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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観スパイや売国奴(愚民化洗脳者)・愚民化国民・覚醒中・三者の混在する現実の日本


スパイや売国奴(愚民化洗脳者)が巣くい暗躍し、愚民化国民、覚醒中国民、三者が混在する今の日本の、現実の姿。

三者コメント。
登場人物。親父、とおりすがり、おせっかい。

親父の独り言http://tegetegetoosan.blog118.fc2.com/blog-entry-149.html

記された事実が本当とは限らない

<沖縄>集団自決で検定意見撤回求め県民大会 11万人参加
9月29日20時22分配信 毎日新聞

 太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決を巡る文部科学省の教科書検定意見の撤回を求める沖縄県民大会が29日、宜野湾市の宜野湾海浜公園であり、約11万人(主催者発表)が参加した。超党派の大会としては、約8万5000人が参加した95年の少女暴行事件に抗議する大会を大幅に上回り、歴史認識を巡る沖縄と政府の対立軸が改めて鮮明になった。大会は旧日本軍の命令、強制、誘導などの表現が削除された教科書検定を厳しく批判。検定意見の撤回と集団自決を巡る強制性の記述回復を求める決議を採択した。

安部さんのとき、強制の事実がないとか証言書があるとか云ってたけど?
考えても見て、今でも警察、検察なんかの調書に捏造が有ったと強要があったという司法判断されているのに、当時のお上絶対の時代。強要や偽造がなかったといえないのは明白だよね。

それに、明治時代の戦争から3戦争を生き抜いた祖父から、当時の教育に「伏して捕衆?(俘囚)の辱めを受けず」という言葉をよく聴かされた。
「捕虜に、なるようなら自決しろ」という意味。
当時の軍隊内の考え方だったらしい。
そのような背景にあり、日本軍が自決用に所持を推奨していた、手榴弾(死ぬついでに敵を道ズレにしろてことらしい)を渡すということは、如何見ても自決を強制してるにしか見えない。
それに、敵に捕まれば死ぬより恐ろしい目にあうという教育が有ったことも聞いている。
当時の、話を聞いたことがある人は、今の教科書検定に疑問を持つのは当たり前だと思う。

この記事に対するコメント。

 

とおりすがり
【2007/09/30 13:14】 URL | とおりすがり #mQop/nM. [
編集]
【2007/09/30 13:14】 URL | とおりすがり #mQop/nM. [
編集]
【2007/09/30 13:15】 URL | とおりすがり #mQop/nM. [
編集]
【2007/09/30 13:16】 URL | とおりすがり #mQop/nM. [
編集]

【2007/09/30 13:17】 URL | とおりすがり #mQop/nM. [ 編集]

【2007/09/30 13:18】 URL | とおりすがり #mQop/nM. [ 編集]

政府にとって都合が良いこととは。 

フジサンケイや読売などを中心とする日本の保守勢力は、さんざん、中国や韓国の教科書を批判してきた。そして、そういった国々の政府が行っているナショナリズム強化政策を批判してきた。

しかし、昨今の日本は、まったく同じことをしている。
まさか、中国とおなじことを日本政府が行うとは。
まあ、小泉、安倍と続く自民党タカ派が、しかけた昨今の動きは、タウンミーティングのやらせを見てもわかるとおり。

つまり、今の日本政府にとって、リベラルな考えは、目の上のたんこぶなわけで。

どういことかというと、要するに、防衛庁が省へ昇格したことに見られるように、日本も正式に「軍」を持ちたいわけです。そして、自衛隊というあいまいにしてきたものを、正式に海外(特にアジア)へむけて、「日本軍」として発表したいわけで。
それは、90年代初頭の湾岸戦争以降、日本はやはり軍をもち、何かあったら、海外へ派兵できるようにしたい、特に、シーレーンの安全確保は日本の致命線、それを守るため、正式に日本軍を派兵したい。これらの動きは、湾岸戦争以降、着実におこなっていっています。

で、沖縄。旧日本軍に対するアレルギーが最も強いのは、国内では沖縄です。唯一地上戦があったところです。

 もちろん本土にしても、日本軍や特高へのアレルギーは戦後しばらくありました。そして、それら旧日本軍の悪いイメージを払拭させるための動きの一環が、今回の教科書検定問題です。旧日本軍の悪いイメージ、軍隊のもつ本質的野蛮さ、これらが、日本に戦後、根付いてしまっていて、それを払拭しない限り、新・日本軍を持つことはできない。

 そのための動きの一環が、今回の、沖縄集団自決では旧日本軍は関与していなかった、という記述の変更です。ようするに、こういった、政府の裏の動き、そして、これらはすべて自民党保守派や財界保守派の連中に、操られているのです。

 なんで、こんなバカらしいことを、今の、日本人は見抜けなくなったのか、情けない限りです。

 時節に都合の良い少数派の証言を並べ立てても、説得力はありません。こ

こに記したような意見があるというのなら、逆に、軍による強制自決を体験した人々の意見を、どう考えるのでしょうか?

 同じ国内の人々にまで、こういったことをした旧日本軍。ましてやアジアの国々へはさらにどんなことをしたか、容易に想像できるはず。

 それができなくなった時点で、すでに日本の若者や一部の保守派は、「思考停止」になっています。教科書検定の調査官と、新しい教科書を作る会の連中がつながっていたこと、これはすでに新聞で報道されたとおりです。

「沖縄住民の集団死あるいは集団自決が,軍の命令であったとするのは,軍の指揮下にあったとすることで,戦傷病者戦没者遺族等援護法による遺族年金の受給をするための虚言をであったという説がある。しかし,援護法では,(砲爆撃負傷者ではなく)戦闘死傷者者という地位を獲得すればよく,軍の自決命令の有無や軍属かどうかは,直接は関係ない。」


おせっかい【2007/10/03 22:25】 URL | おせっかい #- [ 編集]

>「伏して捕衆の辱めを受けず」
ぜんぜん合っていませんが、日本陸軍の戦陣訓ですか?正しくは、
「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」
です。
解釈にはいくつかあって単純に
「捕虜になるようなら自決しろ」
と言う意味だけではない。
私見ですが
「生きたまま捕虜になるのは奮闘が足りなかったからだ、恥と思え。死んでから罪に問われるような行いはするな」
と言う軍人の心構えを説いているように思えます。
うちのジイサンは陸軍にいたんで当時のことをよく知っていますが、日本ばかりが悪くかかれている教科書には疑問をもっています。戦後教育を受けたバアサンは信じてますが。
あ、でも二人とも戦後の中国人、朝鮮人の極悪非道ぶりを実際に見てますので今でも中韓は大嫌いです。

あやふやなことはちゃんと調べてから書きましょうよ。

とうりすがりはコピペうざい。

 

親父【2007/10/04 13:27】 URL | #- [ 編集

アヤフヤナ表現かも知れないでしょうが、当時の人がそのように解釈していた事実も有るのです。
そのような、曖昧さを一つの証言で間違いと決め付ける行為が今の沖縄問題の原点であることをご理解ください。

 

おせっかい【2007/10/04 22:35】 URL | おせっかい #- [ 編集]
あのね、私が言っているのはあなたの解釈が
あやふやだと言うことじゃない。
意味の通らない言葉を調べもせずに書き込むなと言っているんです。
「伏して捕衆」ってなんですか?
日本語の意味が通らないとは思わないんですか?明らかにあなたの間違いです。
間違った言葉をどうやったら正しく解釈できるんですか?
自分の無知と沖縄の証言の曖昧さを同一視するようなすり替えは止めてもらいたい。
私は解釈にはいくつかあると言っていますよ。

親父【2007/10/05 11:19】 URL | #- [
編集]

当方の表現に誤りがあることは、ご指摘の通りだと思います。(これに、関してはなんら弁解する気は、ありません)
ただ、ココで伝えたいことは、誤った解釈がされ、それを信じて沖縄で戦った兵隊が存在しその話を直接、聞いた事を参考に、伝えたまでです。

このように、同じ言葉でも、伝わり方、立場が代わることで解釈も変わるということを表現したつもりだったのですが、不徳のいたす限りです。
当方に事実を知る機会を与えて下さった貴殿の書き込みには、大変感謝しています。

 

親父、とおりすがり、おせっかいの、三者コメント、完。

親父
 一読すればお分かりとおもうが、完全な無検証者で、戦後教育の被害者だ。先人罵倒は、ほとんどがこのタイプだ。立派な親から授かった、頭脳で考えず、似非識者の知識を鵜呑みし、悲惨なことだけを述べている。悲惨でない戦争など絶無。敵味方悲惨だから戦争というのだ。米軍は洞窟に手榴弾を投げ、火炎放射器で焼き殺したではないか。先に殺さなければ殺される、それが戦争だ。

 当時のお上絶対の時代。
なぜ、お上絶対の時代となったか。弱肉強食の時代、食民治主義者や凶産主義者という侵略者から、国を子孫を守るためだ。最適者生存の戦いに勝ち、生き残り子孫を残すためだ。今ある生命体はすべて勝ち残ったから今が在る。木でなく森を見ればすぐ判明することだ。食民治主義(米英仏蘭)や凶産主義者が侵略者で、日本は軍民一丸と化し、超大国とたった一か国で戦った祖国防衛軍だ。

 手榴弾(死ぬついでに敵を道ズレにしろてことらしい)を渡すということは、如何見ても自決を強制してるにしか見えない。アメリカ軍上陸に対して、組織された民間防衛隊の、自衛や攻撃の武器として渡された。自決用ではない。

 『伏して捕衆の辱めを受けず』伏して=降伏して。捕衆(ほしゅう)は当時の辞書にもない。俘囚(ふしゅう)の聞き違いであろう。俘囚単独の意味は「生け捕った敵兵」。「生け捕った敵兵」が「生け捕られた日本兵」に変化するには、意味変化の単語が付加されなければ変化せず。意味変化の単語が付加された「伏して(降伏して)俘囚の辱を受けず」は用法も正答。ただし、意味は兵士に「簡単に降伏するな」で、『捕虜に、なるようなら自決しろ』は戦後の偏向解釈。戦う兵士に「簡単に降伏しろと」教える軍隊など、古今東西どこの国にも皆無は史実。

 「虜囚の辱」=降伏禁止と捏造され、戦後、売国奴の扇動で洗脳されているが、正答は、「日本兵が罪過を犯し、日本につかまり囚人となる、恥」だ。「虜囚の辱」=降伏禁止は軍法にも、軍人勅諭にも皆無。戦陣訓は単なる訓(おしえ)で、命令や法律ではない。

 識者と自称の輩や、売国奴や、凶産侮日の愚民化洗脳者の知識を鵜呑みせず、立派な親から授かった、自らの頭脳で考えることだ。この方々は戦後教育の最大の被害者だ。


おせっかい
 木(点=悲惨な戦争)を見ているから覚醒しない、森(線=なぜ、どうして、誰もがしたくない戦争をしたか)をみればすぐ覚醒する。

とおりすがり

 一方的に6回のコメント、しつこいコメントである。内容は侮日一辺倒。組織で動いている。個人ではない。捏造を国是とする輩だ。一方的に6回のコメント、親父の洗脳助長のためだ。とおりすがりは明らかに親父を狙って仕掛けた。捏造を国是とする国の手法だ。問うに落ちず、語るに落ちている。日本の国会議員、外務官僚、報道関係者などの迎合者は、皆この狙い撃ちに遭っている。スパイや売国奴の巣窟、それが今の日本の現実だ。

 

癌(族譜)国への戦後の思いやりは、癌増殖(隠蔽)の餌でしかなかった!思想戦を仕掛け、戦時下体制の癌半島と罪日!

 整形(顔の捏造)の癌流スター、癌流ドラマ、癌ポップは、思想戦(日本洗脳)の道具。癌国は国是で罪日と共謀、癌国よりも日本で、罪日のサクラを動員し呼び水にし、捏造(整形)人間大バーゲン中。追随日本亡国マスコミ(スパイか馬鹿か?)も、癌国思想戦扇動中。

 李朝差別・ニセ両班・北の同胞殺し(両班殺し)・南の、(共産)と偽ってのニセ両班の同胞殺し(差別殺し)や、四三虐殺(済州島民、殲滅目的の民族浄化)等、真実の隠蔽に癌国と罪日は必死だ。スポーツや、情報工作も、凶産国以上の国策で、ハニー、マネートラップ・スパイ(NHK・TBS・TV朝日・TV東京・共同通信)等、思想戦(KCIA)のやりたい放題だ。癌半島、北も南も偽中国凶産同様、捏造が国是。北は捏造と恐怖で支配し、南、癌国は捏造のみが団結の求心力である。矜持皆無の唯物(李朝差別ニセ両班9割)と、正体をさらけ出した。福沢諭吉の予言適中である。

 TBS(ハニー・マネートラップ癌半島と罪日の巣)が、亀田親子をおだて上げ、プロレス同様にショービジネス化し、ダーティ日本人と思想戦工作。何でも有りが癌半島、大相撲ものせられたのか?唯物八百長は、癌半島癌国並だ。ちなみに、唯心ゆえの勝ち星は、唯心も実力の内、八百長ではない。唯物が八百長!2011.2.加筆


頭山満孫文汪兆銘大東亜共栄圏大アジア主義に殉じた人々犯日隠蔽の歴史

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真実史観生きて虜囚の辱辞書捏造断定戦陣訓真実囚人戦後意味変化敵に捕まる


戦陣訓コード虜囚の辱意味変化辞書記載し、戦陣訓コードの捏造暴露。正答は、捕虜=まえた敵()、虜囚=檻の中の敵()と人と、憂国の辞書が実証、断定。虜囚に捕虜は含まれるが、この捕虜は、日本に捕まえられたで、敵に捕まえられた日本兵ではない

大正6年初版昭和3年新版昭和15年華語増補版発行昭和38年第一版発行の講談社大字典
「捕虜」の意味 いけどり。とりこ。(能動)
「虜囚」の意味 とりこ。(能動)


