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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観特攻で護国このままでは三途の川を渡れない『特攻最後の証言』真実を語る


1特攻で護国 このままでは三途の川を渡れない     

 本当のことを伝えたい。8人の元特攻隊員インタビュー。『特攻 最後の証言特攻・最後の証言制作委員会 (著)アスペクト2006年11月8日より抜粋

吉武登志夫陸軍少尉八紘第六隊石腸隊

あの時代にいれば理解できること

 吉武「私たちは、かわいそうな人でもなんでもありません。今の時代から見れば、そう考えるのかも知れませんが、当時は国のために命を捧げることに大いなる価値があった。やはり物事を正しく見るには、当時の状況を前提に考えないと当事者の気持ちまで理解するのは難しい。要するに、その時代の雰囲気、戦況、そういうものの中にあって初めて生まれる心境です。平和な時代とは前提が違う。我々のような者でも、今のように平和な時代が続いているとわからなくなることがありますから。恐らく今の若い世代の皆さんも、もしあの時代(戦国時代)に生きていれば、我々と同じ心境になったと私は思います」 

小灘利春海軍大尉第二回天隊

「人間魚雷」の一言で己の運命を悟った

 小灘「・・・ソロモンを獲られ、マリアナを獲られ、日本はもう防波堤のない状態になっていました。アメリカはいつでも日本本土に上陸できる。もし本土で陸上戦闘になれば、日本の国民も国土も文化も全てが失われると思いました。しかし何とかアメリカの上陸を止めたいと思っても、その方法がない。船や飛行機はどんどん消耗している。

 ・・・日本を守るためには非常の手段を使っても、アメリカの上陸を阻止しなければと思っていましたから、『人間魚雷』の一言で、これこそアメリカの上陸を止める非常の手段だと思いました。聞いて喜んだんです。潜水学校からは私を含めて7人行きましたが、7人が一様に喜びました。我々は命を失わなければならないが、その代わりに千倍、何千倍の日本人が生き残る。日本民族をこの地上に残すためには我々が死ぬしかない。それができるなら命は惜しくないと、その瞬間に悟りました。その夜、遅くまで将来の期待を語り合ったものです。その時の気持ちは今でも変わりません」

――訓練中の事故といえば、黒木博司、樋口考両大尉の殉死が有名です。艇内の酸素がなくなる中、事故の詳細なレポートを書き上げていますお二人と小灘さんとの間に接点があったかと思いますが。

 小灘「立派な最後でした。その精神力はただものではありません・・・。お二人は回天の中で12時間近く生きておられたようです」

歪曲されてきた人間魚雷(回天)

 小灘「・・・特攻隊員は悲惨で残酷な境遇にあったという話ばかりまかり通っていて、私はそれを打ち消しているのですが、世間は悪口(特攻隊=非人間的)の方が納得できるのか、なかなか耳を貸してくれない。回天関係の本を書く人も異常な人物が多く、歪曲して悪く書く人ばかりが戦後の出版の対象になりました。我々がいくら言っても、まともな証言は相手にしてもらえない。地元のTVでさえも同様です。回天の特集番組を何度か作りましたが、どの番組も、回天は一度搭乗すると外からボルトのようなものでハッチを固定され、搭乗員は泣いても叫んでも外に出してもらえない非人間的な兵器だ、そんな説明で全国放送されました。回天一型の図面(内部図解)を見ればわかりますが、ハッチは頭上と床の2ヶ所にあり、開閉のためのハンドルは内側にしかついていません。だいたい外側に突起物があると水の抵抗が大きくなるので、そんな馬鹿なことはしません。

 我々も搭乗訓練に入るとき、仁科さん(仁科関夫少佐=人間魚雷計画の発案者の一人)から『ハッチは自分で開けて自分で閉めるものだぞ』と言われてました。私はそれを聞いて武士とはそういうものだとも思っていました。なのに世間では全く逆のことをいう。海軍にいた人でさえそう思い込んでいる人がいるようです。(さらに別の写真を見て)これは大津島の予備士官で一番後から入った組で、昭和20年3月に来た連中です。この中の一人が本の中で(部隊を)大変悪く書いています。恨み言は覚えていても、他の記憶は一切無いようです。だから本(「回天特攻学徒隊員の記録」――止むに止まれず破った50年の沈黙)を書いたけれども、中身はいろんなものからの引き写しです。この本のどの部分が嘘であるかを指摘したリストもあります。ま、人には普通見せませんが。真実であろうと悪口になりますから。回天に関する本はたとえ隊員が書いたものでも、そんなものがあり、ほとんどの本は意図的に歪曲されている。それをまた人が引用してどんどん間違って伝わってしまう。比較的まともなのは上原と言う人が書いた本(「回天その青春群像」)で、130人ほどに取材して」書かれており信頼できます」

