諜匪、売日、嘘売、凶惨党、邪民党や、石原、大江、小沢等の、仮想現実界住人だけである。

なぜ戦犯なのか検証もせず勝手に戦犯と決め付け、一丸の戦いを戦犯に騙されての戦死(戦犯の犠牲者)、「戦犯の合祀という愚挙は・・・遺族、親族の情念を阻害」と、ご丁寧に愚弄だ。世界史をちょっと繰れば氷解することを、それさえもしていない。検証という努力もせずWGIPをただ鵜呑み、まさに曲学阿世の輩だ。「国際関係の中にまで投げ込んでしまった」犯人は、石原と犯日団。犯日団が、軍命で犬死無駄死に玉砕特攻自決と軍に責任転嫁。戦死者(部下の兵士や老若男女の市民)を軍命で死んだ犬死無駄死と馬鹿者呼ばわり、軍命下したと軍罵倒に大騒ぎ、仮想現実界総白痴だ。十三ワルシャワ蜂起←似非愛国者石原都知事よ、少年蜂起兵の画像と像を、とくと見ることだ。

敗戦後に行われた裁判はパル判事の発言や、結果として削除されてしまったイギリス人オーストラリア人将校の弁護士たちの冒頭陳述にも見られるように極めて非合法性の高いものだったが、しからばあの裁判で断罪された者たちのすべてに戦争に関する責任がなかったとは絶対にいえはしまい。

兵糧攻めした征服侵略連合軍(食民治主義凶産主義)とのレジスタンスだ、責任を問う方が狂っている。座して降伏し、滅亡すれば良かったのか?自称愛国者論理滅裂の石原よ。選択肢は数多、選択は一つ。選ってのつまみ食い不可が現実世界だ。

その代表的人物だった、開戦時の総理大臣、さしたる実戦体験もない東条英機が作った「戦陣訓」の中の「生きて虜囚の辱めを受けず」なる文言が当時の日本の社会の中でいかに恐ろしい拘束力を持ち、いかに多くの犠牲者を生み出したことか。

何たることか、文字を糧にしている者が文字も知らない。無知無検証を自白している。戦前の辞書を繰れば、「虜囚」の意味「囚人」と瞬時に判明するのに、それすらしていない。職責放棄も甚だしい限りだ。ましてや「戦陣」は、「」え、だ、命令などではない。証拠に、手本の軍人勅諭や軍法にも、「降伏禁止」の記載無し。硬くて鼻紙にもならない紙屑、タイプライターで打たれた自筆署名なき文章を、東条英機が書いたと日本洗脳犯日協会などの犯日団が報道すれば、腹ペコの鵜の如く即座に鵜呑みする、自己思考喪失者、単なる録音機となんら変わりは無い。道理に従わないものは単なる暴君、北朝鮮と同類。暴君に東條英機や天皇を語る資格など無い。無検証鵜呑みをここでも自白、石原は語るに落ちた鵜人だ。「戦陣」詳細は当ブログ内下記参照。
生きて虜囚の辱辞書捏造断定戦陣訓真実囚人戦後意味変化敵に捕まる


アメリカ軍が撮った、あの激戦地サイパンで米軍の捕虜になるのを恐れてバンザイ・クリフから身をなげて死んだ民間の女性の映像一つ見てもいえることだ。

命令や訓で自死する愚者など古今東西皆無、戦死者愚弄も甚だしい。「民間の女性」は自意識無き皇民化ロボットなどではない。一丸と化し、戦士として果てた。それ以外の何ものでもない。ここでも無検証鵜呑みを自白。

あの東京裁判に異議があるならば、その批判をも含めてなぜ日本人は国民が正当に選んだ者たちによる、あの戦争の真の責任者たちの糾明を行ってこなかったのだろうか。

現実界が委託した仮想現実界の職責者、石原慎太郎都知事などが検証の職責を果たさなかったから、現実界は真実を知らなかった。現実界が委託した仮想現実界が売国奴、愚者の巣窟とは知らずに、同胞であるが故に、疑いも無く国民はこれまで信じていた。しかし、疑義を国民が感じ、インターネット検証。国民の総意と努力が真実を導きだした。真実が判明したから、東京裁判に異議を唱え、真の責任者たち(仮想現実界の職責者石原慎太郎や、大江健三郎など)の糾明をしているのだ。己が無能で、職責も果たせない単なる鵜人の癖に、涼しい顔で棚に上げ、委託者現実界に、責任転嫁にするな。国民は犯日団が考えるほど愚民では無い。現実界の職責放棄は必滅。仮想現実界も当然職責を全うしているものと信じた。肩書きを信じた訳では無い、同胞であるが故に、まさか売国奴では無いだろうと、ただ信じただけだ。自惚れるな。石原の無能、無検証振りを、ここでも自白。

たとえば太平洋戦争の始まる前に起こった、多大な犠牲者を出したノモンハン事変なるものを主導した、高級参謀の一人辻政信なる人物は全く裁かれることもなく、逮捕を恐れて逃げ回った手記を発表しその評判を借りて立候補し、与党政府の悪口をいいまわり参議院議員になりおおせた。こんな馬鹿げた事実を国民は看過したが、声なき戦没者たちは許しはしまい。

冗舌家石原都知事よ、辻政信がなぜ当時の成人に拍手喝采されたのか、それすらも分からないのか。どうやら石原は、障子を突き破ったちん事冗舌を書いた、単なるちん事冗舌家に過ぎないようだ。強大な征服侵略連合軍(食民治主義凶産主義)を相手に逃げおおせたからだ。征服者に侵略され虐げられた国民にとって、こんな痛快無比なことは無い、国民の鬱憤を晴らして余り有り、英雄であったであろうことは、現代においても察することが出来る。当時の成人、軍民一丸の心中を語って、揺るぎ無い逸話である。声なき戦没者たちも「逃げおおせた」ことに関しては拍手喝采だろう。目前の資料を検証もせず、「こんな馬鹿げた事実を国民は看過した」と先人愚弄だ。無検証WGIP鵜呑みを自白し、語るに落ちている。石原は、本当に子孫なのか?

そうした怠慢が今日、靖国の存在の意味を風化させ、戦争という過酷な時代に、力ない者たちが肩よせあって生きて死んだ悲惨で美しい心の歴史をも否定し、対外的にも日本人の心象を誤解に導き、日本人としての最も深いところにある情念までも否定させつつある。

強大な征服侵略連合軍(食民治主義凶産主義)と無い無い尽くしの日本、力ない者たちが肩よせあって軍民一丸と化し、最後は子孫のため身体を武器にし、比類なき戦いざまを残し、果てた。比類なき戦いざまは、征服者に侵略され虐げられた同胞の琴線をかき鳴らした。同胞は皆蜂起し、征服者を追放し、昭和35(1960)年に、第15回国連総会で、アジア、アフリカ43カ国による共同提案が採択され、植民地を保有することを不法行為(植民地独立付与宣言)であると宣言。賛成89、反対0、棄権9カ国(主要宗主国の英米仏、ベルギー、ポルトガル、スペインと、南アフリカ、オーストラリア、ドミニカ)。その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。開闢以来延々と続いた最適者生存の、弱肉強食本能の食民治主義(唯物主義)、独占貿易は破壊され、先人の旗印、自由貿易共存共栄平等に基づく新秩序(唯心主義)が創造され現在の平和がもたらされた。これは史実だ。植民地独立付与宣言これが現代の平和の原点だ。真の識者、作家なら、知らないはずは無い。「怠慢・・・対外的にも日本人の心象を誤解に導」いた犯人は石原と仮想現実界だ。国民では無い。

天皇陛下も含めてせめてすべての遺族、親族が晴れ晴れ参拝が出来るためにも、遺族を代表して行われた古賀氏の発言(A級戦犯分祀)はすみやか果断に実現されるべきに違いない。【日本よ】完

命令や訓で自死する愚人など古今東西皆無、戦死者愚弄も甚だしい。戦死者は犠牲者では無い。自意識無き皇民化ロボットなどではない。軍民一丸と化し、子孫のため適者生存軍の戦士として果てた。それ以外の何ものでもない。日本開国以後の戦争は全て、征服侵略軍対軍民一丸の適者生存戦争、レジスタンスで、戦死者を祀る靖国は、日本蜂起の証の社である。A級戦犯分祀(命令や訓で犬死に無駄死に自死した愚人)などと戦死者愚弄も甚だしい限りだ。

根拠の開示、開示不能なら詫び入れ、という再三のネチズン武士の情けに耳も貸さず、追い詰められた「意志悪ちん太郎」の悪あがき、ここに極まれり。真実にひれ伏さず、無検証鵜呑み自白の徒労を繰り返す、往生際の悪い女々しい男だ。所詮単なる知識無検証録音機、暴君にしか過ぎない。【日本よ、宣戦布告】などと口だけ国士気取りの子供の遊び、おこがましい限りだ。マスコミが売るために祀り上げた、虚像である。他虐偽善者石原の、善(己)悪(先人)史観にだまされるな!石原親子は似非愛国だ!靖国不参拝天皇合祀に非ず犯日団思想戦英霊愚弄に慰霊の言葉喪失

 是々非々の国アメリカは、当の昔(戦後わずか5年後の1950~1954)に真実に覚醒し、マッカーシイズム、共産主義者弾圧、赤狩りをした。ルーズベルト、トルーマンも弾圧の対象であった。是々非々に基づき覚醒したから、小笠原沖縄を返還したのだ。

侵略が合法の適者生存苦難の時代、先人は目的を掲げ、比類なき戦いを残した。比類なき戦いに侵略され虐げられた世界の同胞も覚醒、英米仏蘭も皆覚醒、目的を果たした(1960年の植民地独立付与宣言)。