広辞苑初版昭和30年、第二版昭和40年版
「捕虜」の意味 戦争などで敵に捕らえられた者(受動)。とりこ。→ふりょ俘虜。(能動)

注・捕は手偏なので、受動の意味は元来無い。熟語の捕虜だけ、戦後の辞書受動を加筆、意味変化の証拠)
 「虜囚」の意味 とらわれた人。とりこ(能動)。捕虜(戦争などで敵に捕らえられた者)(受動)


大正6年初版昭和3年新版昭和15年華語増補版発行昭和38年第一版発行の講談社大字典より。練馬区立図書館蔵書。

「捕」トラフ(動、下ニ) トル、字源 形聲 とらふると故に扌扁。甫は音符。

 

「俘」トリコ(名) トラハレ トル、(注・戦後版は、とらわれ/とる。となっている。意味不明だが、「俘」とその熟語、戦前戦後、どの辞書も受動の意味皆無)イケドレ(注・ルが擦れてレに見える。戦後版では、いけどる) 字源 形聲。戦争にて死者の左耳を取るを戫、生きながら捕獲するを俘という、故に人扁。孚は音符。

 

「虜」リヨトリコ(名) イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民、えびす、字源 形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。

 

「囚」シウジユトラウ(動下ニ)トラハル(動下ニ)トリコ(名) メシウド、罪人、俘虜、ツナグ、字源 會意。囗と人の合字。人が囗(かこみ)の中につながれし意にてトラハルルこと。泅は囚を音符とす。

 

 「捕・俘」単独の意味は全て能動。受動の意味皆無。捕まえる、捕まえられる、俘にする、俘にされる、のように、付加した単語の助けで、能受動を使い分ける。捕虜にする(能動)。捕虜にされる(受動)。「捕・俘」は檻の外の捕まえた。「捕・俘」の熟語の意味も全て能動。受動の意味皆無。

 

 「虜」には、「イケドリ、イケドル、生擒ス(生け捕る行為=日本軍が敵兵を生け捕ること)」と「シモベ、化外ノ民 えびす(生け捕った相手=生け捕った敵兵)」と「母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん(相手の状態=拘束)」と記され、生け捕る行為と、日本軍が生け捕った相手と、相手の状態が記され、敵兵は存在し、能動。敵に捕まえられた日本兵は存在しない。受動の意味皆無。

 

 「囚」は「メシウド、罪人(トラ<囚>えた囚人=トラ<囚>われた囚人)。俘虜(トラ<捕>えた敵兵=トラ<囚>われた敵兵)」=生け捕った相手と、「ツナグ(人が囗(かこみ)の中につながれし意にてトラハルルこと)」=生け捕りツナいだ状態の相手(囲みの中の人)と記され、日本軍が生け捕りツナいだ状態(囲みの中の人)の相手、敵兵は存在し、「トラウ(動下ニ)トラハル(動下ニ)」と能受動が混在する。「囚」は囲みの中の人の総称(トラ<囚>えた人、トラ<囚>われた人)を意味し、能受動が混在し、「囚」檻の中の捕まえた敵と人。したがって「囚」の熟語には、囚らえた人囚われた人(檻の中)が混在する。能受動が混在するが、敵に捕まえられた日本兵(檻の外)は存在しない。

 

 「捕」は捕まえる動作(檻の外)。は、「捕」の結果生じた状態(檻の中)。

 

上記大字典の熟語の意味

「捕縛」の意味 とらえしばること(とらえしばる行為)(能動)。

 

「捕虜」の意味 いけどり(生け捕る行為)。とりこ(生け捕った相手)

 主語が日本の訓。日本が生け捕った敵兵(檻の外)能動態。敵につかまった日本兵ではない。受動の意味皆無

 

「俘虜」の意味 とりこ。捕虜。

 主語が日本の訓。日本が生け捕った敵兵(檻の外)能動態。敵につかまった日本兵ではない。受動の意味皆無

 

「囚人」の意味 つみびと。めしうど。「囲みの中の人(らえた人、われた人)。能受動」(檻の中)

「囚徒」の意味 とらわれびと(われ人)。めしうど。「囲みの中の人(らえた人、われた人)。能受動」(檻の中)

 

「虜囚」の意味 とりこ。

 主語が日本の訓。囲みの中(牢獄、檻の中)に閉じ込めた状態にした、日本が生け捕った相手「囚人=日本にとら<囚>われた人。敵兵=日本にとら<囚>われた敵兵」となる。(状態は檻の中)。能動受動。敵にまった日本兵(檻の外)ではない。

 

 「虜囚」は能受動が混在。「捕虜」は、「捕虜にする」(敵を捕まえる)。「捕虜にされる」(敵に捕まる)、「捕虜になる」(敵に捕まる)、と付加した単語の助けで意味変化し能受動表現となる。捕虜には単語の助けで変化した意味、「捕虜になる(敵に捕まる)(受動)」があるが、「捕虜」(名詞)単独では、「生け捕りした敵兵(檻の外)」(能動)だけの意味となる。

 

 「虜囚」は「囚」により、囲みの中に閉じ込めた人の総称「囚人=日本にとら<囚>われた人、敵兵=日本にとら<囚>われた敵兵(状態は檻の中)」となる。簡略すると、捕虜=捕獲した敵兵(檻に入っていない)だが、虜囚=檻の中の敵兵と囚人。「捕虜=捕獲した敵兵」の処遇が、「虜囚=檻の中の敵兵」となる。「虜囚」は、「捕虜」の処遇を意味し、「囚」(檻の中)「捕」(檻の外)の違いは明白だ。「捕虜」=「虜囚」は捏造。

 

 「捕虜」単独の意味は、生け捕りした敵兵(檻の外)「虜囚」は、閉じ込めた人「(囚人=とら<囚>われた人)。(生け捕りした敵兵=生け捕りされた敵兵)」(檻の中)。と成り、「虜囚・捕虜」には、生け捕りした敵兵はいるが、「虜囚・捕虜」には、敵につかまった日本兵は存在しない(受動)

 

 「虜囚の辱」=捕虜(生け捕りした敵兵)の辱。では戦陣訓と成らないのだ。虜囚の辱は、敵兵への訓ではない、日本国の兵への訓である。したがって、「虜囚の辱」=「(囚人=とら<囚>われた人)の辱」=「虜囚の辱」=「日本国に捕まって囚人となる辱」と、なる。「捕虜」=「虜囚」は捏造。

 

 検証したように虜囚=捕虜とするなら「捕虜単独の意味は、生け捕りした敵兵以外に無い。「捕虜」の意味は前述のように単語の付加(受動)により意味が変化する。付加の単語無き文で捏造の「戦争などで敵に捕らえられた者(受動)」と解釈するのは不可。

 「捕虜となる辱」・「捕虜にされる辱」・「捕虜になる辱」と
、単語(受動)の付加が成されて初めて変化した意味となり「敵に捕まる(受動)=戦争などで敵にらえられた者(受動)」捏造した捕虜の意味となる。「捕虜」の文字と単語(受動)の付加など、どこにも無い「虜囚」を、「虜囚」=「捕虜」と解釈は、捏造以外の何物でもない。

 「捕虜」単独の意味「生け捕りした敵兵(能動)を戦争などで敵にらえられた者(受動)にし、捕虜の意味を改竄し、捕虜=虜囚、虜囚の辱=戦争などで敵にらえられた者の辱=降伏禁止と捏造した。報道屋は用意周到に、捕虜の意味から捏造していたのだ。虜囚を繰ると戦前の辞書には「とりこ」、戦後の辞書には「とら<囚・捕>われた人(檻の中・檻の外)」とでてくる。戦前、戦後の辞書で「囚」を繰ると「とら<囚>われる(檻の中)」とでてくる、これに皆だまされた。「とら<囚>われた人(辞書の意味はとら<囚>われた敵兵、主語日本、日本にとら<囚>われた敵兵)(檻の中)」の意味を、「にとら<捕>われた日本国の兵(檻の外)」と錯覚してしまったのだ。主語を把握し、虜囚だけの検証ではなく、「捕虜」単独の意味をも検証すれば、当の昔に氷解したのだ。 

 戦時下一部の報道屋は「日本にとら<囚>われた人」を、「敵にとら<捕>われた人」とつまみ食いし、報道したため、信じた者もいた。戦後、虜囚の辱=とら<囚>われた人の辱=捕虜(敵に捕まえられた日本兵と捏造)の辱=降伏禁止=玉砕=集団自決=極悪日本軍とし、扇動した。戦後は報道屋総動員で迎合し、徹底的に扇動、結果皆洗脳され続けている。「捕虜」単独の意味日本がとら<捕>えた敵兵を、真反対の敵に捕まえられた日本兵と捏造、先人罵倒の起因がこの捏造に在る。

 

 捏造のため戦前の辞書と整合せず、戦後の辞書は皆変化したが、後述の「鯨に捕まった捕鯨船』のような矛盾が生まれ、捕虜限定の意味となった。しょせん捏造は捏造なのだ、矛盾が証明している。

 

昭和27(1952)年初版昭和49(1974)年新装発行、三省堂「辞海」。練馬区立図書館蔵書。

 

「捕虜」の意味 とりこ。俘虜。(受動の意味皆無)

「虜囚」の意味 とらわれ人(虜囚の主語日本。日本にとら<囚>われた人、囚人と敵兵。敵にとら<捕>われた日本兵ではない)。めしうど。とりこ。

 

 まだこの時代では、日本国に捕まった人(囚人や敵)意味だけである。捕虜「戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の受動記載皆無。

前述の講談社大字典昭和38(1963)年復刻、1993年第一刷、新大字典。

 戦前の大字典「捕」。 トラフ(動、下ニ) トル。戦前の「捕」は受動の意味皆無。

 

 戦後の新大字典「捕」は。 ーらえる・ーらわれる・ーる・つかーまえる・つかーまる字義(一)(ニ)とらえる(とらふ)(動)/とる(動)。つかまえる(つかまふ)(動)。字源 形声 とらえること。ゆえに扌偏。甫。音符。語尾で受動。「捕」は能動のままで変化無し。

 

 「捕」の熟語を繰ると、「捕虜」の意味 いけどり。とりこ。戦前と変わらず、変化無し。

 

 戦後の新大字典「虜」はリヨトリコ(名) いけどり。しもべ。いけどる/化外ノ民。えびす。「いけどり。いけどる。(生け捕る行為=日本軍が敵兵を生け捕ること)」と「しもべ。化外ノ民。えびす。(生け捕った相手=生け捕った敵兵)」と記され、生け捕る行為と、日本軍が生け捕った相手、敵兵は存在し、能動。敵兵に捕まえられた日本兵は存在しない。受動の意味皆無。戦前と変わらず、変化無し。

 

 「慮」の熟語を繰ると、「虜囚」の意味 とりこ(日本が捕まえた敵)。捕虜。」と、あらたに捕虜が加筆。「とりこ」には日本が捕まえた敵(捕虜)の意味、既に在り。加筆は、捕虜戦後の捏造戦闘で敵軍に捕らえられた者(敵に捕らえられた日本兵)=受動態意味加筆である。「虜囚」=囚人、敵兵に、真反対の新たな意味(戦闘で敵軍に捕らえられた者=敵に捕らえられた日本兵)が付加された。

 

 講談社大字典「捕」「慮」の意味、戦前も戦後も変化無し。

 熟語「虜囚」の意味だけが能受動(新たな意味)混在(日本がトラ<囚>えた敵兵日本にトラ<囚>われた敵兵檻の中、本来の意味に、敵がトラ<捕>えた日本兵にトラ<捕>われた日本兵檻の外と、新たな意味が付加された)し戦後変化した。戦陣訓主語日本が、日本の兵に対しての訓、「虜囚」の主語日本、敵ではない。日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」囚人、敵兵に、敵軍に捕らえられた日本兵が同居しているというのだ。居るはずの無い人がいるのだ。日本の「虜囚」に、敵軍に捕らえられた日本兵が存在するわけなど無い。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。このことだけでも捏造は明白なのだ。戦陣訓「虜囚」主語は、日本だ

 

新選漢和辞典小学館昭和38(1963)年初版昭和60(1985)年新版

 

「捕」。ホ。ブ。 ら・える。つか・まえる。つかま・る。らわ・れる。(とらは・る)。る。語尾で受動。「捕」は能動のままで戦前と同じ。

 

「捕」の熟語「捕虜」の意味  とらわれた人。とりこ。俘虜。

 能動の意味生け捕った敵「捕虜」の意味が、真反対の意味を含む、「とら<捕>えた敵兵と、とら<捕>われた日本兵」能受動混在に変化した。唯一「捕虜」の意味だけが能受動混在。他の熟語は能受動混在皆無。

 

 「慮」は戦前の大字典と同じ。

 

「慮」の熟語「虜囚」の意味  とりこ。捕虜。

 「虜囚」には日本が囚えた敵(捕虜)=とら<囚>われた人の意味、既に在り。捕虜加筆は、捕虜戦後の捏造=(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)=受動態意味加筆である。「虜囚」=囚人、敵兵に、真反対の新たな意味「(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)が付加された。

 

 新選漢和辞典「捕」「慮」の意味、戦前と同じ。熟語「捕虜」「虜囚」の意味だけが戦前と異なり「捕虜」能動に受動付加。「虜囚」にとら<捕>われた人(日本兵)が付加され、変化した。他の辞書も同様、変化したのは熟語だけ。これも前述同様、日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」囚人、敵兵に、(敵に)とら<捕>われた人(日本兵)同居となる「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。戦陣訓「虜囚」主語は、日本だ

 

広辞苑初版昭和30年、第二版昭和40年版

  「捕虜の意味・戦争などで敵に捕らえられた者。とりこ。→ふりょ俘虜」。

 「虜囚の意味・とらわれた人。とりこ。捕虜

 

「捕虜」  戦前の生け捕った敵「捕虜」の能動の意味が、真反対の意味を含む、「戦争などでとら<捕>えた者()と、戦争などで敵にとら<捕>われた者(日本兵)」能受動混在に変化した。

 

