QLOOKアクセス解析

真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
2007 12123456789101112131415161718192021222324252627282930312008 02

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

真実史観感動の涙で洗脳し愚民化する史上最も危険なウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム「母べえ」


映画「母べえ」公式サイトの感動の声です(http://www.kaabee.jp/static/)
アメリカが民主主義の元祖とたたえた二宮尊徳の言葉
「半面を知って全面を知らないのは、半人前の見識」
「まちがった学者、教育者は、生臭坊主と同じ」


極悪日本軍を潜ませ、かもし出し、感動の涙で洗脳愚民化する史上最も危険な
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)「母べえ」。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの真の恐怖、戦後63年経てもなお続く、子孫の捏造先人冒涜。

WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の手法が手に取るように分かるWGIPの見事な手本、映画「母べえ」と、無意識の内に愚民と化した人々。

下記は松竹映画「母べえ」公式サイトの感動の声です(http://www.kaabee.jp/static/)

母って、こんなに凛とした美しい存在なんですね。この映画には人間と時代の確かな匂いがありました。
―――あさのあつこさん(作家)

狂気の時代の怖さに身ぶるいした。誰がこれを過去の話と言えるだろうか。
―――天野祐吉さん(コラムニスト)

あんなひどい時代。でも強い「昭和の母」がいて家庭の幸せがあった、と宏べえも思った。
―――荒俣 宏さん(作家)

あの時代にいるかのように心に届く戦争と人間の哀しさ。吉永小百合さんの新代表作が誕生した。
―――有田芳生さん(ジャーナリスト)

家族が川の字に寝ていた時代のぬくもり。それを引き裂く戦争のむごさ、愚かさ。今なお戦争は他人事ではない。
―――井沢 満さん(脚本家)

観終わって街に出た。気づくと泣けていた。この映画は祈りのようなものだ。
―――犬童一心さん(映画監督)

あの時代の日本の母は、優しくて美しく、そして強かった。母べえは至る所にいたのです。
―――内田忠男さん(国際ジャーナリスト)

どこまで苦しめるの、戦争は。哀しい。でも母べえの傷つき細い胸には愛がいっぱいだった。
―――海老名香葉子さん(児童文学)

暗い時代を生きた母べえたちがいて、今がある。未来がある。平和を確かなものにしたい。
―――小川和久さん(軍事アナリスト)

治安維持法を題材に取り入れ、この法体系が愚劣で悲惨に「戦争のみち」へと人びとを引き込んでゆく過程を描いてみごとである。
―――奥平康弘さん(憲法研究者)

“戦争はイヤだ”という山田監督のメッセージが、強く胸に迫りました。
―――おすぎさん(映画評論家)

幼い頃戦争を体験。私と妹を必死に守ってくれた母の姿と重ねあわせ、何度か涙しました。
―――桂 由美さん(ブライダルファッションデザイナー)

軍靴が鳴り響く中、守り続けた家族の絆と揺るがぬ信頼。優しさこそが本当の強さであることを心の底から感じさせてくれる作品だ。涙が止まらなかった。
―――蟹瀬誠一さん(ジャーナリスト、明治大学国際日本学部長)

笑って泣いて。心のそこから平和じゃなくちゃいやだって、悲しいとかではなく本当に平和であってほしいという気持ちでいっぱいになる。
―――「徹子の部屋」より 黒柳徹子さん

ただいるだけであたたかい、そんなものが他にあるのだろうか。家族の絆、家へ帰りたくなる映画です。
―――財津和夫さん(シンガーソングライター)

ユーモラスな心優しい青年、山ちゃんがふと寅さんに重なった。となると、母べえは日本の永遠のマドンナということになる。
―――鈴木敏夫さん(スタジオジブリ・プロデューサー)

セットから演技まで、全てがホンモノ。人の心を素直にしてくれる力がスゴイ。吉永小百合の代表作。必見。
―――高畑 勲さん(アニメーション映画監督)

男たちが次々と死んでいく戦争の時代、片隅で耐えて静かに生きた昭和日本の母の吉永小百合が、切なく美しい。
―――立松和平さん(作家)

弱きを切り捨て・強きに擦り寄る、富すれば鈍する平成ニッポンの空気に警鐘を鳴らす山田洋次監督・渾身の結晶。
―――田中康夫さん(作家・参議院議員)

信じて待つ豊かな心、強くも、やさしくもある母べえは、私の思い描く理想の母親像になってしまいました。
―――谷 亮子さん(柔道)

吉永小百合が女優の全生命を賭けて、平和の大切さを呼び覚ませた。
―――田原総一朗さん(ジャーナリスト)

私はこの時代の子ども。こんな母べえや父べえを知っています。忘れてはいけない時代。山田監督べえに敬礼!
―――中村メイコさん(女優)

戦争を知らない世代にこの恩恵を届けることは、外野席の我々にとっても望外の幸せ。
―――野坂昭如さん(作家)

“なんとかなる”と母べえはたおやかに言う。こんな母親に育てられていたら、私の人生は一変していただろう。
―――藤田宜永さん(作家)

壮絶なそれぞれの世相を映し出しながら
哀しくてもなお美しいある一家にまつわる愛情物語だ。
―――藤村俊二さん(俳優)

混沌とした今の世の中、「偽」という字が選ばれる世の中、清々しい人間の生き様に感動しました。それにしても吉永小百合さんの美しさには脱帽です。
―――みのもんたさん(司会者)

あの時代、日本人はみんな愛国熱、反戦派は少数と思われがちだが、国とのかかわりは最少に、なろうことなら表だって非国民と言われず、日々の営みを楽しみたい人もいた。
―――森 毅さん(評論家)

きっとあなたの「母べえ」にすべての人が心の中に持ち続けている永遠の母親像・野に咲く小百合の優しさに満ちてそのなかに毅然とした母の姿が浮かび出ることでしょう。
―――森 光子さん(女優)

この映画の時代をリアルタイムで生きたぼくは最初から最後までどっぷりとはまってしまった。登場人物はその時代そのままに生きて動いている。
―――やなせたかしさん(絵本作家)

「母べえ」はまさに吉永小百合さんそのものです。母親の強さと同時に、やり場のない悲しさや切なさが心に迫ってきます。
―――渡 哲也さん(俳優)

<五十音順>

 上記感動者は皆非生産者だ。非生産者は国民に嫌われれば生活不可。時流への迎合を第一の業とし、事実か否かの実事求是などは二の次で、人を楽しませるのが第一の業なのだ。咀嚼せず鵜呑みは危険。

 それでも上記の感動者に惹かれ、善良な国民は涙を流し流布するだろうが、「母べえ」は、「日本極悪軍人」WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)をさりげなく静かに国民に潜ませる、これまで最も危険な亡国の書で映画だ。幼くして父と死別。作者野上照代の両親への思いが、長年にわたり昇華し結晶化したこの著作は、父母への子の思いを綴った名作である。子から親を見た実話で名作である。実話だがしかし、潜まされ、かもし出される主題「日本極悪軍人」などではなく、真実は真反対の「日本護国軍人」で「母べえ」は歴史の真実ではない。木ではなく森を見た時、真実では無いのだ。名作故に純真な人ほど「母べえ」悲劇の起因「日本極悪軍人」と錯覚しいきどおり涙する。涙した人は歴史の真実、真の侵略者を忘れ、「日本極悪軍人」にいきどおり、洗脳された愚民と化す。こうして愚民が生まれる。このように、本人が無意識の内に静かに洗脳されるが故に、最も危険なのだ。「母べえ」は、史上比類なきWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)だ

 映画「母べえ」原作は、長年に渡り黒澤明監督のスクリプターを務めた野上照代が、幼い頃の家族の思い出を綴ったノンフィクション作品。舞台は、昭和15(1940)年の東京。夫の滋と二人の娘とつましくも幸せに暮らしていた野上佳代。その平穏な暮らしは、ある日突然、滋が治安維持法違反で検挙されてしまったことで一変する。

 映画「母べえ」は、戦時下戦争反対をとなえた「父べい」がつかまり、「母べえ」が苦労しながら」「初べえ」「照べえ」の二人の娘を育てるお茶の間から見た戦中戦後の実話である。お茶の間から見た一方的な実話のため、弱肉強食の時代背景や反共戦争の実体などは一切皆無である。一元史観の実話のため、「戦争反対を唱えることが、国を批判するとして罪だったこの時代」「反戦平和を唱えてなんで治安維持法で捕まるのだ」のような「父べい」と同様の時代背景無視の、時代錯誤の解釈となる。真の侵略者は隠蔽され、護国軍の殉国者は犬死とされ、遺族は無駄死にの遺族、と冒涜され、極悪日本軍の仕打ちに耐えた立派な母「母べえ」となる。ちゃぶ台から見た一元史観の意図はまさにここなのだ。まさにこれがWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)なのだ。「・・・そこにはまず、『日本の軍国主義者』と『国民』とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった『軍国主義者』と『国民』とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」非生産者の鑑江藤淳著『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋文庫

 日本が侵略者であるなら、おろかな戦争で、反戦平和運動や「父べい」の戦争反対は成立する。真実の日本は侵略者などではなく、日清、日露、大東亜戦争、何れも10~30倍以上の侵略者との反共戦争、護国のための自存自衛戦争だった。映画「母べえ」はここを意図して描かなかった。真実を語れば、極悪日本軍の仕打ちに耐えた立派な母「母べえ」が成立しないからである。「父べい」の悲劇が成立しないからである。耐えた母ではなく、売国奴の妻になり、悲劇の母には成らないからである。お涙頂戴に成らないからである。映画「母べえ」のお涙頂戴の悲劇の条件は極悪日本軍が必須の条件となるのだ。なんと事も有ろうに映画「母べえ」は、真実を隠蔽し、金儲けのために護国の日本軍とご遺族を冒涜したのだ。この時点で売国映画、侮日映画と化しWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)映画と化した。それにしても見事なWGIPだ。

 第58回ベルリン国際映画祭(2月7~17日)の最高賞を競うコンペティション部門に正式出品されるという。まだまだ世界には日本の覚醒を喜ばぬものが居る、侮日で大江が受賞したように、映画「母べえ」も、受賞するかもしれない。がしかし日本では、今後名作としてではなくWGIPの典型的な見本として、歴史に刻まれることは間違いない。