注・直接ある著者に何故こんな事実でないことを載せるのか尋ねた時には、「そのほうがうける」が答えだった・・・、「やはり守るべきは、かけがえのない民族でないだろうか。・・・特攻でも、愛するものの生命を救うため、自分の命を捨てることが必要だと思った時、初めて死ねる」「父、小灘 利春」 伊藤伸子

本当は人道的な兵器だった人間魚雷「回天」

 小灘「・・・戦後の世の中は本当に便利になりましたね。しかし同時に昔の日本の良さがどんどん消えてしまったように思います。たとえば警察官にしても消防士にしても、人のために尽くす仕事が軽蔑される世の中になってしまった。極端な例は自衛隊。税金泥棒なんて言われて。自身のためでなく、多くの人に尽くす職業がなぜ評価されないのか。戦後は教育が誤っている気がします。それが占領軍の方針だったのでしょうが、彼らにしてみれば予想以上の効果があったのではないですか。私は日本人は優秀な民族だと思ってましたが、あまり自分でものを考えなくなってしまったと言うか、お百姓的な発想になってしまいましたね。自分で考えて自分で行動するのではなく、人がやっていることに自分が合わせりゃいいという考えに」

――若い人達に、これだけは伝えたいということがあればお聞かせ下さい。

 小灘「・・・多くの人に尽くすのが尊いと考えず、自分さえ良ければと思っている。そういう国は滅ぶと私は思っています。私は回天は非人道的どころか、人道的な兵器だと思っているんですね。一人の身を捨て、その代わりたくさんの人を助ける本当の意味での人道的な兵器だと思うのです。戦後の新聞はやれ、愚かな戦争とか愚かな特攻隊員などと書きたがりますが、回天に限らず特攻隊員は皆、とにかく日本人をこの地上に残したい、そのためには自分の命は投げ出してもよいと納得した上での捨て身だった。そういう多くの人に尽くす人を評価し、敬わなかったら、誰が人に尽くすようになりますか

回天特別攻撃隊 海軍大尉 小灘利春(故・小灘利春全国回天会々長が「人間魚雷・回天特別攻撃隊の歴史を、搭乗員の思いを正しく後世に伝えたい」というご主旨のもとに、ご生前に会報・雑誌・新聞等に発表されたものです)。

黒木豊海軍一等飛行兵曹第一二三震洋隊
 黒木「・・・日本の国というものに対する考え方というものは、今でも(有事があれば)お前行くかと言われれば、行きますよ。そんな体で何が勤まるかと、笑う人もいるだろうけど。でもね、お国のためならね」

海老澤喜佐雄海軍上等兵曹第七一嵐突撃隊
 海老澤「・・・24時間勤務ですから、寝る時間も無い。そもそも軍人だから死ぬことは当たり前です。・・・」

皆本義博陸軍中尉海上挺進隊第三戦隊

村民も知事も校長も心を一つに戦う同志だった

――戦時下の(渡嘉敷島)島民の意識はどのようなものだったのでしょうか?

 皆本「軍官民、実に統率が取れていました。日本の領土を守るということで心は一つだったのです。思い出すのは昭和20年1月、県知事として島田叡さんが沖縄に赴任したこと。この方はもとは兵庫の人です。沖縄はこれから大変なことになると、水筒を肩にかけ国民服に巻き脚絆を巻いて着任しました。沖縄は20年2月に戦時行政に切り替えられましたが、知事は住人とともに死ぬ覚悟だったのでしょう。命を張っていた。この人は軍司令部の用意した立派な壕を断り、いつも住民の側にいました。住民からも大変慕われました。もう一人は沖縄師範学校長の野田貞男さん。この方は20年2月、文部省の会議に出席しましたが、すでに帰任する船も無く、文部省の担当官から文部省に残っておれば他の役職に就けると言われたのを断り『生徒が待っている。私は万難を排して学校に帰る』と宣言して、その足で市谷の陸軍省に行き、懇請して陸軍の爆撃機で沖縄に戻りました。野田校長は寮生と生活を共にし、将官待遇で軍令司令部に迎えるという誘いも断った。常に生徒の先頭に立ち、生徒で組織された鉄血勤皇隊が首里から摩文仁へ転進するのを見送った後、校舎の焼け跡でじ自害されました。当時は軍人も行政官も学校の先生も皆立派でした」

――遺骨はご家族のもとへ届いたのでしょうか?

