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真実史観を子孫へ!スパイ捏造史破壊大和九九年戦争適者生存史

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真実史観米軍皆殺し作戦のサイパンより生き抜いて果てた一日本兵母国への伝言


米軍皆殺し作戦のサイパンより生き抜いて果てた一日本兵母国への伝言

 2007年-2-24。NorthernCaliforniaのDr.夢倉さんより、「61年間誤報道され続けた戦陣訓の真実」のスレッドに、「サイパン戦で玉砕されたと思える一人の日本兵の残した従軍手帳と出会う事がありました・・・御時間のあるときにご覧になられてください」と投稿がありました。「従軍手帖」六十年後に届いた伝言」

 以下夢倉さんのブログより抜粋。実物画像は上記クリック。従軍手帖原文カタカナ。

 ・・・戦争の遺物品を収集するコレクターは多くいる。その事をつくづく実感させられたのは、第二次世界大戦にアメリカ軍が用いたPsychological Operationsに興味を引かれ、それに関する資料をインターネットのオークションサイトで調べ始めてからだった。オークションサイトでは、多種多様な戦争の遺物品が、商品となり数知れなく競売されている。勲章、国旗、軍旗、軍服、軍帽、軍靴、ヘルメット、兵器、銃弾、砲丸、ピン、ワッペン、杯、千本針、ポスター、チラシ、タバコ、マッチ、軍事書類、おそらく思いついた物は大体何でも売られていると言って良い。コレクターが非常に多いこの分野では、その異常な熱気を悪利用する商売人も多く、偽物と思われるものも多くある。私にとって、オークションサイトは、他では目にすることのないものが売られたりする事があるため、資料、情報集めに非常に適しているが、日本兵、アメリカ兵の悲惨な死体の写真までを商品として競売にかけられているのを目にすると、空しさを感ぜずにはいられない。最近(2006年12月)、そういう複雑な気持ちにさせられるオークションサイトで一つの物件に目が留まった。

 簡略化された英語で次のように紹介されていた。

 JAPANESE GROUP「復員軍人がサイパンから持ち帰った日本軍関係の集まり。見てごらん。」 TAKEN ON SAIPAN VET BRINGBACK LOOK

 そのタイトルをクリックすれば、次のWeb Pageに、その内容が写真と共に紹介されていた。アメリカ軍の復員兵が第二次世界大戦後、サイパンから持ち帰ったものだと説明され、一見、携帯用の小さな収納袋、そして、幾つかの自筆で書かれた日本語の書類が写真に写っていた。良く見るとその一つは、軍隊の行動記録のようなものだった。又、サイパンの病院名と栗城キミ子と書かれた領収書のようなものもあった。そして、一種の塹壕の記録と思われる図のようなものがあった。アメリカ軍が撮った、日本人が、捕まえられ捕虜となりるよりもその崖から飛び降り自決したと言われる「SUICIDE CLIFF(自決の崖)」として有名なサイパン島北部に位置するその崖の白黒写真もこのオークションに含めると説明されていた。しかし、最も、私の注意を引いたのは、「日記と思われるようなものがある。(英語に)翻訳してもらっていないのでわからないが、歴史的価値があるかもしれない。」という説明だった。古びた「従軍手帖」の写真が載せられていた。その手帖のページの部分を拡大され写されていた。私は、その写真をさらにズームインして拡大し、目を凝らして、鉛筆による自筆の内容を読み取ろうと努力した。その内容は、予想外のものだった。一人の日本兵がサイパン戦最後に書かれたと思われ、水一滴も飲む事も無く、空腹の苦痛と共に、日本への忠実な思いを綴られたと思える内容だった。残念ながら、その写真では、一部分しか読み取る事ができない。「これら全てが落札した者のものとなる。」と説明されていたが、私は、どうしてもその従軍手帖に書かれた日本兵による記録を全て読みたいと言う気持ちに駆られた。

 その日本兵の「従軍手帖」は、戦後、アメリカ軍復員兵の下で、誰にも読まれること無く静かに眠っていた事になる。しかし、どうして、日本兵が最後の力を振り絞り書いたと思われる従軍手帖が「商品」として売られているのか。このような貴重な歴史を語る遺物品は、決して金銭価値で計れるものではない。戦争の遺物品を収集する事を趣味にする人間の、単なる個人のコレクションのひとつとして埋もれさせてはいけない。サイパンから日本に届けたかったと思われる、一日本兵の最後の言葉を含むこの従軍手帖は、必ず、日本人の元に戻さねばならない。そういう思いで、私は競り落とした。

 従軍手帖は、かなり汚れ、しみだらけで、表紙は擦り切れ破れていた。一ページ、一ページ、丁寧に、破らないよう気を使い、恐る恐る開いていった。その中のページのほとんどが空白のままであったが、Websiteに載せられていた写真どおり、サイパンでの戦線最後まで、その手帖を保持していたと思われる内容が、鉛筆で数ページにわたり記録されていた。

太田兵長、松浦一等兵、安藤一等兵、今井二等兵、室岡二等兵、大高二等兵、柴二等兵。以上が、「敵来襲ヨリ七日間 其ノ間食トラズ 力儘キ此所ニ玉砕ス」と記されたこの従軍手帖に、載せられた日本兵の名前であるが、私には、果たしてどの兵士が、この軍事手帖に記録を残したのかは、わからない。上に名前を挙げた日本兵の一人が記録を残したのか、それとも他の兵士が上の名前の兵士の玉砕を記録した後、その後生き延びた間に最後の日本への伝言と思える記録を残したのかは、私にはわからない。一つ言えるのは、上に挙げた兵士の玉砕の記録は、その後の記録より前のページにあり、後に日本への伝言とも言える記録が続いて綴られている。残念ながら、この従軍手帖には、住所録も含め他に日本兵の名前は記されていない。この「従軍手帖」に綴られた伝言は、鉛筆による直筆を読むことに意味があると思えるので、ページ順に写真を載せる。中には、鉛筆の直筆が薄く、写真では読みづらいところがあるので、その下に活字の説明を入れることにする。

従軍手帖 (1)

上陸 五月二十一日。敵襲 六月十一日。敵上陸 六月十三日

従軍手帖 (2)

太田兵長、松浦一等兵、安藤 〃、今井二等兵、室岡 〃、大高 〃、柴二等兵、敵来襲より七日間、其の間食とらず、力儘き此所に玉砕す。全兵勇戦するも、飛行機と艦砲のため、手が出ず、残念なり。

従軍手帳 (3)

開戰以来敵は飛行機と艦砲とで、夜晝(昼)絶えまなしだ、之には友軍手が出ない。砲丸と、飛行機を避けて穴の中にもぐる、無抵抗の状態だ。敵の発砲数は依然として絶たない。我は外に出られないので穴の中で、乾パンをかじって居る。水等は何日も飲まない、目を盗んで取って来た砂糖キビが何よりの水だ。甘藷も生だ。雨が無いので、之もだめだ。時々逆襲に出るが程んどが駄目になる。歸って来る者は少い。安全な穴に入るのが何よりだ。なるべく深い方がよいが掘るものがないので手で根(?)気に掘る。住民が右往左往している。死体が見にくく(醜く)くずれて転がって居る、全く地獄の有様。敵は大膽(大胆)に低空で飛んで居る。打ちたいが兵器が無い。重火器は最初二―三日で、たたかれてしまった。兵力は段々少くなり、もう三分の一位だ。此の頃の戰死者は、戰って死ぬのではなく、隠れ場を失ってやられるのが多い。赤子の手をねじるようだ。

従軍手帳 (4)