 資源無き小さな島国日本、護国のため子孫のため自然権「私」を捨て「公」に殉じ、人づくり物づくりで一丸となり、先人は弱肉強食の時代を乗り越えた。資源無き小さな島国日本を救った人づくりや物づくりが、戦後、教授や日教組や公職者や作家などの迎合者に破壊され愚民化され、今まさに危機に瀕している。

 

 生産者は真実を指針としなければ即亡国の危機に瀕する、「私」無き「公」の実事求是主義者でなければ成り立たない。非生産者は、真実か否かなど無関係、ただ時代の指針に迎合する、「公」など皆無の「私欲」に満ちた幇間主義者だ。この非生産者の幇間主義者が戦勝国のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)に真っ先に洗脳され、当の昔に撤退し、今は存在しない幻の占領軍の手先となって、戦後63年経ても戦勝国のWGIPを作動している。戦後63年経て今年発表の映画「母べい」、この先人冒涜映画「母べい」は、正にWGIP映画そのものだ。当の昔に洗脳者占領軍は撤退したのに、戦後63年経てもなお続く子孫の大江や石原や山田などの捏造先人冒涜。WGIPによる洗脳愚民化の恐怖は、正にここにあるのだ。

 学生時代は知識を検証せずひたすら丸暗記する、社会に出れば現実社会だ、現実と対峙し照らし合わせ咀嚼し定説を是正する、世の習いだ。ところが非生産者は卒業しても学生時代と同じ実技無き知識のみの、非現実社会に留まるため、己が知識を金科玉条と信じ、咀嚼、検証など皆無、好例が前述の大江や石原や山田なのだ。思考回路は丸暗記の学生時代に留まり、進歩皆無。非生産者は、非生産者の鑑江藤淳(閉された言語空間)や曽野綾子(沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実)に学び、遥か昔の学生時代に丸暗記した干からびた知識を金科玉条とする己を一旦リセットし、愚民から覚醒し、知識を咀嚼し、先人、立派な親から授かった己の頭脳で語れ。
「母べえ」を侮日愚民化洗脳映画に吉永小百合を売国奴にしてはいけない

 
日本軍は戦国時代の護国軍。
亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

スポンサーサイト

真実史観「母べえ」を侮日愚民化洗脳映画に吉永小百合を売国奴にしてはいけない


「母べえ」を侮日愚民化洗脳映画に吉永小百合を売国奴にしてはいけない
 母べえ」は侮日愚民化洗脳映画か?戦後63年経ても蘇えり繰り返す
米国負い目払拭用「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」

 2008年1月26日(土)全国ロードショー、
松竹映画「母べえ」。黒澤明監督のスクリプター(記録係)として知られる野上照代が、戦前・戦中の実体験を両親への鎮魂を込めて綴った「父へのレクイエム(鎮魂歌) 」。監督山田洋次、主演吉永小百合。 

 時代は大東亜戦争開戦1年前、昭和15(1940)年反共戦争が泥沼化しつつあるころである。野上家では、
ドイツ文学者の夫・滋と妻・佳代(吉永小百合)、そしてしっかり者の長女・初子と天真爛漫な次女・照美(原作者)の4人がお互いを「父べえ」「母べえ」「初べ え」「照べ え」と呼び合い、貧しいながらもいつもちゃぶ台を囲み、明るく暮らしていた。ところがある日、大黒柱の「父べえ」が治安維持法違反で逮捕されてしまう。「父べえ」不在の家を懸命に守る「母べえ」、一家を助ける「父べえ」の教え子の青年、優しくきれいな親せきのお姉さん。・・・

 作品は残された家族の苦悩と怒りの人生を淡々と描いている。ちゃぶ台という平和な家庭団らんの象徴、それが戦時下体制や戦争により破壊されてゆく。ちゃぶ台の向こうに戦争が見える。第58回
ベルリン国際映画祭(2月7~17日)の最高賞を競うコンペティション部門に正式出品されると、同映画祭事務局発表。

 弱肉強食の時代、戦わずの反戦論者には、敵に無条件屈服し、迎合し服従するしか術がない。言論統制や治安維持法は護国の目的完遂ため、「私」を捨て「公」に殉じ一丸と成す手段だ。資源無き小国日本が強国となり弱肉強食の時代を乗り越える唯一の手段、それが国民一丸化であった。 

 弱肉強食の時代、強大な侵略者に対して、護国のため家族までもが斯くまでして戦ったと見るなら反戦映画の佳作であろう。侵略者日本軍人が、日本軍国主義が、平和な家庭団らんの象徴ちゃぶ台を破壊したと見るなら、63年前の米国負い目払拭用「
ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」が再度蘇えり作動した事になり、侵略国家米国負い目払拭用、侮日愚民化洗脳映画と化し、監督山田洋次、主演吉永小百合
は、瞬時に売国奴と化す。

アメリカ捏造の侵略国家などではない日本護国史
日清戦争と日露戦争
 弱肉強食の時代に対応して子孫のため自然権「私」を捨て「公」に徹し、人づくり物づくりに励み、富国強兵に先人は努力した。日清戦争(清国の兵力108万に対して、日本はたったの7万8千の兵力。日本軍艦52隻に対して清国軍艦107隻)。日露戦争(ロシアの兵力300万に対して、日本はたったの20万の兵力。軍艦の総排水量
ロシア約51万トン、日本約26万トン)。世界の誰もが日本の敗戦を信じた。がしかし、「公」に徹した徹底的な人づくり物づくりがこの二大国を凌駕し、天も味方し勝者となった。この圧倒的な兵力の差は、戦後膾炙された侵略戦争などではなく、止むに止まれずの自存自衛の戦争だったことを、明白に物語っている。

反共戦争(日中戦争ではない反共戦争だ) 
革命という美名を掲げ次々と周辺国を侵略し狂惨化したソビエト連邦の
スターリン
 
 昭和10(1935)年7月、第七回コミンテルン大会における
スターリン演説「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスイギリスへ、日本の矛先は蒋介石中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」
 昭和12(1937)年七月コミンテルン指令「あくまで局地解決を避け、日中全面衝突に導かねばならない。右目的貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって
中国
を裏切る要人は抹殺しても良い。」 国会図書館所蔵興亜院政務部・コミンテルン関係一括資料
(注・ソ連の恐怖は日本と中国が同盟を結び、ソ連を侵略することだ。日中戦争~大東亜戦争はソ連が放った日本と
中国と米国のスパイが仕組んだ戦争だ。蒋介石近衛文麿とルーズベルトはスターリンに踊らされた。蒋介石は元来は親日であったが、ソ連のスパイに踊らされた。恐るべし悪の元凶は狂惨党なのだ)

 スターリンは下記のように、ソビエト社会主義共和国という美名の下に次々と各国を侵略し狂惨化していた。
1922年 
ウクライナ・白ロシア・ザカフカス・ロシアの4ヶ国狂惨化
1924年 ウズベク・トルクメンの2ヶ国狂惨化1929年 タジクの1ヶ国狂惨化
1936年 
アゼルバイジャンアルメニア・グルジア・カザフ・キルギスの5ヶ国狂惨化
1940年 カレロ=フイン・
エストニア・モルダビア・ラトピア・リトアニアの5ヶ国狂惨化。
 わずか18年間で合計17ヶ国が侵略され狂惨化されていた。ソ連も米国と同様に侵略の歴史を重ねていた。

  1937年7月7日北京郊外の
盧溝橋で演習していた日本軍に数発の銃弾が撃ち込まれた。反共戦争、シナ事変の始まりである。ローマ法王のピオ11世は反共戦争(支那事変、日華事変、日中戦争)(1937年7月7日)が始まった年の10月に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよと。」

1940年(大東亜戦争開戦1年前) 
日本の主要物資の輸入先(開戦1年前昭和15年<1940>) 
「アジア・太平洋戦争」
・鉄類  
アメリカ69,9% 中国15,6%(注・米、中、合計で85,5% ③インド7,5% ④その他7,0% 
・石油  
アメリカ76,7% ②オランダ領インドネシア14,5%(注・米蘭合計で91,2%) ③その他8,8%
・機械類 
アメリカ66,2% ドイツ
24,9% ③その他8,9%

主要な輸入国を相手に戦争をするのは自殺と同じだ。
 反共戦争(日中戦争を継続中で、多数の人的損失と戦費をすでに費やしていた。その状況下で更に英米蘭などの大国を相手に、新たな戦争を始めなければならない動機など、日本には皆無。日本が戦争を仕掛けたのではなく、仕掛けられたのは明白な事実だ。明らかに(侵略植民地化)(侵略植民地化)(侵略植民地化)(侵略狂惨化)(侵略狂惨化)に戦争の意図や動機があった。

日本を侵略国家と捏造した
アメリカ
アメリカの負い目(原爆空爆無差別
ホロコースト
60万人)払拭用すり替え作戦
ルーズベルトの謀略戦争で侵略戦争、原爆空爆無差別大虐殺60万人、この人類への暴挙を、アメリカの神は許さなかった。今後も許すことは無い。これがアメリカの負い目だ。
大東亜戦争の日本の真意(護国、植民地解放、人種差別解放)が流布され、植民地解放、人種差別解放の殉難者として日本が、東條英機が祭り上げられ、極悪
アメリカとなることを、真実の暴露を、極端に恐れた。有色人種対白色人種、有色人種対アメリカとなることをを恐れた。

 原爆空爆無差別大虐殺60万人の負い目に、憎悪と悔悟が交錯し、更にルーズベルトの謀略戦争に気付いたアメリカの負い目は益々深まり、払拭のため、大東亜戦争「日本対アメリカ」を、「日本極悪軍人加害者」「か弱い被害者日本国民」にすり替え日本軍人を極悪に仕立てた。東京裁判は、正義の日本軍人を極悪に仕立てる、対米非難防御のためのすり替え裁判だった。