 皆本「復員後、私は部下の墓参を続けました。その中で非常に感銘したのは・・・私は部下の遺骨をガーゼに包んで持ち帰りましたが、ただ一人、中島少尉だけは遺骨も遺品もありませんでした。大町団長を敵中突破護送した中島一郎少尉。彼は埼玉県の農学校の出身で、よく戦場で花の苗を植えていました。そこで珊瑚の欠片を洗いまして、それを遺骨代わりにもって帰りました。ご両親にこれこれしかじかでと報告したところ、それをぜひいただきたいとおっしゃった。遺骨を入れる箱を作り、その中に珊瑚の欠片を入れ、私の弟と二人でお宅まで向かうことにしました。あの頃、埼玉まで行くのは大変でした。門司からの列車は広島止まりでした。乗り換えを繰り返して広島まで行き、原爆の落ちた後の広島の駅で、その惨状を嫌というほど目の当たりにしながら、弟と『とにかく届けに行かなければ』と話していました。それを耳にした車掌さんが我々に敬礼してくれ、こちらへどうぞと案内してくれました。まだ明かりのついていない列車まで連れて行ってくれました。当時の二等車、今のグリーン車です。『車掌さん、私は自分のわずかな手持ちの金で全国の遺族を回っています。とてもではないが、二等の料金は払えません』と話しますと、『いや、どうぞ』と。そのまま座っておりましたが、東京まで行くのに4回か5回検札があり、そのたびに車掌さんは私と弟だけ見過ごしてくれたんです。ああ、わが国鉄は健在なり!しばらくして、(国鉄の)偉い人に礼状をかいたものです。確かに規則からすれば違反かもしれないが、あの車掌さんの行為はすばらしいと」

 皆本「・・・梅沢(裕・少佐)さんが隊長だった海上挺進第一戦隊に関わったある女性から『梅沢さんには申し訳ないことをした』という言葉をいただきました。集団自決者に対する国の補償を願い出た際、『そんなことを言うなら広島や長崎の原爆の被害者はどうなる。そんな金は出せない』と追い返されたと言います。3回目に願い出た時に、役所の課長が『軍の命令で自決したということであればなあ・・・』と漏らしたそうです。それで梅沢さんが命令を下したことにして補償を申請したとその女性が語ってくれました。それが真相です。裁判が始まる前、梅沢さんに電話でそのことを伝えましたら、『軍が命令を下したということで遺族の方々が補償、年金をもらっておられるなら、それはそれで良かった』と。当時、集団自決のあった座間味島は、鰹漁と鰹節の加工で生計を立てている貧しい島でした。今はその産業もありません。その意味で島民の生活補償に貢献したと思うと。ただし、貫かなければならないのは軍の名誉である。これだけははっきりさせなければ俺はしに切れない。そうおっしゃいました。皆本も全く同感でした。・・・」

 皆本「渡嘉敷の村民の方々と今でも会えば、親戚以上のおつきあいです。最後の慰霊祭として昨年(平成16年)、女房を連れて現地へ行きましたら、当時を知るおじいちゃん、おばあちゃんから、戦後生まれの若者、子供まで、皆さんが飲んで歌って踊って我々を歓待してくれました」

江名武彦海軍少尉神風特別攻撃隊第三正気隊
 江名「・・・当時の社会はゲマインシャフト(独語。伝統的社会形態)、運命共同体でした。共同体の中に個があり、個の幸せを願うのは当然ですが、共同体の中に生きる若者として、愛する親兄弟、郷土、祖国のため、危急存亡の時は自己犠牲の覚悟が要請されました。“海行かば”の万葉集、大伴家持の時代に先祖帰りするような使命感です。それは悲痛なことでしたが、当時の若者は受け入れました。現代の個主体のゲゼルシャフト(独語。人為的社会形態)の世の中とは違っていました。戦前が全て良い時代だったとは言えません。今より悪い面も多々ありましたが、戦後のアメリカ軍の占領政策で、以前の国の有様が全否定されました。教育でいえば、歴史、地理、道徳の授業はまかりならぬと徹底したものです。私たち古い人間には、先祖伝来の日本特有の美風が、すっかり失われてしまい、口惜しい限りです」

 江名「太平洋戦争について、公正で客観的な目で学んで頂きたいと願っています。列強の帝国主義の時代が、太平洋戦争と共に終わったという事実を客観的に検証してもらいたい。太平洋戦争を学ぶには帝国主義の研究が肝要です。・・・」 

土方敏夫海軍大尉第二〇三空戦闘三〇三飛行隊
 土方「私たちの時代は、(戦国時代なので)”公”が主で”私”が後ろに隠れていた。今の時代は逆で、”私”が前面に出て、”公”が後ろに隠れてしまっている。常に世の中というものは、論語の言葉を借りるなら、中庸は徳の至れるものなりで、やはりバランスの取れた感覚を大切にして欲しいと思います。えてして若者は極端に走りがちですが、右でも左でもなく常にそういう感覚を持ってもらいたい。それにはやはり、歴史をよく学んでもらいたいですね。”公”があって”私”がある。そのどちらだけでもいけません」