 禍福をもたらす適者生存は世の習い、生命体の歴史である。真実の前に平伏し覚醒せし国に、目的は果たしたのに、戦いに負けたからと遺恨を持つのは、いさぎよしを宗とした先人の思いでは無い。
 先人は、
開闢以来延々と続いた最適者生存食民治主義凶産主義を破壊することで平和を願い、特攻隊員も後の平和を願い、命を懸けた。日本は軍民一丸化で戦いの目的(自由貿易・人種平等・互恵)を果たした。子孫にはこの事実を刻印し、継承する使命がある。未だ真実を捏造する輩が国の内外に存在する。捏造する輩は戦争の起因を成す。毅然として排除は、子孫の使命だ。

日本の仮想現実界がこんな有様だから北方四島も還ってこないのだ。ポーランドカティンの森虐殺も、ポーランドの思いを受けとめ、ロシアは謝罪した。

1945年9月2日、国後島占領。スターリンの勝利宣言。「日本の侵略行為は、1904年の日露戦争から始まっている。1904年の日露戦争の敗北は、国民意識の中で悲痛な記録を残した。その敗北は、わが国に汚点を留めた。わが国民は日本が撃破され、汚点が払われる日の到来を信じて待っていた。40年間、われわれの古い世代の人々はその日を待った。遂にその日が到来した」油橋重遠「戦時日ソ交渉小史」油橋重遠著霞ヶ関出版

帝政ロシアの黄色い大陸(満州)への欲望が原因で、日露戦争は勃発。とのそれまでの教科書記載は以後、日本の満州への侵略が原因であり、日本の卑怯な奇襲に無準備なロシア軍は勇敢に戦ったが、敗北したと、真反対に書き換えられた。まさしく、凶産党は捏造党。「ソ連と日露戦争」清水威久著原書房1973年

ロシア国民もアメリカ同様、スターリンに嵌められているだけだ。日本国民が覚醒し、犯日団を追放、真実をロシア国民に伝えれば、残された先人の願いは必ず叶う。

無検証職責放棄のWGIP鵜呑み録音、先人愚弄拡声器が、意志悪ちん太郎都知事や、レジスタンス戦死の父を、犬死に無駄死にした愚人と面罵する馬鹿息子、分志遺族代表古賀馬鹿子国会議員の正体だ。でなければ正真正銘の工作員である。職責を放棄し、ここまで愚弄された国民よ、こんな工作員の言など鵜呑みせず、立派な親から授かった頭脳で考えよう。考えれば真実の扉はすぐ開く。自らの頭脳で考え、人類の平和のために、真実を捏造する輩を至急追放しよう!!

古舘一郎「日の丸・君が代=日本軍国侵略軍極悪」論に、「戦国の世の日本護国軍、一丸の象徴が日の丸・君が代」と、教えさとす事すら出来得ない、なんともお粗末な石原。マジキチ古舘VS石原両者共に、検証回路無き鵜呑み論者と白状!日の丸君が代は命を賭けた先人の護国の想いがこもった日本護国史の象徴 

 石原に欠けるのは思索(整合)回路。好いとこ盗りつまみ食いの、点、点、のみで、線(過程)が無い(戦後教育の典型)!事象(点)には全て禍福が在り過程(線)が在り、因子(点)が在る。

捏造は戦争を生み、滅亡を生む。真実だけが物を、国を、友好を、平和を生む。真実に平伏し追い求めて物を作り、人類は繁栄を成している。真実に平伏すことが、平和への第一歩である。 真実史観


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

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真実史観極悪NHKその時歴史が等で63年間捏造愚民化日本洗脳犯日凶会食民団


 NHKスペシャル「調査報告 日本軍と阿片」で、日本犯日凶会の詐欺被害者が増加し、愚民がまたまた増えた。忌忌しき事である。

 日本洗脳犯日凶会NHKは、日本レジスタンス史隠蔽、侵略者極悪日本軍と選り食い捏造、国民を洗脳愚民化。愚民にし、宗主国気取りで料金を63年間も搾取し続ける日本犯日凶会は、詐欺団である。

 「日本軍と阿片」で更に被害者続出。ブログはNHK詐欺被害者愚民の掃き溜めと化した。食民治化大成功ほくそ笑む、日本犯日凶会。予備知識無き者は皆愚弄され、愚民と化す、詐欺師NHK必殺技洗脳を、真実史観で検証。

NHK総合その時歴史が動いたシリーズ日本降伏

前編8月15日終戦までの道程08年9月9日16時10分

後編9月2日降伏文書調印08年9月10日10時

予備知識日本降伏最大の障害は、ルーズベルト大統領の己の陰謀や捏造隠蔽目的、「無条件降伏」であった。無条件降伏とは、占領、賠償金、領土割譲、戦争指導者の処刑など、戦勝国の言いなり、服従である。国政に対して護国護持という責任を持つ政府が決して受諾できるものではない。

 無条件降伏要求は、「全滅するまで戦うしかない」と相手を追い詰めることに他ならない。日本民族の殲滅を宣言した事になる。

 マッカサー証言のように日本攻略は、空爆原爆で老若男女を殺戮せずとも、兵糧攻めすれば勝てるのだ。

 ルーズベルトは日本人種の絶滅を画策していた。ホロコースト原爆都市空爆作戦がその証拠だ。

 
犯日のルーズベルトがもし生きていたら、無条件降伏を突きつけられ、原爆空爆ですべての都市は破壊、国は分割、殲滅状態にされていた(日本への原爆投下、18発を承認していた。ワシントン.ポスト紙。日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略 深田匠著)。

 
もちろん我々もNHKも無い。終戦前の1945年4月12日、昼食中脳卒中で死去。天の裁きを受けたのだ。我々はルーズベルトに天罰を下した天に、平伏して深謝する。

 ルーズベルトの死亡により、無条件から有条件に変わり護国護持が保障。結果有条件「ポツダム宣言」を受諾した。

 洗脳され「日本」の無条件降伏と思っている人がいるが、間違い。宣言13項「日本国軍隊」無条件降伏だけであって、「日本」の無条件降伏ではない。

 日本国は「ポツダム宣言」の諸条件の下に降伏したのであって、日本の「主権」まで占領軍に占領された訳ではない。ちなみに
ドイツは、日本(政府は存在し、責任者は皆逃亡せず)とは異なり、責任者は皆逃亡し、無政府と成ったため無条件降伏。結果、東西に分断された。

 条件降伏であったが、アメリカは、日本に対し、「無条件降伏」のように振舞った。占領政策は、一切条件交渉をすることのできない命令であり、連合軍最高司令官マッカーサーは全能の権力を持つようにマスコミを使い洗脳教育をした。

 日本が無条件降伏したと同然の状態に置かれ、憲法改正を迫られ、改正案を拒否され結局日本は、GHQが1週間ほどでつくった憲法を押し付けられ、教科書辞書事典は、捏造され、戦後63年を経てもいまだに、無条件降伏と記載されている。

ポツダム宣言 全文と現代語訳 「ポツダム宣言」 の再点検 江藤 淳 日本は無条件降伏などしていない 冷戦下の広島
1945年4月7日鈴木貫太郎内閣。ソ連に終戦工作仲介依頼。ソ連拒絶。

1945年4月日ソ中立条約(1946までの5年間不延長通告。

1945年4月12日無条件降伏要求のルーズベルト死去

1945年7月26日米英中3カ国による降伏要求ポツダム宣言。(日本終戦工作仲介依頼の情報をソ連より得、勝利確信、降伏要求)8月8日中立条約破棄しソ連(無法が党是の凶産党)も参戦。連合国の正体は弱者嬲り殺し無法集団

前編8月6日8時15分広島に原爆投下される。8月9日更に会議の日の未明には、中立国だったソ連が攻め込みました。

日ソ中立条約破棄し参戦隠蔽効果中立国までもが参戦とはなんと極悪な日本軍と錯覚、愚民化。

ポツダム宣言受諾会議。国体護持。「国体」とは大日本帝国憲法で統治権者と定められている天皇が政治軍事などさまざまな権限行使する当時の国のあり方そのものです。その国体を守る国体護持・・・

後述されているが、天皇は政府決定事項の上奏に対して、裁可を下す存在で、天皇自ら命令する存在ではない。

その
裁可については、責任は政府が負うと定められ、天皇は無答責、つまり責任を負わない立場。

つまり天皇が政治軍事などさまざまな
権限行使することは天皇自ら命令する存在ではないので不可なのに、「権限行使する」と、あたかも独裁者のように印象操作独裁者を守る国体護持印象操作

以後視聴者は、国体とは、政治軍事などさまざまな権限行使する独裁者天皇を守ると、錯覚、洗脳される。日本犯日凶会詐欺師の巧妙な印象操作作為丸見え。

受諾条件は一つ。国体護持。が外務大臣東郷茂徳。

「東郷は、一刻も早い終戦を目指す、いわゆる和平派の一人」、「東郷は、条件が多いと連合国が悪印象を持ち交渉決裂の恐れがあると訴えた」とNHKが和平派強調。

受諾条件は四つ。国体護持。占領は短期間かつ小範囲。日本軍隊の武装解除は日本人が行う。戦争犯罪人の処罰は日本人が行う。が陸軍大臣阿南惟幾(あなみ これちか)。

「阿南は、もしも交渉が決裂しても本土決戦の道がある。敵に一撃を加えた上で、有利な講和条件を引き出し、国体護持を図るべきと主張」とNHKが侵略者極悪軍強調。

会議の最中の午前11時2分、2発目の原爆が長崎に投下され、その年だけで7万人以上が亡くなる大惨事と、ナレーション。そして原爆映像と悲惨な白骨犠牲者映像。

極悪の真犯人は原爆投下の米軍なのだが、このように情報操作されると、条件に難癖をつけ降伏を遅らせた陸軍大臣阿南が極悪と錯覚する。犯日のルーズベルトは18発の原爆投下を承認していた。ルーズベルトにだまされた米軍は、日本叩き潰しに必死であった。

しかし会議に原爆投下の報告が届けられても、議題はあくまでも国体護持。しかも会議は何の結論も出せずに午後1時に中断しましたとナレーション。

報告が届けられても、結果(過去)、なので対処不可は明白。未来を左右する国体護持最優先は当然であるのにNHKは、人非人のように報道。午後1時に中断して昼飯食ったと連想させ、人非人強調。まだこの時点では被害の状況の確実な把握は無い。戦後の事実での非難は、明白な悪意報道である。