 
大東亜戦争も、大東亜共栄圏構築戦争を連想させるため、
アメリカが嫌い、太平洋戦争にすり替えた。アメリカに非がなければ呼称変更などする必要が無いはずだ。

GHQの言論統制責任すり替え教育
1945( 昭和20年)年5月8日 
ドイツが降伏する
7月26日 
連合ポツダム宣言発表
8月14日 日本が
ポツダム宣言を受諾することを通告
8月15日 玉音放送・終戦・終戦の詔勅
8月28日 
連合軍先遣隊、厚木到着 (GHQ設置)
8月30日 
マッカーサー
厚木到着
9月2日 ミズーリ艦上にて降伏文書調印
9月10日 CCD(民間検閲支隊)放送事前検閲開始
9月11日 東條英機を急襲し日本軍人極悪化作戦開始
9月18日 原爆投下への批判や占領政策への注文を掲載していた朝日新聞は、2日間の発行停止を命じられた。
9月19日 雑誌検閲開始
9月22日 朝日は22日付の社説では、それまでの報道姿勢を豹変させ、迎合し「今や我軍閥の非違、天日を蔽(おお)ふに足らず。・・・軍国主義の絶滅は、同時に民主主義化の途である」と書くようになった。
9月27日 天皇陛下が自らの御発意で
米国大使館に赴かれ、マッカーサーを御訪問された
10
月9日 新聞雑誌の事前検閲開始
10月31日 同盟通信社
解散命令
11月13目 最低四百万台のラジオセットが国民に行き渡るよう日本政府に指令
12月8日 新聞に「太平洋戦争史」の連載開始
12
月9日 NHKラジオで「真相はかうだ」の放送開始。同時に質問箱も始まる。1946年2月10日まで、以降は真相箱となり1946年12月4日まで。
12月15日 「大東亜戦争」「八紘一宇」の呼称を禁止
12月17日 
横浜におけるB・C級戦犯裁判放送を開始
12月25日 神道の排除を目的とした神道指令
12月31日 修身、日本歴史及ぴ地理の総ての課程の即時中止
21年2月17日 
真相はこうだ」に代わる「真相箱の放送開始
4月29日 昭和天皇の誕生日に
A級戦犯を起訴して、東京裁判開始
11月3日 
明治憲法を全否定して現憲法
を明治天皇の誕生日に発布
23年12月23日 洗脳政策の総仕上げとして、A項戦犯の絞首刑を将来的にも慰霊祭が実施しづらくなるように今上天皇誕生日に執行。

戦後、GHQが厳しい検閲で削除、または発行禁止の対象とした表現。
 合衆国に対する批判・朝鮮人に対する批判・中国に対する批判・SCAP-連合国最高司令官(司令部)批判・極東軍事裁判批判・SCAPが憲法を起草したことに対する批判・検閲制度へ言及・ロシアに対する批判・英国に対する批判・他の連合国に対する批判・連合国の戦前の政策に対する批判・戦争犯罪人の正当化および擁護…など。江藤淳著「閉された言語空間」

「太平洋戦争史」  

 20年十二月八日。GHQは、真珠湾攻撃から4周年にあたるこの日、全国の新聞に連載記事「太平洋戦争史」(GHQ民間情報教育局提供)を掲載させた。連載は10回にわたり、満州事変から終戦に至るまでの「日本の悪行」を強調する内容のプロガバンダ史だ。 

 「日本の軍国主義が国民に対して犯した罪は枚挙に遑が無いほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されているものの、その多くは、未だ白日の下に曝されておらず、時のたつに従って次々に動かすことの出来ぬ明瞭な資料によって発表されて行くことになろう。これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義者の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜及び非戦闘員に対する国際慣習を無視した政府並びに軍部の非道なる取扱い等であるが、これらのうち何といっても彼らの非道なる行為の中で最も重大な結果をもたらしたものは真実の隠蔽であろう。(中略)今や日本国民は今次戦争の完全なる歴史を知ることは絶対に必要である。日本国民はこれによって如何に敗れたか、又何故に軍国主義によってかかる悲惨な目に遭わねばならぬかを理解することが出来よう。これによってのみ日本国民は軍国主義的行為に反抗し国際平和社会の一員としての国家を再建するための知識と気力とを持ちえるのである。かかる観点から米軍司令部当局は日本及び日本国民を今日の運命に導いた事件を取扱った特別記事を提供するものである」とまえがきにかかれ、そして従来の国史の教科書の使用を禁じて、新たな教材としてこの太平洋戦争史を使用することを強制した。

昭和20年12月9日からベートーベンの5番「運命」が流れNHKラジオ責任すり替え捏造番組「真相はかうだ」が始まった。
 
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、20年十月二日付のSCAP(連合国軍総司令官)の一般命令第四号に基づくもので、GHQ民間情報教育局が主体となって実施した。同命令の趣旨は「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること。東京裁判を正当化せしめること」。「太平洋戦争史」連載も真相はかうだ放送も命令に沿ったものだった。

 敗戦から四カ月、GHQの指導下、NHKラジオは真相はかうだ後の真相箱を開始。「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにしたもので、週1回、日曜午後八時半から三十分、9日から10回放送された。しかし再放送があり、結局、放送されなかったのは週に二日だけであった。 

 少年の素朴な問いに、反軍国主義思想の文筆家が答える形式のドラマだ。「日本を破滅と敗北に導いた軍国主義者のリーダーの犯罪と責任を日本の聴取者の心に刻ませる」目的で、内容は一方的なものだった。(民間情報教育局ラジオ課)大人は真相箱「偽相箱」と呼び、大人には嫌われた。

NHKのラジオ番組台本
アナウンサー「我々日本国民を裏切った人々は、今や白日のもとにさらされております。戦争犯罪容疑者たる軍閥の顔ぶれはもうわかっています」「それはだれですか」もう一つの声「だれです?」アナウンサー「まあまあ、待ってください」番組は毎回このようにに始まり、例えばこんな具合に展開された。
アナウンサー「これから三十分の間に名前をお教えします。犯罪の事実もお教えします。事実をもとに皆さん一人ひとりが結論を出し、日本の犯罪人に対する皆さんの審判を下してください」(音楽)アナウンサー「この番組は日本の全国民に戦争の真実と戦争に至る出来事をお伝えするものです。暗闇に光を当てる、あなたのための番組なのです」

 「真相箱」がめざしていたのは、戦前の日本のすべてを否定し、その歴史を捏造し日本軍人を極悪化し、軍人に責任転嫁し極悪軍人加害者か弱い日本国民を被害者にすることだった。 
 「日本人は大本営や軍部に巧みにだまされて、戦争に引きずり込まれたのだ。米国はこの気の毒な日本人を救うために、日本の軍部を叩きのめして、いかにこの戦争が無益なものであったかを思い知らしめるために、止むを得ず原子爆弾を使わなければならなかった。原子爆弾の投下は、戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合国側の予告を、日本の指導者が無視した結果なのだ。従ってすべては日本の軍部の責任であり、憎むべきは日本の軍部であることを、日本人は今こそ自覚しなくてはならない・・・」責任を逆にすり替えた謀略宣伝なのだ。したがって「太平洋戦争史」真相はかうだなどが扇動するところの逆が真実なのだ。

 この「捏造箱」は「真相はかうだ・質問箱」、「真相箱」、「質問箱」と、名前・内容を少しづつ変えながら、昭和二十三年八月まで三年間続けられた。一方、『太平洋戦争史』は翌年四月に単行本として出版されベストセラーとなる。出版前に、文部省が「各学校は各々これを購入の上、教材として適宜利用せらるべきものとす」という通達を出していた。ここで教員は更に洗脳された。
 学校教育でも1945年12月31日、民間情報教育局は、修身、国史、地理の学校の授業を即時中止するよう指令を発し、これらの教科書がすべて回収され、国史教材として『太平洋戦争史』を用いた。この本は、日本国民は軍部にだまされていた、悪いのはすべて軍部だ、原爆や東京大空襲など無辜の民に対する戦慄すべき大量虐殺も、
アメリカではなく軍部のせいだとするものであった。戦争を日本対アメリカでなく、か弱い被害者日本国民極悪加害者軍国主義者に洗脳教育ですり替えたのだ。子供は関心が薄い新聞やラジオなどではなく、なんと信頼すべき身近な教師によってほとんどが洗脳されているのだ。
 修身教育とは、古今東西の偉人の逸話を通じて、努力、忍耐、責任、公益、勤勉などを子供たちに学ばせ、人格を育成する教科だった。 
 「精撰『尋常小學修身書』」の監修者、八木秀次は、修身教育について次のように話している。「・・・修身を学んだ世代は具体的な人物像を通じて血の通った形で道徳を学んでいた。・・・共通の人物像を結ぶことで、親と子が、兄弟が、夫婦が、職場の同僚が、共通の了解を行ない、それが人々の間に価値観の共有とコミュニケーションを生んでいる。ここには『世代の断絶』も『価値観の相違』ということもない」。
 戦後の日本では、戦前の修身教育は軍国主義の象徴と見なされ、全否定された。戦後、「公」ではなく「私」優先のわがまま教育がなされ続けた。これが戦後教育の実態である。現在の日本の世相はその結果なのだ。

終戦時13歳でも洗脳されず迎合しなかった日本精神の文芸評論家江藤淳(1932~1999)
 ・・・そこにはまず、「日本の軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と
連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。
 これは、いうまでもなく、戦争の内在化、あるいは革命にほかならない。「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者者」の責任であって、
米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。
 そして、もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「
ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と米国
に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから。江藤淳著『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』文藝春秋文庫

日本軍は植民地解放軍で護国軍だ、侵略者ではない
 侵略者は宗主国とソ連と狂惨党だ。侵略者に反戦をいくらとなえても無駄であった。ルーズベルトは全て無視し資源封鎖し、
ハルノートで宣戦布告した。資源無き日本は籠城すれば確実に死。先人は座しての死より、植民地解放、貿易の自由化で資源確保、死中に活の交戦を選択した。

 日本が
侵略者なら反戦活動は理解できるが、以上の検証のように日本は侵略者にあらず、侵略者は米英仏蘭の宗主国、ソ連狂惨党、宗主国とソ連の傀儡、
中国
なのだ。侵略者日本は、真の侵略者戦勝国の捏造であり、日本は生命体の基本本能、自存自衛の護国戦争をしたに過ぎない。侵略者に包囲され日本国存亡の危機に直面し、国民が一丸となり命をかけて護国の戦いの最中の戦争反対は、治安維持法などに関係なく、いつの時代でもどの国でも、非難され売国奴とみなされ、投獄されて当然である。