木名瀬信也海軍大尉神風特別攻撃隊第九筑波隊
 木名「私は、この世の中のことは、男と女、白と黒…デュアリズム(二つの原理で世界を説明する言説)で処理されていることを、世の中を考える上で必要であると思います。絶対主義というのは想念の中でしかあり得ないと。あらゆるもの、現実世界、地球上にあるものは、デュアリズム、表があれば裏があるこれを知っておいてもらいたい。だから絶対平和なるものは一つの目標としては素晴らしい。目標として掲げることによって、我々の理性が活躍し、世界を平和にしていこうという動きをもたらすことはあるかもしれない。しかし、それによって世の中の争いごとが無くなると考えるのは、これはいかがなものかと。世の中には善と悪がある、一人の人間にも悪と善が混在する。一人の人間を絶対善の人間とするのでは大きな誤りを犯すと。絶対平和を目標にしていくことはよい。絶対平和が世の中に存在できると考えると、これは危ない。現実社会には表もあれば裏もある、ということを是非考えて頂きたいというのが私の考えです」  

抜粋終了

神風特別攻撃隊最初のパイロット関行男大尉の遺書 
満里子殿 何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対しては誠にすまぬと思って居る 。何も言はずとも、武人の妻の覚悟は十分できている事と思ふ。御両親様に孝養を専一と心掛け生活をしていく様、色々と思出をたどりながら出発前に記す。恵美ちゃん(妻の妹)坊主も元気でやれ
。  行男

特攻に志願して戦死した植村大尉の愛児に遺した手紙
昭和19年10月26日にフィリッピンのセブ島の基地から特攻に志願して戦死した植村大尉の愛児に遺した手紙です。

 素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残してあります。素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
 私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
 父はお前が幸福者と思います。生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
 お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで貰いなさい。
昭和十九年○月某日              父
植村素子へ
追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。

 九段とは靖国神社のある地名です。この遺書に書かれた素子さんは昭和42年に靖国神社の拝殿で舞いを奉納して父の霊を慰めています。

菊水隊 妻への手紙
佐藤章 菊水隊 イ36潜、イ37潜、イ47潜 昭和19年11月8日出撃
妻への手紙
まりゑ殿
 かねて覚悟し念願していた「海い征かば」の名誉の出発の日が来た。日本男子として皇国の運命を背負って立つは当然のことではあるが然しこれで「俺も日本男子」だぞと、自覚の念を強うして非常にうれしい。
 短い間ではあったが、心からのお世話になった。俺にとっては日本一の妻であった。
 小生は何処に居らうとも、君の身辺を守っている。正しい道を正しく直く生き抜いてくれ。
 子供も、唯堂々と育て上げてくれ。所謂偉くすることもいらぬ。金持ちにする必要もない。日本の運命を負って地下百尺の捨石となる男子を育て上げよ、小生も立派に死んでくる。
 充分体に気をつけて栄へ行く日本の姿を小生の姿と思いつつ強く正しく生き抜いてくれ。
大東亜戦争に出陣するに際して
昭和十八年九月二十一日           章
まりゑ殿

  
神風特別攻撃隊振天隊の特攻隊員遺書
22年の人生すべて個人の力にあらず。母の恩偉大なり、母の恩の中に亡き父の魂魄は宿せり。我平安の22年、祖国の無形の力による。国家の危機に殉ぜざれば、我愛する平和は来ることなし。我はこの上なく平和を愛するなり、平和を愛するが故に戦いの切実を知る。戦争を憎むが故に戦争に参加せんとする。我ら若き者の純真なる気持ちを知る人の多きを祈る。22年の生、唯感謝の一言に尽きる。すべては自然のままに動く、すべては必然なり。

さらさらと吹きくる春の風なれば、花の散るのも懐かしきかな。
さらさらと吹きくる春の風なれば、花の散るのも懐かしきかな。
朝風にはためくをみたしかの地より平和日本の日の丸の旗
戦没学徒兵 古川正崇中尉

特攻隊員の思い 特攻隊員の思い 英霊の言乃葉 

特別攻撃隊の戦死者 特殊奇襲兵器

   軍 戦死者数4,148。
陸   軍 戦死者数1,674。
特別攻撃隊 総戦死者数5,822。

米国映画「インデペンデンス・デイ」 総攻撃の前の大統領の演説。「さあ、諸君、勝とうが負けようが、ともに叫ぼうではないか。我々は決して粛然と闇に消えたりはしない!抵抗もせずに滅びてたまるものか!」

 おんぼろ機にミサイルをくくりつけた呑んだくれの老パイロットは、「いかにゃならんのだ、息子よ! おまえはいつも、おれよりうんと立派に家族の面倒を見てくれた。あとはたのんだぞ。」と別れを告げ、巨大円盤の開いた底部にミサイルもろともつっこみ、見事、誘爆させ特攻で世界を救った。

フランスの文人アンドレ・マルロー
「・・・フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである」
2につづく⇒

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真実史観戦わざればソ中凶産や英米仏蘭の餌食で日本国は消滅していた!