敵の兵器、戰方は全優秀だ。立体化され平面的に高度の聨絡(連絡)が密である。此の点、友軍は尚遠く及ばない。研究しなければならぬ。特に徴報器はとても発達して居る。我々の小さな話声を直ぐ察知して砲彈をくれる。射撃(?)も亦實に正確だ暗夜音の方向に射った彈は、音の附近二十米を離れない位だ。とても活等(?)(吾等)は出来ない。こうした状況下に在って常に思ふのは、どうか友軍機が来てくれ。そうしてあの飛行機と船を追ひはらってくれたら、我々は戰斗が出来るんだがなーと。此のままで居たら自然消滅だ。敵に何等の損害を与へずして全滅するなんて残念でならない。今日で十五日になるが、其の間一回も食事らしいものをとって居ないのだ。然し乍ら(ながら)我々は、死んではならぬことを知って居る。早く死んだ方が己人(個人)的苦痛から逃れることを知って居るが、それさえ出来ないのだ 。今日になって未だ友軍の姿を見ない所を見るといくら待っても来そうにはない。一体此の結果はどうなるのだろう。前途は暗のようだ。

従軍手帳 (5)

此の島が陥ちたら日本の存在は薄氷を踏むが如しだ、どうしても死なれない生キテーーー生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ。母国一億の国民は。帝國へ此の状況はどうしても国民に知らさねばならぬ。此の実状を知ったら凡ゆる不平も怠慢もなくなると思ふ。そうして優秀な兵器をドンドン作らなければ米國を討つことは出来ない。敵弾に飛び散る同胞の最後の叫びを見よ。 國民はまだまだ眠って居る。化學戰は日本人の考へるような簡単なものではない、認識が不足だ。化學偉大なる力を知れ。此の力と日本人の精神力が一つになってはじめて雄者となり得るのだ。

Dr.夢倉さんは従軍手帳や遺品を写真掲載し、ブログを以下のように結んでいる。

 六十年後の今、いや、正確に言えば、1944年(昭和19年)の7月に日本がサイパン戦で敗北した事を考えれば、おそらくこの「伝言」が書かれてから、六十二年以上経過した事になる。サイパンで玉砕した一日本兵の伝言は、それが読まれる事を六十二年間ずっと、ひたすら待っていたという事だ。この日本兵の必死の思いを込めた日本本土への警告は、戦時中、日本に届く事は無かった。もし、それが届いたとしても、おそらく、日本は敗北への運命から逃げる事はできなかったであろう。光陰矢のごとし。昭和は、もうすでに終わりを告げ、今や、その昭和の文化を懐かしく思われる時代にいる。六十二年経った今、この一日本兵の伝言は、遅すぎただろうか。玉砕する寸前まで、「生キテ生キテ生キ抜イテ」という一日本兵の言葉は、21世紀に生きる日本人の私の胸を熱くする。敗戦後、六十二年、決して、その言葉の重みは失われてはいない。私は、この従軍手帖に書かれた数名の日本兵の玉砕を弔うと共に、最後の最後まで生きる事をあきらめず、無念にも玉砕した日本兵の言葉を死なせてはならないと思う。私には、果たして、どの日本兵がこの従軍手帖に最後の最後まで力を振りしぼって伝言を綴ったのかは、わからない。今、私にできることは、できる限り多くの人に、この日本兵の最後の「伝言」の言葉を読んでもらう事だと考えている。そして、私の手で、これらの遺物品を無事、母国日本に帰国させてあげたい。適した施設に寄贈し、「地獄ノ有様」の戦争を知らずに育った日本人、そして、これから生まれてくる日本人に、「生きる」という意味を考える一つのきっかけにしてもらいたいと願う。

 降伏は、まず先に相手の降伏勧告があって、ついで応じて、はじめて成立する。降伏勧告がないのに白旗掲げても、虐殺されるだけで、全く無意味。米軍はほとんどが皆殺し作戦なので、降伏勧告などせず、このように皆殺しにされた。大本営は、米軍の殲滅作戦徹底抗戦し、殉国した名誉を尊び玉砕と報じた。米軍皆殺し作戦玉砕である。アッツ島守備部隊もこのようにして皆殺しにされた。以後日本軍はトンネル作戦に戦術変換、パラオ・ペリリュー島、硫黄島で徹底抗戦した。戦後ベトナムホーチンミンが、この作戦で米軍を排除したのは、真新しい史実である。

投降勧告された兵は、サイパンでも、皆投降している。当ブログ内下記参照。
真実史観玉砕捏造在日犯日工作員思想戦の道具ウィキに寄付は売国奴
真実史観で覚醒偽日本人在日工作員捏造ウィキペディア戦陣訓バンザイ突撃 

主な米軍皆殺し作戦玉砕

1943年5月29日アッツ島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1943年11月22日ギルバート諸島マキン・タラワ守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年2月5日マーシャル諸島クェゼリン環礁守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年2月23日マーシャル諸島ブラウン環礁守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年7月3日ビアク島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年7月7日サイパン島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年8月3日テニアン島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年8月11日グァム守備隊玉砕米軍皆殺し作戦玉砕

1944年9月7日拉孟守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年9月13日騰越守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年9月19日アンガウル島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1944年11月24日ペリリュー島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1945年3月17日硫黄島守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

1945年6月23日沖縄守備隊米軍皆殺し作戦玉砕

 米軍皆殺し作戦に、生き抜いて戦った日本兵を、戦後戦勝国のプロパガンダに洗脳された哀れな子孫と犯日は、先人を犬死に、無駄死に、無駄な戦争と、64年を経た現在でも冒涜し続けている。日本は戦争には確かに負けた。しかし、独立し、護国すると言うことは、日本のように命を懸けなければ達成出来ない事を学び、アジアは戦い、南北アメリカのようにはならず、皆独立した。戦後宗主国が退き、貿易が自由化され、アジアが日本が繁栄している。

 1944年(昭和19年)の7月9日サイパン陥落。サイパンで玉砕した一日本兵は「生きて捕虜となる辱」などの「私心」ではなく、「護国」と言う「公」のために、米軍皆殺し作戦に対し、玉砕の直前まで「此ノ島ガ陥チタラ日本ノ存在ハ薄氷ヲ踏ムガ如シダドウシテモ死ナレナイ生キテ― ― ―生キ抜イテ此ノ島ヲ守ラネバ・・・」「生きて生きて生きて生きて生き抜いて此の島を守らねば」と日本へ書きしるしている。玉砕とはつまみ食い識者がいうところの自殺ではない、米軍皆殺し作戦という定めの中で、生ある限り戦い、自由を希求し、自由に殉じることだ。一人の日本人の熱き想いで発見された伝言は、63年を経て今年(2007年)日本に届いた。子孫は、この熱き想いと、この真実を流布し、この礎石を、未来永劫忘れてはならない。

ここには、先人と子孫、過去と現在、呼応する二つの「公」の感動がある。・・・

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ウィキペディアWikipedia』「戦陣訓」2007年3月30日 (金) 16:10
 ・・・同時に出撃した10名の写真から酒巻だけを削除し、「九軍神」として発表した。日本人捕虜第1号となった酒巻和男の家族は、人々によって「非国民」と非難された。そして、以後に捕虜になった者たちは親族が「非国民」とされるのを恐れ、偽名を申告し、ジュネーブ条約に基づいて家族に手紙を送るようなことも控えることが多かった。と、捏造記載。

 捕虜となったことは文頭のように削除され、終戦まで酒巻だけでなく皆、公表されなかったので、家族を「非国民」と非難することなど、出来るわけが無い。戦時下日本兵には一人も捕虜がゐない、と宣傳されていた。捕虜公表一切皆無は、明白な事実だ。これはまさしく侮日のための
ウィキペディアの巧妙な(事実の中に嘘を混ぜ込む真相箱の手法)捏造宣伝だ。捕虜になっての偽名や家族への音信不通は、捕虜は公表されていないので、自分たちだけが捕虜になったのだという、うしろめたさがそうさせた。また捕虜同志の面子もあり、おのずとそうなった。

・・・そして、戰爭中、敗戰によつて眞相が暴露されるまで、日本兵には一人も捕虜がゐない、といふことがまことしやかに宣傳されたのである。しかし、兵隊として各地を轉戰した私は、多くの戰友が捕虜となつて敵軍中にゐることを知つて居り、戰場では捕虜たるべき状態は不可抗力であることも知つてゐた。火野葦平著「バタ
アン死の行進」小説朝日社P.24