「母べえ」
の悲劇の起因は、森を見ず木だけを見て日本を侵略者とみなした「父べえ」の誤謬と、弱肉強食の時代だ。治安維持法や、日本軍が家族の団欒、野上家のちゃぶ台を破壊したのではけしてない。護国の戦いを非難した「父べえ」は反戦の殉難者などではない、時代錯誤者だ。「父べえ」の誤謬の責任を、護国の日本軍に責任転嫁し、「母べえ」の悲劇の起因とするは、正しく捏造だ。
反共戦争の、護国の殉国者とその遺族を、極悪軍侵略者の犬死とその遺族、と侮辱し、貶め、悲劇の善人家族を装っている。静かなだけに、善人ほど涙を流しすぐ洗脳される。比類なき先人冒涜映画だ。だまされるな「母べえ」の悲劇の起因は、侵略者戦勝国だ、護国の日本軍ではない。

 戦後
アメリカにより侵略国家日本と洗脳され愚民と化した人に、「母べえ」はどう映るだろうか。治安維持法の悲劇、自由に物が言えなかった時代、反戦思想が許されない時代などサイト上にも戦前否定が溢れ出した。他国を侵略し、ちゃぶ台の団らんを破壊した犯人侵略国家日本とだけしか、「父べえ」は反戦の殉難者としか、愚民と化した人には映らないだろう。

 日本は護国軍で、真の侵略者は戦勝国なのだ。その戦勝国
の負い目払拭作戦「
ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」が63年を経たのに再度作動したのだ。日本を侵略者とみなした「父べえ」の誤謬の轍を踏んだ者によって。作動の鍵、「極悪日本軍対か弱き日本国民の対立」を回した者によって。そして真の侵略者戦勝国は、日本人の脳裏より払拭されようとしてる。

 護国の戦いを非難した「父べえ」はけして反戦の殉難者などではない、日本を侵略者とみなした時代錯誤者だ。「
ウォー
・ギルト・インフォーメーション・プログラム」を作動させる鍵は、「極悪日本軍」だ。「極悪日本軍」は捏造で真実は「護国日本軍」だ。63年を経た今年、この忌まわしい鍵「極悪日本軍」を真実史観で破壊し、子孫のために今後、二度と再び作動さしてはならない。そして真実の「護国日本軍」を子孫に伝えよう。

 「母べえ」を侮日愚民化洗脳映画にしてはいけない。
吉永小百合を売国奴にしてはいけない。侮日愚民化洗脳捏造映画を世界に発信してはいけない、これ以上愚民が増加すれば亡国だ。先人は軍民一丸の護国軍なのだ、侵略者などではない。鵜呑み識者などの頭脳でなく、立派な親、先人から授かったあなたの頭脳で考えれば必ずここ、護国軍に帰着する。
更に詳しくは下記へ


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観大東亜戦争は第二次世界大戦WW2民族浄化国盗り合戦とは異次元の大いなる意義


民族浄化国盗り合戦の第二次世界大戦WW2とは明白に異なる大東亜戦争の大いなる意義
 宗主国米英仏蘭は植民地を争奪して繁栄していた。ソ連は狂惨化による植民地化で世界征服を次々と成し遂げていた。両者は残された大国中国の植民地化を画策した。時に中国は、清が滅び日本が推す孫文国民党と軍閥の内乱を経て、後継の蒋介石国民党とソ連の傀儡中国狂惨党の内乱となり、狂惨党崩壊まで「最後の5分間」となっていた。狂惨党崩壊し、中国と日本合作となれば、強力な有色人種連合となり、米英仏蘭ソ(白人)の野望はついえるので即座に介入した。父親・張作霖を日本軍に爆殺されたとされ、満洲から追われ国民党員となった張学良を手なずけ、蒋介石を捕らえ、飴と鞭で抱き込み、親日の蒋介石を反日にし、国共合作させ、国民党と狂惨党の中国内戦を、中国対日本の抗日戦にすり替えたのだ。以後満州の日本軍を散々に挑発し、煽り、交戦に引きずり込んだ。日本は中国が共産化すると中国、モンゴル、ソ連に取り囲まれ亡国の危機に瀕するため、引き下がれず、反共戦争に突入した。

 孫文後継者筆頭汪兆銘は、米英仏蘭ソの傀儡と化した蒋介石とたもとを分かち、親日反共となった。米英仏蘭の中国植民地化の野望、ソ連の狂惨化の野望に気付き、孫文主義に回帰し、孫文の誤謬「容共』を訂正し、孫文主義完成のため「反共親日」に賭けた。日本の支援を得て孫文の筆頭後継者汪兆銘、孫文正統の南京国民政府樹立。中国の国民の幸せのために、売国奴の汚名を着ても、孫文の筆頭後継者としての使命完遂に賭けたのだ。

 米英仏蘭ソの野望の仕上げが日米通商航海条約の廃棄、ABCD経済包囲網、ハルノートである。資源無き島国日本の資源ルートを断ち切り、服従をせまったのだ。籠城すれば資源無き日本は確実に死、戦っても対米英仏蘭ソ中では死であった。先人は座しての死より、植民地を解放し貿易の自由化で資源確保の自存自衛、死中に活の、交戦を選択した。

 

 侵略戦争とのたまう愚者が居る、対米英仏蘭ソ中でも死なのだ、対米英仏蘭ソ中プラス全アジアでは戦争ではなく、自殺だ。

 

 アジア同胞に宗主国との交戦をうながしたが、長き植民地生活から脱しきれず、日本の真意植民地解放戦争、貿易自由化戦争は戦時中はほとんど浸透せず、日本一ヵ国だけの自由希求戦争となった。敗色濃厚の日本軍は、史上類のない壮絶戦法、最後の最後まで戦う玉砕や、肉弾と化し攻撃する特別攻撃で戦ったが、物量の差は如何ともしがたく敗戦となった。

 

 反共の砦日本の敗戦は、津波が押し寄せるがごとく中国、新疆ウイグル、チベット、内モンゴル、満州、北朝鮮とソ連に一気に狂惨化され、ソ連の一国勝ちとなった。米英仏蘭の思惑は完全にはずれ、狂惨化を助長しただけの無益な無駄な戦争となった。

 

 戦勝国米英仏蘭は更に追い討ちされ、無益な無駄な狂惨化助長戦争と認識させられた。再び植民地に舞い戻り優雅な生活を続行しようとした宗主国は、アジア同胞の反撃にあい、アジアからのすべて撤退を余儀なくされ、戦勝国となったのに植民地をすべて失ったのだ。

 

 遅ればせながら戦後アジアの同胞は皆立ち上がり独立した。何が彼らをこうも豹変させたのだろうか、日本統治下の自存独立の教育だろうか、もちろん教育も起因の一つには違いないだろう。がしかし、日本の真意植民地解放戦争、貿易自由化戦争を戦後理解し、インパール作戦や、特攻攻撃や、玉砕など史上類の無い、日本護国軍の捨て身の戦いを目の当たりにした。この余りに壮絶な戦法が、アジアの同胞の琴線を大きく揺り動かし豹変させたのだ。日本護国軍のように、これほど努力しなければ独立など不可能なことを悟り、アジアの同胞は皆独立に命を捧げた。このアジア同胞の迫力が、再び植民地主義を根付かせること無く植民地主義を破壊した原動力と呼んでも、けして過言ではない。

 

 ドイツ、イタリヤに侵略戦争を仕掛けられ米英仏蘭ソは欧州で戦い、米英仏蘭ソはアジア侵略のため、汪兆銘の孫文正統の南京国民政府や、日本と戦った。中国蒋介石や毛沢東は、中国を狙う侵略者米英仏蘭ソの傀儡となり、汪兆銘の孫文正統の南京国民政府や、日本と戦った。汪兆銘や日本は自存自衛反共戦争、大東亜戦争で、ドイツ、イタリヤは侵略戦争、第二次世界大戦WW2であり、明白に異なる。

 

 日本護国軍戦わざれば、戦っても殉国の捨て身の戦いでなければ、今日の植民地からの独立国は存在せず、有色人は宗主国に未だに支配されたままか、有色人対白人の人種戦争第二次世界大戦を引き起こしていただろう。

 

 大東亜戦争は人種差別撤廃、植民地主義破壊、共産ではなく狂惨の実体暴露、自由主義希求、貿易の自由化など、今日の全世界民主化の扉を開いた戦争であった。民族浄化、国盗り合戦の、欧州の第二次世界大戦WW2と異なることは、明々白々である。大東亜戦争は今後評価が上がる事はあっても、けして下がることはない。無論、東條英機も軍人も同様だ。

 日本の敗戦なのになぜ同胞は覚醒したか。特別攻撃、最後まで戦う玉砕、集団自決、敗れたがこの日本の極限の戦いが同胞の愛国心を覚醒させ、大東亜団結戦争を理解し植民地主義を破壊し追放した。敗戦国日本のこの壮絶な極限の戦いが覚醒をうながしたのだ。壮絶な極限の戦い無くして、同胞の覚醒はなかった。

 

 有色人種の協力を得ようと米英両国は大西洋憲章に民族自決を掲げた。有色人種の多くが戦争に勝てば、人種平等や民族国家が建設できると期待して参加した。しかし、日独が敗北すると西欧諸国は植民地を維持しようと、旧植民地に軍隊と行政官を復帰させた。これに対してインドネシアではハッサン・スカルノがオランダ軍に、ベトナムではホー・チ・ミンがフランス軍に武器を取って立ち上がった。世界の植民地解放戦争に勢いを付け、フランスは1956年にチユニジアとモロッコ、1962年にアルジェリアに独立を与え、イギリスも1960年代にはアジアやアフリカの植民地に独立を認め撤退した。

 

 「シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する」仏大統領ドゴール

 

 「真珠湾以降最初の2年間の日本の勝利は、アジアの勢力をはかる古い標準を打ち毀し、手に負えなくなったアジアが残った・・・日本が立派にやり遂げたことは、アジアにおける植民地帝国の19世紀的構造を破壊した事である・・・日露戦争の勝利が有色民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった」 「白人の侵略の終着点」オーエン・ラティモア米国の国際政治評論家 

「植民地独立付与宣言」

 1960(昭和35)年、第15回国連総会で、アジア、アフリカ43カ国による共同提案が採択され、植民地を保有することを不法行為であると宣言。賛成89、反対0、棄権が9カ国(主要宗主国のアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ポルトガル、スペインと、南アフリカ、オーストラリア、ドミニカ)。この宣言が正に、現代世界の平和を創造した。おこがましくも「平和憲法」と叫ぶ、「憲法九条」などではけして無い。導いたのは、日清日露大東亜戦争である。日清日露大東亜戦争は、唯物(凶産・食民治主義)対唯心の戦いで、WW1WW2は唯物対唯物の戦いである。

