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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

歴史は線!点丸暗記丸鵜呑みは亡国!植民地独立付与宣言を考え一億総歴史家へ!転載可要出自記載
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真実史観1護国日本とアメリカの西進という名の侵略戦争対メキシコ対スペイン対日本 


1護国日本と西進という名のアメリカ侵略戦争対メキシコ対スペイン対日本

 ベバレッヂ上院議員は、1900年に国会で次のような演説をしている。

 「我々は東洋におけるわれわれの機会を放棄しない。我々は神によって世界の文明を託されたわが民族の使命を遂行するにあたってわれわれの役目を放棄しない。・・・今後我が国最大の貿易はアジアと行われるにちがいない。太平洋は我々の大洋である。・・・中国はわが国本来の消費者である。」 

 Manifest Destiny(明白なる天意)という言葉がある。ベバレッ ヂ上院議員の「神によって世界の文明を託されたわが民族の使命」とは、この事である。アメリカは、自らが非白人劣等民族の領土を植民地化することによって、文明をもたらすことを神から与えられた「明白なる天意」と称した。メキシコ、ハワイ、そしてフィリピンへと領土拡張を進めたアメ リカの軌跡は、まさしくこの「明白なる天意」の周到着実なる実行である。

護国日本とアメリカ西進の年表

1776年 アメリカ独立宣言、大西洋岸の東部13州。

1830年 第七代のアンドリュー・ジャクソン大統領(1767~1845)は野蛮人(インデアン)を東部諸州から一掃すると称して1830年に強制移住法を作り、全インデアンを、北米大陸を南北に流れ平野部を東西に分けるミシシッピー川(セントルイス、メンフィスから、メキシコ湾岸のニューオルリーンズに至る流れ)よりも西側に立ち退かせ、彼等の全ての土地を手に入れた。

世界の戦国時代(国盗り合戦、弱肉強食、最適者生存)迫る超大国の侵略者(食民治主義者)

1840年アヘン戦争英国のアヘン密貿易を阻止し、銀の流失を防ごうとした清国と、英国の侵略戦争。清国からの茶、絹、陶器などの輸入超過のため、通貨の銀が不足した英国は、食民治インドにアヘンを栽培させ、清国とアヘンの密貿易をし、不足の銀を回収した。

1842年8月敗れた清国は英国と屈辱的な南京条約を締結。これが中国食民治化の始まりとなった。この事件に驚いた日本徳川幕府は、異国船打ち払令を、天保の薪水供与令に改めた。

1842年8月英国虎門寨(こもんさい)追加条約で治外法権を獲得。

1844年フランスアメリカも条約を締結、治外法権を獲得食民治主義中国食民治化に拍車がかかった。

(注・このように当時は、弱肉強食適者生存何でも有りの、世界の戦国時代なので、法治下の現代の尺度での善悪判断は、間違い。慰安婦問題も当時から売春婦という商売であった。NHK朝日毎日などの工作員はこれらの事実を隠蔽し報道、極悪日本軍と捏造

1845年 かつてテキサスはメキシコの領土であった。そこに入植したアメリカ人は1835年に独立運動を起こし、翌年、155人の守備隊がアラモ砦に立てこもったが、メキシコ軍の攻撃により全滅した。

1846年~1848年  アメリカ・メキシコ戦争。アメリカ、テキサス併合。さらにカリフォルニアを狙って、メキシコに宣戦布告、勝利を得た。この戦争の結果、アメリカは現在のアリゾナ、コロラド、ネバダ、ユタ、ワイオミング各州にあたる地域をメキシコから奪取した。ニュー・メキシコとカリフォルニアは1500万ドルで買収。この結果、メキシコは領土の半分以上を失った。 

 日本の真珠湾攻撃を宣戦布告なしの、卑劣な攻撃(Sneaky Attack)とか騙し討ち(Traitorous Attack)などと米国は非難したが、メキシコとの戦争の際に米国軍がメキシコ領内に侵攻したのは、米国議会がメキシコに宣戦布告をする四十八時間も前のことであ

1853年7 日本はペリー来航で開国した。

1854年 日米和親条約。アメリカ船の下田函館寄港、薪水食料購入など。

1858年 日米修好通商条約。領事裁判権を与え、関税自主権がなく、居留地を設ける、最恵国条款を認めることなどを内容とした、不平等条約。同年英仏蘭露とも同様の条約を結ぶ。安政五カ国条約。

1861年2月3日~7月25日まで日本の対馬を占領したロシア艦隊。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。

1862年 倒幕の志士高杉晋作藩命で視察。上海の見聞記録「中国人はほとんどが外国人の召使のようだ。英仏の人が街を歩けば、中国人の人は傍によって道を譲る。上海は中国の領土だが、英仏の植民地とも言える」と記されている。以後尊王攘夷論の急先鋒となる。

1863年 幕末の薩英戦争(英対薩摩)

1864年 馬関戦争(英米仏蘭対長州藩)

1867年 大政奉還 明治維新

1868年9月8日 明治時代

1894年~95年 日本日清戦争勝利。ドイツ皇帝ウイルヘルム二世(1859~1941)は黄色人種の進出によって、今後白色人種に災禍がもたらされるとする黄禍論( Yellow Peril )を唱えたが、これが白人諸国に広がり、白人社会に存在した人種差別意識や有色人種に対する嫌悪感により支持されると共に、警戒感を増加させた。 

1894年 入植していたアメリカ人は米軍の武力でハワイ王国の支配権を奪取、アメリカ人宣教師の息子ドールを大統領とする、ハワイ共和国を作った。

1895年 日本台湾併合。

1897年 朝鮮は清の冊封体制から離脱し独立、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める。

1898年 アメリカ、ハワイ併合。アメリカ、グアム島併合。プエルトリコ併合。アメリカ、スペイン戦争(米西戦争)の結果アメリカ領。

18991899年 アメリカ、フィリピン併合。アメリカ、サモア併合。アメリカ、ウエーク併合。

1900年 米国会演説 「我々は東洋におけるわれわれの機会を放棄しない。我々は神によって世界の文明を託されたわが民族の使命を遂行するにあ たってわれわれの役目を放棄しない。・・・今後我が国最大の貿易はアジアと行われるにちがいない。太平洋は我々の大洋である。・・・中国はわが国本来の消費者である。」 ベバレッヂ上院議員

1902年 日英同盟。ロシアのアジア進出を牽制する目的で締結された軍事同盟。

1903年 パナマ保護領化と、パナマ運河の領有。1914年パナマにアメリカはパナマ運河を開通。

1904年 アメリカ、キューバ併合。

1904年~05年 日露戦争、日本勝利。日本の朝鮮における権益確認韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道を清国の同意を得て、ロシア、日本へ譲渡、南満州を勢力範囲とした。遼東半島を租借地とし、樺太南半の割譲。

 アメリカは日本が白人による世界支配体制を脅かし、将来前述した西進主義に大きな障害になるとして仮想敵国とみなすようになった。

戦国時代の証し

 「オレンジ計画」日露戦争開戦直後の1904(明治三十七)年、アメリカでは「カラープラン」といって、ドイツは黒、イギリスは赤、日本はオレンジというように、国ごとの戦略が作られた。そして排日移民法が成立した1924年、日本を仮想敵国とする対日戦略「オレンジ計画」が確定。このように、日露戦争以降、アメリカの太平洋戦略は着々と進められていた。セオドア・ルーズベルト大統領政権 ( 1901―09年 ) の元で対日戦争計画が作られ、それ以後入念に作られてきた対日戦争計画オレンジ・プランに従って戦争を遂行し、1945年の最終的な勝利を得た。エドワード・ミラー、沢田博訳「 オレンジ計画、アメリカの対日侵攻50年戦略 」 新潮社(1994)

 

 日本の日露戦争勝利の外国の感想(白人対有色人)

 「世界に人類の運命を決する大きな危機が近づいている。その第一回の戦争は、我ら白色人種のロシア人と有色人種 日本人との間で戦われ 白色人種は、不幸にして破れ日本人は、白人を憎んでいる白人が悪魔を憎むように憎んでいる。しかし我等にとって日本そのものが危険な訳ではない。統一されたアジアのリーダーに日本がなることが危険なのである。日本による中国の統一、それが世界に脅威を与える最も不吉なことである」 ドイツ皇帝 ウィルヘルム二世

 

 「日本に加え、眠れる獅子と称されたアジアの大国中国が、日本化されて協力したらどうなるか。日本が眠れる隣人を目覚めさせ、手を携えたとき、だれがこの2国が世界のヘゲモニー(主導権)を取らないと言い切れるか」   イタリア ムッソリーニ

 

日露戦争勝利は、小国(白人)や植民地や有色人の虐げられし人類の星となると同時に、白人(大国、宗主国)の標的となった。

1904年8月23日 第一次日韓(大韓帝国)協約を結ぶ。

1905年7月 大韓帝国の高宗の、ロシア帝国への密使が発覚する。

1905年 ハリマン満鉄買収計画。アメリカの鉄道王ハリマンと首相桂太郎、満鉄共同経営の予備調印をしたが、外相小村寿太郎の反対で、中止。

1905年7月29日 桂・タフト協定。韓国には日本が、フィリピンにはアメリカ合衆国が影響力を持つと、相互に認め合う。

1905年11月17日 第二次日韓(大韓帝国)協約を結ぶ。外交権を失い、日本の保護国となる。

1906年(明治三十九) サンフランシスコでは日本人学童の隔離を決議したが、これは撤回された。

1908年(明治四十一)年、日本は自主的に新規の米国移民を禁止した。これが「日米紳士協約」です。

1909年 「中国が日本に対する敵意を持っているならば米国は直ちに援助を提供できよう。米国と中国の間には真の利害の一致がある」トーマス・F・ミラード 米国の政治評論家

1910年 日韓併合条約を結び、大韓帝国、大日本帝国併合。京城に朝鮮総督府が設置される。

 2001年平成13年11月にハーバード大学で開かれた国際学術会議において、英国のケンブリッジ大学教授で国際法専門の J ・クロフォードが、「自分では生きていけない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは、当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は違法なものではなかった」と日韓併合について合法論を述べた。これを多くの国の学者が支持して、韓国の学者だけが反対した。

1914年 (大正三)年7月28日~1918(大正七)年、サラエボ事件を導火線として、オーストリアがセルビアに宣戦布告して始まった第一次世界大戦時、英国は「支那海で英国の商船を攻撃するドイツ仮装巡洋艦を撃破して欲しい」と日本に参戦を要求。日本は最後通牒の期限を外交史上例のない長い一週間とし、ドイツに宣戦した。

 英国始めフランス・ロシアや、さらにはベルギー・セルビアまでもが日本の欧州派兵を要請してきたが、これを拒否。英国も日本艦隊の地中海派遣を要請してきましたが、これも拒否。(日英同盟の軍事協力の範囲はインドまで)

 その後ドイツの潜水艦が警告もなく商船を無差別に攻撃し始め、日本の欧州航路客船も危機にさらされたため、戦後に山東省・南洋諸島のドイツ権益を日本が引き継ぐことについて、イギリスが支持するという約束を得て、ついに艦隊を地中海に派遣。しかし陸軍の派兵は、無し。勝利し、山東省・南洋諸島のドイツ権益を日本が引き継いだ。

1917年(大正6年)11月 日本の満州権益を米国が承認する。石井=ランシング協定が結ばれる。

1917年 ソビエト社会主義共和国連邦誕生

1919年 人種平等への旗手 全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを見守っている。・・・1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すこ とのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。 米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本であった。・・・しかし、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソン(民主党)の「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。大東亜戦争は人種平等を勝ち取る戦いでもあった。

1920年(大正九)年1月 国際連盟が組織され、日本も加入する。 

1920年(大正九)年 カリフォルニア州で「排日土地法」が制定され、日本人移民の二世まで土地所有が禁止された。 

1921年~1922年 ワシントン会議。軍縮、平和が名目の日本叩きであった。米国の政略により、戦わずして日本は軍艦を沈められた。このワシントン会議の狙いは、明らかに日露戦争及び第1次大戦によって日本が築き上げた成果を米中連携のもとに否定してしまうことにあったと言ってよい。会議における決定事項に次の事項があった。

1、 日英同盟の廃棄

2、 日本海軍の軍備制限

3、 日本の満州における権益の存在を認めた石井=ランシング協定の破棄

 これらは米国と中国政府とがいわば反日同盟を結び、それが外交的勝利をおさめたということを意味する。「日本の中国における影響力のすべてを、一度に排除することは不可能なことであり、一枝ずつ徐々に折り捨てていかなければならない」後の米国務省顧問・ホーンベックの証言。ワシントン会議は日米の「政治的決闘」の場であり、その勝利者となったのは米国であった。

 満州を護国の生命線と考えた日本は、守るためには武力発動をも辞さない覚悟を世界に示した。ところが、米国は、共産主義ソ連の南下からアジアを守る安定勢力としてではなく、日本をアジアの侵略者と見る立場から中国側への軍事援助と対日経済制裁という手段によって日本を屈服させようとした。日本さえ中国大陸から駆逐すれば、アジアに平和が回復し米国はその中で商業的利益を独占できると考えたからだ。

1922年 日英同盟廃棄。英国は米国の圧力に屈し、日英同盟の廃棄が決定。日英同盟の意義。「中国がアメリカの大手を振って歩ける国にならないように、そしてアメリカが中国貿易の全利益を占めないようにすることが重要である」1921年6月30日、英国首相ロイド・ジョージが英自治領諸国代表たちに日英同盟の存在意義を語るために行った発言。ロイド・ジョージによれば日英同盟の存在が米国の中国進出を抑制してきたというのである。

 日英同盟は、1921年12月13日、日英米仏間に4国条約が締結されることとなったため、自動的に廃止された形となっているのだが、このことについて、会議の米国全権の1人であるロッジ上院外交委員長は4国条約の主要目的は日英同盟の終了である。日英同盟はアメリカの極東及び太平洋に対する関係における最も危険な因子であった」日英同盟という邪魔者を取り除いたと演説した。米国は日英間を離反させることに努力を傾注したのだ。

 WW1で疲弊した英国が米国の圧力に屈した証しが4国条約だ。以後英連邦諸国の本国離反、極東における米国の進出、英国の退勢をはっきりと印象づけている。米国の発言力強まるばかりとなり、凶産党と同類の米国の独断専横覇道主義に、さらに拍車がかかる。

1922年(大正十一)年 米最高裁は「黄色人種すなわち日本人には帰化権はない」という判決。
1924(大正十三)年にはついに連邦法として「排日移民法」を成立させ、国家として日本移民を排斥した。これは「日米通商航海条約」に違反し、アメリカの主張する「門戸開放・機会均等」の趣旨にも反するものだ。そして排日移民法が成立した1924年、日本を仮想敵国とする対日戦略「オレンジ計画」が確定。このように、日露戦争以降、アメリカの太平洋戦略は着々と進められていた。2につづく

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真実史観2西進という名のアメリカ侵略戦争対メキシコ対スペイン対日本

1927年(昭和 2)7月25日 張作霖、米国資本を背景に満鉄併行線の1つ打通線を満鉄併行線敷設禁止協定(対華21箇条の1つ)を無視して完成。

1927年(昭和 2)9月 満鉄併行線の1つ、奉海線が、米国からレール、英国から車両を輸入して完成する。

 1927年にスターリンに追われて米国に亡命したトロッキーは、米国人に「なぜ、共産主義を忌避しソ連を警戒するのか。共通の敵は日本の黄禍ではないか。強硬なクルミの殻に籠もる日本であっても、白色人種として米ソが協力できるなら、米ソがクルミ割りの両テコのように容易に割ることができる」と発言扇動。 ソ連 トロッキーRichard A.Russell,Project Hula:Secret Soviet-American Cooperation in the War Against Japan(Washington,D.C.US Naval Historic Center,1997),p.3.

1928年8月27日 昭和3年不戦条約。国際紛争の解決は戦争によらず、すべて平和的手段によるべきことを約した条約。フランス、アメリカが提唱。パリで、フランス、イギリス、アメリカ、イタリアなど15カ国が集まって結んだ、正式名称「戦争放棄に関する条約」。パリ協定ともいう。後に日本ソ連など、63カ国が加盟した。戦争放棄を約した最初の条約としての意義はあるが、自衛戦争を認め、制裁条項がないため、実質的効力はなかった。

 食民治主義者が世界を征服し世界を分割し終えた時点での不戦条約である。不戦とは、日本のような新興国家の力を制限し、それぞれが征服し分割終えた食民治の、再争奪戦防止目的の意味合いが強く、平和を基にしたものではない。極論すれば、食民治主義者が侵略で奪い取ってきた領土や権利を、新興国家は侵すな、植民地は紛争を起こすな、という条約である。

 平和とは異なる、曰く付き条約の正体を、1930年以降の非常事態には紙屑と化して証明した。

1929年 「ジュネーヴ条約」「傷病者の状態改善に関する第3回赤十字条約・俘虜の待遇に関する条約」

1929年10月24日 ニューヨークのウォール街で株価の大暴落によって世界恐慌が引き起こされた。それは日本にも波及し、翌年、浜口雄幸内閣が実行した金解禁を契機として、戦前の恐慌の内で最も深刻な、昭和恐慌が引き起こされた。英国・フランス・米国などが植民地囲い込みによるブロック経済で建て直しを図ったが、第一次世界大戦の敗戦で天文学的賠償金を負っていたドイツや、高収益な植民地を持たない日本などは深刻な経済不況に陥った。このことはファシズムの台頭を招き、ドイツではナチスを生み出す結果となった。

1930年 米国高率関税を可能にした、ストーム・ホーリー法を制定し、市場確保の為の経済(通商)ブロックを形成した。複数の国が共通の目的を達成するために作る政治的経済的連合を、経済ブロック(圏)と呼称。英国スターリング・ブロック。フランスとその植民地で作る経済圏を、フランス・ブロック。米国とその植民地や南北米大陸の経済圏を、ドル・ブロックと称した。

 同一経済ブロックに属する国に対しては互いに貿易上の優遇措置を与えるなどの、輸出入の拡大政策をとり、圏外の国には高い関税障壁を設けて対抗した。こうした列国の経済ブロックの確立により、日本製品は次第に輸出市場を失なった。輸出ができなくなっても国内産業に必要な石油、鉄鋼、クズ鉄、羊毛、生ゴムなどの原材料の輸入は依然として必要であり、その為に支払う外貨も当然必要だった。国際経済のブロック化は、前述のように世界大恐慌により、ますます拡大の一途をたどり、前述の様に追い詰められた。世界市場のブロック化により輸出市場から日本は閉め出された。

1931年(昭和6年) 米国は、張学良軍の対日軍備充実のための、年間戦車100台、飛行機数10台、弾丸100万発の生産能力のある兵器工場建設を援助。更に米国は、総額2千600万ドルに及ぶ資金援助を3年間で行うことを決定。

1932年(昭和7年) 満州族出身で清(しん)王朝の最後の皇帝であった宣統帝溥儀(ふぎ)を満州(中国東北部)に擁して満州国を設立

1932年 フーバー第31代(共和党)(1929~1933)大統領。反共主義者である共和党のフーバーはソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防共の砦」と常々口にしていた。

193211日 フランクリン・D・ルーズベルト、大統領選に勝利。

1933年 フランクリン・D・ルーズベルト(民主党)第32代大統領(1933~1945)。T(セオドア).ルーズベルト(共和党)第26代の遠縁。米国経済の危機打開のために、ニューディール政策を実施し、一応の成果をあげたが1937年以後景気後退が始まった。

1933年 発足問もない民主党のルーズベルト政権は、共和党の反対を押しきってソ連を国家承認した。

1933日 リットン調査団は日本の軍事行動を侵略としたが一方で、満州での特殊権益をみとめ、日中間の新条約締結を勧告した。既に満州国を承認していた日本は勧告を受け付けず、国際連盟が42対1(反対は日本だけ、タイは棄権)で採択すると、日本は連盟を脱退した。かつては互いに植民地争奪を競い合った欧米列強が、自国の行ってきたことを棚上げし、日本の行動を支持しないというのは実におかしい。検証の結果1933年当時のアジアとアフリカの独立国は、エチオピア(1936年イタリア占領)タイ、日本だけ僅か3カ国しか存在しなかったつまり国際連盟の採択の真実は、42(宗主国白人)1(有色人日本)なのだ。欧米列強とは宗主国白人のことなのだ。後に、枢軸国(18カ国)スペイン(反米)、バチカン(ローマ教皇庁)(反共)、ポーランド(反ソ)、デンマーク(反ソ)、エルサルバドルの計23カ国が承認した。