会議の様子は天皇にも伝えられます。しかしそれは事実とは異なった報告でした。「阿南が主張した4条件で、ポツダム宣言を受諾することに決まった」木戸幸一日記。こうした誤った報告がなぜなされたか現在でも謎のままです。

しかしこの報告に危機感を抱き事態を変えようとする人たちが現れます。東郷と同じ考えを持つ和平派の人たちです。元外務大臣の重光葵。重光は4条件を付けると交渉が決裂し国体護持が果たせなくなると考えていました。

・・・重光は木戸にポツダム宣言受諾の条件を一条件に変えるべきだと訴えます。その為には天皇の採決、勅裁を仰げないかと頼みます。このとき木戸は、4条件で受諾するという決定を尊重していました。木戸は答えます。「君らは何でも勅裁、勅裁といって陛下にご迷惑を掛ける。しかしどういう風にしていくかは責任者たる政府でやるべきだ」重光葵の手記。

大日本帝国憲法では天皇は政府の決定事項に対して、裁可を行う存在でした。その裁可については、責任は政府が負うと定められ、天皇は無答責、つまり責任を負わない立場でした。そうした原則論を唱える木戸に対し重光は食い下がります。「君の言うことは最もだ、しかし政府は軍部の意向を覆せない。これをやるには勅裁しかない」重光葵の手記より。勅裁、つまり天皇の聖断を求める重光。その訴えを捨てておけず木戸は天皇のもとに向かいました。

・・・「今夜すぐに御前会議を開いて、陛下に勅裁を仰ぎ決定しよう」重光葵の手記。2時間の議論の後、8月10日午前1時50分、天皇のご聖断で、国体護持1条件で受諾する方針が決まった。

どちらも和平派なのに一方に冠する事で軍人貶め効果を狙った、情報操作。異なった報告、誤った報告とナレーションされたが、押し切られて報告され、押し切られた重光葵が勅裁を仰いだ、が、常識の解釈。異なった報告、誤った報告は、貶めるための情報操作。天皇とは、命令する存在ではなく、決定事項や上奏に対して、裁可だけを行う存在であることをここで明白に語っているし、後編にても同様である。

8月10日朝、政府は連合軍に対して、国体護持の一条件が守られるという了解の下に、ポツダム宣言を受諾すると通告、その確認を求めます。その連合国の回答が2日後の12日未明、ラジオを通じて伝えられました。この回答を受け閣僚たちの議論が再び紛糾。

連合国からの回答が来た翌日の8月13日、日本の指導者たちは未だ、・・・結論を出せずにいました。8月14日朝8時40分、この状況を打開しようと総理大臣の鈴木と内大臣の木戸は二人で天皇に拝謁、また聖断を願い出ます。・・・天皇の召集によって午前会議が開かれます。そして8月14日正午前、聖断が下されたのです。「・・・受諾してよろしいと考える」日本はようやくポツダム宣言を受諾。

このように天皇とは、命令する存在ではなく、決定事項や上奏に対して、裁可だけを行う存在で、独裁者ではない。

聖断が下った今、政府は一刻も早く連合国に、ポツダム宣言の受諾を通告しなければなりませんでした。しかしそのためには、天皇の名による終戦の詔書を作成することが手続き上必要でした。政府は詔書が完成し次第、連合国に通告、夜7時には国民に発表する予定を立てていました。

閣議で詔書の草案の審議が始まります。しかしその内容に、陸軍大臣の阿南が猛反発します。問題になったのは、この一説でした。「戦局日に非にして」。軍隊が日々敗北を重ね状況が悪くなったという意味です。阿南は訴えます。「戦争の勝負はついていない、戦局は現在好転していないだけである」。そして「戦局日に非にして」を「戦局かならずしも好転せず」と修正すべきだと主張します。

突然の敗戦を受け入れなければならない、前線の将兵たちの感情をおもんぱかってのことでした。将兵たちは、天皇のために死ぬことこそ大儀であると、叩き込まれていました(昭和天皇個人のためと巧妙な印象操作。戦場では敗北を認めるぐらいならば玉砕を選ぶような極限状態にありました。阿南はこうした将兵たちに日本が敗戦したと伝えても彼らには受け入れられず戦闘を止めることが出来ないと考えたのです。

 8月14日午後11時予定の時間を大幅に過ぎ終戦の詔書完成しました。東郷はすぐに連合国に、ポツダム宣言を受諾する旨を通告します。・・・それでも将兵たちが終戦の方針に従わない場合を危惧して、指導者たちは終戦の詔書を、天皇自身の声で直接伝えるしかないと考えます。・・・天皇が詔書を読み上げる声を、レコード盤に録音し、ラジオで流すことにしたのです。当初この玉音放送は14日の夜7時に予定されていました。しかし詔書完成に多くの時間が費やされたため明くる、15日の昼に延期されました。

 聖断から玉音放送にいたるまでのこの遅れが、さらに大きな悲劇を招きました。14日の昼からアメリカ軍が日本各地で大規模な空襲を行います。日本からポツダム宣言受諾の回答が来ないことに痺れを切らしたのです。深夜にかけて多くの街が炎に包まれ2500人を超える人々がこの空襲で亡くなりました。空襲映像。

「この遅れがさらに大きな悲劇を招きました。・・・痺れを切らしたのですこれが、NHKが意図した、この番組の眼目である。こまごま長々だらだらと、放送することにより、時間のかかりすぎを印象付け、難癖を付け決定を遅らせた愚かな軍人を印象付け、その間にも多くの人が死んだと、視聴者に連想させるようにした。

軍人を貶め軍人に責任転嫁、真犯人アメリカとのすり替えである。
洗脳された視聴者は、真犯人アメリカではなく、極悪軍人のために、多くの国民が犠牲になったと錯覚する。ほとんどの視聴者は、阿南がごねて遅らせたので、アメリカ軍が痺れを切らし、2500人を超える人々がこの空襲で殺された、2500人を殺したのは阿南だ、日本軍だと、錯覚する。空襲し虐殺したのはアメリカ軍「この遅れが」の日本軍や阿南ではない

8月10日朝、政府は連合軍に対して、国体護持の一条件が守られるという了解の下に、ポツダム宣言を受諾すると通告、その確認を求め、その連合国の回答が2日後12日未明、ラジオを通じて伝えられた。日本の回答が2日後8月14日午後11時、スイスを通じて受諾を通知。2日間である、遅れたとはいえない。

侵略者アメリカは、物を破壊する如くに、無抵抗の無辜の老若男女市民2500人以上を虐殺し、終戦交渉中の瀕死の日本を弄んだ。これが真実の報道だ。日本犯日凶会の意図丸見えである。

反面この番組は、緊迫の話し合いで決められ、戦前、天皇独裁は不可能を語って、余りあることを証明した。

悲劇は続きます。前線の兵士たちには、15日正午の玉音放送まで、終戦の決定が伏せられていたのです。玉音放送のわずか2時間前の午前10時ごろ、千葉と茨城の飛行場からは、航空機が次々と飛び立ちます。目標は房総沖に展開するアメリカ艦隊、飛び立ったのは最後まで国を護ろうとした特攻隊員でした。

終戦交渉中にもかかわらず、アメリカは前日、2500人を超える人々を空襲で殺した。戦時下である、他にどんな手段があったか、無い。NHKお馴染みの、無いものねだり。NHKは対案があれば出して、非難せよ。対案も無く偽善者をよそおい非難するな。侵略者アメリカは、今や史実だ。

8月15日午前5時、玉音放送の7時間前、陸軍大臣の阿南惟幾は、昭和天皇が居る皇居の方角に向かい割腹。遺書には次のように記されていました。血染めの遺書映像。「一死以て大罪を謝し奉る」戦争に勝てなかったことを、昭和天皇に対してわびたのです。

 ここでのNHKの意図は、昭和天皇個人への、個人崇拝の強調である。遺書全文は下記。あえてNHKは全文を読まなかった。

 天皇の上位、
神州「しんしゅう(日本の美称)」が書いてあるからだ。いにしえより日本国の最上位は神州「しんしゅう(神国。日本の美称)」で、天皇ではない。天皇も神州の臣である。天皇は神州の最上位の臣である。

 天皇は私人(独裁者)ではなく公人(
神州の使者)である、だから途絶えることなく続いた。天皇陛下万歳は神州万歳で、石原都知事が力説するような北朝鮮の個人崇拝ではない

 陸軍大臣阿南惟幾は昭和天皇個人に対してわびたのではなく、神州に敗戦をわび、殉国。神州「しんしゅう(日本の美称)」不滅確信○がその証だ。昭和天皇の記載無し

 NHKは「昭和天皇に対して
わびたのです」と印象操作。NHKは特に女性に恐怖を植え付けるため、血染めの遺書映像で、悲惨だを強調印象操作、貶めた。

一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル

昭和20年8月14日夜

陸軍大臣阿南惟幾

神州「しんしゅう(日本の美称)」不滅確信

外務大臣東郷茂徳、東郷は戦犯として・・・東京裁判で禁固20年の判決を受けます。一刻も早い終戦を目指し皇室を守ろうとした東郷。その彼が獄中で昭和天皇を思って詠んだ歌です。

すめろぎ(天皇)に、凡てを捧げまつらむと、定めし心、今も揺るがず。

ここでのNHKの意図も、昭和天皇個人崇拝の強調。東郷茂徳も「個人」ではなく、「皇室(神州の使者の職)を守ろうとした」。もちろんすめろぎ(天皇)は、昭和天皇ではなく、公人(神州の使者)であり、延いては神州、日本である。昭和天皇個人巧妙に印象操作

 「一刻も早い終戦を目指し」と強調し、阿南と東郷を対立させ、軍人を貶めた。NHKは保身のために、なんとしてでも天皇を独裁者にし、軍人を貶めたいのだ。NHKの意図丸見え。