洗脳されし「愚条の害」会員や子孫よ、覚醒せよ。

生産者の嘘は即存亡の危機だ。非生産者のマス・メディアや識者が嘘でも成り立つことに胡坐を掻き、職責を放棄し63年間も無検証。
捏造知識鵜呑みの愚民化洗脳扇動者
捏造石原しんたろう、大江けんざぶろう、司馬遼太郎、城山三郎、森村誠一、下里正樹

政治
小沢いちろう、官直人、岡崎トミ子、岡田克也、中曽根やすひろ、宮沢きいち、河野ようへい、河野太郎、海部としき、金丸信、野中広務、加藤こういち、橋本龍太郎、村山富市、土井たか子、辻元清美、福島党首、田中真紀子、神崎武法、冬柴鉄三。捨民党、狂惨党は全議員、全党員。

報道業
と団体
朝日新聞本多勝一、田原総一郎、筑紫てつや、鳥越俊太郎、渡辺恒夫。
NHK、TBS、TV朝日、毎日新聞、朝日新聞、九条の会(現実社会に無知で、現実には実行不可の理想論を掲げる売文業、鵜呑み無検証集団。屠殺せずに、肉を食いたがる方々だ。実業家ではなく、非現実な捏造家だ。現実社会はすべて禍福で成り立ち、福だけの要求は不可)「いのうえひさし作家梅原たけし哲学者大江けんざぶろう作家)奥平康弘(東大名誉教授・けんぽう学者小田まこと作家)加藤周一(評論家)澤地久枝(作家)鶴見俊輔(哲学者)三木睦子(三木武夫元内閣総理大臣夫人「日狂組」、斜民党、日本狂惨党が支援」、捨民党、日本狂惨党、「日狂組」。(注・極悪軍隊の被害者か弱き国民と捏造報道し、か弱き国民の味方を演じる方々だ。騙されてはいけない)

 先人冒涜者よ、これだけの歴然たる歴史を目の当たりにし、尚も先人冒涜を続行するのであればあなたや、石原しんたろう、大江けんざぶろうなどの輩は日本人ではない。

 実技が伴なわなくとも知識の丸暗記だけで識者になれる非生産者は、例えれば、剣道や柔道を知識の丸暗記だけで覚えた有段者と同じだ。非生産者である現代の識者は、この丸暗記似非識者がほとんどだ、満ち満ちている。こんなに簡単な大東亜戦争の真実を、戦後63年間の今日まで、誰も検証しなかった。識者とは、丸暗記似非識者であることを、識者自らの63年間の無検証で、正に証明した。

 63年を経ても日本は、無検証鵜呑み知識の鵜人似非識者や、捏造を「是」とする国家や在日の捏造団や、金で国を売り捏造団の手先となった売国奴に占領されたままだ。鵜人似非識者や捏造団の侮日宣伝に惑わされず、戦後63年の今年は、他人の似非識者の頭脳ではなく、立派な親から授かった己の頭脳で検証し、覚醒し、いざ靖国へ。

日清日露大東亜戦争は、唯物(凶産・食民治主義)対唯心の戦いで、WW1WW2は唯物対唯物の戦い。


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観1欧米とソ連の植民地争奪(大航海時代)は1492年のコロンブスのアメリカ新大陸の発見から始まった

欧米とソ連の植民地争奪(大航海時代)は1492年のコロンブスのアメリカ新大陸の発見1498年のバスコ・ダ・ガマのインド航路発見から始まった

ウラジオストク・ロシア語の意味"東方を征服せよ”侵略国家ロシア
 十字軍の遠征以来、マルコ=ポーロの「東方見聞録」などでヨーロッパ人の間にアジアの物産に対する欲求が高まった。なかでも香辛料は非常に珍重され、最も需要が高かった。
 しかし、この欲求とは裏腹に、異教徒であるアラビア人の手になる東方貿易では、費用がかさみ、安全性にも乏しいという難点があった。
 ここに異教徒が支配する地中海東部を通過せず直接、アジア特にインドと交易をしようとする欲求が生まれた。これが、スペイン・ポルトガルの大航海開始の直接的動機となった。

1492年 
スペイン、コロンブスのアメリカ新大陸の発見。サンサルバドル島、キューバ、ジャマイカなど西インド諸島(メキシコ湾東方のカリブ海域の群島)を、支配。

1494年6月
 「トルデシリャス条約」が締結された。西経45度線を、両者の進出範囲の分界線とし、この分界線の西方全域をスペインの進出範囲、その東方全域をポルトガル進出範囲とした。後に1506年、この条約の分界点は教皇ユリウス2世によって承認され、まさにキリスト教権威のお墨付きを得た。スペイン・ポルトガルが世界を2分割し、支配しようとしたのだ。

1498年 ポルトガル、バスコ=ダ=ガマのインド航路発見。アフリカ及びインド洋の沿岸地域を中心に、武力を背景として貿易を強行し、インド洋周辺にアラビア勢力を打破してインド洋の制海権を獲得した。そしてアフリカの西海岸地域のギニアやアンゴラでは黒人奴隷貿易を行った。ポルトガル人は、スペイン人と同様に南米のブラジル地域の原住民を大量虐殺し、このために中南米の原住民人口は激減し、その労働力を失った。そこでポルトガルは、この深刻な労働力不足を補うべく、黒人奴隷貿易でアフリカから中南米に向けて多くの黒人を送り込んだ。

1521年 スペイン、メキシコのアズテク(アステカ)帝国を撃滅、征服。

1529年 サラゴサ条約。地球の裏側において2つの勢力のぶつかり合う分界線が、両国の間で定められた。この協定の分界線(ほぼ現在の東経135度)は丁度日本を真っ二つに分断するものであった。1543年にポルトガル人が種子島に上陸し、相次いで1549年にスペインのフランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸したのも、日本が丁度、2つの勢力の激突地点にあったことを裏付けるものである。

1533年 スペイン、ペルーのインカ帝国を撃滅、征服。

1565年 スペインは大砲や小銃で武装した300人ばかりの騎馬軍隊を本国から派遣してフィリピンのルソン島を占領。

1571年 スペインはマニラに首都を建設してマゼランのフィリピン群島の発見を理由にフィリピンを領有した。これ以降、スペインは約330年にわたってフィリピンの植民地支配を続け、絹などの物産資源を大量に本国スペインに持ち帰り、原住民をことごとくカトリック信徒に改宗させた。

 

イギリスのアメリカ大陸への進出
 イギリスの北米大陸における植民地活動が始まり、17世紀の初頭にはヴァージニア、ニューイングランドを中心に多くの植民地活動が開始された。この時イギリス本国内の国教強制化を逃れ、信仰の自由を求めていた清教徒や旧教徒が北米大陸に移住した。
 彼らの多くはスペイン・ポルトガルと同様に原住民のインディアンを虐待し、その土地を奪い取ながら植民地拡大を推し進め、次第にスペイン・ポルトガルに対抗する大きな勢力となっていった。


フランスのアメリカ大陸への進出

 フランスの植民地活動も、17世紀から積極的に始まった。イギリスと同様に北米大陸の探検を行い、セント=ローレンス川を逆上ってケベック市を立て、さらにモントリオールから、五大湖、カナダ一帯を支配した。また、ミシシッピー川流域一帯も占領し、ルイ14世の名にちなんで「ルイジアナ」と名付けた。こうしてフランスの植民地は、カナダ、ルイジアナにいたる広大な地域を占め、18世紀後半には、むしろイギリスより優勢になった。

 

オランダのアジア方面への進出

 17世紀の初頭よりアジア方面に進出したのが、1581年に旧強国(カトリック教国)のスペインから離脱・独立したオランダであった。この新教国の独立気運に燃えたオランダは、実利追求の通商国家として、まず北米大陸に進出を試みた。しかし、概存勢力であるイギリス・フランスにはねのけられ成功しなかった。
 そこで1595年より、インド航路によるアジア進出を試み、1602年に今までの諸会社を合同してオランダ東インド会社を設立し、これに貿易・軍事・外交・行政の独占権を与えて、諸外国と戦争して積極的にアジアへ進出を開始した。

 オランダは、アフリカ及びインド洋の沿岸地域にあったポルトガルの貿易拠点を次々と奪い取り、17世紀中期には、現在のインドネシアを中心とした地域に確固した拠点を築いた。これ以降インドネシアにおけるオランダの植民地支配は約320年間続いた。

インドネシアにおけるオランダの植民地支配の方法

○原住民を文盲のままに放置して土候を使って間接統治。 

○キリスト教に改宗したものは優遇して警察官や軍人として登用。

○オランダとインドネシアの混血児層を中間階級として使用し、民族の分断を図る。

○社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取によるインドネシア人の憤慨と憎悪を華僑に集中させる。

○一切の集会や団体行動を禁止。

○全国各地域で用いられていた320の種族語をそのままにして、1つの共通語作成を禁止。

 

1639年 日本では徳川幕府の政策によって鎖国時代に入ったが、この日本との通商を独占したのは、このオランダであった。
1652年 1652年より3回にわたる英蘭戦争に勝利したイギリスは、オランダの海上権を奪い取った。

1689年 イギリスは、それまで拮抗(きっこう)関係にあったフランスと、北米大陸、インドをはじめ、西インド諸島、アフリカの各方面の植民地において激しい植民地争奪戦を展開した。この争奪戦はヨーロッパ全土における戦争と結び付いて1689~1815年の約100年続いた。イギリスはヨーロッパ本土の戦争には深入りせず、多数の軍隊を北米大陸に集中させたために、最終的にフランス領カナダの中心地ケベックを占領し、これを機に形勢は一気にイギリス側に有利となった。勢いに乗ったイギリス軍は、さらに西インド諸島のスペイン領をも占領した。一方、この戦争は、インドにおける英仏間の抗争にも連鎖していった。
1757年 イギリスは、プラッシーの戦いでフランスを破り、ベンガル地方を獲得し英領インドの基礎を築いた。英仏のインド経営は、ムガール帝国の皇帝やその配下にある土候の許可のもとに行われていた。帝国の内部抗争に乗じて英仏は、それぞれ土候を買収し、自分達の権利拡張に都合のよい土候を手なずけ、互いに勢力圏を拡張し合っていた。この勢力件拡張の衝突が、インドにおける植民地戦争に発展したのだ。
1763年 パリ和約。この全面展開となった植民地戦争に決着をつけるため、ヨーロッパ諸国の間でパリ和約が結ばれた。この条約でフランスは、カナダをはじめとするミシシッピー川以東の北米大陸の領土と、西インド諸島のドミニカ、トバゴなどの島々をイギリスに譲り、ミシシッピー川下流流域のニューオーリンズとミシシッピー川以西の地をスペインに譲った。このためフランス勢力は、北米大陸、西インド諸島から完全に撤退した。これに対してイギリスは北米大陸やインドなど多くの植民地を独占することとなり、これまで拮抗関係にあった英仏の関係は、完全にイギリス優勢となった。またこの和約でスペイン・ポルトガルは、ほぼ完全に中南米大陸を支配することになった。