 日本の首脳は、宗主国白人(全世界征服者)対有色人(有色人内政非干渉独立国唯一の日本)と小国白人国家を、そして有色人と小国白人国家との協和を、パリ不戦条約の正体を、ハッキリと認識した。「アメリカの鏡」著者ヘレン・ミアーズは、連盟脱退後の日本に滞在し当時の模様を著書に記している。・・・欧米列強の狙いは、わが神聖な島々を封鎖あるいは爆撃し、アジアの同胞と「有色植民地住民」を、欧米の搾取から解放しようとする日本の努力を妨害することである。日本の指導部は国際連盟についてこう言うのだった。国際連盟は白人が力で奪い取った世界を支配し、アジア太平洋の島々を搾取し続けるための、クラブである。・・・当に正論である。

1935年 マックレーの覚書。戦前に戦後を予測して警告していた外交官ジョン・V・A・マックレー。「日本を抹殺することが可能であるにしても、それすら極東ないしは世界にとって祝福すべき事とはならないであろう。それは単に新たな一連の緊張状態をつくり出すだけであり、日本に代わってロシア帝国の後継者としてのソビエト連邦が、東アジア制覇の競争者として立ち現れるだけであろう」共産主義、ソ連の南下の防波堤として、日本が満州を保持し続けなければならない、との日本の主張になぜ米国は耳を傾けないのか、米国は日本の立場を理解すべきであると警告しているのだ。

1935(昭和10)年8月1日中国共産党日本に宣戦布告 1935年のソ連コミンテルン第七回大会で、反ファシスト人民統一戦線方式が打ち出された。その結果「八・一宣言、抗日救国のため全国同胞に告ぐるの書」が発せられた。

1936年11月3日 フランクリン・D・ルーズベルト、大統領選に勝利、再選。

1936年11月25日 日独防共協定(正式には共産インターナショナルに対する日独協定)で、対コミンテルンの対抗措置を定め、秘密付属協定でソ連を仮想敵国とした反ソ反共協定。1937年11月日独伊防共協定、1940年9月日独伊三国同盟へ発展。

1937年7月7日 盧溝橋事件(日本軍が北京郊外盧溝橋で夜間演習中、弾丸が飛んできたことを理由に翌朝交戦。

1937年9月 盧溝橋事件を契機に、狂惨党抗日を推し進める。日本軍による首都南京の占領が不可避と判断し、四川省の重慶へ遷都。(中国国民党と中国共産党との協力体制)国共合作②成立。米英ソ連(宗主国)の援助を受けながら戦った(蒋介石が狂惨党と宗主国の甘言に乗ったのだ)。対狂惨党との戦争となったので戦争回避不可となる。日本反共戦争(日中戦争)開始。

1937年10月14日ローマ法王のピオ11世は反共戦争(支那事変、日華事変、日中戦争)(1937年7月7日)が始まった年の10月14日に、全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、次のようなメッセージを出している。「日本の支那事変は侵略戦争ではない。凶産党と戦っている。凶産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよと」

1937年11月 日独伊防共協定。対コミンテルンの対抗措置を定め、秘密付属協定でソ連を仮想敵国とした反ソ反共協定、1936年11月25日の日独防共協定(正式には共産インターナショナルに対する日独協定)が前身で、1940年9月日独伊三国同盟へ発展。

1938年 (昭和13年)国家総動員法制定。

1938年12月 1937(昭和12年)年7月に勃発した支那事変の推移は、1938年12月までには、首都南京はじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、中国独自では継戦は不可能な状態となっていた。従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうならなかった、食民治主義と凶産党が「対日戦継続を条件」に武器・資金援助を行ったからである。

対中国への食民治主義と凶産党の支援

 米国1927~1941.4億2000万ドルの援助。1941開戦後に17億3000万ドル援助。英国1939~1940.2000万ポンドの借款。ソ連1億5000万ドルの援助。その他数回援助。フランス1938年1億5000万フランの借款。1939年96000万フランの援助(蒋介石支援ルートへの援助)。日本は反共戦争。食民治主義と凶産党は中国に隠れ、寄ってたかっての日本(有色人種)潰し、食民治化が真相なのだ。

1939年(14年)5月~9月 ノモンハン事件。

19391939年7月26日 フィンランド、ポーランド、およびバルト諸国を侵略していたソ連とは同盟を結んでいるのに、日本の「中国侵略」を口実に、ルーズベルト大統領は制裁を科し、日米通商航海条約の廃棄を通告(40年1月26日失効)。

1939年9月1日 ナチス・ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦開始。

1939年12月 アメリカ、航空用ガソリン製造設備、製造権の対日輸出禁止。

1940年1月26日 日米通商航海条約は失効し、日本と米国は、無条約時代を迎えた。

日本を騙し中立国を標榜したルーズベルトの実像

1940年(昭和15年)3月30日 米国は、蒋政権に対する2千万ドルの資金援助を発表。

194030日  汪兆銘(南京)政府成立。「和平反共救国」を唱える汪兆銘を首班とした「中華民国国民政府」。大政翼賛会結成。

1940年5月7日 米国は、海軍艦隊のハワイ常駐を発表した。理由は、日本の侵略行為を阻止するためと明言しての配備通告であった。

1940年6月22日 フランスがナチス・ドイツに降伏。

1940年夏 蒋介石の指令でシェノールト(Chennault)はアメリカに帰国。ルーズベルト大統領の後ろ盾を受け100機の戦闘機と100名のパイロット、そして200名の地上要員をアメリカ軍内から集める権利を与えられ、募集した。アメリカの中立という立場から(義勇兵)という形で集められた。(American Volunteer Group,)略してAVGと呼ばれた。中国名「飛虎」。世界からはワシントン中国援助オフィスが設立した「フライングタイガース(Flying Tigers)」の名称で知られるようになる。

1940年昭和15年8月には、より低品質のハイオクタン航空ガソリン、9月にはくず鉄の対日前面禁輸、12月には鉄鉱や一定の鉄鉱製品の前面禁輸。

1940年9月 蒋介石軍への米英の援助ルート封鎖するため仏領印度シナ進駐。ドイツに降伏したフランスのビーシー政府に交渉し、日本軍北部占領。英国に迫ってビルマルートを閉鎖させることに成功した。これに対して、日中間の和平をのぞまない米国のルーズベルトは、英国の対日妥協を10月に撤回させて援蒋ルートを再開させ、また日本に対して鉄・くず鉄に関する実質的輸出禁止措置をとった。

1940(昭和15年)9月25日 米国、中国への追加の資金援助として2千500万ドル供与を発表。

1940年9月27日 日独伊三国同盟。1936年11月25日の日独防共協定(正式には共産インターナショナルに対する日独協定。対コミンテルンの対抗措置を定め、秘密付属協定でソ連を仮想敵国とした反ソ反共協定)、翌年1937年11月イタリヤも参加の日独伊防共協定が原点。付け焼刃などではなく、敵の敵は味方の同盟。

194011日 フランクリン・D・ルーズベルト、大統領選に勝利、三選。

1940年(昭和15年)11月30日 ルーズベルト大統領は、蒋介石に1億ドルの資金援助と50機の新式戦闘機を送ることを約束。1億ドルのうち2500万ドルは、中国の航空計画及び地上兵器部品の購入のために使用された。

1940年 

開戦1年前1940年(昭和15年)当時の貿易統計によると、日本は主要物資の輸入のほとんどを米国に依存。鉄鋼類、輸入量の69,9%1位米、2位中国15,6合計で85,5%)、石油、輸入量の76,71位2位14,5)(オランダ領インドネシア合計で91,2%)、工作機械類、輸入量の66,2%、皆戦略物資である。  太平洋戦争について
○日本の主要物資の輸入先(開戦1年前昭和15年<1940>) 「アジア・太平洋戦争」
・鉄類  ①アメリカ69,9% ②中国15,6%(注・米、中、合計で85,5% ③インド7,5% ④その他7,0% 

・石油  ①アメリカ76,7% ②オランダ領インドネシア14,5%(注・米蘭合計で91,2%) ③その他8,8%

・機械類 ①アメリカ66,2% ②ドイツ24,9% ③その他8,9%

 主要な輸入国を相手に戦争をするのは自殺と同じだ。

 反凶戦争(日中戦争を継続中で、多数の人的損失と戦費をすでに費やしていた。その状況下で更に英米蘭などの大国を相手に、新たな戦争を始めなければならない動機など、日本には皆無。衰えた者を啄ばむ、正に弱肉強食適者生存の戦国時代である。日本が戦争を仕掛けたのではなく、仕掛けられたのは明白な事実だ。明らかに(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略食民治化)(侵略凶産化)(侵略凶産化)に戦争の意図や動機があった。
1941年(昭和16年)2月 米、P-40B戦闘機、100機の対蒋介石支援助を決定。その不足する装備武器と弾薬150万発については、大統領命令で米陸軍基地から直接補給された。

1941年3月14日 ルーズベルトの歴史認識よりも、野村駐米大使の歴史認識が正しかったことを示す、ルーズベルト大統領との会談。

 野村は、ルーズベルト大統領に対して、日米の戦争がいかに米国にとって不利かを話した。曰く、「太平洋の戦いで、米国が勝利しても、日本という極東の安定勢力を失い、ソ連の脅威が増すことになる。その結果、満州国を含む、支那及び極東全体が社会主義化してしまう。従って、米国にとって、太平洋における日本との戦争は、非常に不幸になる」というのである。

 ルーズベルト大統領の反論。

 「日本が中国を永久に統治できるとは信じていない。ヒトラーは、明らかに世界制覇をしようとしている。日本政府が示している新秩序政策とあわせると、米国は決して容認できない」

 ルーズベルト大統領の共産主義に対する、あきれた認識。

 「中国は統一に向かっており、八路軍に従事している米国武官の報告では、この軍隊は、共産的ではない、それ故、中国が共産化することはない」終章3につづく⇒

真実史観3終章西進という名のアメリカ侵略戦争対メキシコ対スペイン対日本

1941年春 「フライングタイガーズ」は、日米開戦半年前の一九四一年春、米国防総省の承認のもとに空軍基地から集められた戦闘機パイロット二百五十九人による正規の“エリート空軍部隊”だった、と六日付のロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。(19911991年7月8日, 読売新聞)。
 
このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石率いる現台湾政府)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。ところが、同部隊の生存者たちが、実は米国防総省の承認下に全米各基地から集められた正規のエリート空軍部隊であった史実を認めるよう国防総省に請願し、このほど国防総省もこれを認めたのである。
 フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16
(1941)年春のことであった。日本が日米開戦回避の可能性を必死で模索して日米交渉をワシントンで行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたのだ。

1941年3月11日昭和十六年 アメリカが施行した武器貸与法により、日中戦争の交戦相手であった中国(蒋介石政権)に航空機、武器弾薬、軍需物資などを供給。

 米国の軍事援助に関する昭和十六年(1941年)六月二十日付けの日本軍の調査資料。中国の蒋介石政権を支援する三本の補給ルートがあり、仏印(ベトナム)ルートが、ガソリン、鉄材、トラックおよび弾薬その他で毎月1万1千トン。ビルマルート経由が武器弾薬、火薬、工作機械など毎月4千トン、南支那(中国南部)ルートが同様な物資を、毎月9千トンで、補給物資の合計は毎月2万4千トン

1941年月4月13日 日ソ中立条約。有効期間は5年であった。

1941年(昭和16)年4月15日 パウリー米インターコンチネント社社長が中国との間で航空機パイロットの米国義勇団に関する条約を結び、259名のパイロットを中国に派遣することとなった。

1941年(昭和16)年4月22日 米国陸軍省、中国に引渡し得る軍需品リスト(4千510万ドル相当)を提示。

1941年(昭和16)年5月6日 ルーズベルト大統領、中国向けのトラック300台の2週間以内のビルマ・ラングーン向け出荷を承認。また4934万ドル相当の軍需物資の中国供与を決定。

1941年月6月 ドイツ、ソ連侵略開始。

1941年(昭和16)年7月1日 重慶空軍の再建へ、米積極的援助の手。東京日日新聞。日本側諜報員が、JB355」日本無差別爆撃計画を、つかんでいた。

1941年7月昭和十六年 日本米英の(蒋介石政権)援助ルート封鎖するため、サイゴンなどに基地設定。仏領印度シナ南部占領。

1941年(昭和16年)8月23日 米国統合委員会、軍事使節団派遣と米志願兵による中国からの日本軍爆撃を目的としてB-17、500機の対中国派遣を決定。この統合委員会での確認事項は次のようなものであった。

イ、中国及びその周辺地域又は海域で作戦中の日本軍に有効な反撃を加えるため、第一陣として269機の戦闘機と66機の爆撃機を装備すること。

ロ、米国は中国人の飛行及び航空機整備の訓練のための手段を提供すること。

ハ、米国によって与えられた大量の兵器の適切な使用について助言を与えるため、米国は、軍事使節団を中国に派遣すべきこと。

 JB355」米国先制攻撃に、ルーズベルトサイン。米国爆撃機をイギリス優先にしたため、不足し、日本無差別爆撃計画は未遂となった。「幻の日本爆撃計画」アラン・アームストロング著日本経済新聞出版社

 開戦後には、17億2330万ドルという莫大な援助を行い、日米戦争と日中戦争の両方を戦わざるを得ない局面に日本を追い込んだ。

1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ち出した「凍結」令である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係を全て断絶した。日本は輸入必需品80パーセントを「凍結」地域に頼っていたから、三国の行動は、日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息死(餓死)を意味するものだった。ヘレンミアーズ

1941年7月25日~8月1日 アジアにおける植民地支配体制の維持に障害となる日本の叩き潰しを図り、日米開戦の四ヶ月前の昭和十六年七月二十五日から八月一日にかけて、産業必需品である石油、錫、ゴム、鉄材などの対日禁輸をおこなうと共に、日本の在外資産一億三千万ドルを凍結した。英国、オランダも追随して共謀、経済封鎖を実施。

 日本は、必要な輸入物資の八割を、米英蘭からの輸入品(石油・ゴム・錫・工業製品など)に頼っていた。したがって、米英蘭による「日本資産凍結」が日本経済を破綻させることは、火を見るよりも明らかなことであった(ヘレン・ミアーズ、『アメリカの鏡・日本』、八七頁)。

1941年8月1日 米国の大統領ルーズベルトは八月一日に英国、オランダと協力して石油など戦略物資の対日輸出禁止の追い打ちを掛け、しかも南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。当時の日本の石油自給率は5パーセント、95パーセントを対日経済凍結地域からの輸入に頼っていたため、存亡の危機に見舞われた。開戦前年の昭和十五年の石油製品の需要は年間五百六万キロリットルなので、当時の石油備蓄量からは一年前後で在庫がゼロになる事態が予想された。ABCDライン

1941年9月27日(昭和16年) 日、独、伊の三国同盟が成立し三国との戦争が予想される事態になると、米国の戦略は国ごとの戦争計画を一色で表すのを止めにし(オレンジ計画)、新たな戦争計画を「レインボー5」と名付けた。「レインボー5」とは、日米開戦の場合に取るべき米国の作戦はアメリカ艦隊により日本周辺の海上封鎖をおこない、海外からの物資の輸入を絶ち、沖縄を占領し、空襲により日本国内の生産設備を破壊して継戦能力を失わせ、本土を孤立させて降伏させるという、島国日本攻略の常套作戦、兵糧攻めであった。そのための布石として米国はハワイとフィリピンのマニラ(スービック湾)に海軍基地を建設し、海軍力の増強を図った。

1941年11月昭和16年1月には銅、亜鉛、ニッケル、2月にはラジウム、ウラニウムの禁輸に踏み切るなど対日禁輸を真綿で首を締めるようにじわじわと進めたのである。

19411941年11月7日 開戦を回避すべくぎりぎりの条件を提示して、日米交渉の妥結を願って出した条件甲案は拒絶された。

1 日支に和平が成立した暁には支那に展開している日本軍を2年以内に撤兵させる。

2 支那事変が解決した暁には「仏印」に駐留している兵を撤兵させる。

3 通商無差別待遇が全世界に適用されるなら太平洋全域とシナに対してもこれを認める。

4 日独伊三国同盟への干渉は認めない。

1941年11月20日 日米交渉の妥結を願って出した条件、経済封鎖を解き、石油等の物資が安定供給されれば、日本は南方に進出する必要性は無くなる、それに伴い、日本は南方からの全面撤退に応じるという内容の、乙案も拒絶された。

1 蘭印での物資獲得が保障されアメリカが在米日本資産の凍結を解除し石油の対日供給を約束した暁には南部仏印から撤兵する。

2 更にシナ事変が解決した暁には仏印全土から撤兵する。

1941年11月26日 妥協案をすべて拒絶し服従を要求して、ハル国務長官は、最後通牒である「ハル・ノート」を日本に手渡した。

1941年12月1日 御前会議にて対英米との開戦が決議され、ハルノートが提示される前に択捉島の単冠湾を出航していた機動部隊に向けて12月1日5時30分「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の攻撃命令が発せられた。

1941年12月8日大東亜戦争開戦。当時日本は石油備蓄量がたったの2年分しかなかった。日本は石油の枯渇、外貨の支払い不能となり、座して死を待つよりも、国家生存の可能性に賭け戦争に打って出た。宗主国を追放し、アジアを解放し、貿易を自由化して資源得るために、服従を拒絶し自由を求めて立ち上がった。

「異なる悲劇 日本とドイツ」、西尾幹二、文春文庫 .「アメリカの極東戦略」、椛島有三、祖国と青年、平成7年1月号 「アメリカ外交50年」ジョージ・F・ケナン 

共産の美名にだまされ凶産党に洗脳されていたフランクリン・ルーズベルト  ソヴィエト連邦は全世界の共産化をめざし、1919年3月2日コミンテルン(全世界すべてを狂惨化しようと、革命運動の統一的指導に当たった、共産党の国際組織)を結成し、共産主義洗脳活動に必死であった。

 ルーズベルト、トルーマンも弾劾の対象になった、1950年(昭和25年)共産党員弾劾のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ルーズベルトの側近が弾劾された。

 アルジャー・ヒスは戦後の枠組みを決めたヤルタ会談に、ルーズベルト大統領の顧問として参加。

 ハリー・デクスター・ホワイトは、ソ連の諜報員ピタリー・パブロフより渡された原文でハル・ノートの原案を作った、ソ連のスパイ(ソ連崩壊後のピタリー・パブロフの回顧録で明らかになった。)。

 ロークリン・カリーはアジア問題担当大統領特別補佐官、ソ連のスパイ。

 そして彼らに情報を送ったのは、共産の美名にだまされた共産主義かぶれの、エドカー・スノー、ティルマン・ダーディン、アグネス・スメドレー、タイム誌の創立者で経営者ヘンリー・ルース等である。

 ルーズベルト本人の母方のデラノ家は、香港を中心に阿片貿易で巨万の富を築いた。更に彼は田中メモリアルを信じていた。更にエレノア・ルーズベルト夫人は共産の美名にだまされ、共産主義のシンパ(支持者)として有名であった。

 ルーズベルトの蒋介石宛の書簡。「中国共産党は我々の言う社会党のように見える。農民や女性、日本に対する彼らの態度に我々は賛成する。私は共産党と国民党の間には、矛盾より類似点が多いと考えている。私は双方が矛盾を除き、抗日戦争という同じ目標のために、一層密接に協力することを希望する」。ルーズベルトが完全に洗脳されていたことが分かる。