戦陣訓『
ウィキペディアWikipedia』の捏造 

 戦陣訓で示された規範に付いては『軍人勅諭』の内容とほぼ同じであるが、『国史大辞典』は『生きて虜囚の辱を受けず』の徳目を例にあげて「(軍人勅諭)を敷衍「ふえん(分かりやすくし広める)」するための説明であるという態度をとっているが」、「新たに強調した徳目も多い」としている。・・・当時は単に「軍人勅諭」の「施行細則」とのみ意識し、「新たに強調した徳目」に気づかぬ者もいたのである。国史大辞典編纂委員会『国史大辞典』第8巻(吉川弘文館、1987年)、441頁。

 
(注・戦後42年後の1987年の辞典を引用し、規範の「軍人勅諭」に「降伏禁止」の記載が一切無いため、「新たに強調した徳目も多い」と、「降伏禁止」がさも書かれてあるかのように辻褄あわせのための捏造をしている。語るに落ちて捏造を自ら白状している。臣東條や臣今村に、規範の「軍人勅諭」を無視し、改竄は不可能。ウィキペディアの巧妙な、事実の中に嘘を混ぜ込む真相箱の手法だ

 「アッツ島玉砕をつたえる朝日新聞1943年5月31日朝刊には、『一兵も増援求めず。烈々、戦陣訓を実践』との見出しを見ることができる。(谷荻報道部長の談話) 」

 「注・ここで朝日新聞が戦陣訓(虜囚の辱は表に出さず、戦陣訓と婉曲表現しているところが、実に巧妙だ)の内容を降伏禁止と捏造したため、1944年7月3日 
サイパン島守備隊南雲忠一海軍(戦陣訓示達陸軍のみ)中将が捏造報道を信じ、下記の訓示(公私混同)となった。アッツ島以後、サイパン、カウラ、沖縄などの自決を戦陣訓起因とするなら、悲劇の原因は、朝日新聞捏造報道だ、戦陣訓ではない。ウィキペディアはこの資料を戦陣訓=降伏禁止の証拠としているが、訓示(公私混同)の元ネタは捏造報道だ。だから(公私混同)下記の訓示となった。戦陣訓はを訓える目的で作成したもので、を訓えるためのものではない

 
1944年7月3日 サイパン島守備隊南雲忠一、斉藤義次中将連名「サイパン島
守備兵に与える訓示」

 「断乎(だんこ)進んで米鬼(べいき)に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱を受けず(私)』。勇躍全力を尽して従容(しょうよう)として悠久(ゆうきゅう)の大義(公)に生きるを悦びとすべし。」ウィキペディア最終更新 2008年4月26日 (土) 01:24。


「戦陣訓」原文

『第八 名を惜しむ 

 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。きて虜囚のを受けずして罪禍の汚名を残すこと勿れ。』


ウィキペディアの解釈=これは解釈ではなく、捏造だ。

以下、解釈が分かれているので両論並記とする。(ただし、2つ目のものは現時点では論拠が不明な個所が多く、事実性・信頼性は低い。)

 1・「郷党家門の面目を思い、捕虜となって恥を晒したり、捕虜として相手に協力してあとでその罪を問われるようなことが無いように覚悟している者は強い。だから強くあるためにはそのような覚悟をしておけ。」という意味である。

真実史観検証・捕虜として相手に協力してあとでその罪を問われるようなことが無いように覚悟している者、原文に記載なし。だから強くあるためにはそのような覚悟をしておけ、原文に記載なし。原文に記載の無いものを記載するのは、解釈ではなく、明々白々な捏造だ。)

 2・「軍人として恥ずかしい行いをすれ、捕虜になった時はもちろん、死んでからも罪禍の汚名を着ることになったり、同郷の者や故郷の家族から面目の立たない事になるのであるから、そういった軍人として恥ずべき行いはやってはいけない。」という意味である。

真実史観検証・恥ずかしい行いをすれ、原文、汚名を残すこと勿れ。捕虜になった時はもちろん、原文に記載なし。罪禍の汚名を着る、原文、汚名を残す。同郷の者や故郷の家族から面目の立たない事になるのであるから、意味不明。原文無視の捏造意訳)

真実史観の解釈

 大正6年初版昭和15年改訂の講談社大字典には「虜囚」・とりこ(イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民えびす)字源・形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。と記載されている。捕虜戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の記載皆無。

 第八 名を惜しむ 恥を知る者は強し。常に郷党 
〔きょうとう(同郷の人々)〕家門〔かもん(家柄)〕の面目〔めんもく(名誉)〕を思ひ、愈々〔いよいよ(ますます)〕奮励〔ふんれい(はげむ)〕して其の期待に答ふべし。きて(生きてる時も)虜囚の辱(りょしゅうのはずかしめ)〔皇軍の兵が、罪禍(法律)を犯し、日本国の囚人となり、実刑で服役するような軍人としての恥ずかしい汚名。〕を受けずして(死んだ時も)罪禍〔ざいか(法律や道徳に背いた行為)〕の汚名を残すこと勿(なか)れ。』

『第八  名を惜しむ(名誉の尊重)

 恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように。』真実史観意訳

ウィキペディア戦陣訓捏造宣伝工作会議 このサイトがノート戦陣訓で右翼にされてますよとの読者の連絡、そのまま下記に貼り付けました。

 ・・・これは右翼などののブログの、戦陣訓は国民と海軍は全く知らず、陸軍でも一部の者しか知らなかったら、「戦陣訓」で自殺した者は皆無であり、
東条英機にはまったく罪がない、という主張を補完する論調でした。例1例2例3 。世間にこのような歪曲された情報が流れている以上、きちんと研究の成果によって明確になっている情報を提供するべきだと思います。ですから、「生きて虜囚の辱めを受けず」の項目は縮小よりも、詳説が望ましいと思います。それから、「出典」が出てくるまで待つことには異論はありません。--Kafuka1964 2007年4月2日 (月) 01:17 (UTC)修正--Kafuka1964 2007年4月2日 (月) 01:20 (UTC)   

 ・・・とにかく、現状では「戦陣訓は必ずしも重要視されていなかった」証拠を示せば、「戦陣訓が自決を強いる思想では無かった」ことが正しい、と誤解しかねない表現になっているので、修正したい。(上記の歪曲された情報がこの論理を展開しているので、間違っていることをはっきりさせたい) Kome 
 2007年4月2日 (月) 15:20 (UTC)

 それが一番きれいなまとめ方に見えそうですね。賛成です。それと、個人的には出典でてこなければ解釈2は削除するのが正しいあり方だと思うのですが、変な話、ぶっちゃけこのままおいといてもいいのかなとも思ってます。というのも、解釈2を消して解釈1のみにすると、上記の右翼ブログを見た人、または関係者が、
Wiki
の解釈は間違っている、として改変してぐちゃぐちゃになるような気がしまして。いまのように併記でのせておけば、普通の人は解釈1と2でどっちをとるかといえば、1をとる(理論的に自然なほうをとるので)と思いますので、それほど2を載せても心配することはないように思いますが、どうでしょうか。(もちろん、タブをはったままは問題あると思うので、出典がわからない、または一部の人の解釈である旨を文章で補足するような形に直して)まあ、まだ書いた人が出典出してくるのを待つのが先の話ですが。218.139.18.40 2007年4月2日 (月) 16:28 (UTC)ノート戦陣訓  

 例1、はこのサイト。例2例3
は「戦陣訓の検証」を筆者が投稿した掲示板です。このサイトでは一字一句戦陣訓に関して検証し、理由も述べています。検証には検証で答えるのが礼儀でしょう。検証もせず、いきなり「右翼」「歪曲された情報」とは。「歪曲された情報」と非難するのなら、どうしてあのような飛躍した捏造解釈になるのか、ウィキペディア解釈の根拠をまず示すことだ。そしてどこがどう歪曲なのか、事例を挙げ検証し、筆者が挙げた理由に反論するのが道理でしょう。どうやらこの方々は検証姿勢皆無で、既設の固定観念が先にあり、そこに帰結しようと捏造工作しているようだ。