2戦わざればソ中凶産英米仏蘭餌食日本国は消滅していた
「特攻隊生みの親」大西瀧治郎中将
 特攻は大西がマニラに着任する前から、海軍内で検討されてきており、様々な特攻兵器も開発され、大西が発案者ではない。しかし、武人・大西瀧治郎中将は、一切の責任を一身に負い、1945年8月16日未明、渋谷区南平台の軍令部次長官舎において、日本の敗戦を見とどけると、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して腹を十字にかき切り、割腹自決。自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな。おれはできるだけ長く苦しんで死ぬんだ」と医者の手当てを受ける事すら拒み「自分が送り出した部下たちへの責任を取り詫びる」と言って、夜半から未明にかけて約20時間、詫びながら苦しみ続けて、この世を去った。行年(54歳)。
遺書 

八月十六日0245 自刃ス
特攻隊の英霊に曰「のたまわ(申し上げる)」す。善く戦いたり、深謝「しんしゃ(深く感謝する)」す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れ共「しかれども(しかしながら)」其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。

次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして軽挙「けいきょ(軽々しい行動)」は利敵行為(敵の利益)なるを思い、聖旨「せいし(天子のおぼしめし)」に副(そ)い奉(たてまつ)り、自重忍苦「じちょうにんく(苦しみを忍び軽々しい行動はしない)」するの戒(いましめ)とならば幸なり。隠忍「いんにん(がまん)」するとも日本人たるの矜持「きょうじ(誇り)」を失うなかれ。諸子「しょし(諸君)」は国の宝なり。平時「へいじ(平和な時)」に処し、猶「ゆう(ためらう事)」を克「よ(克服し)」く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽(つく)せよ。

瀧治郎より淑恵殿へ
一、家系其の他家事一切は、淑恵の所信に一任す。淑恵を全幅信頼するものなるを以て、近親者は同人の意志を尊重するを要す。
二、安逸「あんいつ(何もしないで遊び暮す)」を貪(むさぼ)ることなく世の為人の為につくし天寿を全うせよ。
三、大西本家との親睦を持続せよ。但し必ずしも大西の家系より後継者を入るるの要なし。

之でよし百万年の仮寝かな                     大西瀧治郎(1945/08/16)

大西瀧治郎のことば
  特攻は統率「とうそつ(多くの人をまとめて率いること)」の外道である
  わが声価は棺を覆うて定まらず、百年ののち、また知己「ちき(自分の心をよく知っている人)」なからんとす
  「すがすがし 爆風のあとの 月清し」(辞世句)

 出撃命令を発した時点より、大西瀧治郎に、生の選択はなかった。

 古今東西他国に、このような人々はいたか。否である。日本にも他国同様の、確かに非難される人々は存在する。しかし、微微たる人だ。微微たる人を針小棒大に取り上げ先人罵倒する、森を見ず木だけを見ての輩がいる。半人前の輩だ。すべてを背負い自刃した人も、罵られながら生きて、戦後の復興に貢献した人も、どちらも戦後の礎となったことは間違いの無い事実だ。このような人々のおかげで日本は奇跡ともいえる復興を成し遂げられた。感謝以外の言葉など有るはずが無い。

氷雪の門・九人の電話交換手  ポツダム宣言を受諾して戦争は終結したにも関わらず、終戦の5日後ソ連軍は樺太の国境線を越えて南下を続けていました。8月20日には、樺太南端の真岡市に上陸して街を蹂躙しました。回線が切断される直前の悲痛な電話、「これが最後です。さようなら、さようなら」を最後に、9人の乙女達は青酸カリを飲んで自決したのです。最期の通信は、責任者であった可香谷(よしがだに)シゲからの無線でした。「ワレニンムヲオエリ。サヨウナラ。サヨウナラ。サヨウナ・・ラ」彼女は服毒後、最後の力を振り絞ってキーを叩いたようです。この九人の乙女の犠牲によって、真岡市に結集していた日本軍は殆ど無傷で樺太から撤退したといわれています。殉職された方々は、次の9名ですがいずれも独身であったそうです。

可香谷シゲ 23才(主事補、現在の主任)

  高石ミキ 24才    吉田八重子21才

  渡辺照 17才    高城淑子19才

  松崎みどり 17才  伊藤千枝22才

  沢田きみ 18才    志賀晴代22才

ソ連軍の侵略は、「ポツダム宣言」を受諾する旨を天皇が全軍、全国民に対して通告した5日後のことです。

勝者なら何をしてもよいのでしょうか?   氷雪の門より

 サイパン沖縄と同じ自裁で、明日無き戦国時代の人生観、平和の御世の傍観論は愚論!