 コミンテルンの陰謀に、狂惨の現実に気付いたアメリカが1950年(昭和25年)共産党員を弾劾した。マッカーサーは1951年(昭和26年)、米国議会上院の軍事外交合同委員会で「日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった」と証言している。朝鮮戦争、日本統治五年の体験でコミンテルンの陰謀に、狂惨の現実に気付いたからに他ならない。大東亜戦争の開戦は、共産党について余りにも無知なルーズベルトが、世界征服をたくらむコミンテルンに洗脳され、誤解から始めたのだ。

 共和党下院議員の97%が日本との戦争に反対し、米国民の97%が欧州戦争参戦に反対(40年4月にノルウェーに侵入した時点でのギャラップ世論調査で、参戦に賛成する米国民はわずか3%であった)していた。ルーズベルトは決して参戦しないという公約を武器に当選していたのである。いやがるアメリカ国民を騙すようにして戦争に誘い込んだルーズベルトは、その証拠を、破壊しょうとした。証拠を破壊するためには、日本の「無条件降伏」が必須の条件であった。真珠湾を撒き餌にしたりして、戦争に誘い込んだ世界征服をたくらむコミンテルンに操られたルーズベルトの陰謀が今、次々と暴かれている。1945年4月12日昼食中脳卒中で死去。クー・クラックス・クラン(KKK・黒人排斥秘密結社)に加入歴のある副大統領のハリー・S・トルーマンが大統領に昇格。アイゼンハワー、共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカーサーも含む)全員が猛反対のなかで、原爆投下を命令する。

 大東亜戦争は、背後からの日本の攻撃を恐れた猜疑心が強く疑心暗鬼なソ連が、狂惨党が、ルーズベルトを洗脳し戦わせた戦争であると言っても、けして過言ではない。大東亜戦争は世界征服をたくらむコミンテルンが仕掛けたと言っても、けして過言ではない。日米中国蒋介石は共産主義の被害者と言っても、けして過言ではない。中国、キューバ、北朝鮮、東ドイツ、ルーマニア、と全世界の共産化進行は事実で現にWW2語史上最大の共産圏を樹立した。

 アメリカが、世界征服をたくらむコミンテルンの陰謀に、狂惨の現実に気付いた時、アメリカも共産主義の被害者であった事を認識したのである。大東亜戦争・朝鮮戦争でアメリカ国民も多大な犠牲者を出している。そしてベトナムでも。歴史認識を誤ると後々まで引きずられるのだ。

 それ(アメリカの参戦ルーズベルトの愚行)は、われわれがスターリンのために ロシアの共産党支配を確立させ、共産主義が世界中にさらに広がる機会を与えてやったことになる(フーバー元大統領)

 狂惨主義の恐ろしさは、目的のためなら暗殺、殺人、盗聴、捏造と、この世のあらゆる悪を用いることだ。民主主義の常識など一切通用しない、猜疑心が強く疑心暗鬼な暗黒の世界だ。

 

 善悪とは次元の異なる、弱肉強食の本能剥き出しの戦争が、勝者が正義が、当時の世界の常識だ。これに全世界の共産化を目指したソヴィエト連邦が参入し一触即発の時代であった。

 

誤ったソ連報道でフランクリン・ルーズベルトはスターリンの正体を見抜けなかった

 

 ニユーヨーク朝日新聞にニューヨーク・タイムズ(あのノリミツ・オーニシの新聞社だ)のウォルター・デュランテイ記者の話が載った。NY(ニューヨーク)タイムズのウォルター・デュランテイ記者。ソ違が誕生して間もないころにモスクワに赴任し、スターリンと単独会見もやってピュリツツアー賞を受賞している。「あんな嘘っばち記事にピュリッツァー賞ではピユリッツァーが泣く」というのがスターリン被害者の末裔たちの主張だった。しかしデュランテイ記者はそんな事実はないと否定し、スターリンを褒めそやし続けた。

 

 NYタイムズは、すぐにロシア問題の権威コロンビア大のフォン・ハーゲン教授に彼の記事の評価を依頼した。その結果が「彼はただソ連政府の言い分を無批判に伝えただけ」。

 それどころか他のジャーナリストが迫害にめげず恐怖政治や飢餓の実態を伝えても、彼はそれを徹底して否定し「記事にはバランス感覚もモラルもなかった」と指摘する。さらに彼の「誤ったソ連報道でルーズベルトはスターリンの正体を見抜けないまま、米国の国策を誤った結果になった」とも指摘している。

 

 朝日はNYタイムズ幹部も取材し、実は「ソ連政府とNYタイムズ社の間に合意があった。.デュランテイはただ社の方針に徒いソ連の提灯記事を書いた」という噂も書いている。

 

 ニューヨーク・タイムズ(あのノリミツ・オーニシの新聞社だ)の捏造報道が、大東亜戦争を引き起こしたのだ。

1944年11月7日 フランクリン・D・ルーズベルト、大統領選に勝利、四選。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アルバート・ウェデマイヤー著 第2次大戦に勝者なし(上)、講談社学術文庫、H9.6。 ハミルトン・フィッシュ著日米・開戦の悲劇、PHP文庫、H4.12.2。ニユーヨーク朝日新聞2005http://www1.toptower.ne.jp/~katumata/sub911.htm 歴史の真実 戦争を始めたのはどちらなの?


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真実史観先人の残した日本を救った日本精神を受け継いだ実事求是の人々と嘘を鵜呑みし先人を罵倒する捏造の輩


先人の残した日本を救った日本精神を受け継いだ実事求是の人々と嘘を鵜呑みし先人を罵倒する捏造の輩

 米国はルーズベルトの謀略戦争で侵略戦争、原爆空爆無差別大虐殺60万人。この負い目払拭のため、軍人極悪史観で米国は日本人を洗脳した。非生産者NHK、政治家、役人、マスコミ、教授、先生、有識者、作家、評論家、ジャーナリスト、弁護士、辞書、事典、文字や報道を生活の糧にしている方々=リセット可)だけが命がけで挑む日本精神を失い、洗脳された。結果、軍隊に責任転嫁し責任回避、軍隊が極悪史観洗脳扇動者に変身し、咀嚼検証もせず鵜呑み知識を撒き散らし、独立55年後の現在も、日本人が日本国民を洗脳(犯罪者の子孫化教育)し続けている。

 

捏造知識鵜呑みの愚民化洗脳扇動者(非生産者)

作家大江健三郎石原慎太郎、司馬遼太郎、城山三郎、森村誠一、下里正樹、等等

政治家小沢一郎、官直人、岡崎トミ子、岡田克也、中曽根康弘宮沢喜一河野洋平、河野太郎、海部俊樹、金丸信、野中広務、加藤紘一、橋本龍太郎、村山富市、土井たか子、辻元清美、福島党首、田中真紀子、神崎武法、冬柴鉄三。捨民党、狂惨党は全議員。

 

報道業と団体・朝日新聞本多勝一、田原総一郎、筑紫哲也、鳥越俊太郎、渡辺恒夫、

NHK、TBS、TV朝日、毎日新聞、朝日新聞、九条の会(現実社会に無知の売文業、鵜呑み無検証集団)「井上ひさし作家梅原猛哲学者大江健三郎作家)奥平康弘(東大名誉教授・憲法学者小田実作家)加藤周一(評論家)澤地久枝(作家)鶴見俊輔(哲学者)三木睦子(三木武夫元内閣総理大臣夫人社民党、日本狂惨党が支援」、「日狂組」、社民党、日本狂惨党。(注・極悪軍隊の被害者か弱き国民と捏造報道し、か弱き国民の味方を演じる方々だ。騙されてはいけない

 

 戦後戦勝国に媚、へつらう知識鵜呑みの、非生産者が撒き散らす自虐史観の吹き荒れる嵐の中、日の丸を背負い戦う、挑戦者精神と、真実を追い求める、物づくり精神(生産者=まがい物では成り立たず、つまみ食いせず真実を探究し、いつも本物を生産しつづけなければならない人=リセット不可)の中にだけ命がけで挑む精神、日本精神は生き続け、受け継がれ、敗戦の日本人を励まし、繁栄の礎となり、日本を救った。資源なき日本で、資源を輸入し物を作り輸出する国際企業が日本を救ったのだ。知識鵜呑みの非生産者は、生産者日本繁栄の礎、日本精神を、たたえず、繁栄の恩恵に感謝せず、絶えず足を引っ張って、戦後62年極悪先人と冒涜し、私たちはか弱き国民の味方ですを装い、善人面をしてきただけだ。非生産者の捏造は見逃してはいけない、嘘を撒き散らし、疑心暗鬼な世界をつくり、戦争を引き起こし破滅へ導く、捏造のかたまり狂惨主義がそうだ。バブル崩壊もそうだ、国内の非生産者が嘘を撒き散らしバブルをつくったのが原因だ。

 

 咀嚼検証もせず知識を鵜呑みし、先人を冒涜し続ける形骸化した非生産者の鵜人たちよ、知識を検証し咀嚼せよ。リセット可の空想現実から脱却し、リセット不可の現実を直視せよ、あなた方もあの偉大な先人の子孫なのだから。実事求是で軍隊が悪史観から覚醒し、真実史観で見るがいい、そこにある命がけで挑む精神、日本精神を。

 

 先人が残した命がけで挑む精神、日本精神は、実事求是「じつじきゅうぜ(事実に即して真理・真実を探究すること。)」の人々のなかにだけ生き続け、受け継がれ、全てに勝り、国を救い護国の礎となった。この戦後の繁栄は、鵜人が撒き散らす自虐史観の吹き荒れる嵐の中、先人より日本精神を受け継いだ実事求是の人々が成し遂げたのだと言う事を、けして忘れてはならない。

 

 資源の無い島国日本は国際企業で成り立っている。国内企業や非生産者の応援が日本の隆盛を生む。日本よ、日本人よ、鵜呑みせず咀嚼し覚醒するのだ。覚醒すれば貴方も鵜人の輩から実事求是の人々だ。戦後の迎合売国奴に着せられた亡国の鵜人の衣を葬り、建国の探究の衣を纏え。探究思想は隆盛し、鵜人捏造思想は必滅なのだ。咀嚼すれば誰でも覚醒する。現に、以前は鵜人の素人の私でさえ、咀嚼し覚醒した。皆、咀嚼していないだけだ。


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真実史観世界中の狂惨党や侵略者に服従を強いられたった一ヶ国で世界に自由希求の旗を掲げ立ち上がった先人

世界中の狂惨(凶産白人)党や侵略者(白人宗主国)に服従を強いられた「有色人や白人小国」!たった一ヶ国(日本・台湾・南洋・満州・南京汪兆銘政権・済州島・朝鮮)で世界に自由希求の旗を掲げ立ち上がった先人

 開戦1年前1940年(昭和15年)当時の貿易統計によると、日本は主要物資の輸入のほとんどを米国に依存していた。

日本の主要物資の輸入先(開戦1年前昭和15年<1940年>) 
鉄類  ①アメリカ69,9% ②中国15,6%(注・米、中、合計で85,5% ③インド7,5% ④その他7,0% 
石油  ①アメリカ76,7% ②オランダ領インドネシア14,5%(注・米蘭合計で91,2%) ③その他8,8%

機械類 ①アメリカ66,2% ②ドイツ24,9% ③その他8,9% 「アジア・太平洋戦争」 

 主要な輸入国を相手に戦争をするのは自殺と同じだ。

 

 狂惨党との戦い反共戦争(日中戦争を継続中で、多数の人的損失と戦費をすでに費やしていた。その状況下で更に英米蘭などの大国を相手に、新たな戦争を始めなければならない動機など、日本には皆無。日本が戦争を仕掛けたのではなく、仕掛けられたのは明白な事実だ。明らかに(侵略植民地化)(侵略植民地化)(侵略植民地化)(侵略狂惨化)(侵略狂惨化)に戦争の意図や動機があった。

 

 戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国(祖父母、父母妻子、ふるさとを守る)に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。永野修身(NAGANO Osami)昭和16(1941)年9月6日に開催された御前会議に於ける発言。

 

 上記の言葉(資源が無い島国日本救国のため、子孫へ残す最後の手段護国に徹し、生き様を残す戦い)と、東條英機宣誓供述書反共戦争と大東亜戦争の真実)と、マッカーサーの聖書に誓っての証言反共戦争と大東亜戦争の資源が無い島国日本の、真実喝破)と、大東亜共同宣言(大東亜戦争の目的)と、日本海軍市丸海軍少将の「ルーズベルトニ与フル書」(真実史観)の五種の文は、大東亜共栄圏建設戦争の根源の、真実の歴史を言い得ており、インドのパール判事(ラダ・ビノード・パール)の判決文とともに紐解く鍵となった。

 中でも上記の言葉は、護国の日本精神を絞りだして、あり余るものがあり、遥かに超越した高みにある。玉砕部隊や神風特攻隊や特攻隊や軍民一丸の壮絶な心根が、読むだけで伝わる。そして、負けるのが分かっていてなぜ戦争をしたと、先人罵倒する愚かな人々への答えだ。日清、日露、いずれも日本の10倍以上の大国との戦争で、勝ち目の無い戦いに日本は勝ったではないか。日清、日露、大東亜は日本の10倍以上の大国との戦争であった。鵜人の言う侵略などという勇ましいものではなく、日清、日露、大東亜すべて、死中に活の死にもの狂いの戦いであった事を忘れてはならない。

 

 ここには、明治以後、日清、日露、第一次世界大戦、大東亜と、列強と対峙し続けた小国であるが故の、日本の先人のほとばしる護国への思い、命がけで挑む精神、日本精神がある。この命がけで挑む精神、日本精神が、終戦後の日本の礎となった。これからもそうあり続けるだろう。そこには、大国(日本の10倍以上)を「侵略戦争」をしようなどという不肖なたくらみなど微塵も無く、はるかに深い護国の思いだけが凛としている。けだし名言だ。いつも桶狭間の戦いを強いられる、資源が無い小国日本の悲哀と、各国(大国)との戦争目的を、全て言い得ている。心あるもの涙なくしては読めぬと言う国や子孫への真心、諸葛孔明出師の表に匹敵する。凛として高い。

 

 資源が無い小国の島国日本は、資源を輸入し加工販売して繁栄する。たとえ戦争に敗れても、戦争目的を完遂するような壮絶で至誠一途な戦い方(日本精神)をしてアジアの独立を助け、資源をとどこおり無く輸入(貿易の自由化)出来るようにすれば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう。と予言しているのだ。敗れて死んだとき、残せるのは何も無く、最後に残った日本精神、生き様しか残せ無いと言っているのだ。サイパンで玉砕した一日本兵は「生きて捕虜の辱」などの「私心」ではなく、「護国」と言う「公」のために、玉砕の直前まで「此ノ島ガ陥チタラ日本ノ存在ハ薄氷ヲ踏ムガ如シダドウシテモ死ナレナイ生キテ― ― ―生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ・・・」と生き様を書き残したまさしく日本精神の叫びだ。日本軍民は皆、生き様の果てに、末期をむかえている。サイパンも沖縄もそうだ。アジア同胞も、この生き様に呼応しみな独立した。

 

 かつ子(東條英機の妻)の晩年、五十三年十月二十日にマレー半島に住んでいるインド人が東條家を訪れた。かつ子に記念すべき行事の報告と東條の仏前に参るためであった。マレー半島に住んでいるインド人達が、インド独立のために尽くした人達の慰霊祭を行い、日本の東條英機もその一人として共に慰霊したというのである。インドの独立は、チャンドラ・ボーズがつくったインド義勇軍の活躍が発端となっているが、その運動に日本が協力した事に対し、インド人はいまも感謝し続けているのだ。

 ・・・東條は処刑される前、刑務所内の、墨でいたるところを消した不自由な新聞を読み、アジアの国々が次々と独立していく様を察することが出来、とても喜んでいたという。それを知っているかつ子は、インド人達が東條の慰霊祭をしてくれたという報告を聞いて、涙を流して喜んだ。四十年もたって東條もやっと報われたと思ったのであろう。東条英機の妻・勝子の生涯・佐藤 早苗(著)

 

 戦争目的を完遂し、アジアは皆独立し、大東亜共栄圏を樹立し戦争最終目的の資源確保(貿易の自由化)をした。開戦前に予言したとおりに、敗れても大東亜共栄圏(貿易の自由化圏)を樹立し、人種平等を勝ち取り、日本は繁栄している。この繁栄は、先人のほとばしる想いでの護国のおかげなのだ。すべての先人の護国の基に築かれた繁栄であることを、我々子孫は、片時も忘れてはならない。

 

 先人すべてのほとばしる護国の総意が、この言の葉を、促がし、子孫に日本精神を残した。


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真実史観強制連行や差別で悲惨と在日正体犯日泣き売賎民行為で出自白状無恥人


ネットの常識に、やっと追試のマスコミ。「日韓がタブーにする半島の歴史」2010.04.室谷克美著新潮新書。

 1939年「朝鮮人内地移送計画」開始。移送は自由募集により行われ、厚生省と朝鮮総督府の許可を受けた事業主が指定された地域で募集した。1939年の日本国内在住の朝鮮人100万人なのに終戦直後の200万人の、解釈を巡って論争有り。外務省の調査では、「増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた出稼ぎ個別渡航者と、その間の出生によるもの。残りの30万人は「朝鮮人内地移送計画」工鉱業や土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用者は僅か245人。在日は罪人以外、自由意思残留

朝鮮人や罪日が叫ぶべきは、李朝差別族譜破壊で、犯日ではない!
  昭和14(1939)年開始の朝鮮人内地移送計画等で(日本国民の戦時動員労働者)により来日した者とその子孫は、現在の在日の中にはいない。終戦時の在日人口は約2百万人で米軍の命令で日本は送還を開始し、運賃無料、手荷物制限2百30キロという条件で帰国させた。昭和21年末までに約140万人(生活基盤朝鮮に有りの出稼ぎ者)が朝鮮に帰国し、自分の意志で残留を希望した約60万人(生活基盤朝鮮に無し)が日本にとどまった。出稼ぎ個別渡航者、募集労働者、徴用労働者皆このとき帰国していることは、在日一世の渡日時期調査(1982年10月25日~1983年1月15日)が証明。

避難民在日と犯日

 国家存亡を懸けた戦時下の、日本国民の義務としての、徴(兵役ではなく、不足した労働力の補助。国内でも当然徴用された)はあったが、前記のように戦後すべて送還した。強制連行はどの統治領からもしていないのに、なぜ南北出身者の在日だけが強制連行されたと言うのか。強制連行されたのであれば、日本人拉致被害者のように、なぜ南北の親族は日本に在日を返せといわないのか。強制連行した人を帰せの言葉を聞いたことが一度も無い。本人の意思で来ているから、誰も探すはずが無いのだ。兵役逃れや、朝鮮戦争逃れや、ベトナム戦争逃れや、戦後帰国せず留まった人は、生活基盤や土地等が無い賎民出自だからだ。良民(両班・中人・常人)は、生活基盤や土地が有るので、皆帰国した。