 このような意見もあるので、みんなで検証してみようではなく、「右翼」「歪曲された情報」と決め付けている。語るに落ちている。
ウィキペディア基本方針「偏見を避ける 。中立的な観点に基づいて記述されなければならない」が欠如。偏見記述となっている。東条英機
が鍵となっているので、今後どのように偏見記述し「思想戦」を展開するのかお手並み拝見し、「思想戦」に備えましょう

 読者より、2の戦陣訓解釈の間違いや、特異な一人のご指摘等たくさんありましたが、すでに読者の皆さんは、語法の異なる一人に気付かれたことでしょう。囁かれている
ウィキペディアに潜む闇がついに馬脚をあらわしたようだ。捏造宣伝し、つまみ食いし、「思想戦」を展開するウィキペディア、鵜呑み危険。

戦陣訓とリンクさせるため戦後マスコミに捏造されたバンザイ突撃

 戦時下バンザイ突撃などと言う日本の作戦は無い。日系二世部隊第442連隊が、絶体絶命の苦境に立たされた時、一斉射撃のあと、銃剣を着けて掛け声気合をかけて、勇敢に突撃するので、(banzai attack)、または(Banzai charge)と呼ばれ勇敢な日系二世部隊の代名詞となっていた。弾は尽きても最後の最後まで生きて、生き抜いて弁慶のように戦い、死中に活を求め、戦い抜いて果てた日本軍人の勇敢に戦うさまを、米軍が日系二世部隊になぞらえて、良い意味で呼称した。

 

 日系二世は皇民化教育、戦陣訓教育一切皆無なのだ。このことはつまり、後付けの皇民化、戦陣訓など一切無関係で、日本民族は死中に活を求めて戦う民族であることを証明している。思想教育などでにわかに後付けされたものではなく、いにしえより流れる日本民族由縁の魂であることを物語っている。 日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦←戦い方が日本軍そっくりだ。

 

 戦後マスコミは戦陣訓とリンクさせるため、自殺のための攻撃と貶めて報じ、「バンザイ突撃」なる作戦があったかのようにを捏造し、報道した。死中に活を求めた戦いを、自殺行為と貶めた。結果下記の、ウィキペディアの巧妙な(事実の中に嘘を混ぜ込む真相箱の手法)捏造記述となった。戦い抜いて果てた先人に、こんな冒涜をする子孫は、世界中で日本人だけだ。何と異常なことだ。先人冒涜者は本当に子孫なのか、疑わざるをえない。捏造宣伝し、つまみ食いし、「思想戦」を展開するウィキペディア(捏造事典)の記述、鵜呑み危険。

 ・・・最初から全滅を覚悟して行われる場合が多い。自滅的攻撃と解釈されるのが一般的である。

 ・・・狂信的な兵士達の理解不能な自殺行為として恐れられた。
フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 
ウィキペディアの創始者のジミー・ウェルズ(40)は「慈善的に人間の知識を集める事業であり、ブリタニカと同様以上の質をめざして努力している。ただ、百科事典(ウィキペディア)の引用は学術研究の文書には適切でないと言い続けてきた」と話す。  『ウィキペディア(Wikipedia)』頼み、誤答続々米大学が試験で引用禁止2007年02月23日
 

 
フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』(捏造事典)は百科事典とは呼べない代物だ、鵜呑みキケン。ウイキペディアは誰でも編集可能。狂惨党、愚民化政策党は徒党を組んで、捏造文章を作成している。 また、その捏造文章を、削除すると、書き込みブロックなどをされて書き込みを出来ない状態にされる。ウイキペディア は捏造の巣窟だ。名称は「捏造事典」がふさわしい。特に、アジアの捏造集団、狂惨党、愚民化政策党、侮日に関するものは、逆が真実だ。
世界に広がれ韓流の輪 ウィキペディアとの闘い

主語を無視し、軍に媚びた、鼓舞や迎合目的の解釈

生きて虜囚カウラ戦陣訓に非ずアサヒル朝日捏造記事が悲劇の元凶


辞書が戦後の捏造を完全に暴露、辞書が断定した真実は、当ブログ内下記。
戦陣訓虜囚の辱意味変化辞書記載し証明捕虜解釈を否定捏造実

 

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真実史観生きて虜囚の辱意味戦陣訓真実囚人を敵に捕まると63年間捏造仮想現実界


戦陣訓虜囚の辱の意味戦陣訓本意囚人を捕虜と63年間捏造(つまみ食い)報道

 「生きて捕虜の辱」
そんな「私心」で玉砕したのではない。生きて生きて生きて生きて生き抜いて護国「公」(義)のため戦ったが、最後に力尽きて、結果が玉砕となったのだ。皆「公」、『軍人勅諭』「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ其「その」操「みさお(定めた意志を固く守ってかえないこと)」を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」に対しての殉死だ。「義」(公)は死よりもはるかに重い、「公」(義)を果たさない汚名を受くるなかれと『軍人勅諭』は述べている。

 「義」(公)は死よりもはるかに重い『軍人勅諭』の皇軍の兵に、臣(けらい)東條英機は手本の『軍人勅諭』を無視し、「義」(公)の為ではなく、「私心・私利私欲」捕虜になるのは辱で死ねと教え(訓)たというのだ。規範の『軍人勅諭』を完全否定ヒトラーはスターリングラード戦で、直々に「降伏禁止令」という、 狂気の極みとも言える命令を出し、凄まじい悲劇となった。東條英機をヒトラーと 同罪にするため、ただの単なる教え(戦陣訓)さえも、「降伏禁止令」であるかのように報道させた。明々白々な捏造だ。

 軍人が敵の捕虜になる場合は、投降(戦時下の降伏と、終戦のための降伏)と負傷(戦時下)により捕虜になる。気を失ったり、動けない負傷者までもが捕虜にならず死ねとは、動けないのに自殺などできない。終戦後も捕虜とならないで自殺せよ。こんな無茶苦茶な実現不可能な命令は、どこにも無いし、在りえないし、誰一人実行しなかった(戦陣訓ごときが原因で、だれも自決していない。
東条英機が自決の理由「私心」にしたのは訳があったからだ。アメリカの東條英機自殺捏造の項目参照)。実現不可能な命令は、命令にならないので、出すはずが無い。結果、古今東西の歴史上に、こんな命令は存在しない。訓(教え)を命令にすり替えた、捏造だ。

 戦陣訓を過大評価しすぎです。皆さんは紙切れに書かれた1/2行で死ねますか?。

 命令としては存在し得ない命令を、あたかも在ったかのように61年間マスコミと咀嚼せず鵜呑み知識の鵜人と反日が、撒き散らし続け、終戦後戦陣訓を一人歩きさせた。結果嘘が定説となってしまった。 

 日本のマスコミと鵜呑み知識の鵜人は、戦争をあおったことによって、戦後、戦犯として処罰されることを極度に恐れていた。だから、戦争責任を逃れんがために、責任を軍人に全て押し付け、米軍に迎合し、プロパガンダ(捏造宣伝)に励んだ。後に、反日が侮日目的で便乗した。

 「捕虜となるよりは自殺せよ」は、戦時下一部マスコミがつまみ食いし、戦後に、米軍とマスコミと反日に、大々的に捏造宣伝されたものだ。

 軍人が不可抗力で敵の捕虜になることと、軍人が罪禍「ざいか(法律や道徳に背いた行為)」を犯し日本国にとらわれ処罰される事と、皆さんは、どちらが軍人としての虜囚の辱(はずかしめ)だとおもわれますか。

 「戦陣訓」示達の目的。
中国戦線での軍紀の乱れを正すため、陸軍軍人だけに示達された。大東亜戦争の為にではない。内容は、「盗むな・殺すな・犯すな」を、「訓」なので直接表現せず、婉曲表現している。命令ではなく、法律でもなく、単なる「訓(教え)」である。

戦陣訓・文意からの考察

戦陣訓

『第七 死生観
 死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。
 生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容〔しょうよう(ゆったり)〕として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。