1765年 イギリス、ワット蒸気機関を改良。産業革命開始。
1775年 アメリカ、ジョージワシントンを植民地軍の総司令官とし、翌年独立宣言。イギリスと抗戦。

1776年 アメリカ独立宣言。

1783年 パリ条約で、アメリカの独立が承認された。独立戦争勃発当初より独立軍の敗戦寸前であったこの戦争が、北米大陸におけるイギリスの植民地支配の優勢を喜ばなかったフランス、スペイン、オランダが、苦境にあった独立軍を支援し、約8年という長期戦と成ったが、勝利し独立。

 このようにみてくると、アメリカ独立戦争は、自由と民主主義という理想主義に充ち満ちた輝かしい戦いであったと言うよりも、むしろ列強各国の植民地争奪戦の産物であったと言っても過言ではない。

1785年 イギリス、カーライトがワット蒸気機関(1765)を応用して力織機を発明するに至って綿布生産が飛躍的に増大した。

1789年~1799年 フランス革命。

 フランスもイギリスとの植民地争奪戦の敗北によってイギリス以上に国家財政難におちいっていた。そして、アメリカ独立戦争を支援したものの、その見返りがほとんどなかったためますます国家財政は困窮した。財政危機はますます進行し、一般国民の租税負担能力も限界に達していたため、ついに特権身分層に課税しようと、国王は1787年名士会を招集した。しかし僧侶・貴族の代表で構成されたこの名士会は、課税に反対した。
 フランス革命は、実にこの「貴族の反抗」が発端となって起こった。すなわち、革命の発端をつくり煽動した者が、実はそれまでフランス植民地主義を推進し、ベルサイユ宮殿に象徴される空前の絶対王制を形作って来た特権身分層の僧侶・貴族であったのである。

このような過程をみてもフランス革命は、アメリカ独立戦争と同様に、それまで植民地主義を推進して来たさまざまな階層の人々が国家財政の破綻(はたん)という国難に立ち至って急激に利害対立が深刻化し、その仲たがいの中で発生したと言っても過言でなかった。その意味でフランス革命は、フランスが植民地争奪戦に敗れた産物であったと言っても過言ではない。

 フランスに「革命」が起こり、何故にイギリスに革命が起こらなかったかという点である。
それは、イギリスが植民地争奪戦に勝利し多くの植民地を独占しそこに産業革命という結果を得ることができたからである。もちろんイギリスも植民地争奪戦によって国家財政が窮乏しアメリカの独立という痛手を負ったが、それを乗り越えるだけのものを得たのである。しかし、フランスは植民地争奪戦の敗北によってほとんどの植民地を失ったが故に、国家財政が破綻し革命が起こった。

 このような国運の対比を見ても分かるように彼らの運命は実に植民地を前提として成り立っていた。すなわち彼らの繁栄は有色民族を犠牲にした植民地の獲得によって初めて可能となり、その植民地を失えばたちまちにして破綻してしまうという極めて依存性の強いものであった。

 

 イギリス本国を取り巻く様相は、アメリカの独立の前後では、大きく変化していった。広大な植民地の喪失と、自治植民地という穏やかな支配への移行は、すべての植民地を圧倒的優位をもって支配して来たイギリス本国にとっては、明らかに後退であった。
 そこで、イギリスは、アメリカの独立を契機に、穏やかな支配へ移行しつつあった既存の植民地を保持させながら、その一方で、完全な優位の支配に立てる植民地の拡大に主力を注いでいった。その対象となったのが、まさにインドを中心とするアジアであった。すなわち、本国の産業革命の力を借り、プラッシーの戦いで獲得していたインドのベンガル地方を拠点に、着実にインド支配を押し広げていった。2につづく⇒

真実史観2欧米とソ連の植民地争奪(大航海時代)は1492年のコロンブスのアメリカ新大陸の発見から始まった

②欧米とソ連の植民地争奪(大航海時代)は1492年のコロンブスのアメリカ新大陸の発見1498年のバスコ・ダ・ガマのインド航路発見から始まった 

1804年 インドムガール帝国をイギリスの保護下にした。

1814年 スティーブンソンが、ワットの蒸気機関を応用して蒸気機関車を発明し、1825年から実用化。このように産業革命は次々と新しい技術改良と発明を生み出したが、このことは、イギリス人の物産資源を獲得する意欲を一層かき立て、ますます植民地主義を推進していく大きな原動力となった。
1855年 1855年にニューファンドランドに自治権が与えられたのを皮切りに、20世紀の初期に至るまでに、カナダ連邦、オーストラリア連邦、ニュージーランド、南アフリカが次々に自治植民地として独立し、5大自治植民地(後のイギリス連邦)を形勢していった。

1858年 イギリスの直轄統治が成立し、インドムガール帝国が滅亡した。
1877年 イギリスの女王ヴィクトリアが、インド皇帝を兼ね、インド帝国が成立した。これによりインドは完全にイギリスに支配され、イギリス本国の経済を根底から支える原動力となった。
 このようにしてイギリスは、インド・アジア支配し、アジア有色民族を犠牲にした植民地の拡大を一層強力に推し進め、1850~70年代には「世界の工場」と言われるほどのイギリス経済の黄金時代(ヴィクトリア時代)を迎えた。

 

 一方、アメリカの独立は、中南米大陸に多大な影響を与えた。すなわち19世紀初頭、アメリカの独立に刺激され中南米に次々と独立国が誕生した。1804年のハイチとサントドミンゴ(ドミニカ)の独立を皮切りに、次々と独立国が誕生した。この結果スペイン、ポルトガルは多くの植民地を失い、かつての植民地支配の勢いは見る影もなくなり、没落した。

 中南米の独立は、あくまでも原住民族の独立ではなく、ヨーロッパから来た植民地開拓者及び、その原住民との混血児の、本国に対する独立であった。
 原住民は、スペイン・ポルトガル・イギリス・フランスをはじめとするヨーロッパ系植民地開拓者の苛酷な植民地支配の過程で、奴隷・酷使され、虐殺され、また、自らの土地から追放され、被支配民族、少数民族としての社会の底辺に追いやられ、中には絶滅した原住民もあった。

1881年 これに並行してイギリスは、ロシアの南下政策からインドの植民地を防衛するために、1881年にアフガニスタンを保護国としたのをはじめ、イランからは1870年代より多くの利権を獲得し、その他にイエメン、オマーンなど中近東の地域や、チベット、ネパール、ブータンなどの中央アジアの地域にも勢力を拡張していった。

1882年 イギリスエジプトを占領。これによりイギリスは、本国から地中海を経由し、地中海から直接、紅海、インド洋に出てインドの根拠地ボンベイ、カルカッタに至る新しい流通経路の生命線、すなわちスエズ運河を確保することができた。

1889年 さらにイギリスは、エジプト支配に引き続き1889年スーダンを支配すると共に、ケープ植民地周辺地域の支配強化に力を注ぎ、アフリカ大陸を、カイロとケープタウンの両端から挟み込むようにして、アフリカ全土を征服していく縦断政策をとった。すなわちカイロ ― ケープタウンの「支配」ラインの強化も推し進めていったのである。そのような中でイギリスは、既存の2大拠点であるインドのカルカッタ(Calcutta)と南アフリカのケープタウン(Capetown)に、エジプトのカイロ(Cairo)を加えて、3大拠点を強固にすることによって植民地支配を押し広げていく「3C政策」を掲げた。

 このようなイギリスの3C政策に対して新しく台頭してきたドイツは、衰退するオスマン=トルコを援護するといった名目で、1899年トルコよりバクダード鉄道建設の許可を得た。この鉄道は、ドイツ本国のベルリン(Berlin)に発し、ビザンティウム(Byzantium)を経て、バクダード(Baghdad)に至るというものであったが、ドイツも、これによって3拠点を強化する「3B政策」を掲げた。
 しかし、この政策は、イギリスの3C政策を真っ向から脅かすもので、また、当時、日露戦争に敗れ、アジア進出からバルカン半島への進出に主力転換していたロシアとも真っ向から対立するものであった。

 ロシアは日露戦争(1904~05)の敗北で、その背後で日本を支援していたイギリスに自らの南下政策が阻まれたため、日露戦争以降はイギリスに妥協する姿勢に変わった。1907年、英露の間で中近東及び中央アジアにおける勢力範囲を確認しあった英露協商が締結され、イギリスとロシアの勢力は急速に一本化し、ドイツとの対立が一層、深まる形勢となった。そして、ここに第1次世界大戦勃発の最大の原因が芽生えた。

1895/明治28年 日清戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮支配をめぐる、日清間の戦争)日本勝利。

1905年 日露戦争、日本の勝利。1905年ペルシャ(イラン)の新聞は、テヘランへの日本公使館の設置、日本将校の招聘(しょうへい)、日波貿易の促進を力説した上で「強きこと日本の如(ごと)く、独立を全うすること日本の如くならんために、ペルシャは日本と結ばねばならぬ。日波同盟は欠くべからざる必要となった」と論じた。

 当時の中近東には、日露戦争の勝利でアジア唯一の立憲君主国として欧米と対等の地位に立つに至った日本に対する非常な憧れがあり、自分たちも日本のように欧米の侵略をはねのけ、強い立憲君主国に脱皮していかねばならないという、独立精神がみなぎっていた。これが独立国を生む大きな原動力となったのである。
1914年7月28日~1918年11月11日 第一次世界大戦。