「虜囚」  戦前の虜囚の意味、日本にとら<囚>われた(檻の中)、囚人、敵兵」に、とら<捕>われた人、捕虜(戦争などで敵に捕らえられた者=主語日本なので日本兵。受動)を付加。真反対の意味、戦争などで敵に捕らえられた日本兵、が付加された。これも前述同様、日本が捕まえた囲いの中の人「虜囚」囚人、敵兵に、戦争などで敵に捕らえられた者(日本兵)同居となる

 

「辭林」1907(明治40)年発行「広辞林第六版」1983(昭和58)年三省堂(現在知りえる、唯一意味変化の無かった、正答の辞書。戦前初版の辞書は、変化が少ない。整合がない真反対の意味とするのに、ためらいがあったのだろう

[捕虜の意味] とりこ。いけどり。「ー収容所」。(受動の意味皆無)

[虜囚の意味] とりこ。とらわれ。「ーのはずかしめを受ける」

 

「虜囚」  とら<囚>われ(檻の中)(日本兵への訓、虜囚の主語日本)。=日本にとら<囚>われる。敵にとら<捕>われた日本兵ではない。「ーのはずかしめを受ける」(日本兵への訓、虜囚の主語日本)=「日本に囚われ、とら<囚>われのはずかしめを受ける」。

 

 唯一意味変化の無かった辞書であるが、主語を把握して解釈しないと、「敵にとら<捕>われる」になる。日本が日本兵に対しての訓なので、「虜囚」単独記載の主語は日本しかない。ありえない敵を主語にしていることに気付けば、もっと早く捏造を暴露できた。「虜囚」単独記載の主語日本は明白なので、「虜囚」の意味の中に主語、を入れるため、「捕虜」を、敵に捕らえられた者受動にして、辞書は整合させた。上記「広辞林第六版」は主語に気付いたから、[捕虜の意味]も変えなかったのだ。こまごまと検証したが、「虜囚」単独記載の主語を把握し、日本が捕らえ檻の中にいれた「虜囚」と主語を明確にすれば、「虜囚」=檻の中の敵兵(虜)と囚人(囚)が自ずと現出する。日本兵への訓単独記載の「虜囚」に、主語「敵」介入の余地など微塵も無い。

 

 辞書が捏造に追随し変化したが、虜囚=囚人、敵兵、戦争などで敵に捕らえられた者(日本兵)同居。などの矛盾を導き出し、憂国の辞書が結局捏造を暴露した。

 

 敵が主語の「虜囚」ではない、日本が主語、日本が捕らえ檻に入れた「虜囚とりこ(囚人、敵兵)」に、敵に捕まえられた日本兵の存在など有得ない、不可能。「虜囚」の主語が、日本なのか敵なのか、考えれば氷解することだ。戦陣訓「虜囚」主語は、日本だ

 

 言葉は時代に追随する、戦後の解釈に整合しないから、辞書の熟語だけが、真反対の意味を含む能受動に変化した。能動が能受動混在に変化。変化はしたが、捕鯨=捕鯨船が鯨をとる、が、捕鯨=鯨にとらえられた捕鯨船となったため、「捕」は変化せず、熟語「捕虜」だけに限定された、特異変化となった。ここでも憂国の辞書は戦後の捏造を実証した

 

 戦後の解釈「虜囚=捕虜=敵にとら<捕>われた日本兵」に整合しないから、辞書が真反対の意味を含む能受動変化し整合させた。つまり、辞書が変化し戦後の解釈を完全否定、意味変化することで、戦後の捏造を辞書が実証したといえる。辞書が変化し、解釈不適を露呈、虜囚=捕虜の捏造辞書が暴露。正答は、捕虜まえた敵()(檻の外)、虜囚檻の中の敵()と人以外該当せずと、憂国の辞書が断定した。
 

 しかしながら、辞書の真意は伝わらず、今ではこのように、すべての辞書が逆に捏造ウイルスと化している。辞書も捏造の坩堝と化し、混乱し洗脳を助長しているのが現実だ。63年間撒き散らされ、嘘が真実になった実例がこれだ。まさに、ナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッペルスの有名な言葉「嘘でも充分に繰り返し続ければ、真実になる」・・・。捏造亡国。

戦陣訓
『第八 名を惜しむ 

 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱(囚人の汚名)を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。』

 

戦陣訓意訳

『第八 名を惜しむ(名誉の尊重) 

 恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように』 真実史観意訳
 内容は今村均将軍が証言したように、正に「諭したもの」だ。

戦陣訓(せんじんくん)は兵士はもちろん国民も皆覚えていたか?証言

山本七平と安岡章太郎のマスコミ批判掲載の山本七平著『私の中の日本軍』文春文庫より。

 ・・・ただはっきり断言できることは、私たちの場合は『戦陣訓』はなんら関係が無かったということである。私自身『戦陣訓』を読んだこともなければ、読まされた記憶もなければ、講義されたこともない。第一、一度も手にしたことがないから、一体全体どんな本なのか、その外観すら知らない』。
 ・・・『横井(庄一)さんのとき、まず驚いたことは、マスコミがいきなりそれを『戦陣訓』に結びつけた事であった。

 ・・・『報道の偏向』とは実に恐ろしいことである。横井さんの時、私はある週刊誌記者に、私自身『戦陣訓』を読んだことも、読まされたこともないし、軍隊でこれが奉読された記憶もない。従ってその内容も体裁も知らない、と言ったが、その人は私の言葉を信用しなかった。

 ・・・その人は戦後生まれだから日本軍なるものを全く知らない。それでいて、『戦陣訓』が一兵士に至るまでを拘束し、戦後三十年近く横井さんを拘束し続けたと信じて疑わないのであった」。
 ・・・『横井さんの時も、多くの記者が取材に来たが、「二十七年間のジャングル生活を『戦陣訓』が規制し続けたなどということはあり得ない』と私がいくら言っても、誰一人うけつけず、「本当ですか」「考えられませんね」「それこそあり得ないと思いますね」を連発するだけであった。

安岡章太郎の発言「私の中の日本軍下巻」
 ・・・『戦陣訓』に戻って言えば私自身も一年半の軍隊生活で、『戦陣訓』を強制的に読まされたり、講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。しかるに現代のマスコミは、なぜ『戦陣訓』を重視したがるのか?それは山本氏(山本七平)も言うように戦陣訓』は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。

 自称作家の小田 実が「生きて虜囚の辱を受けずのよみがえりか・私は、昔、沖縄で米空軍の司令官と会って話をしたことがある。・・・「生きて虜囚の辱を受けず」は、大東亜戦争開始に当たってつくられた「戦陣訓」にあった軍律・・・軍のオキテだった。・・・」などと捏造を撒き散らし、売国が生活の糧だ。哀れの一言に尽きる。
ジャーナリスト正体は、摘み食い猿真似の猿。
 

 1944年(昭和19年)の7月9日サイパン陥落。サイパンで玉砕した一日本兵は「生きて捕虜となる辱」などの「私心」ではなく、「護国」と言う「公」のために、玉砕の直前まで「此ノ島ガ陥チタラ日本ノ存在ハ薄氷ヲ踏ムガ如シダドウシテモ死ナレナイ生キテ― ― ―生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ・・・」「生きて生きて生きて生きて生き抜いて此の島を守らねば」と日本へ書きしるしています。玉砕とはつまみ食い識者がいうところの自殺ではない、生ある限り戦い、自由を希求し自由に殉ずることだ。http://blogs.yahoo.co.jp/drmusou

 先人は皇民化ロボットなどではない、食民治主義と凶産主義という人類の敵侵略者、破壊のため戦った祖国防衛軍、人類防衛軍だ。

 「虜囚=捕虜=敵にとらわれた日本兵」の解釈が正答なら、辞書の意味変化など不要。それが戦後に変化加筆。変化加筆は、戦前と戦後の意味の変化を、証明した。結果辞書は、「虜囚=捕虜=敵にとらわれた日本兵」を完全に否定し、戦後の捏造を実証した。辞書も混乱の坩堝と化し洗脳を助長していたが、良心の呵責の念に駆られ、実証し、憂国の辞書が捏造を暴いた。職責者のあまりの不甲斐無さ、無検証売国奴振りに、見るに見かねて、愛国者辞書が、捏造を暴いたともいえる。憂国の辞書が職責者の正体、たんなる知識録音機、無検証鵜人を、暴露したともいえる。

 職責者の正体が辞書により暴露され、判明したのだ。鵜呑みせず、立派な親から授かった自分の頭脳で考えよう。資源なき小国日本、鵜人の集となったら亡国だ。子孫が愚民と化し、先人の粗探しに狂奔する姿は、醜く哀れだ。永野修身の予言、正に適中だ。世界の侵略者、食民治主義者と凶産党に追い詰められ、無い無い尽くしの資源なき小国日本、適者生存非常な時代、子孫に残せるものは、比類なき戦いざましかなかったのだ。  真実史観

主語を無視し、軍に媚びた、鼓舞や迎合目的の解釈

1生きて虜囚カウラ戦陣訓に非ずアサヒル朝日捏造記事が悲劇の元凶

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ  

真実史観大東亜戦争人類への先人の遺書軍民一丸共生共死玉砕インパール作戦特攻隊集団自決


1大東亜戦争人類への先人の遺書軍民一丸共生共死玉砕インパール作戦特攻隊集団自決

誤解されているが天皇も東條も独裁者ではない

 天皇は、政府の会議決定事項の上奏に対して、裁可を下す存在で、天皇自ら命令する存在ではない。その裁可については、責任は政府が負うと定められ、天皇は無答責、つまり責任を負わない立場。つまり天皇が政治軍事などさまざまな権限行使することは天皇自ら命令する存在ではないので不可能。なのに、「権限行使する」と、あたかも独裁者のようにこれまで情報操作されてきたので、信じている人も多いが事実ではない。

 

 生命体の現在は最適者生存の結果である。弱肉強食は最適者生存の生命体の戦いで、開闢以来不適者は滅び適者が生存して、現在に至っている。善悪、正邪を超え、生命体の宿命である。したがって善悪、正邪にとらわれず、俯瞰して歴史は検証しなければならない。とらわれると、歴史を見誤る。日清、日露、WW1、大東亜戦争は、最適者生存戦争で、軍民一丸の日本軍は適者生存軍である。先人の子孫よ、皆、戦後の洗脳から目を覚まし、いにしえより流れる、内なる日本精神を覚醒させよう。資源なき小国日本は、人でのみ、成り立つ。

 

 真実史観以前の時代とは、仮想現実界が無検証無道理の捏造の巣窟と化し、現実界からかけ離れ、道理無き流言飛語が飛び交い工作員に征服され、国家存亡の危機に瀕した現代。

真実史観以後の時代とは、現実界と同様に仮想現実界も検証と道理に基づいた正常な国家隆盛時代、子孫に残す未来。

 

大東亜戦争真実史観あらすじ一読30分覚醒WGIP凶産侮日愚民化洗脳

あらすじ過程

大東亜戦争人類への先人の遺言。軍民一丸、共生共死、玉砕、インパール作戦、特攻隊、集団自決。無い無い尽くしの小国日本、軍民一丸の適者生存軍先人が唯一子孫に残したもの。からだを筆に流れる血で書いた、人類への、子孫への、不滅の遺書、日本適者生存史。

 

 対峙し威嚇だけの野良猫大小二匹の戦い3時間、見届けたことがある。戦いによる怪我は野生では即、死。最適者生存の本能で知っている野生の猫は、互いに後ずさりして、戦わずして離れた。戦争賛成などだれもいない。しかし、絶対優位の超大国の侵略戦争。侵略された小国の自存自衛戦争は存在する。小国が超大国侵略皆無は、歴史の常識。

 

 下記の言葉を一読した時、「先人罵倒」は愚行と確信し覚醒した。30分ほどである。

 

 戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを護る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。永野修身(NAGANO Osami)昭和16(1941)年9月6日に開催された御前会議に於ける発言。

 

 この発言は戦後教育「日本は侵略者」の「侵略者の発言」などではなく、超大国に侵略されれば確実に亡国、祖国存亡の危機、小国窮鼠の自存自衛受動戦争発言なのだ。戦後教育の「侵略者」の影など微塵もない。

 

 侵略されれば「戦争反対」と叫んでの戦争を回避など不可能。祖父母、父母がいたから今の己が在る。それを「戦争反対」「先人罵倒」を叫んでいる。覚醒した目には異質な日本人に映った。

 

世界の戦国時代(国盗り合戦、弱肉強食、最適者生存)迫る超大国の侵略者(食民治主義者)

1840年アヘン戦争英国のアヘン密貿易を阻止し、通貨である銀の流失を防ごうとした清国と、英国の侵略戦争。清国からの茶、絹、陶器などの輸入超過のため、通貨の銀が不足した英国は、食民治インドにアヘンを栽培させ、清国とアヘンの密貿易をし、不足の銀を回収していた。

1842年8月敗れた清国は英国と屈辱的な南京条約を締結。これが中国食民治化の始まりとなった。この事件に驚いた日本徳川幕府は、異国船打ち払令を、天保の薪水供与令に改めた。

1842年8月英国虎門寨(こもんさい)追加条約で治外法権を獲得。

1844年フランス、アメリカも条約を締結、治外法権を獲得。食民治主義中国食民治化に拍車がかかった。

(注・このように当時は、弱肉強食適者生存のため、敵味方アヘン虐殺何でも有りの、世界の戦国時代なので、法治下の現代の尺度での善悪判断は、間違い。慰安婦問題も当時から売春婦という商売であった。NHK朝日毎日などの工作員は、アヘン、虐殺何でも有りの、世界の戦国時代を隠蔽し、日本軍だけの悪行のように報道、極悪日本軍と捏造

1858年5月 愛琿(あいぐん)条約 ロシアと清朝の条約。清がイギリス・フランスとの紛争に苦しんでいるのにつけこみ、ネルチンスク条約(1689年アルグン川・外興安嶺を両国国境とした)を無視、黒竜江左岸をロシア領、ウスリー川以東の沿海州を共同管理地とし、黒竜江、松花江、ウスリー江の航行権を認めさせ領土を拡張した。後に清国否認。ロシア征服南下。