内大臣木戸幸一は終戦の年、昭和20年12月、皇室の今後を案じて昭和天皇に下記のように語ったと、後の日記に記している。

「このたびの敗戦については、責任をおとり遊ばされ、御退位遊ばされるが、至当なりと思う。若(も)しかくの如くせざれば、皇室丈(だけ)が遂に責任をおとりにならぬことになり、永久の禍根となるに、あらざるやを虞(おそ)れる」木戸幸一日記

天皇は無答責を力説した内大臣木戸幸一の迎合文を引用し、天皇を貶めるための詐欺師の手口巧妙な印象操作、敗戦を引責しての退位論(艱難辛苦からの逃避)である。

上記のように、
民主党菅直人「天皇陛下、敗戦時に退位しケジメつけるべきだった」天皇退位論や、石原都知事などの天皇非難論があるが、天皇の責任はすべて定法に従い政府東條英機や臣が受けて殉国者となった。天皇は無答責覆し退位などして逃避し、天皇も責任を負えば、東條英機や臣の殉死は即刻無駄死犬死となる。

天皇の身代わりとなった東條英機や臣が
願ったように、天皇は以後も苦難から逃げず、「公」に殉じ、臣の願いに呼応し、日本の柱となり国民と共に苦難の道を歩み、公人(神州の使者)の務めを全うし、復興を成し遂げた。これはまぎれもない戦後の事実だ。

後編帝国最大の屈辱の日なり~9月2日降伏文書調印

このポツダム宣言には、日本軍の無条件降伏、そして連合国の日本占領、更に軍国主義の除去、民主主義の確立など、敗戦国の日本が受け入れなければならない条件が列挙されていました。

日本軍の無条件降伏」とナレーションだが、映像は「無条件降伏」の文字強調映像。「日本が無条件降伏」と錯覚する。「日本は条件を受諾有条件降伏」。

連合国と美称されているが実態は、世界征服連合国(宗主国とソ連とその傀儡)である。連合国と呼称すると、正義の連合国と錯覚する。

日本が軍国主義でレジスタンスの衣を纏ったのは、世界が戦国時代なので対応しただけである。戦前も独裁国家ではなく、民意反映の民主主義国家であった。

国体護持。「国体」とはそもそも大日本帝国憲法で統治権者と定められている天皇が政治軍事などさまざまな権限行使する国のあり方です。天皇との大集合写真映像。

前述したが、NHK再度の映像なので再度記す。天皇は政府決定事項に対して、裁可を下す存在で、命令する存在ではない。その裁可については、責任は政府が負うと定められ、天皇は無答責、つまり責任を負わない立場。つまり天皇が政治軍事などさまざまな権限行使することは不可なのに、「権限行使する」と、あたかも独裁者のように印象操作独裁者を守る国体護持と洗脳。

天皇との大集合写真映像が印象を加勢以後視聴者は、国体とは、政治軍事などさまざまな権限行使する独裁者天皇を守ると、錯覚、愚民化日本犯日凶会の詐欺師の手口作為丸見え

戦争中将兵たちは、敵に降伏するぐらいなら死を選べと叩き込まれていました。生きて虜囚の辱を受けず。軍隊手帳戦陣訓の映像。
「最後まで屈せず戦え」は古今東西万国共通の戦う兵士や、スポーツ選手の奮起を促す建前、標語、スローガン、合言葉。

どこの世界に兵士や選手に、戦わず降伏しろと教えるところが有ろうか。
死を選べ、は、一生懸命頑張れという奮起を促す建前の、極限表現。「死んでも・・・。死んだつもりで・・・。命に代えても・・・。負けたら帰ってくるな」などと使われている。

奮起を促す建前の極限表現を、あたかも軍法であるかのように報道。視聴者は軍法のように錯覚する。軍人勅諭にも軍法にも降伏禁止の記載無し

 戦陣は軍法(法律)ではなく訓え、道徳。虜囚の意味は、日本国が捕まえた敵の捕えた人で、この場合は囚人。「生きてるときは囚人となるような汚名を残すな」という訓え

訓えを軍法(法律)であるかのように捏造報道。捏造報道で戦後の辞書まで意味が真反対に変化。戦前の辞書に捕まえられて捕虜になる、受動の意味皆無。詐欺師の印象操作。詳細は当ブログ内 戦陣訓・・・辞書が捏造と断定へ

そんな将兵たちに降伏を納得させるため軍部は、天皇の名において次のような異例の命令を発します。

「大陸命」日本の軍人軍属は今後敵軍に投降したとしても彼らを俘虜と認めないこと。武器の引渡しなど、敵の指示に従う行動を取っても、降伏したとは認めない事。こうして彼らを負けた者として扱わないと、あえて宣言することで、将兵たちを武装解除に応じさせたのです。

異例の命令としたのは「敵に降伏するぐらいなら死を選べと叩き込まれていました」の強調語。異例の命令などではなく、終戦なので陸海軍刑法を解除しただけ。詐欺師の巧妙な印象操作

詳細は陸軍刑法クリック
第三章 辱職の罪

第40条司令官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵二降リ又ハ要塞「ようさい(とりで)」ヲ敵二委(まか)シタルトキハ死刑ニ処ス・・・

第七章 逃亡の罪第75条個人又は第76条集団への罰則)

第75条 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役二就カサル者ハ左ノ区別二従テ処断ス・・・

詳細は海軍刑法クリック
第三章 辱職の罪

第35条 指揮官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵ニ降リ又ハ其ノ艦船若ハ守所ヲ敵ニ委シタルトキハ死刑ニ処ス・・・

第七章 逃亡の罪第73条個人、又は第74条集団への罰則)

第73条 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役ニ就カサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス・・・

・・・世に言う一億総懺悔。東久邇宮はなぜ、連合国軍が進駐を始めたこの日に、国民に総懺悔を訴えたの

一億総懺悔はこの日進駐の連合国軍へ、リップサービスしたに過ぎないNHKが欲しがる他意など皆無。以下同様の軍人貶め言なので、省略。

1945(昭和20)年9月2日重光葵、梅津美治郎、降伏文書調印。

あの戦争については今なお、国内でもアジアの国々との間でも、歴史認識をめぐる議論が続いています。こうしたさまざまな議論に、まだ結論は見えていません、その判断は、日本人一人一人の価値観にゆだねられたままです

ディレクター久保暢之猪俣修一、制作統括、渡辺圭愚民化洗脳者。63年経ても保身のため、このようにNHKは情報操作、日本の国民を混乱の坩堝に蹴落とし、「その判断は、日本人一人一人の価値観にゆだねられたままです」とは、なんとも白々しい国民を愚弄した話だ。

保身のため、嘘の上塗りを63年間も繰り返し国民を騙し、極悪軍にし、料金を搾取、63年経た今も詐欺し続けるNHK。
日本レジスタンス史隠蔽情報操作、極悪軍に洗脳したのはNHK日本犯日凶会だ。全編護国軍人愚弄に終始、侵略者の原爆空襲非難無き日本洗脳犯日凶会、九諜の、諜匪新聞、売日新聞、凶惨党、詐民党。捏造工作員や詐欺団、こんな巣窟は子孫に残せない。残せば日本亡国は必然。

NHK捏造証明する、降伏文書に調印した重光葵昭和61年発見の手記「・・・昨日迄軍閥の機関であった新聞は、挙げて過去を清算し、掌を翻すが如く占領軍を謳歌し、軍部及び過去の指導者を攻撃し始めた。他人を攻撃し又は誣(し)ゆることは自分を擁護し、自分の責任を軽くするものと早合点した。終戦直後の昨今の状況ほど情けない日本の姿は又とあるまい」 


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ 
 

真実史観上極悪NHK洗脳捏造子孫ポーランド歴史ワルシャワ不屈復興世界遺産子孫へ


日本とポーランド余りに異なる戦後の歴史
 現実界の捏造は、必滅。子孫のために残してはいけない捏造情報操作集団犯日団。日本洗脳犯日凶会(NHK)、諜匪新聞(朝日)、売日新聞(毎日)、凶惨党(共産党)(カルト凶産教団)、邪民党(社民党)、愚条の害(九条の会)などの仮想現実界捏造情報操作集団犯日団は、ただいま捏造情報操作報道まい進中。

 ポーランドと日本は、大国の狭間の小国で酷似する。しかし歴史は、大きく異なる。五回のポーランド分割にも屈せず、復活し続けた不屈復興の歴史である。日本はただ一度の敗戦で、御覧の有様だ。余りにも対比が際立つ。ポーランドが親日なのは、戦前の日本(唯心時代)に対してで、現在の日本(唯物時代)ではない。他の親日国も同様である。ポーランド親日の背景は、当ブログ「1シベリア難民の孤児救出・・・」参照

 1980年ポーランドのワルシャワ歴史地区(Historic Centre of Warsaw)は世界遺産(文化 遺産)に登録された。半世紀の歴史しか経っていない復元(イミテーション)遺跡、換言すればテーマパークが、なぜ世界遺産に登録されたのか?