『第八 名を惜しむ 

 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。』

『第八 名を惜しむ

 恥を知る者は強し。常に郷党〔きょうとう(同郷の人々)〕家門〔かもん(家柄)〕の面目〔めんもく(名誉)〕を思ひ、愈々〔いよいよ(ますます)〕奮励〔ふんれい(はげむ)〕して其の期待に答ふべし。生きて(生きてる時も)〔虜囚の辱〕(りょしゅうのはずかしめ)〔皇軍の兵が、罪禍(法律)を犯し、日本国の囚人となり、実刑で服役するような軍人としての恥ずかしい汚名。〕を受けず、死して(死んだ時も)罪禍〔ざいか(法律や道徳に背いた行為)〕の汚名を残すこと勿(なか)れ。』 補筆真実史観

○戦陣訓第八の意訳文

『第八  名を惜しむ(名誉の尊重)

 恥を恥として知ることは強い。いつも故郷の人々や家族の名誉を忘れず、ますます奉公にはげんで、生きてる時も、皇軍の兵が法を犯し囚人と成るような辱めを受けず、死んだ時も、罪や過ちの汚名を残さず、恥を知り、名を汚さず、故郷の、戦功の期待に答えるように』 真実史観意訳

 『第七 死生観・生死を超越し・・・悠久の大義(公)に生くることを悦びとすべし。』と教え『第八名を惜しむ・捕虜は辱(恥辱)(私心)なので捕虜にならず(大義でなく私心で)死ね。』こんな矛盾した解釈は成立しない。明白な捏造だ。

 広辞苑で虜囚を引くと、「とらわれた人(とらわれ人・囚人・めしうど)(主語が日本)。とりこ(生け捕りにした者・敵国に捕まえられた者主語が日本と敵国)。捕虜(敵国に捕まえられた者・生け捕りにした者)」主語が日本と敵国)」と出てくる。虜囚、は、日本国の囚人(罪科を犯し捕まえられた者と、とりこ、捕虜(生け捕りにした敵国に捕まえられた者の意味があるということになる(戦後61年後の現代においては)。意味が混濁しているのが判明する。言葉の意味に能動と受動相反する意味が存在することはおかしい。どちらかが後付けされた意味で、本来の意味から変化したものだ。辞書を繰ると「虜囚」の最後尾は「捕虜」、「捕虜」の最後尾は「とりこ」、「とりこ」の最後尾は「捕虜」。仮説とぴたり一致した。辞書は皆、新しい意味を書き足す、書き足された意味を外して整理してみよう。

 虜囚の意味「とらわれた人(とらわれ人・囚人・めしうど)(
主語が日本)。とりこ(生け捕りにした者)主語が日本)」となり明確になる。「捕虜」の意味は敵国に捕まえられた者となりこれも明確になる。意味の変遷は時代の証人。捏造の巨魁は報道屋。なんと辞書が暴いたのだ。

 なぜ虜囚を用いたか?。類語には、「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」、「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)」、「捕虜・俘虜(ふりょ)・虜(とりこ)」、がある。 

 「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」は、明らかに囚人だ。 

 「捕虜・俘虜(ふりょ)」は、明らかに敵国の捕虜だ。 

 「虜囚・囚虜・俘囚(ふしゅう)・とりこ」は、日本国の囚人と敵国の捕虜両方の意味が有るという(戦後61年後の現代においては)。 

 誇り有る軍人の訓だ。生きて「囚人・囚徒・獄囚・囚人(めしうど)」の辱、とは余りにあからさまで、使えない。やはり、格調高く、響きも良い(旅愁を連想)、「生きて虜囚(とらわれた人)の辱」、しかない。しかし、この格調の高さが、婉曲表現となり、あいまいさとなって、つけ込まれ、マスコミの歪曲(つまみ食い報道)の起因となった。兵士の中にも、つまみ食い読みをしたものがいた。この項最終章の「カウラの大脱走」も、そうだ。格調の高さが、婉曲表現となり、あいまいさとなって、悲劇を生んでしまった。 「サイパン島守備兵に与える訓示」のように「捕虜の辱め」は「私心」なのに、捕虜とならないで死ぬこと(私心)が、あたかも大義に準じるかのように混同して訓示した者もいた。下記赤字「大義」で黒字は「私心」だ。なんと中将クラスでさえも、内容を理解していなかったのだ。戦陣訓の内容理解度は、推して知るべしだ。 

1944年7月3日 サイパン島守備隊南雲忠一中将、斉藤義次中将連名「サイパン島守備兵に与える訓示」    
 「断乎(だんこ)進んで米鬼(べいき)に一撃を加へ、太平洋の防波堤となりてサイパン島に骨を埋めんとす。
戦陣訓に曰く『生きて虜囚の辱を受けず』。勇躍全力を尽して従容(しょうよう)として悠久(ゆうきゅう)の大義に生きるを悦びとすべし」

「1943年5月29日 北海守備隊第二地区隊山崎保代大佐発令
 非戦闘員たる軍属は各自兵器を採り、陸海軍共一隊を編成、攻撃隊の後方を前進せしむ。共に生きて捕虜の辱めを受けざるよう覚悟せしめたり 」(注・戦陣訓の虜囚の辱ではない、捕虜の辱めをと、なっている。この発令はウィキ以外は、見当らず出自不明)。
 マスコミの部分つまみ食い報道の「生きて虜囚の辱めを受けず」には、「生きて虜囚(A敵国の捕虜となった辱め。B日本国にとらわれ囚人となった辱め)を受けず」とA・B二つの解釈が成り立つのだが
(戦後61年後の現代においては)これまでマスコミは降伏禁止の、Aの部分をだけを戦後拡大偏向つまみ食い報道してきた。

 しかし全文は上記である、文意が合わない。

 生きて・・・死して・・・勿(なか)れ。

 生きている時も・・・○を・・・受けず、死んでも罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ。

 簡略すると、「生きても○ず、死しても罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ。」と呼応し、○を強調した文なので、○=罪禍の汚名となる。「A敵国の捕虜=罪禍(法律や道徳に背いた行為)の汚名」では一致しない。B皇軍の兵が罪過(法律)を犯し、日本国の囚人となり、軍人としての恥ずかしい汚名=罪禍(法律や道徳に背いた行為)の汚名となり、一致する。この場合罪禍=『戦陣訓』示達の目的 「(盗むな)(殺すな)(犯すな)」になる。

 結果、生きている時も・・・「皇軍の兵が、罪禍(法律)を犯し日本国の囚人となり、軍人としての恥ずかしい汚名」を・・・受けず、死んでも・・・罪禍「ざいか(法律や道徳に背いた行為)」の汚名を残すこと勿(なか)れ。となる。

 生きて(法律に背く)の汚名、死して(道徳に背く)の汚名=罪禍「ざいか(法律や道徳に背いた行為)」の汚名を残すこと勿(なか)れ=『第八 名を惜しむ』表題と、呼応した文となる。

 戦陣訓戦後の定説は、虜囚の辱=敵国の捕虜。軍人が敵国の捕虜になる場合は、A戦時下の投降(部隊・個人)、B戦時下の負傷のため投降(個人)、C終戦による投降(国の敗戦)と、戦後の定説(虜囚の辱=敵国の捕虜)では三者三様の捕虜になる。Bは動けず実行不可。Cは終戦なのに自殺せよと矛盾し実行不可。よって、(虜囚の辱=敵国の捕虜)は成立せず。
 規範の明治天皇の「軍人勅諭」に一切明記の無い(降伏禁止)を、陸軍大臣家来)東條示達の「戦陣訓」に記載は出来ない。それでも(降伏禁止)記載ありと主張するのは、捏造以外の何ものでもない。

 訓より上位の陸軍刑法、海軍刑法、法にも「降伏禁止」は、一切記載無し。無いものを有りとするのは、捏造以外の何ものでもない。

 大正6年初版昭和15(1940)年改訂の講談社大字典には「虜囚」・とりこ(イケドリ、シモベ、イケドル、生擒ス、化外ノ民えびす)字源・形聲。虍と母と力の合字。敵を生きながら捕らえ来ること。母は貫の本字にて敵を数珠つなぎに貫き連ぬる意ならん。力は腕力にて引率する義虍は音符。と記載されている。捕虜戦争で敵に捕まえられた人(捕まった人)」の記載皆無。