1919年 トルコの勢力圏にあった北イエメンが1918年にトルコより独立。

1919年 イギリスの保護国であったアフガニスタンが、イギリス軍の侵攻を破り独立した。

1923年 ネパールが、領土の著しい侵食を受けながらも、イギリスとの粘り強い戦いの末、1923年、ついにイギリスと友好条約を結んでイギリスにネパール独立を認めさせた。

1923年 イギリスの統治下に入っていたヨルダン独立。

1923年 エジプト、立憲君主国家として独立。
1923年 オスマン=トルコ帝国600年の支配制度スルタン=カリフ制を廃止して、トルコ民族国家としての再生を図った(トルコ革命)。

1925年 ペルシャ(イラン)でも、イギリスの半植民地状況を排してレザ=ハーンが、1925年ペルシャ国民会議の推戴(すいたい)をうけて正式に新国王として即位し、これによってペルシャ民族国家としての再生が図られた。

1932年 イギリスの統治下に入っていたイラクも、反英的な独立運動が激化し独立した。

1932年 チベットが清朝から独立。

 

 第1次世界大戦後、中近東・中央アジア及び東欧の独立によって、全世界の中で新たな植民地支配の可能性のあった地域が中国大陸だけになった。
 3C政策の一環としてエジプトのカイロを中心とする中近東地域の支配を強化しようとしていたイギリスにとっては中近東の独立は大きな痛手であり、それだけに、残された中国大陸への執着はより強くなった。
 ロシア革命によって成立したソ連も、東欧の独立によって一時、東欧共産化の戦略が阻まれ、中国大陸の共産化に主力を注ぐこととなった。アメリカも、西部開拓以来、中南米、太平洋・極東地域への独自の勢力圏確保を推し進めていき、その戦略の行き着くところは、やはり中国大陸であった。フランスもインドシナを拠点に中国大陸における勢力圏を拡張しようとした。

 このようにして列強は、世界最大の人口を誇り、世界最大の市場となる可能性のあった中国大陸に殺到していくことになった。大東亜戦争は、数百年にわたる欧米植民地支配の最終段階として不可避的に起こった最後の植民地争奪戦争であったと言えるのである。

 合作した中国国民党と共産党(有色人)支援する米英仏蘭ソ(白人)。日本(有色人)はこの反共戦争護国戦争をたった一か国で戦い、敗れたが、有色人を苦しめた欧米500年の植民地主義を破壊した。日本のこの真実の歴史は、今後評価が上がっても、けして下がることはない。

ウラジオストク・ロシア語の意味"東方を征服せよ”侵略国家ロシア

1860/ アロー戦争(第二次アヘン戦争) 英仏連合軍北京条約締結。イギリスへの九竜割譲、天津開港等の条約。清国食民治化加速。アロー戦争の結果ロシアとの条約。ロシアは英仏仲介の代償として、ウスリー川以東の共同管理地沿海州を領土とした。満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東の沿海州(外満州)は、ロシアに征服された。ロシアはウラジオストク(ロシア語の意味"東方を征服せよ”を建設、侵略の拠点とした。侵略更に南下

 ボルガ河畔の小国に過ぎなかったロシアが、モンゴルによる二百五十年間の支配から脱したのは1480年のイワン三世の時である。後を継いだイワン四世が1547年にツァーリ(皇帝)を称し、東方へ拡張主義政策を実行した。以後たった100年でロシア人はシベリア大陸を横断し、オホーツク海に到達すると、次には海を越えてアラスカに渡った。アラスカは現在アメリカ最大の州、1867年に ロシアから破格の安値720万ドルで購入した。 
4:ロシアの侵略性と、日露戦争の受益者中国

 ロシアは南下し、千島列島から島伝いに日本列島へ、シベリア沿岸から朝鮮半島、満州 ( 中国東北部 )、さらにモンゴル、へと侵出した。フレデリック・シューマンの 「 ソ連の内政と外交 」 によれば、1613年にロマノフ王朝が成立して以来、1913年に至る三百年間に領土拡大の速度は、一日平均 六十平方 マイルのであった。 

 当時のロシアは中国東北部をすでに占領し、清(しん)朝から租借した遼東半島の旅順に軍港と堅固な要塞を築き、次に朝鮮半島にまで勢力を伸ばした。もし朝鮮半島がロシアの支配下になれば、日本の脇腹にナイフを突きつけられたのと同じ国防上の危機をもたらすため、日本はロシアによる朝鮮半島支配を阻止し、自衛の為にロシアと交戦した。当時の帝政ロシアは日本の四十倍の国土と強力な軍隊を持つ世界有数の大国であり、世界の九十九パーセントの人々は当然ロシアが勝つものと予想していた。

1904年~05年日露戦争日本が勝利
1914年7月28日~1981年11月11日 第一次世界大戦

1917年3月ロシア革命。ロマノフ王朝倒壊。2月(ロシア暦)革命。

1917年11月ソビエト政権樹立。10月(ロシア暦)革命。レーニン首班となる。
1922年ソビエト社会主義共和国連邦が成立

1924年レーニン(1870~1924)病死。「ヨシフ・スターリンを党書記長から解任」が、遺言

革命という美名を掲げ次々と周辺国を侵略し狂惨化したソビエト連邦のスターリン レーニンの死後、独裁的権力を握ったヨシフ・スターリンは政敵トロツキーの国外追放を皮切りに、反対派を徹底的に排除して一国社会主義路線を確立した。スターリン時代の大粛清時(ピークは1936年から1938年)には処刑や強制収容所での過酷な労働などによって、一説には1200万人以上の人が粛清されたとされる。ソビエト連邦解体までの70年間に6200万人以上に及ぶ人々が粛清されたことを、現行のロシア政府が1997年認めた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  昭和10(1935)年7月、第七回コミンテルン大会におけるスターリン演説「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ」。

(注・ソ連の恐怖は日本と中国が同盟を結び、ソ連を侵略することだ。日中戦争~大東亜戦争はソ連が放った日本と中国と米国のスパイが仕組んだ戦争だ。蒋介石と近衛文麿とルーズベルトはスターリンに踊らされた。日中戦争は狂惨党に仕組まれた事に気付いた蒋介石は、戦後500億ドルの賠償金を放棄したうえ、日本の軍属と日本人居住者二百十万人を無事に日本に帰国させ、天皇制維持を強く主張した。蒋介石は元来は親日であったが、ソ連のスパイに踊らされた。恐るべし悪の元凶は狂惨党なのだ)

1935(昭和10年)/8/1 1935年のソ連コミンテルン第七回大会で、反ファシスト人民統一戦線方式が打ち出された。その結果「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」が発せられた。内容は中共がその革命戦術の中に対日戦争を採りいれて、「内戦停止・一致抗日」を訴え、所謂「救国」運動に変換し革命戦術を拡大させたのである。そしてそれは国民党軍に潜入していたコミンテルンの指令を受けた中国共産党工作員による、1937年7月7日の「盧溝橋事件」へと展開してゆく。

 八・一宣言(抗日救国のため全同胞に告ぐるの書。中国共産党が抗日民族統一戦線の結成を提唱)中国共産党軍の兵力は30万人から3万人に激減したため矛先を日本に替え宣言した。反共戦争を抗日救国戦争にすり替えた。

 なんと中国共産党は、シナ事変に先んじる2年前、昭和10(1935)年8月1日、日本に宣戦布告しているのだ。

 昭和12(1937)年七月コミンテルン指令「あくまで局地解決を避け、日中全面衝突に導かねばならない。右目的貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって中国を裏切る要人は抹殺しても良い」 国会図書館所蔵興亜院政務部・コミンテルン関係一括資料

 スターリンは下記のように、ソビエト社会主義共和国という美名の下に次々と各国を侵略し狂惨化していた。大東亜戦争はローマ法王のピオ11世が喝破したようにアジアと、侵略者狂惨党との反共戦争でもあった。1937年7月7日北京郊外の盧溝橋で演習していた日本軍に数発の銃弾が撃ち込まれた。共戦争、シナ事変の始まりである。

 ローマ法王のピオ11世は共戦争(支那事変、日華事変、日中戦争)(1937年7月7日)が始まった年の10月に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよと」
 

1922年 ウクライナ・白ロシア・ザカフカス・ロシアの4ヶ国狂惨化

1924年 ウズベク・トルクメンの2ヶ国狂惨化

1929年 タジクの1ヶ国狂惨化

1936年 アゼルバイジャン・アルメニア・グルジア・カザフ・キルギスの5ヶ国狂惨化

1940年 カレロ=フイン・エストニア・モルダビア・ラトピア・リトアニアの5ヶ国狂惨化
 

 わずか18年間で合計17ヶ国が侵略され狂惨化されていた。ソ連も米国と同様に侵略の歴史を重ねていた。1940年大東亜共栄圏建設構想発表。真珠湾攻撃は(1941年12月8日)。近衛首相の有力なブレーンであった尾崎秀美(朝日新聞記者)が、ゾルゲ事件でソ連のスパイだったとして処刑(1941年)されている。
 

 WW2で共産主義者は史上最大の共産圏を構築した。民主主義の宗主国は植民地を失った。戦後61年、民主主義は繁栄し捏造国家共産圏は次々自壊している。真実は物事の基準だ。

(注・ソビエトはロシア語で会議の意)  

(注・コミンテルン・1919~1943年全世界を全て狂惨化しようと、革命運動の統一的指導に当たった、共産党の国際組織。レーニン創立)

 チベット、内モンゴル、満州、新疆ウイグルと同胞を侵略し、西洋覇道の鷹犬「たかいぬ(鷹狩に使う犬)」と化した中国狂惨党。人類の敵中国狂惨党(有色人)は、宗主国気取りで同胞を殺戮し、苦しめ、臆面も無く搾取し続けている。 

 先人冒涜者よ、これだけの歴然たる事実を目の当たりにし、なおも先人冒涜を続行するのであればあなたや、石原慎太郎、大江健三郎などの輩も、日本人ではない。


亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ 

真実史観赤裸な国民の総意開戦の詔書と終戦の詔勅と 戦後公職追放令でのし上がった売国奴


赤裸な国民の総意開戦の詔書と終戦の詔勅と 戦後公職追放令でのし上がった売国奴

 文春新書「文芸春秋読者賞」受賞「昭和陸海軍の失敗」「彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」半藤一利+秦郁彦+保坂正康+福田和也ほか。2008年1月3日読売新聞一面。戦後63年を経てもいまだにこの有様だ。対弱肉強食対応の衣を纏い「私」の自然権を捨て、子孫の自己保存のため一丸となり「公」に殉じ、侵略者と戦った時代が先の時代である。日本が仕掛けた戦争ではないので、反省など一切皆無。糾弾すべきは、戦後の迎合した売国奴の輩で、陸海軍ではない。