 ポーランドの首都・ワルシャワは、ショパン、キュリー夫人を生んだ。14世紀から19世紀までは「北のパリ」と呼ばれた、歴史の都であった。五回も国土が隣国に分割された消滅と復活の歴史、ポーランドの歴史を旅して、現代の日本と比べてみよう。

ポーランド不屈復興の歴史
 10世紀にポーランド公国として世界に認知された。14世紀の西欧のペスト大流行。ペスト流行の犯人というデマで特にドイツで迫害されたユダヤ人が、ポーランド王国に多数、移住してきた。以後、移住続き、ポーランド王国は世界で最もユダヤ系住民の多い国家となった。寛容的な民族を物語っている。

1385年ポーランド女王ヤドヴィガと、リトアニアの大公ヤギェウォが結婚し、ポーランド王国とリトアニア大公国は、人的同君連合と呼ばれる緩やかな国家連合、ポーランド=リトアニア連合となった。

1399年にヤドヴィガ女王が没するとヤギェウォがポーランド王に即位し、以後ヤギェウォ朝がポーランドを統治した。

1410年、ポーランド=リトアニア連合は、グルンヴァルトの戦いでドイツ騎士団を討ち、ドイツ騎士団領を得た。

1414年から開催されたコンスタンツ公会議ではグルンヴァルトの戦いの戦後処理。当時異教徒リトアニアとキリスト教国ポーランド王国が同盟し、キリスト教徒のドイツ騎士団と戦争をしたことが大問題となった。ドイツ騎士団の主張「異教徒と同盟して同じキリスト教徒のドイツ騎士団を討伐したポーランドの行動は罪。同罪によって、ポーランド人は地上から消えるべきである」。
 ポーランド全権委員パヴェウ・ヴウォトコヴィツの明快な主張「異教徒リトアニア人もわれわれキリスト教徒も、全く同じ人間である。自らの国家を持つ権利(国家主権)、生きる権利(自衛権、生存権)、私物の権利(財産権)は誕生すれば誰でも得られる自然権である。しかるに、リトアニア人の権利行使、自衛する(自衛権)は、正当」。「自然権」世界で初めての提唱。

1430年にリトアニア大公のヴィトルトが没すると、ポーランド王国の支配下に入り、全てのリトアニア貴族はポーランド語とポーランドの習慣を身につけてポーランド化していった。

1569年、ポーランドはリトアニアを併合。ポーランド王を統一君主とする「ポーランド=リトアニア連合王国」となり、欧州最強最大の国家として君臨した。以後ポーランド=リトアニア連合王国は単に「ポーランド」とだけ呼ばれることも多くなった。

1572年、ヤギェウォ朝の唯一の男子、時の国王ジグムント2世が男系を残さずに没し、ヤギェウォ家の「男系」の血筋断絶。以後ポーランド=リトアニア連合王国は、全てのポーランド貴族参加の選挙で国王を選出する「選挙王政」を採択、貴族共和国となった。ポーランド貴族の人数は常に人口の1割を超えておりその全てに平等の選挙権が与えられた。

1592年、ポーランド=リトアニア連合王国は、スウェーデン王国と同君連合となった。

1599年にスウェーデン王位を剥奪され、ポーランド=スウェーデン同君連合は解消した。

その後たび重なる戦争(ポーランド・スウェーデン戦争)大洪水時代により、ポーランド=リトアニア連合王国の財政は急速に疲弊していった。

1772年第一次ポーランド分割。プロイセン・オーストリア・ロシアの3国によって分割された。

1791年、王はヨーロッパ初の成文憲法案を提出し、議会はこれを可決(5月3日憲法)。この憲法によって王権の世襲制とともに、世界初の立憲君主制が誕生。ポーランド=リトアニア連合王国は単一国家の「ポーランド王国」となった。

1793年、ポーランド=ロシア戦争。プロイセンはロシアと共に第二次ポーランド分割を行った。

1793-94年、ポーランドの愛国者コシューシコは、義勇軍を結成してロシア軍と戦ったが敗れた(コシチューシュコ蜂起)。

1795年、プロイセン・オーストリア・ロシアの3国、第三次ポーランド分割。ポーランドは残った領土をすべて奪いつくされて完全に消滅滅亡

1807年、ナポレオン戦争でポーランドはワルシャワ公国として再び独立。

1815年ナポレオンの失脚。ウィーン会議によって、ワルシャワ公国解体、第四次ポーランド分割。ロシア皇帝が元首の、ポーランド立憲王国となった。ロシアに征服された。

1830年、ロシア帝国からの独立を目指して「十一月蜂起」。がしかし、翌年鎮圧された。

1856年にロシア帝国がクリミア戦争に敗れて国力が弱体化すると、これを機にポーランド・リトアニア連合王国の復活を目指す人々が結集した。

1863年、旧ポーランド王国領と、旧リトアニア大公国領で同時に「一月蜂起」を決起したが、鎮圧された。数百人のポーランド貴族が絞首刑にされ、十数万人がシベリアのイルクーツクなどに流刑となった。

1871年からの、抑圧政策。すべてのカトリック教徒対象のビスマルクの文化闘争による、ポーランド人抑圧政策。この抑圧に対するポーランド人の抵抗は頑強で、抑圧に対してはポーランド文化をもって徹底抵抗した。抑圧政策により、さらにポーランド人の「連帯」とカトリック信仰は堅固なものになった。

1916年、第一次世界大戦の最中にドイツ帝国によってその衛星国としてのポーランド王国が建国された。

1918年に第一次世界大戦が終結すると、1919年ヴェルサイユ条約の民族自決の原則により、ドイツ帝国とソビエト連邦から領土が割譲され、ユゼフ・ピウスツキを国家元首として共和制のポーランド国家として再生した。

 ヴェルサイユ条約の民族自決の原則「一国家における少数民族の自決」アメリカのT.Wウイルソン大統領が唱えたが、これはドイツとソ連の影響が拡大しつつあった東欧諸国と、バルト三国の独立を支援する目的と、ドイツ食民治の割譲が目的であったため、戦国時代は更に加勢し継続、後のWW2、大東亜戦争の世界大戦となった。

1939年ポーランド侵攻ポーランド滅亡カティンの森虐殺
1939年8月23日、ナチス・ドイツとソ連が締結した期限10年の、独ソ不可侵条約の条項によって、国土は再び分割された。第五次ポーランド分割。
1939年9月1日、ポーランド軍陣地への砲撃を手始めにドイツ軍、9月17日にはソ連軍が東部国境を越えてポーランド侵攻を開始し、ポーランドをドイツ、ソ連で分割占領した。政府は降伏を余儀なくされ、ワルシャワはナチス・ドイツの占領下におかれた。市内居住のユダヤ人はワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人居住区)へ集められ、1942年移送。

 この時ソ連に武装解除されたポーランド軍は4万7千人、このうち少尉以上の将校5230人は集められてカティンの森へ送られ、そこで掘られた穴の脇に目隠しをされたまま座らされ後頭部に銃弾を打たれ殺された。死体は穴に蹴落とされ埋められた。残りの兵士たちは、シベリア送りとなった。

 こうしてスターリンはポーランドをソ連領とする際に邪魔となる者を虐殺した。スターリンによって間引かれたのは将校ばかりではなかった。高級公務員、教員、弁護士そして貴族などのインテリ階級もその削除対象リストに載った。発見された日記から1940年5月と判明、2万2千人が虐殺された。

 1943年ドイツ軍が白ロシアに進軍の際、スモレンスク郊外に在るカティンの森で大量の跡を発見、直ちにジュネーブの国際赤十字に報告した。国際赤十字による査察が入り、八千人を超える死体が掘り起こされた。

 戦後も、ソ連占領下のポーランドでは、カティンの森に言及するのはタブーとされ、独立する1989年まで、誰もがタブーであった。ソ連崩壊後、1992年証拠が発見され、認めた。カチィンの森虐殺・命ある人を物体と認識し破壊する情無き機械人間、正に唯物思考凶産主義だ。

1941年6月ドイツ軍ソ連侵入。独ソ不可侵条約破棄。

ワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人街)蜂起
1943年4月19日に親衛隊少将ユルゲン・シュトロープによるゲットー解体で、ユダヤ人は国内の絶滅収容所に送られた。強制収容所行きが死を意味することに気付いたユダヤ人(老人女子供全て)が、強制収容所での確実な死より、助かる微かな望みをか懸けて、武装蜂起した。
 4月19日~5月16日の武装蜂起である。ポーランド国内軍は4月19日から4月23日までの間、塀の外のあちこちでゲットーに侵入する試みでドイツ軍と交戦を行なった。パルチザンと指揮系統の一部はポーランドの支援の下、運河を通り脱出した。ミワ18番地の指揮所、そこで残った指揮官と100人以上のユダヤ人(老人女子供全て)は、集団自殺した。

 7千人のユダヤ人が戦死し、6千人が防空壕の中で焼死し、残った5万人は絶滅収容所に送られ、虐殺された。

 ナチス(食民治主義)もソ連(凶産主義)も米国(食民治主義)も、人間を物として扱った唯物時代、ポーランドは、者(人間)として対処し、14世紀迫害されたユダヤ人難民を受け入れ、今度また助けた。日本も、者(人間)として対処し、ポーランドシベリヤ難民孤児や、ユダヤ人を助けた。殺し合いの時代、両国の観点は世俗(宗教や民族)を超越し、一つの高みにある。子孫はこのことを、心に深く刻印すべきだ。

 ワルシャワ・ゲットー蜂起において生き延びたユダヤ人(100人ほど)が、後のワルシャワ蜂起において、国内軍や人民軍の一員として戦った

1943年の冬、ドイツはスターリングラード(現在はカリングラード)攻防戦で十五万人の死者、そして十万人もの捕虜を取られてソ連に完敗。

1944年7月23日には、第二白ロシア軍団ソ連が、首都ワルシャワの真中を流れるビスワ川西岸付近にまで侵攻して来た。

ワルシャワ蜂起

1944年ソ連軍に追われたドイツ軍は、ボロボロの姿でワルシャワを次々と撤退。ワルシャワ残留部隊も七月末には四千人を数えるほどに激減した。ポーランド人の誰もが「遂に勝機が訪れた」と確信した。更にソ連軍が、ワルシャワの南百キロのブラービで、ビスワ川渡河成功の情報は、ポーランド国内軍を大いに力づけた。このような情況の中で7月29日、モスクワ・ラジオ放送はポーランド人の決起を促す放送を流した。「これまで決して降伏せずに名誉ある戦いを続けてきたポーランド人同胞に告ぐ、いよいよ行動のときが来た。決起せよ、勝利を自らの手で掴め」

 この放送を、ソ連蜂起支援と理解した国内軍は、八月一日をもって全軍で蜂起することを決定した。4千名の婦人も参戦、動員数総勢5万人。更に十代前半の沢山の少年少女たちは、拠点間の連絡係り伝令として参戦した。