1860年 アロー戦争(第二次アヘン戦争) 英仏連合軍北京入城、北京条約締結。イギリスへの九竜割譲、天津開港等の条約。食民治主義の、中国食民治化加速

1860年 北京条約 アロー戦争の結果、英仏露との条約。ロシアは英仏仲介の代償として、ウスリー川以東の共同管理地沿海州を領土とした。王朝末期に弱体化した清朝はロシアの進出を抑えきれず、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約2つの不平等条約によって、満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満州地域(現在のウラジオストクを含む)は、ロシアに征服されることとなった。ロシアはウラジオストク(ロシア語の意味“東方を征服せよ”)を建設、極東侵略の拠点とした。ロシア征服更に南下。

1861年2月3日~7月25日まで日本の対馬を占領したロシア艦隊。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。

1862年 倒幕の志士高杉晋作藩命で視察。上海の見聞記録「中国人はほとんどが外国人の召使のようだ。英仏の人が街を歩けば、中国人の人は傍によって道を譲る。上海は中国の領土だが、英仏の植民地とも言える」と記されている。以後尊王攘夷論の急先鋒となる。

1863年 幕末の薩英戦争(英対薩摩)

1864年 馬関戦争(英米仏蘭対長州藩)

1868年9月8日 明治時代

 ロシアの侵略征服南下、米英仏蘭の食民治侵略、明治維新開国時、世界の有色人種では唯一日本だけが、非干渉独立国家であった。弱肉強食、適者生存の時代対処のため、小国日本が取り得る唯一の手段、天皇の基に軍民一致団結、軍民一丸適者生存軍と化した。

 資源なき島国日本、朝鮮半島が敵となれば存亡の危機は明白。ロシアの征服侵略南下が当面の脅威であった日本は半島に進出し、開国要求。

1876年 明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。

1881(明治14)年3月 日本を訪れた最初の外国の国家元首、ハワイ王国のカラカウワ王が世界一周旅行の途上で、横浜港に到着した。

1881年3月10日夜、ハワイ、カラカウア王はアメリカ人の随行員らを出し抜き、日本人通訳のみを連れて密かに赤坂離宮を訪れ、明治天皇との会見を乞うた。天皇側は夜中の訪問を不審に思ったが、とりあえず会見した。王は日本の伝統文化と近年の国家的隆盛を賞賛した後、ハワイ王国の内憂外患の窮状を述べ、日本の協力を仰いだ。

第一に日本人移民の実現。ハワイ人の人口減少を同一種族である日本人の植民で補おうというものであった。第二に、やがて王位を継がせる姪のカイウラニ王女と日本皇族・山階宮定麿親王との婚約の申し入れ。第三に、日本・ハワイの合邦(連邦)。第四に、日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設。第五に、日本主導による「アジア連邦」の実現。

 当時ハワイは、欧米人の持ち込んだ淋病、天然痘などに免疫のなかったハワイ人は百年間で人口が30万人から5万人に激減するという危機に瀕していた。日本と同盟を結んで、アジア・太平洋地域に「同種族」の連合を形成し、白人の外来勢力の拡大を阻止して、独立を全うしようというのが、カラカウア王の密かな夢であった。

 大アジア主義、大東亜共栄圏の起因でもある。白人列強英米仏蘭露(食民治主義)に対して、虐げられし白人小国や有色人種共通の思いがここにはある。小国有色人種独立国の先人は、白人小国や有色人種、虐げられし人人の星だったのだ。

1884年 日本を征伐しようとしていた清国。日清戦争前、清国はすでに日本を征伐するための軍略的偵察を行ない、清国駐日大使館随員姚文棟の兵略書『日本地理兵要』(1884年)を作成している。

1885年~87年 巨文島事件。英国はロシア艦隊の日本海回航を阻止するため、朝鮮南部のこの島を占領し、砲台を築いた。

1898年 北京条約 旅順大連租借、東清鉄道建設に関する露と清の条約。不凍港旅順を租借した。

1899~1900年 義和団事件(白蓮教系の宗教団体)。「扶清滅洋」を旗印に、北京の11カ国公使館員4000人を包囲。日(1万人)英米仏露伊独(1万人)が、これを解放した。義和団事変(北清事変)の際、清とロシアは満州を巡って衝突。6月に義和団が黒河対岸のブラゴヴェシチェンスクを占領したことの報復としてロシア軍は7月、江東六十四屯を襲い占領し、居住していた清国民少なくとも3,000人以上(資料によっては2万人以上)をアムール川に追い込んで虐殺するという事件が発生した。以後ロシアが、事件波及の防止の口実で満州を占領し、独占支配と朝鮮日本進出の具体化に着手。ロシアの征服侵略南下は満州まで迫り、侵略港不凍港を得、日本侵略の手はずも整った。

正に日本は風前の灯火となった。

1894年6月 東学党の乱(甲午農民戦争)をきっかけに日本派兵し、日清戦争。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。

1894年~95年 日清戦争に日本勝利。下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。

 1882年の福沢諭吉の『兵論』によれば、清国の兵力108万に対して、日本はたったの7万8千だった。日本軍艦52隻に対して清国軍艦107隻。世界各国が清国勝利を信じていた。清国朝鮮独立を確認し、軍費2億テール賠償、遼東半島、台湾、澎湖諸島を割譲、沙市、重慶、蘇州、杭州を交易市場とした。その後、独仏露の三国干渉のため遼東半島を、返還させられた。

1902年1月 対露戦略のため、日英同盟を結んだ。

2904年2月8日 日露戦争勃発。島国日本侵略の要不凍港旅順港奇襲。日露戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮半島と満州の制覇を争った、ロシアとの戦争)清国は中立国と称し他国のように傍観していた。国家の歳入ロシア約20億円、日本約2億5千万円。常備兵力ロシア約300万人、日本約20万人。軍艦の総排水量約ロシア51万トン、日本約26万トン。正に象と蟻の戦いである。世界各国がロシア勝利を信じていた。

1904年~05年190520日 日露戦争、日本勝利。日本の朝鮮における権益確認韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道を清国の同意を得て、ロシア、日本へ譲渡、南満州を勢力範囲とした。遼東半島を租借地とし、樺太南半の割譲。満州は侵略ではなく清国の同意を得て、占領していたロシアから譲渡されたもの。

 

 日露戦争における日本の勝利は、アジアの人民に独立への大きな希望を与えた。清国からも、2万人とも3万人とも言われる留学生が日本にやってきた。日本に亡命していた孫文は、滔天らの支援を受け、「中国革命同盟会」を結成し、約3千の会員を集めた。中国同盟会総理となり「三民主義」を発表した。同会機関誌「民報」の発行名義所は、宮崎滔天の自宅になっている。

 

日本の日露戦争勝利の外国の感想

 

 「世界に人類の運命を決する大きな危機が近づいている。その第一回の戦争は、我ら白色人種のロシア人と有色人種 日本人との間で戦われ 白色人種は、不幸にして破れ日本人は、白人を憎んでいる白人が悪魔を憎むように憎んでいる。しかし我等にとって日本そのものが危険な訳ではない。統一されたアジアのリーダーに日本がなることが危険なのである。日本による中国の統一、それが世界に脅威を与える最も不吉なことである」 ドイツ皇帝 ウィルヘルム二世(黄禍論の元祖)

 

 「日本に加え、眠れる獅子と称されたアジアの大国中国が、日本化されて協力したらどうなるか。日本が眠れる隣人を目覚めさせ、手を携えたとき、だれがこの2国が世界のヘゲモニー(主導権)を取らないと言い切れるか」   イタリア ムッソリーニ

 

 日露戦争勝利は、小国(白人)や植民地や有色人の虐げられし人類の星となると同時に、白人(大国、宗主国)の標的となった。食民治主義の白人は、有色人日本中国が手を組み、虐げられた有色人(植民地)や小国(白人)への独立の号令、宗主国の瞬時の破壊、小国(白人)の抵抗これを恐れた。そして以後の、食民治主義対有色人の対立小国(白人)対大国の対立復讐を恐れた。以後食民治主義者は、徹底的に日本中国の対立を画策し続いている。

 

 食民治主義者と凶産党が恐れた大アジア主義(日本を中心にアジア諸民族が団結して、欧米列強の圧迫に対抗すべきであると説く思想。アジア主義とも言う。1881年玄洋社を結成した頭山満が唱えた。宮崎滔天、松井石根、孫文、汪兆銘が継承し広めた。大東亜共栄圏の原点)

 

反凶戦争(日中戦争)の背景

凶産党の画策 

1919/ソ連凶産党が撒き餌をばら撒いた。

1919年 大正8年レーニン指導下のソ連が誕生した直後の1919年、ソ連は中国に「帝政ロシアの中国に対するすべての不平等条約は廃止されるべき(ロシア領となった外満州返還)」との宣言を行い、中国側に領土返還の一縷の希望、撒き餌をまいた

 これによって中国国民の間には親ソ意識が生まれ、大正10(1921)年には中国共産党が結成され誕生した。

 しかし1924年の中ソの新条約交渉時、帝政ロシアの結んだすべての条約類を廃止するとした条項が用意されたが、ソ連代表の帰国により締結には至らなかった。

 後のヨシフ・スターリンは不平等条約廃止の宣言を否認し、中国への領土返還を拒否。正に凶産党は捏造が国是だ。

 

 日本と共に大アジア主義を画策していた孫文1925年3月12日朝、孫文北京にて肝臓癌病死行年59歳)、汪兆銘、蒋介石は、この撒き餌にだまされ、親ソとなり、日本から一時離れた。以後凶産に気付いた汪兆銘、蒋介石は再び日本と手を結び中国凶産党を最後の5分間まで追い詰めた。が、またまたソ連の画策にあい、ソ連の傀儡毛沢東との「国共合作」となる。孫文後継者筆頭汪兆銘は、中国凶産化から決別、孫文の遺志を継ぎ再び日本と共に、大アジア主義確立を目指した(1940年南京汪兆銘政権)

食民治主義と凶産主義の画策

1922年 ソ連、ウクライナ・白ロシア・ザカフカス・ロシアの4ヶ国凶産化。

1924 ソ連大正13(1924)年にはモンゴルを侵略し征服赤化。「蒙古人民共和国」と凶産化。南下征服で残る唯一の植民地候補中国満州朝鮮台湾日本を、ソ連、の独裁者スターリンも虎視眈々と狙っていた。

1924年 ソ連、ウズベク・トルクメンの2ヶ国凶産化。

1925年3月12日朝孫文北京にて、肝臓癌病死行年59歳

米英仏ソの中国支援

1927年(昭和2)7月25日 張作霖、米国資本を背景に満鉄併行線の1つ打通線を満鉄併行線敷設禁止協定(対華21箇条の1つ)を無視して完成。1927年(昭和 2)9月 満鉄併行線の1つ、奉海線が、米国からレール、英国から車両を輸入して完成する。

 1927年にスターリンに追われて米国に亡命したトロッキーは、米国人に「なぜ、共産主義を忌避しソ連を警戒するのか。共通の敵は日本の黄禍ではないか。強硬なクルミの殻に籠もる日本であっても、白色人種として米ソが協力できるなら、米ソがクルミ割りの両テコのように容易に割ることができる」と発言。 ソ連 トロッキー

1929年 ソ連、タジクの1ヶ国凶産化。

1932年フーバー第31代(共和党)(1929~1933)大統領。反凶主義者である共和党のフーバーはソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防凶の砦」と常々口にしていた。

1933年 フランクリン・D・ルーズベルト(民主党)32代(1933~1945)米国史上初めての4期連続の大統領。T(セオドア).ルーズベルト(共和党)第26代の遠縁。米国経済の危機打開のために、ニューディール政策を実施し、一応の成果をあげたが1937年以後景気後退が始まった。

1933月 発足問もない民主党のルーズベルト政権は、共和党の反対を押しきってソ連を国家承認した。

 

中国共産党の日本への宣戦布告「八・一宣言」と「西安事件で翻意の蒋介石」が日中戦争と大東亜戦争の原因

1934年10月長征開始。ソブィエト共和国(中国内共産党国家)への、蒋介石軍5回に及ぶ包囲攻撃の結果、中国共産党軍30万人が瑞金を捨て、華南華中から敗走移動。移動中毛沢東の指導権が確立した。2年後の長征終了時には2.5万人に激減、崩壊寸前となった。

1935年広田弘毅外相の施政演説。日中双方の「不脅威・不侵略」を強調し、日本はアジアの諸国と共に東洋平和および、秩序維持の重責を分担する、と主張した。

 この誠意に満ちた演説は、中国側に好感をもって迎えられ、一週間後、蒋介石は次のような声明を発表した。「中国の過去における反日感情と日本の対支優越態度は、共にこれを是正すれば、隣邦親睦の途を進むことができよう。わが同胞も正々堂々の態度を以て理知と道義に従い、一時の衝動と反日行動を抑え、信義を示したならば、日本もまたかならずや信義をもって相応じてくることと信ずる」

1935(昭和10)年8月1日日中戦争の始まり。盧溝橋事件に先んじる2年前、中国凶産党日本に宣戦布告。

 1935(昭和10年)日中国共産党日本に宣戦布告

 1935年のソ連コミンテルン第七回大会で、反ファシスト人民統一戦線方式が打ち出された。その結果、ソ連「抗日民族統一戦線」を崩壊寸前の中国共産党に指示。敗走移動中の8月Ⅰ日に、溺れる者藁をもつかむの心境で中国共産党が日本に宣戦布告。「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」を発した。内戦停止・一致抗日(蒋介石と休戦し日本と戦う)と、「救国」運動にすり替えて訴えた。30万人から10分の1以下の2.5万人に激減、壊滅寸前の中国凶産党は、矛先を蒋介石から日本に変え、テロ工作に専心、日本人に成りすましての蒋介石へのテロ活動や、日本軍挑発工作に必死になった。捏造工作で仮想敵国をつくり、国内人心懐柔は、捏造が党是の凶産党常套手口。なんと現在の偽中国、癌半島、罪日が日本を敵として捏造、未だに続けているのだ