 反日教育反対者や、済州島四・三事件(済州島民蜂起は、李氏朝鮮差別が根源。1948から7年間で、島民の4人に一人、8万人が韓国に虐殺された。1995年現在、島民人口50万5千余人、出自在日は1/6の10万余千人)や、親日で虐待され、国に居られないなどの事情で密入国したが、子供や母国に密入国とはいえないので、異口同音に強制連行されたと言い続けたのが真実である。戦後帰国せず留まった人も、子供や母国に、国を捨てたとは言えず強制連行されたと言い続けた。この両者は子供に嘘を教えているため、反日を続けるしかなく帰化しにくい。強制連行されたと被害者を装えば支障なく帰国できるし恨まれないが、建国の大事なときに日本に永住や、日本へ密入国では、売国奴となリ、恨まれる反日教育反対者や、済州島(門扉、泥棒、物乞い三無の、済州島出自は、古くからの交流があり共通点も多く唯心で、別格。同一視すべきではない。農業漁業自給自足の島なので、賎民の仕事も無かった。限られた土地なので、跡継ぎ以外は皆島を出た。在日にも済州島人との結婚は汚れると差別されているので、差別の激しい韓国は避け、ほとんどが差別の無い日本に渡った)四・三事件や、親日(真実)で虐待された亡命者は、日本に帰化し反日ではない。鄭 義信・梁石日崔 洋一・竹田 青嗣・つか こうへい・朴 一・ 柳美里・辺真一姜尚中(税金経営東大文系がいかに検証回路無き歩く記憶機かは、姜尚中“泣き売”を教授にしたことで自白している辛淑玉等、帰化せず犯日“泣き売”の罪日のみが、亡命者に非ずで、密出獄密入国犯罪者の子孫。朝鮮は被害者を装うため、罪日はこの犯罪者汚名や出自隠蔽のため、すねに傷持つ同志が手を組み、在日理由強制連行と捏造し、NHKやTBSやTV朝日やウィキや侮日ブログや捏造本等の“泣き売”で、正当化しようと、犯日に必死なのだ。罪日は出自隠蔽密出国密入国犯罪者、朝鮮を見棄てた裏切り者の子孫を、自白している。犯日を糧とせず、騒がず帰化しておれば、暴かれなかった。多くの帰化人にとっては、当に傍迷惑の薮蛇であろう。犯日が糧とは、愚かな輩だ。済州島と日本の歴史→1朝鮮南は日本海洋文化圏の一部米の伝播が解明捏造の古代日本史

朝鮮身分制度
1.王族.貴族。 例として一番多い金氏では安東-金氏、慶州-金氏、清風-金氏、江陵ー金氏、姜山-金氏。それ以外の金氏は平民。

2.良民、両班。 科挙登用の文武の一族。

3.良民、中人。下級役人、技術官など。経済的には常民と同じで農工商業を営む。科挙を受ける資格があり、お金があれば郷校にいくことも可。両班に平伏する義務あり。生活基盤や土地有り。

以下生活基盤や土地無し。

4.良民、常民。普通の庶民で 農業、工業、商業を営むもので、学ぶことは禁止、科挙の受験資格なし。衣服も白のみで 家屋は門を作ることが禁止。 

5.賤民。最下層の階級の奴隷。才人(広大ともいう)(芸人)、官妓(役所に所属する酌婦)、牽令(キュンエン)(牛・馬を引く者)、砲手(猟師)、水尺(スチョク)(狩猟民)、駅卒(駅の使用人)、巫女(ムーダン)、僧侶、奴婢(政府所有の奴婢は公賤、両班・中人が使う私賤の奴婢があり、売り買い、贈与、相続の対象となった。つまり、物として扱われていた)。七般公賤(官奴婢、妓生、官女、吏族、駅卒、獄卒、犯罪逃亡者)八般私賤(巫女、革履物の職人、使令:宮中音楽の演奏家、僧侶、才人:芸人、社堂:旅をしながら歌や踊りで生計をたてるグループ、挙史:女連れで歌・踊り・芸をする人、白丁)。白丁が最下層とされ、目印として平壌笠と呼ばれる笠を被って明示することが義務とされた。白丁は動物の屠殺に従事する者。島や村は、農業や漁業以外の仕事も無く住めず、仕事がある、都近辺に集中して住んだ。白丁 - Wikipedia

李氏朝鮮は(ペッチョン)と呼び、賤民(非自由民)のなかで最下位に位置する被差別民。起源について有力視されているのは、異民族説である。高麗に帰化した中央アジア系民族の韃靼族が政治の混乱に乗じて略奪を繰り返し、低位の扱いを受けていた朝鮮族などが差別を受けるようになったのが起源とされている。

朝鮮半島で白丁が受けた身分差別は、以下のようなものである。

族譜を持つことの禁止。

2 と畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工以外の職業に就くことの禁止。
※注・李朝時代の柳細工は白丁独占で、他はできなかった。
 日本の杞柳(きりゅう)(行李柳)製品は、10世紀高麗「禾尺」、14世紀李氏朝鮮「白丁」独占職業よりはるか昔、8世紀以前のものが正倉院御物柳筥として10数点現存。「柳の宮神社」が鎮座する豊岡からの献上品とされ、現代製品と比べても遜色はない。材料の行李柳(こりやなぎ)は韓半島原産ではあるが、海洋民が相互に伝播した技術であろう。後の李氏朝鮮白丁独占製品「柳細工」とは全くの別物なので、混同してはいけない。

3常民との通婚の禁止。

4日当たりのいい場所や高地に住むことの禁止。

5瓦屋根を持つ家に住むことの禁止。

6文字を知ること、学校へ行くことの禁止。

7他の身分の者に敬語以外の言葉を使うことの禁止。

名前に仁、義、禮、智、信、忠、君の字を使うことの禁止。

を持つことの禁止。

10公共の場に出入りすることの禁止。

11葬式棺桶を使うことの禁止。

12結婚式で桶を使うことの禁止。

13を常民より高い場所や日当たりのいい場所に作ることの禁止。

14墓碑を建てることの禁止。

15一般民の前で胸を張って歩くことの禁止。

 これらの禁を破れば厳罰を受け、時にはリンチを受けて殺された。その場合、殺害犯はなんの罰も受けなかった。白丁は人間ではないとされていたためである

「賤民」の文化史

 ・・・王朝の末期の白丁は戸籍がないので族譜もなかった。名前に仁義などの語は用いることができず、日常生活では、周衣(外套)、被り物、喪服、女性の簪の着用ができず、婚礼時の乗り物、葬礼の喪輿も禁止され、良民へのことばづかいは子供に対してもへりくだった。そして、甲午改革以後、戸籍を与えられたが、そこには「屠漢」の字が記され社会的な差別は依然としてあった」・・・

人間家畜の奴婢制度
 奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。
 かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。

 それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、ひどい場合は打ち殺されることもあった。外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。局部に石や棒切れをさしこまれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された不幸な運命の主人公であった)。『ソウル城下に漢江は流れる』林鍾国、平凡社
 

「立ち直れない韓国」 黄文雄 1998年 光文社

 ・・・両班階級は、その能力や才能とは無縁な生まれつきの血縁関係によって規定される伝統的な身分制度であった。朝鮮半島は、1894年(日本の勅令)になって、ようやく(日本の勅令で)「四民平等」を宣言した。そのときから、賎民(奴婢など)もやっと両班や良人と同じように戸籍を持つように戸籍法が改正された。しかし、甲午改革は「三日天下」ですぐに失敗した。朝鮮総督府(注・1910年からの日本統治)は、実質的に法律によって階級差別廃止を行なったのであった。
 李朝末期には、奴婢が公賎(官庁に所属した奴婢)と私賎(両班などに所有された奴婢)に分けられ、私賎は男子が少なく、女子がほとんどであった。婢(女の奴隷)は日韓併合当時、まだ一人三十円で売られていた。婢に特定の夫はおらず、何人かの間で替えていくのが風習であった。しかし、婢は主人の所有物であったから、その生まれた子供もまた主人の所有に属し、その子もまた転売されていくので、婢の子孫は、女子であれば、ほとんど世々代々奴隷として浮かぶ瀬あらんやといわれた(まさしく性奴隷)朝鮮農業発達史』小早川九郎編著
 いずれにしても近代国家としての本格的社会改革は、朝鮮総督府からであったというべきだろう。

 また、李朝時代の地域的差別は、西北地方と東北地方の出身者が、完全に官界から排除され、官吏は中央だけから送られた。もちろん、国家による地方差別は公然と制度化された。『経国大典』には、咸鏡道、平安道、黄海道の人は、官憲への登用はもちろん、鷹師への起用さえ禁止する条項があったほどだ。平安道人は、平安道奴、西漢、平漢、平奴、避郷奴と蔑視されていた。朝鮮総督府はこれらの差別を廃止したが、残念ながら、今日の韓国社会では、地域的な差別が厳然として存在している。それは朝鮮半島の永遠なる民族的課題とさえいわれている。このような見捨てられた地方民、つまり東北、西北朝鮮の地方民は、被差別民だから、門閥を重んじる京城の両班たちは、ほとんど西北地方の人との婚姻を禁止し、つき合いさえなかった。というのは、東北、西北の地方民は、ほとんど任官を受けられなかったので、婚戚関係を持ったところで何の役にも立たないからである。ましてや京城の人間から見れば、東北、西北地方は、重罪人の禁固や流配の地にすぎなかった。咸鏡道人を「水売り」、「咸鏡道奴」、「咸鏡ネギ」と軽蔑し、敬遠するのは、伝統的な差別意識からくるものであった。・・・
 (注・この李氏朝鮮人類史上最悪の差別制度は、日本統治で破壊された。覚醒した賎民は二度と戻ることなど無い)

 身分制度は破壊されたが、同時に職も失い差別は残った。職無き基盤無き元常民(小作人)や賎民のほとんどが、差別無き新天地満州や日本に渡ったのは道理。これが、北朝鮮や韓国の、在日差別の原点。1911年は2517人で、関東大震災1923年(80617人)から急激に増え、1945年(2百10万人)まで、一度も減らず増加している。出稼ぎ者140万人は帰り、亡命者と脱出者60万人は残った。亡命者親日は当然である。脱出者のみが犯日。犯日“泣き売”の根底には、出自隠蔽がある。

 1987朝鮮民族2000万の中の40余万白丁が平民となった甲子改革(1894年6月、日本の勅令によって身分制度が廃止されたが、実施されたのは日本統治の1910年から)。差別廃止の後ろ盾日本が倒れ、朝鮮復活の戦後、身分制度復活無しの保障など全く無かった。差別のため生活出来得ず脱出した火中(身分制度復活し、旨みの独占業廃止)に、帰る愚者など皆無。敗戦でどん底だが、火中のような害獣・家畜差別が無い日本に、懸けた。この残留理由隠蔽のため、罪日のみが犯日。親日での亡命者は帰化し、犯日ではない。賤民は支配者変われば消える変動のもの、物欲私欲の李氏と儒教が、差別を不動にした。生命界の神、唯心日本の八百万の神の下では、皆平等。ご主人様の命令が絶対だった賎民の名残か?犯日は建前が理解不能で、戦陣訓を侮蔑の旗としてウィキ等でしつこく掲げる。命令で李朝賎民のように死ぬ、日本人など皆無。開示者 戦陣訓正体白状

 済州島蜂起四・三事件(1948年から7年間で、島民四人に一人、8万人が韓国人に虐殺された)は、日本統治下で平等のはずの半島朝鮮人に、日本でも「血が汚れる」とまで極差別され、トラウマとなった李氏朝鮮の差別が根源。戦後帰島したが極差別され、さらにトラウマとなり、凶産の掲げる共産平等に、藁をも掴む思いで飛びついての差別蜂起が、真相。四・三事件は半島人の李氏朝鮮差別の教え儒教と、真似中華と、人身売買獣家畜差別の虐殺である。済州差別蜂起は、高麗・李氏朝鮮下では頻繁で、元・日本統治下では無い。1995年済州島出自(済日)在日、島民の1/6の10余万人(下限数で実数は遥か上)。済州島出自(済日)の在日理由は、明白な半島出自(罪日)とは明らかに異なる。「済日」は済州を見捨てた思いと望郷相まって、ミカンの伝播等ふるさと済州へのきずなが深い。

 罪日は密出国し、祖国の存亡の危機を傍観し、密入国した平和な日本で温温(ヌクヌク)と生活していた。このことが罪日の大きなコンプレックスになっている。罪日の日本居住の理由は、強制連行や農地を追い出されて仕事を求めてやむなく日本に渡ってきたから、自らの意思ではないのだとしているのだ。自らの意思ではないと嘘をつくことで自らを慰めているのだ。帰化すると、嘘を認めたことになるので帰化も出来ない。反日、強制連行、農地を追い出された、被害者だ、と叫ぶのはこのコンプレックスが原因だ。結果罪日は、残留を強制連行と捏造した。アメリカ朝鮮族犯日も同類。日本人には奇異に見える、韓流スターの追っかけもそうだ。追っかけすることで償おうとしているのだ。追っかけ者数逐一報道のTBS・TV朝日・NHK巧凶放送は、罪日の犬。A(朝日・悪事NNHKネットT(TBS・中朝)の日本軍はすべて極悪。善悪判決はANTの仕事では無い。韓流騒ぎもこの中朝ANTのみ。禍福併せ呑まず福のみ摘み食い、コピペ邪魔リスト愚民テーター番組は、愚民製造マシン。スポンサーは自爆機。泣き売幇助国潰しの朝日「報ステ」で閔妃暗殺

  被害者を装えば支障なく帰国できるはずが、南北の嘘の上塗り教育により、すべての罪日は建国の一大事の逃亡者とされ、帰っても白眼視された。結果、居場所が無く罪日で居るしかない。1956年から始まった韓国の高校野球全国大会へのチーム派遣も、半日本人(パンチョッパリ)とヤジられ、すべて韓国有利の判定問題などが頻発、1997年を最後に中断している。北へ帰った元在日の悲惨な姿も証拠。北朝鮮と韓国の在日差別は見事に一致している。李氏朝鮮差別で同一の、証明である。歴代の大統領も、密出国し日本へ密入国したことを認識しており、「在(罪)日を返せ!」とは一言も言わずに、下記のように棄民政策。棄民政策の根底も当然、李氏朝鮮差別である。朝鮮戦争起因も、統一の壁も同胞差別である。

 世界が食うか食われるかの戦国時代、朝鮮人だけではなく、皆悲惨で、悲劇で無い国家など無い。窮鳥朝鮮を矢面にも立てず(朝鮮志願兵2万2千182人、台湾志願兵3万304人が戦死。日本は強制兵役、徴集で、2百34万2千341人が戦死)戦った日本を極悪人にし(台湾人は戦いを誇りにしている)、朝鮮人だけが悲劇の主人公と捏造し、同情を集め金をせびる。南北朝鮮在日は、哀れを装って金をせびる「泣き売」の詐欺手法、皆同じである。厚顔無恥の詐欺愚民行為「泣き売」、日本人や台湾人に、愚民呼ばわりされても仕方あるまい、身から出た錆び、自業自得だ。愚民呼ばわりは、無恥を知らしめんがための、かっては身内の親心だ。

ロサンゼルス暴動
 1992年4月末から5月頭にかけて、アメリカ合衆国・ロサンゼルスで起きた大規模な暴動。掠奪と焼き討ちは、韓国人街とその商店に集中した。韓国人の壮年女性が無実の黒人少女を射殺するという事件が発端。朝鮮人の出自を高貴と錯覚する李氏朝鮮差別が根底にあり、これまでの積もる差別が鬱積爆発し、黒人社会と韓国人社会間の軋轢は頂点に達した。

『THIS IS 読売』(1992年8月号)
・・・韓国人は何故襲撃されたのか?黒人新聞「マネー・トークス・ニューズ」「韓国人は下劣・貪欲・傲慢・差別主義」
 上記新聞は、「生まれてこの方、韓国人ほど冷酷で愚劣で無分別で、しかも侮辱的で傲慢な人間に会ったことはない」とまで書き、同じく黒人新聞の「ザ・ロサンゼルス・センチネル」は韓国人の貪欲さ、社会的貢献ゼロ、働き過ぎ、黒人蔑視を手厳しく批判。また黒人学生を対象に行ったある世論調査では、「韓国人は最も距離を置いた人種」との結果が出ている。
 一見したところ日本人だか韓国人だか見分けがつくと思えないのに、黒人社会でははっきりと日本人と韓国人を区別し、対応を変えていたという黒人側の証言もある。
 かつてカーター政権下で厚生教育長官の特別補佐官を努め、また米国進出の韓国企業を顧客に法律事務を担当した経験もあるM・カルフーン博士(現在日本で日本社会について研究中)は、「日本人と韓国人はまったく似て非なる人種。韓国人は妥協するとか、相手の意見を聞こうとかしない点で日本人とは大違いだった」と指摘している・・・


バージニア工科大学銃乱射事件
 世界中を震撼させた33名死亡の犯人はアメリカ永住権を取得した韓国人。出自を高貴と錯覚する李氏朝鮮差別が原因。判明するまでの間、韓国はアメリカ政府を揶揄し、中国人や日本人犯人説を流していた。犯人の国籍が判明した後も、在日工作員の巣食う日本のマスコミは、「アジア人」と報道。

 インターネットに盧武鉉大統領の言葉として下記の文章が出てくるが、一行目の棄民政策だけ正論で、他はぜんぶ歪曲捏造である。盧武鉉がこんな立派な事を言うはずがない。誰が贋作したか不明だが、南北と在日の深層心理が一読で理解でき、南北の本音が垣間みえる文だ。僑胞(きょうほう)は、日本の漢和辞典や広辞苑に載っていない、日本語でない特異な単語。日本人は密入国などせず、移民し国籍を取得するので、このような密出国を想起させる、中途半端な単語は日本には無い。密出国が多発する国の言葉だ。僑・外地に仮住まいする人。胞・同国人。(漢字源)。在日はこの文章から学ぶべきだ。

原文はこちら http://www.tbs.co.jp/skorea_president/topic4_2.html

 

盧武鉉大統領 (03年6月の訪日時、TBSあの筑紫哲也のテレビ番組での発言として、ネット上にある言葉)
「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」
「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。
 日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞にそんなことを言う資格などない。」
「私は僑胞の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、
 日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、いいとこどりではないか。
 私たちが苦しい思いをしていた頃、僑胞の連中は私たちよりいい暮らしを
 日本でしていたのだ。僑胞は僑胞だ。韓国人ではない。」

 

 南北の嘘の上塗り教育をされた人々は、在日朝鮮人は皆、韓国人ではなく僑胞で、建国の一大事に国を捨て逃げた人々だと思っているのだ。僑胞=在日韓国人=韓国人ではなく国を捨て逃げた人々、の汚名は、南北の嘘の上塗り教育が続く限り、残留捏造在日である限り消えない。

 

 二世三世の在日の皆さんは、被害者を装うことをやめ(インターネット学習を侮ってはいけない)、事実を認め、嘘の上塗り教育をやめ、反日(嘘)を即座にやめ、自分の五感で、つらいかもしれないが逃げずに真実を学習することだ。「朝鮮紀行」を読み真実を知ることだ 。 反日(嘘)は嘘から始まっている。嘘を認めることが。出発になる。まずは嘘の原点に帰り、嘘を認め、真実から出発することだ。嘘から誇りは生まれない。そこが在日の新しい原点で、ここから誇りが生まれる。誇りを持ち、そして、嘘の上塗り教育で愚民となり亡国の道を歩んでいる南北に真実を教えるために発信することが、救国となり、唯一汚名をはらす手段となる。僑胞だからこそ傍目八目で冷静に真実を学習出来るからだ。嘘の上塗りで築いた南北は、砂上の楼閣だ。亡国の道を歩む南北を救えるのは僑胞のあなた方しかいない。亡国の愚民政策から同胞を、解放せよ。後の歴史で、救国の僑胞といわれるように、真実を発信し真実を理解させ救国すれば、汚名が消え、志願兵も救われ、偏見なく帰れる。真実の原点、残留捏造へ回帰せよ。真実はあくまでも真実だ。真実は物事の基準だ

在日の果たすべき役割 

 敗戦後戦勝国より刷り込まれた自虐史観(日本が全て悪い)の嘘に気づき、日本人の五感で歴史を検証し、真実の日本国史観を築こうとする、日本人民からのインターネット史観が生まれた今、在日は、僑胞を押し通してはいけない。在日の原点、残留捏造が判明した今、帰化か帰国か決定すべきだ。決定せず留まる方は、今後不法滞在者になる。日本に住みながらなんでも日本人が悪いではなく、在日は何で今日本が、嫌韓、嫌朝、嫌在日かを考えるべきだ。また、世界中が嫌韓、嫌朝、嫌韓人なのかも考えるべきだ。史料や史実に基づいて、実証的に考察する精神から真実を学び、愚民化された南北に、真実を発信し、真実を理解させ、愚民政策から解放し、救国すべきだ。後の歴史で救国の僑胞と呼ばれるように。朝鮮紀行をまず読むことだ。食民治と植民地の違い、次の書籍を読め!「日本の植民地の真実」黄 文雄著扶桑社。