 TPP論争に欠けているもの。生命体はおしなべて衣食住ではなく、食衣住。世界が食糧危機に陥った場合、自国優先は当然で、輸出せずは当たり前、余してもいいから、食料確保自給自足は国の根幹。

 日清日露大東亜戦争は、露西亜、凶産ソ連中国、列強食民治主義の、ブロック経済を破壊、食糧確保し生存するのための、適者生存戦争であった。

 時代対処のため戦国の世に開国し、自給自足(江戸初期1600年1227万人で、121年後の1721年3128万人に倍増したが、以後は、125年間江戸末まで横ばいで、1846年3230万人。つまり、これが、当時の日本の、自給自足限界人口)から輸入加工輸出国に転換、85年で人口倍増(昭和6年1931年6500万人なので、自給自足に後戻りは、二人の内一人が餓死者)。迫る清国とその属国朝鮮、南下する露西亜、そして凶産ソ連と食民治主義連合、そして更に巨大化した黄禍論白人連合との対峙と、まさに未曾有の時代であった。先人はこの死活(負ければ二人の内一人が餓死者)の時代を、一丸で命を懸け、子孫に禍根を残さずと、日清日露大東亜、すべて先憂後楽で対処した。資源無き小国、援軍のあて無き籠城や後手は確実な餓死。全て先手、外地戦は、古今東西小国戦法の、定法である!

 マッカーサー証言「1951年5月3日・彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国(by security)のためだったのです」は、このことを看破した、証言なのだ。ベンブルース等、弁護人の弁護も同類である。

前掲 『特攻 最後の証言』より抜粋

鈴木英男海軍大尉「桜花」第七二一空桜花隊

このままでは三途の川を渡れない

強制ではない、志願だった。

――志願された時の心境をお聞かせください。

 鈴木「敵がそこまで攻めてきている。ここで防がなければいけない。防ぐと言ったって、戦局を一挙に覆すことは出来ないわけですから、我々の考えとしては、敵に打撃を与えようと。こんな打撃を受けるのなら、いいかげんもう戦争を止めたいと、敵をしてそういう心境に持っていかせれば大成功と言う気持ちがありました。要は早く講和をしてもらいたい。自分の命に代えて、(壊滅的な)被害を受ける前にできるだけ有利な形で講和を持ち込めたらと言う思いでした。

引き裂かれた日本人

 鈴木「今の時代、とても残念に思うのはアメリカが占領して進駐してきたと。アメリカとしては、日本という国が怖かったから、2度と戦争させちゃいけないということで、日本を骨抜きにしようというのが彼らの占領政策だったわけですよ。我々が復員してラジオ聞いても『真相はこうだ』とか『真相箱』とかいう放送を毎日やってました。これで洗脳する。大本営が嘘八百の発表をしたのと同じように、アメリカも嘘で固めた作り話で日本人を洗脳し始めたんです。この野朗!と思ったけど、世の中にはいろいろな人間がいて、アメリカの宣伝部が来ても、いろいろと彼らに迎合していけばいい格好になると考える人もいたわけです。阿片戦争にしてもイギリス軍が上陸して来たとき、人民は競って荷役をして金を貰い、それでイギリス軍はどんどん奥地に入って行った実績がある。自分の欲望のために隷属していく人間がいたことを今になって考えると、戦争が終わって骨のある人たちが虚脱状態になったということですね。今まで頑張ってきただけに反動で落ち込んだ。もう何をするのも嫌だと。そこにつけ込む形で尻尾を振る連中が、『俺は戦争に反対していた』とか『俺は戦争が嫌だった』とか、『やるべきじゃなかった』などと言い出して。戦争に協力したヤツはけしからんと。我々は反対したんだと。吊し上げを始めた。例えば、画家の藤田嗣治なんて、従軍画家だったことを吊し上げられて、もう日本には帰らないと宣言してパリに行ってしまった。この一つをとってもわかるように、あのとき(終戦)に日本人が引き裂かれたんだな。戦争に負けて一切が嫌になった人たちと、戦争に負けたんだから、ここぞとばかりに占領軍に迎合して、いい思いをしようとするオポチュニスト(日和見主義者)たちとに」

――最後に若い人たちに伝えたいメッセージをお願いします。

 鈴木「いろいろありますが・・・とにかく教育が骨抜きにされていますね。おまけに付和雷同したおかしな政治家が、国を愛するなんていうのはとんでもないなどと平気で発言する。普通そんなことは通らないことです。愛国心をしっかり持って欲しい。愛国心がどこから出てくるのかといえば、自分の家族を大事にし、郷土を大事にし、日本の文化を大事にする、その先に象徴である日の丸の旗も大事にすると。その愛国心を持たなければいけないのに、その教育ができていない。むしろ愛国心を持つと戦争を起こすなんて馬鹿なことを言ってる。中国にあんなこと言われても、中国の言う通りにしようだって。土下座外交、媚中外交していることに気がつかないのかと言いたい。そういう世の中において、やはり若い人たちに良く見てもらって、これじゃいかんぜと、一人一人が国を愛することから始めて欲しいな。そして何でもいいから社会に奉仕しようと心がけて欲しい」