1935年10月国民党政府が共産党討伐に全力を尽くしていた時は、排日事件も余り起こらなかった(排日事件は凶産主犯の証し)のであるが、共産党が延安に拠点を移して華北一帯に共産遊撃区の構築に乗り出し、昭和10(1935)年8月1日、日本に宣戦布告した時期から、排日事件(凶産主犯)が再び頻発するようになったため、日本政府は、広田3原則を発して、排日事件の解決をはかった。その概要は、

1、中国側で排日言動を取り締まるとともに、日華両国は相互独立の尊重と和親協力関係の増進に努める。

2、中国側で満州国を承認し、日満華の新関係の樹立をめざし経済的文化的提携を結ぶ。

3、北支一帯における共産主義の脅威を排除するという見地にたって国民党政府と日本との合作を行う。

というものであり、共産主義の脅威を除去して、中国と友好関係を結ぶことを目的としたものであった。それは共産党討伐を推進していた蒋介石も、利害が一致したからである。これにより、日本は、排日テロ事件防止のために国民党と合意し、「冀察(きさつ)(河北省とチャハル省)政務委員会」を成立させることになった。この時期には、対共産主義政策において、日本政府と国民党政府の間には。このような協力関係が成立していた。

 従来より中国国民党は、親日派と親米派の派閥対立があったが、この時期を境に、親日派であった行政院長の汪兆銘が狙撃される事件や、同じく親日派の唐有壬(とうゆうじん)交通部次長が暗殺される事件が起こり、国民党内の親日派は衰退し、国民党の主導権は親米派に握られるようになった。

193511日 汪兆銘と蒋介石の指導のもと、日中和平路線が着々と進められたが、これを喜ばない勢力があった。国民党六中全国大会で、汪兆銘はカメラマンに扮した刺客から3発の銃弾を受けた。危うく一命はとりとめたが、療養のため、ヨーロッパへ渡った。

1935年12月9日「一二・九運動」。北京の学生が日本の「華北侵略」に抗議、国・共内戦停止、一致抗日を扇動(水と油が工作?)。胡適は学生の説得にあたった。「華北侵略」とは下記の事

 「1935年後半までに、日本は軍事力よりむしろ外交的、経済的手段で中国での目的をかなりのところまで達成していた。日本は華北を蒋介石政権の「悪政」からほとんど「解放」していた。日本は華北三省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成したのだ。将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言していた」ヘレン・ミアーズ著「Mirror for Americans: JAPAN」戦後3年の1948年出版。

 防共の砦(満州と華北融合)を、「黄禍連合」と認識した白人支配者水(宗主国)と油(ソ連凶産)は、以後、「白人連合」に一直線。

1936年 ソ連、アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア・カザフ・キルギスの5ヶ国凶産化

1936月 松井岩根、南京にて蒋介石と協調路線続行の会談をしたが、核心ははぐらかし、すでに変節しており、赤化分子も増殖中であった。2につづく⇒

真実史観ソ中凶産八・一宣言と食民治主義黄化論と西安事件が日中・大東亜戦争起因

2ソ中凶産八・一宣言と食民治主義黄化論西安事件が日中・大東亜戦争起因

1936年春桜美林創立者清水安三が、中国旅行で高まる抗日に不安を覚え、知人の蒋介石側近胡適と面会、戦争防止を訴えたが、「我々は日本と戦う。自分は以前、国民から嘲笑を浴びながらも、決して戦ってはならないと主張した。しかし今や、どうしても一度は日本とは戦わねばならない・・・と感じている」と答えたという。清水安三の妻もこの後、蒋介石妻宋美麗と面会、戦争防止を訴えたが、耳を貸さなかったという。桜美林HPより

 凶産の矛先転換工作、「八・一宣言(日本への宣戦布告)」が、国民に浸透し、親日では国民党も乗り切れなくなったのだ。

193610月延安に全軍到着し長征は終わった。中国共産党敗走軍の兵力は30万人から2万5千人に激減し壊滅寸前となった。

 汪兆銘の証言「中国共産党は、コミンテルンの命令を受け、階級闘争のスローガンに代わるものとして抗日を打ち出していたのです。コミンテルンが中国の民族意識を利用して、中日戦争を扇動していると私は読みとりました。謀略にひっかかってはなりません」

水(宗主国)と油(凶産ソ連)の融合剤黄禍論

黄禍論畏怖の白人連合有色人分断工作が西安事件で瀕死の凶産軍を蘇生させた

1936年12月12日西安事件。共産軍討伐のため西安に駐屯中の張学良の旧東北軍が、抗日救国を要求し、南京から督戦に来た蒋介石を監禁した事件。

 蒋介石釈放をめぐっての調停工作に当たっては、日中(有色人)連合畏怖の米英ソ等の白人は、水と油だが、黄禍論で一致し、中国凶産と同一歩調がとられ、抗日統一戦線を形成。以後蒋介石は国共合作・抗日へと方針を急転換し、「最後の5分間」の反共掃討戦を中止し、中国凶産党は復活した。事件後、国民党の外交部長で親日家の張群が罷免され、国民党(英米等)やから、共産党に毎月50万元が支給され、国民党は反日に染まり、「黄禍論白人連合」が形成された。

 胡適は直ちに打電し、張学良を国家民族の罪人であると激しく非難した。

 西安事件の直後、ヨーロッパでの療養から帰国した汪兆銘は、国民党副主席の地位についていたが、戦いの陰で日中和平工作を進めた。

 盧溝橋事件の数ヶ月前、米国ルイジアナ州出身の陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェノールトを、中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして蒋介石が雇った。

1937年7月7日盧溝橋事件

 ソ連も欧米と同様に侵略の歴史を重ねていた。残る唯一の植民地候補中国満州朝鮮台湾日本を、ソ連の独裁者スターリンも虎視眈々と狙っていた。

そんな緊迫の中、弾丸が日本軍に向けて発射された。凶産主義と食民治主義の中国と満州と日本、植民地化作戦の開始であり、日本軍の反共戦争の開始である。

大東亜戦争はローマ法王のピオ11世が喝破(後述)したようにアジアと、欧米列強(食民治主義)のみならず、侵略者凶産党との反共戦争でもあった。北京郊外の盧溝橋で演習していた日本軍に数発の銃弾が撃ち込まれた。反共戦争、シナ事変の始まりである。

 周恩来首相、中国凶産党が廬溝橋事件の犯人である事を暴露。周恩来首相中華人民共和国宣言時の証言

 「あのとき(支那事変勃発時)我々の軍隊が、日本軍と中国国民党軍(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽り、停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)に今日の栄光をもたらした起因である」

 

日中戦争工作目的の凶産テロ

1937年7月29日 通州事件(中国人保安隊の日本人虐殺事件)。通州において、婦女子を含む日本人居留民約2百名が目をくりぬかれるなど、残酷な強姦・虐殺事件があった。

1937年8月9日前哨戦たる国民党軍に潜入していた凶産スパイによる、日本将兵虐殺事件が発生。

1937年8月13日第二次上海事変の勃発。日本の陸戦隊を挑発し先制攻撃を開始した。

937年秋蒋介石著「中国のなかのソ連」より毛沢東の演説。

1、中日戦争は中共発展の絶好のチャンスである。我々の基本政策は全力の七分を中共の発展に二分を国民政府との対抗に、残りの一分を抗日に使用する。

2、この政策は次の三段階に分けて実施する。第一段階では国民党と妥協して中共の生存と発展を図る。第二段階では国民党と勢力の均衡を保ち、彼らと対抗する。第三段階では華中各地区に進出して根拠地を築き国民党に反攻する。

1937年9月二回目の国共合作

1937年10月14日ローマ法王のピオ11世は支那事変(1937年7月7日)が始まった年の10月14日に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。凶産党と戦っている。凶産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよ」と。

1937年12月13日 日本南京占領。

1937年(昭和12)年「今、父が計画していることが成功すれば、中国の国民に幸せが訪れる。しかし失敗すれば、家族全体が末代までも人々から批判されるかもしれない。お前はそれでもいいか」。汪兆銘は17歳の娘、汪文琳にこう問いかけた。汪兆銘は国父孫文の大アジア主義を継承して、日中の共存共栄こそ中国国民の幸せに至る道である、と確信し、中国共産党や蒋介石とは異なる孫文の誤謬「容共」を訂正し、遺志の実現「反共大アジア主義」を目指した。

 

1938年~1940(開戦の前年)まで十二回、講和提案」を行った日本

 ヘレン・ミアーズ著「Mirror for Americans: JAPAN」は、終戦から3年後の1948年出版。翻訳は2社(1953年「アメリカの反省・アメリカの鏡としての日本」原 百代訳と1995年「アメリカの鏡・日本」伊藤延司訳)。

第三章の1

 ――蒋介石のオーストラリア人顧問W・H・ドナルド・が、ルソンの日本の抑留所から解放された後の記者会見によれば、日本軍は1938年から1940年に至までの時期に、「十二回、講和提案」を行ったとのことである。ドナルド氏の略述したところによれば、日本側の条件は、中国に有利だった。日本軍はただ、満州国の独立承認、北支におけるある種の経済的及び開発権益、及び「外蒙からのソ連勢力の拡張防止のため、内蒙の政治的調整」を要求したに過ぎなかった。ドナルド氏の言によれば日本は「これらの提案の中で、何ら領土的要求はしなかった」。――

 

193810毛沢東が部下に与えた指令。「・・・中日戦争は、わが中国共産党にとって、党勢拡大のための絶好の機会を提供している。わが党の一貫した政策は、その勢力の70パーセントを党勢拡張に、20パーセントを国民党との取り引きに、残る10パーセントを日本軍に対する抵抗にふり向けることである」林彪編集『毛沢東思想万歳』

1938年10月27日 日本軍、武漢占領

1938年11月3日第二次近衛声明。 対日協力と和平を呼びかけた「東亜新秩序声明」

1938年12月第三次近衛声明。近衛三原則(善隣友好・日中防共協定締結・経済提携)

1938年12月20日  汪兆銘、重慶を脱出しハノイへ。夫人や、陳公博、周仏海ら「汪兆銘」派同志たちを、日本と交戦中である蒋介石の重慶から飛行機に乗せ、仏印のハノイへ脱出させた影佐禎昭大佐工作成功。

 汪兆銘、字は精衛。1938年国民党副総裁。副総裁の座を捨て近衛三原則に呼応し、反共大アジア主義を唱え重慶を脱出し南京入りした。法政大学卒で孫文の筆頭側近汪兆銘は、共産ではなく実体は、孫文が忌み嫌う西洋覇道の鷹犬、覇道凶産党に、孫文主義から逸脱した覇道蒋介石に気付いたのだ。孫文が早死にしなければ歴史は確実に変わっていた。重慶脱出の際、汪兆銘は蒋介石に、「君は安易な道を行け、吾は苦難の道を行く」と書き残したという。中国の国民の幸せのために、売国奴の汚名を着ても、汪兆銘は日中和平大アジア主義に賭けた。精衛の字は、その証し。しかし、中国の国民には、さらなる戦乱と、共産党独裁政権のもとでの圧制大虐殺という、過酷な運命が待っていた。そして彼が幸せを願った中国国民は未だに尚、「革命尚未成功 同志仍須努力」。

1938年12月1937(昭和12年)年7月に勃発した支那事変の推移は、1938年12月までには、首都南京はじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、蒋介石・毛沢東の資金源アヘンも押さえ、中国独自では継戦は不可能な状態となっていた。従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうならなかった、米・ソ(食民治主義と凶産党)等が「対日戦継続を条件」に武器・資金援助を行ったからである。したがって売国奴が叫ぶ日本軍の暴走などではけしてない。

 

対中国への食民治主義と凶産党の支援

 米国1927~1941.4億2000万ドルの援助。借款(第一次桐油38年12月第二次滇錫40年3月)。1941年開戦後に17億3000万ドル援助。英国1939~1940.2000万ポンドの借款。ソ連1億5000万ドルの援助。その他数回援助。フランス1938年1億5000万フランの借款。1939年9万6000フランの援助(蒋介石支援ルートへの援助)。 西安事件(1936年12月12日)国共合作②(1937年9月)となり、日本南京占領(1937年12月)以後、資金源アヘンを絶たれた蒋介石・毛沢東の裏に隠れ、本格的に援助したため、終わりの無い戦争となった。反共戦争なので日本は引き下がれなかった。戦後WGIPが洗脳した正義解放の連合軍は、真っ赤な嘘。食民治主義と凶産党は中国に隠れ、寄ってたかっての日本・中国(有色人種)潰し、食民治化が真相なのだ。

 米国はルーズベルト政権になってからの援助がほとんどだ。追随した援助はルーズベルト主導と考えて間違いはない。

 反凶戦争(日中戦争)の背景は売国奴が叫ぶ日本軍の暴走などではない。日本は日中共通の敵凶産ソ連と対処のため、早期和平を望んでいた(前掲の「十二回、講和提案」)。しかし、日本と中国の対立を望む食民治主義と凶産党が国民党・凶産党を支援し、中国凶産党拡大のための強引な反日攻勢が、戦線を拡大させた。中国が凶産化すれば日本は存亡の危機となるため、凶産と手を組んだ中国との反凶戦争は、止めるわけにはいかなかった。

1939年5月ノモンハン事件(ハルハ河事件)モンゴルを赤化征服したソ連との、モンゴル国境紛争。9月に停戦。

侵略者食民治主義凶産主義を知らない物書き屋司馬遼太郎の歴史認識

 1943年12月、司馬遼太郎は大阪外国語学校(現大阪外国語大学)蒙古語学科在学中に学生徴兵猶予停止を受けて仮卒業となり、学徒出陣している。そして、兵庫県加古川の戦車第19連隊に入り、翌年4月には満州で陸軍戦車学校に入学12月には見習仕官として牡丹江の「ノモンハン事件」で打撃を受けて還ってきた、戦車部隊戦車第一連隊に配属されている。同僚となった兵隊たちから「ノモンハン事件」の戦いの詳細を聞かされた