 ところが手薄となったはずのドイツ軍は、東部戦線建て直しの拠点となるの死守が、新たな参謀方針として発令され、7月26日から29日の4日間で強力に補強されていた。重火器装備の精鋭十万人の強力な軍団に変貌していたのだ。

 ワルシャワ国内軍も、情勢は掴んでいた。しかし、29日のモスクワ放送を、「国内軍の蜂起待ちで、それを合図にソ連軍加勢」と信じ、追い風と読んだ。

1944年8月1日午後2時頃に約5万人の国内軍は蜂起した。蜂起軍は橋、官庁、駅、ドイツ軍の兵舎、補給所を襲撃する。当初数人に一人しか銃が無いという状態を脱し、奪ったドイツ軍の小火器、軍服が国内軍兵士に支給され、装備面で改善が見られた。これにより、敵味方が同じ軍服を着用するため、国内軍兵士はポーランド国旗の腕章を着用し、識別を行った。さらに多くの市民が国内軍に参加、協力をして、ドイツ軍の反撃に備えバリケードを築いた。

 ドイツ攻撃部隊にはカミンスキー旅団やSS特別連隊ディルレヴァンガー といった素行の悪さで有名な部隊が加わっており、これらの部隊の兵士たちは戦闘より略奪や暴行、虐殺に励んだ。このことはワルシャワ市民と国内軍の結束を一層強め、戦意を高揚させた。

 特に悪名高いのはカミンスキー部隊であった。それはバルバロッサ作戦でドイツ軍がソ連に侵攻した時に、ドイツ軍に協力した地元の反共ウクライナ人たちで組織された、ドイツ軍の制服をまとったウクライナ人部隊であった。

彼らはドイツ軍と共にウクライナから撤退し、以降はドイツ軍の中に組み入れられて戦った。祖国を裏切って外地で転戦する彼らの屈折した心情は、民間人への度を超えた残虐な行為となって、ドイツ軍の撤退する途中の各地で蛮行を繰り返し、ポーランド人たちに恐れられていた。その彼らが無防備となったマリア・スクワドロフスカ記念病院へと突入してきたのだ。獣と化した彼らは戦闘のことなどほっぽりだして、病院内で残虐の限りを尽くして暴れまわり、殺戮は一時間も続いた。

始めに医者が一個所に集められて、一度に銃殺された。その次には若い看護婦やアシスタントとして働いていた女性達が探し出されてあちこちで暴行を受け、その後で殺された。最後に、病床で動けずにいた負傷者達が一人また一人と、端から順番になぶられるようにして撃ち殺されていった。

 8月27日、あまりにも目に余るカミンスキー旅団の残虐行為に、ドイツハインリヒ・ヒムラーは司令部に対し、カミンスキーの処刑を許可した。カミンスキーは逃亡を図るが、逮捕されて処刑された。カミンスキー旅団はワルシャワから撤退し、解散した。

 ドイツ軍は重火器、戦車、火炎放射器など圧倒的な火力の差で徐々に蜂起軍を追いつめていった。ワルシャワ蜂起は時間が経つにつれていよいよ絶望的な状況となっていった。旧市街地に残って抵抗を続けていた蜂起軍本部では既に弾薬と食料が尽き果てていた。

 多くの生き残り部隊が下水道を通って旧市街の外への脱出を計ったが、上から待ち構えるドイツ軍にマンホールから毒ガスを落とされたり、火炎放射器を浴びせられて丸焼きとされたりで、無事に脱出できたのはたったの二千五百人に過ぎなかった。逃げる途中で見つかり、降伏勧告を受け入れて手を上げてマンホールから出てきた兵士たちは、全員が下水道から出終わった後で、壁に向かって並ばされて機関銃で一斉射撃を受けて殺された。

 8月31日には、国内軍は分断された北側の解放区を放棄し、地下水道を使って南側の解放区に脱出した。

9月末には蜂起軍はほぼ潰滅する。 食料と弾薬の補給の見込みも無く、組織的な抵抗も出来なくなった旧市街本部の蜂起軍は九月三日、ついに降伏した。

 ワルシャワでの戦いは旧市街の北西部ジョリボシ地区、南部のモコトフ地区でまだ続いていたが、旧市街の本部以外では装備も貧弱な部隊しかなく、小銃ですら一人一丁も携えていなかったほどだ。少ない銃弾を大切に使い、いろいろな構造物の陰から一撃必殺でドイツ軍兵士を狙撃する国内軍に対し、ドイツ軍はそうした拠点を重火器で砲撃しながら、なぶり殺しにするような残忍さで、一つまた一つつぶしていった。戦いの後にはレンガとコンクリートの瓦礫の山だけが残った。

 ワルシャワの建物は口径60センチの雷神砲とユンカース機の降下爆撃、そして戦車砲弾で多くの民間人の命とともに徹底的に破壊つくされた。

 八月一日から始まったワルシャワ蜂起は、十月三日に蜂起軍が正式に降伏して終結した。同盟国であるイギリスやアメリカから遂に援軍は来ず、ソ連にはまたしても裏切られ、孤立無援の中で精一杯戦った末での敗北であった。ソビエトはイギリスやアメリカの航空機に対する飛行場での再補給や、西側連合国による反乱軍の航空支援に対し同意せず、質・量に勝るドイツ軍に圧倒され、蜂起は失敗に終わった。

 蜂起軍はポーランド国歌「ポーランド未だ滅びず」を歌いながら最後まで武器を手に列を作って行進し、降伏した。

 その後、ナチス・ドイツ軍による復讐攻撃によりワルシャワは徹底して破壊された、蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス市民約22万人が戦死処刑で、死亡したと伝えられている。

  当時対岸にいたソ連同盟軍は、蜂起軍を助けなかった。「ポーランドを解放したのは自分たち」というプロパガンダのためと、占領に、愛国者は邪魔なので、ソ連はワルシャワ蜂起軍を見殺しにした。正に凶産は唯物である。

 ソ連軍は1945年1月に入ってようやく進撃を再開し、1月17日に廃墟と化したワルシャワに入城した。

 対岸のソ連駐屯地からビエスワ側の西岸の様子は十分に見える。兵士、多くの民間人、子供、男女の別なく皆、死に物狂いで戦って死んでいる。同胞達のそうした状況を黙ってみていることができず、ソ連の指揮下にあったポーランド人民軍も命令を無視、蜂起軍に加わって戦った。入城したソ連軍の探索。蜂起軍兵士の生き残りと同じ運命が待っていた、士官は銃殺、一般兵士はシベリア強制労働キャンプへと送られた。

 さらにソ連軍はレジスタンス幹部も逮捕し、自由主義政権の芽を完全に摘み取った。ソ連が、同じ連合軍側のメンバーであるポーランド人に対してとった仕打ちである。凶産主義の正体を語って余りある。生き残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、ソ連軍進駐後は、裏切ったソ連を攻撃目標とするようになった。共産政府樹立後も、要人暗殺未遂など混乱が続いた。

ワルシャワ市民蜂起の代償

蜂起軍軍人の戦死者1万6千人、負傷者 6千人

蜂起軍と一般市民の死者 20万人 (当時のワルシャワ市の人口は100万人10人に二人の戦死

ワルシャワ全都市の建物、八十四%が瓦礫の山と化す。完全に滅びた。残った建物はたったの6軒

 後に西のヒロシマ・ナガサキとも称される、悲惨を極めたワルシャワ蜂起の結末である。負傷者に比べて死者の割合が圧倒的に多いが、これはドイツ軍が徹底的な無差別皆殺し作戦を実行した結果である。ドイツ軍は兵士、一般市民の見境無しに徹底的にポーランド人を殺戮した。以前以後このように高い死亡率、民間人被害率は皆無。

 犯日団に洗脳された沖縄県民よ、ポーランド蜂起軍やゲットー蜂起軍を、日本軍同様極悪軍と思うか。軍命戦陣訓など無くとも、侵略者に対して、家族一丸、街一丸、島一丸、国一丸自らの意思で戦うのは道理。蟻でも蜂でも生命体は侵略者に対して、適者生存をかけて一丸と化し戦うのは、古今東西世の習いで、生命体の史実だ。沖縄島の戦いは、侵略者に対してのワルシャワ蜂起ゲットー蜂起と同じ、沖縄蜂起だ。ワルシャワは、戦死者の心を世界遺跡として、子孫へ残した。沖縄は、軍命で自決した愚民と愚弄し、子孫へ残すのか。覚醒せよ、沖縄県民下巻につづく

真実史観下ポーランド歴史ワルシャワ蜂起の心世界遺産へNHK捏造洗脳子孫愚民化

モンテ・カシノの赤い芥子(チェルボーネ・マキ・ナ・モンテカシノ)

 アンデルス部隊を一躍有名にしたモンテ・カシノ修道院での攻防戦。ナチスの進行で苦境にたったスターリンは、ナチス戦線へ投入のため、東ポーランド侵攻時の捕虜を開放し、赤化したポーランド人アンデルスを将軍にし、赤軍ポーランド部隊を編制、派兵した。ところが、ロシアを脱出しイギリス軍へ合流し。以後ロンドンに本部を置き、連合軍の一員として各地を転戦した。

 1944年イタリアローマ南東の丘に建つモンテ・カシノ修道院では、そこに強力な陣地を布陣して立てこもるドイツ軍と、それを攻める連合軍との間で激烈な戦闘が行われていた。連合軍の先頭に立って奮戦していたのは、アンデルス将軍率いる亡命ポーランド部隊だった。モンテ・カシノ修道院は山頂にあって、裾野には初夏ともなると、ケシの花が咲いて辺り一面が真っ赤に変わる野原の中の小高い丘の一角に建てられていた。