――若い人も、中国の反日が政治的であると気づき始めた人もいるようですが。

 鈴木「そうですね。まあ、でも、あなたたちのような人が、俺なんかの話を聞きに来てくれるのも、少しは世の中が変わりつつあるのかもしれない。そうだとありがたいけどね。この間、TVのインタビューでこう答えたんだよ。『今のような世の中だったらね、俺が死んで三途の川渡ったときに、戦友になんと言ったらいいか言葉がない』と。先に逝った連中に『お前、娑婆で何やっとったか』と言われるよ。まあ、でも、ひょっとしたら、もう少し時間がたったらね、反動で少しは(世の中が)良くなってくれるんじゃないかとね、期待はしているよ。それには、俺は長生きしなきゃな。長生きしてね、もう少し(戦友に)報告できるとっかかりができた後に三途の川を渡りたいもんだよ。そんなところだな」

抜粋終了

 子孫のため先人は時代に対応した衣を纏い、私を捨て公に殉じ一丸と化し、数十倍の侵略者と三度戦い、三度目に全世界の征服主義者とたった1ヵ国の戦い、自由希求の戦いを挑んだ。特攻隊は敗色濃厚のなか、己の生死と護国の精神を昇華し、悟り、軍艦に突撃し果て、護国に徹した日本精神を最後に残したのだ。精神を鎮め、そして昇華し、悟ったその精神が、静かで穏やかだ。そこには自分の運命に対する恨み辛みも、また敵国に対する憎しみもない。ただひたすらに祖国を憂える貴い熱情と、愛する者の幸せを願うという純粋無比な気持ちだけが、そこにはある。静かなだけに、感動だけが残る。

 
先人が残した死しても護国の日本精神は、アジアの人々の琴線をかき鳴らし覚醒させ、独立に拍車をかけ、アジアは皆独立し、戦後の日本の復興に多大な協力を惜しまなかった。鵜人の撒き散らす自虐史観の嵐の中で、日本人探究者は、日本精神を真正面から受け止めて再び一丸と化し、より良い国作りに励みアジア同胞と共に復興した。日本精神は、戦いに敗れても、再び日本の礎となった。戦後、アジアやアフリカや世界の同胞は、南北アメリカの轍を踏まなかった。侵略者に虐げられし世界の同胞は、護国の真髄を見た。侵略者も同様に護国の真髄を見た。人類が、護国の真髄を見たのだ。轍を踏まなかった起因は正に、ここにある。
 かくして、日本精神護国の真髄は、開闢以来延々と続いた侵略と差別の弱肉強食の本能の歴史を破壊し、共存共栄と平等に基づく新たな人類の歴史「植民地独立付与宣言(1960年)」を、世界に創造した。戦後の平和の起因も、正しくここにある。

特攻隊員と呼応する昭和16(1941)年9月6日御前会議での首脳の言葉

○永野修身NAGANO Osami)・開戦時の軍令部総長 昭和16(1941)年9月6日。下記の言葉は、国の存亡に対し、護国の日本精神を吐露して、あり余るものがある。善悪史観者が唱える、侵略などという余裕のある思いは、微塵も無く、そこにはただ子孫へのあふれる思いだけがある。玉砕部隊や神風特攻隊や特攻隊の壮絶な心根が、読むだけで伝わる。この日本精神が、今の日本の礎となった。これからもそうあり続けるだろう。けだし名言だ。日清日露大東亜、戦国時代の小国日本、適者生存唯一の術、先人すべてのほとばしる総意が、この言葉を残したのだろう。

 「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを守る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう」

真実史観意訳

 太平洋戦争の道 角田順・これだけは伝えたい武士道の心 名越二荒之助・人物抄伝太平洋の群像2永野修身 亀井弘等、大同小異資料なので、大意を踏まえ簡略に意訳し、解説を加えた。資料は、出席者の聞き書き寄せ集めではないか?

戦わざれば亡国、
 戦国時代である。中国、南京、満州、朝鮮は、英米仏蘭ソの争奪戦場となり分割。日本も、再度の資源封鎖で壊滅し、分割資源なき小国日本は、再び包囲されて餓死か、降伏して奴隷ドイツは英仏のWW1停戦約束不履行で、80万人以上の餓死者(ほとんどが老人女子供)となった(WW2起因)。弱肉強食時代の戦わずは、無条件降伏で、奪われても犯されても殺されても従うこと。(終戦時の韓国、ソ連の侵略を想起せよ・・・あれが現実の世界だ)。ハルノートによる戦わずの降伏は、台湾朝鮮満州南京汪兆銘への裏切り、未来永劫子孫の汚名となり、選択は不可。ソ中凶産合体阻止防共戦争日本が、敗戦で撤退するや否や即座にソ中凶産合体し、南京満州朝鮮と攻め入ったのが、厳然たる証拠である!戦わざれば、ソ中凶産や英米仏蘭餌食で、日本国は消滅していた!