 

 「調べていけばいくほど空しくなってきましてね。世界に冠たる帝国といい気になって、夜郎自大となった昭和の軍人を、つまりは日本そのものを、きちんと描くには莫大なエネルギーを要します。昭和12年に日中戦争が起こって、どろ沼化し、その間にノモンハンの大敗北(注・凶産ソ連捏造を丸鵜呑みしての発言。ソ連崩壊後の資料では、ソ連側の被害の方がはるかに大きい)があり、そしてノモンハンの敗戦からわずか2年で太平洋戦争をやる国です。合理的なきちんと統治能力をもった国なら、そんな愚かなことをやるはずがない。これもまたこの国のかたちのひとつと言えますが、上手に焚きつけられたからって、よし承知したという具合にはいきません(笑)淋しい話になりましたね」 (『プレジデント』96年9月号半藤一利「司馬遼太郎とノモンハン事件」)

 

 小国日本が超大国ソ連凶産主義、超大国米英蘭仏中豪食民治主義に、戦争を仕掛けたと幼稚な勘違をしている。当事者(下士官)は部分だけ見て全体が見えず、戦後WGIPにすぐ洗脳され愚民化した。風見鶏中曽根もそうだ。侵略者は日本軍と洗脳された当事者証言は、ほとんどがこの類の、WGIP愚民証言である。司馬史観などではない、WGIP愚民史観だ。売国奴の巣窟NHK朝日毎日は、この証言を針小棒大に報道する。

1939年7月26日 フィンランド、ポーランド、およびバルト諸国を侵略していたソ連とは同盟を結んでいるのに、日本の「中国侵略」を口実に、ルーズベルト大統領は制裁を科し、日米通商航海条約の廃棄を通告。

1939年9月1日 ナチス・ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦(WW2)開始。

1939年12月 米国航空用ガソリン製造設備、 製造権の対日輸出禁止。

1940年3月30日  南京政府(汪兆銘)成立。「和平反共救国」を唱える汪兆銘を首班とした「中華民国国民政府」。日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府(反共で孫文の正統な後継者汪兆銘)、米英等が支援する重慶政府(宗主国の傀儡蒋介石)、ソ連が支援する延安政府(凶産党傀儡毛沢東)の、三つ巴の内戦となった。その中でも日本は、重慶(蒋介石)に対して、内戦の早期終結と、「日中共同防共」の希望を捨てなかった、前述の『十二回講和提案』。

1940年夏から集められた義勇兵、中国名「飛虎」。「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった。

1940年6月22日 フランスがドイツに降伏。

1940年8月 アメリカ、航空機用燃料の西半球以外への 全面禁輸。

1940年9月 蒋介石軍への米英の援助ルート封鎖するため仏領印度シナ進駐。英国と交渉し、ビルマルートを閉鎖させることに成功した。これに対して、日中間の和平をのぞまない米国のルーズベルトは、英国の対日妥協を10月に撤回させて援蒋ルートを再開させ、そして、日本に対して、鉄・くず鉄に関する実質的輸出禁止措置をとった。

1940年9月27日 日独伊三国同盟(相互援助協定)。敵の敵は味方の同盟戦国時代の常套戦術である。

1940年6月22日 フランスがナチス・ドイツに降伏。

1940年9月 蒋介石軍への米英の援助ルート封鎖するため仏領印度シナ進駐。ドイツに降伏したフランスのビーシー政府に交渉し、日本軍北部占領。英国に迫ってビルマルートを閉鎖させることに成功した。これに対して、日中間の和平をのぞまない米国のルーズベルトは、英国の対日妥協を10月に撤回させて援蒋ルートを再開させ、また日本に対して鉄・くず鉄に関する実質的輸出禁止措置をとった。

1940年 ソ連、カレロ=フイン・エストニア・モルダビア・ラトピア・リトアニアの5ヶ国凶産化。わずか18年間で合計18ヶ国がソ連に侵略され凶産化されていた。

1940年 ○日本の主要物資の輸入先(開戦1年前昭和15年<1940>) 

・鉄類  ①アメリカ69,9% ②中国15,6%(注・米、中、合計で85,5% ③インド7,5% ④その他7,0% 

・石油  ①アメリカ76,7% ②オランダ領インドネシア14,5%(注・米蘭合計で91,2%) ③その他8,8%

・機械類 ①アメリカ66,2% ②ドイツ24,9% ③その他8,9% 「アジア・太平洋戦争」
主要な輸入国を相手に戦争をするのは自殺と同じだ。

 反凶戦争(日中戦争を継続中で、多数の人的損失と戦費をすでに費やしていた。その状況下で更に英米蘭などの大国を相手に、新たな戦争を始めなければならない動機など、日本には皆無。衰えた者を啄ばむ、正に弱肉強食適者生存の戦国時代である。日本が戦争を仕掛けたのではなく、仕掛けられたのは明白な事実だ。明らかに(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略凶産化)(侵略凶産化)に戦争の意図や動機があった。

 

食民治主義者と凶産党の宣戦布告

1941年7月25日~8月1日 アジアにおける植民地支配体制の維持に障害となる日本の叩き潰しを図り、日米開戦の四ヶ月前の昭和十六年七月二十五日から八月一日にかけて、産業必需品である石油、錫、ゴム、鉄材などの対日禁輸をおこなうと共に、日本の在外資産一億三千万ドルを凍結した。英国、オランダも追随して共謀、経済封鎖を実施。

1941年8月1日 米国の大統領ルーズベルトは八月一日に英国、オランダと協力して石油など戦略物資の対日輸出禁止の追い打ちを掛け、しかも南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。当時の日本の石油自給率は5パーセント、95パーセントを対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、存亡の危機に見舞われた。開戦前年の昭和十五年の石油製品の需要は年間五百六万キロリットルなので、当時の石油備蓄量からは一年前後で在庫がゼロになる事態が予想された。ABCDラインは現代日本でも即、宣戦布告である。オイルショックを想起せよ。

 

WW2起因「WW1で降伏ドイツの餓死者80万人(大半が子供)」は日本のトラウマ

 1918年、食料が底をつき、飢えたドイツは「食糧封鎖の即時解除」という条件で降伏した。が、英仏は翌年の1919年まで数ヶ月も食糧封鎖を続け80万ものドイツ人(大半が子供)が餓死した。ラルフ・タウンゼント著『アメリカはアジアに介入するな!(芙蓉書房出版2005.7)』144p

※WW1降伏ドイツの轍は踏むまいと、日本首脳が開戦や終戦時に、最もこだわったのがこのトラウマ(条件不履行)である。

 

 このように資源なき小国日本が追い詰められての、昭和16(1941)年9月6日に開催された御前会議に於ける、永野修身発言なのだ。真実史観意訳(太平洋戦争の道、角田順・これだけは伝えたい武士道の心、名越二荒之助・人物抄伝太平洋の群像2永野修身、亀井弘等、大同小異資料なので、大意を踏まえ簡略に意訳し、解説を加えた。資料は、出席者の聞き書き寄せ集めではないか?)

戦わざれば亡国、
 戦国時代である。中国、南京、満州、朝鮮は、英米仏蘭ソの争奪戦場となり分割。日本も、再度の資源封鎖で壊滅し、分割資源なき小国日本は、再び包囲されて餓死か、降伏して奴隷ドイツは英仏のWW1停戦約束不履行で、80万人以上の餓死者(ほとんどが老人女子供)となった(WW2起因)。弱肉強食時代の戦わずは、無条件降伏で、奪われても犯されても殺されても従うこと。(終戦時の韓国、ソ連の侵略を想起せよ・・・あれが現実の世界だ)。ハルノートによる戦わずの降伏は、台湾朝鮮満州南京汪兆銘への裏切り、未来永劫子孫の汚名となり、選択は不可。ソ中凶産合体阻止防共戦争日本が、敗戦で撤退するや否や即座にソ中凶産合体し、南京満州朝鮮と攻め入ったのが、厳然たる証拠である!戦わざれば、ソ中凶産や英米仏蘭餌食で、日本国は消滅していた!

戦うもまた亡国
 世界の超大国米英仏蘭中ソが相手では、必滅。

であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。
 不屈の抵抗の歴史を子孫に残し、国名が消滅してもポーランドは復活した。抵抗もせず降伏すれば、屈辱、屈伏の歴史は隠蔽され、抵抗の歴史は無きものと成る。さらに、征服者に洗脳され愚民化された抵抗の歴史無き子孫は、二度と立ち上がることなどなく、日本は消え、食民治と化し、正に、日本民族永遠の亡国となる。(南北アメリカの先住民族、・・・あれが現実の世界だ)

戦って死中に活を見いだし
 戦うもまた亡国かもしれないが、戦って一縷の望みに挑戦し、資源封鎖で絶えず迫る、独占貿易の宗主国を、アジアから永遠に排除しなければ、資源無き小国日本の、未来は無い。独占貿易の食民治主義共産主義と戦い、アジアから追放すれば、一縷の望み(自由貿易を旗印に団結、大東亜共栄圏を成し、対峙)が生まれる。たとえ敗れても、大東亜共栄圏が覚醒し独立すれば、独占貿易は破壊され、自由貿易の世となり、資源無き小国日本に、一縷の望み生まれる。敗れても、同胞が覚醒し追随するような、

護国の精神に徹するならば、
 勝者に隠蔽されないような、子孫を守るための必死な姿、生きざま、戦いざま、死にざまさえ残せば

たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを守る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。
 たとえ占領され食民治にされ征服者に愚民化されても、残した挑戦の心や生きざま、戦いざま、死にざまを想起し、必ずや子孫は覚醒し、再び独立し、日本は復活する。我々はただの戦いではなく、子孫が必ずや想起し、覚醒復活するような、勝者に隠蔽されない、史上比類なき戦いを、残す。子孫のために。

 永野修身個人の発言だけではなく、出席者全員のほとばしる総意が集まり成したのだろう、大同小異の資料が物語っている。子孫へのほとばしるおもい「最適者生存」は深く重い。当事の指導者、苦渋の決断が滲んだ言葉だ。・・・ここには侵略者の影など微塵もない。あるのは、子孫への思い、適者生存、唯一つ
3につづく⇒

真実史観戦わざれば台湾朝鮮満州南京南洋への裏切りでソ中凶産の餌食!戦うもまた英米蘭餌食!

3戦わざれば台湾朝鮮満州南京南洋への裏切りでソ中凶産の餌食!戦うもまた英米蘭餌食!

食民治主義者の二度目の宣戦布告

 ハル・ノートは昭和16年11月25日、ホワイトハウスでの戦争閣僚会議において決定した。この会議の出席者は、大統領・ハル国務長官・スチムソン陸軍長官・ノックス海軍長官・マーシャル陸軍大将・スターク海軍提督だった。この会議で、米国としての最後通牒「ハル・ノート」を、翌26日、日本に手渡すことと決定した。ハル・ノートの内容は極秘で、米国議会さえも知らなかった。ハル国務長官は昭和20(1945)年ノーベル平和賞受賞。大江のーベル文学賞も同類。

 

「ハル・ノート」(概要)

日本軍の支那・仏印からの無条件撤兵。

2・支那における重慶政権(蒋介石)以外の政府・政権の否定(日本と南京国民政府=汪兆銘政権の対反共戦争を停止し、汪兆銘政権を裏切り見殺しにする)

3・日独伊三国同盟破棄(伊独両国との同盟を一方的に解消)。

 

 日本に対して、開国「明治維新1868年」以来、先人が最適者生存の時代を乗り切るため、血を流して護国のため戦い、営々と築いてきた、大陸における適者生存の生命線を全て放棄しろと、言ってきたのだ。これは、アメリカに対して、侵略し王国を滅ぼして併合したハワイや、ロシアから買ったアラスカ、更にメキシコを侵略して奪ったカリフォルニア、ニューメキシコ、テキサス等の諸州を全て放棄し、建国当初の東部十三州に戻れ、と言っている様なものなのだ。弱肉強食の時代を乗り切るための適者生存の生命線を放棄。応ずれば、確実に弱体化、戦うことなく再度経済封鎖されて確実に亡国である。

 

 これだけのことを一方的に要求だけして、一言も、「経済封鎖の解除」には触れていない。「ハル・ノート」に従えば、ただ話し合いに応ずると言うことだけなのだ。ハル・ノートには日本が回答すべき期限は定められていないので、最後通牒とみなす必要はなかったという愚論がある。資源封鎖下でなにもせず坐すれば坐するほど、確実に亡国なのは、誰の目にも明白だ。こんなものを受諾する国家など、どこにもない。

 

日本蜂起大東亜戦争開戦真実の詩「危急の日に」高村光太郎

 WGIPが形容する戦争讃歌詩などではない、開戦の真実を明白に語る昭和16年12月8日読売新聞夕刊1面高村光太郎59歳の悲愴詩。どうしてこれが戦争讃歌詩なのだ、64年間の仮想現実界の無検証無道理には驚くばかりだ。経済封鎖での降伏要求、日本蜂起で宗主国を追放し大東亜諸民族の独立、日本と諸民族団結、そして宗主国との対峙。軍民一丸蜂起の思いを語って、余りある。開戦一縷の望み大東亜共栄圏建設は、民間の一詩人すら詠っている。付け焼刃などではない。真実史観訳

 

危急「ききゅう(危険が迫る)」の日に

高村光太郎

「此日天気晴朗なれども波高し」とあの小さな三笠艦が曾て「かつて(以前に)」報じた。

波大いに高からんとするはいづくぞ。(日本を侵略せんとするは、どこぞ)