 唯心無き唯物差別の李氏朝鮮を語らず朝鮮や在日を語るな!人類史上最悪の唯物差別が李氏朝鮮なのだ!唯心日本が破壊した唯心無き唯物差別の李氏朝鮮が戦後捏造を追加して復活(李承晩・金日成・在日)。韓国在日凶産は唯物差別捏造で同類。これが諸悪の根源だ。日清日露大東亜戦争は、唯物(凶産・食民治主義)対唯心の戦いで、WW1WW2は唯物対唯物の戦い。


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真実史観1朝鮮南は日本海洋文化圏の一部米の伝播が解明捏造の古代日本史

“真実史観”検索、アダルト続出、運営者は皆無恥の、特定民のようだ。

 ネットの常識に、やっと追試を始めたマスコミ。「日韓がタブーにする半島の歴史」2010.04.室谷克美著新潮新書。

古代の朝鮮半島南部は日本海洋文化圏で住人は日本人、後に北方民族と混血した現代の韓国人とは異種。 魏志倭人伝「韓伝」「韓は帯方の南、東西海を以て限りを為し、南、倭と接す。方(南北領域)四千里(1里×60km=240km)なる可し」三国史記(訳本1980年2月平凡社)があるが、成立は1145年なので、古代は参考程度にし、海洋民・黒曜石・稲・水田・墓制等の実証から考察の結果、下記のごとく、整合した。

 
日本最古の黒曜石は、3万5千年前頃の武蔵野台台地、旧石器時代遺跡から出土。和田峠、箱根が主体で、神津島産が少量混在している。神津島は下田から南南東60キロにある、黒曜石産地の島、現在の水深200mで、当時以来、本土とは繋がってはいない。
 ちなみにヨーロッパでは、南ギリシャ、フランキティ洞窟、1万2千年前頃の中石器の層から発掘された黒曜石が、2千キロ離れたエーゲ海のミロス島産とされ、世界最古の「海上交通」の始まりとされていた。がしかし、それよりもさらに、2万3千年も遡った歴史を刻んでいたのが、日本の「海上交通(日本海洋文化圏)」である!「遥かなる海上の道」2002小田静夫著青春出版
 5千年前頃の縄文中期には、能登半島伊勢湾等、200キロ圏まで分布を拡大した。北海道白滝産黒曜石は、アムール川下流マラヤガニ遺跡、サハリン州サバトナヤ遺跡、新潟県で出土。佐賀県腰岳産は5千年前頃の水佳里や、東三洞貝塚で出土。

 古くから黒曜石産地日本を中心とした海洋文化圏として中国揚子江、朝鮮半島南(百済、新羅、任那)、耽羅(たんら、済州島)、南西諸島、五島列島、対馬、壱岐、九州、隠岐、島根(出雲)、能登、佐渡、新潟(越)、瀬戸内海が存在し、文化を共有する地中海文明と同様の海洋人がいた。朝鮮半島人は倭寇と呼び、異種扱いは海洋人に非ずの自白で、白村江以後は、中国文明陸伝播のみで僻地が証し。日本統治前と後の差(写真日韓併合前後 朝鮮半島写真や朝鮮紀行)がその証拠で、陸伝播ゆえ、最僻地となった朝鮮、日本統治以前は、日本の奈良時代。海洋民の歴史も無い、朝鮮半島人が伝播したは、当然捏造!朝鮮人はいつの世にも、受け入れ人でしかなかった。

 黒曜石の伝播が、海洋文化圏の隆盛を促進し、あま(海)の道が、米の伝播を促進した。古代日本、あま(海)の民は日本海を制し自由に航海、大陸や半島沿岸に黒曜石文明を伝播、居住した。九州の黒曜石が沖縄本島(佐賀県の腰岳)や、朝鮮半島南部の東三洞貝塚(佐賀県の腰岳、大分県姫島)で、隠岐と脇本(秋田県)産の黒曜石が、ロシアの沿海州で、確認されている。神話と神社の大和朝廷文明は、腰岳、姫島、隠岐の黒曜石産地が始まりで、三韓と銅矛圏と銅鐸圏を成した海洋民が、起源。韓半島南から東北までの、タイムラグ無き古墳群の推移が証。黒曜石研究の動向
 

あま(海)の民日本海洋民が支配していた海

三国史記巻第二新羅本紀第二

 12(西暦295)年春に、王が臣下に向かって「倭人が、しばしば我が領土を侵して来るので、・・・一時海を渡って行って、その国(倭国)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」

 これに対して、弘権が「我々は海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。――」

 王はこれを聞いて「それもそうだ」といいました。

 日本海呼称は、海洋文化圏を築いたあま(海)の民日本の、由緒ある名称である。由緒なき東海朝鮮海などではない。

 三韓(馬韓弁韓辰韓)も三国(百済伽耶新羅)も、祖先は、海洋民の日本で、当時は日本海洋文化圏の一部であった。北方民族と混血した現代韓国人とは異なるのに、愚考を繰り返す韓国人(2012/11/24古墳・寺院の随所に韓民族の息吹「日本の中の韓民族史探訪」)。2012/12/15真逆に捏造する妄想韓国人)。

 古墳・寺院の随所の息吹は日本海洋文化圏日本民族の息吹で、北方民族と混血した現代韓民族の息吹では無い!

 

 文明は地中海文明や、大航海が示すように、海路がはるかに速い。朝鮮北方民族が陸路最南端の地に辿り着き、文明を開いたので無いことは、南下途中の継続文明皆無や、同時期発祥の海洋民族共通文明で証明済み。古代の朝鮮半島南部人は、中国と日本の海洋民族が祖先であることは明白である。

 完成した北部九州の団体作業水稲耕作技術は、海洋人を経て朝鮮半島南、耽羅(たんら)(済州島)に同時に伝播し、後の百済、新羅、伽耶諸国、耽羅(済州島は火山島なので畑作中心だが、海洋人の寄港地として栄えた)国が生まれた。朝鮮北方には皆無の半島南に限定された日本と同様の文化は、日本と百済、新羅、任那が同一文化圏を物語り、日本の支配下にあったことを証明している。基礎民族水稲民、百済人、新羅人、任那人は、現代の東北人、名古屋人、大阪人のような地域呼称で、朝鮮人ではなく皆日本人。したがって桓武天皇(737~806)の母(土師真妹)の父(百済系氏族の和之継。基礎民族)は、百済出身の日本人で、北方民族と日本人が混血した、現代の朝鮮人ではない。

 

2012/11/27韓国5世紀墓発掘したが日本様式なので学界意見入り乱れソース:コンシューマータイムズ(韓国語) 

「5世紀の墓発掘のニュースが話題だ。

 国立羅州(ナジュ)文化財研究所は、5世紀前半の墓と見られる文化財資料第218号‘高興(コフン)野幕里(ヤマンニ)野幕(ヤマク)古墳’発掘調査に関して、去る26日、明らかにした。

 文化財庁国立羅州文化財研究所は27日午後2時、高興郡豊陽面(プンヤンミョン)で全羅南道(チョルラナムド)文化財資料第218号‘高興 野幕里 野幕古墳’の現場説明会を開催する予定だ。

 野幕古墳は独立した丘陵に1基だけ造営される位置づけの独自性と、墳丘表面に石を敷いて仕上げる墓の形式の‘葺石施設’で作った葺石施設は、日本で古墳時代(3世紀後半から7世紀末)に普遍的に現れる墓の形式だ。

 野幕古墳は2006年発掘された高興・吉頭里(キルドゥリ)雁洞(アンドン)古墳のように沿岸航路を通行した交易主導者の勢力の様相を調べることができる重要な資料だ。特に日本的要素が目立って学界の論議が予想される。

 5世紀の墓発掘のニュースに接したネチズンらは「5世紀の墓発掘、その時から日本と交流があったのか?」、「5世紀の墓発掘、どんな分析が出てくるのか気になる」等の反応を見せた」。

 

 668年 唐と連合して百済(日本人)・高句麗を滅ぼした新羅(日本人)が半島の単独政権となったのは668年、大同江以南の地は唐を宗主国とした属国新羅が支配した。以後新羅(日本人)は日本から離反、中国文化を取り入れたため、日本文化は消え、半島南の一部日本人は帰国、残留者が北方民族と混血し現代に至る。現代朝鮮や罪日が声高に叫ぶ千字文と論語の王人(王仁) は、百済ではなく中国文明を日本に伝えた中国人。中国風名は新羅以後で、朝鮮人ではない。千字文と論語は中国文明、百済文化ではない。

 朝鮮半島で確認された炭化米(畑作米陸稲)紀元前2千年が、最古である。日本、更に古く紀元前約4千年前、陸稲栽培。紀元前600年前水稲(温帯ジャポニカ)栽培

 

 紀元前9世紀(炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前9世紀まで遡る可能性が出てきた)に、大陸から北部九州へと団体作業水稲耕作技術を中心とした生活体系が伝わり、北部九州で完成し、九州、四国、本州に広がり、国が生まれた。

 57年 「漢倭奴国王印(後漢の光武帝金印)」107年 日本、『倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うてきた。239年 卑弥呼、明帝より親魏倭王の称号をえる」のように直接交渉していることから、海上交通が古くから成されていたことが判明する。島国日本は航海術が発達し海上交通が盛んであった。石器の産地の考察から、縄文時代にも海洋を越える交易があったことも分かってきている。

 これが朝鮮半島南の古代の文化だけが、日本に酷似する理由である。つまり朝鮮半島南や済州島が、古代においては、朝鮮半島最先端の文化圏であったといえる。

済州島(耽羅)

元は州胡(しゅうこ)国、次に耽羅(たんら)国といい、5世紀末に百済に服属したが、古代から15世紀始めまで存在した王国だった。古代言語は、朝鮮でも中国でもなかった。倭人と協力し、建国する様子が国造り神話として伝えられている(高麗史57巻)。中国歴史書には「支配層と民衆の言語が違う」や、「住民の多くが中国人や倭人」や、「倭人がとても多い」などと記されている。耽羅(たんら)の古代言語は韓族とは異なるものとするのが通説である。耽羅には、星主(ソンジュ)、王子(ワンジャ)、徒内(トネ)、ピョル主(ピョルチュ)と呼ばれる支配者が存在していた。耽羅の現地語読み仮名、タムナ、タンモラ、トゥルラ。
 
後述のように、日本へ何度も朝貢の歴史あり。15世紀始め李氏朝鮮に侵略され、完全併合された。他国を侵略したことの無い平和の島耽羅国は滅んだ。以後古代最も輝いた耽羅(済州島)は、朝鮮に支配され朝鮮の罪人流刑地となり、さげすまれ、悲劇の島となった。済州島島民は、日本民族に近く、異民族の朝鮮人より毛深く、日本人(北九州)に似ている。済州島(耽羅)歴史詳細朝鮮戦争起因は李朝差別済州島四三は朝鮮浄化殲滅軍対耽羅死守隊 

 縄文式
土器が出土し前方後円墳が発掘されている朝鮮半島南や耽羅(済州島)の海洋文化圏は、日本語文化圏と考えるのが最も自然だ。朝鮮からの渡来人、漢氏(あやし)や秦氏(はたし)は、4世紀後半から渡来人として日本にも住んでいた記録はある。縄文式土器の時代から航海の巧みな大勢の倭人や中国人が朝鮮半島南に住み、百済、新羅、伽耶諸国、耽羅(済州島)、の基礎民族となり、新羅統一以後北方民族と同化、亡命者は日本への渡来人ではなく、帰国者と考えるのがより自然。世界中で耽羅(たんら、済州島)と日本(千葉、伊豆、伊勢、志摩、山口大浦、福岡鐘崎、石川舳倉、福井雄島、秋田男鹿等)にしか無い海女文化が、物語っている。有色人種の坩堝日本、日本はアジアのアメリカなのだ。

 古代の中国文化の伝播ルートは半島陸路経由ではない。半島陸路経由であれば中国と朝鮮半島南と日本に、文化の差が生じて当たり前なのに、明らかに差が無い。日本の本州に中国文化を伝えたのは任那や百済(371~660年31代で滅亡.大和王朝と提携した)などではなく、中国大陸、朝鮮半島南、済州島、対馬、壱岐、出雲、瀬戸内海、九州(南方文化)などの日本が中心となった、海洋文化圏なのだ。日本の本州に伝播した文明は、百済独自の文化などではない、海洋文化圏がお互いに協力し同時進行で成された中国文化と南方文化の融合文化なのだ。中国属国化以後の半島南部の衰退は、この事を証明している。

 朝鮮半島南と日本の文化が酷似する時代までは、中国文化と南方文化の伝播を共有し発展させた。耽羅(済州島)は5世紀末に百済に服属した。朝鮮半島南と済州島は征服され、中国大陸と南方から直接文化を取得できる海洋文化圏から離脱した。以後朝鮮は中国の属国と化した(高麗334年間だけが独立国)ため、中国の文化だけの、陸路経由の取得となり文明は停滞した。文化最遠国となった朝鮮半島南と済州島はさらに衰退した。日本は以後も中国や南方と交流を続け、またポルトガルやオランダとも交流し文化を鵜呑みせず咀嚼し、独自の日本文化を成したため、写真の差となった。以後中国大陸と日本だけが残り、倭寇となり、海洋文化圏を支配した。正に日本と朝鮮の格差は、海洋文化圏からの離脱が基点、以後隔たるばかりとなる。
 

奈良平安時代ではない、日本の明治時代文化最遠国となった証し

 財政支援以前 、電気が無かったので線路や電柱は朝鮮には無い。財政支援前後は線路や電柱の有無で分かる。1895年大韓帝国独立後から日本は援助している。独立前は、清国の属国なので出来なかった。

 歴史捏造国家、韓国・写真  History of Korea日本統治前後の朝鮮・写真 日韓併合前後 朝鮮半島写真館1910年朝鮮統治開始。親日派のための弁明、は必見。日本の統治の良し悪しが、朝鮮、歴史捏造の原点が、亡国民族の凄まじさが、無い無いづくしが、一目瞭然。下記朝鮮紀行の実写版だ。棒太郎の保管庫韓国KBSの捏造日本による首都修復開始直後、線路や電柱がある。長男を産んだ女性だけが着れる、誇りの服装が、乳房露出(乳出しチョゴリ)の服装なのだ。

日本統治前と統治後の比較
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稲の伝播が語る歴史

日本、旧石器時代、約3万5千年前からで、終りは約1万3千年前

1万6千5百年前から約2千7百年前、日本、縄文時代。縄文式土器。稲の陸稲栽培開始の時代

 稲の陸稲栽培・焼畑稲作。水田を使わない稲作。

 稲の水耕栽培・田に水を張り(水田)、その水の中に苗を植えて育てる。種から収穫まで、陸ですべて終えるよりも、水耕の方が品質が高く収穫量が多いため、定期的な雨量のある日本では、ほとんどの場合、水田を使っている。

 イネの品種には、ジャポニカ「日本型・温帯ジャポニカ(水稲)と熱帯ジャポニカ(陸稲)」・ジャバニカ(ジャワ型)とインディカ(インド型)がある。

 稲の陸稲栽培 熱帯ジャポニカは、インディカの分布と重なり、更に広い範囲に分布し、陸稲と密接に結びついている。

 稲の水稲栽培 温帯ジャポニカは、中国の長江北側から、日本列島での限定地域に分布し、弥生時代以降の水稲は温帯ジャポニカ。

 ・・・国際日本文化研究センター教授の安田喜憲氏らが揚子江沿の「長江文明」発見(1996年)。この中国南方長江文明は、畑作中心の北方黄河文明に対し、稲作中心で、ジャポニカ種を栽培。

 今のところ、稲作の起源は、少なくとも8千6百年前までは、確実に遡れる。もし、土器にある圧痕が稲作の証拠とすれば、少なくとも1万1千年位前までは確実に遡れます。玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡や仙人洞遺跡では1万4千年前まで遡れる可能性が指摘されているという段階まできている』安田喜憲教授。「長江文明の探求」 著者・梅原・安田 新思索社刊 2004,8,30)

 1万2千年前 中国陸稲栽培 焼畑による陸稲栽培か、1万年以上前遡る稲籾が長江中流域の江西省や湖南省で続々と発見。

 7千年前 中国水稲栽培 長江下流の浙江省寧波の河姆渡(かぼと)村から約7千年前の水田耕作遺物が発見されており、稲の水田耕作は長江下流に起源。

 稲の陸稲栽培の伝来 日本へは、まず、江南から熱帯ジャポニカが南西諸島を通って伝播南九州へ(黒潮ルート)。

 稲の水稲栽培の伝来 長江下流域から直接北九州に伝来(対馬暖流ルート)。江南から西南諸島を経て南九州へ(黒潮ルート)。温帯ジャポニカによる水稲農耕の始まりも近年の稲DNAに基づく研究では、南方経由の可能性が高いとされる。佐藤洋一郎「DNAが語る稲作文明」

捏造ルート 遼東半島から朝鮮半島南部を経て北九州に伝来(朝鮮ルート)。かつてはこの捏造された朝鮮ルートが有力視されていたが、遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米紀元前2千年が最古であり、畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種/熱帯ジャポニカ種の遺伝分析において、一部遺伝子が朝鮮半島を含む中国東北部から確認されない点などの複数の証拠から、対馬暖流ルートや黒潮ルートによる日本への伝来が、2千年近く早かったという学説が有力視され、朝鮮ルート否定。

 ・・・中国、朝鮮半島、日本列島の水稲在来品種250種のSSR多型を調べてみると、8つの変形版が見つかった。これらには小文字のからまでの字があてられる。からまでの変形版がどこに位置するかを調べると下記のようになる。

SSRの多型からみた温帯ジャポニカ(水稲の渡来。

日本の品種 abcの3種類(cは、極端に少なく、2種と考えてもよい

中国の品種 abcdefghの8種類全品種あり (aが少ない)

朝鮮の品種 acdefgh の7種類 (aが60%)

 唐古鍵遺跡(奈良)と池上曽根遺跡(大阪)の炭化米からもこの遺伝子が発見されたことも注目に値する。いずれも弥生時代中期(宇約2100~2200年前)の遺跡であり、SSR遺伝子はいくら時を経ても全く変化しないので、これらの炭化米は、2千年前からここに埋まっていた事がわかる。すなわち、2千年前明らかに中国大陸から遺伝子を含む水稲が渡来してきたことが実証できるのである。見えてきた稲の道1

(注・上記では。単純に「中国大陸から
遺伝子を含む水稲が渡来」としているが、中国渡来説では、朝鮮に遺伝子欠落の説明がつかない)
仮説をたててみよう。温帯ジャポニカ(水稲の伝播。

1・4200年前に訪れた寒冷化によって、中国北部の稲作牧畜民(漢民族、品種の稲所持)が南下し、稲作漁労民(a品種の稲所持)である長江文明を攻め滅ぼした。中国の長江文明は崩壊したが、稲作漁労民(a品種の稲所持)はさらに南下して定住、aを栽培。

2・最古の品種aは、対馬暖流ルートで紀元前7世紀(2600年前)日本伝来。日本aを国内や朝鮮南に伝え、国が誕生する。

3・日本、新たな品種bcを得てabcとなる。

4・中国は更にdefghの新たな品種を得る。acdefgh

5・朝鮮中国の属国となり、cdefghを得、紀元前日本から伝来のaを加えacdefghとなる。

6・日本、品種bを中国に伝える。

7・中国、日本から伝来したbを加え、abcdefghとなる。

 陸稲熱帯ジャポニカや、南方長江下流原産水稲温帯ジャポニカ(緯度は日本の屋久島)が、中国北方の遼東半島や朝鮮北部(緯度は青森)に北上し、南下して伝播(北九州)は誰が考えても不可能。長江下流から北九州は、船のほうがはるかに近く、対馬暖流に乗れば、寝てても北九州に到着する、地図を見ればすぐわかる素人の常識問題だ。捏造は迂回するが、文明は迂回せず

日本の稲の起源

 「プラント・オパール」とは、葉の細胞に含まれている珪酸体というガラス質の小さな結晶(40~60μm)。これは、葉が腐っても残り、分析することで、稲作の起源を調べられる。