戦うもまた亡国
 世界の超大国米英仏蘭中ソが相手では、必滅

であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。
 不屈の抵抗の歴史を子孫に残し、国名が消滅してもポーランドは復活した。抵抗もせず降伏すれば、屈辱、屈伏の歴史は隠蔽され、抵抗の歴史は無きものと成る。さらに、征服者に洗脳され愚民化された抵抗の歴史無き子孫は、二度と立ち上がることなどなく、日本は消え、食民治と化し、正に、日本民族永遠の亡国となる。(南北アメリカの先住民族、・・・あれが現実の世界だ)

戦って死中に活を見いだし
 戦うもまた亡国かもしれないが、戦って一縷の望みに挑戦し、資源封鎖で絶えず迫る、独占貿易の宗主国を、アジアから永遠に排除しなければ、資源無き小国日本の、未来は無い。独占貿易の食民治主義共産主義と戦い、アジアから追放すれば、一縷の望み(自由貿易を旗印に団結、大東亜共栄圏を成し、対峙)が生まれる。たとえ敗れても、大東亜共栄圏が覚醒し独立すれば、独占貿易は破壊され、自由貿易の世となり、資源無き小国日本に、一縷の望み生まれる。敗れても、同胞が覚醒し追随するような、

護国の精神に徹するならば、
 勝者に隠蔽されないような、子孫を守るための必死な姿、生きざま、戦いざま、死にざまさえ残せば

たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを守る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。
 たとえ占領され食民治にされ征服者に愚民化されても、残した挑戦の心や生きざま、戦いざま、死にざまを想起し、必ずや子孫は覚醒し、再び独立し、日本は復活する。我々はただの戦いではなく、子孫が必ずや想起し、覚醒復活するような、勝者に隠蔽されない、史上比類なき戦いを、残す。子孫のために。

 永野修身個人の発言だけではなく、出席者全員のほとばしる総意が集まり成したのだろう、大同小異の資料が物語っている。子孫へのほとばしるおもい「最適者生存」は深く重い。当事の指導者、苦渋の決断が滲んだ言葉だ。・・・ここには侵略者の影など微塵もない。あるのは、子孫への思い、適者生存、唯一つ

 日本開国当時、独立国は日本タイ(英仏の緩衝独立国)のみ!これで一般常識人完全氷解し、職責者文系授の「善悪史観」など、論外となる。

太平洋(白色対有色)戦争
 前門の敵(ソ中凶産主義傀儡毛沢東と欧米列強食民治主義傀儡蒋介石)と交戦(反共戦争)中に、後門の敵(食民治主義の欧米列強)が宣戦布告(ABCD通牒)し、日本(最後の有色人独立国)壊滅を謀った、白人による有色人国家殲滅戦争!

大東亜(有色人自存自衛蜂起)戦争
日本の自存自衛戦争!

フィリピンで神風特別攻撃隊の編成された翌日、戦闘機の整備兵の友人に語った言葉。 真実はどこに・・・
 ・・・『もう戦争は続けるべきではない』しかし、敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができるだろう。アメリカを本土に迎えた場合、恐ろしい国である。歴史に見るインディアンやハワイ民族のように闘魂のある者は次々個々撃破され、日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう。このために特攻を行ってでもフィリピンを最後の戦場にしなければならない。しかしこれは、九分九厘成功の見込みはない、では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。

 ここに信じてよいことがある。いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいたという歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に必ずや、日本民族は再興するであろう

大空に雲は行き雲は流れり、すべての人よさらば、後を頼む、征って参ります。
人は一度は死するもの、微笑んで往きます、出撃の日もそして永遠に。
イッテマイリマス ノチノニホンニ エイコウアレ

 古来からの日本は分断もされず、かつ、日本の障害(有色人差別・ブロック経済・戦国時代=開闢以来の人類の悪弊弱肉強食)は、覚醒継承した同胞により破壊され、新秩序、植民地独立付与宣言は1960年成し遂げられ、日本の戦争目的(互恵・平等・ブロック経済破壊は完遂した。特攻は、連合国をも英断へいざない、人類の遺書へと昇華した!これは、厳然たる事実だ!

 自己犠牲特攻なかりせば、覚醒追随する同胞、連合国の英断、有りや無しや!

 身体を筆にし、血潮と汗と涙で描いた人類への遺書!特攻!

 日本は人事を尽くして人類後継に天命を迫った。人類は覚醒し、応えた

 敗戦記念日などではない!8月15日は、人類の終戦記念日である!


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

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プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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