いま神明「しんめい(神のように明らかな徳)」の気(生命の活力の源)はわれら(日本)の天と海とに満ちる。

われ(日本)は義(道理)と生命(軍民一丸共生共死)とに立ち、かれ(侵略者)は利(利益)に立つ。

われ(日本)は義(道理)を護るといひ、かれ(侵略者)は利(利益)の侵略といふ。

出る杭を打たんとするは彼「ひ(侵略者)」にして、東亜の大家族(大東亜共栄圏)をつくらんとするは我(日本)なり。

有色の者何するものぞ(何も出来まい)と彼「ひ(侵略者)」の内心は叫ぶ。

有色(有色人種)の者いまだ悉く「ことごとく(皆)」目さめず(未だに食民治のままである)、憫む「あわれむ(気の毒に思う)」べし。

「ひ(侵略者)」の願(利益の侵略)使に甘んじて(行使に満足して)共に(英米蘭)(日本)を窮地に追はんとす。

力を用いるはわれの悲しみなり。

悲愴「ひそう(悲しくいたましい)」堪へがたくして(耐える事ができず)、いま神明の気はわれらの天と海とに満ちる。

 

昭和16年12月10日作詩昭和17年1月号「婦人朝日」掲載

十二月八日  高村光太郎 真実史観補筆

記憶せよ、十二月八日。

この日世界の歴史あらたまる

アングロ サクソンの主権、

この日東亜の陸と海とに否定さる。

否定するものは彼等のジャパン、

眇たる「びょうたる(小さな)」東海の国にして、

また神の国たる日本なり。

(アングロサクソン)「なお(修正)」めたまう明津御神「あきつみかみ(人の姿になった神)」なり。

世界の富を壟断「ろうだん(利益独占)」するもの、

強豪米英一族の力、

われらの国に於(おい)て否定さる。

われらの否定は義による。

東亜を東亜にかへせというのみ。

彼等の搾取に隣邦「りんぽう(隣国東亜)」ことごとく痩(や)せたり。

われらまさにその爪牙(そうが)を摧「くだ(砕く)」かんとす。

われら自ら力を養ひてひとたび起つ。

老若男女みな兵なり

大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。

世界の歴史を両断する、

十二月八日を記憶せよ。

 

 良識者高村光太郎予言の詩である。日本と同胞の老若男女、皆、兵となり、開闢からの弱肉強食の歴史を、両断。世界の富を壟断「ろうだん(利益独占)」するもの、非をさとり、あらたまり、治「なお(修正)」して新秩序、共存共栄を創造した(1960年植民地独立付与宣言)。

 

1943年11月5日 大東亜会議。

 1943年11月6日、占領地域の協力体制強化のための会議が東京で開催。日本(東條英機首相)、満州(国務総理帳恵景)、中国(南京政府代表汪兆銘)、タイ(ワンワイタヤコン首相代行)、自由インド仮政府代表(チャンドラー・ボース主席)、フィリピン(ラウレル大統領)、ビルマ(バモー大統領)が出席。共存共栄・自主独立を尊重・伝統を尊重・互恵提携・人種差別を撤廃・資源の開放(貿易の自由化)などを定めた「大東亜共同宣言」を採択した。AU(Asia Union)(アジア連合)を目指したのだ。

 

大東亜共同宣言

「抑(そもそ)も世界各国が各(おのおの)其の所を得相倚(あいよ)り相扶(あひたす)けて万邦「ばんぽう(万国)」共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義なり。

 然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり

 大東亜戦争の原因茲(ここ)に存す。

 大東亜各国は提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏「しっこく(手かせ足かせ)」より解放して其の自存自衛を全(まっと)うし左の綱領に基づき大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。

一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確立し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す

一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す

一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚「こうよう(高める)」す

一、大東亜各国は互恵「ごけい(相互に図りあうこと)」の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す

一、大東亜各国は万邦との交誼「こうぎ(親しい交わりを)」篤(あつ)うし人種差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放以て世界の進運「しんうん(進歩)」に貢献す」 

 

フィリピンで神風特別攻撃隊が編成された翌日、戦闘機の整備兵の友人に語った言葉。 真実はどこに・・・
 ・・・『もう戦争は続けるべきではない』しかし、敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができるだろう。

 アメリカを本土に迎えた場合、恐ろしい国である。歴史に見るインディアンやハワイ民族のように闘魂のある者は次々個々撃破され、日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう。このために特攻を行ってでもフィリピンを最後の戦場にしなければならない。

 しかしこれは、九分九厘成功の見込みはない、では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。 ここに信じてよいことがある。いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に必ずや、日本民族は再興するであろう。

 大空に雲は行き雲は流れり、すべての人よさらば、後を頼む、征って参ります。

 人は一度は死するもの、微笑んで往きます、出撃の日もそして永遠に。

 イッテマイリマス ノチノニホンニ エイコウアレ

 

「烈日サイパン島」より

 ・・・山中の戦死者は、残存兵の行動を米軍にさとられるのを恐れて放置されたままの姿で白骨化していた。加賀学伍長は白骨のそばに落ちていた手帳を拾って広げてみた。「4日間包囲を受くるも吾びくともせず、中隊の戦友皆戦死し吾一人なり、塩は少しもなし 三島市島田、古沢美恵子殿 貞吉」と書かれていた。・・・

 「烈日サイパン島」は昭和53(1978)年7月7日から半年にわたり、中日新聞と東京新聞に連載された。これは小説ではない。サイパン玉砕から34年たって掘り起こされた事実にもとづいて書かれたものである。取材し執筆したのは、中日新聞本社・社会部の滝恵秀、野崎恵史、小橋博

 

 「攻めても(植民地主義ABCD)、ハルノートで退いても(ソ中凶産合作)、強大な敵で必滅」は、当時の国民の常識であった。だからどの遺書も、うらみつらみなど皆無で、世俗を超越した高みにあるのだ。

 

 かくして日本は蹶然「けつぜん(地を蹴って立ち上がる)」と起(た)って軍民一丸、共生共死、玉砕、インパール作戦、特攻隊、集団自決、無い無い尽くしの小国日本適者生存軍が唯一子孫に残せるもの、生きざま、戦いざま、死にざまを残した。そして人類は史上比類なき戦いの有り様を見せつけられた。凄まじい戦いざまは虐げられし人類のこころの琴線を共振させた。虐げられし人類は皆蹶然「けつぜん(地を蹴って立ち上がる)」と起(た)って、一切の障礙を破砕した。去った食民治主義者も覚醒し消滅。戦後わずか15年後の昭和35年(1960)に、国連が植民地を保有することを不法行為であると宣言。その後、国連総会が植民地の保有を犯罪として規定すらした。人種差別撤廃条約は、1963年人種差別撤廃宣言、1965年12月21日に国連総会で採択。そして1990年8月からの湾岸戦争では、イラクのクエート侵略に対して各国が抗議し多国籍軍と化し、侵略者イラクをクエートから撤退させた。開闢以来延々と続いた最適者生存の、弱肉強食本能の食民治主義、独占貿易は破壊され、先人の旗印、自由貿易共存共栄平等に基づく新秩序が創造された

 軍民一丸、戦って戦って戦って、矢尽き、刀折れ、力尽きた、無い無い尽くしの小国日本適者生存軍が唯一残したもの、軍民一丸、共生共死、玉砕、インパール作戦、特攻隊、集団自決、先人の子孫への遺言は、今正に世界を覚醒させ人類への遺言となった。

 ただの戦いであれば、誰も覚醒せず、決然として立つものなど無く、日本は分断され消滅していただろう。覚醒した虐げられし人類の追随が、食民治主義者の覚醒となり緩和され、分断されず早期の独立となった。先人の残したものは、先人の予言そのもの、敵をも覚醒させまさに子孫を守りきった。

 覚醒した旧宗主国は、かつての植民地の人々を受け入れ今は暮らしている。そして日本が共産を凶産と暴き、拡散防御した凶産国のチベットでの横暴を、みな率先して抗議してくれている。先人の残したものは今、計り知れない進歩を遂げ、先人、孫文、汪兆銘の思い「凶産の破壊」は間近に迫っている。

 

 生命体は、最適者生存の戦い弱肉強食を経て今が在る。食民治主義や凶産主義は最適者生存の戦いなので、善悪、正邪の尺度では決められない。覚醒せし人々に対してとやかく言うべきではない。それが人類の新たな進歩となる。

 しかし旧宗主国や小国を虐げた大国には、今でも虐げた小国や植民地の報復を恐れている妖怪が存在している。日本が覚醒し再び小国白色人種、有色人種の雄となり立ち向かう恐怖だ。憲法九条の制定から始まり、63年経てもいまだに続くアメリカ軍日本駐留はその証しだ。日本覚醒に反対し、防衛戦争の死を、犬死に無駄死にと呼び、売国奴活動する九条の会や識者、売国奴報道するNHKや新聞、週刊金曜日、日教組、みな妖怪の手先だ。売国奴大江健三郎に史上初のノーベル贋賞を授けたのも妖怪だ。受賞理由は売国活動だ。大江の書き物は、賞に値する代物でないことが証明している。

 

 売国奴ノーベル犯日賞大江健三郎九条の会らが叫ぶところの、戦わざればどうだったろうか。再度資源封鎖され日本亡国、人類は食民治主義と凶産主義に支配され、日本中国台湾朝鮮や世界の小国の国名は全て消滅、いやそれどころでは済まず、原爆戦争となり人類の消滅の可能性の方がはるかに高い。手術しなければ治らない病気もあるのだ。戦争全て悪とはいえない。ましてや日本の戦いは防衛戦争だ。防衛戦争を悪と呼んだ歴史皆無。九条の会NHK等の先人冒涜者は皆、金で国を売った正真正銘の売国奴であることは、明白である。

 「終戦から7年後の昭和27(1952)年に日本が独立すると、戦犯釈放運動が全国に広まり、当時のほとんどの成人四千万人が署名。翌28年に戦犯の赦免に関する決議が国会でなされ、社会党や共産党まで含めて、一人の反対もなく決議された」。軍民一丸の心情は戦前も戦後も一貫して揺るぎが無い。虐げられし世界の同胞も、揺ぎ無く遺志を継ぎ、戦後15(1960)年植民地独立付与宣言。開闢以来の戦国時代弱肉強食を破壊し、現代の平和を築いた。日本の仮想現実界だけが戦後真逆に変化し、63年経ても未だに亡国工作活動である。

 敵味方悲惨なのを戦争と呼ぶ。ところが売国奴は、悲惨な話をする人を選択し報道する。それを見た視聴者は、そんな目に合わした日本軍極悪日本軍と、錯覚する。なぜ誰もがしたくない悲惨な戦争など、史上比類なき軍民一丸、共生共死、玉砕、特攻、集団自決など、しなければならなかったか、一番大事なことを、どうして報道しない、検証しない。天皇や日本軍の命令一言で、片付ける問題などではない。真っ先に、なぜどうしてと考えるのが、真の子孫だろう。考えもせず、極悪日本軍と先人罵倒だ。最適者生存戦争と語る人の報道一切無し。最適者生存戦争を直隠しに隠し、戦陣訓、「虜囚の辱(軍紀や法律違反)」を降伏禁止と捏造し、子孫死守した適者生存軍先人冒涜、語るに落ちた売国奴だ。中国、韓国への侮日施設見学土下座修学旅行主催、買われた犬日教組。曲学阿世の輩の巣窟、と化した日本。御前会議に於ける、永野修身の予言、正に適中だ。

 

 大東亜戦争はルーズベルトが捏造した陰謀に、アメリカ国民がだまされた揚げ句の戦争だ。日本の目ざしたものは共存共栄平等、八紘一宇の世界平和で、反凶自存最適者生存戦争で、食民治主義や凶産主義の侵略戦争ではない。もはや今は、世界の識者の定説と化している。アメリカは是々非々の国だ、ルーズベルトの陰謀、トルーマンの愚行を是々非々で認め、負い目を払拭すべきだ。

 

 そして日本もアメリカも、中国(新疆ウイグル、チベット、内モンゴル、満州、中国がソ連の遺物凶産主義に占領されている)、北朝鮮(朝鮮がソ連の遺物凶産主義に占領されている)、韓国(朝鮮が米国の遺物李承晩主義に占領されている)を鏡として学び、子供に真実の教育をすべきだ。ルーズベルトの捏造から両国は戦争となった。捏造は恐怖を生み戦争を引き起こす。嘘で国家は成り立たない。捏造が国是の国家は崩壊するのが世の習いだ。ソ連・東ドイツ・ルーマニア・アフガニスタン・イラク、ものの見事に崩壊している。真実だけが国を造り、物を成し、友好を生む。真実を基にした世界だけが平和を成す。日米は覚醒し、捏造が国是の無道理国家、凶産主義李承晩主義にいまだに占領され続ける人民の解放に、協力して至急対処すべきだ。日米は捏造国家プロパガンダ慰安婦論争等に巻き込まれ、いっしょになって馬鹿騒ぎするな、愚かだ。木ではなく森を見据え、王道を歩め。平和は真実からしか生まれない。

日清日露大東亜戦争は、唯物(凶産・食民治主義)対唯心の戦いで、WW1WW2は唯物対唯物の戦いである。

 「軍民一丸、共生共死、玉砕、インパール作戦、特攻隊、集団自決」は、体を筆にし、流れる血で書いた人類への、子孫への、軍民一丸適者生存軍先人の遺書。人類は、犬死に無駄死にとは、とらなかった。人類への、比類無き遺書として受け取り、開闢以来延々と続いた最適者生存の、弱肉強食本能の食民治主義を破壊した(1960年植民地独立付与宣言)。真の子孫ならば、先人の遺書を真っ先に精読することだ。 2008.4.21.真実史観

 

追記

未だに蠢くスパイ

 全体を見ず(俯瞰せず)、「無条件降伏」と捏造(軍隊のみが無条件降伏で日本国は有条件降伏)し、部分の、都合の好いところのみを摘み食いする「お花畑」は、「工作員」との自白である。

2013/3/30ヤフー知恵袋Q&

 ――負けるかもしれない戦争に結果として犠牲者が300万人以上と日本国の権益(満州国、朝鮮併合、台湾編入、樺太編入等)の喪失、無条件降伏の承認(戦争で無条件降伏最悪)を出した訳ですから、負ける戦争はやらないのが軍人の本分だと思いますが。――

 

※戦ったから、あらん限りに戦ったから、世界の全ての同胞が決然と立ち、日本分断はまぬがれた。戦わざれば、ソ中凶産英米蘭等餌食となり、台湾・朝鮮・満州・南京・南洋同胞(日本戦わざれば国名も破壊されていた。満州が証拠)からも裏切り者となじられる、地球の孤児、孤独な賎民と成り果て、日本族の名を残すのみであったろう。最悪は、原爆戦争で消滅していた!