 この手法を開発したのは宮崎大学の萩原宏志氏で、現在までに確認できた稲作の痕跡は全国9カ所の遺跡にあり、約千年前から見られる。(ただし現時点では、プラント・オパールの発見だけでは、それが野生種か栽培種かを区別できないことから、稲作の確実な証拠とはされていない)

 6千年前陸稲(熱帯ジャポニカ)栽培縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6千年前の地層から稲の細胞化石「プラント・オパール」が出土したと、同町教委が18日、発表した。同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例めだが、今回は化石が多量で、小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が初めて裏付けられる資料」としている。縄文時代前期にまで遡れる。高橋護・元ノートルダム清心女子大教授ら研究グループは、プラント・オパールが大量だったことや他の食物も有ったことを「縄文前期の本格的農耕生活」を裏付ける根拠とし、水田が無いことについては「大半が焼畑農業だったのでは無いか」と推測する。読売新聞,2005,2,19

 2千6百年前(紀元前6百年)水稲(温帯ジャポニカ)栽培わが国の稲作の歴史は、福岡市板付遺跡より更に古い、佐賀県唐津市の菜畑遺跡(2千6百年前)で確認された水田遺構が最古(水稲栽培)と見られ、熱帯ジャポニカも水田で栽培された。

 縄文時代のイネは、炭化米が後期後半の熊本県の上ノ原遺跡などから検出されており、籾跡土器の胎土から検出されたイネのプラント・オパールに至っては、後期後半の西日本各地の遺跡から30例発見されている(外山秀一、皇學館大学)。縄文時代の前期以降、西日本の各地で稲作が行われていたことを示す証拠である。このため、後期後半の日本列島でイネが栽培されていたことは間違いない。ただ、イネが単独で栽培されていたわけでなく、オオムギ、ヒエ、キビ、アワ、ソバなどの雑穀類の栽培やアズキ、大豆なども混作されていた。2につづく⇒

真実史観2朝鮮南日本海洋文化圏離脱し凋落李氏朝鮮と身分制度が亡国に更に拍車

2朝鮮南日本海洋文化圏離脱し凋落李氏朝鮮身分制度が亡国に更に拍車

 石器の産地の考察から、縄文時代にも海洋を越える交易があったことも分かってきている。また、死者を埋葬した跡があることから、縄文の人々には初期の宗教観があったことも確認されている。

 紀元前8百~3百年(炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前9世紀まで遡る可能性が出てきた)日本、弥生時代。弥生式土器。稲の水稲栽培開始の時代。

 紀元前9世紀に、大陸や南西諸島から北部九州へと水稲耕作技術を中心とした生活体系が伝わり、九州、四国、本州に広がった。初期の水田は、福岡市博多区にある板付遺跡や、佐賀県唐津市の菜畑遺跡など、北部九州地域に集中して発見されている。弥生時代のはじまりである。弥生時代早期に完成した北部九州の団体作業水稲耕作技術は、弥生時代前期中葉には東北へと伝播し、青森県南津軽郡田舎館村垂柳(たれやなぎ)遺跡などからも見つかっている。水稲農耕は、かなりな速さで日本列島を縦断し伝播波及した。また海洋人を経て朝鮮半島南、済州島に同様に伝播し、百済、新羅、伽耶諸国、耽羅国を生んだ。

 これまでの自給自足狩猟採取移動の生活を、稲の水稲栽培、これがすべてを一変させた。水田作り、水路作りは集団が協力しないと出来ない。田起こし、代掻き、田植え等々季節が過ぎないうちに済ませないと駄目な作業ばかりなので、集団が協力して作業に当たった。結果集団で住むようになり、大量生産、仕事の分業化が始まり、物づくりの技術が一気に進んだ。中国から農耕具の青銅器や鉄器も輸入し使用した。さらなる開墾や用水の管理などに大規模な労働力が必要とされ、集団の大型化が進行した。大型化した集団同士の間には、富や耕作地、水利権などをめぐって戦いが発生したとされる。このような争いを通じた集団の統合・上下関係の進展の結果、やがて各地に小さなクニが生まれ、この頃以降の日本は、大陸からは倭と呼ばれた。稲の水稲栽培が国を造ったといえる。

 水田を作った人々は、弥生土器を作り、多くの場合竪穴住居に住み、倉庫として掘立柱建物や貯蔵穴を作った。道具は、工具や耕起具、調理具などに石器を多く使ったが、次第に石器にかえて徐々に鉄器を使うようになった。青銅器は当初武器として、その後は祭祀具として用いられた。

 このようにして、狩猟採取定着の、あま(海)海洋文明集合体から、農耕定着の、あま(天)水稲文明集合体に権力が移動した。あま(海)の衰退ではない。あま(天)のほうが大きく勃興し、はるかに巨大化したため、権力は禅譲されただけである。あま(海)は以後も伝播に励み、隆盛を成し、島国日本の礎となった。水稲栽培は天候が命、集合体の命の要、あま(天)を神とし、太陽を最高神として崇めた。卑弥呼、天照大神となり、現代に至る。

黒曜石が語る邪馬壹国と卑弥呼
 前述のように島根県隠岐産の黒曜石がロシアの沿海州で発見され、島根県出雲神話は、あま(海)の民、古代海洋国家を物語っている。

一方、九州佐賀県伊万里腰岳産の黒曜石も、沖縄本島や朝鮮南部で発見され、大分県国崎半島東端の姫島産も朝鮮南部で発見され古代朝鮮南部は、日本同様のあま(海)の民海洋文明圏で、3世紀末の魏志倭人伝にも、倭人の北岸狗邪韓国と明記され、中国も公認の、黒曜石海洋文明圏の継続を物語っている。

黒曜石、稲、青銅器鉄も、あま(海)の民が最初に入手し隆盛、伝播した。隆盛した国家(稲を最初に入手)魏志倭人伝中の邪馬壹国は、九州佐賀県伊万里腰岳黒曜石や、大分県国崎半島東端の姫島黒曜石を生業とした海洋文明国家あま(海)の民、子孫を物語って余りある。魏志倭人伝中「其山有丹」と記載された丹(丹砂、辰砂)は、いずれにも産地有り。青銅器鉄の伝来で黒曜石はすたれたが、あま(海)の道で得た稲と、あま(海)の道の交易(丹や稲の伝播と、青銅器鉄の入手伝播)で隆盛を築いた。祭神も、あま(海)とあま(天)になり、日巫女(卑弥呼)があま(天)に使えるようになった。この項は長くなるので、ここでは概略のみとします。

甕棺墓も語る
 韓半島南西や南部限定で、北九州と同類の甕棺墓が数多発掘されている。前2~3世紀が北九州発表、韓国は4~5世紀と発表。水稲のみが同時進行で墓制だけが遅れては、有得ない。韓国いつもの病気であろう。

日本人のルーツ
 7万年~1万年前の氷河時代最後の氷期に、大陸からナウマン象を追い氷河を渡り、後期旧石器人、モンゴロイドが渡来し定着。後に船が発明され、日本海海洋文化圏を築く。一方船を発明した南方のモンゴロイドも、陸伝い島伝いに北上し渡来、揚子江河畔の船を発明したモンゴロイドも渡来し、在来のモンゴロイドと融合した。モンゴロイド海洋文明圏を築いたあま(海)人。そして水稲文明圏を築いたあま(天)人。かれらが日本人の先祖と言える。
 耽羅(済州島)や半島南の祖先でもある。 

日本と朝鮮半島の年表 
BC1万年~BC千年日本、新石器時代(縄文時代)

BC5千年~BC千年朝鮮、新石器時代(櫛目文土器時代/侯目文土器)。半島南は海洋文化圏(縄文時代)。

BC4千年日本、陸稲(熱帯ジャポニカ)栽培

BC2千年朝鮮陸稲(熱帯ジャポニカ)栽培

BC600年日本、海洋文化圏、水稲(温帯ジャポニカ)栽培

BC700年ごろ、海洋文化圏、青銅器伝わる。

BC300~100海洋文化圏、初期鉄器時代。

B.C.108年 中国漢武帝、衛氏朝鮮を滅ぼし、楽浪・臨屯・玄菟・真蕃の4郡を置く。

A.D.196年 この年、朝鮮に帯方郡が設けられる。

BC108~4世紀中葉朝鮮原三国時代楽浪郡・馬韓54国・辰韓12国・弁韓12国。三韓はいずれも川と平野が数多で、水稲好適平野は馬韓最多、結果が54国の分立。南部海洋民が水稲で隆盛を成し、水稲民と成り北上、三韓と成り、北部中国人や狩猟遊牧民ツングース系民族との対立が窺い知れる。狩猟、答えは明白、米が凌駕した。南部海洋民→水稲民三韓→新羅(水稲)→高麗(水稲)→李氏朝鮮(水稲)。仏教も南部が起源。この事は、海洋民を始祖とする水稲民文明が北上、狩猟遊牧民南下文明と融合し、韓半島文明の基盤と成った事を、明解に語っている。韓半島基礎民族は水稲民。したがって、朝鮮人の南部差別は、ご先祖冒涜の愚行。

57年 後漢の光武帝が日本、倭奴国王に金印を授ける。

107年 日本、『倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うてきた(「安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」)との記述後漢書』孝安帝紀東夷伝

239年 日本、卑弥呼、明帝より親魏倭王の称号受ける。

 考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代中期~後期(5~6世紀)になると、朝鮮半島南部百済や伽耶諸国に、いくつも見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。長鼓山前方後円墳(全羅南道海南郡北日面方山里)龍頭里前方後円墳(全羅南道海南郡三山面三山里)

371年 百済、高句麗を侵し、平壌城を攻める。

382年 新羅が朝貢しないので、日本、襲津彦(そつひこ)を遣わして新羅を討たせる(神功皇后62年条)。

387年 百済王の使者、日本に朝貢する。朝廷、千熊長彦を新羅に遣わして、百済の献物を途中で襲った事を責める(日本書記 神功皇后47年上)

391年 高句麗の好太王(広開土王)が即位する。

384年 晋から百済に仏教伝来。日本への公式の仏教伝来、仏教公伝は538年か552年になり、蘇我氏は仏教崇拝、物部氏は排斥で対立激化。私的には中国、百済双方から伝わっていた。

397年 百済、倭国と通好し、太子を人質に差し出す。

412年 高句麗の広開土王が没する。

414年 好太王碑が鴨緑江畔に建てられる。「倭が海を渡って百済と新羅を臣民にした。日本、百済・任那(加羅)・新羅に兵を派遣して臣属させる好太王碑文(広開土王碑)。

430年 高句麗、平壌に遷都する。

443年 倭王・済(允恭天皇)、宋に使を遣わし奉献する。安東将軍倭国王を授けられる(宋書 宋文帝元嘉20年)。
451年 倭王・済、宋より使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・泰韓・慕韓の六国諸軍事を加授される(宋書)。

462年 3月、宋の孝武帝、詔して倭王・興(安康天皇)に爵号を授け、安東将軍倭国王とする(宋書)。

475年 高句麗に漢城を攻め落とされた時に百済は一度滅びた(475年)。『日本書紀』の雄略紀。

476年 4月、枕羅、百済の文周王に朝貢した。『三国史記』

477年 雄略天皇が百済王に熊津の地を与えて国を再興させた。『日本書紀』の雄略紀。

479年 倭王・武(雄略天皇)、南斉の高帝より鎮東大将軍を授けられる(南斉書 南斉高帝建元1年)。

498年  9月、枕羅、百済の東城王に服属した。『三国史記』

502年 倭王・武、鎮東大将軍を授けられる(梁書武帝紀 梁元監1年)。

508年12月、南海中の耽羅人が初めて百済国と通じた。『日本書紀』

512年12月、倭王任那の4県を百済にあたえる(日本書記)。

527年 6月、日本、近江毛野臣に衆6万を率いて任那に往かせ、新羅に破られた地を復興しようとする。筑紫の国造磐井が、これを1年半にわたり妨害。磐井の乱。

537年10月、大伴大連金村に詔し、その子を遣わして新羅を討たせ、任那を救わせる(日本書記)。

538年 3年、百済、扶余に遷都する。

554年 2月、百済、使を遣わし援兵を請う。

556年10月、百済人・高麗人を倭国高市郡の屯倉に置く(日本書記)。

560年 9月、新羅、入貢する(日本書記)。

562年 1月、新羅が任那の官家を滅ぼす。

     7月、紀男麻呂宿禰を大将軍とし、任那の地に赴かせる(日本書記)。

    11月、新羅、入貢する(日本書記)。

568年    新羅王・興王、咸興その他に巡狩碑を建てる。

571年 4月、欽明天皇、任那再興を詔する(日本書記)。

572年11月、新羅、使を遣わして調を進める(日本書記)。

577年11月、百済王(威徳王)、経論若干巻および律師・禅師・比丘尼・咒禁師・造仏工・造寺工6人を献ずる(日本書記)。

597年 4月、百済王、王子阿佐を遣わして朝貢する。

600年 8月、この年、新羅と任那が戦い、任那救援の境部臣ら大いに新羅を破る。隋に使を出す(隋書)。

601年 2月、聖徳太子、斑鳩宮を造る。

    11月、新羅討伐を計画する。

602年 2月、来目皇子を撃新羅将軍として2万5千の兵を動員する。

603年 2月、来目皇子、筑紫に病死し、征新羅軍を中止する。

608年    この年、新羅人多く帰化する。

609年    この年、肥後国に百済人80人余漂着、帰化希望者を元興寺に置く。

610年10月、新羅・任那の使が入京する。

620年 8月、聖徳太子・蘇我馬子らが天皇紀・国紀等をつくる。

631年 3月、百済王子・豊璋、人質として来る。     

634年 8月、彗星見える。

556年10月、百済人・高麗人を倭国高市郡の屯倉に置く(日本書記)。    

608年    この年、新羅人多く帰化する。

609年    この年、肥後国に百済人80人余漂着、帰化希望者を元興寺に置く。

660年 9月、百済、新羅と唐が百済を滅ぼそうとすることを訴える。

    10月、百済の鬼室福信、使を遣わして救援を乞う。

    12月、百済救援軍を派遣することを決める。

         唐の蘇定方将軍の軍が山東から海を渡って百済に上陸し、百済王都を占領した。義慈王は熊津に逃れたが間もなく降伏して百済は滅亡した。

661年 5月 耽羅、王子の阿波伎らを派遣して日本に対して初めて朝貢を行った。

 8月、阿曇比邏夫、阿部比羅夫を遣わして百済を救わせる。

662年 1月、百済の鬼室福信に、兵器・食料を送る。

     2月、新羅の文武王に来降し、これ以後は新羅の属国となった。『三国史記』

     3月、唐・新羅が高句麗を討ち、高句麗は日本に援助を求める。

     5月、斉明天皇は百済復興を全面的に支援することを決定し、倭国に人質として滞在していた百済王子である扶余豊璋を急遽帰国させるとともに、阿倍比羅夫らからなる救援軍を派遣した。帰国した豊璋は百済王に推戴されたが、実権を握る鬼室福信と対立し、遂にこれを殺害するなどの内紛が起きた。

662年 耽羅、新羅に服属したが、このとき唐から帰国する日本の遣唐使船がたまたま耽羅に寄港し、唐軍の侵攻を恐れる耽羅はしばらく日本に朝貢を送り続けた『日本書紀』。

663年 白村江の戦い。 3月、上毛野稚子ら、2万7千の兵を率いて新羅を討つ。

     8月、やがて唐本国から劉仁軌の率いる唐の増援軍が到着し、倭国の水軍と白村江(白馬江)で決戦に及んだ。これに大敗した倭国は、各地を転戦する軍を集結させ、亡命を希望する多くの百済貴族を伴って帰国した。豊璋は密かに高句麗に逃れた。

     (これより日本は半島の権利を放棄)。

 豊璋の弟・善光(または禅広)の子孫は朝廷から百済王(くだらのこにきし)の姓を賜り、百済の王統を伝えた。百済王氏は8世紀に敬福(きょうふく)が陸奥守として黄金を発見し東大寺大仏造立に貢献した。大阪府枚方市に残る百済王神社はその百済王氏の氏神を祭る神社である。この他、5世紀に渡来した昆伎王を祀る延喜式内社飛鳥戸神社など百済にまつわる延喜式内社はいくつもある。また奈良県北葛城郡広陵町には百済の地名が集落名として現存し、百済寺三重塔が残る。

664年 5月、唐の百済鎮将の劉仁願が、使を遣わして物を献ずる。この年、筑紫に水城を造る。

665年 8月、耽羅、日本へ使者を送って来朝した。

665年 8月、耽羅(済州島)の使、来朝する。

666年 1月、高句麗の使、来る。耽羅王子始如ら、来朝する。

667年 7月、耽羅、佐平の椽磨らを日本に派遣して朝貢した。

668年 唐と連合して百済・高句麗を滅ぼした新羅が半島の単独政権となったのは668年、大同江以南の地は唐を宗主国とした属国新羅が支配した。百済・高句麗の滅亡に伴ない、日本へ大勢の亡命者が押し寄せた。かくして朝鮮だけが海洋文化圏から撤退した。以後日本統治までは、陸路からの中国文化だけの伝播となり、朝鮮時代には両班思想がはびこり、文化は停滞した。

669年 3月、耽羅、王子の久麻伎らを送って日本に朝貢した。日本は耽羅王に五穀の種を授けた。

673年 6月、耽羅、王子の久麻藝や都羅宇麻らを送って日本に朝貢した。

676年10月、新羅に使を遣わす。11月、新羅の使、来朝する。

710年~784年 奈良時代。

779年 以後新羅と日本の国交は途絶した。

936年 朝鮮史上はじめての統一独立国家(334年間)高麗が誕生。朝鮮史上もっとも輝いた国家である。高麗で辞書を引くと高麗を冠した文字が続出する。朝鮮文化が花開いた時代である。英語のKoreaは高麗(コリョ)の転訛による名称である。この時代と次の朝鮮を比較すると、属国化がいかに民度を下げ、文化を破壊するか、一目瞭然だ。朝鮮末期の文化は、高麗、以前の文化のように思える。耽羅、済州と改称。

1270年 高麗、済州島(耽羅)中国元の属国となった。

13世紀から16世紀倭寇活動、日本人海洋文化圏を支配した。以後は日本国が支配。16世紀の華中、華南の倭寇は中国人。

1274年 元寇、文永の役。元と高麗日本侵略し、壱岐、対馬占領。日本勝利。

1281年 元寇、弘安の役。元と高麗再び日本侵略。大風雨の恵みもあり、元と高麗軍を全滅させた。

1392年 部下の李成桂が高麗国王を倒し国号を朝鮮とした。以後宗主国明、清の属国となり、身分制度(凶産化)で愚民にした。軍隊を持つと自分が裏切ったように狙われるので、持たず軍隊も清に依存した。朝鮮暗黒の時代である。3につづく

真実史観3朝鮮人諸悪の根源李朝族譜を破壊もせず嘘の上塗りまみれの朝鮮や罪日

3朝鮮人諸悪根源李朝族譜を破壊もせず、嘘の上塗りまみれの朝鮮や罪日

1404年 高麗に代わった李氏朝鮮は、星主、王子などの伝統ある称号を廃止。1416年に済州牧使の下に県を設置し支配した。以後古代最も輝いた耽羅(済州島)は、朝鮮に支配され朝鮮の罪人流刑地となり、さげすまれ、悲劇の島となった。

1592年 豊臣秀吉朝鮮侵攻(文禄の役)韓国では「壬辰倭乱」。

1598年、豊臣秀吉の2度めの朝鮮侵攻(慶長の役)韓国では「丁酉再乱」。
 中国の属国と成ってからは中国の文化伝播だけとなり、海路ではなく陸路となり、遠隔の地と化した朝鮮半島南と済州島の文化は、中華思想などで、さらに没落した。
 さらに朝鮮属国以後罪人流刑地と成ったため、蔑視もされた。
 日本は以後も中国と交流を続け、またポルトガルやオランダとも交流し文化を鵜呑みせず咀嚼し、独自の日本文化を成した。日本文化が朝鮮に伝播はしたが、朝鮮独自の文化の伝播は、ほとんど無い。これを朝鮮文化を伝えたと、百済文明を教えたと、捏人は捏造し、奈良京都を見学に来ている。そして教えた証しが奈良京都であると、説明しているのだ。
 日本へ伝播した文明は、中国文明である、朝鮮文明では無い。これは世界史上の事実だ。前述の写真を比較すれば、一目瞭然である。