 アンデルス部隊は甚大な犠牲を払い、ドイツ軍戦略上の重要拠点モンテ・カシノ修道院を、激戦の末5月18日、攻略した。攻防戦で流されたポーランド人兵士達の血が余りに多かったため、戦闘後裾野は、ケシの花が咲いたように真っ赤に染まったという。勇敢な彼らの戦いぶりとその甚大な犠牲は、「モンテ・カシノに咲いた赤いケシの花」という歌となり、戦後も歌い継がれて、ソ連占領下での人々の心の支えとなった。

 この歌い継がれし歌は、舞踏曲ではない。「モンテ・カシノの赤いケシ(チェルボーネ・マキ・ナ・モンテカシノ)」「♪山の上の修道院、そこには敵がいる・・・退くな兵士よ自由をかちとるため」が流れると皆席に戻り、聞き入る。当時の同胞が祖国に懸けた熱き想い。それをそれぞれが想いを巡らすために、演奏されるのだという。

 ポーランドのアンジェイ・ワイダ作品「灰とダイヤモンド」(1958年作品)。主人公らが、かつて共に歌った進軍の歌「モンテカシノの赤い芥子」がショーの中で演奏される場面あり。

カンピノスキの森カンピノスキ国立公園

 ワルシャワ蜂起の知らせ受け取ったロンドンにある連合軍本部では、武器や医薬品などの補給物資を蜂起軍へ送るべく懸命の努力をしていた。

 飛行機を飛ばすには、ドイツ軍の管制下にあるポーランド西部を迂回して東側からワルシャワへ向かうしかない。しかしそうするにはソ連軍占領地の上空を飛行しなければならないが、スターリンが断固としてその許可要請を撥ね付けていた。従ってイギリス軍の補給飛行部隊は、ドイツ飛行部隊に気付かれないよう、できる限り高度を上げながらスエーデン方向からまっすぐ南ワルシャワへと直行し、急激に高度を下げてごく短時間のうちに荷物をパラシュートで落とした。

 そのため目的地へ無事降下できる確率が落ち、補給物資の大半は、ワルシャワ北西に広がるワルシャワ市内の面積の約3倍強もある広大な森、カンピノスキの森に落ちた。ここに落ちた物資をドイツ軍の目を盗みながら集めるのは、十二歳から十五歳までの少年少女達で結成された国内軍少年部隊の任務であった。戦い後半のこの任務は気付かれ、待ち伏せされ、物資を見つける前に射殺される少年少女達が増えた。

 この森で命を落としたのはこうした若い少年少女たちばかりではない。戦争が始まって間もない頃、ゲシュタポによってポーランド中から集められた知識人たち二千二百人が銃殺されたのもこの森だ。ナチスはポーランド人をドイツ人の為に労働で奉仕するために存在価値がある二等国民と定義し、大学教授などの知識人たちは、ポーランド人に似つかわしくないという理由だけで、抹殺されたのである。

 平和な時代を迎え、このカンピノスキの森は広大な自然公園、カンピノスキ国立公園となった。あまり手を加えない自然のままの公園の一角には、無名戦死の墓がある。無名戦死の墓、門前の碑文。

”Latwo jest mowic O POLSCE.

  Trudniej dla nije PRACOWACjeszcze trudniej UMRZEC,

  a najtrudniej CIERPIEC.”

「ポーランドについて語る事は容易い。

(人がポーランドについて悲惨だ、悲惨だと悲惨な歴史を語ることはたやすい)

働く事は難しい。さらに難しいのは死ぬ事だ。

(ポーランドの為に働く事は難しい。さらに難しいのは殉国者となることだ)

最も難しいのは耐える事だ

(最も難しいのはポーランド独立と言う大義の為に、今の屈辱をじっと耐え忍ぶことだ)

 

 この大戦でポーランドは六百三万人もの人命を失い、国民の十人に二人が殺されるという、連合国中で最大の犠牲を払った。

 やっと戦争に勝利したはずだった。なのになんと、大戦初期にドイツと手を組み、祖国を分割したソ連、プロパガンダのため「ワルシャワ蜂起」を裏切り、対岸で高みの見物で見殺しにしたソ連の、食民治支配を受けることになってしまったのだ。

 この記念碑の終章の一句には、ほとばしりうめく、愛国の屈辱がある。耐え難い、しかし大義のために耐え、独立しよう。ポーランドの熱き思いを語って余りある。

 日本の、軍人極悪を叫ぶ犯日団よ、戦国時代での、台湾朝鮮パラオ満州、日本の統治を学んでから、批判しろ。

バルバカン外壁にたつ少年蜂起兵の像 

 バルバカン外壁に建つ少年蜂起兵の像。最大の激戦地だった旧市街の西の外に静かに建てられてある。ワルシャワ蜂起で大人たちに混じって武器を取って戦い、そして死んでいった多くの少年少女たちを慰霊する記念碑。ワルシャワ市民蜂起では、10代以下の少年・少女も、手に手に武器を取り、ドイツ軍に立ち向かった。 ちいさな体が、重く大きな銃を下げている姿がなんとも痛ましく涙を誘う。NHK朝日毎日犯日団は、子供を巻き添えにした極悪ワルシャワ市民軍と、この像をみても、面罵するのか。軍命、戦陣訓無くとも、侵略者に対して、蟻一丸、一丸、家族一丸、街一丸、島一丸、国一丸、ユダヤ人一丸ワルシャワ市民一丸、自らの意思で戦ったのは史実。適者生存を戦い生き残ったから、今がある。当然の常識だ。沖縄王朝の歴史でもそうだった。日本の歴史もそうである。それを我が日本では、犯日団が、軍命で自決と軍に責任転嫁、戦死者(老若男女)を軍命で死んだ馬鹿者呼ばわり、軍命下したと軍罵倒に大騒ぎ、一億総白痴だ。十三、ワルシャワ蜂起←少年起兵の画像と像 

ワルシャワ蜂起以後 

 その後、ドイツ軍による懲罰的攻撃でワルシャワは徹底的に破壊された。蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス市民約22万人が、戦死や処刑で虐殺された。

 ソ連軍はようやく63日ぶりに進撃を再開、1945年1月17日に廃墟と化したワルシャワに入城し占領。ところが味方のはずのソ連軍は、なんとレジスタンス幹部を逮捕し始めたのだ。自由主義の芽を完全に摘み取り、凶産化のための、赤化戦争開始したのだ。以後残った少数のレジスタンスは地下水道に逃げ込み、裏切ったソ連を攻撃目標とするようになった。共産政府樹立後も、要人暗殺未遂など、止むことはなかった。

1949年1月ソ連と東ヨーロッパの共産圏で、西側のマーシャル=プランに対抗するものとして設立されたコメコン(経済協力機構)に参加。社会主義国となって東西冷戦に巻き込まれた。

1952年共産党政権。ソ連の衛星国。

1979年6月にポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が故国ポーランドを訪れ、国民に熱狂的に迎えられた。これがポーランドの民主化運動、東欧全体の民主化運動の決定的引き金となった。

1980年9月17日には独立自主管理労働組合「連帯」が結成。

1988年、ワルシャワ市民蜂起45周年を記念し、クラシンスキ広場(pl. Krasiński) にワルシャワ蜂起記念碑が建てられた。旧市街広場から徒歩5分、まさに45年前に蜂起軍が武器を捨て投降した場所。

1989年、民主化が完全に実現し、自由選挙が行われ、凶産主義政権は衰退した。非共産党政権誕生。ポーランド共和国に国名変更。 

 

「すべては未来のために」復興運動のひとりの指導者(建築家)が残した言葉 

 ワルシャワは中央マゾフシェ低地にあり、平均海抜はおよそ100mである。市内にはいくつかの丘があるがその多くは人工的に築かれたものである。街の起源は意外と新しく、13世紀ごろまでは寒村に過ぎなかったがポーランド王国に編入され繁栄した 。1611年に正式にポーランドの首都となり、以来、「北のパリ」として発展を遂げる。独立を喪失してから、ワルシャワは幾度となく民族運動、レジスタンス活動の中心地となった。ワルシャワはポーランドの苦難の歴史を見守ってきた街なのだ。 

 「ワルシャワ蜂起」敗戦。ナチス・ドイツ軍による復讐攻撃によりワルシャワは徹底して破壊され、完全に滅びた。残った建物はたったの6軒。忽然と消え、瓦礫と化したワルシャワの街。度重なる亡国にも屈せず復活し独立したポーランド、ワルシャワは、不屈の象徴である。ポーランド人にとってワルシャワ蜂起は子供達に伝えたい、不屈の歴史である。世界遺産に登録されている旧市街は、そのときの、市民最後の抵抗拠点である。 

 「すべては未来のために」。1953年から始まる修復事業の陣頭指揮をとった、建築家「ヤン・ザフファトヴィッチ」ワルシャワ工科大学(建築学部)の言葉である。この言葉が心を一つにした。生き残った人々は、死んでいった家族や友人の記憶を胸に、「ワルシャワ復興」に、立ち上がり、「ワルシャワ蜂起」の報復として8割方破壊された歴史地区(ヴィスワ川西岸)の復興が、ワルシャワ工科大学(建築学部)指導の下に、住民の熱意で始まった。
 

 ワルシャワ工科大学(建築学部)によって、戦闘の合間に戦前の細かな建物のスケッチが成されていた。尚且つ、戦時中のレジスタンス活動の一環として、建築物の詳細な図面が集められ、隠されていた。復興は、これらの図と図面と、ベルナルド・ベッロットの18世紀のヴェドゥータ(都市風景画)を基にした。 

 もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用され、破片は再利用できる装飾的な要素に変えられ、それらはもともとあった場所に再度挿入された。「煉瓦のヒビ、壁のヒビに至るまで」忠実に再現し、往時の町並みを復元した。
 

 1971年まで爆破後の廃墟のままの姿であった王宮は、1970年代前半に再建が開始され、ワルシャワの戦いの最中に隠されていた美術品や装飾が再び配置され、1970年代半ばより、国立博物館の一部や祭典会場として使われるようになった。 

 ヤン・ザッファトビッチらが指導の下に、旧王宮復活を完成させたころ、ドイツでは、ベルリンの壁が壊され冷戦終了と成った。 

 凶産化にもかかわらず、ひとつひとつを40年以上の歳月をかけて復興させることに、市民は、人生を懸けた。そして「ワルシャワ歴史地区」は、破壊される前の姿そのままに、正にヒビ一本に至るまで忠実に再現された。「すべては未来のために」。 

世界遺産に登録 

 世界遺産登録の際、破壊からの「復元文化財(テーマパークと同類)」は登録に値しないという理由から、当初登録が危ぶまれたが、世界遺産登録の中心となったワルシャワ工科大学の関係者は「復元されたからこそ登録に値する。もしワルシャワ市街が破壊と復興の歴史が無く、残っていないらば登録しようとも思わない」と説得した。この結果「ワルシャワ旧市街」は「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価された最初の世界遺産となった。
 

 登録理由が、復興に関わった、人の営みであったということに、物ではなく心、唯物(建物)から唯心(成した心)へ、征服(物欲)から共存(精神)へ、ここには戦後の確実な人類の進歩がある。進歩の起因は、大東亜戦争だ。

 かくして1980年、ワルシャワは建物自体の価値ではなく、街を再建復興させた人々の不屈の精神と行動が認められ、世界遺産に登録された。「ワルシャワ旧市街」は、人間の記憶と行いそのものに価値を見いだす世界初の世界遺産となったのである。

侵略主義を破壊し共存共栄新秩序を成した日本は?