 上記の文は下記サイトの要約です。『戦陣訓』、アメリカの東條英機自殺捏造の詳細は下記。
真実史観日本護国史戦勝国歪曲党売国党狂惨党に仕組まれ捏造された大東亜戦争

http://www.tofu-ryohin.co.jp/siten.htm

 「今こそ戦後の呪縛を断ち切れ」といくら叫んでも侮日プロパガンダ・捏造戦陣訓が有る限り無駄なのです。NHKを初めとする戦陣訓責任転嫁捏造報道は、日本国民の心を傷つけ、相当に罪深いものがあります。今、日本国民は、パール判事の予言のように、歪められた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流されて生きています。このままでは、あまりにも子孫が哀れです。
インドパール判事ラダ・ビノード・パール) 

「意見書の結語」

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には

また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には

その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら

過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求す

るであろう

 昨年、虚偽の「戦陣訓」の、その仮面を剥ぎとりました。戦後62年の今年は、正義の女神の出番です。正義の女神となり、今年は、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求しなければなりません。上述のように国民は戦陣訓で病んでいます。多くの正義の女神の助けが必要です。マス・メディアや国民は戦勝国のプロパガンダを62年経ても未だに引きずっています。日本人の心の戦後は、いまだ訪れてはいません。まず真実の戦陣訓の流布。真実の戦陣訓に覚醒すれば、他は自ずと覚醒します。

 終戦62年後の今年、正論で戦勝国のプロパガンダを絶ち切り、正義の女神となり、真実の戦陣訓を流布し、日本人の心の戦後を迎えましょう。そして、子孫に実事求是の真実の歴史を残しましょう。

辞書が戦後の捏造を完全に暴露、辞書が断定した真実は、当ブログ内下記。

戦陣訓虜囚の辱意味変化辞書記載し証明捕虜解釈を否定捏造実証

1943年5月31日朝刊朝日新聞捏造記事。

 なお、アッツ島玉砕をつたえる朝日新聞1943年5月31日朝刊には、「一兵も増援求めず。烈々、戦陣訓を実践」との見出しを見ることができる。(谷荻報道部長の談話)」戦陣訓 - 。谷荻大本営報道部長の放送で、談話ではない、ウィキ捏造。放送内容に「一兵も増援求めず。烈々、戦陣訓を実践」は一切皆無、ウィキ捏造朝日の記事が二ヶ所で戦陣訓を引用し、「虜囚の辱」をアッツ島米軍皆殺し作戦(玉砕)と結び付けている。Wikipedia

1943年5月31日朝刊朝日新聞捏造記事以後「虜囚の辱=降伏禁止」が、兵士としての建前「最後まであきらめずに戦う」(現代の戦うスポーツ選手の標語と同じ)と結合し、日本軍の一部は、この記事で洗脳された。 
国民の一部も、朝日新聞捏造記事で洗脳された。

沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実・WAC・曽野綾子著

 「・・・『生きて虜囚の辱めを受けず』という言葉を、少なくとも私はあの時代に疑ったことはなかった。まだ13才と何ヶ月(1931年生まれ+13歳で1944年の出来事である)の少女だったから見抜く力がなかった、と私は言わないつもりである。私がもっと分別のある年頃であったとしても、私はその言葉に虚偽的なものを感ずる能力はなかったと確信している。なぜなら私はそのように育てられ、それ以外の価値観がこの世に存在することを知らないに等しかった・・・」

 このような朝日新聞の捏造報道で、虜囚=捕虜と雲忠一中将のように信じてしまった人もいる。後述するが当時の「虜囚」は敵を生きながら捕らえ来ることで、敵に捕まえられる受動の意味皆無。活字が糧の新聞屋が、知らなかったと言ったら嘘になる。当然知ってて捏造した。朝日新聞は戦前も戦後も、捏造の巨魁だ。ウイキペデアの虜囚=捕虜は、この報道や南雲忠一斉藤義次中将の訓示を、根拠にしている。報道1943年5月、訓示 1944年7月、中将が、この報道を知らなかったはずは無い。新聞屋の捏造報道が、ウイキペデアの根拠なのだ。ウイキペデアは右翼左翼発言多発(ノート)、WW2史は侮日捏造団の巣窟、逆が真実だ。

 

主語を無視し、軍に媚びた、鼓舞や迎合目的の解釈

生きて虜囚カウラ戦陣訓に非ずアサヒル朝日捏造記事が悲劇の元凶

 

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真実史観大東亜戦争賠償実績と吉田茂と岸信介と佐藤栄作


大東亜戦争賠償実績と吉田茂岸信介佐藤栄作

これまでの賠償実績 国名 賠償額 供与 補償 当時の政府予算

 

○ビルマ(ミャンマー) 賠償720億円(1955~65)借款180億円(1955)無償援助504億円(1963)借款108億円(同上)1兆182億円(1955)3兆442億円(1963)

○フィリピン 賠償約1980億円(1956~76)借款900億円(1956) 1兆692億円(1956)

○インドネシア 賠償803億円(1958~70)※賠償は日本の対インドネシア債権637億円を棒引き借款1440億円 1兆3315億円(1958)

○ベトナム 賠償140億4000万円(1959~64)借款59億7600万円 1兆4950億円(1959)17431億円(1960)

○カンボジア 15億円供与(1959)

○ラオス 10億円供与(1958)

○マレーシア 約29億4000万円無償供与(1967)

○ ミクロネシア 18億円拠出(1950)

セイロン(スリランカ)、インド、ラオス、カンボジアなどが賠償請求権を放棄した。

○シンガポール

○モンゴル50億円無償資金援助(1977) 

○スイス 補償約11億円(1955)

○スペイン 補償約20億円(1957)1兆1867億円(1957)

○スウェーデン 補償約5億円(1958)

○デンマーク 補償約3億円(1955)補償約4億2300万円(1959)

○オランダ 補償約36億円(1956~60)

○大東亜戦争主犯は、ソ連や中国の狂惨党なのだ。中国蒋介石日本米国は、被害者だ。日本の主要交戦国だった米・英・仏・中らは賠償金請求を放棄している。とくに蒋介石は、500億ドルの賠償金を放棄したうえ、日本の軍属と日本人居住者二百十万人を無事に日本に帰国させた。

○韓 国 (1965年)韓国へODA1998年度まで有償資金協力6,455.27億円、無償資金協力47.24億円、技術協力実績239.94億円もの経済援助開始。愚民化捏造政策なので、非公開、韓国国民は一切知らない。

○中国 直接の対戦国前政権「中華民国(台湾)・蒋介石」が、対日賠償請求権を放棄し完結している。現政権に賠償請求権無し。対中ODAは、1979年より開始され、2003年まで、総額三兆円のODA (経済援助)、三兆円の有償援助の、合計六兆円もの巨額の経済援助を中国に与えている。愚民化捏造政策なので非公開、中国国民は一切知らない。「中国ODA六兆円の闇」青木直人著祥伝社黄金文庫

http://www.u-tsukuba.com/2ch/view/tkch/1051681290/    対中ODA実績概要

1957(昭和32)年2月、防衛大学第1回卒業式にて幹部候補を前に逆風に耐えて日々の鍛錬に尽くすよう励ました吉田 茂首相の言葉 

 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」(昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)

 

自衛艦旗 戦後、自衛隊の発足に伴い、自衛艦に掲げる自衛艦旗をどうするかが問題となった。

 結論は簡単に出ず、そこで米内光政海軍大将の親戚で海上警備隊(海自の前身)の良き理解者でもあった画家、米内穂豊画伯に旭光をモチーフにした新たな旗の製作を依頼した。

 米内画伯はこれを快諾したが、画伯が提出したのは帝国海軍の軍艦旗と全く同じ図柄だった。米内画伯は、「旧海軍の軍艦旗は、黄金分割による形状、日章の大きさ、位置、光線の配合等実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがありません。それで、旧軍艦旗そのままの寸法で1枚描き上げました。これがお気に召さなければご辞退いたします。