 それを、「戦わざれば」犠牲者(300万人以上)も無く、日本国の権益(満州国、朝鮮併合、台湾編入、樺太編入等)の喪失も無いとは・・・?

 時は、平和の御世ではない、先に殺さなければ殺される、降伏条件すら守らぬ(前述WW1ドイツ餓死者80万)、弱肉強食時代なのだ!子供でも騙されはしない!なんとも・・・?頓馬なスパイだ!ヤフー知恵袋Q&犯日は、自作(質問)自演(回答)で、スパイの巣窟


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真実史観台湾や韓国ほど発展した国があるか!在米韓国人が思い知った世界の真実


台湾や韓国ほど発展した国があるか!在米韓国人が思い知った世界の真実

 大東亜戦争が最適者生存の侵略を破壊当に世界の識者は覚醒済未だ未覚醒の日本

滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配The doomed empire : Japan in colonial Korea 』M.J. Rhee著出版者 Aldershot : Ashgate 1997年

 「搾取と抑圧の下、ひたすら犠牲を強いられた暗黒の36年」という植民地史観が今なお日本や韓国では根強い。それどころか、議論する余地の無い、 絶対の真実にすらなっている。だが、日本の植民地経営は世界史的にみてどうだったのか。コロニアリズム(植民地主義)というキーワードをもとに理論的、実践的にこの問題に取り組んだのが、在米の韓国人女性研究者、クリスティン・リー(アメリカ・ポートランド州立大学教授。1960年生まれ。梨花女子大卒業後アメリカに留学)である。イデオロギーに振り回され学問的方法論に依らないこれまでの研究を厳しく批判した。

 ・・・私はアメリカの大学院で指導教授たちに言われた次の言葉を、今なお忘れることができません。

 「日本の植民地は、その後いずれも経済発展したではないか。そんな結論の出ている問題をいまさらどうして研究するのか」 

 米国の名門ラトガース大学のダン・ローデン教授は、私が博士論文の主題について 日本が朝鮮半島を植民地支配した時代の教育と女性問題について研究したいとの計画を説明すると、このように反問しました。 

 「文明のシステムを、日本の植民地主義は朝鮮半島に導入したのではないか。スペインやアメリカ、イギリスは日本のように本国と同じような教育システムを植民地に導入しようとはしなかった。当時の朝鮮半島の人々は、文明のシステムを 独自の力で導入するのに失敗した。日本の植民地主義を経ずに、あれほど早く 文明の世界システムに入れただろうか」

 私は、この発言に怒りが込み上げ懸命に反論しようとしたが、頭の中が真っ白になり感情だけが高ぶったのを覚えていますそんな論文を書いたら、韓国に戻れなくなるとの不安が一瞬心をよぎりました。
 

 論文の相談をした別の経済学専攻の教授は「植民地化された国家の中で韓国と台湾ほどに発展した国家はない。アメリカやイギリスの植民地で、台湾や韓国ほど 発展した国があるか」とまで言うのでした。 私の不満そうな表情を見たローデン教授は、次のようにも問いかけました。

 「日本の植民地支配を非難する韓国人の留学生の一人が、自分の父親が 東京帝国大学出身であると自慢げに話した。これは、暗黙のうちに 日本が導入した文明のシステムを評価していることになる。本来なら、東京帝大を卒業した父親を非難すべきではないか」 こう言われてみると、確かに東京大学はもとより京都大学、早稲田大学、慶応大学を卒業したことを誇りにする韓国人は少なくないのです。 当然韓国の側に立ってくれると思った第三者のアメリカ人学者の発言は、ショックでした。

 こうして私は1997年に『The doomed empire : Japan in colonial Korea』 (滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配)を、英国で出版しました。 日本の植民地支配下での女性と教育問題を、学問的に整理し、感情論でなく客観的に理解する素材を提供したいと考えたからです。当初の意図とは異なり、指導教授の理諭と主張が盛り込まれました この本は、韓国で出版するのはまず不可能でしょう。また、日本で出版しても、誤解を受け韓国では「親日派」と非難されかねません。 韓国で生活できなくなるかもしれません。それをあえて覚悟したのは、近代史を めぐる日韓の対立を解消し友好な関係を築くのに微力ながら貢献したいと考えたからです。政治や経済などの他の分野はともかく、女性解放と女性教育の面では日本のコロニアリズムは、朝鮮半島への近代化の導入に決定的な役割を果たしました。・・・

 タイと日本のみが独立国の戦国時代に、朝鮮先人は非力を自覚し独立を放棄、寄らば大樹の陰と日本統治を選択した。賢者の選択である。この世界史は隠蔽し、「植民地・慰安婦・謝罪」とわめきたて、「十代でも百代でも歴史を忘れることはない」といきまく、朝鮮無知愚民。1998年アフリカ人 vs 朝鮮人+中国人 歴史認識編動画中のアフリカ人の問いかけ、「我々の植民地時代(700年)は、もう歴史としたので、今は恨んではいない。朝鮮人はたかだか36年なのにいつまで日本を恨むのか!」は、正論。朝鮮人や中国人や罪日は、人類中の異常民族であることを自白し、世界に知らしめた!

 韓国の愚論に右往左往する日本の政治家、マスコミ、識者は、世界の識者の目に如何様に映るだろうか。学究なき愚かな子孫としか映らないだろう。最適者生存の侵略、学究無きは、国辱と化す。

 捏造、偽造から友好や物は生まれず、崩壊するだけだ。

 既に結論有の、右とか左とか、親日とか反日とかの色眼鏡ではなく、事実か否かの真実史観に基づくべきだ。

 真実は友好も物も生む。


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真実史観大東亜戦争人類の敵凶産主義と食民治主義の侵略者と戦い共産を凶産と暴露食民治主義破壊


押し寄せた時代の激流、生命体の本能、最適者生存。子孫死守のため自然権「私」を捨て「公」に殉じ、時代の衣を纏い、軍民一丸適者生存軍と化し、生存を懸けて戦い、開闢以来延々と続いた侵略と差別の弱肉強食の本能の歴史を破壊、共産は凶産と暴露、共存共栄と平等に基づく新たな人類の歴史を世界に創造した先人に、捧ぐ。

オッタマ僧正(ビルマ 独立の父)
 ウオッタマ僧正は若いころイギリスに留学して、帰国後、抗英独立運動を唱えて投獄された。 出所後、小国日本が、超大国ロシアに、日露戦争に勝ったことに感動し、1907年(明治40)、来日して全国を巡行した。
 まず京都・浄土真宗本願寺の探検家でもあった大谷光瑞を訪ね、そこから東京まで各界の人たちに接しようと、東京まで歩く予定でいた。たまたま名古屋で大きな葬式に出あった。オッタマにとって日本の葬式は珍しいので、門の前でじっと様子を眺めていると、家人がカーキ色の法衣をまとった旅僧のオッタマを見つけ、ありがたそうに、お経のひとつでも上げてもらえれば、功徳になると、丁重に家に招きいれた。
 この家の当主は、オッタマに魅せられ、家に引きとめ、オッタマは何日も滞在した。この当主こそ、松坂屋伊藤次郎左衛門だった。伊藤次郎左衛門は名古屋の豪商である。オッタマを3年間、面倒を見て、妹まで日本に呼んだ。伊藤次郎左衛門はオッタマを精神的にも、経済的にも支援した。オッタマはその間、日本を学び、東大で仏教哲学も教えた。当時のビルマはイギリスの植民地。オッタマはその独立のために日本で学んだ。

 そしてその得た結論を、『日本』という著書に集約した。その中で「日本の興隆と戦勝の真因は明治天皇を中心にして青年が団結して起ったからである。われわれも仏陀の教えを中心に青年が団結、決起すれば、必ず独立を勝ち取ることができる。」「長年のイギリスの桎梏(しっこく)からのがれるには、日本にたよる以外に道はない」と主張した。この著書が、独立を志向するビルマ青年のバイブルとなり、1930年に「タキン党」(われらビルマ人党)が、結成された。「タキン党」で学生運動のリーダーとして活躍したのがアウン・サンやウ・ヌーらである。後年、タキン党の青年志士30人が、密出国して海南島や台湾で日本式軍事訓練を受け、大東亜戦争を日本軍と共に戦い、遂に独立を果たした。その主導者がアウン・サンで、スーチー女史は、このアウン・サンの娘なのだ。

 オッタマは何度も投獄、出獄を繰り返し、ついに1939年に獄死、牢で生涯を終えた。僧正の死後ラングーンに開設された「オッタマ日本語学校」は、ビルマにおける日本語普及の魁となった。オッタマ僧正はビルマ 独立の父である。
 第2次世界大戦後、独立を果たしたビルマはその後、ミャンマーとなったが、鎖国のような状態でも、伊藤家への恩義を忘れず、関係者は入国するのも容易な手続きですむという。ビルマのオッタマ僧を支援

ウ・オッタマ僧正は、日本隆盛の源を、喝破したのだ。

 倒幕の志士高杉晋作上海の見聞記録「中国人はほとんどが外国人の召使のようだ。英仏の人が街を歩けば、中国人の人は傍によって道を譲る。上海は中国の領土だが、英仏の植民地とも言える」と記されている。
 

 天皇制皇民化を、とやかく言うノーベル贋賞大江や、石原都知事などの半人前がいるが、資源無き小国日本が大国に占領されず、独立国家として弱肉強食の時代の激流を乗り超えるには、天皇の下に一致団結一丸化軍国化しなければ、侵略され征服され、欧米露が支配する世界(食民治と化していた。

 先人は弱肉強食の時代対処のため、時代の衣を纏ったに過ぎない。小国が超大国に攻め入った歴史など皆無。線である世界史を見ず、点で見るから錯誤する、なぜ、どうしてと検証すれば瞬時に氷解する常識問題だ。冒涜の輩は学究不足か売国奴、いずれかだ。

 明治維新(1868年)当時、有色人非干渉独立国家は、世界で唯一日本だけであった。他はタイ(独立国ではあったが英仏の干渉下)、中国(独立国ではあったが欧列強露の干渉下)、リベリア(1820年アメリカの解放奴隷が移住建国、1847年独立)の、たった3カ国。欧米露、大国が支配し、侵略戦争、弱肉強食真っ只中。これが当時の世界の現実だった。

 

 服従か戦争かの時代での天皇制、皇民化、戦争、玉砕、特攻、集団自決なのだ。侵略者「米英蘭中豪ソ(宗主国とその傀儡蒋介石、凶産党とその傀儡毛沢東)(人類の敵、食民治主義と凶産主義)」に囲まれ、四面楚歌の小国日本は、軍民共生供死の一丸と化し、小国がもてるあらん限りの力を使い、抜け殻になるまで人類の敵と戦い、軍民、灰と成って尽きた。感謝以外の言葉があろうか。正しく今次の戦いは、史上比類が無い。誰のためか?、子孫のためだ。

 侵略者(米英蘭中豪ソ)に囲まれ、子孫のために戦った先人を、戦争極悪、交戦した先人極悪人、被害者国民可哀そうの半人前子供史観で、他人事のように語ることほどの冒涜は無い。

 先人が戦った相手は前記のように、世界を次々と侵略してきた人類の敵侵略軍だ。日本人なら当時の指導者、当時の先人の立場に立って、歴史を語るべきである。

 先人は、子孫のため自然権「私」を捨て「公」に殉じ軍民一丸化弱肉強食の時代に対処し、子孫のために、四面楚歌の小国唯一の護国の衣、時代の衣を纏ったに過ぎない。

 
侵略者
(人類の巨悪、食民治主義と凶産主義)相手に、たった一か国で戦った大東亜戦争は、日本の敗戦で終結。だがしかし、弱肉強食の時代も終わった。2002年現在、国連加盟の独立国の数は189カ国、そのうちアジア、アフリカだけで100カ国以上となった。

 

 服従も拒否、戦争も拒否は空論、そんな選択肢は史上皆無。先人罵倒者は、よまい言を言っているに過ぎない半人前の子供だ。先人が成したから、今が有る、成さねば今の日本は、世界は、無い。

 真の子孫ならば、半人前の子供、ノーベル贋賞大江のように、妄言を吐き、無いものねだりなどせず、一人前になれ。

 弱肉強食は最適者生存の生命体の戦いで、開闢以来不適者は滅び適者が生存して、今に至っている。しかし生命体の宿命、最適者生存の侵略は大東亜戦争で終わった。なぜ終わったのか。日本は敗れた不適者なのに、なぜ適者として生存し繁栄し続けているのか。

 事実を紐解き子孫に残し、指針とさせるのが、我々の使命なのだ。善悪正邪を超え、最適者生存の戦いとして俯瞰すれば、自ずと真実が現出する。

 

 マッカーサーが評した12歳の少年迎合者は戦後、戦争悲惨、侵略者日本、極悪日本軍と「点」教育した(過程は教えず、結果を丸暗記教育)。結果、悪いのは全て日本、極悪日本と洗脳された。

 戦争を点で見た場合極悪なのは当たり前、極悪だから戦争と言うのだ。

 歴史は点(結果)ではない線(過程)だ。立派な親から授かった自らの頭脳で「なぜ、どうして」と、線(過程)を検証すれば、たちどころに覚醒する。紐解く鍵は、線(過程)の検証。洗脳された既存の知識をすべてリセットし、歴史の真実の紐を解こう。続く子孫のために。

大東亜戦争
侵略者(人類の巨悪、食民治主義と凶産主義)相手に、たった一か国で戦い食民治主義を全て破壊、共産主義の正体凶産主義を世界に初めて暴き、拡散防御。

 残る
人類の敵はただ一つ、人類の元凶、捏造が国是凶産主義。


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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