朝鮮通信使
1607年 李氏朝鮮と対馬の宗氏との間で己酉約条(慶長条約)が結ばれ、貿易が再開される。

1607年~1811年朝鮮通信使来日

朝鮮通信の金仁謙の感想。

・大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とはまことこの地のことであろう」

「人家が塀や軒をつらね その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である」

「北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原の壮麗さもこの地には及ばないという」

・名古屋を見ての驚き

「山川広闊にして、人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、遠路随一といえる。

中原にも見あたらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが。この地に比べれば寂しい限りである」

・江戸を見ての驚き

「楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様、橋や船にいたるまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える」

・感想

「惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が、倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。この犬にも等しい輩を、皆ことごとく掃討し四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳をもって礼節の国にしたいものだ」

「日東壮遊歌」金仁謙著 高島淑郎訳注 平凡社東洋文庫より

1637年 仁祖(朝鮮王)清に降伏。清の圧倒的な兵力の前に朝鮮軍はなすすべもなく惨敗を重ね、わずか45日で降伏。良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。明に替わり、清の皇帝を認める。我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。(大清皇帝功徳碑)。

1840年 清と英国との間でアヘン戦争が勃発。

1842年 清がアヘン戦争に敗れ、衰退化。南京条約。香港の割譲など半植民地化の起点となる。

1853年7 日本はペリー来航で開国した。

1854年 日米和親条約。アメリカ船の下田函館寄港、薪水食料購入など。

1854年10 日英和親条約。

1855年2 日露和親条約。

1856年1 日蘭和親条約。

1856年 アロー戦争。清国対英仏戦争。

1858年 日米修好通商条約。領事裁判権を与え、関税自主権がなく、居留地を設ける、最恵国条款を認めることなどを内容とした、不平等条約。同年英仏蘭露とも同様の条約を結ぶ。安政五カ国条約。

1860年 英仏連合軍北京入城し、北京条約締結。イギリスへの九竜割譲。

1861年2月3日~7月25日まで日本の対馬を占領したロシア艦隊。当時ロシアの南下政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣して、ロシア軍を対馬から排除。

1863年 幕末の薩英戦争(英対薩摩)

1863年 哲宗崩御。高宗即位。大院君(高宗の父)政権の成立。

1864年 馬関戦争(英米仏蘭対長州藩)

1866年 ジェネラル・シャーマン号事件。交易を求めた米商船を焼き払い乗組員を朝鮮が惨殺した。キリスト教徒の弾圧(丙寅教獄)。フランスは抗議のため、軍艦・兵士を派遣し、江華島の一部を占拠。

1867年 大政奉還。明治維新

1868年9月8日 明治時代

1873年 大院君追放、閔妃(びんぴ、高宗の妃)を中心にした閔氏政権の成立。

1875年 江華島事件。日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件。

1876年 明治新政府と日朝修好条規を結ぶ。

1882年 米朝修好通商条約。壬午軍乱(壬午事変)起こる。中朝商民水陸貿易章程を結ぶ。

1884年 甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは清軍軍事介入により失敗に終わり、事大派の勝利となる。朝鮮版明治維新は実現に至らなかった。朝鮮人自身の手で近代化をしようとした金玉均(キム・オクキュン)らがクーデターをおこした。金玉均は、失敗して上海に逃亡し暗殺された。

1885年~87年 巨文島事件。英国はロシア艦隊の日本海回航を阻止するため、朝鮮南部のこの島を占領し、砲台を築いた。

1894年6月 東学党の乱(甲午農民戦争)をきっかけに日本派兵し、日清戦争。大院君派と閔妃派の対立が深まる。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。

1894年~95年 日清戦争に日本勝利。下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。

1895年10月8日 親露反日政策をとった閔妃(明成皇后)が日本軍守備隊や警察、訓練隊、大院君等により殺害される(乙未事変)。三浦梧楼の指揮によって殺害されたとする説があるが、諸説あり。

 「三浦公使ノ直話堀口領事官補荻原警部並ニ今回ノ事件ニ関係セル当館巡査及其他確カナル節ヨリ探聞シタル所ニヨレバ抑モ今回ノ事変ハ全ク大院君及三浦公使ノ計画ニ基キタルモノ」(「明治二十八年十月八日王城事変顛末報告ノ件」市川正明編『日韓外交史料5』1981年、170頁)
 三浦梧楼の回顧録「我輩の腹の中では、大院君を中に置いて、大体の改革を仕ようと思つて居るのである。ツマリ大院君を利用して、改革を実行しようと考へて居るのである。併し大院君は幽居同様の有様で、孔徳里に居られたのである。アレを宮中に送るには、ドウしても兵力を要する。素手では行はれぬ。
跡は皆好い
やうに仕て呉れ」と杉村書記官に命じた。(政教社編『観樹将軍回顧録』1925年

 「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言(1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告“國分書記官通訳并筆記”)・「国母を殺したのは、禹範善だ」と現場に居た息子の純宗が証言。(往電31号、後に純宗は刺客を放ち、禹範善を暗殺)・「王妃を直接殺したのは、私です」と実行部隊隊長の禹範善の証言(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)・「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した李周會(朝鮮での裁判)・「計画の首謀者は、大院君だ」(ゲ・デ・チャガイが編集した「朝鮮旅行記」のロシア参謀カルネイェフの発言)。加担した軍人・禹範善は日本に亡命し日本人女性・酒井ナカと結婚、「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」として有名な禹長春(須永 長春)が生まれた。禹範善は朝鮮人の中でも裏切り者とされ1903年、閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。禹長春は渡辺小春と結婚、父の恩人で朝鮮人亡命者を支援していた須永家に養子に入った。禹には6人の子供がおり、四女朝子は、京セラ創業者稲盛和夫に嫁いでいる

1896年 露館播遷(~1897年2月20日)。朝鮮政府をロシア公使館内に置いた。第26代王・高宗がロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとったことを言う。

1897年 日清戦争(1894年-1895年)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める。

1902年1月 日英同盟を結んだ。

1904年2月8日 日露戦争勃発。旅順港奇襲。

1904年8月23日 第一次日韓(大韓帝国)協約を結ぶ。

1905年7月 大韓帝国の高宗の、ロシア帝国への密使が発覚する。
1905年7月29日、桂・タフト協定。韓国には日本が、フィリピンにはアメリカ合衆国が影響力を持つと、相互に認め合う。

1905/8/20 日露戦争(朝鮮半島や満州は、日本の生命線である。その朝鮮半島と満州の制覇を争った、ロシアとの戦争)日本勝利。日本の朝鮮における権益確認韓国を保護国化、関東州の租借権および長春・旅順間の鉄道を清国の同意を得て、ロシア、日本へ譲渡、南満州を勢力範囲とした。遼東半島を租借地とし、樺太南半の割譲。

1905年11月17日 第二次日韓(大韓帝国)協約を結ぶ。外交権を失い、日本の保護国となる。そもそも日本は大韓帝国の外交権なんて奪っていない。日本の保護国となる以前、大韓帝国政府はロシア公使館の中にあり、ロシアに事大してた。ポーツマス条約に従い、ロシアから朝鮮の優越権を委譲されただけだ。

1906年 韓国統監府設置。

1907年 国債報償運動。ハーグ密使事件。高宗が退位し純宗が即位。第三次日韓協約。内政権が日本の管轄下に入る。韓国軍の解散が定められる。

1909年10月26日 韓国統監府初代統監伊藤博文がハルビン駅にて安重根により暗殺される。『馬鹿な奴じゃ』これが伊藤の最後の言葉になった。朝鮮と清国国境が定まる(間島協約)。

1909年12月4日 「韓日合邦を要求する声明書」一進会(百万の朝鮮人会員)

 日本は日清戦争で韓国を独立させてくれた日露戦争でロシアに食べられる寸前の韓国を救ってくれた

 それなのに韓国はこれを感謝しなかった。あの国に着き、この国に着き・・・結局は外交権を奪われる事になった。しかし、これは我々が自ら招いた事態である。丁未条約を締結する事になったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 伊藤博文が韓国の国民を見守ってくれ、皇太子を導いて韓国の為に尽くしてくれた事は忘れられない。

 それなのに暗殺事件が起こってしまった。今後、どんな危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人が自ら招いた事態である。

 ・・・だから劣等国民として保護されるよりも、日本と合邦し大帝国を作ろう。世界の1等国民として日本人と全く同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。

朝鮮併合
1910年 朝鮮併合、日本統治。日韓併合条約を結び、大韓帝国、大日本帝国併合。京城に朝鮮総督府が設置される。

ヘレン・ミアーズ 「アメリカの鏡・日本」より

 ・・・こうした公式記録を見る限り、なぜ、日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的」に行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。・・・

 厚遇された李朝王族。「日韓併合後、そんな心配はいらなかった。大韓帝国の皇帝だった高宗は、徳寿宮李太王と称され、日本の皇族の待遇を受けた。さらに、多くの重臣や功労者たちは華族として叙爵された。また、国王と王室に150万円の歳費と皇室典範を与え、李完用総理をはじめ、侯爵六名、伯爵三名、男爵四五名など計七六名に貴族の爵位を与えた」

(黄文雄,韓国は日本人がつくった,110-111,徳間書店,2002)

伊藤博文の思い
 「朝鮮併合後の維持には日本の国力を超えた莫大な金が掛かる」伊藤博文は朝鮮を近代化させた後独立させるつもりでいた。

伊藤博文の言葉「明治日本の対韓政策」(著:深谷博治)
 「韓国人の誰が、自ら、その独立を主張したのだろうか?そして、韓国人の誰が、自ら、韓国の独立を承認したのだろうか?あるならば聞きたい。韓国人は、数千年来、固有の独立を有していたと主張するが、私はこれを認めることは出来ない。」

 「日本は出来るだけ、韓国を独立させようとしてきた。しかし韓国は遂に独立できなかった。そのため、日本は、日清・日露の二大戦役を開く羽目となった。その結果として、日本は韓国を保護国とした。これを日本の侵略だと言うなら言うがいい。日本は自衛上、本当にやむを得ず韓国を保護国としたのである」

 「そして、世界の大勢を見るがよい。どんな大国も、今日まで一国で世界の平和を維持できるものではない。僅かに、地域ごとに平和を維持しつつあるだけだ。これは、つまり、同盟国の必要な所以であって、もし一衣帯水(距離が近い事を示す)の韓国に外国勢力が影響力を行使するような自体になれば、日本はその独立を危うくするものである。日本は、絶対に韓国が日本に背くことを許すことができない。」

 「しかし、日本は非文明的非人道的な行為をしてまでも韓国を滅ぼそうとするものではない。韓国の発展は大いに日本の望むところであって、韓国自身が国力を身につけ、発展するためならば、韓国は自由に行動してよい。ただ、ここに一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携するべきであるということだ。日章旗と巴字旗(韓国旗)が並び立てば、それで日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を滅ぼすことがあるだろうか?」

 「自分は、本当に日韓の友好を深めるために、誠心誠意尽くそうとしている。しかし、日清・日露の両大戦の際に、韓国は一体何をしたのか?陰謀以外の何をしたというのか?戦争中は傍観者に徹していたではないか?君たち(韓国人)は、日本が、突然やってきて韓国を滅ぼそうとしていると思うのは、一体どのような根拠に基づくものか聞いてみたい」

 「日本は韓国の陰謀を断ち切るため、韓国の外交権を日本に譲れと主張した。だが、日本は韓国を併合する必要はない。併合は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも日本の指導監督が無ければ、健全な自治を遂行し難いと考える」

当時の朝鮮の外交官李成玉の言葉

 現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つ事はできない。亡国は必至である。

 亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝を犬か豚のように思っているが、日本は違う。

 日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。

 そして日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。

 それ以外に我が朝鮮民族が、豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日本と朝鮮の因縁の歴史

 当時日本は、朝鮮を直ちに征服できた。なぜ面倒なことなどせず、直ちに征服しなかったか。台湾、後の朝鮮統治、満州、南京、インドネシア、タイ、ビルマ、インド等への対処が物語るように、対宗主国対策として、有色人種大連合大アジア主義が根底にあった。伊藤博文の言葉は、急迫する弱肉強食有色人危機の時代を、赤裸々に語って余りあり、正確に時代を喝破し見据えている。

1917年3月ロシア革命、ロマノフ王朝倒壊。11月ソビエト政権樹立、レーニン首班。

1918年WW1終戦

1919年3月1日「三・一独立運動」が京城で起きた。統治下最大の朝鮮独立運動。戦国時代の認識欠如、ロシア革命やWW1終戦に刺激された、一部の独立ごっこなので、扇動されたが、すぐ現実に目覚め、5月には沈静した。当時の朝鮮に独立力皆無は、世界の常識、ゆえに戦争もなく統治された!これを隠蔽してのNHKの放送は、亡国奴工作員の証拠。

1919年4月 上海仮政府(大韓民国臨時政府)樹立

1921年金元鳳率いる義烈団が欧州訪問のと途上香港で裕仁皇太子(昭和天皇)を暗殺計画、未遂。

1923年9月1日関東大震災。
 
9月3日 朴烈大逆事件義烈団(上海仮政府テロ組織)の朴烈、裕仁皇太子暗殺計画発覚 拘束。

 統合から13年、「三・一」から4年、関東大震災でも終戦時同様の朝鮮人暴動があり、騒乱の原因を成した(阪神大震災等、地震での理由なき暴動、日本人には無い)。

 
暴動朝鮮人(賎民の下克上)と、日本自警団の闘争で、233人死亡(政府発表)。自警団に無辜の朝鮮人を殺している暇など無い!キジも鳴かずば撃たれまい!

 上海で大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」発行の金承学らが組織した、「罹災同胞慰問団」が秋に調査したとされる虐殺犠牲者6415名が、捏造思想戦「朝鮮人虐殺」元ネタ。

 朝鮮独立運動派が諸外国の外交官にばら撒(ま)いた謀略宣伝用小冊子(ロンドンのナショナル・アーカイブス)には、なんと2万3059人虐殺

 1923年震災時の在日は全国で8万415人、関東地域には約1万2千人、震災地域の人数は約9800人と推定。9月17日(9月1日震災)時点で身元判明朝鮮人は、政府によると総計6797人。

 かんとう大震災犠牲同胞慰霊碑 には、「同胞を虐殺するようにした。在留同胞中で、この凶変蛮行による被害者は6300余名を算え、負傷者に達した。この犠牲同胞の怨念は、実に千秋不滅であろう」と、捏造死亡者数をさらに捏造、虐殺犠牲者数とし、堂々と碑に記した

 震災犠牲
虐殺犠牲にすり替えたのだ。正体暴かれた
は、以後、震災犠牲者皆無の証、捏造の動かぬ証拠朝鮮人捏造白状碑となって、実に千秋不滅であろう

 この捏造数字は、
朝鮮戦争四三等同胞殺しや罪日出自の、隠蔽目的に利用され、日教組や凶産教授等の亡国奴が、無検証で鵜呑みばら撒き、現代に至る。関東大震災、出自自白の下克上が起因の、朝鮮人死亡(虐殺と捏造)事件の顛末である。

 諸悪の根源、族譜破壊もせぬ北朝韓罪日、唯物朝鮮を、まともに信じるは愚か!
日教組、「かんとう大震災時 『「かんとう大震災

李氏朝鮮身分制度が、朝鮮亡国の元凶である。日本では無い。

唯心無き唯物差別の李氏朝鮮を語らず朝鮮や罪日を語るな!人類史上最悪の唯物差別が李氏朝鮮なのだ!唯心日本が破壊した唯心無き唯物差別の李氏朝鮮が戦後捏造を追加して復活(李承晩・金日成・罪日)。韓国罪日凶産は唯物差別捏造で同類。これが諸悪の根源だ。日清日露大東亜戦争は、唯物(凶産・食民治主義)対唯心の戦いで、WW1WW2は唯物対唯物の戦い。

朝鮮は519年間も中国の属国と化し、温室の中で暮らしていたため、事大主義が蔓延し腐り、急迫している弱肉強食の時代を認識できなかった。

 日本は弱肉強食の時代急迫を認識し、幕府という温室を破壊し、弱肉強食の時代に対処した。対処がなければ、未だに日本も同じ運命を辿ったままだろう。朝鮮の対日本対処の差は、時代認識し覚醒した者と、事大温室で温く温くと腐った者との差で、正に『馬鹿な奴じゃ』である。

 朝鮮人や罪日が叫ぶべきは、李朝差別打倒だ、犯日などではない!朝鮮人諸悪根源李朝族譜破壊もせず、嘘の上塗りまみれの朝鮮や罪日に、未来など無い。



亡国の起因冤罪史観破壊!子孫へ遺す真実史観蜂起日本適者生存史目次へ

真実史観1真実史観検証韓国中国北朝鮮愚民化政策隠蔽用対日戦時下日本極悪捏造教育


1真実史観検証韓国中国北朝鮮愚民化政策隠蔽用対日戦時下日本極悪捏造教育

ネットの常識、やっと追試を始めたマスコミ。「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷克美著2010.4.新潮新書。田母神諫言も、ネット常識の追試である。

1朝鮮と中国の真実

 戦犯は、食わざれば食われる弱肉強食の本能剥き出しの時代とコミンテルン(世界を凶産化しようと、革命運動の統一的指導に当たった、レーニン創立の凶産党の国際組織)凶産主義の世界征服の野望と食民治主義だ。日本ではない。唯心無き唯物差別の李氏朝鮮を語らず朝鮮や罪日を語るな!人類史上最悪の唯物差別が李氏朝鮮なのだ!唯心日本が破壊した唯心無き唯物差別の李氏朝鮮が戦後捏造を追加して復活(李承晩・金日成・日)。韓国と罪日と凶産は、唯物差別捏造で同類。韓国WGIP李承晩主義愚民政策党と罪日と凶産主義は、唯物差別捏造が国是だ。日清日露大東亜戦争は、唯物(凶産・食民治主義)対唯心の戦いで、WW1WW2は唯物対唯物の戦いである。

 はじめに一言断っておくが私は日本語を話す中国人、半島の朝鮮人に反日を感じたことは無く親しみの思いしかない。

 日本は大東亜の解放・人種差別を撤廃・進んで資源を開放などの戦争目的ではなく、連合国米英仏蘭ソと同じようにアジア侵略が目的だったと、戦後戦勝国は、総力を挙げてつまみ食い史観で愚民化洗脳した。極悪日本を捏造した。なぜ愚民化洗脳したのか。つまり、比類なき正義の戦争目的アジア解放、人種差別の撤廃、進んで資源を開放は真実だったからだ。南京大虐殺はあったと洗脳した。真実はなかったので愚民化洗脳したのだ。中国抑留者(中帰連)の証言。真実はなにもなかったので、愚民化洗脳して証言させた。中国狂惨党は、宗主国(米英ソ)の手先となり戦ったアジアで唯一つの凶産党である。中国凶産党以外のアジアの国々は宗主国(米英蘭)と戦い人種差別を撤廃・進んで資源を開放し皆独立した。この中国凶産党の負い目が、つまみ食い史観での日本極悪捏造教育や、戦争指導者に対しての執ような戦犯攻撃の原因と成っているのだ。

 洗脳扇動者が扇動し声高に叫ぶ洗脳項目は逆が真実なのだ。洗脳扇動者が扇動し声高に叫べば叫ぶものほどなにも無い、捏造なのだ。原爆投下東京大空襲は史実、真実なので日本人は叫ばない。叫ぶ必要がない。真実だからだ。日本はそれぞれの資料館はあるが反米教育していない。中国凶産党、韓国愚民政策党、北朝鮮凶産党はつまみ食い史観プラス捏造史観で、反日資料館をつくり、愚民政策隠蔽のため、必死に犯日洗脳教育をしている。捏造だから必死に犯日洗脳教育をしているのだ。洗脳は問うに落ちず語るに落ちる、なのだ。叫ぶほど落ちる。NHK、TV朝日、TBS、朝日、毎日などがつまみ食い史観で偏向報道し叫ぶものも、真実は逆なのだ。