 ご迷惑をおかけして済みませんが、画家の良心が許しませんので……」と申し出たという。

 その後、この旧軍艦旗と同じ図案に関して議論が重ねられたが、吉田茂首相に最終的な判断を仰ぐことになった。説明を聞き終えた吉田首相は次のように述べた。

 「世界中で、この旗を知らない国はない。どこの海に在っても日本の艦であることが一目瞭然で誠に結構だ。旧海軍の良い伝統を受け継いで、海国日本の護りをしっかりやってもらいたい」

 かくして、昇る太陽をかたどった旭日の軍艦旗は、今日も護衛艦の旗竿に堂々と翻っているのである・・・。

 「行進曲『軍艦』百年の航跡」(谷村政次郎著 大村書店刊)

 

CIAがエージェントとして雇った岸信介 

LEGACY of ASHESThe History of The CIA) NYタイムズで20年以上、CIAを取材してきた専門記者が、膨大な資料と関係者の証言をもとに、その歴史を描いたもの。第12章では、終戦後CIAがどうやって日本を冷戦の前線基地に仕立てていったかが明らかにされている。池田信夫 blog CIAと岸信介 CIAの武器は、巨額のカネだった。彼らが日本で雇ったエージェントのうち、もっとも大きな働きをしたのは、岸信介と児玉誉士夫だった。児玉は中国の闇市場で稀少金属の取引を行い、1.75億ドルの財産をもっていた。米軍は、児玉の闇ネットワークを通じて大量のタングステンを調達し、1280万ドル以上を支払った。

 しかし児玉は、情報提供者としては役に立たなかった。この点で主要な役割を果たしたのは、岸だった。彼はグルー元駐日大使などCIA関係者と戦時中から連絡をとっていたので、CIAは情報源として使えるとみて、マッカーサーを説得して彼をA級戦犯リストから外させ、エージェントとして雇った。岸は児玉ともつながっており、彼の資金やCIAの資金を使って自民党の政治家を買収し、党内でのし上がった。

 1955年8月、ダレス国務長官は岸と会い、東アジアの共産化から日本を守るための協力を要請した。そのためには日本の保守勢力が団結することが重要で、それに必要な資金協力は惜しまないと語った。岸は、その資金を使って11月に保守合同を実現し、1957年には首相になった。その後も、日米安保条約の改定や沖縄返還にあたってもCIAの資金援助が大きな役割を果たした。

 CIAの資金供与は1970年代まで続き、「構造汚職」の原因となった。CIAの東京支局長だったフェルドマンはこう語っている「占領体制のもとでは、われわれは日本を直接統治した。その後は、ちょっと違う方法で統治してきたのだ」

(注・ 焼け野原になった戦後の日本で、吉田も岸も佐藤もエージェントや傀儡を演じた事は間違いないだろう。ただし現代の親中や、親韓や、親朝議員のような「私」ではなく正しく「公」のために)

 

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真実史観正文で無い外務省和訳東京裁判受諾は明白な誤訳だ


 昭和61(1986)年8月19日の衆議院内閣委員会で、後藤田正晴内閣官房長官は、共産党の柴田睦夫氏が東京裁判についての認識をただしたのに対して、「サンフランシスコ平和条約第11条で国と国との関係において裁判を受諾している事実がある」と発言し、東京裁判の正当性を認めることが政府の統一見解であるとの考えを表明した。 

 サンフランシスコ対日平和条約「1951(昭和26)年9月8日」第11条を自分で検証もせず、正文で無い外務省和訳「東京裁判を受諾」と鵜呑みし、外務省に操られた。

 Japan accepts the judgmentsを外務省は「日本は裁判を受諾し」と和訳。裁判は判決が最終決定するまでの過程なのだ。過程は受諾できない。結果が書いていない白紙に、判は押せない。

 条文の正文は英語、フランス語、スペイン語で、日本語の正文はない。日本の外務省がおこなった和訳が、正文に準ずるものとして締約国の間で承認され、国会承認・内閣批准を受けた公式なテキストとして日本国内では扱われている。

 正文でない外務省和訳で論争するから、おかしくなる。正文で検証すれば、即座に検証出来る。

 accepts(責任や仕事などを引き受ける)。
 the judgments 法律用語でのjudgment は、判決と訳すのが慣例。the judgmentsで諸判決。

 Japan accepts(責任や仕事などを引き受ける) the judgments(諸判決)。文意や正文や用法に沿えばJapan accepts the judgmentsは、「日本は諸判決の責任(刑の執行の継続)を引き受け」となる。

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真実史観東條英機自殺と捏造したアメリカ


 インドのパール判事(ラダ・ビノード・パール)の日本人被告の無罪論も、赤穂浪士のあだ討ちも、根底にあるのは実事求是だ。パール判事は職責をまっとうした結果の結論だ。赤穂浪士は幕府の不正を正した結果の結論だ。

  アメリカの戦争目的は侵略、植民地化。日本の戦争目的は護国、アジアの解放、人種差別の撤廃、進んで資源の開放(貿易の自由化)。アメリカの原爆「二種類の原爆である。明らかに人体実験目的(ホロコースト・大虐殺)だ」空爆による60万人老若男女無差別殺人C級の罪。アメリカはこの負い目を払拭するため戦後、侵略戦争・南京掃討戦など日本軍隊極悪の多くのプロパガンダ(捏造宣伝)を繰り広げ東京裁判などで軍隊にすべて責任転嫁し、こんなに日本軍隊極悪だから60万人老若男女無差別大虐殺されたのだ、責任はすべて日本軍にあると、軍隊に責任をすり替えた。 

 アメリカが日本軍隊極悪の槍玉に挙げ、生け贄にしようとしていたのが総大将東條英機なのだ。その東條が「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」と、大義に殉ずる(命を投げ出す)と公言している。東條英機は日本の正義を明確にし、戦勝国の不正を暴くと公言しているのだ。軍人勅諭「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覺悟せよ其操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」に殉ずると公言しているのだ。もはや命をすてた東條英機の証言は阻止出来ずと判断したアメリカは、当然のように東條英機失墜作戦を展開した。ヒトラーはスターリングラード戦で、直々に「降伏禁止令」という、 狂気の極みとも言える命令を出し、凄まじい悲劇となった。東條英機をヒトラーと 同罪にするため、ただの単なる教え(戦陣訓)なのに、「降伏禁止令」であるかのように報道させた。総仕上げとしてアメリカは、東條を急襲し、一発の弾丸もしくは弾丸のような刃物で胸を傷つけ、自殺を捏造した。プロパガンダ(捏造宣伝)は真実を覆い隠す仮面だ。叫べば叫ぶほど捏造なのだ。

 戦後、これまで大江健三郎の『沖縄ノート』のように、プロパガンダを鵜呑みし、取材も検証も思考もせず、貼り付け『プロパガンダ貼り付けノート』にしてきた。日本は、とうの昔に独立したのだ、独立国の、人民の、人民による、人民として思考すべきだ。戦後62年を経た、もうプロパガンダを鵜呑みすべきではない。プロパガンダ(捏造宣伝)を探究すべきだ。パール判事や、赤穂浪士の心を失っては駄目だ。 昨年、虚偽の「戦陣訓」の、その仮面を剥ぎとりました。アメリカのプロパガンダ(捏造宣伝)のシンボル「東條英機」の虚像仮面も昨年剥ぎとりました。東條自殺説では26の矛盾が生じ、米国自殺捏造説では、26の矛盾が氷解する。
 下記の文は右記の要約です。アメリカの東條英機自殺捏造の詳細検証は右記へ。
1~18東條英機真実解明こそが大和日本隆盛起点60年間誰もが忌避
 
下記は旧サイトで、現在は閉鎖。真実史観日本護国史戦勝国歪曲党売国党狂惨党に仕組まれ捏造された大東亜戦争
http://www.tofu-ryohin.co.jp/siten.htm