 
 日本は服従を拒否した自由希求戦争(護国、反共、植民地解放、人種差別解放、貿易の自由化)。米国はルーズベルトの謀略戦争で侵略戦争、原爆空爆無差別大虐殺60万人、これがアメリカの負い目だ。この負い目を払拭するため、戦前の有能な指導者をすべて追放し、一つまみの戦前否定の売国奴迎合者を指導者にした。  

 敗戦の翌年・昭和21年1月4日、GHQ(連合国軍総司令部)は戦争中の総理を筆頭に、大臣経験者・国会議員・政治・経済・教育・労働其の他あらゆる官公職・言論報道など、中央地方を問わず指導的立場にあった人々を公職から追放するよう指令を出した、公職追放令だ。

 アメリカは一流の指導者を追放し、操り人形成金私利私欲売国奴を乱造し、歴史を捏造、日本国民を洗脳し、愚民にしたのだ。当時の無辜の子供は、一つまみの私利私欲売国奴(NHK、マスコミ、教授、教師、役人)等の餌食となり、否応無く洗脳され、愚民となった。がしかし、当時の成人は、誰も洗脳されなかった(先人冒涜愚民化洗脳が7年間続いたが、戦犯釈放運動で、当時の成人のほとんどいってもよいくらいの四千万人もの署名が集まった)。

 終戦から7年後の昭和27(1952)年に日本が独立した。独立した時点で洗脳を止せばよいのに、なんと私利私欲売国奴は保身のため独立後も洗脳したのだ。まさしく正体は、髄まで腐った正真正銘の幇間、操り人形成金私利私欲愚民売国奴だったのだ。初代売国奴退陣後も、鵜呑み職責者は検証もせず、代々鵜呑みを繰り返し洗脳を引き継ぎ、日本人を先人冒涜者の愚民にしてしまった。63年後の今も、操り人形成金私利私欲売国奴のクローンとなり、日本国民洗脳を続行している。

 公職追放令で戦後のし上がった典型的な無検証捏造鵜人、売国奴槙枝元文(まきえだ もとふみ、1920年(1962年から21年間日教組の委員長、書記長。1976年から1983年まで総評議長を勤めた)。戦前1940年岡山県にある青年学校(小学校卒業の勤労青少年に、実業、普通および軍事教育を2年間行った学校)の教師を勤めた。1942年から終戦まで召集され札幌にある陸軍の北部軍司令部の憲兵隊で犯罪捜査、思想弾圧にたずさわる憲兵将校。終戦後1946年同校に帰任。戦後は戦前全否定のマルクス・レーニン主義者に変身して労働運動に専念し迎合、日教組の活動家。教師から憲兵、労働運動家、日教組の活動家、日本教職員組合の委員長。

 尊敬する人物は金日成。北朝鮮を礼賛し、1991年(平成三年)には北朝鮮から国際親善賞1級の勲章を授与されている。著作「チュチェの国朝鮮を訪ねて」読売新聞社刊の中では、次のように検証で鵜呑みし、現実にはあるまじき、非現実社会を疑うことなく礼賛している。こんなおろかな愚人が戦後の教育者なのだ。独立後も迎合し続けた者は、皆同罪売国奴だ。
 「生活必需品はべらぼうに安い。ただも同然である。したがって生活の不安は全くない。だからこの国には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない。交通整理や怪我人のために社会安全員が街角に立っているだけ」。

 社会安全員という名の警官が多数存在するのは、社会主義国家の常識、人々の行動や言動を監視し、密告するためなのに、隠して捏造している。

 まさに典型的な無検証捏造鵜人、槙枝元文だ。資金源を精査すれば、更に正体は明白になるだろう。日教組総評の実態、非現実検証捏造思考丸見えだ。

 糾弾すべきはこの様な売国奴の輩や、NHK、TBS、毎日、朝日、TV朝日に巣くう金で国を売った輩や、売国奴報道で、護国軍ではない。

これ以上でもなくこれ以下でもない赤裸な国民の総意開戦の詔書と終戦の詔勅


大東亜戦争開戦の詔書
 
昭和16(1941)年12月8日 真実史観訳

 

詔書

天のご加護を有し、万世一系の皇位を継承する大日本帝国天皇は、忠誠勇武なる汝国民に明示す。

 

私はここに、米国及び英国に対して戦いを宣言する。陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、すべての政府関係者は務めに励んで職務に奉行し、国民は各々その本分を尽くし、万民の心をひとつにして国家の総力を挙げて、敵地で戦うこの戦争の目的を達成するために、手違いのないように期せよ。

 

そもそも、東亜の安定を確保し、もって世界の平和に寄与するは、偉大なる明治天皇、偉大さを受け継がれた大正天皇が述べられたことで、遠大な構想として、私がいつも心がけている事である。

 

そうして各国との親交を深め、万国の共栄の楽しみを共にするは、これまた帝国が常に国交の要点と成すところなり。今や、不幸にして米英両国と交戦の扉を開くに至る。まことに止むを得ざるものあり。なんで交戦が私の本意であろうか。

 

中華民国政府は以前より我が帝国の真意を解せず、思慮も無く事を構えて東亜の平和をかく乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、ここに四年有余を経たり。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣のよしみを結び、あい提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の助けを当てにし、兄弟の南京政府と、尚いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

 

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援して、東亜の乱れを助長し、平和の美名に隠れて、東洋制覇の野望を遂げようとしている。そのうえさらに、帝国の同盟国を誘い、帝国の周辺において、戦備を増強して我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、遂に経済断交をあえてし、帝国の生存に重大なる脅威を加えている(注・1941年月4月13日有効期間5年の日ソ中立条約締結しているので、ソ連狂惨党の名指しはないが、合作した中国国民党と共産党、支援国家米英仏ソとは、1937年9月国共合作②以後日本の反共戦争となり、交戦していた

 

私は、政府をして事態を平和の内に回復せしめんとし、忍耐久しきにわたりたるも、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、いたずらに時局の解決を引き伸ばし、この間、かえって益々経済上軍事上の脅威を増大し、それによって我が国を屈従せしめんとす。 

 

かくの如くにして、このまま続けば、東亜安定に関する帝国積年の努力は、ことごとく水泡に帰し、帝国の存立、また正に危機にひんせり。事すでにここに至る帝国は、今や自存自衛の為、蹶然「けつぜん(地を蹴って立ち上がる)」と起(た)って、一切の障礙を破砕する以外に道はない。

 

天皇歴代の祖先のたましい上に在り、私は汝国民の忠誠勇武を信頼し頼りとなし、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根を刈り取り、東亜永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄を保全せんことを期す。

 

御 名 御 璽

   平成十六年十二月八日

                      各国務大臣副書

 

終戦の詔勅(玉音放送)(1945.8.15正午)原文は815文字 真実史観訳

私は深く世界の大勢と帝国の現状とをかんがみ、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝国民に告ぐ。

 

私は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する宗を通知せしめたり。

 

そもそも帝国国民の安泰をはかり万国共榮の楽を共にするは、天皇歴代の祖先の遺訓にして私もいつも心がけている事である。

 

先に米英二国に宣戦せる理由もまた実に、帝国の自存と東亜の安定とを願ってのことで、他国の主権を排し領土を侵すが如きは、もとより私の志にあらず。

 

しかるに交戦すでに四年を経て、陸海將兵の勇戦、政府関係者の務めに励んでの奉行、一億庶民の奉公、各々最善を尽せるにもかかわらず戦局必ずしも好転せず、世界の大勢、また我に利あらず。

 

それだけではなく敵はあらたに残虐なる爆弾を使用して、むやみに罪無き人を殺傷し、無残な被害の及ぶところ真に計り知れない。

 

それでも尚交戦を継続すれば、しまいには、我が民族の滅亡を招きかねず、そして人類の文明をも破壊することになってしまうだろう。

 

そのような事態を招いたら、いかようにして億兆の人民を守り、天皇歴代の祖先のたましいに謝せんや。これが帝国政府をして共同宣言に応じるに至った私の理由なり。

 

私は帝国と共に終始東亜の解放に協力した各同盟国に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。

 

帝国国民にして戦陣に死し、職に殉じ災難に斃(たお)れたる者、及其の遺族に想を致せば、五臓が裂かれる。

 

更に戦傷を負ひ災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に至りては、私の深く軫念「しんねん(心配)」するところなり。

 

おもうに、今後帝国の受くべき苦難は、いうまでもなく尋常にあらず。

 

汝国民の断固決戦の本心も、私は善く之を知る。しかれども朕(ちん)は、時運「じうん(時の運命)」の趨「おもむ(速やかに進む)」くところ、堪(た)え難(がた)きを堪(た)え、忍び難(がた)きを忍び、以(もっ)て万世「ばんせい(限りなく続く世)」のために太平「たいへい(平和な世の中)」を開かんと欲す。

 

私はここに国体を護持し得て忠良なる汝国民の真心を頼りにし、信じ、常に汝国民と共に在り。(注・日本国は無条件降伏ではなく、共同宣言を受諾し、有条件降伏。軍隊だけが無条件降伏

 

もし、訳も無く感情の赴くままに行動し災いの元を多く作ったり、あるいは同胞を排斥したり、たがいに時局を混乱させ、結果大道を誤り、信義を世界に失うようになったら、私は最もこれを忌み嫌う。

 

日本国民はすべからく、一つの家族のように日本が団結し子孫に相伝え、硬く日本の不滅を信じ、責任重くして道遠きを思い、総力を將來の建設に傾け、道義心を厚くし、志操「しそう(不変の志)」を硬くし、誓って日本の精華「せいか(すぐれて華やかなこと)」を発揚「はつよう(奮い起こし)」し世界の進運「しんうん(進歩)」に遅れざらんことを期すべし。

 

汝国民は、私の本意をよく理解し、そのように行動するように。

御名「ぎょめい(天皇の名)」御璽「ぎょじ(天皇の印)」
昭和二十年八月十四日

大東亜戦争更に詳しくは、下記へ。

亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

フリーエリア
プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。