 日本よ、日本人よ長きつまみ食い史観と捏造の愚民化洗脳より、 覚醒しよう。

 戦勝国の、すべて日本極悪、日本人愚民化洗脳教育と、西南北(中国・北朝鮮・韓国)犯日洗脳扇動者の、すべて日本極悪、愚民化洗脳教育が一致したため、日本人は捏造された歴史を刷り込まれた。

 日本人は捏造された歴史を刷り込まれた結果、過剰なお詫び、過剰な援助、罪日への過剰な保護を繰り返し、内政干渉までさせている。中国凶産党(六兆円もの経済援助)・北朝鮮凶産党(韓国以上の経済援助を要求)・韓国愚民政策党(1800億円もの経済援助)のあからさまな捏造をいとも簡単に信じた日本を、犯日洗脳扇動者は、今はもう、もてあそんで楽しんでいる。

 捏造された歴史を叫ぶ犯日国に援助している国会と官僚。親日国報道無く、捏造された歴史を叫ぶ反日国報道が非常に多い、中国凶産党、韓国愚民政策党、北朝鮮凶産党に弱みを握られ傀儡と化した売国党やマスコミ、あなた方は日本人なのか。この不条理が分からないのか。原点に回帰し真実史観を身にまとい知識を鵜呑みせず、咀嚼し、真の日本人になれ。日本精神を帯びるのだ、帯びれば卑劣な反日洗脳扇動者の捏造が透けて見える。

 NHK、TV朝日、TBS、朝日、毎日などのマスコミや売国奴党は、アジアで唯一の宗主国(米英ソ)の手先中国狂惨党への日本が侵略を、繰り返すが、侵略しなければ侵略される弱肉強食の戦国時代に、侵略が護国の時代に護国せず米英中ソに侵略されればよかったでも言うのか。物事には必然的に禍福がある、禍福をあざなって判断すべきで、極端なつまみ食い史観で偏向報道を繰り返すマスコミは売国行為だ。戦犯は侵略しなければ侵略される時代で、中朝の非難すべき相手は日本ではなく戦国時代だ。子孫に間違いなく糾弾される売国報道を即刻中止し、直接の戦闘は皆無に等しい中国狂惨党、当時日本統治下の韓国、北朝鮮だけがなぜ反日なのか、戦争を知らない世代がなぜ反日なのか、報道すべきだ。日本を日本人を敵とみなす、対日戦時下教育を報道すべきだ。

NYタイムズとノリミツ・オオニシ

大西哲光「ノリミツ・オーニシ」と日本名を名乗るニューヨークタイムス東京支局反日特派員

「愚弄な日本人諸君ボクを止めてみたまえ、ボクは日本を貶めるのが愉快でたまらない、日本の没落を見たくて見たくてたまらない、醜い日本人に歴史の裁きを積年の大怨に、特定アジアによる裁きを」などと日本をボロクソに言い、朝鮮のことを異様に持ち上げる記事ばかり書く特派員。ニューヨークタイムス東京支局は下記

http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1262656

ニューヨークタイムス東京支局 東京都中央区築地5丁目3-2

朝日新聞社              東京都中央区築地5丁目3-2

 ニューヨーク・タイムズがスターリンをヨイショした実績があり、「誤ったソ連報道でルーズベルトはスターリンの正体を見抜けないまま、米国の国策を誤った結果になった」といわれ、狂惨新聞であることは、すでにネット上でも有名だ。この米国版朝日新聞を世界のメディアとは、もはや誰も認めない。現代版「捏造箱」がニューヨーク・タイムズなのだ。「捏造箱」のロパガンダは、もはや通用はしない。

 ニューヨーク・タイムズと朝日新聞が、スターリンの手先となり大東亜戦争を引き起こした、と言っても過言ではない。朝日はこの事実を隠蔽するため、日本国悪、日本人悪が戦争の原因だ報道を、62年間も続けているのだ。

 それにしても日本名を名乗り反日とは、唯心日本人はそんな姑息なことはけしてしないし、そこまで愚かでは無い。人間もここまで愚かになれるのか。唯物李朝差別民、語るに落ちるの自白である。

捏造の歴史

 捏造された反日・反日洗脳扇動者(中国狂惨党・北朝鮮狂惨党・韓国愚民政策党)のつまみ食い史観で捏造の対日戦時下教育 

韓国愚民政策党・反日洗脳扇動戦時下教育(愚民政策)の成れの果て(愚民政策=為政者が民衆を無知にし、批判力を奪う政策)。

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新潟中越地震被災者に「もっと死ね」「天罰」と言う民族。新潟中越地震の被災者を鞭打つ韓国の掲示板。ちなみに2005年日本で起きた“列車事故”の時も韓国人は同様に日本人が死んだことに大喜びした。阪神大震災の時など、新聞の第一報の見出しが「天罰だ!」だったという目を覆いたくなるような卑しい国民性だ。【1】韓国ってホントに反日? ←報道新聞記事掲載

犯日絵・お絵かき 換言すれば、犯日(捏造史観)は対日本ではない。(中国凶産党・北朝鮮凶産党・韓国愚民政策党)の自国民を洗脳するための政治の小道具として自国内用に北も南も西も用いているのだ、真の歴史を隠蔽するために。反日戦時下洗脳教育を妄信している人は、民族の誇りも無く、戦時下に居り、日本人を人とみなさず敵とみなすため、戦時下のような凶暴な犯罪を引き起こす。韓国の中学生の反日絵(大多数の世界中の人が小学生が書いたと勘違いした、反日お絵かき)も、日本人殺しや日本との戦争を描き、しかもそれを奨励するかのように民主主義を標榜する南で、地下鉄の壁に展示して地下鉄絵画展を開いているのだ。教師も反日扇動者化して、捏造史観で小学生や中学生に日本人殺しを教えているのだ。

 日本人侮蔑の歌が韓国ヒットチャート1位になっているのだ。南が西や北化し戦時下している、日本人は注意しなければならない。親から、幼稚園の時代から日本人殺しの反日洗脳教育をあの韓流スターも受けているのだ。日本政府やマスコミや国民は、歴史の真実を学び、先人を冒涜する土下座外交や自虐教育や自虐報道を即座に中止し、一丸となって反日国民に真実を流布し、災いの元になる、反日戦時下洗脳者を目覚めさせなければなければならない。平和を築くために。

 判断力のない子供に他国民への憎悪を植え付け、それを何の疑問もなく公共の場所に展示するという南(韓国愚民政策党)の社会は、想像以上に精神が、ゆがんで病んで荒廃し北朝鮮化している。反日絵←反日絵出自 韓国は“なぜ”反日か?←(1)に反日絵掲載  韓国を知る(画像編).←愚民政策の成果 韓国の捏造教科書。そのほんの一例 ←台湾の教科書と比較有。

西尾幹二『国民の歴史』  戦場の興奮に基づかない、理念に基づく殺人行為、大量殺戮行為となると、おそらく毛沢東、スターリンの右に出る者はないだろう。最近は中国共産党が自らの誤った歴史を控えめに少しずつ自認する方向に向かっているらしい。『建国以来歴次政治運動史実報告』と題する、中国共産党の内部文献が外部に漏れた。香港誌『争鳴』(1996年10月号)によると、党史研究室、文献研究室、宣伝部、党校理論研究室という党中央に属する4機関が書いた、党幹部向けのマル秘文書である。これが毛沢東の建国以来、文革までの殺戮数は2600万人であったというタブーを認めている(高木桂蔵「虐殺番付横綱・毛沢東の二千六百万人」『新潮45平成9年2月号』)。

 レポートする高木氏によれば、2600万人はきわめて控えめな数字で、アメリカ上院安全委員会が1971年8月に出した調査報告書では、「毛沢東は共産主義の政権を樹立して最初の10年間で3千万人の大衆を殺害し、大躍進から文化大革命直前までの10年間に2千万人、合計5千万人を殺害している」と報告しているそうである。これに文化大革命の犠牲者数を加えれば、途方もない大虐殺数になる。チベットでのジェノサイド(集団虐殺)は今もつづいている。中国の犯罪についての実態はまだまだまったく明るみには出ていない。

 ポル・ポトは毛沢東の最も忠実で実行力ある弟子だった。カンボジア人口800万のうち約250万人を殺戮した。北京政府が背後で指導していたことが世界に知られると、北京政府は突如旧日本軍の南京大虐殺説を持ち出した。終戦から30年後のことである。

 1995年6月、・・・中国の江沢民国家首席は訪中した海部元首相に、ドイツは謝罪し戦争について十分な認識を持っているのに、日本には間違った認識を持っている人がいて、国連安全保障理事会常任理事国入りの障害になるだろう、とドイツを引き合いに出して脅しとも受け取れる言葉を告げた。 

 いったい過去の日本は全朝鮮人の殺戮、全フィリピン人の殺戮、全インドネシア人の殺戮、全マレーシア人の殺戮等々をやったとでもいうのだろうか。海部氏は「日本はナチスとは違いますよ」と一言いえば済むことだった。しかしこの一語がどうしても出てこない。それどころか肚のすわった政治家なら、「ドイツのやったこととポル・ポトのやったこととは同じで、日本の行為とは原理を異にしています。中国のほうが間違った歴史認識をお持ちなのではありませんか」とさらりと言い返すことができたであろうし、またそうすべきであったろう。このときさりげなくポル・ポトの名を暗示するくらいの外交駆け引きの力がなくてなにが政治家であろう。・・・あれ以来、ことあるたびに中韓両国が歴史認識問題で日本を威嚇し、日本政府が謝罪を繰り返しているぶざまさは皆の知るとおりである。西尾幹二『国民の歴史』扶桑社、

1999年

中国の反日画像 ←愚民政策の成果  

 反日(捏造)(戦後の日本の自虐教育も反日である。)扇動者について。植民地であった台湾の歴史教科書は、日本より親日(真実)なのに、西やなぜ日本が守ってあげた南北だけが反日(捏造)なのか、それは決して中華思想(華夷思想・自民族中心思想)などではない。

中国凶産党の歴史教育 中国扇動者の反日(捏造)(愚民化)教育

 例えば、小学校の4年生くらいから高学年向けの読本で、『小学生が知らねばならない中国の十の話』というものがあって、産業とか自然とか歴史とか中国全体のことを書いてあるのですが、その十のうちの一つが「南京大虐殺」という項目で、そこには次のような記述があります。

 「日本の侵略軍は古い城壁の都市の南京を一つの虐殺場にしてしまいました。日本軍は狂ったように人間を殺すことで、自分達の勝利を誇って見せました。日本軍の司令官は公然と部下の悪事を許しました。日本の将兵は我が同胞の中国人を銃撃し、銃剣で刺し、軍刀で首を切り、腹を切り裂き、溺れさせ、焼き殺し、生き埋めにし、色々な残忍な方法で殺しました。殺人ゲームを楽しみ、恥をすっかりなくして婦女を暴行し、12歳の幼い女の子から60歳以上のおばあさんまで逃しませんでした」。小学校4年生でこういうことを習うわけです。

古森義久 「中国の“反日”教育」

 戦後、中国軍はチベットやウイグルや内モンゴルや満州やインドやロシアやフィリピンやベトナムに侵攻したのに、自衛以外の戦争はしたことがない、と教えている。1950年代に毛沢東による大躍進政策で3000万人が餓死した事に関する記述が全く無い。第二次大戦で日本は米国ではなく中国狂惨党軍により敗北させられた、と教えている。日露戦争に関する記述が全く無い。

 中国狂惨党は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」や「中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園」を見学させ、捏造した歴史を中国の子供たちに植え付け、反日を増長させ、戦時下教育をしているのだ。反日扇動者の嘘の歴史を隠蔽するために。

 元寇や、日本がロシアに勝ち満州統治のきっかけとなった日露戦争など、中国反日扇動者に都合の悪いことは削除し、戦争被害を誇大に捏造し、日本を憎めの戦時下教育をしている。ほとんどの中国人が洗脳され、愚民化し、戦時下状態(日本人を人と認識せず、敵と認識する。)に居るのだということを我々日本人は決して忘れてはならない。残虐犯罪が多いのは洗脳されているからだ。

凶産主義や汚点 、隠蔽のための愚民政策 同民族への攻撃や虐殺、言論統制し弾圧、侵略戦争。平和な現代においても他国を占領している帝国主義の隠蔽。中国凶産党にいたっては内モンゴル自治区占領、満州を占領、新疆ウイグル自治区を解放と称し占領。1951年に「農奴解放」を大義名分に人民解放軍がラサに入り、チベットを軍事占領した。1959年中印国境紛争でカシミール・アクサイチンを占領。いまだに占領は解かれていない。1979年中越戦争でベトナムを攻撃。万里の長城以内が中国で、以外は占領地。朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジアのポル・ポト派の虐殺、中印紛争、インドネシアでの凶産革命未遂事件(九・三〇事件)と、ネパール、インドの毛派凶産党援助、戦後に起こったアジアの紛争はすべて中国凶産党が関与し火種になっている。中国は万里の長城以内が中国で、他はすべて占領地なのだ。中国凶産党は宗主国の手先になり戦ったアジアで唯一の国なのだ。日本はアジア解放のために戦った。これらを隠蔽するため、極悪日本を捏造し叫び続けているのだ。

 食民治で無かったのに(朝鮮は1910年の併合条約で朝鮮王朝、朝鮮政府の意思に基づいて、世界が認め、大日本帝国に併合された。食民治で無いので賠償を受ける権利は無いと、世界が認めているのだ)、食民治だったと扇情し被害者を装う歴史教育(真実は志願兵となり産土を思い戦ったのだから日本と同志)。歴史を改竄し子供に憎しみ教育をする事実、事大主義の歴史。

 これら汚点の全てを隠蔽する手段として、反日洗脳愚民化教育を、反日扇動者(中国凶産党・北朝鮮凶産党・韓国愚民政策党)はしているのだ。反日扇動者は、改革開放やインターネットによりこれらの汚点が暴かれ正反対の真実を知られる事を極端に恐れている。現に世界の真実史観ネチズン(network+citizen=netizen=ネットワーク達人)は捏造を次々と暴いている。極端に恐れるあまり、戦時下教育(日本人を人と認識せず、敵と認識する。)で反日を扇情し、敵をつくり、愛国心を高めるることで国をまとめ、過剰反応することで、真実に目がいかぬようにしている。捏造発信者は捏人(ねつじん)でネチズンと区別される。

 近年反日洗脳捏造教育がエスカレートしているのは、改革開放やインターネットの急速な普及が原因だ。反日は真実を隠蔽するための小道具として反日扇動者により繰り返し、使われているのだ。反日洗脳扇動者は民族の誇りまで奪い、民族をロボット化し、愚民化し、搾取している。反日洗脳捏造愚民化教育をし、誇り無き金太郎飴人間を増やし続けている。反日洗脳捏造教育者(宗主国)が労働者(植民地)から搾取しているのだ。

 (中国狂惨党・北朝鮮狂惨党・韓国愚民政策党)の反日扇動者は、反日を叫び嘘の上塗りを繰り返すため、反日(捏造)は日に日に肥大化し現実離れし、世界から孤立化している(自民族至上主義+他民族蔑視思想まで肥大)。肥大化したものは必ず暴発する。暴発防止のために日本の政府やマスコミや我々は、大々的に真実を報道し、反日戦時下洗脳教育の呪縛から人々を解放しなければならない。反日扇動者を決して許しては成らない。なぜなら、大多数が洗脳されれば、日本に戦争を仕掛けるから。暴発し世界の孤児にならなければよいのだが(私が接した日本語を話せる世代の人々は、皆誠実で美しい)。

 がしかし、多くの賢明な各々の国民や後世の人々は、真実を学習し、反日洗脳扇動者を私利私欲反日洗脳扇動者として歴史に刻むことに、早く気づくべきだ、インターネット学習を侮ってはいけない。アジアの人々や世界の人々が皆、反日扇動者の私利私欲な意図を見抜いている。世界の真実史観ネチズン(network+citizen=netizen=ネットワーク達人)は捏造を次々と暴いている。知らないのは反日扇動者(愚民化主義)、捏造発信者は捏人(ねつじん)である、あなた方だけだ。

 犯日戦時下教育を学んだ国民や我々日本人(戦後の日本の偽善者教育や偽善者報道も犯日(捏造)であり、先人冒涜教育である)は皆真実を学ぼう。物事には必然的に禍福が伴う、禍福を学ぶ事で真実が見える。真実は真実だ、誰も翻す事は出来ない。犯日、ハル・ノート、パール判事、で検索しインターネット学習をすれば、1日で真実が見える。

北朝鮮・韓国は食民治ではない。食民治呼称はやめよう。 

 日本の政府やマスコミや我々は、世界が、北と南を(北朝鮮・韓国)賠償国と認めず、食民治と認めず、日本と同志とした真実から学ぶべきだ。同志で救国の戦いをしたのだ。それぞれの産土を守るために。世界中で北と南(北朝鮮・韓国)だけが、責任逃れのため、敗戦国ではなく、戦勝国を装おうため、(これが、反日戦時下洗脳捏造教育の原点だ)、食民治だったと叫んでいるに過ぎない。救国の思いの志願兵を犬死とするのか、戦国時代ほかにどのような選択肢があったというのだ。先人が居たから今がある、先人を否定すれば今は無い。今あるのは先人がいたからだ。マスコミは、まずは食民治でなかったのだから、食民治呼称をやめ、反日扇動者撲滅運動を始めよう。国は真実を追求する歴史研究所を設立し、真実の客観的な歴史認識を世界にアピールすべきだ。そうすることが冒涜し続けた、先人への唯一の贖罪になる。たとえ結果が我々に不利であっても我々は、真実が知りたいのだ。真実、それが日本精神だ。平和のために。真実に気づいたとき平和が訪れる。2006.4.11.

 

世界の真実

世界のgenocide(集団虐殺)指導者は凶産(共産)主義者とヒトラーとトルーマンだ

凶産(共産)主義者=独裁者=愚民化主義者

NO1毛沢東(政敵同胞殺戮5000万人以上+文化大革命の犠牲者+占領地での集団虐殺、知識層殺戮、侵略戦争)

NO2スターリン(政敵同胞殺戮6200万人以上、侵略戦争)

NO4金日成(本名金成柱)(政敵同胞殺戮400万人以上、知識層殺戮)

NO5ポルポト(政敵同胞殺戮250万人以上、知識層殺戮)

独裁者

NO3ヒトラー(民族浄化の妨げになる異民族や、弱者殺戮、600万人といわれるユダヤ人を殺害)

アメリカ大統領

NO6トルーマン(広島、長崎原爆、30万人、大空襲30万人、60万人弱者殺戮

 

2朝鮮の真実 併合までの歴史は下記
1朝鮮南は日本海洋文化圏の一部米の伝播が解明捏造の古代日本史

 財政支援以前 、電気が無かったので線路や電柱は朝鮮には無い。財政支援前後は線路や電柱の有無で分かる。1895年大韓帝国独立後から日本は援助している。独立前は、清国の属国なので出来なかった。

 歴史捏造国家、韓国・写真  History of Korea日本統治前後の朝鮮・写真 日韓併合前後 朝鮮半島写真館←1910年朝鮮統治開始。親日派のための弁明、は必見。日本の統治の良し悪しが、朝鮮、歴史捏造の原点が、亡国民族の凄まじさが、無い無いづくしが、一目瞭然、下記は朝鮮紀行の実写版だ。棒太郎の保管庫韓国KBSの捏造←日本による首都修復開始直後、線路や電柱がある。長男を産んだ女性だけが着れる、誇りの服装が、乳房露出の服装なのだ。画像統治前統治直後の白装束は、皆朝鮮人である。染色技術が普及していなかった。
2につづく

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プロフィール

真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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