  まず 「米司令官に陣太刀送る」は前述のように、明白な米軍の捏造。次に、東條英機自殺では、下記26の矛盾点を一切払拭出来ない。下記の矛盾点はすべて一点を指し示している。「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ。」が鍵となり、米国、東條英機を撃ち、自殺捏造の一点を導き出した。この一点で、下記の矛盾点すべて一瞬に氷解し、画竜点睛となる。 

「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」東條英機は、まさしくこの言葉(米国がもっとも恐れた言葉)に殉じている。「自殺未遂」が無ければ、東條英機は、米国がもっとも恐れたまさに解放の戦士としてアジアの、いや世界の有色人種の英雄となっていた。
「虜囚の辱=軍人が日本国の囚人となる事」なのに、戦後の捏造(虜囚の辱=敵国の捕虜となる辱=「捕虜となるよりは自殺せよ)を、戦陣訓示達者本人が、なぜ認めたか。( 検証の順番は戦陣訓が後でした。)
○「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ。」と東條英機は大義を公言していた。戦後生き恥を曝していた理由は、まさにこれなのだ。総大将東條には、総大将として語る責任の「公」と、「臣」として天皇死守の二つの「公」があるのだ。その人が責任を果たさず、「辱」で無い「捕虜」(私)ごときで、なぜ自殺なのか。既に死を決意し、覚悟を決め、「公」の実現のため生き恥を曝し、「公」の大義の実現の為だけに生きている「私」など皆無の東條の脳裡には、「捕虜」(私)の「辱」など、ひとかけらもなかったはずだ。
○なぜMP、CIC(対敵諜報部)が来てから衝動的に自殺なのか。時間はいくらでも今まであった。 

○なぜ「沈黙、弁解せず。一切語るなかれ」なのか。 

なぜMP、CICのいるところで自殺なのだ。失敗の場合は敵国に助けられるのは明明白白なのだ。敵国に生かされて虜囚の辱めを受けることになるのだ。それこそ総大将東條には最大の屈辱ではないのか。こんな単純明快なことすら、総大将カミソリ東條はわからなかったというのか。東條は大臣時代に出した戰陣訓に俘虜となるよりは自殺せよと書いてあるのを實行したのだと後日、証言している。証言が真実なら、必殺の頭を撃つのが正解ではないか。撃ちにくく、失敗しやすい心臓では無いだろう。どちらが撃ちやすいか自分で試して見れば、すぐ分かる。心臓を撃つには両手でピストルを持ち、利き手の親指で引き金を引かねばならず、撃ちにくいのだ。だからピストル自殺者はほとんどが頭だ。 

戦犯容疑者の逮捕は、占領軍司令部から日本政府に該当者の氏名を通告し、日本の官憲の手で逮捕するという取り決めになっていた。なぜ取り決め違反の逮捕なのか。事前通告し自殺されるのを恐れたのか?。『東條英機とその時代』矢次一夫 

○たまたま本社(朝日新聞)記者は東条邸を訪れたとある。そして記者が口頭の遺言を聞いたというのである。記者が現場に簡単に入れるものだろうか。 

○朝日新聞長谷川記者は、なぜ左胸なのに、左腹部と報道したのか。 

○朝日新聞長谷川記者が聴いたという口頭の遺言は、不自然な辻褄をあわせるための弁解だ、遺言ではない、内容は遺言になっていない、弁解ばかりだ。 

○朝日新聞長谷川記者の記事では生命はとりとめるであり、『眞相箱 』では自分には手を施す術がない、大將は死ぬだらうと一人の日本人の醫者の診察が違う。 

○口頭の遺言は誤りが多々あり、日本人記者の文ではない(赤細字で訂正)。手渡された走り書きを、そのまま書き写したものだ。米軍の検閲が有り、勝手に書き直せないので、直さずそのまま載せた。 

○朝日新聞長谷川記者の「証言 私の昭和史 6」ではなぜ、あばら骨の四番目と五番目の間なのか。あばら骨は腹ではない、新聞報道となぜ違うのか。 

○ピストルで心臓を撃ち自殺する人がいるのだろうか、間違つて生き度くない、一發で死に度かつたのなら撃つのは頭だろう。「ザレイプオブ南京」の著者36歳女性アイリス・チャン頭部への銃弾1発で自殺。ましてや東條は男で軍人だ。敵国に生かされて虜囚の辱めを受け無い必殺は、頭だろう。 

○書きかけの、コピーされた遺書が前日日付なのも不自然だ。MP、CIC(対敵諜報部)取り決め違反で予告無く逮捕に来ているのだ。また覚悟の自殺であれば、前日日付では無く、当日日付ではないのか。 

○遺書は未完成なのになぜ自殺をしたか。天皇陛下宛の遺書も清書せず、日にちだけ記載し、不敬のまま、臣(しん「けらい」)英機の自殺は無いだろう。不自然だ。 

○未完成な遺書があるのに、口頭でなぜ遺言を話したのか。 

○1発で胸を撃ち抜いた人間が2発目3発目を撃たず、長文の遺言を、しゃべったと言うのだ。 治療優先だろう。

○一發で死に度かつたと口頭の遺言の開口一番の言葉だ、一發のいい訳から始まっている、語るに落ちるではないのか。 

○遺言を口頭で伝えたといわれた人間が、なぜ生き恥をさらしながら死刑判決まで生き長らえたのか。 

軍人東條が、家族や近親者に死ぬ死ぬと、証言のように詳細に、自殺を公言するものだろうか。 

○「忠臣」と言われた東條が、天皇を守らず、死ぬわけにはいかないのだ。ましてや遺書に臣英機と記載し内容は天皇宛である。天皇宛でないところが、追記となっている。臣英機と書き、臣「しん(家来)」の勤めも果たさず自殺は無いだろう。 

○ご丁寧に自殺直後の写真まで撮影されている。 

○口頭の遺言は朝日の長谷川記者が直接聞いたのではなく、マツクアーサーと記載されたメモとして米軍より手渡されたものを、そのまま転載したものだ。直接の聞き書きであれば、文頭記載のようにマツカーサーと書くはずだ。米軍の検閲が有るので勝手に書き直せない。 

○東條大将が自決を図ったのが午後4時、午後7時20分頃、家から運び出し、横浜の米軍病院に収容した。(重光葵の手記より)3時間20分もかかっている、何があったのだろうか。報道されたような重傷であったのだろうか。 

○自殺未遂後一月もたたない10月7日、大森俘虜(ふりょ・捕虜)収容所に傷の癒えた東条が送られている。報道されたような重傷ではなかったのだ。 


 私が検証した以外にも、反日や戦勝国のプロパガンダはたくさんあります。反日やプロパガンダは真実を隠蔽するためのものです。反日やプロパガンダが叫ぶ、逆が真実です。プロパガンダを鵜呑みせず探究しましょう。


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真実史観

Author:真実史観
 自虐左翼に非ず捏造が正当。
 私は物づくりが業で温室水苔無しの新栽培蘭(空・皿栽培)が趣味。物づくりでの捏造は即、死。
 米国負い目払拭作戦、愚民化洗脳WGIP善悪史観で、侵略者極悪先人と捏造。
 NHK朝日毎日TBS日教祖らが60年経ても捏造洗脳犯日教育。捏造亡国祖国存亡の危機、06年学歴肩書不要虚実検証実事求是子孫へ遺す真実史観HP開設。
 倒幕は独立目的、戦争は、征服者食民治主義凶産主義との、最適者生存戦争。日本は軍民一丸適者生存蜂起軍。全征服者と戦ったのが日本、蜂起戦争は常識。
 迫った時代の激流最適者生存。子孫死守、時代の衣を纏い軍民一丸の蜂起軍と化し、子孫生存を懸けて戦い食民治主義破壊、共産は凶産カルト、捏造が党是と暴露、人類の新秩序共存共栄と平等を創造した先人と世界の同胞に捧ぐ。
 新生日本最速は、不買(新聞・雑誌・犯日スポンサー)不払い(犬HK)不投票(亡国奴)の三不。

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