 ナチス・ドイツの火炎放射や爆撃により22万人の犠牲者を出しワルシャワ全滅。ポーランドは凶産化にもかかわらず、40年以上の歳月を懸け、浄財でワルシャワを復興した。日本はどうか。沖縄広島長崎を侵略者に破壊され、WGIPで精神も破壊され63年後の現在もなんと子孫と自称する犯日が破壊しまくっている。軍命玉砕、軍命自決、軍命犬死無駄死と虚像三昧、惨惨たる有様だ。

 侵略者食民治主義ドイツ(日本は米英仏蘭豪中)、凶産主義ソ連(日本は中ソ)、ワルシャワ蜂起(沖縄蜂起)とのレジスタンスは同じ。ポーランドと日本のレジスタンス相違点は、直接侵略されたか、間接侵略兵糧攻めされたか、だけである。兵糧攻めは正真正銘の、宣戦布告である。資源無き小国日本、座せば敗戦確実。一縷の望みに懸け(大東亜団結)、打って出たに過ぎない。それを侵略と虚像教育。これが現代日本の実態だ。

 ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ(1926年生まれ、82歳)終戦時19歳。父(大尉)はカティンの森虐殺犠牲者。戦前侵略者ナチスドイツ、戦後凶産主義との44年間のレジスタンス(1989年、民主化が完全に実現)。生き残った者の使命として、祖国の真実を追求し伝え続けている監督である。戦後日本が失ったもの、それが彼には、ポーランドにはある。

NHKBS2放映、アンジェイ・ワイダ特集BS2午後1時。2008・9日月、祖国ポーランドを撮り続けた男映画監督アンジェイ・ワイダ。10日火、世代(1954)(処女作)。11日水、地下水道(ワルシャワ市民蜂起)(1954)。12日木、灰とダイヤモンド(凶産侵主義とのレジスタンス「モンテカシノの赤い芥子」がショーの中で演奏)(1957)。13日金、大理石の男(1977)。日本人として覚醒のためにも、必見。
 

 日本の現実。日本はポーランドのように凶産主義に征服されたわけではないが、仮想現実界が、WGIP李承晩主義凶産党工作員の巣窟と化し、学校でも報道でも犯日教育の毎日だ。侵略者食民治主義凶産主義とのレジスタンスが大東亜戦争。生き残った者の使命、祖国の真実、レジスタンスを検証もせず、迎合者の掃き溜めと化し、祖国の虚像、WGIP侵略を伝え続けている。兵士も、遺族も、子孫も、NHK朝日毎日も、映画監督も、作家も、税金泥棒の教師も、教授も、議員も、役人も、雲泥の差だ。鵜呑みせず、立派な先人、親から授かった自分の頭脳で考えろ!!

 
ワルシャワ蜂起と沖縄蜂起、
どこに相違がある。資源無き小国日本の戦いは、侵略者に追い詰められての蜂起、全てがそうだ。結果極限の比類なき戦いとなった。竹槍武装を愚弄する子孫がいる。あらゆるものを武器にし侵略者と戦う、それがレジスタンスだ。農民一揆を想起せよ。戦前の日本人は名立たる賢者、戦後の日本人は世界に冠たる愚者。 

 

ポーランドの「すべては未来のために」実像日本洗脳犯日凶会の「未来に伝えるために虚像

2008年9月5日NHK総合「こうして村人は戦場へ行った」~滋賀県旧大郷村徴兵記録

 侵略者連合軍を隠蔽し、証言者、戦争不可避の護国軍愚弄のNHK定番悲惨だ話だ。日本犯日洗脳凶会NHK証言者、証言「悲惨だった・・・。戦争だからね」を「戦争だからね」をカット、「悲惨だった」選り食い捏造報道

 記録などではない、証言者や証言を選り食いした護国軍愚弄、NHK保身洗脳番組。大郷村がワルシャワのように直接侵略者連合軍に攻められれば、女子供老人村一丸、大郷村蜂起は当たり前、日本軍愚弄証言とはならない。間接(外地)の戦争だから留守家族の話はとうぜん悲惨だ話となる。ここをNHKは徴兵記録と称し、巧妙に利用した。

 予備知識無き無辜の国民はまたまた洗脳され愚民化、NHK万歳となり、NHK安泰。無辜の国民洗脳愚民化極悪の輩。ディレクター後藤和子、制作統括堤啓介、若宮敏彦、藤枝融。

 NHK日本洗脳犯日凶会の未来に伝えるためにNHK戦争証言プロジェクト「NHKは、太平洋戦争開始70年の2011年目指して、戦争体験の証言を集めます。未来に伝えるために」。日本犯日凶会NHKは、これまで証言と称し、悲惨だ話だけを集め情報操作、犬死無駄死に無駄な戦争と戦死者を面罵してきた。

 現世のあらゆる悪行が戦争。悲惨でない戦争など絶無。話を集め無くとも、想像で事足りる。戦時下なら当然の悲惨だ話を、更なる情報操作のため集め、戦死者を面罵し、虚像を未来に伝えるのだという、戦争開始70年の2011年目指して。NHK存続のため、63年間の捏造がばれない様に、強化目的で未来に伝えるために更に悲惨だ話を集めるのだという。

 ポーランドは凶産化にもかかわらず、40年以上の歳月を懸け、浄財でワルシャワを復興し、世界遺産として子孫に残した。片やNHKは受信料徴収し、先人冒涜を子孫に残すという。なんたる較差だ。

 NHKが日本軍罵倒を中止すれば、63年間にわたる捏造による情報操作があからさまになり、受信料不払い、弾劾裁判でNHK消滅につながる。日本軍罵倒は、日本犯日凶会存続のために必要不可欠で、NHK幹部絶対命令との最新情報。これがNHK日本犯日凶会正体だ。

 NHKは当然護国軍の真実を知っている、真実が現出すれば上記のように崩壊、だから恐れているのだ。知っていながら、保身のため、太平洋戦争(注・大東亜戦争呼称は、大東亜共栄圏を想起し覚醒につながるため、避けた)侵略者と日本軍罵倒。保身の理由だけで執拗に洗脳愚民化し続けているのだ、受信料を支払い続ける国民を。

 これが極悪NHKとした由縁である。資源なき日本の資源は国民。愚民と化せば日本亡国。NHKなど当に消滅。こんなに明白なことはない。こんなNHKなど不要である。

 ポーランドの「すべては未来のために」破壊されても、五回の国土分割でも、くじけないポーランドレジスタンスの証を、破壊された街を不屈の精神で再建復興することで、実像として残した。その精神は、命ある人類共通のものであるため、建物ではなく、その精神を世界遺産として残すことに、世界が賛同したのだ。なんと日本犯日凶会と対比が際立つことか。戦前の日本人は名立たる賢者、戦後の日本人は正に世界に冠たる愚者だ。

 日本の「すべては未来のために」は、ポーランドが、国土分割から瓦礫から復興し、ありのままの実像残したように、戦時下なら当然の悲惨だ話虚像(像)棒大報道や、極悪軍などではなく、先人のありのまま、一途な姿(沖縄蜂起など)を残せばよい。無い無い尽くしの小国日本、最後は身体を武器にし、世界の侵略者連合軍相手に道理(大東亜連合)を掲げ、たった一カ国で戦った禍福の実像。そのまま残せばよい。

 

 「ワルシャワ蜂起」で亡くなられた約22万の方々は、墓ではなく石道に埋められたという。

 ワルシャワ市内を歩くと、市内のあちこちで建物や壁に埋め込まれた記念碑があり、そこにはかってナチス相手にパルチザンとして戦い、その場所で命を落したワルシャワ市民の名前が刻まれ、その記念碑は道と言う道に数百メーター置きに有るそうだ。犠牲者の数が途方も無く多かった事を物語っている。

 ワルシャワを、軍民一丸戦死者の、
有形の十字架として復興した。子孫へ、生きた証が風化せぬよう。そうおもえてならない・・・。 完 真実史観

日本とポーランドとの友好の歴史
1シベリア難民の孤児救出一世紀にわたり語り継がれるポーランドの思い

参考文献一覧表

石井玲子: 初体験レポート 小説ワルシャワ物語
「ワルシャワの道(5)」渡辺克義 日ポ協会関西センター刊「WISWA」第26号
「ワルシャワ反乱」 ギュンター・デシュナー著、加藤俊平訳 サンケイ新聞社
日本・ポーランド国交樹立80周年記念および国際ショパン年記念祭実行委員会 
「ポーランド史」アンブロワーズ・ジョベール著、山本俊朗訳 白水社
「東欧史」矢田俊隆編 山川出版社



亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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